千葉県

写真 名称 ふりがな 区市町村 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 稲毛の地蔵道標 いなげ 千葉市(稲毛区) (5丁目) 石道標(蒲鉾型)   享保13(1728)   金田p31千葉49
/WEB(加来_千16)
祠内/地蔵の顔が一部破損 (正面右下隅)「左 さくら道」、(正面左下隅)「右 こて橋道」/中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
  轟町の題目塔道標 とどろき 千葉市(稲毛区)   石道標(板碑型)   享和元(1801)   金田p43千葉71
/WEB(加来_千23)
祠内(新造) (正面)「右ハ ながの末村 よなもと道/左ハ そんのふ村 小中台 道」」、(右面)「千葉町へ/二十丁」/正面中央に「奉喝念光明真言百万遍」と陰刻 1
  稲毛の供養塔道標1 いなげ 千葉市(稲毛区) (5丁目) 石道標   文化11(1814)   金田p32千葉50
/WEB(加来_千15)
移設 (右面)「右 さくら道」、(左面)「左り こてはし道」/正面に「西國秩父坂東百番觀音供」と陰刻 2 -
  稲毛の供養塔道標2 いなげ 千葉市(稲毛区) (5丁目) 石道標   文化11(1814)   金田p32千葉51
/WEB(加来_千17)
移設 (右面)「右 ちばてらみち」、(左面)「左 さくらミち」/正面に「西國秩父坂東百番觀音供養塔」と陰刻 2
写真 小深町の庚申塔道標 こぶけ 千葉市(稲毛区) 八幡神社 石道標(駒型)   嘉永4(1851)   金田p34千葉55
/WEB(加来_千12)
正面の刻字を意図的に破壊 (右面)「西 右、□□/ちば」、(左面)「東、志ゝわたし/馬わたし、みち」/正面に「庚申塔」と陰刻か?、頂部の“日月”の陽刻のみ残る 4
写真 弁天町の庚申塔道標 べんてん 千葉市(中央区) <江戸道> 石道標(笠付き)   宝永2(1705)   金田p43-44千葉72
/WEB(加来_千24)
移設、C台石 (右面)「右ハ わう志う 同よなもと道」、(左面)「左ハ さいがう 同のミち」/正面に青面金剛立像(六手合掌、三猿)を陽刻 3
写真 葛城町の地蔵道標 かつらぎ 千葉市(中央区) 弁天社 石道標(舟型)   元文2(1737)   金田p54-55千葉95
/WEB(加来_千29)
移設? (光背右)「是より右 千葉てら道」、(光背左)「是よ里左 とうか祢みち」/中央に地蔵立像を陽刻 2
  寒川町の庚申塔道標 さむかわ 千葉市(中央区) (3丁目) 石道標(笠付き)   延享2(1745)   金田p54千葉93
/WEB(加来_千28)
四周に鉄柵設置 (左面)「右ハ かづさミち/左ハ ちばてら道」/中央に「奉造立南無庚申尊」と陰刻、刻字の両脇上に“日月”の陽刻 2
写真 川戸の馬頭観音像道標 かわと 千葉市(中央区)   石道標(駒型)   寛延3(1750)   金田p16千葉17
/WEB(加来_千41)
基部C接合 (右面)「西 江戸ミち/東 とうか袮ミち」、(左面)「奉造 馬頭観世音/下総國千葉郡川戸邑中」、正面に馬頭観音立像(一面六臂〔数珠、水瓶〕)を陽刻 2
写真 千葉寺町の観音道標1 ちばでら 千葉市(中央区) 千葉寺 石道標   寛延4(1751)   金田p17千葉20
/WEB(加来_千32)
墓地内 (正面)「ちばてらみち/坂のうゑ 二町斗」、(右面)「是より 大弓 大がんじ道」/正面中央に「觀世音菩薩」と陰刻 4
写真 千葉寺町の庚申塔道標1 ちばでら 千葉市(中央区) 千葉寺 石道標(板碑型)   宝暦4(1754)   金田p18千葉22
/WEB(加来_千34)
中央で水平に割裂→修復、墓地内(移設) (右面)「ちばミち」、(左面)「ちばてらミち」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 新町の庚申塔道標 しん 千葉市(中央区) 道祖神社 石道標(笠付き)   宝暦12(1762)   金田p56千葉99
/WEB(加来_千27)
墓地内 (左面)「坂東廿九番/ちばてら江/是より 十八丁」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)を陽刻 3
写真 千葉寺町の観音道標2 ちばでら 千葉市(中央区) 千葉寺 石道標   安永2(1773)   金田p19千葉24
/WEB(加来_千35)
墓地内(新規造成) (右面)「右ハ 大厳寺みち」、(左面)「左ハ 東金ミち」/正面に「(梵字)観世音菩薩」と陰刻 4 -
  千葉寺町の法師道標 ちばでら 千葉市(中央区) 千葉寺 石道標   寛政9(1797)   金田p18千葉21
/WEB(加来_千33)
墓地内 (右面)「右ハ 大がん寺道/二十八丁余」、(左面)「左ハ 坂上 二丁 東かね道」/正面中央に「浄念法師」と陰刻 4
写真 宮崎町の廻国塔道標 みやざき 千葉市(中央区)   石道標   享和3(1803)   金田p53-54千葉92
/WEB(加来_千48)
墓地内 (右面)「此方 ちばてら道」、(左面)「此方 五たほふみち」/正面に「(梵字)奉参詣坂東百觀音大願成就塔」と陰刻 3 -
写真 千葉寺町の聖観音像道標 ちばでら 千葉市(中央区) 千葉寺 石道標   文政10(1827)   金田p19千葉23
/WEB(加来_千53)
移設、集約 (右面)「右、たかくら/かうり、道」、(左面)「左 とうかね/大あみ、道」/正面上部に聖観音坐像を陽刻、その下に「三界萬霊」と陰刻 3
  星久喜町の弁財天道標 ほしぐき 千葉市(中央区) 星久喜中学校 石道標   文政12(1829)   金田p15-16千葉16
/WEB(加来_千38)
保存状態良好 (右面)「右ハ 作場道」、(左面)「左ハ 千葉道」/正面に「辨戝天」と陰刻 1 -
  千葉寺町の庚申塔道標2 ちばでら 千葉市(中央区) 千葉寺 石道標(駒型)   江戸期   金田p18-19千葉22 現況不明 (右面)「ちばミち」、(左面)「ちばてらミち」/正面に青面金剛像を陽刻/「ミち」の標記は江戸期    
  武石町の大師道標 たけいし 千葉市(花見川区) 道祖神の森
<実籾街道>
石道標(笠付き)   享保3(1718)   金田p58千葉103 移設/現況不明 (右面)「下 けみ川/南 馬加 江戸みち」、(左面)「北 大和田 佐倉道」/正面に「奉納経、西國/秩父/坂東、百ケ所四國八十八ケ所」と陰刻 2  
写真 天戸町の庚申塔道標 あまど 千葉市(花見川区) 稲荷神社 石道標(笠付き)   享保20(1735)   金田p30-31千葉47
/WEB(加来_千57)
保存状態良好 (右面)「右 江戸みち」、(左面)「左 けみ川ミち」/正面を長方形に削り込んで青面金剛立像(六手剣人、三猿)を陽刻、その上の枠に“日月”の陽刻 1
  検見川の庚申塔道標 けみがわ 千葉市(花見川区) (5丁目) 石道標(駒型)   宝暦元(1751)   金田p31千葉48
/WEB(加来_千14)
木祠内(他の石造物と混在) (正面右端)「右ハ いわとみ道」、(同左端)「左ハ 古てハし道」/正面中央に青面金剛立像(六手合掌)を陽刻 3
写真 横戸町の庚申塔道標1 よこど 千葉市(花見川区)   石道標(駒型) 高101.5㎝,
幅32㎝,厚27.5㎝
寛政12(1800)   八千代の道しるべ10
/WEB(加来_千07)
墓地内 (右面)「右 けミ川/左 ちば、道」/正面に「青面金剛王」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”を陽刻 3
写真 武石町の大師道標 たけいし 千葉市(花見川区) 真蔵院墓地 石道標(笠付き)   享和2(1802)   金田増補p11-12千葉13
/WEB(加来_千62)
墓地内 (右面)「下 けみ川 上総道/南 馬加 江戸みち」、(左面)「北 大和田 佐倉道」/正面上部に弘法大師坐像(台座付き)を陽刻、下部に「奉納経、西国秩父坂東/四国八十八ヶ所、百ヶ所」と陰刻 3
写真 柏井町の庚申塔道標1 かしわい 千葉市(花見川区) 大杉神社 石道標(駒型) 高127㎝,幅30㎝,厚18.5㎝ 文化9(1812)   八千代の道しるべ 05
/WEB(加来_千60)
保存状態良好 (台石正面)「南 けみ川道」、(台石右面)「東 ちば道」/正面に「青面金剛王」と陰刻、その上に“日月”の陽刻 1
写真 柏井町の庚申塔道標2 かしわい 千葉市(花見川区)   石道標(駒型) 高132㎝,幅38㎝,厚20㎝ 文政2(1819)   八千代の道しるべ 02
/WEB(加来_千03)
移設、C基礎 (台石正面右端)「左/かしはい道」、(同左端)「右/けみ川道」、(右面)「是ヨリ うすい道」、(左面)「従是/大和田道」/正面に「青面金剛王」と陰刻、その下に“三猿”を陽刻 2
  横戸町の庚申塔道標2 よこど 千葉市(花見川区) (新山) 石道標(駒型)   文政7(1824)   金田p25-26千葉37 現況不明 (正面)「南 ちばミち」、(右面)「東 よこどミち」、(左面)「西 かしハいミち」、(裏面)「北 さくらミち」/正面に「庚申塔」と陰刻    
写真 花島町の庚申塔道標 はなしま 千葉市(花見川区) 花島観音 石道標(駒型)   天保2(1831)   金田p27-28千葉41
/WEB(加来_千56)
移設、集約/上部が剥落 (右面)「右ハ ば道」、(左面)「左ハ けみかわ道」/正面に「青面金剛」と陰刻 4 -
写真 検見川の道標 けみがわ 千葉市(花見川区) (3丁目) 石道標   天保12(1841)   金田増補p9千葉9
/WEB(加来_千13)
設置環境不良 (正面)「弘法大師御作/厄除不動尊/是より十八町」(この中で、「厄除不動尊」は中央に大きく陰刻) 2
  横戸町の題目塔道標 よこど 千葉市(花見川区)   石道標(駒型) 高86㎝,幅26.5㎝,厚19㎝ 弘化2(1845)   八千代の道しるべ 11
/WEB(加来_千08)
移設、集約(放置) (右面)「右、古てはし/けみ川、道」、(左面)「左、なかぬま/ちはミチ」/正面に「廿三夜」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 3 -
写真 柏井町の庚申塔道標3 かしわい 千葉市(花見川区) 大杉神社 石道標 高103㎝,幅39㎝,厚28㎝ 嘉永元(1848)   八千代の道しるべ 06
/WEB(加来_千61)
保存状態良好 (台石右面)「南、こてはし/けみ川」、(同左面)「北、よこと/うすゐ」、(同裏面)「東、ながぬま/ちば道」/正面に「申塔」と陰刻/緑字は異体字 1
写真 柏井町の庚申塔道標4 かしわい 千葉市(花見川区) 三山碑塚 石道標(駒型) 高141.5㎝,幅40㎝ 万延元(1860)   八千代の道しるべ 01
/WEB(加来_千59)
保存状態良好 (台石正面)「向フハ/舩橋道」、(右面)「右 居村 横戸道」、(左面)「左 大和田 臼井道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1
  下野牧の野馬土手
〔千葉・花見川〕・跡
しもの 千葉市(花見川区) <小金牧>
(長作町~作新小学校)
野馬土手 長100m,130m,土手:高(外)2-2.5m,(内)1m以下,堀幅約2m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p35・39
・40
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
比較的良好に現存/樹林中に放置されているが堀はよく残る 二重土手/下野牧南端の野馬土手/下野牧は都市化に伴い急速に消滅 3
写真 生実町の道標 おゆみ 千葉市(緑区)   石道標   明和2(1765)   金田増補p7千葉3
/WEB(加来_千49)
設置環境やや不良 (正面)「大かんじ江の道」 2
  古市場の馬頭観音像道標 ふるいちば 千葉市(緑区)   石道標   安永9(1778)   金田増補p12-13千葉16
/WEB(加来_千51)
C基礎 (正面右端)「是より 大かん寺道」/中央に馬頭観音立像(一面二臂)を陽刻 2 -
  椎名崎の馬頭観音道標 しいなざき 千葉市(緑区) 椎名霊園 石道標(蒲鉾型)   安永10(1781)   金田p14-15千葉13
/WEB(加来_千54)
移設/墓地内 (右面)「東金道」、(左面)「江戸道」/正面を枠だけ残して削り込み、「馬頭観音」と陰刻 3 -
      千葉市(美浜区)                    
  金親町の庚申塔道標 かねおや 千葉市(若葉区) 金光院 石道標(駒型)   元文2(1740)   金田p44千葉73 現況不明 (右面)「これより 江戸みち」、(左面)「みぎ ちばミち」/正面に青面金剛像を陽刻    
写真 桜木町の聖観音像道標 さくらぎ 千葉市(若葉区) 加曽貝塚公園 石道標   天明2(1782)   金田p36-37千葉59
/WEB(加来_千46)
移設 (正面下部)「なり田道/とうがね道/八日市ば道/ちやをし道」、(右面)「西、江戸道/ちばでら道、高品通ス 道あしき時此方吉」、(左面)「南、江戸ミち/ちばでら道 壱里十丁」/正面上部に聖観音立像(光輪)を陽刻 2
写真 大宮町の庚申塔道標 おおみや 千葉市(若葉区)   石道標(駒型)   寛政元(1789)   金田p16-17千葉18
/WEB(加来_千39)
保存状態良好 (正面右側)「南ハ/大がん寺道」、(正面左側)「左ハ/なりた道」/正面中央に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼)をやや立体的に陽刻 1
写真 原町の馬頭観音像道標 はら 千葉市(若葉区) 熊野三社 石道標(駒型)   文政3(1820)   金田p37-38千葉61
/WEB(加来_千22)
移設 (右面)「南 ちば道/西 原村道」、(左面)「北 さくら/東 坂戸、道」/正面上部に"梵字輪”、下部に馬頭観音座像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻 2
  桜木町の不動明王像道標 さくらぎ 千葉市(若葉区) 加曽貝塚博物館 石道標   文政12(1829)   金田p40千葉65
/WEB(加来_千21)
移設/非展示 (正面下部)「右 けミ川/南 左 ちば みち/壱丁程行」、(右面)「此方 □□□□□」、(左面)「此方 さわら なりた道」/正面上部に不動明王座像を陽刻 4
  桜木町の観音道標 さくらぎ 千葉市(若葉区) 加曽利貝塚博物館
<御成街道>
石道標   文政13(1830)   金田p39-40千葉64
/WEB(加来_千10)
移設/非展示 (正面左上)「西 江戸道」、(右面)「南 ちばみち」、(左面)「北 うすいみち」、(裏面)「東 まわたしみち」/正面上部に「秩/父」、同中央に「觀世音菩薩」と陰刻 4
  旦谷町の供養塔道標 だんや 千葉市(若葉区)   石道標(駒型)   安政2(1855)   金田p45千葉75
/WEB(加来_千47)
転倒 (右面)「右、やとう/うちだ/とうが祢、道」、(左面)「左、さかど/まわた志/さくら、道」/正面に「(梵字)造立秩父觀世音供養塔」と陰刻 3
  高根町の馬頭観音道標 たかね 千葉市(若葉区)   石道標   江戸期   金田p49-50千葉84
/WEB(加来_千43)
個人宅裏 (正面)「北ハ 高根村/佐倉 成田道」、(右面)「西ハ 千葉 江戸道」、(左面)「東ハ 東金ミち」、(裏面)「南ハ 野田 井戸みち」/正面中央に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻/「江戸」「ミち」の標記は江戸期 4
  御成街道の提灯塚 おなり、
ちょうちん
千葉市(若葉区) 御成公園<御成街道> 土塚(2基→1基) 高2.5m 慶長18(1613)   現地解説板/WEB 道路拡張工事のため1基消滅 家康が佐倉城主・土井利勝に命じて御成街道を造らせた時、直線区間を見通すため、昼は白旗、夜は提灯を掲げて昼夜兼行の突貫工事で一晩 or 三日三晩で完成したという伝承がある/工事終了後は一里塚として使われた 3
写真 溝原の題目塔道標 みぞわら 旭市   石道標   宝永5(1708)   WEB(加来_東庄19) 保存状態良好 (正面右)「右 おみ可わミち」、(同左)「左 志ゆ里んじみち]/正面中央に「(梵字)南無觀世音菩薩爲二世安樂」と陰刻 1
写真 岩井の不動明王像道標 いわい 旭市 竜福寺 石道標(丸彫)   寛延4(1751)   金田増補p192海上3
/WEB(加来_旭21)
保存状態良好 (正面下部中央)「不動道」、(正面下部両脇)「南 いゝおかミち/北 志ゅ里んじ 小見川ミち」/正面上部は不動明王坐像の丸彫⇒右手の三鈷剣は跡が分かるが、左手の羂索は欠損、背景の迦楼羅焔 1
  岩井の題目塔道標 いわい 旭市 (東新田) 石道標(駒型)   宝暦3(1753)   金田増補p194海上7
/WEB(加来_旭25)
下部埋没→地名が全く見えない (正面右下)「右 …」、(正面左下)「左 …」/正面に「(梵字)奉納大乘妙典六十六部浄心…」と陰刻 4 -
写真 東足洗の馬頭観音像道標 ひがしあしあらい 旭市 光明寺 石道標(板碑型)   明和9(1772)   金田増補p181旭1
/WEB(加来_旭26)
正面の刻字が判読困難、像も傷んでいる→布で巻いて補強 (正面右端)「右、いゝをか/てうし、道」、(同左端)「左、のじり/たかた、道」/正面に馬頭観音立像(一面四(?)臂〔水瓶〕)を陽刻 3
  岩井の道標   旭市   石道標   明和9(1772)   金田p299海上8 現況不明 (正面)「西 岩井村、右 飯岡道/左 山道」    
写真 倉橋の庚申塔道標 くらはし 旭市   石道標   安永4(1775) 町史跡 金田p304-305海上19
/WEB(加来_旭20)
保存状態良好 (右面)「東 さるたみち」、(左面)「西 いわ井みち」、(裏面)「北 の志りみち」/正面に青面金剛立像(六手剣人)を陽刻(日月、邪鬼) 1
写真 松ケ谷の地蔵道標 まつがや 旭市   石道標(蒲鉾型)   安永6(1777)   金田p297海上4
/WEB(加来_旭13)
保存状態良好 (正面上部「□□井/不動道」、(右面)「の志り/てうし、ミち」、(左面)「 志ゆ里んじ/小見川、道」/正面に地蔵立像を陽刻 1 -
写真 倉橋の廻国塔道標 くらはし 旭市   石道標(尖頭角柱)   安永8(1779)   金田p304海上18
/WEB(加来_旭19)
保存状態良好 (右面)「右 くらはし道」、(左面)「左 さるだ道」/正面に「(梵字)奉納西國三十三所諸願成就之処」と陰刻 1 -
写真 岩井の庚申塔道標 いわい 旭市   石道標(板碑型)   天明元(1781)   金田p299-300海上9
/WEB(加来_旭14)
墓地にほとんど隙間なく並ぶ (正面右下)「西 ふどう」、(左面)「東 さるだミち」/正面に青面金剛立像(六手合掌)を陽刻 4
  鏑木の供養塔道標 かぶらき 旭市   石道標   文化10(1813)   WEB(加来_旭07) 移設?、集約 (右面)「西、大てら いいた 中村/たこ 江戸道」、(左面)「東 万力 いい 新まち てうし 坂くだり/南 八日市場 上総」/正面に「西國三十三所供養塔」と陰刻 2
写真 蛇園の勢至観音像道標 へびその 旭市   石道標(丸彫) 高163㎝(うち、台石33㎝),
幅39.5㎝,厚26㎝
文政7(1824)   金田p300-301海上12
/WEB(加来_旭15)
祠内/C板と花崗岩の板の上に嵩上げ移動? (台石正面中央)「西、大田/江戸、道」、(同右)「右 てうし道」、(同左)「左、さる田/のちり、道」/正面「奉納大乘妙典日本廻國」と陰刻、その上に勢至観音坐像(合掌が左右不一致なので別の観音かも?)の丸彫を載せる、像下に〝日月”の陽刻 2
写真 新町の道標 しん 旭市   石道標(蒲鉾型)   文政9(1826)   金田p289-290旭9
/WEB(加来_旭10)
他の石造物と共に保存 (正面)「北、新町/小見川/佐原、常州道」、(右面)「南、大田/奈る田/椎名内、九十九里道」、(左面)「東、江ヶ崎/阿しと/いいを可、てうしミ 2
写真 米込の子持ち地蔵道標 よねごめ 旭市   石道標   天保年間(1830-43)   WEB(加来_旭05) 保存状態良好 (右面)「東 新町、いわ井/いいおか」、(左面)「西 八日市□」、(裏面)「北 松さき」/正面上部に子持ち地蔵坐像を陽刻 1
写真 琴田の廻国塔道標1 ことだ 旭市   石道標   天保年間(1830-43)   金田増補p193-194海上6/WEB(加来_旭24) 移設、集約/刻字が読みづらい (右面)「北 岩井ふどう道/東 てうし道」、(左面)「西 志んまち」/正面に「(梵字)奉納 西國三十三所 成就処」と陰刻 3 -
写真 後草の供養塔道標 うしろぐさ 旭市 (天名川) 石道標(形態不明)   天保3(1832)   金田p302海上14
/WEB(加来_旭17)
移設、集約/頂部が布で覆われており形態不明 (正面)「此方 の志り 高田」、(右面)「右 新町 番とり」、(左面)「左 いいをか てうし」/裏面に「(梵字)奉納、西國四國/秩父坂東、諸國越助成供養塔」と陰刻/下記「後草の地蔵道標」と同所 3 -
  琴田の廻国塔道標2 ことだ 旭市   石道標   天保10(1839)   金田p289-289旭8 現況不明 (正面右下)「大田 なる田」、(同左)「南 はまみち」、(右面)「東、江ケさき/以ゝお可てうし、道」、(左面)「西、志ん町 松さわ/大てら 多古、道」、(裏面)「北 万さゐ かじろ」/正面中央に「奉順礼西國丗三所」と陰刻    
  鎌数の供養塔道標 かまかず 旭市   石道標   弘化5(1848)   金田p287-288旭6 現況不明 「(正面左)「九十九里はま道」、(右面)「東 大田 てうし道/大神宮江 八丁」、(左面)「北 ふま村 小見川 かとり道」/正面中央に「西國供養塔」と陰刻    
写真 米込の廻国塔道標 よねごめ 旭市   石道標   嘉永5(1852)   金田p319干潟4
/WEB(加来_旭04)
移設? (正面右下)「八日市場 東金」、(同左下)「不動 成田 多古」、(右面)「鎌数大神宮道」、(左面)「此方 香取大神宮道、五郷/小見川/佐原/き」、(裏面)「東方、猿田大神道、かし/てう」/中央に「奉拝禮、伊勢/西國/大願成就之塔」と陰刻〔緑字は異体字〕 2
写真 見広の題目塔道標 みひろ 旭市 (西辺田) 石道標(駒型)   安政2(1855)   金田増補p193海上5
/WEB(加来_旭23)
移設、集約 (右面)「北 岩井不動」、(左面)「南 太田 成田道」/正面中央に「二十三夜塔」と陰刻 3 -
写真 櫻井の道標 さくらい 旭市   石道標   安政4(1857)   金田p320-321干潟6
/WEB(加来_旭01)
保存状態良好 (正面)「東、岩井 東之庄/いひをか てうし、道」、(右面)「北、さゝ川 小見川/志ゅ里んじ、道」、(左面)「南、太田 多古/八日市場 江戸道」、(裏面)「西、田辺 香とり/やまくら 佐原、道」 1
写真 イの廻国塔道標 旭市   石道標   安政6(1859)   金田増補p187旭12
/WEB(加来_旭12)
墓地にほとんど隙間なく並ぶ (右面)「右 三川 いゝ於可道」、(左面)「左 猿田 みひろ のじり道」/正面に「西國三…」と陰刻 4 -
写真 入野の道標 いりの 旭市   石道標   慶応年間(1865-68)   金田p319-320干潟5
/WEB(加来_旭02)
保存状態良好 (右面)「東、万歳 夏目 岩井/東之庄 かし上 てう」、(左面)「西 成田山不動尊」、(左面右下隅)「 八日市ば」、(同左下隅)「大寺 多古」、(裏面)「北 香取太神宮」、(裏面右下隅)「松沢 府ま 田部」、(同左下隅)「小見 佐原 阿ば」、正面に「奉拝禮、伊勢//西國、諸願成就」と陰刻 1
  後草の廻国塔道標 うしろぐさ 旭市   石道標   慶応2(1866)   金田p305海上20 現況不明 (正面右下)「是より 五十間行左/いゝおか てうし」、(同左下)「□□
□□□□□
太田 八日市場」、(右面)「東 猿田社、岩井 ふどう/のじり 高田、道」、(左面)「西 香取社、志んまち/さハら、道」/正面に「(梵字)月山湯殿山羽黒山大権現」と陰刻
   
写真 萬力の題目塔道標 まんりき 旭市 新発田神社 石道標   慶応2(1866)   金田p317干潟1
/WEB(加来_旭08)
移設 (右面)「東、まつさわ/志ゅりんじ/小見川、道」、(左面)「西、かぶらき/まつさ起/山くら、道」/正面に「奉拝礼諸願成就」と陰刻 2 -
写真 岩井の大黒天像道標 いわい 旭市 竜福寺 石道標(尖頭角柱)   慶応4(1868)   金田増補p192海上4
/WEB(加来_旭22)
保存状態良好 (右面下部)「從是五丁 右 飯岡 九十九里道」、(左面下部)「從是六丁 左 樹林寺 香取道」/正面上部を円形に削り込み大黒天半跏坐像(米俵上)を陽刻、その下に「西國供養塔」と陰刻→大黒天はこの地で盛んだった日蓮宗と関係がある→全国的には稀 1
写真 後草の地蔵道標 うしろぐさ 旭市 (天名川) 石道標 高230㎝
(うち、台石65㎝)
江戸期   金田p301海上13
/WEB(加来_旭16)
移設? (台石正面)「西 太田 江戸道」、(右面)「右 てうし いゝぬま」、(左面)「左、の志里/さる田/岩井」/台石の上に背の高い地蔵立像(蓮台付き)が載る/「江戸」の標記は江戸期/上記「後草の供養塔道標」と同所 2
  倉橋の地蔵道標 くらはし 旭市 (僧ヶ塚) 石道標   江戸期   金田p303海上17 現況不明 (台石正面)「東、くらはし/さるだ、道)、(同右面)「北、のじり/てうし、道」、(左面)「南、大田/江戸、道」/台石上に地蔵坐像の○○が載る/「江戸」の標記は江戸期    
  萬歳の道標 まんざい 旭市   石道標   江戸期   金田p320-321干潟6 現況不明 (正面)「東、岩井 東之庄、いひをか てうし、道」、(右面)「北、さゝ川 小見川/志ゅ里んじ、道」、(左面)「南、太田 多古/八日市場 江戸、道」、(裏面)「西、□□□□もり/やくら 佐原、道」    
写真 鏑木・府馬の境界石 かぶらき、
ふま
旭市 香取市境界近く 境界石   慶応3(1867)   WEB(加来_旭09) 移設(鏑木側に入った所) (正面)「府馬村/鏑木村、堺」 2
  東我孫子一里塚 ひがしあびこ 我孫子市 <成田街道> 一里塚(1基) 高3m,直径12m 慶長9(1604)以降   千葉県の産業・交通遺跡p96 盛土上に数本の榎、周辺に杉が密生 成田街道の1番目の一里塚 3
  湖北一里塚 こほく 我孫子市 国道356号
<成田街道>
一里塚(1基) 高2.6m,直径8m 慶長9(1604)以降   千葉県の産業・交通遺跡p97 一部削欠 成田街道の2番目の一里塚 4
  下ケ戸の庚申塔道標 さげと 我孫子市   石道標   元文5(1740)   金田増補p390我孫子9 現況不明 (左面)「従是左 布施道」    
写真 柴崎の馬頭観音道標 しばさき 我孫子市 東源寺 石道標(駒型) 高82㎝,幅32㎝,厚20㎝ 延享元(1744)   金田p752我孫子17
/WEB(加来_我01)
/市教委
移設、集約 (正面右下)「右 高之山道」、(同左下)「左 成田道」/正面を枠を残して削り込み、中央に「馬頭觀世音菩薩爲良馬」、両脇下に道しるべを陰刻 3
写真 寿の道標1 ことぶき 我孫子市 (2丁目) 石道標(板碑型)   宝暦12(1762)   金田p754我孫子22
/WEB(加来_我02)
移設/下部埋設(「現道」が見えない)/頂部一部剥離 (正面)「従是右 子権□□ 4 -
写真 寿の庚申塔道標 ことぶき 我孫子市 (2丁目)<水戸街道・成田街道>
石道標   安永5(1776)   金田p我孫子13
/WEB(加来_我03)
移設、集約 (右面下部)「右 てうしみち」、(左面下部)「左 水戸みち」/正面に「青面金剛」と陰刻 3 -
写真 寿の道標2 ことぶき 我孫子市 (1丁目) 石道標(尖頭角柱)   寛政元(1789)   金田p749我孫子11
/WEB(加来_我04)
保存状態良好 (正面)「従是 子神道」 1
写真 高野山の灯籠道標 こうのやま 我孫子市   石常夜灯(道標) 高2.74m,径32㎝ 寛政12(1800)   金田p753我孫子20
/WEB(加来_我05)
移設(若干)?/八角柱の本体と火袋が不整合(→後補の可能性?) (正面)「子大権現道」/八角断面の石材の上に小さな中台、火袋、笠を載せる 2
写真 下ケ戸の題目塔道標 さげと 我孫子市   石道標(尖頭角柱)   享和4(1804)   金田p754-755我孫子24
/WEB(加来_我15)
移設、集約 (右面)「右 弁戈天ミち」/正面に「奉待廿三夜塔」と陰刻 3
  中里の廻国塔道標 なかざと 我孫子市   石道標   文化4(1807)   金田p745我孫子2 現況不明 (正面右)「薬師如来江 道一丁」、(同左)「金毘羅権現江 四丁」/正面中央に「新四國霊」と陰刻    
写真 寿の道標3 ことぶき 我孫子市 (2丁目)<水戸街道・成田街道>
石道標(尖頭角柱)   文化13(1816)   金田p749-750我孫子12
/WEB(加来_我06)
/市教委
移設、集約 (正面に大きく)「右 成田道」、(正面最下部)「西、小金宿 三里/松戸 五里/千住 七里/三堀 三里/中里 七里/流山 三里半/野田 五里/山崎 四里」、(右面下部)「東、布佐 三里丁/木下し 四里/安喰 六里/成田 九里/佐倉 九里/銚子 廿一里/安波 十一里/大室 五里」、(左面下部)「北、布施 一里/取手 里/ 牛久 五里/土浦 九里/水戸 廿里/筑波 十三里」 3
写真 岡発戸の庚申塔道標 おかほっと 我孫子市   石道標   文政8(1825)   金田増補p387我孫子2
/WEB(加来_我16)
ゴルフ場内 (右面)「たきふどう道」、(左面)「五本松道/此塔ニ付草木一切無し」、(裏面)「のみち」/正面に「庚申塔」と陰刻 4
写真 寿の道標4 ことぶき 我孫子市 (2丁目)<水戸街道・成田街道>
石道標   文久3(1863)   金田p751我孫子14
/WEB(加来_我07)
移設、集約、放置 (正面)「成田山」 4 -
写真 中峠の道標 なかびょう 我孫子市 照妙院 石道標(板碑型)   文久4(1864)   金田p747我孫子7
/WEB(加来_我14)
移設、集約/表面一部剥離 (正面)「不動明王/是より 三丁」 4 -
写真 平和台の馬乗り馬頭観音道標 へいわだい 我孫子市   石道標(駒型)   慶応2(1866)   金田p745我孫子1
/WEB(加来_我13)
移設、集約 (右面?)「発作 亀成道」(?)、(左面)「布佐臺 取手道」/正面に馬乗り馬頭観音像を陽刻 3
写真 岡発戸の道標 おかほっと 我孫子市 八幡神社 石道標   江戸期   金田p748我孫子8
/WEB(加来_我12)
3本の道標が固めて置いてあるため右面見えず (正面)「(左指差し)いちぶ 正泉寺より たきふどう道/をほり わたしバ道」、(右面)「ふさ/なりた道」、(左面)「(左指差し)あびこ/江戸道」/「江戸」の標記は江戸期 3
  布佐の網代場・跡 ふさ、
あじろば
我孫子市 <利根川→なま街道> 河岸   江戸期   WEB 場所が特定 利根川の狭窄部の投げ網の漁場→なま街道の出発点 4
  手賀沼の千間堤・跡 てが 我孫子市 <手賀沼>
(新木地先)
土堤防   享保14(1729)   市教委/WEB(近世手賀沼の歴史) 道路化 計画:紀州出身の幕府勘定方・井澤弥惣兵衛(初代ではなく二代目?)、施工:紀州出身の豪商・高田友清/手賀沼を横断して対岸の柏市布施明神下まで造られた長さ千間の土堤防→手賀沼が二分され、水深の浅い下沼が開墾されるはずだった→数年で利根川の逆流で破堤(地元農民の利害関係による人為的破壊説は間違い)→廃田 4
  将門の井戸 まさかど 我孫子市 (日秀) 井戸   承平2(932)   市教委/WEB すり鉢状の地形の最下部に井戸が残る(埋没?) 平将門が自ら掘って近くの分城の軍用に供したとされる/湖北七つ井戸の一つ 4
  八幡の井戸 はちまん 我孫子市 (岡発戸、宿) 井戸   嘉永6(1853)以前   市教委(我孫子市史p123)/WEB Cブロック小屋内,施錠 八幡神社の嘉永6の改築に言及した『東葛飾郡史(1923)』に井戸のことが記載→それ以前から存在/湖北七つ井戸の一つ/共同井戸→氏神が他の井戸を嫌ったため、各家では井戸を掘れなかった 4
写真 深谷の地蔵道標 ふかや いすみ市   石道標   宝暦9(1759)   金田p227-228夷隅2
/WEB(加来_いすみ02)
保存状態良好 (正面)「東 か里や道」、(右面)「北 きよミづみち」、(左面)「南 をふ多きみち」/正面上部を光背型に削り込み地蔵立像を陽刻 1 -
  長志の道標 ながし いすみ市 熊野神社 石道標(尖頭角柱)   明和5(1768)   金田増補p146大原7
/WEB(加来_いすみ11)
保存状態良好 (正面)「北 きよ水」、(裏面)「南 なこ道」 1 -
写真 弥正の道標
(小苅谷地先の道標)
やまさ いすみ市 <万木道> 石道標(安山岩) 高約1m,幅28㎝,厚24㎝ 文政4(1821)   金田p227夷隅1
/WEB(加来_いすみ01)/現地解説板
保存状態良好 (正面)「此方、かりや/いわわだ/きよミつ山道」、(右面)「此方、長者町 きよミづ/一のみや/もばらミち」、(左面)「此方、おだき/長なん/ばう志う」 1
写真 佐室の道標 さむろ いすみ市 (野田) 石道標   文政10(1827)   金田増補p144大原3
/WEB(加来_いすみ04)
記念碑脇 (正面)「此方 なご道」、(裏面)「此方 きよ水」 2 -
写真 大原の如意輪観音像道標 おおはら いすみ市 (仲町) 石道標   天保9(1838)   金田p222大原2
/WEB(加来_いすみ03)
C台石(移設?) (正面下部)「此方、かつうら/ぼう志ふ なこ/こみなと、みち」、(右面)「(右指差し)古はまみち」、(左面)「(左指差し)一の宮 江戸/きよみづ、道」/正面頂部を円形に削り込んで如意輪観音半跏座像(光輪、一面六臂、蓮華、宝輪)を陽刻、その下に「四國西國/秩父坂東」と陰刻 2
写真 小沢の道標 おざわ いすみ市   石道標   嘉永8(1855)   金田増補p143大原1
/WEB(加来_いすみ07)
埋没→再建立/刻字に朱塗色 (正面)「此方 江戸、長者町/一の宮」、(右面)「此方 作場 小沢村」、(左面)「此方、御宿 かつうら/房州 こみなと」 2
写真 稲荷木の庚申塔道標 とうかぎ 市川市 <木下街道> 石道標(駒型) 高142㎝(うち、台石39㎝),
幅47㎝,厚37㎝
正徳3(1713)   金田p782市川7
/WEB(加来_市川01)
移設/顔面が損傷 (右面)「これより右 やわたとうり」、(左面)「これより左 市川 国分寺みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/下記の稲荷木の地蔵道標と同所 2
写真 稲荷木の地蔵道標 とうかぎ 市川市 <木下街道> 石道標(丸彫) 高234㎝
(うち、台石75㎝)
享保12(1727)   金田p781市川6
/WEB(加来_市川02)
祠内/信仰の対象として人気/道路拡幅工事により2度の移設 (最下段の台石左面に右から)「東ハ、わた町/かしま/さくら」「南/行とく」「西、こくぶんじ/市川/江戸」「北/かねかさく 」と順に不均等に刻字→それとは無関係に同じ最下段の台石中央に大きく(正面)「東」、(右面)「北」、(左面)「南」、(裏面)「西」と刻字されており、特に左面は両者が混在し分かりにくい/最下段の台石上に、上面に装飾的浮彫を施した台石、くびれたように小さな台石、大きな蓮台型の台石を置き、その上に地蔵半跏坐像の丸彫を載せる/上記の稲荷木の庚申塔道標と同所 2
写真 若宮の題目塔道標 わかみや 市川市 白旗神社 石道標(尖頭角柱)   享保16(1731)   WEB(加来_市川03) 移設 (左面)「従是左 中山法華経寺道」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻/緑色は異体字 2
写真 鬼越の地蔵道標 おにごえ 市川市 (2丁目) 石道標(丸彫)   享保17(1732)   金田増補p422市川7
/WEB(加来_市川04)
移設、集約 (右面下部)「是より右ハ/舩橋ミち」、(左面下部)「是より左江/釜ヶ谷ミち」/正面に「南無阿弥佛」と陰刻、その上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる/緑色は異体字 3
写真 国府台の庚申塔道標 こうのだい 市川市 (6丁目) 石道標   元文3(1738)   金田p787市川18
/WEB(加来_市川05)
簡易屋根付き/台石C接合(移設) (右面)「右 市川道」、(左面)「左 国分寺道」/正面に青面金剛立像(日月?、六手合掌、邪鬼?、三猿)を陽刻 2
写真 大野町の題目塔道標 おおの 市川市 (3丁目) 石道標(尖頭角柱)   安永5(1776)   WEB(加来_市川07) ブロック塀の中に移設 (正面右)「東 舩橋道」、(右面)「右 金ヶ佗道」、(左面)「左 行德道」、(裏面)「西 松戸道」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻、その上に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 3
写真 新田の庚申塔道標 しんでん 市川市   石道標(駒型)   天明元(1781)   金田p780市川3
/WEB(加来_市川08)
原位置? (右面)「東、八わた 十六丁/中山 一リ」、(左面)「西、西 市川 八丁 江戸両ごく 三里十丁/北 □□寺 七丁 国分寺 十二丁」/正面に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 1
写真 国府台の馬頭観音道標 こうのだい 市川市 (4丁目) 石道標(駒型)   天明年間(1781-89)   金田p779市川1
/WEB(加来_市川11)
原位置? (正面最下部右)「やき里道」、(同左)「わたしば道」、(右面)「右、市川/国分寺、道」、(左面)「左 まつど道」/正面中央に「南無妙法蓮華経」「馬頭觀音」と陰刻 1
  国分の庚申塔道標1 こくぶん 市川市 (4丁目) 石道標   天明2(1782)   WEB(加来_市川09) 木祠内 (右面下部)「右 大はし道」、(左面下部)「左 まつと道」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、 頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 大町の庚申塔道標 おおまち 市川市   石道標(駒型) 高156㎝(うち、台石33㎝),
幅35㎝,厚17㎝
天明3(1783)   金田p784市川13
/WEB(加来_市川10)
祠内 (右面)「向テ か祢ケさく」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二童子、邪鬼、三猿)を半立体的に陽刻/石造美術としての完成度が高い 1
写真 平田の地蔵道標 ひらた 市川市   石道標(駒型)   寛政11(1799)   金田p780市川4
/WEB(加来_市川12)
原位置 (右面)「右 や王多道(未確認)」、(左面)「左 春可野道(疑問も?)」/正面上部に地蔵坐像(錫杖、蓮台)を陽刻 1
写真 北国分の庚申塔道標1 きたこくぶん 市川市 (3丁目) 石道標(駒型)   文化4(1807)   金田p788市川21
/WEB(加来_市川14)
RC祠内 (左面)「是より、西 江戸/下 大はし、道」→「道」が異様に大きい/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、 頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 真間の道標 まま 市川市 (5丁目) 石道標(駒型)   文化5(1808)   WEB(加来_市川15) 基部C充填 (正面)「國分寺江 五町」、(右面)「総寧ぢ江 五…/六所大明神江 二…」、(左面)「真間山江 …」、(裏面)「八はた江 二十五丁/市川江 六丁」(未確認) 2
写真 堀之内の庚申塔道標 ほりのうち 市川市 伊弉諾神社 石道標(尖頭角柱)   文化6(1809)   金田p783市川10
/WEB(加来_市川16)
移設 (右面)「西 松戸/東 堀之内/南 國分寺/北 大はし、道」/正面に「(梵字)青面金」と陰刻、 頂部に“日月”の陽刻/緑色は異体字 2
  国分の庚申塔道標2 こくぶん 市川市 (4丁目) 石道標(駒型)   文化13(1816)   金田p786-787市川17
/WEB(加来_市川17)
木祠内 (右面)「大はし道」、(左面)「向、右 國分寺/左 松戸、道」/正面に「青面金剛」と陰刻、 頂部に“日月”の陽刻 1
写真 二俣町の庚申塔道標 ふたまた 市川市   石道標(駒型)   文政元(1818)   金田p783市川9
/WEB(加来_市川19)
移設 (右面)「左 舟ばしミち」/正面に「面金剛」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻/緑色は異体字 2
写真 真間の庚申塔道標 まま 市川市 (1丁目) 石道標(駒型)   文政元(1818)   金田p789市川24
/WEB(加来_市川18)
台石C接合 (右面)「右 八わた道 一丁行 又右」、(左面)「左すぐ 國分道」/正面に「青面金」と陰刻、 頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻/緑色は異体字 2
写真 中山の道標 なかやま 市川市 遠寿院 石道標(円柱) 高367㎝(うち、台石36㎝),径32㎝ 文政7(1824)   WEB(加来_市川21) 文字を朱色で塗色/右面の刻字はセメントで埋めてある (正面)「當山根本御祈祷系授的傳加行所遠壽院江 半丁」、(右面)「日暮聖人/日祐聖人、御墓道これよ里 一丁餘」/背の高い円柱道標は稀/現在判明している中で、江戸期の道標としては全国で2番目に背が高い(1番は滋賀県甲賀市の「水口町牛飼の道標」) 2
写真 北方町の道標1 ぼっけ 市川市 妙正寺 石道標(円柱)   天保4(1833)   WEB(加来_市川23) 寺院の柵の隅角部に転用→石梁や鉄棒が削り込まれている (正面・裏面)「妙正大明神ミち」/円柱道標は稀 4
写真 国分の題目塔道標 こくぶん 市川市 (4丁目) 石道標(駒型)   天保5(1834)   金田p786市川16
/WEB(加来_市川24)
移設 (左面)「左 ま津ど道」/正面に「奉納大乘妙典六十六部」と陰刻 2
写真 北国分の庚申塔道標2 きたこくぶん 市川市 (4丁目) 石道標   天保12(1841)   金田p787-788市川20
/WEB(加来_市川25)
原位置? (左面)「南 いち川/西 まつど/北 金ヶさく、道」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻/緑色は異体字 1
写真 鬼越の題目塔道標 おにごえ 市川市 高石神社 石道標   天保12(1841)   金田増補p419-420市川2/WEB(加来_市川22) 移設
(正面が崖側で見づらい)
(正面下部)「高石大明神」、(左面)「是より左 乃た 半町余」/(正面上部に「南無妙法蓮華経」、右面に「道芝乃 石より花あり 法の神」の句を陰刻 2
写真 須和田の題目塔道標 すわだ 市川市 六所神社 石道標   天保14(1843)   金田p790市川25
/WEB(加来_市川26)
移設、集約 (右面)「右 みやくぼ/左 いちかわ、道」/正面に「天津祖太神」と陰刻、 頂部に“日月”の陽刻 3
写真 河原の庚申塔道標 かわら 市川市   石道標(駒型)   弘化4(1847)   金田p782-783市川8
/WEB(加来_市川28)
移設(石材店内)/下部で水平に折損→修復 (正面下段 三猿右)「向テ右、ふなばし/中山、道」、(右面)「向テ左、行とく/江戸、ミち」、(左面)「向テ左/やわたミち」/正面上部に「青面金剛」と陰刻、 頂部に“日月”、下部の3つの面に“三猿”を1匹ずつ陽刻 4
写真 北方町の道標2 ぼっけ 市川市 (4丁目) 石道標   弘化4(1847)   WEB(加来_市川27) 移設 (左指差し)「これより/妙正大明」 2 -
写真 稲越町の題目塔道標 いなごし 市川市   石道標(駒型)   嘉永6(1853)   WEB(加来_市川29) 個人宅内 (右面)「北 まつどみち」、(左面)「東、やわた/ふなばし、みち」「西 さくばみち」/正面に「帝天王」と陰刻、 頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻/緑色は異体字 4
写真 行徳河岸の常夜灯 ぎょうとく 市川市 <江戸川・
行徳河岸>
石常夜灯(海運) 高3.92m 文化9(1812) 市有形 WEB 関東大震災にり崩壊→復元/平成21に常夜灯公園として修景(過剰)整備 (竿正面)「日本橋」、(竿裏面)「日本橋」、(台石右面)「成田山」/火袋の正面は丸型、裏面は三日月の穴となっている/江戸から成田に向かう海路(江戸小網町~本行徳13㎞)の上陸点/行徳舟と呼ばれ最盛期には24人乗りの舩が62隻運行された/常夜灯は、航路安全祈願のために、江戸日本橋西河岸と蔵屋敷の講中が成田山に奉納 2
写真 立野~下新田の鎌倉街道上総道・跡 たての、
しもにった
市原市・袖ケ浦市 <鎌倉街道上総道
(推定ルート)>
道路 長約10㎞ 鎌倉時代? 歴史の道百選 WEB(鎌倉街道上道) 舗装道路 上総の鎌倉街道の中でも一番知られているルート(小櫃川の低地の北側に東西に延びる台地上を通る)/古道としては群を抜いて長い 3 写真
写真 西国吉の廻国塔道標 にしくによし 市原市   石道標(蒲鉾型)   正徳6(1716)   WEB(加来_市62) 山中に放置 (右面)「西 たかくら道」、(左面)「東 かさもり道」/(正面を枠だけ残して削り込み、「(梵字)奉納大乘妙典六十六部日本回國」と陰刻 2
写真 栢橋の地蔵道標1 かやはし 市原市 (山ノ神) 石道標(駒型)   享保16(1731)   金田増補p105市原62
/WEB(加来_市63)
保存状態良好 (正面中央下部)「東 かさもりミち 二里」、(同右)「右 きさら津ミち 四里」、(同左)「左 たかくらミち 三里」/正面中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻 1
写真 佐是の六地蔵道標 さぜ 市原市 光福寺 石道標(笠付き)   享保20(1735)   金田増補p85-86市原20
/WEB(加来_市69)
移設? (右面)「西 左 きさらづ道」、(左面)「東 右 かさも利」/正面上段に地蔵尊立像3体、下段に同じく地蔵尊立像3体を陽刻→六地蔵としては稀なタイプ 2
写真 廿五里の地蔵道標 ついへいじ 市原市 宇佐八幡宮 石道標(駒型)   元文3(1738)   金田増補p113市原78
/WEB(加来_市24)
移設 (右面)「東 こくぶん寺/西 あねさき、道」、(左面)「南、くるり/江戸、道」/正面上部に地蔵坐像(蓮台)を陽刻 2
  寺谷の地蔵道標   市原市   石道標(尖頭角柱)   延享5(1748)   金田増補p117市原84
/WEB(加来_市66)
保存状態良好 (右面)「東 かさもり」、(左面)「西 きさらず」/正面を枠だけ残して削り込み、上部に「(梵字)」を陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 君塚の地蔵道標 きみづか 市原市 明光院 石道標(駒型)   宝暦6(1756)   金田p161市原4
/WEB(加来_市16)
移設、集約 (正面下部)「是より右 国分寺道 二十一町」、(右面)「これより左 八幡道」/正面上部に地蔵坐像(蓮台)を陽刻 3
写真 岩野見の馬頭観音像道標 いわのみ 市原市   石道標(駒型)   宝暦10(1760)   金田p161-162市原5
/WEB(加来_市17)
移設、集約 (右面)「北八幡ミち 東方江一丁 右國分寺道」、(左面)「西 五井ミち」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔剣、斧〕)を陽刻 3
写真 海保の庚申塔道標 かいほ 市原市 (山王) 石道標(尖頭角柱)   明和元(1764)   金田増補p112-113市原77/WEB(加来_市33) 保存状態良好 (右面左)「是ゟ うしく 二リ」、(左面)「北 江戸道」/正面に「青面金剛塔」と陰刻 1
写真 島野の馬頭観音像道標1 しまの 市原市   石道標   明和2(1765)   金田p164-165市原10
/WEB(加来_市23)
保存状態良好 (右面)「北ハ 江戸道」、(左面)「南ハ う志く道」、(裏面)「西ハ あ祢可さ起道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔輪宝、長杵、羂索、斧〕)を陽刻 1
写真 村上の馬頭観音像道標 むらかみ 市原市 (新田) 石道標(駒型)   明和3(1766)   金田増補p111市原74
/WEB(加来_市20)
保存状態良好 (左面)「東左 国分寺迄 半里 う志く迄 三里/南 たかくら迄 五里 くるり迄 六里半/西右 ちばてら迄三里 江戸まで 拾三里」/正面に馬頭観音座像(三面八臂〔馬頭冠、輪宝、剣、羂索〕)を陽刻 1
写真 松ケ島の六地蔵道標 まつがしま 市原市 (判ヶ代) 石道標
(笠付き、六角柱)
  明和4(1767)   金田p163市原7
/WEB(加来_市21)
移設、集約 (台石正面)「左ハ たかくら」/四角の台石の上に六角柱が載り、各面に地蔵立像(蓮台)を陽刻 3
写真 今富の地蔵(?)道標 いまどみ 市原市   石道標   明和4(1767)   金田p175-176市原32
/WEB(加来_市27)
移設?/地蔵下で水平に割裂→修復 (正面下部)「南 久留里道」、(右面)「東 今富村」、(左面)「西 江戸道」、(裏面)「北」/正面上部に地蔵(?)坐像を陽刻 3
写真 引田の八地蔵道標 ひきだ 市原市 <久留里道> 石道標   明和年間(1764-72)   金田増補p109-110市原71/WEB(加来_市29) 竹林中に放置 (正面上部)「東」、(同下部)「かさもりみち/うしくみち」、(右面上部)「北」、(同下部)「江戸みち/ちばてらみち」、(左面上部)「南」、(同最下部)「くるりみち/たかくらみち」、(裏面上部)「西」、(同最下部)「かさかミみち/あねさ起みち」/正面の「東」の左に観音坐像、右に地蔵坐像、3面の「北、南、西」の両側に地蔵立像を陽刻→面により像容が異なるのは珍しい〔観音が入っているので「八地蔵」の標記には疑問が残る〕 2
写真 八幡の庚申塔道標1 やわた 市原市 飯岡八幡 石道標(尖頭角柱)   安永2(1773)   金田p161市原3
/WEB(加来_市15)
移設 (右面)「左 かさも里への道/右 たかくらへの道」、(左面)「右 江戸乃l道」/正面頂部に“日月”の陽刻、その下に「青面金剛尊」と陰刻、最下部に“一鶏一猿”を陽刻 2
  古敷谷の題目塔道標 こしきや 市原市 湯原観音堂 石道標   安永2(1773)   金田増補p77市原5 現況不明 (右面)「向テ右/きよ寿ミ道」、(左面)「向テ左/於だきl道」/正面に「南無地蔵大菩薩」と陰刻    
写真 栢橋の地蔵道標2 かやはし 市原市   石道標   安永3(1774)   金田増補p117市原85
/WEB(加来_市65)
裏面がガードレールで見えない (右面)「西 こ乃方、たかくら/くるり」、(左面)「東 この方、うしく/さか江のぼり/かさもり江」、(裏面)「さくばミち」/正面に地蔵坐像を陽刻(顔の部分は削れているが、冠の跡がないので観音坐像ではない) 2 -
写真 栢橋の供養塔道標 かやはし 市原市   石道標(尖頭角柱)   安永4(1775)   金田増補p118市原86
/WEB(加来_市64)
下部若干埋設 (正面左端下)「こ乃方/きさらづ 四」、(右面)「南 こ乃方、うしく江 /かさもりへ 」、(左面)「北 この方 屋まみ 」、/正面中央に「(梵字)奉納大乘妙典六十六部供養」と陰刻 1
写真 椎津の馬乗り馬頭観音道標 しいづ 市原市   石道標(駒型) 高140.5㎝(うち、台石52.5㎝),
幅36㎝
安永5(1776)   金田増補p103市原57
/WEB(加来_市43)
保存状態良好 (右面)「これより/江戸ミち」、(左面)「これより/たかくら道」/正面に馬乗り馬頭観音像(三面八臂〔数珠、矛?、斧、鉄輪、長杵〕)を立体的に陽刻/馬の部分は丸彫状に突出/国内で最も見事な馬乗り馬頭観音道標/江戸から木更津の高倉観音に詣でる巡礼道の道筋→ここから袖ケ浦市代宿の馬乗り馬頭観音へ通じている 1 写真
写真 門前の馬頭観音像道標 もんぜん 市原市   石道標(駒型)   安永6(1777)   金田p181市原45
/WEB(加来_市10)
保存状態良好 (右面)「東ハ 茂原道/南ハ 久道」、(左面)「北ハ 江戸道」/正面に馬頭観音座像(三面八臂〔馬頭冠、馬口印、数珠、矛?、斧、輪宝、剣〕)を陽刻⇒市内の馬頭観音像の中で、像容が最も見事 1
写真 町田の馬頭観音像道標 まちだ 市原市   石道標(駒型)   安永6(1777)   金田p176市原33
/WEB(加来_市30)
設置環境やや不良 (右面)「右 あねさき道」、(左面)「左 くるり道」/正面に馬頭観音立座像(三面六(?)臂〔馬頭冠、水瓶?、斧、鉄輪、剣〕)を陽刻 2
写真 田尾の地蔵道標 たび 市原市   石道標   安永6(1777)   金田増補p120-121市原91/WEB(加来_市76) 移設? (正面下部)「此 かた一町 行て/左 ちやうなん 一の宮 /右 大多喜 きよミ洲」、(右面)「東、やまみち/かさとりへ かち道」、(左面)「西、加茂大神宮 かの山/久留里 た可くら道」、(裏面)「北 うしく 江戸道」/正面上部を円形光背型に削り込み、地蔵座像(錫杖、蓮台)を陽刻 1
写真 荻作の道標 おぎさく 市原市   石道標(尖頭角柱)   安永7(1778)   金田増補p99-100市原49 /WEB(加来_市04) かなり傾いている (正面)「此方北 江戸道」、(右面)「此方西 八幡 五井道」、(左面)「此方東 かさも里道」、(裏面)「此方南 う志く道」 2
写真 畑木の馬乗り馬頭観音道標 はたき 市原市   石道標(駒型)   安永9(1780)   金田p169市原19
/WEB(加来_市37)
馬の頭部先端が欠損/林間に放置 (右面)「う志く道」、(左面)「あ祢さき道」/正面に馬乗り馬頭観音像(三面八臂〔長杵?、斧〕)を陽刻/馬の部分は丸彫状に突出 3
写真 廿五里の馬頭観音像道標 ついへいじ 市原市 (下河原) 石道標(笠付き)   安永9(1780)   金田p176市原34
/WEB(加来_市31)
移設? (右面)「左 江戸道」、(左面)「右 阿祢さき道」/正面に馬頭観音立像を陽刻(三面八臂〔馬頭冠、斧、輪宝、矛〕、像上部に羽衣)を立体的に陽刻 2
写真 八幡の庚申塔道標2 やわた 市原市 (観音寺) 石道標(駒型)   安永10(1781)   金田p160市原1
/WEB(加来_市13)
移設 (右面)「右 東金道」、(左面)「左 江戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二童子、邪鬼、三猿)を陽刻/“二童子”は非常に稀 2
写真 惣社の馬頭観音像道標 そうじゃ 市原市 国分寺 石道標(先端が尖った蒲鉾型)   天明2(1782)   金田p182市原47
/WEB(加来_市19)
台石とC接合(移設) (光背上部)「右 国分寺道/左 八わた道」/光背中央に馬頭観音立像(一面六臂〔馬頭冠、蓮華のつぼみ、水瓶?、輪宝、羂索?〕)を陽刻 2
写真 引田の馬頭観音像道標 ひきだ 市原市 <久留里道> 石道標(駒型)   天明2(1782)   金田増補p95市原40
/WEB(加来_市28)
移設 (右面)「右 くる里道」、(左面)「左リ 江戸ミち」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、斧、羂索?、輪宝、剣〕)を陽刻 2
写真 島野の馬頭観音像道標2 しまの 市原市 三光院 石道標   天明2(1782)   金田p163-164市原8
/WEB(加来_市22)
移設、集約 (右面)「西、阿年さき 一り/た可くら 五り」、(左面)「東、うしく 三り/可さもり 四り」/正面に馬頭観音立像(三面八臂〔羂索?、数珠、輪宝、斧〕)を陽刻、像上部に羽衣 3
写真 白塚の地蔵道標 しらつか 市原市   石道標   天明2(1782)   金田増補p103-104市原58/WEB(加来_市34) 移設? (正面下部)「北 江戸/東 うしく」、(右面)「西 阿弥さき道/南 高□□みち」/正面上部を光背型に削り込み地蔵立像を陽刻 2 -
写真 寺谷の庚申塔道標 てらやつ 市原市 千葉廣済堂カントリー倶楽部 石道標(笠付き)   天明2(1782)   金田増補p116市原83
/WEB(加来_市67)
ゴルフ場内 (右面)「此方、うしく 壱里/かさもり 二リ半」、(左面)「此方 きさらづ 四リ」/正面に「庚申塔」と陰刻 4 -
写真 天羽田の庚申塔道標 あもうだ 市原市   石道標(駒型)   天明7(1787)   金田p172市原25
/WEB(加来_市44)
保存状態良好 (台石左面)「北 ちば寺」/正面に青面金剛立像(六手剣人、童子?、邪鬼、三猿)を陽刻 1
写真 川在の聖観音像道標 かわざい 市原市   石道標(像容に沿った縦長三角型)   天明7(1787)   金田p185市原53
/WEB(加来_市45)
移設、集約 (右面)「左ハ 江戸道」、(左面)「右ハ 内田道」、(台石正面の蓮の花)「中ハ/笠森/道」/全面に聖観音立像を立体的に陽刻 3
写真 西国吉の供養塔道標 にしくによし 市原市   石道標
(蒲鉾型に近い)
  天明8(1788)   金田増補p119市原88
/WEB(加来_市61)
山林内放置 (右面)「右、此方、たかくらミち/きさら津ミち/東 可さもりミち」、(左面)「左 山道」/正面に「(梵字)奉供養百万遍」と陰刻、右面上部を光背型に削り込んで地蔵坐像(数珠、蓮台)を陽刻 2
写真 風戸の馬乗り馬頭観音道標 かざと 市原市 日光寺 石道標(駒型)   寛政5(1793)   金田p173市原27
/WEB(加来_市74)
保存状態良好 (右面)「上り 阿祢可さき/下り 牛久道」/正面に馬乗り馬頭観音像(三面八臂〔数珠、羂索?、斧、輪宝?、剣〕)を陽刻 1
写真 土宇の馬乗り馬頭観音道標 つちう 市原市   石道標(駒型に近い自然石)   寛政5(1793)   WEB(加来_市86) 保存状態良好 (右面下部)「右 うしく」、(左面)「左 かさもり道」/正面に馬乗り馬頭観音像(三面六(?)臂)を陽刻 1
  姉崎の馬頭観音道標 あねさき 市原市   石道標(駒型)   寛政8(1796)   金田p165市原11
/WEB(加来_市36)
保存状態良好 (右面)「此方、房州/木更津/た可くら、道」、(左面)「此方、江戸/ちは寺、道」/(裏面)「作動道」/正面に「馬頭尊」と陰刻/四面とも、角を丸くした長方形に削り込んでから刻字されている 1
写真 能満の供養塔道標 のうまん 市原市   石道標   寛政9(1797)   金田増補p97-98市原45
/WEB(加来_市12)
移設/角があちこち欠損 (正面上)「南」、(正面左)「たけ志 う□□」、(右面)「東 かさもりてら」、(左面)「西、こくぶん寺/五井」/(裏面)「北、やわた/ちば寺江」/正面下部に「光明真言供」と陰刻 3
写真 勝間の廻国塔道標 かつま 市原市   石道標(尖頭角柱)   寛政10(1798)   金田増補p91市原31
/WEB(加来_市05)
保存状態良好 (正面)「(右指差し)かさもり/長南江の、道」、(左面)「やわた 江戸道」、(裏面)「一ノ宮 茂原道」/右面に「奉納、坂東秩父/西國四國」と陰刻 1
写真 柿木台の馬頭観音像道標 かきのきだい 市原市   石道標(先端が尖った蒲鉾型)   寛政11(1799)   金田増補p76市原3
/WEB(加来_市80)
保存状態良好 (右面)「かも 一り/うしく 二り」、(左面)「此方 きよ寿み 六り」/正面に馬頭観音座像(三面六(?)臂)を陽刻 1
写真 海士有木の馬頭観音像道標 あまありき 市原市 (中谷原) 石道標(駒型)   寛政12(1800)   金田増補p111市原73
/WEB(加来_市48)
墓地内/像の頭部破損 (右面)「うしく/やハた」、(左面)「かさもり」/正面に馬頭観音立像(三面八臂〔馬頭冠、羂索、剣、鉄輪、矛?〕)を陽刻 3
写真 潤井戸の道標1 うるいど 市原市 新田青年館 石道標(尖頭角柱)   享和2(1802)   金田p178-179市原39
/WEB(加来_市01)
移設 (正面)「東、かさもり 長可羅 大田□□ 一乃ミや 小み奈登、ミチ」、(右面)「北 是より濱のむら 江戸 ミち」、(左面)「南是よりきく満 やわた ミち」/下記「潤井戸の道標2」と並ぶ〔緑字は異体字〕 2
写真 潤井戸の道標2 うるいど 市原市 新田青年館 石道標   享和2(1802)   金田p179市原40
/WEB(加来_市02)
移設 (正面)「東是より本乃う 大網 東金」、(右面)「北 是よりのふ満ん 五井 あ祢可崎」、(左面)「南 是よりかん崎 多けし うしく」/上記「潤井戸の道標1」と並ぶ 2
写真 不入斗の馬乗り馬頭観音道標 いりやまず 市原市 (永藤) 石道標   享和3(1803)   金田増補p96市原42
/WEB(加来_市41)
移設? (右面)「南、た可くら 四里/くる里、道」、(左面)「北、ちばてら 四里拾丁/江戸道 拾四里」/正面に馬乗り馬頭観音像(三面六臂〔羂索?、斧、輪宝、長杵〕、像上部に羽衣)を立体的に陽刻 2
写真 潤井戸の題目塔道標 うるいど 市原市 新田青年館 石道標(尖頭角柱)   享和3(1803)   金田p180-181市原43
/WEB(加来_市03)
移設? (右面)「此方、五井/やわた、みち」、(左面)「此方、江戸/うる井戸村/はまのむら、みち」、(裏面)「此方、せんだ かさもり/てうなん もばら、道」/正面に「法界万霊」と陰刻 2
写真 椎津の地蔵道標 しいづ 市原市   石道標(丸彫) 高169㎝(うち、台石23㎝),
幅35㎝,厚30㎝
文化2(1805)   金田p171市原23
/WEB(加来_市42)
C基壇(移設)、祠内 (台石正面)「東 河原井/南 くるり」、(同左面右端)「北 姉さき」/台石上に角柱状の台、鏡餅状の台、蓮台を置き、その上に地蔵半跏坐像(光輪、錫杖)の丸彫を載せる 2
写真 能満の庚申塔道標 のうまん 市原市 市埋蔵文化財調査センター 石道標   文化4(1807)   金田p162-163市原6
/WEB(加来_市18)
元・五井→移設・屋外展示/全体的に亀裂→補修 (正面下部」「江戸道」、(右面)「たかくら道/木さら津ミち/房州道」、(左面)「くる里みち」/正面上部を深く削り込んで青面金剛立像(六手剣人、邪鬼)を陽刻 3
  安須の廻国塔道標 あず 市原市 安須共同墓地 石道標   文化6(1809)   金田増補p89-90市原29
/WEB(加来_市51)
墓地内 (右面)「南 う志く/西 あねさき」、(左面)「北 江戸/東 長/南」/正面に「奉納大乘妙典 日本廻國」と陰刻 4
写真 椎津の廻国塔道標 しいづ 市原市 瑞安寺 石道標   文政元(1818)   金田p170市原21
/WEB(加来_市38)
移設? (右面)「かさがみ江 八丁」、(左面)「是より、ちばてら 四里八丁/た可くら 四里」/正面に「西國/坂東/秩父、百番札所」と陰刻 2
写真 奥野の道標 おくの 市原市   石道標   文政6(1823)   金田増補p82市原13
/WEB(加来_市75)
台石C接合/頂部一部欠損 (正面)「西、うしく きさらず/た可くら かのふざん」、(右面)「右、かも こしきや/くるり きよすみ」、(左面)「左、かさもり 長なん/せんた 一のミや」 2
写真 米原の地蔵道標 よねわら 市原市   石道標(台石のみ)   文政6(1823)   金田増補p77-78市原6
/WEB(加来_市78)
台石上の地蔵(?)丸彫は後補 (台石正面)「西、こくさばた/つきで/くるり/可のふ山」、(台石右面)「東、大たき/いちのみや/きよミ洲」、(台石左面)「北、平蔵/かも/きさらつ」 4
写真 久保の馬頭観音像道標 くぼ 市原市   石道標   文政8(1825)   金田増補p106市原63
/WEB(加来_市55)
墓地内 (正面右上)「此方、きさらず/まりやつ」、(左面)「此方、ちやなん/一のみや」/正面下部に馬頭観音坐像(一面二臂)を陽刻 3
写真 飯給の馬頭観音道標 いたぶ 市原市   石道標   文政8(1825)   金田増補p107-108市原66/WEB(加来_市82) 放置 (右面)「南 房州 きよすみ道」、(左面)「北 うしく かさもりみち」/正面に「馬頭観世音」と陰刻 2
写真 大坪の地蔵道標 おおつぼ 市原市   石道標   文政10(1827)   金田増補p92市原34
/WEB(加来_市49)
設置環境不良 (正面下部)「向、右 やわた/左、かさもり/牛久、道」、(右面)「向 右、たかくら/かのざん/阿ねさき、み」/正面上部を光背型に削り込んで地蔵座像を陽刻 2
写真 山小川の題目塔道標 やまこがわ 市原市   石道標(尖頭角柱)   文政11(1828)   金田増補p79-80市原9
/WEB(加来_市77)
移設? (右面)「此方、やまくち江 一里/まりやつ江 三リ/きさらつ江 七リ/た可くら江 五里」、(左面)「此方/かもへ 十八丁/くるりへ 三里/かのふ山江 八リ」/正面に「十百萬遍之塚」と陰刻 2
  矢田の題目塔道標 やた 市原市   石道標   文政12(1829)   金田増補p81-82市原12
/WEB(加来_市57)
刻字が読みづらい (正面下部)「此方、大多きへ 三/きよみづへ 七里/くるりへ 四里/加能山へ 」、(右面)「此方 江戸道、は満の村 /かさもり /一宮 」、(左面)「西 此方、たかくらへ 四/起さら津 七/あ祢さき 四」/正面に「郷/導/碑/銘」と陰刻 2
写真 馬立の馬頭観音道標1 うまたて 市原市   石道標   天保15(1844)   金田増補p109市原70
/WEB(加来_市70)
山中に放置 (正面左下)「船渡有」、(右面)「新巻 茂原道」、(左面)「五井 八幡道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 3 -
写真 島野の道標 しまの 市原市 島穴神社 石道標(尖頭角柱)   嘉永元(1848)   金田増補p112市原75
/WEB(加来_市25)
保存状態良好 (正面)「是より東/勅願所 島穴社道」 1 -
  柿木台の馬頭観音道標 かきのきだい 市原市   石道標   安政7(1860)   金田増補p75-76市原2
/WEB(加来_市79)
保存状態良好 (右面)「此方 か茂 うし久」、(左面)「さ里々は道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1 -
  馬立の馬頭観音道標2 うまたて 市原市   石道標(駒型)   安政7(1860)   金田増補p87市原23
/WEB(加来_市71)
移設 (右面)「右、姉崎/木更津、道」、(左面)「南、うしく/、道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 3 -
写真 山口の題目塔道標 やまぐち 市原市   石道標   文久2(1862)   金田増補p75市原1
/WEB(加来_市56)
廃道 (右面最下部)「坂下りかも/大田喜道/是より北 たち花道」、(左面最下部)「是より西江 壱丁程行/右ハ たん原道/左ハ 市野々/真里谷道」/正面に「(梵字)普門品一萬巻塔」と陰刻 3
写真 海保の馬頭観音像道標 かいほ 市原市   石道標   江戸期   金田p168-169市原20
/WEB(加来_市32)
C台石 (正面左上隅)「南 うしく」、(右面)「東 可さも里」、(左面)「西 木さら津」、(裏面)「北 江戸みち」/正面に馬頭観音立像(三面八臂〔数珠、羂索?、矛?、輪宝、長杵?〕、像上部に羽衣)を陽刻/「江戸」の標記は江戸期 2
写真 月出の道標 つきで 市原市 (棒杭) 石道標(尖頭角柱)   江戸期   金田p188-189市原60
/WEB(加来_市84)
保存状態良好 (正面)「北、江戸道/長南 かさもり/此処より五丁程行/左リハ 久留里道」、(右面)「西 か免山 三ッ石道」、(左面)「東、大田/きよミ津」、(裏面)「南、房州/きよすみ道」/「江戸」の標記は江戸期〔緑字は異体字〕 1
写真 大和田の馬頭観音道標 おおわだ 市原市 光厳寺南西の高滝ダム傍 石道標   江戸期   金田増補p106-107市原64/WEB(加来_市54) 保存状態良好 (正面左)「 くるり かのゝ山道」、(右面)「古乃方、おほたき/ちやうなん、、道」、(左面)「古乃方、うしく/ゑどミち」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻/「江戸」「ミち」の標記は江戸期 1
写真 勝間の地蔵道標 かつま 市原市   石道標(丸彫)   江戸期   金田増補p91市原32
/WEB(加来_市06)
地蔵の首から上が欠落/祠内 (右面)「南 かさもりみち」、(左面)「北 江戸道」、(裏面)「東 もはらみち」/地蔵丸彫の側面に刻字/「江戸」の標記は江戸期 3
写真 木下の庚申塔道標1 きおろし 印西市 上町観音堂 石道標(笠付き)   元禄13(1700)   金田p649印西10
/WEB(加来_印西30)
移設、集約 (右面)「従是右 江戸みち/従是東 鹿嶋みち/従是左 さくらみち」/正面を火頭窓型に削り込み、青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻/下記「木下の如意輪観音像道標」と並ぶ 3
  高花の庚申塔道標 たかばな 印西市 高花青年舘 石道標(駒型)   宝永6(1709)   金田p651印西15 現況不明 (台石中央左)「舟橋みち」、(台石右面)「東 なりた道」、(台石左面)「西 大もり道」/正面に青面金剛像を陽刻    
写真 小林の地蔵道標 こばやし 印西市 (下丑新田) 石道標   享保6(1721)
→安政3(1856)再建
→昭和41再建
  WEB(加来_印西01) 移設? (台石右面)「右/さくらミち」〔昭和四十一年十月吉日遷座と後刻〕、(台石左面)「左/てうし/なりた、道」、(台石裏面)「西/江戸みち」/台石の上に背の高い地蔵立像(錫杖、蓮台付き)を載せる/下記「小林の道標」と並ぶ 2
  草深の庚申塔道標1 そうふけ 印西市 (貢) 石道標(板碑型)   享保10(1725)   金田p661-662印西38
/WEB(加来_印西06)
移設、集約 (左面)「是よ里、右ハ たきみち/左ハ 木下シみち」/正面を枠を残して削り込み「庚申」と陰刻、上部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻 3
写真 草深の庚申塔道標2 そうふけ 印西市 (砂久保) 石道標(駒型)   享保13(1728)   金田p666-667印西48
/WEB(加来_印西09)
移設、集約/猿の顔が欠損 (左面)「右ハ ふなはしみち/左ハ きおろしみち」/正面に「(梵字)奉供養青面金剛尊」と陰刻、上部に“日月”の線刻、下部に“三猿”の陽刻 3
写真 宗甫の題目塔道標 そうほ 印西市   石道標(蒲鉾型)   延享4(1747)   金田増補p362-363印西21/WEB(加来_印西38) 保存状態良好 (正面最下部)「南 江戸道/北 木下道/東 てうしみち」/正面上部に「(梵字)廿三夜大願成就所」と陰刻 1
  鎌苅の地蔵道標 かまがり 印西市   石道標(駒型) 高57㎝,幅29㎝,厚16㎝ 宝暦8(1758)   市教委(石造文化財調査カード324) かなり破損 (正面下部右)「右 岩戸 江戸」、(同左)「左 師戸 佐倉」/正面上部に地蔵坐像(蓮台)の陽刻、その下に「南無地蔵大□□」と陰刻 3 -
  草深の庚申塔道標3 そうふけ 印西市 (萱場台) 石道標(駒型)   宝暦9(1759)   金田p664-665印西44
/WEB(加来_印西07)
移設、集約 (正面右脇)「東 さくらミち/北 木下ミち」、(同左脇)「南 よしだミち/西 江戸ミち」/正面中央に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 3
  木下の庚申塔道標2 きおろし 印西市 上町観音堂 石道標(駒型)   宝暦11(1761)   金田p648印西8
/WEB(加来_印西31)
移設、集約 (正面右脇)「右 江戸道」、(同左脇)「左 さくら道」/正面中央に「青面金剛尊」と陰刻/下記「木下の如意輪観音像道標」と並ぶ 3 -
写真 岩戸の如意輪観音像道標1 いわと 印西市   石道標(舟型) 高67㎝,幅30㎝,厚18㎝ 宝暦13(1763)   市教委(石造文化財調査カード140)
/WEB(加来_旛02)
保存状態良好 (正面左下隅)「此より、〔右ハ、そう/ふけ、村〕〔左ハ □□/こがね道〕」/正面上部に如意輪観音坐像(一面二臂の半跏思惟像、手に蓮の花)を陽刻 1
  岩戸の如意輪観音像道標2 いわと 印西市 西福寺 石道標(舟型) 高65㎝,幅30㎝,厚20㎝ 宝暦13(1763)   市教委(石造文化財調査カード196)
/WEB(加来_旛06)
移設 (右面)「右、ふるや/かまかり」、(左面)「左、つくりや/きをろし」/正面に如意輪観音坐像(一面二臂の半跏思惟像、手に蓮の花)を陽刻 2
写真 結縁寺の庚申塔道標1 けつえんじ 印西市 (大作) 石道標(板碑型)   安永2(1773)   金田p652印西18
/WEB(加来_印西18)
移設、集約 (右面)「西ハ 舟ばし 東 成田ミち/北ハ 木下 南 結ゑんぢ」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻、台石正面にも“三猿”の陽刻 3
写真 竜腹寺の庚申塔道標1 りゅうふくじ 印西市   石道標(駒型)   安永3(1774)   金田p604本埜19
/WEB(加来_本02)
移設、集約 (右面)「右ハ き路しミち」、(左面)「みなミハ のみち/にしハ ふなをミち」/正面に「奉待庚申」と陰刻/下記「竜腹寺の題目塔道標」と並ぶ 2 -
写真 高花の庚申塔道標 たかばな 印西市 高花青年舘 石道標
(駒型、安山岩)
高106㎝,幅37㎝,厚20㎝ 安永6(1777)   市教委/金田p651印西15/WEB(加来_印西20) 移設/刻字に朱 (台石正面左)「舟橋みち」。(台石右面)「東 なりた道」、(台石左面)「西 大もり道/みなみ 草深みち」/正面に青面金剛像(六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻/下記「高花の不動明王像道標」と並ぶ 2
写真 木下の如意輪観音像道標 きおろし 印西市 上町観音堂 石道標(板碑型)   天明2(1782)   金田p648-649印西9
/WEB(加来_印西32)
移設、集約 (正面下部)「右 江戸道/左 さくら道」/正面上部を削り込んで如意輪観音坐像(一面二臂の半跏思惟像)を陽刻/上記「木下の庚申塔道標1」と「木下の庚申塔道標2」に挟まれて立つ 3
写真 造谷の題目塔道標 つくりや 印西市   石道標   天明3(1783)   WEB(加来_旛18) 移設 (正面頂部)「成/田/山」、(正面下部)「東 なりたミち」、(右面)「従是 きおろし道」、(左面)「從是 いづミ新田 まつとミち」/正面中央に「不動明王」と陰刻 2
  草深の題目塔道標 そうふけ 印西市 丸山観音堂 石道標   天明3(1783)   金田増補p356印西9
/WEB(加来_印西05)
移設、集約 (正面上部)「成/田/山」、(正面下部)「西、いづ新田/まつと」、(右面)「従是、草深新田/なりたミ」、(左面)「従是 たき村 きをろし」/正面中央に「不動明王」と陰刻 3 -
  萩原の題目塔道標 はぎわら 印西市 慶昌寺 石道標(駒型) 高95.5㎝,幅30㎝,厚19㎝ 天明8(1788)   市教委(石造文化財調査カード613) 移設 (台石正面右端)「せと」、(同左端)「あらや」、(台石右面)「東 まつむし」、(台石左面)「北 はぎわら」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 大森の如意輪観音像道標 おおもり 印西市 中央公民館 石道標   寛政元(1789)   金田増補p354印西5
/WEB(加来_印西27)
移設/下部破損 (正面下部)「南 江戸道」、(右面下部)「右 木下 銚子道」、(左面下部)「左 布佐 布川道」/正面上部を削り込んで如意輪観音坐像(一面二臂の半跏思惟像)を陽刻 2
写真 別所の庚申塔道標1 べっしょ 印西市 別所稲熊神社 石道標(駒型)   寛政3(1791)   WEB(加来_印西40) 移設、集約 (右面最下部)「左 者ぶミち」、(左面最下部)「右 木下ミち」/正面に青面金剛立像((日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻/下記「別所の庚申塔道標3と並ぶ」 3
写真 造谷の庚申塔道標1 つくりや 印西市   石道標(駒型) 高80㎝,幅26㎝,厚15㎝ 寛政4(1792)   市教委(石造文化財調査カード231)
/WEB(加来_旛07)
移設、集約(密集) (右面)「右ハ 戸道」、(左面)「左 さくら道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)を陽刻 4
写真 滝の題目塔道標 たき 印西市   石道標   寛政6(1794)   金田p606本埜23
/WEB(加来_本12)
設置環境不良 (正面下部左)「南 ふなを道」、(右面下部)「東 さくら道」、(左面下部)「西 木下道/北 こばやし道」/正面中央に「奉待廿三夜」と陰刻 2
  草深の庚申塔道標4 そうふけ 印西市 (南内川) 石道標(尖頭角柱)   寛政8(1796)   金田p665印西45 現況不明 (右面)「東 造谷村/南 吉田村、道」、(左面)「西 船尾村/北 竜腹寺村、道」/正面に「猿田彦大神」と陰刻    
写真 小林の如意輪観音像道標 こばやし 印西市 (横須賀) 石道標   寛政10(1798)   金田増補p352-353印西2/WEB(加来_印西03) 原位置? (正面下部)「さくらみち」、(右面下部)「あじ きみ」、(左面下部)「」/正面頂部に如意輪観音坐像(一面二臂の半跏思惟像)を小さく陽刻 1
  瀬戸の不動明王像道標 せと 印西市   石道標(板碑型) 高86㎝,幅24.5㎝,厚21㎝ 寛政11(1799)   市教委(石造文化財調査カード522)
/WEB(加来_旛13)
祠内 (右面)「やま田 ひらがミち」、(左面)「よしたか なりた道」/正面の上3分の1を削り込んで不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、背景に迦楼羅焔)を陽刻 2
写真 師戸の庚申塔道標 もろと 印西市   石道標(駒型) 高124㎝,幅24㎝,厚21㎝ 寛政11(1799)   市教委(石造文化財調査カード371)
/WEB(加来_旛11)
設置環境やや不良 (右面)「右 なりた道」、(左面)「左 きをろし道」、(台石右面)「南/さくら道」、(台石左面)「西/江戸道」/正面に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 2
写真 吉田の庚申塔道標 よしだ 印西市   石道標(駒型) 高112㎝,幅36㎝,厚19㎝ 寛政12(1800)   市教委(石造文化財調査カード044)
/WEB(加来_旛01)
移設、集約 (右面下部)「左 まつさき道」/正面に「庚申」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
写真 鎌苅の庚申塔道標1 かまがり 印西市   石道標 高139㎝,幅34㎝,厚24㎝ 寛政12(1800)   市教委(石造文化財調査カード365)
/WEB(加来_旛10)
移設、集約 (左面)「左ハ うす井 さくら道」、(台石右面)「右、ふちを/江戸道」/正面に「(梵字)庚申」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻 3
  平岡の庚申塔道標 ひらおか 印西市   石道標(駒型)   寛政12(1800)   金田p646印西4 現況不明 (正面下部)「西ハ 竹袋村」、(右面下部)「南ハ、別所/大森、村」、(左面)「北ハ 平岡村」/正面上部に「青面金剛王」と陰刻    
写真 平岡の如意輪観音像道標 ひらおか 印西市   石道標(蒲鉾型)   享和元(1801)   金田p646印西3
/WEB(加来_印西33)
移設、集約 (右面最下部)「東 あ志き てうし」、(左面最下部)「西 きをろし 江戸」/正面上部に「奉待十九夜」と陰刻、その下に如意輪観音坐像(一面二臂の半跏思惟像)を陽刻/下記「平岡の題目塔道標2」と並ぶ 3
写真 竜腹寺の題目塔道標 りゅうふくじ 印西市   石道標(尖頭角柱)   享和3(1803)   金田p604-605本埜20
/WEB(加来_本03)
放置 (右面)「東、里うふくぢ/さくら、道」、(左面)「西、ふなを/江戸、道」、(裏面)「北、たきむら/きお路し、道」/正面に「奉待二十三夜」と陰刻/上記「竜腹寺の庚申塔道標1」と並ぶ 2 -
写真 別所の庚申塔道標2 べっしょ 印西市 別所青年館 石道標(駒型)   文化4(1807)   WEB(加来_印西39) 移設、集約 (右面)「左 木下」、(左面下部)「右 そうぶけ」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 岩戸の庚申塔道標1 いわと 印西市   石道標 高82㎝,幅34.5㎝,厚23㎝ 文化6(1809)   市教委(石造文化財調査カード159)
/WEB(加来_旛04)
原位置 (正面下部)「東、もろとゟ/さくら道」、(右面)「北 つくりやゟ/木おろし道」、(左面)「南 いわとミち」、(裏面)「西、さうふけより/いつミ新田」/正面上部に「庚申」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1
写真 荒野の供養塔道標 こうや 印西市   石道標   文化10(1813)   金田p601本埜12
/WEB(加来_本06)
移設、集約 (右面)「右 き路し道」、(左面)「左 いつ□□□」/正面に「(梵字)奉待廿三夜供養」と陰刻/下記「荒野の題目塔道標2」と並ぶ 3
写真 中根の庚申塔道標1 なかね 印西市   石道標(板碑型)   文化10(1813)   金田p600本埜10
/WEB(加来_本08)
移設、集約 (右面)「北 笠神 あじき/東 よし高 成田、道」、(左面最下部)「西、舟尾/江戸、道」、(裏面)「たき村 かち道」/正面に「青面金剛王」と陰刻 3
写真 結縁寺の庚申塔道標2 けつえんじ 印西市   石道標(駒型)   文化12(1815)   金田p651-652印西16
/WEB(加来_印西19)
移設、集約 (右面)「西 江戸/東 成田」/正面に「青面金剛王」と陰刻、頂部に“日月”を陽刻 3
  吉高の題目塔道標 よしたか 印西市   石道標(板碑型) 高86㎝,幅43㎝,厚26㎝ 文化13(1816)   市教委(石造文化財調査カード684) 保存状態良好 (右面)「北 よした/東 なりた」、(左面)「南 せと さくら/西 まつむし 木を□□」/正面を枠を残して削り込み「光明真言」と陰刻、右左面も同様に枠を残して削り込んだ所に道しるべが陰刻 1
  松虫の題目塔道標 まつむし 印西市   石道標(駒型) 高96㎝,幅26㎝,厚14㎝ 文化13(1816)   金田p610-611印旛5
/市教委(石造文化財調査カード546)
/WEB(加来_旛15)
移設、生垣内 (正面下部)「な里た/なめ川、ミち」、(右面)「此方、こふや/いづみ志んでん、みち」、(左面)「此方、せと/さくら、ミち」/正面に「(梵字)廿三夜塔」と陰刻 2
写真 大森の供養塔道標 おおもり 印西市   石道標(駒型)   文政3(1820)   金田p650印西12
/WEB(加来_印西28)
移設、仮設置 (右面)「左 さくバミち」、(左面)「右、たきむらミち/さくらみち」/正面に「奉待廿三夜供養」と陰刻、頂部に“月”の陽刻 4
写真 船尾の庚申塔道標1 ふなお 印西市   石道標   文政3(1820)   WEB(加来_印西12) 移設、集約、放置 (正面左)「南 むさいむら」、(右面)「東、とかみ/ふなをみち」、(左面)「西、こかねすこし/いき 右うらべミち」、(裏面)「北、きおろし/おぐらみち」/正面中央に「庚申塔」と陰刻 3 -
写真 岩戸の庚申塔道標2 いわと 印西市   石道標(駒型) 高99㎝,幅37㎝,厚21㎝ 文政6(1823)   市教委(石造文化財調査カード165)
/WEB(加来_旛05)
移設、集約 (左面)「さくら道」/正面に「庚申」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻、最下部に“三猿”を陽刻 3
  平岡の題目塔道標1 ひらおか 印西市   石道標(駒型)   文政8(1825)   金田p647印西5 現況不明 (正面右)「南 たき さくらミち」、(右面)「東 小林 木おろしミち」、(左面)「西、大もり/江戸、ミち」/正面に「廿三夜」と陰刻    
写真 滝の庚申塔道標 たき 印西市 稲荷神社 石道標(駒型)   文政9(1826)   金田p606-607本埜24
/WEB(加来_本01)
移設 (右面)「南、たき さくら/そうふけ ふなお、道」、(左面)「北、ひらおか こばやし/ものおき かさかみ、道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻、最下部に“三猿”の陽刻 2
写真 荒野の題目塔道標 こうや 印西市   石道標   文政10(1827)   金田p601本埜13
/WEB(加来_本05)
移設、集約 (右面)「右ハ、きおろし/あびこ、道」、(左面)「左ハ、つくり/江戸、道」/正面に「二十三夜塔」と陰刻/上記「荒野の供養塔道標」と並ぶ 3 -
写真 松虫の庚申塔道標 まつむし 印西市   石道標(駒型)   文政12(1829)   金田p612印旛7
/WEB(加来_旛16)
立派な祠内 (正面左)「南 さくら せとミち」、(右面)「東、よしたかミち/なりたミち」、(左面)「北、はぎハらみち/阿じきミち」/正面に「(梵字)庚申」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻、最下部に“三猿”を陽刻 1
  吉高の供養塔道標 よしたか 印西市   石道標 高134㎝,幅40㎝,厚27㎝ 天保3(1832)   市教委(石造文化財調査カード695)
/WEB(加来_旛17)
  (右面)「東 なりたミち」、(左面)「西 まつむしミち」/正面に「光明真言供塔」と陰刻/緑色は異体字 2
写真 船尾の庚申塔道標2 ふなお 印西市   石道標(駒型)   天保5(1834)   金田p654印西21
/WEB(加来_印西14)
移設、集約 (右面)「右 けちいんじミち」、(左面)「左、大もりみち/木おろしミち」/正面に「猿田彦大神」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
写真 船尾の馬頭観音道標 ふなお 印西市   石道標   天保12(1841)   金田p653印西20
/WEB(加来_印西17)
移設、集約 (正面下部)「西、舟尾/江戸、道」、(右面)「南 結縁寺道」、(左面)「北 泉新田 大森道」、(裏面)「東、惣深新田 安食道/下惣深 成田道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/各面とも枠を残して平らに削り込んだ上で刻字 2
写真 船尾の庚申塔道標3 ふなお 印西市 宗像神社 石道標   天保12(1841)   WEB(加来_印西13) 移設、集約 (左面)「右 さくば/左 いつミ新田、道」/正面に「庚申」と陰刻、頂部に“日月”の線刻 3 -
  造谷の庚申塔道標2 つくりや 印西市   石道標(駒型) 高106㎝,幅41㎝,厚27㎝ 弘化3(1846)   市教委(石造文化財調査カード232)
/WEB(加来_旛08)
移設、集約/最下部右面に亀裂 (右面)「北 たき 木おろ」、(左面)「南 もろ戸 さくら」、(裏面)「西、ふなを/江戸、道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻、台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 松崎の庚申塔道標 まつざき 印西市 火皇子神社 石道標(尖頭角柱)   弘化4(1847)   WEB(加来_印西16) 移設、集約 (右面)「北 惣深 けちいんじ/東 吉田 佐倉みち/南 川渡みち」、(左面)「西 船尾 江戸道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部の“日月”の陽刻 3 -
写真 宗甫の庚申塔道標 そうほ 印西市   石道標(駒型)   嘉永年間(1848-54)   金田増補p357印西10
/WEB(加来_印西38)
保存状態良好 (正面下部)「江/戸/道」、(右面)「此方、つくりや/さくら、道」、(左面)「此方、小林新田/安喰、道」/正面に恐らく青面金剛立像の陽刻か?→意図的に破壊/頂部の“日月”の陽刻のみ残る 1
  船尾の題目塔道標 ふなお 印西市   石道標(尖頭角柱)   嘉永3(1850)   WEB(加来_印西15) 放置 (右面)「右 ま津ざき道」、正面に「無腮地蔵菩薩写」と陰刻 2
写真 別所の庚申塔道標3 べっしょ 印西市 別所稲熊神社 石道標   嘉永6(1853)   金田p647印西6
/WEB(加来_印西41)
移設、集約 (右面)「北 きおろし/東 小林 あ食、道」、(左面)「南 婦なお道」/正面に「庚申塔」と陰刻/上記「別所の庚申塔道標1と並ぶ」 3 -
  鎌苅の庚申塔道標2 かまがり 印西市   石道標(駒型) 高127㎝,幅43㎝,厚42㎝ 安政2(1855)   市教委(石造文化財調査カード310)
/WEB(加来_旛09)
保存状態良好 (右面)「つのた 木をろし/はぎわら 松むし、道」、(左面)「南、もろ戸かし/うすゐ道」、(裏面)「さくら道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1
写真 平岡の題目塔道標2 ひらおか 印西市   石道標(駒型)   安政2(1855)   金田p645印西2
/WEB(加来_印西34)
移設、集約 (右面)「右、てうし/なりた、道」、(左面)「左、とうぞがし/りう可さき、道」/正面に「二十三夜塔」と陰刻、その上に“日月”の陽刻/上記「平岡の如意輪観音像道標」と並ぶ 3 -
写真 高花の不動明王像道標 たかばな 印西市 高花青年舘 石道標(板碑型)   安政3(1856)   金田p650-651印西14
/WEB(加来_印西21)
移設/一部破損 (右面)「右 なりた」、(左面)「左 きをろし」/正面に不動明王座像(一面二臂、背景に迦楼羅焔)を陽刻/上記「高花の庚申塔道標」と並ぶ 2
写真 竜腹寺の庚申塔道標2 りゅうふくじ 印西市   石道標   万延元(1860)   金田p605本埜21
/WEB(加来_本04)
保存状態良好 (右面)「右ハ、よした可川岸より なりた/せよかしより さくら、道」、(左面)「左ハ、可さがミ あじき/小ばやし新田、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  中根の庚申塔道標2 なかね 印西市 鳥見神社 石道標(駒型)   万延元(1860)   金田p599-600本埜9
/WEB(加来_本09)
保存状態良好 (右面)「北 笠神 安食 遍路」/正面に「猿田彦命」と陰刻 1
写真 竹袋の庚申塔道 たけふくろ 印西市   石道標(駒型)   文久元(1861)   金田p647-648印西7
/WEB(加来_印西42)
墓地内 (右面)「北 きお路し/東 さくら道」、(左面)「西 大もり道/南 別所 そうぶけ」/正面に「庚申塔」と陰刻 3 -
  師戸の道標 もろと 印西市   石道標(駒型) 高54㎝,幅13㎝,厚11㎝ 文久2(1862)   市教委(石造文化財調査カード377)
/WEB(加来_旛12)
原位置 (正面)「此方、もろとわたし 十丁/臼井 さくら」、(右面)「右、鎌苅 世戸 吉高 成田/こうや 中根 あじき」、(左面)「左 大廻 つくりや 木下」 1 -
写真 瀬戸の題目塔道標 せと 印西市   石道標 高99㎝,幅29㎝,厚28㎝ 文久3(1863)   市教委(石造文化財調査カード544)
/WEB(加来_旛14)
移設 (右面)「右 まつむし こばやしミち」、(左面)「左 かまかり つのだミち」/正面に「二十三夜塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 将監の道標 しょうげん 印西市 密蔵院 石道標   慶応2(1866)   金田p598本埜6
/WEB(加来_本10)
保存状態良好 (正面)「成田山」 1
写真 小林の道標 こばやし 印西市 (下丑新田) 石道標(尖頭角柱)   慶応4(1868)   WEB(加来_印西02) 移設? (正面)「(梵字)(左指差し袖付き)なり田道」〔指差しは線刻〕、(右面)「さくらみち」、(左面下部)「てうしみち」/上記「小林の地蔵道標」と並ぶ 2
写真 発作の道標 ほっさく 印西市 大杉神社 石道標   江戸期   金田p655印西23
/WEB(加来_印西25)
下3分の1で水平に折損→修復/頂部一部欠損 (正面)「南 江戸道」、(左面)「左 ふさ」 3
写真 印西牧の野馬土手〔印西〕
(泉新田大木戸の野馬堀)・跡
いんざい
(いずみ、
おおきど)
印西市 <小金牧>
(草深)
野馬土手 長約200m 延宝元(1673) 市史跡 市教委
/房総の近世牧跡p43
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
堀が明瞭に残る 二重土手/印西牧は明治時代に大規模な開墾が行われ多くの遺構が消滅 2
  印西牧の野馬土手〔印西〕
・跡
いんざい 印西市 印西牧
(白幡)
野馬土手   延宝元(1673)   WEB(野馬土手~小金牧の残光) 木下街道沿い 二重土手/印西牧は明治時代に大規模な開墾が行われ多くの遺構が消滅 4
  桜土手 さくら 印西市 <印旛沼> 土堤防 長約5.9㎞ 享保年間(1716-35)?   市教委 天端→県道 印旛沼新田開発に伴い水防施設として築かれた堤/印旛沼関連で最もよく当時の姿を留める代表的遺構 2
  谷津縦の土手 やつたつ 印西市 <印旛沼> 土堤防   江戸期   市教委 道路の沼とは反対側に残るが、灌木が生え土手とは分かりにくい 印旛沼新田開発に伴い水防施設として築かれた堤/小規模 3
  高岩の土手 たかいわ 印西市 <印旛沼> 土堤防   江戸期   市教委 同上 印旛沼新田開発に伴い水防施設として築かれた堤/小規模 3
  月影の井 つきかげ 印西市   石井戸   鎌倉時代 市史跡 市教委/WEB 井戸枠の石積が布積→近代以降の改修 龍崖城の城主・大菅正氏が愛用したと言われる井戸/中世の「日本三井の1つであった」と現地解説板には記載 3
  境川 さかい 浦安市   開削水路 長1.5㎞→4.8㎞
(戦後の海面埋立により伸延)
江戸期   WEB 都心の水辺空間として整備 生活水や舟の行き来のため浦安中心部の要として利用されてきた(江戸川の真水が流入するため、井戸水にも塩分が含まれる浦安では唯一の飲水源)→漁港として発達 2
  金谷郷の馬頭観音像道標 かなやごう 大網白里市 (珠数ノ谷) 石道標   天保4(1833)   金田増補p150-151大網白里2 現況不明 (正面右)「千葉」、(正面左)「大網」/正面中央に馬頭観音坐像を陽刻    
  藤ケ谷矢の石橋 ふじがや 柏市 中央公民館
<鮮魚街道>
石桁橋(安山岩) 長306㎝ 元文2(1737)   市教委 解体→石材のみ地面に置いて展示 石桁の側面に多くの刻字があり、「石橋造建/彌五右衛門/次郎左衛門」「元文二丁喪已天/八月吉日」なども読み取れる 4
写真 根戸の常夜灯
(布施弁天入口の常夜灯)
ねど 柏市 <根戸参道> 石常夜灯 高3.80m 文化7(1810)   市教委(柏の金石文2
p214・584)
/WEB(加来_柏13)
移設 (竿正面)「布/施、辨財天/是より十町余」、(竿右面)「筑波街道/是より十一り」 2
写真 根戸の道標
(布施弁天入口の道標)
ねど 柏市 <根戸参道> 石道標(尖頭角柱) 高157㎝,幅23.5
㎝,厚23.5㎝
貞享4(1687)   市教委(柏の金石文2
p145・572)
/WEB(加来_柏12)
移設/弁財天の「財」の刻字は3面ともC充填 (正面)「從是 布天 行程」、(右面)「是より 婦せ弁天 江乃みち」、(左面)「是より ふ世弁天江能みち」/緑色は異体字/17世紀の道標 2
  大青田の庚申塔道標 おおあおた 柏市 香取神社 石道標(駒型) 高131㎝,幅46㎝,厚16㎝ 享保12(1727)   市教委(柏の金石文1
p228・514)
移設 (右面)「右 正連寺 柏」、(左面)「左 花野井 アビコ」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 岩井の供養塔道標 いわい 柏市 龍光院 石道標   元文元(1736)   金田p820沼南12
/WEB(加来_柏01)
移設、集約 (右面)「右 わ志のや道」/正面に「(梵字)奉供養□□二世安樂所」(樂と所は右左に刻字)と陰刻 3
写真 片山の勢至観音像道標 かたやま 柏市 手賀の丘公園 石道標(安山岩) 高83㎝,幅34㎝,厚22㎝ 明和2(1765)   市教委(沼南町史・史料集金石文1p397)
/WEB(加来_柏09)
移設、集約 (右面左下隅)「右ハ 上戸道」、(左面右下隅)「左ハ 行徳道」/正面上半分を削り込み勢至観音座像(光背、光輪、蓮台)を陽刻、下半分を火灯窓型に削り込み「南無至菩薩」と陰刻/緑字は異体字 3
  船戸の供養塔道標 ふなと 柏市   石道標 高117㎝,幅39㎝,厚25㎝ 明和6(1769)   市教委(柏の金石文1
p314・550)
原位置、刻字彩色 (右面)「ながれ山 江戸道」、(左面)「にし せきや登/東 布施 成田、道」/正面を枠を残して削り込み「(梵字)十九夜念佛供養」と陰刻 1
写真 藤心の地蔵道標 ふじごごろ 柏市   石道標 高60.5㎝,幅33.5
㎝,厚22.5㎝
明和9(1772)   市教委(柏の金石文1
p108・474)
/WEB(加来_柏19)
中央で水平に折損→補修 (右面)「なりた/木下」、(左面)「ゆわい/玉し乃や」/正面上部に大きく地蔵坐像を陽刻 3
  高柳の供養塔道標 たかやなぎ 柏市   石道標(凝灰岩) 高63㎝,幅27㎝,厚24㎝ 寛政2(1790)   市教委(沼南町史・史料集金石文2p453) 原位置 (正面左下隅)「松戸道」、(右面左下隅)「藤ヶ谷道」、(左面右下隅)「西小金道」/正面に「(梵字)、羽黒山 秩父/湯殿山 西國/月山 坂東、奉納供養」と陰刻 1 -
  篠籠田の道標 しこだ 柏市   石道標 高50.1㎝,幅22.2
㎝,厚13.3㎝
寛政2(1790)   市教委(柏の金石文2
p145・572)
保存状態やや不良/下部C埋設 (正面)「流山」、(右面)「阿びこ こ…」、(左面)「ふせこ…」/正面と、右左の3面の上部に猿の陽刻 3 -
  布施の供養塔道標 ふせ 柏市   石道標 高84㎝,幅27㎝,厚25㎝ 寛政5(1793)   市教委(柏の金石文2
p72・560)
原位置/中央で水平に折損→修復 (台石左面)「のだ」/正面に「普/門/品、十萬巻供養塔」と陰刻 2
写真 船戸の如意輪観音像道標 ふなと 柏市   石道標(駒型) 高104㎝,幅34.5
㎝,厚19.5㎝
寛政12(1800)   市教委(柏の金石文1
p315・550)
原位置 (右面)「北 中里道/東 津くバ道」、(左面)「南 ながれ山 江戸道/西 □□ 成田道」/正面上部に面から立体的に突き出るように如意輪観音の半跏坐像(光輪)を陽刻、その下に「拾九夜念佛供羪」と陰刻 1
  柏の馬頭観音像道標 かしわ 柏市 長全寺 石道標(駒型) 高61㎝,幅26.5
㎝,厚13㎝
寛政12(1800)   市教委(柏の金石文1
p150・494)
移設、集約 (左面)「西 志こだ道」/正面に馬頭観音立像(一面六臂〔馬頭冠、馬口印〕)を陽刻 3
  泉の供養塔道標 いずみ 柏市   石道標(安山岩) 高95㎝,幅35㎝,厚19㎝ 文化3(1806)   市教委(沼南町史・史料集金石文1p567)
/WEB(加来_柏08)
原位置 (右面)「東 きおろし道/北 やなと道」、(左面)「南 まつと 江戸道/西 なかれやま道」/正面に「西國/秩父/坂東、百所巡拜供養塔」と 陰刻 1
写真 泉の題目塔道標 いずみ 柏市   石道標(尖頭角柱、安山岩) 高50㎝,幅21㎝,厚18㎝ 文化4(1807)   市教委(沼南町史・史料集金石文1p571)
/WEB(加来_柏11)
移設、集約 (左面)「右 江戸道/左 金山かち道」/正面に「山神宮」と陰刻 3 -
写真 大島田の庚申塔道標 おおしまた 柏市   石道標(駒型)   文化7(1810)   金田p821沼南15
/WEB(加来_柏03)
原位置?/表面が摩耗して読みづらい (正面左)「東、わかしらが江□□□/大しまた□□□丁」、(右面)「右、大い/ながれ山、ミち」、(左面)「左、つかざき/まつど、道」/正面中央に「猿田彦命」と陰刻  
  酒井根の地蔵道標 さかいね 柏市   石道標(駒型) 高65.5㎝,幅27㎝,厚15㎝ 文化9(1812)   市教委(柏の金石文1
p110・474)
/WEB(加来_柏16)
現況不明 (正面下部)「右 か祢がさ/左 かまがや、道」/正面上部に地蔵立像の陽刻 2
  東柏の不動明王像道標 ひがしかしわ 柏市   石道標 高102.1㎝,幅24.5
㎝,厚11㎝
文化10(1813)   市教委(柏の金石文2
p150・572)
設置環境やや不良 (正面右側)「東ハ」、(同左側)「大井ナリ  左みち」、(右面)「右 と者り道」、(左面)「左 名どがやみち」、(裏面)「西 柏村なり」/正面上部に不動明王坐像を陽刻 3
写真 岩井の廻国塔道標 いわい 柏市 将門神社 石道標(安山岩) 高100㎝,幅33㎝,厚25㎝ 文化10(1813)   市教委(沼南町史・史料集金石文2p543)
/WEB(加来_柏02)
移設、集約/下部埋設 (左面)「南 わ可しらがミち」、(裏面)「西 ま津とみち」/正面に「秩父/西國/坂東、百箇所世安樂也」と陰刻 2
写真 箕輪の供養塔道標
(あいの坂の かわうその碑)
みのわ 柏市   石道標
(駒型、安山岩)
高97㎝,幅29㎝,厚17㎝ 文化14(1817)   市教委(沼南町史・史料集金石文2p61)
/WEB(加来_柏10)
/WEB
原位置/台石C接合 (右面)「右 戸道」、(左面)「左 若志らか道」/緑色は異体字/正面に「(梵字)祭獺之制底」と陰刻→獺:かわうそ、制底:廟→「かわうその碑」として知られる(廣瀬佐惣治という魚とりの好きな若者が川獺を眼の敵にして殺してしまい若死したのを悼んで供養塔を立てたといわれる) 1
写真 篠籠田の庚申塔道標 しこだ 柏市 西光院 石道標(尖頭角柱) 高100.5㎝,幅34.2
㎝,厚24.3㎝
文政3(1820)   市教委(柏の金石文1
p267・524)
/WEB(加来_柏21)
移設、集約 (右面右)「東、我孫子/成田、道」、(右面左)「西 流山道」/正面に「(梵字)庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻(3匹の構成がユニーク) 3
写真 大青田の大黒天像道標 おおあおた 柏市   石道標 高92㎝,幅31㎝,厚21.5㎝ 文政3(1820)   市教委(柏の金石文1
p200・510)
/WEB(加来_柏24)
原位置/大黒天の顔が削除 (正面下部右)「右 流山道」、(同左)「左 成田道/此方 みつかいどう」、
(右面下部)「此方 いまがみ道」、(左面下部)「此方 ながれやま」/正面頂部を円型に削り込んで大黒天立像を陽刻
2
  若白毛の庚申塔道標 わかしらが 柏市   石道標
(駒型、安山岩)
高81㎝,幅34㎝,厚18㎝ 文政7(1824)   市教委(沼南町史・史料集金石文1p666) 下部埋没 (正面左下)「東、わかしらか江□□/大し□□□□丁」、(右面)「大い/なかれ山、ミち」、(左面)「つかさき/まつと、ミち」/正面中央に「猿田彦命」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/緑字は異体字 2
  布瀬の子安観音像道標 ふぜ 柏市   石道標(凝灰岩) 高78㎝,幅22㎝,厚13㎝ 文政9(1826)   市教委(沼南町史・史料集金石文1p256)
/WEB(加来_柏07)
木柵で囲まれた祠内 (右面)「右 うらべみち」、(左面)「左 せんげんはし」/正面に子安観音坐像を陽刻→子安観音は稀 2
  大青田の不動明王像道標 おおあおた 柏市   石道標 高179㎝,幅31.5
㎝,厚22㎝
天保6(1835)   市教委(柏の金石文1
p191・506)
移設? (正面右下)「右 成田道」/正面に大きく「成田山講中」と陰刻/頂部を削り込んで不動明王坐像(剣と羂索、背景に迦楼羅焔)を陽刻 1
写真 船戸の六地蔵道標 ふなと 柏市   石道標(板碑型) 高133.5㎝,幅40
㎝,厚36㎝
天保6(1835)   市教委(柏の金石文1
p135・488)
/WEB(加来_柏14)
移設 (正面左枠)「左 水海道」、(左面右枠)「右 ながれ山」/正面、右左の3面を枠を残して削り込み地蔵立像を2体ずつ陽刻 2
  船戸の庚申塔道標 ふなと 柏市   石道標(墓石型) 高222㎝(うち、台石98㎝),幅48㎝,厚47㎝ 天保6(1835)   市教委(柏の金石文1
p273・526)
移設 (下段台石右端)「下 布施 成田みち」、(同左端)「上 三ッ堀 中里道」/正面に「(梵字)庚申塔」と印刻、頂部に“日月”、上段台石に“三猿”の陽刻/裏面に移設時の明治21の追刻 2
写真 五條谷の庚申塔道標1 ごじょうや 柏市 稲荷神社 石道標
(駒型、安山岩)
高90㎝,幅28㎝,厚26㎝ 天保10(1839)   市教委(沼南町史・史料集金石文2p74
/WEB(加来_柏04)
移設、集約/正・裏面の3分の1が剥離 (左面)「左 大嶋田/右 大井、みち」/正面に「面金」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 4
  酒井根の題目塔道標 さかいね 柏市   石道標(尖頭角柱) 高63.5㎝,幅26
㎝,厚18.5㎝
天保12(1841)   市教委(柏の金石文2
p95・564)
原位置 (右面)「加満がやみち」、(左面)「さくらみち」/正面に「太子講」と陰刻 1 -
写真 藤心の不動明王像道標 ふじごころ 柏市   石道標 高119.5㎝,幅37
㎝,厚19.5㎝
天保13(1842)   市教委(柏の金石文1
p191・506)/WEB(加来_柏18)
木祠内 (正面下部中央)「成田山」、(正面下部右端)「向テ右 やわ多みち」、(同左端)「左リ 江戸道」、(右面)「(右指差し)此方 成田道」/正面上半分に不動明王座像の半立体的浮彫(剣と羂索を持った磐石上の一面二臂の不動明王の周囲を迦楼羅焔が囲む) 1
  南増尾の題目塔道標 みなみますお 柏市   石道標 高132㎝,幅34.3
㎝,厚24㎝
天保14(1843)   市教委(柏の金石文2
p146・572)
原位置 (右面)「右、ふじ心/津かざき/な里田ミち」、(左面)「左、満すを/などがや/かし者/婦せミち」/正面に「南無大師剛」と陰刻/緑色は異体字 1
  船戸の道標1 ふなと 柏市   石道標 高124㎝,幅30
㎝,厚19㎝
弘化2(1845)   市教委(柏の金石文2
p147・572)
原位置 (正面)「向、なが連山/江戸、ミち」、(右面)「右、當所鎮守 三丁/天満宮 廿七間」、(左面)「左、みつかいどう/つく者、みち」 1
  船戸の道標2 ふなと 柏市   石道標 高97㎝,幅22
㎝,厚14㎝
弘化2(1845)   市教委(柏の金石文2
p147・572)
原位置 (正面)「向 みつかへ道 三リ半余」、(右面)「右 ながれ山道 二リ半余」 1
写真 五條谷の庚申塔道標2 ごじょうや 柏市 稲荷神社 石道標
(駒型、安山岩)
高84㎝,幅30㎝,厚11㎝ 弘化4(1847)   市教委(沼南町史・史料集金石文2p74
/WEB(加来_柏05)
移設、集約/一部剥離 (右面下部)「右 大井」、(左面下部)「左 大嶋田」/正面に「(梵字)青面金」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 3
  大室の題目塔道標 おおむろ 柏市 香取神社 石道標(駒型) 高68㎝,幅39㎝,厚28.5㎝ 嘉永2(1849)   市教委(柏の金石文1
p342・556)
移設 (右面)「南 江戸/西 せきやど」、(左面)「北 もりや/東 あび古、道」/正面に「山神宮」と陰刻 2 -
  増尾の庚申塔道標 ますお 柏市   石道標(駒型) 高85㎝,幅27㎝,厚19㎝ 嘉永3(1850)   市教委(柏の金石文1
p277・526)
原位置 (右面下部)「すわ道」/正面に「庚申塔」と印刻、頂部に“日月”の陽刻 1
  藤ケ谷新田の不動明王像道標 ふじがや 柏市   石道標
(駒型、砂岩)
高86㎝,幅26㎝,厚18㎝ 嘉永7(1854)   市教委(沼南町史・史料集金石文2p406) 原位置 (正面下部)「成/田/山、〔月参講中〕」、(右面)「東 奈里多道」/正面上3分の1を削り込んで不動明王座像(迦楼羅焔)を陽刻 1
写真 大青田の題目塔道標 おおあおた 柏市   石道標(駒型) 高103㎝,幅36㎝,厚18.5㎝ 安政4(1857)   市教委(柏の金石文1
p196・506)
/金田p803-804柏27
/WEB(加来_柏23)
原位置 (正面最下部)「なかれ山/江と、みち」、(右面)「右 阿びこ なりた」、(左面)「左 山ざ記 のだミち」/正面を駒型の枠を残して削り込み「(梵字)成田山講中」と陰刻 1
写真 藤心の庚申塔道標 ふじごころ 柏市   石道標(駒型) 高181㎝(うち、台石31㎝),幅36.5
㎝,厚22.5㎝
安政5(1858)   市教委(柏の金石文1
p241・518)
/WEB(加来_柏25)
原位置/設置環境悪化/像の風化が進行 (正面下部)「東、たかやなぎ/ふじがや、道」、(右面下部)「北、かし者/ふじごゝろ/ふせ、みち」、(左面)「南、やはた/ぎょうとく、みち」、(裏面)「西、さかさゑ/古が祢/まつど、道」/正面上部に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)を陽刻 2
写真 呼塚新田の道標 よばつか 柏市   石道標(尖頭角柱) 高92㎝(うち、台石20㎝),27㎝角 文久3(1863)   市教委(柏の金石文1
p197・506)
移設 (正面)「成田山」、(正面最下部)「従是/十り」 2
  塚崎の不動明王像道標 つかざき 柏市   石道標
(舟型、凝灰岩)
高110㎝,幅30㎝,厚18㎝ 慶応3(1867)   市教委(沼南町史・史料集金石文2p276) 移設 (正面中部)「成/田/山」、(左面)「左 ま津と道」/正面上部に不動明王坐像(迦楼羅焔)を陽刻 2
写真 増尾の不動明王像道標 ますお 柏市   石道標 高120㎝,幅33㎝,厚23㎝ 江戸期   市教委(柏の金石文1
p192・506)
/WEB(加来_柏22)
原位置?/C基壇新設/祠内 (正面)「成/田/山」、(正面右端)「西 すはみち」、(同左端)「北 かしは道」、(右面)「南、松戸道/江戸道」、(左面)「東、ふじ古ゝ路道/ふ奈バし道」/正面上部を削り込んで不動明王座像の半立体的浮彫(剣と羂索を持った磐石上の一面二臂の不動明王の周囲を迦楼羅焔が囲む)/正面像下中央に「月參講中」と陰刻/「江戸」の標記は江戸期 3
  船戸山高野の道標 ふなとやまごうや 柏市   石道標 高89.5㎝,幅21㎝,厚18.5㎝ 江戸期   市教委(柏の金石文2
p147・572)
原位置 (正面)「南 流山 江戸道」、(右面)「右 山高野 津く者道」、(左面)「左 三つぼり 関宿道」 1
写真 藤心の題目塔道標 ふじごころ 柏市   石道標 高42.8㎝,幅17.7
㎝,厚15㎝
江戸期   市教委(柏の金石文1
p60・464)
/WEB(加来_柏17)
移設? (正面下部)「ひがし 成田道」、(右面)「きたハ 江戸道」、(左面)「みなみ やハタ」/正面に「大日如来」と陰刻/「江戸」の標記は江戸期 2 -
  七里ケ渡・跡 しちりが 柏市 利根川 渡し場   平安期?
→元和2(1616)定船場
  WEB 場所特定/亨保4(1719)の水難事故の石碑 幕府認定の利根川・渡瀬川・江戸川の定船場/水戸街道の脇往還/明治以降衰退 5
写真 呼塚河岸の常夜灯 よばつか 柏市 <大堀川・
呼塚河岸>
石常夜灯
(河川舟運)
高4.19m
(うち、基壇0.95m)
慶応元(1865)   市教委(柏の金石文2
p223・586/WEB
昭和17・63移設/笠一部欠損/火袋後補 (竿正面)「成/田/山」、(同右面)「天下泰平」、(同左面)「五穀成就」、(同裏面)「村々安全」/台石正面に「月參」と陰刻/成田詣や佐原・銚子方面との往来に使われた船着き場(河岸)に建てられた常夜灯/石基壇あり(全高の1割以下と低い) 2
写真 上野牧の野馬土手〔柏〕・跡 かみの 柏市 <小金牧>
(南柏2丁目~松ケ丘5丁目)
野馬土手 長約1㎞,土手:高2m以上の部分あり 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p15・24
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
17号豊四季第一緑地 明確に残る二重土手(一部)→「日本一の野馬土手」とも称される/舌状台地を遮断して造られた土手の代表例/上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 1 写真
写真 上野牧の野馬土手〔柏〕・跡 かみの 柏市 <小金牧>
(篠籠田)
野馬土手 長200m,土手:高1m以下 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p19・24
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
篠籠田緑地公園の森の中 三重土手(外側の2条目と3条目の土手間の堀底に土杭列)→篠籠田地区の大堀川に面した台地の土手の特徴/上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 3
写真 上野牧の野馬土手〔柏〕・跡 かみの 柏市 <小金牧>
(豊四季~豊住4丁目)
野馬土手 長150m,土手:高約2m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p24
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
住宅地の中にしては保存状態良好 上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 2
  上野牧の野馬土手〔柏〕・跡 かみの 柏市 <小金牧>
(あかね町)
野馬土手 長70m,土手:高1m以下 慶長19(1614)   WEB(野馬土手~小金牧の残光) 道路と道路の間で保存 上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 2
  上野牧の野馬土手〔柏〕・跡 かみの 柏市 <小金牧>
(新豊町1丁目~吉野沢)
野馬土手 長150m,土手:高1m以下 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p24
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
放置 T型/上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 3
写真 上野牧の野馬土手〔柏〕・跡 かみの 柏市 <小金牧>
(東部野田線・豊四季駅近く)
野馬土手 長25m,土手:高1m以下 慶長19(1614)   WEB(野馬土手~小金牧の残光) 道路工事で消える土手を自分の敷地内に移して保存 上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 2 -
  千飼牧の野馬土手〔柏〕・跡 せんがい 柏市 <小金牧>
(豊四季・一本松)
野馬土手 長40m,土手:高1m以下 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p24
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
C擁壁と金柵内 「お放ち馬囲い(御囲い)」→品種改良用など特別な馬を飼育 3
  中野牧の野馬土手〔柏〕・跡 なかの 柏市 <小金牧>
(下田の森)
野馬土手 長250m,土手:高(外)約2m,(内)1m以下,堀:幅(外)約1m,(内)2.5m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p27・32
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
雑木林の中に土手と堀が明瞭に残る 二重土手/中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 2
  中野牧の野馬土手〔柏〕・跡 なかの 柏市 <小金牧>
(南増尾3丁目~小鳥の森)
野馬土手 長200m,土手:高約1m,堀:幅2.5m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p27・32 逆井南公園の北側に断続的に残る 中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 3
写真 高田台牧の野馬土手〔柏〕
・跡
たかただい 柏市 <小金牧>
(大青田・稲荷山~十余二・伊勢原)
野馬土手 長400m,土手:高1-1.5m 享保年間(1713-36)   房総の近世牧跡p20・23
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
流通経済大学付属柏高等学校 二重土手/享保年間に上野牧から分離/高田台牧は宅地開発のため、『房総の近世牧跡』刊行後に消滅したものも多い 3
  高田台牧の野馬土手〔柏〕
・跡
たかただい 柏市 <小金牧>
(正連寺・丸山~正連寺・小袋池)
野馬土手 長150m,土手:高0.5m 享保年間(1713-36)   房総の近世牧跡p23
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
かなり低く土手と認識できにくい こんぶくろ池(下記参照)に隣接/享保年間に上野牧から分離/高田台牧は宅地開発のため、『房総の近世牧跡』刊行後に消滅したものも多い 3
  高田台牧の野馬土手〔柏〕
・跡
たかただい 柏市 <小金牧>
(十余二・下大塚~十余二・南翁原)
野馬土手 長270m,土手:高1-1.5m 享保年間(1713-36)   房総の近世牧跡p23
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
工場団地の敷地の隙間 享保年間に上野牧から分離/高田台牧は宅地開発のため、『房総の近世牧跡』刊行後に消滅したものも多い→特に十余二、高田、松ケ崎は壊滅状態 4
  高田台牧の水呑場
(こんぶくろ池)
・跡
たかただい 柏市 <小金牧>
(正連寺・小袋池)
野馬の水呑場   享保年間(1713-36)   房総の近世牧跡p23
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
公園整備 享保年間に上野牧から分離/水呑場で残っているものは稀 1
  高田台牧の水呑場
(弁天池)
・跡
たかただい 柏市 <小金牧>
(正連寺・小袋池)
野馬の水呑場   享保年間(1713-36)   WEB(野馬土手~小金牧の残光) こんぶくろ池に接続 享保年間に上野牧から分離/水呑場で残っているものは稀 1
  下柳戸の一つ井戸 しもやなど 柏市   共同井戸   江戸期   市教委(沼南風土記p179-181) 明治32改修/昭和30水道化 下柳戸地区10戸の農業用+生活用水/木樽構造→石+木枠構造に改修 3
  興津港海浜公園の繋船柱 おきつ 勝浦市 興津港海浜公園<興津港> 繋船柱
(粘板岩、円柱)
高2.6m,径45㎝ 江戸期 市史跡 市教委 移設 江戸期に廻米交易船の停泊地として栄えた興津港に設けられていた弁天崎の繋船柱(かつては十数本が並んでいた)/繋船柱としては大型 2
  妙覚寺の繋船柱 みょうかく 勝浦市 妙覚寺<興津港> 繋船柱
(粘板岩、自然岩)
高2m,径40㎝ 江戸期 市史跡 市教委 移設 江戸期に廻米交易船の停泊地として栄えた興津港に設けられていた弁天崎の繋船柱(かつては十数本が並んでいた)/繋船柱としては大型 2
  荒川の川廻し(雨降滝) あらかわ
(あめふり)
勝浦市 夷隅川 付替え(トンネル)
(素掘)
高低差5m 江戸中期   夷隅風土記p141   新田開発用ではなく、洪水対策としてのショートカット(瀬替え)→新旧の両川が残る 1
写真 牧野の題目塔道標1 まきの 香取市   石道標   元禄9(1696)   金田p432-433佐原46
/WEB(加来_香取22)
保存状態良好 (正面右側)「北ハ さわら かんとり」、(正面左側)「東ハ まきの道」、(右面)「西ハ なりた 江戸道」、(左面)「南ハ おうさき よしくら道」/正面中央に「月待二十三夜」と陰刻/17世紀の道標 1
写真 新部の道標 にっぺ 香取市   石道標   享保17(1732)   金田p427香取33
/WEB(加来_香取46)
原位置? (正面)「香取大神宮道」、(右面)「佐原道」、(左面)「新市場道」 1
写真 沢の題目塔道標1 さわ 香取市   石道標   宝暦9(1759)   金田p353栗源5
/WEB(加来_香取05)
保存状態良好 (正面右側)「右ハ 大す加 神崎道」、(正面左側)「左ハ ひし田 江戸道」、(正面下部)「中ハ 作道」、(右面)「右ハ 大須加 神崎みち」、(左面)「左ハ ひし田 江戸道」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻 1 -
写真 白井の道標 しらい 香取市   石道標   明和8(1771)   WEB(加来_香取64) 保存状態良好 (正面)「(梵字)此方、米の井/小見村/□□□」、(右面)「此方 志ら井 あぶら田 髙はき」、(左面)「此方 八木村」 1
写真 津宮の道祖神道標 つのみや 香取市 東の宮神社 石道標   安永8(1779)   金田p415-416佐原7
/WEB(加来_香取36)
移設? (右面)「南は かんと里/西は 鳥居可し」、(左面)「東 中可し」/正面に「道祖神」と陰刻 2
写真 岩ケ崎台の地蔵(?)道標 いわがさきだい 香取市   石道標   安永9(1780)   WEB(加来_香取68) C台石 (正面下部)「此方、かとり/さわら/てうし」、(右側面)「此方、あんば/つちうら、 道」、(左面)「此方、なめ川/江戸/なり田、道」(?)/正面上部に地蔵坐像(?)を陽刻 2 -
写真 下小堀の聖観音像道標
(七里)
しもこぼり 香取市 浄福寺 石道標(尖頭角柱)   天明3(1783)   金田p334小見川14
/WEB(加来_香取58)
保存状態良好 (正面)「飯沼觀世音江 七里」/正面上部を円形に削り込み聖観音(?)立像を陽刻 1
写真 大倉の聖観音像道標
(八里)
おおくら 香取市   石道標   天明3(1783)   WEB(加来_香取27) 全体の上3分の1のみ地表に出る (正面)「飯沼觀世音江 八里」/正面上部を円形に削り込み聖観音(?)立像を陽刻/「八里」は他の飯沼観音里程標との位置関係から推定、年代は形態から推定 3
写真 佐原イの聖観音像道標
(九里)
さわら、い 香取市 (仁井宿) 石道標   天明3(1783)   金田p417佐原11
/WEB(加来_香取11)
C台石 (正面)「飯沼觀世音江 九里」/正面上部を円形に削り込み聖観音(?)立像を陽刻 2
写真 森戸の聖観音像道標
(十里)
もりど 香取市   石道標(尖頭角柱)   天明3(1783)   金田p436佐原53
/WEB(加来_香取20)
移設、集約 (正面)「飯沼觀世音江 十里」/正面上部を円形に削り込み聖観音(?)立像を陽刻 3
写真 西田部の聖観音像道標
(十一里)
にしたべ 香取市   石道標(駒型)   天明4(1784)   金田p437-438佐原57
/WEB(加来_香取25)
移設 (正面)「飯沼觀世音江 十一里」/正面上部に聖観音立像を陽刻/天明3に建立された他の飯沼観音里程標と比べ、同じ願主・真永だが全く異なる作風 2
写真 小川の庚申塔道標 おがわ 香取市   石道標(駒型)   天明8(1788)   金田p350山田23
/WEB(加来_香取48)
移設、集約 (右面)「右 大角 山倉 佐原道」、(左面)「左 松崎 玉造道」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻 3
  本矢作の廻国塔道標 もとやはぎ 香取市 天照大神宮 石道標   天明9(1789)   金田増補p277-278佐原8/WEB(加来_香取26) 現況不明 (正面右側)「西へ さくら田」、(正面左側)「なり田 江戸道」、(右面)「南ハ ふくだ 多こ/八日市場」、(左面)「北ハ 本矢作、大根 福田村/さハら」、(裏面)「東ハ 阿ぶら田、志ゆりんじ/てうし道」/正面中央に「南無觀世音 西國三十三所」と陰刻    
写真 本矢作の題目塔道標 もとやはぎ 香取市   石道標(板碑型)   寛政4(1792)   金田p423佐原25
/WEB(加来_香取18)
中央で水平に割裂→荒っぽく修復 (正面左)「さくみち」、(右面)「南、まへはやし、たこ ゑど、道」、(左面)「比(ママ)、もとやはぎ おほさ起 さわら/さくら田 いのふ なりた道」、(裏面)「東、あぶら田/志ゅりんじ道」/正面中央に「觀世音菩薩」、裏面中央に「西國三十三所」と陰刻 3
写真 田部の道標 たべ 香取市 田部集会所 石道標   寛政9(1797)   WEB(加来_香取54) 保存状態良好 (正面)「小見川 かとり 佐」、(右面)「山くら 多古 江戸」、(左面)「る田 八日いち(?) 1
写真 関の題目塔道標 せき 香取市   石道標   寛政10(1798)   金田p436-437佐原55/WEB(加来_香取32) 中央で水平に折損→最悪の修復(刻字が見えない) (正面下部)「西、とき/かうさ/あば」、(右面)「南、き/さた/なた、道」、(左面)「北、上小河/さわら/んとり、ミち」/正面上部に「(梵字)散柳庭男」と陰刻 3
写真 牧野の庚申塔道標 まきの 香取市   石道標(尖頭角柱)   寛政12(1800)   金田p432佐原45/WEB(加来_香取21) 保存状態良好 (正面右下)「北 さわら てうし」、(正面左下)「東 かうや まきの」、(右面)「右、た古/なり田、道」、(左面)「左、おほさき/くわんのふ、道」/正面に「青面金剛塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 寺内の庚申塔道標 てらうち 香取市   石道標   寛政12(1800)   WEB(加来_香取67) 保存状態良好 (正面最下部)「東、さくら/かんとり/てうし」、(右面最下部)「西、なめ川/江戸」、(左面最下部)「南、いのう /たこ」/正面中央に「青面金剛」と陰刻 1 -
写真 大根の供養塔道標 おおね 香取市   石道標   享和2(1802)   金田増補p276-277佐原6/WEB(加来_香取17) 保存状態良好 (正面右下)「さハら」、(正面左下)「可とり」、(右面)「あらきた/さハいわへ、たこ道」、(左面)「やまくら/まつさき、やを可いちバ」/正面に「四國西國/秩父坂東、供養塔」と陰刻 1
写真 大根の題目塔道標 おおね 香取市   石道標(駒型)   享和2(1802)   金田p419佐原16
/WEB(加来_香取16)
木祠左側近接(右面読めない) (右面)「南、おゝさ起/ながやま/やはぎ」、(左面)「北、於と枝/やまくら/まつさ起/よふかいちバ」/正面に「南無觀世音菩薩/爲牛馬」と陰刻 2
写真 本矢作の供養塔道標1 もとやはぎ 香取市   石道標(板碑型)   享和4(1804)   金田p422佐原23
/WEB(加来_香取15)
保存状態良好 (正面右側)「さくら田 きちおか道」、(正面左側)「なりた 江戸道」、(右面)「東 油田 大寺 八ケ市場」、(左面)「西 大根 さわら 神崎」、(裏面)「北、かやた 香取 返田村/津宮 鹿島 」/正面中央に「奉納、秩父/西國/坂東、丗三所觀世音菩薩供養」と陰刻 1
写真 神生の道標 かんのう 香取市   石道標(駒型)   文久7(1810)   金田p341-342山田5
/WEB(加来_香取51)
保存状態良好 (正面)「南 大寺 八日市場」、(右面)「東 小見川 てうし」、(左面)「山倉 松崎」、(裏面)「北 香取 さはら」 1
写真 虫幡の道標 むしはた 香取市   石道標   文化8(1811)   WEB(加来_香取66) 保存状態良好 (正面)「樹林寺觀」、(正面両脇)「小見川/てうし」、(右面)「香取大神宮」、(右面両脇)「さハら/なめ川」、(左面)「成田不動尊」、(左面右)「さくら ふなは 1 -
写真 与倉の道標 よくら 香取市   石道標   文政元(1818)   金田p433-434佐原48
/WEB(加来_香取23)
移設/環境不良 正面中央「香取大神宮道」、(正面両脇)「さハら/てうし」、(右面)「右、よくら/大戸、道」、(左面)「左、おほね/可やた」 3 -
  油田の供養塔道標 あぶらた 香取市   石道標(駒型)   文政2(1819)   金田p337小見川19
/WEB(加来_香取60)
車道敷地内に残る(歩道の路肩コンクリートブロックの車道側) (正面左側)「東 志ゆ里んじミち」、(右面)「北 かんとりミち」、(左面)「南 山くらみち」、(裏面)「西 なり田ミち」/正面中央に「奉供養西國三十三所」と陰刻 1
写真 沢の題目塔道標2 さわ 香取市   石道標(尖頭角柱)   文政7(1824)   金田増補p241栗源9
/WEB(加来_香取09)
保存状態良好 (正面右側)「此方 さわ ひし田」、(同最下部を長方形に削り込んで)「さくら」、(右面)「此方、阿らぎた いわべ/すけさは 小見川」、(左面)「此方、いちやま/やはぎ、さハら」/正面中央に「南無妙法蓮華経」、正面左上に「馬頭觀世音」と陰刻 1
写真 府馬の供養塔道標 ふま 香取市   石道標(駒型)   文政11(1828)   金田p345-346山田13
/WEB(加来_香取55)
保存状態良好 (正面頂部)「南」、(正面右側)「かぶらき 大寺 多古 上総」、(正面左側)「八日市場 新まち なる」、(右面)「東、志ゆ里んじ 阿玉川、さゝ川 てうし」、(左面)「西、多べ 小見川/かとり さくら」/正面中央に「奉拝禮西國三拾三所成就供養」と陰刻 1
写真 大倉の題目塔道標 おおくら 香取市   石道標   文政13(1830)   金田p413佐原2
/WEB(加来_香取35)
移設? (正面最下部)「佐原道/なめ川道」、(右面)「右 さくみち」、(左面)「左 小見川 てうし道」/正面に「奉/待、二十三夜塔」と陰刻 2
写真 本矢作の供養塔道標2 もとやはぎ 香取市   石道標   天保6(1835)   金田p423佐原24
/WEB(加来_香取19)
下半分が埋没 (正面)「南」、(正面右側)「前林 祢こな」、(正面左側)「馬乗里 ひした」、(右面)「東、いわへ 山くら/小の 志ゅ里んじ」、(左面)「西、大戸 神崎/さくら田 なりた」、(裏面)「北 かとり 大根 さハら」/正面中央に「奉納西国丗三所觀音菩薩供養」と陰刻 2
写真 府馬の廻国塔道標 ふま 香取市   石道標   天保13(1842)   金田p344山田11
/WEB(加来_香取49)
移設? (正面右側)「田部 小見川 鹿嶋」、(正面左側)「香取 佐原 阿波」、(右面)「此方、山倉 松崎 多古/芝山 成田 江戸道」、(左面)「此方、松澤 干潟 九十九里/鏑木 八日市場 上総」/正面中央に「奉拝禮、伊勢/西國/四國、諸願成就之塔」と陰刻 2
写真 白井の廻国塔道標 しらい 香取市   石道標   弘化4(1847)   WEB(加来_香取65) 保存状態良好 (正面頂部)「東」、(正面右側)「白井 小見川」、(正面左側)「さゝ川 てうし」、(右面)「西、 油田 かとり/さハら 加うさき」、(左面)「南、 山くら 松さき/たこ 八日市バ」/正面中央に「奉拝禮西国三十三所」と陰刻 1 -
写真 下小野の廻国塔道標1 しもおの 香取市   石道標(尖頭角柱)   嘉永2(1849)   金田p420佐原18
/WEB(加来_香取12)
保存状態良好 (正面右側)「右 高はき 山倉 松崎」、(正面左側)「方 岩部 やむら」、(右面)「東 油田 大寺 八ケ市場」、(左面)「西 大根 さわら 神崎」、(裏面)「北、かやた 香取 返田村/津宮 鹿島 □□□」/正面中央に「奉順禮西國三十三所」と陰刻 1
写真 下小野の廻国塔道標2 しもおの 香取市   石道標   嘉永5(1852)   金田p420佐原19
/WEB(加来_香取13)
保存状態良好 (正面頂部)「南」、(正面下部)「たかはぎ/やまくら まつさき/ゆハべ なかむら/たこ 志ばやま」、(右面)「此方 おりはた、小見川/てうし」、(左面)「此方 香取、新市場/つのみや」/正面を枠を残して全面に削り込み、上部に「奉順禮、大和/四國」と陰刻 1
写真 沢の題目塔道標3 さわ 香取市   石道標   嘉永6(1853)   金田p354栗源7
/WEB(加来_香取08)
保存状態良好 (右面)「右 香取宮、いち山/さわら」、(左面)「左 大須賀、いのふ/さくらた/可うざき」/正面に「得大勢菩薩」と陰刻 1 -
写真 大戸川の道標 おおとがわ 香取市   石道標   安政2(1855)   金田p436佐原54
/WEB(加来_香取28)
原位置?/設置環境不良 (正面)「(梵字)「さまら/てうし、道」、(右面)「右、江戸/なめ川、道」、(左面)「左 大戸道」 2 -
写真 牧野の題目塔道標2 まきの 香取市   石道標(板碑型)   安政6(1859)   金田p418佐原14
/WEB(加来_香取37)
原位置 (右面)「さはらへ ち可みち」/正面を火灯窓型の削り込んで「厄除弘法大師」と陰刻 1
写真 神生の庚申塔道標 かんのう 香取市   石道標   万延元(1860)   金田p340山田3
/WEB(加来_香取52)
原位置? (正面下部)「につさこ やう可いちば/やまくら 志ばやま」、(右面)「右 をミ をミ可わ てうし」、(左面)「左 あぶらた きよみづ たこ」 1
  佐原イの庚申塔道標 さわら、い 香取市   石道標(駒型)   万延元(1860)   WEB(加来_香取69) 保存状態良好 (正面)「香取神社道」/裏面に「庚申 太神殿」と陰刻 1
写真 下小野の庚申塔道標 しもおの 香取市   石道標(自然石)   万延元(1860)   金田p421佐原20
/WEB(加来_香取14)
保存状態良好 (右面)「南 山倉太六天道」、(左面)「北 香取太神宮道」/正面に「庚申」と大きく刻字 1
写真 沢の題目塔道標4 さわ 香取市   石道標   万延2(1861)   金田p353-354栗源6
/WEB(加来_香取07)
上3分の1に水平に亀裂 (右面)「右、まへはやし とつかう/成田 ひし田 根木名/酒々井 さくら、道」、(左面)「左、さわ ミくら/山くら まつさき」/正面に「子安大明神」と陰刻 2 -
写真 与倉の地蔵道標 よくら 香取市   石道標(舟型)   江戸期   金田p434佐原49
/WEB(加来_香取24)
C祠内 (光背右)「さわら」、(光背左)「南ハ 江とミち」/中央に地蔵立像を陽刻/「江戸」の標記は江戸期 2
  津宮河岸の常夜灯 つのみや 香取市 利根川
<津宮河岸>
石常夜灯
(河川舟運)
高2.8m(現存) 明和6(1769) 市有形 WEB 移設/台石4段→2段/火袋後補 (竿正面)「香取宮」/利根川舟運の灯明台、香取神宮への参道入口の両役を担っていた/津宮鳥居河岸に関わる唯一現存する遺構(元はもっと背が高かった)/竿が角柱、台石上面と中台下面に装飾 3
写真 油田牧の野馬捕込〔香取〕
(佐倉油田牧の野馬込)
・跡
あぶたら、
とっこめ
(のまごめ)
香取市 <佐倉牧>
(九美上・駒込)
野馬捕込 面積4016㎡,土手:高3.6m(18世紀末)→約2m 永禄年間(1558-70) 県史跡 市教委(平成12年度事業報告Ⅺp33-36)
/房総の近世牧跡p47・48・50
良好に残存しており原状を良く留めるが、土手内部は密林化 入口に四角形をした捕込場、その奥に三角形をした分込場と溜込場を配置→三角形(各辺50m×60m×70m)は珍しい 3
写真 油田牧の野馬土手〔香取〕
・跡
あぶらた 香取市 <佐倉牧>
(九美上)
野馬土手 長700m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p50 保存状態最良 L字型/油田牧は田園地帯にあり、『房総の近世牧跡』には多くの野馬土手が紹介されているが、現存が確認できないものが多い 1
写真 油田牧の野馬土手〔香取〕
・跡
あぶらた 香取市 <佐倉牧>
(下小野)
野馬土手 長1800m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p47・49・50 断続的に残る 油田牧は田園地帯にあり、『房総の近世牧跡』には多くの野馬土手が紹介されているが、現存が確認できないものが多い 2
写真 油田牧の野馬土手〔香取〕
・跡
あぶらた 香取市 <佐倉牧>
(九美上)
野馬土手 長300m→110m,土手:高2.1m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p50 縮小 直線状/油田牧は田園地帯にあり、『房総の近世牧跡』には多くの野馬土手が紹介されているが、現存が確認できないものが多い 3
  矢作牧の野馬土手〔香取〕
・跡
やはぎ 香取市 <佐倉牧>
(香取市福田と成田市横山の境界上)
野馬土手 長190m,950m,120m,土手:高1m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p56 長950mの区間は数か所で断続 矢作牧は佐倉七牧中最大の牧で、田園地帯のため大型の野馬土手が数多く残っている 2
  土井利勝植林指導地・跡 どいとしかつ 香取市   植林   慶長7-15(1602-10)
(小見川藩主時代)
市史跡 WEB 保存状態良好 立案・実行: 小見川藩主・土井利勝(後の大老)/仁良村の山林は価値の低い薪炭用の雑木林だった→建築材として価値の高い針葉樹の植林を奨めた 1
  橘堰 たちばな 香取市   溜池 堤長約200m 慶長10(1605) 市名勝 WEB 昭和13改修/ふれあい公園 立案・実行: 小見川藩主・土井利勝(後の大老)/田部村周辺の水田の水を確保するために築造 2
  土井の新堤・跡 どい 香取市 <黒部川支流> 土堤防 長1.27㎞,幅約5m 元和年間(1615-24) 市史跡 市教委/WEB 明治39-42の耕地整理でも堤防の幅を狭めて農道とした 立案・実行: 佐倉藩主(老中)・土井利勝(後の大老)/領内の田部・竹之内村の水害を防ぐために築造 3
写真 南鎌ケ谷の地蔵道標 みなみかまがや 鎌ケ谷市 清長庵
<木下街道>
石道標(舟型)   正徳5(1715) 市有形民俗 金田p808-809鎌ケ谷4
/WEB(加来_鎌03)
移設、祠内 (光背右側)「ゐんざい見ち」、(光背左側)「加志ま道な里」、(右面)「志んばうみち」、(左面)「可まがい見ち」/正面に地蔵立像(両手で蛇を持つ)を陽刻 2
写真 東鎌ケ谷の「魚文の句碑」道標 ひがしかまがや
、ぎょぶん
鎌ケ谷市 (1丁目)
<木下街道>
石道標   明和元(1764) 市有形民俗 金田p807鎌ケ谷1
/WEB(加来_鎌01)
保存状態良好 (右面)「右 木をろし道」、(左面)「左 中木戸道」/正面に、芭蕉俳諧の流れをくむ三級亭魚文が鎌ケ谷を通った際詠んだ句「ひとつ家へ 人越/吹き込む 枯野可那」が陰刻 1
写真 鎌ケ谷の庚申塔道標 かまがや 鎌ケ谷市 八幡神社 石道標(駒型)   寛政7(1795) 市有形民俗 金田p807-808鎌ケ谷2
/WEB(加来_鎌02)
移設(石基壇上) (台石右面)「東/さくら道」、(台石左面)「西/こがね道」/正面に「青面金剛王」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 中沢の庚申塔道標 なかざわ 鎌ケ谷市   石道標(駒型)   享和3(1803) 市石造物 金田p809鎌ケ谷5
/WEB(加来_鎌04)
移設 (台石正面下段)「南/船/ば/し/道」、(台石右面) 「右/か/祢/可/崎」、(台石左面)「左/行/と/く」/正面に「南無妙法蓮華経」、その下に「庚/申/塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
写真 軽井沢の庚申塔道標 かるいざわ 鎌ケ谷市 (落山)<鮮魚道> 石道標(駒型)   文化14(1817) 市石造物 金田p813鎌ケ谷13
/WEB(加来_鎌07)
移設/正面の「青」の下意図T歴に破壊/右側面下部損傷 (右面)「東 志ろ井 □□□」、(左面)「南 かまがや/北 ふじ可や、道」/正面に「(梵字)靑□□□」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 粟野の庚申塔道標 あわの 鎌ケ谷市   石道標(駒型)   天保11(1840)   金田p812鎌ケ谷11
/WEB(加来_鎌06)
原位置? (右面)「、可るいざわ/か満可や、道」、(左面)「、ふじがや/きおろし、道」/正面に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 南佐津間の題目塔道標 みなみさつま 鎌ケ谷市   石道標   文久4(1864)   金田p811鎌ケ谷10
/WEB(加来_鎌05)
台石更新 (正面右下隅)「木おろし/成田山」、(右面)「右、松戸/江戸、道」、(左面)「左、駒木野/ふなばし、道」/正面下部に「南無大師遍照金剛」と陰刻 2
写真 中野牧の野馬捕込
〔鎌ケ谷〕(下総小金中野牧の捕込)・跡
なかの(しもうさ、こがね)、とっこめ 鎌ケ谷市 <小金牧>
(東中沢2丁目、初富本町2丁目、東初富1丁目)
野馬捕込 面積7000㎡?(うち、込Ⅱの面積1100㎡),土手:高3-5m 慶長19(1614) 国史跡 市教委/房総の近世牧跡p26・27・29・32
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
3つの区画のうち第Ⅱ区画がほぼ原形のまま残る/木戸口も残る 千葉県下の野馬捕込遺構の中で唯一の国史跡/『御用書留(1799)』の記述から、当初は溜込のみで、元文年間に捕込を増設したらしいことが推測できる/中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 2 写真
写真 中野牧の野馬土手
〔鎌ケ谷〕・跡
なかの 鎌ケ谷市 <小金牧>
(初富本町)
野馬土手 長280m 慶長19(1614)   WEB(野馬土手~小金牧の残光) 鎌ケ谷総合病院の駐車場と住宅地の間/全貌がよく分かる 初富の捕込に続く「追い込み土手」?/中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 1
  中野牧の野馬土手
〔鎌ケ谷〕・跡
なかの 鎌ケ谷市 <小金牧>
(鎌ケ谷市初富境~松戸市串崎新田)
野馬土手 長140m,土手:高2.8m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p28・32
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
新京成電鉄くぬぎ山車両基地の西側/堀が残る 高さ2.8mは最大級/車両基地の東側にも一部残存/中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 2
写真 中野牧の野馬土手
〔鎌ケ谷〕3(下総小金中野牧の野馬土手)・跡
なかの(しもうさ、こがね) 鎌ケ谷市 <小金牧>
(東初富~初富~初富小学校)
野馬土手 約1.2㎞の中に6ヶ所(長30m,140m,20m,50m,50m,120m)残る,土手:高1.4-2.6m 慶長19(1614) 国史跡 房総の近世牧跡p28・32
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
初富小学校校庭沿いの部分が国史跡 千葉県下の野馬土手の中で唯一の国史跡/勢子土手/中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 2-3
  中野牧の野馬土手
〔鎌ケ谷〕・跡
なかの 鎌ケ谷市 <小金牧>
(初富)
野馬土手 長160m 慶長19(1614)   WEB(野馬土手~小金牧の残光) 北総線北側の畑地の中 初富の捕込に続く「追い込み土手」?/中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 3
  中野牧の野馬土手
〔鎌ケ谷〕・跡
なかの 鎌ケ谷市 <小金牧>
(道野辺中央5丁目~保育園~八幡神社)
野馬土手 長約200m,土手:高(外)1.5m,(内)2.7m,堀:幅約2m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p29・32
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
裾部は削平~樹林中に放置 二重土手/中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 3
  中野牧の野馬土手
〔鎌ケ谷〕・跡
なかの 鎌ケ谷市 <小金牧>
(丸山1丁目~鎌ケ谷1丁目)
野馬土手 長約50m,土手:高1.5m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p29・32
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
塀に囲われた雑木林の中/裾部は削平 中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 4 -
  下野牧の野馬土手
〔鎌ケ谷〕・跡
しもの 鎌ケ谷市 <小金牧>
(鎌ケ谷市鎌ケ谷5丁目~船橋市二和西6丁目)
野馬土手   慶長19(1614)   房総の近世牧跡p35・40
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
断続的、かつ、削平/鎌ケ谷五丁目ふれあいの森 下野牧の捕込から伸びていた野馬土手(捕込自体はほぼ消滅)/下野牧は都市化に伴い急速に消滅 4
写真 和泉の六地蔵道標 いずみ 鴨川市 花蔵院 石道標(笠付き)   享保16(1731)   金田増補p125鴨川3
/WEB(加来_鴨06)
移設、集約 (右面)「是ゟ 清澄道」、(左面)「是ゟ西 大山道」/正面上段に地蔵尊立像3体、下段に同じく地蔵尊立像3体を陽刻→六地蔵としては稀なタイプ 3
写真 小湊の題目塔道標 こみなと 鴨川市 日蓮寺 石道標(尖頭角柱)   天明2(1782)   金田p97-98天津小湊4
/WEB(加来_鴨09)
移設、集約 (左面)「是より 市坂道」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻/いずれの面も枠を残して削り込んだ面に刻字 3
  江見吉浦の地蔵道標 えみ、
よしうら
鴨川市 (新田) 石道標   天明5(1785)   金田p190鴨川2
/WEB(加来_鴨01)
/WEB
Cブロックで3面を囲まれた中 (右面)「左 小松原 十一丁」、(左面)「右 なこ道 八り」/正面に地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
写真 花房の題目塔道標 はなぶさ 鴨川市 蓮行寺参道 石道標(笠付き)   寛政8(1796)   WEB(加来_鴨21) 台石C接合 (右面)「小松原御難御疵洗井之道/是より壱町」/正面を枠状に削り込んで「南無法蓮華経日蓮」と陰刻/下記の井戸との関連 2
  平塚の道標 ひらつか 鴨川市 高倉神社 石道標(尖頭角柱)   文化2(1805)   WEB(加来_鴨15) 刻字が読みづらい (正面)「右 らかん/左 なこ道」 2 -
写真 田原の如意輪観音像道標 たばら 鴨川市   石道標   文政4(1821)   金田増補p126-127鴨川6/WEB(加来_鴨04) 台石C接合 (正面下部)「西 大山道」、(右面)「右、いそむら/前ばら、道」、(左面)「左リ、清すみ/天津、道」/正面上部を光背型に削り込み如意輪観音坐像(一面二臂の半跏思惟像)を陽刻 2
写真 太海浜の三界万霊道標 ふとみはま 鴨川市   石道標(自然石)   文政7(1824)   金田p99天津小湊7
/WEB(加来_鴨10)
C基壇上に集約 (正面右)「右 小松原 那古」、(同左)「左 小湊 清水」/正面に「(梵字)三界萬霊」と陰刻 3
写真 小湊の道標 こみなと 鴨川市 妙蓮寺 石道標   天保12(1841)   金田p98-99天津小湊6
/WEB(加来_鴨08)
立看板を設置するための鉄枠が邪魔 (正面)「高祖日蓮大菩薩/御両親 霊廟/御墓所 みち」 3
写真 清澄寺の町石(丗壹町) せいちょう 鴨川市 清澄寺 町石(尖頭角柱)   宝暦3(1753)   金田増補p22-23天津小湊2/WEB(加来_鴨13) 移設、集約/中央で折損→修復 清澄寺への町石は、順不同なので建立年代順にリスト化/
(正面)「從是 本堂迄 丗壹町」
3 -
  清澄寺の町石(□□町) せいちょう 鴨川市 清澄寺 町石(尖頭角柱)   宝暦13(1763)   WEB(加来_鴨12) 下部埋設 (正面)「從是 本堂迄 □□ 2 -
  清澄寺の町石(廾二町) せいちょう 鴨川市 清澄寺 町石(尖頭角柱)   明和2(1765)   WEB(加来_鴨11) 移設、集約/中央で折損→修復 (正面)「從是 本堂迄 廾二町」/上記「太海浜の三界万霊道標」の横に立つ 3 -
  甚平穴 じんべい 鴨川市 小櫃川 水路トンネル
(河川)
高約5m 天保年間(1830-44)   市教委 本流は暗渠化 小櫃川上流部で唯一の川廻し/甚平という人物が先頭に立って造っことから命名→「甚平」の人物像は不明 2
  東牧の野馬捕込(嶺岡東牧馬捕り場)・跡 ひがし 鴨川市 <嶺岡牧> 野馬捕込 石垣と土手 享保7-10(1722-25)頃   市企画政策課 林道でかなり破壊 嶺岡牧は、戦国時代に起源をもつが元禄地震で被災して衰退→徳川吉宗により享保7(1722)に再興命令/一部石垣で造られた捕込の「土手」は千葉では鴨川市のみ/3室構造 3
  西牧の野馬捕込(嶺岡西牧馬捕り場)・跡 にし 鴨川市 <嶺岡牧> 野馬捕込 土手 享保7-10(1722-25)頃   市企画政策課 仕切り土手はほぼ消滅 嶺岡牧は、戦国時代に起源をもつが元禄地震で被災して衰退→徳川吉宗により享保7(1722)に再興命令/3室構造 3
  西牧の野馬捕込(元名馬捕り場)・跡? もとな 鴨川市 <嶺岡牧> 野馬捕込 石垣と自然地形 享保7-10(1722-25)頃   市企画政策課 保存状態良好 嶺岡牧は、戦国時代に起源をもつが元禄地震で被災して衰退→徳川吉宗により享保7(1722)に再興命令/3室構造でないため捕込だという確証はない/石垣で造られた捕込の「土手」は千葉では鴨川市のみ 1
  嶺岡牧の周回野馬土手 みねおか 鴨川市 <嶺岡牧> 野馬土手(場所により6種類の構造) 周回長27.4㎞,
高0.5-3m
享保7-10(1722-25)頃   市企画政策課 山林中に放置的に残る(現在も調査進行中) 嶺岡牧は、戦国時代に起源をもつが元禄地震で被災して衰退→徳川吉宗により享保7(1722)に再興命令/嶺岡5牧のうち東から東下牧、東上牧、西二牧、西一牧の4牧全体の外周を囲む野馬土手/土手とはいうが、この地域のみ、土だけでなく、土砂、石張り、石積などその地域で調達しやすい材料で構築/全長27.4㎞は飛び抜けて全国最大 2
写真 東下牧の木戸
(大浦木戸)
・跡
ひがししも
(おおうら)
鴨川市 <嶺岡牧> 野馬木戸 土手:高約2m 享保7-10(1722-25)頃   市企画政策課
/嶺岡牧を歩くp26
保存状態概ね良好 嶺岡牧は、戦国時代に起源をもつが元禄地震で被災して衰退→徳川吉宗により享保7(1722)に再興命令/木戸だという確証はないが、もし木戸だとすれば千葉県内では唯一 2
  東下牧の水呑場
(津倉池)
・跡
ひがししも
(つくら)
鴨川市 <嶺岡牧> 野馬の水呑場 享保7-10(1722-25)頃   市企画政策課 保存状態良好 水呑場で残っているものは稀 1
  日蓮上人疵洗いの井戸1 きず 鴨川市 日蓮寺 石井戸   文永元(1264)以前   WEB 丁寧に保存(石柵で囲む)/蓋がしてある 「小松原法難(1264.11.11)」で眉間に3寸あまりの刀傷を負った日蓮上人がこの地で静養した際に傷を洗った井戸の一つ 1
  日蓮上人疵洗いの井戸2 きず 鴨川市 蓮行寺 石井戸   文永元(1264)以前   WEB 丁寧に保存(石柵で囲み石碑が立つ)/蓋がしてある 「小松原法難(1264年)」で眉間に3寸あまりの刀傷を負った日蓮上人がこの地で静養した際に傷を洗った井戸の一つ 1
  日蓮上人疵洗いの井戸3 きず 鴨川市 多聞寺 石井戸   文永元(1264)以前   WEB 丁寧に保存(石柵で囲み屋根を付ける) 「小松原法難(1264年)」で眉間に3寸あまりの刀傷を負った日蓮上人がこの地で静養した際に傷を洗った井戸の一つ 1
写真 日枝神社の津波避難丘 ひえ 鴨川市 (前原) 津波避難所 盛土4.6m
(海抜10m)
慶長9(1605)以降   WEB 海側C擁壁、全面的に改修 慶長大地震(1605)による大きな津波被害を受け、次の津波に備え前原の住民が避難所として構築→元禄大地震(1703)の時、避難所に逃げた人は助かった→地震後に再度盛土 3
写真 吾妻の庚申塔道標 あづま 木更津市 吾妻神社 石道標
(宝珠、笠付き)
  延宝8(1680)   金田増補p48-49木更津5/WEB(加来_木02) 境内に集約 (正面右)「従是 東者」、(正面左)「江戸かいどう」/正面を光背型に削り込み、上部に「奉供養新庚申」と陰刻、右左に上記の道しるべ、下部に三猿の1つ“言わざる”を陽刻/削り込み部のすぐ上に“日月”を陰刻/右面に“見ざる”、左面に“聞かざる”を陽刻/県下で2番目に古い道標 3
写真 茅野の六地蔵道標 かやの 木更津市 善雄寺 石道標
(笠付き、六角柱)
  元禄15(1702)   金田p122-123木更津2
/WEB(加来_木54)
移設/笠破損 (正面から右回りに面2)「これより/ひがし かさもり道/此内 二里□□□」、(面3)「これより 十七里/きた ゑど道」、(面5)「これより 内十八丁 川道/西、たかくら 一里十八丁/かのう道」、(面6)「これより 三里半/南 くるり道 」/各面上部に地蔵立像(蓮台)を陽刻 3
  桜井の供養塔道標 さくらい 木更津市 (峯) 石道標(尖頭角柱)   正徳2(1712)   金田増補p47木更津2
/WEB(加来_木06)
移設、集約 (左面)「これより西 くさふつ道」/正面に「(梵字)爲教覚童子巴」と陰刻 3 -
写真 真里谷の六地蔵道標 まりやつ 木更津市 <東善寺> 石道標
(笠付き、地蔵部六角、下部四角柱)
  正徳5(1715)   金田p128木更津12
/WEB(加来_木53)
笠一部破損 (正面角柱部左)「是より南、久留里道 二里八丁/高蔵へ 二里川有」、(右面角柱部)「是より、東 牛久へ 二里川通/北ハ 江戸於かミち 今富/まで三り 八丁山道」、(左面角柱部)「是より西、木更津迄 三里半/真里弥津川通」/角柱と一体加工された上部の六角柱の各面には地蔵立像(蓮台)の陽刻 2
  下郡の地蔵道標 しもごおり 木更津市 (東久野原) 石道標   享保2(1717)   金田増補p58木更津23
/WEB(加来_木42)
年号刻字の前に杭が接して打ってあり下部が読めない (正面下部)「南」、(右面)「東 此方 かさもりみち」、(左面)「西 此方 たかくらち」、(裏面)「北 此方 木更津みち」/正面頂部を削り込み地蔵立像を陽刻 2 -
  下内橋の道標 げないばし 木更津市 諏訪神社 石道標   享保3(1718)   金田p127-128木更津11 現況不明 (正面下部)「右ハ 久留里/左ハ 笠森」、(右面)「赤坂/すわ原」    
  大稲の地蔵道標 おおいね 木更津市 (山王宿) 石道標   享保4(1719)   金田増補p67木更津41 現況不明 (台石正面)「従是 江戸道」/正面に地蔵像を陽刻    
写真 真里谷の地蔵道標1 まりやつ 木更津市 自性院 石道標(蒲鉾型)   享保6(1721)   金田p124木更津4
/WEB(加来_木57)
保存状態良好 (右面)「是よりひがし 壱丁行、右ハ うしく道 一丁/左ハ こうた道 三十丁」、(左面)「是より、にしハ たかくら道/たかくら 二里半/たつミハ 高滝頓江道 一リ半」/正面を上部半円の矩形に削り込んで地蔵立像を陽刻 1
写真 新宿の聖観音像道標 しんじゅく 木更津市 平等寺 石道標(舟型)   享保6(1721)   金田増補p49木更津6
/WEB(加来_木05)
移設、集約 (光背右端)「さんふきゃう 西光寺右/是より 八町」、(光背左端)「是よりひ可し 江戸ミち ならわ迄/二里」/正面中央に聖観音立像を陽刻 3
  中央の聖観音像道標 ちゅうおう 木更津市 愛染寺 石道標(舟型)   享保6(1721)   金田増補p49-50木更津7 現況不明 (光背右端)「さんふきゃう 西光寺へ右/是より 四町」、(光背左端)「毎年まち かのうへ 四里/是より南 さぬき迄 四里」/正面中央に聖観音立像を陽刻    
  真里谷の地蔵道標2 まりやつ 木更津市 (作畑) 石道標   享保9(1724)   金田p124-125木更津5 祠内 (台石右面)「東ハ かさもり/三里」、(同左面)「南ハ たかくら/二り」/正面に地蔵○像を陽刻(?) 2  
  矢那の地蔵道標 やな 木更津市 (上高田) 石道標(台石のみ)   享保12(1728)   金田増補p51木更津10
/WEB(加来_木32)
台石上の地蔵立像は後補 (台石正面)「右 千ミち/南 高蔵道/左 木更津道」 4 -
写真 東太田の六地蔵道標 ひがしおおだ 木更津市   石道標(笠付き)   享保15(1730)   WEB(加来_木20) 移設、集約 (正面下部)「南、たかくらミち/くるりミち」、(左面下部)「西 きさらづミち」、(裏面)「うしろ, ちばみち/山上がり」/正面、右左の3面上部に地蔵立像を2体ずつ陽刻 3
写真 下烏田の庚申塔道標 しもからすだ 木更津市   石道標   元文3(1738)   金田p133-134木更津22
/WEB(加来_木08)
C基礎(移設)/中央で水平に折損→修復 (右面下部)「是より、かのゝみち/たかくらみち」、(裏面下部)「かのふ道 小糸道/三り」/正面を枠を残して削り込み、青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 3
  真里谷の道標 まりやつ 木更津市 (四本木) 石道標(台石?)   延享2(1745)   金田p138木更津32 恐らく台石のみ残る (正面)「西ハ 高くら道/二里」、(?面)「北ハ かさもり/道 四里」 4 -
写真 下郡の庚申塔道標 しもごおり 木更津市 善鐘寺 石道標   延享4(1747)   金田p126木更津7
/WEB(加来_木51)
移設、集約 (右面)「右 たかくら道」、(左面)「左 かさもり道」/正面中央に青面金剛立像(一面二臂)を陽刻 3
写真 下郡の六地蔵道標 しもごおり 木更津市 善鐘寺 石道標
(笠付き、六角柱)
  宝暦6(1756)   金田p125木更津6
/WEB(加来_木50)
下方で斜めに割裂→修復/C基盤(移設?) (面2)「西 たかくら道」、(面4)「東 かさもり道」/各面上部に「梵字」と地蔵立像(蓮台)を陽刻 3
写真 上望陀の聖観音像道標 かみもうだ 木更津市   石道標   宝暦10(1760)   金田p144袖ヶ浦11
/WEB(加来_袖19)
保存状態良好 (正面右)「是より西/高くら/二り」、(右面)「東 かさもり/七り」、(左面)「北 ちば道/六り」/正面左上に光輪付き聖観音立像を線刻風に陽刻 1
写真 上望陀の地蔵道標 かみもうだ 木更津市   石道標   明和3(1766)   金田増補p54木更津16
/WEB(加来_木35)
地蔵の損傷大 (正面下部)「南 たかくら道/二里」、(右面)「東 ちば道 七里」、(左面)「西 きさらず/二里」/正面上部を光背型に削り込み地蔵坐像を陽刻 2
写真 上烏田の庚申塔道標 かみからすだ 木更津市 八幡神社 石道標   明和4(1767)   金田増補p62-63木更津32/WEB(加来_木19) 移設/頂部破損 (右面)「木更津道 一リ」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿を)陽刻 3
  真里谷の庚申塔道標 まりやつ 木更津市 (作畑) 石道標(駒型)   明和6(1769)   金田p127木更津10 現況不明 (正面下部右)「左 高くら/二リ」、(同左)「右 かさもり/三リ」/正面中央に青面金剛像を陽刻    
写真 太田の道標 おおだ 木更津市 市立金鈴塚遺物保存館 石道標   明和6(1769)   金田増補p60木更津27
/WEB(加来_木15)
移設 (正面)「北 江戸みち」、(右面)「西 木さらづ」、(左面)「東 高くら」 2
写真 畑沢の地蔵道標 はたざわ 木更津市 波岡寺 石道標(丸彫)   安永2(1773)   金田増補p47木更津1
/WEB(加来_木01)
境内に集約/信仰の対象 (台石正面右)「南 さぬきミち」、(同左)「東 こいとミち」/台石上に地蔵坐像(光輪付き)の丸彫を載せる 3
写真 草敷の六地蔵道標 くさじき 木更津市 (久野原) 石道標(尖頭角柱) 高145㎝(うち、台石27㎝),
幅52.5㎝,厚31.5㎝
安永3(1774)   金田p130木更津16
/WEB(加来_木40)
簡易木祠内 (正面像下)「久留りへ 二り」、(右面)「(左指差し袖付き)此方 かさも里へ 五り」、(裏面像下)「たかくらへ 五丁」/正面・左面・裏面の上部に地蔵立像(雲上の蓮台)を2体ずつ陽刻⇒正面の地蔵が一番丁寧に彫ってある(正面のみ錫杖) 1
写真 真里谷の地蔵道標3 まりやつ 木更津市 (野々) 石道標(蒲鉾型)   安永6(1777)   金田p134-135木更津25
/WEB(加来_木59)
保存状態良好 (台石右面)「ま里谷道」、(台石左面)「加も道」/全面に大きく地蔵立像を陽刻した石を載せる 1
  矢那の六地蔵道標1 やな 木更津市 (小長作) 石道標   安永7(1778)   金田増補p50木更津8 現況不明 (正面下部)「かのゝ道」、(左面下部)「高くら道」/正面、右左の3面上部に地蔵立像を2体ずつ陽刻    
  矢那の六地蔵道標2 やな 木更津市   石道標   安永10(1781)   金田p132-133木更津20 現況不明 (正面下部)「これより/きさらづ道」、(右面下部)「これより右/かのゝ道/三り」、(左面下部)「これより東/高くら道/三十丁」/正面、右左の3面上部に地蔵立像を2体ずつ陽刻    
写真 矢那の馬乗り馬頭観音道標 やな 木更津市 (下高田) 石道標(駒型)   寛政6(1794)   金田増補p52木更津11
/WEB(加来_木30)
移設 (右面)「東 此方 ちば寺道」、(左面)「南 高蔵江 六丁」/正面に馬乗り馬頭観音像(四面八臂〔輪宝、剣〕)を陽刻 2
写真 矢那の六地蔵道標3 やな 木更津市 <高倉道> 石道標   寛政6(1794)   金田増補p58-59木更津24/WEB(加来_木33) 保存状態良好 (正面下部)「此方 高蔵寺 八丁」、(右面下部)「此方 國札觀音祢も」、(左面下部)「此方 かのふ山 なご寺 」/正面、右左の3面上部を2ヶ所ずつ光背型に削り込み、地蔵立像をそれぞれ陽刻 1
写真 笹子の地蔵道標 ささご 木更津市   石道標   寛政15(1803)   金田増補p53-54木更津14/WEB(加来_木28) 裏面を除き判読困難 (正面下部)「ちば寺/みち/九リ」、(右面)「西 きさら津 一リ半」、(左面)「東 うしく/四リ」、(裏面)「南、高くら 二リ/鹿野山/四リ」/正面中央を光背型に削り込んで地蔵坐像を陽刻 3
  下郡の聖観音像道標 しもごおり 木更津市 (市神) 石道標(駒型)   文化5(1808)   金田p129-130木更津15 現況不明 (右面)「かさも里道」、(左面)「たかくら道」/正面に聖観音像を陽刻    
写真 笹子の馬頭観音像道標 ささご 木更津市 (かじや坂) 石道標   文化5(1808)   金田増補p65-66木更津39/WEB(加来_木37) 保存状態良好 (正面下部)「南、高くら 一リ/かのふ山 三リ、道」、(左面)「西、木更津 二リ/當所 慈眼寺、道」、(裏面)「北 ちばてら 七リ」/正面上部を光背型に若干削り込み馬頭観音坐像(三面二臂〔馬頭冠〕、蓮台)を陽刻 1
  下郡の地蔵道標 しもごおり 木更津市 善鐘寺 石道標   文化13(1816)   金田p126木更津8 現況不明 (左面)「此方 たかくら道」/正面に地蔵像を陽刻    
写真 犬成の馬頭観音道標 いんなり 木更津市 宝蔵寺 石道標(駒型)   文政5(1822)   金田増補p52-53木更津13/WEB(加来_木29) 境内に集約 (右面)「北方 ちばてらみ 八里/東方 さゝご村 志けん寺 十二丁道」、(左面)「南方、たかくら道 一里/かのふ山道 四里」、(裏面)「西方、矢那むら/まくら寺ミち 一里」/正面に「(梵字)馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 桜井の聖観音像道標 さくらい 木更津市 (奥谷) 石道標   文政5(1822)   金田増補p63木更津33
/WEB(加来_木10)
保存状態良好 (正面下部)「小糸道」、(右面)「きさら津」、(左面)「さくらい」/正面上部に聖観音座像を陽刻 1 -
写真 真舟の聖観音像道標 まふね 木更津市 紅陵高校体育館 石道標   文政7(1824)   金田増補p48木更津3
/WEB(加来_木09)
若干移設? (正面)「北 きさらす/東 たかくら/西 かのふ山/南 古いと」/頂部を光背型に小さく削り込んで聖観音坐像を陽刻 1
写真 真里谷の馬乗り馬頭観音道標 まりやつ 木更津市 (地蔵堂) 石道標(駒型)   文政9(1826)   金田p123-124木更津3
/WEB(加来_木58)
置いてあるだけ (正面)「此方、たかくら/きさらず」、(右面)「此方 いちのミち」、(左面)「此方、かも/おたき、道」/正面「此方」下に馬乗り馬頭観音像(三面八臂)を陽刻 2
写真 請西の地蔵道標 じょうざい 木更津市 長楽寺 石道標(丸彫)   文政10(1827)   金田増補p65木更津38
/WEB(加来_木11)
基礎石とC接合 (正面)「此方 木更津道」、(右面)「此方 かのふ山道」、(左面)「此方 高くら道」/角柱道標の上部は、連続した石材に地蔵坐像を丸彫り 2
  太田の地蔵道標 おおだ 木更津市 郷土博物館 金のすず 石道標   文政10(1827)   金田p122木更津1 現況不明 (正面下部)「此方 木更津」、(右面下部)「此方 かのふ山道」、(左面下部)「此方 高くらみち」/正面上部に地蔵坐像を陽刻    
  下郡の題目塔道標 しもごおり 木更津市 (市神) 石道標   文政11(1828)   金田p129木更津14
/WEB(加来_木46)
右面は「此方」のみ露出、左面もかなり埋設 (右面)「此方 かさもり道 四」、(左面)「此方、高くら道 一り/かのふ山道 三り」/正面中央に「光明真言塔」と陰刻 3 -
写真 桜井新町の道標 さくらいしん 木更津市 (鶴ヶ前) 石道標   文政13(1830)   金田p134木更津23
/WEB(加来_木03)
原位置だが、塀の隙間 (正面)「(右指差し)此方 かのふさん道 三里半/(左指差し)此方 木更津道 弐拾町」、(左面)「(左指差し)此方、峯のやくし/多かくら、ミち、 一町/弐里」 3
  大久保の道標 おおくぼ 木更津市 (踊ヶ谷) 石道標   文政年間(1818-30)   金田増補p62-63木更津30/WEB(加来_木22) 摩耗により刻字の多くが判読不能 (正面)「□□□□」、(右面)「西 てんのミち」、(左面)「南 かの
□□□ち」/正面頂部に小さな光背型の彫込/建立年は、「文政□□□ 十月」なので文政年間
3 -
写真 真里谷の聖観音像道標 まりやつ 木更津市 (四本木) 石道標   天保7(1836)   金田p137-138木更津31/WEB(加来_木55) 最下部埋設 (正面)「此方 笠森道 三里半」、(右面)「従是 真如寺道 八丁」/正面上部に聖観音座像を陽刻 2
写真 下望陀の地蔵道標 しももうだ 木更津市   石道標   弘化2(1845)   金田増補p55-56木更津18/WEB(加来_木34) 若干移動? (正面下部)「十三番/長樂寺」、(左面)「南 た可くら/北 ちばてら」/正面上部を光背型に若干削り込み地蔵座像(蓮台)を陽刻 1
写真 吾妻の道標 あづま 木更津市   石道標   安政5(1858)   金田p134木更津24
/WEB(加来_木04)
中央で水平に折損→手荒く修復 (正面)「(左指差し)吾妻神社」、(右面)「(右指差し)江戸」/頂部に帯状の削り込み、指差し部分は円形に削り込み 3
写真 中烏田の聖観音像道標
(鎌倉街道の示道碑)
なかからすだ 木更津市   石道標(青石) 高約1m,幅約30㎝,厚約20㎝ 江戸期   WEB(鎌倉街道上道)
/WEB(加来_木12)
原位置/判読困難 (正面)「右ハ からす田道/北 かまくら道/左ハ 高くら道」/頂部に聖観音坐像(蓮台)の小さな浮彫/千葉における鎌倉街道研究の出発点となった記念碑的な存在/建立年不明だが江戸後期の可能性が高いことと、学術上の重要性から掲載 2
  井尻の道標 いじり 木更津市   石道標   江戸期   金田増補p56木更津19
/WEB(加来_木26)
移設/判読困難 (正面)「此方 高倉□□」、(右面)「此方 江戸道□□」、(左面)「此方 木更津□□」、(裏面)「此方 不動院□□」/「江戸」の標記は江戸期 3 -
  井尻の地蔵道標 いじり 木更津市   石道標   江戸期   金田増補p60-61木更津28 墓地内 (台石正面右)「東、のさりミち/ふしくミち/中郷」、(同左)「南、ふかしミち/十日市ば わたし/つば起 わたし」、(台石右面)「北、ならわミち/坂戸道/中志ま道」、(台石左面)「西、牛婦く路渡/木更津道」/地蔵は???/「ミち」の標記は江戸期 4  
  矢那の地蔵道標 やな 木更津市   石道標   江戸期   金田p131-132木更津19 現況不明 (台石右面)「東 かのミち」、(同左面)「北ハ きさらず/みち」、(同裏面)「東 たかくら道」/正面に地蔵○像を陽刻??/「ミち」の標記は江戸期    
  伊豆島の六地蔵道標 いずしま 木更津市 (石神) 石道標   江戸期   金田増補p57木更津21 現況不明 (正面下部)「南、たかくらミち/くるりミち」、(左面下部)「西 きさらづミち」/上部に地蔵像を2体ずつ陽刻(?)/「ミち」の標記は江戸期    
写真 俵田の六地蔵道標 たわらだ 君津市 <久留里道> 石道標
(笠付き六角柱)
  元禄2(1689)   金田p113-114君津16
/WEB(加来_君津33)
笠をC接合 (正面下部)「是より北は 江戸おか道なり/是より西ハ 江戸ふなみちなり」/六角の各面上部に地蔵立像を陽刻/17世紀の道標 2
写真 浦田の六地蔵道標 うらた 君津市   石道標
(笠付き六角柱)
  宝永8(1711)   金田p113君津15
/WEB(加来_君津36)
簡易式の祠内 (右面下部)「是よ里右 ぼう/志うながさ道」、(左面下部)「是よ里左 きよ/すミ江の道」/六角の各面上部に地蔵立像を陽刻 2
写真 笹の地蔵道標 ささ 君津市   石道標(丸彫)   正徳5(1715)   金田増補p29君津4
/WEB(加来_君津44)
保存状態良好 (台石右面)「是ゟ右ハ さと村 徒々き」、(台石左面)「是ゟ右ハ ばう志うみち/是ゟ左ハ くるりみち」/台石上に2つ石を置き、その上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる⇒安定性はかなり悪い 1
写真 草川原の聖観音像道標 くさがわら 君津市 三石観音寺 石道標(舟型)   享保12(1727)   金田増補p35君津16
/WEB(加来_君津46)
設置環境不良 (光背頂部)「三石山」、(光背右)「是ゟ南ハ ぼう志うミち」、(光背左)「北ハ くさ加わらミち/くるりへ」/光背中央に聖観音坐像(蓮の花)を陽刻 2
  大戸見旧名殿の地蔵道標 おおとみ、
などの
君津市 (上ノ台) 石道標(丸彫)   享保12(1727)   金田増補p43君津33
/WEB(加来_君津42)
墓地内 (台石右面)「三いし山/ふわての/こゝ 乃と/一里余り/是よリひ可し/きよすミ道/三里余」、(同左面)「是より南ハ/かさはら/ぼう志ふ道/な里かわ/三里あまり/是より北ハ/くるり道/いちば道/二里あまり」/台石の上に地蔵立像の丸彫を載せる 3
写真 戸崎の六地蔵道標 とざき 君津市 (塚ノ越) 石道標(笠付き)   享保17(1732)   金田増補p28-29君津3
/WEB(加来_君津32)
簡易屋根 (正面上部)「かさもり」、(右面上部)「たかくら」、(左面上右)「久留里」/正面と右左面に地蔵立像を2体ずつ陽刻 2
  愛宕の地蔵道標 あたご 君津市   石道標(笠付き)   寛保2(1742)   金田p112君津13
/WEB(加来_君津07)
保存状態良好 (右面)「北、是ゟ西右 ふつ津 六里/是ゟ 愛宕山 八丁」、(左面)「南、是ゟ東 くるり 二十五丁/是ゟ左 かのゝ 二里半」/正面を枠状に削り込んで地蔵立像を陽刻 1
写真 南子安の六地蔵道標 みなみこやす 君津市   石道標(笠付き)   延享4(1747)   金田p107君津3
/WEB(加来_君津02)
移設、集約 (正面中央最下部)「坂下 子安みち」、(右面下部)「東 たかくら道/南 かのうみち」、(左面下部)「北 木更津みち」/正面と右左面の上部に各2体ずつ地蔵立像(光輪、蓮台: 像により錫杖、金剛幢などを持つ)⇒彫りが細かい 2
  久留里の道標 くるり 君津市 市立久留里城址資料館 石道標   寛延4(1751)   金田p112君津14
/WEB(加来_君津08)
移設/正面の像は損壊(もしくは、角柱頂部の突起が丸彫の崩れた跡) (正面右)「是ゟ□□□□」、(右面)「是ゟ北 きさらず道へ/二り」、(左面)「是ゟ西 人見くわんおん道 三十」、(裏面)「是ゟ/北 きさらず道 二り」 3
写真 怒田の道標 ぬだ 君津市 (花立) 石道標 高138㎝ 宝暦4(1754)   金田増補p45君津36
/WEB(加来_君津47)
保存状態良好 (正面)「南ハ きよすみ 三里半」、(右面)「東ハ 山道」、(左面)「西ハ くるり 二里半」、(裏面)「北ハ、うしく 四里/ちやうなん 六里」/右面に「宝暦四年」、左面に「明治十八」の後刻 1
写真 大山野の地蔵道標 おおやまの 君津市 (山田谷) 石道標   宝暦4(1754)   金田増補p33-34君津13/WEB(加来_君津15) Cブロック祠内 (右面)「かのふ道/雪飛山」、(左面)「ふつ津道」/正面に地蔵座像(錫杖)を大きく陽刻 2
写真 大坂の地蔵道標 おさか 君津市 (苅米) 石道標(丸彫)   宝暦8(1758)   金田増補p30君津6
/WEB(加来_君津40)
Cブロック祠内 (台石正面)「北、くるり/きさらす」、(同右面)「西 かのう」、(同左面)「南、三石山/きよすみ、道」/台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 黄和田畑の地蔵祠道標 きわだはた 君津市 (畑) 石道標(石祠)   宝暦8(1758)   金田増補p46君津38
/WEB(加来_君津26)
地蔵は後補? (祠外壁右面)「此方 きよ末み道」、(同左面)「此方 うゑのへ かち道」/祠内に地蔵立像(錫杖)の丸彫、祠上に宝珠付きの屋根 4 -
写真 大井戸の地蔵道標 おおいど 君津市 神宮寺 石道標(丸彫)   宝暦9(1759)   金田増補p38-39君津23/WEB(加来_君津19) 祠内(移設?) (台石左面左)「南 かのゝ道/一里」/台石上に地蔵坐像を陽刻 2
写真 向郷の地蔵道標 むかいごう 君津市 (蟹原) 石道標(丸彫)   宝暦11(1761)   金田増補p30-31君津7
/WEB(加来_君津38)
C基礎(移設) (台石正面)「右 か乃ゝ道/中 小坂村道/左 ばう志う道」/台石上に地蔵半跏坐像の丸彫を載せる 2
写真 戸崎の庚申塔道標 とざき 君津市 (田中) 石道標(笠付き)   宝暦14(1764)   金田増補p43-44君津34
/WEB(加来_君津30)
保存状態良好 (右面)「南 かのう道/北 木更津道」、(左面)「東、かさもり道/くるり道」/正面を光背型に大きく削り込み青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、雌雄の一対の鶏)を陽刻 1
写真 鹿野山の聖観音像道標 かのうざん 君津市 春日神社 石道標(尖頭角柱)   明和3(1766)   金田p106君津1
/WEB(加来_君津01)
移設? (正面下部)「きよすみ/大山ミち/なこてら」、(右面)「東 かのふ山道、くるり/たか倉、道」、(左面)「西、さぬき/若とみ/ふつ津、道」、(裏面)「北 きさらず道」/正面「梵字」下に観音菩薩半跏座像(蓮台)を陽刻/「明和」の下の数値が読み辛いが「丙戌」なので「明和三」 2
写真 三直の庚申塔道標 みのう 君津市   石道標   明和3(1766)   WEB(加来_君津48) 保存状態良好 (右面)「東 たかくら/南 かのゝ、道」、(左面)「北 きさらず道」/正面を枠だけ残して削り込み青面金剛立像(六手剣人、邪鬼)を陽刻 1
写真 大山野の供養塔道標 おおやまの 君津市   石道標(尖頭角柱)   明和5(1768)   金田p108君津5
/WEB(加来_君津03)
移設、集約 (正面左)「西 よし乃ミち」、(右面)「東、中しま/南 さぬき、道」、(左面)「北 きさら津道」/正面に「奉供養地蔵大菩薩」と陰刻 3
写真 大鷲新田の庚申塔道標 おおわし 君津市   石道標(駒型)   明和6(1769)   金田p110-111君津10
/WEB(加来_君津05)
移設→Cブロック小屋内 (正面左下)「東 いちじく 二り」、(右面)「北 きさらず道 二り」、(左面)「南 かのゝ道 二り」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼)を陽刻 2
写真 根本の地蔵道標1 ねもと 君津市 大正寺 石道標(舟型)   明和7(1770)   金田増補p36君津19
/WEB(加来_君津16)
移設、集約 (正面下部の蓮の花びらに1枚ずつ)「南/かのゝ/一リ」/光背全面に地蔵立像(錫杖)を陽刻 3
  大鷲新田の六地蔵道標 おおわし 君津市   石道標(尖頭角柱)   安永7(1778)   金田p111君津11
/WEB(加来_君津06)
移設→Cブロック小屋内/地蔵、刻字とも摩耗 (正面下部)「市宿 二里」、(右面下部)「北 きさらず道 二里」、(左面下部)「南 かのう道 二里」/正面と右左面上部に地蔵立像(蓮台)を2体ずつ陽刻⇒正面の2体が若干大きい 3
写真 根本の地蔵道標2 ねもと 君津市 (大糸) 石道標   安永7(1778)   金田増補p32君津10
/WEB(加来_君津13)
保存状態良好 (正面下部)「南 かのゝみち」、(右面下部)「東 たかくら道」、(左面下部)「西 きさら津道」/正面上部を光背型に削り込んで地蔵坐像(蓮台)を陽刻 1 -
写真 宮下の六地蔵道標 みやのした 君津市 (石畑) 石道標(板碑型)   安永8(1779)   金田増補p33君津12
/WEB(加来_君津14)
Cブロック祠内 (右面下部)「右/かのゝ道」、(左面)「きさらず道」/地蔵立像を正面上部に2体、薄い右左面上部に1体ずつ陽刻(恐らく、裏面に2体あるものと推測) 2
写真 福岡の馬頭観音像道標 ふくおか 君津市   石道標   寛政5(1793)   金田増補p336-37君津20/WEB(加来_君津17) 墓地内 (正面左)「北 木更津/三里半」、(右面)「西 鹿埜山 一リ」、(左面)「東 高蔵 一リ半」/正面中央に馬頭観音座像(三面六臂〔馬頭冠〕)を陽刻 3
  藤林の地蔵道標 ふじばやし 君津市 地蔵堂 石道標(丸彫)   享和2(1802)   金田増補p34-35君津15
/WEB(加来_君津45)
祠内(移設) (台石右面)「三石山 二十八町」、(台石左面)「きよすみ道」/台石上に地蔵坐像の丸彫を載せる 3 -
写真 三田の六地蔵道標1 さんだ 君津市 <久留里道> 石道標(笠付き)   文化2(1805)   金田p114-115君津18
/WEB(加来_君津09)
簡易な屋根付き (正面)「南 くるり 一り」、(右面)「北、あ祢さき 四り/ゑとみち/かさもり 四り」、(左面)「西、たかくら 一り半/きさら須 三り半」/正面と右左面上部を地蔵2体の形に削り込み地蔵立像(蓮台)を2体ずつ陽刻/立派な笠 1
写真 市宿の馬頭観音像道標 いちじゅく 君津市   石道標   文化5(1808)   金田増補p40-41君津28
/WEB(加来_君津22)
下部埋設 (右面)「右 たかくら」、(左面)「左 きさらず」/中央に馬頭観音座像(一面四臂)を陽刻 2
写真 福岡の六地蔵道標 ふくおか 君津市   石道標   文化7(1810)   金田増補p37-38君津21
/WEB(加来_君津18)
墓地内 (右面下部)「かのふ山ミち」、(左面下部)「たかくらミち」/正面と右左面上部を半円光背型に削り込んで地蔵立像を2体ずつ陽刻 3
写真 人見の地蔵道標 ひとみ 君津市   石道標(丸彫)   文化10(1813)   金田増補p44君津35
/WEB(加来_君津25)
Cブロック祠内(集積場) (正面)「左 婦ふ津ミち 一リ/右 きさら津ミち 二リ」/巨大な角柱道標上に小さな地蔵坐像の丸彫を載せる 3
写真 山滝野の地蔵道標 やまたきの 君津市 (四ノ宮) 石道標(尖頭角柱)   文化14(1817)   金田p111-112君津12
/WEB(加来_君津39)
周辺環境不良 (正面下部)「此方 くるり/此方 川谷」、(右面)「北/方、たかくら きさらず」、(左面)「此方 きよすみ/此方 ばう志う 前原」/正面上部を円形に小さく削り込んで地蔵座像を陽刻 2 -
  大野台の地蔵道標 おおのだい 君津市 (五行台) 石道標   文政8(1825)   金田増補p40君津26 堂内(入れない) (正面下部)「くるり道」、(右面)「かのふ山道」/正面上部に地蔵坐像を陽刻 4  
写真 荻作の馬頭観音像道標 おぎさく 君津市   石道標   文政11(1828)   WEB(加来_君津27) 保存状態良好 (正面下部)「かのふさんみち」、(右面)「東 たかくらみち」、(左面)「 西 きさら津ツみち」/正面を枠を残して削り込み、上部に馬頭観音坐像(三面六臂馬頭冠〕、蓮台)を陽刻 1
写真 西原の馬頭観音道標 にしばら 君津市   石道標   天保10(1839)   金田p114君津17
/WEB(加来_君津28)
C基礎 (正面右)「うしく 三り かさもり 四里八丁」、(正面左)「くるり 一り きよすみ 七里」、(左面)「高くら 一り/かのふ山 三り、きさらず 三り」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 六手の道標 むて 君津市 <久留里道> 石道標   天保13(1842)   金田増補p32-33君津11
/WEB(加来_君津11)
C基礎(移設?) (正面)「大師道/是ヨリ 三丁」、(左面)「かのふさん/とおりぬけ」 2
  練木の地蔵道標 ねりき 君津市 (池谷地先) 石道標   天保15(1844)   金田増補p41-42君津30 Cブロック祠内 (台石正面)「西 木更津江ノ道」、(同右面)「南、□□□道/ たかくら道」/正面に地蔵坐像を陽刻 3  
  坂田の道標 さかだ 君津市   石道標   天保15(1844)   金田増補p34君津14
/WEB(加来_君津10)
移設 (正面)「東 かのう山道 三り半/西 富津道 二り」、(左面)「北 木更津道 二り」 2 -
  加名盛の地蔵道標 かなもり 君津市 (上関) 石道標(丸彫)   弘化4(1847)   金田増補p29-30君津5
/WEB(加来_君津43)
墓地内 (台石正面)「右 さと道/南 ばふ志う道/左 久る里道」/台石上に角柱を載せ、さらにその上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 内蓑輪の地蔵道標 うちみのわ 君津市   石道標   江戸期   金田増補p42君津31
/WEB(加来_君津24)
木祠内 (台石正面)「南 かのの山への道/二リ」、(同右面)「右 たかくらミち/あもり 小いと 市道/二リ」、(同左面)「是より北 きさらす道/二リ」/台石上に地蔵坐像(光輪、錫杖)の丸彫を載せる/「ミち」の標記は江戸期 2
  小糸大谷の地蔵道標 こいと、
おおやつ
君津市 (沢田地先) 石道標   江戸期   金田増補p36君津18 現況不明 (台石正面右)「左 高くら/一リ」、(同左)「右 かのゝ/一リ半」/正面に地蔵像を陽刻/施主が「摂州大坂」と刻字されているので江戸期    
  平山用水 ひらやま 君津市 小櫃川 用水路 総延長約20㎞ 天保7(1836)   市教委 改修/素掘トンネルはそのまま残り現役使用 天保3(1832)に和算家・鈴木三郎左衛門、名主・長兵衛ら村中連名で嘆願書→翌年許可→難工事で天保7に完成(藩金と亀山郷52ヶ村の助郷)/用水ができても暮らしは良くならなかった(田の増加に対し、年貢を重くしたと推測される) 3
写真 甲坂下の川廻し(伝宝洞) かぶとざかした(でんぽう) 君津市 亀山湖(笹川) 水路トンネル
(河川)
長約30m 万治年間(1660前後)   市教委(君津市史・自然編p432-433) 舟でしかアクセス不能 小櫃川で最初の川廻し/地元・笹の野村藤右衛門が久留里藩主・土屋利直の許可を得て開削/屈曲した川をトンネルでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる/大規模/湖の一部(全体が水没) 3 写真
  桑田の川廻し くわた 君津市 小櫃川 瀬替え   延宝7(1679)以前   市教委(君津市史・自然編p432-433) 南側の旧河道(水田化)が識別可能 久留里藩主が土屋家の時代(~延宝7(1679))に開削/小櫃川最下流の川廻し/屈曲した川を瀬替えでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる 3
  田面の川廻し たのも 君津市 小櫃川 瀬替え   享保年間(1732頃)   市教委(君津市史・自然編p432-433) 旧河道(水田化)が識別可能 久留里の吉崎重左衛門が開削?/屈曲した川を瀬替えでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる 2
  大録の川廻し だいろく 君津市 小櫃川 瀬替え   寛政年間(1790頃)   市教委(君津市史・自然編p432-433) 旧河道(水田化)が識別可能 藤平久左衛門が開削?/屈曲した川を瀬替えでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる/大規模 2
写真 鍋石の川廻し(濃溝滝) なべいし
(のうみぞ)
君津市 笹川
(上記、伝宝洞より上流)
水路トンネル
(河川)
  江戸末期~近代初頭?   市教委(君津市史・自然編p432-433)/岩屋隆夫 「渓流広場」として整備・保存されている→間近で見られる唯一の川廻しのトンネル 屈曲した川をトンネルでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる/ショートカット分の高低差が人工トンネル内に「濃溝の滝」と呼ばれる滝を造っている 1
  大坂の川廻し おさか 君津市 大坂川 水路トンネル
(河川)
2ヶ所 江戸~近代??   WEB 保存状態良好 屈曲した川をトンネルでショートカットさせ、旧川敷きを新田として利用した→房総半島に多数見られる 1
  久留里の大井戸 くるり 君津市   共同井戸(木枠) 5m×2.2m,
深約8m
寛永年間(1624-44)   WEB 保存状態良好(木部は改修)/周囲をCで固める 掘削当時は久留里で唯一の水源/久留里藩は井戸の敷地を免租地とした 2
  井野長割遺跡の環状盛土遺構 いのながわり 佐倉市   盛土
(マウンド1~4)
マウンド1:長60m,幅30m,高1.5m 縄文後・晩期 国史跡 市教委/WEB 東側の山林内は良好に残る/西側の小学校敷地内は一部残存 印旛沼南岸の台地上に縄文後期・晩期(4000-3000年前)に栄えたムラの跡/縄文人が100年がかりで築いたドーナツ状の盛土群 3
写真 坂戸の地蔵道標 さかど 佐倉市 (並木) 石道標   延享5(1748)   金田p453佐倉5
/WEB(加来_佐19)
祠内 (光背右端)「右 成戸 八日市場 いゝぬま道」、(同左端)「左 成田 なめ川 かしま道」/正面中央に地蔵立像を陽刻 2
  長熊の馬頭観音道標 ながくま 佐倉市 (新堤) 石道標   寛政7(1795)   金田増補p291-292佐倉11/WEB(加来_佐24) 移設? (正面右側)「右 なるた なめ川」、(正面左側)「左 さくらミち」/正面中央に「馬頭觀音」と陰刻 2 -
  坂戸の庚申塔道標 さかど 佐倉市   石道標(駒型)   寛政12(1800)   金田p456佐倉10
/WEB(加来_佐20)
木祠内 (右面)「ちば いど道」、(左面)「をいみ/そがの、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 1
写真 高崎の道標 たかさき 佐倉市   石道標   文化元(1804)   金田p474佐倉52
/WEB(加来_佐23)
原位置 (正面)「(梵字)成田山」、(左面)「是ゟ成田道」 1 -
写真 臼井の道標 うすい 佐倉市   石道標   文化3(1806)   金田p461佐倉22
/WEB(加来_佐11)
移設、集約 (正面)「西 江戸道」、(右面)「南 飯重 生ヶ谷道」、(左面)「東 成田道」 2
写真 臼井台の道標 うすいだい 佐倉市   石道標(尖頭角柱)   文化3(1806)   金田p462佐倉24
/WEB(加来_佐10)
原位置/中央で折損→補修 (正面)「右 成田ミち」、(右面)「左 江戸みち」、(左面)「西 さくば道」 2
  小竹の庚申塔道標1 おだけ 佐倉市   石道標(駒型) 高110㎝,幅29㎝ 文化10(1813)   八千代の道しるべ 11 原位置? (左面)「右ハ 上座 下志津/左ハ 臼井 成田」/正面に「青面金剛王」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻、台石上に独立した蓮台 1
写真 小竹の庚申塔道標2 おだけ 佐倉市   石道標(駒型) 高93㎝,幅29㎝ 文化10(1813)   八千代の道しるべ 09
/WEB(加来_佐04)
台石更新 (右面)「右ハ あおすき 先崎/左ハ 井野 上高野」/正面に「青面金剛王」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻 2
  太田の廻国塔道標1 おおた 佐倉市 摩加神社 石道標   文化14(1817)   金田p472佐倉47
/WEB(加来_佐15)
移設、集約 (右面)「右ハ、大しのつか/やまなし/あさひ」、(左面)「左、こしのつか/まのわたし/いわとミ」/正面に「秩/父、三十四番拝札」と陰刻 3
  先崎の題目塔道標 まっさき 佐倉市   石道標(駒型) 高83㎝,幅28㎝,厚18㎝ 文政2(1819)   八千代の道しるべ 03
/WEB(加来_佐01)
移設、放置に近い (右面)「西、ほしな/志"んぼう、道」、(左面)「東、あをすげ/さくら、道」、(裏面)「南、よなも登/江戸、道」/正面に「二十三夜月光尊」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
  太田の廻国塔道標2 おおた 佐倉市   石道標(板碑型)   文政5(1822)   金田p471佐倉45
/WEB(加来_佐14)
移設/表面摩耗 (右面)「右ハ 六ッ崎 成田道」、(左面)「左ハ 寺崎 さくら道」/正面に「奉納秩父三十四ケ所」と陰刻 3 -
写真 井野の団十郎道標 いの 佐倉市   石道標   天保2(1831)   金田p451佐倉1
/WEB(加来_佐06)
移設、集約 (正面)「成田山道」、(正面右下)「是より北江 半町」、(正面左下)「清水原中有」、右面に「天羽ちち地はかかさまの/清水可那/七台目団十郎敬白」、左面に「成田山御参詣の御方様御信心被遊此清水/御頂戴被成候と御夫人様方ご懐胎被成候事」、裏面に「無疑払御利益を蒙り御信心御方様/屹度御子孫長久大願成就」と陰刻/下記の「井野の廻国塔道標」と同所 3
写真 土浮の題目塔道標 つちうき 佐倉市   石道標(駒型)   天保3(1832)   金田p460-461佐倉21
/WEB(加来_佐12)
原位置? (右面)「右 いゐのみち」、(左面)「左 佐くらみち」/正面に「愛染明王」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1 -
写真 田町の道標 たまち 佐倉市 国立佐倉歴史民俗博物館 石道標   天保9(1838)   金田p480-481佐倉68
/WEB(加来_佐13)
移設/鉄パイプで周囲を保護/刻字に部分彩色 (正面)「従之 飯野観音道/十丁」、(左面)「従之 岩名二王道/十三丁」 3
  井野の廻国塔道標 いの 佐倉市   石道標(自然石)   天保11(1840)   金田p452佐倉3
/WEB(加来_佐07)
移設、集約 (正面上部)「舟橋へ 四里/成田山 五里半」、正面下部に「春駒やここも/小金の原つゞ起」「立ちとまり/たちとまるかや 舞雲雀」の2句、裏面に「日本回國六十六部」と陰刻/上記の「井野の団十郎道標」と同所 3
写真 下勝田の供養塔道標 しもかつた 佐倉市   石道標(駒型)   弘化4(1847)   金田p477佐倉60
/WEB(加来_佐25)
原位置? (正面右下)「向東 吉田 とふ金道」、(右面)「此方、上勝田 高崎/芝山みち」、(左面)「右ハ 佐倉 酒々井 成田道/是より三十丁行 左 直弥 千葉」/正面中央に「奉順禮西國三十三所供養塔」と陰刻 1
  坂戸の供養塔道標 さかど 佐倉市   石道標   嘉永3(1850)   金田p458-459佐倉16
/WEB(加来_佐21)
保存状態良好 (右面下部)「右、おまわたし/さくら/なりた」、(左面下部)「左、山なし/うすい/をふわた」/正面に「秩/父、三十四番供養塔」と陰刻 1
  臼井台の子安観音像道標 うすいだい 佐倉市   石道標   安政4(1857)   金田p463佐倉26
/WEB(加来_佐09)
原位置? (台石正面)「右ハ/さくら/左ハ/くすの木」/正面に子安観音坐像を陽刻→子安観音を全面に彫るのは珍しい 1
写真 井野の聖観音像道標 いの 佐倉市   石道標(駒型) 高109㎝ 安政6(1859)   八千代の道しるべ 02
/WEB(加来_佐05)
保存状態良好 (台石正面右端)「右、かやた/たかもと」、(同左端)「左 大ハた」/台石上に独立した蓮台を置き、その上に聖観音立像の陽刻を載せる→聖観音を全面に彫るのは珍しい 1
  畔田の庚申塔道標 あぜた 佐倉市   石道標(駒型)   万延元(1860)   金田p470佐倉42
/WEB(加来_佐18)
原位置? (右面)「右 ちば 登戸道」、(左面)「左 うちくろだ 山なし道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1 -
写真 小竹の聖観音像道標 おだけ 佐倉市   石道標 高114㎝,幅26㎝,厚14㎝ 文久元(1861)   八千代の道しるべ 10
/WEB(加来_佐03)
道路と逆向きなので移設 (右面右)「右ハ、あをすげ/まつさ起、みち」、(右面左)「左ハ、いのを/かやだ、みち」/正面に聖観音立像を陽刻→聖観音を全面に彫るのは珍しい 2
  馬渡の道標 まわたし 佐倉市 百躰観音道入口 石道標   元治元(1864)   金田p459佐倉17
/WEB(加来_佐16)
原位置、放置に近い (正面)「百躰觀音道」 1 -
  柳沢牧の野馬土手〔佐倉〕
・跡
やなぎさわ 佐倉市 <佐倉牧>
(佐倉市岩富・八街市八街ろの境界上)
野馬土手 長約500m 寛文2(1662)   市教委/房総の近世牧跡p79 佐倉市側が山林で野間土手と判別しにくい 柳沢牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/市街化のによる消滅が進行 4
  椎木門馬出し しいのき 佐倉市 <佐倉城> 馬出し空堀 長辺121m,短辺40mのコの字型,深5.6m
→深3m(復元時)
慶長15(1610) 市史跡 市教委/WEB 後年に埋立て→復元
(ただし、内側にあった堀は復元せず)
佐倉城の縄張りで最も顕著な特徴: 「馬出し」という「固く守りながら出撃するのに適した出入口」を要所に備えた点→その中で最大かつ強力な馬出しが椎木門/味方が出撃する時は援護射撃を行い、敵が来たときには正面と横から防射(by 千田嘉博) 2
写真 山室の庚申塔道標 やまむろ 山武市   石道標(板碑型)   寛政12(1800)   金田増補p156松尾1
/WEB(加来_山武11)
保存状態良好 (右面下部)「北 中台 芝山/東 姨山 横芝」、(左面下部)「西 山室 佐倉」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 1
  板附の庚申塔道標 いたつき 山武市   石道標(板碑型)   寛政12(1800)   金田増補p152-153成東3/WEB(加来_山武04) 放置(山中に半分埋没) (右面)「東 和田むら」、(左面)「西 いわとみ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌)を陽刻 2 -
写真 中津田の庚申塔道標 なかつた 山武市   石道標   文化4(1807)   金田増補p161-162山武2/WEB(加来_山武02) 右上欠損 (正面右下端)「右 板がわ道」、(同左下端)「左 はにや」/正面前面に「青面金剛立像(六手合掌、邪鬼)、頂部左側残存部に“月”の陽刻 1
写真 松尾の供養塔道標 まつお 山武市   石道標   文政12(1829)   金田p258-259松尾16
/WEB(加来_山武08)
移設 (右面頂部)「南」、(右面右端)「南、なるとう 東かね」、「右面左端」「一ノミやミち」、(左面頂部)「北」、(左面右端)「よこ芝 八日市バ」、(左面左端)「おほた ちゃうし」、(裏面)「東、本かしわ はすぬまセ/九十九りはま道」/正面中央に「奉納西國三十三所供養塔」、右面中央に「天照皇太神宮」、左面中央に「金毘羅大權現」と陰刻 2
写真 借毛本郷の地蔵道標 かしけ、
ほんごう
山武市   石道標   天保3(1832)   金田p261松尾21
/WEB(加来_山武09)
地蔵がかなり摩耗 (正面下部)「なるとう とうかね 一の…/やかた いいおか てうし…」、(右面)「此方、はす怒ま/はまミち」/正面上部に地蔵坐像を陽刻 2
写真 上大蔵の廻国塔道標 かみおおくら 山武市   石道標(駒型)   文久3(1863)   金田p253松尾6
/WEB(加来_山武05)
保存状態良好 (正面頂部)「南」、(正面右下)「新泉 成東 東金 一之宮道」、(同左下)「半町行 左リ 下大蔵 早船浜道」、(右面)「東 金尾 古和 谷津 芝山 成田道」、(左面)「西 小川 岩富 江戸道」/正面中央に「奉参詣、伊勢両宮/讃州金毘羅、爲二世安樂也」と陰刻/各面とも枠を残して全面を削り込んでから刻字 1
写真 金尾の廻国塔道標 かんのお 山武市   石道標   安政4(1857)   金田p253-254松尾7
/WEB(加来_山武06)
保存状態良好 (正面右下)「はにや 岩富」、(正面左下)「江戸ミち」、(右面)「此方、上大くら はや船/はまミち」、(左面)「此方、蕪木 よこしバ/てうし道」/正面中央に「奉参詣西國三十三ヶ所、伊勢両宮/讃州金毘羅」と陰刻 1
  古和の道標 こわ 山武市   石道標   江戸期   金田p255松尾10
/WEB(加来_山武07)
設置環境不良 (正面)「西、□□□□□/は 岩とみ 江戸道」、(右面)「東、よこ志ば/八日市バ、てうし道」、(左面)「志ば山/りた」/「江戸」の標記は江戸期 2
写真 富塚の聖観音像道標 とみつか 白井市 鳥見神社 石道標(安山岩) 高83㎝,幅38㎝,厚21㎝ 宝暦7(1757)   市教委(白井町石造物調査報告書2p96)
/WEB(加来_白井04)
移設、集約 (右面)「みぎ/江と道」、(左面)「ひだり/さくば道」/正面上部に聖観音立像を陽刻、その下に「奉納西國秩父坂東順禮百ケ所諸願成就」と陰刻 3
写真 十余一の供養塔道標 とよいち 白井市   石道標(安山岩) 高136㎝,幅53㎝,厚38㎝ 寛政11(1797)   市教委(白井町石造物調査報告書p145)
/WEB(加来_白井12)
移設、集約 (右面)「大も里むら みち」、(左面)「ふさむら みち」/正面に「南無阿弥陀佛」、裏面に「一億供養塔」と陰刻 3
写真 木の庚申塔道標 白井市   石道標
(駒型、安山岩)
高120㎝,幅34㎝,厚24㎝ 享和3(1803)   市教委(白井町石造物調査報告書p168)
/WEB(加来_白井02)
移設、集約/保存状態が非常に良い (右面)「松戸道」、(左面)「行とく道」/正面に「(梵字)靑面金剛」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻、台石正面に“三猿”を陽刻 2
写真 野口の庚申塔道標 のぐち 白井市 愛宕神社 石道標
(駒型、安山岩)
高90㎝,幅40㎝,厚22㎝ 文化3(1806)   市教委(白井町石造物調査報告書1p151)
/WEB(加来_白井01)
移設? (右面)「まつ戸ミち」、(左面)「行とくみち」/正面に「青面金剛王」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻、台石正面に“三猿”を陽刻 2
写真 平塚の庚申塔道標1 ひらつか 白井市 延命寺観音堂 石道標
(駒型、安山岩)
高88㎝,幅33㎝,厚27㎝ 文化12(1815)   市教委(白井町石造物調査報告書3p161)
/WEB(加来_白井09)
移設、集約 (右面)「ふなばし/きをろし、ミち」、(左面)「いつミ新田/な里た、道」、(裏面)「ま津と/江戸、みち」/正面に「青面金剛王」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻、台石正面に“三猿”を陽刻 3
  名内の題目塔道標 なうち 白井市 東光院<河原子街道> 石道標(安山岩) 高126㎝,幅42㎝,厚30㎝ 文化12(1815)   市教委(白井町石造物調査報告書p254)
/WEB(加来_白井06)
移設、集約 (右面)「右、かたやま/ぎやうとく、道」、(左面)「左、しろい/いんざい、道」/正面を火灯窓風に削り込んで「南無阿弥陀佛」と陰刻 3
写真 折立の庚申塔道標 おりたて 白井市 熊野神社 石道標(駒型) 高103㎝,幅31㎝,厚21㎝ 文化13(1816)   市教委(白井町石造物調査報告書2p29)
/WEB(加来_白井07)
移設、集約 (右面)「南、鎌ヶ谷/所澤、道」、正面に「靑面金剛王」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻、最下部に"三猿"を陽刻 3
  平塚の庚申塔道標2 ひらつか 白井市   石道標(駒型) 高105㎝,幅30㎝,厚18㎝ 文政9(1826)   市教委(白井町石造物調査報告書3p227)
/WEB(加来_白井10)
移設、集約、放置 (右面)「右 松戸道/左 白井道」/正面に「青面金剛王」と陰刻、頂部に“日月”、下部に“三猿”を陽刻 4
写真 中の供養塔道標 なか 白井市   石道標(駒型、安山岩) 高100㎝,幅29㎝,厚18㎝ 天保5(1834)   市教委(白井町石造物調査報告書2p224)
/WEB(加来_白井05)
移設、集約/中央で折損→修復 (右面)「北方 と里で/東方 名内 亀成、道」、(左面)「南/西、の方、鎌ヶ谷/松戸、みち」/正面に「(梵字)石尊大權現普門品一万巻成就處」と陰刻 3
写真 平塚の馬頭観音道標 ひらつか 白井市   石道標(安山岩) 高42㎝,幅25㎝,厚13㎝ 天保5(1834)   市教委(白井町石造物調査報告書3p229)
/WEB(加来_白井11)
台石更新/設置環境不良 (右面)「左 うらべ道」、(左面)「右 白井道」/正面に馬頭の陽刻、その下に「観世音」の陰刻 3 -
写真 富塚の不動明王像道標 とみつか 白井市   石道標
(駒型、安山岩)
高86㎝,幅33㎝,厚22㎝ 安政3(1856)   市教委(白井町石造物調査報告書2p89)
/WEB(加来_白井03)
設置環境やや不良 (正面下部)「右/成田山道」、(右面)「右 きを浪し道」/正面上部を全面的に削り込み、剣と羂索を持った一面二臂不動明王坐像を半立体的に浮彫(背景に迦楼羅焔を線刻) 2
写真 河原子の大師像道標 かわらご 白井市   石道標
(蒲鉾型、砂岩)
高73㎝,幅30㎝,厚29㎝ 慶応元(1865)   市教委(白井町石造物調査報告書4p229)
/WEB(加来_白井13)
原位置?/正面左下面が剥離 (右面)「此方、砂久保 富塚/金ヶ作 松戸」、(左面)「此方、河原子 白井/鎌ヶ谷 船橋」/正面頂部を四角に削り込んで弘法大師坐像を陽刻、その下に「南無大師遍照金剛」と陰刻 2
写真 中野牧の野馬土手〔白井〕
(中野牧野馬除土手)・跡
なかの 白井市 <小金牧>
(冨士~鎌ケ谷市立初富小学校西)
野馬土手 長60m,土手:高1m 慶長19(1614) 市史跡 市教委/
房総の近世牧跡p29・32
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
児童公園内/文化財として整備/市内では保存状態が良好なもの 小規模/中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 2
  木のシシアナ・跡 白井市 (木) 落とし穴(土手付) 土手:長30m 江戸期   市教委 穴は埋設/土手が一部現存 設置目的: 説①畑を荒らす鹿などの害獣駆除用、説②牧狩での狩猟獣の捕獲用 4
  今井の水塚 いまい、
みづか
白井市 (今井) (洪水遺産)   江戸期 市有形民俗 市教委/WEB 今井地区に11基残る(うち7基が市指定) 水塚⇒手賀沼の氾濫から生活を守るために築かれた土盛りやその上に建てられた建物の総称 2
  沢山の泉 さわやま 白井市 (谷田) 湧水 2ヶ所,
面積1266㎡
古代?→文政12(1829)の祠   市教委 信仰の対象 日本武尊のみたらしの清水とされてきた 1
  清戸の泉 きよど 白井市 船橋カントリークラブ 湧水   大同年間(806-809) 県史跡 市教委 保存状態良好 大同年間のひどい旱魃の際、旅の僧の勧めで竜神に雨乞いして村人が救われたという伝承がある 1
  みたらしの池   白井市 (白井) 湧水   慶長7(1602)以前 市史跡 市教委 信仰の対象 五穀豊穣、無病息災、眼病治癒に効果があるとされる池の水 2
写真 西小笹の庚申塔道標 にしこざさ 匝瑳市   石道標   元文5(1740)   金田増補p174-175八日市場14/WEB(加来_匝瑳04) 移設、集約/接近して置かれ左面見えない/頂部の笠(?)、台石紛失 (右面)「右ハ 八日市場道」、(左面)「左ハ 當所いゝをか」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌)を陽刻 4 -
写真 木積の地蔵道標 きずみ 匝瑳市 竜頭寺 石道標   寛政5(1793)   金田p283-284八日市場2/WEB(加来_匝瑳01) 移設、集約 (正面)「東、八日市場/大田/てう志」、(右面)「北 さく道」、(左面)「南、いいくら/よこしば、東かね□□」/正面頂部を円形に削り込んで地蔵坐像を陽刻 3
写真 飯倉の庚申塔道標 いいぐら 匝瑳市 (中崎) 石道標(笠付き)   寛政12(1800)   金田増補p171-172八日市場10/WEB(加来_匝瑳02) 山中に放置 (台石正面)「東、よ祢くら/八日市バ/おほだ/ちゃうし/於み川」、(台石右面)「北、いゝたか/なかむら/なりた/さくら/江戸道」、(台石左面)「右、阿らい/しば山」「南、こいけ/は満道」「左、よこしば/そうがね」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)、唐破風の笠に“日月”の陽刻 2
写真 横須賀の供養塔道標 よこすか 匝瑳市 長徳寺 石道標(板碑型)   文化8(1811)   金田増補p176八日市場17/WEB(加来_匝瑳06) 移設、集約/下部埋設 (正面下部右)「此方 今泉」、(同左)「野手 浜道」、(右面)「此方、八日市場 松崎 山くら 多古 成田/かぶらき 樹林寺 小見川 さ」、(左面下部)「此方、かぶ里 ほり川/尾垂 木戸」/正面中央に「西國三十三所霊場供養塔」と陰刻 4
写真 大寺の題目塔道標 おおでら 匝瑳市   石道標   文化10(1813)   金田増補p175八日市場16/WEB(加来_匝瑳05) 移設 (正面右下隅)「飯盛塚」、(同左下隅)「南谷」、(右面)「東、かぶらき 志ゅりんじ/万才 てうし/ふま 小見川、道」、(左面)「西、いゝつか まつ山/八日市バ 東かね、道」、(裏面)「北、大てら いゝた可/まつさき た古/山くら なりた/かとり 江戸、道」/正面中央に「二十三夜塔」と陰刻 2 -
写真 上谷中の供養塔道標 じょうやなか 匝瑳市   石道標(尖頭角柱)   弘化4(1847)   金田増補p174八日市場13/WEB(加来_匝瑳03) 保存状態良好 (正面上部)「南」、(正面下部)「太田 成田/てうし」、(右面上部)「東」、(右面右下端)「川口道」、(左面右側)「西 八日市場 佐倉 江戸道」、(裏面)「北、左 椿 佐原/右 春海 小見川、道」/正面中央に「西國/霊場、供養塔」と陰刻、右面右側に「日光 善光寺供養塔」と陰刻 1
写真 椿の十一面観音像(?)道標 つばき 匝瑳市 (仲荒久) 石道標   安政3(1856)   金田増補p177八日市場19/WEB(加来_匝瑳07) 保存状態良好 (正面)「西 つばき、よこしバ とうか祢/八日市場/さくら 江戸、道」、(右面)「南 ひがしやつ 平木 九十九里道」、(左面)「北 はるみ 万力 小見川 佐原道」、(裏面)「東、左 かまかへ 太田 てうし道/右 さく道」/正面頂部を削り込んで十一面観音坐像(?)を載せる 1
写真 貝塚の馬乗り馬頭観音像道標 かいづか 匝瑳市   石道標(舟型)   江戸期   金田増補p167-168八日市場2/WEB(加来_匝瑳09) 移設、放置 (光背の上部全面)「右 かつさミち/西 江戸 さくら/すぐ/北 飯高 中村/左 八日市場 てうし」/刻字と接するように馬乗り馬頭観音像(一面二臂〔馬頭冠、馬口印〕)を陽刻、馬乗りの馬は頭のみ→最も簡略化された馬乗り像/「江戸」の標記は江戸期 3
写真 下新田~立野の鎌倉街道上総道・跡 しもにった、たての
袖ケ浦市・市原市 <鎌倉街道上総道
(推定ルート)>
道路 長約10㎞ 鎌倉時代? 歴史の道百選 WEB(鎌倉街道上道) 舗装道路 上総の鎌倉街道の中でも一番知られているルート(小櫃川の低地の北側に東西に延びる台地上を通る)/古道としては群を抜いて長い 3 写真
写真 大曽根の六地蔵道標 おぞね 袖ケ浦市 <大雲根寺> 石道標
(笠付き六角柱)
  宝永元(1704)   金田p140袖ヶ浦3
/WEB(加来_袖17)
/市教委
移設/道標部分が影となり見づらい (面1)「北 ちば道 六り」、(面2)「東 くるり 四り」、(面3)「西 たかくら 二り半余」/各面上部に地蔵立像を陽刻/六地蔵道標が多いのは千葉の特徴 3
  川原井の題目塔道標1 かわはらい 袖ケ浦市 (六万坪) 石道標   明和4(1767)   金田p149袖ヶ浦23/WEB(加来_袖28)/
市教委
移設、集約/傾き、上に丸石が置いてある (右面)「左 ひ可し方/い満とミみち/方」、(左面)「右 みなミ/久留里みち/方」/正面に「奉造立地蔵だ菩薩」と陰刻 3 -
写真 神納の地蔵道標 かんのう 袖ケ浦市 (神納新田) 石道標   安永10(1781)   金田p155-156袖ヶ浦38
/WEB(加来_袖16)
/市教委
下部埋設/左面下部判読困難 (正面下部)「南 くるりミち 四り十二丁」、(右面)「東 かさもりみち 六り」、(左面)「西 なかしまミち 三十七丁」/正面上部を光背型に削り込んで地蔵座像を陽刻/年号は「安永十丑年」と刻字(→十五と誤記されている) 2 -
  大鳥居の供養塔道標 おおとりい 袖ケ浦市 勝蔵院 石道標   天明3(1783)   金田p142袖ヶ浦7
/WEB(加来_袖23)
恐らく移設 (正面右)「是より右 ち□□」、(正面左)「是より左/た可」/正面上部を光背型に削り込んで地蔵坐像を陽刻/同下部に「奉納、秩父/西國/坂東、巡礼供養」と陰刻/下記の「大鳥居の馬乗り馬頭観音道標」と並んで建つ 1 -
写真 川原井の題目塔道標2 かわはらい 袖ケ浦市 (高谷台と陣谷台の中間) 石道標(尖頭角柱)   天明8(1788)   金田増補p74袖ヶ浦12
/WEB(加来_袖40)
/市教委
保存状態良好 (右面)「東、右 くるり道/左 うしく道」、(左面)「西、右 江戸道/左 木更津道/正面上部に地蔵坐像を陽刻、その下に「南無阿弥陀佛」と陰刻 1
写真 高谷の供養塔道標 たかや 袖ケ浦市 延命寺 石道標   寛政3(1791)   金田p150袖ヶ浦26
/WEB(加来_袖24)
/市教委
保存状態良好 (正面左)「う志く かさもり道」、(右面)「北 あ祢さき ちばてら道」、(左面)「南 くる里 たかくら道」/正面「東(梵字)」の下に「奉供養 諸國霊場」と陰刻 1
写真 代宿の地蔵道標 だいじゅく 袖ケ浦市 (清水川地先) 石道標   寛政8(1796)   金田p148袖ヶ浦21
/WEB(加来_袖03)
/市教委
下部埋設 (右面)「南 たかくら道」、(左面)「北 ちばてら道」/正面に地蔵座像(錫杖、蓮台)を陽刻、その下に「南無阿弥陀」と陰刻 1 -
  川原井の馬乗り馬頭観音道標 かわはらい 袖ケ浦市 光明寺 石道標(板碑型)   寛政9(1797)   金田増補p73-74袖ヶ浦11/WEB(加来_袖31) 像、刻字とも摩耗 (右面)「東 かさもり道」、(左面)「西 きさらつ道」/正面に馬乗り馬頭観音像(三面六臂)を陽刻 3
写真 林の馬乗り馬頭観音道標 はやし 袖ケ浦市 福田寺 石道標   享和2(1802)   金田p150袖ヶ浦25
/WEB(加来_袖32)
/市教委
移設、集約/斜めに転倒 (右面)「西 きさら津道 三里」、(左面)「東 うしく道 一里半」/正面に馬乗り馬頭観音像(三面六臂)を陽刻 3
写真 今井の三界万霊道標 いまい 袖ケ浦市   石道標   文化元(1804)   金田p145袖ヶ浦14
/WEB(加来_袖12)
/市教委
背面が塀で読みにくい (左面)「左/きさらず道」、(裏面)「是より右 江戸道」/正面に「(梵字)三界萬霊」と陰刻、左面上部に仏座像を陽刻 2
写真 代宿の馬乗り馬頭観音道標 だいじゅく 袖ケ浦市 (二俣) 石道標(駒型) 高120㎝(うち、台石29㎝),
幅39㎝
文化5(1808)   金田p147-148袖ヶ浦20
/WEB(加来_袖02)
/市教委
保存状態良好 (右面)「たかくら道」、(左面)「ちはてら道」/正面に馬乗り馬頭観音像
(三面六臂〔羂索、斧、輪宝、矛〕、像上部に羽衣)を陽刻
1
写真 滝の口の馬頭観音像道標 たきのくち 袖ケ浦市   石道標   文化5(1808)   金田p158袖ヶ浦43
/WEB(加来_袖37)
保存状態良好 (正面下部)「南、高くら 一里/かのふ山 三里、道」、(右面下部)「東」、
(左面下部)「西、木更津 二り/當所慈願寺、道」/正面上部を光背型に削り込んで馬頭観音坐像(三面二臂〔馬頭冠〕、蓮台)を陽刻
1
写真 川原井の庚申塔道標 かわはらい 袖ケ浦市   石道標(墓石型)   文化8(1811)   WEB(加来_袖30) 保存状態良好 (右面)「東 さく/右 上高根、道」、(左面)「南 きさらす」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  大曽根の馬頭観音道標 おぞね 袖ケ浦市 (堀の内) 石道標(尖頭角柱)   文化8(1811)   金田p151袖ヶ浦28
/WEB(加来_袖10)
/市教委
恐らく移設 (左面)「南 たかくら道/二り半/北 ちばてら道/六り」/正面に「馬頭觀音」と陰刻 1 -
  大鳥居の馬乗り馬頭観音道標 おおどりい 袖ケ浦市 勝蔵院 石道標(駒型)   文政2(1819)   金田p141-142袖ヶ浦6
/WEB(加来_袖22)
/市教委
移設 (右面)「此方 ちば寺ミち/七里」、(左面)「此方 高くらみち/一里八丁」、(裏面)「此方 きさら津 二里/うしく 一里」/正面に馬乗り馬頭観音像 (三面六臂〔焔髪、馬頭冠、馬口印、水瓶、輪宝、刀〕)を陽刻/上記の
「大鳥居の供養塔道標」と並んで建つ
2
  上宮田の供養塔道標 かみみやだ 袖ケ浦市 (塩網原) 石道標   文政5(1822)   金田増補p57-58木更津22/WEB(加来_袖35)
/市教委
設置環境やや不良 (正面下部)「此方 たかくら□□」、(右面)「此方 ちばミち 七里」、(左面)「此□ □□□ら津道 二里半」/市データでは、「下宮田・木野根沢境の供養塔道標と記載 2
写真 川原井の道標 かわはらい 袖ケ浦市 (馬の坂上) 石道標   文政13(1830)   金田p158-159袖ヶ浦45
/WEB(加来_袖29)
/市教委
保存状態良好 (正面)「右 いまごみ/左 あねさき」/金田データの「三夜塔」は別物 1
写真 蔵波の道標 くらなみ 袖ケ浦市 外野共同館 石道標   文政13(1830)   金田p148-149袖ヶ浦11
/WEB(加来_袖05)
/市教委
右面上隅部剥落 (正面)「南 た可くら道」、(右面)「北 ちばでら道」、(左面)「西 のだみち」 2 -
写真 久保田の供養塔道標 くぼた 袖ケ浦市 (浜宿) 石道標   天保8(1837)   金田p157-158袖ヶ浦42
/ WEB(加来_袖01)
/市教委
昭和42房総西線電化の際に移設 (右面)「江ど道/ちば寺 四り」、(左面)「左、ぼうしう道/木さらずへ 三り」/正面に「(梵字)海中溺死塔」と陰刻 2
  蔵波の馬頭観音道標 くらなみ 袖ケ浦市 (畑宿) 石道標   天保8(1837)   金田p146-147袖ヶ浦17
/WEB(加来_袖13)
/市教委
移設→個人宅玄関脇/右面の文字判読困難 (右面)「鹿のふ山道」、(左面)「ちばてら道」/正面に「馬頭観世音」と陰刻 3 -
写真 横田の馬頭観音像道標 よこた 袖ケ浦市   石道標(板碑型)   嘉永2(1849)   金田p141袖ヶ浦5
/WEB(加来_袖20)
C基壇(移設) (正面左)「向 ちばてら」、(右面)「右 た加くら」、(左面)「左 くるり」/正面中央に馬頭観音座像(一面二臂〔馬頭冠、馬口印〕)を陽刻 2
写真 奈良輪の地蔵道標1 ならわ 袖ケ浦市 (上奈良輪) 石道標(舟型)   江戸期   金田p146袖ヶ浦15
/WEB(加来_袖14)
C基壇(移設) (正面右)「右、うしく/かさもり、ミち」、(正面左)「左 江戸道」/中央に地蔵立像を陽刻/「ミち」「江戸」の標記は江戸期/舟型ではあるが、通常の「光背」とは異なる/下記「2」と並ぶ 2
写真 奈良輪の地蔵道標2 ならわ 袖ケ浦市 (上奈良輪) 石道標(板碑型)   江戸期   金田p146袖ヶ浦16
/WEB(加来_袖15)
C基壇(移設) (正面右)「右、かさもり/うしく、道」、(正面左)「左 江戸 道」/中央に地蔵立像を陽刻/「江戸」の標記は江戸期/上記「1」と並ぶ 2
  上池 かみ 袖ケ浦市 袖ケ浦公園 溜池 長223m,高5.0m
(改修後)
江戸期   市教委/WEB 平成3に堤体改修 近世文書に記載 3
写真 薗の六地蔵道標 その 館山市   石道標(駒型) 高104㎝,幅47㎝,厚27㎝ 正徳4(1714)   市立博物館 原位置 (右面)「その村ゟ館山迄 三里十六丁」、(左面)「そのゟ松田まて 壱里廿町」(「その」と「ゟ」の間「村」は入っていない)/正面頂部に“光明真言破地獄曼荼羅”、その下の上段に地蔵尊立像3体、下段に同じく地蔵尊立像3体を陽刻/岩にはめ込まれている 1
写真 那古の延命地蔵道標 なご 館山市 (藤ノ木) 石道標(丸彫) 高164㎝,幅56㎝,厚38㎝ 宝暦4(1754)   市立博物館 移設 (台石正面)「右 清澄江 九里/左 大山江 四里」/3段の基壇上に台石を置き、その上に延命地蔵の半跏座像(光輪、錫杖、蓮台)の丸彫を載せる→像容からでは延命地蔵とは分からないが地元の信仰から特定/慶応元(1865)の追刻あり 2
写真 館山の六十六部行者像道標 たてやま 館山市 市立博物館 石道標(板碑型) 高59㎝,幅25㎝,厚18㎝ 宝暦8(1758)   市立博物館
/WEB(加来_館01)
移設(もと、長須賀) (正面)「南 一之宮道」、(右面)「北 國分寺道」/正面下部に六十六部行者像を陽刻→他に例がない 2
写真 作名の廻国塔道標 さくな 館山市 小松寺~観音院 石道標(尖頭角柱) 高64㎝,幅24㎝,厚17㎝ 安永2(1772)   市立博物館
/WEB(加来_館15)
原位置 (右面)「是より すきもとみち」/正面に「(梵字)奉納大乘妙典日本廻國」と陰刻 1 -
写真 竹原の二尊像道標 たけわら 館山市 加茂坂 石道標   天明3(1783)   市立博物館
/WEB(加来_館11)
木の根元の岩窟内(原位置)/上部に水平に亀裂 (正面下部右)「是より左 清澄道」、(同左)「是より右 那古道」/正面上部に聖観音坐像(右)と大日如来坐像(左)を陽刻 2
写真 東長田の題目塔道標
(出羽三山碑)
ひがしながた 館山市   石道標(板碑型) 高60㎝,幅27㎝,厚15.5㎝ 天明4(1784)   市立博物館
/WEB(加来_館16)
原位置 (右面)「向て 杉本道、右 たて山道/左 はま道」/正面を枠だけ残して平らに削り込み「(梵字)、月山/湯殿山/羽黒山」と陰刻 1 -
写真 国分の廻国塔道標 こくぶ 館山市   石道標(板碑型) 高67㎝,幅27㎝,厚17㎝ 寛政10(1798)   市立博物館
/WEB(加来_館03)
原位置/石材表面が摩耗し判読困難 (正面右)「東 きよすみ/南 こくぶん寺、道」、(正面左)「南 一のみ/西 やわたなこ寺、道」/細い枠だけ残し正面全面を削り込み、上部に地蔵坐像(?)を陽刻(この部分のみさらに光背型に削り込み)、その下に「奉納大乗妙典日本廻國」と陰刻 2 -
写真 神余の子安地蔵道標 かなまり 館山市 小網寺~松野尾寺 石道標(舟型) 高67㎝,幅55㎝,厚25㎝ 文化2(1805)   市立博物館
/WEB(加来_館10)
原位置/上部を鉄線で補強 (光背左)「右 くに/ふだみち」/正面に子安地蔵座像を陽刻 1
写真 館山の道標(筆子塚) たてやま 館山市 市立博物館 石道標(自然石) 高53㎝,幅27㎝,厚26㎝ 文政5(1822)   市立博物館
/WEB(加来_館02)
移設(もと、竹原賀) (正面)「向 なごみち/右 きよすみ/左り まる」(「まる=丸」は地名)/加茂村の筆子中が文化15に亡くなった登蓮社高誉の供養のために建てたため、「筆子塚」と呼ばれている 2 -
写真 正木の道標 まさき 館山市   石道標(駒型) 高62㎝,幅32㎝,厚13㎝ 天保6(1835)   市立博物館 原位置 (正面)「(右指差し)横/山、やく志みち」/指差しの陽刻が正面上部ではなく「やく志みち」の陰刻を指すよう左下にあるのが特徴 1 -
写真 川井堀(滝川用水) かわい
(たきがわ)
館山市   用水路 長約1㎞ 18世紀初頭(1711以前)   市教委 旧状を留めた部分あり 万石騒動(1711)の原因を作った北条藩の用人・川井藤左衛門が、藩の財政再建のために米の増産をめざして、滝川の箱橋から用水を開削し、国分の西側の水田域を灌漑/途中に滝川への水落としのためのハヤブテ(下記参照)がある 2
写真 ハヤブテ   館山市   余水吐 2ヶ所 18世紀初頭(1711以前)   市教委 旧状を留めた部分あり 川井堀の水量が多い場合、滝川に戻すための岩盤を開削した水路 2
写真 磯崎湊の波止・跡 いそざき 館山市 船形漁港
<磯崎湊>
石防波堤 長85m 安政5(1858)頃   市教委/WEB/千葉県の産業・交通遺跡p146 台風で崩壊し明治6再建→関東大地震で陸地化 船形港に造られた東西2つの防波堤の名残り→東防波堤は旧岩盤堤をコンクリートで巻き現在の船形突堤に、西防波堤はそのまま陸地化 3
写真 神余の弘法井戸 かなまり 館山市 巴川 井戸   大同4(809)? 県有形民俗 WEB C改修 金丸巨麻太宗光の家臣・杉浦吉之丞の妻が旅僧(弘法大師)に小豆粥を出したところ、粥に塩気がないのを不思議に感じた僧が尋ねると、貧しくて塩が買えないことを告げた。それを聞いた僧が川に下り、錫杖を地面にさして祈祷すると塩水が噴き出したとの伝承 4
写真 前宿町の題目塔道標 まえじゅく 銚子市 青少年文化会館 石道標(自然石)   元文2(1737)   金田p313-314銚子15
/WEB(加来_銚21)
移設(屋外展示)/下3分の1の辺りで水平に折損→修復 (正面右)「右 常世田やくし」、(同左)「左 い於か」/正面中央に「南無阿彌陀佛」と陰刻 2 -
  忍町の題目塔道標 しのび 銚子市   石道標   明和6(1769)   金田増補p216銚子37
/WEB(加来_銚20)
墓地内 (左面)「東 てうし道/西 小見川道」/正面に「(梵字)南無遍照金剛」と陰刻 3
写真 猿田町の庚申塔道標 さるだ 銚子市   石道標(駒型)   安永5(1776)   金田増補p213-214銚子32/WEB(加来_銚18) 移設? (右面)「いわ井不どう 太田道」、(左面)「左 いいおかミち」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼)を陽刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻 2
写真 長塚町の聖観音像道標
(一里)
ながつか 銚子市 神明神社 石道標(尖頭角柱 高90㎝ 天明3(1783)   金田p311-312銚子11
/WEB(加来_銚05)/市教委(銚子街道p56)
原位置 (正面中央)「飯沼觀世音江 一里」、(同右)「右 さくらミち」、(同左)「左 □□□」/正面頂部を円形に削り込み聖観音像を陽刻 1
写真 高田町の聖観音像道標
(二里)
たかだ 銚子市   石道標(尖頭角柱   天明3(1783)   金田増補p208銚子20
/WEB(加来_銚13)
昭和35の道路工事で埋没→平成9発掘・再建 (正面)「飯沼觀世音江 二里」/正面上部を円形に削り込み聖観音立像を陽刻 2
写真 富川町の聖観音像道標
(三里)
とみがわ 銚子市   石道標(尖頭角柱   天明3(1783)   金田p310銚子8
/WEB(加来_銚02)
移設 (正面)「飯沼觀世音江 三里」/正面頂部を円形に削り込み聖観音立像を陽刻 2
写真 宮原町の聖観音像道標
(四里)
みやばら 銚子市   石道標(尖頭角柱   天明3(1783)   金田増補p210銚子25
/WEB(加来_銚15)
台石後補→移設 (正面中央)「飯沼觀世音江 四里」、(同右)「右 かち通り」、(同左)「左 うま道」/正面頂部を円形に削り込み聖観音立像を陽刻 2
写真 諸持町の如意輪観音像道標 もろもち 銚子市 六所神社 石道標   寛政9(1797)   金田p314銚子16
/WEB(加来_銚07)
保存状態良好 (正面下部)「西、志ゆ里んじ/た邊みち」、(右面)「南 いわ井 なる田」、(左面)「北 さゝ川 香取」、(裏面)「東 てうし」/正面上部に如意輪観音坐像(一面二臂の半跏思惟像)を陽刻 1
写真 猿田町の馬乗り馬頭観音像道標 さるだ 銚子市 南坊院 石道標   寛政11(1799)   金田p307-308銚子2
/WEB(加来_銚01)
移設/一部破損 (左面)「左、とこよたみち/いゝをかみち」/正面に馬乗り馬頭観音像(一面二臂)を陽刻 2
写真 西小川町の地蔵道標 にしおがわ 銚子市       文化14(1817)   金田増補p201-202銚子7/WEB(加来_銚09) 墓地内(接近して地蔵が見づらい) (右面)「東 外川道」、(左面)「南 名洗道」/正面に地蔵立像を陽刻 4
写真 清水町の歌碑道標 しみず 銚子市   石道標 高150㎝ 文政4(1821)   金田増補p199銚子1
/WEB(加来_銚08)/市教委(銚子街道p58)
保存状態良好 (右面)「右、かさ可み/あし可志ま、道」、(左面)「左、ふとう/川口明神、道」/正面に和歌「ふだらくや きしうつ/なミハ みくまのゝ/那ちの御山に/ひびくたきつせ」を陰刻 1
写真 垣根町の供養塔道標 かきね 銚子市 仁王尊阿弥陀院 石道標   天保13(1842)   金田p311銚子9
/WEB(加来_銚03)
中央で水平に折損→修復 (右面)「此方 太田 八日市場道」、(左面)「此方 小見川 佐原道」/正面に「西國三十三所供養塔」と陰刻 2
写真 諸持町の道標 もろもち 銚子市   石道標(駒型)   弘化4(1847)   金田増補p210-211銚子26/WEB(加来_銚16) 保存状態良好 (正面)「右/玉子大明神道」、(右面)「従是 十丁余」  1 -
写真 西小川町の廻国塔道標 にしおがわ 銚子市   石道標(駒型)   嘉永4(1851)   金田増補p211銚子27
/WEB(加来_銚17)
原位置? (右面)「此方 なあらひ 外川道」、(左面)「(左指差し)右 いひを可 九十九里道/是方 くわんおん道」/正面に「西國三十三所」と陰刻 1
  三崎町の供養塔道標 みさき 銚子市   石道標   嘉永4(1851)   金田増補p206銚子16
/WEB(加来_銚11)
移設 (右面)「右 な阿らい とかハ道」、(左面)「右 いひを可 かつさ/左 てうし くうわんおん、道」/正面に「(梵字)西國三十三所供養塔」と陰刻 2
写真 中島町の供養塔道標 なかじま 銚子市 (1丁目) 石道標   安政2(1855)   金田増補p208銚子21
/WEB(加来_銚14)
保存状態良好 (右面)「北 高田 野尻みち/南 八木 飯岡みち」、(左面)「西、正明寺 海上堂江 二丁/さる田 いは井みち」/正面に「西國霊場供養塔」と陰刻 1 -
写真 前宿町の道標 まえじゅく 銚子市   石道標(板碑型)   慶応2(1866)   金田p313銚子14
/WEB(加来_銚06)
個人宅? (正面)「右 八木 とこよた道/左 いひお可みち」 4
  外川の碁盤目状街区 とがわ 銚子市 (2・3丁目) 街路   万治元(1658)前後   市教委/WEB 石畳→C舗装/街路の枠組みはそのまま残る 紀州有田郡広村の出身で浦づたいに漁をしながら房総半島に住み着いた崎山治郎右衛門が、湊づくりが一段落した後に碁盤目状の街区の町を整備し、紀州から人を呼び寄せたもの→銚子の漁業の発祥の地 3
  海鹿島の防波堤・跡 あしかじま 銚子市   石防波堤   寛延4(1751)   市教委 現況不明 銚子の豪農・六代目田中玄蕃が、6年と200両を費やして造ったとされる  
  野尻河岸・跡 のじり 銚子市 <利根川> 河岸 船入場:幅18m,長40m 戦国末期?→18初頭から繁華に   市教委(江戸川・利根川水運2p31-33) 船入場→痕跡なし/石塁のみ残る 利根川下流の代表的な河岸の一つ/関東の造醤油仲間で有力な成田組の醤油の江戸への搬送地 4
  名洗運河・掘削跡 なあらい 銚子市 <利根川> 運河   慶長11(1606)   岩屋隆夫 現地に掘削跡が残る 利根川河口の銚子廻り航路を短絡する内陸運河。慶長年に起工し、大半開削を終わったが、名洗浦付近の分水嶺において岩盤露出し、掘削不可能となり慶長11(1606)に中止/元禄11(1698)、天保13(1842)、明治30(1902)にも計画されたが実現せず 4
  七ツ池 なな 銚子市   溜池   正徳年間(1711-15)   市教委 平成12のため池整備事業で7→4に減少 歩行も困難な身障者であった治兵衛の説得で村人総出で築いた溜池(七ツ池の最初の池)/のち、治右衛門が岩堰を築造、延享年間(1744-47)に5つの溜池がすべて完成 4
  おあし坂の切通し   東金市 <御成街道> 切通し   元和元(1615)?   WEB 平成21草刈 御成街道のかつての雰囲気がよく残る 2
写真 油井の地蔵道標 ゆい 東金市 <御成街道> 石道標(舟型)   江戸期   金田p229東金1
/WEB(加来_東金01)
祠内 (光背右)「是ゟ下へ 向 東金道」、(光背左)「是ゟ上へ 向 左倉道」、(左面)「是ゟ西 江戸道」/中央に地蔵坐像を陽刻/「江戸」の標記は江戸期 1 -
  八鶴湖 はっかく 東金市   溜池 周囲約1㎞ 慶長18(1613)?   市教委(東金市史・通史上6p60-61) 小規模な改修 家康の鷹狩りの際の休憩・宿泊所となった東金御殿築造の際、もともとあった「とき池」という小さな池を広げたもの/弁天島の構築は美観のためとも考えられる 2
  雄蛇ヶ池 おじゃが 東金市   溜池 堤長280m 慶長19(1614)   市教委(東金市史・通史上6p58-59) 昭和12の改修で面積が25%増加 計画: 代官・嶋田伊伯/10ヶ町村の耕地を干害から守るため 2
  岩川池 いわかわ 東金市   溜池 3つに分かれている 江戸期    市教委 大規模改修? 田間村の灌漑用溜池として松之郷村に築造→田間村の一等地を松之郷村に提供 3
  黒田しし穴列 くろだ 東金市 (松之郷) しし穴
(楕円形の土坑)
総延長約150m,最大径約2m,深約1m 江戸期 市史跡 WEB/市教委 保存状態良好 しし狩に使用された陥し穴→追い込み猟的な組織的害獣駆除である可能性が高い 2
写真 立沢の庚申塔道標 たつざわ 富里市   石道標(舟型)   延享2(1745)   金田p562富里8
/WEB(加来_富里02)
祠内 (光背右上)「右 成田/海道/左 佐倉」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 高野の子安観音像道標 こうや 富里市   石道標   享和3(1803)   金田p560富里3
/WEB(加来_富里01)
移設、集約 (右面)「右 おか さくら」、(左面)「ひち可へ いハとミ」/正面に子安観音座像を陽刻→子安観音は稀 2
  高野牧の野馬捕込〔富里〕
・跡
こうや 富里市 <佐倉牧>
(十倉)
野馬捕込 面積4000㎡,外周約352.5m,土手:高4m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p70・72
/市教委
平成13に史跡整備 全体にL字形(捕込、溜込、払込の3部屋) 2
写真 内野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
うちの 富里市 <佐倉牧>
(七栄1
野馬土手 長900m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p68 一部の土手が密林化 「七栄1-8)は北から順に、捕込(消滅)に向けて漏斗状に(東が広く西が一点に集まるように)造られ、その形態が良好に残っている/内野牧は南部の富里市を中心に随所に野馬土手が残る(北部は成田ニュータウン造成で消滅) 2
写真 内野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
うちの 富里市 <佐倉牧>
(七栄5
野馬土手 長600m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p68 東法面に樹木が密生 「七栄1-8)は北から順に、捕込(消滅)に向けて漏斗状に(東が広く西が一点に集まるように)造られ、その形態が良好に残っている/内野牧は南部の富里市を中心に随所に野馬土手が残る(北部は成田ニュータウン造成で消滅) 2
  内野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
うちの 富里市 <佐倉牧>
(七栄6
野馬土手 長500m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p68 土手と樹林が一体化 「七栄1-8)は北から順に、捕込(消滅)に向けて漏斗状に(東が広く西が一点に集まるように)造られ、その形態が良好に残っている/内野牧は南部の富里市を中心に随所に野馬土手が残る(北部は成田ニュータウン造成で消滅) 3
写真 内野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
うちの 富里市 <佐倉牧>
(新橋)
野馬土手 長450m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p68 個人業者や田畑に侵食 内野牧は南部の富里市を中心に随所に野馬土手が残る(北部は成田ニュータウン造成で消滅) 3
  内野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
うちの 富里市 <佐倉牧>
(七栄3
野馬土手 長500m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p68 土手と樹林が一体化 「七栄1-8)は北から順に、捕込(消滅)に向けて漏斗状に(東が広く西が一点に集まるように)造られ、その形態が良好に残っている/内野牧は南部の富里市を中心に随所に野馬土手が残る(北部は成田ニュータウン造成で消滅) 3
  内野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
うちの 富里市 <佐倉牧>
(十倉)
野馬土手 長400m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p68 土手と樹林が一体化 内野牧は南部の富里市を中心に随所に野馬土手が残る(北部は成田ニュータウン造成で消滅) 3
写真 内野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
うちの 富里市 <佐倉牧>
(七栄7
野馬土手 長150m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p68 南側が密林化(個人業者の敷地内) 「七栄1-8)は北から順に、捕込(消滅)に向けて漏斗状に(東が広く西が一点に集まるように)造られ、その形態が良好に残っている/内野牧は南部の富里市を中心に随所に野馬土手が残る(北部は成田ニュータウン造成で消滅) 2
  内野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
うちの 富里市 <佐倉牧>
(七栄2
野馬土手 長300m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p68 土手と樹林が一体化 「七栄1-8)は北から順に、捕込(消滅)に向けて漏斗状に(東が広く西が一点に集まるように)造られ、その形態が良好に残っている/内野牧は南部の富里市を中心に随所に野馬土手が残る(北部は成田ニュータウン造成で消滅) 3
  内野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
うちの 富里市 <佐倉牧>
(七栄4
野馬土手 長200m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p68 土手と樹林が一体化 「七栄1-8)は北から順に、捕込(消滅)に向けて漏斗状に(東が広く西が一点に集まるように)造られ、その形態が良好に残っている/内野牧は南部の富里市を中心に随所に野馬土手が残る(北部は成田ニュータウン造成で消滅) 3
  内野牧の野馬土手〔富里〕
10
・跡
うちの 富里市 <佐倉牧>
(七栄)
野馬土手 長200m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p68 土手と樹林が一体化 内野牧は南部の富里市を中心に随所に野馬土手が残る(北部は成田ニュータウン造成で消滅) 3
  取香牧の野馬土手〔富里〕
・跡
とっこう 富里市 <佐倉牧>
(御料)
野馬土手 長600m→140m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p63 開発に伴い順次短縮 取香牧は、明治期になり三里塚御料牧場として馬の種育を続けるが、御料場跡地に成田空港が建設されたことで多くの遺構が消滅した 3
  高野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
こうや 富里市 <佐倉牧>
(御料)
野馬土手 長600m,90m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p72 保存状態良好 L字形/高野牧は、寛文2に取香・高野牧が分割されて成立/全体に保存状態は良い 1
  高野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
こうや 富里市 <佐倉牧>
(十倉)
野馬土手 長475m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p72 保存状態良好 高野牧は、寛文2に取香・高野牧が分割されて成立/全体に保存状態は良い 1
  高野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
こうや 富里市 <佐倉牧>
(十倉)
野馬土手 長425m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p72 保存状態良好 高野牧は、寛文2に取香・高野牧が分割されて成立/全体に保存状態は良い 1
  高野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
こうや 富里市 <佐倉牧>
(十倉~御料)
野馬土手 長50m,300m,50m,250m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p72 断続的 高野牧は、寛文2に取香・高野牧が分割されて成立/全体に保存状態は良い 2
  高野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
こうや 富里市 <佐倉牧>
(御料)
野馬土手 長75m,175m,25m,50m,250m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p72 断続的 高野牧は、寛文2に取香・高野牧が分割されて成立/全体に保存状態は良い 2
  高野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
こうや 富里市 <佐倉牧>
(十倉)
野馬土手 長375m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p72 保存状態良好 高野牧は、寛文2に取香・高野牧が分割されて成立/全体に保存状態は良い 1
  高野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
こうや 富里市 <佐倉牧>
(十倉)
野馬土手 長100m,250m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p72 保存状態良好 高野牧は、寛文2に取香・高野牧が分割されて成立/全体に保存状態は良い 1
  高野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
こうや 富里市 <佐倉牧>
(十倉)
野馬土手 長200m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p72 保存状態良好 高野牧は、寛文2に取香・高野牧が分割されて成立/全体に保存状態は良い 1
  高野牧の野馬土手〔富里〕
・跡
こうや 富里市 <佐倉牧>
(十倉)
野馬土手 長275→100m,100m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p72 中央部が消滅 高野牧は、寛文2に取香・高野牧が分割されて成立/全体に保存状態は良い 2
写真 流山の供養塔道標 ながれやま 流山市 (6丁目) 石道標(尖頭角柱)   宝暦13(1763)   金田p533流山1
/WEB(加来_流01)
移設、集約 (下段台石正面右)「右/小金」、(同左)「布施/左」/正面に「(梵字)奉納大乘妙典六十六部日本廻國供養」と陰刻 3
写真 北の題目塔道標 きた 流山市 香取神社 石道標(尖頭角柱)   文化3(1806)   金田p533流山3
/WEB(加来_流02)
移設、集約 (左面下部)「南江 八町/谷津村江 十五町」/正面に「熊野大權現」と陰刻 3
写真 東深井の庚申塔道標1 ひがしふかい 流山市 <野田街道> 石道標(尖頭角柱)   文化12(1815)   金田p533流山5
/WEB(加来_流04)
保存状態良好 (右面)「右、なり田/ふせ」、(左面)「左、の田/きの、みち」/正面に「(梵字)青面金」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/緑字は異体字 1
写真 東深井の庚申塔道標2 ひがしふかい 流山市   石道標(駒型)   文政5(1822)   金田p533流山6
/WEB(加来_流11)
C台石 (右面)「右 野道」、(左面)「左、布施/成田、道」/正面に「靑面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 西深井の道標 にしふかい 流山市   石道標   文政11(1828)   金田p533流山4
/WEB(加来_流03)
移設?/左面剥離のため読解不能 (正面)「成田山」、(右面)「我孫子/花乃井/大青田/東深井、みち」 3 -
写真 駒木の道標1 こまぎ 流山市 諏訪神社 石道標   天保7(1836)   金田p533流山7
/WEB(加来_流06)
移設、集約 (正面)「右/すハミち」、(左面)「左/のだミち」 3 -
写真 駒木の道標2 こまぎ 流山市 諏訪神社 石道標   安政6(1859)   金田p533流山10
/WEB(加来_流09)
移設 (正面)「東、成田/諏訪、みち」、(右面)「南 なかれ山/西 はくち渡し。ミち」 2
  上野牧の野馬土手〔流山〕
・跡
かみの 流山市 <小金牧>
(南柏2丁目~松ケ丘5丁目)
野馬土手 長約1㎞,土手:高2m以上の部分あり 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p15・24/WEB(野馬土手~小金牧の残光) 保存状態それなりに良好 舌状台地を遮断して造られた土手の代表例/上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 2
写真 上野牧の野馬土手〔流山〕
・跡
かみの 流山市 <小金牧>
(江戸川台東1丁目)
野馬土手 長500m,土手:高0.6-1.5m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p15・24/WEB(野馬土手~小金牧の残光) 江戸川10号公園/緑地帯として保存を前提に整備/破線上に残る 低地を囲って造られた土手の代表例/上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 2
  上野牧の野馬土手〔流山〕
・跡
かみの 流山市 <小金牧>
(駒木台)
野馬土手 長150m,土手:高2m以上の部分あり 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p24/WEB(野馬土手~小金牧の残光) 市街地の隙間に残る 上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 2
写真 上野牧の野馬土手〔流山〕
・跡
かみの 流山市 <小金牧>
(上新宿)
野馬土手 長500m,土手:高1.5m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p15・24/WEB(野馬土手~小金牧の残光) 周辺環境と一体化 享保期以前の牧と村の境界上に築かれた土手/上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 2
  上野牧の野馬土手〔流山〕
・跡
かみの 流山市 <小金牧>
(長崎1丁目)
野馬土手 長200m,土手:高1m以下 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p17・24/WEB(野馬土手~小金牧の残光) 保存状態不良 四重土手→稀な構造/上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 4
  上野牧の野馬土手〔流山〕
・跡
かみの 流山市 <小金牧>
(大畔)
野馬土手 長80m,土手:高約1m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p24/WEB(野馬土手~小金牧の残光) 小規模 上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 2 -
  上野牧の野馬土手〔流山〕
・跡
かみの 流山市 <小金牧>
(十太夫)
野馬土手 長約1㎞→長20m,土手:高1m以下 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p24/WEB(野馬土手~小金牧の残光) 『房総の近世牧跡』では1㎞と記載→豊四季霊園の脇 上野牧は保存されているものと開発で消えていくものに二分 5 -
  藤崎古道 ふじさき 習志野市 (藤崎) 道路   江戸初期以前   市教委 一部残る(土道) 御成街道が造られる以前の道 3
  御成街道・跡 おなり 習志野市 (藤崎) 道路 全長37㎞
(船橋~千葉~八街~東金)
元和元(1615)?   市教委 舗装道路 徳川家康が、慶長18(1613)年12月に、翌年正月に東金で鷹狩りを行うため、東金までの新道築造を佐倉藩主・土井利勝に命じて短期間に築造させたもの→家康が実際に通ったのは元和元(1615)年11月(完成はこの頃?)/東金での鷹狩りの最後は寛永7(1630)/ほぼ一直線 4
写真 実籾の庚申塔道標 みもみ 習志野市   石道標(笠付き) 高157㎝(うち、台石45.5㎝),
幅33㎝,厚26㎝
宝暦3(1753)   八千代の道しるべ 02
/WEB(加来_習02)
移設?、集約 (右面)「北 さくらみち/南 海辺道」、正面を枠を残して削り込み青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻、枠上隅に“日月”の線刻 1
写真 鷺沼の墓碑道標 さぎぬま 習志野市 慈願寺 石道標(墓石)   宝暦8(1758)   金田p504習志野3
/WEB(加来_習04)
移設(墓地内) (左面)「右ハ 江戸ミち」/正面に「(梵字)圓入證悟信士」と陰刻 4
写真 屋敷の供養塔道標 やしき 習志野市 (椰子区) 石道標(尖頭角柱) 高101㎝,
幅30.5㎝,厚20㎝
天保3(1832)   八千代の道しるべ 01
/WEB(加来_習01)
背面が塀で読みにくい (正面最下部中央-左)「(右指差し)たけいしミち/けミがわミち」、(右面)「(右指差し)此方、ミもみ/ながさく、道」、(左面)「(右指差し)」、(裏面)「此方、ミやま/大久保/さぎぬま」/正面上部に「(梵字)、坂東三拾三所/西國三拾三所/秩父三拾四所、百番供養塔」と陰刻 2
写真 本大久保の題目塔道標 もとおおくぼ 習志野市   石道標   安政6(1859)   金田p503-504習志野2
/WEB(加来_習03)
移設/解説板設置 (右面)「西、さぎ沼/久々田、江戸道」、(左面)「東、まくわい/けみ川、かづさ道」/正面に「二十三夜塔」と陰刻 2
  下野牧の野馬土手
〔習志野〕・跡
しもの 習志野市 <小金牧>
(泉3丁目~関東財務局習志野第2住宅)
野馬土手 長60m,高1.5m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p35・40
/市教委
現況不明 下野牧は都市化に伴い急速に消滅   -
写真 甚兵衛渡しの松 じんべえ 成田市 甚兵衛公園
<宗吾街道/印旛沼>
松並木   江戸初期   現地調査/WEB 保存状態やや不良 佐倉藩の重税を幕府に直訴するため江戸に向かう佐藤惣五郎(直訴は実ったが一家は死罪)を乗せた渡し守・甚兵衛(入水自殺)の名に由来する渡し(伝承) 2
  水掛の成田山常夜灯 みずかけ 成田市   石常夜灯   天保3(1832)   金田p533成田16
/WEB(加来_成田17)
中台から上が欠損 (竿)「成/田/山」、(台石正面)「右/成/田/道」 4 -
  高の題目塔道標 たか 成田市   石道標   正徳2(1712)   金田p371下総3
/WEB(加来_成田02)
設置環境やや不良 (右面)「是より 西 なの□□」、(左面)「是より 東 佐原□□」、(裏面)「南」/正面に「南無阿弥陀□□」と陰刻 2 -
  玉造の供養塔道標 たまつくり 成田市 (4丁目) 石道標(駒型)   正徳2(1712)   金田p542成田36
/WEB(加来_成田56)
移設、集約 (正面下部)「東 成田加ち道/南 佐倉海道/西 印西道/龍角寺海道」/正面右端に「奉納三千堂供養成就所」と陰刻 3 -
  下金山の供養塔道標 しもかなやま 成田市   石道標   享保3(1718)   金田p538成田27 現況不明 (正面下部右)「是よりきた なめ川みち」、(正面下部左)「是よりひがし なりたみち/にし なりたかちみち」/正面上部に「爲迎福利山菩提」と陰刻    
写真 名古屋の六角道標 なごや 成田市   石道標(六角柱)   元文2(1737)   金田増補p249下総3
/WEB(加来_成田08)
移設 (面1)「中ハ なめ川みち」、(面2)「南 なり田みち」、(面3)「ひかし たこミち」、(面4)「ひし 源田みち」、(面5)「きた なりたミち」/専用道標で六角柱は稀 3
写真 成田の道標1 なりた 成田市 成田山霊光館 石道標(蒲鉾型)   元文5(1740)   金田p547成田46
/WEB(加来_成田39)
保存状態良好 (正面)「(梵字)、右 さくらみち/左 なりたみち」 1 -
  赤荻の道標 あかはぎ 成田市 稲荷神社 石道標   宝暦3(1753)   金田p537-538成田26 現況不明 (正面下部)「南 成田みち」、(右面)「此方 さわらミち」、(左面)「此方 なめ川ミち」    
写真 伊能の題目塔道標 いのう 成田市   石道標   宝暦13(1763)   金田増補p255-256大栄7/WEB(加来_成田61) 設置環境不良 (右面最下部)「左、いのう/多こ」、(左面最下部)「右、まつこ/きちを可/志ばやま」、(裏面最下部)「などむら/かうざき/阿ば道」/右面に「爲三界萬霊菩提」、裏面に「南無阿弥陀佛」と陰刻 3
写真 小泉の三界万霊道標 こいずみ 成田市   石道標   明和3(1766)   金田p538成田28
/WEB(加来_成田47)
移設 (正面最下部右)「右、さわら/かんとり、ミち」、(同左)「左、はたや/なめ川、ミち」/正面上部に「(梵字)三界萬霊」と陰刻/下記「小泉の題目塔道標」と並んで立つ 2
  津富浦の道標 つぶうら 成田市   石道標   明和3(1766)   金田p379-380大栄2 現況不明 (正面)「西、つぶら/とうか山/かふさき、道」、(右面)「南、きちおか/なりた/ゑどミち」、(左面)「北、まつこ/いのふ/さわら、道」    
写真 松崎の勢至菩薩像道標 まんざき 成田市   石道標(蒲鉾型)   明和7(1770)   金田p527-528成田4
/WEB(加来_成田35)
移設→ブロック塀の中 (台石正面)「成田道」、(同右面)「右ハ/龍角寺」、(同左面)「左ハ/安食道」/台石の上に独立した蓮台を置き、その上に頂部が半円形になった板碑表面に勢至菩薩立像を陽刻(合掌しているため聖観音菩薩ではなく勢至菩薩だが、本来、阿弥陀三尊の右脇侍である勢至菩薩が単独で祀られることは稀) 3
写真 荒海の題目塔道標 あらうみ 成田市   石道標   明和9(1772)   金田p532成田15
/WEB(加来_成田20)
移設? (正面右)「東 飯岡山永」、(正面左)「西 甚深内」、(右面)「北 此方 滑河」、(左面)「南 此方 成田…」/正面に「(梵字)奉唱読光明眞」と陰刻 2 -
写真 芦田の題目塔道標1 あしだ 成田市   石道標   安永4(1775)   金田p537成田25
/WEB(加来_成田28)
保存状態良好 (正面下端)「滑/川/道」、(右面)「右 成田道」、(左面)「左 八日市場道」/正面に「歸峯…優婆塞」と陰刻 1 -
写真 荒海の不動明王像道標 あらうみ 成田市   石道標   安永5(1776)   金田p532成田14
/WEB(加来_成田21)
保存状態良好 (台石正面)「成/田/道」/台石上に不動明王座像(背景に迦楼羅焔を刻み、その前に剣と羂索を持った一面二臂の不動明王が磐石上に座す) 1
写真 竜台の庚申塔道標 たつだい 成田市   石道標(駒型)   安永6(1777)   金田p555成田65
/WEB(加来_成田12)
保存状態良好 (右面)「東ハ なりた道」、(左面)「西ハ 矢口村 一ノ宮/北ハ 舟わたし、道」、(台石正面)「南/地蔵道」/正面に青面金剛立像(頂部に日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 1
  竜台の道標1 たつだい 成田市   石道標(板碑型)   天明2(1782)   金田p552-553成田60
/WEB(加来_成田10)
移設? (右面)「此方 なめ川道」、(左面)「此方、なめ川へ/地蔵尊道/かけこし」/下記「竜台の道標2」と並ぶ 2 -
  竜台の道標2 たつだい 成田市   石道標   天明2(1782)   金田p553成田61
/WEB(加来_成田11)
移設? (正面)「此方 龍角寺道」、(右面)「此方 舩わたし道」、(左面)「此方 一ノ宮道」/上記「竜台の道標1」と並ぶ 2 -
写真 高の聖観音像道標
(十二里)
たか 成田市   石道標(尖頭角柱)   天明3(1783)?   金田p370下総2
/WEB(加来_成田01)
地蔵堂内 (正面)「飯沼觀世音江 十二里」/正面頂部を円形に削り込んで聖観音(?)立像を陽刻/銚子市、東庄町にある「一里」~「五里」の延長線上/「天明」としか分からないが、他の里程道標がすべて天明3なので、恐らく同じ建立年 2
写真 吉倉の題目塔道標 よしくら 成田市   石道標(板碑型)   寛政2(1790)   金田p553-554成田62
/WEB(加来_成田44)
保存状態良好 (右面)「右ハ てらだいミち」、(左面)「左ハ、なりた/さくら、かちみち」/正面は枠だけ残して平坦に削り込み「奉讀誦…」と陰刻 1
写真 成田の庚申塔道標 なりた 成田市 成田山霊光館 石道標(駒型)   寛政2(1790)   金田p549成田51
/WEB(加来_成田40)
C基礎 (正面下部右)「右 なめ川」、(同左)「左 あぢき」/正面上部に「青面金剛明王」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 山口の題目塔道標 やまぐち 成田市   石道標(駒型)   寛政6(1794)   金田p556成田68
/WEB(加来_成田53)
移設、集約 (正面下部)「成田道」/正面上部に「奉待廿三夜」と陰刻、頂部に竜(?)の陽刻 3
写真 小野の道標 おの 成田市   石道標(駒型)   寛政7(1795)   金田p372下総5
/WEB(加来_成田03)
保存状態良好 (正面)「(梵字)らくまんじ、なぎ/おふすかじ」、(右面)「大わた、十三まく/あば、じ」、(左面)「西、たかおか/なめかわ」 1 -
  幡谷の観音道標 はたや 成田市   石道標   寛政7(1795)   金田p534-535成田20 現況不明 (右面)「此方 こいずみ たこ海道」、(左面)「此方 つちむろ すけさき道」/正面に「南無大悲観世音」と陰刻    
  飯岡の題目塔道標 いのおか 成田市   石道標(板碑型)   寛政10(1798)   金田p533-534成田18
/WEB(加来_成田16)
移設、集約 (右面)「南 なりたミち」、(左面)「北 なめかわ道」/正面に「(梵字)南無観世音」と陰刻 2 -
写真 小泉の廻国塔道標 こいずみ 成田市   石道標   寛政11(1799)   金田p538-539成田29
/WEB(加来_成田48)
移設 (正面最下部中央)「南、なりた/さくら、道」、(同右)「右、さハら/かとり、道」、(同左)「左、なめ川/あば、道」/正面上部に「(梵字)奉納、四圀西國/秩父坂東、成就塔」と陰刻/上記「小泉の三界万霊道標」と並んで立つ 2
  幡谷の供養塔道標 はたや 成田市   石道標   寛政11(1799)   金田p534成田19
/WEB(加来_成田15)
移設、集約 (正面左)「此方、こいづみ/たこミち」、(右面)「此方、なめかわ/あハミち」、(左面)「いいづか/なりた」/正面中央に「念仏一徳四百万遍供養」と陰刻 2 -
  大清水の庚申塔道標 おおしみず 成田市 遷宮神社 石道標(駒型)   寛政12(1800)   金田p539-540成田31 移設、集約/現況不明 (右面)「東 とつこう/南 はたけた」、(左面)「西 なりた/北 いまいの」/正面に青面金剛像を陽刻    
写真 西和泉の供養塔道標 にしいずみ 成田市   石道標(尖頭角柱)   享和3(1803)   WEB(加来_成田31) 移設 (正面右)「正面ハ たこ 八日いちば道」、(左面)「此方 芦田 滑川道」/正面中央に「(梵字)奉讀誦普門品一万巻…供養塔」と陰刻 2
写真 芦田の供養塔道標1 あしだ 成田市   石道標   文化元(1804)   金田p531成田12
/WEB(加来_成田26)
保存状態良好 (右面)「此方 成田道」、(左面)「此方 なめ川道」/正面に「奉読誦普門品一萬巻供養塔」と陰刻 1
写真 芦田の題目塔道標2 あしだ 成田市   石道標(尖頭角柱)   文化2(1805)   金田p530成田10
/WEB(加来_成田24)
保存状態良好 (正面下部)「(梵字)なりた道」、(左面)「(梵字)なめかわ道」/正面上部に「月待満願成就/普門品一萬巻」と小さく陰刻 1
  台方の供養塔道標 だいかた 成田市   石道標   文化8(1811)   金田p544-545成田41 現況不明 (右面)「右江 弁須 こくら蔵□□」、(左面)「左 なり田 なめ川□□」/正面に「奉納西國秩父坂東供養□□…」と陰刻    
写真 芦田の供養塔道標2 あしだ 成田市   石道標   文化11(1814)   金田p530成田9
/WEB(加来_成田25)
C台石 (右面)「右 なりた かち道」、(右面左下隅)「是ゟ 壱里十四丁」、(裏面)「左 なめかわ道」、(裏面左下隅)「是ゟ 壱里廿二丁」/正面に「(梵字)奉読誦普門品一千部供養塔」と陰刻 2
  野毛平の供養塔道標 のげだいら 成田市   石道標   文化11(1814)   金田増補p330成田4 現況不明 (右面)「西ハ さくば道」、(左面)「北 あした なめ川/南 小すげ 大山、道」/正面に「南無法蓮華経 一千部 供養塔」と陰刻    
写真 宝田の阿弥陀如来像道標 たからだ 成田市   石道標   文政4(1821)   金田p528-529成田6
/WEB(加来_成田32)
保存状態良好 (右面)「西 大師/北 矢口、道」、(左面)「南 なりた道」/正面上部に阿弥陀如来坐像を陽刻→阿弥陀如来はきわめて珍しい 1
  押畑の如意輪観音像道標 おしはた 成田市   石道標   文政6(1823)   金田p528成田5 現況不明 (正面下部)「此方 なりたミち/此方 なめ川みち」、(左面)「右/左、さくらミち」/正面上部に如意輪観音の半跏(?)坐像を陽刻    
写真 猿山町の地蔵道標 さるやま 成田市   石道標   文政9(1826)   金田増補p248下総1
/WEB(加来_成田07)
アスファルト舗装上 (右面)「西、なめ川 七沢村/木下道」、(左面)「北、らく満んじ/香取道」/正面上部に地蔵(?)坐像を陽刻/天保4(1833)の後刻あり 2 -
写真 松子の地蔵道標 まつこ 成田市 <成田道> 石道標   文政10(1827)   金田増補p258大栄11
/WEB(加来_成田64)
保存状態良好 (右面)「西 きちをか なり田」、(左面)「東 いのう さわら」、(裏面)「南、うすく里/ひとつぼた/まいはやし、道」/正面頂部を四角に削り込んで地蔵坐像を陽刻/寛政10(1798)、寛政13(1801)の後刻あり 1
写真 成田の題目塔道標 なりた 成田市   石道標   文政10(1827)   金田p549成田52
/WEB(加来_成田38)
C台石/道しるべの刻字に白彩色 (正面中央)「(梵字)左 成田道」、(右面)「此方 さくらミち」、(左面)「右 なめかわみち/二里半」/正面に「光明真言壱百五拾/萬遍成就當道昶」と陰刻 3 -
写真 松崎の題目塔道標 まんざき 成田市   石道標   文政13(1830)   金田p526成田2
/WEB(加来_成田34)
保存状態良好 (右面)「右 なりたみち」、(左面)「左 里うかくじ あじき」/正面に「印旛沼/出現、善導大師」と陰刻 1
  松崎の庚申塔道標 まんざき 成田市   石道標(板碑型)   天保7(1836)   金田p527成田3 現況不明 (正面左)「南 さくら道」、(右面)「成田山不動尊」、(左面)「西 あじき 龍角寺道」/正面に「庚申金剛王」と陰刻    
写真 西和泉の聖観音像道標 にしいずみ 成田市   石道標   天保14(1843)   WEB(加来_成田29) 保存状態良好 (左面)「此方、すげさ起/らくまんじ、道/頂部を円形に削り込み聖観音坐像(蓮の花、蓮台)を陽刻、その下に「西國/秩父/坂東、奉讀誦普門品供養塔」と陰刻 1
写真 成毛の八角道標 なるげ 成田市   石道標(八角柱)   天保15(1844)   金田p536成田23
/WEB(加来_成田46)
保存状態良好 (面2)「此方 なりたミち」、(面6)「此方 すげさ起道」、(面8)「此方 こいづミち」/面1に「孝心」と大きく陰刻/四角柱を面取りして擬似八角形にしたもの→面取り部に道しるべを陰刻→他に例がない 1
写真 吉岡の題目塔道標 よしおか 成田市   石道標   嘉永4(1851)   金田p379大栄1
/WEB(加来_成田59)
保存状態良好 (右面)「此方 なり田 江戸道」、(左面)「此方 さハら かとり かしま道」/正面に「南無遍照金剛」と陰刻 1
写真 土屋の供養塔道標 つちや 成田市   石道標(板碑型)   嘉永5(1852)   金田p546成田45
/WEB(加来_成田57)
C台石 (左面)「此方、右 あじき 龍さ起/左 なりた さくら 江戸」/正面に「西國/坂東、奉順禮供養塔」と陰刻 2
写真 伊能の廻国塔道標 いのう 成田市   石道標(駒型)   嘉永5(1852)   金田増補p256-257大栄9/WEB(加来_成田62) 保存状態良好 (正面下部)「此方、た古/八日市場、道」、(右面)「此方、下田/さくら田、道」、(左面)「此方、いのふ/かうさ起、道」/正面頂部に「花/山/院」と陰刻し枠で囲み、その下に「奉參宮」と陰刻 1
写真 成田の地蔵(?)道標 なりた 成田市 成田山霊光館 石道標(駒型)   嘉永5(1852)   金田p548成田49
/WEB(加来_成田42)
移設、集約 (正面下部)「南 」、(右面)「東 な」、(左面)「北 矢」/正面上部に地蔵(?)座像を陽刻 3 -
写真 成田の道標2 なりた 成田市 成田山霊光館 石道標(板碑型)   安政2(1855)   金田p547成田47
/WEB(加来_成田43)
移設 (正面)「左、なめ川/ちかミち」 2 -
  上町の供養塔道標 かみ 成田市   石道標(尖頭角柱)   安政3(1856)   金田p546成田44
/WEB(加来_成田50)
設置環境不良 (右面)「あじき」、(左面)「さくら」/正面に「西國/秩父/坂東、供養塔」と陰刻 3 -
写真 並木町の馬頭観音像道標 なみき 成田市   石道標(駒型)   安政5(1858)   金田p545成田43
/WEB(加来_成田58)
修景 (右面最下部)「酒々井町/通りぬけ」/正面上部に馬頭観音坐像(一面二臂)を陽刻、その下に「馬頭觀世音」、左脇に「宗吾霊神」と陰刻 1
写真 成田の道標3 なりた 成田市 新勝寺稲荷社 石道標 高296㎝(うち、基壇75㎝),
幅36㎝,厚35㎝
万延2(1861)   金田p549-550成田53
/WEB(加来_成田37)
刻字に朱彩色 (正面)「右 成田道」、(左面)「左 いんはぬ満道」/3段の台石上に四角柱を載せ、頂部に三面に成田山新勝寺の寺紋を陽刻した石彫刻を置く 1
写真 大和田の金毘羅道標 おおわだ 成田市   石道標(駒型)   慶応3(1867)   金田p373下総7
/WEB(加来_成田04)
保存状態良好 (右面)「此方 奈免川 成田山 木おろし」、(左面)「此方 香ざき さハら 香取」/正面に「金毘羅大権現」と陰刻 1
写真 三里塚の道標 さんりづか 成田市   石道標(板碑型)   江戸期   金田p540成田32
/WEB(加来_成田49)
アスファルト舗装上 (正面下部右)「なりた」、(同左)「なめ川」、(右面)「此方、ねこな/さくら/江戸」、(左面)「此方、加茂川/多古/てうし」、(裏面)「此方、志ば山/九十九り」 2
写真 伊能の道標 いのう 成田市 (鶴巻) 石道標   江戸期   金田増補p264-265大栄25/WEB(加来_成田67) 保存状態良好 (正面)「香取神宮、さハら/てうし、道」、(右面)「此方、なりたさん/吉岡 江戸、道」、(左面)「此方、多古 八日市ば道」/「江戸」の標記は江戸期 1 -
写真 滑川の道標 なめがわ 成田市   石道標   江戸期   WEB(加来_成田73) 基礎が露出→移設・仮設置 (正面)「東、なめかわ/なりた、ミち」、(右面)「北 さくら、あば/てうし、ミち」、(左面)「南 さくミち」、(裏面)「西 きおろしミち」/「ミち」の標記は江戸期 3 -
  取香牧の野馬捕込〔成田〕
(南三里塚五十石込)・跡
とっこう、
とっこめ
成田市 <佐倉牧>
(南三里塚)
野馬捕込 面積3800㎡,80m×32m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p59・60
・63
杉林と雑草に覆われている 北から溜込、捕込、払込の3室が連続(すべて四角) 4
写真 矢作牧の野馬土手〔成田〕
・跡
やはぎ 成田市 <佐倉牧>
(成田市大栄十余三と多古町飯笹の境界上)
野馬土手 長1700m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p56 保存状態概ね良好/野間土手らしい残り方ではない 延長1700mは最大級/大栄十余三地区に大型野馬土手が集中/矢作牧は佐倉七牧中最大の牧で、田園地帯のため大型の野馬土手が数多く残っている 3
写真 矢作牧の野馬土手〔成田〕
・跡
やはぎ 成田市 <佐倉牧>
(成田市横山と香取市福田の境界上)
野馬土手 長190m,950m,120m,土手:高1m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p56 長950mの区間は数か所で断続/背が低い/木が生えておらず、単独の土手が残るので雰囲気は留める 矢作牧は佐倉七牧中最大の牧で、田園地帯のため大型の野馬土手が数多く残っている 3
  矢作牧の野馬土手〔成田〕
・跡
やはぎ 成田市 <佐倉牧>
(一坪田~前林)
野馬土手 長900m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p56 断続的に残る 矢作牧は佐倉七牧中最大の牧で、田園地帯のため大型の野馬土手が数多く残っている 3
  矢作牧の野馬土手〔成田〕
・跡
やはぎ 成田市 <佐倉牧>
(大栄十余三)
野馬土手 長600m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p56 保存状態良好 大栄十余三地区に大型野馬土手が集中/矢作牧は佐倉七牧中最大の牧で、田園地帯のため大型の野馬土手が数多く残っている 1
  矢作牧の野馬土手〔成田〕
・跡
やはぎ 成田市 <佐倉牧>
(大栄十余三)
野馬土手 長450m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p56 保存状態良好 大栄十余三地区に大型野馬土手が集中/矢作牧は佐倉七牧中最大の牧で、田園地帯のため大型の野馬土手が数多く残っている 1
  矢作牧の野馬土手〔成田〕
・跡
やはぎ 成田市 <佐倉牧>
(大栄十余三)
野馬土手 長400m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p56 保存状態良好 大栄十余三地区に大型野馬土手が集中/矢作牧は佐倉七牧中最大の牧で、田園地帯のため大型の野馬土手が数多く残っている 1
  取香牧の野馬土手〔成田〕
・跡
とっこう 成田市 <佐倉牧>
(本城)
野馬土手 長550m→340m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p63 開発に伴い順次短縮 取香牧は、明治期になり三里塚御料牧場として馬の種育を続けるが、御料場跡地に成田空港が建設されたことで多くの遺構が消滅した 2
  取香牧の野馬土手〔成田〕
・跡
とっこう 成田市 <佐倉牧>
(大清水)
野馬土手 長300m 永禄年間(1558-70)   房総の近世牧跡p63 森林と一体化 取香牧は、明治期になり三里塚御料牧場として馬の種育を続けるが、御料場跡地に成田空港が建設されたことで多くの遺構が消滅した 3
写真 桐ケ作の地蔵道標 きりがさく 野田市   石道標(舟型)   元禄15(1702)   WEB(加来_野02)
/市教委
石祠内/刻字に赤い塗料 (光背右)「是より右江 大町通」、(光背左)「是より左江 本町通」/全面に地蔵立像(錫杖、蓮台)を陽刻/切石空積の石壁で三方を囲んだ上に立派な屋根を載せる 1
写真 尾崎の六地蔵道標 おさき 野田市   石道標   宝永3(1706)   金田p709野田15
/WEB(加来_野33)
/市教委
保存状態良好 (右面下部)「ぢおんじみち」、(左面下部)「ゑどみち」/正面、右左の3面上部に地蔵立像を2体ずつ陽刻/角柱上に宝珠を載せる 1
写真 木間ケ瀬の庚申塔道標1 きまがせ 野田市 (新宿)須賀神社 石道標(蒲鉾型)   宝永6(1709)   WEB(加来_野13) 移設、集約 (右面下部)「東 長谷道 一里/北 世㐂宿道二里」、(左面下部)「 右 小金道 五里/西 かすかべ道 二里」/正面に「奉供申會」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻/緑色は異体字 3
写真 木間ケ瀬の庚申塔道標2 きまがせ 野田市 (新宿) 石道標   享保15(1730)?   WEB(加来_野14) 原位置 (右面)「右 江戸道」(?)、(左面)「左 中里道」/正面に「奉供養庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 1
写真 岩名の道標 いわな 野田市   石道標   享保18(1733)   金田増補p375野田20
/WEB(加来_野102)
本来の左面が正面に (左面)「のだみち/ながれ山道」、(正面)「五木道/舟形道」、(右面)「中さと/さし田」、(裏面)「江戸道」 2
写真 清水の供養塔道標 しみず 野田市 金乗院 石道標   享保20(1735)   金田増補p374野田19
/WEB(加来_野52)
移設、集約 (右面)「右 ハたしばミち」/正面中央に「(梵字)光明真言供養」と陰刻 3
写真 東金野井の如意輪観音像道標 ひがしかなのい 野田市   石道標(駒型)   元文4(1739)   金田p727野田52
/WEB(加来_野25)
移設、集約 (正面右側)「ハ わたしみち」、(同左側)「向ハ のだみち」/正面上部に如意輪観音の半跏思惟坐像を陽刻 3
写真 中野台の聖観音像道標 なかのだい 野田市   石道標   元文4(1739)   金田p716野田29
/WEB(加来_野56)
移設、集約(密集) (正面右側)「(梵字)右 のだ下町 木ノ崎道」、(同左側)「(梵字)左 のだ上町 目吹村道」/正面を火灯窓型に削り込んで、上部に聖観音坐像(光輪、蓮台)を陽刻、その下に「光明眞言念佛供養」と陰刻/下記「中野台の庚申塔道標2」と同所 4
写真 今上の供養塔道標 いまがみ 野田市 稲荷神社 石道標(尖頭角柱)   寛保3(1743)   金田p703野田2
/WEB(加来_野76)
移設、集約(密集) (左面)「従是、上 寶珠花 宿道/下 流山 松戸町道」/正面に「(梵字)奉待庚申供養」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/緑色は異体字/下記「今上の庚申塔道標1」と同所 4
写真 鶴奉の題目塔道標 つるほう 野田市 神明神社 石道標   延享2(1745)   金田p721野田39
/WEB(加来_野72)
移設 (正面右側)「せきやど道」、(同左側)「かなのい道」、(右面)「右 のだ 江戸道」、(左面)「左 ふせが□□」/正面に「巳待諸願成就處」と陰刻 2 -
写真 三ツ堀の地蔵道標 みつぼり 野田市   石道標(舟型)   宝暦3(1753)   金田p722野田42
/WEB(加来_野96)
移設、集約 (正面最下部左)「従是西 関宿道」、(右面最下部)「従是南 今上」、
(左面最下部)「従是北 猿嶋道」、(裏面下部)「従是東 布施」/正面上部を削り込んで半立体的に地蔵坐像の浮彫、その下に「爲、先祖菩提/二親菩提」と陰刻/下記「三ツ堀の道標1」と同所
3
写真 中野台の庚申塔道標1 なかのだい 野田市   石道標(駒型)   宝暦4(1754)   金田p731野田60
/WEB(加来_野57)
仮設置/頂部一部剥離 (右面)「右ハ 渡ば道」/正面中央に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 4
写真 岡田の聖観音像道標1 おかだ 野田市 大杉香取神社 石道標   宝暦6(1756)   WEB(加来_野16) 移設? (右面)「右 なかざとミち」、(左面)「左 ながやミち」/正面上部に突き出るように 聖観音座像(上部に羽衣)を陽刻、その下に「普門品供養」と陰刻 2
写真 木間ケ瀬の庚申塔道標3 きまがせ 野田市 (新堤) 石道標(駒型)   宝暦10(1760)   WEB(加来_野20) 移設? (右面)「右 せきやと道」、(左面)「左 をかた道」/正面に「青面金剛」と陰刻 2 -
写真 今上の庚申塔道標1 いまがみ 野田市 稲荷神社 石道標(駒型)   明和3(1766)   金田p704野田3
/WEB(加来_野75)
移設、集約(密集) (台石正面)「右 野田道/向 流山道/左 金す起道」/正面に半立体的に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻/上記「今上の供養塔道標1」と同所 4
写真 岩名の馬頭観音像道標 いわな 野田市   石道標(舟型)   明和4(1767)   金田p719-720野田36
/WEB(加来_野45)
Cブロック製祠内 (光背右端)「南 江戸道」、(同左端)「北 中里道」/光背頂部に梵字を陰刻し、その下に馬頭観音座像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻 2
写真 中里の庚申塔道標1 なかざと 野田市 稲荷神社 石道標(駒型)   明和4(1767)   金田p727-728野田53
/WEB(加来_野28)
移設 (右面)「右ハ せきやどミち」、(左面)「左 のミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)をかなり立体的に陽刻 2
写真 尾崎の庚申塔道標1 おさき 野田市   石道標(駒型)   明和4(1767)   WEB(加来_野35) 原位置? (右面)「南 江戸道」(?)、(左面)「北 猿嶌道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
写真 木間ケ瀬の霊神塔道標 きまがせ 野田市 (堤根) 石道標(笠付き)   明和4(1767)   WEB(加来_野22) 移設、集約 (右面下部)「ながや道/江戸ミち」、(左面下部)「せきやど道」 3
写真 尾崎の地蔵道標 おさき 野田市   石道標   明和7(1770)   金田p709野田14
/WEB(加来_野34)
原位置 (正面左側)「ゑとみち」、(右面)「右 ふせみち」、(左面)「左 いわゐ道」/正面上部を細長く削り込んで地蔵立像(蓮台)を陽刻、その下に「爲二世安樂也」と陰刻 1
写真 中野台の庚申塔道標2 なかのだい 野田市   石道標(尖頭角柱)   明和9(1772)   金田p715野田27
/WEB(加来_野54)
移設、集約(密集) (右面)「右 のだ 木ノさき道」、(左面)「左 目吹き 渡しば道」/正面に「(梵字)靑面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻/上記「中野台の聖観音像道標」と同所 4
写真 瀬戸の馬頭観音道標 せと 野田市 (下灰毛) 石道標   安永2(1773)   金田増補p385野田40
/WEB(加来_野103)
木祠内 (正面右側下)「向 勢き宿道」、(右面)「下 灰毛邑 の道」、(左面)「此方 ふせ 成た道」/正面中央に「(梵字)馬頭観世音菩薩」と陰刻 1
写真 船形の庚申塔道標 ふなかた 野田市   石道標(尖頭角柱)   天明2(1782)   WEB(加来_野43) 180度回転 (右面)「右、むしろうち/つくば道」、(左面)「左 きまがせ道」/「青面金剛」と陰刻 2
写真 木間ケ瀬の庚申塔道標4 きまがせ 野田市 (新宿) 石道標   天明4(1784)   WEB(加来_野12) 原位置? (右面)「右 岡田川岸道」、(左面)「右 関宿道/左 中里道」/正面に「靑面金剛」と陰刻 1 -
写真 平井の庚申塔道標 ひらい 野田市   石道標(駒型)   寛政元(1789)   WEB(加来_野11) フェンスで隔離保存 (台石右面)「東 木間ヶセ道」、(台石左面)「西 加し道/北 関宿道」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻 2
写真 岡田の聖観音像道標2 おかだ 野田市 福寿院参道 石道標   寛政元(1789)   WEB(加来_野18) 移設、集約 (右面)「せきやど道」、(左面)「をかだ道」/正面上部を削り込んで聖観音立像(蓮の花)を陽刻、その下に「奉納西国坂東秩父念願成就攸」と陰刻 3
写真 三ツ堀の庚申塔道標 みつぼり 野田市   石道標(自然石)   寛政元(1789)   金田p724野田45
/WEB(加来_野91)
移設、集約 (正面右側)「のだミち」、(同左側)「ながれやま道」/正面中央に「(梵字)庚申塔」と陰刻 3 -
写真 木間ケ瀬の供養塔道標1 きまがせ 野田市 (砂南) 石道標(駒型)   寛政6(1794)   WEB(加来_野09) 原位置 (右面)「ながやミち」、(左面)「なが春みち」/正面に「庚申供養塔」と陰刻 1
写真 木間ケ瀬の聖観音像道標 きまがせ 野田市 (砂南) 石道標(駒型)   寛政6(1794)   WEB(加来_野08) 原位置? (右面下部)「ふなかた/めふき、ミち」、(左面)「ながや渡しみち」(?)/正面上部を枠だけ残して削り込み、聖観音立像(蓮の花、蓮台)を陽刻、その下に「普門品供養塔」と陰刻 2
写真 尾崎の聖観音像道標 おさき 野田市 尾崎前公園 石道標(駒型)   寛政12(1800)   金田増補p376-377野田24/WEB(加来_野36) 移設 (右面)「南 江戸みち」、(左面)「北 ゆわい道」/正面上部に聖観音立像(蓮台)を陽刻、その下に「奉讀誦普門品供養塔」と陰刻 2
写真 中里の供養塔道標 なかざと 野田市   石道標(尖頭角柱)   寛政12(1800)   金田p728-729野田55
/WEB(加来_野32)
墓地内 (台石正面右端)「南/江戸道」、(同左端)「西/せきやど」、(台石右面)「東/木のさき」、(台石左面)「北/ながや」/正面に「普門品供養塔」と陰刻 3
写真 三ツ堀の大黒天像道標 みつぼり 野田市   石道標(尖頭角柱)   享和2(1802)   金田p725-726野田49
/WEB(加来_野97)
原位置 (正面左下)「川ばた道」、(右面)「此方 のミち」、(左面)「左 ながれ山 江戸道」/正面上部を円形に削り込み大黒天立像を陽刻 1
写真 中里の庚申塔道標2 なかざと 野田市 満蔵寺 石道標(尖頭角柱)   文化9(1812)   金田p720野田38
/WEB(加来_野31)
移設、集約(密集) (台石正面右端)「右 せきやど道」、(同左端)「左 金の井渡場」/正面に「庚申祭」と陰刻、頂部に“日月”、上段の台石正面に“三猿”の陽刻 4
写真 五木の題目塔道標 ごき 野田市   石道標(尖頭角柱)   文化13(1816)   金田p718野田32
/WEB(加来_野47)
移設 (台石正面)「向、や津/よ志はる道/のだ道」、(台石右面)「西、木さき/かなのい渡舟」、(台石左面)「南、ゆハな渡舟バ/古志可や、道」/正面に「(梵字)十九夜菩薩」と陰刻 2
写真 岩名の庚申塔道標 いわな 野田市   石道標(尖頭角柱)   文政元(1818)   金田p719野田35
/WEB(加来_野44)
移設、集約 (台石正面)「南 わたしば」、(台石右面)「北 な」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、上段の台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 木間ケ瀬の馬頭観音道標 きまがせ 野田市 (上納谷) 石道標   文政9(1826)   WEB(加来_野04) 移設 (正面右下)「向 ほうしば」、(同左下)「向 なかさとみち」、(右面下部)「右 ながや」、(左面下部)「左 せき」/正面中央に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2 -
写真 上花輪の大黒天像道標 かみはなわ 野田市   石道標(丸彫) 高285㎝
(うち、台石40㎝)
文政10(1827)   金田p705野田6
/WEB(加来_野68)
保存状態良好 (正面最下部)「向 乃だ/ 十丁」、(正面下部右側)「こしがや/か奈すぎ、ミち」、(同左側)「布川/奈がれ山、ミち」/正面に「甲子講」と大きく陰刻された背の高い柱上に、大黒天立像の丸彫を載せる 1 写真
写真 三ツ堀の道標1 みつぼり 野田市   石道標(尖頭角柱)   天保12(1841)   金田p722野田41
/WEB(加来_野95)
移設、集約 (正面)「(東)ふせミち」、(右面)「(北)ミつかひ道」、(左面)「(南)ながれ山道」、(裏面)「(西)太子 せきやどみち」/各面の(東)(北)(南)(西)は尖頭部に刻字→きわめて珍しい/上記「三ツ堀の地蔵道標」と同所 3
写真 木間ケ瀬の供養塔道標2 きまがせ 野田市 (出洲) 石道標(尖頭角柱)   天保15(1844)   WEB(加来_野10) 移設 (台石右端)「右、ながやわたし/岩井」、(台石中央)「向、なかさと/岩名」、(台石左端)「左、ほう志ばな/かなのい」/正面に「月山 西國/湯殿山 秩父/羽黒山 坂東、奉納一百番觀世音供羪塔」と陰刻 2
写真 今上の題目塔道標 いまがみ 野田市   石道標(尖頭角柱)   天保15(1844)   金田p730野田58
/WEB(加来_野79)
移設、集約 (右面最下部)「 流山」、(左面最下部)「北 の道」、(裏面最下部)「東 山ざきミち」/正面に「二十三夜塔」と陰刻 3
写真 山崎の道標1 やまざき 野田市   石道標(駒型)   嘉永4(1851)   金田p729野田56
/WEB(加来_野84)
原位置 (正面上部)「成田山」、(正面下部)「今上わたし/よし川/江戸」、(右面)「やし 五丁/なり多 十三り」、(左面)「木のさ起 山崎邨」/各面とも枠を残して長方形に削り込み刻字 1
写真 中野台の馬頭観音道標 なかのだい 野田市 報恩寺 石道標   嘉永4(1851)   WEB(加来_野58) 移設、集約 (台石正面)「南、今上わたし/ながれやま/よしかわ/江戸道」、(台石右面)「東、きのさきわたし/みつかいどう道」、(台石左面)「西、かなすきわたし/まつぶし/こしかやみち」、(裏面)「北、なかさと/ほう珠花/せきやとみち」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 3
写真 木野崎の大黒天像道標 きのさき 野田市   石道標(駒型)   嘉永5(1852)   金田p721野田40
/WEB(加来_野90)
移設、集約 (台石右面)「のだ/かなすぎ、ミち」、(台石左面)「いま可み/吉川/ながれやま、ミち」/正面頂部を削り込んで大黒天立像を半立体的に浮彫/大型/信仰の対象 2
写真 清水の大黒天像道標1 しみず 野田市   石道標   嘉永5(1852)   金田増補p373野田16
/WEB(加来_野53)
原位置?/下部で折損→修復 (正面下部中央)「向 金乗院道」、(同右)「宝珠花 三リ」、(同左)「中里宿 廿丁」、(右面)「堤台地蔵尊 七丁/金杉わたしバ 十丁」、(裏面)「向 のだ 二丁/左 今上わたし 十五丁」/正面頂部を削り込んで大黒天立像を陽刻 2
写真 清水の大黒天像道標2 しみず 野田市 金乗院 石道標(蒲鉾型)   嘉永5(1852)   金田p707-708野田11
/WEB(加来_野50)
移設、集約 (正面下部)「中里 一り十丁/宝珠花 三り/セきやど 五り」、(右面下部)「金杉渡し 二十丁/こしがや 三り/杉□ 九り」、(左面下部)「のだ 九丁/山ざき 十り/すは 三り/成田 十四り」/正面頂部を削り込んで大黒天立像を陽刻/道しるべを刻字する3つの面も、枠だけ残して平らに削り込む 3
写真 野田の大黒天像道標 のだ 野田市 郷土博物館 石道標(駒型)   嘉永6(1853)   金田p717野田30
/WEB(加来_野61)
移設 (正面下部)「向、のだ町 八丁/金杉渡 廿丁」、(右面上部)「右 成田道」、(右面下部)「山崎へ 十丁/あびこ 四リ/宝蔵寺 五丁」、(左面)「北左、木ノ崎村江 壹リ/水海道江 四リ」/正面上部を削り込んで大黒天立像を陽刻 2
写真 野田の道標1 のだ 野田市 東正寺 石道標(尖頭角柱) 高258㎝,幅36㎝,厚23㎝ 安政2(1855)   金田p706-707野田9
/WEB(加来_野62)
移設 (正面上部)「(梵字)成田山」、(正面下部)「道法、山嵜迄 一リ 花の井迄 三リ/我孫子迄 五リ 布佐迄 八リ/木下シ迄 九リ 安食迄 十リ/松崎迄 十一リ半 成田迄 十三リ」 2
写真 上花輪の庚申塔道標1 かみはなわ 野田市   石道標   文久元(1861)   金田p705-706野田7
/WEB(加来_野66)
原位置 (正面下部)「向、流山江 三里/吉川へ 二里/江戸へ 八里」、(右面最下部)「成田江 十三リ/山崎へ 一里」、(左面最下部)「野田江 八丁/中里へ 二リ」/正面上部に「庚申」と陰刻 1
写真 上花輪の庚申塔道標2 かみはなわ 野田市 東福寺 石道標   文久元(1861)   金田p705野田5
/WEB(加来_野65)
原位置?/設置環境やや不良 (右面)「此方 太子堂 成田道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
写真 今上の庚申塔道標2 いまがみ 野田市 八幡神社 石道標(尖頭角柱)   文久2(1862)   WEB(加来_野77) 移設、集約 (右面最下部)「左 ながれやま」、(左面最下部)「右 のだ」、(裏面最下部)「後 やまざき」(?)/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、台石正面に“三猿”を陽刻 3
写真 三ツ堀の道標2 みつぼり 野田市   石道標   江戸期   金田p725野田48
/WEB(加来_野94)
原位置 (正面)「西、のだ/せきやど、道」、(右面)「南、なが連山/江戸」、(左面)「北、わたしば/みつかひとふ」、(裏面)「東、ふせ/な里た、道」 1
写真 山崎の道標2 やまざき 野田市   石道標   江戸期   金田増補p367野田3
/WEB(加来_野87)
原位置 (正面)「南、今上わたし/よし川 江戸」、(右面)「東、ふせ あひこ/なりた、道」、(左面)「西、大との井/木ノサキ、みち」、(裏面)「せと みつぼり/水かいどう、道」 1
写真 野田の道標2 のだ 野田市 郷土博物館 石道標(尖頭角柱)   江戸期   金田p717野田31
/WEB(加来_野60)
移設 (正面)「南、ながれ山/江戸、道」、(右面)「東、さん可"を/婦せ、道」、(左面)「西、いま可み/の多、道」、(裏面)「北、二ツつか/きのさき、道」 2
  関宿落 せきじゅく 野田市 (関宿江戸町~船形地区) 排水、用水路 長約20㎞ 嘉永3(1850)   市教委/WEB 大規模な改修 関宿の利根川による洪水被害と、農地の排水問題を解決するため関宿藩士・船橋随庵が企画・施工した用排水路 3
写真 庄内牧の野馬土手〔野田〕
・跡
しょうない 野田市 <小金牧>
(鶴奉~宮崎~中根~横内)
野馬土手 長1500m,土手:高0.2-0.5m,堀:深1m程 慶長19(1614)~17世紀後半   房総の近世牧跡p12/WEB(野馬土手~小金牧の残光) 日光東往還に断続的に残る(市役所前は修景整備) 土手は低いが堀の断面形は弱いV字状/庄内牧は寛延~安永期(17世紀後半)までに牧内がすべて新田化されたほとんどが消滅 3
写真 庄内牧の野馬土手〔野田〕
・跡
しょうない 野田市 <小金牧>
(堤根)
野馬土手 長600m,土手:高1.2m 慶長19(1614)~17世紀後半   房総の近世牧跡p11-12/WEB(野馬土手~小金牧の残光) 千葉カントリークラブ梅郷コース南側/庄内牧の野馬土手で最も保存状態が良い 一部二重土手/庄内牧は寛延~安永期(17世紀後半)までに牧内がすべて新田化されたほとんどが消滅 2
  庄内牧の野馬土手〔野田〕
・跡
しょうない 野田市 <小金牧>
(木野崎)
野馬土手 長250m,土手:高0.5m,堀:深1m程度 慶長19(1614)~17世紀後半   房総の近世牧跡p11-12 野田市パブリックグルフ場けやきコース内 野馬土手がT字状に交差/庄内牧は寛延~安永期(17世紀後半)までに牧内がすべて新田化されたほとんどが消滅 3
  庄内牧の野馬土手〔野田〕
・跡
しょうない 野田市 <小金牧>
(花井)
野馬土手 長約100m,土手:高約1m 慶長19(1614)~17世紀後半   WEB(野馬土手~小金牧の残光) 南部中学校南側/樹木を伐採 直線状/庄内牧は寛延~安永期(17世紀後半)までに牧内がすべて新田化されたほとんどが消滅 3
  中里の野馬徐感恩塔 なかざと 野田市 愛宕神社
<庄内牧>
石碑   寛政11(1799)   市教委/WEB 保存状態良好 「石見守 寛政十一未十二月吉日 御野馬内入不仕民祝 中里惣村中」/庄内牧で飼育されていた馬が、野馬除土手を築いても農地に侵入し農耕被害が絶えなかったため、農民の嘆願を受け入れて野馬方代官・岩本石見守が“越馬、里入り馬”の野替えをしたことに対する感謝の碑 1
  船形の野馬徐感恩塔 ふなかた 野田市 香取神社
<庄内牧>
石碑   寛政12(1800)   WEB 保存状態良好 庄内牧で飼育されていた馬が、野馬除土手を築いても農地に侵入し農耕被害が絶えなかったため、農民の嘆願を受け入れて野馬方代官・岩本石見守が“越馬、里入り馬”の野替えをしたことに対する感謝の碑 1
  新田戸・中戸地区の水塚 にったど、なかと、みずか 野田市   (洪水遺産)   江戸~近代   市教委/WEB 小規模な修復 水塚⇒利根川・江戸川に挟まれた地形のため、洪水被害から生活を守るために築かれた土盛りやその上に建てられた建物の総称 2
  燈籠坂の大師堂隧道 とうろう 富津市 参道 素掘トンネル   江戸期?~近代   市教委/WEB 保存状態良好 縦に異様に細長い断面+車がかろうじて通れる幅→恐らく、昭和18まで幹線道路として利用されていた時代に掘り下げて拡幅した結果だと推測される 4
  虚空蔵堂参道の切通し こくうぞう 富津市 参道 切通し   江戸期?   WEB 放置   2
写真 亀沢の庚申塔道標 かめざわ 富津市 北上神社 石道標   宝暦6(1756) 市有形 金田p100富津1
/WEB(加来_富17)
顔の上部が欠損 (右面)「北 きさらず道/四里」、(左面)「東 かのうみち/二里」/正面に青面金剛立像(頂部に日月、六手剣人、鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 富津の地蔵道標 ふっつ 富津市 医光寺 石道標(丸彫)   明和4(1767)   WEB(加来_富19) 木祠内 (台石正面左端)「南 さぬき道」、(台石右面)「東 木更津道」、(台石左面)「東 きさらつ道」/台石上に地蔵立像(蓮台付き)の丸彫を載せる 1
写真 桜井の地蔵道標 さくらい 富津市   石道標   明和9(1772) 市有形 金田p101富津3
/WEB(加来_富01)
保存状態良好 (正面右下)「天神山」、(同左下)「鹿野山」/中央に地蔵座像を陽刻 1 -
写真 絹の道標 きぬ 富津市   石道標   寛政8(1796) 市有形 金田p101富津4
/WEB(加来_富02)
保存状態良好 (正面)「南 さぬきミち/壱里」、(右面)「北 きさらず道/三里」、(左面)「西 ふ津ミち/壱里」 1 -
写真 大堀の地蔵道標 おおほり 富津市 神明神社 石道標(板碑型)   寛政11(1799) 市有形 金田p100-101富津2
/WEB(加来_富03)
駐車場内 (右面)「ふっつ 一リ/きさらず 二リ」、(左面)「中通 さぬき 二リ/左 かのうさん 四リ」/正面上部を光背型に削り込んで地蔵座像(錫杖・蓮台)を陽刻 3
写真 相野谷の道標 あいのやつ 富津市   石道標(駒型)   文化13(1816) 市有形 金田p103富津9
/WEB(加来_富04)
針金で固定 (正面)「南、かのふ山道 三り/さぬき道 一り」、(右面)「此方 きさらづ道 三り」、 (左面)「此方 ふっつ道 一り半」 2 -
写真 近藤の道標 こんどう 富津市   石道標(駒型)   天保9(1838) 市有形 金田p102富津6
/WEB(加来_富05)
移設? (正面)「右 きさらづ 三り/左 さぬき 一り」 2
写真 本郷の地蔵道標1 ほんごう 富津市   石道標   弘化3(1846) 市有形 金田増補p24富津1
/WEB(加来_富06)
アクセス困難 (正面下部右)「(右指差し)きさら津ミち/三リ半」、(同左)「(左指差し)さぬ起みち/一リ半」、(左面下部)「(左指出し)ほんごうさと道」/正面上部を光背型に削り込んで地蔵座像(錫杖、蓮台)を陽刻 2
  本郷の地蔵道標2 ほんごう 富津市 本郷区集会場 石道標(丸彫)   弘化4(1847)   WEB 移設、集約 (正面)「此方 人見村」、(右面)「此方 ふつ津 さぬき」/角柱状の道標の上に、小さな地蔵坐像の丸彫が載る 3
写真 上の道標 かみ 富津市   石道標   安政4(1857) 市有形 金田p102富津5
/WEB(加来_富08)
保存状態良好 (正面右)「(右指差し)かのふ山道 三り」、(同右)「(左指差し)さぬき江 半り」、(右面)「(右指差し)此方 きさら津江 三り半」 1
  関の姥石 せき、
うばいし
富津市 南方山 関所の礎石(八角)? 高1.5m,
周囲長8.5m
中世?   市教委/WEB 移設 「関所の礎石」は推測 4
  関山用水 せきやま 富津市 関山用水水利組合 用水路 長約900m,
幅約2m
文政5(1822)   市教委/WEB 水路C改修 地震や旱魃による凶作を経て地元の名主ら数名が企画→途中で佐貫城の三の丸の下に水路を掘る必要→佐貫城主・阿部正簡は「百姓あっての阿部だ。百姓がなければ阿部もない」と言って許可したという逸話が残る 4
  鋸山の石切り場・跡 のこぎりやま 富津市   石切り場
(凝灰質砂岩)
  江戸後期~昭和後期   市教委/WEB 観光地化 江戸期の開発と思われる部分も残るが、最も目を引く部分は近代の開発/房州石の代表的な石切り場 3
  岩坂の烽火台・跡 いわさか 富津市   狼煙場   中世期   市教委 場所特定 石組や土塁が確認されているわけではない 5
写真 海神の道標 かいじん 船橋市 念仏堂 石道標(駒型)   元禄7(1694)   金田p760-761船橋9
/WEB(加来_船23)
移設 (正面)「右 いち川みち/左 行とくみち」、(右面)「是より いち川」、(左面)「是より 行とく」/17世紀の道標 2
写真 薬円台の題目塔道標1 やくえんだい 船橋市 船橋郷土資料館 石道標   元禄14(1701)   金田p763船橋14
/WEB(加来_船04)
もと、古和釜町 (正面下部右側)「南 ふなばし道」、(同左側)「大もり道」、(右面下部)「東 さくら道」、(左面)「こがね道」/正面上部に「南無阿弥陀佛」と陰刻 3
写真 宮本の題目塔道標 みやもと 船橋市 東光寺 石道標(蒲鉾型)   宝永6(1709)   金田p767船橋25
/WEB(加来_船22)
移設 (正面右端)「右ハ かつさ道」、(同左端)「左ハ さくら道」/正面中央に「奉大乗妙典六十六部上総國埴郡長南乗運院」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 山手の庚申塔道標 やまて 船橋市 諏訪神社 石道標(駒型)   寛保3(1742)   金田p771船橋33
/WEB(加来_船20)
移設、集約 (右面下部)「南 行とくみち」、(左面)「東 舟ばしみち」/正面に青面金剛立像(突出した日月、六手合掌、正面を向いた大きな邪鬼、三猿)を陽刻 3
  夏見の庚申塔道標 なつみ 船橋市 日技神社 石道標   宝暦11(1761)   金田p771-772船橋34
/WEB(加来_船28)
移設、集約 (右面)「みなみ 舟ばしみち」、(左面)「きた かまがいみち」/正面中央に「(梵字)青面金剛尊」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 前原西の不動明王像道標 まえばらにし 船橋市 (1丁目) 石道標(駒型) 高184㎝,幅39㎝,厚28㎝ 安永6(1777)   金田p769船橋29
/WEB(加来_船15)
木祠内に集約 (正面下部)「右 なりた道」、(右面)「右 さくら □□道」/正面上部を削り込んで不動明王座像(一面二臂、剣と羂索、背景に迦楼羅焔、磐石)を半立体的に浮彫 2
  薬円台の道標 やくえんだい 船橋市 船橋郷土資料館 石道標   天明8(1788)   金田p761船橋11
/WEB(加来_船16)
もと、金杉7丁目 (正面)「西 江戸道」、(右面)「右 大わだ道」、(左面)「左 大もり道」 3 -
  西船の庚申塔道標1 にしふな 船橋市 (5丁目) 石道標(駒型)   寛政12(1800)   金田p760船橋8
/WEB(加来_船25)
3段ある台石の下の2段は更新 (台石右面)「是より/かまがやみち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 3
写真 西船の庚申塔道標2 にしふな 船橋市 (1丁目) 石道標(駒型)   享和元(1801)   金田増補p417船橋2
/WEB(加来_船24)
原位置?/下部C埋設/左面が建物で見えない (左面)「左り いち川道」/正面に「青面金剛王」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 3
写真 馬込町の庚申塔道標 まごめ 船橋市 天満宮 石道標(駒型)   文化4(1807)   金田p777船橋48
/WEB(加来_船17)
移設、集約 (左面)「左 か祢可"作ミち」/正面に「青面金剛王」と陰刻、頂部に突出した“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 高根台の地蔵道標 たかねだい 船橋市 (7丁目) 石道標(駒型)   文化5(1808)   金田p769-770船橋30
/WEB(加来_船8)
原位置? (正面下部)「中 大あな道」、(右面)「右 大もり道」、(左面)「左 志んほう新田道」/正面上部を光背型に削り込み地蔵坐像(錫杖)を半立体的に浮彫 1
写真 前貝塚町の供養塔道標 まえかいづか 船橋市   石道標(尖頭角柱)   文化9(1812)   金田p770-771船橋32
/WEB(加来_船18)
原位置 (正面下部右)「右 行とくみち」、(同左)「左 舟ばしみち」/正面中央に「奉唱玄題二萬部供羪印塔」と陰刻 1
写真 大神保町の供養塔道標 おおじんぼう 船橋市 県民の森 石道標 高219㎝,幅36㎝ 文政2(1819)   八千代の道しるべ 04
/WEB(加来_船03)
移設(下段台石更新) (右面)「東 舟尾むら道」、(左面)「西 大志"んほう村」、(裏面)「北 きをろしミち」、(正面左上部に小さく)「南 江戸道」/正面中央に「(梵字)二十三夜供養塔」と陰刻 2
写真 薬園台の道標 やくえんだい 船橋市 倶利伽藍不動 石道標   文政2(1819)   田p764船橋17
/WEB(加来_船12)
下部折損→修復 (正面)「倶梨伽羅不動/是より 二丁」 2
写真 東船橋の道標 ひがしふなばし 船橋市 茂侶神社 石道標   文政8(1825)   金田p768船橋27
/WEB(加来_船21)
移設 (正面)「式内本宮/茂侶神社、仙元宮道 壹丁余」 2
写真 西船の道標 にしふな 船橋市 葛飾神社 石道標(円柱) 高212㎝,
径33.5㎝
文政11(1828)   金田p759船橋5
/WEB(加来_船26)
移設 「葛飾大明神道/従是一町余」/背の高い円柱道標は稀 2
写真 飯山満町の如意輪観音像道標 はさま 船橋市 飯山満小学校 石道標   天保7(1836)   金田p765船橋20
/WEB(加来_船10)
移設? (正面下部)「上 はさ満道」、(左面)「舟尾 木おろし/大もり道」/正面頂部を小さく光背型に削り込んで如意輪観音坐像(一面二臂の半跏思惟像)を陽刻 2
写真 薬円台の題目塔道標2 やくえんだい 船橋市 船橋郷土資料館 石道標(駒型)   天保12(1841)   金田p763船橋15
/WEB(加来_船06)
もと、大穴町 (右面)「右/き越ろし/ミち」/正面に「廿三夜」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻 3 -
写真 鈴身町の供養塔道標 すずみ 船橋市 (行々林) 石道標(駒型) 高111㎝,幅37㎝,厚24㎝ 嘉永5(1852)   八千代の道しるべ 02
/WEB(加来_船02)
最下部C補修、C台石 (右面)「右、かま可"や/江戸、道」、(左面)「左、かねほり/舟ばし、道」/正面に「普門品/一万巻、廿三夜供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 豊富町の供養塔道標 とよとみ 船橋市   石道標(駒型) 高86.5㎝,幅30㎝,厚23㎝ 安政5(1858)   八千代の道しるべ 01
/WEB(加来_船01)
原位置? (正面右側)「東 ふ奈おより きおろし道」、(右面)「北/おどろばやしゟ 志ろい道」、(左面)「南/かねほり 御瀧山 ふ奈はし道」、(裏面)「西/かま可や やわた道」/正面中央に「廿六夜供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 田喜野井の道標 たきのい 船橋市 (7丁目) 石道標(自然石)   安政6(1859)   金田p762船橋13
/WEB(加来_船13)
原位置(C台石) (正面中央)「二宮大明神」、(その右下)「是より/左へ/五丁」、(正面左下)「右ハ田木 左ハ深山」/そのさらに左下に「二宮の/慈悲にへたつは/二つとはなき」の句 1
写真 三山の道標 みやま 船橋市 二宮神社 石道標(自然石)   安政6(1859)   金田p762船橋12
/WEB(加来_船14)
原位置 (正面中央)「二宮大明神」、(その右下)「是より/七町」/正面左側に「耳なくて/きかるヽものよ/閑古鳥」の句 1
写真 高根町の道標 たかね 船橋市   石道標(駒型)   文久元(1861)   金田p772船橋36
/WEB(加来_船09)
原位置 (正面)「右 大もり/左 さくば、道」、(右面)「此方/上 はさ満道」 1 -
写真 下野牧の野馬土手〔船橋〕
・跡
しもの 船橋市 <小金牧>
(二和東1丁目~金杉6丁目)
野馬土手 長400m,150m,土手:高2.5m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p35・38
・40/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
二和小学校の南/背の高い土手がよく残る 野馬を捕込へと追い詰める勢子土手/下野牧は都市化に伴い急速に消滅 2
  下野牧の野馬土手〔船橋〕
・跡
しもの 船橋市 <小金牧>
(大穴南2丁目~大穴小学校東)
野馬土手 長150m,堀:幅4m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p35・40
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
樹林中に放置 下野牧は都市化に伴い急速に消滅 3
  下野牧の野馬土手〔船橋〕
・跡
しもの 船橋市 <小金牧>
(大穴北5丁目~三咲神社)
野馬土手 長150m,土手:高1m,堀:幅1m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p35・38
・40/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
保存状態悪し 二重土手/下野牧は都市化に伴い急速に消滅 4
  下野牧の野馬土手〔船橋〕
・跡
しもの 船橋市 <小金牧>
(船橋市二和西6丁目~鎌ケ谷市鎌ケ谷5丁目)
野馬土手   慶長19(1614)   房総の近世牧跡p35・40
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
鎌ケ谷五丁目ふれあいの森/断続的、かつ、削平 下野牧の捕込から伸びていた野馬土手(捕込自体はほぼ消滅)/下野牧は都市化に伴い急速に消滅 4
  下野牧の野馬土手〔船橋〕
・跡
しもの 船橋市 <小金牧>
(高根台第二小学校)
野馬土手 長75m,高1m以下 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p35・40
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
高根台第二小学校の敷地内/全体に削平 下野牧は都市化に伴い急速に消滅 4 -
  下野牧の野馬土手〔船橋〕
・跡
しもの 船橋市 <小金牧>
(大穴南4丁目)
野馬土手 長120m,堀:幅2m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p35・38
・40
現況不明 二重土手/下野牧は都市化に伴い急速に消滅  
  葛羅の井 かづら 船橋市 (栗原本郷) 井戸(湧水) 径180㎝ 10世紀 市史跡 市教委 C化 平忠常の父・忠頼の産湯を汲んだという伝承/文化9(1812)に蜀山人・大田南畝が揮毫した石碑も残る 3
写真 本町の庚申塔道標 ほん 松戸市 岩山稲荷 石道標   享保6(1721)   金田p683松戸33
/WEB(加来_松38)
移設/中央下部に斜めに割裂→修復 (右面)「南 江戸海道」、(左面)「北 水戸海道」/正面中央に「庚申供養塔」と陰刻、台石に“三猿”の陽刻(?) 3
  主水新田の供養塔道標 もんと 松戸市 稲荷神社 石道標(駒型)   享保15(1730)   金田p689松戸48 現況不明 (右面)「南 松戸みち/東 小松ミち」、(左面)「北 流山道」/正面中央に「奉供養爲庚申 現當二世安樂也」と陰刻    
写真 馬橋の庚申塔道標1 まばし 松戸市 王子神社 石道標(駒型)   寛保元(1741)   金田p689松戸47
/WEB(加来_松16)
移設、集約 (正面最下部)「右 印西道/左 小金道」/正面上部を削り込んで青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 中金杉の庚申塔道標1 なかかなすぎ 松戸市   石道標(駒型)   延享5(1748)   金田p672松戸7
/WEB(加来_松04)
移設、集約 (正面右枠内)「右 野田道」、(同左枠内)「左 流山道」/正面を枠を残して火灯窓型に削り込み「(梵字)奉建立靑金剛」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻/緑字は異体字 3
写真 金ケ作の庚申塔道標1 かねがさく 松戸市   石道標(駒型)   明和4(1767)   金田p682松戸30
/WEB(加来_松36)
原位置?/中央で水平に折損→修復 (右面)「右者 金ヶ作道」/正面を枠を残して火灯窓型に削り込み「青面金剛羪塔」と陰刻、その上に梵字の陰刻と“日月”の陽刻 2 -
写真 小金の道標1 こがね 松戸市   石道標   明和5(1768)   金田p673松戸9
/WEB(加来_松05)
原位置? (正面)「右 水戸海道」 1 -
写真 二十世紀が丘の庚申塔道標1 にじゅっせいき 松戸市   石道標(駒型)   明和6(1769)   金田p679松戸24
/WEB(加来_松29)
移設 (左面)「東 大はし/南 市可わ/北 金ヶさく/西 まつど、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を半立体的に浮彫 2
写真 樋野口の庚申塔道標 ひのくち 松戸市   石道標(駒型)   安永8(1779)   金田p690松戸49
/WEB(加来_松41)
移設 (右面)「みぎ ひれ可"さきみち/左り な可"れ山みち」、(左面)「左 馬橋ふどう道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
  栗山の題目塔道標 くりやま 松戸市   石道標   天明年間(1781-88)   金田p686松戸40 現況不明 (正面右下)「やき里みち」、(同左下)「わたしば道」、(右面)「右、市川/行徳、道」、(左面)「左 まつど道」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻    
写真 馬橋の庚申塔道標2 まばし 松戸市 王子神社 石道標(駒型)   天明3(1783)   金田p688松戸46
/WEB(加来_松17)
移設、集約 (正面右下)「右 印西道」、(同左下)「左 小金道」/正面中央に「青面金剛尊」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
写真 本町の不動明王像道標 ほん 松戸市 みきびき不動 石道標(丸彫) 高195㎝(うち、祠内88㎝),
幅36㎝,厚27㎝
天明5(1785)   金田p683松戸34
/WEB(加来_松39)
立派な木造堂内/信仰の対象/石柱下部が木床で隠れて刻文が見えない→道標の機能喪失 (正面下部)「成田道/是ゟ東」/下部の磐石をかたどった角石と不動明王座像の丸彫が一体化、背景の迦楼羅焔は赤く彩色、手に持つ剣と羂索は石造ではなく後付け 3
  和名ケ谷の庚申塔道標 わながや 松戸市 (陣ケ前) 石道標(駒型)   天明6(1786)   金田p677松戸20 現況不明 (右面)「右 八わた道/左 まつ戸道」/正面に「青面金剛」と陰刻    
写真 小金原の庚申塔道標 こがねはら 松戸市 茂呂神社 石道標(駒型)   寛政元(1789)   金田p674松戸12
/WEB(加来_松09)
移設、集約 (正面右下)「右 作場道」、(同左下)「左 鎌ヶ谷道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 上矢切の庚申塔道標1 かみやきり 松戸市 神明神社 石道標(駒型)   寛政元(1789)   金田p676松戸17
/WEB(加来_松23)
移設、集約 (右面)「市川道」、(左面)「こくぶんじ道」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、台石に“三猿”の陽刻 3 -
写真 栄町の庚申塔道標 さかえ 松戸市   石道標(駒型)   寛政4(1792)   金田p681松戸28
/WEB(加来_松13)
移設 (右面)「南 松戸道」、(左面)「北 ひれヶ﨑道/東 馬はし道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 小金の馬頭観音道標 こがね 松戸市 妙興寺 石道標(駒型)   寛政5(1793)   金田p670松戸1
/WEB(加来_松01)
移設/下部埋設 (右面最下部)「東 木於ろし道/南 かまヶ谷道」、(左面最下部)「西 松戸ミち/北 小金みち」/正面に「(梵字)馬頭觀世…」と陰刻 3
写真 上矢切の庚申塔道標2 かみやきり 松戸市   石道標   寛政6(1794)   金田p678松戸22
/WEB(加来_松27)
移設 (右面)「北 松戸道」、(左面)「西 江戸道」/正面に「(梵字)青面金」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻、台石に“三猿”の陽刻/緑字は異体字 2
  松戸新田の庚申塔道標 まつど 松戸市   石道標(駒型)   寛政7(1795)   金田p690-691松戸51
/WEB(加来_松34)
原位置? (右面)「右 松戸道」、(左面)「左 成田道」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、台石に“三猿”の陽刻 1
写真 中金杉の庚申塔道標2 なかかなすぎ 松戸市 香取神社 石道標   寛政7(1795)   金田p672松戸8
/WEB(加来_松03)
C基壇(移設) (正面右下隅)「東 小金道」、(右面)「北 野田道」/正面中央に「青面金剛」と陰刻 2
写真 下矢切の庚申塔道標 しもやきり 松戸市 庚申塚題目堂 石道標   寛政12(1800)   金田p678-679松戸23
/WEB(加来_松28)
移設 (右面下部右)「西 ゑどミち」、(同左)「北 ま津どミち」、(左面下部)「南 一川ミち」/正面に「青面金」と陰刻、頂部に“日月”、台石に“三猿”の陽刻/緑字は異体字 2
  小金原の題目塔道標 こがねはら 松戸市 茂呂神社 石道標(駒型)   寛政12(1800)   金田p674-675松戸13
/WEB(加来_松10)
移設、集約 (右面)「右 かま可や道」、(左面)「西 新田道」/正面に「太子講中」と陰刻 3
写真 馬橋の庚申塔道標3 まばし 松戸市 <印西道> 石道標(尖頭角柱)   文化3(1806)   金田p690松戸50
/WEB(加来_松42)
原位置?/台石C接合 (正面)「左 水戸街道」、(右面下部)「右 印西道」/正面頂部を“日”の形に削り込み小さく「青面金尊」と陰刻/緑色は異体字 1
写真 岩瀬の廻国塔道標 いわせ 松戸市 花蔵院 石道標(尖頭角柱)   文化3(1806)   WEB(加来_松33) 移設 (右面)「左、金ヶ作/木下/成田、道」/正面に「月山/湯殿山/羽黒山、大權現」と陰刻 2
写真 小金の道標2 こがね 松戸市   石道標(尖頭角柱)   文化5(1808)   金田p692-693松戸56
/WEB(加来_松07)
原位置 (正面)「平賀/本土寺道/是ヨリ 八丁」 1
写真 常盤平の庚申塔道標 ときわだいら 松戸市   石道標(駒型)   文化6(1809)   金田p681松戸29
/WEB(加来_松35)
原位置?/アスファルトに固定 (正面右下)「右 小金道」、(同左下)「左 金ヶ作道」、(右面左下)「北 印西道」/正面上部に「青面金剛」と陰刻 2 -
写真 金ケ作の庚申塔道標2 かねがさく 松戸市 (五本木外) 石道標(駒型)   文化6(1809)   金田p682松戸31
/WEB(加来_松37)
原位置?/アスファルトに固定 (正面右下)「右 金ヶ作道」、(同左下)「左 小金道」、(右面)「東 印西道」/正面上部に「青面金剛」と陰刻 2 -
写真 紙敷の題目塔道標 かみしき 松戸市 伝法寺 石道標   文化12(1815)   金田p672松戸6
/WEB(加来_松21)
移設、集約 (右面下部)「北/金ヶ作道」、(左面下部)「南/行徳道」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻、台石に“三猿”を陽刻 3
写真 中和倉の不動明王像道標 なかわくら 松戸市 熊野神社 石道標(駒型)   文政2(1819)   金田p675松戸14
/WEB(加来_松11)
原位置? (正面下部)「東 成田道」/正面の上半分を削り込んで不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、背景に迦楼羅焔)を陽刻 1
  樋野口の庚申塔道標 ひのくち 松戸市 大乗院 石道標(駒型) 高100.5㎝,
幅39㎝
文政6(1823)   三郷市内庚申塔p203 移設 (左面下部)「巳かみ 流山道」/正面に青面金剛立像(日月、六手○
○、邪鬼、三猿)の陽刻
2
写真 日暮の不動明王像道標 ひぐらし 松戸市 白髭神社 石道標 高146㎝(うち、台石28.5㎝),
幅37㎝,厚25㎝
文政7(1824)   金田p676松戸16
/WEB(加来_松22)
木祠内に移設、集約 (正面下部)「向テ左リ/成田道」/角柱状の道標の上部に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、背景に迦楼羅焔)を半立体的に浮彫 2
写真 二十世紀が丘の庚申塔道標2 にじゅっせいき 松戸市   石道標(駒型)   天保3(1832)   金田p679-680松戸25
/WEB(加来_松30)
原位置? (右面)「西 ま津と/東 大はし/南 いち可わ/北 可祢かさく」/正面中央に「猿田彦大神」と陰刻、頂部に駒型から突き出るように“日月”を立体的に陽刻/緑字は異体字 1
写真 金ケ作の庚申塔道標3 かねがさく 松戸市 祖光院 石道標(駒型)   弘化4(1847)   金田p670-671松戸3
/WEB(加来_松19)
移設、集約 (右面)「此方 松戸道」、(左面)「此方 かま可や道」/正面中央に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、台石に“三猿”の陽刻 3
  金ケ作の庚申塔道標4 かねがさく 松戸市 祖光院 石道標   弘化4(1847)   金田p682-683松戸32
/WEB(加来_松20)
移設、集約 (右面)「此方 かま可や道」/正面中央に「青面金剛」と陰刻/3つの面の刻字部のみ削り込んで平滑に 3 -
写真 上矢切の庚申塔道標3 かみやきり 松戸市   石道標   安政7(1860)   金田p678松戸21
/WEB(加来_松26)
原位置?/台石とみっともなくC接合 (右面上部)「松戸道」、(右面下部=非常に小さい)「流山 二リ九丁/小金 二リ五丁/駒木諏訪 三リ/布施 □□」、(左面)「渡舟ばミち」/正面中央に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 二ツ木の道標 ふたつぎ 松戸市 蘇羽鷹神社 石道標   文久3(1863)   金田p674松戸11
/WEB(加来_松08)
移設 (正面)「(梵字)成田山 十三里」 2 -
  中野牧の野馬土手〔松戸〕
・跡
なかの 松戸市 <小金牧>
(六高台)
野馬土手 長220m,土手:高約2m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p27・30
・32/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
オウル五香店の脇/保存状態良好 中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 2
  中野牧の野馬土手〔松戸〕
・跡
なかの 松戸市 <小金牧>
(松戸市串崎新田~鎌ケ谷市初富境)
野馬土手 長140m,土手:高2.8m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p28・32
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
新京成電鉄くぬぎ山車両基地の西側/堀が残る 高さ2.8mは最大級/車両基地の東側にも一部残存/中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 2
  中野牧の野馬土手〔松戸〕
・跡
なかの 松戸市 <小金牧>
(高柳新田)
野馬土手 長100m,土手:高2.6m 慶長19(1614)   房総の近世牧跡p28・32
/WEB(野馬土手~小金牧の残光)
高柳新田 野馬除緑地内に保存/裾部・頂部との削平 中野牧は捕込が中心で野馬土手は小規模だが背の高いものが多い 4
写真 沓見の六地蔵道標 くつみ 南房総市   石道標(駒形)   正徳6(1716)   金田増補p20丸山5
/WEB(加来_南05)
苔で刻字が判読困難 (右面左端)「左 これより きよすみまで 七り」、(左面左端)「これより なこまで 二り十町」/正面上段に地蔵尊立像3体、下段に同じく地蔵尊立像3体を陽刻→六地蔵としては稀なタイプ 2
写真 下滝田の南無阿弥陀仏道標 しもたきだ 南房総市 長谷寺 石道標   寛政3(1791)   金田p88三芳1
/WEB(加来_南03)
移設?/苔で刻字が読みづらい (左面)「十三ばん札所道」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻 2 -
  富浦町丹生の地蔵道標 とみうら、
にゅう
南房総市 丹生コミュニティセンター 石道標(丸彫)   寛政5(1793)   金田増補p17富浦1
/WEB(加来_南01)
石造の祠内(両脇に小型の地蔵尊像) (蓮台正面)「左の方 なこ□□/右の方 たかさ□□」/蓮台の上に地蔵尊の丸彫(錫杖)を載せる 1
写真 千倉町千田の弥勒菩薩像道標 ちくら、
せんだ
南房総市 (柏尾堰) 石道標(駒形)   文化11(1814)   WEB(加来_南09) 改修された道路のC擁壁の窪み (正面右上)「みぎり/ちくら道/むかひて」、(正面左上)「ひだり/古まつ道」/正面上部に「法界萬霊」と陰刻、弥勒菩薩半跏思惟像(一面四臂〔頬に当てた思惟相、未開敷蓮華、如意宝珠、法輪〕)を立体的に陽刻 3
  加茂の題目塔道標 かも 南房総市 (美成津) 石道標(墓石型)   天保11(1840)   金田増補p19丸山2
/WEB(加来_南06)
保存状態良好 (正面左)「向 左 まの」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻 1
写真 加茂の大師道標 かも 南房総市 円鐘寺 石道標(自然石)   天保12(1841)   金田p90丸山2
/WEB(加来_南04)
台石と自然石をC接合 (台石正面)「當國/八十八ケ所/第七十六番/従是 四町入/圓鐘寺」/正面に「弘法大師」と陰刻/台石の下に2段の基壇(それぞれ1つの整形された石) 2
  柱木牧の野馬捕込
(柱木牧馬捕場)・跡
かしらぎ、
とっこめ
南房総市 <嶺岡牧> 野馬捕込 長10m,長5m,長5mの3条の石垣 戦国~江戸期 市史跡 市教委(丸山町史p1370)
/嶺岡牧を歩くp67-69
/房総の近世牧跡p98
保存状態やや良好 傾斜角30度ほどの斜面に沿って約20m間隔で3条の石垣を配した特異な構造/嶺岡牧で繁殖育成された馬の捕獲場/里見時代からあったと推測→徳川期になると毎年5月に実施/石積みあるいは土混じりの石積みの土手 2
  柱木牧の野馬土手
〔南房総〕(石堂原馬堀)・跡
かしらぎ(いしどうはら) 南房総市 <嶺岡牧> 野馬土手 長200m 戦国~江戸期   嶺岡牧を歩くp63
/房総の近世牧跡p98
全体的に遺存が良い 2重堀/里見時代からあったと推測→徳川期になると毎年5月に実施 2
  弘法大師の芋井戸 いも 南房総市 (白浜町青木松山) 井戸(湧水) 石枠 平安初期?? 市有形民俗 市教委 近代の切石積で大規模改修 大師が、芋を洗っている老婆に芋の施しを願った→「石のような芋で煮ても食べられない」と断られた→老婆が帰宅して煮た芋を食べようとしたら石のように堅く捨てた→そこから泉が湧き出たという伝説 3
  吉井の大井戸 よしい 南房総市 (富山町吉沢) 湧水 C枠(3槽) 江戸期? 市史跡 WEB C改修 生活・農業用水として現役利用 3
  大房崎台場・跡 だいふさ 南房総市   台場 上段3,中段5,下段5の計13門の大砲 文化5(1808)?
→嘉永3(1850)以前
市史跡 市教委 草木に覆われ、土塁の跡が僅かに残る 北条陣屋の備前岡山藩・松平内蔵頭が守り、黒船の情報を多数幕府に送っていた/嘉永3の「近海見分之圖」に13門の大砲が描かれている 4
写真 茂原の勢至菩薩像道標 もばら 茂原市 茂原小学校 石道標(舟型)   元文7(1742)   金田増補p142茂原1
/WEB(加来_茂原02)
移設(置かれているだけ) (光背右)「西ハ/かつミ道 小猿袋村」、(光背左)「東ハ/一ノミや かち道」/光背中央に勢至菩薩立像(合掌)を陽刻/勢至菩薩を単体で用いることは稀 3
写真 下永吉の地蔵道標 しもながよし 茂原市   石道標(尖頭角柱)   寛政10(1798)   金田p219茂原1
/WEB(加来_茂原01)
C基礎(移設) (正面下部)「左、も原 ほんの/とうか祢 江」、(右面)「右 さくばみち」/正面上部に地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
  鷲山寺の元禄津波供養塔 じゅせん 茂原市 鷲山寺 津波記念碑
(元禄房総地震)
高279㎝
(うち、台石78㎝)
宝暦3(1753) 市史跡   参道入口から本堂前に移設 (正面)「南無妙法蓮華経」、(右面)「元禄十六癸未歳十一月廿二日夜丑刻大震東海激浪/溺死都合二千百五拾余人死亡允癸酉五拾一年忌営之」、(台座正面)「八百四拾五人 一松郷中/三百四人 幸治村/二百二拾九人 中里村/七拾人 八斗村/八人 五井村/二百七拾二人 古虎村/四拾八人 剃金村/七拾三人 牛込村/五拾五人 濱宿村/二百五拾人 四天寄村」 2
  御成街道・跡 おなり 八街市 <御成街道> 道路 全長37㎞
(船橋~千葉~八街~東金)
元和元(1615)? 市史跡 市教委 林間に残る 徳川家康が、慶長18(1613)年12月に、翌年正月に東金で鷹狩りを行うため、東金までの新道築造を佐倉藩主・土井利勝に命じて短期間に築造させたもの→家康が実際に通ったのは元和元(1615)年11月(完成はこの頃?)/東金での鷹狩りの最後は寛永7(1630)/ほぼ一直線 2
  上砂一里塚 かみいさご 八街市 <御成街道> 一里塚(1基) 南塚 慶長18(1613) 市史跡 市教委 塚上に各種の樹木 船橋~東金(鷹場)までの街道を直線状に造成するため、目印として築かれたとされる→昼は白旗、夜は提灯を塚上に掲げ、延長37㎞の御成街道を短時間で完成させた/慶長18(1613)年12月の施工命令直後の築造と思われる 3
写真 八街イの馬頭観音道標 やちまた、い 八街市   石道標   天保14(1843)   金田増補p285八街10
/WEB(加来_八街01)
/市教委
原位置 (右面)「右ハ しおご、山田/小間子/仲野、みち」、(左面)「左ハ、たき/もちくさ/東可祢、道」/正面に「馬頭観世音菩薩」と陰刻 1
写真 小間子牧の野馬捕込・跡 こまこ、
とっこめ
八街市 <佐倉牧> 野馬捕込 面積4850㎡,長約756m 寛文2(1662) 市史跡
(一部)
市教委
/房総の近世牧跡p.87
小規模な修復/現在は公園として整備保存 小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/3室構造(すべて四角)が明瞭に視認できる 2
  柳沢牧の野馬土手〔八街〕
・跡
やなぎさわ 八街市 <佐倉牧>
(八街は)
野馬土手 長100m,575m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p79 保存状態良好 柳沢牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/市街化のによる消滅が進行 2
  柳沢牧の野馬土手〔八街〕
・跡
やなぎさわ 八街市 <佐倉牧>
(八街市八街ろ・佐倉市岩富の境界上)
野馬土手 長約500m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p79 佐倉市側が山林で野間土手と判別しにくい 柳沢牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/市街化のによる消滅が進行 4
  柳沢牧の野馬土手〔八街〕
3(長者堀野馬土手)
・跡
やなぎさわ 八街市 <佐倉牧>
(八街ろ)
野馬土手 長219m,高2.5m 寛文2(1662) 市史跡 房総の近世牧跡p79 交進小学校敷地内 柳沢牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/市街化のによる消滅が進行 2
写真 柳沢牧の野馬土手〔八街〕
4(矢崎野馬土手)
・跡
やなぎさわ 八街市 <佐倉牧>
(八街ほ)
野馬土手 長1547m→200m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p79 短縮 柳沢牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/市街化のによる消滅が進行 2
  柳沢牧の野馬土手〔八街〕
・跡
やなぎさわ 八街市 <佐倉牧>
(八街い)
野馬土手 長150m,75m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p79 保存状態やや不良 柳沢牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/市街化のによる消滅が進行 3
  柳沢牧の野馬土手〔八街〕
・跡
やなぎさわ 八街市 <佐倉牧>
(八街い)
野馬土手 長525m→300m,150m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p79 短縮 柳沢牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/市街化のによる消滅が進行 3
  柳沢牧の野馬土手〔八街〕
・跡
やなぎさわ 八街市 <佐倉牧>
(八街い~八街ろ)
野馬土手 長350m→90m,150m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p79 寸断 柳沢牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/市街化のによる消滅が進行 3
  柳沢牧の野馬土手〔八街〕
・跡
やなぎさわ 八街市 <佐倉牧>
(八街は~文違)
野馬土手 長150m→100m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p79 短縮 柳沢牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/市街化のによる消滅が進行 3
  柳沢牧の野馬土手〔八街〕
・跡
やなぎさわ 八街市 <佐倉牧>
(八街は~文違)
野馬土手 長150m→100m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p79 短縮 柳沢牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立/市街化のによる消滅が進行 3
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(滝台)
野馬土手 長560m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 保存状態良好 小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 1
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(滝台~山田台)
野馬土手 長375m,75m,150m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 保存状態良好 小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 1
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(八街へ)
野馬土手 長75m,400m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 保存状態良好 T字形/小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 1
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕
(小間子牧の袋込)
・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(八街へ)
野馬土手 長125m,50m,375m,75m,150m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 断続的に袋状に残る 捕込に入れられる前に追い込まれる袋状の場所→上記の「小間子牧の野馬捕込」と接して真北に位置/小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 2
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(吉倉~砂)
野馬土手 長100m,100m,75m,300m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 断続的 小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 2
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(八街へ)
野馬土手 長525m,150m,275m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 森との境界 小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 3
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(八街へ)
野馬土手 長525m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 森との境界 小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 3
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(滝台)
野馬土手 長320m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 保存状態良好 小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 1
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(八街へ)
野馬土手 長175m,200m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 断続 小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 2
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕10・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(沖)
野馬土手 長75m,175m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 断続 小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 2
  小間子牧の野馬土手
〔八街〕11・跡
こまご 八街市 <佐倉牧>
(沖)
野馬土手 長175m,50m 寛文2(1662)   房総の近世牧跡p87 断続 小間子牧は寛文2に柳沢・小間子牧が分割されたことにより成立 2
  飯綱神社参道階段 いいづな 八千代市 飯綱神社 石階段 長22.9m,56→58段 天保3(1832)   市教委 昭和初期の台風で崩れ20m移設 石工: 鷺沼の直七、舟橋の勘治郎 2 -
写真 大和田新田の庚申塔道標 おおわだ 八千代市   石道標(駒型) 高98㎝,幅39㎝,厚18㎝ 寛延2(1749)   八千代の道しるべ A06
/WEB(加来_八04)
/市教委
木祠内 (正面右上)「むかうへ/ゆけば」、(同左上端)「さくらミち」、(右面)「このほう行ハ 小かね町」、(左面)「このほうへ行ハ ふなはし」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿」を陽刻 1
写真 大和田新田の廻国塔道標 おおわだ 八千代市   石道標(尖頭角柱) 高80㎝,幅34㎝,厚23㎝ 宝暦3(1753)   八千代の道しるべ A10
/金田p512八千代14
/WEB(加来_八06)
基礎が出ている→移設? (正面右下)「右 さくら道」、(同左下)「左 きおろし道」/正面に「(梵字3)奉納、坂東/西國/秩父、百ヶ所成就攸」と陰刻 2
写真 萱田の庚申塔道標1 かやだ 八千代市 飯綱神社 石道標(笠付き) 高87㎝,幅32㎝,厚22㎝ 安永2(1773)   八千代の道しるべ B09
/WEB(加来_八11)
/市教委
移設、集約 (右面)「右 舟はし道」、(左面)「是ゟ、左けミ川道/いつなごん宮江 三丁」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 村上の題目塔道標1 むらかみ 八千代市   石道標(駒型) 高87㎝,幅29㎝,厚16㎝ 安永4(1775)   八千代の道しるべ D02
/WEB(加来_八14)
移設、集約 (正面右下)「右 ちバみち」、(同左下)「左 さくら」/正面に「奉納村上講中」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 3
写真 大和田新田の道標1 おおわだ 八千代市   石道標 高106㎝,
幅28.5㎝,厚19㎝
享和3(1803)   八千代の道しるべ A02
/WEB(加来_八01)
/市教委
下半分が地中に埋まっていたものを平成12に接合→大規模な修復,文字が一部消失 (正面)「血流地蔵道」、(右面)「右江 成田/左江 江戸道」、(左面)
「貞」(血流地蔵は、八千代市吉橋にある貞福寺の本尊)
3
写真 勝田台南の庚申塔道標 かつただいみなみ 八千代市   石道標(駒型) 高157㎝,
幅34.5㎝,厚24㎝
文化元(1804)   八千代の道しるべ D14
/WEB(加来_八20)
/市教委
小規模な修復 (右面)「右 うすゐ道」、(左面)「左 下いちば道」/正面に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 1
  保品の題目塔道標 ほしな 八千代市   石道標(駒型) 高86㎝,幅29㎝,高19㎝ 文化9(1812)   八千代の道しるべ F08 移設、集約 (右面)「東 さくらみち/左ハ 神ノ村 ちん保う道」、(左面)「右ハ 吉田村 きをろ志ミち」/正面に「二十三夜如意輪菩薩」と陰刻 3
写真 大和田新田の題目塔道標 おおわだ 八千代市   石道標(尖頭角柱) 高164㎝,幅42㎝,厚60㎝ 文化14(1817)   八千代の道しるべ A03
/WEB(加来_八02)
/市教委
移設、集約(墓地内) (左面)「右 よしはしヨリ きおろし/左 たかもと 又左 つぼい、道」/正面に「教正院山妙清信女霊位」と陰刻 4
写真 萱田町の庚申塔道標 かやだまち 八千代市   石道標(駒型) 高86.5㎝,幅26.5
㎝,厚17.5㎝
文化15(1818)   八千代の道しるべ B04
/WEB(加来_八10)
移設 (左面)「右 むらかみ/左 かやた、道」/正面に「(梵字)青面金」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/緑色は異体字