埼玉県

写真 名称 ふりがな 区市町村 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 相野原一里塚 あいのはら さいたま市
(岩槻区)
<日光街道> 一里塚(1基)   寛永年間(1624-44) 県史跡 市教委/WEB
/WEB(鎌倉街道上道)
西塚は半分残存、東塚の位置に小モニュメント 日光廟造営の際、江戸から日光まで杉並木を植える時に道路拡張と同時に築かれたとされる 4
写真 裏慈恩寺の供養塔道標 うらじおんじ さいたま市
(岩槻区)
(上手) 石道標(駒型) 高72㎝,幅34㎝,厚19㎝ 元禄7(1694)   岩槻市史・金石史料編2p683
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面下部)「従是東 粕壁道」、(左面)「是より左り 慈恩寺道」/正面に「爲現光童女菩提也」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 南辻の聖観音像道標 みなみつじ さいたま市
(岩槻区)
(前) 石道標(笠付き) 高84㎝(うち、塔身78㎝),
幅32㎝,厚25㎝
元禄8(1695)   岩槻市史・金石史料編2p822
/WEB(鎌倉街道上道)
C基礎→移設 (右面)「是より右 か春可へミち」(=粕壁)、(左面)「是より左 ぢをんじ道」、(同左下隅)「く王んおん迄 拾」/正面を枠だけ残して削り込み上部に聖観音坐像(蓮台)を陽刻、その下に「奉造立觀世音菩薩/念佛供養悉地成就」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 岩槻の題目塔道標 いわつき さいたま市
(岩槻区)
六地蔵堂 石道標(駒型) 高93㎝,幅36㎝,厚31㎝ 宝永3(1706)   岩槻市史・金石史料編2p65
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約→転倒 (正面下部)「是より ぢおんじ 一里之内」/正面上部に「南無阿弥陀佛」と陰刻、その下に“蓮の花”を陽刻 4
写真 大野島の道標1 おおのじま さいたま市
(岩槻区)
元荒川・河川敷 石道標(自然石) 高76㎝,幅40㎝,厚28㎝ 宝永3(1706)   岩槻市史・金石史料編2p264 原位置 (正面)「これよりみぎ ぢおんし道」 1
写真 馬込の庚申塔道標1 まごめ さいたま市
(岩槻区)
(一番) 石道標(尖頭角柱) 高191㎝(うち、塔身140㎝),
幅50㎝,厚40㎝
正徳3(1713)   岩槻市史・金石史料編2p904
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面)「是より かうのす道」、(左面)「是より 者ら市道」(=原市)/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/裏面に「(梵字)奉造立庚申供養爲二世安樂」と陰刻 1
  鹿室の聖観音像道標 かなむろ さいたま市
(岩槻区)
  石道標(駒型)   正徳4(1714)   岩槻市史・金石史料編2p795 移設→個人宅 (左面)「是より左 しおんし」/正面上部に聖観音坐像を陽刻、その下に「奉造立愛宕供養塔」と陰刻 4  
写真 釣上の庚申塔道標 かぎあげ さいたま市
(岩槻区)
玉泉寺 石道標(笠付き) 高144㎝(うち、塔身121㎝),
幅60㎝,厚53㎝
享保4(1719)   岩槻市史・金石史料編2p653
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面右)「その者しゟ 神明さんけい道/ぢおんし江 すぐみち阿り」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 3
写真 長宮の庚申塔道標1 ながみや さいたま市
(岩槻区)
庚申塚 石道標(尖頭角柱) 高194㎝(うち、塔身137㎝),
幅51㎝,厚48㎝
享保5(1720)   岩槻市史・金石史料編2p244
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面左上)「従是 ぢおんじ道 すく」/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻、頂部枠に“日月”、最下部枠に“二鶏”、台石正面に“蓮の花”を陽刻 2
写真 釣上の道標1 かぎあげ さいたま市
(岩槻区)
(神明島) 石道標(尖頭角柱) 高103㎝,幅23㎝,厚21㎝ 享保6(1721)   岩槻市史・金石史料編2p665-666
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/下部埋設 (正面下部)「神明宮…」、(右面)「此者しゟ 志んめ…」、(左面)「此者しゟ 志ん…」/正面上部に“紙垂”の陽刻/下記「釣上の道標2」と同じ刻字内容 2
写真 釣上の道標2 かぎあげ さいたま市
(岩槻区)
(神明島) 石道標(尖頭角柱) 高87㎝,幅24㎝,厚23㎝ 享保6(1721)   岩槻市史・金石史料編2p665
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/下部埋設 (正面下部)「神明…」、(右面)「此者しゟ 志…」、(左面))「此者しゟ 志…」/正面上部に“紙垂”の陽刻/上記「釣上の道標1」と同じ刻字内容 2
写真 釣上の道標3 かぎあげ さいたま市
(岩槻区)
(神明島) 石道標(尖頭角柱) 高86㎝,幅18㎝,厚17㎝ 享保9(1724)   岩槻市史・金石史料編2p666
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面)「從是 神明宮之…」、(右面)「是より 志んめい道」 1
写真 大野島の地蔵道標 おおのじま さいたま市
(岩槻区)
  石道標(板碑型) 高80㎝,幅31㎝,厚18㎝ 享保16(1731)   岩槻市史・金石史料編2p255
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→共同墓地 (右面)「ちおんし道、右ハ 加ち道/左ハ むま道」(→と読めるが(写真参照)、「かち」「むま」の意味不明)、(左面)「こし可や道 六地蔵道」/正面を火灯窓型に浅く削り込み上部に地蔵坐像(蓮台)の浮彫、像下に「南無阿弥陀佛」と陰刻 3
写真 古ケ場の聖観音像道標 こかば さいたま市
(岩槻区)
(花ノ木) 石道標(駒型) 高94㎝,幅28㎝,厚15㎝ 享保17(1732)   岩槻市史・金石史料編2p717
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(集約、台石と合っていない)/地衣類で刻字判読困難 (光背中央下部)「向、かうのす/□□□」、(右面)「右 いわつき道」、(左面)「左 ちおんし道」(?)/頂部に聖観音坐像を浮彫 2
写真 野孫の地蔵道標 のまご さいたま市
(岩槻区)
(谷中前) 石道標(丸彫) 高91㎝(うち、塔身74㎝),
幅26㎝,厚21㎝
元文4(1739)   岩槻市史・金石史料編2p607
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/頭部は後補?/台石下部埋設/刻字摩耗 (台石右面)「是…/神明…」、(台石左面)「…/…」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 表慈恩寺の地蔵道標 おもてじおんじ さいたま市
(岩槻区)
(西) 石道標(舟型) 高66㎝,幅31㎝,厚22㎝ 元文5(1740)   岩槻市史・金石史料編2p692
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「是より こし可や道」、(左面右)「是より ぢおんじ道」/光背中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻、同右に「十三佛供養所 表慈恩寺村」と陰刻 3
写真 南平野の地蔵道標 みなみひらの さいたま市
(岩槻区)
西福寺 石道標(丸彫) 高135㎝(うち、塔身63㎝),
幅58㎝,厚34㎝
寛保3(1743)   岩槻市史・金石史料編2p192
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石正面右)「南 はとがや江 四里/右 こしがや江 三里」、(同左)「左、志"おんし江 廿六丁/かうの須江 五里半」/台石上に地蔵の半跏坐像の丸彫(光輪)を載せる 3
  柏崎の馬頭観音像道標 かしわざき さいたま市
(岩槻区)
円福寺 石道標(舟型) 高62㎝,幅30㎝,厚21㎝ 延享2(1745)   岩槻市史・金石史料編2p393 移設 (光背下部)「北 谷下村/東 柏崎村/南 横根村」/光背中央上部に馬頭観音坐像を陽刻 2
写真 古ケ場の道標 こかば さいたま市
(岩槻区)
(白根) 石道標(蒲鉾型) 高140㎝,幅38㎝,厚21㎝ 寛延4(1751)   岩槻市史・金石史料編2p717-718
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面)「従是東、岩付通道/慈恩寺道」、(右面)「右 きさいみち」、(左面)「左 加う乃春みち」(=鴻巣) 1
写真 裏慈恩寺の庚申塔道標1 うらじおんじ さいたま市
(岩槻区)
(上手) 石道標(駒型) 高55㎝,幅28㎝,厚17㎝ 宝暦3(1753)   岩槻市史・金石史料編2p683
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面右)「右 加ふ乃す道」、(同左)「左 ぢおんじ道」/正面中央に「奉造立庚申供養」と陰刻 2 -
写真 鹿室の○○観音像道標 かなむろ さいたま市
(岩槻区)
鹿室自治会館 石道標(駒型) 高109㎝,幅40㎝,厚27㎝ 宝暦4(1754)   岩槻市史・金石史料編2p798
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「是より右 志おんじ道」、(左面)「是より左 加春可べ道」(=粕壁)/正面上部を削り込んで○○観音座像(一面八臂〔剣、宝輪、鈴、梵篋、矢、弓〕、蓮台)を陽刻、その下に「奉造立観音講中」と陰刻/○○観音はきわめて稀 2
写真 裏慈恩寺の庚申塔道標2 うらじおんじ さいたま市
(岩槻区)
(新房) 石道標(駒型) 高85㎝,幅45㎝,厚25㎝ 宝暦5(1755)   岩槻市史・金石史料編2p683-684/WEB(鎌倉街道上道) 原位置 (右面)「是より 志"おんじミち」、(左面右)「此方 よしみミち」/正面を火灯窓型に浅く削り込み、「(梵字)奉造立靑金剛供養塔」と陰刻、枠右左上角に“日月”の線刻、最下部に“三猿”の陽刻 1
写真 裏慈恩寺の馬頭観音像道標 うらじおんじ さいたま市
(岩槻区)
(貝塚) 石道標(駒型) 高75㎝,幅30㎝,厚21㎝ 宝暦6(1756)   岩槻市史・金石史料編2p684
/WEB(鎌倉街道上道)
C板上に3基集約→移設 (正面下部右)「右、さつて/くき、道」、(同下部左)「左、加能す/者良いち、道」(=鴻巣、原市)/正面上部を削り込み馬頭観音坐像(一面六臂〔馬頭冠、短剣、剣、矢〕、蓮台)を陽刻、像下に「奉造立觀音経供養成就所」と陰刻 2
写真 慈恩寺の庚申塔道標1 じおんじ さいたま市
(岩槻区)
(入山) 石道標(駒型) 高83㎝,幅27㎝,厚22㎝ 宝暦6(1756)   岩槻市史・金石史料編2p764
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面)「右方 粕壁道」、(左面)「左方 幸手道」/正面に「奉供養庚申塔」と陰刻 1
写真 表慈恩寺の庚申塔道標 おもてじおんじ さいたま市
(岩槻区)
(西) 石道標(駒型) 高66㎝,幅31㎝,厚22㎝ 明和2(1765)   岩槻市史・金石史料編2p692
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、台石欠損 (正面最下部右)「右 い王つき道」、(同左)「左 こしがや道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻、同右に「奉建立青面金剛塔」と陰刻 3
写真 浮谷の聖観音像道標 うきや さいたま市
(岩槻区)
常福寺 石道標 高118㎝(うち、塔身95㎝),
幅31㎝,厚20㎝
明和3(1766)   岩槻市史・金石史料編2p405
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面上部)「左 そうか江 四り」、(左面上部)「右、い王つき江 廿八丁/ぢおんじ江 参り半」/正面上部を光背型に削り込み聖観音坐像(蓮台)を陽刻、その下に「奉納、秩父/坂東/西國、百ヶ所供羪塔」と陰刻 2
写真 裏慈恩寺の庚申塔道標3 うらじおんじ さいたま市
(岩槻区)
阿弥陀堂 石道標(尖頭角柱) 高100㎝,幅22㎝,厚18㎝ 明和4(1767)   岩槻市史・金石史料編2p673
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/下部埋設 (右面)「かす可へみ…」/正面に「庚申供養…」と陰刻 1
  新方須賀の地蔵道標 にいがたすか さいたま市
(岩槻区)
(水神) 石道標 高62㎝,幅27㎝,厚17㎝ 明和5(1768)   岩槻市史・金石史料編2p317 原位置 (右面)「じおんじ道 壹り廿五丁」、(左面)「こしかや道 …半」/正面に地蔵坐像を陽刻 1
写真 大野島の道標2 おおのじま さいたま市
(岩槻区)
神明神社 石道標(駒型) 高57㎝,幅28㎝,厚17㎝ 明和9(1772)   岩槻市史・金石史料編2p257
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面右)「こし加やみち」、(同左)「のし満みち」、(右面)「志おんしうらミち(?)」、(左面)「い王つきみち」/正面中央に建立年を刻字 2 -
写真 南平野の聖観音像道標 みなみひらの さいたま市
(岩槻区)
西福寺 石道標(笠付き) 高134㎝(うち、塔身107㎝),47㎝角 安永3(1774)   岩槻市史・金石史料編2p196
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面中央)「此方 志"おんじ道」、(左面下部右)「南 古し可"や道」(=越谷)、(同左)「北 こうの春道」(=鴻巣)/正面を火灯窓型に浅く削り込み、上半分に聖観音立像(蓮台)の陽刻、像下に「奉納、秩父/西國/坂東、百箇所供養塔」と陰刻 3
  岩槻の地蔵道標 いわつき さいたま市
(岩槻区)
(新曲輪町) 石道標(丸彫) 高74㎝(うち、塔身24㎝),
幅30㎝,厚15㎝
安永7(1778)   岩槻市史・金石史料編2p165 移設 (台石右面)「右 のじま道 一り」、(台石左面)「左 ぢおんじ道 一り」/台石上に地蔵坐像の丸彫を載せる 2
写真 馬込の庚申塔道標2 まごめ さいたま市
(岩槻区)
(二番) 石道標 高80㎝(うち、塔身70㎝),
幅38㎝,厚37㎝
天明2(1782)   岩槻市史・金石史料編2p905
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置(塀をわざわざ冂の形に窪ませてある) (右面中央)「右 せうふ道」、(左面中央)「左 かうのす道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻 1
写真 飯塚の馬頭観音道標 いいづか さいたま市
(岩槻区)
法華寺 石道標(尖頭角柱) 高96㎝(うち、塔身87㎝),
幅38㎝,厚21㎝
天明2(1782)   岩槻市史・金石史料編2p446
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面右)「東 こしかや 二里半」、(同左)「西 い王つき 二十丁」、(右面)「北 志おんじ□□道 一里六丁/東 のしまぢぞふ 二十丁」/正面中央に「奉建立馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 尾ケ崎の庚申塔道標1 おがさき さいたま市
(岩槻区)
勝軍寺 石道標(駒型) 高102㎝(うち、塔身93㎝),幅35㎝,厚25㎝ 天明6(1786)   岩槻市史・金石史料編2p554
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面)「是よ里 い王つき道/一里五丁」/光背中央に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻 3
写真 裏慈恩寺の庚申塔道標4 うらじおんじ さいたま市
(岩槻区)
(上手) 石道標(尖頭角柱) 高128㎝(うち、塔身95㎝),35㎝角 天明8(1788)   岩槻市史・金石史料編2p685
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面右下隅)「此方 こふ能す道」(=鴻巣)、(左面上部右)「東 粕壁道」、(同中)「南、子權現/觀音、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 1
写真 慈恩寺の庚申塔道標2 じおんじ さいたま市
(岩槻区)
(入山) 石道標(尖頭角柱) 高104㎝(うち、塔身98㎝),
幅39㎝,厚35㎝
寛政2(1790)   岩槻市史・金石史料編2p765
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (左面右上)「北 粕壁道/東 ゆきとまり」/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 1
写真 古ケ場の阿弥陀如来像道標 こかば さいたま市
(岩槻区)
(花ノ木) 石道標(駒型) 高70㎝,幅32㎝,厚15㎝ 享和元(1801)   岩槻市史・金石史料編2p719
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面像下)「左 志"おんし道」/正面頂部を光背型に削り込み阿弥陀如来坐像を陽刻/阿弥陀如来は稀 1
写真 横根の供養塔道標 よこね さいたま市
(岩槻区)
(上組) 石道標 高66㎝,幅28㎝,厚18㎝ 享和3(1803)   岩槻市史・金石史料編2p344-345
/WEB(鎌倉街道上道)
C台石→移設/表面の摩耗がひどく、刻字がほどんど判読できない (右面)「江戸道/こしかや 半/のじ…」/正面上部に像容不明の浮彫、その下に「/西/坂東、…」と陰刻 2 -
  長宮の庚申塔道標2 ながみや さいたま市
(岩槻区)
大光寺 石道標(笠付き) 高66㎝,幅27㎝,厚19㎝ 享和4(1804)   岩槻市史・金石史料編2p217-218 移設/笠を欠く (右面)「此方 志"おんじ」、(左面)「東 こしがや/西 いわつき」/正面に青面金剛立像(日月、六手○○、邪鬼)を陽刻 2
写真 平林寺の庚申塔道標1 へいりんじ さいたま市
(岩槻区)
(前原) 石道標(尖頭角柱) 高104㎝,41㎝角 文化2(1805)   岩槻市史・金石史料編2p879
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/下部埋設 (右面最下部右)「い王つき…」、(同左)「古しかや…」、(左面最下部右)「志おんじ…」、(同左)「かす可編…」(=粕壁)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 平林寺の庚申塔道標2 へいりんじ さいたま市
(岩槻区)
(西) 石道標(尖頭角柱) 高62㎝,幅32㎝,厚20㎝ 文化2(1805)   岩槻市史・金石史料編2p878-879
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置(C塀の一角を冂型に窪ませて残す) (右面右)「乃みち」、(左面)「い王つきみち」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 1 -
  尾ケ崎新田の地蔵道標 おがさきしんでん さいたま市
(岩槻区)
(道内) 石道標 高108㎝,幅48㎝,厚31㎝ 文化4(1807)   岩槻市史・金石史料編2p588-589 原位置 (右面)「是ゟ、大宮 氷川 三り/いわつき 一り半/じおんじ 二り廿二丁」、(左面)「是より、釣上しん明 廿一丁/そうか宿 三り十丁/川口ぜん光寺 四り」/正面上部に地蔵坐像を陽刻、その下に「百万遍供養」と陰刻 1
写真 古ケ場の庚申塔道標1 こかば さいたま市
(岩槻区)
(花ノ木) 石道標 高109㎝(うち、塔身90㎝),36㎝角 文化9(1812)   岩槻市史・金石史料編2p719
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/下部埋設 (台石右面右)「右 い王つ…」、(同左)「向、かうの…/よし…」、(台石左面)「左、志お…/かす…」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
  相野原の庚申塔道標 あいのはら さいたま市
(岩槻区)
(西) 石道標(駒型) 高60㎝,幅30㎝,厚19㎝ 文化9(1812)   岩槻市史・金石史料編2p840 原位置 (右面)「さつて 三り」、(左面)「いわつき 一り」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1 -
写真 末田の地蔵道標 すえだ さいたま市
(岩槻区)
(外野) 石道標(駒型) 高80㎝,幅34㎝,厚21㎝ 文化10(1813)   岩槻市史・金石史料編2p639
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面像下右端)「南 のじま 五丁」、(左面右)「右、いつき/志おんじ」、(同左)「左 こし可や」/正面上部を光背型に浅く削り込み地蔵坐像(蓮台)を陽刻、その下に「地藏尊建立」と陰刻 1
写真 黒谷の庚申塔道標 くろや さいたま市
(岩槻区)
(新田) 石道標 高130㎝,幅33㎝,厚20㎝ 文化11(1814)   岩槻市史・金石史料編2p480
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/下部埋設 (正面最下端)「こしが…」、(右面左下)「い者つき道」、(左面右)「と井ミち」/正面上部に「猿田彦大神」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1
写真 佐久保新田の聖観音像道標 ささくぼしんでん さいたま市
(岩槻区)
  石道標(駒型) 高96㎝,幅37㎝,厚21㎝ 文化14(1817)   岩槻市史・金石史料編2p516
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面右下)「東、左 のじまぢぞうへ 一り/(右、かぎあげ志んめいへ 一り/こしがや 二り)」、(同左下)「西 なんぶミち」/正面頂部を光背型に削り込み聖観音坐像の小さな陽刻、像下中央に「奉納、秩父/西國/坂東、百ヶ所供養塔」と陰刻 1
  柏崎の供養塔道標 かしわざき さいたま市
(岩槻区)
円福寺 石道標 高93㎝,幅32㎝,厚23㎝ 文化15(1818)   岩槻市史・金石史料編2p394 移設 (左面)「東 のじ…/西 むさし 一□」/供養塔に分類されている由来不明 2
  村国の庚申塔道標1 むらくに さいたま市
(岩槻区)
(屋敷) 石道標 高62㎝,幅24㎝,厚16㎝ 文政年間(1818-30)   岩槻市史・金石史料編2p528 原位置 (右面)「しんぐるわ じおんじ道」、(左面)「いわつき道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1 -
  柏崎の廻国塔道標 かしわざき さいたま市
(岩槻区)
円福寺 石道標 高73㎝,幅31㎝,厚19㎝ 文政2(1819)   岩槻市史・金石史料編2p394-395 移設 (右面)「東 いわつき じおんじ道」、(左面)「南 めうけん と井道/北 なんぶ うらみち」/正面に「奉納四國秩父坂東百八十八ヶ所供養」と陰刻 2 -
写真 真福寺の庚申塔道標 しんぷくじ さいたま市
(岩槻区)
(向原) 石道標(尖頭角柱) 高103㎝(うち、塔身65㎝),39㎝角 文政2(1819)   岩槻市史・金石史料編2p432
/WEB(鎌倉街道上道)
金網柵で周囲を囲む (右面左)「北 い王つき道」、(左面右)「南 江戸ミち」、(同左)「西 めうけん道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 裏慈恩寺の庚申塔道標5 うらじおんじ さいたま市
(岩槻区)
天神社 石道標(尖頭角柱) 高79㎝(うち、塔身58㎝),
幅27㎝,厚21㎝
文政5(1822)   岩槻市史・金石史料編2p680
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/台石ほぼ埋設→刻字見えない (台石右面)「西、こうのす/よしみ」(?)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 4
写真 南平野の供養塔道標 みなみひらの さいたま市
(岩槻区)
西福寺 石道標(尖頭角柱) 高86㎝(うち、塔身67㎝),
幅31㎝,厚18㎝
文政6(1823)   岩槻市史・金石史料編2p199
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「かす可べ道」、(左面)「ぢおんじ道」/正面に「奉讀誦普門品一万巻供養塔」と陰刻 3
写真 古ケ場の供養塔道標 こかば さいたま市
(岩槻区)
(花ノ木) 石道標 高137㎝(うち、塔身83㎝),
幅37㎝,厚36㎝
文政11(1828)   岩槻市史・金石史料編2p720
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (台石正面右)「向、かうのす/よしみ」/(右面左下)「右 志"おんじ道」、(左面左下)「左 かす可べ道」/正面に、梵字陰刻、蓮の陽刻、「普門品供養塔」の陰刻 1
写真 鹿室の題目塔道標 かなむろ さいたま市
(岩槻区)
鹿室自治会館 石道標(駒型) 高78㎝,幅26㎝,厚18㎝ 文政11(1828)   岩槻市史・金石史料編2p798
/WEB(鎌倉街道上道)
正面の摩耗が進行し、刻字一部判読不能 (正面下部)「□□可へ道/いつき道…」、(右面)「すぎと道 一り半/やまミち」、(左面右下)「さつて道 三り」/正面上部に「觀世音菩薩」と陰刻 3 -
写真 南平野の庚申塔道標1 みなみひらの さいたま市
(岩槻区)
西福寺 石道標(尖頭角柱) 高139㎝(うち、塔身86㎝),
幅39㎝,厚38㎝
文政11(1828)   岩槻市史・金石史料編2p200
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面左)「此方 かす可べ道」、(左面右)「東 こし可"や道」、(同左)「西 かうのす道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 3
  横根の庚申塔道標 よこね さいたま市
(岩槻区)
(野方) 石道標(自然石) 高108㎝,幅87㎝,厚18㎝ 天保年間(1830-44)   岩槻市史・金石史料編2p336 原位置 (正面下部?)「北 岩槻道、富士浅間江 二/鷲ノ宮江 五り」「南 江戸道、渡井へ 八丁/御室一ノ宮へ 一里半程」「西 南部道、妙見 十丁/氷川大宮江 三り程」/正面中央に「猿田彦大神」と陰刻 1
写真 裏慈恩寺の庚申塔道標6 うらじおんじ さいたま市
(岩槻区)
(上手) 石道標 高144㎝(うち、塔身74㎝)35㎝角 天保3(1832)   岩槻市史・金石史料編2p685-686
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石右面)「南 く王んおん道」、(台石左面)「右 者らいち道/左 加す可べ道」(=粕壁)/正面に大きく「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 笹久保の供養塔道標 ささくぼ さいたま市
(岩槻区)
地蔵院 石道標 高79㎝(うち、塔身66㎝),
幅29㎝,厚22㎝
天保6(1835)   岩槻市史・金石史料編2p487
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面最下部)「此方、い王つき 廿五丁/志おんじ 二り」、(左面最下部左)「此方 者と可や 三り」(=鳩ヶ谷)/正面に「普門品供養塔」と陰刻 3
写真 古ケ場の庚申塔道標2 こかば さいたま市
(岩槻区)
永福寺廃寺 石道標(尖頭角柱) 高120㎝,幅34㎝,厚22㎝ 天保9(1838)   岩槻市史・金石史料編2p711
/WEB(鎌倉街道上道)
道標の部分だけ柵が途切れている→原位置 (右面左)「東 可す可へ道 一り半」(=粕壁)、(左面)「西、よしミ/かうの須、道、七里/六里」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 1
写真 小溝の庚申塔道標 こみぞ さいたま市
(岩槻区)
諏訪神社 石道標(墓石型) 高140㎝(うち、塔身84㎝),39㎝角 天保11(1840)   岩槻市史・金石史料編2p681
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石右面)「此方 か春可へ 一り」(=粕壁)、(台石左面)「此方、こうのす 六…/あけを 四り」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 大口の庚申塔道標 おおぐち さいたま市
(岩槻区)
香取神社 石道標(尖頭角柱) 高67㎝,幅31㎝,厚24㎝ 天保11(1840)   岩槻市史・金石史料編2p183
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/下部若干埋設 (右面左下)「此方 かす可べ道」、(左面右下)「南 のじま…」/正面に「猿田大神」と陰刻(緑字は異体字)、頂部に“日月”の陽刻 2 -
写真 南平野の庚申塔道標2 みなみひらの さいたま市
(岩槻区)
西福寺 石道標(尖頭角柱) 高103㎝(うち、塔身69㎝),
幅29㎝,厚24㎝
弘化2(1845)   岩槻市史・金石史料編2p201
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石正面右)「此方/志"おんじ道」、(同中央)「向 かす可へ道」、(同左)「此方/い王つき道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
写真 真福寺の馬頭観音道標 しんぷくじ さいたま市
(岩槻区)
(向原) 石道標(尖頭角柱) 高69㎝(うち、塔身51㎝),
幅25㎝,厚17㎝
弘化2(1845)   岩槻市史・金石史料編2p433
/WEB(鎌倉街道上道)
波状鉄板で細長く周囲を囲み、簡易覆屋内に2基移設 (右面)「西 めうけん道」、(左面右)「東、大戸第六天道/のしま道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/「弘化巳」→弘化2 3 -
写真 裏慈恩寺の庚申塔道標7 うらじおんじ さいたま市
(岩槻区)
(原) 石道標 高99㎝,幅29㎝,厚19㎝ 嘉永年間(1848-54)   岩槻市史・金石史料編2p686
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/刻字不鮮明→一部の刻字は新たに削り込み (正面右下)「ぢおんし」、(右面)「此方 日光ミち」、(左面)「此方 しおんしミち」/正面に「奉供養庚申塔」と陰刻 2
写真 慈恩寺の庚申塔道標3 じおんじ さいたま市
(岩槻区)
毘沙門天堂 石道標(尖頭角柱) 高99㎝(うち、塔身77㎝),30㎝角 嘉永4(1851)   岩槻市史・金石史料編2p747
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「東 く王んおんへ 四丁/西、かうのすへ 五り/よしミへ 七り」/正面に大きく「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 村国の庚申塔道標2 むらくに さいたま市
(岩槻区)
(屋敷前) 石道標(尖頭角柱) 高115㎝,幅36㎝,厚26㎝ 安政2(1855)   岩槻市史・金石史料編2p529
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (右面)「(右指差し)此方 志おんしミち 一り三丁」、(同下部)「(左指差し)此方 のしまミち 十五丁」、(左面)「い王川きみち」(=岩槻)/正面に大きく「猿田彦太神」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 南平野の庚申塔道標3 みなみひらの さいたま市
(岩槻区)
西福寺 石道標(尖頭角柱) 高163㎝(うち、塔身100㎝),43㎝角 安政5(1858)   岩槻市史・金石史料編2p201
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面左端)「左 加す可べ道」(=粕壁)、(左面右端)「向 古しかやミち」、(同左端)「右 志"おんじ道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 村国の庚申塔道標3 むらくに さいたま市
(岩槻区)
(里) 石道標(尖頭角柱) 高83㎝,幅22㎝,厚16㎝ 安政6(1859)   岩槻市史・金石史料編2p530
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面)「(右上指差し)此方 のじまみち」、(左面右)「村道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  村国の庚申塔道標4 むらくに さいたま市
(岩槻区)
(鋳物屋敷) 石道標(尖頭角柱) 高56㎝,幅20㎝,厚14㎝ 安政6(1859)   岩槻市史・金石史料編2p529-530 原位置 (右面)「此方 …/此方 岩月道」、(左面)「此方 …ミち」/正面に「庚申塔」と陰刻 1 -
写真 高曽根の庚申塔道標1 たかそね さいたま市
(岩槻区)
薬師堂 石道標(駒型) 高89㎝,幅34㎝,厚22㎝ 文久3(1863)   岩槻市史・金石史料編2p613
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/左面が隣石と近接 (正面最下部)「大門 一り半/草加 四り/釣上 一り」、(左面)「いハつき 一り/第六天 十五丁」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
写真 高曽根の庚申塔道標2 たかそね さいたま市
(岩槻区)
薬師堂 石道標(駒型) 高88㎝,幅35㎝,厚21㎝ 文久3(1863)   岩槻市史・金石史料編2p613
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/左面が隣石と近接して刻字読めない (正面最下部右)「戸井 一り」、(同左)「大宮 三り」、(左面)「第六天 八丁/地蔵尊 十二丁/こしがや おふさわ 二り」(?)/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 4
写真 高曽根の庚申塔道標3 たかそね さいたま市
(岩槻区)
薬師堂 石道標(駒型) 高88㎝,幅35㎝,厚21㎝ 文久3(1863)   岩槻市史・金石史料編2p613
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/左面が隣石と近接 (正面最下部中央)「いハつき 一り」、(右面下部)「戸井 一り/大宮 三り」、(左面)「第六天 七丁/地蔵尊 十二丁/古しがや/おさ王 二里」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
写真 高曽根の庚申塔道標4 たかそね さいたま市
(岩槻区)
薬師堂 石道標(駒型) 高63㎝,幅21㎝,厚14㎝ 文久3(1863)   岩槻市史・金石史料編2p614
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/表面の磨耗大 (正面最下部)「上 一り/大門 一り半/草加 四り」、(右面)「地蔵尊 十一丁/第六天 十丁」/正面に「□□□」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3 -
写真 南下新井の庚申塔道標 みなみしもあらい さいたま市
(岩槻区)
(宮前) 石道標(尖頭角柱) 高136㎝(うち、塔身103㎝),
幅43㎝,厚40㎝
元治2(1865)   岩槻市史・金石史料編2p546
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面左端下)「此方 い王つき 二十丁」、(左面)「此方、のし満地蔵 二十丁/大戸第六天 拾五丁/越ケや 二り半」、(裏面右端下)「此方 のミち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 尾ケ崎新田の道標 おがさきしんでん さいたま市
(岩槻区)
(五反歩) 石道標(駒型) 高84㎝,幅35㎝,厚20㎝ 慶応元(1865)   岩槻市史・金石史料編2p589
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/下部一部埋設 (正面)「成田山江 十八里」、(右面)「西 おミやへ 三り/北 い王津きへ 壱り半」(=岩槻)、(左面)「東 こし可"やへ 壱り半/南 者と可"やへ 二り半」/正面頂部に成田山新勝寺の紋を模った陽刻 1
  岩槻の道標 いわつき さいたま市
(岩槻区)
(林道町) 石道標(尖頭角柱) 高111㎝(うち、塔身70㎝),
幅39㎝,厚38㎝
慶応3(1867)   岩槻市史・金石史料編2p165 原位置 (正面)「なりたみち」、(右面)「江戸道、大門宿 二里拾二丁/鳩ケ谷宿 四里/川口宿 五里/草加宿 四り半」、(左面)「大門宿 二里/越ケ谷宿 □□□□ 五里」 1
写真 表慈恩寺の准胝観音像道標 おもてじおんじ さいたま市
(岩槻区)
  石道標 高150㎝,幅33㎝,厚28㎝ 江戸期   岩槻市史・金石史料編2p709
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/右面上部の刻字判読不能(変体仮名は左面に合わせてある) (正面像下)「是より右 慈恩寺道」、(右面)「これ与りき多の加多 ちをんし く王んをん さんけいミち」(=是より北の方 慈恩寺観音道 )、(左面)「これ与りき多の加多 ちをん しく王んをん さんけいミち」/正面に中央よりやや上に准胝観音坐像(一面三目十臂、蓮台)の浮彫/准胝観音はきわめて稀/「ミち」の標記は江戸期 2
  尾ケ崎の庚申塔道標2 おがさき さいたま市
(岩槻区)
  石道標(駒型) 高52㎝,幅23㎝,厚13㎝ 江戸期   岩槻市史・金石史料編2p578 原位置? (左面)「此方 のじま地蔵尊ミち」/正面に「庚申」と陰刻/「ミち」の標記は江戸期 1 -
写真 飯塚の石橋供養塔 いいづか さいたま市
(岩槻区)
法華寺 石碑 高95㎝,幅32㎝,厚20㎝ 寛保元(1741)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「奉造立地蔵尊石橋供養佛」/頂部に丸彫風の小さな光背付き地蔵坐像(一体成型)を載せる 3
写真 鉤上新田の石橋供養塔 かぎあげしんでん さいたま市
(岩槻区)
東武リズム幼稚園・東側交差点 石碑 高99㎝,幅29㎝,厚19㎝ 延享5(1746)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、祠内 (正面)「奉建立石橋供養佛」/頂部に光背付き地蔵立像(一体成型)を載せる 2
  平林寺の石橋供養塔 へいりんじ さいたま市
(岩槻区)
元荒川(右岸) 石碑(自然石)   寛延3(1750)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「奉供養石橋建立」 1
写真 馬込の石橋供養塔 まごめ さいたま市
(岩槻区)
綾瀬川(左岸)  石碑   安永6(1777)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (正面像下)「石橋拾ヶ所供養塔」/頂部を光背型に削り込み地蔵坐像(蓮の花、蓮台)を陽刻 1
写真 上野の石橋供養塔 うえの さいたま市
(岩槻区)
元荒川(左岸) 石碑
(駒型、道標兼)
高116㎝,幅35㎝,厚23㎝ 天明元(1781)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「(梵字3)石橋供養塔」/塔のすぐ北側を流れる山城堀に架かっていたの石橋の供養塔? 1
写真 大野島の敷石供養塔 おおのじま さいたま市
(岩槻区)
神明神社 石碑(尖頭角柱) 高78㎝,幅30㎝,厚22.5㎝ 天保4(1833)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「敷石願主講」/右・左面には寄付者の名前が金額とともに一面に刻字されている 2
写真 平林寺の敷石供養塔 へいりんじ さいたま市
(岩槻区)
関白神社  石碑 高77㎝,幅29㎝,厚17㎝ 嘉永元(1848)   WEB(鎌倉街道上道)   (正面)「敷石供養塔」   -
写真 馬込の敷石供養塔 まごめ さいたま市
(岩槻区)
第六天神社 石碑(尖頭角柱) 高70㎝(うち、台石10㎝),
幅26㎝,厚17㎝
嘉永5(1852)   WEB(鎌倉街道上道)   (正面)「鋪石喜捨   -
写真 末田須賀溜井 すえだ、すが さいたま市
(岩槻区)
元荒川 溜井   慶長年間(1600頃)   WEB(関東地方の川) 溜井の景観を今も残す 両岸に、それぞれ末田河岸と須賀河岸があった 2
写真 末田須賀堰の御定杭 すえだ、すが さいたま市
(岩槻区)
元荒川/永代橋・右岸橋詰の遊歩道 御定杭 高110㎝,幅41㎝,厚30㎝ 寛延3(1750)   WEB(関東地方の川) 末田須賀新堰の完成と周辺整備に伴い移設 (正面上部)「此定頭ヨリ/石堰上端/八尺五寸下リ」(緑字は異体字)/石堰(末田須賀堰)の天端高をこの杭で規定していた: 堰の天端高を高くすることは、末田須賀堰から取水している下流地域にとっては貯水量が増えるので望ましい→反面、上流側の地域にすれば、元荒川の水位が高くなり、排水不良や水害を引き起こす→上下流の利害関係を事前に調停するため御定杭が設置された 2
写真 末田須賀堰の安全祈願碑 すえだ、すが さいたま市
(岩槻区)
元荒川(右岸)/旧岩槻道 石碑(駒型)   寛延3(1750)   WEB(関東地方の川) 原位置 (正面)「(梵字)奉修請縛陀堤婆供當堰安寧祈所」、(右面)「寛延三庚午年正月中旬石堰/普請初同年三月之下旬終」→堰の築造が2ヶ月強で終了したことが分かる 1
写真 岩槻城大構・跡 いわつき、
おおがまえ
さいたま市
(岩槻区)
愛宕神社 土塁 総延長8㎞(当初) 天正年間(1580年代頃) 市史跡 WEB/現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
C補強された土塁の切断面(高約3m) 大溝=岩槻城と城下町の周囲を取り巻く土塁と堀の総称/小田原北条氏が、豊臣政権との緊張が高まる中で築いたとされる→城下の町場の保護にも大きな役割を果たした 3
  岩槻城大構・跡 いわつき、
おおがまえ
さいたま市
(岩槻区)
(太田1丁目) 土塁 同上 同上   WEB 竹藪の中に長40m,高2m程度の土塁 同上 3
  岩槻城大構・跡 いわつき、
おおがまえ
さいたま市
(岩槻区)
(加倉4丁目) 土塁 同上 同上   WEB 道路脇に小規模な土塁 同上 3
写真 瀬ヶ崎の庚申塔道標 せがさき さいたま市
(浦和区)
(2丁目) 石道標(尖頭角柱) 高106㎝(うち、台石27㎝),
幅35㎝,厚34㎝
寛政8(1796)   郷土の石佛p60
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (正面右端)「是より南 うらわミち」、(同左端)「是ゟ西 大ミや よのミち」、(右面左端)「是よ里東 阿可やま道」、(左面右端)「是よ里北 い王つきミち」/正面に大きく「庚申塔」、右面に大きく「巳待塔」、左面に大きく「甲子塔」と陰刻/3種類の題目に多くの道しるべは珍しい 1
  元町の三尊像道標 もと さいたま市
(浦和区)
(2丁目)北浦和駅・東 石道標   文化元(1804)   郷土の石佛p40,62   (正面下半分)「右 い王つき」/正面頂部に三尊坐像を陽刻、その下に「月山/湯殿山/羽黒山」と陰刻  

写真 木崎の庚申塔道標 きざき さいたま市
(浦和区)
(5丁目) 石道標(尖頭角柱) 高70㎝,幅28㎝,厚27㎝ 天保2(1831)   郷土の石佛p60
/WEB(鎌倉街道上道)
簡易覆板/下半分が完全に剥落 (右面左下)「是ゟ南…」、(左面右下)「是ゟ北、おふミや/い王つき、道」/正面に大きく「庚申…」と陰刻 3 -
写真 常磐の庚申塔道標 ときわ さいたま市
(浦和区)
(1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高130㎝,33㎝角 天保13(1842)   郷土の石佛p61
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面下部)「富士山/大山/引又、道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“富士山”、その両側に“日月”の線刻 2
写真 浦和宿二・七市場定杭 うらわ さいたま市
(浦和区)
(常盤1丁目)
慈恵稲荷神社<中山道>
石標(尖頭角柱) 高134㎝,幅24㎝,厚21㎝ 天正18(1590) 市史跡 浦和の石造物p46
/現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (正面)「御免、毎月/二七、市場定」(緑字は異体字)、(裏面下部)「足立郡之内/浦和宿」/毎月2と7の日に開かれた浦和の市→豊臣秀吉の家臣・浅野長政が許可した市であることを示す→歴史的価値は非常に高い 2

写真 常盤の石橋・道普請供養塔 ときわ さいたま市
(浦和区)
(9丁目) 石碑(尖頭角柱、道標兼) 高95㎝,幅35㎝,厚23㎝ 宝暦12(1762) 市史跡 WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面)「奉造立石橋 并 道普請供養佛」、(左面)「是よ里 与の 川越道」/中山道から与野町へ向かう途中、浦和区針ヶ谷方面から流れてくる排水路に架けられていた石橋の供養塔 1
写真 旧側海"言斗"と村内の旧石橋 そばがいと さいたま市
(大宮区)
(三橋4丁目)鴨川(左岸) <石桁橋> 長154㎝(2本) 文化9(1819)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 昭和初期の耕地整理で転用→昭和40頃解体/石材のみ保管 題目の"言斗"は、ごんべんに斗を書く1つの文字/上の石材→観音講の寄進者15人の名前が刻字、下の石材→紀念銘が刻字 4 -
写真 三橋の庚申塔道標1 みはし さいたま市
(大宮区)
(2丁目)三橋小学校・南 石道標(笠付き) 高172㎝(うち、台石17㎝),
幅38㎝,厚25㎝
正徳2(1712)   富士見市近隣の道しるべp14 移設/立派な木祠内→道しるべの確認不可能 (右面右下)「これより南 よの道」、(左面左下)「これより東 大ミや道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、三猿)を陽刻(全体に様式的、笠は立派)/「三橋の庚申塔道標2・4」は西区 2
写真 上小町の庚申塔道標 かみこ さいたま市
(大宮区)
県道沿い 石道標(駒型) 高137㎝ 享保16(1731)   大宮の庚申塔p29
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内/信仰の対象 (右面)「是より東 大宮町道/是より南 与野町道/是より西 川越ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 浅間町の庚申塔道標 せんげん さいたま市
(大宮区)
(2丁目)氷川参道・脇 石道標 高117㎝ 宝暦10(1760)   大宮の庚申塔p24
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(基部が露出したまま置いてある)/木祠内 (右面最下部右)「南ノ方 北袋道」、(同左)「西ノ方 大宮宿」、(左面最下部右)「北ノ方 社中一道」、(同左)「東 天沼道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 2
写真 大成町の庚申塔道標 おおなり さいたま市
(大宮区)
(1丁目)八幡神社・北西角 石道標 高136㎝,幅40㎝ 安永9(1780)   大宮の庚申塔p26
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石正面)「従是/西/與野 三十丁/川越 三里/道」、(台石右面:左→右)「是ゟ/東/大みや 八丁/い王つき 五り/みち」、(台石左面)
「是ヨリ/北/原市 二里/上尾 二里/道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻
1
写真 三橋の庚申塔道標3 みはし さいたま市
(大宮区)
(4丁目)天神社 石道標(尖頭角柱) 高110㎝(うち、台石28㎝),34㎝角 寛政8(1796)   富士見市近隣の道しるべp13 移設/小祠内 (台石右面)「北/ひら方/加王ごへ/ち」、(台石左面)「南/与の/江戸/道」/正面に「庚申塔」と陰刻/「三橋の庚申塔道標2・4」は西区 2
写真 寿能町の石橋供養塔1 じゅのう さいたま市
(大宮区)
(2丁目) 石碑 高116㎝,幅39㎝,厚24㎝ 安永6(1777)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?(新しい舗石) (正面)「石橋供養塔」/下記「寿能町の石橋供養塔2」と並ぶ 2
写真 寿能町の石橋供養塔2 じゅのう さいたま市
(大宮区)
(2丁目) 石碑 高159㎝,幅36㎝,厚20㎝ 嘉永5(1852)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?(新しい舗石) (正面)「石橋再建供養塔」/上記「寿能町の石橋供養塔1」と並ぶ 2
写真 三橋の敷石供養塔1 みはし さいたま市
(大宮区)
茶堂 石碑(尖頭角柱) 高212㎝(うち、台石37㎝),幅36.5㎝,厚23㎝ 寛政12(1800)   郷土の石佛p64/WEB
(鎌倉街道上道)
原位置?/下部で折損→修復 (正面)「(梵字3)敷石供養塔」(枠を残して火灯窓型に削り込んだ中に陰刻) 1
写真 三橋の敷石供養塔2 みはし さいたま市
(大宮区)
(2丁目)三橋公民館 石碑(道標兼) 高87㎝,幅34㎝,厚18㎝ 江戸期   富士見市近隣の道しるべp13 移設/祠内 (正面)「敷塔」、(右面)「西 川古"へ/南 引又 大山、道」(=引又河岸)、(左面)「南 よの 江戸/東 大ミや い王川き、道」(=岩槻)/「江戸」の標記は江戸期 2
写真 奈良町の鎌倉街道・羽根倉道・跡 なら さいたま市(北区) 三貫清水緑地
<鎌倉街道・羽根倉道
(推定ルート)>
道路 長約300m 鎌倉時代?   WEB(鎌倉街道上道) 一部舗装されているが、大部分は土道 (鎌倉街道上道と中道を連絡する「羽根倉道」と推定されている 2
写真 日進町の庚申塔道標 にっしん さいたま市(北区) (2丁目)県道沿い 石道標(駒型) 高118㎝,幅52㎝,厚22㎝ 宝暦4(1754)   大宮の庚申塔p28
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置、木祠内 (右面最下部)「東、者らいち/以わつき、みち」、(左面最下部右)「南 よの/みち」、(同左)「北、□□□/あけを」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の浮彫 1
写真 吉野町の地蔵道標 よしの さいたま市(北区) (2丁目)地蔵堂 石道標 高64㎝,幅23.5㎝,厚14.5㎝ 明和5(1768)   郷土の石佛p67
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面右下隅)「右 川ごへ道」、(同左下隅)「左 江戸道」/正面上部に地蔵坐像(蓮台)の浮彫、その下に「百万遍供養塔」と陰刻 2 -
写真 東大成町の地蔵道標 ひがしおおなり さいたま市(北区) <中山道> 石道標 高79㎝,幅29㎝,厚17㎝ 安永6(1777)   郷土の石佛p66/続大宮の文化財散歩p7-8
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(道路拡幅)? (正面右下隅)「大宮」、(同左下隅)「上尾」、(右面)「是より東ゟ右 原市道」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵坐像(蓮台)を陽刻、その下に「南無三界萬霊」と陰刻 1
写真 奈良町の供養塔道標 なら さいたま市(北区)   石道標(尖頭角柱)   文化10(1813)   WEB(鎌倉街道上道) Cブロックの高い基壇上に不自然に移設 (正面右下)「い王つき道」、(同左下)「ぢおんじ道」、(右面)「西 あき者道/東 阿けをミち」、(左面右)「南 よ能ミち」(=与野)/正面中央に「奉納西國百箇所供養塔」と陰刻 2
写真 奈良町の庚申塔道標 なら さいたま市(北区)   石道標(駒型) 高78㎝,幅30㎝,厚15㎝ 文化10(1813)   大宮の庚申塔p26
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (左面)「あき者"道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 1
写真 土呂町の庚申塔道標 とろ さいたま市(北区) (2丁目)神明神社 石道標 高143㎝ 文政5(1822)   大宮の庚申塔p23
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石右面左端)「北 者良いちへ 三十丁/南 大宮へ 二十五丁」(=原市)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面上部に“三猿”の陽刻 2
写真 吉野町の馬頭観音道標 よしの さいたま市(北区) (2丁目)地蔵堂 石道標 高116㎝(うち、台石29㎝),
幅38㎝,厚26㎝
文政6(1823)   郷土の石佛p67
/大宮をあるくⅠp57
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/台石下部埋設 (台石右面中央)「西、飛ら…/川…」(=平方)、(台石左面右端)「北 はらいち道」、(同中央)「東、伊ワつき/志おんじ、道」(=岩槻)、(同左端)「南 あき葉」/正面に「馬頭觀世音」、左面右に「天下静謐」と陰刻 2
写真 吉野町の庚申塔道標 よしの さいたま市(北区) (2丁目)供信倉庫・角 石道標 高122㎝ 文政7(1824)   大宮の庚申塔p25
/WEB(鎌倉街道上道)
C舗装上→移設? (右面)「右 い王つき」、(左面)「東 者らいち」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2
写真 東大成町の馬頭観音像道標 ひがしおおなり さいたま市(北区) <中山道> 石道標 高107㎝(うち、台 石33㎝),
幅30㎝,厚28㎝
天保3(1832)   郷土の石佛p66/
続大宮の文財散歩p7-8
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石左面)「此方、せいぶ 四り半/きさい 五り半」(=菖蒲、騎西)/正面上半分を削り込み馬頭観音坐像(一面二臂、光輪、蓮台)を浮彫、その下に「供養塔」と陰刻 1
写真 東大成町の題目塔道標 ひがしおおなり さいたま市(北区) (1丁目)<中山道> 石道標 高83㎝,幅24㎝,厚14㎝ 安政7(1860)   郷土の石佛p41,66
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(基部露出)? (正面下部)「よ能/引また/加王越、道」(=与野、川越)/頂部に富士山の線刻、その下に「大山/御嶽山」と陰刻 2
写真 本郷町の石橋供養塔 ほんごう さいたま市(北区) 見沼代用水西縁(右岸) 石碑 高108㎝,幅38㎝,厚23㎝ 宝暦7(1757)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/下部Cで固定(昭和6) (正面)「石橋供養塔」 2
写真 宮原町の石橋供養塔 みやはら さいたま市(北区) (3丁目) 石碑 高95㎝,幅41㎝,厚24㎝ 宝暦9(1759)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「(梵字)橋供養塔」/中山道に架かっていた石橋の供養塔 1
写真 大成町の石橋供養塔 おおなり さいたま市(北区) 稲荷神社 石碑 高61㎝,幅30㎝,厚18㎝ 明和3(1766)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?/頂部欠損(“月”の部分) (右面)「庚申待石橋供養」/正面に青面金剛立像(日、六手合掌、邪鬼、三猿)/西150mを流れる鴻沼川に架けられていた石橋の供養塔? 2
写真 田島の弁財天像道標 たじま さいたま市(桜区)   石道標(舟型) 高211㎝(うち、塔身92㎝),
幅40㎝,厚30㎝
正徳3(1713)   郷土の石佛p71
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、簡易祠内 (左面左下)「是より西江 ふぢ通リ」(「ふぢ」の意味不明→県下初の富士塚は寛政12(1800)なので「富士」ではない)/角柱状の塔身上に光背を持つ弁財天坐像の浮彫を載せる 2
写真 西堀の庚申塔道標1 にしぼり さいたま市(桜区) (9丁目)信金裏・路傍
<日向鎌倉街道>
石道標(尖頭角柱) 高97㎝
(基部除外),
幅32㎝,厚24㎝
宝暦7(1757)   浦和の石造物p61
/郷土の石佛p73
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(覆屋内)/基部露出 (右面最下部右)「ゟ是 きた」、(同左)「よの道」、(裏面)「従是、(右、者やそ道/とうまん道)/(左、わらひ道/江戸道)」(=早瀬、道満)/正面上半分を四角(上部隅丸)に削り込み、青面金剛坐像(六手合掌、三猿)を陽刻、その下に大きく「供羪」と陰刻/下記の「西堀の庚申塔道標3」と並ぶ 2
写真 下大久保の大黒天像道標 しもおおくぼ さいたま市(桜区) 諏訪神社 石道標 高137㎝,
幅34.5㎝,厚25㎝
寛政元(1789)   浦和の石造物p28
/郷土の石佛p69
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/刻字は磨耗しているのではなく写真上で判読できないだけ (右面)「西、□□□ 一里/ふちう 六り/おゝや満 十八里」(=府中、大山阿夫利神社)、(左面)「東、よの 一里/□□□ 三り半/尓つこう山 三十六里」(=日光山輪王寺)、(裏面)「南 江戸道 七里」/正面頂部を光背型に削り込み大黒天坐像を陽刻、その下に「甲子塔」と陰刻 2
写真 西堀の三菩薩像道標 にしぼり さいたま市(桜区) (1丁目)西堀橋畔・庚申塚 石道標(尖頭角柱) 高82㎝(うち、台石14㎝),
幅27㎝,厚17㎝
文化4(1807)   郷土の石佛p40,73
/郷土の石佛p73
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面像下左)「西、者禰くら/川こへ、ミち」(=羽根倉河岸)、(右面像下)「南、王らひ/江戸、道」(=蕨)、(左面像下)「北、よの/阿き者、道」(=秋葉)/正面上半分に妙見菩薩(龍に乗って剣を持つ)坐像の浮彫、右面上半分に如意輪観音の半跏坐像の浮彫、左面上半分に地蔵坐像の浮彫→非常に珍しい 2
写真 五関の庚申塔道標 ごせき さいたま市(桜区)   石道標(尖頭角柱) 高126㎝(うち、台石24㎝),
幅32㎝,厚21㎝
文化8(1811)   郷土の石佛p68
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(道の角、台石基部露出) (左面)「東 与のミち/南 者ねくら 大山道」(=羽根倉河岸)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 1
写真 西堀の庚申塔道標2 にしぼり さいたま市(桜区) 土合公民館・角 石道標 高112㎝,幅34㎝,厚23㎝ 文化9(1812)   郷土の石佛p73
/WEB(鎌倉街道上道)
移設時に向きを変えた可能性/4面とも下半分の石材表面剥離(刻字は判読できる) (右面下部右)「よのミち」、(裏面最下部)「者やそ、引又、ミち」(=早瀬、引又河岸)/正面上部に「已待塔」、右面上部に「甲子塔」、左面に「馬頭觀世音」、裏面に「庚申塔」と陰刻 2
写真 西堀の庚申塔道標3 にしぼり さいたま市(桜区) (9丁目)信金裏・路傍
<日向鎌倉街道>
石道標 高60㎝
(基部除外),
幅28㎝,厚18㎝
文化10(1813)   郷土の石佛p73
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(覆屋内)/頂部の刻字部が剥離/基部露出 (右面)「 王らび道/ とうまん道」(=蕨、道満)、(左面)「 よ能 おほ宮道」(=与野)/正面を枠だけ残して浅く削り込み「庚申塔」と陰刻、右左面の道しるべも削り込んだ中に刻字/上記の「西堀の庚申塔道標1」と並ぶ 3 -
写真 田島の庚申塔道標1 たじま さいたま市(桜区) 観音堂・前 石道標(駒型) 高95㎝,幅38㎝,厚26㎝ 文化12(1815)   郷土の石佛p70
/WEB(鎌倉街道上道)
木祠内、信仰の対象 (右面下部右)「南 王らび」(=蕨)、(同左)「西 者やせ」(=早瀬)、(左面)
「北 与野道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻
1
写真 田島の庚申塔道標2 たじま さいたま市(桜区) 覚了坊 石道標(尖頭角柱) 高110㎝(うち、台石14㎝),
幅35㎝,厚24㎝
文化14(1817)   郷土の石佛p71
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面最下部)「右、浦和/与野、道」、(左面)「飛きま多みち」(=引又河岸)/正面に大きく「(梵字)庚申塔」と陰刻 3
写真 上大久保の庚申塔道標 かみおおくぼ さいたま市(桜区) 常楽寺 石道標 高112㎝(うち、台石32㎝),
幅36㎝,厚22.5㎝
文政13(1830)   郷土の石佛p68
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面右下)「北 よの 大ミや道」、(同左下)「東 王らび 江戸道」(=蕨)、(左面右下)「南 者禰くら 引又道」(=羽根倉河岸、引又河岸)/正面大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
写真 栄和の庚申塔道標 さかわ さいたま市(桜区) さかわ幼稚園・前 石道標 高121㎝(うち、台石26㎝),
幅33㎝,厚22㎝
安政3(1856)   郷土の石佛p69
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、下部Cブロック・上部木祠内 (右面右)「南 者やせミち」(=早瀬)、(同左)「西 者禰くら 引又道」(=羽根倉河岸、引又河岸)、(左面右)「北 与の 大宮道」、(同左)「東 王らひ 江戸道」(=蕨)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻 2
写真 塚本の石橋供養塔 つかもと さいたま市(桜区) 釈迦堂 石碑 高189㎝,幅44㎝,厚27㎝ 享保11(1726)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面像下)「石橋供養塔」/正面頂部を円形に削り込み小さな地蔵坐像(錫杖、蓮台)を陽刻、像下の刻字部も長方形に削り込まれている 1
写真 五関の石橋供養塔 ごせき さいたま市(桜区) 五関会館 石碑 高193㎝,幅37㎝,厚25㎝ 安永3(1774)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (正面)「(梵字)石橋供養塔」 2
写真 田島の敷石供養塔 たじま さいたま市(桜区) 田島氷川神社 石碑 高76㎝,幅21㎝,厚34㎝ 嘉永5(1852)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「奉敷石伊勢講中」 1 -
  羽根倉河岸・跡 はねくら さいたま市(桜区) 荒川 河岸場   江戸初期 市史跡 歴史の道7p17 大正8からの荒川改修で移転・消滅 付近には鎌倉街道が荒川を渡る渡船場もあった/寛文2(1662)に問屋が設立 5
  新開の水難除碑 しびらき さいたま市(桜区) (1丁目) 石碑 高165㎝ 嘉永元(1848)   浦和の石造物p86   (○面)「村内渡船場 水難除」/正面中央に大きく「水天宮」と陰刻  
写真 上峰の庚申塔道標 うえみね さいたま市
(中央区)
(3丁目)国道17号バイパス・交差点 石道標(駒型) 高154㎝(うち、塔身65㎝),
幅37㎝,厚21㎝
宝永8(1711)   富士見市近隣の道しるべp22 移設、集約 (背の高い台座右面右上)「これより/加う志うみち」(=甲州道)、(背の高い台座左面右上)「これより/江戸みち」/背の高い台石上に駒型の光背を持つ青面金剛坐像(日月、六手合掌)を浮彫、下段台石正面に“三猿”の陽刻、背の高い台座正面に「(梵字)奉造立庚申尊像」と陰刻/下記「上峰の地蔵道標」と同所 2
写真 本町東の庚申塔道標 ほんまちひがし さいたま市
(中央区)
(6丁目)氷川神社 石道標 高123㎝(うち、台石34㎝),
幅47㎝,厚30㎝
享保4(1719)   郷土の石佛p,77
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/道標となっている台石に載っていたと思われる彫像部欠損 (右面下部)「従是右、大宮道/奥刕道」、(左面)「従是左 川越道」/正面を火灯窓型に浅く削り込み、庚申信仰の疫病除けの「縛帝吒摩訶摩/訶噌郵呼郵呼羅/濕吒帝婆婆訶」を刻字/頂部に青面金剛像の基部残骸(?)、正面最下端に“三猿”の陽刻 3
写真 本町東の道標 ほんまちひがし さいたま市
(中央区)
(5丁目)市道・脇<赤山道> 石道標 高60㎝,幅34㎝,厚18㎝ 寛政8(1796)   富士見市近隣の道しるべp20 移設、集約/下部埋設 (正面)「右 秋葉大権/左 石尊大権」/下記「本町東の題目塔道標」と並ぶ 3 -
写真 上峰の地蔵道標 うえみね さいたま市
(中央区)
(3丁目)国道17号バイパス・交差点 石道標(舟型) 高57㎝,幅25.5㎝,厚11㎝ 宝暦9(1759)   富士見市近隣の道しるべp23 移設、集約/台石更新 (光背右)「右 大山ミち」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/上記「上峰の庚申塔道標」と同所 2 -
写真 大戸の庚申塔道標1 おおと さいたま市
(中央区)
(3丁目)大戸不動尊 石道標(駒型) 高113㎝(うち、台石19㎝),幅39㎝,厚25㎝ 天明6(1786)   郷土の石佛p75
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(5丁目から)/台石下部が溶解→刻字不明 (台石正面右)「右 く…」、(同左)「左 よ…」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 3
写真 大戸の庚申塔道標2 おおと さいたま市
(中央区)
(3丁目)大戸不動尊 石道標(駒型) 高66㎝,幅27㎝,厚18㎝ 文化5(1808)   郷土の石佛p74
/WEB(鎌倉街道上道)
平成13に移設/正面が各所で剥離 (右面)「左り うらわミち」/正面に青面金剛立像(六手合掌)の陽刻 3
写真 大戸の庚申塔道標3 おおと さいたま市
(中央区)
(4丁目)常盤小学校・南西、浦和区との境 石道標 高78㎝,幅32㎝,厚19㎝ 文政3(1820)   富士見市近隣の道しるべp23 C祠内→右左面の刻字確認不能 (右面左)「右 あふみや」、(左面左)「左 ひきまた」/正面に「庚申塔」と陰刻 4 -
写真 大戸の成田山道標 おおと さいたま市
(中央区)
(5丁目)大戸不動尊・入口 石道標(尖頭角柱) 高145㎝(うち、台石31㎝),30㎝角 天保5(1835)   富士見市近隣の道しるべp24 移設/ブロック塀のため台石の刻字確認不能 (台石左面)「左 与野/引又道」/正面に「成田山」、右面に「庚申塔」と陰刻 3
写真 本町東の題目塔道標 ほんまちひがし さいたま市
(中央区)
(5丁目)市道・脇 石道標(尖頭角柱) 高117㎝,幅34㎝,厚21㎝ 安政3(1856)   富士見市近隣の道しるべp21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面下部右)「引又 二里」、(同左側)「川越 四里」、(右面)「南 浦和 一里」、(左面中央)「大宮 十五丁/原市 三里/一ノ宮鳥居前 十丁/岩槻 三里」(=大宮氷川神社参道の鳥居)、(裏面右)「中山道 七丁」/正面に大きく「甲子塔」と陰刻/上記「本町東の道標」と並ぶ 2
写真 本町東の石橋供養塔 ほんまちひがし さいたま市
(中央区)
赤山橋(右岸)橋詰 石碑   享保11(1726)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「石橋供養塔」/初代・赤山橋の供養塔? 1
写真 下落合の石橋供養塔
(高谷橋の石橋供養塔)
しもおちあい(こうや) さいたま市
(中央区)
高谷橋(左岸)橋詰 石碑   宝暦6(1756)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/新しい台石(修景) (正面像下)「石橋供養塔」/頂部に地蔵(?)坐像の陽刻/高沼導水路に架けられた初代・高谷橋の架橋記念碑/右面・左面に費用を負担した計87の町村名が刻字 1
写真 植田谷本の旧藤橋桁石 うえたやほん さいたま市(西区) 六部堂(鴨川・右岸橋詰) 石道標(駒型) 長255㎝,厚27㎝,幅43㎝(2本) 寛政8(1796)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設・展示 初代の藤橋を架設した廻国行者・小平次を祀った六部堂(市史跡)内に設置/展示石材側面の顕彰文は昭和18のもの 3 -
写真 峰岸の庚申塔道標 みねぎし さいたま市(西区)   石道標(駒型) 高85㎝,幅38㎝,厚29㎝ 宝暦4(1754)   郷土の石佛p84 移設、集約 (右面)「是より北、飛方/石戸領、西 加王ごゑ 大宮」(=平方、川越)、(左面)「是与り」、(その下右)「南、与能 □□/うゑ田谷領」、(同左)「東、あきは/者ら市/い王つき、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻 2
写真 宮前町の庚申塔道標 みやまえ さいたま市(西区) 興徳寺 石道標(笠付き) 高156㎝ 天明3(1783)   大宮の庚申塔p29
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面左下)「左 よのミち」、(左面右下)「右 上尾ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/唐破風付きの笠石 1
写真 三橋の庚申塔道標2 みはし さいたま市(西区) (6丁目)桜堂・北 石道標(駒型) 高93㎝ 寛政2(1790)   大宮の庚申塔p31
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木祠内 (右面右下隅)「東方、あげお/おけ可"王、道」、(左面右下隅)「左 平方道」/正面を火灯窓型に削り込み「庚申」と陰刻、その上に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻/「三橋の庚申塔道標1・3」は大宮区 1
写真 高木の庚申塔道標 たかぎ さいたま市(西区)   石道標(駒型) 高146㎝ 寛政3(1791)   大宮の庚申塔p32
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (台石正面右)「東、大宮/原市」、(同左)「西、川越/平方」、(右面)「北 上尾/南 阿きは、道」/正面に青面金剛立像(日月、光輪、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 2
写真 宝来の如意輪観音像道標 ほうらい さいたま市(西区) 百観音堂 石道標(駒型) 高123㎝,幅40㎝,厚27㎝ 寛政10(1798)   富士見市近隣の道しるべp16 移設、集約 (正面最下部右)「北、おいふくろ/加ハこへ、道」、(同左)「東、与の/大ミや、ミ」/頂部を削り込み如意輪観音の半跏坐像(光背、蓮台)を陽刻/下記「宝来の馬頭観音像道標」と同タイプ 2
写真 宝来の馬頭観音像道標 ほうらい さいたま市(西区) 百観音堂 石道標(駒型) 高101㎝,幅40㎝,厚23㎝ 寛政10(1798)   富士見市近隣の道しるべp15 移設、集約 (正面最下部右)「南、よの/大ミや、道」、(同左)「北、おい袋/川こへ、道」(=老袋)/頂部を削り込み馬頭観音坐像(一面二臂、光背、蓮台)を陽刻/上記「宝来の如意輪観音像道標」と同タイプ 2
写真 島根の馬頭観音道標 しまね さいたま市(西区) 東光院 石道標 高141㎝(うち、台石45㎝),45㎝角 文政12(1829)   富士見市近隣の道しるべp12 移設(もと、荒川堤防) (右面)「西 川古へ 二り半/北 あき者へ 一り半」、(左面)「東 よのへ 一り/南 者やせへ 三り」(=早瀬)/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 飯田新田の馬頭観音道標 いいだしんでん さいたま市(西区) 薬師堂(昼間の渡し・跡地) 石道標(尖頭角柱) 高112㎝(うち、台石30㎝),
幅36㎝,厚28㎝
嘉永3(1850)   富士見市近隣の道しるべp12 移設、集約 (右面)「右、与野町/大ミや/岩川き、道」(=岩槻)、(左面)「左、飯田渡舩/川古へ、道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 三橋の庚申塔道標4 みはし さいたま市(西区) (6丁目)桜堂・南東 石道標 高52㎝,幅23㎝,厚15㎝ 安政4(1857)   大宮の庚申塔p30
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/刻字部に塗色 (右面)「東、上尾/原市、道」、(左面)「西、 秋ば/川越、道」/正面に
「庚申塔」と陰刻/「三橋の庚申塔道標1・3」は大宮区
2 -
写真 峰岸の子育て地蔵道標 みねぎし さいたま市(西区)   石道標(丸彫) 高140㎝(うち、塔身76㎝) 万延2(1861)   郷土の石佛p84
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内/下段台石中央で縦に折損→修復→正面一部と右面の道しるべ欠損 (下段台石正面中央)「東、秋葉?/岩槻、道」、(同左面中央)「南、与野/大宮、道」/台石上に子育て地蔵立像(錫杖、赤子を腕に抱き足元に2童子、蓮台)を載せる→2童子付きは非常に稀 2
写真 内野本郷の石橋供養塔 うちのほんごう さいたま市(西区) 地蔵院・墓地 石碑
(駒型、道標兼)
高112㎝,幅39㎝,厚25㎝ 延享3(1746)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設(西区西新井~上尾市戸崎) (正面)「石橋供養塔」、(左面)「是より右 秋葉大權現道」 3
写真 飯田の石橋供養塔 いいだ さいたま市(西区) 飯田交差点内 石碑(尖頭角柱) 高90㎝,幅37㎝,厚21㎝ 宝暦6(1756)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(Cブロック塀) (正面)「石橋供養塔」/北150mに流れる鴨川の支線に架けられていた石橋の供養塔? 2
写真 植田谷本の石橋供養塔 うえたやほん さいたま市(西区) 六部堂 石碑 高201㎝,幅34㎝,厚21㎝ 寛政8(1796)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (正面)「(梵字3)奉納大乘妙典石橋供養塔」/初代・藤橋の供養塔 1
写真 西遊馬の敷石供養塔 にしあすま さいたま市(西区) 高城寺 石碑(墓石型) 高104㎝,(うち、台石28㎝),幅36.5㎝,厚22.5㎝ 享和2(1802)   郷土の石佛p82
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「鋪石供養塔」 3
写真 三条町の敷石供養塔 さんじょう さいたま市(西区) 東自治会館・前 石碑 高60㎝,幅22㎝,厚14㎝ 天保3(1832)   郷土の石佛p80
/WEB(鎌倉街道上道)
下部C→移設 (正面)「敷石供養塔」 2 -
写真 三橋の敷石供養塔 みはし さいたま市(西区) 養福寺 石碑 高105㎝(うち、台石23㎝),
幅31.5㎝,厚27㎝
弘化3(1846)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面)「敷石供養塔」/右面に「十觀世音供養塔」と陰刻 3
写真 宝来の敷石供養塔 ほうらい さいたま市(西区)   石碑(尖頭角柱) 高92㎝(うち、台石20㎝),幅39.5㎝,厚35.5㎝ 嘉永4(1851)   大宮をあるくⅡp86
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「敷石供養塔」/右・左・裏面にびっしりと寄付者の名前が刻字 1
写真 宮前町の敷石供養塔 みやまえ さいたま市(西区) 宮前IC東 石碑(尖頭角柱) 高130㎝,幅35㎝,厚21㎝ 文久2(1862)   郷土の石佛p84
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「敷石供養塔」 2
写真 氷川女體神社磐船祭祭祀遺跡の石橋 ひかわにょたい、いわふねまつり さいたま市(緑区) (見沼) 石桁橋 長3.60m(2G),幅2.70m 嘉永4(1851)   WEB(鎌倉街道上道) 3本の中間橋脚の下部をC台補強 橋面石を持たない単純な石桁/外側石桁の橋脚上での石の組合せ(表面のみ)が面白い 2
写真 中尾の地蔵道標 なかお さいたま市(緑区)   石道標(舟型) 高117㎝(うち、台石21㎝),幅36㎝,厚29㎝ 正徳5(1715)   郷土の石仏p89
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(墓地内) (光背右下隅)「従是右 うら王ミち」、(同左下隅)「従是左 江戸ミち」/光背全体を削り込み地蔵立像(錫杖)を浮彫 2
写真 東浦和の地蔵道標 ひがしうらわ さいたま市(緑区) (1丁目) 石道標(駒型) 高112㎝(うち、台石21㎝),幅43.5㎝,厚21㎝ 享保4(1719)   郷土の石仏p91
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/左面がCブロック塀に近接 (右面)「是与里右 大ミや道」、(左面)「是与里左 うら王道」/正面を火灯窓型に削り込み、頂部に光背付きの地蔵坐像(蓮台)を浮彫、最下部は蓮花状に陽刻 3
写真 三室の庚申塔道標 みむろ さいたま市(緑区) (南宿)六部堂、
鴨川(右岸)橋詰
<赤山街道>
石道標(笠付き) 高208㎝(うち、台石47㎝),
幅41㎝,厚39㎝
寛保2(1742) 市有形民俗 浦和の石造物p24/WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (右面最下部左端)「東ハ 赤山道」、(左面最下部右端)「西ハ 大宮道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二童子、邪鬼、四夜叉)、台石正面に"三猿"、"二鶏"の陽刻→すべて揃っているものは稀有 1 写真
写真 原山の地蔵道標 はらやま さいたま市(緑区)   石道標(丸彫) 高148㎝(うち、塔身98㎝),
幅25㎝,厚22.5㎝
天明2(1782)   郷土の石仏p96
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/簡易祠内/塔身(蓮台)と敷茄子を載せた台石を分けて置く/蓮台と敷茄子は、塔身・台石と石質が異なる (台石右面右端最下部)「北 岩附道」、(同左端最下部)「南 江戸道」、(台石左面中央最下部)「西 浦和道」/本来は、台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)を載せていた/下記「原山西の題目塔道標」と並ぶ 4
写真 山崎の題目塔道標 やまざき さいたま市(緑区) (1丁目)宝蔵院 石道標 高81㎝(うち、台石17㎝),
幅29㎝,厚18㎝
寛政11(1799)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/正面刻字の一部意図的に削除 (右面)「北 い王川き道/南 うら王道」(=岩槻,浦和)/正面に「南無□□三十三ヶ所觀世音」と陰刻 3
写真 中尾の庚申塔道標1 なかお さいたま市(緑区) 中尾神社・南 石道標 高108㎝,幅34㎝,厚20㎝ 寛政12(1800)   郷土の石仏p89
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面)「従是、南 王らび 戸田ミち/西 うらわ 大宮道/北 なん婦" 岩槻道/東 八丁 越ヶ谷道」(=南部)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 下山口新田の庚申塔道標 しもやまぐちしんでん さいたま市(緑区) 浦和くらしの博物館民家園 石道標(板碑型) 高121㎝(うち、台石30㎝),幅39㎝,厚27㎝ 享和3(1803)   郷土の石仏p87
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面題目下)「是与り/ゑど/ミち」、(右面)「右ハ/よのミ知」(=与野)、(左面)「うしろハ/飛きま多みち」(=引又)/正面を駒型に浅く削り込み庚申塔と陰刻 2
写真 中尾の勢至観音像道標 なかお さいたま市(緑区) (不動谷)大聖不動堂 石道標(尖頭角柱) 高68㎝,幅27㎝,厚17㎝ 文化2(1805)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/浦和の石造物p63 移設/基部8㎝露出 (正面下部右)「志んまち道」、(同左)「者とがや道」、(右面)「北、大みや/うらわ、道」、(左面)「南、戸田/王らび、道」/正面頂部を円形に削り込み小さな勢至観音立像(蓮台)を陽刻、その下に「廿六夜塔」と陰刻/上記「中尾の愛染明王像道標」と並ぶ 2
写真 中尾の愛染明王像道標 なかお さいたま市(緑区) (不動谷)大聖不動堂 石道標(尖頭角柱) 高85㎝,幅32㎝,厚21㎝ 文化4(1807)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/浦和の石造物p63 移設/基部14㎝露出 (正面下部右)「うら王道」、(右面)「南、王らひ/戸田、江戸道」、(左面)「北、大ミや 者らいち/奈んぶ い王つき、道」、(裏面)「東」、(その下、裏面右)「八町 こしがや/者とがや せん志由、道」(=千住)/正面頂部を光背形に削り込み小さな愛染明王坐像(蓮台)を陽刻、その下に「廿三夜」と陰刻/上記「中尾の勢至観音像道標」と並ぶ 2
写真 中尾の庚申塔道標2 なかお さいたま市(緑区) 三叉路・南 石道標(尖頭角柱) 高71㎝,幅32㎝,厚23㎝ 文化12(1815)   郷土の石仏p89
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面最下部)「此方 川口 江戸」、(左面最下部左)「此方、八丁 赤山/鳩ヶ谷 千住/越ヶ谷 □□」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 1 -
写真 道祖土の庚申塔道標 さいど さいたま市(緑区) (4丁目)十字路交差点 石道標(尖頭角柱) 高87㎝,幅32㎝,厚21㎝ 文化13(1816)   郷土の石仏p86
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/下部で水平に折損→修復/刻字が磨耗 (正面題目下右)「南、登多"/江戸、道」(=戸田)、(右面)「東、みや本/かき、道」(=片柳?)、(左面)「西、…/…、道」、(裏面)「北、さ…/い、道」(=岩槻?)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2
写真 東浦和の不動明王像道標 ひがしうらわ さいたま市(緑区) (9丁目)セブンイレブン南の三叉路 石道標(丸彫) 高75㎝(木床上のみ),幅28㎝,厚16㎝ 文化15(1818)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、木祠内(扉付き) (右面下部)「此方、前川 河口 八丁/鳩ヶ谷 新町 越ヶ谷、道」/正面頂部を大きく削り込み不動明王坐像(一面二臂、羂索、背景に迦楼羅焔、磐石)を浮彫、像下に大きく「成田山」と陰刻 3
写真 宮本の道標
(氷川女體神社の道標)
みやもと さいたま市(緑区) 氷川女體神社<赤山街道> 石道標(駒型) 高101㎝,幅32.5㎝,厚21.5㎝ 弘化2(1845)   郷土の石仏 p95
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「女體宮道」、(正面右上)「武藏國一宮」、(右面)「宮本ま天 是与里 五…」 2
写真 原山の題目塔道標 はらやま さいたま市(緑区)   石道標(尖頭角柱) 高87㎝(うち、台石18㎝),
幅28㎝,厚18㎝
弘化2(1845)   郷土の石佛p96
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/簡易祠内/塔身と台石の石質が異なる (右面)「北 原市/南 江戸、道」、(左面)「西 浦和」/正面に「秩父/西國/坂東、百番觀世音菩薩」と陰刻/上記「原山西の地蔵道標」と並ぶ 2
写真 南部領辻の庚申塔道標 なんぶりょうつじ さいたま市(緑区) 三叉路 石道標(墓石型) 高168㎝(うち、台石35+31+19㎝),幅39㎝,厚39㎝ 万延元(1860)   浦和の石造物p61
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(基部露出)/刻字不鮮明 (中段台石右面左)「南 大門/十二丁」、(同左)「北 とい 十三…/いわつき/二…」/正面に大きく「庚申」と陰刻、頂部に“日月”、最上段台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 道祖土の石橋供養塔 さいど さいたま市(緑区) (4丁目)T字路 石碑(駒型) 高127㎝(うち、台石19㎝),幅52㎝,厚32㎝ 宝永6(1709)   郷土の石仏p86
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面右端)「庚申結講之掛錢□□石橋三度備其大□□也」(青字は推定)/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の浮彫 2
  下野田の石橋供養塔 しものだ さいたま市(緑区) 円徳寺 石碑(駒型) 高91㎝,幅31㎝,厚16㎝ 宝暦7(1757)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?、集約 (正面像下)「奉新造立石橋供養爲二世安全」/正面頂部に地蔵坐像(蓮台)を陽刻 2
写真 見沼通船堀 みぬま
つうせんぼり
さいたま市(緑区) 見沼代用水東縁~芝川~見沼代用水西縁 用水路、閘門式運河(木製) 通船堀長390m+654m 享保16(1731) 国史跡 市教委/WEB 水路そのものは、水量は少ないが良好に維持されてきた/7月に通船再現イベント 計画・施工: 井澤弥惣兵衛為永/江戸と見沼代用水路の村々を直接結びつけるための舟運路/見沼代用水路と排水路である芝川との水位差約3mを克服するため閘門式水路を導入/見沼代用水東縁~芝川の間に東縁二の関と一の関、芝川~見沼代用水西縁の間に西縁一の関と二の関の計4基の木造閘門が造られた→堰枠が木造のため20年くらいしか持たず通船料を維持管理に宛てた 1 写真
写真 見沼通船堀 東縁二の関 みぬま
つうせんぼり
、ひがしべり
さいたま市(緑区) 見沼代用水東縁~芝川 閘門式運河(木製) 通船堀長390m 享保16(1731) 国史跡 市教委/WEB 平成6-9年に木製閘門を復元 見沼代用水東縁~芝川との間に設けられた第1閘門(東縁側から見て)→東縁と同一の水位から、一の関の最高水位まで水位を下げる 2
写真 見沼通船堀 東縁一の関 みぬま
つうせんぼり
、ひがしべり
さいたま市(緑区) 見沼代用水東縁~芝川 閘門式運河(木製) 通船堀長390m 享保16(1731) 国史跡 市教委/WEB 平成6-9年に木製閘門を復元 見沼代用水東縁~芝川との間に設けられた第2閘門(東縁側から見て)→二の関の最低水位から芝川と同一の水位まで水位を下げる 2
写真 見沼通船堀 西縁一の関 みぬま
つうせんぼり
、にしべり
さいたま市(緑区) 見沼代用水西縁~芝川 閘門式運河(木製) 通船堀長654m 享保16(1731) 国史跡 市教委/WEB 平成6-9年に木製閘門を復元 芝川と見沼代用水西縁との間に設けられた第1閘門(第2閘門は復元せず)→芝川と同一の水位から、二の関の最低水位まで水位を上げる 2
写真 見沼代用水 東縁 みぬまだい、ひがしべり さいたま市(緑区)・他 上尾市→さいたま市→川口市→東京都足立区 用水路、舟運路 享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川)/
市教委/WEB
全体に昔の面影をよく残す(都市化が進行して農地が減少したため国営の幹線水路整備事業が実施されていないため) 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/見沼代用水の下流部分
(上尾市から東縁・西縁の2つに分離)/8代将軍・吉宗の命を受け、井澤弥惣兵衛為永により築造/灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路→「代用水」の命名/用排水分離、大規模な水利構造物(十六間堰、柴山伏越、瓦葺掛樋など)が特徴/灌漑、干拓、治水、運河を含む総合的な地域開発事業
2 写真
写真 見沼代用水 西縁 みぬまだい、にしべり さいたま市(緑区)・他 上尾市→さいたま市→川口市 用水路、舟運路 享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川)/
市教委/WEB
同上 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/見沼代用水の下流部分
(上尾市から東縁・西縁の2つに分離)/以下、上記「見沼代用水 東縁」と同文
3 写真
写真 芝川 しば さいたま市(緑区)・他 上尾市→さいたま市→川口市 排水路、舟運路 享保13(1728)以降   市教委/WEB 自然護岸 享保13(1728)に見沼(下記の「八丁堤」参照)が干拓されて見沼田圃となると、排水路として見沼田圃の最も低いところが開削され、芝川の新河道となった 1
写真 八丁堤 はっちょう さいたま市(緑区)・川口市 (附島~木曾呂) 土堤防 長約870m,高約2m,幅約60m 寛永6(1629)   市教委/WEB 天端→道路 関東郡代・伊奈忠治により、台地の狭窄部に築かれた長さ「八丁」の締切堤→見沼に流入していた古芝川を堰き止め見沼溜井(周囲40数㎞)ができた(利根川と荒川の瀬替えにより生じた用水不足への対応措置)/享保12(1727)、八丁堤を切って見沼溜井を干拓し見沼田圃を造成→見沼田圃の東縁と西縁の台地に沿って見沼代用水を開削して灌漑用水を供給(上記、「見沼代用水東縁」「見沼代用水西縁」参照) 3
写真 大谷口の庚申塔道標1 おおやぐち さいたま市(南区)   石道標(笠付き) 長175㎝(うち、台石41㎝),
幅43㎝,厚29㎝
正徳4(1714)   郷土の石佛p96
/WEB(鎌倉街道上道)
宝珠、笠、塔身、台石すべて石質が異なる (左面左)「是より あ加やまみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻/唐破風付きの笠に宝珠を載せる 2
写真 大谷口の庚申塔道標2 おおやぐち さいたま市(南区)   石道標(駒型) 長101㎝(うち、台石10㎝),
幅32㎝,厚18㎝
明和7(1770)   郷土の石佛p96
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面左下)「従是右 戸田道」、(左面左)「従是左 千住道」/正面を枠だけ残して浅く削り込み大きく「(梵字)庚申供養塔」と陰刻、頂部に“日月”
の陽刻
1
写真 辻の庚申塔道標1 つじ さいたま市(南区) (8丁目) 石道標(駒型) 高120㎝,幅39㎝,厚38㎝ 天明7(1787)   郷土の石佛p98
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/覆屋内 (右面左)「向かう 者やせ道」(=早瀬河岸)、(左面中央)「右 おふく王ん道」(=往還)、(同右下)「うらハ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻/下記の「辻の庚申塔道標2」と2つ並べて覆屋内に安置 2
写真 大谷口の庚申塔道標3 おおやぐち さいたま市(南区) 大谷口小西・三差路 石道標(笠付き) 高173㎝(うち、台石33㎝),
幅38㎝,厚25㎝
寛政元(1789)   郷土の石佛p96
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/現代的な小屋根付き (左面中央)「左 うら王道」(=浦和)/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻/唐破風を付け、宝珠を載せた立派な笠 2
写真 鹿手袋の虚空蔵菩薩像道標 しかてぶくろ さいたま市(南区) 大聖不動尊 石道標 高108㎝,
幅30.5㎝,厚16㎝
寛政9(1797)   浦和の石造物p87
/郷土の石佛p96
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面像下)「南 江戸 わらびミち」、(右面)「東 うらハ い王つき道」(=岩槻)、(左面)「西 与の か王こへ道」(=川越)/正面頂部を光背型に削り込み虚空蔵菩薩坐像(蓮台)を陽刻 2
写真 鹿手袋の庚申塔道標 しかてぶくろ さいたま市(南区) 県婦人センター・東 石道標(駒型) 高120㎝(うち、台石26㎝),
幅34㎝,厚20㎝
寛政11(1799)   郷土の石佛p96
/WEB(鎌倉街道上道)
木祠内 (右面)「右 王らひみち」(=蕨)、(左面)「左 与のミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻→剣は別材料 1
写真 四谷の庚申塔道標1 よつや さいたま市(南区) (3丁目)観音堂・南 石道標(隅丸型) 高65㎝,幅28㎝,厚18㎝ 文化7(1810)   郷土の石佛p101
/WEB(鎌倉街道上道)
木祠内 (右面)「右 うらハ道」、(左面)「左 よの道」/正面に青面金剛立像(六手○○、邪鬼、三猿?)の陽刻 1
写真 南本町の庚申塔道標1 みなみほん さいたま市(南区) 宝性寺・東角 石道標(尖頭角柱) 高115㎝,幅36㎝,厚24.5㎝ 文化9(1812)   郷土の石佛p101
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易覆屋内 (右面左下隅)「右ハ 八丁道」、(左面最下部)「前 王らひ道/左 うらハ道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻/下記「南本町の庚申塔道標2」と同じ覆屋内(両端) 2
写真 南本町の庚申塔道標2 みなみほん さいたま市(南区) 宝性寺・東角 石道標 高85㎝,幅33㎝,厚18㎝ 文政元(1818)   郷土の石佛p101
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易覆屋内 (正面最下部)「はと/かや/みち」(=鳩ヶ谷)、(右面左下隅)「八丁道」、(左面左下隅)「うら王道」(=浦和)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻/上記「南本町の庚申塔道標1」と同じ覆屋内(両端) 2
写真 文蔵の不動明王像道標 ぶぞう さいたま市(南区) 薬師堂・西角 石道標 高191㎝(うち、台石19㎝),
幅35㎝,厚24㎝
文政10(1827)   浦和の石造物p69
/郷土の石佛p100
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「北 うら王/東 者とかや/南 王らび、みち」/正面下1/3を光背型に削り込み小さな不動明王坐像(一面二臂、背景に迦楼羅焔、磐石)を陽刻、その上に大きく「石尊大權現」と陰刻/下記の「文蔵の庚申塔道標」と1つ置いて隣に並ぶ 2
写真 太田窪の供養塔道標 だいたくぼ さいたま市(南区) 二十三夜バス停・前 石道標 高112㎝(うち、塔身67㎝),30㎝角 天保3(1832)   郷土の石佛p97
/WEB(鎌倉街道上道)
昭和42の再建にあたり2段の石基壇を新設(左記の“高さ”には含めていない) (台石右面)「右、□□□□/い者つき、」、(台石左面)「左、うらハ/よの、道」/正面に「二十三夜供養塔」と陰刻 2
写真 関の不動明王像道標 せき さいたま市(南区) 東福寺  石道標(駒型) 高86㎝(塔身),
幅30㎝,厚18㎝
天保3(1832)   郷土の石佛p41,97
/WEB(鎌倉街道上道)
木祠内 (台石正面)「西、引又/大山、道」、(台石右面)「右 二ノふ」(?)、(台石左面)「左 よの」/正面に不動明王坐像(一面二臂、羂索、背景に迦楼羅焔、磐石、矜羯羅童子・制吒迦童子の二童子)を陽刻 →二童子を従えた道標は非常に稀 1
写真 文蔵の供養塔道標 ぶぞう さいたま市(南区) 馬頭観世音堂 石道標(墓石型) 高100㎝(うち、台石28㎝),29㎝角 天保9(1838)   郷土の石佛p100
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面右下)「東 者とかや道」、(同左下)「南 王良び道」(=蕨)、(左面右下)「西 引又道」、(同左下)「北 う良ハ道」/正面に「(梵字)普門品供養塔」と陰刻 2
写真 松本の馬頭観音道標 まつもと さいたま市(南区) 松本南バス停・前 石道標 高64㎝,幅22.5㎝,厚11㎝ 天保13(1842)   郷土の石佛p101
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「東 王ら飛"道」(=蕨)、(左面)「西 志きまた 者やせ道/北 うら王道」(=引又河岸、早瀬河岸、浦和)/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 辻の庚申塔道標2 つじ さいたま市(南区) (8丁目) 石道標(駒型) 高118㎝,幅30㎝,厚27㎝ 嘉永6(1853)   郷土の石佛p99
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/覆屋内 (右面)「右 者やせみ美知」(=早瀬河岸)、(同左下)「王らひみ知」(=蕨)、(左面)「左 う良者美ち」(=浦和)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻/上記の「辻の庚申塔道標1」と2つ並べて覆屋内に安置 2
写真 辻の庚申塔道標3 つじ さいたま市(南区) 萬蔵寺 石道標 高82㎝(うち、台石18㎝),
幅26㎝,厚19㎝
安政2(1855)   郷土の石佛p98
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面右下)「向 うらハ道」、(左面)「南 者やせ道」(=早瀬河岸)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2
写真 文蔵の庚申塔道標 ぶぞう さいたま市(南区) 薬師堂・西角 石道標(駒型) 高85㎝,幅28㎝,厚22㎝ 安政2(1855)   郷土の石佛p100
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/上部の石材剥離→“日月”消失、青面金剛の顔も欠損 (右面最下部)「東 者とかや宿/二り」、(左面最下部右)「前 王らび宿/十五丁」、(同左)「北 うら王宿/七五丁」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻、左面に「奉造建庚申待供羪塔」と陰刻/上記の「文蔵の不動明王像道標」と1つ置いて隣に並ぶ 3
写真 四谷の題目塔道標 よつや さいたま市(南区) (3丁目)四谷会館 石道標 高113㎝,幅29㎝,厚20㎝ 江戸期?   WEB(鎌倉街道上道) 移設/中央下部で水平に折損→修復 (正面下部)「西、き加せ/ひき又、道」(=秋ヶ瀬)、(右面)「南坂下り、王良ひ/屋ま /者やせ、ミち」、(左面)「北橋下り、うら王/よの、道」/正面上部に「水神」と陰刻/「ミち」の標記は江戸期の可能性 2
写真 四谷の庚申塔道標2 よつや さいたま市(南区) 四谷観音堂  石道標 高82㎝,幅28㎝,厚18㎝ 江戸期?   郷土の石佛p101
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/下3分の1で水平に折損→修復/台石下部埋設 (右面)「右 王ら飛"道」(=蕨)、(左面)「左 よのミち」/正面に大きく「庚申神」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/「ミち」の標記は江戸期の可能性 3
写真 松本の石橋供養塔 まつもと さいたま市(南区) 真乗寺 石碑(尖頭角柱) 高77㎝(塔身),
幅30㎝,厚18㎝
宝暦6(1756)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面像下)「奉懸石橋於當村七箇所/供養」/正面全面を火灯窓状に削り込んで最上部に地蔵坐像(蓮台)を陽刻/村内に7基の石橋を架けたのを記念して造られた供養塔 2
写真 沼影の敷石供養塔 ぬまかげ さいたま市(南区) 沼影正観音堂 石碑(尖頭角柱) 高117㎝(うち、台石22㎝),幅29㎝,厚16.5㎝ 安永4(1775)   郷土の石佛p99
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面中央)「(梵字)觀音堂敷石建立供養塔」 3
写真 辻の敷石供養塔 つじ さいたま市(南区) 萬蔵寺 石碑(墓石型) 高152㎝(うち、台石30+40㎝),幅32㎝,厚32㎝ 文政9(1826)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約/元来正面だったものが左面になっている可能性あり (左面)「敷石供羪墖」/正面に「教道法子」と陰刻 2
写真 四谷の敷石供養塔 よつや さいたま市(南区) 四谷観音堂 石碑 高94㎝(うち、台石12㎝),
幅30㎝,厚21.5㎝
天保5(1834)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (裏面)「敷石供羪塔」/觀音經講中が架橋/正面に「弘法大師一千年御遺忌供養塔」、左面右に「本尊聖觀世音菩薩」と刻字 2
写真 白幡の石坂供養塔 しらはた さいたま市(南区) 医王寺 石碑(尖頭角柱) 高81㎝(うち、台石18㎝),幅25㎝,厚18.5㎝ 安政4(1857)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「石坂供養塔」 2
写真 膝子一里塚 ひざこ さいたま市
(見沼区)
県道105号、膝子会館・脇<日光御成道> 一里塚(1基) 東塚:東西8.2m,南北5.7m,高2.2m 慶長9(1604)以降 市史跡 市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 明治初年に西塚撤去/塚木(榎)は2代目 西塚は半分が削りとられ、東塚は規模を縮小して復元されている 3
写真 東宮下の道標 ひがしみやした さいたま市
(見沼区)
<日光御成道> 石道標 高63㎝,幅22㎝,厚17㎝ 正徳3(1713)   郷土の石佛p105
/大宮をあるくⅠp82
/WEB(鎌倉街道上道)
右欄の「?」付きは、左記資料に基づくもので、刻字摩耗して読めず (正面)「従是東、 い王つ…/ 慈恩寺?、道」、(右面)「従是西、左 奈んぶ/右 原市、道」(=南部)、(左面)「従是南、江戸/川口善光寺?、道」 2 -
写真 南中丸の馬頭観音像道標 みなみなかまる さいたま市
(見沼区)
<矢部新道>  石道標(駒型) 高102㎝,幅34㎝,厚21㎝ 享保2(1717)   大宮をあるくⅠp114
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内 (右面)「向右 おふみや」、(左面)「向左 うら王」(=浦和)/中央に馬頭観音立像(一面二臂)を陽刻 2
写真 東宮下の供養塔道標 ひがしみやした さいたま市
(見沼区)
七里小学校・東、
県道105号・脇
石道標(駒型) 高121㎝,高40㎝,幅22㎝ 享保12(1727)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/郷土の石佛p40,
104
移設 (正面右)「右 者らいち 上秀道」、(同左)「左 古んぶいりみち」/正面中央に「寒念佛供羪塔」と陰刻 2
写真 小深作の地蔵道標 こふかさく さいたま市
(見沼区)
春里中の東墓地 石道標(丸彫) 高177㎝(うち、台石43.5㎝) 享保19(1734)   郷土の石佛p104
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(墓地) (台石正面右)「南 江戸道 九里」、(台石右面右)「東 岩槻道 二十丁」、(台石左面右)「西 川越ミち 五り」、(同左)「原市ミち 壹里二十丁」、(台石裏面左)「北 □□□□ミち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫が載る 3
写真 丸ケ崎町の地蔵道標 まるがさき さいたま市
(見沼区)
出戸観音堂 石道標(舟型) 高140㎝(うち、台石20㎝),
幅36.5㎝,厚22㎝
明和9(1772)   郷土の石佛p106
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面最下部左半分)「右 原市道/東 岩附道/南 大宮道/左 江戸道」(=岩槻)/正面上部3/4を削り込み、地蔵立像(錫杖)を精緻に浮彫 2
写真 大和田町の庚申塔道標1 おおわだ さいたま市
(見沼区)
(1丁目) 石道標(舟型) 高87㎝ 安永5(1776)   大宮の庚申塔p20 移設/木祠内 (光背右下隅)「右 みむろ道」、(同左下隅)「左 大門道」/光背中央に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、二鶏、三猿)を陽刻 2
写真 山の馬頭観音像道標 やま さいたま市
(見沼区)
旧長久寺跡墓地 石道標(舟型) 高114㎝(うち、台石13㎝),
幅35㎝,厚20㎝
寛政9(1797)   郷土の石佛p107
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(墓地内)/台石下部がC基盤内に埋設し刻字不可視 (台石正面右端)「右 中…」、(同左端)「左 日光…」/正面に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻、像右に「奉造立馬頭觀世音菩薩爲現當二世安樂」と陰刻 4
写真 深作の地蔵道標 ふかさく さいたま市
(見沼区)
  石道標(丸彫) 高155㎝(うち、台石53㎝) 文化元(1804)   WEB(鎌倉街道上道) 近接移設?/簡易覆屋内 (台石右面右)「東 い王つき」、(台石左面右)「西 者らいち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 1
写真 東大宮の庚申塔道標 ひがしおおみや さいたま市
(見沼区)
(2丁目)市道沿い  石道標 高150㎝(うち、台石32㎝,48㎝角 文化4(1807)   大宮の庚申塔p21
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (左面)「是より/あき葉みち」/正面に「庚講塔」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 1
写真 上山口新田の庚申塔道標 かみやまぐちしんでん さいたま市
(見沼区)
旧地蔵堂 石道標(笠付き) 高125㎝ 文化7(1810)   大宮の庚申塔p19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(C基盤上) (左面右)「北 者らいち 二里」、(同左)「東 うらわ 壹里」/正面に「庚申供養塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 深作の庚申塔道標1 ふかさく さいたま市
(見沼区)
(1丁目)西郭公園 石道標(尖頭角柱) 高151㎝ 文化12(1815)   大宮の庚申塔p13
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「西 者良いち/右 ぢおんじ/東 い王つき、道」、(左面左)「左 江戸ミち」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 2
写真 御蔵の馬頭観音像道標1 みくら さいたま市
(見沼区)
庚申公園 石道標(駒型) 高55㎝,幅24㎝,厚17㎝ 文化12(1815)   郷土の石佛p106
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/台石欠損→周辺一面C舗装/像容剥離、右面下部文字部剥離 (右面)「右、…/大もん/…」、(左面右)「この方 者らいち」/正面に馬頭観音立像(三面?臂〔馬頭冠〕)を陽刻 4
写真 丸ケ崎町の馬乗り馬頭観音像道標 まるがさき さいたま市
(見沼区)
出戸観音堂 石道標(駒型) 高80㎝(うち、台石13.5㎝),
幅27㎝,厚20㎝
文政2(1819)   郷土の石佛p41,106
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/移設時に台石の正面→裏面と間違える/周辺一面C舗装 (右面右)「右 い王つき」、(左面)「左、志やうふ/きさい」(=菖蒲、騎西)、(台石裏面)「西、おうみ…/者良い…/こう能…」(=原市、鴻巣)/正面に馬乗り馬頭観音像を陽刻 3
写真 蓮沼の馬頭観音道標 はすぬま さいたま市
(見沼区)
蓮沼会館・西 石道標 高106㎝(うち、台石24㎝),
幅33㎝,厚19㎝
文政2(1819)   郷土の石佛p105
/大宮をあるくⅠp89
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/木祠内 (右面)「此方、ふ可さく/者らいち、ミち」、(左面右)「右 い王川き」、(同左)「飛多"里、をふミや/大山、道」(=左)/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 御蔵の馬頭観音像道標2 みくら さいたま市
(見沼区)
  石道標(笠付き) 高130㎝(うち、台石24㎝),
幅32㎝,厚34㎝
文政7(1824)   郷土の石佛p107
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(仮置きのまま) (右面左)「北、者らいち 二里/い王川き 壹り」(=岩槻)、(左面中央)「南 大毛ん 一り半」(=大門)、(同左)「西、うら王 壹里/与能 壹里十丁 」(=浦和、与野)/正面を枠だけ残して削り込み馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻/唐破風付きの笠 2
写真 堀崎町の庚申塔道標 ほりさき さいたま市
(見沼区)
稲荷神社・角 石道標 高100㎝ 文政8(1825)   大宮の庚申塔p21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (右面右)「北、あけを/者良いち、道」、(同左)「東、い王つき/戸、道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 御蔵の庚申塔道標 みくら さいたま市
(見沼区)
県道沿い  石道標 高142㎝  天保9(1838)   大宮の庚申塔p18
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(塔身、台石2段の隙間にC)? (台石左面右端)「い王つき/一り二十丁」、(同左端)「うら王/一り十六丁」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻 2
写真 大和田町の庚申塔道標2 おおわだ さいたま市
(見沼区)
(1丁目)真福寺・跡 石道標(墓石型) 高170㎝ 天保14(1843)   大宮の庚申塔p21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(墓地内) (台石右面右端)「北 者らいち 一里」、(同左端)「東 い王つき 一里半」、
(台石左面右端)「西 大ミや 十八丁」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻
3
写真 膝子の庚申塔道標 ひざこ さいたま市
(見沼区)
八幡神社 石道標 高112.5㎝ 弘化4(1847)   大宮の庚申塔p16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面右)「向 明けん い王つき道/左 南部 十王道」/正面に大きく「庚申祭」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の浮彫 2
写真 深作の庚申塔道標2 ふかさく さいたま市
(見沼区)
(1丁目) 石道標 高153.5㎝ 嘉永3(1850)   大宮の庚申塔p13
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置
(C4段の高い基壇上だが、元々高い位置にあったのか?)
(台石2段目右面左端)「右ハ はらいち」、(台石2段目左面右端)「左ハ い王つき」、(同左端)「東ハ のミち」/正面に大きく「青靣金剛」と陰刻、頂部に“日月”、台石最上段正面に“三猿”の陽刻/敷地寄進者まで刻字 1
写真 戸崎の旧さかい橋桁石 とさき 上尾市 戸崎自治会館 <石桁橋> 長218㎝,高23㎝,幅37㎝ 享保6(1721)   WEB 解体→ベンチに加工(石材自体に細工は施されていない) (桁側面中央)「享保六辛丑年/念佛供羪/三月吉日/さかい者し」 3 -
写真 平塚の薬師如来像道標 ひらつか 上尾市   石道標(隅丸型) 高126㎝(うち、台石18㎝),幅35.5
㎝,厚22㎝
寛永12(1635)   上尾市史8p88
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/左面に宝暦12(1762)の追刻 (右面)「従是、二者"ん 原市/めうこんじへ、十五丁六間」/頂部を円形に削り込み薬師如来坐像(薬壺、蓮台)を陽刻、その下に「古跡藥師、順禮札所/三拾二番、第一番拝石供養塔」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 泉台の庚申塔道標 いずみだい 上尾市 (3丁目) 石道標(駒型) 高139㎝(うち、台石21㎝),幅51㎝,厚31㎝  宝永5(1708)   上尾の庚申塔p49 移設?/木祠内 (正面左端枠)「此方 ひたか多道」、(右面左)「此方 おゆき、右 あけを道/左 をけ加王道」、(左面右)「此方 い志と 川ごい道」、(裏面)「此方 加う能春ミち」(=鴻巣)/正面に「(梵字)奉造立庚申供養處」と陰刻、その下に“三猿”の陽刻 2
写真 原市の庚申塔道標1 はらいち 上尾市 原市稲荷  石道標(笠付き) 高174㎝(うち、台石26㎝),幅45㎝,厚37㎝  正徳2(1712)   上尾市史9p379/上尾の庚申塔p40/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/中央で折損→修復 (右面左)「これより い王つきみち」、(左面右)「これより さつてみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、二鶏、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 日の出の庚申塔道標 ひので 上尾市 (3丁目) 石道標(駒型) 高118㎝,幅50㎝,厚28㎝ 元文元(1736)   上尾の庚申塔p21
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面)「これより、右 者ら一ミち/左 かハごへミち」、(左面右)「これより左 あげ於ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿、二鶏)の浮彫り 1
写真 上尾下の庚申塔道標 あげおしも 上尾市 庚申坂・下 石道標(尖頭角柱) 高121㎝,49㎝角 延享2(1745)   上尾の庚申塔p29
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易覆屋内 (右面左下)「東 原市道」、(左面左)「西 上尾道/北 二宮道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の浮彫り 2
写真 本町の庚申塔道標 ほん 上尾市 本町自治会館 石道標(尖頭角柱) 高145㎝(うち、台石23㎝),幅47㎝,厚47㎝ 寛延4(1751)   上尾の庚申塔p23
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「是より東」、(同、その下右)「右、おけ加王/はらいち」、(同その下左)「左、い王徒き/阿げを」(=岩槻)、(同、その下中央)「道」/正面中央に「庚申供養塔」と陰刻 2
写真 瓦葺の廻国塔道標 かわらぶき 上尾市 楞厳寺・前 石道標(尖頭角柱) 高130㎝(うち、台石26㎝),幅32.5
㎝,厚19㎝
宝暦3(1753)   上尾市史8p87
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/簡易覆屋内 (右面左)「西 はらいち/こうの春」、(左面)「是よ里、南 大みや/東 い王つき 志をんじ道」/正面に「奉納大乗妙典六十六部日本回國」と陰刻 3
写真 平方の庚申塔道標 ひらかた 上尾市 観音堂 石道標(笠付き) 高174㎝(うち、台石50㎝),幅37㎝,厚39㎝ 宝暦4(1754)   上尾の庚申塔p31 移設?/木祠内 (台石正面中央)「南、与の/き者」、(同左)「西 加…」、(台石右面)
「北、まつ山/け川/□□を」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼)、台石正・右・左面に各“一猿”の陽刻/笠正面に唐破風
2
写真 菅谷の庚申塔道標1 すがや 上尾市   石道標(駒型) 高139㎝(うち、台石24㎝),幅55㎝,厚30㎝  宝暦7(1757)   上尾の庚申塔p74
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/下部埋設(刻字はほとんど見えない) (台石右面)「此方/原市道 一り余」、(台石左面)「此方/鴻巣え 二り」/正面を枠だけ残して削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 上町の庚申塔道標 かみ 上尾市 遍照院 石道標(笠付き) 高154㎝(うち、台石23㎝),幅39㎝,厚23㎝ 宝暦9(1759)   上尾の庚申塔p19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面最下部)「是より、小室/久喜、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 平塚の庚申塔道標1 ひらつか 上尾市   石道標(駒型) 高80㎝,幅33㎝,厚20㎝ 宝暦13(1763)   上尾の庚申塔p72
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/Cブロック塀に囲まれ簡易屋根付き/刻字は確認できる (右面上左)「北 す加や道」、(左面上部)「西 於け川/南 阿け於、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 上の庚申塔道標 かみ 上尾市   石道標(駒型) 高150㎝(うち、台石29㎝),幅47㎝,厚33㎝ 明和5(1768)   上尾の庚申塔p64
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/簡易祠内 (右面下部)「南 原市 一り半/東 しやうぶ 二り」、(左面下部)「西 おけが王/北 かう乃す 二り」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、二鶏、三猿)を浮彫り 1
写真 上尾村の庚申塔道標1 あげお 上尾市   石道標 高137㎝(うち、台石24㎝),幅45㎝,厚31㎝ 明和6(1769)   上尾の庚申塔p29
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/簡易祠内 (左面上部)「右 あげお道/左 せいぶ道」/正面を枠だけ残して火灯窓型に削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻/頂部に装飾的刳り形 1
写真 平塚の庚申塔道標2 ひらつか 上尾市 県道5号・辻  石道標(駒型) 高126㎝(うち、台石39㎝),幅35㎝,厚21㎝ 明和9(1772)   上尾の庚申塔p73/WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/簡易祠内 (台石正面)「セうぶ道」、(台石右面)「をけが王道」、(台石左面)「者らいち道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 菅谷の庚申塔道標2 すがや 上尾市   石道標(駒型) 高97㎝(うち、台石14㎝),幅35㎝,厚25㎝ 安永3(1774)   上尾の庚申塔p67
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?(C基礎) (右面)「これより、い王つき/者らいち、道」、(左面)「是より、くき/せうぶ、道」/正面に「(梵字)庚申供養」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 1
写真 菅谷の大日如来像道標 すがや 上尾市   石道標(駒型) 高81㎝,幅45㎝,厚30㎝ 安永7(1778)   上尾市史8p89
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/Cブロック覆屋内 (正面左端)「此方 者らいち道」、(右面)「此方、くき/さつて道」、(左面右)「此方 おけ可王…」/正面に大日如来坐像を陽刻、右端に「光明眞言百萬遍供養塔」と陰刻 1
写真 平方領々家の道標 ひらかたりょうりょうけ 上尾市   石道標   安永9(1780)   上尾市史9p372 移設/中央で水平に折損→他の石碑等と累積・放置 (正面右上隅に小さく)「是より」、(正面に大きく)「秋葉大權現道」/現・さいたま市の秋葉神社への道を示す 4 -
写真 平塚の庚申塔道標3 ひらつか 上尾市   石道標(駒型) 高91㎝,幅45㎝,厚27㎝ 天明5(1785)   上尾の庚申塔p69
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?(台石欠損?) (右面左)「右 せうぶ道」、(左面右)「左 古うのす道」/正面に大きく「(梵字)庚申供養」と陰刻 2
写真 上尾村の庚申塔道標2 あげお 上尾市   石道標(尖頭角柱) 高135㎝(うち、台石33㎝),幅39㎝,厚38㎝ 寛政5(1793)   上尾の庚申塔p27
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/下部埋設 (台石正面右端)「右 原市…」、(同左端)「左 上尾…」、(台石右面)「右 小室…」、(台石左面右端)「左 桶川…」/正面に「庚申供養塔」と陰刻 1
写真 平方領々家の地蔵道標 ひらかたりょうりょうけ 上尾市   石道標(丸彫) 高126㎝(うち、台石43㎝) 寛政9(1797)   上尾市史9p371 移設 (台石正面)「右 あき者みち/左 木ノ下村く王んおん道/向 よの 大宮 江戸」/現・さいたま市の秋葉神社への道を示す/台石上に地蔵立像
(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる
2
写真 平塚の題目塔道標 ひらつか 上尾市   石道標 高63㎝,幅21㎝,厚12㎝ 寛政11(1799)   上尾市史9p425
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/裏面上半分が欠損→刻字が消失 (右面)「… こ者"り/飛可"し せうぶ/み支" こむろ 志"おんじ、道」(=左,右)、(左面)「南 い王つき 原市/西 あげを 桶川/北 …のす …、ミち」/正面に「卍講中」と陰刻 3 -
写真 栄町の庚申塔道標 さかえ 上尾市 馬喰新田バス停・脇 石道標(駒型) 高129㎝(うち、台石28㎝),
幅36㎝,厚25㎝
寛政12(1800)   上尾の庚申塔p20
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(道路拡幅、台石C接合)? (左面)「是より、秋葉へ 壹里十二丁/飛良方迠 壹里八町/川越へ 三里」(=平方)/「是より」と書いた後、南、東、西と別方向の地名を示した例は稀/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻、頂部に“日月”の線刻 2
写真 須ケ谷の庚申塔道標 すかや 上尾市   石道標(尖頭角柱) 高92㎝(うち、台石20㎝),幅34㎝,厚21㎝ 寛政12(1800)   上尾の庚申塔p75
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/右面・裏面Cブロックと接して読めない (右面下部)「南 …/西 桶川へ …」、(左面右)「北 せうぶ さつて」、(同左)「東 いわつき しおんじ」、(裏面)「此方 しをんぢ道」〔刻字はすべて未確認〕/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 向山の庚申塔道標 むこうやま 上尾市   石道標(駒型) 高89㎝(うち、台石21㎝),幅30㎝,厚21㎝ 享和元(1801)   上尾の庚申塔p82 近接移設?/木祠内 (右面下部)「川越/平方、道」、(左面上部)「あきは道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 本町の地蔵道標 ほん 上尾市 共同墓地 石道標(丸彫) 高184㎝(うち、台石72㎝) 享和3(1803)   上尾市史8p86
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石正面右端)「南 者らいち道」、(同左端)「北 おけが王ミち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる、敷茄子正面に花の浮彫り/台石正面中央に「奉造立四國供養佛」と陰刻 3
写真 原市の庚申塔道標2 はらいち 上尾市   石道標(尖頭角柱) 高166㎝(うち、台石31㎝),幅34㎝,厚24㎝ 文化2(1805)   上尾の庚申塔p39
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/簡易屋根付き (正面下部)「向/之/方」、(同、その下右)「左、ゑ登ミち/あふミや 二里」(=江戸)、(同、その下左)「右、か王古へ 三里半/あき者 二里」(=川越)、(右面下部)「右、以王つき 二里/志おんし 二里半」(=岩槻)、(左面下部)「左、當所江 九丁/志やう婦 三里/きさゐ 四里」/正面上部に「庚申塔」と陰刻 1
写真 戸崎の聖観音・地蔵道標 とさき 上尾市 共同墓地 石道標(尖頭角柱) 高81㎝,幅30㎝,厚22㎝ 文化3(1806)   上尾市史8p90
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/像容不明瞭 (正面最下部)「岩槻/原市/上尾、ミち」、(右面頂部)「西」、(同最下部)「秋葉/川越、ミち」、(裏面?)「東 野ミ」(?)/正面頂部右に聖観音立像(蓮台)と同左に地蔵立像(錫杖、蓮台)の浮彫り、その下に「新四國十二番札處」、その左下に「是より 十三番一丁目」と陰刻 2
写真 平方領々家の庚申塔道標 ひらかたりょうりょうけ 上尾市   石道標(尖頭角柱) 高82㎝(うち、台石21㎝),幅27㎝,厚28㎝ 文化4(1807)   上尾の庚申塔p38 移設? (右面上部)「北」、(左面上部)「南、あきは/江戸みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻/邪鬼が大きな顔になっているのは稀 2
写真 須ケ谷の馬頭観音道標 すかや 上尾市 第六天神社・東脇 石道標

高128㎝(うち、台石30㎝),40㎝角

文化5(1808)   上尾市史8p90
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (台石右面右)「北 志やうぶ」、(同左)「東 さつて」、(台石左面)「西 おけが王」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 1
写真 領家の地蔵道標 りょうけ 上尾市 共同墓地 石道標(丸彫) 高152㎝(うち、台石上50㎝) 文化6(1809)   上尾市史8p88
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (下段台石正面右)「右 上尾」、(同左)「左 桶…」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、薄い敷茄子)の丸彫を載せる 3
写真 菅谷の地蔵(?)道標 すがや 上尾市   石道標 高66㎝,幅27㎝,厚17㎝ 文化7(1810)   上尾市史8p89
/WEB(鎌倉街道上道)
基部露出→近接移設? (正面)「 あ…」、(右面下部)「此方、い王つき/志おんし」、(左面下部)「右 おけか王/左 せうぶ」/正面頂部を光背(?)型に削り込み地蔵(?)坐像を陽刻、その下に「…供養」と陰刻 1 -
写真 今泉の馬頭観音道標 いまいずみ 上尾市 十連寺墓地・入口 石道標 高90㎝(うち、台石24㎝),30.5㎝角 文化8(1811)   上尾市史8p91
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「右、あきは/か王こへ、道」、(左面)「左、江戸/よの、道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 川の庚申塔道標 かわ 上尾市   石道標(駒型) 高120㎝(うち、台石44㎝),幅37㎝,厚26㎝ 文化9(1812)   上尾の庚申塔p88 近接移設? (上段台石左面右)「右、岩附/原市/大宮」、(同左)「向 松山道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 南の聖観音像道標 みなみ 上尾市   石道標(隅丸型) 高87㎝,幅33㎝,厚23㎝ 文化10(1813)   上尾市史9p414
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/木屋根付き (正面最下部右)「此方/具き」(=久喜)、(同左)「い王つき/志"おんじ」、(右面)「此方、おけが王/与しみ/まつやま」、(左面)「此方、あき者/者らいち」/正面頂部に小さな正観音坐像(蓮台)の浮彫り、その下に「奉納、秩父/西國/坂東、百番供養塔」と陰刻 1
写真 菅谷の庚申塔道標3 すがや 上尾市   石道標(尖頭角柱) 高111㎝(うち、台石24㎝),幅35㎝,厚35㎝ 文政7(1824)   上尾の庚申塔p68
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (台石右面)「こうのす/此可多/せうぶ」、(台石左面右)「向方/□□つき/さつて/くき」、(同左)「此可多/者らいち」、(台石裏面)「此可多/上尾/あき者/川ごへ」/正面に大きく「庚申」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 平塚の庚申塔道標4 ひらつか 上尾市   石道標(駒型) 高131㎝(うち、台石11㎝),幅37㎝,厚22㎝ 文政10(1827)   上尾の庚申塔p69
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面最下部)「くき/さつて/志おんじ/い王つき」、(右面最下部)「あけを/か王こへ」、(左面)「此方、者らいち/おふみや」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 1
写真 堤崎の馬頭観音道標 つつみさき 上尾市   石道標(駒型) 高85㎝,幅29.5㎝,厚20㎝ 文政11(1828)   上尾市史8p91
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面)「南 よの/西 ひら加多、道」、(左面)「北 をけ川道/東 のミち」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1
写真 瓦葺の馬頭観音道標 かわらぶき 上尾市 楞厳寺・前 石道標(駒型) 高52㎝,幅24㎝,厚14㎝ 文政11(1828)   上尾市史8p87
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/簡易覆屋内 (右面左下)「右 大門道」、(左面右下)「左 い王つき道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 3 -
写真 戸崎の馬頭観音道標 とさき 上尾市 戸崎御嶽社 石道標(尖頭角柱) 高68㎝,幅30㎝,厚165㎝ 天保4(1833)   上尾市史9p443
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面右)「向、い王川き/よの」(=岩槻)、(右面)「右り、ひらか多/か王たや」、(左面)「左り、あき者/おいふくろ/か王こへ」/正面中央に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2 -
写真 井戸木の馬頭観音道標 いどぎ 上尾市   石道標(墓石型) 高180㎝(うち、台石61㎝),幅37㎝,厚35㎝ 天保7(1836)   上尾市史8p88
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (下段台石右面)「右 越/左 桶川」、(下段台石左面)「左、よの/ひらかた」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 3
写真 壱丁目の馬頭観音像道標 いっちょうめ 上尾市 愛宕神社 石道標(隅丸型) 高72㎝(うち、台石13㎝),幅25㎝,厚18㎝ 天保9(1838)   上尾市史8p91
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「南 よの/西 か王こへ、ミち」、(左面右)「北 をけ川」、(同左)「東、い王つき/あげを」、(同下部)「道」/正面頂部を円形に削り込み馬頭観音坐像〔馬頭冠〕を陽刻 2
写真 原市の庚申塔道標3 はらいち 上尾市   石道標(尖頭角柱) 高126㎝(うち、台石28㎝),36㎝角 天保11(1840)   上尾の庚申塔p41 原位置? (右面)「松山へ 六里/上尾へ 十八丁/桶川へ 二り廿六丁」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 1
写真 菅谷の庚申塔道標4 すがや 上尾市   石道標(尖頭角柱) 高90㎝(うち、台石22㎝),幅28㎝,厚26㎝ 弘化2(1845)   上尾の庚申塔p74
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/簡易覆屋内/邪鬼の部分は意図的に破壊/台石は後補 (右面最下部)「此方、せうふ/きさ以」、(左面最下部)「右 者ら市/左 加うのす」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人)、台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 堤崎の地蔵道標 (車地蔵) つつみさき 上尾市   石道標(丸彫) 高140㎝,幅30㎝,厚22㎝ 弘化2(1845) 市有形民俗 上尾市史9p439
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (中段台石正面)「南、秋葉/与野、道」、(中段台石右面)「東、上尾/原市、道」、(中段台石左面)「西、川越/平方、道」/上段台石は“輪廻塔”になっていて中央に“石車”、上段台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる/輪廻塔付きの道標は稀 2
写真 畔吉の馬頭観音像道標 あぜよし 上尾市 徳星寺 石道標(駒型) 高100㎝(うち、台石24㎝),幅32㎝,厚21㎝ 嘉永3(1850)   上尾市史8p87
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石右面)「東、あげを/者らいち」、(台石左面)「西 か王こい」/正面を枠だけ残して火灯窓型に削り込み馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕、蓮台)を陽刻 2
写真 領家の庚申塔道標 りょうけ 上尾市   石道標(墓石型) 高92㎝(うち、台石16㎝),幅29㎝,厚28㎝ 嘉永3(1850)   上尾の庚申塔p59 移設(下段台石はC)/“日”が欠損 (台石左面右)「右/畦吉川岸/十…」、(同左)「左/桶川/一…」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 小泉の庚申塔道標 こいずみ 上尾市   石道標(隅丸型) 高90㎝,幅29㎝,厚20㎝ 嘉永4(1851)   上尾の庚申塔p51 近接移設?/大きなC台上に金属製の簡易覆屋を置く/刻字判読困難 (左面)「南 上野…/西 畔吉…/北 桶川…、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
写真 平塚の庚申塔道標5 ひらつか 上尾市   石道標 高98㎝,幅39㎝,厚27㎝ 嘉永5(1852)   上尾の庚申塔p70
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面最下部)「東方、さつて/くき/多かの」、(左面最上部)「西方、あげを/あき者」、(裏面最下部)「北方、こうのす/かのう」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 1
写真 領家の供養塔道標 りょうけ 上尾市 椿堂 石道標 高84㎝(うち、台石23㎝),幅28㎝,厚20.5㎝ 嘉永6(1853)   上尾市史8p88
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面左下)「此方 太良右ェ門王多し」、(右面右下)「上尾道」、(左面右下)「のミち」/正面中央に「父三十四ヶ所供羪塔」と陰刻(緑字は異体字) 2
写真 原市の庚申塔道標4 はらいち 上尾市   石道標(尖頭角柱) 高124㎝(うち、台石9㎝),幅54㎝,厚40㎝ 安政3(1856)   上尾の庚申塔p40 近接移設?/木祠内 (右面下部)「大宮江 二里/与野江 三り」、(左面上部)「大門へ 三利/岩槻へ 二里」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2
写真 藤波の石橋供養塔 ふじなみ 上尾市 密厳院  石碑(舟型) 高121㎝,幅42㎝,厚29㎝  享保10(1725)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (光背右上)「石橋供養佛」/光背中央に阿弥陀如来立像の浮彫 2
写真 中妻の石橋供養塔 なかづま 上尾市 宝蔵寺 石碑(舟型) 高53㎝,幅28㎝ 享保17(1732)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (光背右側)「石橋念佛講中」/光背中央下部に如意輪観音の半跏坐像を陽刻 2
写真 小泉の石橋供養塔 こいずみ 上尾市 薬師堂 石碑(丸彫) 高185㎝(うち、台石41㎝) 延享3(1746)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (台石正面)「奉建立地蔵菩薩/右石橋両所供養佛/村々助力之善男女/爲二世安樂也」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 西宮下の石橋供養塔 にしみやした 上尾市 天神社 石碑(道標兼) 高89㎝,幅35㎝,厚34㎝ 延享4(1747)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設(C台石) (正面)「石橋供養塔」、(右面)「西ハ、ひらか多/か王こゑ、みち」、(左面)「東ハ、あけ於/者らいち、道」 2
写真 上尾下の石橋供養塔 あげおしも 上尾市 芝川(左岸) 石碑 高74㎝,幅30㎝,厚20㎝  安永6(1777)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「(梵字)石橋供養塔」、(右面)「庚申講中、助力/十七ヶ村」 1 -
写真 柏座の石橋供養塔 かしわざ 上尾市 日乗院 石碑
(駒型、道標兼)
高72㎝,幅28㎝,厚18㎝ 安永7(1778)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石更新 (正面像下)「石橋供養佛」、(右面下部)「南 与野道/西 平方道」、(左面下部)「東 上尾宿道」/正面を枠だけ残して平らに削り込み、頂部に僧形坐像を陽刻 3
写真 地頭方の石橋供養塔 じとうがた 上尾市 地頭方公民館 石碑 高82㎝,幅31㎝,厚17㎝ 寛政8(1796)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/左右面とも隣の石碑で見えない (左面)「石橋供養塔」/正面に「(梵字)大乘妙典日本回國供養塔」と陰刻 4
写真 堤崎の石橋供養塔 つつみさき 上尾市   石碑(駒型) 高52㎝,幅20㎝,厚13.5㎝ 寛政10(1798)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面)「石橋二ヶ所供養塔」 3 -
写真 上町の石橋供養塔 かみ 上尾市 遍照院 石碑 高約4m(うち、基壇+台石1.6m),39㎝角 文政7(1824)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 現在解体されて業者が保管中 (正面)「(梵字)石橋總鋪石供養」/基壇上に2段の台石、蓮台を置く立派な供養塔→全高は石橋供養塔として最大 5
写真 平方領々家の敷石供養塔 ひらかた、
りょうりょうけ
上尾市 清真寺 石碑(隅丸型) 高157㎝(うち、台石37㎝),幅35㎝,厚23㎝ 寛政7(1795)   上尾市史9p373
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「敷石供羪塔」 1
写真 戸崎の敷石供養塔 とさき 上尾市 戸崎御嶽社 石碑(尖頭角柱) 高134㎝,幅39㎝,厚29.5㎝ 嘉永5(1852)   上尾市史9p442
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「敷石供養塔」/鴨川から入り組んだ低湿地を通る道に敷かれた一般の道に敷かれた石畳 2
写真 瓦葺の敷石供養塔 かわらぶき 上尾市 楞厳寺・前 石碑(尖頭角柱) 高95㎝(うち、台石24㎝),幅29㎝,厚28㎝ 元治元(1864)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約/簡易覆屋内 (正面)「敷石供羪塔」 3
写真 平方河岸・跡 ひらかた 上尾市 荒川(左岸) 河岸   寛永15(1638)以前   市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
遺構は残っていない
〔写真右側の辺りが船着場であったと推測されている〕
荒川の中流域に位置する河岸/文書資料から寛永15には存在していた→江戸時代を通じて陸運と荒川の舟運によって発達し大正時代末まで栄えた/下記の「平方の石祠」は、河岸の繁栄に対する感謝と将来への発展の祈願したもの 4
写真 平方の石祠
(平方村河岸出入商人衆奉納の石祠)
ひらかた 上尾市 橘神社/荒川(左岸) 石祠 高166㎝ 享保2(1717) 市有形 市教委
/上尾市史9p368
/WEB(関東地方の川)
原位置?/木祠内/笠は後補の可能性 (右面)「右當社建立之意趣者當河岸□□□繁栄是太神/宮之拝御神德儀之寶永六己丑仲穐此舎志願/於登荷物賃百付豊献御初尾穂之太神宮/一方處之御授歳此所安置奉拝之喜雖爲大/海之一渡依信心之功歳有餘分神者依人之敬/増威故本之石宮欲造立趣志願依難叶當村中并/河岸出入之商人請助力願以成就然者人者依神/之德縁運請命之願主等一功之免危難并川中/横難荷物運送之牛馬并餘家内合富空天長此/久國土爲安全正乞願者也」/平方河岸出入の商人が願い出て建立/荒川舟運で発達した平方の河岸場の隆盛を伝える歴史資料/全体に装飾性が豊か 2
写真 見沼代用水 みぬまだい 上尾市・他 行田市→鴻巣市→加須市→久喜市→白岡市→蓮田市→上尾市東縁・西縁に分離(下記参照) 用水路 総延長70㎞ 享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/見沼代用水の上流部分(上尾市から東縁・西縁の2つに分離)/8代将軍・吉宗の命を受け、井澤弥惣兵衛為永により築造/灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路→「代用水」の命名/用排水分離、大規模な水利構造物(十六間堰、柴山伏越、瓦葺掛樋など)が特徴/灌漑、干拓、治水、運河を含む総合的な地域開発事業 4
写真 見沼代用水 東縁 みぬまだい、ひがしべり 上尾市・他 上尾市→さいたま市→川口市→東京都足立区 用水路、舟運路   享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川) 一部に昔の面影を残す(都市化が進行して農地が減少したため国営の幹線水路整備事業が実施されていないため) 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/見沼代用水の下流部分(上尾市から東縁・西縁の2つに分離)/以下、上記「見沼代用水」と同文 3
写真 見沼代用水 西縁 みぬまだい、にしべり 上尾市・他 上尾市→さいたま市→川口市 用水路、舟運路   享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川) 同上 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/見沼代用水の下流部分(上尾市から東縁・西縁の2つに分離)/以下、上記「見沼代用水」と同文 3
写真 芝川 しば 上尾市・他 上尾市→さいたま市→川口市 用水路、舟運路   享保13(1728)以降   WEB(関東地方の川) 三面C護岸 享保13(1728)に見沼が干拓されて見沼田圃となると、排水路として見沼田圃の最も低いところが開削され、芝川の新河道となった 4
写真 平方の水神宮石祠 ひらかた 上尾市 橘神社/荒川(左岸) 石祠   寛政5(1793)   市教委
/上尾市史9p368
原位置?/木祠内 (塔正面の御幣の後ろ)「水神宮」/荒川の水害等の災害を防ぐことを祈念したものと考えられている/上記「平方の石祠」の左に安置 2
写真 東円寺不動堂の神橋 とうえん 朝霞市   石桁橋
(石橋供養塔兼)
  弘化3(1846)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 石橋の親柱に「石橋供養塔」と陰刻/高欄に梅紋の開口部 1
写真 根岸台の馬頭観音像道標 ねぎしだい 朝霞市 (5丁目)観音堂 石道標 高63㎝,幅25㎝,厚10㎝ 文化13(1816)   富士見市近隣の道しるべp51 移設、集約/祠内 (左面下部)「左 引又道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、?、輪宝、矢、弓〕)の陽刻 3
写真 三原の馬頭観音像道標 みはら 朝霞市 (5丁目)
県道36号・西・畑内
石道標 高51㎝,幅26㎝,厚17㎝ 天保10(1839)   富士見市近隣の道しるべp49 移設/頭部丸石で後補/剥離進行/基部C固定/四周を有刺鉄線で囲む (右面)「右リ 宮戸道/南 ざお里道」、(左面)「左リ 引又道/西 の飛東め道」/正面に馬頭観音立像(一面二臂)の陽刻 4
写真 朝志ケ丘の馬頭観音道標 あさしがおか 朝霞市 (1丁目)
東武東上線・陸橋下
石道標 高67㎝,幅21㎝,厚10㎝ 嘉永4(1851)   富士見市近隣の道しるべp49 移設/基部11㎝露出 (正面右下)「引又道 十五丁」、(同左下)「宮戸道 十二丁」、(右面)「右り ひざおり道 二十丁(?)」、(左面)「江戸道 六リ」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 膝折の不動明王像道標 ひざおり 朝霞市 (坂下)旧川越街道 石道標 高94㎝(うち、台石17㎝),
幅25㎝,厚14㎝
明和5(1768)   富士見市近隣の道しるべp51 移設→個人宅 (正面最下部)「此方/腰折道」、(右面)「右リ、お可/ふどう、道」、(左面)「左リ 引又道」/頂部を浅く光背型に削り込み不動明王坐像(三鈷剣、羂索?、蓮台)を陽刻、その下に「供養塔」と陰刻 4
写真 根岸台の石橋供養塔 ねぎしだい 朝霞市 台雲寺 石碑(尖頭角柱、道標兼) 高139㎝,
幅36.5㎝,
厚29.2㎝
元文5(1740)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/朝霞の石造物p114 移設? 正面右側の「天下泰平」の下に「石橋」、同左側の「國土安全」の下に「建立」/正面右側の「石橋」の下には、「柱石 壹本 施主 根岸臺村中/同 二十本 施主 臺村(省略)」、同左側の「建立」の下には、「板石 三本 施主 靍馬村(省略)/同 壹本 施主 同村 金子平吉母/さらにその下右側に、「板石 壹本 施主 浪井村(省略)/同 壹本 武蔵秩父萩平村(省略)」、同左側に「板石 三本 施主 江戸白山新町(省略)/同 壹本 施主 駿州駿東郡古澤村(省略)」と資材の寄贈者が詳しく刻字/右面に29の助力村名と5つの村の1寺と5個人の名前を刻字、その下に「是ゟ右 阿だち道」の道しるべ、その左に「波の花水到比おし舟奈ひて/蓮の花虹の夕べの懸橋」の願文/左面には石垣石施主等も刻字/正面中央に「(梵字)奉納大乘妙典六十六部供養二世…」と陰刻 2
  浜崎の石橋供養塔 はまさき 朝霞市 東薬師堂 石碑(舟型) 高82㎝,幅31㎝,厚17㎝ 寛延2(1749)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (光背右端)「石橋供羪」/光背全面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、剣、宝輪、斧、棒〕)を陽刻 1
写真 ニ本木の秋葉山常夜灯
にほんぎ 入間市 上宿長田交差点・際 石常夜灯 高2.05m 寛政9(1797)   入間市史・金石文編p634/WEB(鎌倉街道上道) 原位置 (竿正面)「秋葉山」、(竿右面)「天滿宮」、(竿左面)「石尊宮」、(竿裏面)「高尾山」 1
写真 鍵山の石尊常夜灯 かぎやま 入間市 (1丁目) 石常夜灯 高2.00m 安政5(1858)   入間市史・金石文編p635/WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (竿正面)「大山石尊大權現」、(同右)「大天狗」、(同左)「小天狗」、(竿左面)「秋葉山大權現」/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 1
写真 扇町屋の地蔵道標 おうぎまちや 入間市 上の地蔵堂 石道標(笠付き) 高132㎝,幅36㎝,厚29㎝ 元禄5(1692)   入間市史・金石文編p540/WEB(鎌倉街道上道) 原位置/木祠内、信仰の対象 (正面像右)「右 おうみち」、(同左)「左 八王じみち」(緑字は異体字)/正面を光背型に削り込み、中央上部に地蔵立像(錫杖)を陽刻/立派な唐破風付きの笠/17世紀の道標 1
写真 ニ本木の道標 にほんぎ 入間市 上宿長田交差点
<日光脇往還・河岸街道>
石道標(自然石) 高80㎝,幅30㎝ 延享元(1744) 市史跡 入間市史・金石文編p637/WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「右 青梅」、(左面)「左、大山/八王じ」 1
写真 寺竹の道標 てらだけ 入間市   石道標(自然石) 高60㎝,幅44㎝,厚30㎝ 安永10(1781)   入間市史・金石文編p636/WEB(鎌倉街道上道) 移設? (正面中央)「大山道」 2 -
写真 中神の供養塔道標 なかがみ 入間市 <青梅街道> 石道標(尖頭角柱) 高128㎝,幅36㎝,厚25㎝ 寛政5(1793) 市史跡 入間市史・金石文編p625/WEB(鎌倉街道上道) 原位置?/刻字部が青く彩色 (正面頂部)「北」、(同左下隅)「野み知」、(同左下隅)「のミ知」(=野道)、(右面)「西、是より 阿ふ免 み多け/二り八丁/古連与り や可怒き 子ノ古"ん介ん/四丁、道」(=青梅、御嶽、是、谷ケ貫、子の権現)、(左面)「東、是より 阿ふき末知や 川越/二十八丁、道」(=扇町屋)、(裏面)「南、是ゟ はやし 江戸/一り三丁/古連より 二本木 大山/二十一丁、みち」/4面に変体仮名を多用した道しるべが刻字/正面中央に「百万遍供養塔」と陰刻 1
写真 豊岡の馬頭観音像道標 とよおか 入間市 (1丁目)下町地蔵堂・前 石道標(駒型) 高56㎝,幅26㎝,厚17㎝ 18世紀後半~末?   入間市史・金石文編p587/WEB(鎌倉街道上道) 移設?/左面の刻字は意図的に削除 (右面)「右 川越道」、(左面)「左 □□道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔剣、輪宝、羂索、数珠〕、三猿)の陽刻 2
  上藤沢の地蔵道標 かみふじさわ 入間市   石道標(丸彫) 高100㎝(うち、塔身40㎝) 享和元(1801)   入間市史・金石文編p723 地蔵は明治44の後補 (台石右面)「右 三ケしま道」、(台石左面)「北 扇町屋」/台石上に地蔵坐像(蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 3
写真 扇町屋の道祖神道標 おうぎまちや 入間市 <日光脇往還> 石道標(尖頭角柱) 高103㎝,幅32㎝,厚25㎝ 享和2(1802) 市史跡 入間市史・金石文編p576-577/WEB(鎌倉街道上道) 移設 (右面)「従是、入間川/か王古へ、道」(=川越)、(左面)「従是、まつ山/日古う、道」(=日光)/正面に「道祖神」と陰刻 2
写真 下藤沢の馬頭観音道標 しもふじさわ 入間市   石道標(墓石型) 高92㎝,40㎝角 享和2(1802)   入間市史・金石文編p594/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約/2段の台石ともC接合 (上段台石正面右端)「右/あふめ/道」、(同左端)「左/林道/三やてら」/正面を火灯窓型に浅く削り込み「(梵字)馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 春日町の馬頭観音道標 かすが 入間市 (2丁目)蓮花院 石道標(尖頭角柱) 高65㎝,幅25㎝,厚18㎝ 文化年間(1804-18)   入間市史・金石文編p588/WEB(鎌倉街道上道) 移設(もと、黒須1丁目馬頭坂) (右面)「右ハ 志ん加し/ミ知」(=新河岸道)、(左面)「左り、入閒川/川こへ、道」/正面に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 扇町屋の馬頭観音道標 おうぎまちや 入間市 上町地蔵堂・前 石道標(尖頭角柱) 高79㎝,36㎝角 文政3(1820)   入間市史・金石文編p586/WEB(鎌倉街道上道) 移設 (右面)「青梅/み多け、ミち」、(左面)「八王子/大山、道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 高倉の地蔵道標 たかくら 入間市 高倉寺 石道標 高67㎝,幅27㎝,厚18㎝ 天保9(1838)   入間市史・金石文編p632/WEB(鎌倉街道上道) 移設/正面の損傷大 (右面左)「東 あふきまちやみち」、(左面上部)「西、う□□□/者んのふ、みち」/正面頂部に地蔵立像(欠損)を陽刻、その下に「奉拝禮百番社」(欠損)と陰刻 4 -
写真 ニ本木の馬頭観音道標 にほんぎ 入間市 長田坂上 石道標 高70㎝,幅27㎝,厚19㎝ 嘉永6(1853)   入間市史・金石文編p723/WEB(鎌倉街道上道) 移設(C台石)/摩耗大/欠損も多い (左面)「左 あく/右 や可ね/左 …、道」/正面に「馬頭觀音」?と陰刻 4 -
写真 扇町屋の道標 おうぎまちや 入間市 上町地蔵堂・前
<日光脇往還・青梅道>
石道標(尖頭角柱) 高164㎝,幅39㎝,厚23㎝ 安政3(1856) 市史跡 入間市史・金石文編p635/WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「右 み多け山みち)、(正面左下に小さく)「是より御本社へ 七里」、(右面)「青梅町/小河内原湯、道」、(左面上部)「婦し山/大山」(=富士山)、(同下部)「高尾山/今熊山、道」 2
写真 豊岡の道標
(豊岡温故公園の道標)
とよおか 入間市 (1丁目)黒須地蔵堂
<日光脇往還・秩父往還>
石道標 高129㎝,幅34㎝,厚23㎝ 江戸期 市史跡 入間市史・金石文編p636/WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「北 日光道」、(右面)「西 (山の線刻) 大山、阿ふぎ町屋/八王うじ、道」(=扇町屋)、(左面)「東 江戸、登こ路沢/や幾さ八、みち」(=所沢、柳沢)/「江戸」の標記は江戸期 2
写真 上藤沢の道標 かみふじさわ 入間市 藤沢橋・際 石道標(自然石) 高52㎝,幅24㎝,厚18㎝ 江戸期 市有形民俗 入間市史・金石文編p637/WEB(鎌倉街道上道) 移設(C台石) (正面)「八王子 をふめ道」、(右面)「右ハ 江戸道」、(左面)「左ハ 川こい道」/「江戸」の標記は江戸期/藤沢橋石造物群として市指定 2 -
  南峯の石橋供養塔1 みなみみね 入間市 庚申堂・前 石碑 高145㎝,幅32㎝,厚19㎝ 明和2(1765)   入間市史・金石文編p603   (正面中央)「石橋拾三ヶ所峯村中」  
  南峯の石橋供養塔2 みなみみね 入間市   石碑 高141㎝,幅37㎝,厚23㎝ 明和2(1765)   入間市史・金石文編p603   (正面中央)「石橋拾三ヶ所峯村中」  
写真 寺竹の石橋供養塔 てらだけ 入間市 八瀬橋・右岸橋詰 石碑 高66㎝,幅25㎝,厚16㎝ 明和5(1768)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「大橋石橋二所供養佛」 1 -
写真 宮寺の石橋供養塔1 みやでら 入間市   石碑
(駒型、道標兼)
高96㎝,幅36㎝,厚23㎝ 天明2(1782)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/入間市史p604 原位置? (正面)「(梵字3)奉石橋供養、坂東/西國/秩父、爲二世安樂」、(左面上部)「左 江戸みち/中 きたのみち」、(同下部)「南 山口みち/右 あふめみち」 1
  宮前町の石橋供養塔 みやまえ 入間市 (3丁目) 石碑(尖頭角柱) 高65㎝,幅27㎝,厚23㎝ 寛政元(1789)   入間市史・金石文編p602 移設→個人宅 (正面)「(梵字3)石橋供養塔」 4 -
写真 小谷田の石橋供養塔1 こやた 入間市 東光寺 石碑(尖頭角柱) 高63㎝,幅20㎝,厚18㎝ 寛政3(1791)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB
(鎌倉街道上道)
墓地、集約 (正面)「石橋供養塔」 3 -
写真 小谷田の石橋供養塔2 こやた 入間市 水窪<青梅道> 石碑(自然石) 高62㎝,幅32㎝,厚16㎝ 寛政8(1796)   入間市史・金石文編p603/WEB(鎌倉街道上道) 移設、台石更新、金属製の簡易庇 (正面)「石橋、秩父/坂東、供養塔」 3 -
写真 宮寺の石橋供養塔2 みやでら 入間市 瑞穂町二本木との境界 石碑 高82㎝,幅33㎝,厚20㎝ 寛政5(1793)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「石橋供養塔」、(左面左)「隣村助力 男女念佛講中」 1
写真 上藤沢の石橋供養塔 かみふじさわ 入間市 藤沢橋・右岸橋詰、
上藤沢と下藤沢の境界 
石碑(道標兼) 高92㎝,幅35㎝,厚33㎝ 寛政9(1797)   入間市史・金石文編p605/WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「石橋供養塔」、(台石正面)「あふめ/八王子、道」、(台石右面)「江戸/所澤、道」、(台石左面)「川こえミち」/右面に、架橋の経緯を「如法妨損車馬我皆或作橋梁矣以顧/善縁厚薄川懸橋功德尤秀因玆村里助力貴賤同/心既而橋梁修補功訖是國泰安良津也寧助繁/祉悦樂基本那加焉彫舎那之塔形供養之法所/然者依這實大小救助倫上下結衆類生存巨富/欣愉來世登佛陀金己」と陰刻 1
写真 宮寺の石橋供養塔3 みやでら 入間市 南中野公会堂・前 石碑 高82㎝,幅30㎝,厚18㎝ 寛政11(1799)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設? (正面)「石橋供養塔」 2
写真 西三ツ木の石橋供養塔 にしみつぎ 入間市   石碑(尖頭角柱) 高98㎝,幅33㎝,厚19㎝ 文政10(1827)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 墓地、集約 (正面)「奉納大乘妙典、日本回國/石橋二ヶ所、供養塔」/正面を火灯窓型に浅く削り込んで刻字 3
  宮寺の石橋供養塔4 みやでら 入間市   石碑(駒型) 高98㎝,幅33㎝ 天保3(1832)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「石橋供養塔」 2
  下藤沢の石橋供養塔 しもふじさわ 入間市   石碑 高90㎝,幅33㎝,厚21㎝ 天保3(1832)   入間市史・金石文編p605   (正面)「石橋供養塔」  
写真 三ツ木の高札場 みつぎ 入間市 (西三ツ木) 高札場   江戸期 市史跡 WEB(鎌倉街道上道) 昭和48修復 保存状態の良い高札場(規模は小さい) 1
写真 川田谷の石尊常夜灯1 かわたや 桶川市 堂坂霊園 石常夜灯 高2.20m 文化8(1811)   桶川市史9p244 移設、集約 (竿正面)「奉/納、石尊大權現」、(同右)「大天狗」、(同左)「小天狗」→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 3
写真 川田谷の石尊常夜灯2 かわたや 桶川市 (宮前) 石常夜灯 高2.04m 嘉永2(1849)   桶川市史9p244 近接移設?(C基礎) (竿正面)「奉/納、石尊大權現」、(同右)「大天狗」、(同左)「小天狗」→同上 1
写真 川田谷の石尊常夜灯3 かわたや 桶川市 (前原) 石常夜灯 高2.36m 元治元(1864)   桶川市史9p244
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (竿正面)「奉/獻、雨降山」→同上 1
写真 加納の地蔵道標 かのう 桶川市 光照寺・門前 石道標(丸彫) 高198㎝(うち、塔身118㎝),幅35㎝ 享保4(1719)   桶川市史9p271 原位置? (台石右面)「此連よ里右 くきみち/栢間おふみとうみち」、(台石左面)
「左 志やう婦 きさいみち/□□かうかんおんみち」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる
1
写真 倉田の庚申塔道標1 くらた 桶川市 倉田集会所・前 石道標(蒲鉾型) 高143㎝(うち、塔身126㎝),
幅47㎝,厚28㎝
元文3(1738)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (台石正面左)「南 岩付み…」、(台石右面)「みき/志やう…」、(台石左面)「西 加う…」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻/頂部は単純な蒲鉾型ではなく、唐破風の曲面/下記「倉田の庚申塔道標2」と並ぶ 1
写真 篠津の庚申塔道標 しのづ 桶川市 赤堀川(左岸) 石道標(駒型) 高103㎝(うち、塔身97㎝),
幅44㎝,厚28㎝
延享元(1744)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置/台石下部埋設 (左面)「此方/ひめみや/姫宮道/二丁四十間」、(台石正面右端)「南/おけ…」、(同中央)「古う…」、(同左)「北/一丁乃東/志う…」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 五町台の庚申塔道標 ごちょうだい 桶川市 県道77号・交差点 石道標 高109㎝(うち、塔身90㎝),
幅40㎝,厚38㎝
宝暦2(1752)   桶川市史9p275 原位置?/木造の祠の前板のため、台石の刻字がほとんど被覆 (台石正面右端)「右 おけ/か/こうの」、(同左端)「左 はらいち/いはつき」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 坂田の道標 さかだ 桶川市 (護摩堂) 石道標 高135㎝(基部含む),幅40㎝ 宝暦5(1755)   桶川市史9p229 移設(基部露出)/像があったとされる (正面)「左、こうの春/よしみ/く王んおん、みち」、(右面)「右 せうぶ きさいみち」/塔身上に蓮台を載せる 3
写真 川田谷の地蔵道標1 かわたや 桶川市 (滝ノ台) 石道標(丸彫) 高103㎝ 明和7(1770)   桶川市史9p229 移設、集約 (台石正面右端)「右 かう能春道」(=鴻巣)、(同左端)「左 いしと渡道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 2
写真 川田谷の道標
(樋詰の道しるべ)
かわたや
(ひのつめ)
桶川市 樋詰氷川神社・前 石道標 高47㎝,幅18㎝,厚16㎝ 明和8(1771) 市有形民俗 市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (正面)「向、あき者/大宮、道」、(右面)「右 かうの春道」、(左面)「左 太郎右衛門之渡、石戸宿/吉見/松山」 1
写真 川田谷の地蔵道標2 かわたや 桶川市 立中堂・墓地 石道標(丸彫) 高161㎝(うち、台石60㎝) 天明4(1784)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (台石左面)「西ハ 川こへ道/南ハ 飛良加多道/北ハ 加うのす道 」
(=平方)/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる
3
写真 加納の道標1 かのう 桶川市 (原) 石道標 高78㎝,幅33.5㎝,厚31㎝ 天明4(1784)   桶川市史9p228 昭和49までは像があった (左面右)「右、いわつき/志"おんじ、道」、(同左)「左、加う能春/よしみ、道」(=鴻巣)、(裏面)「右 おけ加"王/左 きさい、道」/正面中央に「觀音經講中」と陰刻 3
写真 上日出谷の地蔵道標 かみひでや 桶川市 愛宕幼稚園・西交差点角 石道標(丸彫) 高157㎝(うち、台石75㎝) 寛政3(1791)   WEB(鎌倉街道上道) 近接移設 (台石右面右)「おけ川へ 十三丁」/台石上に地蔵坐像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 小針領家の庚申塔道標 こばりりょうけ 桶川市 浅間社・東 石道標 高104㎝(うち、台石11㎝),幅40㎝,厚26㎝ 寛政6(1794)   WEB(鎌倉街道上道) 移設→個人宅/六手合掌か剣人か判読不能 (右面右)「西、かふのす/与しみ、道」、(同左)「東、い王つ着/志"おんじ、道」(=岩槻)、(左面)「此方、おけが王道/か王ごゑ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手、邪鬼、三猿)の浮彫り 3
  下日出谷の地蔵道標 しもひでや 桶川市 (東) 石道標(丸彫) 高71㎝(塔身のみ),幅56㎝,厚31㎝ 寛政12(1800)   桶川市史9p270   (台石左面)「西 川越道 三り/北 桶川道 十五丁」/台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる  
  川田谷の地蔵道標3 かわたや 桶川市 (原窪新田) 石道標 高77㎝,幅40㎝,厚57.5㎝ 文政元(1818)   桶川市史9p229   (台石右面?)「南、あきは/江戸、みち」、(台石左面?)「北、川ごへ/松山、みち」/正面頂部に地蔵○像を陽刻、その下に「奉拝禮日本神社佛閣供養塔」と陰刻  
写真 川田谷の馬頭観音道標1 かわたや 桶川市 (地神) 石道標 高69㎝,幅28㎝,厚20㎝ 文政9(1826)   桶川市史9p224 移設 (台石正面左)「南/あきは/道」、(台石右面右)「此方/をけか王/道」、(台石左面)「此方/ふのす/道」/正面に「馬頭観世音」と陰刻 2 -
写真 川田谷の馬頭観音像道標 かわたや 桶川市 (富士見) 石道標(駒型) 高109㎝(うち、台石24㎝),幅32.5㎝,厚20㎝ 天保3(1832)   桶川市史9p262 近接移設?/瓦屋根の立派な木祠内 (右面下部)「左、太郎右ェ門王多し/まつ屋満」(=松山)、(左面下部)
「右、あき者/あげ越、みち」(=上尾)/正面を光背型に削り込み馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕、蓮台)を陽刻
1
写真 西の道標
(松山以奈り道の道しるべ)
にし 桶川市 (1丁目)北小学校
<中山道・松山道>
石道標 高248㎝,幅32㎝,厚26㎝ 天保7(1836) 市有形民俗 桶川市史9p245
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(もと、桶川宿北端)/金柵で囲まれ見にくい (正面)「松山以奈り道」/正面の道しるべの直下に同じで「魚 本小田原町」と陰刻→江戸日本橋・本小田原町の魚市場の関係者が建立→「魚」の字が図案化 3
写真 川田谷の馬頭観音道標2 かわたや 桶川市 (滝ノ台) 石道標 高130㎝,幅43㎝,厚32㎝ 天保13(1842)   桶川市史9p225
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(C舗装)/刻字磨耗 (正面左下隅)「東 桶川道」、(右面)「北 …道」、(左面)「南 太…門渡」/正面を枠だけ残して削り込み「馬頭觀卋音」と陰刻 2
写真 倉田の庚申塔道標2 くらた 桶川市 倉田集会所・前 石道標(笠付き) 高156㎝(うち、塔身131㎝),
幅39㎝,厚25㎝
嘉永元(1848)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (台石正面右端)「南、い王つき/志おんじ」、(同左端)「南、あけを/者らいち」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻/笠は正面に唐破風を付け、その左右上に“日月”が屋根上に出るように浮彫/上記「倉田の庚申塔道標1」と並ぶ 1
写真 加納の道標2
(天神道の道しるべ)
かのう 桶川市   石道標 高83㎝,幅33㎝,厚24㎝ 嘉永2(1849) 市有形民俗 WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「天神道」、(正面下部右)「菖蒲町/二里」、(同左)「桶川宿上入口迠/十五丁半」、(右面)「(右指差し袖付き)天神 十一丁十一間」 1
写真 下日出谷西の馬頭観音道標 しもひでやにし 桶川市 知足院  石道標 高165㎝(うち、台石61㎝),幅38.5㎝,厚37.5㎝ 嘉永7(1854)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (台石右面右)「右、上尾/桶川、道」、(同左)「西、松山/川越、道」、(台石左面中央)「左、桶川/加納、道」/正面中央に「(梵字)馬頭観世音」と陰刻 3
写真 川田谷の馬頭観音道標3 かわたや 桶川市 (氷川前)  石道標(尖頭角柱) 高62㎝,幅25㎝,厚19㎝ 文久元(1861)   桶川市史9p263 原位置? (右面)「東、あき/大宮、道」、(左面)「西、太郎ェ門/川こへ/ま川山、道」、(裏面)「北、かうのす/上おか/石戸、道」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻 1 -
写真 加納の馬頭観音道標 かのう 桶川市 (峰) 石道標(尖頭角柱) 高64.5㎝(うち、台石7㎝),幅22.5㎝,厚17㎝ 慶応元(1865)   桶川市史9p256 近接移設(台石変更?) (右面)「に志 か王古へミち/向 天神道/有かい(?) きさへミち」(=迂回?)〔資料では「ひかし」となっているが、とてもそうは読めない〕/正面中央に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2 -
写真 川田谷の石橋供養塔 かわたや 桶川市 氷川神社  石碑 高71㎝,幅25㎝,厚17㎝ 享保10(1725)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?/正面下部の表面剥離 (正面)「石橋供養所…」 3 -
写真 小針領家の敷石供養塔 こばりりょうけ 桶川市 (本村) 石碑 高60㎝,幅24㎝ 文化2(1805)   桶川市史9p242 原位置? (正面)「(梵字3)敷石供養塔」 1 -
写真 川田谷の敷石供養塔 かわたや 桶川市 (諏訪北) 石碑 高85㎝,幅39㎝,厚29㎝ 文化12(1815)   桶川市史9p242   (正面)「廣前敷石供養塔」  
写真 備前堤 びぜん 桶川市・蓮田市 綾瀬川 土堤防 長約500m(現存) 慶長年間(1600頃)   WEB(関東地方の川) 天端→県道 関東代官頭・伊奈備前守忠次により築かれた綾瀬川の締切り堤防(綾瀬川は旧荒川(現在の元荒川)の派川(旧荒川から分岐する川)で、旧荒川が高台を流れていたのに対し旧綾瀬川は低地を流れていたため、旧荒川が増水すると洪水の大半は綾瀬川の方へ流下していた→下流洪水被害を防ぐため綾瀬川の分岐地点に備前堤を築造)/「備前」の呼称の由来は備前守/御定杭(下記参照)が現存 3
写真 備前堤の御定杭1 びぜん 桶川市 (小針領家) 御定杭 高46㎝,24㎝角 慶長年間(1600頃)以降   WEB(関東地方の川) 原位置 (正面)「御定杭」、(右面)「貮番杭」/御定め杭: 堤防の高さが勝手に変更されないように設けられた→上下流の村の同意のもとに、堤防の基準高を規定/正面下部に馬踏面(右から横書き)の刻字/裏面に明治42の追刻 1
写真 備前堤の御定杭2 びぜん 桶川市 (小針領家) 御定杭 高77㎝,24㎝角 江戸期?   WEB(関東地方の川) 原位置/表面摩耗 (正面)「御定杭」/御定め杭: 堤防の高さが勝手に変更されないように設けられた→上下流の村の同意のもとに、堤防の基準高を規定/正面下部に馬踏面(右から横書き)の刻字 2
写真 やじま橋   春日部市 古隅田公園<古隅田川> 石桁橋(安山岩) 長5.5m,幅2m
(3G)
元文2(1737) 市有形 市教委/現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
昭和59移設(200m)/水辺と無関係の移設 県内最古/2本の角材からなる橋脚上に横梁を置き、上面に6本の桁石を3径間分並べた簡単な構造だが、関東では長径間/桁石の1つに「元文二巳歳 永井氏のため志 鶴のハシタテ亀のカウラン」の銘文が刻字 2
写真 西金野井の石尊常夜灯 にしかなのい 春日部市 香取神社 石常夜灯(道標兼) 高1.1m 文化6(1809)   市教委(庄和町史資料11p191) 移設/笠石は横に置いてある/火袋消失 (竿石正面)「石尊大權現」、(同右)「大天狗」、(同左)「小天狗」、(台石正面)「ほう/志由/者奈/道」(=宝珠花)、(台石右面)「かす/可べ/ミち」、(台石左面)「江戸/みち」/角柱状の竿石 3
写真 小渕の道標 こぶち 春日部市 (内田)
<日光街道・関宿往還>
石道標(自然石) 高79㎝,幅35㎝,厚18㎝ 宝永6(1709)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/右面中央部が剥離 (正面)「左方 阿ふ志う道」、(右面)「右…と道」/下記「小渕の庚申塔道標1」と並ぶ 2
写真 花積の地蔵道標 はなづみ 春日部市 東西寺 石道標 高99㎝,幅36㎝,厚25㎝ 享保17(1732)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石正面右)「右 こし可や道」、(台石右面下部)「慈恩寺道」/台石上に光背付き地蔵坐像(錫杖、蓮台)の丸彫/台石正面中央に「奉彫刻地藏尊石廟」と陰刻 2
  小平の供養塔道標 こだいら 春日部市 (十五丁) 石道標 高99㎝,幅43㎝ 享保18(1733)   埼葛の道しるべp17 移設 (左面)「従是 慈恩寺迄 三里」/正面中央に「普門品供養塔」と陰刻 2
写真 梅田の地蔵道標 うめだ 春日部市 円乗寺 石道標(舟型) 高86㎝(うち、台石22㎝),幅28㎝,厚19㎝ 文政3(1738)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (光背右下)「左 百間道」、(同左下)「右 ぢおんじ道」/光背中央に地蔵立像()錫杖)の陽刻 2
写真 八丁目の庚申塔道標1 はっちょうめ 春日部市 東福寺 石道標(駒型) 高138㎝(うち、台石19㎝),幅60㎝,厚35㎝ 元文5(1740)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面右下)「左 日光」、(左面)「右 かす可べ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 藤塚の地蔵道標 ふじつか 春日部市 (萩原) 石道標(光背型) 高97㎝,幅25.5㎝,厚15㎝ 寛保3(1743)   埼葛の道しるべp17
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易覆屋内 (右面最下部)「左り 飛んこ道」/正面上半分に光背付きの地蔵坐像を一体整形/正面下半分は“輪廻塔”になっていて中央に“石車”、その直下に「爲念佛先祖」と陰/輪廻塔付きの道標は稀 2
写真 内牧の庚申塔道標 うちまき 春日部市 香林寺 石道標(駒型) 高152㎝(うち、台石27㎝),幅52㎝,厚35㎝ 延享2(1745)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面右)「南 ぢおんじ道」/正面に青面金剛像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 2
写真 新方袋の聖観音像道標 にいがたふくろ 春日部市 (内耕地) 石道標 高97㎝,幅39㎝,厚23㎝ 延享2(1745)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面)「是より西 ちおん寺道/是より東 かす可へ道」、(左面右)「是南 岩筑海道」/正面頂部を削り込み聖観音坐像(蓮台)を陽刻、その下に「南無阿弥陀佛」と陰刻 1
写真 小渕の庚申塔道標1 こぶち 春日部市 (内田)
<日光街道・関宿往還>
石道標 高140㎝,50㎝角 宝暦4(1754)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (左面)「左 日光道」/正面に「青面金剛」と陰刻/上記「小渕の道標」と並ぶ 1
写真 大畑の庚申塔道標 おおはた 春日部市 (西己ノ起) 石道標 高122㎝(うち、台石23㎝),幅42㎝,厚25㎝ 宝暦6(1756)   埼葛の道しるべp17
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面最下部)「北 陸羽道/西 岩付道/南 野嶋道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 榎の庚申塔道標 えのき 春日部市 集会所・前 石道標(駒型) 高111㎝(うち、台石20㎝),幅37㎝,厚25㎝ 明和2(1765)   市教委(庄和町の石造物p22・83・180)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面上部)「東 奉うし由花道/西 行と満り」(=宝珠花)、(同下部)「南 江戸 か春可へ 志おんし道/北 せきやと さ川て道」(=粕壁,幸手)/正面中央に「庚申供養塔」と陰刻 2
写真 永沼の庚申塔道標 ながぬま 春日部市 雷電神社 石道標(駒型) 高146㎝(うち、台石30㎝),幅52㎝,厚27㎝ 安永3(1774)   市教委(庄和町史資料11p19)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「渡シ かす可へ道」、(左面右)「右 か奈すぎ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 上金崎の庚申塔道標 かみかなさき 春日部市 (舞台東) 石道標(駒型) 高129㎝,幅40.5
㎝,厚29㎝
安永4(1775)   市教委(庄和町史資料11p152)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「南 かす可へ/東 王多しは/北 せきやと」/正面に大きく「青面金剛」(篆書体)と陰刻 2
写真 大衾の聖観音像道標 おおぶすま 春日部市 (原) 石道標(舟型) 高128㎝,幅37.5
㎝,厚24㎝
安永6(1777)   市教委(庄和町史資料11p274)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面下部)「ひだ里/飛"んご道」、(左面下部)「向 二十六番道/右 宝珠花道」/正面上部1/3を削り込んで聖観音坐像(蓮台)を陽刻、その下に「奉讀誦普門数巻為五穀成就二世安樂也」と陰刻 1
写真 大場の三尊像道標 おおば 春日部市 (長島) 石道標 高110㎝(うち、台石28㎝),幅33㎝,厚25㎝ 安永8(1779)   埼葛の道しるべp17
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面像下)「向、粕壁道/ぢをんじ道」、(右面像下)「此方 のじま道」、
(左面像下)「此方 こしがや道」/正面に聖観音立像、右面に地蔵立像
(錫杖)、左面に不動明王立像を陽刻
1
写真 藤塚の庚申塔道標1 ふじつか 春日部市 香取神社 石道標(舟型) 高103㎝(うち、台石18㎝),幅41㎝,厚22㎝ 天明2(1782)   埼葛の道しるべp17/市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面左下隅)「向 江戸道」、(左面)「庄内 寶珠花道」/正面に青面金剛像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 新方袋の道標 にいがたふくろ 春日部市 (内耕地) 石道標 高65㎝,幅23㎝,厚15㎝ 天明4(1784)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「い王川き道」、(右面)「かす可べ道」、(左面)「ちおんじ道」 2 -
写真 武里中野の庚申塔道標 たけさとなかの 春日部市 宝性院 石道標 高191㎝(うち、台石35㎝),幅41㎝,厚27㎝ 寛政6(1794)   埼葛の道しるべp17
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面最下部右)「此方 かす可べ」、(同中央)「向 のじま/こしがい」、
(同左)「此方 ぢおんじ/い王つき」/正面に大きく「靑面金剛」と陰刻
2
  藤塚の庚申塔道標2 ふじつか 春日部市 (萩原) 石道標   寛政7(1795)   埼葛の道しるべp17/市教委 移設 (台石右面)「右 宝珠花/南 江戸江 半道」、(台石左面)「左 ぢおんミち」/正面に「青面金剛」と陰刻 2  
写真 八丁目の庚申塔道標2 はっちょうめ 春日部市 東福寺 石道標(尖頭角柱) 高155㎝,幅36.5
㎝,厚26㎝
寛政8(1796)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面)「樋を渡、左 宝し由花/此方 かな野え道」/正面に「青面金剛」と陰刻 2
写真 八丁目の庚申塔道標3 はっちょうめ 春日部市 東福寺 石道標 高95㎝(うち、台石22㎝),幅34㎝,厚32㎝ 寛政12(1800)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面右)「此方 行留」、(左面)「此方、宝珠花/金野井、道」/正面に
「青面金剛」と陰刻
3
写真 南中曽根の地蔵(?)道標 みなみなかぞね 春日部市 古隅田公園・南端 石道標 高65㎝,幅26㎝,厚15.5㎝ 享和2(1802)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面像下右端)「志おんし」、(同左端)「」、(右面右)「右 こし可"や」、(左面)「左 加す可へ」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵(?)坐像を陽刻/正面像下中央に「奉納、秩父/四國/坂東、西國供養」と陰刻 2
写真 下大増新田の地蔵道標 しもおおまししんでん 春日部市 (東耕地) 石道標(丸彫) 高88㎝ 文化4(1807)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (台石正面右下隅)「南、のじ満/こしがや」、(同左下隅)「北 かす可べ」、(台石左面最下部)「東 よこて/のミち」/台石上に光背付きの地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる/台石正面中央に「奉納、秩父/西國/坂東、供養塔」と陰刻 1
写真 上柳の庚申塔道標 かみやなぎ 春日部市 三宮神社 石道標(駒型) 高111㎝(うち、台石20㎝),幅36㎝,厚24㎝ 文化4(1807)   市教委(庄和町史資料11p103)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面最下部右)「西 かすかべ」、(同左)「北 ほうしゆ者"な」、(左面最下部右)「東 者たし者"」、(同左)「南 加なすぎ」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 牛島の庚申塔道標1 うしじま 春日部市 (神明) 石道標 高140㎝(うち、台石54㎝),幅37㎝,厚36㎝ 文化11(1814)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (台石正面右端)「向、かなのい道」、(同左端)「のだ道」、(台石右面)「北此方、ほう志花/せきやど、道」、(台石左面)「南此方、飛"んご渡/江戸道」、(台石裏面)「西此方、かすかべ/志おんじ、道」/正面に「猿田大神」と陰刻(緑字は異体字) 1
写真 牛島の庚申塔道標2 うしじま 春日部市 (前田) 石道標(墓石型) 高126㎝(うち、台石53㎝),幅33.5
㎝,厚33.5㎝
文化15(1818)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?(各石材がC固定) (上段台石右面)「江戸ミち」、(上段台石左面)「せきやどミち」、(上段台石裏面)「ほう志者"なミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)を陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 1
  西宝珠花の題目塔道標 にしほうじゅばな 春日部市 (陣屋) 石道標 高78㎝,21㎝角 文政5(1822)   石造物2(川辺・冨田・宝珠花・桜井) 原位置/下部埋没 (右面)「右 すぎと」、(左面)「左 かすかべ」/正面中央に「二十三夜塔」と陰刻 1
  芦橋の題目塔道標 よしはし 春日部市 (天神島) 石道標(尖頭角柱) 高92㎝,幅24㎝,厚15㎝ 文政5(1822)   市教委(庄和町の石造物p19・74・176) 移設 (右面)「東 者な道/南 かなさき道」、(左面)「西 かすかべ道/北 せきやと道」/正面中央に「二十三夜塔」と陰刻 2
写真 金崎の道標 かなさき 春日部市 天神社 石道標(尖頭角柱) 高57㎝,幅23㎝,厚17.5㎝ 文政6(1823)   市教委(庄和町史資料11p175)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面)「向テ右 天神道」、(左面)「左 村道」 1 -
写真 藤塚の庚申塔道標3 ふじつか 春日部市 (野口) 石道標(駒型) 高78㎝,幅33.5㎝,厚18.5㎝ 文政6(1823)   埼葛の道しるべp17
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易覆屋内 (正面中央)「向 宝珠花道」、(右面)「右 江戸道」、(左面右)「左 にがう半道」/正面頂部に「庚申塔」と陰刻/上記「藤塚の地蔵道標」と並ぶ 2
写真 内牧の供養塔道標 うちまき 春日部市 (谷向) 石道標 高90㎝(うち、台石20㎝),34㎝角 文政8(1825)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面右下隅)「向 い王つき 一里半」、(同左下隅)「向 志おんじ半道」、
(右面下部)「かす可べ半道」、(左面)「志乃す 二里/□□□ 一里半」/正面中央に「月山/湯殿山/羽黒山、奉納、秩父/西國/坂東、百ヶ所供養」と陰刻
1
写真 南中曽根の道標 みなみなかぞね 春日部市 (宮田) 石道標 高85㎝,幅37㎝,厚25㎝ 文政9(1826)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面)「かす可べ道 十八丁/せきやど道 四り半」、(右面)「い王つき道 一り/志おんじ道 □□」、(左面)「志んくる王道 一り/のじま道 一り半」 1
写真 谷原新田の庚申塔道標1 やはらしんでん 春日部市 心光寺 石道標(駒型) 高71㎝,幅30㎝,厚17㎝ 文政13(1830)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/右面読解困難 (正面左)「向 かす可へ」、(右面)「い王つき道/志おんじ道」、(左面)「こし可"へ/のじま」/正面に「庚申塔」と陰刻/下記「谷原新田の庚申塔道標2」と並ぶ 3 -
写真 小渕の庚申塔道標2 こぶち 春日部市 (前田) 石道標 高127㎝,幅41.5
㎝,厚27㎝
天保3(1832)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面)「こまき明志ん 六り/の多"へ 三り/可礼のゐ可し 一り半」/正面に「庚申塔」と陰刻/小渕一里塚(今はない)の前に立つ 1
写真 粕壁の道標1 かすかべ 春日部市 (上町) 石道標 高185㎝,幅29.5㎝,厚21.5㎝ 天保5(1835)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設
(田村本店・裏→田村本店・前)
(正面)「東 江戸」、(同最下部右)「右之方/陸羽みち」、(右面)「北 日光」、(左面)「西南 いハつき」 1
  上柳の聖観音像道標 かみやなぎ 春日部市 (柳島) 石道標(駒型) 高51㎝ 天保9(1838)   市教委(庄和町史資料11p121) 原位置 (正面像下)「ほう珠花/せきやど、道」/正面上部に聖観音座像を陽刻 1 -
写真 谷原新田の庚申塔道標2 やはらしんでん 春日部市 心光寺 石道標 高72㎝,幅27㎝,厚15㎝ 天保12(1841)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面右)「向 い王つき道」、(同左)「向 志おんじ」、(左面)「向 大戸 こし加や道」、(裏面)「向 のじま道」/正面に「庚申塔」と陰刻/上記「谷原新田の庚申塔道標1」と並ぶ 2 -
  粕壁の道標2 かすかべ 春日部市 浅間神社 石道標   弘化4(1847)   埼葛の道しるべp16 移設 (右?面)「婦しせんけんミち 是より右 十四町」 2  
  下柳の庚申塔道標 しもやなぎ 春日部市 香取神社 石道標   嘉永4(1851)   埼葛の道しるべp17 移設 (右面)「左、せきやと/宝珠花」、(左面)「右、いわつき/杉戸」/正面に「庚申塔」と陰刻 2  
  下柳の馬頭観音道標 しもやなぎ 春日部市 (藤崎) 石道標(尖頭角柱) 高105㎝ 嘉永5(1852)   市教委(庄和町史資料11p96) 移設 (正面下部)「向道、のだ/こまき」、(右面下部)「此方、加須可遍/すぎと、道」、(左面)「此方 江戸」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻 2
  谷原新田の庚申塔道標3 やはらしんでん 春日部市 八幡社 石道標   嘉永6(1853)   埼葛の道しるべp16 移設 (台石右面)「右 かすかべ道」、(台石左面)「南、大戸/のじま、道」「左 志おんじ道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2  
写真 上大増新田の庚申塔道標 かみおおまししんでん 春日部市 香取神社 石道標(尖頭角柱) 高170㎝,幅38.5
㎝,厚23㎝
安政6(1859)   埼葛の道しるべp16
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/中央で折損→下半分は復元 (右面)「東 のじま道」、(左面)「西、い王つき/ぢをんじ」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
写真 大場の庚申塔道標 おおば 春日部市 稲荷神社 石道標 高165㎝(うち、台石71㎝),幅41㎝,厚40㎝ 文久3(1863)   埼葛の道しるべp17
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石左面右)「右、のじま江 一里/大戸江 三十町」、(同中央)「左 か春可べ道 一里余」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  新宿新田の成田山道標 しんしゅくしんでん 春日部市 (東台) 石道標   慶応4(1868)   埼葛の道しるべp18 原位置 (右面)「北 □□□ 一里」、(左面)「南 □□□」/正面に「成田山」と陰刻 1  
  八丁目の道標 はっちょうめ 春日部市 (前) 石道標   江戸期   埼葛の道しるべp16 移設 (正面)「向 江戸道」、(右面)「此方、宝珠花 二里/野田 三里/金ノ井 一里半/岩井 四里」、(左面)「此方 日光道中/関宿道 四里八丁/是ヨリ三町先 庚申塔ヨリ右別」/「江戸」の標記は江戸期 2  
写真 榎の石橋供養塔 えのき 春日部市 (古川) 石碑
(駒型、道標兼)
高121㎝,幅38㎝,厚17㎝ 宝暦10(1760)   市教委(庄和町の石造物p47・137・212) 移設 (正面)「奉造立石橋供養塔」、(右面右下)「東 本う志ゆ者な/西 さって、道」、(右面左下)「南 志んかわ/北 せき屋ど、道」、(右面最下部中央)「道」/正面頂部に蓮の花の陽刻 2
写真 新方袋の石橋供養塔1 にいがたふくろ 春日部市 満蔵寺 石碑(隅丸型) 高88.5㎝,幅32.5
㎝,厚17㎝
安永4(1775)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面)「(梵字)奉建立石橋供養塔」 2
写真 下柳の石橋供養塔 しもやなぎ 春日部市 中川(左岸) 石碑(舟型) 高124㎝,幅58㎝ 安永7(1778)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 木祠内(原位置?) (光背右上)「奉立石橋供養塔」/光背全面に地蔵立像(錫杖、蓮台)の浮彫 1
写真 新方袋の石橋供養塔2 にいがたふくろ 春日部市 満蔵寺 石碑(道標兼) 高52㎝,幅23㎝,厚15㎝ 文政7(1824)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/剥離大 (正面)「奉建立石橋十五所」、(正面最下部右端)「向 かす可べ」、(右面右下)「ぢおんじ道/すきと道」、(左面右)「…後(?)の…み石の橋十ヶ」、(同中央)「渡る人馬能こゝろ安めん」、(同左下)「ゝさ道」/上記「やじま橋」ほか計15橋の供養塔 3 -
写真 粕壁の石橋供養塔 かすかべ 春日部市 玉蔵院 石碑(尖頭角柱、道標兼) 高125㎝(うち、台石40㎝),
幅31㎝,厚21㎝
天保12(1841)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/天明元(1781)建立碑の再建 (正面)「駒形石橋供養塔」、(正面左)「志"おんじミち」、(右面)「いはつきみち」/駒形堀の駒形橋の供養塔 2
写真 芦橋の石坂供養塔 よしはし 春日部市 香取神社 石碑(尖頭角柱) 高104㎝,幅34㎝,厚22㎝ 文政2(1819)   市教委(庄和町の石造物p36) 移設 (正面)「石/坂/造/立/施/主」/正面・左面に寄付者の名前が細かく彫られている 2
写真 芦橋の敷石供養塔 よしはし 春日部市 香取神社 石碑(自然石) 高67㎝,幅60㎝,厚12㎝ 慶応2(1866)   市教委(庄和町の石造物p47)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (正面)「神前ヨリ鳥居マデ/七寸幅弐枚三拾弐間/四尺五寸之間舗石/右納金千貳百疋」 2 -
  上喜蔵河岸・跡 かみきぞう 春日部市 新町橋・袂/古利根川 石垣(布積) 長11.2m,地面から高0.7mの2-4段の石垣 江戸期   市教委 昭和30代以降に埋設され、ごく一部を残すのみ 粕壁宿へ物資を運搬するための河岸には蔵が並び、その下に石護岸が構築されていた 3
写真 葛西用水 かさい 春日部市・他 羽生市→加須市→久喜市→幸手市→杉戸町→春日部市→越谷市→草加市→八潮市 用水路 総延長70㎞ 万治3(1660) 疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修 見沼代用水とならび、江戸期を代表する大用水/徳川幕府の天領開発策の一貫(幸手領の用水路)として、関東郡代・伊奈忠克により構築/旧利根川筋(会の川と大落古利根川)の河道を利用し、複数の溜井を連結した用水形態(用排水兼用)/幹線水路の水管理や修築は、勘定奉行所の所管(幕府直轄)/用水体系が確立したのは享保4(1719) 4
写真 古隅田川の旧堤 ふるすみだ 春日部市 古隅田公園遊歩道
<古隅田川(左岸)>
土堤防 長約1.5㎞,高約2.5m 江戸期   WEB 本来の形態を残したまま公園化 春日部市南中曽根にかけて残る旧右岸と旧左岸の堤防間隔約300m→
かつての隅田川の規模を彷彿とさせる/古隅田公園遊歩道だけでなく、古隅田川緑道と合わせれば全長4㎞
2
  水深の題目塔道標 みずぶか 加須市   石道標 高116㎝,幅38㎝ 寛延3(1750)   加須市の石仏2p95   (右面)「右、くき町/すきと町」、(左面)「左、わしのミや町/さつて町」/正面中央に「諸神社仏閣朝順國諸願成就所」と陰刻  
写真 志多見の地蔵道標 しだみ 加須市 明蔵院 石道標(丸彫) 高75㎝,幅29㎝,厚20㎝ 宝暦3(1753)   加須市の石仏p79 移設 (正面)「右ハ をちあい道/左 きさい 三十丁」/上部に光背を付けた小さな地蔵坐像の丸彫を載せる→「丸彫」の分類に入れるのは少し矛盾があるが、他に表現しようがない 2
写真 阿良川の庚申塔道標1 あらかわ 加須市 天神社 石道標(駒型) 高104㎝,幅44㎝,厚32㎝ 宝暦5(1755)   加須市の石仏p83 移設(台石にきちんと載っていない) (正面・庚申供養の刻字の下)「右 者尓う(=羽生)/きさい道/左 かうのす」/枠だけ残して正面を削り込み「庚申供」と陰刻(緑字は異体字)、その上に“日月”の陽刻 2
写真 牛重の地蔵道標 うしがさね 加須市 万福寺 石道標(丸彫) 高132㎝,幅33㎝,厚28㎝ 宝暦10(1760)   騎西の石仏p341 移設、集約/肝心の台石部分、「左」
「右」より以下隠れて見えない
(台石右面)「左 きさい」、(台石左面)「右 志やうぶへ」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)を載せる 4
写真 串作の供養塔道標 くしつくり 加須市 (堤内) 石道標 高106㎝(うち、台石18㎝),
幅37㎝,厚22㎝
明和2(1765)   加須市の石仏2p160 移設? (正面右端枠中央)「右 羽生道」、(同左端枠中央)「左 行田道」/正面を枠だけ残して削り込み、中央に「(梵字)百萬遍供養塔」と陰刻 2
写真 道地の聖観音像道標 どうち 加須市 成就院・参道 石道標 高148㎝(うち、台石28㎝),幅38㎝,厚25㎝ 明和5(1768)   騎西の石仏p348 原位置?/補修のため一部刻字が読めない (正面右枠)「右 志ごう たて者やし道」、(正面左枠)「左 行田 くま□□みち」/正面を枠だけ残して削り込み、その中に光背を背景にした聖観音立像(蓮台)を陽刻 1
写真 根古屋の六地蔵道標 ねごや 加須市 市道・脇 石道標(駒型) 高91㎝,幅33㎝,厚18㎝ 明和8(1771)   騎西の石仏p83 原位置? (正面最下部右)「右 村道」、(同左)「左、くき 春ぎと道/さって くり者し道/かす 大道」(緑字は異体字)/正面上段に地蔵尊立像3体、下段に同じく地蔵尊立像3体を陽刻→六地蔵としては稀なタイプ 1
写真 日出安の供養塔道標 ひでやす 加須市 保寧寺 石道標(尖頭角柱) 高86㎝,幅42㎝,厚31㎝ 明和8(1771)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面最下部右)「きさい道」、(同左)「ぎやうだ道」、(同中央)「西」、(右面)「右、くき/春きと(=杉戸)」、(左面)「左、さつて/くり者し、道」/正面中央に「一心供養塔仙臺六三郎石碑」と陰刻 2
写真 日出安の庚申塔道標 ひでやす 加須市 神明社 石道標(駒型) 高106㎝,幅40㎝,厚25㎝ 安永5(1776)   騎西の石仏p187 移設 (右面)「右、くき/さつて」、(左面)「左 加そ道」/正面に青面金剛立像
(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻
2
  戸崎の馬頭観音像道標 とさき 加須市   石道標 高60㎝,幅28㎝,厚15㎝ 安永6(1777)   騎西の石仏p98 移設、集約 (右面)「左 行田/右 くき」/正面に馬頭観音立像を陽刻 3 -
写真 本郷の供養塔道標
(本郷渡場巡拝塔)
ほんごう 加須市 鷲神社 石道標 高106㎝,幅35㎝,厚18㎝ 天明元(1781) 北川辺地域指定記念物 北川辺町の石仏・下p76
/歴史の道10p45
移設(もと、本郷渡し場)、集約 (正面頂部)「北」、(正面最下部右)「本郷舩塲道」、(右面)「是より/西飯野へ 二里半 川又へ 五里」、(左面)「是ヨリ/東 さ可いへ 三里 ろ川へ 一里」/正面を枠だけ残して浅く削り込み、中央に「奉参詣千社順禮供養先祖代々爲二世安樂也」と陰刻/利根川にかつて数多くあった渡し場の存在を今に示す貴重な遺産 2
写真 戸崎の聖観音像道標 とさき 加須市 日吉神社・西 石道標(蒲鉾型) 高129㎝,幅39㎝,厚24㎝ 安永7(1778)   騎西の石仏p349 C祠内に集約 (右面左端)「北 不動」、(左面右端)「南 騎西」、(裏面)「西 羽生」/正面の上半分を削り込んで聖観音坐像(蓮の花、蓮台)を陽刻、その下に
「奉納、秩父/西國/坂東、(以下省略)」と陰刻
2
写真 中種足の庚申塔道標1 なかたなだれ 加須市 県道313号・脇 石道標(尖頭角柱) 高116㎝(うち、台石26㎝),
幅33㎝,厚21㎝
天明9(1789)   騎西の石仏p187 原位置?/上部3分の1で水平に折損→汚く修復/道しるべが判読困難 (台石正面右)「右/志ようぶ」、(同左)「左/細道」/正面を火灯窓形に削り込んで「庚申塔」と陰刻 3
写真 志多見の聖観音像道標 しだみ 加須市 明蔵院 石道標(駒型) 高101㎝,幅36㎝,厚21㎝ 寛政2(1790)   加須市の石仏p76 移設 (正面左上隅)「北 者にうみち」、(右面)「西 ぎやう多"道」、(左面)「東 加ぞ道/同 ふ登う岡」、(裏面)「南 きさいミち」/正面頂部を光背型に削り込み小さな聖観音座像(蓮の花、蓮台)を陽刻(下半部は表面から突出)、像下に「奉巡、秩父/西國/坂東、平等利益供養」と陰刻(緑字は異体字) 2
写真 佐波の馬頭観音像道標
ざわ 加須市 地蔵様
/利根川(右岸)堤防裾
石道標(舟型) 高67㎝,幅26㎝,厚19㎝ 寛政4(1792)   大利根町の路傍の石仏1p127 原位置? (正面右上隅)「西 はにふみち」、(同左上隅)「東 くり者し」、(右面左)「加ぞみち」/正面中央に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠?〕、蓮台)の浮彫 1
写真 柏戸の廻国塔道標 かしわど 加須市 曽根)県道46号交差点・南/柳生との境界 石道標(尖頭角柱) 高105㎝(うち、台石28㎝),
幅33㎝,厚32㎝
寛政4(1792)   北川辺町の石仏・下p34 移設、集約 (右面)「南、弥兵衛/外野」、(左面)「西 いゝづミ/北 古河、道」(=飯積)/正面に「(梵字3)奉納西國坂東秩父爲二世安樂」と陰刻/下記の「柏戸の如意輪観音像道標」と並ぶ 2
写真 向古河の如意輪観音像道標 むこうこが 加須市 観音堂 石道標(尖頭角柱) 高99㎝(うち、台石21㎝),
幅35㎝,厚34㎝
寛政6(1794)   北川辺町の石仏・下p48 移設 (左面)「□□□□し/いた□□ 加王ま多/たて者やし いゝ春み/以ゝ能 さハかし、道」(=板倉?、川俣、館林、飯積、飯野)/正面を枠だけ残して削り込み、上部半円部分に如意輪観音の半跏坐像の陽刻、像下に「十九夜」と陰刻 2
写真 大越の題目塔道標 おおごえ 加須市 伊奈利神社・前 石道標(駒型) 高154㎝(うち、塔身97㎝),
幅41㎝,厚19㎝
寛政9(1797)   加須市の石仏2p118 移設 (台石正面右)「東、栗橋/河岸」、(同左)「南、行田/羽生」、(台石左面)「西 立林」/正面全面に「塞神」と篆刻 2
写真 上種足の供養塔道標 かみたなだれ 加須市 如来寺 石道標(尖頭角柱) 高112㎝(うち、台石33㎝),
幅35㎝,厚33㎝
寛政9(1797)   騎西の石仏p350 墓地内に移設、集約 (台石正面中央)「向、江戸/川古へ」、(同右)「右、岩附/志やう婦」、(同左)「左 □□」/正面に「奉納、坂東/西國/秩父、供羪塔」、右面に「羽黒山/湯殿山/月山、供羪塔」と陰刻 4
写真 久下の庚申塔道標1 くげ 加須市 (高畑) 石道標(笠付き) 高167㎝(うち、台石31㎝),37㎝角 寛政10(1798)   加須市の石仏p14 台石正面右と下部の石材剥離/設置環境不良 (台石正面左)「左 加そ」、(台石右面中央)「東」、(同左)「左/きさい」、
(台石左面中央)「西」/正面に「庚申塔」と陰刻/笠は正面に唐破風を付け、宝珠を載せる
2
  柏戸の題目塔道標 かしわど 加須市   石道標(駒型) 高98㎝,幅36㎝ 寛政10(1798)   古河の石仏p46 原位置? (正面○)「東 こ加/南 いゝずみ/西 いゝの」/正面に「十九夜」と陰刻 1
写真 道目の如意輪観音像道標 どうめ 加須市 薬師堂 石道標 高119㎝(うち、台石28㎝),
幅34㎝,厚21㎝
寛政11(1799)   大利根町の路傍の石仏1p59 移設、簡易祠内に集約 (正面最下部右)「西、どう者"し/かぞ/ふとうをか、ミち」(=道橋)、(同左)「北、さ王かし/い王ふね、ミち」(=佐波河岸、岩舟)、(右面下部)「南、くり者し/江戸、道」/正面上部を削り込んで、如意輪観音の半跏坐像(光輪、蓮台)を陽刻/像下中央に「十九夜念佛供養」と陰刻 3
写真 麦倉の供養塔道標 むぎくら 加須市 慈眼寺 石道標(駒型) 高94㎝(うち、台石21㎝),
幅28㎝,厚19㎝
寛政11(1799)   北川辺町の石仏・上p55 移設、集約 (正面右)「右向ふ 古可道」、(正面左)「左 さの/たて者やし道」/正面中央に「(梵字)供養塔」と陰刻 3
  向古河の題目塔道標 むかいこが 加須市 観音堂 石道標(駒型) 高74㎝,幅25㎝ 享和2(1802)   古河の石仏p45 移設? (正面○)「上道下道同じ ざわ小河岸」、(左面)「板倉 たてばやし/いいずみ いいの、道」/正面に「十九夜」と陰刻 2 -
写真 南篠崎の庚申塔道標 みなみしのざき 加須市 普門寺・参道 石道標(尖頭角柱) 高119㎝(うち、台石29㎝),
幅38㎝,厚37㎝
享和3(1803)   加須市の石仏p51 移設、集約 (台石右面左端)「西/加そ道」、(台石左面右端)「右/王しのミや」、(同左端)「左/くり者し」/正面に「(梵字)靑面金剛」と陰刻 2
写真 柏戸の如意輪観音像道標 かしわど 加須市 (曽根)県道46号交差点・南/柳生との境界 石道標 高99㎝(うち、台石26㎝),
幅29㎝,厚25㎝
文化2(1805)   北川辺町の石仏・下p21 移設、集約 (台石正面右)「右 やひやうへ」(=柳生)、(同中央)「向 さ王道」(=佐波)、(同左)「左 古加」(=古河)/正面を枠だけ残して火灯形に削り込み、上半分に如意輪観音の半跏坐像(蓮台)を陽刻、像下に「十九夜供養」と陰刻/上記の「柏戸の廻国塔道標」と並ぶ刻 2
写真 多門寺の題目塔道標 たもんじ 加須市 手子堀川(右岸)橋詰 石道標(駒型) 高61㎝,幅34㎝,厚19㎝ 文化2(1805)   加須市の石仏2p115 移設、下部埋設(道しるべが見えない) (正面最下部)「東 くりはし/南 かそ/西 はにう」/正面中央に「(梵字3)甲子塔」と陰刻 4 -
写真 阿良川の庚申塔道標2 あらかわ 加須市 (上) 石道標 高177㎝(うち、台石30㎝),
幅37㎝,厚24㎝
文化4(1807)   加須市の石仏p84 原位置? (裏面)「東 加須町一里十丁/南 鴻巢宿三里/西 行田町二里」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
写真 中樋遣川の馬頭観音像道標 なかひやりかわ 加須市 県道46号(旧道)・辻 石道標(駒型) 高97㎝,幅36㎝,厚25㎝ 文化5(1808)   加須市の石仏p64 原位置 (正面右下隅)「右 さ王可し」、(同左下隅)「左 大ごい可し」/上半分を削り込んで馬頭観音坐像(一面二臂〔馬頭冠〕、蓮台)を陽刻、その下に「馬頭觀世音」と陰刻 1
  中種足の庚申塔道標2 なかたなだれ 加須市   石道標(尖頭角柱) 高81㎝,幅41㎝,厚30㎝ 文化5(1808)   騎西の石仏p189 原位置? (台石右面)「北/志ようぶ/南/おけがわ」、(台石左面)「西/きさい」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
写真 中種足の庚申塔道標3 なかたなだれ 加須市 種足村役場・跡 石道標(尖頭角柱) 高126㎝(うち、台石32㎝),
幅44㎝,厚42㎝
文化9(1812)   騎西の石仏p190 移設 (台石右面中央)「東、□□□ぶ/き」、(台石左面中央)「西、行田/くま可"へ」、(台石裏面)「北。きさい/加須」/正面に「庚申塔」と陰刻、その上に“日月”の陽刻 2
写真 花崎の庚申塔道標 はなさき 加須市 法泉寺・門前 石道標(駒型) 高107㎝,幅36㎝,厚21㎝ 文化10(1813)   加須市の石仏p51 移設、集約/基部11㎝露出 (正面右下隅)「王しのミや/くきミち」、(右面下部)「此方、加そ道/ふどう岡」、(左面下部)「此方、きさい/古うのす、道」/正面に「大青面金剛」と陰刻 2
写真 間口の如意輪観音像道標 まぐち 加須市 (両新田)阿佐間との境界 石道標(尖頭角柱) 高111㎝(うち、台石33㎝),
幅40㎝,厚35㎝
文化12(1815)    大利根町の路傍の石仏1p83  原位置?/木祠内 (台石正面右)「北 くり者しミち」、(同左)「西、加そ/ふとうを加、ミち」/正面を枠だけ残して火灯窓形に削り込み、上半分に如意輪観音の半跏坐像(光輪、蓮台)を陽刻 1
写真 上崎の大黒天像道標 かみさき 加須市 (西原) 石道標(駒型) 高104㎝,幅37㎝,厚23㎝ 文化14(1817)   騎西の石仏p209 原位置? (正面下1/3中央)「南、おけが王/志やうぶ」、(同右)「東 きさい」、(同左)「西、ぎやう田/者にう」/上部3分の1を平らに削り込み、小さな大黒天立像を陽刻(→大黒天道標は稀)、その下に「甲子待」と陰刻 1
写真 馬内の地蔵道標 もうち 加須市 三空寺 石道標(舟型) 高98㎝,幅38㎝,厚24㎝ 文化14(1817)   加須市の石仏p41 移設、集約 (正面像下)「此/方、加ぞ道」、(右面中央)「北 者にう」、(左面左下隅)「此方 きさい道」、(裏面下端)「此方 ぎやう多"」/上半分を平らに削り込んで地蔵坐像(錫杖、蓮台)を立体的に浮彫 2
写真 駒場の如意輪観音像道標 こまば 加須市 鷲神社 石道標 高137㎝(うち、台石34㎝),
幅43㎝,厚40㎝
文化14(1817)   北川辺町の石仏・下p66 移設、集約 (台石右面右)「西 さ王/南 本介」(=本郷)、(台石左面左)「北 古加"」(=古河)/正面頂部を円形に削り込み、如意輪観音の半跏坐像を陽刻、像下に「十九夜供養」と陰刻 2
  芋茎の庚申塔道標1 いもぐき 加須市 神明社 石道標(尖頭角柱) 高72㎝,幅34㎝,厚22㎝ 文化15(1818)   騎西の石仏p192 移設 (右面)「北 加ぞ/南 志やうぶ」/正面に「庚申塔」と陰刻、その上に“日月”の陽刻 2 -
写真 大越の馬頭観音像道標 おおごえ 加須市 流不動尊祠・脇 石道標(駒型) 高80㎝,幅29㎝,厚19㎝ 文政元(1818)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面像下左側)「南、ふとうを加/加そ、ミち」、(右面)「東 くりはし ミち」、(左面)「西 者□□(=羽生)/北 いひの、ミち」/正面上半分を削り込んで馬頭観音坐像(一面二臂、蓮台)を陽刻/正面像下中央に「馬頭観世音」と陰刻 1
写真 志多見の庚申塔道標 しだみ 加須市 国道125号・脇 石道標(駒型) 高103㎝,幅42㎝,厚30㎝ 文政2(1819)   加須市の石仏p84 原位置? (左面右下隅)「行田道」/正面を火灯窓形に削り込んで「庚申塔」と陰刻、その上に“日月”の陽刻 1
写真 外田ケ谷の大黒天道標 そとたがや 加須市 (新田) 石道標 高68㎝,幅23㎝,厚15㎝ 文政6(1823)   騎西の石仏p210 原位置? (正面下部中央)「東、志やうぶ/おけが王」、(同右)「右 者にう」、(左面)「左 のミち」/正面に「大黑天」と陰刻 1
写真 杓子木の如意輪観音像道標 しゃくしぎ 加須市 天王様 石道標(舟型) 高114㎝(うち、台石19㎝),
幅35㎝,厚22㎝
文政9(1826)   大利根町の路傍の石仏1p63 顔が欠落→別材料で丸く充填→像容不明だが全体の形態と旧・大利根町に如意輪観音像道標の多い事象から推定 (右面左)「右 くり者し道」、(左面下)「左、さ王がし/大古"へがし/い王ふ称、道」(=大越河岸、岩舟)、(台石正面右)「南/加ぞミち/ふどうおか」/正面上部を削り込み、如意輪観音の半跏坐像(光輪、蓮台)を陽刻/像下に「十九夜供養塔」と陰刻 3
  上種足の庚申塔道標 かみたなだれ 加須市   石道標(尖頭角柱) 高76㎝,幅47㎝,厚46㎝ 天保4(1833)   騎西の石仏p194 原位置? (右面)「左 加ふのす 一リ半」/正面に「庚申塔」と陰刻 1 -
  南篠崎の馬頭観音道標1 みなみしのざき 加須市   石道標(駒型) 高66㎝,幅27㎝ 天保9(1838)   加須市の石仏2p51   (正面右下)「向左 …」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻   -
写真 中種足の供養塔道標 なかたなだれ 加須市 雷神社 石道標(尖頭角柱) 高98㎝(うち、台石28㎝),
幅32㎝,厚34㎝
天保15(1844)   騎西の石仏p353 移設/台石各所で剥離 (台石正面右端)「此方/やう」、(同左端)「此方/ぎやう」、(台石左面右端)「此方/加うのす」、(同左端)「此方/きさい」/正面に「月山/湯殿山/羽黑山、供養塔」と陰刻 3
写真 根古屋の庚申塔道標 ねごや 加須市 稲荷神社・北 石道標(尖頭角柱) 高91㎝(うち、台石20㎝),29㎝角 弘化4(1849)   騎西の石仏p195 原位置? (右面下部左端)「きさい道」、(左面)「西 ぎやう多/者にう、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
写真 志多見の題目塔道標 しだみ 加須市 (七反地) 石道標(駒型) 高106㎝,幅44㎝ 弘化5(1848)   加須市の石仏2p110 原位置?/祠内 (右面)「右 かうのす道/左 羽生道」、(左面)「きさゐ道」/正面中を火灯窓形に削り込み「廿三夜」と陰刻、側面も枠を残して削り込んだ中に刻字 1
写真 久下の庚申塔道標2 くげ 加須市 鷲宮神社 石道標 高81㎝(うち、台石20㎝),
幅30㎝,厚28㎝
嘉永元(1848)   加須市の石仏p15 移設 (右面左)「此方 きさへ 一り」、(左面右)「此方 くり者し 三り」、/正面に
「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻
2
写真 芋茎の庚申塔道標2 いもぐき 加須市 久伊豆神社・跡 石道標(墓石型) 高210㎝ 嘉永2(1849)   騎西の石仏p196 木祠内 (台石正面)「向右 くき/向 加うのす」、(台石左面)「右 志やうぶ/向/左 きさい」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、上段台石を横長の矩形に削り込み、向かい合った“二猿”(2匹とも烏帽子を被り御幣をかつぐ)を陽刻 1
写真 中種足の如意輪観音像道標 なかたなだれ 加須市   石道標(駒型) 高78㎝,幅30㎝,厚19㎝ 嘉永2(1849)   騎西の石仏p34 移設、集約/像容の摩耗大 (右面)「右、きさい/加ぞ/ふどうお可、道」、(左面)「左、ぎやう多"/
くま加"い、道」/頂部を円形に削り込み小さな如意輪観音の半跏坐像を陽刻
3
  川口の馬頭観音道標 かわぐち 加須市   石道標(駒型) 高70㎝,幅21㎝ 嘉永2(1849)   加須市の石仏2p51   (右面)「右 □□宿 二リ」、(左面)「左、かぞ/…」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻   -
  南小浜の馬頭観音道標 みなみおばま 加須市 青蓮寺 石道標(駒型) 高55㎝,幅22㎝ 嘉永4(1851)   加須市の石仏2p53 移設 (右面)「左、くき 一リ半/久き□□ 三リ半」、(左面)「右、行田 リ/きさい □□」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 平永の供養塔道標 ひらなが 加須市 国道122号・脇 石道標(尖頭角柱) 高147㎝(うち、台石35㎝),
幅38㎝,厚23㎝
嘉永5(1852)   加須市の石仏2p110 移設? (右面最下部左)「北 者尓う」、(左面最下部)「南 きさい」/正面に「百萬遍/十六夜、供羪塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 中種足の庚申塔道標4 なかたなだれ 加須市 大日堂 石道標(尖頭角柱) 高89㎝(うち、台石19㎝),
幅31㎝,厚30㎝
嘉永5(1852)   騎西の石仏p196 移設/下部C埋設 (台石正面左端)「西、ぎやう/くま可」、(台石右面右端)「南/於け可」、(台石裏面)「東/志やう」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  南篠崎の馬頭観音道標2 みなみしのざき 加須市   石道標 高51㎝,幅24㎝ 嘉永5(1852)   加須市の石仏2p51   (正面左下)「此方 さつて…」、(右面)「此方、ど…/大い」、(左面)「此方、きさい/志やうぶ」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻   -
写真 平永の題目塔道標 ひらなが 加須市 (本田) 石道標 高89㎝(うち、台石21㎝),
幅38㎝,厚33㎝
嘉永7(1854)   加須市の石仏2p110 移設? (右面左下)「此方 きさい」、(左面右下)「此方 はにう」/正面に「廿三夜塔」と陰刻 2
写真 麦倉の馬頭観音道標 むぎくら 加須市 慈眼寺 石道標(尖頭角柱) 高97㎝(うち、台石22㎝),29㎝角 文久3(1863)   北川辺町の石仏・上p50 移設、集約 (台石正面)「向/左/和」(=佐波)/台石右・左面は隣接碑と接近して判読不能/正面に「上岡寫/馬頭觀世音」と陰刻 3
写真 北篠崎の庚申塔道標 きたしのざき 加須市 葛西用水(右岸)橋詰 石道標(自然石) 高75㎝,幅25㎝ 元治元(1864)   加須市の石仏p36 鉄枠付きの祠内 報告書には、台石に「大こえ・はにふ・かぞ・ふどおか・わしのみや・しょうぶ・さわがし・くりはし」と刻字されていると記されているが、順番は不明/正面に「太神」と陰刻(緑字は異体字) 3 -
写真 外田ケ谷の供養塔道標 そとたがや 加須市 宝性寺 石道標(尖頭角柱) 高113㎝(うち、台石31㎝),
幅36㎝,厚23㎝
江戸期   騎西の石仏p354 移設、集約 (右面)「右 者にうまち/中 行田 く満可へ道/左 江戸 桶川道」、(左面)「右 江戸 桶川道/中 きさい くき 幸手道/左 者にう 不動岡道」、(裏面)「右 行田 くま可へ道/中 江戸 桶川道/左 きさい くき 幸手道」/正面に「(梵字)月山/湯殿山/羽黒山、百番觀世音菩薩供養塔」と陰刻/「江戸」の標記は江戸期 2
  新井新田の石橋供養塔 あらいしんでん 加須市 八幡神社 石碑 高97㎝,幅41㎝,厚27㎝ 延享3(1746)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面)「奉造立永代修神橋供養佛」/八幡神社の神橋(?)の供養塔 2
  鴻茎の石橋供養塔 こうぐき 加須市 寿昌寺 石碑(板碑型)   宝暦5(1755)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「石橋供養塔」 1
写真 上三俣の石橋供養塔 かみみつまた 加須市   石碑(舟型)   宝暦6(1756)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面最下部の蓮台中央)「石橋供…」/正面前面に馬頭観音立像(三面八臂〔馬頭冠、剣、輪宝、斧、棒、数珠〕)を陽刻、光背右上に「爲二世安樂」と陰刻 1
写真 中樋遣川の石橋供養塔 なかひやりかわ 加須市   石碑(蒲鉾型) 高137㎝,幅41㎝,厚25㎝ 宝暦7(1757)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/祠内 (正面左側)「樋堀石橋建立」、(正面右側)「東西南北村々/老若男女」/正面上部を平らに削り込み如意輪観音の半跏坐像(蓮台)を陽刻、正面中央に「奉納大乘妙典六十六部日本回国供養」と陰刻 3
写真 騎西の石橋供養塔 きさい 加須市 実乗院 石碑(道標兼)   宝暦10(1760)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面)「石橋供養」、(右面)「南 江戸 大山 川こへ道」 2
  不動岡の石橋供養塔1 ふどうおか 加須市 南方用水路(左岸) 石碑 高167㎝,幅41㎝,厚28㎝ 宝暦14(1764)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面像下)「石橋供羪塔」/正面上半分を平らに削り込んで地蔵坐像(錫杖)を陽刻 1
  不動岡の石橋供養塔2 ふどうおか 加須市 午の堀川(右岸) 石碑 高96㎝,幅39㎝ 明和3(1766)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面像下)「石橋供養」/正面上半分を平らに削り込んで地蔵坐像(錫杖)を陽刻 2
  水深の石橋供養塔1 みずぶか 加須市 江川(右岸) 石碑   安永2(1773)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/明治44再建 (右面)「石橋供養塔」/裏面に明治43の洪水の概要を追刻 1
写真 大越の石橋供養塔1 おおごえ 加須市 堤崎集会所・北 石碑(道標兼) 高48㎝,19㎝角 安永4(1775)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「馬頭觀世音、石/橋、供羪塔」、(右面)「北 八しみち」(?)、(左面)「はにうみち」 1
写真 大越の石橋供養塔2 おおごえ 加須市 堤崎集会所 石碑(駒型)   安永8(1779)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石とC接合 (右面)「石橋五个所供羪」/正面上部に愛染明王坐像を半立体的に浮彫→下部に愛染明王像でよく用いられる壺状の台座の浮彫、左面に「六十六部廻国供養」と陰刻 2
  栄の石橋供養塔 さかえ 加須市 鷲神社 石碑   安永8(1779)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面)「石橋供養」/高台用水路の前谷橋の供養塔 2
  不動岡の石橋供養塔3 ふどうおか 加須市 南方用水路(左岸) 石碑 高133㎝,幅39㎝,厚24㎝ 天明5(1785)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面像下)「石橋供養佛」/正面頂部を円形に削り込んで地蔵坐像を小さく陽刻/根付橋(南方用水)の供養塔? 1
  水深の石橋供養塔2 みずぶか 加須市 青毛堀川(右岸) 石碑   寛政3(1791)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「石橋供養塔」/面に天明3(1783)の洪水に関する記述 1
写真 大越の石橋供養塔3 おおごえ 加須市 日野堀(右岸) 石碑(道標兼)   寛政3(1791)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「観世音石橋供養」、(同頂部左)「北」、(同左下隅)「やく志□□/いの/たて者やし、道」、(右面頂部)「西」、(同最下部)「ふとうか/はにう/くまかい、道」、(左面頂部)「東」、(同下3分の1)「くりはし/さつて/江戸、ミち」 2
写真 大越の石橋供養塔4 おおごえ 加須市 埼玉用水路(右岸) 石碑(道標兼) 高88㎝,幅32㎝ 寛政7(1795)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?/“剣”が欠損/最下部埋没 (正面像下)「石橋供羪尊」、(正面右下隅)「右 江戸」、(同左下隅)「左 かち登う」/正面上半分を削り込んで不動明王坐像(一面二臂、羂索、背景に迦楼羅焔、磐石)を陽刻 2
写真 北篠崎の石橋供養塔 きたしのざき 加須市 中川(左岸) 石碑(道標兼)   文化2(1805)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「橋供養塔」、(右面)「是より、西 北篠崎村/東 北大桒村」 1
写真 北下新井の石橋供養塔 きたしもあらい 加須市 古利根排水(右岸) 石碑(道標兼) 高79㎝,幅34㎝,厚20㎝ 文化8(1811)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「(梵字)石橋供養塔」/(正面右下隅)「江戸道」、(同左下隅)「王しの宮」、(右面下部左端)「く里者し道」、(左面下部右端)「さる奈し道」 1
  岡古井の石橋供養塔 おかふるい 加須市 南方用水路(右岸) 石碑 高87㎝,幅37㎝,厚25㎝ 文政5(1822)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面)「石橋供養塔」 2
写真 北辻の石橋供養塔 きたつじ 加須市 騎西領用水(右岸) 石碑(道標兼)   天保6(1835)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「石橋供羪塔」、(正面下部右)「西、きさい 一里/きやうた 四里」、(同右)「東、くき 一里/すきと 三里」 2
写真 北小浜の石橋供養塔 きたこばま 加須市 葛西用水(左岸) 石碑(舟型)   安政元(1854)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 祠内 (正面右端)「奉建立石橋供養爲現當二世安樂」/正面前面に聖観世立像(蓮の花、蓮台)の陽刻 2
  飯積の石橋供養塔 いいづみ 加須市 遍照寺 石碑 高85㎝,幅36㎝,厚22㎝ 元治元(1864)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (正面)「向岸こいつつ/石橋供養塔」/飯積用水路の石橋の供養塔 2
  砂原の石橋供養塔 すなはら 加須市 西浄寺 石碑 高78㎝,幅30㎝,厚20㎝ 江戸期   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/刻字が風化 (正面)「十八ヶ所/石橋供羪」 3
写真 不動岡の敷石供養塔 ふどうおか 加須市 総願寺 石碑 高695㎝(うち、石基壇312㎝) 元文(1739)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置/倶利伽羅不動の頭部欠損 (正面)「舗石供羪佛」/上部に倶利伽羅不動の丸彫を載せる/下部に巨大な基壇→全高は石橋・敷石供養塔として国内最大→石橋・敷石供養塔の集中する埼玉県のシンボル的存在 2 写真
写真 上崎の石敢當 かみさき 加須市 龍興寺・参詣橋袂 石敢當(安山岩) 高70㎝,幅21㎝,厚20㎝ 明和8(1771) 市有形民俗 日本の石敢當/現地解説板 移設/風化が進むが、刻字ははっきりしている (正面)「石敢當」、(右面)「石橋、施主/回心」(→石橋を渡って寺内へ入ろうとする邪気を祓うため、と推測できる) 2
写真 中央の石敢當 ちゅうおう 加須市 千方神社 石敢當(安山岩) 高135㎝,幅52㎝,厚23㎝ 文化14(1817) 市有形民俗 日本の石敢當/現地解説板 移設/風化・C補修のため裏面の刻字が読み辛い (正面)「石敢當」/頂部に雲の模様と龍2頭を浮彫/裏面に「恵梨そめぬ 石能軍の 君可代裳 八千代の数の 里農萬母里迩」(石のように強い石敢當の神様、八千代にわたり数をお守り下さい)の歌が刻字/五と十の市の繁栄を願い建立されたもので、一般の石敢當の意味合いとは異なる 3
写真 葛西用水 かさい 加須市・他 羽生市→加須市→久喜市→幸手市→杉戸町→春日部市→越谷市→草加市→八潮市 用水路 総延長70㎞ 万治3(1660) 疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修 見沼代用水とならび、江戸期を代表する大用水/徳川幕府の天領開発策の一貫(幸手領の用水路)として、関東郡代・伊奈忠克により構築/旧利根川筋(会の川と大落古利根川)の河道を利用し、複数の溜井を連結した用水形態(用排水兼用)/幹線水路の水管理や修築は、勘定奉行所の所管(幕府直轄)/用水体系が確立したのは享保4(1719) 4
写真 見沼代用水 みぬまだい 加須市・他 行田市→鴻巣市→加須市→久喜市→白岡市→蓮田市→上尾市→東縁・西縁に分離 用水路 総延長70㎞ 享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/8代将軍・吉宗の命を受け、井澤弥惣兵衛為永により築造/灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路→「代用水」の命名/用排水分離、大規模な水利構造物(十六間堰、柴山伏越、瓦葺掛樋など)が特徴/灌漑、干拓、治水、運河を含む総合的な地域開発事業 4
写真 合の川の旧堤 あいのかわ 加須市 (北川辺町)<合の川(右岸・左岸)> 土堤防   文禄3(1594)以前   WEB(関東地方の川) 旧河川の両岸の堤防が残る 利根川東遷事業の一貫として廃川となった合の川の旧堤防 2
写真 利根川旧堰堤 とね 加須市 (外野)<利根川> 土堤防 長約60m(現存)? 元和7(1621) 県旧跡 現地解説板 堤防の痕跡をほとんど留めない→指定箇所ミス 関東郡代・伊奈忠治が新川を掘削し、流路を変更した(浅間川の流頭部分を締切って廃川とした)ことで残った堤跡/昭和3建立の石碑あり 4
写真 川口堤 かわぐち 加須市 瘤神社<利根川(右岸)> 土堤防 長約100m(現存) 万治3(1660)以前   WEB(関東地方の川) 残るのは一部/堤防の雰囲気は留める 古利根川の洪水から騎西領を守るために構築(長約1.7㎞) 3
写真 旧・とんぼ橋   川口市 <日光御成街道/平柳領用水> <石桁橋> 長248㎝,幅31㎝ 延宝5(1677) 市歴史資料 鳩ヶ谷市教委 昭和53用水改修時に発見/ 石材1本が、歩道脇にひっそりと残る   4 -
写真 旧・蔵前橋 くらまえ 川口市 <千住道/新田井堀> <石桁橋>(安山岩) 長170㎝,幅50㎝,厚27㎝ 正徳2(1712) 市歴史資料 鳩ヶ谷市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
昭和40用水改修時に発見/ 石材1本が、街角の簡易覆屋内に展示 (桁側面)「奉造立二三夜講石橋 諸願成就」→石橋を架けることができるほどの力 を持った講の存在を示す 4 -
写真 南鳩ヶ谷の正観音像道標 みなみはとがや 川口市 台阿弥陀堂 石道標(舟型) 高116㎝(うち、台石24㎝),
幅35㎝,厚23㎝
寛文12(1672)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約/簡易覆屋内/塔身と台石の石材が異なる→道標でない可能性も (台石正面)「東 そう加道/南 六あミ多"道/西 か王ぐち道/北 者とかや道」/光背正面に正観音立像(手に蓮の花)を陽刻/17世紀の道標
(塔身と台石が同一年代の場合)
2
写真 前野宿の地蔵道標 まえのしゅく 川口市 地蔵堂 石道標(舟型) 高124㎝,幅48㎝,厚23㎝ 宝永8(1711)   川口市文化財調査報告3地蔵no34
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/Cブロック覆屋内 (光背右やや下)「こ連よりひたり 江戸ミち」、(光背左やや下)「これより右 い王つきミち」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
写真 西青木の庚申塔道標 にしあおき 川口市 (1丁目)端戸町会館 石道標
(駒型、安山岩)
高110㎝,幅49㎝,厚29㎝ 享保4(1719)   川口市の青面金剛と庚申塔p202
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(基部露出)→塔身のみ置いてあるだけ (左面左端下部)「是ゟ南 加王口みち 東 者と可い道」(=川口、鳩ヶ谷)/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 舟戸町の庚申塔道標 ふなと 川口市 善光寺 石道標
(舟型、安山岩)
高118㎝,幅46㎝,厚23㎝ 享保8(1723)   川口市の青面金剛と庚申塔p117
/WEB(鎌倉街道上道)
転倒/光背左頂部欠損 (左面左)「者とかやへ 一り半 せんじゅへ 三り/江戸に□□□ 三り半」/正面に青面金剛立像(六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 4
写真 安行領家の地蔵道標 あんぎょうりょうけ 川口市 興禅院 石道標(丸彫) 高118㎝(うち、台石45㎝) 享保11(1726)   川口市文化財調査報告3地蔵no51
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/信仰の対象 (台石右面)「右 江戸道」、(台石左面)「左 草加道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 石神の地蔵道標 いしがみ 川口市 真乗院<日光御成道> 石道標
(舟型、安山岩)
高89㎝,幅25㎝,厚20㎝ 元文2(1737) 市歴史資料 川口市文化財調査報告3地蔵no62/川口市
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面像下右)「南 江戸ほん加"う道」、(右面像下)「東 江戸あさ草道」、
(左面像下中央)「北 い王つき道」/正面上部に一体成型された光背付き地蔵立像(錫杖)を配置
2
写真 上青木の七地蔵道標 かみあおき 川口市 (6丁目)地蔵堂・墓地 石道標 高114㎝(うち、台石15㎝),
幅32㎝,厚21㎝
明和5(1768)   川口市文化財調査報告3六地no20
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面最下部)「左ハ 鳩ヶ谷 千住道/南ハ 川口ヨリ 江戸道/右ハ 蕨ヨリ 浦和 大宮」/正面頂部中央に1体、左右両側に1対で3段、計7体の地蔵立像(蓮台)を浮彫/正面中央に地蔵に囲まれるように「為二親菩薩也」と陰刻/下記「上青木の庚申塔道標」と並ぶ 2
写真 弥平の庚申塔道標 やへい 川口市 無量寺 石道標
(駒型、安山岩)
高85㎝,幅35㎝,厚30㎝ 明和7(1770)   川口市の青面金剛と庚申塔p122
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/刻字は判読不能→資料に準じて記載 (右面左)「左 川口ミち」、(左面)「右 はとかやみち」/正面中央上部に「青面金剛童子」と陰刻、頂部に“日月”、下部に“一猿”の陽刻 3
写真 八幡木の供養塔道標 はちまんぎ 川口市 上の寮墓地・入口 石道標(蒲鉾型) 高150㎝(うち、台石27㎝),
幅36㎝,厚25㎝
安永3(1774)   鳩ヶ谷市の文化財2p20-21,31
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約、簡易覆屋内 (右面最下部)「北 者登がや道/南 江戸道」(=鳩ヶ谷)/正面に「(梵字)奉納大乘妙典六十六部供羪塔」と陰刻 2
写真 道合の庚申塔道標 みちあい 川口市 大徳寺 石道標
(駒型、安山岩)
高92㎝,幅42㎝,厚18㎝ 安永5(1776)   川口市の青面金剛と庚申塔p151
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/左面密着状態で「是より 者と」以下判読不能→資料に準じて記載 (左面)「是より 者とかやみち」/正面を火灯窓型に削り込み「庚申供養塔」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 3
写真 江戸袋の庚申塔道標 えどぶくろ 川口市 東光院 石道標
(駒型、安山岩)
高71㎝,幅28㎝,厚14㎝ 安永6(1777)   川口市の青面金剛と庚申塔p92
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(元、江戸袋庚申塚) (右面)「右 者とかやミち 一里」、(左面右)「左 加王くちミち 一里」(=川口)/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 上青木の庚申塔道標 かみあおき 川口市 (6丁目)地蔵堂・墓地 石道標
(舟型、安山岩)
高107㎝,幅43㎝,厚25㎝ 安永9(1780)   川口市の青面金剛と庚申塔p190
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面)「是与り南 川口道/是与り北 浦和道」/正面に青面金剛立像
(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/上記「上青木の七地蔵道標」と並ぶ
2
写真 新堀の庚申塔道標 にいほり 川口市 三又路角 石道標
(駒型、安山岩)
高123㎝,幅37㎝,厚22㎝ 寛政5(1793)   川口市の青面金剛と庚申塔p83
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像下)「北 い王つき道/西 者とがや道/東 そう加道/南 江戸道」/正面上部を光背型に削り込み青面金剛立像(六手合掌、瑞雲)を陽刻 1
写真 前川町の庚申塔道標1 まえかわ 川口市 (4丁目)観福寺 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高86㎝,幅40㎝,厚24㎝ 寛政11(1799)   川口市の青面金剛と庚申塔p185
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「右王 は登が谷道」(=右わ 鳩ヶ谷)、(左面左)「左王 大宮道/南王 善光寺道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2
写真 西川口の庚申塔道標1 にしかわぐち 川口市 (3丁目) 石道標
(笠付き、安山岩)
高86㎝,幅38㎝,厚35㎝ 享和2(1802)   川口市の青面金剛と庚申塔p201
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面右)「右り 前川みち」、(同左)「左り 善光寺みち」、(左面)「左り 王らび道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻、唐破風付きの立派な笠を載せる 1
写真 安行慈林の題目塔道標 あんぎょうじりん 川口市 宝厳院・墓地 石道標(尖頭角柱) 高71㎝,幅20㎝,厚13㎝ 享和3(1803)   川口市文化財調査報告3諸仏no72
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/正面下部に石→刻字見えず (右面)「北 岩附/東 草加、道」、(左面)「南 千住/西 鳩ヶ谷、道」/正面に「南無…」と陰刻 3 -
写真 赤山の薬師如来像道標 あかやま 川口市   石道標(駒型) 高72㎝,幅35㎝,厚19㎝ 文化元(1804)   川口市文化財調査報告3如来no14
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像下左隅)「かくち(?)宿 通りねけ」、(右面最下部左端)「是ゟ北 大門宿迄 一里□」、(左面右端)「是ゟ南 千住宿迄 三里四丁」/正面上部を縦長に削り込み薬師如来立像を陽刻/正面像下中央に「薬師如来」と陰刻 1
  芝宮根町の庚申塔道標 しばみやね 川口市 羽沢神社 石道標(尖頭角柱)   文化元(1804)   WEB 移設 (右面)「東 はとがや道」、(左面)「南 川口/西 わらび、道」/正面に「猿田彦太神」と陰刻 2
写真 鳩ヶ谷本町の道標1 はとがやほん 川口市 氷川神社 石道標 高142㎝,幅31㎝,厚24㎝ 文化2(1805)   鳩ヶ谷市の文化財2p31
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面に大きく)「冨士仙元道」、(同右下隅)「右江 三丁」 2
写真 安行原の庚申塔道標 あんぎょうはら 川口市 三叉路 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高108㎝,幅35㎝,厚33㎝ 文化4(1807)   川口市の青面金剛と庚申塔p54
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内 (正面右下隅)「右 草加 越ヶ谷道」、(左面左)「左 薬師 鳩ヶ谷道」/正面上部3分の2を矩形様に削り込み青面金剛立像(六手剣人、二鶏)を陽刻、頂部両端に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 西立野の題目塔道標 にしたての 川口市 西福寺 石道標 高80㎝,幅28㎝,厚16㎝ 文化6(1809)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (右面)「東 越ヶ谷/南 江戸、道」/正面に「四國八十八箇處徒/第五十四番/西福寺」と陰刻 2
写真 西立野の聖観音像道標 にしたての 川口市 百観音・参道入口 石道標 高73㎝,幅31㎝,厚23㎝ 文化8(1811)   川口市文化財調査報告3諸神no73
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像下)「百久王无音道/是ゟ二丁」(=百観音)、(右面)「古し可谷道」(=越谷)、(左面)「いし神むら道」/正面頂部に小さな聖観音坐像(蓮台)の浮彫 1
写真 芝の馬頭観音像道標 しば 川口市 芝辻小学校・前 石道標 高80㎝,幅33㎝,厚21㎝ 文化9(1812)   川口市文化財調査報告3馬頭no43
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(台石とC接合)? (正面像下)「右 前川 鳩ヶ谷/中 王らび 戸田/左 うらわ」/正面に馬頭観音坐像(三面八臂〔斧、輪宝、剣?、金剛杵?、羂索〕、蓮台)を陽刻 2
写真 里の供養塔道標 さと 川口市 法福寺 石道標(自然石) 高95㎝(うち、台石35㎝),
幅50㎝,厚25㎝
文化12(1815)   鳩ヶ谷市の文化財2p25,31
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石正面)「大ミみや江 三里半/与のへ 三里半/うらわへ 二里半」、
(台石右面)「せん住へ 三里/日本者しへ 五里/とねりへ 一里」(=千住、日本橋、舎人)、(台石左面)「そう加江 二里/こしがやへ 二里/大門へ 二里」/正面に「(梵字)月山/湯殿山/羽黒山、西國/秩父/坂東、供養塔」と陰刻
2
写真 西川口の庚申塔道標2 にしかわぐち 川口市 (3丁目)西福寺・管理墓地 石道標
(笠付き、安山岩)
高135㎝,35㎝角 文化14(1817)   川口市の青面金剛と庚申塔p225
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石右面左端)「南 川口道」(「川口」と「道」の間に小さく「 江戸」と刻字)、(台石左面右端)「右 ハらび道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、上部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻/笠と宝珠を載せる 3
写真 領家の題目塔道標 りょうけ 川口市 (2丁目)実相寺 石道標 高156㎝,幅35㎝,厚23㎝ 文政3(1820)   川口市文化財調査報告3諸仏no62
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/裏目にも「植髪鬼子母神」の古い刻字がある→正面の刻字は後刻? (右面上部)「南」、(左面)「右 や志んてん王多し道/十丁余」(=野新田渡し)、(裏面右)「右 川口道 一里」、(同左)「左 千住道 二里」/正面に
「植髪鬼子母神」と陰刻
2
写真 赤井の庚申塔道標1 あかい 川口市 福寿院 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高110㎝,幅36㎝,厚22㎝ 文政3(1820)   川口市の青面金剛と庚申塔p94
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面左)「是ゟ い王つき美ち 四り」、(左面右)「是与里 者と加"やミち 三丁」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻/下記「赤井の庚申塔道標2」と並ぶ 2
写真 新井宿の庚申塔道標 あらいじゅく 川口市 多宝院<日光御成道> 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高107㎝,幅33㎝,厚29㎝ 文政3(1820) 市歴史資料 川口市の青面金剛と庚申塔p260/川口市
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面最下部左端)「南 者とかや」、(左面最下部右端)「北 大門道/東 千住道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 元郷の題目塔道標 もとごう 川口市 (3丁目)正覚寺 石道標 高63㎝,幅25㎝,厚18㎝ 文政4(1821)   川口市文化財調査報告3名号no5
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/左面は隣接する石材で刻字判読不能→資料に準じて記載 (右面)「東、千住 二り半/六あミ多" 二者"ん目 一り」(=六阿弥陀 二番目)、(左面)「西、鳩ヶ谷 一里/川口 善光寺 十二丁/王らび 一里二十丁」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻 3 -
写真 桜町の供養塔道標 さくら 川口市 地蔵院・門前 石道標(尖頭角柱) 高125㎝(うち、台石30㎝),
幅32㎝,厚32㎝
文政5(1822) 市史跡 鳩ヶ谷市教委/鳩ヶ谷市の文化財2p31
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「従是/右 古し可や道/二里」/正面に「(梵字環)四國八十八箇所徙/五十九番/地藏院」と陰刻、左面に「(梵字)月山/湯殿山/羽黒山、百番札所/四國徧禮、供塔」(緑字は異体字)と陰刻 2
写真 東本郷の題目塔道標 ひがしほんごう 川口市 (曲輪) 石道標 高140㎝,幅36㎝,厚24㎝ 文政6(1823)   川口市文化財調査報告3普門no32
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→個人宅(道路工事の際、破棄されそうになった) (右面下部)「南 千住 二り半」、(左面頂部)「向、右/左」、(同その下)「加王ぐち 一り半/なんぶ/い王つき 四り半/そう加 一り半/こしがや 二り半」/正面に「(梵字)奉讀誦普門品一萬巻供塔」(緑字は異体字)と陰刻 3
写真 安行吉岡の庚申塔道標 あんぎょうよしおか 川口市 金剛寺 石道標(尖頭角柱) 高123㎝,幅36㎝,厚23㎝ 文政7(1824)   川口市の青面金剛と庚申塔p61
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石右面右)「東、そうか/大さがミ、道」、(同左)「南、者と可や/ぢをんじ、道」(=鳩ヶ谷、慈恩寺)/正面に大きく「庚申」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 2
写真 舟戸町の如意輪観音像道標 ふなと 川口市 善光寺 石道標 高118㎝,幅30㎝,厚21㎝ 文政10(1827)   川口市文化財調査報告3普門no33
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/転倒 (右面)「東 千住みち/南 善光寺 通ぬけ 江戸道」、(左面)「西 王らび、北 まい川、道」/正面頂部を光背型に削り込み如意輪観音の半跏坐像を陽刻、その下に「奉讀誦普門品六万巻供養塔」と陰刻 4
写真 芝の庚申塔道標 しば 川口市 地蔵堂・脇 石道標(尖頭角柱) 高78㎝,30㎝角 文政11(1828)   川口市の青面金剛と庚申塔p179
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(最下段C製) (右面)「東、は登加"や/せん志"由、道」(=鳩ヶ谷、千住)、(左面)「西、王ら飛"/戸田、道」(=蕨)、(裏面左)「北、うらハ/奈んぶ、道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 本蓮の庚申塔道標 ほんばす 川口市 (3丁目)高畑公園 石道標 高94㎝,幅35㎝,厚24㎝ 文政11(1828)   川口市文化財調査報告3庚申no181
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(C台石)/簡易屋根付き (左面)「右 せん志ゆ/左 者と可や道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 三ツ和の供養塔道標 みつわ 川口市 源永寺 石道標 高122㎝,幅37㎝,厚24㎝ 文政11(1828)   鳩ヶ谷市の文化財2p31
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/台石更新 (正面右下)「西新井大師道 一り半」、(右面右端)「是より そうかみち 二り」、(左面左)「是より 川口道 一り」、正面に「奉讀誦普門品供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
写真 元郷の庚申塔道標1
(元郷圦ノ口庚申塔)
もとごう 川口市 (1丁目) 石道標(墓石型) 高82㎝,幅24㎝,厚14㎝ 文政11(1828)   川口市の青面金剛と庚申塔p128
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/剥離・磨耗がひどく刻字消滅/木祠内/信仰の対象 (右面下部)「北 … り/西 王びへ 一り」(=蕨)、(左面下部)「東 舎…/南 …」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 4 -
写真 青木の庚申塔道標 あおき 川口市 長提寺・墓地 石道標 高170㎝,幅36㎝,厚23㎝ 文政12(1829)   川口市の青面金剛と庚申塔p219
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/基部露出 (右面下部左)「北 前川道」、(左面)「南 川口/西 王らび、道」(=蕨)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻 3
写真 芝樋ノ爪の庚申塔道標 しばひのつめ 川口市 東光薬品工業・前 石道標(尖頭角柱) 高68㎝,幅30㎝,厚32㎝ 文政13(1830)   川口市の青面金剛と庚申塔p180
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面)「東 は登加"や/南 ら飛" 戸田、道」(=鳩ヶ谷、蕨)、(左面右)「西 うらハミち」/正面に大きく「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 末広の供養塔道標 すえひろ 川口市 (3丁目)吉祥寺 石道標   天保2(1831)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (台石正面右端)「南 千住道/貳里」、(同左端)「北 鳩ヶ谷道/壹里」/正面に「(梵字)奉讀誦普門品供養塔」 2 -
写真 戸塚の庚申塔道標 とづか 川口市 東福寺 石道標 高120㎝,33㎝角 天保4(1833)   川口市の青面金剛と庚申塔p38
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面台石右端)「南 江戸道」、(同左端)「西 大門道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面中央に“三猿”の陽刻/塔身下部が猫脚状 3
写真 末広の庚申塔道標 すえひろ 川口市 (2丁目)庚申堂 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高100㎝,幅24㎝,厚15㎝ 天保5(1834)   川口市の青面金剛と庚申塔p119
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(台石C、下部埋設) (右面下端左)「鳩ヶ谷へ 一里」、(左面下端左)「川口へ 八丁」、(正面下端左)「千住へ 五里」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 3
写真 榛松の庚申塔道標 はえまつ 川口市   石道標
(駒型、安山岩)
高73㎝,幅27㎝,厚19㎝ 天保5(1834)   川口市の青面金剛と庚申塔p87
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/正面下部損傷/木造祠内 (右面右)「楚うかみち」(=草加)、(左面左端)「左 者登がやみち」(=鳩ヶ谷)/正面に青面金剛像(日月、六手合掌)を陽刻 3
写真 鳩ヶ谷緑町の庚申塔道標 はとがやみどり 川口市 (1丁目)<日光御成街道> 石道標(安山石) 高87㎝,幅28.5㎝,厚18㎝ 天保7(1836) 市史跡 鳩ヶ谷市教育委員会/鳩ヶ谷市の文化財2p29
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/表面の剥離が大→平成8薬剤注入による保存処 理/簡易祠内 (正面左端)「西 戸田道」、(右面)「南 川口ミち」、(左面)「北、前川みち」、(同左端)「あふみやミち」(=大宮)、(裏面)「東、鳩ヶ谷/西新井道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 元郷の庚申塔道標2 もとごう 川口市 正覚寺 石道標
(駒型、安山岩)
高118㎝(うち、塔身71㎝),
幅29㎝,厚20㎝
天保9(1838)   川口市の青面金剛と庚申塔p114
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/塔身と上段台石と、道しるべの刻字してある下段台石と石材が異なる→別時期の可能性 (下段台石正面左端)「西 川口道」、(下段台石左面左端)「東 舎人道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 赤井の庚申塔道標2 あかい 川口市 福寿院 石道標
(駒型、安山岩)
高103㎝,幅31㎝,厚18㎝ 天保13(1842)   川口市の青面金剛と庚申塔p95
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面左端)「右 せんじゅ 三り」、(左面)「左 楚う加 壹り半」(=草加)/正面に大きく「庚申、講/中」と陰刻/上記「赤井の庚申塔道標1」と並ぶ 2
写真 三ツ和の庚申塔道標 みつわ 川口市 源永寺・門前 石道標(尖頭角柱) 高100㎝,幅36.5㎝,厚23.5㎝ 弘化4(1847)   鳩ヶ谷市の文化財2p29
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面左)「北 鳩ヶ谷道」、(左面)「南 大師/西 川口、道」/正面に大きく「庚申」 と陰刻/下記「三ツ和の石橋供養塔」と並ぶ 3
写真 鳩ヶ谷本町の成田山道標 はとがやほん 川口市   石道標 高68㎝,幅31㎝,厚19㎝ 嘉永2(1849)   鳩ヶ谷市の文化財2p23,31
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/Cブロック覆屋内 (正面に大きく)「成田山」、(同下端)「十七里/向 鳩ヶ谷道」、(右面)「草加 二り/加まふ 二り」、(左面)「大さ可ミ 三里/やくし 二丁/古し可"や 弐り半」 3 -
写真 八幡木の不動明王像道標 はちまんぎ 川口市 大熊家地蔵堂 石道標(駒型) 高107㎝(うち、台石14㎝),
幅24㎝,厚14㎝
嘉永5(1852)   鳩ヶ谷市の文化財2p31
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面像下)「成田山」、(右面)「右 江戸道」、(左面)「左 鳩ヶ谷道」/正面上部に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、背景に迦楼羅焔、磐石)を陽刻 2
写真 東本郷の庚申塔道標 ひがしほんごう 川口市 五又路辻 石道標(駒型) 高65㎝,幅24㎝,厚13㎝ 嘉永6(1853)   川口市の青面金剛と庚申塔p102
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面下端)「西 川口へ 一里半/東 そうかへ 一里」、(右面頂部)「北」、(同左端)「□□へ 一里」、(左面頂部)「南」、(同右端)「江戸道」/正面に大きく「庚申講」と陰刻 1 -
写真 川口の庚申塔道標 かわぐち 川口市 (4丁目)錦町広場・角 石道標(安山岩) 高178㎝,幅43㎝,厚38㎝ 安政4(1857)   川口市の青面金剛と庚申塔p214
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (左面中央部の矩形枠内)「東 者とがや道/西 うきま道/南 か王ぐち道/北 王らび道」(=鳩ヶ谷、川口、蕨)/正面を枠だけ残して火灯窓型に浅く削り込み、大きく「猿田彦大神」と陰刻 1
写真 上青木の供養塔道標 かみあおき 川口市 (3丁目)専称寺 石道標(尖頭角柱) 高93㎝,32㎝角 安政5(1858)   川口市文化財調査報告3普門no50
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面下部)「南、川口/江戸、道」、(左面上部)「北、前川/浦和/大宮、道」/正面に「(梵字)普門品供養塔」と陰刻 2
写真 前川町の庚申塔道標2 まえかわ 川口市 (4丁目) 石道標(尖頭角柱) 高71㎝,幅32㎝,厚22㎝ 万延元(1860)   川口市の青面金剛と庚申塔p177
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/台石上にC版を打設 (右面)「此方、王らび/戸田、み…」、(左面)「左、川口/は登がや、み…」/正面に「庚申塔」と陰刻 3 -
写真 芝宮根町の庚申塔道標 しばみやね 川口市 羽尽神社 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高88㎝,幅37㎝,厚26㎝ 文久元(1861)   川口市の青面金剛と庚申塔p178
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/左面:白い地衣類で刻字読めない (右面左下)「東 者登がや道」(=鳩ヶ谷)、(左面)「西 □□□道」(=蕨)/正面に大きく「猿田彦太神」と陰刻 2
写真 南町の供養塔道標 みなみ 川口市 吉祥院 石道標 高132㎝,幅36㎝,厚22㎝ 文久元(1861)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (右面)「北 前川道」、(左面右下部)「東、江戸日本橋 四里/川口 十五丁/千住 三里半」、(同左下)「西、中山道 らわび 六丁/川越 七里」/正面に「(梵字環)奉順拝、西國/秩父/坂東、百ヶ所光明真言百万遍供養」と陰刻 2
写真 安行原の成田山道標 あんぎょうはら 川口市   石道標 高142㎝(不動明王を含む),
幅39㎝,厚28㎝
文久3(1863)   川口市文化財調査報告3不動no24
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/簡易屋根付き/不動明王像は昭和2のもの (正面像下)「成田山」、(正面最下部右端)「加江 壹り」(=草加)、(同最下部左)「大さ加み江 二り/奈加礼山江 二り」(=流山)、(右面最下部)「新町江 /い王つき江 四り」、(左面最下部右)「江戸道/西新井江 二り」、 (裏面最下部)「岡金剛寺江 丁/りん薬師江 五丁/鳩ヶ谷江 十三丁」(=吉岡金剛寺、慈林薬師)/不動明王坐像は後補のため、成田山道標として分類する 2
写真 鳩ヶ谷本町の道標2 はとがやほん 川口市   石道標(尖頭角柱) 高65㎝,幅18㎝,厚15㎝ 江戸期   鳩ヶ谷市の文化財2p31
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「左 やくしミち/二丁」、(右面)「右、そう加/者ら村、みち」(=原)/「ミち」の標記は江戸期 1 -
写真 三ツ和の石橋供養塔 みつわ 川口市 源永寺 石碑(道標兼) 高53㎝,幅20㎝,厚14㎝ 享保4(1719)   鳩ヶ谷市の文化財2p21-22,31/郷土はとがや11(六阿弥陀和讃考p39)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/右欄の像下の判読不能→資料に準じて記載 (正面像下)「奉納、平柳領大小石橋十二ヶ所寄進…/大乘妙典六十六部日本回國…/一千日偈念佛五百日中□□…/備中國後月郡両江原村番…」、(右面)「是ゟ東 六あみだ道」/正面頂部に小さな阿弥陀坐像の浮彫/上記「三ツ和の庚申塔道標」と並ぶ 3 -
写真 末広の石橋供養塔 すえひろ 川口市 (3丁目)吉祥寺 石碑
(丸彫、道標兼)
高115㎝,幅43㎝,厚30㎝ 享保8(1723)   川口市文化財調査報告3石橋no1
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「奉造立地蔵尊石橋供養」、(右面)「是より、日光可い道 い王つきへ 五里/左 者とがや町江 一里/堤王 中セん道 大みやへ 四里」
(=日光街道、岩槻、鳩ヶ谷、堤は中山道)、(左面)「従是、江戸日本橋迄 四里/右 川口 善光寺迄 十五丁/堤王 千住町末て 二里半」(=まで)/塔身上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる
3
写真 芝の敷石供養塔 しば 川口市 長徳寺 石碑(丸彫) 高98㎝,幅35㎝,厚25㎝ 宝暦2(1752)   川口市文化財調査報告3地蔵no65
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/覆屋内 (台石右面)「本坊敷石/供養尊」/台石上に地蔵立像(錫杖)の丸彫を載せる 2
写真 元郷の敷石供養塔 もとごう 川口市 (6丁目)深町不動堂 石碑 高80㎝,幅30㎝,厚20㎝ 文化2(1805)   川口市文化財調査報告3石橋no3
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「不動尊前敷石供羪塔」/正面上部に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、簡略化した迦楼羅焔と磐石)を陽刻 2
写真 東川口の敷石供養塔 ひがしかわぐち 川口市 (6丁目)佐藤稲荷神社 石碑 高60㎝,幅15㎝,厚5㎝ 文政10(1827)   川口市文化財調査報告3石橋no6
/WEB(鎌倉街道上道)
  (正面)「石供養碑」   -
写真 安行原の敷石供養塔 あんぎょうはら 川口市 東光寺 石碑 高69㎝,幅19㎝,厚13㎝ 天保6(1835)   川口市文化財調査報告3石橋no7
/WEB(鎌倉街道上道)
  (正面)「敷石供羪塔」   -
写真 芝下の敷石供養塔 しばしも 川口市 芝下町町会館 石碑(道標兼) 高75㎝,幅38㎝,厚27㎝ 文久元(1861)   川口市文化財調査報告3石橋no8
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「敷石供養塔」、(右面左)「西此方 やぶ付 王らび/北ノ方 うらハみち」、(左面)「此方 はと可"や道」 2 -
写真 見沼代用水 東縁 みぬまだい、ひがしべり 川口市・他 上尾市→さいたま市→川口市→東京都足立区 用水路、舟運路   享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川) 一部に昔の面影を残す(都市化が進行して農地が減少したため国営の幹線水路整備事業が実施されていないため) 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/見沼代用水の下流部分(上尾市から東縁・西縁の2つに分離)/8代将軍・吉宗の命を受け、井澤弥惣兵衛為永により築造/灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路→「代用水」の命名/用排水分離、大規模な水利構造物(十六間堰、柴山伏越、瓦葺掛樋など)が特徴/灌漑、干拓、治水、運河を含む総合的な地域開発事業 2
写真 見沼代用水 西縁 みぬまだい、にしべり 川口市・他 上尾市→さいたま市→川口市 用水路、舟運路   享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川) 同上 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/見沼代用水の下流部分(上尾市から東縁・西縁の2つに分離)/以下、上記「見沼代用水 東縁」と同文 2
写真 芝川 しば 川口市・他 上尾市→さいたま市→川口市 排水路、舟運路   享保13(1728)以降   WEB(関東地方の川) 三面C護岸 享保13(1728)に見沼(下記の「八丁堤」参照)が干拓されて見沼田圃となると、排水路として見沼田圃の最も低いところが開削され、芝川の新河道となった 4
写真 八丁堤 はっちょう 川口市・
さいたま市(緑区)
(木曾呂~附島) 土堤防 長約870m,高約2m,幅約60m 寛永6(1629)   さいたま市教育委員会/WEB 天端→道路 計画・施工: 伊奈家第2代・伊奈忠治/利根川と荒川の瀬替えにより生じた用水不足→台地の狭窄部に堤防を築き、見沼に流入していた古芝川を堰き止め見沼溜井(周囲40数㎞)とした 3
写真 小堤の鎌倉街道・跡 こづつみ 川越市 市民の森
<鎌倉街道(推定ルート)>
道路(掘割状遺構) 長約40m 鎌倉時代?   WEB(鎌倉街道上道) 東側壁のみ残る/道自体はブッシュ化 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭) 3
写真 鹿飼の石尊常夜灯 ししかい 川越市  公民館・南 石常夜灯 高2.29m 嘉永5(1852)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (竿正面)「石尊大權現」、(同・右脇に小さく」(大天狗)、(同・左脇に小さく」(小天狗)/竿石は角柱状に近いが、灯籠風の雰囲気も残す/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立/7月下旬から1ヶ月間、1軒毎の持ち回りで、毎晩灯りを点灯 1
写真 中福の庚申塔道標 なかふく 川越市 マツザキ酒店前  石道標(駒型) 高96㎝,幅47㎝,厚23㎝ 宝永元(1704)   川越市・歴史の道p23/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (右面)「南 江戸みち/北 おこセミち/東 かしみち/西 者ん□□□ち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 野田町の地蔵道標 のだ 川越市 あぶ老 石道標(舟型) 高159㎝(うち、台 石39㎝),
幅47㎝,厚24㎝
享保11(1726)   川越の石佛p52
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内/信仰の対象 (光背右下隅)「右、こま/をこせ、道」、(同左下隅)「左、をうき町や/八王子道」/光背中央に地蔵立像(錫杖)の陽刻 1
写真 古谷上の地蔵道標 ふるやかみ 川越市 上握津公民館墓地・入口  石道標(丸彫) 高200㎝(うち、塔身120㎝) 享保19(1734)   川越市・歴史の道p13/WEB(鎌倉街道上道) 移設、放置 (台石右面)「右ハ よの 江戸/左ハ 岩付 志"おん」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 3
写真 古谷上の庚申塔道標 ふるやかみ 川越市 (握津)荒川の左岸(廃村) 石道標(駒型)   寛延3(1750)   WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p32)
原位置? (右面)「左 阿き者みち」、(左面)「右 川越道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 1
写真 下松原の馬頭観音像道標 しもまつばら 川越市   石道標(舟型) 高110㎝(うち、台 石10㎝),
幅43㎝,厚32㎝
明和2(1765)   WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p61)
原位置 (光背右下隅)「右 川越」、(同左下隅)「左 所沢)/光背中央に馬頭観音立像(一面六臂〔輪宝、輪宝、矢、弓〕)を陽刻 1
写真 笠幡の馬頭観音像道標 かさはた 川越市   石道標(駒型) 高108㎝,幅46㎝,厚39㎝ 安永9(1780)   WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p75)
原位置/木祠内 (裏面)「右 をこせ ちゝふ/ こまごんげん、道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、剣、輪宝、斧、羂索、馬口印〕)を陽刻 1
写真 古谷上の馬頭観音像道標1 ふるやかみ 川越市 (握津)荒川の左岸(廃村) 石道標 高119㎝(うち、台石22㎝),
幅45㎝,厚44㎝
天明2(1782)   川越の石佛p139
/WEB(鎌倉街道上道)
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
原位置? (右面)「東、あき者/よの/江戸、道」、(左面)「西、川越/おふや満/ちゝふ、道」、(裏面)「北、あけを/者らいち/岩つき/志をん寺、道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、斧〕)を陽刻 1
写真 鯨井の馬頭観音像道標 くじらい 川越市   石道標(舟型) 高146㎝(うち、台石35㎝),幅45㎝,厚31㎝ 天明5(1785)   WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p89)
原位置/信仰の対象 (台石右面)「右 さかと道」、(台石左面)「左 於こせミち」/光背中央に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、剣、輪宝、斧?、数珠〕、蓮台)を陽刻 1
写真 小堤の馬頭観音像道標 こづつみ 川越市 能満寺 石道標(駒型) 高129㎝ 天明6(1786)   川越の石佛p140
/WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p90)
移設/道しるべの刻字摩耗 (台石正面下部)「東 川しま/西 越こせ/南 川越/北 坂戸」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、剣、輪宝、羂索、馬口印〕、蓮台)を陽刻/唐破風付きの立派な笠 3
写真 南大塚の馬頭観音像道標 みなみおおつか 川越市 天神社・入口 石道標(駒型) 高126㎝(うち、台石26㎝),
幅42㎝,厚30㎝
寛政7(1795)   川越の石佛p141
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/台石正面石材で目視不能 (台石右面)「川ごへ」、(台石左面)「遠ごせ道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、金剛杵、斧〕)を陽刻 3
  鯨井の庚申塔道標 くじらい 川越市 吉田路傍 石道標(蒲鉾型) 高92㎝,60㎝角 寛政9(1797)   川越の石佛p106
/市教委(川越の金石文1p90)
原位置 (台石)「右 坂戸/左 於こせ」/正面中央に「庚申塔」と陰刻 1
写真 的場の馬頭観音像道標1 まとば 川越市 法城寺 石道標(笠付き) 高175㎝(うち、台石2段57㎝),幅36㎝,厚31㎝ 文化3(1806)   WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p75)
移設 (右面左下隅)「東 可王こへ」(=川越)、(左面左下隅)「北 坂戸」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、斧、輪宝〕)を陽刻 2
写真 野田町の庚申塔道標 のだ 川越市 入間川街道 石道標(尖頭角柱)   文化4(1807)   川越の石佛p107/WEB(鎌倉街道上道) 移設→個人宅門柱/刻字一部磨耗 (正面下部)「東 川越道」、(右面)「西、に志おふ山/□□□大山道」、(左面)「むかいは 左、みたけ/おくちちふ/ふ□□/こくふんし、みち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻 3
写真 天沼新田の七観音像道標 あまぬましんでん 川越市 コンビニ・角地<越生道> 石道標(駒型) 高140㎝(うち、35㎝),幅44㎝,厚31㎝ 文化5(1808)   WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p90)
原位置/簡易祠内 (右面下部左)「右 於ごせ道」、(左面下部)「左 こまミち」/正面上段に主観音坐像、その下に2段、各3体の観音坐像を浮彫 1
写真 石田の馬頭観音道標 いしだ 川越市 三叉路 石道標(尖頭角柱) 高114㎝ 文化8(1811)   市教委(川越の金石文1p84)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面)「右 す加満王多し」(=菅間渡し)、(左面)「左、くきなし王多し/加うのす、道」/正面に「馬頭觀音」と陰刻 1
写真 古谷上の馬頭観音像道標2 ふるやかみ 川越市 (握津)荒川の左岸(廃村)
<大字街道>
石道標 高65㎝→45㎝
(埋没)、
幅32㎝、厚22㎝
文政3(1820)   川越市・歴史の道p13
/WEB(鎌倉街道上道)
河川改修で移設/下半部埋没し、道しるべ判読不能 (正面像下)「西 川ごえみち」、(右面)「東 のみち 往來無用」、(左面)
「北 平方 阿げをみち」、(裏面)「南 よ野 江戸みち」(すべて資料による)/正面頂部を円形に削り込んで馬頭観音坐像(一面二臂)を陽刻/年代不詳の馬頭観音像道標(三面二臂)と並ぶ(→写真左側
4 -
写真 古谷上の馬頭観音像道標3 ふるやかみ 川越市   石道標(尖頭角柱) 高92㎝(塔身のみ),幅34㎝,厚26.5㎝ 天保2(1831)   WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p33)
移設/巨大なC台石 (正面最下部)「西 川越道」、(右面)「右、よの/阿ふミや、道」(=与野、大宮)、(左面)「左、おいふくろ/あけを、ミち」(=老袋)/正面頂部を円形に削り込み、小さな馬頭観音坐像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻 2
写真 石田本郷の馬頭観音像道標 いしだほんごう 川越市 小学校・裏 石道標(尖頭角柱) 高104㎝(うち、台石30㎝),
幅30㎝,厚28㎝
天保14(1843)   川越の石佛p149/WEB
(埼玉県の橋供養碑)
移設 (台石左面)「左/金兵衛渡し」/正面頂部を光背型に浅く削り込み馬頭観音坐像(三面八臂〔斧、数珠〕)を陽刻、その下に「馬頭観丗音」と陰刻 2
写真 笠幡の馬頭観音道標 かさはた 川越市   石道標 高50㎝,幅20㎝ 弘化年間(1844-48)   川越市・歴史の道p58/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約/表面(特に正面)の痛みがひどい (右面上部)「西 高者き/南 柏原」(=高萩)/正面に「馬頭観音」(資料による)と陰刻 3 -
写真 小仙波町の馬頭観音道標 こせんば 川越市 (3丁目)<与野道> 石道標(墓石型) 高149㎝(うち、台石54㎝),
幅38㎝,厚38.5㎝
嘉永2(1849)   川越市・歴史の道p10
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面)「右、飯田舟渡/飛き又/王良飛"、道」(=引又河岸、蕨)、(左面)「左、老袋舟渡/与の、於ゝ宮」(=大宮)/正面に「(梵字)觀世音」と陰刻(梵字の種子は馬頭観音)/舟運が盛んであったことを物語る重要な指標 1
写真 豊田本の地蔵道標 とよだほん 川越市 三叉路 石道標(丸彫) 高168㎝(うち、台石3段92㎝),幅42㎝,厚24㎝ 嘉永7(1854)   川越の石佛p66
/WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p66)
原位置/信仰の対象 (上段台石正面右)「大袋新田/入間川 二リ/扇町屋 三リ/八王子 七リ」、(同右面右)「大塚新田/新扇河岸/大井 二リ/白子 六リ /板橋 十リ/江戸 十二リ、道」、(同左面左)「従是北/大袋村/池辺村/毛呂 五リ/越生 五リ、道」、(同裏面右)「田島新田/六軒町/川越 一リ、道」/3段の台石上に地蔵坐像(光輪、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 1
  的場の馬頭観音像道標2 まとば 川越市 四辻 石道標   嘉永7(1854)   川越の石佛p151
原位置 (右面)「柏原/坂戸、道」/正面に馬頭観音立像(一面二臂)を陽刻 1  
写真 安比奈新田の馬頭観音道標 あいなしんでん 川越市   石道標 高66㎝(塔身) 安政3(1856)   市教委(川越の金石文1p75)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(台石2段ともC)/表面(特に正面)の磨耗が進行 (左面)「是与左 的場道」/正面に「頭觀世」と陰刻 3 -
写真 古谷上の馬頭観音道標1 ふるやかみ 川越市 薬師堂 石道標 高65㎝,幅21㎝,厚12㎝ 安政5(1858)   川越の石佛p152
/WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p33)
道路改修で移設/右面の「南 新川岸道」以下は読解困難 (正面左)「西 川越道」、(右面)「南 新川岸道、少シ行/東く志"ゆ」、(左面)「老袋渡し」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2 -
写真 古谷上の馬頭観音道標2 ふるやかみ 川越市   石道標 高70㎝(塔身のみ),幅27㎝,厚16.5㎝ 慶応3(1867)   WEB(鎌倉街道上道)
/市教委(川越の金石文1p33)
近接移設(5m)/C台石 (正面左)「西 川越道」、(右面)「右 蔵根川岸」、(左面)「左、 老袋渡し/上尾 あきは、道」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 1 -
写真 的場の道標 まとば 川越市 的中墓地<高麗街道・江戸街道の交差地> 石道標 高80㎝,幅40㎝ 江戸期   川越市・歴史の道p57/WEB(鎌倉街道上道) 移設→墓地/刻字が磨耗 (正面)「北 坂戸 小川」、(右面)「西 古ま お古せ」、(左面)「東 川越」、(裏面)「南 江戸」/「江戸」の標記は江戸期 4
写真 菅間の石橋供養塔 すがま 川越市

阿弥陀堂・脇

石碑(丸彫) 高130㎝(うち、台石44㎝),
幅42㎝,厚32㎝
享保10(1725)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (敷茄子正面)「橋供養佛」/台石の上に地蔵坐像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 2
写真 的場の石橋供養塔 まとば 川越市 法城寺・門前 石碑(舟型) 高124㎝(うち、台石16㎝),幅48㎝,厚28㎝ 享保11(1726)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (光背右端)「造立橋供養佛」/光背下部中央に如意輪観音の半跏坐像(光輪)を半立体的に浮彫 2
写真 かし野台の石橋供養塔   川越市 氷川神社・北側墓地 石碑(尖頭角柱) 高70㎝,幅27.5㎝,厚20㎝ 享保16(1731)   川越の石佛p189
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「懸渡石橋二ヶ所」、(左面左端)「勧化村々」→全面に協力した村名が刻字されている/正面に「奉納大乘妙典六十六部供養塔」と陰刻 2
写真 笠幡の石橋供養塔1 かさはた 川越市 大町自治会館 石碑(舟型) 高87㎝,幅41㎝ 享保20(1735)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/頂部・顔面・“花”の部分欠損 (光背右側)「石橋供養爲二世安樂」/光背中央に聖観音立像(蓮の花、蓮台)を陽刻 3
写真 今福の石橋供養塔1 いまふく 川越市 山田橋・右岸橋詰 石碑(駒型) 高70㎝(うち、台 石10㎝),
幅24㎝,厚16㎝
安永4(1775)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面左側)「石橋供養塔」/正面中央に「(梵字)南無馬頭觀世音菩薩」と陰刻/下記「今福の石橋供養塔3」と並ぶ 2 -
  藤倉の石橋供養塔 ふじくら 川越市   石碑   安永5(1776)   川越の石佛p189   (正面○○)「石橋供養佛」/正面中央に馬頭観音立像を陽刻    
写真 笠幡の石橋供養塔2 かさはた 川越市 宮下橋・左岸橋詰 石碑(舟型) 高93㎝,幅38㎝ 天明3(1783)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? 右面)「石橋修補供養」/光背中央に馬頭観音立像(三面六臂〔剣、輪宝、斧?、水瓶?〕)を陽刻 1
写真 今福の石橋供養塔2 いまふく 川越市 砂久保橋・左岸橋詰 石碑(駒型) 高97㎝,幅34㎝ 天明8(1788)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像下)「石橋供養塔」/正面頂部に青面金剛坐像(日月、六手合掌)を陽刻 1
写真 笠幡の石橋供養塔3 かさはた 川越市 北小畦川(左岸) 石碑(舟型) 高110㎝,幅37㎝ 寛政4(1792)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (光背左側)「石橋七ヶ所新造」/光背中央に聖観音立像(蓮の花)を陽刻 2
写真 大中居の石橋供養塔 おおなかい 川越市 高松寺 石碑 高110㎝(うち、台石12㎝),
幅31㎝,厚22㎝
寛政6(1794)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面像下)「石橋令/七觀音、供養塔」/正面・右左の3面頂部に小さな聖観音坐像(蓮台)の浮彫 3
写真 砂の石橋供養塔 すな 川越市 新河岸川(右岸)、
勝光寺・前
石碑 高100㎝(うち、台 石12㎝),
幅30㎝,厚16㎝
寛政8(1796)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面像下)「石橋供養塔」/正面頂部を光背型に浅く削り込み小さな聖観音立像(蓮台)を陽刻 2
写真 増形の石橋供養塔 ますかた 川越市 中川(左岸) 石碑(道標兼) 高90㎝,幅33㎝,厚23㎝ 享和2(1802)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (正面)「石橋供養塔」、(右面最下部左)「江戸道」、(左面最下部右)「北 □□□道」、(同左)「東 川越道」 1
写真 笠幡の石橋供養塔4 かさはた 川越市 上野公会堂 石碑(舟型) 高87㎝,幅37㎝ 文化8(1811)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石更新 (光背右側)「奉建立橋供養」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
写真 萱沼の石橋供養塔 かいぬま 川越市 萱沼公民館南側 石碑 高63㎝,幅22㎝,厚17㎝ 文化10(1813)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「石橋十八箇所供養之塔」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 上野田町の石橋供養塔 かみのだ 川越市 赤間川(右岸) 石碑 高107㎝,幅41㎝,厚43㎝ 文政2(1819)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「石橋供養塔」 1
写真 今福の石橋供養塔3 いまふく 川越市 山田橋・右岸橋詰 石碑 高77㎝(うち、台 石12㎝),
幅28㎝,厚21㎝
文政10(1827)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「石橋再建立供羪塔」/裏面に5段にわたって寄付金額と個人名、村名が詳細に刻字/上記「今福の石橋供養塔1」と並ぶ 2
写真 小仙波の敷石供養塔1 こせんば 川越市 旧琵琶橋・際 石碑 高153㎝(うち、台 石55㎝),
幅39㎝,厚39㎝
寛政4(1792)   WEB(鎌倉街道上道)   (正面)「敷石供養塔」/石碑の周囲を背の低い石柵で囲む(オリジナル)

1

写真 古谷上の敷石供養塔 ふるやかみ 川越市 善仲寺 石碑 高87㎝(うち、台石18㎝),幅24.5㎝,厚16㎝ 寛政6(1794)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置 (正面)「鋪石供養塔」

1

写真 伊佐沼の敷石供養塔 いさぬま 川越市 薬師神社(伊佐沼公民館) 石碑 高98㎝(うち、台石32㎝),幅30㎝,厚24㎝ 寛政6(1794)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面)「敷石供養塔」

2

写真 古市場の敷石供養塔1 ふるいちば 川越市 蓮光寺 石碑 高160㎝(うち、台 石57㎝),
幅36.5㎝,厚23㎝
文化10(1813)   川越の石佛p190
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「(梵字)鋪石供養塔」 2
写真 南大塚の敷石供養塔 みなみおおつか 川越市 西福寺 石碑(尖頭角柱) 高86㎝(うち、台 石13㎝),
幅29㎝,厚29㎝
天保6(1835)   川越の石佛p190
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「敷石供養塔」 2
写真 中福の敷石供養塔 なかふく 川越市 阿弥陀堂・愛宕神社 石碑 高73㎝,幅22.5㎝,厚15㎝ 天保10(1839)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置/石段入口脇に残る (正面)「愛宕山石坂供養塔」/両側面に3段にわたって寄付者の名前が刻字 1
写真 鴨田の敷石供養塔 かもだ 川越市 八幡神社 石碑 高102㎝(うち、台石17㎝),
幅22㎝,厚15㎝
嘉永元(1848)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「石坂供養塔」 2
写真 砂新田の敷石供養塔 すなしんでん 川越市 地蔵堂・脇 石碑 高106㎝(うち、台 石39㎝),
幅27.5㎝,厚20㎝
嘉永2(1849)   川越の石佛p190
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「奉建立石坂供養塔」 2
写真 古市場の敷石供養塔2 ふるいちば 川越市 観音堂・共同墓地 石碑(自然石) 高102㎝(うち、台 石18㎝),
幅56㎝,厚12㎝
嘉永5(1852)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約(ブロック塀の中) (正面)「敷石供養塔」 3
写真 小仙波町の敷石供養塔2 こせんば 川越市 中院 石碑 高269㎝(うち、台石89㎝),幅76㎝,厚76㎝ 安政6(1859)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置 (正面)「敷石供養塔」 1
写真 寺尾の敷石供養塔 てらお 川越市 勝福寺・阿弥陀堂 石碑 高82㎝,幅26㎝,厚15㎝ 慶応2(1866)   川越の石佛p191
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「鋪石供養」 2
写真 下新河岸・跡 しもしん 川越市 新河岸川(右岸) 河岸場   寛永16(1639)以降 市史跡 WEB(鎌倉街道上道) 石碑、再現雁木(文化財的な厳密さはない)などで雰囲気を残す 寛永16に川越城主となった松平信綱は、荒川へ続く新河岸川を改修し、川越と江戸を結ぶ舟運体制を整備→江戸時代に数多く造られた関東平野緒川の河岸場跡の一つ 3
写真 幸町の時の鐘 さいわい 川越市   木造楼閣 高約16m 寛永年間(1624-44)、
承応2(1653)
市有形 WEB 明治26の川越大火で焼失→翌年再建/平成27-28にかけて耐震補強 川越城主・酒井忠勝の時代に建立→大火で焼失/松平信綱の時に再建/川越のシンボル的存在/3層構造/1日に4回(午前6時・正午・午後3時・午後6時)鐘を鳴らしている(機械仕掛け) 2
写真 厳島神社の石橋 いつくしま 北本市 (高尾) 石桁橋 長4.2m,幅0.85m
(3G)
宝暦6(1756)   WEB 石高欄の外側に鋼桁上の擬木高欄→転落防止と思われるが不自然 厳島神社(弁財天が祀られた中島)への参拝橋 3
写真 宮内の庚申塔道標 みやうち 北本市 (5丁目)県道311号・交差点 石道標(駒型) 高118㎝,幅38㎝,厚22㎝ 元禄10(1697) 市有形民俗 WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (正面右上)「右 かう能すみち/左 い王つきみち」、(右面)「右 古川 きさいみち/左 川ごいみち 本宿みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻/17世紀の道標 1
写真 高尾の地蔵道標
(北向き地蔵)
たかお 北本市 (8丁目)須賀神社・南の辻 石道標(丸彫) 高297㎝(うち、塔身178㎝),
幅42㎝,厚25㎝
享保14(1729)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置/信仰の対象 (基壇最下段の正面右)「右 石戸道」、(同左)「左 鴻巣道」/3段の基壇+台石の上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる/この地蔵尊は、願いを叶えてくれる地蔵として有名→泥の団子を供えて願い事をし、願いが叶ったらお礼に米の団子を供える信仰が今も続いている 1
写真 石戸の地蔵道標1 いしと 北本市 (2丁目)市道・交差点 石道標(丸彫) 高145㎝,幅34㎝,厚33㎝ 延享元(1744)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/信仰の対象 (台石正面右端)「これより/かうの春 二」、(同左端)「これより」、(台石右面)「これより西/たかを可し」(=高尾河岸)、(台石左面)「これより南/太郎右衛門舟戸/川こへみち」(=太郎右衛門渡し: 4㎞ほど南の渡し場)/台石上に地蔵坐像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 1
写真 荒井の題目塔道標 あらい 北本市 (1丁目)観音堂
/県道57号・交差点北
石道標 高77㎝,幅39㎝,奥22㎝ 延享3(1746)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、密集/頂部に帯状の陽刻→この上に像容を載っていた可能性あり (正面右)「右 加王こへミち」、(同左)「左 加うのすミち」、(右面)「右 おけ加王ミち/左 た可を可し」/正面中央に「寒念佛供養」と陰刻 3 -
写真 宮内の地蔵道標 みやうち 北本市 (5丁目)阿弥陀堂
/県道311号・脇
石道標(舟型) 高119㎝(うち、台石28㎝),
幅34㎝,厚21㎝
宝暦3(1753)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (光背右下)「右 川越 江戸道」/光背中央に地蔵立像(錫杖)の陽刻/光背右上に「南無地藏大菩薩」と陰刻 2
写真 荒井の地蔵道標1 あらい 北本市 (3丁目) 石道標(丸彫) 高192㎝(うち、台石76㎝),
幅36㎝,厚19㎝
明和9(1772)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 墓地内/信仰の対象 (台石正面左)「東 おけかハ□□道」、(台石右面右)「西 阿らいか志/ちゝ婦"道」、(同左)「北 かうの春道」、(台石左面右)「南 平か多 阿き者/道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる/墓碑を兼ねる 3
写真 石戸の地蔵道標2 いしと 北本市 (3丁目) 石道標(駒型) 高69㎝,幅21㎝,奥13㎝ 天明2(1782)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 墓地内、集約→右面が隣石と密着→刻字不明 (正面中央最下端))「大山」、(正面左面右下)「高尾かしミ千/下 石戸」/正面頂部を削り込んで地蔵坐像を陽刻/寛政10(1798)に追刻/墓碑を兼ねる 3 -
写真 高尾の地蔵道標2 たかお 北本市 (2丁目)県道57号・脇 石道標(駒型) 高81㎝,幅34㎝,厚20㎝ 寛政6(1794)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面像下)「南 加王古"へ 大山道」(=川越)、(右面)「東 加うのみち」、(左面)「西 い王どのみち 松山道」(=岩殿観音)/正面上部に地蔵坐像(蓮台)を陽刻 1
写真 石戸宿の日蓮像道標 いしとじゅく 北本市 (8丁目) 石道標 高96㎝(うち、台石25㎝),27㎝角 寛政11(1799) 市有形民俗 WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置(元は林の中→周辺すべて伐採→今後が心配) (右面)「西 まつ山江 三り/北 かう能す江 一り半」、(左面)「東 おけか王江 一り半/南 加わこへ江 三り」/正面下半分に日蓮坐像の(礼盤上に坐し、右手に笏、左手に経巻を持ち僧綱襟の法衣を着ている)浮彫/正面上部中央に「南無妙法蓮華経」、その左に「一千部供養」と陰刻 1-2
写真 荒井の地蔵(?)道標2 あらい 北本市 (1丁目)花見堂
/県道33号・脇
石道標 高56㎝,幅22㎝,奥12㎝ 寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、密集→正面下部に隣石が密接し刻字が読めない (正面)「・・・」、(左面最下端)「北 かうの…」、(裏面右)「 おけかハ道」/正面上部に地蔵坐像(?)の浮彫 4 -
写真 石戸宿の庚申塔道標 いしとじゅく 北本市 (8丁目)城ヶ谷堤防・北端 石道標(駒型) 高132㎝(うち、台石28㎝),
幅39㎝,奥19㎝
享和元(1801)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/台石側面→表面が剥離して刻字が喪失/台石正面欠損 (台石右面右端)「北 かう… 一り/三十丁」、(台石左面右端)「…つ…ま 三り」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪気)、台石正面に“三猿"の陽刻→彫りは浅いが緻密で道標兼としては出色 3
写真 深井の馬頭観音道標 ふかい 北本市 (5丁目)薬師堂
/国道17号・交差点南
石道標(駒型) 高49㎝,幅24㎝,厚14㎝ 嘉永2(1849)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?、集約 (右面)「 加納天神道」、(左面)「北 かふのす/東 きさい、道」/正面頂部に“馬頭冠”の浮彫、その下に「馬頭観世音」と陰刻 2 -
写真 高尾の馬頭観音道標 たかお 北本市 (4丁目)地蔵院 石道標(尖頭角柱) 高85㎝(うち、台石25㎝),
幅25㎝,奥16㎝
慶応2(1866)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/台石下部C埋設 (正面左下)「右者 かうのす」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻 3
写真 石戸宿の石橋供養塔 いしとじゅく 北本市 (8丁目)薬師堂 石碑(舟型、道標兼) 高84㎝(うち、台石18㎝),
幅31㎝,奥14㎝
享保5(1720)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?、集約/光背右頂部欠損 (光背右下隅)「建立橋供養観世自在尊」/光背中央に馬頭観音立像(一面六臂〔斧、輪宝〕、蓮台)を陽刻 3
写真 城ヶ谷堤 じょうがや 北本市 (石戸宿)<荒川(左岸)> 土堤防   江戸初期   WEB(関東地方の川) 天端→市道/桜の名所 荒川の水除堤(田畑を水害から守るため) 3
写真 下忍一里塚 しもおし 行田市 <川越忍街道> 一里塚(1基) 東塚:高2.1m,径4.6m,塚木:榎(高9m,幹回2.4m) 江戸期 県史跡 市教委/WEB オリジナルの榎が残る/西塚なし/土台部に石組 TACO工場敷地内(会社敷地内のため要見学許可) 3
写真 桜町の馬頭観音道標 さくら 行田市 久伊豆神社 石道標(駒型) 高47㎝,幅27㎝,厚15㎝ 元禄7(1694)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/下部埋設 (右面)「左 か川うら道」/正面を枠だけ残して浅く削り込み「(梵字)馬頭明王」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 真名板の庚申塔道標1 まないた 行田市 (下)県道32号・辻 石道標(駒型) 高108㎝(うち、台石8㎝),
幅46㎝,厚27㎝
江戸中期   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石下部埋設→肝心の道しるべが半分見えない (台石正面右端)「北、行/川」、(同左端)「南、か/ふ」/正面に青面金立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/典型的な18世紀前半~中葉の庚申塔の形態/下記の「真名板の題目塔道標」と並ぶ 3
写真 須加の題目塔道標 すか 行田市 北河原用水(右岸) 石道標 高88㎝(うち、台石25㎝),
幅36㎝,厚33㎝
寛延元(1748)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (右面)「西 妻沼/東 かし、道」、(左面)「東 羽生/西 行田、道」/正面に「塞神」と陰刻 2
写真 下中条の庚申塔道標 しもちゅうじょう 行田市 庚申社・跡 石道標 高60㎝,幅17㎝ 寛延2(1749)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部埋設/表面剥離大 (左面)「右 道」、(裏面)「左 行」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻 4 -
写真 真名板の題目塔道標 まないた 行田市 (下)県道32号・辻 石道標(尖頭角柱) 高124㎝(うち、台石19㎝),
幅40㎝,厚27㎝
宝暦4(1754)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右)「右 加うのすミち」、(同左)「左 きさいみち」/正面を枠だけ残して類型化した火灯窓風に削り込み、大きく「辯財天」と陰刻/上記の「真名板の庚申塔道標1」と並ぶ 2
写真 北河原の地蔵道標 きたがわら 行田市 北河原小学校・南東、
県道59号・交差点
石道標(丸彫) 高171㎝(うち、台石16㎝),
幅30㎝,厚21㎝
宝暦6(1756)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (下段台石正面)「右 めぬまへ/二り/左 く満加やへ/二り/東 羽生へ/三り」/下段台石の上にもう1つ台石を置き、その上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 2
  本丸の道標 ほんまる 行田市 市郷土博物館 石道標(尖頭角柱)   宝暦9(1759)   市教委 移設展示(もと、佐間) (正面)「左 きさゐ道」、(右面)「右 加うのす道」 2
写真 関根の馬頭観音像道標 せきね 行田市 県道32号
(関根バス停付近)
石道標(丸彫) 高225㎝(うち、台石96㎝),幅35㎝ 天明2(1782)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 木祠内/頭部と台石がオリジナル、胴体は後補/下部埋設 (台石正面右)「左 江戸…」、(同中央)「きた、はにう/加わま…」(=川俣)、(同左)「右 きやう…」(=行田)/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠〕)の丸彫を載せる→非常に珍しいが、胴体部が後補のため“六臂”の部分の当初形は不明 4
写真 斎条の題目塔道標 さいじょう 行田市 (新田)諏訪神社・西の辻 石道標(駒型) 高103㎝,幅34㎝,厚22㎝ 天明4(1784)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (正面下部の枠)「西、く/ま/可/や/道」、(右面枠内)「右、行田/こうの春」、(同下部の枠)「道」、(左面枠内)「左、川ま多/者う」、(同下部の枠)「道」/正面を枠だけ残して削り込み「塞神」と陰刻 1
写真 北河原の庚申塔道標 きたがわら 行田市 中条堤の中腹 石道標(自然石) 高131㎝(うち、台石55㎝),幅46㎝ 寛政2(1790)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 塔身、台石、下段台石の材質がすべて異なる (台石正面右)「者にう」(=羽生)、(同左)「左 くまかや」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、下段台石正面に“三猿”の陽刻  
写真 犬塚の庚申塔道標 いぬづか 行田市 光照院・門前 石道標 高53㎝,幅35㎝ 寛政2(1790)   WEB(埼玉県の橋供養碑)   (左面)「西 目努ま/南 行田/東 はにう、道」(=妻沼)/正面に「庚申塔」と陰刻   -
写真 真名板の庚申塔道2 まないた 行田市 薬師堂 石道標 高127㎝(うち、台石39㎝),42㎝角 寛政6(1794)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/台石C接合 (台石右面)「右 きさい」、(台石左面)「左 かぞ」/正面に「青面金剛」、右面に「大黑天」、左面に「辯才天」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 若小玉の題目塔道標 わかこだま 行田市 国道125号の藤原2丁目交差点・北西150m 石道標(自然石) 高96㎝(うち、台石31㎝),幅37㎝ 寛政6(1794)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (台石左面左)「右 目沼道/左 行田道」/正面に「塞神」と陰刻 2
写真 白川戸の馬頭観音道標 しらかわど 行田市 西明寺 石道標(尖頭角柱) 高109㎝,幅34㎝,厚24㎝ 寛政13(1801)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/基部15㎝露出 (正面下部)「南/行/田」、(右面)「右、はにう/川又、道」、(左面)「左、下中条/さかき/免ぬま,道」/正面に「馬頭明王」と陰刻/尖頭部正面に馬頭冠を突起状に残す 3
写真 渡柳の馬頭観音像道標 わたりやなぎ 行田市 本性寺・門前 石道標(駒型) 高72㎝,幅28㎝,厚19㎝ 享和2(1802)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (左面)「右 吹上道/左 羽生道」/正面に馬頭観音坐像(三面八臂)を陽刻 2
写真 荒木の題目塔道標 あらき 行田市 天満宮 石道標(尖頭角柱) 高152㎝(うち、台石57㎝),幅39㎝ 文化3(1806)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「か王ま多道」(=川俣)、(同中央)「南 行田道」、(同左)「くま加"や」(=熊谷)、(台石裏面中央)「北 すかミち」 2
写真 荒木の聖観音像・地蔵道標 あらき 行田市 天祥寺 石道標(駒型) 高150㎝(うち、台石50㎝),幅42㎝ 文化12(1815)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「東 下須戸」、(同中央)「北 川俣」、(同左)「南 行田」/正面頂部右に聖観音坐像を陽刻、左に地蔵坐像(錫杖)、その下に、それぞれ、「觀音経七万巻」「地蔵経七万巻」と陰刻 3
写真 馬見塚の馬頭観音道標 まみづか 行田市 馬見塚橋・左岸橋詰 石道標(駒型) 高82㎝,幅33㎝,厚21㎝ 文政4(1821)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面最下部)「行/田/道」、(右面)「右、下中条/か王また、道」、(左面)「左、くつ王だ/めぬま、道」/正面に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 1
写真 埼玉の題目塔道標 さきたま 行田市 (片原)旧騎西街道・辻 石道標(尖頭角柱) 高80㎝,幅34㎝,厚22㎝ 文政10(1827)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (右面)「右、世うぶ/きさい/ふどう加、みち」、(左面右)「左ハ のミち/西ハ 行田 熊谷道」/正面を枠だけ残して削り込み「塞神」と陰刻 1
写真 酒巻の題目塔道標 さかまき 行田市 慶岩寺 石道標 高132㎝,幅35㎝,厚23㎝ 天保4(1833)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (正面最下部)「南、行/田」、(右面下部)「東、は/に/う」、(左面下部)「西、め/ぬ/ま」/正面に「辨戝天」と陰刻 2
写真 真名板の庚申塔道標3 まないた 行田市 (下)県道32号・関根境界の辻 石道標 高122㎝(うち、台石46㎝),36㎝角 天保8(1837)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (台石正面右)「南、きさい/」、(同左)「北、行田/川又」/正面に大きく「青面金剛」と陰刻 1
写真 真名板の聖観音像道標 まないた 行田市 見沼代用水(左岸) 石道標 高96㎝(うち、台石25㎝),
幅37㎝,厚30㎝
弘化3(1846)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面右端)「東 きさ以道」、(同左端)「西 きやう田道」、(台石左面)「北 はにう道」/正面に聖観音立像(光輪、蓮の花、蓮台)の陽刻、その直下に“大きな鬼面”の陽刻→きわめて稀な構成 2
写真 谷郷の庚申塔道標 やごう 行田市 薬師堂 石道標 高82㎝(うち、台石12㎝),幅29㎝ 嘉永2(1849)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面)「右 行田」、(左面)「左 めぬま/く津多」(=葛和田)/正面に「庚申塔」と陰刻 3
写真 持田の石橋供養塔 もちだ 行田市 長福寺 石碑
(駒型、道標兼)
高99㎝,幅35㎝,厚19㎝ 文化8(1811)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (正面左側)「石橋七箇所建立供養」、(右面)「西 小歌の(=小鹿野)ふへ 十二里(?)」/正面中央に「(梵字)奉納百番西國坂東秩父供養」、同右側に「秩父三拾三度入結願供養」と陰刻 2
写真 犬塚の石橋供養塔 いぬづか 行田市 光照院 石碑(自然石、緑泥片岩) 高108㎝,幅40㎝,厚8㎝ 文化12(1815)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面)「(梵字)石橋供養塔」/1200年頃の板碑(裏面に阿弥陀三尊の種子が陰刻)の再利用 2
写真 北河原の石橋供養塔 きたがわら 行田市 照岩寺 石碑 高140㎝,幅36㎝,厚22㎝ 文化14(1817)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (右面)「三川岸道 并 石橋供養塔」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 須加の敷石供養塔 すか 行田市 阿弥陀堂 石碑 高89㎝,幅28㎝ 安永5(1776)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、下部埋設 (正面)「鋪石供養…」 2
写真 小見の敷石供養塔 おみ 行田市 真観寺 石碑(自然石) 高175㎝(うち、台石37㎝),幅53㎝ 嘉永元(1848)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面)「(梵字)奉建立敷石供養塔」 3
写真 持田の敷石供養塔 もちだ 行田市 観音寺 石碑(蒲鉾型) 高109㎝(うち、台石28㎝),
幅36㎝,厚19㎝
嘉永7(1854)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面)「敷石供養塔」 2
写真 見沼代用水 みぬまだい 行田市・他 行田市→鴻巣市→加須市→久喜市→白岡市→蓮田市→上尾市→東縁・西縁に分離 用水路 総延長70㎞ 享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修/元圦の跡地→葛西親水公園として整備 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/8代将軍・吉宗の命を受け、井澤弥惣兵衛為永により築造/灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路→「代用水」の命名/用排水分離、大規模な水利構造物(十六間堰、柴山伏越、瓦葺掛樋など)が特徴/灌漑、干拓、治水、運河を含む総合的な地域開発事業 4 写真
写真 中条堤 ちゅうじょう 行田市・熊谷市 <福川(右岸)> 土堤防 長2732m(明治9) 江戸以前   WEB(関東地方の川) 堤防の機能はないが、保存状態は良好/堤防に農業用水の取水施設、北河原用水元圦(明治36の煉瓦樋門)が伏せ込まれている 「中条堤」は総称で、実際には上中条堤、四方寺堤、北河原堤の集合体/中世には既に存在していて、慶長年間(1610年頃)に伊奈忠次により本格的な整備が実施されたとする説が有力/利根川、福川、荒川の洪水を中条堤の上流側へ一時的に湛水させ、洪水の被害から下流側を守ることを目的とした控堤(水除囲堤)→洪水が氾濫することを前提として、その遊水を調節する機能を有し、洪水被害を最小限に食い止めるために設置された堤防 2 写真
写真 石田堤 いしだ 行田市・鴻巣市 <忍川> 土堤防 長282m,高2m,幅5.5m(現在) 天正18(1590) 県史跡 市教委/WEB(関東地方の川) 行田市側は堤裾に盛土をして市道が設けられているので、石田堤の全貌が確認しにくい 石田三成が忍城を水攻めにした際に築いた堤防(わずか一週間で全長28 or 14㎞もの堤を築いたとされる)/元荒川の自然堤防の一部等を利用して築いた土手 3
写真 中堤 なか 行田市 (長野)<忍川(左岸)> 土堤防 長454m
(明治初期)
江戸期   WEB(関東地方の川) 天端→市道 埼玉沼(小針沼)の村境堤防 3
写真 真名板の新渠之碑 まないた 行田市 (真名板)薬師堂 石碑   慶応2(1866)   WEB(関東地方の川) 原位置/平成22に解説板(原文と読み下し文を併記) (正面)「新渠之碑/在昔禹之治水也八年於水三過其門而不入疏瀹決排注諸海以濟天下之溺夫水之害雖聖人之世不能免而/聖人憂之其急如此武藏國埼玉郡真名板村自古居卑濕之地毎夏月有風雨動水及民家漂牀没檐民不知所/以避之扶老抱幼而號泣於隆髙之地往年村人相議而築長堤堤外之民害之髙不過於五尺是以雖存堤防之/名而無避水害之實里民太憂之里正齋藤作右衛門藤原義住者爲人宏才多智憂之不措天保十一年二月自/建決水之策言之於官官善其策賜金若干以給費乃作渠長百六十間而水害随遠土人相欣稱之曰齋藤渠義/住又謀於父老曰今決一渠於東西注之于星川上流則可免洪水之憂也郷等盍告其利于渠水父老遂以告渠/水不肯者六村以爲今穿一渠於田頭恐失漑田之利是決不可爲之事也渠内之民百方説之然終狐疑不決者/十有餘年一旦渠水相議以爲水雖分上下郷黨不可失其好若不鑿渠之策恐絶鄰里之誼於是内外始和而/約成矣安政五年之春發里民而決渠長四百八十六間經七尺深随地之高低不曰而成矣何其功之遄也渠成/而後雖有甚風雨不罹水害者百餘項里民相欣鳴呼義住所憂固不得与古聖人相比然椎誠立功可謂偉矣嘗/聞真名板村所祠久伊豆大明神者即所載於延喜式玉敷神社也玉敷神社者蓋傳所謂大名持神也此神爲蒼/生經營天下所未成者又能巡造焉由此觀之義住鑿渠擧之其人心終和而成功之遄村神或助之歟今茲村人/相議而立碑于新渠之傍使予記其由因書所聞而應需云/慶応二年十月/敷田年治撰/萩原翬書」(緑字は異体字)/低湿地だった村を浸水から守るため里正・齋藤家14代・義住が天保11(1840)に長209mの排水路を造成、安政5(1858)に875mの排水路を造成したことを称えた碑 1
写真 小右衛門一里塚 こえもん 久喜市 <日光街道> 一里塚(1基) 北塚:高2m,直径9m 慶長9(1604)以降 市史跡 WEB/市教委 雑木を伐採して整備(元々一里塚のイメージ喪失) 塚の上に、字堤外(現・権現堂川)から移築された弁財天堂が建立 4 -
写真 古久喜の道標 こぐき 久喜市 愛宕神社 石道標 高57.5㎝,幅31㎝,厚13㎝ 享保9(1724)   市教委/埼葛の道しるべp6/久喜市の金石p182 移設 (正面右)「右 さつてミち」、(同左)「左 王し能宮ミち」/正面中央には「(梵字)享保九甲辰年」と建立年が陰刻 2 -
写真 上清久の道標 かみきよく 久喜市 長宮神社・南 石道標 高73㎝,幅27.5㎝,厚18㎝ 享保17(1732)   市教委/埼葛の道しるべp6 移設/頂部一部欠損 (正面)「従是、下 くき本町へ 弐十九/南 志やうぶ町へ 壱里十/上 きさい町へ 壱里十」、(右面)「東、是より四丁行登/王しのミや町へ 三十/河口かしへ 壹り」、(左面)「西、是より三丁行登/加須町へ 二り二丁/ふどう岡へ 二り十八丁」 2
写真 菖蒲町上栢間の馬頭観音像道標1 しょうぶ、
かみかやま
久喜市 森下堤・南端 石道標(駒型) 高107㎝(うち、台石22㎝),
幅37㎝,厚23㎝
宝暦5(1755)   菖蒲町教委/埼葛の道しるべp6 原位置 (台石正面中央)「北/志やう婦」、(同右)「南/をけが者」、(同左)「東/以王都き」/正面の下部蓮台を除き全面を削り込み馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、鉾、輪宝、斧、金剛杵、蓮台〕)を陽刻 1
写真 栗原の庚申塔道標 くりはら 久喜市 (2丁目) 石道標(駒型) 高100㎝,幅42㎝,厚24㎝ 宝暦8(1758)   市教委/埼葛の道しるべp7/久喜市の金石p183 移設/簡易祠内 (左面)「左 王しの宮道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 菖蒲町下栢間の庚申塔道標1 しょうぶ、
しもかやま
久喜市 (宮替戸) 石道標 高119㎝(うち、台石25㎝),
幅39㎝,厚37㎝
明和元(1764)   菖蒲町教委/埼葛の道しるべp6 原位置/像の摩耗が進み“日月”、“四手”消失 (台石正面)「志やう婦/さつて/たかの」、(台石左面)「南、をけ川/かうのす」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 北中曽根の地蔵道標1 きたなかそね 久喜市 清鏡寺 石道標(駒型) 高73㎝,幅30㎝,厚18.5㎝ 明和4(1767)   市教委/埼葛の道しるべp6/久喜市の金石p188 移設(右面と裏面がCブロック壁で見えない) (正面像左)「きさい道」、(右面)「志やう婦道」、(左面)「王しのミや道」、(裏面)「くき道」/正面頂部に地蔵立像(蓮台)を表面から突出するように陽刻 3
写真 久喜東の庚申塔道標 くきひがし 久喜市 (4丁目) 石道標(笠付き) 高168㎝(うち、台石18㎝),
幅39㎝,厚32㎝
明和5(1768)   市教委/埼葛の道しるべp7/久喜市の金石p183 移設(もと、下早見)/笠一部欠損・像正面腰部欠損/Cブロック祠内 (右面下部)「南 い王つき/西、(くき/きさい)/東 すきと」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/笠は正面に唐破風を付ける 3
写真 菖蒲町新堀の庚申塔道標 しょうぶ、
にいぼり
久喜市 (宿) 石道標(駒型) 高100㎝(うち、台石30㎝),
幅42㎝,厚23㎝
安永8(1779)   菖蒲町教委/埼葛の道しるべp6 移設/本体石と台石がC枠で固定→邪鬼の頭しか見えない (左面)「左 志やうぶ」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)を浮彫(特に足の部分)、台石正面に“三猿”の陽刻 3
  上内の庚申塔道標 うえうち 久喜市 砂原集会所 石道標   安永8(1779)   埼葛の道しるべp5 移設 (台石左面)「埼道」/正面に「青面金剛」と陰刻 2  
写真 高柳の地蔵道標 たかやなぎ 久喜市 中川(左岸) 石道標 高101㎝,幅37㎝,厚24㎝ 安永9(1780)   WEB(関東地方の川) 移設?/祠内/刻字部に彩色 (右面)「右 もんぴみち」、(左面)「左 志ま川可しみち」/正面頂部を平らに削り込んで小さな地蔵坐像(蓮台)を陽刻、その下に「(梵字)順海行人」と陰刻 2
写真 菖蒲町下栢間の庚申塔道標2 しょうぶ、
しもかやま
久喜市 県道12号・脇 石道標 高113㎝(うち、台石28㎝),41㎝角 天明2(1782)   菖蒲町教委/埼葛の道しるべp6 原位置/台石下部埋没 (台石正面中央)「南おけ…」、(同左)「左 かう…」、(台石右面)「右/せう…」/正面を枠を残して削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を浮彫 2
  吉羽の馬頭観音像道標 よしば 久喜市   石道標 高135㎝,
幅36.5㎝,厚23㎝
天明2(1782)   市教委/埼葛の道しるべp7/久喜市の金石p183 原位置 (正面像下右)「右 王しのミや」、(同左)「左 くきミち」、(右面)「左 たかのミち」、(左面)「右 さつて道」/正面頂部3分の1を削り込んで馬頭観音坐像(一面二臂)を陽刻 1
写真 菖蒲町上栢間の馬頭観音像道標2 しょうぶ、
かみかやま
久喜市 県道77号・脇 石道標(駒型) 高127㎝(うち、台石28㎝),
幅43㎝,厚30㎝
天明3(1783)   菖蒲町教委/埼葛の道しるべp5 移設、祠内 (右面)「右ハ 以王つきみち」、(左面)「左ハ を者やしみち」/正面に馬頭観音立像(三面八臂〔馬頭冠、剣、輪宝、斧、棒、数珠〕)を陽刻 2
  除堀の庚申塔道標 よけぼり 久喜市 (江川西) 石道標(駒型) 高104.5㎝,
幅36㎝,厚21.3㎝
天明8(1788)   市教委/埼葛の道しるべp7/久喜市の金石p186 原位置 (右面)「東 いわつき 志おんし」、(左面)「西 きさい 志やう婦」/正面に「(梵字)庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1
  吉羽の地蔵道標 よしば 久喜市 天神社・前 石道標(駒型) 高52㎝,幅27.5㎝,厚18.5㎝ 天明3(1783)   市教委/埼葛の道しるべp7/久喜市の金石p184 原位置 (右面)「右 さつて/左 いハつき、道」、(左面)「右 和戸/左 わしのミや」/正面頂部3分の1を削り込んで地蔵坐像(蓮台)を陽刻 1 -
  八甫の馬頭観音道標 はっぽう 久喜市 (新田前) 石道標   寛政2(1790)   埼葛の道しるべp5 原位置 (正面)「はにうかぞ道/川下さつて道」、(左面)「西 わしのみ」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1  
  下早見の道標 しもはやみ 久喜市 蓮花院 石道標(駒型)   寛政2(1790)   久喜市の金石p187 移設、集約 (正面)「右、くき/王しのミや、道」、(右面)「左 い王つきミち」 3  
  菖蒲町小林の題目塔道標1 しょうぶ、
おばやし
久喜市 (京手) 石道標(蒲鉾型) 高165.5㎝(うち、台石30.5㎝),
幅40㎝,厚30㎝
寛政6(1794)   菖蒲町教委/埼葛の道しるべp5 原位置 (台石右面)「きた/きさい/ひがし/しょうぶ」、(台石左面)「みなみ/をけがわ/にし/こうのす」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻、台石との間に蓮台と中台を挟む→ともに浮彫が施されている 1
  東大輪の馬頭観音道標 ひがしおおわ 久喜市 (古川) 石道標   寛政6(1794)   埼葛の道しるべp5 原位置 (右面)「東 さつてみち」、(左面)「西 わしのみや」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1  
写真 菖蒲町小林の庚申塔道標 しょうぶ、
おばやし 
久喜市 (新田前)  石道標(蒲鉾型)  高145㎝(うち、台石39㎝),
幅37㎝,厚24㎝
寛政9(1797)    菖蒲町教委/埼葛の道しるべp5 原位置  (台石正面)「志やうふ/きさい」、(台石右面)「かうの春/よしみ」、(台石左面)「をけ可ハ/者らいち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻  1
  菖蒲町上栢間の庚申塔道標1 しょうぶ、
かみかやま 
久喜市 (本宮)  石道標  高123㎝(うち、台石30㎝),
幅40㎝,厚41㎝ 
寛政12(1800)    菖蒲町教委/埼葛の道しるべp6 原位置  (右面右側)「北 きさい」、(右面左側)「南 をけがは、道」、(左面左側)「西 こうのす道」/正面に大きく「庚」と陽刻、その下に“三猿”を陽刻  1
  菖蒲町上栢間の庚申塔道標2 しょうぶ、
かみかやま 
久喜市 (古宮)  石道標  高103.5㎝(うち、台石17.5㎝),38㎝角  寛政12(1800)    菖蒲町教委/埼葛の道しるべp6 原位置  (台石正面右)「南、石戸/おけがは」、(同左)「東、志やうぶ/きさい」/正面に「庚申塔」と陰刻  1
  菖蒲町上大崎の庚申塔道標 しょうぶ、かみおおさき  久喜市 (中手城)  石道標(尖頭角柱) 高108㎝(うち、台石33㎝),幅38㎝,厚36.5㎝  寛政12(1800)    菖蒲町教委/埼葛の道しるべp6 原位置  (台石右面)「左」、(台石左面)「右 志やうぶ」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻  1
  菖蒲町小林の供養塔道標 しょうぶ、
おばやし 
久喜市   石道標  高92㎝(うち、台石25㎝),
幅31㎝,厚28㎝ 
享和2(1802)    菖蒲町教委/埼葛の道しるべp5 移設→個人宅  (台石正面)「右 きさい/向 志やうぶ/かうのす」、(台石右面)「志おんじ/左東」、(台石左面)「左東 たかの」/正面を枠を残して削り込み「奉…供養」と陰刻  4
  上内の供養塔道標 うえうち  久喜市 寿徳寺  石道標    文化元(1804)    埼葛の道しるべp5 移設  (右面)「北 わしのみやみち」、(左面)「南 …道」/正面に「百箇所供養塔」と陰刻  2  
  吉羽の供養塔道標 よしば 久喜市 高輪寺 石道標(尖頭角柱) 高109㎝,幅37㎝,厚25㎝ 文化2(1806)   市教委/埼葛の道しるべp7/久喜市の金石p184 移設 (右面)「右 王しのみや/左 くき、みち」、(左面)「右 さつて道」/正面に「奉讀誦、光明真言/普門品、供養塔」と陰刻 2
写真 菖蒲町三箇の馬頭観音像道標 しょうぶ、
さんが 
久喜市 (大蔵)国道122号・脇 石道標(尖頭角柱) 高109㎝(うち、台石23㎝),
幅33.5㎝,厚22㎝
文化4(1807)    町教委/埼葛の道しるべp6/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設(2m)→個人宅敷地内(普通に見ることができる)  (台石正面左端)「左 セうぶ/十丁」/正面全面を枠だけ残して削る込み馬頭観音立像(三面八臂、蓮台)を陽刻/像容はかなり摩耗しているため“輪宝”以外はようくわからないが、手が8本あり、邪鬼、三猿もないことから、従来言われてきたような庚申塔ではなく、馬頭観音であることは明白 3
写真 菖蒲町台の地蔵道標 しょうぶ、
だい 
久喜市 (早川野)  石道標  高167㎝(うち、台石25㎝),
幅32㎝,厚24㎝
文化7(1810)    菖蒲町教委/埼葛の道しるべp5 原位置、簡易祠内/台石の表面一部剥離(「二り」→「り」) (台石正面右上)「向 おけ川 り」、(台石左面右上)「王しのミや 一り半」/台石上に地蔵立像(錫杖)の丸彫を載せ、台石正面中央に「奉建立地藏尊」と陰刻  1
  北広島の馬頭観音道標 きたひろしま  久喜市 天満宮  石道標    文化7(1810)    埼葛の道しるべp5 移設  (台石正面)「ふどを加羽生/西 鷺宮加須/北 くりはし/南 さって」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻  2  
  西大輪の庚申塔道標 にしおおわ  久喜市 (古川)  石道標    文化9(1812)    埼葛の道しるべp5 移設  (台石正面)「南、さつてみち/神宮寺道」、(台石右面)「北、嶋川/舟渡、道」、(台石左面)「西、わし/きさい/かぞ、道」/正面に「庚申塔」と陰刻  2  
  野久喜の地蔵道標 のぐき 久喜市 (上宿) 石道標 高61㎝,幅24.5㎝,厚15㎝ 文政年間(1818-30)   市教委/埼葛の道しるべp6/久喜市の金石p184 原位置 (正面像下)「右 くき/向 …/左 わしのみや」/正面頂部に地蔵坐像を陽刻 1
  菖蒲町上栢間の庚申塔道標3 しょうぶ、
かみかやま
久喜市 (本村)  石道標  高50㎝,幅27㎝,厚16㎝  文化14(1817)    菖蒲町教委/埼葛の道しるべp6 原位置  (右面)「右、こうのす/をけがは」、(左面)「左 はらいち」/正面に「庚申塔」と陰刻  1 -
  上内の馬頭観音道標1 うえうち  久喜市 (砂原)  石道標    文政4(1821)   埼葛の道しるべp5 原位置  (正面)「向右 せうぶ/向左 くき いわつき」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻  1  
  鷲宮の題目塔道標 わしのみや  久喜市 良学院  石道標    文政4(1821)   埼葛の道しるべp5 移設  (右面)「西 記さいみち」、(左面)「東 さつて道」/正面に「二十三夜塔」と陰刻  2  
  北中曽根の地蔵道標2 きたなかそね 久喜市   石道標(駒型) 高71㎝,幅28㎝,厚21㎝ 文政4(1821)   市教委/埼葛の道しるべp6 移設→個人宅 (正面像下)「くき 一里」、(左面)「せうぶ 十八丁/きさい 一里」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵坐像を陽刻 4
  野久喜の庚申塔道標1 のぐき 久喜市 (香取) 石道標 高142㎝,幅42.3㎝,厚40.8㎝ 文政6(1823)   市教委/埼葛の道しるべp6 原位置 (台石右面)「左 くき」、(台石左面)「右 わし」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  下清久の庚申塔道標 しもきよく 久喜市 清福寺 石道標(尖頭角柱) 高142㎝,幅39㎝,厚39.5㎝ 文政7(1824)   市教委/埼葛の道しるべp6/久喜市の金石p188 移設 (台石正面右端)「此方、くき/さつて」/正面に「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
  鷲宮の馬頭観音道標 わしのみや  久喜市 (中亀)  石道標    文政8(1825)    埼葛の道しるべp5 原位置  (右面)「南 せいぶ」、(左面)「左 わし/右 きさい」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻  1  
写真 菖蒲町小林の題目塔道標2 しょうぶ、
おばやし 
久喜市 (新田前)
野通川(右岸)橋詰
石道標  高211㎝(うち、台石38㎝),37.5㎝角  文政10(1827)    菖蒲町教委/埼葛の道しるべp5 原位置  (台石右面)「右 志やう婦」、(台石左面)「左 於け可王」(=桶川)/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻、その下に蓮台、小台石、浮彫付き上部台石、台石(道しるべが刻字)、背の低い基部台石の順  1
  北中曽根の地蔵道標3 きたなかそね 久喜市   石道標 高58.5㎝,幅26.5㎝,厚15.5㎝ 文政13(1830)   市教委/埼葛の道しるべp6/久喜市の金石p188 移設→個人宅 (右面)「南、志うぶへ 廿丁/おけか王へ 三里」、(左面)「北、くきへ 一り/さつてへ 二り半/すきとへ 三り」/正面に地蔵坐像を陽刻 4 -
写真 菖蒲町小林の地蔵道標 しょうぶ、
おばやし 
久喜市 木間ヶ根集会所  石道標(板碑型)  高88㎝(うち、台石26㎝),
幅35㎝,厚24㎝ 
天保3(1832)    菖蒲町教委/埼葛の道しるべp5 移設  (台石正面中央)「南 のみち」、(同右)「東 志やう婦"」、(同左)「西 をけ川」/正面を枠だけ残して削り込み地蔵立像(光輪、錫杖、蓮台)を浮彫 2
  八甫の題目塔道標 はっぽう  久喜市 (屋敷裏)  石道標    天保3(1832)    埼葛の道しるべp5 原位置  (台石右面)「右 さつて」、(台石左面)「左 ごんげんどう せきやど」/正面に「十九夜塔」と陰刻  1  
写真 下清久の題目塔道標 しもきよく 久喜市 清福寺 石道標(自然石)  高156㎝(うち、台石30㎝),
幅76㎝,厚16㎝
天保10(1839)    WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設  (台石左面右端)「此方、志やうふ/きさい」/正面に「二十三夜塔」と陰刻  2
  北中曽根の題目塔道標1 きたなかそね 久喜市   石道標 高68㎝,幅33㎝,厚17.5㎝ 弘化4(1847)   市教委/埼葛の道しるべp6/久喜市の金石p189 移設→個人宅 (正面左下隅)「南 □□」、(右面)「東 □□」、(左面下部)「西 きさい」/正面に「二十三夜」と陰刻 4 -
  古久喜の地蔵道標 こぐき 久喜市 和田集会所 石道標(駒型) 高70㎝,幅21.5㎝,厚13.7㎝ 嘉永元(1848)   市教委/埼葛の道しるべp6/久喜市の金石p185 移設 (正面像下)「向 くき」、(右面)「此方 さつて」、(左面)「此方 わしのみや」/正面上部に地蔵坐像を陽刻 3
  上内の馬頭観音道標2 うえうち  久喜市 (砂原)  石道標    嘉永2(1849)    埼葛の道しるべp5 原位置  (正面)「向 栗橋」、(右面)「右 さつて」、(左面)「左 きさい」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻  1  
  菖蒲町上栢間の庚申塔道標4 しょうぶ、
かみかやま
久喜市 (本村)  石道標(尖頭角柱) 高88㎝(うち、台石25㎝),
幅31㎝,厚30㎝ 
嘉永5(1852)    菖蒲町教委/埼葛の道しるべp6 原位置  (右面下部左)「南 をけがは」、(左面下部左)「北、志やうぶ/きさい」/正面に「庚申塔」と陰刻  1
  野久喜の庚申塔道標2 のぐき 久喜市 (上宿) 石道標 高150㎝,
幅34.2㎝,厚24㎝
万延元(1860)   市教委/埼葛の道しるべp6/久喜市の金石p186 新幹線高架下(原位置の場合は再建立) (正面)「(梵字)西/の/方」、(正面下部右)「左の小道/さつて往還道り」、(同中)「右の大道を少し/行けハ四ツ辻あり/右ハくき 左さつて/中の道」、(同左やや下)「よしば/わど/上たかの/すきと/かすかべ」、(右面下部)「此方、わしの宮/かぞ/ふとう岡」、(左面下部)「此方、くき/しやうふ」/右面上部に「青面金剛」、左面上部に「猿田彦大神」と陰刻 2
  北中曽根の題目塔道標2 きたなかそね 久喜市   石道標 高85㎝,幅21㎝,厚26㎝ 文久2(1862)   市教委/埼葛の道しるべp6/久喜市の金石p189 移設→個人宅 (右面)「くきへ 一り/志やうぶ 十八丁」、(左面)「かぞへ 一り半」/正面に「二十三夜塔」と陰刻 4
写真 北中曽根の如意輪観音像道標 きたなかそね 久喜市 薬師・前 石道標(駒型) 高60㎝,幅25㎝,厚17㎝ 慶応2(1866)   市教委/埼葛の道しるべp6 移設/像容・刻字の風化が進行 (正面像下)「右、くき/王し宮」、(左面)「左、志やうぶ/きさい」/正面頂部を光背型に削り込み如意輪観音の半跏坐像を陽刻 2
写真 下早見の石橋供養塔 しもはやみ  久喜市 騎西領用水(左岸)  石碑  高70㎝,幅31㎝,厚15㎝  宝暦4(1754)    WEB(埼玉県の橋供養碑)/久喜市の金石p149 原位置?  (正面)「経曰有不如法妙車馬我皆平塡或作橋梁矣/夫以願善縁厚薄廣河浮舩善縁最勝/此徳多少深川懸橋功徳尢秀因玆村里勠力貴/賤息就而橋梁修補功訦盖是國泰民安良律也/非繁祉悦樂基本那恕彫舎那塔形展供養/之法建所然者依這欺實大小救助倫上下結衆類/生存巨冨愉來也登佛陀金矣」(緑字は異体字)→橋を架け供養をおこなった経緯  1
  菖蒲町上大崎の石橋供養塔 しょうぶ、
かみおおさき
久喜市 金剛院  石碑(道標兼)  高82㎝,幅29㎝,厚15㎝  安永5(1776)    菖蒲町教委/WEB(埼玉県の橋供養碑)/埼葛の道しるべp6 移設 (正面右側)「石橋/六地蔵大主/供養」、(正面蓮座下)「南、原市/桶川、道」、(左面下端)「志ようぶ/きさい、道」/正面上部に「(梵字)六地蔵大士」と陰刻、その直下に蓮座を陽刻  2
  東大輪の石橋供養塔 ひがしおおわ  久喜市 稲荷神社  石碑(駒型)  高88㎝,幅23㎝,厚16㎝  安永7(1778)    WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置  (正面像下)「石橋供羪塔」/正面上部に聖観音坐像(蓮台)を陽刻 1
  栗原の石橋供養塔 くりはら  久喜市 多聞院  石碑(笠付き)  高82㎝,幅41㎝,厚31㎝  寛政4(1792)    WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約  (正面)「石橋供養塔」/本体状に蓮座、その上に笠と宝珠を載せる  2
  下清久の石橋供養塔 しもきよく  久喜市 諏訪神社  石碑  高110㎝?,幅66㎝,厚16㎝  天保13(1842)    WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/頂部欠損  (正面)「橋供養塔」  2
写真 葛西用水 かさい  久喜市・他 羽生市→加須市→久喜市→幸手市→杉戸町→春日部市→越谷市→草加市→八潮市 用水路  総延長70㎞  万治3(1660)  疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修 見沼代用水とならび、江戸期を代表する大用水/徳川幕府の天領開発策の一貫(幸手領の用水路)として、関東郡代・伊奈忠克により構築/旧利根川筋(会の川と大落古利根川)の河道を利用し、複数の溜井を連結した用水形態(用排水兼用)/幹線水路の水管理や修築は、勘定奉行所の所管(幕府直轄)/用水体系が確立したのは享保4(1719) 4
写真 古堤 ふる  久喜市 (佐間)<渡良瀬川> 土堤防  長約700m,高3m
(現存) 
江戸以前?    WEB(関東地方の川) 一部に古道の雰囲気を留める  俗称/鎌倉古道として使われていたとの伝承がある  2‐3
写真 蛇田堤 じゃだ  久喜市 (鷲宮)中川(右岸) 土堤防    江戸初期   WEB(関東地方の川) 天端→市道  古利根川を締め切るために築かれた堤防  3
写真 鷲宮の寛保治水碑 わしのみや 久喜市 鷲宮神社 石碑(灯籠型) 高2.6m 寛保3(1743) 県史跡 市教委
(鷲宮町史・史料2近世p152-154)
/WEB(関東地方の川)
保存状態良好 寛保2(1742)8月の利根川の氾濫を受けて毛利家が担当した治水事業(人足100万人以上を要した難工事)の完工記念碑/「刀禰上流以南修治告成碑/寛保二年秋八月 東都近帯諸州大水水衍溢 自信毛諸山 而上毛総武下流受菑 極干瀕海 至都之江東 水留旬有数日 浸淫尤甚者 自漂溺外 居民失業 道殣相望 朝廷既乃憫恤之 大発倉廩 賑給焉 既而以其水道堙塞 堤決堰潰 田卒汚萊 其冬又下命 大興役修治焉 県官給材 属役大小諸侯 督則統政府 遙制典農法司監司 使者若干 臨以董事 葢大役云 長門侯 以大國在関西 受其之一 於是使大夫廣定爲植 率國臣諸有司若干 僕隷輿台及私從者 合千七百余人而東 乃到所分地 盧居干野 本末数所 以視作治 自冬十一月始 踰年至今年春三月 凡五閲月 竣事上績 朝賜侯服 及視事國臣十三人 時服白金 各有差 長門阪時存 自役帰 謂喬曰 此役也 吾諸臣者発也 寡君命戒固已若曰 各慎爾事 罔有不共 以從簡書 若我封疆之事 則民唯朝夕是共 其聴不惑 乃有司者 左右手指相使而已 奚恤焉 今承朝命 乃使各庀奔問官守 既又出竟 越在千里之外 事雖靡盬 非復吾所能及也 亦唯必体朝家恤下之徳意 從事焉 庶乎其可也 吾諸臣者 既奉以旋 乃至則物土方 議遠邇 度厚薄 仭溝洫 与我封疆異也 則与他諸大國同在事人士 截然画地而守焉 而壌実相属 水実相承 固亦不可謂一彼一比 吾何知之 則行李之往來 不得不数以相諮詢 与我封疆異也 諸台使者 冠葢相望於路 且夕逢迎 唯謹 与我封疆異也 其巡巧也 自溝徂瀆 自原徂湿 即所盧 随其濬繕移徙 東西無常居 居則槍纍幄幕干掫焚燎 不得不備一夕之衛 行則輿馬僕隷芻米屨 不得不具一日之積 与我封疆異也 揵茭薪石 仰給県官 亦唯事期財用 毎以待成命 則計徒庸 称畚築 非吾之素 与我封疆異也 大水之後 民猶夫婦塾隘 乃一僦其土爲役夫 而壮者固己随功 与平賈 而且其承朝家周亟 矜無資之旨 使有数月之食以及麦禾 自窮民始 則至于老幼婦女 可哀尤甚 不問羸弱 一充運土 乃朝荷一簣 暮与数銭 於是日夕下来 則纍々攜負至者 百千成群於庭 有司簿正穪事 授与不勝 唯不均是懼 与我封疆異也 有是数者 而加之上下千余人 前後五閲月 日在曠野 脛不遑生毛 固亦不無重疾疫之虞 是以吾諸臣者 日夜勉思 惕若不寧 唯是頼有募君之数 与二三大夫之慎終 亦無有一事之廃 無有一隷之病 驩然相勤 乃得以竣事 而奉承國家之大役 尚亦有辞於反命 不亦皇天眷顧之所及乎 因相与謀 是宜壇以告成而皈 而有鷲宮之祠 在其地 蓋祀典所命也 聴輿人之謀 曰何必他営 於是俱就再拝稽首曰 曾臣長門宗廣 受朝命奉役 其官臣廣定 及某甲等 実先後之 乃以天明 今既克集大事 無作神羞 敢告既以告矣 願復具其始末 勒碑鷲宮 以貽永世 喬乃承其所属 爲記如是 凡長門所受役 刀禰上流以南 而北 尽其壖 水自西而東 則其地上自武之児玉郡久久宇 並水下 至州之埼玉郡間口十五里 而又自問亘折 至羽生騎西之地 斜界糟壁之駅 東南坼出五里 南北亘遠者十里余 在西上 則自州之榛澤郡横瀬 迤至上毛新田郡前小屋六里 其次自州之幡羅郡江原 迤至郡之俵瀬五里 今一里 十古制之里 則東西大率二百里 南北五六十里 若八九十里 堤壌修補 小者百余所 大决者 雖繕補 客土更築 率長八九十堵 横三四十堵 用夫十五六万 淩溝澮九十余所 在羽生 爲大渠 而長三里 用夫十一万 在騎西 渠益大 実刀禰故道 而所浚三里 余用夫三十万 其他川防陂足 薪石竹落之功 大小七百余所 凡用夫百万余云 自國臣有司視事者十三人 至所属士 凡百四十七人 私從八百十人 卒隷以下七百五十人合千七百七人 其十三人姓名別具 寛保三年夏五月平安服元喬謹記/長州学士 津田泰之書」/緑字は異体字 1
写真 雷電神社の井戸 らいでん 久喜市 雷電神社 石組井戸   天保3(1832)   久喜市の金石p65 保存状態良好/非現役 4段の石組井戸枠→中央の開口部が円形→珍しい/正面3段目に「無盡水」と刻字 1
写真 新島一里塚 にいじま 熊谷市 <中山道> 一里塚(1基)   宝暦6(1756) 市史跡 市教委/WEB 形状改変→石垣補強/平成22の雷雨で欅の半分が喪失 オリジナルの欅が残る 3
写真 村岡の石尊常夜灯 むらおか 熊谷市 村岡三叉 石常夜灯 高3.24m 寛政2(1790)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 昭和28移設/火袋は後補? (竿)「石尊宮」、(台石正面)「村岡郷」/中台3面に花の陽刻/石基壇なし/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 2
写真 小泉の石尊常夜灯 こいずみ 熊谷市 常永寺・北辻 石常夜灯 高2.30m 嘉永3(1850)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/火袋は後補? (竿)「雨降山」/猫脚/基壇なし/同上 2
写真 屈戸の石尊常夜灯 くつと 熊谷市 荒川(右岸)/市道・辻 石常夜灯 高1.94m
(基壇含まず)
文久2(1862)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?/基壇は新設? (竿)「石尊講」/同上 3
写真 上中条の地蔵道標1 かみちゅうじょう 熊谷市 実相院墓地・入口 石道標(丸彫) 高136㎝(うち、台石15㎝),幅32㎝ 宝永2(1705)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (台石正面)「東 行田道」、(台石右面)「北 目沼道」、(台石左面)「南 熊谷道」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 玉井の題目塔道標 たまい 熊谷市 (水押下)墓地 石道標(蒲鉾型) 高76㎝(うち、台石11㎝),
幅26㎝,厚13㎝
正徳5(1715)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、密集、正面磨耗して刻字解読不能 (正面右上)「右 むら道」、(同左上)「左 」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻/下記「玉井の馬頭観音道標」と並ぶ 4 -
写真 上中条の地蔵道標2 かみちゅうじょう 熊谷市 (中島新田)
中島農村広場・西
石道標(丸彫) 高230㎝(うち、台石21㎝),
幅39㎝,厚24㎝
享保2(1717)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (上段台石正面)「南 行田みち/西 めぬま道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)を載せる 1
写真 高本の地蔵道標 たかもと 熊谷市 和田吉野川(左岸)橋詰 石道標
(下細りの板碑型)
高65㎝,幅35㎝,厚19㎝ 享保9(1724)   大里村の石佛p91/WE
B(埼玉県の橋供養碑)
移設、集約 (正面中央右端)「右 松山道」、(同左端)「左 熊谷道」/正面中央上部に地蔵坐像(錫杖、蓮台)の浮彫、その下に地蔵を支えるよう最下部まで植物文様(?)の浮彫を施す→異例/下記の「高本の馬頭観音道標」と並ぶ 2
写真 原島の庚申塔道標 はらじま 熊谷市 養平寺・門前 石道標(駒型) 高86㎝,幅29㎝,厚18㎝ 享保15(1730)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/基部15㎝露出 (正面下部)「南 く満加"やみち」、(右面下部)「東 ぎやう多"道」、(左面下部)「西 ふ加や道」/正面に「奉納庚申供養」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 上根の庚申塔道標 かみね 熊谷市 薬師堂 石道標(自然石) 高116㎝(うち、台石6㎝),
幅60㎝,厚29㎝
元文3(1738)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石埋設 (正面右端)「右 く加や道」、(同左端)「左 行田みち」/正面に大きく「(梵字)庚申供養」と陰刻 2
写真 西別府の庚申塔道標1 にしべっぷ 熊谷市 安楽寺・九品仏堂 石道標(蒲鉾型) 高102㎝(うち、台石13㎝),
幅35㎝,厚22㎝
元文3(1738)   大里村の石佛p79/WE
B(埼玉県の橋供養碑)
移設、集約 (右面下)「東 くま可"い道/西 南可せ道」(=中瀬)/正面を枠だけ残して削り込み「奉納庚申供養」と陰刻 2
写真 今井の地蔵道標 いまい 熊谷市 浄古庵 石道標(丸彫) 高211㎝(うち、台石47㎝),
幅40㎝,厚26㎝
元文5(1740)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、密集/簡易屋根付き (台石正面右下)「南 熊谷道」、(同左下)「西 深谷道」/台石の上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 上川上の庚申塔道標1 かみかわかみ 熊谷市 (前)観音堂 石道標(駒型) 高77㎝(うち、台石11㎝),
幅33㎝,厚17㎝
延享元(1744)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右下)「右 めぬま道」、(同左下)「左 くま加やち」/正面中央に「庚申供養」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2 -
写真 今井の庚申塔道標1 いまい 熊谷市 (天神)天神様
/天神集会所
石道標(駒型) 高62㎝,幅32㎝,厚18㎝ 延享5(1748)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、密集→側面の刻字が読みにくい (左面右)「東 行田みち/西 めぬまみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、三猿)の陽刻 3
写真 上中条の供養塔道標 かみちゅうじょう 熊谷市 (吉野)実相院 石道標 高112㎝(うち、台石21㎝),
幅39㎝,厚24㎝
延享5(1748)   WEB(埼玉県の橋供養碑)

移設、密集

(左面下)「右 めぬま道/左 行田みち」(刻字部のみ平坦に削り込み)/正面を枠だけ残して削り込み、頂部に「大日」と丸で囲み、その下に「百番札所供養」と陰刻 3
写真 柴の地蔵道標 しば 熊谷市 県道11号と県道140号の交差点 石道標(舟型) 高120㎝(うち、台石17㎝),幅34㎝,厚20㎝ 寛延4(1751)   WEB(埼玉県の橋供養碑)

移設、木覆屋内

(光背右下隅)「右 者ち方道」(=鉢形)、(同左下隅)「左 小川道」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/下記「柴の馬頭観音道標」と並ぶ 2
写真 中奈良の如意輪観音像道標 なかなら 熊谷市 小塚集会所・脇 石道標(丸彫) 高204㎝(うち、塔身119㎝),
幅51㎝,厚35㎝
宝暦8(1758)   WEB(埼玉県の橋供養碑)

移設?、集約/祠内

(台石正面最下部)「北 めぬま」、(台石右面下部)「西 ふ可や」、(台石左面下部)「東 ぎやうた」、(同・台石裏面下部)「南 ちゝぶ」←台石はすべて最上段/3段の台石上に如意輪観音の半跏坐像(蓮台)の丸彫を載せる/最上段・台石正面中央に「二十二夜待供養」と陰刻 2
写真 船木台の馬頭観音像道標 ふなきだい 熊谷市 大境公園・南端 石道標(駒型) 高119㎝(うち、台石22㎝),
幅42㎝,厚28㎝
宝暦13(1763)   大里村の石佛p79/WE
B(埼玉県の橋供養碑)
移設(もと、冑山) (右面下部)「よしみく王んおん道」、(左面上部)「行田道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、矛、輪宝、数珠、斧〕、蓮台)を陽刻 2
写真 下奈良の如意輪観音像道標 しもなら 熊谷市 八坂神社・西 石道標(舟型) 高133㎝(うち、塔身84㎝),
幅33㎝,厚18㎝
明和元(1764)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?、集約/台石表面が磨耗 (上段・台石正面右下)「右 ちゝぶ道」/2段の台石上に、光背付き如意輪観音(羽衣、蓮の花)の半跏坐像の浮彫と蓮台の丸彫を載せる 3
写真 妻沼の馬頭観音道標 めぬま 熊谷市 (一本木)阿弥陀堂 石道標(自然石) 高115㎝(うち、台石18㎝),
幅87㎝,厚34㎝
明和元(1764)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (正面右下隅)「右ハ 古戸ミち」、(同左端)「左り 本庄ミち」/正面に大きく「(梵字)」→種子は馬頭観音 2
写真 石原の道標1
(ちちぶ道の石碑)
いしはら 熊谷市 <中山道・秩父往還> 石道標(尖頭角柱) 高142㎝(うち、台石21㎝),
幅36㎝,厚34㎝
明和3(1766) 県旧跡 市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 平成16移設 (正面)「ちゝぶ道」、(正面最下部)「志まぶへ/十一り」/下記「石原の道標2・3」と並ぶ 2
写真 四方寺の庚申塔道標 しほうじ 熊谷市 <蓮華院・門前 石道標(自然石) 高96㎝(うち、台石32㎝),
幅35㎝,厚25㎝
明和3(1766)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面)「北西 妻沼道」、(台石左面)「左 葛和田道/右 行田道」、(台石裏面)「西南 熊谷道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
写真 代の如意輪観音像道標 だい 熊谷市 市道・辻 石道標(舟型) 高138㎝(うち、台石12㎝),
幅38㎝,厚19㎝
明和4(1767)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/木祠内 (下段・台石正面)「西 ふかや道/南 くまかや/東 行田道」/2段の台石上に、光背付き如意輪観音(羽衣、蓮の花)の半跏坐像の陽刻と蓮台の丸彫を載せる/上段・台石正面に「二十二夜供養塔」と陰刻 1
写真 玉井の庚申塔道標1 たまい 熊谷市 上奈良境の辻 石道標(板碑型) 高109㎝(うち、塔身81㎝),
幅36㎝,厚19㎝
明和4(1767)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (上段・台石正面)「右 なかせ道/左 ふかや道/東 行田道/南 くまがや道」/正面を枠だけ残して削り込み「青面金剛塔」と陰刻、下部枠上に“三猿”を小さく陽刻 1
写真 石原の題目塔道標1 いしわら 熊谷市 (植木)国道17号・交差点
<中山道>
石道標(駒型) 高93㎝(うち、台石9㎝),
幅33㎝,厚20㎝
明和4(1767)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (左面左下隅)「左 よりゐ道」/正面に「塞神」と陰刻 1
写真 飯塚の馬頭観音道標 いいづか 熊谷市 (福王寺)安養院 石道標 高131㎝(うち、台石18㎝),
幅39㎝,厚24㎝
明和4(1767)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「北 めぬ未 三り」(=妻沼)、(同中央)「南 ふかや 二リ」、
(同左)「西 本ん志やう □□」(=本庄)/正面を枠だけ残して削り込み
「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻
2
写真 玉井の庚申塔道標2 たまい 熊谷市 (稲荷木下)
三神神社・西辻
石道標 高173㎝(うち、台石45㎝),
幅48㎝,厚33㎝
明和8(1771)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (台石正面右)「右/をじま」(=尾島)、(同左)「ちゝぶ/左」/正面を枠だけ残して削り込み「(梵字)靑靣金剛」と陰刻 2
写真 葛和田の馬頭観音道標1 くずわだ 熊谷市 大龍寺・不動堂 石道標 高93㎝,幅32㎝,厚19㎝ 明和8(1771)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面最下端)「東 行田」、(左面最下端)「西 熊谷」/正面を枠だけ残して浅く削り込み「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 善ケ島の庚申塔道標1 ぜんがしま 熊谷市 龍泉寺 石道標(尖頭角柱) 高113㎝(うち、台石22㎝),幅32㎝,厚32㎝ 安永3(1774)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面)「東、くつ王多/者祢ふ、道」(=葛和田、羽生)、(左面)「西、ほん志やう/め怒ま、道」(=本庄、妻沼)、(裏面)「北上、古可以河岸/於本乃?、道」(=古海、大野?)/正面に「青面金剛塔碑」と篆書体で陰刻 2
写真 飯塚の庚申塔道標 いいづか 熊谷市 県道127号、
「市の坪」との境
石道標 高136㎝(うち、台石25㎝),
幅49㎝,厚29㎝
安永6(1777)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (右面)「東 め怒ま道」(=妻沼)、(左面)「西、婦加や/与り井、道」(=深谷、寄居)/正面を枠だけ残して駒型に削り込み「(梵字)庚申供養」と陰刻、右左面の刻字部も削り込んで平滑化 1
写真 大麻生の馬頭観音道標 おおあそう 熊谷市 (中郷)ふれあい広場・北
<秩父街道>
石道標(駒型) 高70㎝(うち、台石14㎝),
幅26㎝,厚14㎝
天明8(1788)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部で斜めに折損→修復 (左面)「右 よりゐ道/左 ふ称王多し」(=舟渡し)/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 3 -
写真 柴の馬頭観音道標 しば 熊谷市 県道11号と県道140号の交差点 石道標(駒型) 高86㎝(うち、台石19㎝),幅28㎝,厚20㎝ 天明9(1789)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、木覆屋内 (台石正面右)「右/よりゐ/いま市」、(同左)「左/小川道」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻/上記「柴の地蔵道標」と並ぶ 2
写真 三ヶ尻の庚申塔道標1 みかじり 熊谷市 龍泉寺・観音堂 石道標(駒型) 高72㎝(うち、台石9㎝),
幅26㎝,厚16㎝
寛政4(1792)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石下部埋設 (正面右下)「右ハ ふかやみち」、(同左下)「左ハ よりいみち」/正面に「(梵字)庚申塔」と陰刻 2 -
写真 玉井の供養塔道標 たまい 熊谷市 椚集会所・南 石道標(板碑型) 高70㎝(うち、台石19㎝),
幅25㎝,厚14㎝
寛政6(1794)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 台石と塔身の間にCの薄い台/刻字が摩耗 (右面)「右 ちゝふ」/正面を枠だけ残して削り込み「巳待供養塔」と陰刻 3 -
写真 久下の題目塔道標
(塞ノ神の道標)
くげ 熊谷市 権八公園<中山道> 石道標(尖頭角柱) 高105㎝(うち、台石15㎝),
幅30㎝,厚17㎝
寛政8(1796)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (右面下)「右 熊谷道」、(左面下)「左 松山道」/正面に「塞神」と陰刻、台石正面に“一猿”の陽刻 2
写真 下川上の句碑道標 しもかわかみ 熊谷市 星宮公民館 石道標 高68㎝,幅20㎝,厚18㎝ 寛政8(1796)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (右面)「南 きう多"/北 と祢かし、みち」(=行田、利根河岸)、(左面)
「西、めぬま/くまがや、みち」/正面に芭蕉の句「物書いて 扇ひきさく 別れかな」を陰刻
2
写真 上川上の庚申塔道標2 かみかわかみ 熊谷市 (十二所)伊弉諾神社・前の辻 石道標(駒型) 高105㎝(うち、台石23㎝),
幅30㎝,厚23㎝
寛政9(1797)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面右)「北 めぬま/東 ぎやう多"、道」、(左面右)「西 く満可やみち」/正面中央に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石3面に“三猿”の陽刻 2
写真 今井の庚申塔道標2 いまい 熊谷市 (天神)天神様
/天神集会所
石道標(駒型) 高62㎝,幅32㎝,厚18㎝ 寛政10(1798)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、密集→側面が一部を除き読めない (左面右)「東 行田/西 面ぬま、みち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3 -
写真 拾六間の庚申塔道標1 じゅうろっけん 熊谷市 徳蔵寺 石道標 高114㎝(うち、台石40㎝),
幅33㎝,厚30㎝
寛政11(1799)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「よ/里/ゐ/道」、(台右面右)「め/ぬ/ま/道」/正面に大きく「(梵字)庚申」と陰刻/下記「拾六間の庚申塔道標3」と並ぶ 2
写真 三ヶ尻の庚申塔道標2 みかじり 熊谷市 大洋セメント・南東辻 石道標(駒型) 高96㎝(うち、台石25㎝),
幅34㎝,厚24㎝
寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/像容がかなり摩耗 (右面)「くまかや」、(左面)「めぬま」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿」を陽刻/下記「三ヶ尻の馬頭観音道標」と並ぶ 2
写真 善ケ島の庚申塔道標2 ぜんがしま 熊谷市 龍泉寺 石道標(自然石) 高120㎝(うち、台石25㎝),
幅52㎝,厚31㎝
寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面右)「東 者祢ふ」(=羽生)、(同左)「南 久満可や」(=熊谷)、(台石左面右)「西 免ぬま」(=妻沼)、(同左)「北 わたし場」/正面に「庚申」と陰刻 2
写真 玉井南の庚申塔道標 たまいみなみ 熊谷市 (3丁目)
稲荷木第一公園・北
石道標(駒型) 高108㎝(うち、台石16㎝),
幅35㎝,厚19㎝
寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (左面)「左 於じまみち」(=尾島)/正面に大きく「(梵字)庚申塔」と陰刻 2
写真 葛和田の庚申塔道標1 くずわだ 熊谷市 大龍寺・不動堂 石道標 高89㎝(うち、台石7㎝),
幅35㎝,厚34㎝
寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石若干埋設 (右面左)「東、ぎやう多"/わ多し者"、道」(=渡し場)、(左面右)「南 くま可や」、(同左)「西、めねま/ほん志"やう」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
写真 拾六間の庚申塔道標2 じゅうろっけん 熊谷市 外原公園・西 石道標(駒型) 高89㎝(うち、台石22㎝),
幅31㎝,厚20㎝
寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面右)「北 ふ可」、(同中央)「東 めぬま」、(同左)「南 くま可"や」、(台石左面右)「西 よりい」/正面に大きく「庚申」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 大麻生の庚申塔道標 おおあそう 熊谷市 (下郷)赤城神社 石道標(駒型) 高139㎝(うち、塔身70㎝),
幅26㎝,厚18㎝
寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/最下部錬石積→本来の高さ不明 (右面)「左 ちゝ婦道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 3
写真 東別府の庚申塔道標 ひがしべっぷ 熊谷市 東別府神社・の西辻 石道標 高97㎝(うち、台石15㎝),
幅34㎝,厚19㎝
寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石正面の剥離がひどい (台石正面)「 …/西 ふ…/北 おし満」(=尾島)/正面に大きく「(梵字)庚申」と陰刻 3
写真 永井太田の庚申塔道標 ながいおおた 熊谷市 (上平)北間集会所 石道標 高95㎝(うち、台石10㎝),
幅35㎝,厚22㎝
寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/下部埋設→道しるべの下部が読めない (台石正面右端)「北/間ゝ/王多」(=間々田渡し)、(同左端)「南/くま…」/正面を枠だけ残して浅く削り込み「庚申塔」と陰刻 3
写真 西別府の庚申塔道標2 にしべっぷ 熊谷市 観音堂・東辻 石道標 高84㎝(うち、台石19㎝),
幅27㎝,厚19㎝
寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石の上に不安定に置いてある (台石正面右)「東 熊谷」、(同中央)「北 妻沼」、(同左)「西 ふ可や」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 3
写真 川原明戸の馬頭観音道標 かわらあけと 熊谷市 明道寺 石道標 高99㎝(うち、台石10㎝),
幅37㎝,厚19㎝
享和3(1803)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石下部埋設 (台石右面右)「東/く満/可」、(台石左面右)「西/与里」/正面に「(梵字)觀世音」と陰刻→梵字は不鮮明だが、形態から馬頭観音の種子である蓋然性が最も高い/下記の「川原明戸の庚申塔道標」と並ぶ 2
写真 桜木町の庚申塔道標 さくらぎ 熊谷市 (1丁目)賢勝院 石道標(駒型) 高66㎝(うち、台石6㎝),
幅26㎝,厚17㎝
享和3(1803)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/意図的に道しるべ部分を削除 (右面)「…/…、道」/正面に大きく「庚申」と陰刻 5 -
写真 新堀の馬頭観音像道標 にいぼり 熊谷市 ケアセンター入口・東、
新堀新田・境
石道標 高71㎝(うち、台石8㎝),
幅28㎝,厚16㎝
文化元(1804)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?/台石下部埋設 (台石正面右)「右 ふ可」、(同中央下)「道」、(同左)「左 よりい」/正面に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻 2
写真 下奈良の大黒天道標 しもなら 熊谷市 奈良小・南 石道標(駒型) 高132㎝,幅36㎝,厚20㎝ 文化3(1806)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/基部18cm露出 (正面右下)「南 くま可ゑ道」、(右面)「東/く王多」(=葛和田)、(左面)「西/ふ可や道」、(裏面)「北 めぬま道」/正面に大きく「大黒天」と陰刻 2
写真 籠原南の庚申塔道標 かごはらみなみ 熊谷市 (1丁目)諏訪神社 石道標(自然石) 高96㎝(うち、台石7㎝),
幅58㎝,厚14㎝
文化9(1812)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石下部埋設 (台石正面右)「東/く満/可や」、(同左)「西/よ/ゐ」、(台石左面)「北/か(?)い/ふ…」/正面に「庚申」と陰刻 3
写真 奈良新田の供養塔道標 ならしんでん 熊谷市 西福寺 石道標(自然石) 高105㎝(うち、台石11㎝),
幅64㎝,厚7㎝
文化10(1813)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右脇)「左 両村道地」、(同左脇)「右 江袋村道」/正面中央に大きく「二十三供養」と陰刻 2
写真 東別府の供養塔道標 ひがしべっぷ 熊谷市 香林寺 石道標 高88㎝(うち、台石24㎝),
幅26㎝,厚19㎝
文化10(1813)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面)「西/深/谷」、(台石右面)「南/熊/谷」、(台石左面)「北/目/沼」/正面に「二十二夜待供羪」と陰刻 2
写真 妻沼の庚申塔道標 めぬま 熊谷市 (大塚)摩多利神社 石道標 高123㎝(うち、台石35㎝),
幅36㎝,厚22㎝
文化12(1815)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (台石正面右端)「右/□□□道」、(同左端)「左/本庄道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2
写真 小島の馬頭観音道標1 こじま 熊谷市 全昌寺 石道標(駒型) 高112㎝(うち、台石34㎝),
幅30㎝,厚20㎝
文化14(1817)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面)「東/くま加や/西/与りゐ/南/小川/北/めぬ未」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 上川上の庚申塔道標3 かみかわかみ 熊谷市 (前)観音堂 石道標(墓石型) 高154㎝(うち、台石72㎝),
幅37㎝,厚34㎝
文政元(1818)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/周辺環境不良 (上段台石右面中)「右/ぎやうた道」、(上段台石左面中)「左/か者ま多道」/正面に「庚申塔」と陰刻、上段台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 高本の馬頭観音道標 たかもと 熊谷市 和田吉野川(左岸)橋詰 石道標(自然石) 高79㎝,幅29㎝,厚22㎝ 文政2(1819)   大里村の石佛p70/WE
B(埼玉県の橋供養碑)
移設、集約 (左面下部)「右 松山/左 熊谷」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/上記の「高本の地蔵道標」と並ぶ 2
写真 代の馬頭観音道標1 だい 熊谷市 本代集会所 石道標 高113㎝(うち、塔身33㎝),41㎝角 文政3(1820)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面左隅)「東へ くす□□」(=葛和田)、(台石右面右隅)「西 りゐ」(=寄居)、(同左隅)「北 ふ可や」、(台石左面右隅)「南 くま可や」/正面に大きく「馬頭尊」と陰刻 2
写真 下奈良の馬頭観音道標 しもなら 熊谷市 薬師堂公園・脇 石道標(墓石型) 高121㎝(うち、塔身80㎝),
幅34㎝,厚31㎝
文政4(1821)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面)「西/目沼道」、(台石右面)「右/居道」(緑字は異体字)、(台石左面)「左/熊谷道」←台石はすべて上段/正面に「馬頭觀世音」、右面に「奉廻禮、西國/四國/秩父/坂東、百八十八箇處供羪塔」と陰刻 2
写真 広瀬の庚申塔道標 ひろせ 熊谷市 広瀬の三叉路 石道標 高129㎝(うち、台石36㎝),38㎝角 文政7(1824)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (台石右面右端)「右 八まん山」、(同左端)「左 ちゝ婦道」/正面に「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻/下記「広瀬の石橋供養塔」の向かい側 1
写真 久保島の馬頭観音道標 くぼじま 熊谷市 ゴルフ場・南東 石道標(駒型) 高81㎝(うち、台石12㎝),
幅33㎝,厚31㎝
文政7(1824)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/台石下部埋設 (台正面)「東 め怒ま/南 久未や/北 ふ加や/西 与りゐ」/正面に大きく「馬頭尊」と陰刻 1
写真 中奈良の供養塔道標 なかなら 熊谷市 地蔵堂 石道標(蒲鉾型) 高106㎝(うち、台石24㎝),
幅33㎝,厚19㎝
文政7(1824)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面左下隅)「南 くま加や」、(左面右下隅)「北 めぬま」/正面に「奉納、西國/坂東/秩父/四國、百八十八ヶ所供養塔」と陰刻 2
写真 久保島の庚申塔道標1 くぼじま 熊谷市 熊谷運動公園・北西端 石道標(尖頭角柱) 高93㎝(うち、台石18㎝),
幅28㎝,厚19㎝
文政7(1824)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面)「右 熊谷/向 小川/左 妻沼」/正面中央に「庚申塔」と陰刻/下記「久保島の聖観音像道標」と並ぶ 2
写真 三ヶ尻の馬頭観音道標 みかじり 熊谷市 大洋セメント・南東辻 石道標(板碑型) 高49㎝,幅24㎝,厚12㎝ 文政7(1824)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/置いてあるだけ (右面左下)「ふかや道」、(左面右下)「於里のくち道」(=折之口)/正面を枠だけ残して浅く削り込み「馬頭觀世音」と陰刻/上記「三ヶ尻の庚申塔道標2」と並ぶ 3 -
写真 広瀬の馬頭観音道標 ひろせ 熊谷市 広瀬の三叉路 石道標 高121㎝(うち、台石33㎝),
幅44㎝,厚40㎝
文政8(1825)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (台石右面右端)「右/婦可や/道」、(台石左面左端)「左/よ里ゐ/道」/正面に「馬頭尊」と陰刻/下記「広瀬の石橋供養塔」と並ぶ 1
写真 中西の馬頭観音道標 なかにし 熊谷市 県道128号・バス停脇 石道標(駒型) 高88㎝(うち、台石12㎝),
幅30㎝,厚20㎝
文政9(1826)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/木祠内 (左面)「羽生道」/正面に大きく「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 代の大黒天道標 だい 熊谷市 大幡小・東の辻 石道標(尖頭角柱) 高118㎝(うち、台石39㎝),
幅36㎝,厚38㎝
文政11(1828)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石左面右端)「南 くまかや」、(同左端)「北 めぬま」/正面に大きく「大黒天」と陰刻 2
写真 三ヶ尻の如意輪観音像道標 みかじり 熊谷市 (古家)幸安寺 石道標(舟型) 高117㎝(うち、台石31㎝),
幅36㎝,厚21㎝
文政11(1828)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面)「右/く/ま/か/や」、(台石左面左)「左/めぬま/く川わた」(=葛和田)/台石上に、四角の蓮台、その上に光背付きの如意輪観音の半跏坐像の陽刻を載せる 2
写真 上中条の庚申塔道標1 かみちゅうじょう 熊谷市 八幡神社 石道標(駒型) 高101㎝,幅25㎝,厚14㎝ 文政11(1828)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/正面がほとんど剥離/基部38㎝露出 (正面最下部右)「…ま/…く」、(同左)「…道」/正面に大きく「庚…」と陰刻 4 -
写真 小曽根の庚申塔道標 おぞね 熊谷市 玉井用水路・橋詰辻 石道標(墓石型) 高165㎝(うち、塔身88㎝),36㎝角 文政12(1829)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面中央の“三猿”の上)「く/ま/加/や」、(台石右面)「右/くす王」(=葛和田)、(台石左面)「左り/めぬま道」←すべて上段台石/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、上段台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 代の馬頭観音道標2 だい 熊谷市 大幡小・東 石道標(墓石型) 高219㎝(うち、塔身94㎝),
幅38㎝,厚37㎝
文政13(1830)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 墓地内 (台石右面右)「右/熊谷道」、(台石左面右)「左/めぬま道」←台石はすべて最上段/正面に大きく「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻/最上段・台石正面に“駆ける馬”の線刻/最下段の台石が基壇風の石組になっている 3
写真 原島の馬頭観音道標 はらじま 熊谷市 養平寺・参道 石道標(尖頭角柱) 高144㎝(うち、台石33㎝),
幅41㎝,厚40㎝
文政13(1830)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面)「北 く春"王/東 ぎやふ田/南 くま可"や/西 ふ加や」(=葛和田)/正面に大きく「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 三ヶ尻の如意輪観音道標 みかじり 熊谷市 (古家)幸安寺・東 石道標(尖頭角柱) 高140㎝(うち、台石29㎝),
幅43㎝,厚30㎝
文政13(1830)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/頂部一部欠損 (台石正面右端)「婦可や道」、(台石右面右端)「さやま/く王ん於ん」、(同中央)「ちゝ婦道」、(台石左面左)「於志き里/道」(=押切渡し場)/正面に「(梵字)如意輪観世音」と陰刻 2
写真 石原の馬頭観音道標 いしはら 熊谷市 東漸寺 石道標 高112㎝(うち、台石19㎝),35㎝角 文政13(1830)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石が半分埋設 (台石右面右端)「右/ち…/道」、(台石左面右端)「左/ふ…/…」/正面に「(梵字)馬頭観世音」と陰刻 3
写真 三ヶ尻の題目塔道標 みかじり 熊谷市 (宮島)延命寺 石道標(駒型) 高82㎝,幅22㎝,厚15㎝ 天保2(1831)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/中央で水平に折損→修復 (左面)「 可やミち/東南 をし渡し」/正面に「田中神社」と陰刻 3
写真 上奈良の馬頭観音道標 かみなら 熊谷市 東光寺・西 石道標(尖頭角柱) 高123㎝(うち、台石42㎝),
幅33㎝,厚24㎝
天保5(1834)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「右/村道」、(同左)「左/ふ可や/よりゐ」/正面に大きく「(梵字)馬頭尊」と陰刻 2
写真 池上の馬頭観音道標 いけがみ 熊谷市 県道128号・303号線の交差点・北 石道標(尖頭角柱) 高111㎝,幅35㎝,厚22㎝ 天保7(1836)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面最下部中央)「右 行田」、(同最下部右隅)「池上村」、(同最下部左隅)/熊谷道」、(右面最下部)「東 羽生道」、(左面最下部)「西 妻沼道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1
写真 中奈良の馬頭観音道標 なかなら 熊谷市 常楽寺・北 石道標 高85㎝(うち、台石19㎝),
幅27㎝,厚20㎝
天保7(1836)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (台石正面右)「右/目沼」、(同左)「左/尾志満」(=尾島)/正面に大きく「馬頭大士」と陰刻 1
写真 四方寺の題目塔道標 しほうじ 熊谷市 蓮華院・門前 石道標(尖頭角柱) 高63㎝,幅28㎝,厚22㎝ 天保8(1837)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、密集/刻字が磨耗 (左面上半分)「東 ぎよう田 者尓う/西 ふ加や よりゐ、道」(=羽生)、
(同下半分右)「南 く満がや」、(同下半分左)「北、たて者やし/小いづミ/あし加ゝ"」(=館林、小泉、足利)、(同最下端中央)「道」〔→写真参照〕/正面に「本尊大日如来」と陰刻
3
写真 石原の供養塔道標 いしはら 熊谷市 東漸寺 石道標 高65㎝(塔身),
幅27㎝,厚20㎝
天保9(1838)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (左面)「南 よりゐ道」/正面に「二十二夜待供養塔」と陰刻/下記「石原の題目塔道標」と並ぶ 2 -
写真 新堀新田の馬頭観音道標 にいぼりしんでん 熊谷市 地蔵堂 石道標(駒型) 高89㎝(うち、台石19㎝),
幅28㎝,厚21㎝
天保11(1840)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「…/与りゐ」、(同中央)「本り/ふ可や」、(同左)
「北ゟ東/く満可や」/正面に大きく「馬頭尊」と陰刻
2
写真 東別府の大黒天道標 ひがしべっぷ 熊谷市 東別府神社 石道標 高81㎝(うち、台石9㎝),
幅30㎝,厚25㎝
天保11(1840)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石下部埋設 (台石正面)「北/妻沼/道」、(台石右面左)「西/深谷/道」、(台石左面右)「南/熊谷/道」/正面に大きく「大黒天」と陰刻 2
写真 新川の供養塔道標 しんかわ 熊谷市 荒川河川敷
(旧・新川村墓地)
石道標 高73㎝(うち、台石11㎝),
幅30㎝,厚19㎝
天保11(1840)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面下部)「江戸道」、(左面下部)「のハ良/毛ん寿、道」(=野原文殊)/正面に「奉順禮、月山 坂東/湯殿山 西國/羽黒山 秩父、供養塔」と陰刻 2 -
写真 久下の馬頭観音道標 くげ 熊谷市 久下一里塚・跡地 石道標(墓石型) 高123㎝(うち、台石34㎝),
幅39㎝,厚38㎝
天保12(1841)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/道しるべ部分の台石埋没 (台石正面)「熊谷宿/吹上村/鴻巣宿」/正面に大きく「馬頭觀世音」と陰刻 4
写真 東別府の馬頭観音道標 ひがしべっぷ 熊谷市 東別府神社 石道標(墓石型) 高96㎝(うち、台石19㎝),
幅31㎝,厚24㎝
天保12(1841)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面左端)「南、熊谷/与里ゐ」(=寄居)、(台石右面左)「東、めぬ満/具づ王多」(=葛和田)、(台石左面右)「西、ふかや/中瀬」/正面に大きく「(梵時)馬頭尊」と陰刻 2
写真 久保島の庚申塔道標2 くぼじま 熊谷市 大光寺・東 石道標 高81㎝(うち、台石11㎝),
幅29㎝,厚24㎝
天保13(1842)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設→個人宅/台石下部埋設 (台石正面)「右/…/向/…/後/…/左/…」/正面下部に「庚申」と陰刻 4
写真 小江川の地蔵道標 おえがわ 熊谷市 (通殿)和田川(左岸) 石道標(舟型) 高106㎝(うち、台石24㎝),
幅38㎝,厚24㎝
弘化2(1845)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置 (台石正面右)「右 小川道」、(同左)「西 より以道」(=寄居)、(台石右面)「東 野原道」、(台石左面)「左 熊谷道」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 1
写真 石原の道標2
(ちちぶ道の石碑)
いしはら 熊谷市 <中山道・秩父往還> 石道標
(自然石、青石)
高169㎝,厚13㎝ 弘化4(1847) 県旧跡 市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 平成16移設 (正面)「寶登山道」、(正面最下部右)「是ヨリ/八里十五丁」/上記「石原の道標1」、下記「石原の道標3」と並ぶ 2
写真 久保島の題目塔道標 くぼじま 熊谷市 薬師堂・入口 石道標(笠付き) 高130㎝(うち、台石42㎝),34㎝角 弘化4(1847)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (台石右面左)「西 よりい/北 ふかや」、(台石左面右)「東 くまかや/南 をがわ」/正面を火灯窓型に深く削り込み、奥に「彌勒大菩薩」と刻字した小石板を安置 2
写真 上川上の庚申塔道標4 かみかわかみ 熊谷市 (前)観音堂・北 石道標(駒型) 高93㎝,幅36㎝,厚25㎝ 弘化4(1847)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/基部21㎝露出 (左面)「南 ぎやうだ/西 くまがや」、(裏面)「東/さかまきかし」/正面下部に“三猿”の陰刻、頂部に“日月”の線刻、その下に大きく梵字を陰刻 3 -
写真 拾六間の題目塔道標 じゅうろっけん 熊谷市 (後原)徳蔵寺・西、刀利天 石道標(墓石型) 高134㎝(うち、台石49㎝),36㎝角 嘉永元(1848)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面)「東/く満可や」、(台石右面)「北/めぬま」、(台石左面)「南/よりゐ」、(台石裏面)「西/ふ可や」/正面に大きく「山神」と陰刻 2
写真 葛和田の庚申塔道標2 くずわだ 熊谷市 神明宮 石道標 高89㎝,幅24㎝,厚15㎝ 嘉永元(1848)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面)「東 行田/北 加し道、(左面左)「西 めぬま道」/正面に「庚申塔」と陰刻/「弘化五戊申四月」→弘化5は2月28日に改元されているので間違い→嘉永元と書くべき 2
写真 箱田の馬頭観音道標1 はこだ 熊谷市 薬師堂 石道標(自然石) 高120㎝(うち、台石9㎝),
幅62㎝,厚14㎝
嘉永4(1851)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (正面右)「右、く須"王多/たハら勢/さかま起、加し道」(=葛和田、俵瀬)、(同左)「左、乃道/免ぬま 二り半」(=野道、妻沼)/正面中央に大きく「馬頭尊」と陰刻 2
写真 小島の馬頭観音道標2 こじま 熊谷市 (土井尻)
熊谷工高・北西、論面堂
石道標(墓石型) 高103㎝(うち、台石28㎝),
幅37㎝,厚35㎝
嘉永5(1852)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台正面右)「右/ふかや」、(同左)「八まん/左」(=八幡山)/正面に
「馬頭觀世音」と陰刻
2
写真 男沼の題目塔道標 おぬま 熊谷市 長勝寺・門前 石道標 高72㎝(うち、台石10㎝),
幅26㎝,厚19㎝
嘉永5(1852)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面左)「東 め怒満」(=妻沼)、(左面右)「□ □□/西 まゝ多、道」
(=間々田)/正面に「子待塔」と陰刻
3 -
写真 上中条の庚申塔道標2 かみちゅうじょう 熊谷市 観音寺 石道標(自然石) 高119㎝(うち、台石27㎝),
幅71㎝,厚13㎝
嘉永6(1853)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面中右)「東/は尓やう」(=羽生)、(同中左)「南/ぎやう多"」
(=行田)、(台左面)「西/め怒ま」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻
3
写真 上須戸の庚申塔道標 かみすど 熊谷市 福川(右岸)橋詰 石道標(駒型) 高166㎝(うち、台石47㎝),
幅47㎝,厚27㎝
嘉永7(1854)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石下部埋設 (台石左面右)「南 熊谷道」、(同中央)「北 妻沼道」、(同左)「東 葛和田」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 川原明戸の庚申塔道標 かわらあけと 熊谷市 明道寺 石道標 高92㎝(うち、台石11㎝),
幅33㎝,厚29㎝
安政3(1856)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石下部埋設 (台石正面)「西//居/道」(緑字は異体字)、(台石右面)「南/村/道」/正面に「庚申塔」と陰刻/上記「川原明戸の馬頭観音道標」と並ぶ 2
写真 久保島の聖観音像道標 くぼじま 熊谷市 熊谷運動公園・北西端 石道標(尖頭角柱) 高87㎝(うち、台石19㎝),
幅28㎝,厚21㎝
安政3(1856)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「右 熊谷」、(同中央)「北 目沼」、(同左)「左 居」(緑字は異体字)/正面頂部を円形に浅く削り込み、聖観音坐像を陽刻、像下に「供養塔」と陰刻/上記「久保島の庚申塔道標1」と並ぶ 2
写真 石原の題目塔道標 いしはら 熊谷市 東漸寺 石道標 高100㎝(うち、台石33㎝),
幅31㎝,厚27㎝
安政4(1857)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右端)「右 めぬま」、(同左端)「左 ふ可や」/頂部を円形に削り込み小さな馬頭観音坐像(一面二臂)?を陽刻、その下の「廿二夜塔」と陰刻/上記「石原の供養塔道標」と並ぶ 2
写真 石原の道標3
(ちちぶ道の石碑)
いしはら 熊谷市 <中山道・秩父往還> 石道標(八角柱) 高201㎝(うち、台石32㎝),幅32㎝ 安政5(1858) 県旧跡 市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 平成16移設 (正面)「秩/父、觀音順禮道」、(正面最下部)「一者ん四万部寺へ/たいらミち 十一里」/八角の正面2面を枠を残して平らに削り込み刻字/上記「石原の道標1・2」と並ぶ 2
写真 玉井の馬頭観音道標 たまい 熊谷市 (水押下)墓地 石道標(駒型) 高134㎝(うち、台石32㎝),
幅36㎝,厚24㎝
安政5(1858)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、密集 (台石右面右)「北/く春王多/めぬま」(=葛和田)、(台石左面右)「南/くま可や」、(同左)「西/ふかや」/正面に大きく「(梵字)馬頭觀世音大士」と陰刻/上記「題目塔道標」と並ぶ 3
写真 弥藤吾の道祖神道標 やとうご 熊谷市 斉藤塚 石道標(自然石) 高142㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面左)「左 熊谷道」/正面中央に「道祖神」と陰刻 1
写真 石原の題目塔道標2 いしわら 熊谷市 (坪井)国道140号・北
<秩父往還>
石道標(自然石) 高109㎝(うち、台石13㎝),
幅29㎝,厚19㎝
万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/台石上にCべた打ち (左面上)「めぬま」/正面に「塞神」と陰刻 1
写真 八ツ口の庚申塔道標 やつくち 熊谷市 日枝神社・前 石道標 高97㎝(うち、台石23㎝),
幅30㎝,厚28㎝
万延元(1860)   市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (右面)「東 ぎやう多"/南 くま可"や」、(左面)「西 めぬま/北 いいづミ」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
写真 拾六間の庚申塔道標3 じゅうろっけん 熊谷市 徳蔵寺 石道標(墓石型) 高96㎝(うち、台石27㎝),
幅29㎝,厚24㎝
万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面)「西 よりゐ」、(台石右面)「南 十六」、(台石左面)「北 めぬま」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻/上記「拾六間の庚申塔道標1」と並ぶ 2
写真 葛和田の馬頭観音道標2 くずわだ 熊谷市 大龍寺・不動堂 石道標 高51㎝,幅24㎝,厚18㎝ 文久元(1861)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石若干埋設 (左面)「西 めぬま/南 久満可や/北 あ可い王」(=群馬県赤岩)/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 3 -
写真 箱田の馬頭観音道標2 はこだ 熊谷市 薬師堂 石道標(自然石) 高107㎝(うち、台石15㎝),
幅46㎝,厚13㎝
文久2(1862)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右)「右 めぬま」、(同左)「左、ふ加や/よりゐ」/正面中央に大きく「馬頭尊」と陰刻 2
写真 押切の題目塔道標 おしきり 熊谷市 荒川(右岸)橋詰・押切橋 石道標 高86㎝(うち、台石19㎝),
幅25㎝,厚18㎝
文久2(1862)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/摩耗が進行 (正面右下隅)「右 よりゐ」、(同左下隅)「左 小川」/正面上半分に像容(判別不能)、その下に「二十二夜」と陰刻 3
写真 代の馬頭観音道標3 だい 熊谷市