埼玉県

写真 名称 ふりがな 区市町村 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
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越谷市


これ以前は、埼玉県1
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写真 小沼の石尊常夜灯1 こぬま 坂戸市 (熊野) 石常夜灯   文政9(1826)   坂戸市史・民俗編p599
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/笠一部欠損、火袋なし、正面最下部が剥離→刻字喪失 (竿正面)「奉獻石尊大権現、…/小天狗、…」、(竿裏面)「奉納大青面金剛」/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 4 -
写真 上吉田の石尊常夜灯 かみよしだ 坂戸市 (田端) 石常夜灯   文政13(1830)   坂戸市史・民俗編p589
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?→修景 (竿正面)「雨降山」、(上段台石正面)「御寚」(緑字は異体字)/中台正面に竜の浮彫/丸みを帯びた火袋/石基壇/同上 2
写真 小沼の石尊常夜灯2 こぬま 坂戸市 (後谷) 石常夜灯   天保9(1838)   坂戸市史・民俗編p589
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/火袋後補 (竿正面)「奉/納、大山石尊大権現、大天狗/小天狗、御寶前」/同上 2
写真 元町の道標 もと 坂戸市 坂戸小学校・前
<日光往還>
石道標   宝暦10(1760)   坂戸市史・民俗編p618
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 or 再設置 (正面)「左、日光道」、(正面左に小さく)「松山道」、(右面)「右 よしミみち」(=坂東11番・安楽寺吉見観音) 2
写真 多和目の馬頭観音像道標 たわめ 坂戸市 天神社・多和目集会所 石道標(駒型) 高90㎝(うち、台石18㎝),
幅36㎝,厚21㎝
明和9(1772)   WEB(鎌倉街道上道) 移設? (台石正面右端)「北/越生道」、(同左端)「南/入間道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、剣、輪宝、斧、数珠〕、蓮台)を陽刻 2
写真 多和目の六地蔵道標 たわめ 坂戸市 (坂上) 石道標(笠付き)   文化13(1816)   坂戸市史・民俗編p619
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易祠内 (台石正面)「南 扇町屋 藤沢/西 こ満 者んのふ道/北 越生 小川道)/正面、右左の3面上部3分の2を枠を残して削り込み、地蔵立像を2体ずつ陽刻 2
  塚越の道標 つかごし 坂戸市 (南馬場) 石道標(尖頭角柱)   安政6(1859)   坂戸市史・民俗編p619 原位置? (正面)「大宮住吉大明神/東 五町」、(右面左下)「川越へ 二里」 1
写真 沢木の馬頭観音道標 さわき 坂戸市   石道標   文久元(1861)   坂戸市史・民俗編p618
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/刻字判読困難 (台石右面)「東、坂戸/川越」、(台石左面)「西、今宿/越生」/正面に「馬頭尊」と陰刻 2 -
写真 東和田の石橋供養塔1 ひがしわだ 坂戸市 葛川(左岸) 石碑(笠付き) 高210㎝,40㎝角 享保年間(1716-36)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「橋供養塔」/正面を火灯窓型に削り込み刻字、頂部に唐破風を付けた笠と宝珠を載せる/最下部に蓮の花の陽刻 1
写真 東和田の石橋供養塔2 ひがしわだ 坂戸市 東和田集会所 石碑 高126㎝,幅33㎝,厚20㎝ 享保10(1725)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「(梵字)橋供養塔」/正面を枠だけ残し浅く削り込んで刻字/集会所の脇に石橋の石材が残る 2
写真 北浅羽の石橋供養塔 きたあさば 坂戸市 越辺川(右岸) 石碑(駒型) 高62㎝,幅30㎝,厚16㎝ 享保10(1725)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「(梵字)馬頭觀世音石橋供羪塔」/正面を枠だけ残し浅く削り込んで刻字 1 -
写真 北峰の石橋供養塔 きたみね 坂戸市 葛川(左岸) 石碑   宝暦4(1754) 市史跡 WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 原位置?/木祠内 (正面像右)「石橋供養塔」/正面中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)を陽刻 1
  泉町の石橋供養塔 いずみ 坂戸市 葛川(左岸) 石碑 高96㎝,幅38㎝,厚21㎝ 宝暦6(1756)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設(200m) (正面像右)「橋建立成就所」/正面中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
写真 中里の石橋供養塔 なかざと 坂戸市   石碑(丸彫) 高130㎝,幅25㎝ 宝暦13(1763)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/祠内→供養塔の根拠となる台石が祠の構造上、目視困難 (台石正面)「橋供羪」/台石上に地蔵立像(錫杖)の精巧な丸彫を載せる 3
写真 赤尾の石橋供養塔 あかお 坂戸市 白山神社 石碑(駒型、青石) 高123㎝,幅43㎝,厚12㎝ 安永5(1776)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面右下)「石橋供養塔」/正面中央に8個の梵字を配した特異な碑文 2
写真 萱方の石橋供養塔 かやがた 坂戸市 萱方加仁集会所 石碑(丸彫) 高110㎝ 安永6(1777)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設?、集約 (台石正面)「石橋供養」/台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 今西の石橋供養塔 いまにし 坂戸市 越辺川(右岸) 石碑(道標兼) 高67㎝,幅18㎝,厚15㎝ 安永6(1777)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/坂戸市史・民俗Ⅱp324 原位置 (正面)「奉建立石橋供養塔」、(正面左側)「東 坂戸道」、(右面)「北 □□んおん道」、(左面)「南 八王じ道」、(裏面)「西 小川道」 1 -
写真 紺屋の石橋供養塔 こうや 坂戸市 大谷川(左岸) 石碑   安永6(1777)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「(梵字)橋供養塔」/右左面に「助力村々」として10の村名が刻字 1
写真 多和目の石橋供養塔 たわめ 坂戸市 高麗川ふるさと遊歩道 石碑(丸彫) 高108㎝(うち、台石46㎝) 寛政6(1794)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設?/薄い石板は後年の設置 (台石正面)「(梵字)石橋供養」(梵字は地蔵菩薩を示す“カ”)/台石上に馬頭観音坐像(一面二臂〔馬頭冠、馬口印〕、蓮台)の丸彫を載せる/石碑の直正面に「(梵字)」を刻字した薄い石板を置く(梵字は釈迦如来を示す“バク”) 2
写真 塚崎の石橋供養塔 つかさき 坂戸市 中里用水土地改良区・ポンプ場脇 石碑 高54㎝,幅22㎝,厚13㎝ 文化3(1806)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設→台石C化 (正面像下)「石橋」/正面上半分に馬頭観音坐像(一面二臂)の浮彫 3
写真 惣新田の不動明王像道標 そうしんでん 幸手市 受楽庵 石道標(丸彫) 高123㎝(うち台石2段81㎝),幅30㎝,厚20㎝ 正徳4(1714)   幸手の石造物3p99/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約/簡易屋根付き (正面)「東 庄内道」、(右面)「北 関宿道」、(左面)「西 幸手道」/頂部に不動明王坐像(剣と羂索、背景に迦楼羅焔)の丸彫を載せる 2
  惣新田の庚申塔道標 そうしんでん 幸手市 芝原庵 石道標(駒型) 高128㎝,幅50㎝,厚31㎝ 享保16(1731)   幸手の石造物3p107 移設 (右面)「従是、東 寳殊花/南 粕/西 幸手/北 関宿、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
  千塚の道標 ちづか 幸手市 (香取) 石道標(駒型) 高65㎝,幅25㎝,厚15㎝ 享保17(1732)   幸手の石造物4p131 原位置 (正面)「右え さつてミち」、(右面)「これより 江戸道」 1 -
  下川崎の地蔵道標 しもかわさき 幸手市 (道口耕地) 石道標(丸彫) 高143㎝,幅32㎝,厚19㎝ 寛延2(1749)   幸手の石造物4p296 原位置、木祠内 (台石正面左端)「きさい道」、(台石右面)「江戸道」、(台石左面)「者にう道」、(台石裏面)「さつて道」/台石上に地蔵立像の丸彫を載せる 1
  下吉羽の供養塔道標 しもよしば 幸手市 香取神社 石道標 高55㎝,幅15㎝,厚13㎝ 明和8(1771)   幸手の石造物2p64 移設 (右面)「右 せきやど道」、(左面)「左 さつて道」/正面に「(梵字)普門品供養」と陰刻 2 -
  中の道標 なか 幸手市 妙観院 石道標 高88㎝,幅27㎝,厚16㎝ 安永2(1773)   幸手の石造物1p208 移設、集約 (正面)「砂利道□□」、(右面)「右、かそ/わしの宮、道」、(左面)「左、きさい/くき、道」 3
写真 外国府間の地蔵道標 そとごうま 幸手市 (宮下)
<日光街道・筑波街道>
石道標(蒲鉾型) 高132㎝,幅34㎝,厚22㎝ 安永4(1775) 市史跡 WEB(埼玉県の橋供養碑)/幸手の石造物4p263 原位置 (正面像下)「右 徒くば道」、(右面下部)「東、川徒ま道前/まい者やし道」、(左面下部)「左 日光道」/正面上部を平らに削り込んで地蔵の半跏坐像(光輪、錫杖、蓮台)を陽刻 1
  北の馬頭観音道標
(日光街道道しるべ)
きた 幸手市 正福寺<日光街道> 石道標 高189㎝,幅54㎝,厚53㎝ 寛政12(1800)   幸手の石造物4p54 移設 (右面)「右 ごんげんどうかし」、(左面)「左 日光道中」/正面に「馬頭觀世音供養」と陰刻 2
  戸島の供養塔道標 としま 幸手市 正明院 石道標   寛政13(1801)   埼葛の道しるべp7 移設 (裏面)「安戸村観音寺道 法六丁/平須賀村宝聖寺道 法り廿丁」/正面に「弘法大師八十八箇所供養塔」と陰刻 2  
  神明内の如意輪観音像道標 しんめいうち 幸手市   石道標(丸彫) 高144㎝,幅37㎝,厚34㎝ 文化4(1807)   幸手の石造物5p88 原位置?、簡易祠内 (台石正面)「南 杉…」、(台石左面)「西 …」、(台石裏面)「北 ごんげん…/是より十七」/正面像下には十九夜供養に関わる歌が複数刻字/頂部に如意輪観音の半跏坐像(光輪、蓮台)の丸彫を載せる 1
  西関宿の供養塔道標 にしせきやど 幸手市 浅間神社 石道標(尖頭角柱) 高210㎝,幅36㎝,厚21㎝ 文化14(1817)   幸手の石造物2p278 移設 (左面)「從是、七拾八番 四ツ谷 蓮花院江 裏通三丁/七拾七番 中新田村 香取庵江 拾三丁/七拾九番 中嶋村 觀音庵江 弐丁」/正面に「四國四拾番奥院篠寫觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 上高野の馬頭観音道標 かみたかの 幸手市 (慶作前)<御成街道> 石道標(尖頭角柱) 高146㎝(うち、台石43㎝),
幅45㎝,厚43㎝
文化14(1817) 市史跡 WEB(埼玉県の橋供養碑)/幸手の石造物6p278 移設 (右面)「西、く起/志よう婦/かず、道」、(左面)「右 日光/左 い王つき、道」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 千塚の馬頭観音道標 ちづか 幸手市 県道152号・脇 石道標(尖頭角柱) 高106㎝(うち、台石16㎝),
幅24㎝,厚21㎝
文政6(1823)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/幸手の石造物4p103 移設 (右面)「東 ごんげんどうみち」、(左面)「北 新井 ふなとみち」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
  北の庚申塔道標 きた 幸手市 (1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高98㎝,31㎝角 天保10(1839)   幸手の石造物1p167 移設、集約 (台石右面)「右、古ん个んとう/せきやと」、(台石左面)「左、王しのミヤ/カス」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
  中川崎の馬頭観音道標 なかかわさき 幸手市 (屋敷前) 石道標(尖頭角柱) 高142㎝,幅37㎝,厚36㎝ 天保12(1841)   幸手の石造物4p284 移設 (台石正面)「南、江戸道 十二り/すぎと 一り半/いわつき/四り八丁/ちんくうち/十二丁」、(台石右面)「東、さつて/十五丁/こんけんとう/三十丁/せきやと/二り/ほうしはな/三り一五丁」、(台石左面)「西、わしのミや/一り八丁/久き/一り/志ようぶ/二り廿丁/きさい/三り/か須/二り半」、(台石裏面)「北、とうはし/一り廿丁/さわ/二り半/大こし/四り/たてはやし/七り」/正面に「馬頭觀卋音」と陰刻 2
  平須賀の供養塔道標 ひらすか 幸手市 宝聖寺 石道標 高95㎝,幅26㎝,厚21㎝ 弘化3(1846)   幸手の石造物6p196 移設 (右面左)「天神嶌村滿福寺 十四丁」、(左面)「遠野村無量院 十二丁/上戸村正明院 十丁」/正面に「弘法大師八十八箇所之内/案内石三ヶ所供養塔」と陰刻 2
  槇野地の馬頭観音道標 まきのじ 幸手市 子の権現 石道標 高65㎝,幅33㎝,厚24㎝ 弘化4(1847)   幸手の石造物2p222 移設 (右面)「東 當所 かし道」、(左面)「南 ほうしはな/北 せきやと」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
  天神島の馬頭観音道標 てんじんしま 幸手市 天王神社 石道標(自然石) 高82㎝,幅66㎝,厚9㎝ 嘉永4(1851)   幸手の石造物6p143 移設 (正面右下隅)「南 (すぎと 一里半/たかのミち)/向 さつて 十丁/東 ほう志ゆ花 二里半」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻 2
  惣新田の馬頭観音道標 そうしんでん 幸手市   石道標   安政6(1859)   埼葛の道しるべp8 移設→個人宅 (正面○○)「向へ すきと」、(右面)「南 かすかへ」、(左面)「東 ほう志者な」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 4  
  上高野の如意輪観音像道標 かみたかの 幸手市 (菩薩前) 石道標(尖頭角柱) 高120㎝,幅27㎝,厚28㎝ 元治元(1864)   幸手の石造物6p312 原位置 (台石右面)「北 幸手宿」、(台石左面)「南 杉戸宿」/正面上部を光背型に削り込み小さな如意輪観音座像を陽刻、その下に「如意輪觀卋音」と陰刻 1
  木立の供養塔道標 きだち 幸手市 清光院 石道標(尖頭角柱) 高146㎝,34㎝角 慶応2(1866)   幸手の石造物5p23 移設 (台石右面右)「(袖付き右指差し)せきやと」、(同左)「(袖付き左指差し)さつて」/正面に「十九夜供養塔」と陰刻 2
写真 吉野の石橋供養塔1 よしの 幸手市 三光院 石碑(道標兼) 高113㎝,幅33㎝,厚22㎝ 弘化5(1848)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/幸手の石造物6p87 移設 (正面)「石橋貮ヶ所供養塔」、(正面右側)「向 すきと」、(同左側)「向 たかの」、(右面)「此方、せきやど/ほうしばな」、(左面)「此方 さつて」/下記の供養塔2と並ぶ 2
写真 吉野の石橋供養塔2 よしの 幸手市 三光院 石碑 高103㎝,幅40㎝,厚26㎝ 嘉永4(1851)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/幸手の石造物6p87 移設 (正面)「石橋二ヶ所供養塔」/上記の供養塔1と並ぶ 2
写真 葛西用水 かさい 幸手市・他 羽生市→加須市→久喜市→幸手市→杉戸町→春日部市→越谷市→草加市→八潮市 用水路 総延長70㎞ 万治3(1660) 疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修 見沼代用水とならび、江戸期を代表する大用水/徳川幕府の天領開発策の一貫(幸手領の用水路)として、関東郡代・伊奈忠克により構築/旧利根川筋(会の川と大落古利根川)の河道を利用し、複数の溜井を連結した用水形態(用排水兼用)/幹線水路の水管理や修築は、勘定奉行所の所管(幕府直轄)/用水体系が確立したのは享保4(1719) 4
写真 琵琶溜井 びわ、ためい 幸手市・久喜市   用水+溜池   万治3(1660)   WEB 昭和37、平成14年に改修/周辺宅地化 関東郡代・伊奈忠克により葛西用水路が整備された際に設けられた溜井 3
写真 権現堂堤 ごんげんどう 幸手市 中川(右岸)<権現堂川> 土堤防 長1.06㎞,高3m
(江戸期の旧権現堂川)
天正2(1574) or
天正4(1576)
市名勝 市教委(幸手市史・通史Ⅰp360-361)/WEB(関東地方の川) 内務省直轄事業により昭和3(1928)に廃川 江戸時代、中条堤と並んで利根川治水の最重要施設(権現堂堤が決壊すると被害は江戸市中にまで波及した)/現在は桜の名所
2
写真 狭山市・所沢市境界の鎌倉街道堀兼道二本並行道   狭山市・所沢市 <鎌倉街道上道・堀兼道
(推定ルート)>
道路 長約1.5㎞ 鎌倉時代?   WEB(鎌倉街道上道)
/歴史の道1p30
両側に雑木林が続き古道の面影を残す 堀兼道は、現・所沢市の所沢中学校・東で上道と分かれ、狭山市堀兼方面に向かう鎌倉街道上道の主要な枝道/2本の並行した道:東側の舗装道から約15-20m離れた西側に2-5mほどの幅の土道が約1.2㎞続く 2
写真 加佐志の鎌倉街道堀兼道・跡 かざし 狭山市 <鎌倉街道上道・堀兼道
(推定ルート)>
道路(切通し) 幅2m,深2m 鎌倉時代?   WEB(鎌倉街道上道)
/歴史の道1p32
全体として旧状をよく留める 堀兼道は、現・所沢市の所沢中学校・東で上道と分かれ、狭山市堀兼方面に向かう鎌倉街道上道の主要な枝道 2
写真 かまくらんち北の鎌倉街道堀兼道・跡   狭山市 <鎌倉街道上道・堀兼道
(推定ルート)>
道路(掘割状遺構) 長45m,幅4m,深1m 鎌倉時代?   WEB(鎌倉街道上道)
/歴史の道1p31
雑木で覆われ、雰囲気が失われつつある 堀兼道は、現・所沢市の所沢中学校・東で上道と分かれ、狭山市堀兼方面に向かう鎌倉街道上道の主要な枝道 4
写真 柏原の石尊常夜灯
(大山灯籠)
かしわばら 狭山市   石常夜灯(自然石) 高1.8m 文政13(1830)   現地解説板/WEB(鎌倉街道上道) 移設 (竿正面)「奉納石尊大権現」/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 2
写真 上赤坂の弁財天像道標 かみあかさか 狭山市   石道標(駒型) 高147㎝(うち、台 石17㎝),
幅52㎝,厚35㎝
元禄13(1700)   狭山市史・民俗編p518
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/下部埋設 (台石正面右端)「これより/中山 者ん…」(=飯能)、(同中央)「中能道 大目」(=中の道)、(同左端)「左ハ 武蔵…/所沢」/正面全面に弁財天坐像を陽刻 3
写真 入間川の地蔵道標1 いるまがわ 狭山市 市立博物館(稲荷山公園) 石道標(舟型)   元禄14(1701)   狭山市史・民俗編p783
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (光背最下部蓮台右端)「右ハ おうぎ町や通」、(同左端)「左ハ ふ志さ王通」(=藤沢)/光背中央に地蔵立像(錫杖)の陽刻/下記「入間川の題目塔道標」と同所 3
写真 入間川の地蔵道標2 いるまがわ 狭山市 慈願寺 石道標(丸彫) 高164㎝(うち、台石27㎝),幅34㎝,厚23㎝ 元禄15(1702)   狭山市史・民俗編p624
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/C祠内/正面に鉄柵/信仰の対象 (敷茄子正面)「右 藤沢道/左 江戸道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 2
写真 中新田の地蔵道標 なかしんでん 狭山市 愛宕神社 石道標(舟型) 高95㎝(うち、台石22㎝),
幅45㎝,厚30㎝
宝永7(1710)   狭山市史・民俗編p728
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/台石の刻字判読困難 (台石正面中央)「從是」、(同右)「右 志んか志みち/左 川こいみち」、(同左)「南 まちや/西 いるま川」/光背中央に地蔵立像(錫杖)の陽刻 3
写真 中新田の馬頭観音像道標 なかしんでん 狭山市 中新田バス停付近・
三叉路
石道標(駒型) 高72㎝,幅38㎝,厚26㎝ 享保9(1724)   狭山市史・民俗編p782
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/下部埋設/像容磨耗 (正面最下部)「南、箱根/崎口」/正面に馬頭観音立像(一面六臂)の浮彫 2
写真 狭山の題目塔道標 さやま 狭山市 田中共同墓地 石道標 高134㎝(うち、台石25㎝),
幅37㎝,厚24㎝
延享元(1744)   狭山市史・民俗編p782
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面枠右下隅)「右 志んかし」、(同左下隅)「左 か王こへ」/正面を枠だけ残して火灯窓型に浅く削り込み「(梵字)南無觀世音菩薩」と陰刻 3
写真 入間川の題目塔道標 いるまがわ 狭山市 市立博物館(稲荷山公園) 石道標   宝暦3(1753)   狭山市史・民俗編p783
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、展示 (正面右)「是より右 者んのふみち」、(同左)「左 大山 八王子みち」/正面中央に「南無地蔵大菩薩」と陰刻/上記「入間川の地蔵道標1」と同所 3 -
写真 下奥富の道標
(生越道道標)
しもおくどみ
(せごし)
狭山市 新狭山駅入口交差点近く 石道標 高172㎝(うち、台石32㎝),
幅37㎝,厚25.5㎝
寛政2(1790) 市史跡 市教委/WEB/WEB(鎌倉街道上道) 原位置 (正面)「西」、(同右端)「」扇町谷 一り半 八王子 拾八り」、(右面)「南 三ツ木□□村 武蔵野道」、(左面)「北 下奥富入口 并 柏原生越道]、(裏面)「東」、(同右端)「川越 一り半」/正面中央右に「武蔵野は 西も東もわからねど 南に北 みちしるべかな」と陰刻/頂部に装飾的浮彫 1
写真 柏原の地蔵道標
(霊場巡拝供養塔)
かしわばら 狭山市 永代寺 石道標(丸彫) 高145㎝(うち、台石2段55㎝),幅25㎝,厚17㎝ 寛政3(1791)   狭山市史・民俗編p784
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/頭部損傷 (上段台石正面右)「右 ま戸者"」(=的場)、(同左)「左 さかと」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる、上段台石正面中央に「塲巡禮供養」(緑字は異体字)と陰刻 3
写真 下奥富の題目塔道標 しもおくどみ 狭山市   石道標(尖頭角柱) 高110㎝,幅33㎝ 寛政5(1793)   狭山市史・民俗編p785
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面)「右、はんのふ/子ノごんげん、みち」、(左面)「左 大山道」/正面中央に「(梵字)南無阿彌陀佛」と陰刻 1
写真 柏原の馬頭観音像道標 かしわばら 狭山市 上宿バス停前 石道標(駒型) 高93㎝,幅26㎝ 寛政8(1796)   狭山の石仏p84/WEB(鎌倉街道上道) 移設(自然石をCで固めた台石上) (正面像下右)「右 大田ヶ谷」、(同左)「左 坂戸道」/正面頂部に馬頭観音坐像(一面二臂)の浮彫 2
写真 東三ツ木の馬頭観音道標 ひがしみつぎ 狭山市 天理教分教会・付近 石道標   文化5(1808)?   狭山市史・民俗編p790
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、放置 (右面)「右 志ん加しみち」、(左面)「左 か王古へ」(=川越)/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻/建立年:「□□五戊辰歳」→可能性は貞享5(1688)、延享5(1748)、文化5(1808)だが、埼玉県で1688年の道標の可能性はほぼゼロ、馬頭観音の文字塔なので99%の確率で文化5の建立 3 -
写真 青柳の馬頭観音像道標 あおやぎ 狭山市 新屋敷バス停付近・東 石道標(舟型) 高73㎝(うち、台石14.5㎝),幅30㎝,厚18㎝ 文化6(1809)   狭山市史・民俗編p785
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (右面)「右 か王ごへみち」、(左面)「左 をごせみち」/光背中央に馬頭観音立像(一面二臂)を陽刻 2
写真 青柳の馬頭観音道標 あおやぎ 狭山市   石道標(尖頭角柱) 高63㎝,幅25.5㎝,厚18㎝ 文化8(1811)   狭山市史・民俗編p786
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→個人宅/台石更新(当初形態不明) (右面左)「此方 阿ふき 町谷みち」/正面に「(梵字)馬頭觀世音菩薩」と陰刻 4 -
  柏原の馬頭観音道標 かしわばら 狭山市   石道標   文政9(1826)   狭山市史・民俗編p787 移設→個人宅 (右面)「右 亀井道」、(左面)「左 安比奈道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 4  
写真 堀兼の馬頭観音道標 ほりがね 狭山市 西武フラワーヒル北・
十字路
石道標 高76㎝,幅31㎝,厚20㎝ 文政10(1827)   狭山市史・民俗編p786
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面最下部右)「東 古市場」、(同左)「道」、(右面左)「北 川越道」、(左面)「南、所澤/江戸、道」、(裏面)「西、八王子/三ヶ嶋、道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 北入曽の馬頭観音道標 きたいりそ 狭山市 下新田共同墓地 石道標 高61㎝,幅27㎝,厚20㎝ 天保9(1838)   狭山市史・民俗編p787
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/頂部損傷 (裏面)「右 新可し/左 川古へ、道」/正面に「馬頭観世音」と陰刻 3 -
写真 水野の地蔵道標 みずの 狭山市   石道標(丸彫) 高97㎝(うち、台石38㎝),幅24㎝ 弘化3(1846)   狭山の石仏p85/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (台石正面左端)「東 新かし 川ごへ道」、(台石右面左端)「北 扇町屋ミち」、(台石左面左端)「南 ミかじま道」、(台石裏面左端)「西 青梅みたけ道」/台石上に地蔵立像の丸彫を載せる 2
写真 中新田の題目塔道標 なかしんでん 狭山市 愛宕神社 石道標(墓石型) 高190㎝(うち、台石78㎝),
幅54㎝,厚54㎝
安政3(1856)   狭山市史・民俗編p788
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/下部埋設(道しるべの刻字下半分見えず) (下段台石右面)「此方/志ん□□/於□□」(=新河岸、大宮)、(下段台石左面)「(左指差し)此方/入間川/はん能」(=飯能)、(下段台石裏面右)「右/ほり加祢/八王うし/まちや/あを」(=堀兼の井、八王子)、(同左)「左/川古/ま川/熊ヶ谷」(=川越、松山)/正面に「觀世音菩薩」と陰刻 3
写真 水野の庚申塔道標 みずの 狭山市 水野郵便局・付近 石道標 高128㎝(うち、台石31㎝),
幅37㎝,厚35㎝
元治元(1864)   狭山市史・民俗編p613
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石右面)「此方/青梅三ち/御嶽山道」、(台石左面)「此方/三ヶ嶌道/山口/観音三ち」/正面に「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿(三番叟)”の陽刻/塔身最下部が猫脚→道標としては極めて稀 1
写真 笹井の地蔵道標 ささい 狭山市 笹井小学校・北西600m 石道標(舟型)

高83㎝(うち、台石10㎝),幅38㎝,厚19㎝

江戸期   狭山市史・民俗編p791
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/簡易祠内/光背上部の損傷大、左下の道しる部も欠損 (光背右下隅)「右わ、中山道/ちゝぶ道」、(光背左下隅)「左わ、者んのう/…」/光背中央に地蔵立像(錫杖)の陽刻/建立年:「戌十月吉日」→恐らく「庚戌」→その場合の可能性は享保15(1730)、寛政2(1790)、嘉永3(1850)、明治43(1910)→像容の風化具合から明治43の可能性はほぼゼロだが、他の3つの可能性は特定できないので江戸期と記載 3
写真 青柳の橋供養塔 あおやぎ 狭山市 狭山博愛病院・付近 石碑(丸彫) 高139㎝(うち、台石3段71㎝),幅22㎝ 享保14(1729)   狭山市史・民俗編p567
/WEB(鎌倉街道上道)
下段台石は明治5の追加/地蔵立像が90度右回転 (上段台石正面)「奉建立橋供羪」、(上段台石右面)「助力當村組中/助力加佐志村中」、(上段台石左面)「馬知屋鋪組中/助力當村丸山組中/新屋鋪組中」/上段台石上に地蔵立像の丸彫を載せる 3
写真 奥富の石橋供養塔 おくどみ 狭山市 奥富神社・脇 石碑(尖頭角柱) 高76㎝,幅24㎝,厚20㎝ 享保16(1731)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (左面)「奉 懸石橋兩所」/正面を火灯窓型に浅く削り込み「(梵字)奉納大乘妙典六十六部回國」と陰刻 3 -
写真 堀兼の石橋供養塔 ほりがね 狭山市 光英寺 石碑(舟型) 高80㎝,幅38㎝ 享保18(1733)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (光背右側)「奉納石橋供養塔」/光背中央に聖観音立像を陽刻 3
写真 東三ツ木の石橋供養塔 ひがしみつぎ 狭山市 久保田川沿い 石碑(舟型)   寛延3(1750)   狭山市史・民俗編p568
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/像容摩耗/下部埋設 (光背右側)「(梵字)石橋供養塔」/光背中央に地蔵立像(錫杖)の陽刻 2 -
写真 下奥富の石橋供養塔 しもおくどみ 狭山市 前田集会所 石碑(舟型) 高77㎝,幅34㎝ 宝暦14(1764)   狭山市史・民俗編p568
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
移設(置いてあるだけ)、集約 (右面)「奉建立石橋供養塔」/光背中央に馬頭観音立像(三.面六臂)を陽刻 3
写真 北入曽の石橋供養塔1 きたいりそ 狭山市 入曽橋・左岸橋詰 石碑 高93㎝,幅36㎝ 寛保2(1766)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面像下)「奉建立橋念仏供養塔」/頂部に小さく勢至観音座像を陽刻 2
  北入曽の石橋供養塔2 きたいりそ 狭山市 山王中学校・付近 石碑   明和6(1769)   狭山市史・民俗編p569 所在不明 (正面)「(梵字)奉造立石橋供養塔」、(右面)「堀金村念佛講中/橋石一本」 5  
写真 南入曽の石橋供養塔1 みなみいりそ 狭山市 不老橋・脇 石碑(駒型)   明和7(1770)   狭山市史・民俗編p569
/WEB(鎌倉街道上道)
  (正面)「(梵字)石橋造立供養塔」、(左面)「願主/南入曽村中/助力/近村中」   -
写真 柏原の石橋供養塔1 かしわばら 狭山市 入間川(左岸)<奥州道> 石碑(尖頭角柱、道標兼) 高76㎝,幅30㎝ 安永3(1774)   狭山市史・民俗編p570
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
原位置? (正面)「(梵字)石橋供養」、(正面右側)「西 八王うし道」、(右面)「南 江戸道」、(左面中央)「北 小川道」、(裏面)「東 川こへみち」 1
写真 青柳の石橋供養塔 あおやぎ 狭山市 丸山農民センター 石碑 高57㎝,幅28㎝ 安永3(1774)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設(C台石) (正面右上)「石橋建立」/正面中央に聖観音立像を陽刻 2
写真 入間川の石橋供養塔 いるまがわ 狭山市 菅原橋・左岸橋詰 石碑 高90㎝,39㎝角 安永10(1781)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設(塔身、台石ともC接合) (正面)「石橋供養塔」/正面頂部に小さく馬頭観音坐像(一面二臂)を浮彫 2
写真 加佐志の石橋供養塔 かざし 狭山市 加佐志墓苑 石碑(丸彫) 高105㎝ 安永10(1781)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 墓地内、集約 (台石正面)「石橋供羪」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 南入曽の石橋供養塔2 みなみいりそ 狭山市 金剛院 石碑
(駒型、道標兼)
高110㎝,幅36㎝,厚23㎝ 天明3(1783)   WEB(鎌倉街道上道) 移設? (正面)「(梵字)石橋四所供養塔」、(正面最下部右)「此方」、(同左)「川こへミち」、(右面最下部右)「此方 入間川道」、(左面)「此方 江戸道」、(裏面最下部右)「此方、あふめ/八王うじ、ミち」、(同左)「此方 あふき町やミち」/正面左に「工安全」→珍しい 2
写真 中新田の石橋供養塔 なかしんでん 狭山市 不老川(左岸) 石碑(道標兼) 高72㎝,33㎝角 寛政3(1791)   狭山市史・民俗編p784
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
移設?、集約/正面の風化が進む (正面)「石橋供養塔」、(右面)「右、あふめ/八王子、道」、(左面)「左、所さハ/ふちう、道」 2 -
写真 上奥富の石橋供養塔 かみおくどみ 狭山市 赤間川(右岸) 石碑 高91㎝,幅37㎝ 寛政5(1793)   狭山市史・民俗編p571
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
移設→個人宅(Cブロック塀ごしに上部が見える) (正面)「(梵字)石橋供羪碑」 3 -
写真 柏原の石橋供養塔2 かしわばら 狭山市 長源寺 石碑 高138㎝(塔身のみ),幅36㎝,厚21.5㎝ 天保7(1836)   狭山市史・民俗編p548
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「二十三夜塔」、(その下に小さく)「德大勢至菩薩/石橋十一ヶ所建立」/頂部に大きな“月と瑞雲”の陽刻 2
写真 南入曽の敷石供養塔 みなみいりそ 狭山市 金剛院 石碑 高97㎝(うち、台石21㎝),
幅30㎝,厚31㎝
天保3(1832)   狭山市史・民俗編p571
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「敷石供養塔」、(左面)「助力/近村中」 2
写真 上奥富の敷石供養塔 かみおくどみ 狭山市 梅宮神社・前 石碑(墓石型) 高178㎝(うち、台石72㎝),
幅48㎝,厚48㎝
天保12(1841)   狭山市史・民俗編p572
/WEB(鎌倉街道上道)
  (正面)「鋪石供養塔」、(左面)「助力/近村中」/寄付した金額と人名(代表者7名)が刻字  
  沢の敷石供養塔 さわ 狭山市 天岑寺 石碑   天保13(1842)   狭山市史・民俗編p573   (正面)「鋪石供養塔」    
写真 堀兼の敷石供養塔1 ほりがね 狭山市 堀兼神社 石碑 高191㎝(うち、台石87㎝),
幅36㎝,厚33.5㎝
嘉永元(1848)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「(富士)○吉 舗石供養塔」/正面・裏面の上・中段の台石に関係者の名前が一面に刻字 1
写真 下奥富の敷石供養塔 しもおくどみ 狭山市 大芦共同墓地 石碑(丸彫) 高177㎝(うち、台石97㎝) 嘉永4(1851)   狭山市史・民俗編p573/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (台石左面)「舗石供養塔」/台石上に地蔵坐像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 堀兼の敷石供養塔2 ほりがね 狭山市 堀兼神社 石碑(尖頭角柱) 高99㎝(うち、台石24㎝),
幅29㎝,厚29㎝
慶応3(1867)   狭山市史・民俗編p573
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?、集約 (正面)「舗石供養塔」/台石各面に関係者の名前が刻字 2
写真 七曲井 ななまがり 狭山市 <古代・入間道(推定ルート)>
<鎌倉街道上道(推定ルート)>
掘下げ井
(渦巻き状)
上部径18-26m,底部径5m,
深11.5m
9世紀後半-10世紀前半(?) 県史跡 市教委/WEB 発掘・保存/擬木で再現/最後の改修は宝暦9(1759) この井戸の脇を古代・入間道が通っていたとされることから、遅くとも9世紀後半-10世紀前半に武蔵国府により掘られたと推定できる/上部では階段状、途中から底までは曲がり道となっている/井筒部は中央にあり人頭大の石で周囲を組んだ中に松材(擬木)で井桁を組む 3
写真 堀兼之井 ほりかね 狭山市 <鎌倉街道上道・堀兼道
(推定ルート)>
掘下げ井
(渦巻き状)
径7.2m,深1.9m 平安時代前期(?) 県旧跡 歴史の道1p31 窪み状の地形は確認できるが、かなり埋まっている この井戸の年代は、平安前期の歌人・伊勢の歌に詠まれた「掘かねの井」と比定されていることからきたもの→堀兼井の伝承地は他にもある→この井戸跡が「堀兼之井」とされているのは、①堀兼の地名と、②傍らに建つ「堀兼井之蹟」の碑(1708)の存在によるとされる/井戸の底に方3尺の石の井桁/上記の「八軒家大井戸」の600m北 3
写真 八軒家大井戸・跡 はちけんや 狭山市 <鎌倉街道上道・堀兼道
(推定ルート)>
掘下げ井
(渦巻き状)
径約19m,深2.3m 平安時代前期(?)   WEB(鎌倉街道上道)
/歴史の道1p31
ほぼ完全に埋まっている/井戸であることも分かりにくい この井戸も鎌倉街道上道・枝道(推定ルート)に沿っているので鎌倉時代の起源とも考えられるが、伝・堀兼之井の可能性も否定できないため、堀兼之井(狭山市)と同じ理由で平安時代前期と推定する/井戸の底に石の井桁/七曲井より若干規模が小さいが、知名度の高い堀兼之井よりは大きい(認知されたのは最近)/下記の「堀兼之井」の600m南 4
写真 本町の庚申塔道標 ほん 志木市 (2丁目)敷島神社 石道標(駒型) 高114㎝(うち、台石23㎝),
幅45㎝,厚24㎝
天保15(1844)   富士見市近隣の道しるべp46 移設、集約 (台石右面右)「右リ/江/戸/道」、(台石左面右)「左リ/宮/戸/道」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼)、台石正面に“三猿”を陽刻 2
写真 中宗岡の題目塔道標 なかむねおか 志木市   石道標 高52㎝(うち、台石12㎝),
幅18㎝,厚12㎝
文久3(1863)   志木市史・民俗2p468-469/WEB(鎌倉街道上道) 移設(Cブロック覆い屋内) (右面)「東 者ねくらえ」(=羽根倉)/正面に「大六天」と陰刻 2 -
写真 柏町の石橋供養塔1 かしわ 志木市 (6丁目)柳瀬川(右岸)堤防上 石碑   宝暦9(1759)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道)/志木市史・民俗2p145 原位置? (正面)「石橋建立成就之所」/川越街道の裏街道・江戸道が江川堀を渡る場所に架けられた小橋の供養塔/解説板には「昔は橋には霊魂が宿ると信じられており、新設や修復に際しその橋が長く破損や危険から免れるように供養塔を造立する風習があった」と記されている 2
写真 柏町の石橋供養塔2 かしわ 志木市 (1丁目)宝幢寺 石碑 高167㎝,幅35㎝ 明和3(1766)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/志木市史・民俗2p146 移設? (正面像下)「奉納一乘妙典六十六部日本廻國造此石橋者也謹言」/頂部を光背型に浅く削り込み聖観音立像(蓮の花、蓮台)を陽刻 2
写真 上宗岡の石橋供養塔1 かみむねおか  志木市 いろは橋・左岸橋詰 石碑 高127㎝,幅32㎝ 安永4(1775)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面)「石橋供養塔」/いろは橋(長8m,幅3m)の完成時に通行の安全を祈念して建立 2
写真 柏町の石橋供養塔3 かしわ 志木市 (1丁目)日本レダリー入口 石碑(尖頭角柱) 高75㎝(塔身のみ),幅33㎝ 天明3(1783)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道)/志木市史・民俗2p146 移設/木祠内 (正面像下)「石橋供養」/正面上半分に馬頭観音坐像(一面二臂〔馬頭冠〕、蓮台)を浮彫り 2
写真 上宗岡の石橋供養塔2 かみむねおか  志木市 (2丁目)大仙寺 石碑(道標兼) 高105㎝,幅33㎝ 寛政8(1796)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/志木市史・民俗2p147 移設 (正面像下)「奉納、秩父/西國/坂東、為諸願成就石橋供養塔」、(右面下部)「右ハ 与野へ…/左ハ 大山道引又へ 十二丁」/頂部を円形に削り込み聖観音坐像(蓮の花、蓮台)を陽刻   2
写真 上宗岡の敷石供養塔 かみむねおか 志木市 (2丁目)大仙寺 石碑 高94㎝,幅30㎝,厚20㎝ 文化14(1817)   志木市史・民俗2p147
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「敷石供養塔」/頂部を光背型に削り込み聖観音坐像(蓮台)を陽刻 2
  中宗岡の敷石供養塔1 なかむねおか 志木市 (4丁目) 石碑   安政5(1858)   志木市史・民俗2p148-149 移設→個人宅 (正面像下)「字/横/町、敷石供養塔」、(同右端)「西國坂東秩父百番巡拝成就」、(同左端)「天下泰平国土安穏五穀豊饒」、(右面)「于時安政五戊午年夏四月吉日建立/武州入間郡宗岡村/内田市郎兵衛」、(左面)「此地卑霖雨侵路必泥濘行人毎苦於来住矣余父嘗欲石不果□棄世因之深想継其志終其功成且仝所通過之牛馬施芻豆以尊先考之霊聊其所冥福而己」、(裏面)「入間郡棟岳里樋下正進河原はつちくほのにして新河岸川の水溢る時は往かひも絶たるを石原政儀深く歎きて木下某にはかりて安永の四とせ石橋をなん懸けられぬる其はしたてしによりて享和のとし里人たち石たたみを敷そへられきそもそもこのあたりを横町とも唱ふるは往昔陸奥より相模の國鎌倉と甲斐の國とへの驛路にして今尚上宿中宿下宿と呼つたふることの残れるをしもおもへばまさしく其の頃の横町なりしことうつなし聖護院道興准后むさし紀行にゆふけぶり爭う暮をみせてけりわが家のむねをかの宿此の歌をもてもいにしへのさまおしはかられき世変り時移りて今は高崎長瀞の両候通はせ給はせ給ふのみなれと別に旅人の住かたへたるにしてもあらざるをともすれば水のためになやまさるをわが父いたく歎きてこんさき人らのなさまほいせしかと齢ひ八十あまりにてことなかはにして身まかられぬ實重父の志をつきてんとたがやすわざをこらし物の遺をはぶきて其財をつみ年をかさねてことし安政の五とせ父みまかりて□とせの忌にあたりてまつたくことなりぬれは則手向の一くさにもとて其のゆゑよしをしるして石ふみを建ることゝはなりにけりあはれ今より後そこなへるを補ひあしきをつくりそへて永く旅人のらうかわしさなからしめらむことをこひねがふなん/内田市郎兵衛菅原實重誌/安政五戊夏四月吉日建之」(緑字は異体字)/正面上半部を光背型に削り込み千手観音坐像(蓮台)を陽刻→千手観音は稀 4
写真 中宗岡の敷石供養塔2 なかむねおか 志木市 実蔵院 石碑 高92㎝(うち、台石32㎝),
幅28.5㎝角
文久元(1861)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「(梵字)敷石供養塔」/台石上面に蓮の花弁状の浮彫り 2
  柏町の尾張藩鷹場標杭 かしわ 志木市 宝幢寺 石杭   享保2(1717)以降→幕末に廃止   WEB   (正面)「従是南西 尾張殿鷹場」/鷹場の境界を示す石杭(尾張藩鷹場には84本の石杭があり30余本が現存)→ほとんどが東京都にあり、埼玉県下では志木市以外に朝霞市・戸田市などに残る 3
写真 引又河岸・跡 ひきまた 志木市 新河岸川 河岸   江戸初期   WEB(鎌倉街道上道)/現地解説板 雁木をイミテーション的に再現 川越藩によって制定された新河岸川の重要な河岸(回漕問屋2軒)/江戸初期から六斉市(月に6回の市)が立っていた 3
写真 佃堤 つくだ 志木市 新河岸川(左岸) 土堤防 長1239m
→長300m(現存)
1650年頃 or 寛文2(1662) 市史跡 市教委/WEB(関東地方の川) 新河岸川の左岸に残る控堤/堤防らしさを喪失 宗岡村を知行していた旗木・岡部氏の家臣・白井武左衛門の築造/上流の南畑村(現・富士見市)方面からの洪水流から宗岡村を守るために構築/新河岸川の本堤(左岸堤防)に対して直角に、堤内地に向かって設けられている 3
写真 下野田一里塚 しものだ 白岡市 <日光御成街道> 一里塚(2基) 塚木:榎 慶長9(1604)以降 県史跡 市教委/WEB 西塚の榎はオリジナル/塚下縁部に石組み 両塚の残る一里塚としては県内唯一 1
写真 上野田の庚申塔道標1 かみのだ 白岡市 上野田交差点 石道標(笠付き) 高221㎝,幅71㎝ 貞享3(1686)   白岡の古道をゆくvol7/白岡町資料・金石2p97
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/簡易祠内 (右面)「是より ふじ海道 原市江 二里」/「ふじ海道」→富士街道→丹沢の大山阿夫利神社の夏山参りの参詣道、「原市」→3と8の付く日に市の立つ町場・原市への往還「原市道」の起点/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿、二鶏)を陽刻/17世紀の道標 2
写真 篠津の庚申塔道標1 しのづ 白岡市 (上宿) 石道標(笠付き) 高174㎝,幅72㎝,厚52㎝ 元禄15(1702)   白岡町資料・金石2p111
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面右)「北方 可さいミち(?)」、(同左)「南方 い王つきミち」、(左面右)「東方 さつてミち」、(同左)「西方 加うのすミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿、二鶏)を浮彫/笠正面に唐破風 1
  高岩の廻国塔道標 たかいわ 白岡市 忠恩寺 石道標(駒型) 高148㎝,幅61㎝,厚55㎝ 宝永5(1708)   白岡町資料・金石2p138-139 移設 (右面)「これより右 久喜海道/これより左 はら市/海道」/正面に「(梵字)奉造立西國丗三所参歩供養石塔」と陰刻 2
  上野田の地蔵道標 かみのだ 白岡市 (西ヶ崎) 石道標(丸彫 高188㎝,幅59㎝,厚57㎝ 享保5(1720)   白岡町資料・金石2p49 原位置/簡単な木祠内 (台石右面)「右ノ方/ちおんじみち」、(左面)「原市みち/左ノ方」/台石上に地蔵立像の丸彫を載せる 1
  白岡の地蔵道標 しらおか 白岡市 (神過) 石道標 高125㎝,幅37㎝,厚23㎝ 延享4(1747)   白岡町資料・金石2p73 移設/傾いた状態で下部をC固定 (正面像下)「北 せうぶ道」、(右面)「右 い王徒き道」(=岩槻)、(左面)「左 志おんじ道」/正面中央に小さな地蔵の半跏坐像の浮彫 3
  白岡の馬頭観音像道標 しらおか 白岡市 (実丁野) 石道標(駒型) 高102㎝,幅38㎝,厚23㎝ 宝暦5(1755)   白岡町資料・金石2p30 移設 (正面像下右端)「南 原市道」、(同左端)「北 八幡道」/正面頂部を削り込んで馬頭観音座像(一面二臂、蓮台)を陽刻 2
  小久喜の庚申塔道標1 こぐき 白岡市 久伊豆神社 石道標(駒型) 高157㎝,幅71㎝,厚74㎝ 宝暦11(1761)   白岡町資料・金石2p95・135 移設 (右面右)「右 しをんじみち」、(左面右)「西 せうふみち」、(同左)「東 さつてみち」/正面を枠だけ残して削り込み「庚申塔」と陰刻、頂部枠上に“日月”、最下部枠上に“三猿”の陽刻 2
  実ケ谷の地蔵道標 さながや 白岡市 円通院 石道標(笠付き) 高116㎝,60㎝角 明和4(1767)   白岡町資料・金石2p42 移設 (右面上部)「此方 さつて道」、(左面上部)「此方 はらいち道」/正面を枠だけ残して削り込み最上部に小さな地蔵坐像を陽刻、その下に「奉建立地蔵大菩薩」と陰刻/笠正面に唐破風 2
写真 白岡の庚申塔道標 しらおか 白岡市 (塚越) 石道標(駒型) 高117㎝(うち、台石9㎝),幅46㎝,厚31㎝ 明和7(1770)   白岡町資料・金石2p121
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面左端)「い王徒き道」(=岩槻)、(右面右)「右 幸手道」、(左面)「左 せうぶ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 1
写真 篠津の馬頭観音道標 しのづ 白岡市 道中橋 石道標(駒型) 高95㎝,幅67㎝,厚51㎝ 寛政5(1793)   白岡町資料・金石2p25
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面下部右)「右 志やうぶみち」、(同左)「左り、者らいち/加うのす、みち」、(右面最下部左)「飛だり 志をんじみち」、(左面最下部)「みぎ、さつて/春きと、みち」/正面中央に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 1
  下大崎の題目塔道標 しもおおさき 白岡市 全竜寺 石道標(駒型) 高139㎝,幅41㎝,厚25㎝ 寛政5(1793)   白岡町資料・金石2p7・142 移設 (正面最下部)「ぢおんぢ/いはつき、道」、(右面)「せうぶ/きさい、道」、(左面)「おけ川/かうのす、道」/正面に「善光寺三拾三度参供養塔」と陰刻 2
  太田新井の庚申塔道標1 おおたあらい 白岡市 北向地蔵 石道標(尖頭角柱) 高119㎝,55㎝角 文化2(1805)   白岡町資料・金石2p105 移設 (右面左)「東 かすかべ道」、(左面右)「西 いはつき道」、(裏面)「北 すぎと道」/正面に大きく「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
  高岩の庚申塔道標 たかいわ 白岡市 (六軒) 石道標(尖頭角柱) 高130㎝,幅76㎝,厚79㎝ 文化5(1808)   白岡町資料・金石2p116 原位置 (台石正面右)「くき」、(同左)「いわつき」、(台石右面右)「しょうぶ」、(同左)「すぎと」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面中央と右面中央に合わせて“三猿”の陽刻 1
  上野田の庚申塔道標2 かみのだ 白岡市 第六天雷神社 石道標(尖頭角柱) 高125㎝,69㎝角 文化6(1809)   白岡町資料・金石2p97 移設 (右面左)「東 さつてみち」、(左面右)「南 はらいち道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
  実ケ谷の庚申塔道標1 さながや 白岡市 (宮前) 石道標 高82㎝,幅38㎝,厚22㎝ 文化8(1811)   白岡町資料・金石2p92 原位置 (正面右下)「向 しやうぶ 三リ」、(同左下)「向 さつて 三リ」、(右面左端)「此方 はらいち 二リ」、(左面)「此方、じおんじ 一リ/いわつき 二リ」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 1
  柴山の庚申塔道標 しばやま 白岡市 (宮野) 石道標(尖頭角柱) 高133㎝,幅84㎝,厚85㎝ 文化9(1812)   白岡町資料・金石2p123 原位置 (裏面)「北、せうぶ/きさい」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1
  下大崎の庚申塔道標 しもおおさき 白岡市 (屋敷回) 石道標(尖頭角柱) 高84㎝,幅29㎝,厚21㎝ 文化12(1815)   白岡町資料・金石2p126 原位置 (正面最下部)「向、いはつき/はらいち、道」、(右面左)「此方、しやうぶ/くき、道」、(左面右)「此方、こうのす/をけかは、道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1
  荒井新田の庚申塔道標 あらいしんでん 白岡市   石道標(尖頭角柱) 高134㎝,78㎝角 文政3(1820)   白岡町資料・金石2p125・141 移設 (右面右)「この方 のみち」、(左面最下部右)「右、こうのす/よしみ」、
(同左)「左、じおんじ/くき」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻
2
  小久喜の庚申塔道標2 こぐき 白岡市 久伊豆神社 石道標(駒型) 高109㎝,幅34㎝,厚20㎝ 文政3(1820)   白岡町資料・金石2p96 移設 (右面右)「向右 せうぶ」、(左面左)「向左 しおんし」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
  小久喜の馬頭観音道標 こぐき 白岡市 寿楽院 石道標(尖頭角柱) 高75㎝,幅31㎝,厚18㎝ 文政4(1821)   白岡町資料・金石2p18 移設 (右面)「此方 せうぶ道」、(左面)「此方、しおんじ/いわつき」/正面に
「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻
2
  小久喜の庚申塔道標3 こぐき 白岡市 久伊豆神社 石道標 高112㎝,幅73㎝,厚72㎝ 文政9(1826)   白岡町資料・金石2p94 移設/簡単な木屋根付き (右面右)「南、いわつき/じおんじ」、(同左)「是より、 かすかべ/ すぎと」、(左面左)「西、はらいち/しようぶ」、(裏面)「北、さつて/くき」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
  千駄野の庚申塔道標 せんだの 白岡市 迎共同墓地 石道標(尖頭角柱) 高91㎝,56㎝角 文政9(1826)   白岡町資料・金石2p92 移設(墓地内) (台石右面)「此方 …」、(台石左面)「此方 しようぶ」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 3
  下野田の題目塔道標 しものだ 白岡市 鷲神社 石道標   天保2(1831)   埼葛の道しるべp10 移設 (台石右面)「岩付宿え 一リ三十丁」、(左面)「幸手宿え 二リ六丁」/正面に「孝心」と陰刻 2  
  千駄野の題目塔道標1 せんだの 白岡市 (下手) 石道標 高97㎝,幅80㎝,厚62㎝ 天保5(1834)   白岡町資料・金石2p9 原位置 (右面)「南、いわつき/しおんじ、道」、(左面右)「北、しやうぶ/くき、道」、(同左)「東、すぎと/かすかべ、道」/正面に「觀世音菩薩」と陰刻 1
  千駄野の馬頭観音道標 せんだの 白岡市 迎共同墓地 石道標(駒型) 高93㎝,幅41㎝,厚26㎝ 天保8(1837)   白岡町資料・金石2p17 移設(墓地内) (正面右)「南 い王つき」、(同左)「南 志おんじ」、(右面)「北 さつて」、
(左面)「西、しのつ/せうふ」/正面に「馬頭観世音」と陰刻
3
  上野田の馬頭観音道標 かみのだ 白岡市 (本村) 石道標 高77㎝,幅33㎝,厚20㎝ 天保9(1838)   白岡町資料・金石2p20 原位置 (正面下部右)「右 いわつき」、(同左)「左 さつて」、(左面左下)「左 すぎと」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1 -
  太田新井の庚申塔道標2 おおたあらい 白岡市 安楽寺 石道標 高105㎝,幅51㎝,厚54㎝ 天保10(1839)   白岡町資料・金石2p103 移設 (右面右)「東 かすかべ道」、(左面左)「北 さつて道」/正面に大きく「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
  荒井新田の供養塔道標 あらいしんでん 白岡市   石道標(尖頭角柱) 高138㎝,幅84㎝,厚82㎝ 天保12(1841)   白岡町資料・金石2p141 移設 (台石正面)「向 じをんし」、(台石右面)「東、くき/さつて」、(台石左面)「西、おけかわ/こうのす」/正面に「奉納、秩父/西國/坂東、百箇所供養」と陰刻 2
  千駄野の題目塔道標2 せんだの 白岡市 迎共同墓地 石道標(尖頭角柱) 高81㎝,幅23㎝,厚14㎝ 天保13(1842)   白岡町資料・金石2p158 移設(墓地内) (右面右)「北、しのす/せうふ」、(同左)「南 いわつき」、(左面)「西 はらいち」/正面に「念佛供養塔」と陰刻 3
  高岩の聖観音像道標 たかいわ 白岡市 (田端) 石道標(駒型) 高79㎝,幅47㎝,厚46㎝ 天保15(1844)   白岡町資料・金石2p11・153 原位置 (右面下部)「左、さつて 一リ/すぎと 一リ」、(左面下部)「右、しようぶ 二リ/しのず 半リ」/正面頂部を円形に削り込み小さな聖観音坐像を陽刻、その下に「普門品供養塔」と陰刻 1
  野牛の庚申塔道標 やぎゅう 白岡市 稲荷神社 石道標(笠付き) 高166㎝,77㎝角 嘉永5(1852)   白岡町資料・金石2p113 移設 (下段台石正面)「向、せうふへ 一リ/きさい 三リ」、(同台石右面)「右、すぎと 一リ半/かすかべ 三リ」、(同台石左面)「左 さつて せき …」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、上段台石正面に“三猿”の陽刻 2
  篠津の庚申塔道標2 しのづ 白岡市 (立野) 石道標(尖頭角柱) 高87㎝,幅32㎝,厚19㎝ 安政4(1857)   白岡町資料・金石2p109 原位置 (正面右下隅)「右 いわつき 三リ」、(同左下隅)「左、おけかわ 三リ/はらいち 二リ廿丁」、(左面右)「中 つゝみ、とかさき/しやうふ、二リ」、(同左)「此方 くき 一リ余」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1
  実ケ谷の庚申塔道標2 さながや 白岡市 薬師堂 石道標 高125㎝,66㎝角 慶応3(1867)   白岡町資料・金石2p91 移設 (右面右)「此方 さつて 三リ」、(同左)「南方 いわつき 二リ」、(左面右)「此方 はらいち 二リ」、(同左)「西方 しようぶ 三リ」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
  野牛の石橋供養塔 やぎゅう 白岡市 白石堀(右岸) 石碑(尖頭角柱) 高92㎝,幅33㎝,厚20㎝ 文政4(1821)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/白岡町資料・金石2p165 原位置? (正面)「石橋供養塔」/白石堀に架けられていた石橋の供養塔? 1
  爪田ケ谷の石橋供養塔 つめたがや 白岡市 爪田ケ谷橋 石碑(道標兼) 高95㎝,幅35㎝,厚23㎝ 嘉永3(1850)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/白岡町資料・金石2p164 原位置 (正面)「石橋兩所供養塔」、(右面上部)「南、いわつきへ 二里/しをんじへ 壹里十丁」、(左面上部)「北、さつてへ 二里/すぎとへ 一里」/裏面には明治18年、石橋を改築したことが、「嘉永年度架設ノ用水石橋巾狭/クシテ車馬ノ困難少カラス明治/十八年四月大小石十九本ヲ増加営繕ス」と追刻されている 1
写真 見沼代用水 みぬまだい 白岡市・他 行田市→鴻巣市→加須市→久喜市→白岡市→蓮田市→上尾市→東縁・西縁に分離 用水路 総延長70㎞ 享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/8代将軍・吉宗の命を受け、井澤弥惣兵衛為永により築造/灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路→「代用水」の命名/用排水分離、大規模な水利構造物(十六間堰、柴山伏越、瓦葺掛樋など)が特徴/灌漑、干拓、治水、運河を含む総合的な地域開発事業 4
写真 草加松原 そうか 草加市 草加松原遊歩道/綾瀬川(右岸)・<日光街道> 松並木 長約1.5㎞,600本→江戸末期約60本 天和3(1688) 日本の道百選 WEB 現存数は20本程度/昭和57、遊歩道化によって松を保護できるように、県道・足立~越谷線の上り車線を西側に移設 関東郡代・伊奈半右衛門が綾瀬川改修の際に植えたもの 2 写真
写真 柿木町の地蔵道標 かきのき 草加市 東漸院 石道標(舟型) 高149㎝(うち、台石36㎝),幅53㎝,厚30㎝ 享保18(1733)   草加の道しるべp15
/草加の金石p71
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (光背右端)「從是西 柿木村東漸院薬師道」/正面に地蔵立像(光輪、錫杖、蓮台)の陽刻/この地蔵は同じものが4基あり、村の四隅に建っていたと言われる(現存は1基のみ) 2
写真 青柳の不動明王像道標 あおやぎ 草加市 (7丁目)
葛西用水・久伊豆橋東際
石道標 高115㎝(うち、台石15㎝),幅35.5
㎝,厚25㎝
宝暦6(1756)   草加の道しるべp16
/草加の金石p174
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→個人宅(信仰対象として一般に開放)/木覆屋内 (正面像下中央)「大さ加ミ道」、(同右端)「是ヨリ 青柳村」、(同左端)「右 三十町」、(左面左端)「左り 越ヶ谷町まで 壱リ」/正面上部に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索)の浮彫、背景に迦楼羅焔を陽刻 3
写真 谷塚町の庚申塔道標1 やつか 草加市 宝持院・墓地 石道標(駒型) 高128㎝,幅42㎝,厚27㎝ 安永2(1773)   草加の道しるべp31
/草加の金石p79
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面)「六阿弥道/左」(緑字は異体字)/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 弁天の地蔵道標 べんてん 草加市 観正院 石道標(隅丸型) 高74㎝,幅29㎝,厚16㎝ 安永3(1774)   草加の道しるべp17
/草加の金石p150
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面像下右)「右 蒲生道」、(同左)「左リ 草加道」、(左面下部)「是ヨリ右 二郷半道」/正面頂部に小さな地蔵坐像(蓮台)の浮彫、その下に「奉供養万人講寒念佛」と陰刻 2
写真 谷塚町の庚申塔道標2 やつか 草加市 下兎会館 石道標(駒型) 高96㎝(うち、台石13㎝),幅39㎝,厚26㎝ 安永8(1779)   草加の道しるべp32
/草加の金石p80
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易屋根付き (右面下部)「右 い王つき江 五里/左 江戸 あさ草江 三里」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 花栗の不動明王像道標 はなぐり 草加市 南光院 石道標(駒型) 高93㎝(うち、29㎝),幅28.5㎝,厚20
文化4(1807)   草加の道しるべp24
/草加の金石p78
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/最下部一部欠損 (正面像下右)「是ヨリ 成田山 十…」、(左面右)「是ヨリ 鳩ヶ谷 一里半」、(同左)「とねり 一里半」/正面上部を削り込んで不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、迦楼羅焔、磐石)を陽刻、その下に「成田山」と陰刻 3
写真 手代町の庚申塔道標 てしろ 草加市 手代町公民館 石道標(駒型) 高53㎝,幅19㎝,厚13㎝ 文政9(1826)   草加の道しるべp30
/草加の金石p86
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(15m)、集約 (正面最下部)「右 かさ以 にこ…/なり…/松戸 い…」、(右面)「左り 草加江 五丁/ぢをん寺」、(左面)「左り ゆきとまり」/正面に「庚申」と陰刻 2 -
写真 手代町の成田山道標 てしろ 草加市 手代町公民館 石道標(駒型) 高133㎝,幅35㎝,厚23㎝ 嘉永6(1853)   草加の道しるべp29
/草加の金石p173
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(15m)、集約 (正面題目下)「彦倉 一リ/流山 二リ半/松戸 二リ/舩者”し 六リ/市川 五リ/成田 十七リ」、(右面)「左、草加 五丁/岩附 五リ ハ面道」、(左面左)「左リ ゆき/どまり」/正面に大きく「成田山」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 神明の成田山道標 しんめい 草加市 東福寺・入口<日光街道> 石道標(駒型) 高87㎝,幅35㎝,厚23㎝ 安政2(1855)   草加の金石p173
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「八条江 三十丁/流山江 壹里丗丁/成田江 十五里半」/正面を枠だけ残して駒型に削り込み「成田山」と陰刻 2
写真 谷塚上町の庚申塔道標 やつかかみ 草加市   石道標(駒型) 高80㎝,幅29㎝,厚17㎝ 安政4(1857)   草加の道しるべp34 移設/三方を金網に囲まれている/像容の磨耗が極度に進行/刻字情報はすべて資料による (右面)「東、流山江 三里/千住江 壱里/西新井大師江/花又村 大明神江 三拾丁」、(左面)「西、川口宿江 二り/舎人町江 七り/慈林薬師江 一里半/鳩ヶ谷江 一里半」、(裏面)「戸塚称權現江 二里/岩槻江 五里/吉川江 二里半」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)を陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻/毛長川水運の舟着き場だった場所 3
  八幡町の成田山道標 やわた 草加市   石道標(駒型) 高80㎝,幅23㎝,厚12㎝ 万延元(1860)   草加の道しるべp20 原位置? (正面下部)「東 なりた江/南 そうか 十八丁/西 がもう江/北 吉川江」/正面上部に大きく「成田山」と陰刻 1
写真 金明町の成田山道標 きんめい 草加市 十字路交差点 石道標 高265㎝(うち、台石18㎝),幅43㎝,厚29㎝ 文久2(1862)   草加の道しるべp22
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面題目下左)「是ヨリ東/十六里」/正面に大きく「成田山」と陰刻/頂部に、三面に成田山新勝寺の寺紋を陽刻した石彫刻を置く/頂部近くに正方形の窪み→内部に不動明王像が彫ってあるという伝承→“確認できなかった”と書かれている 2
写真 長栄の成田山道標 ちょうえい 草加市 天満宮(長栄町会館) 石道標 高209㎝(うち、台石33㎝),幅36㎝,厚24㎝ 文久3(1863)   草加の道しるべp21
/草加の金石p135
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/屋根付き/下部で水平に折損→修復 (正面題目下中央)「拾七里」、(同右)「左、大さかみ 一り拾丁/古し加"
や 壱り」、(同右端)「右 者登かや り」、(同左)「… 草加 壱り/… 八条 一里六丁」/正面を火灯窓型に浅く削り込み大きく「成田山」と陰刻
2
写真 清門の題目塔道標 せいもん 草加市 稲荷神社 石道標(自然石) 高155㎝,幅58㎝,厚20㎝ 文久3(1863)   草加の道しるべp23
/草加の金石p174
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面題目下中央)「東 成田へ 拾七里」、(同右)「南、王子へ 三里半/志里ん薬師 三十丁/前川観音へ 二里/鳩ヶ谷へ 壱里/川口善光寺へ 二り」、(同左)「西 大宮へ 五里/い者つきへ 四里/志"おんじへ 五里」、(同左端)「北、大さ可”みへ 二り/こし可"や 一り十丁/吉川へ 二り半」、(右面)「東、西新井大師 二里/駒木すはへ 四里/千住へ 二里半/草加へ 壱里/か山へ 道」/正面中央に「成田山/真大山、不動明王」と陰刻 2
写真 柿木町の成田山道標 かきのき 草加市   石道標(尖頭角柱) 高115㎝,幅39㎝,厚30㎝ 文久3(1863)   草加の道しるべp13
/伊藤幹夫
移設→個人宅 (正面)「成田山」、(同その下)「奈りたへ 十四リ/…リ/右 み戸へ 三リ/是ゟ東/左 江戸道/橋戸へ 二里丁/千住 三里十二丁」、(右面最下部)「つく者へ 十五り/みつか以戸へ 七り/野たへ 三り/吉川へ 一り」、(左面左下隅)「左/草加 一り」、(裏面)「 氷川山」/毎年9月になると一錢講が成田山に向かったとの伝承 3
写真 草加の道標 そうか 草加市 (2丁目) 石道標(駒型) 高72㎝,幅25㎝,厚18㎝ 元治元(1864)   草加の金石p173
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「成田山」、(同右上隅)「是ゟ 十六里」、(同下部)「江 十六里」 2 -
写真 八幡町の道標 やはた 草加市   石道標(駒型) 高81㎝,幅30㎝,厚18㎝ 慶応3(1867)   草加の金石p174
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「成田山」、(同下部)「是ゟ/十六里」、(右面左)「右、八条江 一リ/流山江 二リ」、(左面)「左リ、柿木江 一里/吉川江 一里半」 1
写真 北谷・小山境の不動明王像道標 きたや、こやま 草加市   石道標(尖頭角柱) 高140㎝,幅33㎝,厚18㎝ 江戸期?   草加の道しるべp24
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/簡易祠内/信仰の対象 (正面「成田山」下に小さく)「南、草加 十八丁/千住 三り/鳩ヶ谷 一り半/西新井江 二り」、(右面中央に小さく)「東、大相模 二り/吉川 二り/谷 二り/□□□□ 二丁」、(左面)「北、戸塚子權現 二り/野路地蔵/岩附 四り」/正面頂部を円形に削り込んで、小さな不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索)を陽刻、その下に、並んで像容不明の小さな立像と坐像を陽刻、像下に大きく「成田山」と陰刻/年代不詳だが類似の道標の存在から江戸期と推定 2
写真 柿木町の題目塔道標 かきのき 草加市 一区耕地・用水堤 石道標(駒型) 高92㎝,幅37㎝,厚26㎝ 江戸期   草加の道しるべp14 原位置? (右面)「是ヨリ南 江戸道」、(左面)「是ヨリ西 草加道」、(裏面)「是ヨリ北 吉川道」/正面に「塞神」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/「江戸」の標記は江戸期 1
写真 青柳の敷石供養塔 あおやぎ 草加市 青柳町上会館 石碑(尖頭角柱) 高109㎝(うち、台石22㎝),幅32㎝,厚19㎝ 文政10(1827)   草加の金石p139
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「敷石供養塔」 3
写真 札場河岸・跡 ふだば 草加市 札場河岸公園/綾瀬川(右岸) 石雁木   江戸期   WEB 平成元から公園整備 日光街道の重要な荷揚げ場/所有していた家が高札の立った場所にあり屋号が「札場」であったことからの呼称 2
写真 葛西用水 かさい 草加市・他 羽生市→加須市→久喜市→幸手市→杉戸町→春日部市→越谷市→草加市→八潮市 用水路 総延長70㎞ 万治3(1660) 疏水百選 WEB(関東地方の川) 用水としての機能を終え、親水空間となっている 見沼代用水とならび、江戸期を代表する大用水/徳川幕府の天領開発策の一貫(幸手領の用水路)として、関東郡代・伊奈忠克により構築/旧利根川筋(会の川と大落古利根川)の河道を利用し、複数の溜井を連結した用水形態(用排水兼用)/幹線水路の水管理や修築は、勘定奉行所の所管(幕府直轄)/用水体系が確立したのは享保4(1719) 3
  吉田久長の道標 よしだ、
ひさなが
秩父市   石道標   元禄6(1693)   歴史の道15p37   (正面)「從是左 順禮道」、(左面)「從是 順禮道」/17世紀の道標    
  黒谷の道標 くろや 秩父市   石道標   元禄8(1695)   歴史の道15p29   (正面右)「右 大みや道/大宮へ 一里半」、(同左)「左 志まんぶ/四万部寺 六丁」/17世紀の道標    
写真 栃谷の題目塔道標1 とちや 秩父市   石道標(自然石)   元禄15(1702)   歴史の道15p29 原位置?/下部で斜めに折損→修復 (正面右)「右 大た奈道」、(同左)「左 志加う道」/正面中央に「天下泰平国土安…」と陰刻 2 -
  寺尾の道標1 てらお 秩父市   石道標   元禄15(1702)   歴史の道15p35   (正面)「ひだり/廿一番」    
写真 別所の道標 べっしょ 秩父市   石道標(自然石)   元禄15(1702)   歴史の道15p35 原位置? (正面上部中央)「みぎ 廿四番」 1 -
写真 上影森の道標 かみかげもり 秩父市   石道標(自然石)   元禄15(1702)   歴史の道15p36 原位置? (正面)「みぎ 二十六番道」 1 -
  桜木町の道標 さくらぎ 秩父市   石道標   宝永2(1705)   歴史の道15p34   (正面)「右 十八番/左 十七番」    
写真 久那の道標1 くな 秩父市   石道標(自然石)   宝永3(1706)   歴史の道15p36 原位置?/下部埋設 (正面)「ひだり 廿六…」 2 -
  荒川贄川の庚申塔道標 あらかわ、
にえがわ
秩父市   石道標   享保13(1728)   歴史の道15p37   (右面)「みぎ 三十□□」/正面に「庚申供塔」    
  荒川日野の地蔵道標 あらかわ、
ひの
秩父市   石道標(舟型)?   宝暦14(1764)   歴史の道15p37   (台石正面)「右 浄光寺道/左 大宮道」/台石上に光背付き地蔵坐像の陽刻を載せる    
  荒川上田野の地蔵道標 あらかわ、
かみたの
秩父市   石道標(舟型)?   明和7(1770)   歴史の道15p37   (台石正面)「右 三十番」/台石上に光背付き地蔵坐像の陽刻を載せる    
  荒川白久の庚申塔道標 あらかわ、
しろく
秩父市   石道標   安永9(1780)   歴史の道15p37   (右面)「右 三十番」/正面に「庚申塔」と陰刻    
  荒川白久の道標 あらかわ、
しろく
秩父市   石道標   文化6(1809)   歴史の道15p37   (正面)「東國高野大日向山入口」    
  栃谷の道標1 とちや 秩父市   石道標   江戸期   歴史の道15p29   (正面)「巡礼みち」/施主に「江戸甚左衛門丁」とあるので江戸期    
写真 栃谷の題目塔道標2 とちや 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p29 移設 (正面右)「みぎ 三者ん」、(同左)「ひだり 二番」/正面中央に「南無地菩薩」(緑字は異体字)と陰刻/施主に「居住江戸」とあるので江戸期 2 -
写真 栃谷の道標2 とちや 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p30 原位置? (正面右)「右 志まんぶ道」、(正面左)「左 大ミや道」、(裏面中央)「左 二ばん道」/施主に「江戸吉川町、江戸小石川町」とあるので江戸期 1 -
写真 山田の題目塔道標 やまだ 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p30 移設 (正面右)「左 四番道」、(右面中央)「右 三番道」、(左面中央)「右 二番道」/正面中央に「爲 三界萬霊」と陰刻/施主に「江戸さかい丁、江戸新吉原中ノ丁、江戸本材木丁」とあるので江戸期 2
写真 山田の道標1 やまだ 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p30 原位置? (正面)「三番道」/施主に「江戸川丁」とあるので江戸期 1
写真 山田の道標2 やまだ 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p30 移設 (正面)「四番道」/施主に「江戸さかい丁」とあるので江戸期 2 -
写真 山田の道標3 やまだ 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p30 移設 (正面右)「右 五番道」、(同左)「左 四番道」/施主に「江戸新橋竹川丁、江戸本小田原丁」とあるので江戸期 2 -
写真 山田の道標4 やまだ 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p31 移設 (正面)「左 四番道」/施主に「江戸馬喰丁」とあるので江戸期 2 -
写真 山田の道標5 やまだ 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p31 移設 (正面中央)「右 五番」、(同左端)「左 山道」/施主に「江戸新橋竹川丁」とあるので江戸期 2 -
写真 山田の道標6 やまだ 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p31 移設 (正面)「右 三番/左 五者"ん、道」/施主に「江戸弥左ェ門町、江戸新橋竹川丁」とあるので江戸期 2 -
  中村町の道標 なかむら 秩父市   石道標   江戸期   歴史の道15p34   (正面)「十六番道」/施主に「江戸日本橋」とあるので江戸期    
  相生町の道標 あいおい 秩父市   石道標   江戸期   歴史の道15p34   (正面)「右 十七番」/施主に「江戸八丁堀松波町」とあるので江戸期    
写真 大畑町の題目塔道標 おおばたけ 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p35 移設 (正面右端)「みぎ 廿番」/正面中央に「爲 …」/施主に「江戸本みな丁」とあるので江戸期 2 -
写真 寺尾の道標2 てらお 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p35 移設 (正面)「みぎ 廿一番」/施主に「江戸神田なへ丁」とあるので江戸期 2
  寺尾の題目塔道標 てらお 秩父市 童子堂 石道標   江戸期   歴史の道15p35   (正面右)「みぎ 二十三番道」、(同左)「ひだり 大ミや道」/正面中央に「南無觀世音菩薩」と陰刻/施主に「江戸東山御門前」とあるので江戸期    
写真 久那の道標2 くな 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p35 原位置? (正面)「みぎ 二十五者"ん」/施主に「江戸深河□□下町」とあるので江戸期 1
写真 久那の道標3 くな 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p36 移設 (正面)「二十六番道」/施主に「江戸いつミ丁」とあるので江戸期 2 -
写真 久那の道標4 くな 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p36 原位置? (正面)「ひだり 二十九番」、(右面)「ひだり 大宮」、(左面)「みぎ 二十八番」/施主に「江戸さかい町」とあるので江戸期 1 -
写真 久那の題目塔道標 くな 秩父市   石道標(自然石)   江戸期   歴史の道15p36 移設 (正面右)「みぎ 二十九番」、(同左)「ひたり 日原」、(裏面)「みぎ 二十九番/ひだり 大日山」/正面中央に「爲法界」と陰刻/施主に「江戸本湊町、江戸ミなと町」とあるので江戸期 2
  荒川上田野の道標 あらかわ、
かみたの
秩父市   石道標   江戸期   歴史の道15p37   (正面)「ひだり 二十九番」、(右面)「みぎ 二十九番」、(左面)「ひだり 三十番」/施主に「江戸下谷三まい橋」とあるので江戸期    
  十文字峠の里程観音
(一里)
じゅうもんじ 秩父市 <三峰道(信州往還)> 里程石(舟型)   元治元(1864) 市有形民俗 市教委 原位置/長野県側に5・6丁が現存 三峰寺へ里程石は、十文字峠を越えて信州(長野)と武州(埼玉・秩父)を結ぶもので、三峰寺に向けて丁数順に並んでいる(寺が1丁
逆順
/(台石正面)「栃木/一里/三丁/梓山/五里/三丁」/光背中央の聖観音立像の陽刻
1
  十文字峠の里程観音
(二里)
じゅうもんじ 秩父市 <三峰道(信州往還)> 里程石(舟型)   元治元(1864) 市有形民俗 市教委 原位置 (像下最下部)「自/梓/山/四/里/六/丁」/光背中央の聖観音坐像の陽刻 1
  十文字峠の里程観音
(三里)
じゅうもんじ 秩父市 <三峰道(信州往還)> 里程石(蒲鉾型)   元治元(1864) 市有形民俗 市教委 原位置 (台石正面)「梓/山/三/里/六/丁」/光背中央の聖観音立像の陽刻 1
  十文字峠の里程観音
(四里)
じゅうもんじ 秩父市 <三峰道(信州往還)> 里程石(舟型)   元治元(1864) 市有形民俗 市教委 原位置 (像下最下部)「従/梓/山/二/り/六/丁」/光背中央の聖観音坐像の陽刻 1
  影森用水・跡 かげもり 秩父市 大淵寺・門前 用水路 長約10㎞,
遺構は長10m
万延元(1860) 県旧跡 市教委/WEB 短いが当初の形態が残る/本流は残っているが改造度があまりに高いためリストから除外 名主・勝右衛門らが安永5(1776)に開削出願(生活・防火用水)→名主・関田宗太郎、萩原左伝次が農業用に拡大することを嘉永4(1851)に出願→忍藩の直轄工事 3
写真 黒谷の和銅採掘露天掘・跡 くろや 秩父市   銅露天掘   和銅元(708) 県旧跡 市教委/WEB 南東面にそそり立つ和銅山に、2条の露天掘跡(露出した自然銅の断層)が山頂に向かって続く 『続日本紀(巻4)』に、武蔵国秩父郡から、和銅が朝廷に献上された旨が記されている→黒谷の和銅採掘露天掘・跡はその比定地(この場所が銅の採掘場であった証拠はないし、さらに、そうであったにせよここの銅から銅貨が鋳造された証拠はさらにない) 3
写真 町屋の鎌倉街道上道・跡 まちや 鶴ヶ島市 <鎌倉街道上道(推定ルート)> 道路 長約700m 鎌倉時代?   WEB(鎌倉街道上道)
/歴史の道1p36-37
低地のため生活排水路化してしまった/全体の形状は掘割状をよく残す 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/埼玉県中央を南北に縦断 3
写真 旧・三ツ木の石橋 みつぎ 鶴ヶ島市 (元屋敷) <石桁橋(橋供養塔兼> 長135㎝(1本) 貞享元(1684)   鶴ヶ島の石造物p139
/WEB(鎌倉街道上道)
個人宅? (桁側面)「(梵字)爲逆修善根菩提慈眼寺四代住僧橋掛置也」 4 -
写真 旧・高倉の石橋 たかくら 鶴ヶ島市 (神明)高福寺・墓地 <石桁橋(橋供養塔・道標(?)兼> 長206-214㎝
(4本)
享保12(1727)   鶴ヶ島の石造物p101
/WEB(鎌倉街道上道)
高福寺歴代の住職の墓石の台座→C固定 (右端桁側面)「念佛供養橋縣」、(左端桁側面)「右 四木之内」 4 -
  五味ヶ谷の石尊常夜灯 ごみがや 鶴ヶ島市 (鶴巻) 石常夜灯 高2.11m 嘉永3(1850)   鶴ヶ島の石造物p161   (竿正面)「雨降山」/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる  
  脚折の像道標 すねおり 鶴ヶ島市 (若宮) 石道標 高93㎝(うち、台石29㎝),15.5㎝角 享保17(1732)   鶴ヶ島の石造物p23 坐像上半身欠損 (正面像下)「左 さかやま道/右 古まが王道」/正面頂部の坐像(陽刻)は上半身欠損のため尊像不明 3
写真 高倉の地蔵道標 たかくら 鶴ヶ島市 (並木付) 石道標 高86㎝(うち、台石22㎝),
幅29㎝,厚27㎝
天明6(1786)   鶴ヶ島の石造物p70
/WEB(鎌倉街道上道)
台石とC接合/台石下部埋設 (右面)「右 坂戸/左 髙萩」、(台石左面)「右/川ごへ/左/おごせ」/正面を光背型に削り込み地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
写真 三ツ木の馬頭観音像道標 みつぎ 鶴ヶ島市 (柳戸) 石道標(駒型) 高221㎝(うち、塔身108㎝),
幅45.5㎝,厚25㎝
寛政8(1796)   鶴ヶ島の石造物p115
/WEB(鎌倉街道上道)
鉄枠の祠内→移設 (台石右面)「南 江戸」、(台石左面)「東 川ごえ道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、鉾、輪宝、斧、数珠、馬口印〕)を陽刻/下記「三ツ木の石橋供養塔」と並ぶ 2
写真 町屋の馬頭観音像道標 まちや 鶴ヶ島市 (持家) 石道標(駒型) 高45.5㎝(塔身),幅27.5㎝,厚19㎝ 文政3(1820)   鶴ヶ島の石造物p71
/WEB(鎌倉街道上道)
2段の台石C→もとは石の台石?/中央と下部で折損→修復 (右面左下)「右 者んのう」、(左面左下)「左 かごい道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔弓、数珠〕)を陽刻 4
写真 脚折の道標
(才道木の道標)
すねおり
(さいどうぎ)
鶴ヶ島市 <日光街道・川越街道> 石道標
(変形蒲鉾型)
高73㎝,幅23.5㎝,厚15㎝ 文政4(1821) 市有形 市教委
/鶴ヶ島の石造物p55
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(25m)/一部欠落 (正面)「日光/さ可登、道」(=坂戸)、(右面)「西、慈光/をこせ、道」、
(左面)「江戸/川ごへ、道」、(裏面)「南、八王子/た可はぎ、道」
1
写真 中新田の馬頭観音道標 なかしんでん 鶴ヶ島市 (中丸) 石道標(尖頭角柱) 高99.5㎝(うち、塔身65㎝),
幅28㎝,厚23㎝
文政10(1827)   鶴ヶ島の石造物p72
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石正面)「右 川ごへ/左リ さかど」、(台石右面)「右 おごせ/左リ 者んのふ」、(台石左面)「右 おごせ/左リ はんのふ」/正面頂部に小さな馬頭の浮彫、その下に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 上新田の供養塔道標 かみしんでん 鶴ヶ島市 (丸山) 石道標(墓石型) 高111㎝(うち、塔身72㎝),
幅28㎝,厚28.5㎝
天保13(1842)   鶴ヶ島の石造物p78
/WEB(鎌倉街道上道)
中段台石は新材、最下段台石はC製→移設 (上段台石正面右)「右、毛ろ/をこ世/志くいう」(=毛呂、越生)、(同左)「左、川越/江戸」、(同中央下部)「道」、(上段台石右面右)「右、高/飯能」、(同左)「左、坂戸/吉見」、(同中央下部)「道」(緑字は異体字)/正面に「月山/湯殿山/羽黒山、秩父/西國、坂東/四國、供養塔」と陰刻 3
写真 太田ヶ谷の石橋供養塔 おおたがや 鶴ヶ島市 (新田)満福寺・西 石碑(道標兼) 高180㎝(うち、塔身90㎝) 寛政2(1790)   鶴ヶ島市の石仏p114
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
移設(台石C接合) (正面像下)「石橋二拾ヶ所供養塔」、(正面像下右)「東 川越道」、(同左)「南 江戸道」、(右面)「是より北、小川道/坂戸道」、(裏面)「是より西、古ま はんのふ道/子の古"んげん道」/正面頂部に双体道祖神(蓮台)を陽刻 2
写真 三ツ木の石橋供養塔 みつぎ 鶴ヶ島市 (柳戸) 石碑 高60㎝,幅25㎝,厚18㎝ 文政3(1820)   鶴ヶ島の石造物p121
/WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道)
基部露出/鉄枠の祠内→移設 (正面)「石橋二十ヶ所供養塔」/上記「三ツ木の馬頭観音像道標」と並ぶ 2 -
写真 所沢市・狭山市境界の鎌倉街道堀兼道二本並行道   所沢市・狭山市 <鎌倉街道上道・堀兼道
(推定ルート)>
道路 長約1.5㎞ 鎌倉時代?   WEB(鎌倉街道上道)
/歴史の道1p30
両側に雑木林が続き古道の面影を残す 堀兼道は、現・所沢市の所沢中学校・東で上道と分かれ、狭山市堀兼方面に向かう鎌倉街道上道の主要な枝道/2本の並行した道:東側の舗装道から約15-20m離れた西側に2-5mほどの幅の土道が約1.5㎞続く 2
写真 長久寺西~新光寺門前の鎌倉街道上道・跡 ちょうきゅう、しんこう 所沢市 <鎌倉街道上道(推定ルート)> 道路 長約1.2㎞ 鎌倉時代?   WEB(鎌倉街道上道) 現役の市道/かなり高い信頼度で鎌倉街道上道と比定できる 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/埼玉県中央を南北に縦断 3
写真 内手弁天池の桁石   所沢市 池・北 <石桁橋>(2本) 桁石1:長127㎝,幅37㎝,
桁石2:長121㎝,幅38㎝
天明8(1788)   小手指・新所沢・並木の石造物p83-84
/WEB(鎌倉街道上道)
平成11の下水道工事で桁石2が掘り出され、桁石1が橋材だと確認 (桁石1上面中央)「天明八年申四月」、(桁石2上面中央右端)「石橋造立」 3
写真 城の石尊常夜灯 しろ 所沢市   石常夜灯 高2.39m 安政3(1856)   柳瀬・松井の石造物p38
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/石材表面が剥離 (竿正面)「冨士仙元大菩薩」、(竿右面)「大山石尊大權現」、(竿裏面)
「成田山不動明王」/台石正面に狛犬の陽刻/中台正面の陽刻は損耗で像容不明/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる
2
写真 坂之下の地蔵道標 さかのした 所沢市   石道標(丸彫) 高168㎝,幅27㎝ 享保18(1733)   柳瀬・松井の石造物p19
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内/信仰の対象 (台石正面)「左 ちくまさ王みち/中 とめみち/右 かめやつみち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 1
写真 下安松の地蔵道標 しもやすまつ 所沢市   石道標(丸彫) 高122㎝(うち、台石43㎝) 宝暦3(1754)   WEB(鎌倉街道上道) 移設/簡易木祠内/上段の蓮台と敷茄子は後世の追加 (台石正面右下)「右 本江道」、(同左下)「左 日比田道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子、蓮台)の丸彫を載せる/台石正面に「奉造立南無延命/地蔵菩薩尊像基」と陰刻 2
写真 中富の供養塔道標 なかとみ 所沢市 多聞院・交差点南 石道標(駒型) 高83㎝,幅31㎝,厚19㎝ 宝暦4(1754)   富岡・所沢の石造物p1
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
移設/基部12㎝露出 (正面右下部)「東 加王こへ道」(=川越)、(同左下部)「西 とこ路さ王道」(=所沢)/正面中央に「(梵字)奉納大乘妙典日本廻國供羪」と陰刻 2
写真 北秋津の庚申塔道標1
(山崎の庚申塔)
きたあきつ 所沢市   石道標(笠付き) 高104㎝,幅31㎝ 宝暦5(1755)   山口・吾妻の石造物p181
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?(台石と一部C接着)/木祠内/信仰の対象 (右面最下端左)「右 ちゝぶ…」、(左面最下部)「左 やま口道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/唐破風付きの笠 1
写真 北中の馬頭観音像道標 きたなか 所沢市 (2丁目)北中中学校・入口交差点 石道標(駒型) 高78㎝,幅30㎝ 宝暦12(1762)   富岡・所沢の石造物p78
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/像容がかなり摩耗 (正面像右下部)「右 ちゝぶみち」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔金剛杵、輪宝〕)を陽刻 3
写真 北秋津の庚申塔道標2 きたあきつ 所沢市   石道標(笠付き) 高166㎝,幅44㎝ 明和7(1770)   山口・吾妻の石造物p180
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像右下部)「右 引又道」、(同像左下部)「左 牛沼道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻、右左両面に蓮の花の浮彫/唐破風付きの立派な笠 1
写真 上新井の馬頭観音像道標 かみあらい 所沢市 普門院墓地・入口 石道標(駒型) 高203㎝,幅69㎝ 安永2(1773)   小手指・新所沢・並木の石造物p18
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/信仰の対象 (左面最下部)「左、青梅/三ヶ島、みち」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、剣、輪宝、斧、数珠、馬頭印〕、蓮台)を陽刻、右面に「(梵字)奉造立馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 三ケ島の地蔵道標 みかじま 所沢市 (1丁目) 石道標(丸彫) 高123㎝,幅23㎝ 安永4(1775)   三ヶ島の石造物p15
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内/信仰の対象 (台石右面)「右ハ 村山道」、(台石左面)「左ハ 山口道」/台石上に甲冑を着けた地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる→稀 1
写真 牛沼の庚申塔道標 うしぬま 所沢市   石道標(笠付き) 高162㎝,幅47㎝ 安永5(1776)   柳瀬・松井の石造物p144
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/下部埋設 (右面)「西 八王子みち」、(左面右)「東 江戸みち」、(台石正面左端)「きた 川ごへ/みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風様の飾りを陽刻 1
写真 北野の馬頭観音像道標 きたの 所沢市   石道標 高100㎝,幅37㎝ 安永6(1777)   小手指・新所沢・並木の石造物p103
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (正面像右下部)「右 川越道」、(同像左下部)「左、青梅/三ヶ嶋、道」/正面中央に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、矛、輪宝、斧、数珠、馬頭印〕、蓮台)を陽刻/下記「北野の石橋供養塔5」と並ぶ 2
写真 南永井の地蔵道標 みなみながい 所沢市 地蔵堂 石道標(丸彫) 高154㎝,幅25㎝ 安永7(1778)   柳瀬・松井の石造物p103
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内/台石前面の供花台で正面中央部が不可視 (下段台石正面)「右 大/左 上安松」/上段台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 下安松の子安地蔵道標 しもやすまつ 所沢市   石道標(丸彫) 高99㎝,幅20㎝ 安永10(1781)   柳瀬・松井の石造物p173
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内/刻字が読みづらい (台石右面)「右 所沢道」、(台石左面右)「左 秋津道」/台石上に子安地蔵立像の丸彫を載せる/台石正面に「大乘妙典日本廻國」と陰刻 1
写真 下安松の庚申塔道標 しもやすまつ 所沢市 愛宕山交差点 石道標(駒型) 高130㎝,幅36㎝ 天明2(1782)   柳瀬・松井の石造物p158/WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (右面左端)「右ハ 江戸ミち」、(左面右端)「左ハ 大和田ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻、像上に「庚申供羪塔」と陰刻 1
  山口の馬頭観音道標1 やまぐち 所沢市 清照寺・門前 石道標 高165㎝,幅33㎝ 天明2(1782)   山口・吾妻の石造物p89   (右面)「右 三ヶ島 青梅道」、(左面)「左 山口 八王子道」/正面中央に
「(梵字)奉造立□□□□□□□」と陰刻
 
写真 林の庚申塔道標 はやし 所沢市 (2丁目) 石道標(駒型) 高134㎝,幅42㎝ 寛政4(1792)   三ヶ島の石造物p136
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内 (台石右面)「右 江戸道」、(台石左面)「左、川越/新川岸、海道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 下富の馬頭観音道標 しもとみ 所沢市   石道標 高64㎝,幅20㎝ 文化年間(1804-18)   富岡・所沢の石造物p42
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?(台石と塔身C接合) (右面)「此方 のみち/此方 とこ路沢みち」、(左面)「此方 上赤坂道/此方 加ハこへみち」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2 -
写真 三ケ島の馬頭観音像道標 みかじま 所沢市 (1丁目) 石道標 高85㎝,幅36㎝ 文化2(1805)   三ヶ島の石造物p16
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/像容不鮮明/左面の刻字判読不能/下部埋設 (右面最下部)「右、川越/扇町谷、ミち」、(左面最下部?)「左、飯能/青梅」/正面頂部を光背型に削り込み小さな馬頭観音坐像(三面二臂?、蓮台)を陽刻、その下に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 山口の馬頭観音道標2 やまぐち 所沢市 仏蔵院・門前 石道標(尖頭角柱) 高160㎝,
幅36.5㎝
文化8(1811)   山口・吾妻の石造物p15
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石正面)「八王子/南/五日市」、(台石右面)「川越道/東/三ヶ嶋道」、(台石左面)「西箱根ヶ崎/西/青梅道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/下記「山口の六地蔵道標」と並ぶ 2
写真 東狭山ケ丘の庚申塔道標 ひがしさやまがおか 所沢市 (6丁目) 石道標 高132㎝,幅32㎝ 文化8(1811)   三ヶ島の石造物p155
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石右面中央)「此方/古市ば/道」、(台石左面右)「前 江戸/道」、
(同左)「此方 三/可しま/道」、(台石裏面中央)「此方/者んのふ/道」(=飯能)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻
1
写真 南永井の馬頭観音道標 みなみながい 所沢市 田代稲荷・西、旧道辻 石道標 高73㎝,幅39㎝,厚26㎝ 文化13(1816)   柳瀬・松井の石造物p107/富士見市近隣の道しるべp40/WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/下部埋没 (右面上)「上とめミち」、(左面上)「所沢道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1 -
写真 東狭山ケ丘の大師道標 ひがしさやまがおか 所沢市 (3丁目) 石道標 高123㎝,幅37㎝ 文政2(1819)   三ヶ島の石造物p144
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/台石と塔身C接合/刻字一部不明/下部埋没 (台石正面)「右 者ん…/向 川…/左 江…」、(台石右面中央)「此方 み…」/正面頂部に弘法大師坐像の小さな浮彫、その下に「光明眞…養塔」と陰刻 3
写真 三ケ島の馬頭観音道標1 みかじま 所沢市 (1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高133㎝,幅36㎝ 文政3(1820)   三ヶ島の石造物p15
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面最下部右)「きた道」、(同左)「者んのふ」(=飯能)、(右面最下部)
「西ハ 山口道」、(左面最下部右)「東ハ 所沢道」/正面に大きく「馬頭觀世音」と陰刻
1
写真 山口の地蔵道標 やまぐち 所沢市 大塚共同墓地・入口 石道標
(舟型→丸彫)
高65㎝,幅24㎝ 文政4(1821)   山口・吾妻の石造物p64
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/光背ほぼ欠損 (台石右面)「右 所沢/川越」、(台石左面)「左 山口」/光背が欠損しているので、台石上に地蔵坐像(錫杖)の丸彫が載っているように見える 3
写真 三ケ島の馬頭観音道標2 みかじま 所沢市 (1丁目)狭山湖橋・左岸橋詰 石道標 高153㎝,幅36㎝ 文政7(1824)   三ヶ島の石造物p13
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面最下部)「北 可王こへ/南 や満くち、道」(=川越、山口)、(左面最下部左)「西 青梅道」/正面に大きく「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻/下記「三ケ島の石橋供養塔5」と並ぶ 1
写真 三ケ島の馬頭観音道標3 みかじま 所沢市 稲荷神社(大日堂)裏 石道標(尖頭角柱) 高194㎝,幅36㎝ 文政11(1828)   三ヶ島の石造物p34
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/主神刻字を白く彩色 (右面最下部右)「東、所澤/江戸、道」、(同左)「南 山口道」、(左面最下部右)「西 靑梅道」、(同左)「北 扇町谷」/正面に大きく「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 中富の馬頭観音道標 なかとみ 所沢市 (安松新田) 石道標 高145㎝(うち、台石35㎝),幅34㎝,厚21.5㎝ 文政11(1828)   富岡・所沢の石造物p25
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石右面中央)「右 所沢みち」、(台石左面右)「左 下阿良ひ道」(=下新井)/正面に「(梵字)馬頭明王」と陰刻 2
写真 三ケ島の馬頭観音道標4 みかじま 所沢市 (5丁目) 石道標 高109㎝,幅39㎝ 文政13(1830)   三ヶ島の石造物p74
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面最下部)「此方/三ヶ嶋/ミち」、(右面最下部)「此方/所沢/江戸/道」、(左面下部右)「此方 青梅ミち」、(裏面左)「此方 川越道」/正面を枠だけ残して削り込み「馬頭觀世音」と陰刻 1
写真 有楽町の題目塔道標 ゆうらく 所沢市 (7丁目) 石道標 高187㎝,幅34㎝ 天保12(1841)   富岡・所沢の石造物p156
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「右 み川子道/左 川こゑ道」/正面に「百番觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 山口の供養塔道標 やまぐち 所沢市   石道標 高98㎝,幅30.5㎝ 弘化4(1847)   山口・吾妻の石造物p76
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/基部露出 (正面最下部右)「右、く王ん於ん/ミ可しま、道」、(同左)「左、むら山/八王じ、道」/正面中央に「光明眞言百五拾万供養」と陰刻 2
写真 上新井の道標 かみあらい 所沢市   石道標 高130㎝,幅29㎝ 嘉永2(1849)   小手指・新所沢・並木の石造物p27
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/昭和30に修理再建(C台石) (正面)「坂東第一北野天満宮」、(左面中央下部)「従是 北野 十七丁」、
(右面中央下部)「三ヶ嶋/青梅、道」
2
写真 小手指の馬頭観音道標 こてさし 所沢市 (4丁目) 石道標(尖頭角柱) 高162㎝,幅35㎝ 嘉永3(1850)   小手指・新所沢・並木の石造物p115
/WEB(鎌倉街道上道)
下段台石更新→移設? (台石正面右端)「南 八王子道」、(台石右面)「東 江戸道」、(左面右)「西 青梅道/北 川越道」/正面に大きく「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 山口の六地蔵道標 やまぐち 所沢市 仏蔵院・門前 石道標(笠付き) 高174㎝,幅42㎝ 安政2(1855)   山口・吾妻の石造物p15
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/刻字の一部破損 (台石正面)「所沢/府中/江戸」、(台石右面)「飯能/川越/扇町谷/三ヶ嶋」、(台石左面)「村山/青梅/五日市/八王子」/正面、右左の3面に地蔵立像を2体ずつ浮彫/上記「山口の馬頭観音道標2」と並ぶ 2
写真 山口の馬頭観音道標3 やまぐち 所沢市 仏蔵院 石道標 高120㎝,幅36㎝ 安政4(1857)   山口・吾妻の石造物p17
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 台石正面)「三可し末/北/扇町谷」(=三ヶ嶋)、(台石右面)「右/村山/砂川/八王子」、(台石左面)「左/山口/小川/ふちう」/正面に「馬頭尊」と陰刻 2
写真 浅間山南の庚申塔道標 せんげん 所沢市   石道標(墓石型) 高120㎝,幅33㎝ 万延元(1860)   三ヶ島の石造物p106
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/刻字の一部欠損 (台石右面右)「北、扇町谷/者んの…」(=飯能)、(同左)「東、川こへ/所…」、(台石左面右)「南、みかしま/府中」、(同左)「西、箱根ヶ崎/五日市」/正面に大きく「庚申」と陰刻 2
  宮本町の道標 みやもと 所沢市 (1丁目)文化会館・前 石道標 高123㎝,幅32㎝ 文久3(1863)   富岡・所沢の石造物p155 移設 (正面)「右 水子 引又道/此方 川越道/中 入間川道/左 飯能 青梅道」 2
写真 上新井の馬頭観音道標 かみあらい 所沢市   石道標 高200㎝,幅36㎝ 慶応3(1867)   小手指・新所沢・並木の石造物p30
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面中央やや上)「西 青梅/南 江戸/東 所澤、道」/正面に大きく「馬頭觀卋音菩薩」と陰刻 1
写真 北野の石橋供養塔1 きたの 所沢市 いずみ橋・北 石碑 高100㎝,幅39㎝ 寛延3(1750)   小手指・新所沢・並木の石造物p111
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/下部埋設 (正面中央)「嘉永砅嘉…」(砅は石橋を意味する)、(左面右)「… 石橋寛延三庚午歳十一月」 1
写真 林の石橋供養塔1 はやし 所沢市 (1丁目)林川の橋・右岸橋詰 石碑 高104㎝,幅34㎝ 明和5(1768)   三ヶ島の石造物p121
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (正面)「奉造立石橋三ヶ所供養塔」/正面は枠を残して全面を浅く削り込み刻字/左面に「近郷村之助力」と刻字 2
写真 北野の石橋供養塔2 きたの 所沢市   石碑(道標兼) 高91㎝,幅38㎝ 安永2(1773)   小手指・新所沢・並木の石造物p113
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/下部埋設/正面右上一部欠損 (正面)「奉造立石橋二箇所供羪塔」/(正面最下部右)「右 川越」、(同中央)「中 三…」、(同左)「左 青梅/并 見ヶ嶋」 2
  久米の石橋供養塔1 くめ 所沢市   石碑 高84㎝,幅37㎝ 安永7(1778)   山口・吾妻の石造物p238/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面)「(梵字)阿弥陀堂石橋造立塔」/正面は枠を残して全面を浅く削り込み刻字 2
写真 堀之内の石橋供養塔 ほりのうち 所沢市 金仙寺・西 石碑 高77㎝,幅24㎝ 安永8(1779)   三ヶ島の石造物p83
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「(梵字3)奉造立石橋五ヶ所供養塔」/正面は枠を残して全面を浅く削り込み刻字 2 -
写真 上山口の石橋供養塔 かみやまぐち 所沢市 山口観音堂・下 石碑(丸彫) 高203㎝,幅58㎝ 安永9(1780)   山口・吾妻の石造物p117
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (中段台石正面中央)「石橋三所供養塔」/上段台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる/中段台石の3面に助力した村名が刻字 1
写真 三ケ島の石橋供養塔1 みかじま 所沢市 (5丁目) 石碑 高105㎝,幅31㎝ 天明3(1783)   三ヶ島の石造物p74
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「石橋供養塔」 1
写真 北野の石橋供養塔3 きたの 所沢市   石碑(道標兼) 高133㎝,幅40㎝ 天明7(1787)   小手指・新所沢・並木の石造物p112
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「石橋」、(右面)「水神鎮座」、(台石右面)「みぎ/可者こへ/みち」(=川越)、(台石左面)「ひだり/者んのう/みち」(=飯能) 1
写真 北野の石橋供養塔4 きたの 所沢市 北野運動公園・入口 石碑 高90㎝,幅38㎝ 天明8(1788)   小手指・新所沢・並木の石造物p111
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/下部埋設 (正面中央)「天明砅萬喜」(砅は石橋を意味する)、(左面中央最下部)「… 石橋増架者也」/右面から裏面にかけて明治35の「石橋再建道路修築寄附」の金額の寄進者名が一面に追刻 2
写真 南永井の石橋供養塔 みなみながい 所沢市 大岾稲荷神社 石碑(尖頭角柱) 高105㎝(うち、台石31㎝),幅28㎝,厚28㎝ 寛政3(1791)
→天保9(1838)再建
  柳瀬・松井の石造物p88
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (左面中央)「奉納四國、秩父/西國/坂東、石橋建立應諸人志」/正面に「青面金剛王」、裏面に「奉拜禮百番供養塔」と陰刻〔文政12(1829)の追刻〕 2
写真 北野の石橋供養塔5 きたの 所沢市   石碑 高90㎝,幅36㎝ 寛政5(1793)   小手指・新所沢・並木の石造物p104
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?
/大正3に修復(追刻)
(正面中央)「奉建立石橋供養塔」 2
写真 北野の石橋供養塔6 きたの 所沢市 砂川調整池・脇 石碑(駒型) 高107㎝,幅40㎝ 寛政8(1796)   小手指・新所沢・並木の石造物p114
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/基部露出 (正面像下)「石橋供養塔」/正面頂部に小さな馬頭観音坐像(一面二臂、蓮台)の浮彫 2
  山口の石橋供養塔 やまぐち 所沢市 六ツ家川(右岸) 石碑(尖頭角柱) 高125㎝,幅33㎝ 寛政8(1796)   山口・吾妻の石造物p73
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
原位置? (正面)「石橋供養塔」 1
写真 上新井の石橋供養塔1 かみあらい 所沢市 東川(河道内) 石碑(尖頭角柱) 高96㎝,幅34㎝ 寛政13(1801)   小手指・新所沢・並木の石造物p27
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/昭和30補修(最下部) (正面)「石橋供養塔」 2
写真 三ケ島の石橋供養塔2 みかじま 所沢市 稲荷神社(大日堂)裏 石碑(道標兼) 高98㎝,幅36㎝ 文化4(1807)   三ヶ島の石造物p32/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/基部露出 (左面中央)「石橋供養塔」、(同左)「此方 さ山 三十三ばん」/正面頂部に小さな大日如来坐像(蓮台)の浮彫、その下に「月山/湯殿山/羽黒山、秩父三拾四番/西國三拾三番/坂東三拾三番」と陰刻 2
写真 三ケ島の石橋供養塔3 みかじま 所沢市 (4丁目)不動橋・北 石碑 高97㎝,幅34㎝ 文化5(1808)   三ヶ島の石造物p48
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/基部露出 (正面像下)「石橋供養塔」/正面頂部に小さな不動明王坐像(磐石)の浮彫/右面に再建の経緯が「此橋自古俗呼曰壞橋蓋竹木爲之以/其壞速也里人憂人馬往返之若旦惡/其名不適不朽因新建石橋改名不動/橋即取之永世不朽易意云」と刻字 2
  日比田の石橋供養塔 ひびた 所沢市   石碑(道標兼) 高54㎝,幅25㎝ 文化11(1814)   柳瀬・松井の石造物p85 移設→個人宅 (正面中央)「馬頭觀世音石橋供養塔」、(同右下)「右、とめ/はんのふ、みち」、(同左下)「左、やすまつ/ところ沢、みち」 4 -
写真 久米の石橋供養塔2 くめ 所沢市 長久寺・門前 石碑 高144㎝,幅36㎝ 文政7(1824)   山口・吾妻の石造物p186/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面)「石佛同石橋建立」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻 1
写真 林の石橋供養塔2 はやし 所沢市 林川の橋・右岸橋詰、
松林寺・西
石碑 高116㎝,幅35㎝ 天保3(1832)   三ヶ島の石造物p120
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/基部露出 (正面)「石橋供養塔」 2
写真 上新井の石橋供養塔2 かみあらい 所沢市 東川(左岸) 石碑(道標兼) 高75㎝,幅27㎝ 天保3(1832)   小手指・新所沢・並木の石造物p29
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(C台石) (正面)「石橋供養塔」、(右面左)「川越」、(左面)「秩父/飯能」 2 -
写真 三ケ島の石橋供養塔4 みかじま 所沢市 (1丁目) 石碑(尖頭角柱) 高103㎝,幅36㎝ 天保4(1833)   三ヶ島の石造物p17
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面)「石橋供養塔」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
写真 三ケ島の石橋供養塔5 みかじま 所沢市 (1丁目)
狭山湖橋・左岸橋詰 
石碑 高86㎝,幅32㎝ 天保6(1835)   三ヶ島の石造物p13
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
移設?/下部埋設 (正面)「石橋再建供養」/右面に再建の経緯が「此石橋在昔安永之間鄕人相議度於盤石然而/其幅狭往来未自由因今補厥狭廣又一石/以爲保於車馬之通行云而已」と刻字/上記「三ケ島の馬頭観音道標2」と並ぶ 2
写真 北野の石橋供養塔7 きたの 所沢市   石碑(尖頭角柱) 高97㎝,幅34㎝ 天保7(1836)   小手指・新所沢・並木の石造物p104
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/刻字部「石橋」を意図的に削除 (正面中央)「石橋供養塔」/右面に寄付金額と寄進者名(5組) 2
写真 三ケ島の石橋供養塔6 みかじま 所沢市 (1丁目)八幡神社・西参道 石碑(尖頭角柱、道標兼) 高152㎝,幅41㎝ 天保12(1841)   三ヶ島の石造物p10
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (右面)「石橋供養塔」、(正面最下部)「扇甼谷/川越」、(右面最下部)「八王子/山口」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
写真 三ケ島の石橋供養塔7 みかじま 所沢市 (1丁目) 石碑 高63㎝,幅29㎝ 天保12(1841)   三ヶ島の石造物p14
/WEB(鎌倉街道上道)
C台石→移設 (正面)「石橋供養塔」 2 -
写真 三ケ島の石橋供養塔8 みかじま 所沢市 (5丁目)中屋本店角 石碑(自然石) 高75㎝,幅55㎝ 嘉永2(1849)   三ヶ島の石造物p53
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「石橋供養」 2 -
写真 北野の石橋供養塔8 きたの 所沢市   石碑 高145㎝,幅34㎝ 安政4(1857)   小手指・新所沢・並木の石造物p105
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「石橋供養塔」/右面に寄付金額と寄進者名(15組)/裏面に再建(明治以後)時の寄付金額と寄進者名(13組) 1
写真 北野の石橋供養塔9 きたの 所沢市   石碑 高77㎝,幅31㎝ 安政4(1857)   小手指・新所沢・並木の石造物p107
/WEB(鎌倉街道上道)
移設・整備/信仰の対象 (正面)「石橋供養塔」 2 -
写真 北野の石橋供養塔10 きたの 所沢市   石碑 高70㎝,幅31㎝ 安政4(1857)   小手指・新所沢・並木の石造物p106
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/裏面C壁に密着 (正面)「石橋供養塔」 3 -
写真 新曽の石尊常夜灯 にいぞ 戸田市   石常夜灯 高2.53m 天保2(1831)   戸田市の石造物p149
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (竿正面)「石尊大權現」/中台正面に鱗をもつ動物と波の浮彫り、台石正面に2頭の獅子の浮彫り/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 1
写真 新曽の題目塔道標 にいぞ 戸田市 妙顕寺 石道標(笠付き) 高145㎝,幅46㎝,厚45㎝ 正徳3(1713)   戸田市の石造物p85
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面最下部右)「従是十八丁」、(同左)「新曾 妙顕寺」/正面に「南無妙法蓮華経」、左面に「子安釋迦佛」と陰刻/頂部に丸味を帯びた笠を載せる 2
写真 中町の庚申塔道標 なか 戸田市 氷川神社 石道標(駒型) 高91㎝,幅38㎝,厚15㎝ 安永6(1777)   戸田市の石造物p61
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(台石とC接合) (右面右)「左 せんこう寺道」、(左面右)「右 わら飛"道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/下記「中町の題目塔道標」と並ぶ 2
写真 美女木の庚申塔道標1 びじょぎ 戸田市   石道標(隅丸型) 高77㎝,幅33㎝,厚24㎝ 文化2(1805)   戸田市の石造物p62
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(基部C)/簡易覆屋内 (右面最下部)「南 (、大野/早瀬)/東 蕨宿、道」、(左面最下部右端・小さく)「南 四ツ辻」、(同右)「北 曲本」、(同左)「西 与の道」/正面を枠だけ残して削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/下記「美女木の如意輪観音像道標」と同所 2
  新曽の道祖神道標 にいぞ 戸田市 下町公民館 石道標 高72㎝,幅28㎝,厚20㎝ 文化5(1808)   戸田市の石造物p106 移設? (正面下部)「これより/大山ミち/はやせわたしハ」、(左面)「右 わらび/左 うらは、道」/正面に「道祖神」と陰刻 2 -
  本町の供養塔道標 ほん 戸田市   石道標 高100㎝,幅35㎝,厚22㎝ 文化7(1810)   戸田市の石造物p68   (?)「右 道海/北 わらび/左 戸田村」/正面に「普門品供養塔」と陰刻  
  美女木の如意輪観音像道標 びじょぎ 戸田市   石道標 高73㎝,幅23㎝,厚14㎝ 文政4(1821)   戸田市の石造物p27 移設? (右面)「東 わらび道」/正面に如意輪観音坐像を陽刻/上記「美女木の庚申塔道標」と同所 2
写真 中町の題目塔道標 なか 戸田市 氷川神社 石道標(駒型) 高52㎝,幅21㎝,厚14㎝ 文政13(1830)   戸田市の石造物p119
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/正面上部が剥離 (右面)「右、川/口、せん加うじ」、(左面)「左、戸/田、羽黒山道」/正面に“日月”、“富士”、藤の紋を線刻、その下に消えかかった刻字/上記「中町の庚申塔道標」と並ぶ 3 -
  新曽の庚申塔道標1 にいぞ 戸田市 観音寺 石道標(駒型) 高77㎝,幅31㎝,厚29㎝ 天保3(1832)   戸田市の石造物p63-64 移設 (台石正面)「向 わらび道」、(右面)「北、つぢ/うらハ、道」、(左面)「左 一丁行右ハ、はやぜ/大山、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿、竜)の陽刻 2
写真 美女木の庚申塔道標2 びじょぎ 戸田市 徳祥寺 石道標 高63㎝,幅27㎝,厚19㎝ 天保13(1842)   戸田市の石造物p64
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面)「南 者やせ/西 ひきまた/北 王らび、みち」/正面に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3 -
写真 新曽の庚申塔道標2 にいぞ 戸田市 元常楽院墓地 石道標 高92㎝,幅29㎝,厚28㎝ 嘉永元(1848)   戸田市の石造物p64
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/笠欠損 (右面下部左)「是ゟ東、わらび/鳩可"や、道」、(左面下部)「是ゟ西、早瀬/引又/大山、道」/正面に「大青面金剛」と陰刻/台石正面に「おしえうた みすきかす いはさる三つの おしえをは さとりしれとそ 示しける」との庚申に因んだ歌を刻字 3
写真 美女木の馬頭観音道標 びじょぎ 戸田市 徳祥寺 石道標(尖頭角柱) 高78㎝,幅32㎝,厚20㎝ 嘉永5(1852)   戸田市の石造物p22
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面下部)「北 (、与の/引又)/東 王らび、道」、(左面下部)「南、者やせ/江戸、道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻(篆書体) 3
写真 美女木の庚申塔道標3 びじょぎ 戸田市 徳祥寺 石道標 高87㎝,幅34㎝,厚20㎝ 元治元(1864)   戸田市の石造物p65
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「北者 引又道 二り/東者 王らび道」、(左面左)「南 者やせ道 一り」/正面に「庚申神」と陰刻 3
写真 美女木の橋供養塔 びじょぎ 戸田市 (3丁目)沖天神社 石碑(舟型) 高68㎝(うち、台石19㎝),幅25㎝,厚21㎝ 享保元(1716)   WEB(鎌倉街道上道) 移設/簡易屋根付き (光背右)「橋供養爲二世安樂也」/光背中央に聖観音立像の浮彫 2
写真 新曽の石橋供養塔 にいぞ 戸田市 妙顕寺 石碑 高87㎝,幅38㎝ 享保12(1727)   戸田市の石造物p96
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、密集→右面・左面とも隣接石柱に密着し視認不能 (左面)「石橋本願」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻/正面に寛保2(1742)の追刻 4
写真 美女木の石橋供養塔 びじょぎ 戸田市 (6丁目)御嶽神社・右隣 石碑(隅丸型) 高94㎝(基部含む),幅32㎝,厚21㎝ 明和2(1765)   戸田市の石造物p96
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/基部露出(実質高は75㎝)/簡易屋根付き (正面像下)「奉供羪石橋一所」/正面頂部に小さな聖観音立像(蓮台)を浮彫 2 -
写真 早瀬の石橋供養塔 はやせ 戸田市 元常光寺 石碑(道標兼) 高56㎝,幅21.5㎝,厚16㎝ 安永4(1775)   戸田市の石造物p96
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/基部露出/簡易木覆屋内 (正面像下)「五箇所 橋供養」、(正面右側)「是より北 左リ よのみち/右ハ うらわ道」、(右面)「右ハ わら飛"みち」、(左面)「左リハ うゑたや領道」/正面頂部に小さな地蔵立像(蓮台)を浮彫り 2 -
  新曽の敷石供養塔 にいぞ 戸田市 観音寺 石碑 高91㎝,幅36㎝,厚34㎝ 弘化3(1846)   戸田市の石造物p97   (正面)「鋪石成就碑」  
  美女木の尾張藩鷹場標杭 びじょぎ 戸田市 美笹支所 石標 高104㎝,17㎝角 明和7(1770)頃   戸田市の石造物p119 移設 (正面)「従是西北 尾張殿鷹場」/鷹場の境界を示す石杭(尾張藩鷹場には84本の石杭があり30余本が現存)→ほとんどが東京都にあり、埼玉県下では戸田市以外に朝霞市・志木市などに残る 2
  新堀の地蔵道標1 しんぼり 新座市   石道標(丸彫) 高66㎝,幅22㎝,厚22㎝ 宝暦4(1754)   市教委(新座の金石文p99)   (台石正面右)「これよりひたり」、(同左)「ふちうみち」/台石上に地蔵立像の丸彫を載せる、台石正面中央には「奉供養地蔵尊」と陰刻  
写真 新堀の地蔵道標2 しんぼり 新座市   石道標(丸彫) 高247㎝(うち、台石2段72㎝) 宝暦5(1755)   市教委(新座の金石文p126)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (下段台石正面右)「右、きよ登/か王こへ、道」、(同中央)「向 江戸みち」、(同左)「左、ところ沢/ちゝ婦、道」/2段の台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる、上段台石正面に「三界萬霊等[ママ]」と陰刻 2
写真 あたごの庚申塔道標   新座市   石道標(駒型) 高122㎝(うち、台石49㎝),幅30㎝,厚23.5㎝ 宝暦12(1762)   市教委(新座の金石文p135)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「北 川越道」、(左面)「八王子道」/正面を枠だけ残して火灯窓型に削り込み上半分に「庚申」と陰刻 2
写真 畑中の准胝観音道標 はたなか 新座市 畑中公民館・交差点 石道標 高184㎝(うち、台石29㎝),幅40㎝,厚25㎝ 文化元(1804)   市教委(新座の金石文p92)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面下部右)「南ハ 大やまみち」、(左面下部左)「西ハ ところさ王みち」/正面頂部を光背型に削り込み准胝観音座像(三眼十八臂、蓮台)を小さく陽刻、その下に「供養塔」と陰刻/准胝観音は極めて稀 2
写真 野寺の庚申塔道標 のでら 新座市 (1丁目) 石道標 高67㎝,幅32㎝,厚31㎝ 天保7(1836)   市教委(新座の金石文p137)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/C台石、元の台石はC台石に埋没し、塔身とのC接合も厚い→高さは塔身のみ (右面右)「右 きよ戸道」、(同左)「…り …ろざわみち」、(左面左)「左 …山」(道しるべかどうか不明)/正面に「庚申塔」と陰刻(「塔」の刻字が不明瞭) 3 -
写真 片山の石橋供養塔 かたやま 新座市 中沢バス停 石碑
(舟型、道標兼)
高96㎝(うち、台石51㎝),幅38㎝,厚23㎝ 安永5(1776)   WEB(鎌倉街道上道) 移設(下部C床版) (正面像下右)「爲供養石橋建立」、(左面像下右)「左/江戸」/正面上半分を下部より横に広がる形で光背付きの地蔵坐像(蓮台)を陽刻 2
写真 野火止の石橋供養塔1 のびとめ 新座市 野火止用水・伊豆殿橋西 石碑(駒型) 高103㎝,幅40㎝,厚22㎝ 安永8(1779)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面像下)「石橋供養…」/正面上部を削り込み馬頭観音坐像(一面八臂〔馬頭冠、宝輪、剣、棒、斧〕、蓮台)を陽刻 1
写真 野火止の石橋供養塔2 のびとめ 新座市 番星寺 石碑(笠付き) 高150㎝(うち、台石32㎝),幅36㎝,厚27㎝ 天明3(1783)   市教委(新座の金石文p130)
/WEB(鎌倉街道上道)

移設

(左面左)「奉掛石橋供養」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻 2
写真 野火止の石橋供養塔3 のびとめ 新座市 野火止用水・伊豆殿橋東際 石碑(道標兼) 高40㎝(基部込み約60㎝),12㎝角 天明3(1783)   市教委(新座の金石文p130)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(基部露出) (右面)「石橋建立當村中」、(正面)「従是、右 大山みち/左 江戸みち」 2 -
写真 野火止の石橋供養塔4 のびとめ 新座市 野火止用水・山下橋際 石碑 高63㎝,幅28㎝,厚16㎝ 文化11(1814)   WEB(鎌倉街道上道)

原位置?

(正面)「石橋供養塔」 1 -
写真 あたごの石橋供養塔   新座市   石碑(道標兼) 高54㎝(うち、台石9㎝),
幅20㎝,厚14㎝
文政8(1825)   市教委(新座の金石文p131)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/C台石(正しい高さは不明)/最下部埋設 (正面)「石橋修理供養」、(右面)「北ハ か王ごへミち/東ハ 飛きまたミち」、(左面)「め可"ハみち/と古ろざハミち」 2 -
写真 馬場の板橋供養塔 ばば 新座市 第四小学校・南 石碑 高57㎝,幅23㎝,厚14㎝ 天保7(1836)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約/覆屋内/最下部耗削 (正面)「板橋供養塔」 2 -
写真 大和田の石橋供養塔 おおわだ 新座市 氷川神社 石碑(駒型) 高102㎝,幅36㎝,厚23㎝ 元治元(1864)   市教委(新座の金石文p131)
/WEB(鎌倉街道上道)

原位置/隣接する参道橋の供養塔

(正面)「(梵字)石橋供羪塔」 1
写真 大和田の敷石供養塔 おおわだ 新座市 普光明寺 石碑(尖頭角柱) 高133㎝(うち、台石2段44㎝),幅32.5㎝,厚20㎝ 文化5(1808)   市教委(新座の金石文p130-131)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/参道敷石の供養塔 (正面)「(梵字3)敷石供養塔」 1
写真 野火止用水 のびどめ 新座市
東京/
清瀬市・小平市・東村山市
玉川上水 用水路 長25㎞ 承応4(1655) 県史跡 市教委/WEB 昭和59-63同清流対策事業/水路は人工的/平成24に「野火止用水・平林寺の文化的景観保存計画」が策定 施主:川越藩主・松平信綱、補佐:安松金右衛門・小畠助左衛門/生活・灌漑用水確保のために、玉川上水から3割の分水を許されたもの/工期40日、費用3000両 3
写真 黒浜の庚申塔道標1 くろはま 蓮田市   石道標(駒型) 高153㎝(うち、塔身121㎝),
幅54㎝,厚37㎝
延享元(1744)   黒浜の石造物p20
/市教委
原位置?/基部露出 (右面下部左端)「是より南 ぢおんち道/是よ里西 かうの春道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻、右面に「奉造立庚申尊像現當安処」と陰刻(緑字は異体字) 1
写真 駒崎の馬頭観音像道標 こまさき 蓮田市 (星久院) 石道標(笠付き) 高120㎝(うち、台石19㎝),
幅48㎝,厚31㎝
寛延元(1748)   駒崎の石造物p19-22
/市教委
移設 (正面最下部中央右)「南 こむろ道」、(右面)「是ゟ せうぶミち」、(左面)「是ゟ あげを道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、剣、輪宝、施無畏印、数珠〕)を陽刻、その下に蓮の花の陽刻、その右に「奉造立馬頭観音爲現當安樂也」と陰刻/唐破風付の笠 2
写真 黒浜の廻国塔道標 くろはま 蓮田市   石道標(蒲鉾型) 高96㎝ 寛延3(1750)   黒浜の石造物p36
/市教委
移設、集約 (右面)「右 志"おんじ/左 かうのす、道」/正面を枠だけ残して浅く削り込み「奉順禮、西國/坂東/秩父、百箇所」と陰刻 3
写真 江ケ崎の道標 えがさき 蓮田市 日川・跡 石道標(蒲鉾型) 高120㎝,幅42㎝,厚23㎝ 寛延4(1751)   江ヶ崎の石造物p191/WEB(関東地方の川) 原位置? (正面)「従是東、岩付通道/慈恩寺道」、(右面)「右 きさいみち」、(左面)「左 加う乃春みち」(=鴻巣) 1
  井沼の廻国塔道標 いぬま 蓮田市 (後塚) 石道標(尖頭角柱) 高66㎝(うち、台石7㎝),
幅22㎝,厚17㎝
明和元(1764)   井沼の石造物p59-62
/市教委
原位置 (正面右」「西 こう乃すミち」、(同左)「東 …ミち」、(右面)「い王つき/志おんじ、ミち」、(左面)「左、くき/さつて、ミち」/正面に「奉□□□秩父百箇所爲二世安樂」と陰刻 1 -
写真 井沼の庚申塔道標 いぬま 蓮田市 (的場) 石道標 高95㎝(うち、台石5㎝),
幅36㎝,厚23㎝
明和5(1768)   井沼の石造物p69-72
/市教委
移設 (正面最下部右・枠内)「西、かう乃す/よしみ」、(同左・枠内)「東、い王つき/ぢおんじ」、(右面)「南 村道」/正面上部に青面金剛立像(六手合掌)を陽刻、像右に「庚申供養」と陰刻 2
写真 蓮田の供養塔道標1 はすだ 蓮田市 (東原) 石道標(墓石型) 高137㎝(うち、台石52㎝),
幅37㎝,厚42㎝
明和5(1768)   上蓮田の石造物p102
/市教委
移設、集約/塔身と台石C接合 (右面)「これより 南 い王つき」(=岩槻)、(左面)「これより、北 志やう婦"/西 かう乃す/東 さ川て」(=菖蒲、鴻巣、幸手)/正面に「奉巡禮西國三十三所、秩父/坂東、供養塔」と陰刻 2
  川島の供養塔道標 かわじま 蓮田市 (足り) 石道標 高62.5㎝,幅30㎝,厚15㎝ 明和6(1769)   川島の石造物p87
/市教委
移設 (正面左端)「是より西 かう能す道」、(右面)「是より南 い王つき道」、(左面)「是より東 志"おんじ道」/正面中央に「奉納、坂東/西國/秩父、百箇所爲二世安樂」と陰刻 2 -
写真 蓮田の庚申塔道標1 はすだ 蓮田市 (久台) 石道標(笠付き) 高164.5㎝(うち、台石24㎝),
幅39㎝,厚43㎝
安永4(1775)   上蓮田の石造物Ⅱp64-65
/市教委
移設 (右面頂部)「北」、(同右上部)「右 こ者"り」(=小針)、(同左上部)「左 志"おんじ」、(左面頂部)「南」、(同右端)「右 志"おんじ」、(同中-左)「左、こむろ/こ者"り/こうの春/者らいち、道」(=鴻巣、原市)/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、二鶏、三猿)を陽刻、唐破風付の立派な笠 2
写真 駒崎の庚申塔道標 こまさき 蓮田市 (中郷) 石道標(笠付き) 高133㎝(うち、台石10㎝),
幅50㎝,厚30㎝
安永5(1776)   駒崎の石造物p81-84
/市教委
個人宅に移設 (右面上部)「右 者らいち」、(左面上部)「左 セうぶ」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、二鶏、三猿)を陽刻 4
写真 蓮田の庚申塔道標2 はすだ 蓮田市 慶福寺 石道標(笠付き) 高176㎝(うち、台石29㎝),42㎝角 安永6(1777)   下蓮田の石造物p64
/市教委
移設/笠正面を折損→修復 (右面右)「右 ぢおんじ道」、(同左)「左 者らいち道」、(左面左端)「左 せうぶ道」/正面正面を火灯窓型に浅く削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、二鶏、三猿)を陽刻、右面中央に「奉造立庚申真容大悲妙術爲二世安樂也」と陰刻、唐破風付きの笠、宝珠を載せる 2
写真 江ケ崎の庚申塔道標1 えがさき 蓮田市 保福寺 石道標(笠付き) 高160㎝(うち、台石31㎝),45㎝角 安永6(1777)   江ヶ崎の石造物p160-161/市教委 移設/宝珠が落下(別置き) (右面右)「右 せうぶ道」、(同左)「左 い王川き道」(=岩槻)、(左面右)「右 志"おんじ道」、(同左)「左 者良いち道」(=原市)/正面を火灯窓型に浅く削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、二鶏、三猿)を陽刻、台石正面にも“三猿”の陽刻、左面中央に「奉造立庚申供養塔」と陰刻、右面上部に「庚申供養塔」と陰刻/唐破風付きの笠 2
写真 蓮田の地蔵道標1 はすだ 蓮田市 (蓮田口) 石道標(丸彫) 高131㎝(うち、台石36㎝) 安永7(1778)   上蓮田の石造物Ⅱp36-37/市教委 原位置/木祠内 (台石右面左端)「右 い王川き道」(=岩槻)、(台石左面左端)「左 志"おんじ道」/台石上に地蔵立像(錫杖)の丸彫を載せる/台石正面に「回國供養塔」と陰刻 1
写真 川島の庚申塔道標1 かわじま 蓮田市 (足り) 石道標(笠付き) 高148㎝(うち、台石23㎝),
幅40㎝,厚33㎝
天明5(1785)   川島の石造物p92-93
/市教委
移設、集約/右面一部剥離 (右面最下部)「南 い王つき道/ かふ能す道」、(左面最下部右)「此方/志"おんじ道」/正面を枠を残して浅く削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、二鶏、三猿)を陽刻、唐破風付きの笠/右面上部に「庚申供養塔と陰刻」 2
写真 蓮田の庚申塔道標3 はすだ 蓮田市 (久台) 石道標(笠付き) 高159㎝(うち、台石29㎝),
幅37㎝,厚42㎝
寛政11(1799)   上蓮田の石造物Ⅱp66-67/市教委 原位置/立派な木祠内/信仰の対象 (右面)「右 こうの春道/向 せうぶ道/左 志"おんじ道」、(左面中央)「向 い王つき道」/正面を火灯窓型に浅く削り込み青面金剛立像(光輪、六手剣人、邪鬼、二鶏)を陽刻(彫りが緻密)、唐破風付きの立派な笠 1
写真 城の庚申塔道標1 じょう 蓮田市 天満社 石道標(笠付き) 高185㎝(うち、台石7㎝),39㎝角 寛政11(1799)   城・新宿の石造物p26-27/市教委 移設 (左面)「東 志"おんじ道/西 かうのす道」/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(六手剣人、邪鬼)を浮彫(彫りが緻密)、笠正面破風に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻/立派な唐破風付きの笠 2
  上平野の庚申塔道標 かみひらの 蓮田市 (長嶋谷・強田) 石道標   寛政12(1800)   埼葛の道しるべp8 移設 (右面)「南 はらいち」、(左面)「北 しょうぶ 一り」、(裏面)「東、いわつき/志おんじ」/正面に青面金剛立像を陽刻 2  
写真 閏戸の庚申塔道標1 うるいど 蓮田市 養牛寺 石道標(尖頭角柱) 高126㎝(うち、台石36㎝),40㎝角 寛政12(1800)   閏戸の石造物p62-63
/市教委
移設 (台石右面)「東 さ川て」(=幸手)、(台石左面)「南 い王つき/北 せうぶ」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 江ケ崎の千手観音像道標 えがさき 蓮田市 保福寺 石道標(尖頭角柱) 高90㎝(うち、台石14㎝),
幅37㎝,厚35㎝
享和3(1803)   江ヶ崎の石造物p140
/市教委
移設 (右面上部)「右 さつて道/三里」、(左面上部)「左 セうふ道/三里」/正面に頂部を光背型に削り込み千手観音坐像を陽刻、その下に「觀音經講中」と陰刻/千手観音像はきわめて稀 2
写真 江ケ崎の庚申塔道標2 えがさき 蓮田市 保福寺 石道標(自然石) 高107㎝(うち、台石21㎝),
幅65㎝,厚25㎝
文化12(1815)   江ヶ崎の石造物p158
/市教委
移設 (台石正面右端)「い王つき」、(同左端」「志"おんじ」、(台石右面右端)「志やう…」、(同左端)「すぎ…」、(台石左面右)「はらいち」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 根金の馬頭観音道標 ねがね 蓮田市 (清水) 石道標 高112㎝(うち、台石21㎝),
幅35㎝,厚35㎝
文化14(1817)   根金の石造物p43-46
/市教委
移設→個人宅(道路際)/台石下部埋設/柵で刻字が読みにくい (台石正面)「きさ…/くき/さつ…/すぎ…」、(右面右)「此方、こうのす/をけ可"王」(=桶川)、(左面右)「此方 はら以ち」、(同左)「此方 い王つき」/正面中央に「馬頭觀世音菩薩」、その下に蓮台を陰刻 3
写真 川島の庚申塔道標2 かわじま 蓮田市 (蔵足り) 石道標(尖頭角柱) 高105㎝(うち、台石19㎝),
幅33㎝,厚30㎝
文化15(1818)   川島の石造物p91
/市教委
原位置/塔身と台石C接合 (左面)「右 い王つき道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 根金の庚申塔道標1 ねがね 蓮田市 (西浦) 石道標(尖頭角柱) 高124㎝(うち、台石30㎝),39㎝角 文政4(1821)   根金の石造物p113-116
/市教委
原位置/頂部に金属製の庇 (右面左)「くき/セうぶ/さつて、道」、(右面中央)「乃ミち」(=野道)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 上の供養塔道標 かみ 蓮田市   石道標(尖頭角柱) 高114㎝(うち、塔身74.5㎝),
幅36㎝,厚28㎝
文政6(1823)   貝塚の石造物p106
/市教委
原位置?/塔身と台石C接合 (右面)「志"おんじ道/かす可べ道」、(左面右端)「与しみミち/古うのすみち」/正面に「秩父/西國/坂東、百番供養塔」と陰刻、裏面に「奉修行大峯冨士山諸願成就之所」と陰刻 1
写真 黒浜の庚申塔道標2 くろはま 蓮田市   石道標(尖頭角柱) 高109㎝(うち、塔身67㎝),
幅30㎝,厚27㎝
文政8(1825)   黒浜の石造物p19
/市教委
下段台石が2つの石材→後補?→移設? (上段台石正面右端)「かうのす道」、(右面左下)「ぢおんじ道 一里」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、上段台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 蓮田の庚申塔道標4 はすだ 蓮田市 (前口) 石道標(駒型) 高84㎝,幅37㎝,厚21㎝ 文政12(1829)   下蓮田の石造物p58
/市教委
移設 (正面下部)「あき者 三り/者らいち 十八丁/あげを 一り」、(左面右)「志"おんじ 一り/かす可へ 二り」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
  閏戸の庚申塔道標2 うるいど 蓮田市 (湿気) 石道標   文政13(1830)   埼葛の道しるべp8 移設 (正面○○)「くき/志やうぶ」、(右面)「こうのす」、(左面)「いわつき/はらいち」/正面○○に「庚申塔」と陰刻 2  
写真 閏戸の庚申塔道標3 うるいど 蓮田市 (栗崎) 石道標(尖頭角柱) 高120㎝(うち、台石29㎝),
幅35㎝,厚32㎝
天保2(1831)   閏戸の石造物p60-61 原位置 (右面上部中央)「此方/橋渡り左」、(同下部)「志おんじ 二里/かす加べ 三り余/原市 一り半/上を 一り半余/大者 三り余」、(左面上部中央)「橋渡り右/此方」、(同下部)「お希川 二里/まつ山 六り/かふのす 三里余/久喜 二里/さつて 三り余/すぎ戸 三里」/正面に大きく「猿田彦大神」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 城の庚申塔道標2 じょう 蓮田市 天満社 石道標(駒型) 高122㎝,幅35㎝,厚28㎝ 天保2(1831)   城・新宿の石造物p28
/市教委
移設 (右面左上)「左 志おんじ道」、(左面右上)「右、よしみ/かうのす、道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻 2
写真 笹山の庚申塔道標1 ささやま 蓮田市 (十九丁) 石道標(尖頭角柱) 高106㎝(うち、台石6㎝),
幅34㎝,厚31㎝
天保6(1835)   笹山の石造物p122
/市教委
原位置 (右面右下)「右 かふのす 五り」、(同左下)「左 志"おんじ 廿五丁」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面を矩形に削りこんで“三猿”の陽刻 1
  黒浜の馬頭観音道標 くろはま 蓮田市   石道標 高58㎝ 天保9(1838)   黒浜の石造物p4
/市教委
移設 (右面右)「西方 原市道」、(左面)「北方 さつて/東方 すぎと、道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻(緑字は異体字) 2 -
写真 城の題目塔道標 じょう 蓮田市 天満社 石道標(尖頭角柱) 高93㎝,幅32㎝,厚22㎝ 天保10(1839)   城・新宿の石造物p57
/市教委
移設 (右面)「此方、こうのす 八り/よしミ 七り」、(左面)「此方、志おんじ 一り半/かすかべ 三り」/正面に大きく「斈心」(=学心)と陰刻、頂部に“日月”、その下に“富士山”の線刻 2
写真 根金の庚申塔道標2 ねがね 蓮田市   石道標(尖頭角柱) 高86㎝(うち、台石20㎝),
幅28㎝,厚27㎝
天保12(1841)   閏戸の石造物p56-57
/市教委
移設→市郷土資料館/塔身と台石C接合 (台石正面右)「い王つき 二」、(同中右)「者らいち/あげを、一り半」、(同中左)「さ川て り」、(同左)「左/せふぶ/くき、二」/(台石左面左橋)「東/道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 蓮田の地蔵道標2 はすだ 蓮田市 (下出) 石道標(尖頭角柱) 高125㎝,幅35㎝,厚25㎝ 天保14(1843)   下蓮田の石造物p22
/市教委
原位置 (右面上左)「東、い王つき/志おんじ」、(左面上)「西、者らいち/あき者"」/正面頂部を円形に削り込み地蔵坐像(錫杖、蓮台)を陽刻、その下に「奉建立地藏大菩薩」と陰刻 1
写真 貝塚の庚申塔道標 かいづか 蓮田市 (塚本) 石道標(尖頭角柱) 高149㎝(うち、塔身86㎝),35㎝角 弘化4(1847)   貝塚の石造物p40-41
/市教委
移設 (正面最下部右)「川越場/さつて、江 二り余」、(同中-左)「向南/すきとへ/二り」、(右面左)「右、くき/志やうふ、江 二り」、(左面左)「左、こうのす 二り/者らいち 一り六丁」/正面に「猿田彦大神」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 閏戸の題目塔道標 うるいど 蓮田市   石道標 高81.5㎝(うち、台石19.5㎝),
幅26㎝,厚19㎝
嘉永元(1848)   閏戸の石造物p128-129
/市教委
移設?/祠内 (正面右端)「向、あげを/□□□」、(右面右)「此方、さつて/高の」、(同左)「すきと」/正面に「甲子塔」と陰刻 2
写真 蓮田の供養塔道標2 はすだ 蓮田市 (前口) 石道標(尖頭角柱) 高92㎝(うち、台石16㎝),
幅31㎝,厚26㎝
嘉永2(1849)   下蓮田の石造物p66-67
/市教委
移設/石材に幾つか亀裂 (右面左下)「志おんじへ 壹り半」、(左面右中)「者らち 廾丁/よしミへ 六り」、(同中上)「老能坂越し□□/旅路や 西乃方」、右面最下部に像容不明の横向き坐像を陽刻/正面に「奉拝禮、秩父/西國/坂東、百ヶ所供養塔」と陰刻 2
写真 笹山の庚申塔道標2 ささやま 蓮田市   石道標(尖頭角柱) 高117㎝(うち、塔身92㎝) 安政2(1855)   笹山の石造物p121 原位置?/台石下にC/刻字部不鮮明 (台石右面右)「右 こうの/…」、(同左)「左 い王つ/一り」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、、頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻 2
  川島の廻国塔道標 かわじま 蓮田市 (足り) 石道標 高61㎝,幅29㎝,厚19㎝ 安政4(1857)   川島の石造物p86
/市教委
移設 (右面)「西 よしみ道 七り」、(左面)「東 志"おんじ道 一り」/正面に「奉拝禮、西國四國/坂東秩父、百八拾八箇所供養塔」と陰刻 2 -
写真 蓮田の石橋供養塔 はすだ 蓮田市 見沼代用水(左岸) 石碑(道標兼) 高81㎝,幅37㎝,厚29㎝ 延享4(1747)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/下蓮田の石造物p69/市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像下)「石橋供養塔/拾五ヶ所」、(正面像下右)「南 い王つき道」、(右面)「東 志"をんじ道」、(左面中央)「西 者らいち道」/頂部を光背型に削り込み地蔵の半跏坐像(錫杖)を陽刻/前橋の供養塔? 1
写真 閏戸の石橋供養塔 うるいど 蓮田市 薬師堂 石碑(道標兼) 高99㎝,幅37㎝,厚29㎝ 寛政10(1798)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/閏戸の石造物p76-77 移設、集約 (正面)「石橋供養」、(右面)「右、らいち/あげ」、(左面)「左 くき さつて」/外谷橋の供養塔? 3
  駒崎の石橋供養塔 こまさき 蓮田市 (中郷) 石碑(道標兼) 高99㎝,幅25㎝,厚13㎝ 文政9(1826)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/埼葛の道しるべp8 移設 (正面頂部)「石橋供養塔」、(右面)「い王つき/志おん寺」、(左面)「右、志やうぶ/きさい」 2
写真 見沼代用水 みぬまだい 蓮田市・他 行田市→鴻巣市→加須市→久喜市→白岡市→蓮田市→上尾市→東縁・西縁に分離 用水路 総延長70㎞ 享保13(1728) 疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修 葛西用水とならび、江戸期を代表する大用水/8代将軍・吉宗の命を受け、井澤弥惣兵衛為永により築造/灌漑用溜池であった見沼溜井の代替用水路→「代用水」の命名/用排水分離、大規模な水利構造物(十六間堰、柴山伏越、瓦葺掛樋など)が特徴/灌漑、干拓、治水、運河を含む総合的な地域開発事業 4
写真 黒浜沼(上沼)の留堤 くろはま
(うわ)
蓮田市 黒浜沼(上沼) 土堰堤 長約300m(現存) 寛永年間(1630頃)   WEB(関東地方の川) 天端→市道 1つの沼を上沼(現・黒浜沼)と下沼に分けるため構築 3
写真 備前堤 びぜん 蓮田市・桶川市 綾瀬川 土堤防 長約500m(現存) 慶長年間(1600頃)   WEB(関東地方の川) 蓮田市側は旧堤の雰囲気を残す 関東代官頭・伊奈備前守忠次により築かれた綾瀬川の締切り堤防(綾瀬川は旧荒川(現在の元荒川)の派川(旧荒川から分岐する川)で、旧荒川が高台を流れていたのに対し旧綾瀬川は低地を流れていたため、旧荒川が増水すると洪水の大半は綾瀬川の方へ流下していた→下流洪水被害を防ぐため綾瀬川の分岐地点に備前堤を築造)/「備前」の呼称の由来は備前守/御定杭(下記参照)が現存 2
写真 勘兵衛松 かんべい 羽生市 <日光脇往還> 松並木 長560mに150本→38本(昭和3)→17本(昭和47) 寛永5(1628) 県天然 WEB 数本残るのみ 寛永5、第3代将軍・徳川家光が日光東照宮へ参詣した際、関東郡代の大河内金兵衛が家臣の勘兵衛に命じて日光脇往還沿いに松を植えた→「勘兵衛松}の名の由来 4
写真 上村君の常夜灯 かみむらきみ 羽生市 (三田内)惣徳院参道 石常夜灯 高3.66m 天保10(1839)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 火袋は後補 中台に精巧な陽刻/石基壇あり 2
写真 上新郷の題目塔道標 かみしんごう 羽生市 (下宿)天神社(新郷十区集会所) 石道標(尖頭角柱) 高51㎝,幅21㎝,厚19㎝ 宝暦3(1753)   WEB(埼玉県の橋供養碑)   (左面)「右 江戸 きさひ道」、(裏面)「左 □□□□」/正面に「(梵字)法印惠秀」と陰刻   -
写真 上川俣の庚申塔道標 かみかわまた 羽生市 (新田)市道・辻 石道標 高114㎝(うち、台石19㎝),
幅45㎝,厚27㎝
宝暦11(1761)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (台石正面右端)「右 くり者し道」、(同左)「左 たて者やしミ」/正面を枠だけ残して削り込み、「庚申供養塔」と陰刻、その上に“日月”の陽刻 1
写真 北の供養塔道標 きた 羽生市 (2丁目)県道60号、羽生西小の西150m 石道標(蒲鉾型) 高132㎝(うち、台石44㎝),幅33㎝ 天明5(1785)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 簡易祠内 (右面下部)「にし/川またみち/めぬまみち」、(左面下部)「ひがし/はにう/きさへみち」(=騎西)/正面に「(梵字)、廿三夜/大日供養/庚申、塔」、頂部に“日月”の陽刻  
写真 神戸の供養塔道標 ごうど 羽生市 熊野神社・前 石道標 高140㎝,幅38㎝,厚23㎝ 寛政7(1795)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面右端)「右 ふとうをか道」、(同左端)「左 はにふ道」/正面に「已待供養塔」と陰刻 1
写真 与兵エ新田の馬頭観音像道標 ごうど 羽生市 円蔵院墓地 石道標(駒型) 高73㎝,幅33㎝ 寛政9(1797)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部埋設 (正面右下隅)「東 たて者やし道」、(同左下隅)「西 者にふ道」/正面中央に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻 3
写真 神戸の八菩薩像道標 ごうど 羽生市 南方用水路の南100m、辻 石道標 高126㎝,幅40㎝,厚20㎝ 文化5(1808)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部埋設 (正面最下部左隅)「此方/ふどうを」(=不動岡)、(右面最下部左)「此方/者にう 志こう」、(左面最下部左)「此方/きやうた」(=行田)/正面に3段に菩薩坐像を陽刻(上段3、中段3、下段2→下段の右側は地蔵) 2
写真 常木の供養塔道標 つねぎ 羽生市 (下)常木神社参道 石道標 高77㎝,幅27㎝,厚19㎝ 文化12(1815)   市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部埋設 (正面最下部右端)「東、大越や/一」、(右面最下部)「北、いゝのかし/たて者"やし}(=飯野河岸)、(左面最下部)「南、ふとうをか/きさい、道」/正面に「(梵字)奉供羪」と陰刻 2 -
写真 下手子林の地蔵道標 しもてこばやし 羽生市 稲荷神社 石道標 高98㎝,幅22㎝,厚16㎝ 文政11(1828)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (正面最下部右)「右 大ごへ」、(同左)「左、せんづ以/多て者やし」/正面頂部を光背型に削り込み小さな地蔵坐像を陽刻、その下に「念佛供養」と陰刻 2
写真 下手子林の馬頭観音道標 しもてこばやし 羽生市 竹田集会所・東 石道標 高59㎝,幅23㎝ 文政12(1829)   市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/正面上部剥離 (左面)「此方、せ无つ以/たて者"やし」(=千津井の渡し)/正面に「…音」と陰刻 3 -
写真 秀安の供養塔道標 ひでやす 羽生市 (上郷)県道412号脇、地蔵堂 石道標 高97㎝,幅39㎝,厚29㎝ 天保10(1839)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/覆屋内/基部露出 (正面最下部右)「ふとう岡江 一里」、(同左)「かす町 一里半」(=加須)、
(右面下部)「羽生 十八丁/たて林江 三里」、(左面頂部)「きさい 二里/かふのす 四里」/正面に「十六夜供養塔」と陰刻
2
写真 上手子林の如意輪観音像道標 かみてこばやし 羽生市 (柳島)県道129号、三叉路 石道標(駒型) 高88㎝,幅36㎝,厚20㎝ 嘉永4(1851)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面像下右上端)「不動岡へ/一り」、(同左上端)「きさいへ/二り」、(右面上部右)「せんつい 一り半」、(同左)「たて林 三り」、(左面右上)「はにうへ 十丁」、(同左下)「川又へ 一り」/正面頂部を円形に削り込み如意輪観音の半跏坐像(蓮台)を陽刻、その下中央に「二十二夜」と陰刻 1
写真 下手子林の庚申塔道標 しもてこばやし 羽生市 手子林小の南200m 石道標 高132㎝,幅21㎝ 安政4(1857)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/基部露出 (正面下部)「西 者にう」、(右面下部)「南 ふどう可」、(左面上部)「北 せん津以/東 くりはし」(=千津井の渡し)/正面に「庚申塔」と陰刻 2
写真 三田ケ谷の馬頭観音道標 みたかや 羽生市 県道60号、JAの東100m 石道標 高56㎝,幅28㎝ 安政4(1857)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面左下)「向、者にふ 一り半/きやう /くまや 五」、(右面)「此方、ふとうか 一り/かぞ 二り/せうぶ 三り」(=不動岡、菖蒲)、(左面)「向、いゝ乃 十八丁/いたく良 一り十八丁/たてはやし 三り」
(=飯野)/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻
2 -
写真 下岩瀬の庚申塔道標 しもいわせ 羽生市 国道122号下岩瀬交差点の南西200m、三叉路 石道標 高78㎝,幅41㎝,厚23㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部埋設 (右面最下部右)「西、者し 二十/め駑ま …」、(同左)「北 者にう 十二」、(左面右)「りいなり 十丁/ふう岡」、(同左)「南 こふの 四り」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻 3
写真 中手子林の供養塔道標 なかてこばやし 羽生市 県道84号の辻
(北荻島の境界)
石道標(駒型) 高77㎝,幅35㎝ 文久2(1862)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/下部埋設 (左面下部)「此方、ふとうおか/かぞ/きさい」/正面に「月山/湯殿山/羽黒山、四國/中國/秩父/坂東、供養」と陰刻 1 -
写真 上村君の馬頭観音道標 かみむらきみ 羽生市 (堤根)避来矢神社 石道標 高100㎝(うち、台石31㎝),32㎝角 慶応2(1866)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面最下部右)「東/おゝこひ(?)/一里」(=大越)、(同左)「く里はし/三り半」、(左面上)「西、千津ゐ 十二丁/たてはやし 二り半/者尓ふ 里」(=(羽生)/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 下羽生の道標 しもはにゅう 羽生市 県道129号秀安交差点の東50m 石道標 高51㎝,幅27㎝,厚19㎝ 江戸期?   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面)「南、きさ以/ふとふ岡、道」(=騎西)、(右面)「東、村ミち/ふとふ岡」、(左面)「西 羽生町 十三町」/「ミち」の標記は江戸期の可能性 2 -
写真 上新郷の忍領石標 かみしんごう、おし 羽生市 上新郷宿本陣跡 境界石 高168㎝,幅30㎝,厚24㎝ 安永9(1780)   市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設→個人(旧本陣)宅 (正面)「従是西忍領」/忍藩と他藩との領地の境界を明らかにするために16ヶ所建てられたものの1つ(現存は5基か?) 3
写真 上岩瀬の石橋供養塔 かみいわせ 羽生市 建福寺 石碑 高72㎝,幅22㎝,厚13㎝ 正徳5(1715)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/基部大きく露出 (正面)「庚申供養/念佛供養、石橋」/西側を流れる会の川or南方用水(羽生領用水)に架けられていた石橋の供養塔? 3
写真 北の石橋供養塔 きた 羽生市 (2丁目) 石碑 高210㎝,幅37㎝,厚24㎝ 寛政9(1797)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?/上部3分の1の辺りで水平に折損→修復 (正面)「爲大乘妙典千部供羪設石橋」/脇を流れる城沼落に架けられていた神明橋(旧高橋)の供養塔? 2
写真 北袋の石橋供養塔 きたぶくろ 羽生市 北袋集会所 石碑 高118㎝,幅40㎝,厚23㎝ 寛政9(1797)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面像下)「石橋供養塔」/正面頂部を円形に削り込み聖観音立像を陽刻、その下に蓮台の線刻/南方を流れる岩瀬落に架けられていた石橋(是身坊橋)の供養塔? 3
写真 砂山の石橋供養塔 すなやま 羽生市 愛宕神社 石碑 高104㎝(塔身),幅39㎝ 嘉永2(1849)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (正面)「石橋再建/二十三夜、供養塔」 2
写真 南羽生の敷石供養塔 みなみはにゅう 羽生市 (1丁目)富徳寺・門前 石碑(尖頭角柱) 高192㎝(うち、台石54㎝),47㎝角 寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「鋪石供養墖」 1
写真 中手子林の敷石供養塔 なかてこばやし 羽生市 (天神塚)文殊院・北200m 石碑(駒型) 高169㎝(うち、台石39㎝),幅39㎝,厚26㎝ 天保3(1832)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/覆屋内 (正面像下左)「敷石供羪」/正面上部を削り込み如意輪観音の半跏坐像(蓮台)を浮彫り 2
写真 発戸の敷石供養塔 ほっと 羽生市 鷲宮神社 石碑 高91㎝,幅34㎝,厚29㎝ 嘉永5(1852)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面)「鋪石供養塔」 2
写真 葛西用水 かさい 羽生市・他 羽生市→加須市→久喜市→幸手市→杉戸町→春日部市→越谷市→草加市→八潮市 用水路 総延長70㎞ 万治3(1660) 疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修/元圦の跡地→葛西親水公園として整備 見沼代用水とならび、江戸期を代表する大用水/徳川幕府の天領開発策の一貫(幸手領の用水路)として、関東郡代・伊奈忠克により構築/旧利根川筋(会の川と大落古利根川)の河道を利用し、複数の溜井を連結した用水形態(用排水兼用)/利根川の右岸堤防に樋管を伏せ込んで直接取水(自然流入)〔~昭和43〕/幹線水路の水管理や修築は、勘定奉行所の所管(幕府直轄)/用水体系が確立したのは享保4(1719) 3 写真
写真 中山の常夜灯 なかやま 飯能市 加治神社・前 石常夜灯 高2.4m 享和2(1802)   WEB(鎌倉街道上道) 石基壇にC充填、その上の台石の下にもC→移設もしくは再建/火袋後補 (竿正面)「當所鎭守」、(竿右面)「金毘羅大權現」、(竿左面)「秋葉大權現」/中台正面・台石正面に浮彫り(→「秋葉大權現」の刻字面の中台・台石に浮彫りがないので、主文は「當所鎭守」) 2
写真 中藤上郷の題目塔道標1 なかとうかみごう 飯能市 青石橋・傍 石道標(自然石) 高165㎝,幅82㎝,厚30㎝ 元禄3(1690)   市教委(飯能の石造遺物p116・216)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面右下)「右 高山道」、(同左下)「左 子こんけん道/五十二丁」、(同その左)「三峯山 /十三里」/正面中央に「南無阿弥陁佛」と陰刻/17世紀の道標 1
  中藤上郷の題目塔道標2 なかとうかみごう 飯能市 青石橋・傍 石道標(自然石) 高57㎝,幅40㎝,厚41㎝ 元禄10(1697)   市教委(飯能の石造遺物p117・216) 原位置? (正面右)「みぎ たかやま/ひだり あまてら」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻/17世紀の道標 1
写真 小瀬戸の地蔵道標 こせど 飯能市 (新寺) 石道標(丸彫) 高169㎝(うち、台石2段65㎝),幅43㎝,厚28㎝ 享保4(1719)   市教委(飯能の石仏p153・242)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木祠内 (台石正面右)「右 祢のこん介んみち」、(同左)「なくりみち」/台石上に地蔵両立膝坐像(蓮台)の丸彫を載せる→両立膝は極めて稀 1
写真 大河原の地蔵道標1 おおかわら 飯能市   石道標(丸彫) 高125㎝(うち、台石2段60㎝),幅29㎝,厚18㎝ 宝暦12(1762)   市教委(飯能の石仏p155)
/WEB(鎌倉街道上道)
頭部復元 (台石正面)「右 内野 ごん介ん道/左 成木 みた希道」/台石上に地蔵坐像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 2
写真 中山の馬頭観音道標 なかやま 飯能市 三叉路 石道標(隅丸型) 高53㎝(うち、台石5㎝),幅24㎝,厚14㎝ 安永2(1773)   市教委(飯能の石仏p161・246)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約、放置 (右面)「江戸道」、(左面)「左 坂戸 をごせ道」/正面を枠だけ残して浅く削り込み「(梵字)南無馬頭観世音菩薩」と陰刻 3 -
  北川の地蔵道標 きたがわ 飯能市 船久保・檥峠 石道標(蒲鉾型) 高45㎝,幅18㎝,厚16㎝ 安永3(1774)   市教委(飯能の石造遺物p8・76) 原位置 (正面地蔵左右)「此/方」、(正面像下)「子の山」、(右面)「此/方、たか山ふどう」、(左面)「此/方、ちゝぶ一ばん道」、(裏面)「此/方、志こうじ道」/正面頂部を前に迫り出すように加工し、小さな地蔵坐像(蓮台)を陽刻 1
写真 双柳の道標 なみやなぎ 飯能市 秀常寺 石道標 高85㎝,幅20㎝,厚18㎝ 安永3(1774)   市教委(飯能の石造遺物p191・242)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「高麗郡第八番」、(右面)「双柳山秀常寺」、(左面右)「是与り 九者んのふ江 十九丁」(緑字は異体字) 2
写真 川崎の道標 かわさき 飯能市 普門寺 石道標(尖頭角柱) 高110㎝(うち、台石22㎝),幅24.5
㎝,厚21㎝
安永3(1774)   市教委(飯能の石造遺物p191・242)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「(梵字3)高麗郡第四番 普門寺」、(右面)「是ゟ 五番大谷沢江 十八丁廿四間」 2
写真 大河原の地蔵道標2 おおかわら 飯能市 八耳堂 石道標(丸彫)

高120㎝(うち、台石2段37㎝),幅25㎝,厚18㎝

安永4(1775)   市教委(飯能の石仏p155・244)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石正面右)「右 子のこんけん道」、(同左)「左 みたけミち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 双柳の庚申塔道標1 なみやなぎ 飯能市 稲荷神社<江戸街道> 石道標(駒型) 高122㎝(うち、台石24㎝),幅38㎝,厚26㎝ 安永6(1777)   市教委(飯能の石仏p176・261)
/WEB(鎌倉街道上道)
昭和40移設/資料では台石正面に「南、八王子/大山、道」と刻字されているとあるが、線香立で見えない (台石右面)「東、所沢/江戸、…」、(台石左面中央)「西 中山/秩父道」、(台石裏面)「北、越生/上州道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 双柳の庚申塔道標2 なみやなぎ 飯能市 六道橋 石道標(隅丸型) 高112㎝(うち、台石19㎝),幅36.5
㎝,厚24㎝
安永6(1777)   市教委(飯能の石仏p176・261)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石正面右端)「東 所沢ミち」、(同左端)「江戸ミち」、(台石右面)「北、於ごせ…/上刕ミち」、(台石左面)「南、八王子/大山道」、(台石裏面)「西、者んのふ/ちゝ婦"道」/正面を隅丸長方形に削り込み「庚申」と陰刻、枠頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 双柳の地蔵道標 なみやなぎ 飯能市 <江戸街道> 石道標(舟型) 高142㎝(うち、台石24㎝),幅51㎝,厚30㎝ 安永7(1778)   市教委(飯能の石仏p172・258)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木祠内 (光背最下部右)「右 江戸」、(同左)「左 川越」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 1
  坂元の道標 さかもと 飯能市 (小床)天龍寺参道 石道標
(自然石、石灰岩)
高84㎝,幅52㎝,厚22㎝ 安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物p76・201) 原位置? (正面)「右 天寺へ/左 馬 1
  南の道標 みなみ 飯能市 天龍寺 石道標
(自然石、石灰岩)
高86㎝,幅67㎝,厚36㎝ 安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物p79・203) 移設? (正面)「一丁目道」、(正面右)「右 江戸 相州」、(同左)「左 秩父 髙山」 2
  南川の道標 みなみかわ 飯能市 天龍寺橋 石道標
(自然石、石灰岩)
高106㎝,幅70㎝,厚50㎝ 天明2(1782)   市教委(飯能の石造遺物p8・76) 原位置 (正面)「これより/子のこん介ん/十五丁」 1
写真 原市場の地蔵道標1 はらいちば 飯能市 (原郷) 石道標(丸彫) 高113㎝(うち、台石2段49㎝),幅17㎝ 寛政8(1796)   市教委(飯能の石仏p114・212)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木祠内(民家のCブロック塀の一部に喰い込む形で保存されている) (台石正面右)「右ハ 子乃ごんげんみち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 1
写真 原市場の地蔵道標2 はらいちば 飯能市 石原橋 石道標(丸彫) 高119㎝(うち、台石2段46㎝),幅20㎝,厚15㎝ 寛政8(1796)   市教委(飯能の石仏p114・213)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木祠内(民家の道路沿いの庭先) (台石正面右)「右ハ ねのごんげん道」、(同左)(左ハ なぐり ちゝぶ道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 1
  北川の馬頭観音道標1 きたがわ 飯能市 (舟久保) 石道標 高53㎝,幅24㎝,厚14㎝ 寛政9(1797)   市教委(飯能の石仏p92・188) 原位置? (右面)「右 ぢかうじみち」(=慈光寺)/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 1 -
  高山の地蔵道標 たかやま 飯能市 林道茶店・横 石道標(尖頭角柱、石灰岩) 高57㎝,幅24㎝,厚21㎝ 寛政10(1798)   市教委(飯能の石造遺物p76・201) 原位置? (右面)「東 ざんげどう道/是より/里十二丁」、(左面)「西 かみあがの道/是より/志こう寺 三里/ちゝぶ 五里」、(裏面)「北」/正面上部を光背型に浅く削り込み、地蔵座像を陽刻 2 -
  北川の馬頭観音像道標 きたがわ 飯能市 (空龍) 石道標(駒型) 高61㎝,幅25㎝,厚16㎝ 文化3(1806)   市教委(飯能の石仏p92・189) 原位置? (右面)「此方、た加山/川越、みち」、(左面)「此方、志かうじ/ちゝぶ、みち」、(台石正面)「子/ごん/げん」/正面を火灯窓型に削り込み、馬頭観音坐像(一面二臂?、蓮台)を陽刻 2
写真 岩渕の道標 いわぶち 飯能市   石道標(自然石) 高56㎝,幅40㎝,厚30㎝ 文化3(1806)   市教委(飯能の石造遺物p140・224) 移設、集約 (正面)「右 川古"へかし/左 飯能 □□□、道」/年号は「文三歳丙寅」と刻字→文化3と確定 2 -
写真 本町の地蔵道標
(鶴舞地蔵尊)
ほん 飯能市   石道標(丸彫) 高106㎝(うち、台石35㎝),幅31㎝,厚19㎝ 文化7(1810)   WEB(鎌倉街道上道)/飯能の石仏p158 移設/木祠内/信仰の対象 (台石正面右)「右 こまミち」、(同左)「左 ちゝぶ道」/台石上に地蔵坐像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 2
  平松の馬頭観音像道標1 ひらまつ 飯能市 (中ヶ谷戸)<川越街道> 石道標(駒型) 高49㎝(うち、台石8㎝),幅23㎝,
厚12㎝
文化11(1814)   市教委(飯能の石仏p175・260) 移設 (右面)「右 加やま 越生みち」、(左面)「左 はんのふ道」/正面に馬頭観音立像(一面二臂?)を陽刻 2 -
写真 飯能の庚申塔道標 はんのう 飯能市 能仁寺・墓地 石道標(舟型) 高79㎝(うち、台石16㎝),幅26㎝,厚20㎝ 文化12(1815)   WEB(鎌倉街道上道)/飯能の石仏p163 移設/全体に風化が信仰し像容も不鮮明 (左面)「是ヨリ左リ 成田道」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼?) 3
  北川の馬頭観音道標2 きたがわ 飯能市 (舟久保) 石道標 高65㎝,幅26㎝,厚18㎝ 文政12(1829)   市教委(飯能の石仏p94・190) 原位置 (右面)「右 おごせ/左り ぢこふ山、みち」、(台石正面)「子/ごん/げん/みち」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1 -
  北川の題目塔道標 きたがわ 飯能市 (荻の平) 石道標
(自然石、石灰岩)
高70㎝,幅27㎝,厚27㎝ 天保4(1833)   市教委(飯能の石造遺物p77・201) 原位置? (正面下部)「高山道」、(右面)「右 子のごんげん」、(左面)「左 桂…/あかの」/正面に「不動尊」と陰刻 1
写真 平松の馬頭観音像道標2 ひらまつ 飯能市 老人ホーム・南 石道標(駒型) 高53㎝(うち、台石5㎝),幅24.5㎝,厚15㎝ 天保14(1843)   市教委(飯能の石仏p175・260)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面下部左)「青梅/者んの、…」(資料によれば、…の部分には 「鎌倉道」 と刻まれていたとされる)、(左面右)「江戸道」/正面を駒型に削り込み、馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻 1
  川崎の馬頭観音道標 かわさき 飯能市   石道標(駒型) 高65㎝,幅20㎝,厚15㎝ 嘉永5(1852)   市教委(飯能の石仏p175・261) 原位置 (左面)「此方 根ぎ道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1 -
  下赤工の道標 しもあかだくみ 飯能市 (宮ノ脇)地蔵堂・脇 石道標 高86㎝,幅17㎝,厚8㎝ 江戸期   市教委(飯能の石造遺物p117・216) 移設 (正面)「高麗郡第十九番 常泉庵」、(正面右)「是より 原市場 丗六丁廿間」 1
  原市場の道標 はらいちば 飯能市 (金山)長福寺・跡 石道標 高80㎝,幅21㎝,厚13㎝ 江戸期   市教委(飯能の石造遺物p117・216) 移設 (正面)「高麗郡第廿四番 長福寺」、(正面右)「是より のヶさき 五十三丁三十七間」 1
写真 中居の道標 なかい 飯能市 宝蔵寺 石道標(尖頭角柱) 高66㎝,幅18㎝,厚14.5㎝ 江戸期   市教委(飯能の石造遺物p191・242)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「高麗郡第二番」、(裏面)「高麗郡第二番 慶雲寺」、(同右端)「是より 三番平松江 廿四丁三十間」 1
写真 虎秀の地蔵道標 こしゅう 飯能市 福徳寺・阿弥陀堂の左 石道標(丸彫) 高144㎝(うち、台石29㎝),幅33㎝,厚20㎝ 江戸期?   WEB(鎌倉街道上道)/飯能の石仏p104 移設 (台石右面)「是□□/もろみち」、(台石左面)「是ハ/ちゝぶミち」/台石上に地蔵立像(錫杖)の丸彫を載せる/「ミち」の標記は江戸期の可能性 2
  天龍寺参道(小床口)の町石(十二丁) てんりゅう
(こゆか)
飯能市 天龍寺参道(小床口) 町石
(自然石、石灰岩)
  安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物p78・202) 原位置 天龍寺参道(小床口)の町石は麓から山頂の天龍寺に向けてほぼ丁目数順に並んでいる(山頂が1丁⇒逆順
/(正面)「天寺へ 十二丁」
1 -
  天龍寺参道(小床口)の町石(十一丁) てんりゅう
(こゆか)
飯能市 天龍寺参道(小床口) 町石
(自然石、石灰岩)
  安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物p78・202) 転倒 (正面)「天寺へ 十一丁」 3 -
  天龍寺参道(小床口)の町石(十四丁) てんりゅう
(こゆか)
飯能市 天龍寺参道(小床口) 町石
(自然石、石灰岩)
  安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物p78・202) 原位置 (正面)「天寺へ 十四丁」 1 -
  天龍寺参道(小床口)の町石(十五丁) てんりゅう
(こゆか)
飯能市 天龍寺参道(小床口) 町石
(自然石、石灰岩)
  安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物p79・203) 原位置? (正面)「天寺へ 十五丁」 1 -
  天龍寺参道(小床口)の町石(十六丁) てんりゅう
(こゆか)
飯能市 天龍寺参道(小床口) 町石
(自然石、石灰岩)
  安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物p79・203) 転倒 (正面)「天寺へ 十六丁」 3
  天龍寺参道(吾野)の町石(六丁) てんりゅう
(あがの)
飯能市 天龍寺参道(吾野口) 町石
(自然石、石灰岩)
  安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物p79・203) 転倒 天龍寺参道(吾野口)の町石は麓から山頂の天龍寺に向けてほぼ丁目数順に並んでいる(山頂が1丁⇒逆順/(正面)「六丁」 3
  天龍寺参道(吾野口)の町石(十二丁) てんりゅう
(あがの)
飯能市 天龍寺参道(吾野口) 町石
(自然石、石灰岩)
  安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物p79・203) 原位置 (正面)「十二丁」、(正面右)「子ノ大權現」 1
写真 飯能の石橋供養塔 はんのう 飯能市 東谷 石碑 高94㎝(うち、台石21㎝),幅32㎝,厚23㎝ 宝暦13(1763)   WEB(鎌倉街道上道)/飯能の石仏p161 原位置?/供養塔前の古道に石橋が現存 (左面)「石橋供養塔」/正面に馬頭観音立像(三面六臂)の浮彫り 1
  上赤工の石橋供養塔 かみあかだくみ 飯能市 畑中 石碑 高104㎝(うち、台石40㎝),幅24㎝,厚17㎝ 寛政4(1792)   飯能の石仏p125   (正面)「粛諸西國坂東秩父供養石橋塔」  
写真 河原の石橋供養塔 かわら 飯能市 自治会館・前 石碑
(自然石、道標兼)
高85㎝,幅23㎝,厚12㎝ 寛政9(1797)   市教委(飯能の石仏p165・250)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(もと、岩根橋) (正面)「石橋供羪塔」、(右面)「右 子の古んけんみち」、(左面)「左り 聖徳太子み多け道」 2
写真 中山の石橋供養塔 なかやま 飯能市 三叉路 石碑
(隅丸型、道標兼)
高95㎝,幅30.5㎝,厚17㎝ 享和4(1804)   市教委(飯能の石仏p166・250)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面下部)「石橋供養」、(右面上部)「所沢/江戸、道」、(左面上部)「熊谷/坂戸、道」/正面に「南無遍照金剛」と陰刻 1
写真 下直竹の石橋供養塔 しもなおたけ 飯能市 長光寺 石碑 高146㎝,幅41㎝ 安永7(1778)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? 左面)「石橋供養」/正面を枠を残して削り込み馬頭観音立像(三面六臂、蓮台)を陽刻 1
  鯉ケ久保池 こいがくぼ 飯能市   溜池 堤長306m 享和年間(1801-04) 市史跡 市教委
(飯能市史p179-180)
昭和15大規模修復 金沢瀬兵衛が修復(創建は不明→正徳元(1711)に樋管修理?→その後水面縮小)/地下からの湧水を貯めた池 3
写真 上直竹下分の石灰焼場・跡 かみなおたけしもぶん 飯能市   石灰焼場 石垣:長16m,高3.5m 慶長年間(1596-1615) 県史跡 市教委
(飯能市史p156-159)
明治期に一部改修→大規模な修復 師岡・木崎の両家により事業開始/江戸城の修築をはじめとする幕府による主な工事に使用された(江戸前期には、江戸表の石灰を一手に引き受けるという特権的保護を受けた)/山の北斜面を利用して石垣を組み、中に燃料となる柴を入れ、上に石灰岩を割ったものを載せて焼いた 3
写真 高坂の石橋 たかさか 東松山市 都幾川リバーサイドパーク<高坂の渡し場・手前> 石桁橋(緑泥片岩) 長3.7m,幅1.5m
(G)
元治元(1864)? 市歴史資料 WEB(埼玉県の橋供養碑)/市教委/WEB(鎌倉街道上道) 保存状態良好 一枚岩を架けただけの簡単な構造/岩の裏面に世話人12名の氏名が刻字(→写真参照)/すぐ近くに下記「高坂の石橋供養塔2」がある 1
写真 早俣の石尊常夜灯 はやまた 東松山市 都幾川(右岸)橋詰 石常夜灯 高1.71m 天保10(1839)   石佛・東松山市調査報告p319 原位置?/信仰の対象 (竿)「石尊宮」/中台・竿各3面に装飾的陽刻/猫脚/基壇石垣なし/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 1
写真 葛袋の石尊常夜灯1 くずぶくろ 東松山市 (山根)県道41号・脇 石常夜灯 高1.68m 弘化4(1847)   石佛・東松山市調査報告p313 原位置?/火袋・中台は後補/信仰の対象 (竿)「雨降山」/笠の上に宝珠ではなく天狗(?)坐像の丸彫が乗っている/基壇石垣なし/同上 2
写真 葛袋の石尊常夜灯2 くずぶくろ 東松山市 (大平)市道・脇 石常夜灯 高1.78m 安政2(1855)   石佛・東松山市調査報告p313 原位置? (竿)「雨降山」(は異体字、は絵文字)/火袋の窓に葉団扇(?)の浮彫/中台正面に装飾的陽刻/基壇石垣なし/同上 1
写真 西元宿の石尊常夜灯1 にしもとじゅく 東松山市 (悪土)都幾川(右岸) 石常夜灯 高3.15m 安政6(1859)   石佛・東松山市調査報告p320 原位置?/竿と台石がC接合 (竿)「雨降」(は絵文字)/同上 1
写真 西元宿の石尊常夜灯2 にしもとじゅく 東松山市 後元宿集会所 石常夜灯 高1.83m 安政6(1859)   石佛・東松山市調査報告p320 原位置? (竿)「雨降山」/基壇石垣なし/同上 1
写真 本町の地蔵道標 ほん 東松山市 (1丁目)松本町との境界/旧道切通し上 石道標(丸彫) 高124㎝(うち、台石8㎝),
幅44㎝,厚20㎝
正徳2(1712)   石佛・東松山市調査報告p23
/市教委
移設?・集約、祠内/信仰の対象 (正面)「左江 よしみく王んおん道/右江 ひき能く王んおん道」/頂部に地蔵の半跏坐像(光輪、錫杖)の丸彫(小さな蓮台に乗った左足が、正面右上まで伸びている→極めて稀な構図)/下記の「本町の馬頭観音像道標」と並ぶ 2
写真 松山町の庚申塔道標1 まつやま 東松山市 (3丁目)氷川神社・南西/県道47号・脇 石道標(駒型) 高103㎝,幅44㎝,厚25㎝ 享保8(1723)   石佛・東松山市調査報告p120 移設/保存状態良好 (右面左)「右ハ あま寺みち」、(左面右)「左りハ ひき乃く王んおん道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、三猿)を陽刻/「松山」と「松山町」は別 2
写真 葛袋の地蔵道標1 くずぶくろ 東松山市 (大平)市道・脇 石道標(丸彫) 高92㎝(うち、台石10㎝),
幅18㎝,厚15㎝
延享3(1746)   石佛・東松山市調査報告p48
/市教委
移設、集約→覆屋内/頭部欠損 (台石右面)「右 よしミ道」、(台石左面)「左 ひきく王んのん道」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 4
写真 松山の地蔵道標1 まつやま 東松山市 国道407号・バス停脇 石道標(丸彫) 高130㎝(うち、塔身80㎝),
幅50㎝,厚32㎝
宝暦2(1752)   石佛・東松山市調査報告p27
/市教委
原位置?/信仰の対象 (台正正面右)「行田海道/四里」、(同左)「熊谷海道/三里/半」/台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる/「松山」と「松山町」は別 1
写真 松山の地蔵道標2 まつやま 東松山市 菅原神社・東 石道標(丸彫) 高121㎝(うち、塔身65㎝),
幅42㎝,厚32㎝
宝暦3(1753)   石佛・東松山市調査報告p27
/市教委
原位置?、祠内/信仰の対象 (台正正面右端)「右/よしミく王んおん」、(同左端)「乃みち/左」/台石上に地蔵坐像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる/台石正面中央に「□造立地藏大菩薩」と陰刻/「松山」と「松山町」は別 2
写真 若松町の地蔵道標 わかまつ 東松山市 県道66号の[若松町一]交差点南東 石道標(丸彫) 高142㎝(うち、台石29㎝),
幅31㎝,厚30㎝
宝暦3(1753)   石佛・東松山市調査報告p75
/市教委
移設?/補修大 (台石正面右)「右/八王し道」?、(同左)「川こへ道/左 四里八丁」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 松葉町の庚申塔道標 まつば 東松山市 (1丁目)八幡神社・塀脇 石道標(駒型) 高128㎝(うち、台石29㎝),
幅41㎝,厚25㎝
宝暦5(1755)   石佛・東松山市調査報告p121
/市教委
移設/保存状態良好 (右面頂部)「よ里いへミち」(=寄居)、(左面上部)「ちゝぶみち同ぢかうへ/五里」(=慈光寺)/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻、“二鶏”は線刻/下記の「松葉町の道標」と並ぶ 2
写真 上野本の地蔵道標 かみのもと 東松山市 国道の[下野本]交差点南東 石道標(丸彫) 高146㎝(うち、台石50㎝),
幅25㎝,厚15㎝
宝暦6(1756)   石佛・東松山市調査報告p75
/市教委
原位置?/簡易祠内/信仰の対象 (台石右面)「右/よしみく王んおんミち」、(台石左面)「松山のみち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)を載せる 1
写真 下唐子の地蔵道標1 しもがらこ 東松山市 (坂口)唐子神社・西 石道標(丸彫) 高126㎝(うち、台石33㎝),
幅25㎝,厚21㎝
宝暦10(1760)   石佛・東松山市調査報告p50
/市教委
原位置?/剥離・補修大、地蔵の顔の表情から頭部は恐らく後補 (台石正面中央)「比企 岩殿 高山道」、(台石右面右)「松山道」、(台石左面左)「加田 熊谷道」(=加田薬師)(緑字は異体字)/台石上に地蔵立像(錫杖?、蓮台)を載せる 3
写真 材木町の地蔵道標 ざいもく 東松山市 丸広・北辻 石道標(駒型) 高78㎝,幅28㎝,厚13㎝ 宝暦12(1762)   石佛・東松山市調査報告p357 移設(置いてあるだけ)→Cブロック覆屋→物置場化 (正面右)「右 ちゝぶ春かやへ 壱里半」、(同左)「左 ひきのく王ん於ん 壱里半」/上半分に地蔵坐像(蓮台)の浮彫 4
写真 葛袋の地蔵道標2 くずぶくろ 東松山市 (大平)共同墓地・北 石道標(尖頭角柱) 高62㎝(基部含まず),
幅26㎝,厚17㎝
宝暦14(1764)   石佛・東松山市調査報告p52 移設?/基部12㎝露出 (正面左隅)「東右 よしみ まつ山道」、(右面中央)「南左 ひきく王んおん道」/正面中央に小さな地蔵立像(蓮台)の浮彫 2
写真 下唐子の地蔵道標2 しもがらこ 東松山市 (高本)稲荷宮・北 石道標(丸彫) 高120㎝(うち、台石31㎝),
幅24㎝,厚22㎝
明和3(1766)   石佛・東松山市調査報告p50
/市教委
原位置?/木祠内/信仰の対象 (台石右面右)「右/く王んおんみち/二十一丁」、(台石左面中央)「左/川越道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)を載せる 1
写真 松本町の庚申塔道標2 まつもと 東松山市 (2丁目)市野川・橋詰/県道27号・脇 石道標(駒型) 高85㎝(うち、台石20㎝),
幅26㎝,厚17㎝
明和4(1767)   石佛・東松山市調査報告p122
/市教委
原位置? (正面最下部右)「松山みち」、(同左)「西 ひきく王んおん」、(同左端)「小川ミち」、(右面)「南、い王むろ/よしみ」、(右面中央下部)「く王んおん道」、(左面右上)「此方のミち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/「松山」と「松山町」は別 1
写真 大黒部の道標 おおくろべ 東松山市   石道標(尖頭角柱)   安永3(1774)   市教委/WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「(梵字)右 八王道/左 江戸道」 1 -
写真 本町の馬頭観音像道標 ほん 東松山市 (1丁目)松本町との境界/旧道切通し上 石道標(駒型) 高86㎝,幅40㎝,厚24㎝ 安永8(1779)   石佛・東松山市調査報告p182
/市教委
移設?・集約、祠内/信仰の対象/保存状態良好 (右面最下部)「右 乃みち」、(左面最下部右)「左 飛起く王んおん」/正面に馬頭観音立像(三面八臂〔馬頭冠、矛、輪宝、斧、?、数珠〕)を陽刻/上記の「本町の地蔵道標」と並ぶ 2
写真 上唐子の地蔵道標 かみがらこ 東松山市 県道172号と国道の交差点南 石道標(丸彫) 高134㎝(うち、台石33㎝),
幅25㎝,厚16㎝
安永9(1780)   石佛・東松山市調査報告p52
/市教委
移設?・集約/台石埋没 (台石右面左)「右 ちゝふ道」、(台石左面下部右)「左り あまでら」、(同下部左)「左り ぢこう」(=慈光寺)/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)を載せる 2
写真 東平の地蔵道標 ひがしだいら 東松山市 国道407号とバイパスの交差点 石道標(丸彫) 高71㎝(別途、横置台石30㎝),
幅20㎝,厚18㎝
安永9(1780)   石佛・東松山市調査報告p30
/市教委
移設/設置環境・状況とも最悪(台石が脇に放置)/頭部後補 (横置された台石右面)「右 ぎやうだミち」、(横置きされた台石左面)「左 くまがやミち」/本来台石に載っていた地蔵立像(蓮台)の丸彫は、台石横に置かれている 4
写真 高坂の道標 たかさか 東松山市 <八王子道の渡し場> 石道標 高111㎝,幅29㎝,厚25㎝ 安永10(1781)   市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「八王子道」、(右面)「右 日光、よしみ/いわどの、道」、(左面)「左、ちゝぶ、ひき/いわどの、道」 1
写真 西元宿の馬頭観音像道標 にしもとじゅく 東松山市 (米山)常安寺・参道入口 石道標(舟型) 高162㎝(うち、台石36㎝),
幅41㎝,厚36㎝
天明2(1782)   石佛・東松山市調査報告p216
/市教委
原位置?/木祠内/保存状態良好 (台石右面左)「右ハ い王との道」/正面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、剣、輪宝、斧、数珠〕、蓮台)を陽刻 1
写真 神明町の円柱道標 しんめい 東松山市 (2丁目)県道66号・辻 石道標(円柱) 高201㎝(うち、台石58㎝),径35㎝ 文政6(1823)   石佛・東松山市調査報告p366
/市教委
原位置?/刻字部に白色塗料 (正面)「左 箭弓稲荷道」/円柱道標は稀 2
写真 上唐子の馬頭観音像道標 かみがらこ 東松山市 浄空禅院・裏参道入口辻 石道標(丸彫) 高233㎝(うち、台石74㎝),
幅46㎝,厚44㎝
天保4(1833)   石佛・東松山市調査報告p209
/市教委
移設/保存状態良好 (右面左下)「右 川越道」、(左面左下)「左 松山道」/頂部に像高38cmの馬頭観音坐像(一面二臂)の丸彫を一体加工/その下の塔身本体は、隅丸形で頂部に左右から半円形の刳り形を入れその間に“輪宝”を陽刻→非常に珍しい/その下に大きく「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 毛塚の馬頭観音道標 けつか 東松山市 九十九川(左岸)/市道・脇 石道標(自然石) 高159㎝(うち、台石43㎝),
幅63㎝,厚18㎝
嘉永3(1850)   石佛・東松山市調査報告p283
/市教委
原位置? (台石右面)「右 松山」、(台石左面)「左 岩殿」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1
写真 古凍の供養塔道標 ふるこおり 東松山市 県道345号・脇 石道標 高115㎝,幅27㎝,厚27㎝ 嘉永3(1850)   石佛・東松山市調査報告p286 移設? (正面最下部)「か王こへ/さ可と」、(右面)「右 よしみく王んおん道」、
(左面)「左 ひきく王んおん道」/正面に「(梵字)奉讀誦普門品三万巻供養」と陰刻
2
写真 松葉町の道標 まつば 東松山市 (1丁目)八幡神社・塀脇 石道標 高115㎝,幅34㎝,厚21㎝ 嘉永3(1850)   石佛・東松山市調査報告p367
/市教委
移設 (正面頂部)「川/嶋」、(正面)「右/鬼神道/一里三十丁」(=鬼鎮神社)、(左面)「左、小川エ 里/志ま婦 里」(=四萬部寺)/上記の「松葉町の庚申塔道標」と並ぶ 2
写真 高坂の供養塔道標 たかさか 東松山市 <八王子道の渡し場> 石道標(尖頭角柱) 高115㎝,幅33㎝,厚22㎝ 嘉永7(1854)   市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (右面)「右 松山 熊谷 行田/左 小川 八幡山、道」、(左面)「高坂駅 上町 神田与市」、(裏面)「左 坂戸 渡船 川越 江戸道」/正面に「奉納経拝禮供養塔」と陰刻 1
写真 大谷の石橋供養塔 おおや 東松山市 角川(左岸) 石碑(駒型) 高81㎝(塔身),
幅31㎝
享保4(1719)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面右隅)「申庚橋供養」/正面全面に青面金剛立像(六手合掌、一猿、二鶏)を陽刻 1
写真 宮鼻の石橋供養塔 みやはな 東松山市 香林寺 石碑(擬宝珠付き) 高115㎝(塔身),幅25㎝ 安永3(1774)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 移設? (正面)「橋供養塔」/左面に「参界萬靈等」と陰刻/擬宝珠→橋を思わせるデザイン 2
  本町の石橋供養塔 ほんちょう 東松山市 (2丁目) 石碑   文化3(1806)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面)「石橋供塔」(緑字は異体字) 2
  上野本の石橋供養塔 かみのもと 東松山市 上野本第一地区公会堂 石碑   文化11(1814)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面)「奉拝禮神社佛閣並石橋供羪塔」 2
写真 高坂の石橋供養塔1 たかさか 東松山市 都幾川・旧河道付近 石碑(尖頭角柱)   文政2(1819)   WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 原位置?/碑の割りに巨大な台石 (正面下部)「石橋/五ヶ所、供養塔」/正面上部には「普門品講中」と陰刻 2
写真 岩殿の石橋・敷石供養塔 いわどの 東松山市 阿弥陀堂 石碑(尖頭角柱) 高75㎝(うち、台石17㎝),
幅24㎝,厚14㎝
文政11(1828)   石佛・東松山市調査報告p282 原位置?/刻字が摩耗して読みづらい (正面中央右)「鋪石」、(同中央左)「石橋(?)」/正面中央に「(梵字)光明眞言供養塔」と陰刻 2 -
  岡の石橋供養塔 おか 東松山市 観音堂 石碑(自然石) 高140㎝,幅65㎝ 天保4(1833)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面)「石橋供羪塔」 2
写真 高坂の石橋供養塔2 たかさか 東松山市 都幾川リバーサイドパーク 石碑(駒型、道標兼、安山岩) 高120㎝,幅41㎝,厚27㎝ 元治元(1864) 市歴史資料 WEB(埼玉県の橋供養碑)/WEB(鎌倉街道上道) 近接移設 (正面像下)「石橋供養塔」、(右面)「作場/早俣、道」、(左面)「松山/行田/熊谷、道」/頂部を円形に削り込んで馬頭観音坐像(一面二臂、蓮台)を陽刻/すぐ近くに上記「高坂の石橋」が残る 2
写真 神戸の敷石供養塔 ごうど 東松山市 妙昌寺・祖師堂 石碑(笠付き) 高92㎝,幅19㎝,厚18㎝ 宝暦元(1751)   石佛・東松山市調査報告p370 原位置? (正面)「奉納石坂成就供羪」 1
写真 上唐子の水神塔 かみがらこ 東松山市 都幾川(左岸)月田橋・橋詰 石碑
(尖頭角柱、青石)
高115.5㎝,
幅30㎝,厚29㎝
文政年間(1818-30) 市考古資料 WEB(関東地方の川) 原位置 (正面)「水神塔」/都幾川の筏連中が建てたもの(17ヶ村、48名の名前が刻字) 1
写真 都幾川の斜め堰群 とき 東松山市 都幾川 石堰→Cブロック堰 長70-100m級 江戸期   WEB(関東地方の川) 改修は部分的? 上流から、鞍掛堰、中井堰、上用水堰、矢来用水堰、長楽堰の5つの斜め堰が設けられ、ある程度改修されているものの全体的な景観としては江戸期の取水堰の雰囲気を残す 3
写真 大谷瓦窯・跡 おおや 東松山市   瓦窯(地下登り窯) 長7.6m,
傾斜角約30度
7世紀後半~8世紀初頭 or 8世紀後半 国史跡 WEB 覆屋内に保存展示(埋め戻した状態)/昭和30に2基の窯跡の発掘調査が行われ、完全な形で掘り出された1基 東松山市では、飛鳥寺系統の軒丸瓦が1点出土していることから7世紀後半としているが、文化庁の「文化遺産オンライン」では奈良時代後期の頃の瓦窯跡と書かれている/登り窯は、瓦を利用して13の段が形成(補強のため)/幅60㎝の焚口は瓦を立てて補強/燃焼部は一段深く掘り込まれ一つの部屋を形成/軒丸瓦、平瓦、丸瓦、文字瓦が出土しているものの、大谷瓦窯跡で生産された瓦が出土する遺跡はまだ未発見(平成27)/大谷瓦窯が国史跡で赤沼古代瓦窯(鳩山町)が県史跡となっているが、実際の価値は逆転している→赤沼古代瓦窯は、「武蔵国分寺瓦窯跡」という誤った推定により昭和25に県史跡となり、その5年後に「飛鳥寺系統の軒丸瓦が1点出土」ため、生産された瓦がどこで使われたかも判明しないまま国史跡となった。しかし、平成5の確認調査で赤沼古代瓦窯が勝呂廃寺創建期の窯跡と分かり価値は逆転した 3
写真 相上堤 あいあげ 東松山市・熊谷市 和田吉野川 土堤防 長約300m,
高約2.5m
江戸初期   WEB(関東地方の川) 保存状態良好 和田吉野川の右岸堤防に対して直角に接続する控堤(洪水の流入防止) 1
写真 高麗本郷の石尊常夜灯 こまほんごう 日高市 巾着田・入口(上ノ原) 石常夜灯 高2.94m 文化4(1807)   日高の石造物p28 原位置? (竿右面)「石尊大權現」、(竿左面)「金毘羅大權現/秋葉山大權現」/中台4面、台石最上段4面に装飾的浮彫り/中台下面、台石最上段上面に蓮花装飾/石基壇なし 1
写真 女影の石尊常夜灯 おなかげ 日高市 下小畦川・北岸 石常夜灯 高1.85m 嘉永2(1849)   日高の石造物p145 移設/竿石下端が剥離/火袋に亀裂 (竿正面)「奉/獻、大天狗/大山石尊大権現/小天狗」/石基壇なし 3
写真 新堀の石尊常夜灯 にいほり 日高市 (新堀) 石常夜灯(自然石) 高2.57m 安政4(1857)   日高の石造物p65 移設?(各部をC接合)/火袋は後補? (中台正面)「石/尊/宮」/火袋と中台は整形された石材を使用/石基壇なし 1
写真 高萩の石尊常夜灯 たかはぎ 日高市 (下宿)<日光街道> 石常夜灯 高2.05m 安政5(1858)   日高の石造物p164 移設、集約 (中台正面)「石/尊/大/權/現」/中台右面・左面に竜の陽刻、台石正面に内容不明の装飾/猫脚/石基壇あり 3
写真 楡木の石尊常夜灯 にれぎ 日高市 (東野) 石常夜灯(自然石) 高1.76m 文久2(1862)   日高の石造物p55 移設/台石更新、各石材をCでみっともなく接合 (中台正面)「石/尊/宮」 3
写真 横手の庚申塔道標 よこて 日高市   石道標(笠付き) 高141㎝(うち、台石22㎝),幅36㎝,厚29.5㎝ 延宝4(1676)   WEB(鎌倉街道上道)
/秩父甲州往還p59
移設 (正面右端枠上)「是より左 こま道」、(同右端枠上)「是より右 …」(資料によれば 「中山道」 と刻まれているとされるが確認できず→五街道の中山道ではなく、中山への道)/正面を火灯窓型に浅く削り込み、中央に「(梵字)奉待庚申供養現世安□□□□□」と陰刻、最下部に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風/17世紀の道標 2
写真 女影の地蔵道標1 おなかげ 日高市 長松寺・入口 石道標(丸彫) 高111㎝ 正徳3(1713)   日高の石造物p142 移設、集約/台石上面が磨耗し、かつ、台石同士が接近しているため刻字が消失・判読困難 (台石右面)「こま/こせ、…」、(台石左面)「川こ江戸、道」/台石上に地蔵立像の丸彫(錫杖)を載せる 3
写真 中沢の馬頭観音像道標 なかざわ 日高市 向郷神社・北東 石道標(駒型) 高114㎝(うち、台石24㎝),
幅38㎝,厚25㎝
安永9(1780)   日高市史(文化財編)p302
/WEB(鎌倉街道上道)
仮置き? (台石正面)「□ □□□□/左 者んの婦道」(右以下、については表面の地衣類で全く見えないが、配置から刻字があるものと思われる)/正面に馬頭観音立像(三面六臂?、蓮台)を陽刻/台石正面に「南無地蔵大菩薩」と陰刻 2
写真 北平沢の道標 きたひらさわ 日高市 (川端) 石道標(自然石) 高56㎝,幅68㎝,厚32㎝ 寛政3(1791)   日高の石造物p72
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「右 八王子 大山道/北 小川 志ん州道/左 川こゑ 江戸道」 1 -
写真 中沢の地蔵道標 なかざわ 日高市 (西原) 石道標(丸彫) 高156.5㎝ 寛政5(1793)   日高の石造物p154 移設/木祠内 (台石右面右端)「こま をごせ」、(台石左面上部)「者んのふ」/台石上に地蔵立像の丸彫(光輪、錫杖、蓮台、敷茄子)を載せる 2
写真 原宿の馬頭観音像道標 はらじゅく 日高市 (上ノ台) 石道標(駒型) 高121㎝(うち、台石30㎝),幅39㎝,厚27㎝ 寛政10(1798)   日高の石造物p86
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石正面右)「右/子ノ古ん介ん」、(同左)「左り/はんのうふ/双柳/八王子、道」/正面に馬頭観音立像(一面二臂)を陽刻 2
写真 下大谷沢の馬頭観音道標 しもおおやざわ 日高市 (東久保) 石道標 高92㎝,幅38㎝,厚23㎝ 文化2(1805)   日高町歴史散歩2p62
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面最下端)「右/のみ知/左/川ごへ」/正面を枠だけ残して浅く削り込み「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 1
写真 女影の地蔵道標2
(竹之内の地蔵菩薩)
おなかげ 日高市 竹之内公会堂・南 石道標(丸彫) 高132㎝ 文化6(1809)   日高町歴史散歩2p43
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/瓦葺きの立派な木祠内/信仰の対象 (台石右面)「左り/川こへ/まく道/はんのふ」、(台石左面右)「右 於ごせ/小田/まちや」/台石上に地蔵坐像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 1
写真 大谷沢の子安地蔵道標 おおやざわ 日高市 高萩南農村研修センター・北 石道標(丸彫) 高190㎝(うち、台石98㎝) 文化8(1811)   日高市史(文化財編)p306
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内/信仰の対象/写真は工事中? (台石右面)「日光道」、(台石左面)「ぢ古う道」/台石上に子安地蔵坐像(光輪、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 女影の題目塔道標 おなかげ 日高市 霞野神社・前(交差点) 石道標(隅丸型) 高93㎝,幅34㎝,厚22㎝ 文化8(1811)   歴史の道(鎌倉街道上道)p35
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/基部露出 (正面右下)「右 阿ふぎ町谷/八王子道」(=扇町屋)、(同左下)「左 入間川/所沢みち」/正面中央に「奉納大乘妙典」と陰刻 2
写真 高萩の庚申塔道標 たかはぎ 日高市 光全寺 石道標(尖頭角柱) 高75㎝(うち、台石12㎝),幅25.5㎝,厚17㎝ 文化12(1815)   日高の石造物p167
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/下部埋設 (台石右面)「右/者んの…」、(台石左面)「左/八王子」/正面に「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 3 -
写真 栗坪の六地蔵道標 くりつぼ 日高市 龍泉寺 石道標(笠付き) 高190㎝(うち、台石37+10㎝),幅38㎝,厚38㎝ 文政13(1830)   日高の石造物p44
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石正面)「東、川越/江戸」、(台石右面)「北、おこせ/小川」、(台石左面)「南、者んのう/八王子」、(台石裏面)「西、あ可の/ちゝぶ」/正面・右面・左面を火灯窓型に削り込み地蔵立像2体を陽刻(蓮台付き) 2
  下大谷沢の供養塔道標 しもおおやざわ 日高市 (宮久保) 石道標 高70㎝ 天保6(1835)   日高の石造物p163   (裏面)「左り 扇町屋/右ハ むんの」/正面に「秩父/坂東、奉拝禮西國四國供養塔」と陰刻   -
写真 高麗川の道祖神道標 こまがわ 日高市 (3丁目)公園・南東 石道標(自然石) 高114㎝,幅82㎝,厚39㎝ 天保8(1838)   日高の石造物p87
/WEB(鎌倉街道上道)
平成17移設/頂部が斜めに折損→修復 (正面最下部)「北 小川 上志う/東 川こ 江戸/南 八王子 大山/未申 こま 子こんけん/西 聖天院」/正面に「道祖神」と陰刻 2
写真 清流の道祖神道標 せいりゅう 日高市 (清水) 石道標(自然石) 高106㎝,幅83㎝,厚48㎝ 弘化2(1845)   日高の石造物p31
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面右下隅)「右、毛呂/お古せ」、(正面左下隅)「右 内…」/正面中央に「供養塔」と陰刻、左面に「道祖神」と陰刻 2
  女影の馬頭観音道標 おなかげ 日高市 (西竹ノ内) 石道標 高75㎝ 弘化5(1848)   日高の石造物p145   (右面)「東、女影/高萩/かど、道」、(裏面)「北、かやま/おこせ/小川、道」、(台石正面)「川さき/くろす/扇まちや」、(台石左面)「西、こくほ/やま/はんのう/…、道」/正面に「馬頭観世音」と陰刻   -
  南平沢の馬頭観音道標 みなみひらさわ 日高市 (宮ヶ谷戸) 石道標(尖頭角柱) 高111㎝ 万延2(1861)   日高の石造物p78   (台石正面)「北、越生/小川、道」、(台石右面)「右、飯能/八王子/大山、道」、(台石左面)「川越/東京、道」(面が違っている可能性あり)/江戸期の道標で「東京」は稀/正面に「馬頭観世音」と陰刻  
  北平沢の馬頭観音道標 きたひらさわ 日高市 (枇杷首) 石道標 高82㎝ 文久3(1863)   日高の石造物p70   (右面)「北、毛呂/越生、道」、(左面右)「東 川越道」、(同中央)「南、高麗/飯能、道」/正面に「馬頭観世音」と陰刻  
写真 女影の馬頭観音道標 おなかげ 日高市 (姥田) 石道標 高81㎝(うち、台石15㎝),幅26㎝,厚19㎝ 文久3(1863)   日高の石造物p136
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面右)「西 髙麗道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/下記の「女影の石橋供養塔1」と1つ置いて並ぶ 2
  下大谷沢の馬頭観音道標 しもおおやざわ 日高市 (西ノ久保) 石道標(駒型) 高50.5㎝ 文久3(1863)   日高の石造物p172 移設 (右面右)「右 川越」、(左面右)「左 はんのう」/正面に「馬頭観世音」と陰刻 2 -
写真 中沢の馬頭観音道標 なかざわ 日高市 南小畔川端の鎌倉街道上道碑・北西 石道標 高52㎝,幅18㎝,厚13㎝ 元治元(1864)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置?/正面の細かい損傷のため刻字が不鮮明 (正面右)「川越 □□者だ道」、(同左)「江戸 入間川道」、(右面)「すげ/□□王/おせ、道」、(左面)「可やま/古ま/あ"の、ミち」/正面中央に「馬頭観世音菩薩」と陰刻/小型だが道しるべが多い 2
写真 下鹿山の供養塔道標 しもかやま 日高市 (笠蓋) 石道標 高161㎝(うち、台石48+21㎝),幅39㎝,厚39㎝ 慶応2(1866)   日高の石造物p101
/WEB(鎌倉街道上道)
  (台石右面)「北 越生 小川 坂戸 松山」、(台石左面)「扇町屋 所澤 飯能 青梅」/正面に「月山/羽黒山/湯殿山、四國/西國/坂東/秩父、諸國霊場供養塔」と陰刻(文字の配置が異なる可能性)  
写真 横手の題目塔道標 よこて 日高市 高麗川(右岸) 石道標(自然石) 高67㎝,幅105㎝,厚52㎝ 江戸期   日高の石造物p16
/WEB(関東地方の川)
移設? (正面右)「右、者んのふ/中山、江戸道」、(正面左)「こま/川古"へ、坂戸道」/正面に「南無觀世音」と陰刻 2
写真 栗坪の橋供養塔 くりつぼ 日高市 (栗坪前) 石碑(舟型) 高65㎝(うち、台石13㎝),幅30㎝,厚21㎝ 享保3(1718)   日高の石造物p52
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易覆屋内 (光背右)「懸渡當橋奉建立尊像所天下」/光背中央に地蔵立像の浮彫 2
写真 女影の石橋供養塔1 おなかげ 日高市 (姥田) 石碑
(丸彫、道標兼)
高124㎝ 享保16(1731)   日高の石造物p137
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/基部完全露出(仮置) (台石裏面上部)「石/橋/供/養/塔」、(台石正面右)「南 江戸道」、(台石右面)「東 於こせ道」、(台石左面)「西 …」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる/建立年は「…保十六辛亥」→享保16 3
写真 下鹿山の石橋供養塔 しもかやま 日高市 花蔵寺 石碑(丸彫) 高158㎝(うち、台石27+24㎝),幅33㎝,厚21㎝ 享保19(1734)   日高の石造物p105
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/台石が敷茄子風の曲面になっているので、刻字が読みにくい (上段台石右面)「右者當村十ヶ所 石橋供養佛也」/台石上に地蔵立像の丸彫(錫杖、蓮台)を載せる 2
写真 楡木の橋供養塔 にれぎ 日高市 (西久保) 石碑(駒型) 高78㎝,幅29㎝ 延享2(1745)   日高の石造物p53
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「普賢菩薩橋供養塔」/正面を枠を残して浅く削り込んで刻字、頂部に〝日月”の陽刻 1
写真 上鹿山の橋供養塔 かみかやま 日高市 西光寺 石碑(隅丸型) 高96㎝(うち、台石8㎝),幅36.5㎝,厚27.5㎝ 延享4(1747)   日高の石造物p93
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面中央)「南無地蔵菩薩石橋供養塔」 2
写真 高麗本郷の石橋供養塔 こまほんごう 日高市 (大橋) 石碑(隅丸型) 高103㎝(うち、台石23㎝),幅35㎝,厚24㎝ 安永2(1773)   日高の石造物p20
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「石橋供養」/正面を火灯窓型に削り込み馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、宝輪、剣、金剛杵、斧〕、蓮台)を陽刻 2
写真 横手の石橋供養塔1 よこて 日高市 (根岸)/高麗川(右岸) 石碑(隅丸型) 高95㎝(うち、台石20㎝),幅39㎝,厚25㎝ 安永6(1777)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面)「石橋供養」/正面を隅丸型に削り込み、馬頭観音立像(三面六臂〔矛、宝輪、剣〕、蓮台)を浮彫り 1
写真 女影の石橋供養塔2 おなかげ 日高市 薬師堂 石碑(隅丸型) 高98㎝ 寛政7(1795)   日高の石造物p130)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像下)「石橋供養塔」/正面上部に地蔵坐像(蓮台)の浮彫 1
写真 新堀の橋供養塔 にいほり 日高市 獅子岩橋・北 石碑(舟型) 高84㎝(うち、台石2段25㎝),幅24㎝,厚13㎝ 寛政10(1798)   日高の石造物p58
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/像容不鮮明 (右面)「橋建立供養」/光背中央に馬頭観音立像(三面六臂)を陽刻 2
写真 北平沢の石橋供養塔1 きたひらさわ 日高市 福蔵院 石碑 高66㎝,幅27㎝,厚12㎝ 文化8(1811)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「(梵字3)奉納、坂東/秩父/西國/四國、巡禮石橋供羪」/正面を枠を残して浅く削り込んで刻字/宿谷川に架けられていた石橋の供養塔? 1 -
写真 北平沢の石橋供養塔2 きたひらさわ 日高市 (武藤ヶ谷戸) 石碑(自然石) 高119㎝,幅85㎝,厚33㎝ 文化11(1814)   日高の石造物p74
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面最下部)「石橋供羪塔」/正面に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 1
写真 田波目の石橋供養塔 たばめ 日高市 田波目交差点 石碑(道標兼) 高82㎝,幅29㎝,厚17㎝ 文化13(1816)   日高の石造物p84
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
正面の風化が進行 (右面)「石橋三箇所供羪塔」、(正面最下端右)「右、入間川/扇町屋、道」、(同左)「左、江戸/かわこへ、道」、(台石正面)「北、越生/小川」/正面に馬頭観音立像(三面六臂?)を陽刻 3
写真 横手の石橋供養塔2 よこて 日高市 (峯割間) 石碑(自然石) 高142㎝(うち、台石31㎝),幅52㎝,厚27㎝ 文政2(1819)   日高の石造物p20
/WEB(鎌倉街道上道)
  (正面)「石橋供養塔」  
写真 下大谷沢の道橋供養塔 しもおおやざわ 日高市 サイボクハム・北 石碑(道標兼) 高95㎝(うち、台石20㎝),幅30㎝ 嘉永元(1848)   WEB(鎌倉街道上道)   (正面)「(梵字)奉修善道橋供羪塔」、(台石正面右)「右/下大谷沢」、(同左)「左/者んのふ道」   -
写真 台の高札場 だい 日高市   高札場   正徳元(1711) 市史跡 現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
昭和60復元 高札は1枚 2
写真 畠山の鎌倉街道上道・跡 はたけやま 深谷市 <鎌倉街道上道
(推定ルート)>
道路(掘割状遺構) 長約200m 鎌倉時代? 市史跡 市教委/WEB(鎌倉街道上道) 片側の掘割が隣接施設の盛土により破壊 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/埼玉県中央を南北に縦断 4
写真 富士浅間神社の参道橋 ふじ・せんげん 深谷市 (本住)富士浅間神社 石刎橋(ヒンジ式) 長1.7m,幅2.0m(G)
天保14(1843)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 保存状態良好 両端の石刎と石桁は相欠継ぎで連結→長州藩以外のヒンジ式石刎橋はきわめて稀→長州藩でも相欠継ぎ構造は3橋しかない/片面の高欄を支える石材のみ桁中央付近で折れて合掌アーチ状になっているが断面が不揃いで、石材が折れたか、後世の補修の際の偶然の産物 1
写真 田所町の常夜灯
(深谷宿西の常夜灯)
たどころ 深谷市 <中山道> 石常夜灯 4m 天保11(1840) 市有形 WEB(埼玉県の橋供養碑)/現地解説板 原位置 中山道の宿場で最大級の常夜灯/宝珠と笠の間の石に「○三」の富士講の印、火袋にも「三」の開口部/中台に浮彫り/猫脚、高さ1.7mの基壇石垣(2段)あり 1
写真 南阿賀野の庚申塔道標1 みなみあがの 深谷市 葦原大神社・参道 石道標(駒型) 高133㎝(うち、台石16㎝),幅49㎝,厚21㎝ 宝永元(1704)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右端)「右 一本木道」、(同左端)「左 本庄道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 2
写真 高畑の庚申塔道標1 たかばたけ 深谷市 (中井)市道・交差点、備前渠支線・橋詰 石道標 高63㎝(うち、台石11㎝),幅23㎝,厚20㎝ 宝永4(1707)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右)「右 ふ可やミち」、(同左)「左 奈可ぜ道」(=中瀬)/正面中央に「奉納爲庚申神供養二世安」と陰刻、頂部右左に“日月”の陰刻 2 -
写真 新戒の庚申塔道標1 しんかい 深谷市 (上新戒)県道45号交差点、豊里商工会向かい 石道標(駒型) 高115㎝(うち、台石15㎝),幅44㎝,厚23㎝ 正徳6(1716)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (右面下部)「是ゟ西 本志"やう道」、(左面下部)「ゟ南 ふ加や道」(緑字は異体字)/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 岡部の庚申塔道標 おかべ 深谷市 岡部神社 石道標(笠付き) 高112㎝(うち、台石13㎝),幅32㎝,厚29㎝ 享保18(1733)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (左面右)「左、よりい/ちゝふ、道」/正面を装飾的な矩形状に削り込み「庚申供養塔」と陰刻/笠正面に唐破風/下記の「岡部の如意輪観音像道標」と並ぶ 2
写真 榛沢新田の庚申塔道標 はんざわしんでん 深谷市 JA跡(沓掛、榛沢、後榛沢との境界) 石道標(笠付き) 高95㎝(うち、台石16㎝),幅26㎝,厚17㎝ 元文2(1737)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面下部)「右 本庄」、(左面下部)「左 八まん山」/正面を枠を太く残して削り込み「奉納庚申供羪塔」と陰刻/笠正面に唐破風/枠頂部右左角に“日月”の陰刻/台石が蓮花状 2
写真 国済寺の庚申塔道標1 こくさいじ 深谷市 国済寺 石道標(尖頭角柱) 高79㎝(うち、台石21㎝),幅24㎝,厚18㎝ 元文2(1737)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (台石正面右)「 より」、(同左)「 めぬ未」(=妻沼)/正面に「(梵字)庚申供養」と陰刻 2 -
写真 江原の供養塔道標1 えばら 深谷市 浄光寺跡・西、県道45号辻 石道標 高69㎝(うち、台石17㎝),幅24㎝,厚15㎝ 延享2(1745)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面左下)「東 めぬま道」、(右面)「北 満いしま道」(=前島?)、 (左面)「南 く未加"や道」(=熊谷)、(裏面「西 本んせう道」(=本庄)/正面を枠だけ残して火灯窓型に削り込み「寒念佛供羪」と陰刻 2
写真 中瀬の供養塔道標 なかぜ 深谷市 (延命地)県道356号の交差点・西 石道標(笠付き) 高75㎝(うち、台石35㎝),幅21㎝,厚20㎝ 宝暦5(1755)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設(昭和48) (正面右下)「西 本庄道」、(同左下)「東 渡シ道」/正面中央に「二十二夜待供養」と陰刻、頂部に笠を載せる 2
写真 国済寺の庚申塔道標2 こくさいじ 深谷市 国済寺 石道標(自然石) 高69㎝,幅30㎝,厚16㎝ 宝暦6(1756)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (右面)「西 よ里い道」(=寄居)/正面を枠だけ残して削り込み「庚申供養塔」と陰刻、枠頂部右左に“日月”の陰刻 2 -
写真 武蔵野の庚申塔道標 むさしの 深谷市 (飯野)宝性寺 石道標(駒型) 高126㎝(うち、台石34㎝),幅43㎝,厚24㎝ 宝暦11(1761)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「右 野道」、(同左)「左、よりい/ちゝぶ、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)を陽刻 2
写真 上野台の題目塔道標 うわのだい 深谷市 南通りの脇(上柴町西6丁目との境界) 石道標(尖頭角柱) 高75㎝(うち、台石14㎝),幅23㎝,厚22㎝ 宝暦11(1761)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/正面の刻字判読困難 (正面右下)「右 よ里」、(同左下)「左 みち」/正面に「甲子講中」と陰刻/下記の「上野台の馬頭観音道標」と並ぶ 2
写真 本郷の庚申塔道標1 ほんごう 深谷市 (田向)本郷西集会所・南
(寄居町用土との境界)
石道標(自然石) 高102㎝(うち、台石22㎝),幅43㎝,厚39㎝ 宝暦12(1762)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右下隅)「右、く満加や/ふ加や」(=熊谷)、(同左下隅)「西 八満山道」/正面上部に大きく「(梵字)」を陰刻、その下に“一猿”の陽刻 2
写真 江原の供養塔道標2 えばら 深谷市 大日堂 石道標(隅丸型) 高124㎝(うち、台石31㎝),幅44㎝,厚25㎝ 宝暦14(1764)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (左面右)「西 本ん志やふミち」(=本庄)、(同左)「東、右 めぬまミち/左 かしミち」/正面を枠だけ残して四角に削り込み「(梵字)供養塔」と陰刻 2
写真 瀬山の庚申塔道標 せやま 深谷市 正福寺・不動尊 石道標(蒲鉾型) 高81㎝(うち、台石18㎝),幅27㎝,厚15㎝ 明和5(1768)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「北 ふ可や」、(同左)「南 押切/ハたし」(=荒川の渡し場)/正面を火灯窓型に削り込み「庚申供養」と陰刻、頂部枠部に“日月”の線刻 3
写真 山河の道祖神道標 やまが 深谷市 県道353号・脇 石道標 高63㎝,幅26㎝ 明和5(1768)   WEB(関東地方の川) 移設、集約 (正面下部)「右、を可べ道/おかみち」、(左面)「左 ば道」/正面を枠だけ残して平らに削り込み、上部に「道祖神」と陰刻 3
写真 横瀬の庚申塔道標 よこぜ 深谷市 華蔵寺 石道標 高111㎝(うち、台石12㎝),幅45㎝,厚24㎝ 安永3(1774)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部埋設 (正面右端枠上)「左 本庄道」、(台石正面)「左/本庄/ミち」/正面を枠だけ残して火灯窓型に削り込み大きく「庚申塔」と陰刻 2
写真 今泉の道祖神道標 いまいずみ 深谷市 聖観音・南100m、辻 石道標(自然石) 高65㎝,幅42㎝,厚22㎝ 安永4(1775)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/木覆屋内 (正面右下)「右 本庄」、(左下)「左 八まん山」/正面中央に「道祖神」と陰刻 2 -
写真 小前田の供養塔道標 おまえだ 深谷市 長善寺<中山道脇往還> 石道標(自然石) 高99㎝,幅54㎝,厚5㎝ 安永5(1776)   市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設(もと、小前田宿・西端) (正面右側)「右 大山、小川/川こへ、ちゝふ、与りしミ」、(同左側」「左 くまや、い王つき/□□者し」/正面中央に「奉納四國、秩父/西國/坂東、供羪塔」と陰刻 2
写真 国済寺の庚申塔道標3 こくさいじ 深谷市 国済寺 石道標(尖頭角柱) 高67㎝(うち、台石3㎝),幅26㎝,厚17㎝ 天明元(1781)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/下部埋設 (右面)「東へ めぬま」、(左面)「西へ より井」/正面を枠だけ残して削り込み「(梵字)庚申」と陰刻、梵字の右左に“日月”の陰刻/下記の「国済寺の庚申塔道標4」と並ぶ 2 -
写真 上柴町東の庚申塔道標 かみしば、
ひがし
深谷市 (北中郷)諏訪神社 石道標(尖頭角柱) 高89㎝(うち、台石26㎝),幅26㎝,厚18㎝ 寛政元(1789)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (右面)「右 ふ可や/左 よりい、みち」/正面を枠だけ残して削り込み「庚申塔」と陰刻 2
写真 上敷免の供養塔道標 じょうしきめん 深谷市 泉光寺・門前 石道標 高119㎝(うち、台石21㎝),幅43㎝,厚31㎝ 寛政2(1790)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部埋設 (台石正面左)「右 ふ可や…/左 た可し満…」(=深谷,高島)、(台石左面)「右 本庄…/左 めぬ未…」(=妻沼)/正面に「二十三夜供養」と陰刻 3
写真 本田の馬頭観音道標1 ほんだ 深谷市 (棒田)県道69号・脇、畠山との境界 石道標(尖頭角柱) 高155㎝(うち、台石32㎝),45㎝角 寛政6(1794)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (台石正面右)「右 小川/道」、(同左)「左り 文殊/道」(=文殊寺)/正面を火灯窓型に浅く削り込み「馬頭觀世音」と陰刻/台石と塔身の間に蓮台/台石中央に馬の写実的な陽刻→きわめて珍しい 1
写真 石塚の馬頭観音道標 いしづか 深谷市 光明寺・参道 石道標(駒型) 高55㎝(うち、台石2㎝),幅26㎝,厚13㎝ 寛政9(1797)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部埋設/表面剥離 (左面)「西 ほん庄/南 くま加へ/東 めぬま、道」(=熊谷)/正面を枠だけ残して駒型に削り込み「馬頭觀世音」と陰刻 3 -
写真 内ケ島の庚申塔道標 うちがしま 深谷市 県道14号の東・辻(戸森との境界) 石道標 高132㎝(うち、台石14㎝),幅34㎝,厚11㎝ 寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面右下)「右 本庄」、(同左下)「左、婦可や/よりゐ」(=深谷)、(左面下部)「右 奈可せ」(=中瀬)、(裏面左下)「春く めぬま]/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻 1
写真 中瀬の庚申塔道標 なかぜ 深谷市 (延命地)県道356号の交差点・西 石道標(常夜灯兼) 高137㎝(うち、台石16㎝),幅28㎝,厚26㎝ 寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設(昭和48) (右面)「左、くま可や道/ふ可や道」、(左面)「右 舩渡道」(=利根川の中瀬の渡し)、(裏面)「左 □□道」/正面に「奉納庚申燈」と陰刻/道標上に火袋と笠を載せる 2
写真 榛沢新田の供養塔道標 はんざわしんでん 深谷市 (中宿)県道352号、旧茶売り街道追分(岡との境界) 石道標(笠付き) 高96㎝(うち、台石13㎝),幅26㎝,厚19㎝ 寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (左面最下部)「左 お加べミち」(=岡部)/正面を枠だけ残して削り込み「二十二夜供養」と陰刻/笠正面に唐破風
2
写真 江原の如意輪観音像道標 えばら 深谷市 浄光寺跡・西、県道45号辻 石道標(駒型) 高69㎝,幅29㎝,厚25㎝ 享和元(1801)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部埋設 (右面)「西 ほん志"や…/東 めぬま…」(=本庄)/正面上半分に如意輪観音の半跏坐像を陽刻
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写真 山崎の庚申塔道標1 やまざき 深谷市 ゴルフ場・南西端 石道標(駒型) 高173㎝,幅41㎝,厚29㎝ 享和3(1803)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面左)「左 よりい」、(左面左)「右/十二天」(=十二天祠)/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)の浮彫り、その下に蓮台石、その下の上段台石正面に“三猿”の陽刻/下記の「山崎の庚申塔道標2」と並ぶ 2
写真 成塚の馬頭観音道標 なりづか 深谷市 宝蔵寺・参道 石道標(隅丸型) 高163㎝,幅36㎝,厚25㎝ 享和3(1803)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設(基部露出)、集約 (左面上半分)「南、右 婦かや/左 く満可や、道」(=深谷,熊谷)、(同下半分)「北、奈可せ/多可しま、道」(=中瀬,高島)/正面に「(梵字)馬頭觀世音菩薩」と陰刻 3
写真 上手計の題目塔道標 かみてばか 深谷市 県道14号・脇、火の見櫓・向かい 石道標(自然石) 高169㎝(うち、台石89㎝),幅40㎝,厚25㎝ 文化元(1804)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/基壇上に載る(左記数値には基壇の高さ含まず) (台石正面右)「西/ほん志やう/みち」(=本庄)、(台石右面)「西」、(台石左面右)「東/免ぬま/ミち」、(同左)「南/ちゝ婦/ふ可や、道」、(台石裏面)「南」/正面に「大黒天」と陰刻 2
写真 高島の庚申塔道標 たかしま 深谷市 (下高島)正伝寺 石道標(尖頭角柱) 高153㎝(うち、台石28㎝),幅41㎝,厚36㎝ 文化元(1804)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/下部埋設 (台石正面右)「右 女沼道/二り」、(同中)「南 深谷道/一り」、(同左)「左 本せ…/三…」/正面を枠だけ残して火灯窓型に削り込み大きく「庚申」と陰刻 3
写真 上柴町東の馬頭観音道標 かみしば、
ひがし
深谷市 月笑院 石道標(隅丸型) 高62㎝(うち、台石14㎝),幅25㎝,厚12㎝ 文化4(1807)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右下)「右ハ 三ヶ尻」、(同左下)「左ハ めぬま」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 本郷の供養塔道標 ほんごう 深谷市 (宮下)定光院・東100m、辻 石道標(尖頭角柱) 高78㎝(うち、台石21㎝),幅25㎝,厚22㎝ 文化7(1810)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面右)「左 くま加や」、(同左)「右 をが王道」(=小川)、(台石左面)「右 八まん山道」、(台石裏面右)「左 本ん志やう」、(同中央)「北 な加世道」(=中瀬)、(同左)「右 ふ加や道」/正面に「奉納百番供養塔」と陰刻/下記の「本郷の庚申塔道標2」と並ぶ 2
写真 上敷免の題目塔道標 じょうしきめん 深谷市 (皿沼)真光寺 石道標(墓石型) 高96㎝(うち、台石19㎝),幅28㎝,厚27㎝ 文化9(1812)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面)「東 妻沼」、(台石左面)「西、奈可せ/高し満」(=中瀬,高島)/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻 3
写真 本郷の庚申塔道標2 ほんごう 深谷市 (宮下)定光院・東100m、辻 石道標(自然石) 高54㎝,幅30㎝,厚17㎝ 文化11(1814)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右)「左 本庄」、(同左)「左 」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻/上記の「本郷の供養塔道標」と並ぶ 2 -
写真 戸森の馬頭観音像道標 ともり 深谷市 (本郷)雷電寺 石道標(尖頭角柱) 高82㎝(うち、台石15㎝),幅26㎝,厚17㎝ 文化12(1815)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/台石側面が隣石に密着 (台石正面右)「南/ふかや」/正面を枠だけ残して火灯窓型に削り込み馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻 3
写真 原郷の馬頭観音道標 はらごう 深谷市 (権現堂)楡山神社・裏参道 石道標(隅丸型) 高163㎝(うち、台石17㎝),幅32㎝,厚25㎝ 文政6(1823)   市教委/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (右面最下部)「右、ふ可や/よりゐ」、(左面最下部)「左、北 奈可せ/くま可や」(=中瀬)/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 矢島の庚申塔道標 やじま 深谷市 備前渠用水・右岸から150m 石道標 高102㎝(うち、台石28㎝),幅30㎝,厚29㎝ 文政9(1826)   WEB(埼玉県の橋供養碑)   (台石正面右)「南/よりへ」(=寄居)、(同中央)「東/ふ可や」、(同左)「北/奈可せ」(=中瀬)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻  
写真 荒川の馬頭観音道標 あらかわ 深谷市 (只沢)地蔵堂 石道標 高108㎝(うち、台石23㎝),幅30㎝,厚24㎝ 文政12(1829)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「右 くま可へ」、(同左)「左 ほん志"やふ」/正面に「馬頭尊?」と陰刻 3
写真 堀米の馬頭観音道標 ほりごめ 深谷市 養福寺・北西辻 石道標(自然石) 高151㎝,幅61㎝,厚9㎝ 文政13(1830)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右下端)「右 ふかや」、(同左下端)「左 めぬま」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/下記「堀米の庚申塔道標」と並ぶ 2
写真 今泉の馬頭観音像道標 いまいずみ 深谷市 「今泉の道祖神道標」の西100m 石道標 高74㎝(うち、台石12㎝),幅24㎝,厚16㎝ 文政13(1830)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (左面右)「左 八まん山道」/正面を枠だけ残して光背型に削り込み馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕、蓮台)を陽刻 1
写真 国済寺の庚申塔道標4 こくさいじ 深谷市 国済寺 石道標 高102㎝(うち、台石0㎝),幅34㎝,厚18㎝ 天保4(1833)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (右面)「右 よりゐ/左 めぬま、ミち」、(左面右)「南 み可志り」(=三ヶ尻)/正面を枠だけ残して削り込み大きく「庚申塔」と陰刻/上記の「国済寺の庚申塔道標3」と並ぶ 2
写真 原郷の供養塔道標 はらごう 深谷市 (城西)城西会議所の北西100m 石道標 高66㎝,幅26㎝,厚16㎝ 天保4(1833)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設(もと、権現堂)/表面剥離部あり (正面右下)「東 熊谷」、(右面下)「西 中瀬道」、(左面上)「南 小川道」/正面中央に「奉納百八十八ヶ所供養」と陰刻 2 -
写真 本田の馬頭観音道標2 ほんだ 深谷市 (上本田)県道69号と県道184号の交差点 石道標(尖頭角柱) 高127㎝(うち、台石29㎝),幅33㎝,厚30㎝ 天保12(1841)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面)「東、熊谷/深谷」、(台石左面)「南 小川」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 川本明戸の聖観音像(?)道標 かわもとあけと 深谷市 十輪寺墓地 石道標(尖頭角柱) 高104㎝(うち、台石25㎝),幅38㎝,厚27㎝ 天保12(1841)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石左面)「左り/くま/可や/二里」/正面頂部を円形に浅く削り込み聖観音(?)坐像を陽刻、その下に「供養塔」と陰刻/下記「川本明戸の馬頭観音道標」と並ぶ 3
写真 明戸の如意輪観音像道標 あけと 深谷市 (駒帰)国道17号明戸東交差点の北50m、県道127号・辻 石道標(墓石型) 高106㎝(うち、台石35㎝),幅30㎝,厚29㎝ 弘化4(1847)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 墓地内に移設、集約/下部埋設 (下段台石正面)「東 くま…/南 ふか…/西 ん…/北 なか…」/正面上部を円形に削り込み如意輪観音の半跏坐像を陽刻、その下に「二十二夜」と陰刻 3
写真 榛沢新田の道祖神道標 はんざわしんでん 深谷市 二柱神社・塀前 石道標(駒型) 高71㎝,幅27㎝,厚13㎝ 嘉永元(1848)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (正面最下部)「右 八まん山/左 本庄」/正面に「道祖大神」と陰刻 2 -
写真 折之口の地蔵(?)道標 おりのくち 深谷市 県道69号の折之口交差点 石道標 高111㎝(うち、台石22㎝),幅36㎝,厚23㎝ 嘉永3(1850)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/享保7を嘉永3に再建 (台石正面右)「南/小川道」、(台石右面)「東/くま可や/道」、(台石左面)「西/与りゐ/道」、(台石裏面)「北/ふ可や/道」/正面を枠だけ残して火灯窓型に削り込み地蔵?立像を陽刻
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写真 長在家の庚申塔道標 ながざいけ 深谷市 善法寺 石道標 高71㎝(うち、台石12㎝),幅25㎝,厚19㎝ 嘉永3(1850)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/表面磨耗 (右面左)「八幡山道」、(左面右)「寄居道」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼)を陽刻 3
写真 原郷の題目塔道標 はらごう 深谷市 (木ノ本)木の本3号古墳の南西100m 石道標 高128㎝(うち、台石24㎝),4㎝角 嘉永5(1852)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (台石正面右端)「東 めぬま道」、(同左端)「南 より…」、(台石右面)「西 ふ可や道/東 くまかや道」/正面に大きく「勢至尊」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 長在家の道標 ながざいけ 深谷市 南台)庚申塚(五叉路、折之口との境界) 石道標 高74㎝(うち、台石14㎝),幅22㎝,厚12㎝ 嘉永5(1852)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/木覆屋内 (右面)「左、なか/小川、道」、(左面)「右、よりい/□□ん、道」 2 -
写真 田中の題目塔道標 たなか 深谷市 国道140号・旧道、大里用水・左岸 石道標(墓石型) 高109㎝(うち、台石30㎝),幅36㎝,厚31㎝ 嘉永7(1854・55)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面右)「西 寄居/二り」、(同左)「東 熊谷/三り」、(台石左面右)「南 小川/二り/舩渡/五丁」/正面に「聖德皇太子」と陰刻/嘉永7年11月→11月12日まで1854年、13-26日まで1855年 3
写真 畠山の題目塔道標 はたけやま 深谷市 (如意)万福寺 石道標(墓石型) 高113㎝(うち、台石38㎝),幅31㎝,厚25㎝ 安政3(1856)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面右)「東 くまかや道/南 小川道」、(台石左面右)「西 よりい道/北 ふかや道」/正面に「二十二夜塔」と陰刻 2
写真 上野台の馬頭観音道標 うわのだい 深谷市 南通りの脇(上柴町西6丁目との境界) 石道標(隅丸型) 高111㎝(うち、台石19㎝),幅45㎝,厚28㎝ 安政4(1857)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面)「 よりゐ」、(台石右面)「めぬま」/正面に大きく「馬頭尊」と陰刻/上記の「上野台の題目塔道標」と並ぶ 2
写真 本郷の庚申塔道標3 ほんごう 深谷市 (宮下)東陽寺 石道標(自然石) 高146㎝,幅102㎝,厚18㎝ 安政7(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面右下隅)「北 本庄/西 八ん」、(同左下隅)「東 ふかや/南 よりゐ」 2
写真 成塚の庚申塔道標 なりづか 深谷市 高塚橋の北300m、県道辻(新戒との境界) 石道標(自然石) 高202㎝(うち、台石76㎝),幅68㎝,厚9㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (台石正面右)「東、熊/谷/道」、(同左)「西、本/庄/道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2
写真 新戒の庚申塔道標2 しんかい 深谷市 (上新戒)県道45号辻、上新戒旭文化会館・南 石道標(尖頭角柱) 高141㎝(うち、台石76㎝),幅28㎝,厚25㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (台石右面右)「右/めぬま」、(台石左面左)「左/なかせ」/正面に大きく「庚申」と陰刻 2
写真 成塚の供養塔道標 なりづか 深谷市 小山橋・左岸橋詰 石道標(墓石型) 高117㎝(うち、台石34㎝),幅36㎝,厚33㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (台石正面右)「東 まへこやへ/一り」(=前小屋)、(同左)「南、婦可やへ/一り/く満可やへ/三り半」(深谷,熊谷)、(台石右面)「北 なかせへ/半道余」、(台石裏面左)「西、大つか/稲荷江 六丁」/正面に「百番、觀世音供養」、左面に「念佛百萬遍」と陰刻 2
写真 山崎の庚申塔道標2 やまざき 深谷市 ゴルフ場・南西端 石道標 高100㎝(うち、台石33㎝),幅29㎝,厚22㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「よりい」、(台石右面右)「北/ほん志やう」、(同左)「南/ふかや」、(台石左面右)「八まん」/正面に大きく「庚申」と陰刻/上記の「山崎の庚申塔道標1」と並ぶ 2
写真 南阿賀野の庚申塔道標2 みなみあがの 深谷市 葦原大神社・参道 石道標(自然石) 高99㎝(うち、台石12㎝),幅33㎝,厚30㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「右 ふかや/左 □□□□」/正面上部に「庚」と陰刻 2
写真 原郷の庚申塔道標 はらごう 深谷市 (権現堂)楡山神社・裏参道 石道標(自然石) 高97㎝(うち、台石20㎝),幅51㎝,厚15㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設 (台石左面)「西 中瀬道/南 小川道/東 熊谷道」/正面に大きく「庚申」と陰刻 2
写真 山河の庚申塔道標 やまが 深谷市 県道353号・脇 石道標(墓石型) 高92㎝(うち、台石18㎝),幅28㎝,厚25㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面)「北 岡/東 深谷/南 小川」/正面に大きく「庚申」と陰刻 2
写真 堀米の庚申塔道標 ほりごめ 深谷市 養福寺・北西辻 石道標(自然石) 高89㎝(うち、台石15㎝),幅41㎝,厚10㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面右)「東/めぬ末」(=妻沼)、(同左)「此方/く末かや」(=熊谷)、(台石左面右)「此方/ふかや」、(同左)「西/保ん志"やふ」(=本庄)/正面に大きく「庚申」と陰刻/上記「堀米の馬頭観音道標」と並ぶ 2
写真 高畑の庚申塔道標2 たかばたけ 深谷市 (中井)市道・交差点、備前渠支線・橋詰 石道標 高63㎝(うち、台石11㎝),幅23㎝,厚20㎝ 万延元(1860)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面最下部)「東、めぬま/くま可へ」(=熊谷)、(左面最下部)「西、ふ可や/本ん庄」/正面に大きく「庚申」と陰刻 2 -
写真 岡部の如意輪観音像道標 おかべ 深谷市 岡部神社 石道標 高99㎝(うち、台石22㎝),幅31㎝,厚25㎝ 文久元(1861)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/移設時に台石の表と裏を逆に配置? (台石左面右)「右 山川」、(同左)「北 奈かせ」(=山河,中瀬)、(台石裏面)「左、よりい/お加八」(=小川)/正面頂部を光背型に削り込み如意輪観音の半跏坐像を陽刻、その下に「二十二夜待」と陰刻/上記の「岡部の庚申塔道標」と並ぶ 2
写真 榛沢新田の成田山道標 はんざわしんでん 深谷市 (中宿)県道352号、旧茶売り街道追分(岡との境界) 石道標 高86㎝(うち、台石19㎝),幅29㎝,厚21㎝ 文久3(1863)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面)「左、本庄/八幡」、(台石左面)「右 深谷」/正面を火灯窓型に削り込み「成/田/山、不動尊」と陰刻/下記の「榛沢新田の石橋供養塔」と並ぶ 3
写真 川本明戸の馬頭観音道標 かわもとあけと 深谷市 十輪寺墓地 石道標(墓石型) 高91㎝(うち、台石21㎝),幅29㎝,厚25㎝ 元治元(1864)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面左)「西/よりゐ/二」、(台石左面右)「東/くま加や/二里」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/上記「川本明戸の聖観音像(?)道標」と並ぶ 3
写真 荒川の庚申塔道標 あらかわ 深谷市 荒川神社 石道標(自然石) 高161㎝(うち、台石21㎝),幅86㎝,厚9㎝ 元治2(1865)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面右)「ふ可や/三り/本庄/り」、(同左)「小川 三り/松山」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 3
写真 榛沢新田の石橋供養塔 はんざわしんでん 深谷市 (中宿)県道352号、旧茶売り街道追分(岡との境界) 石碑 高66㎝(うち、台石17㎝),幅20㎝,厚16㎝ 天保12(1841)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (右面)「石橋供養」/正面に「二十三夜供養」と陰刻/上記の「榛沢新田の成田山道標」と並ぶ 3 -
写真 田谷の石橋供養塔 たや 深谷市 高台院 石碑(自然石) 地上高138㎝(うち、台石22㎝),幅51㎝,厚5㎝ 安政2(1855)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (正面)「石橋供養墖」 2
写真 備前渠用水 びぜんきょ 深谷市・熊谷市・
本庄市
利根川(右岸) 用水路(素掘) 幹線延長約23㎞ 慶長9(1604)   市教委/WEB(関東地方の川) C護岸の区間が多い 関東代官頭・伊奈備前守忠次によって計画されたことに由来する呼称/県下で最古の用水路/取水口(元杁)は洪水・噴火等により何度も変更/周辺には取水の安全と洪水被害の軽減を祈願した水神宮が数多く祀られている/江戸時代末期に35年間、幕府によって取水禁止/矢島堰の付近に備前渠改閘碑記(明治36)が建つ 3-4
写真 柳出井池 やなぎいで 深谷市 (花園町永田) 湧水→溜池   文久年間(1861-64)   WEB(関東地方の川) 近代に入り大改修→廃止→修景 大きな柳の根元から水が湧き出ていたのを池にしたのが始まり 4
  永田の弁天池 ながた、
べんてん
深谷市   溜池   江戸期 市史跡 市教委 小規模な修復 湧水を利用した溜池 2
写真 江原堤 えばら 深谷市 (江原)<利根川> 土堤防(霞堤) 長約200m 江戸期   WEB(関東地方の川) 天端→農道 利根川(右岸)の旧堤防(控堤)→利根川が増水すると洪水流が江原堤開口部から流入し、最下流の中条堤で堰止められる仕組み/御定杭が現存(下記参照) 2
写真 江原堤の御定杭 えばら 深谷市 (江原) 御定杭 高48㎝,14㎝角 文久2(1862)   WEB(関東地方の川) 置いてあるだけ? (正面)「定杭一番」/御定め杭: 堤防の高さが勝手に変更されないように設けられた→上下流の村の同意のもとに、堤防の基準高を規定 2
写真 畠山の水神塔 はたけやま 深谷市 荒川(右岸) 石碑(自然石) 高108㎝,幅49㎝ 文化7(1810)   WEB(関東地方の川) 原位置 (正面)「水神塔」/鵜飼、投網漁、筏師らが無事を祈って建立したもの 1
写真 お茶々の井戸 おちゃちゃ 深谷市 荒川(左岸)<鎌倉街道上道(推定ルート)> 井戸(八角形)   鎌倉時代? 市史跡 WEB(関東地方の川) C改修(表面モルタル塗布 or 全更新?) 茶屋の「於茶々」と呼ばれる美しい娘がお茶を出したので「お茶々が井戸」と呼ばれるようになったとの説もある 4-5
写真 水子の鎌倉街道・羽根倉道・跡 みずこ 富士見市 <鎌倉街道・羽根倉道
(推定ルート)>
道路(2ヶ所) 長約100m,150m 鎌倉時代?   市教委/WEB(鎌倉街道上道) かなり細い土道から舗装道路まで状態は様々 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/埼玉県中央を南北に縦断/鎌倉上道の枝道である羽根倉道の一部と推定されている→さいたま市北区の羽根倉道と形態が全く異なる 3
写真 水子の庚申塔道標 みずこ 富士見市 (寺下)大応寺 石道標(駒型) 高133㎝(うち、台石28㎝),
幅47㎝,厚24㎝
宝暦5(1755)   市教委/富士見市近隣の道しるべp52 移設(もと、打越)/木祠内/各部C接合 (台石正面)「坂上 引又道/江戸道/向 藤久保道/右 川越道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を半立体的に浮彫 2
写真 渡戸の庚申塔道標 わたど 富士見市 (2丁目)しつけの坂 石道標(駒型) 高134㎝(うち、台石33㎝),
幅45㎝,厚27㎝
寛政4(1792)   市教委/富士見市近隣の道しるべp53 近接移設/C祠内 (右面)「是リ右 江戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻、“二鶏”は線刻 3
写真 鶴馬の庚申塔道標 つるま 富士見市 渡戸観音堂 石道標(駒型) 高70㎝,幅34㎝,厚19㎝ 寛政4(1792)   市教委/富士見市近隣の道しるべp53 移設 (右面)「是ヨリ右 江戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
  上沢の馬頭観音像道標 かみさわ 富士見市 (2丁目) 石道標(駒型) 高67㎝,幅26㎝,厚18㎝ 寛政12(1800)   市教委/富士見市近隣の道しるべp54 原位置 (台石正面)「やくし江/此 川越道/南 引又道」/正面に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻 1
写真 水子の道標 みずこ 富士見市 (町谷前) 石道標(尖頭角柱) 高64㎝,幅26㎝,厚21㎝ 天保15(1843)   市教委/富士見市近隣の道しるべp54 移設/簡易覆付き (正面)「ひき又 十五丁」、(右面)「山下河岸 三丁」、(左面)「所さ王 三里」、(裏面)「川古へ 三里半」/丁・里数は最下部に小さく刻字/江戸中期より栄えた山下河岸を示す歴史的な記念碑 2
写真 南畑新田の題目塔道標 なんばたしんでん 富士見市 (砂原)びん沼川右岸・辻 石道標 高82㎝(うち、台石19㎝),幅27㎝角 安政2(1855)   富士見市近隣の道しるべp55 移設/Cブロック祠内→台石右面読めない (台石左面)「西、川越江/二り半/飯田王多しへ/十八丁」、(台石右面)「東、ひき又/二り/者称くら/王多しへ/十八丁」/正面に大きく「観世音菩薩」と陰刻 3
写真 下南畑の馬頭観音道標 しもなんばた 富士見市 (山場)難波田城公園、資料館・北 石道標 高84㎝,幅28㎝,厚15㎝ 文久2(1862)   市教委/富士見市近隣の道しるべp56 数回移設/基部10㎝露出 (右面)「南 是ゟ一丁行 右へ なん者多ハ"し」(=南畑)、(左面)「北 かわごへ」、(裏面)「東 は祢くらわたしバ」/正面に大きく「馬頭観世音」と陰刻 3
写真 水子の石橋供養塔1 みずこ 富士見市 本郷中学校・北 石碑(駒型) 高94㎝,幅40㎝ 元禄14(1701)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/地面から抜かれて半分傾いている (正面右)「奉供養日待講石橋成就処」/正面に青面金剛立像
(六手合掌)を陽刻、台石に“三猿”を陽刻/県下で現存最古級の石橋供養塔(元禄14年2月)/刻字内容は下記「水子2」と同じ
2
写真 水子の石橋供養塔2 みずこ 富士見市 地蔵院・門前 石碑(舟型) 高108㎝(うち、台石15㎝),幅42㎝,厚30㎝ 元禄14(1701)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/祠内 (光背右)「奉供養日待講石橋成就処」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/県下で現存最古級の石橋供養塔(元禄14年9月)/刻字内容は上記「水子1」と同じ 2
  下南畑の石橋供養塔 しもなんばた 富士見市 鶴新田集会所脇 石碑(丸彫) 高107㎝ 元文3(1738)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設? (台石正面)「奉造立石橋供養」/台石上に地蔵坐像(光輪、錫杖、蓮台)を載せる 2
写真 上沢の敷石供養塔 かみさわ 富士見市 薬師堂 石碑 高60㎝,幅17㎝,厚14㎝ 文政13(1830)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「奉納鋪石供養塔」 2 -
写真 木曽目堤 きそめ 富士見市 (下南畑)
<新河岸川(左岸)>
土堤防 長約500m(現存) 江戸前期   WEB 天端→市道 上流は竹之内堤、下流は佃堤につながる/南畑三村と下流の佃堤のある宗岡村とは、天明6(1786)の大水害で竹之内・木曽目・佃堤の水はけや堤の高さをめぐって幕府評定が行われた 3
写真 亀久保の石尊常夜灯
(角の常夜灯)
かめくぼ
(かど)
ふじみ野市 (4丁目)<川越街道> 石常夜灯(道標兼) 高2.09m 享和2(1802) 市有形 市教委/富士見市近隣の道しるべp35/WEB(鎌倉街道上道) 移設/明治30(1897)修復 (竿正面)「奉/納、阿夫利神社常夜燈」、(竿右面)「大山、武蔵野地蔵/登古路差は、道」(=所沢)/川越街道から大山(阿夫利神社)に向かう最初の曲がり角に建つことからきた呼称/道標の上に火袋と笠・宝珠を載せているが、常夜灯が主体なので常夜灯として分類 2
写真 亀久保の馬頭観音道標
(亀久保の道しるべ)
かめくぼ ふじみ野市 亀久保観音堂
<川越街道・三ヶ島街道>
石道標(尖頭角柱) 高88㎝(うち、台石2㎝),
幅37㎝,厚23㎝
享和元(1801)   市教委(入間東部の石造文化財p76-77)/富士見市近隣の道しるべp36 移設(もと、国道264号の亀久保交差点)/台石埋設 (左面下部)「東 古市場道/西 三ヶ嶋ミち/南 江戸みち/北 川越ミち」(江戸道=川越街道)/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 苗間の馬頭観音道標 なえま ふじみ野市 浄禅寺跡付近 石道標 高117㎝,幅47㎝ 文政9(1826)   市教委(河岸場と河岸道p19-20/入間東部の石造文化財p79) 移設/ブロック塀に囲まれ右面は見えない (右面)「南 引又 江戸道」、(左面)「北 古市塲 川越みち」/正面を駒型に浅く削り込み「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 3
写真 苗間の庚申塔道標 なえま ふじみ野市 (神明後)薬師堂 石道標(駒型) 高90㎝,幅34㎝,幅19㎝ 天保9(1838)   市教委(入間東部の石造文化財p16-17) 原位置? (右面下部)「此方/ふる市場ミち」、(左面下部)「古のかた/川越道」/正面に青面金剛像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻/下記「苗間の石橋供養塔」と並ぶ 1
  元・亀久保大塚街道起点の道標 かめくぼ ふじみ野市 <大塚街道> 石道標 高79㎝,幅21㎝ 嘉永4(1851)   市教委(大井町の諸職・交通、運搬、交易p46) 移設→個人宅/かなり損傷 (正面)「川越に 二リ/□□せへ 六リ/うつかに 一リ二十八丁」(=越生、大塚) 4
写真 霞ケ丘の六道地蔵道標
(六道の辻の地蔵)
かすみがおか(ろくどう) ふじみ野市 市立霞ケ丘保育所・前 石道標(丸彫、六角形台石) 高124㎝,幅24㎝ 江戸末期   WEB/市教委(入間東部の石造文化財p66/上福岡の石造物p133)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置付近で何度も移設/立派な木造祠内→信仰の対象 (六角形台石:正面から左回りに)「つる於か道」、「ふじま/まちや、道」、「てらを/しんがし、道」、「ふるいちば道」、「福岡/引又、道」、「加めくぼ/江戸、道」→6本の道の集まる辻の道しるべ/台石上に地蔵座像の丸彫を載せる/新河岸道⇒所沢・狭山方面の畑で収穫された農産物や、狭山丘陵で生産された炭・薪などの燃料が、船着き場がある福岡河岸を目指して運ばれた歴史を物語る/地蔵は道を通って畑を耕す人々の祈りを受けたもの 2
写真 苗間の石橋供養塔 なえま ふじみ野市 (神明後)薬師堂 石碑(駒型) 高80㎝,幅27㎝,厚7㎝ 宝暦5(1755)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、密集/上屋内/基部13㎝露出 (正面中央)「(梵字)奉建立石橋四ヶ所」/上記「苗間の庚申塔道標」と並ぶ 3
写真 福岡河岸・跡 ふくおか ふじみ野市 新河岸川(右岸) 河岸   享保18(1733)頃   現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
昭和10廃止/河岸場再現
(文化財的な厳密さはない)
川越→新河岸川→荒川→隅田川→浅草への舟運/最盛期は天保2
(1831)~明治10年代で、仲買商を兼ねた回漕問屋(吉野屋、江戸屋、福田屋)を中心に賑わった/市指定の福田屋・主屋、国登録の吉野屋・土蔵も残る
3
写真 大井の大井戸 おおい ふじみ野市 (1丁目) 石積井戸(楕円形) 長軸1.8m,
短軸1.5m
平安末期   市教委 移設→原石を用いて復元 昭和50の発掘調査で発見された平安時代の井戸遺構 3
写真 旧・児玉町の鎌倉街道上道・跡 こだま 本庄市
<鎌倉街道上道
(推定ルート)>
道路 長約m 鎌倉時代?   市教委 旧道の雰囲気は残すが舗装された一般道 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/埼玉県中央を南北に縦断/伝承はあるが発掘記録はなく、確実性に欠ける 4
  本庄市・神川町の鎌倉街道上杉道・跡 ほんじょう、かみかわ 本庄市・
(児玉)神川町
<鎌倉街道上杉道
(推定ルート)>
道路 長約m 鎌倉時代?   神川町教委 旧道の雰囲気は残すが舗装された一般道/中山道筋と一部重なる 鎌倉街道上道から分かれて山内上杉氏の支城を結ぶ道/伝承はあるが発掘記録はなく、確実性に欠ける 4
  児玉町秋山の道標 こだま、
あきやま
本庄市 (後内手) 石道標   享保10(1725)   児玉町史・民俗編p407 原位置? 「従是 十二天祠前迄 十八丁」 1  
  児玉町小平の道標 こだま、
こだいら
本庄市 (根岸)布袋堂 石道標(自然石)   享保10(1725)   児玉町史・民俗編p406 移設(もと、榎峠) 「右ハ ちちふみち」「左ハ あきやまみち」 2  
  児玉町田端の庚申塔道標 こだま、
たばた
本庄市 十二神社<大師道> 石道標   宝暦2(1752)   児玉町史・民俗編p396 移設 「左りハ 大しみち」/?? 2  
  児玉町宮内の道標 こだま、
みやうち
本庄市 (天田)八坂社<大師道> 石道標   宝暦2(1752)   児玉町史・民俗編p406 移設 「左りハ 大しみち」 2  
  児玉町塩谷の供養塔道標 こだま、
しおや
本庄市 (下道万原)
<金鑚道・上杉道>
石道標   宝暦7(1757)   児玉町史・民俗編p396-397 原位置? 「右 …」、「左 かなさな」/正面に「二十二夜待供養塔」と陰刻 1  
  児玉町児玉の地蔵道標 こだま、
こだま
本庄市 (新町)<秩父道・藤岡道> 石道標(丸彫)   宝暦12(1762)   児玉町史・民俗編p406 原位置?/刻字部風化 (台石○面)「ちちふミち」/台石上に地蔵○像の丸彫を載せる 2  
  小和瀬の供養塔道標 こわぜ 本庄市 稲荷神社 石道標 高55㎝,幅24㎝,厚14㎝ 安永2(1773)   本庄市石造物調査報告書p42 移設 (右面)「右 中ぜ道」、(左面)「左 さかい道」/正面に「二十二夜供養」と陰刻 2 -
  中央の庚申塔道標 ちゅうおう 本庄市 (1丁目)愛宕神社 石道標 高75㎝,幅36㎝,厚26㎝ 安永5(1776)   本庄市石造物調査報告書p111 移設 (右面)「左 より為道」、(左面)「右 八まん山道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2 -
  山王堂の庚申塔道標 さんのうどう 本庄市 日枝神社 石道標 高60㎝,幅14㎝,厚18㎝ 安永5(1776)   本庄市石造物調査報告書p5 移設 (正面右下)「右 本庄道」、(同左下)「左 江戸道」/正面中央に「青面金剛塔」と陰刻 2 -
  下野堂の庚申塔道標 しものどう 本庄市 二柱神社 石道標(自然石) 高100㎝,幅68㎝,厚20㎝ 寛政9(1797)   本庄市石造物調査報告書p17 移設 (正面右下隅)「右 左神道」、(同左下隅)「左 三□□」/正面中央に「庚申塔」と陰刻 2
  堀田の庚申塔道標 ほった 本庄市 観音堂 石道標(自然石) 高110㎝,幅86㎝,厚16㎝ 寛政12(1800)   本庄市石造物調査報告書p51 移設 (右面)「南、かなやま/□□□」、(左面)「東、めぬま/なかせ」/正面に「庚申」と陰刻 2
  西五十子の如意輪観音像道標 にしいかつこ 本庄市 不動寺 石道標 高50㎝,幅24㎝,厚15㎝ 文政7(1824)   本庄市石造物調査報告書p88 移設 (台石正面)「右、栗崎/東□□□」/正面に如意輪観音の半跏坐像の浮彫 2 -
写真 西五十子の堤防供養塔 にしいかつこ 本庄市 小山川・河川敷 石碑(自然石) 高82㎝,幅76㎝,厚11㎝ 安政4(1857)   WEB(関東地方の川) 原位置 (正面)「堤供養」/堤防供養塔は稀 1
  九郷用水 ぐごう 本庄市・
(児玉)神川町
神流川 用水路 長15.6㎞ 700以前起源   市教委・
神川町教委
C護岸 九郷用水の支川と推定される真下大溝の発掘調査から700年以前の開削とされている(条里制開田に関わる用水)/古文書に名前が現われるのは天正15(1578)だが、南北朝時代にも用水の存在を示唆する記録がある 4
  備前渠用水 びぜんきょ 本庄市・熊谷市・
深谷市
利根川(右岸) 用水路(素掘) 幹線延長約23㎞ 慶長9(1604)   WEB(関東地方の川) C護岸/流路の大半が備前渠川(一級河川)に指定 関東代官頭・伊奈備前守忠次によって計画されたことに由来する呼称/県下で最古級の用水路/取水口(元杁)は洪水・噴火等により何度も変更/周辺には取水の安全と洪水被害の軽減を祈願した水神宮が数多く祀られている/江戸時代後期(1793-1828)に35年間、幕府によって取水禁止/旧元圦跡地に國利慈興碑(昭和7)が建つ 4
  摘田池 つみだ 本庄市   溜池   鎌倉時代起源   市教委 大幅な改修は行われていない 荘氏の一族にゆかりの地にあるため、古文書の記録は江戸期だが、創建は中世と推定されている 2
  都島の霞堤 みやこじま 本庄市 利根川 土堤防(霞堤) 長200~300m程度 江戸期   市教委 現役ではないが、保存状態は良好   2
写真 彦倉の石橋 ひこくら 三郷市 彦倉虚空蔵尊 石桁橋 長152㎝(G),
幅328㎝
享和2(1802)   WEB(鎌倉街道上道) 水路が埋められ橋としての機能なし 小規模/ごく簡易な高欄(中央に「享和二…/十月…」と刻字) 4 -
写真 戸ケ崎の庚申塔道標1 とがさき 三郷市 (関野谷)<岩槻道> 石道標(尖頭角柱) 高79㎝,幅29.5㎝,厚19.5㎝ 明和元(1764)   三郷市金石資料p122
/三郷市内庚申塔p162
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「是ヨリ南 江戸道」、(同最下端)「千住/二リ半」、(左面)「是ヨリ北 慈音寺道」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、最下部に“三猿”の陽刻 2
写真 戸ケ崎の庚申塔道標2 こうぼう 三郷市 西福寺 石道標(駒型) 高91㎝(うち、台石12㎝),幅37㎝,厚20㎝ 明和4(1767)   三郷市内庚申塔p168
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面左下隅)「南 新宿道」、(右面左下)「東 松戸道」、(左面下)「西 江戸道」、(台石正面中央)「南 …」、(台石右面中央)「東 松…」、(台石左面中央)「西 江…」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 2
写真 幸房の庚申塔道標 こうぼう 三郷市 興禅寺 石道標(駒型) 高117㎝(うち、台石32㎝),幅35㎝,厚18.5㎝ 天明5(1785)   三郷市内庚申塔p88
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「西 江戸道/北 流山道 一り」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 茂田井の庚申塔道標 もたい 三郷市 阿弥陀堂墓地 石道標(駒型) 高143㎝(うち、台石2段52㎝),幅39.5㎝,厚27.5㎝ 文化3(1806)   三郷市内庚申塔p73
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(墓地)/下段台石裏面判読不能(資料によれば道しるべの刻字されている可能性あり) (下段台石左面右)「東/松/戸」、(同左)「西/吉/川」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、上段台石正面に“三猿” の陽刻 3
  上彦川戸の庚申塔道標 かみひこかわど 三郷市 (下河原) 石道標   文化8(1811)   埼葛の道しるべp22 移設 (右面)「西 八条/北 吉川」、(左面)「東 流山/南 松戸」/正面に「青面金剛」と陰刻 2  
写真 南蓮沼の庚申塔道標 みなみはすぬま 三郷市 円光院 石道標(駒型) 高74㎝(うち、台石8㎝),幅29㎝,厚18㎝ 文化11(1814)   三郷市内庚申塔p96
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「西、吉川/八条、道」、(左面右)「右、成田/流山、道」、(同左)「左 彦倉古く曽右」/正面に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 2 -
写真 早稲田の成田山道標 わせだ 三郷市 光福院 石道標 高86㎝(うち、台石16㎝),幅26.5㎝,厚26.5㎝ 文化13(1816)   三郷市金石資料p12
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面最下部)「王たしバへ 三丁/よ者”川かへ 二り半/あびこへ 三り半/なりだへ 十三里/ま川戸へ 二り八丁/戸がさきへ 二り/せんじへ 四里」、(右面左下隅)「此ハ 三輪の江村へ 廿丁/のたへ 三里」(緑字は異体字)、(左面)「左ハ 八条へ □□半/そうかへ 二□□/よし川へ 二り/大さがみへ 二里/古しがやへ 二り半」/正面頂部に「成/田/山」と陰刻 2
写真 彦音の庚申塔道標 ひこおと 三郷市   石道標 高72㎝,幅30㎝,厚29㎝ 文政3(1820)   三郷市内庚申塔p108
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面頂部)「北」、(同下部)「吉川道」、(左面上部)「南」、(同下部)「八條道/江戸道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2 -
  上彦川戸の供養塔道標 かみひこかわど 三郷市 (下河原) 石道標   文政7(1824)   埼葛の道しるべp22 移設 (右面)「ながれやま道/よしかわみち」、(左面)「八条/まつど、道」/正面に「百箇所供養塔」と陰刻 2  
  茂田井の道標 もたい 三郷市 (外場川通) 石道標 高78㎝,幅21㎝,厚18㎝ 文政8(1825)   三郷市金石資料p33・34
/埼葛の道しるべp22
移設 (正面)「ひ/だ/り、すわ大明神」、(左面)「みぎえ/坂を/下る、江戸みち」 2
  上彦川戸の地蔵道標 かみひこかわど 三郷市 (下河原) 石道標   文政12(1829)   埼葛の道しるべp22 移設 (右面)「東 ながれ山/北 吉川」、(左面)「西 八条/南 江戸」/正面○○に地蔵坐像を陽刻 2  
写真 鷹野の庚申塔道標 たかの 三郷市 金蔵寺 石道標 高80㎝,幅28㎝,厚18㎝ 天保2(1831)   三郷市内庚申塔p171/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (右面)「金町道」、(左面)「松戸道」/正面に「庚申塚」と陰刻 3
写真 八潮の地蔵道標 やしお 八潮市 山王塚観音堂・前 石道標(尖頭角柱) 高80㎝,幅24㎝,厚22.5㎝ 元禄8(1695)   埼葛の道しるべp21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(基盤一部露出、周辺C固定)/左面がCブロック塀に近く判読困難 (正面像下)「是よ里西 志”おんじ/草加町ゑ 廿三丁」、(左面)「是より北 こしがい町道 二里」/正面頂部に地蔵坐像(蓮台)を陽刻/17世紀の道標 3
写真 西袋の庚申塔道標1 にしぶくろ 八潮市 蓮華寺 石道標(駒型) 高121㎝,幅53㎝,厚33㎝ 宝永5(1708)   八潮の金石資料p78
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面右端)「是より そうかまて 廿一丁」、(同左端)「是より じをんじまて 五里」/光背中央に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 南川崎の題目塔道標1 みなみかわさき 八潮市 普門寺 石道標(隅丸型) 高77㎝(塔身),
幅22㎝,厚14㎝
享保7(1722)   埼葛の道しるべp21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/台石更新(高さに含めず) (右面)「これより廿番鶴ヶ曾根まて 十一町/大曾根まて 三十町半」(緑字は異体字)、(左面)「八番川﨑より これまて九丁」/正面に「觀世音菩薩 拾九番」と陰刻 3 -
  南川崎の題目塔道標2 みなみかわさき 八潮市 中山家観音堂 石道標(墓石型) 高73㎝,幅18㎝,厚15㎝ 享保9(1724)   八潮の金石資料p92 移設 (右面)「是より 木曾根 九町」、(左面)「大瀬より 此道十三町」/正面に
「觀世音菩薩」と陰刻
2 -
写真 大瀬の題目塔道標 おおぜ 八潮市 観音堂 石道標(駒型) 高72.5㎝,幅20㎝,厚17㎝ 享保9(1724)   八潮の金石資料p92
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「是よ里 川﨑道 十三町」、(左面)「是よ里 猿ヶ又道 十五町」/正面に「(梵字)觀世音菩薩」、その右上隅に「十七番」と陰刻 2 -
写真 八潮の庚申塔道標 やしお 八潮市 円照寺 石道標(駒型) 高92㎝(うち、台石10㎝),幅33㎝,厚21㎝ 寛延4(1751)   八潮の金石資料p81
/埼葛の道しるべp21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/下部で斜めに折損→修復 (右面)「右之方 江戸道」、(左面)「川上 ぢ於んじ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 緑町の庚申塔道標1 みどり 八潮市 宝幢寺松之木墓苑 石道標(駒型) 高104㎝(うち、台石18㎝),幅43㎝,厚26㎝ 宝暦8(1758)   埼葛の道しるべp21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面左)「是ゟ右 六阿ミ多”みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 大瀬の庚申塔道標1 おおぜ 八潮市 観音堂 石道標(駒型) 高63㎝(うち、台石3.5㎝),幅28㎝,厚20㎝ 明和元(1764)   八潮の金石資料p82
/埼葛の道しるべp21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面左下)「是より 八条道」、(左面右)「是より そうか道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
  垳の庚申塔道標 がけ 八潮市 葛西用水・土橋脇(?) 石道標(駒型) 高68㎝,幅24㎝,厚16㎝ 安永2(1773)   八潮の金石資料p82   (○面)「右、いわつき道 六町/そうかへ 一里/ぢおんじ道 /市川 二里」/正面に「供養庚申」と陰刻   -
写真 大瀬の庚申塔道標2 おおぜ 八潮市 宝光寺 石道標(駒型) 高118㎝(うち、台石28㎝),幅44.5
㎝,厚27㎝
安永6(1777)   八潮の金石資料p82
/埼葛の道しるべp21
/WEB(鎌倉街道上道)

移設、集約

(右面左下)「左 江戸道」、(左面右下)「右 日光道」/正面に青面金剛像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻(かなり立体的) 2
写真 緑町の道標1 みどり 八潮市 立正寺 石道標 高62㎝,幅24㎝,厚16㎝ 天明元(1781)   埼葛の道しるべp21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「右 中嶋弁天道」 2
写真 西袋の庚申塔道標2 にしぶくろ 八潮市 蓮花寺 石道標(駒型) 高144㎝,幅39㎝,厚23.5㎝ 寛政10(1798)   八潮の金石資料p83
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/中央で水平に折損→修復 (右面)「右 千住宿 一り」、(左面)「左 草加宿 三十丁」/正面に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 2
写真 緑町の庚申塔道標2 みどり 八潮市 宝幢寺松之木墓苑 石道標(隅丸型) 高125㎝,幅36.5
㎝,厚24㎝
寛政12(1800)   八潮の金石資料p83
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/右面が樹木で判読不能 (右面)「北 こしがやミち/東 にかうはん道」、(左面)「西 そうかミち/南 せん志由ミち」/正面に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 3
写真 緑町の道標2 みどり 八潮市 花蔵院不動堂 石道標(駒型) 高114㎝,幅36㎝,厚23㎝ 文化9(1812)   八潮の金石資料p110
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「不動尊道」、(同左上隅)「左 小作田」、(同左下隅)「是□ 一丁」(右面)「右 二郷半領きうりミち」/下記の「緑町の道標3」と並ぶ 2
写真 八條の庚申塔道標 はちじょう 八潮市 (堤外) 石道標(駒型) 高102㎝(うち、台石15.5㎝),幅34
㎝,厚21㎝
文化9(1812)   八潮の金石資料p84
/埼葛の道しるべp21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/下部埋設 (右面)「野道」、(左面)「江戸道」/正面に「庚申…」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
写真 緑町の道標3 みどり 八潮市 花蔵院不動堂 石道標 高68㎝,幅24㎝,厚14.5㎝ 文化9(1812)   八潮の金石資料p110
/WEB(鎌倉街道上道)

移設/正面中央部剥離

(正面)「ふ…みち」、(同右上隅)「左 小…」/上記の「緑町の道標2」と並ぶ 3 -
  西袋の庚申塔道標3 にしぶくろ 八潮市 (川西) 石道標   天保4(1833)   埼葛の道しるべp21 原位置 (正面○○)「西、あらい弘法大師/六あみた、道」、(正面○○)「北 いわつき道/南 … せんしゅ道」/正面○○に「庚申塔」と陰刻 1  
写真 伊草の供養塔道標 いぐさ 八潮市 (伊草新橋) 石道標 高104㎝,
幅33.5㎝
天保12(1841)   八潮の金石資料p93
/埼葛の道しるべp21

移設(基部C)

(正面最下部右)「南 江戸/淺草江 三り」、(同左端)「北、こし可”やへ 二り/岩つきへ 五り」、(右面下部)「まつとへ 二り半/市川へ 四り」、(左面)「成田山」、(同下部)「八条へ 十八丁/なかれ山へ 二り」/正面中央に「月山/湯殿山/羽黑山、四國西國秩父坂東 拝礼供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の陰刻 2
写真 中央の供養塔道標 ちゅうおう 八潮市 観音寺 石道標 高90㎝(うち、台石14㎝),幅30㎝,厚18㎝ 慶応2(1866)   八潮の金石資料p95
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「是ヨリ 浅草觀世音江 三里」、(左面)「是ヨリ 慈恩寺 五里」/正面に「(梵字)百番供羪塔」と陰刻、その下に、「与しのくに 廻り納て/死者の旅 道引/多まへ 大慈大悲に」の歌 2
  浮塚の道標 うきづか 八潮市 氷川神社 石道標   江戸期   埼葛の道しるべp21 移設 (正面)「右り 江戸道」/「江戸」の標記は江戸期 2  
  中央の石橋供養塔 ちゅうおう 八潮市 観音寺 石碑 高59㎝,幅22㎝,厚16㎝  元禄5(1692)   八潮の金石資料p108 移設 (正面)「(梵字)奉掛石橋 庚申待供養所」/17世紀の石橋供養塔 2
  大瀬の石橋供養塔 おおぜ 八潮市 観音堂 石碑 高68㎝,幅29㎝,厚16㎝ 享保8(1723)   八潮の金石資料p108 移設 (正面)「(梵字)奉造立石供養」 2 -
  南後谷の石橋供養塔 みなみうしろや 八潮市 西福寺 石碑 高215㎝,幅43㎝,厚27㎝ 享保12(1727)   八潮の金石資料p108 移設 (正面)「奉渡石橋」 2
写真 柳之宮の敷石供養塔 やなぎのみや 八潮市 氷川神社 石碑 高91㎝(うち、台石28㎝),幅30㎝,厚21㎝
天保13(1842)   八潮の金石資料p109
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/上部が欠損 (正面)「/田/山、敷石供養塔」/建立年は「…三壬寅年」→この組合せは天保13のみ 4
写真 二丁目の土手供養塔 にちょうめ 八潮市 普門院・門前 石碑(駒型) 高196㎝(うち、台石31㎝),幅71㎝,厚52㎝ 明暦元(1655)   八潮の金石資料p99
/WEB(鎌倉街道上道)
氷川神社・東側土手→移設 (正面)「(梵字3)神力演大光普照無際土消除三垢冥廣洲衆厄難」、(同右)「奉供養造立所本願念故」/最下部に蓮の花の陽刻/川の氾濫で村人が苦労→普門院住職・浄西が、土手が切れないように願をかけ土手供養塔を建立→以後、土手が切れなくなったとされる 2
写真 葛西用水 かさい 八潮市・他 羽生市→加須市→久喜市→幸手市→杉戸町→春日部市→越谷市→草加市
八潮市
用水路 総延長70㎞ 万治3(1660) 疏水百選 WEB(関東地方の川) 用水としての機能を終え、親水空間となっている 見沼代用水とならび、江戸期を代表する大用水/徳川幕府の天領開発策の一貫(幸手領の用水路)として、関東郡代・伊奈忠克により構築/旧利根川筋(会の川と大落古利根川)の河道を利用し、複数の溜井を連結した用水形態(用排水兼用)/幹線水路の水管理や修築は、勘定奉行所の所管(幕府直轄)/用水体系が確立したのは享保4(1719) 3
  上内川の如意輪観音像道標 かみうちかわ 吉川市 (松高) 石道標(舟型) 高108㎝,幅31㎝,厚21㎝ 享保14(1729)   市教委
/吉川市の石塔p34
移設 (光背右下隅)「これより左 かすかべ道 三里」、(同左下隅)「これより右 こしがや道 二里」、(右面)「左 かすかべ道」、(左面)「右 こしがや道」/光背中央に如意輪観音の半跏坐像を陽刻 2
写真 吉川の庚申塔道標1 よしかわ 吉川市 香取神社・入口 石道標(駒型) 高86㎝,幅30㎝,厚17㎝ 安永7(1778)   市教委
/埼葛の道しるべp20
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「右ハ、吉川/ 江戸道」、(左面右)「左 加さい道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)を陽刻 2
写真 中島の庚申塔道標1 なかじま 吉川市 萬福寺 石道標(尖頭角柱) 高89㎝(うち、台石19㎝),幅26㎝,厚18㎝ 安永8(1779)   吉川市の石塔p279
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面最下部右)「北 よし川/東 み王の」/正面に「(梵字)庚申供養塔」と陰刻 3
  半割の題目塔道標 はんわり 吉川市 (田端坊) 石道標 高100㎝,
幅28.5㎝,厚21㎝
天明5(1785)   吉川市の石塔p61 移設、集約 (右面左)「是ヨリ 四はん満で 十丁」/正面に「(梵字)四國阿波寫五番地蔵大菩薩札所」と陰刻 3
  川藤の供養塔道標 かわふじ 吉川市 恵日院 石道標(尖頭角柱) 高88㎝,幅36㎝,厚24㎝ 寛政6(1794)   市教委
/埼葛の道しるべp20
移設 (正面下方)「左 いまかみわたし道/東へ 二丁行/右 みわの江 ながれ山道」、(右面)「北/土橋より内 まつぶし 大川戸道」、(左面)「南、よしかわ/ハで うちみ/江戸、道」、(裏面)「西 こしがや道」/正面に「供養塔」と陰刻 2
  下内川の庚申塔道標 しもうちかわ 吉川市 正覚院 石道標(隅丸型) 高75㎝,幅26㎝,厚19.5㎝ 寛政6(1794)   吉川市の石塔p222 移設、集約 (正面下部右)「向 江戸道」、(同下部左)「上 のた道」/正面に「青面金剛」と陰刻 3 -
写真 木売の不動明王像道標 きうり 吉川市 (2丁目)不動堂・内 石道標(丸彫) 高176㎝,幅41㎝,厚25㎝ 寛政11(1799)   吉川市の石塔p306
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内/不動明王像のみ床上となり、道標部は床下に隠れている (台石正面最下部左)「親鸞聖人江 二丁」、(台石右面最下部左)「吉川江 四丁」、(台石左面)「八条/江戸、道」、(同最下部左)「洪水之節無用」/台石正面頂部に「成/田/山」と陰刻、台石上に不動明王坐像(剣と羂索、背景に迦楼羅焔、磐石)の丸彫を載せる 3
  拾壱軒の庚申塔道標 じゅういっけん 吉川市 千日堂 石道標 高120㎝,幅41㎝,厚27㎝ 寛政12(1800)   吉川市の石塔p242 移設 (正面最下部)「西 こしがや/南 よし川/東 ながれやま/北 のだ」/正面を光背型に削り込み「青面金剛」と大きく陰刻 2
写真 吉川の庚申塔道標2 よしかわ 吉川市 延命寺 石道標(駒型) 高88㎝,幅34㎝,厚19㎝ 文化2(1805)   市教委
/埼葛の道しるべp20
移設 (右面)「右 松ぶし ほうし花道」、(左面)「左、こしがや/江戸道/ほうし花道」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻/頂部に“日月”の陽刻 2
写真 川藤の庚申塔道標1 かわふじ 吉川市 かちばし交差点 石道標(尖頭角柱) 高82㎝(うち、台石18㎝),幅28㎝,厚18㎝ 文化6(1809)   市教委
/吉川市の石塔p233
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/簡易覆屋内 (正面右)「東 のだ道」、(同左)「南 よし川道」、(左面)「北 まつぶし道」/正面中央に「庚申講中」と陰刻/頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻 2
  中島の庚申塔道標2 なかじま 吉川市 稲荷神社 石道標(駒型) 高78㎝,幅36㎝,厚35.5㎝ 文化7(1810)   市教委
/埼葛の道しるべp20
移設 (右面)「北方 すわ 流山道/なりた は口道」(□は不明字ではなく漢字の“くち”)、(左面)「西、吉川道/こしがや道」/正面に「庚申塔」と陰刻/頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻 2
  中曽根の不動明王像道標1 なかぞね 吉川市   石道標 高85㎝,幅23㎝,厚12.5㎝ 文化12(1815)   吉川市の石塔p307 移設→個人宅 (正面像下)「成/田・山、南 江戸道/東 みわの江ミち/北 川道」/正面上部に不動明王坐像(剣と羂索、背景に迦楼羅焔)を陽刻 4
  中曽根の不動明王像道標2 なかぞね 吉川市   石道標(駒型) 高91㎝,幅28.5㎝,厚20㎝ 文化13(1816)   吉川市の石塔p308 移設→個人宅/下部床下 (右面)「三は乃いミち」、(左面)「南 八条/北 吉川、ミち」/正面上部に不動明王坐像(剣と羂索)を陽刻、その下に「成田山」と陰刻 4
写真 中曽根の庚申塔道標 なかぞね 吉川市 香取御嶽神社 石道標(蒲鉾型) 高64㎝,幅25㎝,厚16㎝ 文政2(1819)   吉川市の石塔p208
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/全体に磨耗が目立ち、特に「成田」はほとんど見えない (正面最下部右)「成田道」、(右面最下部)「吉川道」、(左面最下部)「江戸道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2 -
写真 高久の庚申塔道標 たかひさ 吉川市 蕎高神社 石道標(駒型) 高149㎝(うち、台石25+38㎝),幅38㎝,厚26㎝ 文政3(1820)   吉川市の石塔p207
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石右面右)「東 な可"れ山 一り」、(同左)「北 吉川 十八丁」、(台石左面右)「南 八条 十八丁」、(同左)「南 當村」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、二鶏、三猿)を陽刻 2
写真 小松川の成田山道標 こまつがわ 吉川市   石道標(尖頭角柱) 高160㎝(うち、台石23㎝),幅36㎝,厚22.5㎝ 文政4(1821)   市教委
/埼葛の道しるべp20
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?〔原位置で下部をC補強している可能性もある〕/C台石→下部埋設 (正面題目下)「向、吉川/越ヶ谷」、(右面)「ながれやま/こまぎすわ、みち」、(左面)「ふせ弁才天みち」/正面に大きく「成田山」と陰刻 2
写真 関新田の庚申塔道標 せきしんでん 吉川市 天満宮・入口 石道標(尖頭角柱) 高118㎝(うち、台石20+26.5㎝),幅33㎝,厚24.5㎝ 文政6(1823)   市教委
/埼葛の道しるべp20
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(放置に近い) (下段台石正面)「八条/吉川/江戸」、(右面最下部)「東/三輪野江渡シ/流山」、(左面最下部)「北/今上渡シ/野田太子堂」/正面に「猿田彦大神」と陰刻、上段台石正面に“三猿”の陽刻 2
  川富の庚申塔道標 かわどみ 吉川市   石道標(自然石) 高62㎝,幅65㎝,厚27.5㎝ 文政8(1825)   市教委
/埼葛の道しるべp20
移設 (正面右下)「北 松伏道」、(同左下)「南 吉川」/正面中央に「青面金剛」と陰刻 2 -
  中島の題目塔道標 なかじま 吉川市 稲荷神社 石道標(駒型) 高63㎝,幅29㎝,厚11.5㎝ 文政9(1826)   市教委
/埼葛の道しるべp20
移設 (右面)「此方 流山道」、(左面)「此方 吉川道」/正面に「國之底立神」と陰刻 2 -
  下内川の題目塔道標 しもうちかわ 吉川市 正覚院 石道標 高62㎝,幅36㎝,厚26㎝ 文政9(1826)   吉川市の石塔p169 移設、集約 (正面左)「向 上内川道」、(右面)「此方、吉川/江戸/大さかみ/こしがや、道」、(左面)「此方、く里はし/乃だ/さしま、道」/正面に「拾九夜講中」と陰刻 3 -
写真 中島の成田山道標 なかじま 吉川市 萬福寺 石道標(尖頭角柱) 高88㎝,幅33㎝,厚21.5㎝ 文政10(1827)   市教委
/埼葛の道しるべp20
移設 (正面題目下)「東、者くち/す王/なりた、みち」、(右面下部)「西 よし可王みち」、(左面下部)「南 江戸みち」/正面に大きく「成田山」と陰刻 2
写真 川藤の庚申塔道標2 かわふじ 吉川市 東泉寺 石道標(駒型) 高65㎝(塔身のみ),幅26㎝,厚17
天保4(1833)   吉川市の石塔p233
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/台石滅失の可能性あり(現在の台石は仮置)/刻字が磨耗と地衣類のため読めない (右面右)「右 松伏領道」、(同左)「左 …」、(左面)「左、榎戸王多し/越谷道(?)」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 4 -
  冨新田の庚申塔道標 とみしんでん 吉川市 清円寺・跡 石道標(駒型) 高92㎝,幅25.5㎝,厚19㎝ 天保12(1841)   吉川市の石塔p211 移設 (右面下部)「越ヶ谷/吉川、道」、(左面下部)「流山/松戸、道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 2
写真 平沼の成田山道標 ひらぬま 吉川市 智勝院 石道標(駒型) 高188㎝(うち、台石26㎝),幅41㎝,厚26㎝ 文久2(1862)   市教委
/埼葛の道しるべp20
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「西 古し可や江 壹里半」、(左面)「東、奈かれ山江 二里/こま起江 三里」/正面に大きく「成田山」と陰刻 2
  三輪野江の成田山道標 みわのえ 吉川市 定勝寺 石道標(尖頭角柱) 高88㎝,28㎝角 慶応4(1868)   吉川市の石塔p309 移設、集約 (台石右面)「西 吉川/越へ」/正面に「成田山」と陰刻 3
写真 南広島の石橋供養塔 みなみひろしま 吉川市 下広島自治會館・前 石碑(尖頭角柱、道標兼) 高70㎝,幅32㎝,厚20㎝ 明和9(1772)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面像下)「(梵字)よし可王道石橋建立」、(右面)「乃多道」、(左面)「こし可や道」 2 -
  川藤の繋石 かわふじ 吉川市   御定杭 高15㎝(地表高、石全体の高さは105㎝) 天保2(1831)   市教委 原位置?/8割方埋設 二郷半領と松伏領との領境を通る横手道は、水除け堤として高さを巡る論争が絶えなかった→寛延3(1750)に出入りが生じ、安永4(1775)には道の高さを3尺5寸(約105㎝)と定め、5ヶ所に定杭が打たれた→天保2年に朽ちることのない繋石に変更 3
写真 新倉の庚申塔道標1 にいくら 和光市 合之道稲荷神社 石道標(笠付き) 高113㎝(うち、台石18㎝),幅36㎝,厚28㎝ 宝暦13(1763)   和光市史・民俗編p759
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石正面)「右/引/又/道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 白子の庚申塔道標 しらこ 和光市 観音寺 石道標(笠付き) 高123㎝(うち、台石12㎝),幅33㎝,厚22㎝ 安永元(1772)   和光市史・民俗編p760
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(簡易覆屋内)/像容不明瞭、左面上右欠損 (右面上)「右、ひきまた/加かわご江、道」、(左面上)「左、…/ところさ」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼?、三猿?)の陽刻 3
写真 下新倉の庚申塔道標 しもにいくら 和光市 (5丁目) 石道標(駒型) 高143㎝(うち、台石18㎝),幅46㎝,厚28㎝ 天明8(1788)   和光の金石文と石造物p344/
和光市史・民俗編p762
/WEB(鎌倉街道上道
移設→個人敷地 (正面像右下隅)「右 引又ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻 3
  下新倉の馬頭観音道標 しもにいくら 和光市   石道標 高88㎝ 天保11(1840)   和光市史・民俗編p796 移設→個人宅 (台石正面)「北 早瀬道/南 白子道/東 吹上道」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 4
写真 新倉の庚申塔道標2 にいくら 和光市 不動滝洗場・前(1丁目) 石道標(駒型) 高112㎝(うち、台石39㎝〔香炉は含まず〕),幅34㎝,厚22㎝ 嘉永6(1853)   和光の金石文と石造物p309
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/放置 (香炉正面右端)「右/引又道」、(同左端)「左/大山道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/香炉は別置き(当初から石碑に附属していたものかどうか不明) 3
写真 中央の庚申塔道標 ちゅうおう 和光市 (1丁目)
<川越街道・引又道>
石道標(自然石) 高67㎝,幅36㎝,厚26㎝ 慶応2(1866)   和光の金石文と石造物p166
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/簡易覆屋内/放置 (右面)「引又道」、(左面)「川越道」、/正面に「庚申塔」と陰刻 2 -
写真 白子の橋供養塔 しらこ 和光市 元吹上稲荷・跡(3丁目) 石碑(尖頭角柱) 高98㎝,幅31㎝,厚20㎝ 享保19(1734)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (正面右上)「橋供養」/正面中央に「(梵字)青面金剛庚申講中」と陰刻 2
  白子の石橋供養塔 しらこ 和光市 吹上観音 石碑(尖頭角柱) 高108㎝,幅44㎝ 元文4(1739)   WEB(埼玉県の橋供養碑)   (左面)「野川石橋建立」/正面に「六十六部供養塔」と陰刻  
写真 下新倉の石橋供養塔 しもにいくら 和光市 壹鑑寺 石碑
(駒型、道標兼)
高63㎝,幅30㎝,厚17㎝ 明和5(1768)   和光の金石文と石造物p207
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「石橋建立勸化佛」、(右面)「左 川こへ 右 引ま多道」 2 -
  白子の石橋・敷石供養塔 しらこ 和光市   石碑 高160㎝ 天保2(1831)   和光市史・民俗編p818 移設→個人宅 (正面中央)「石橋敷石供養塔」/左面に「當所字を牛房といふ爰に川ありその源ハ小榑むらなる山渓より沸出で末に至りて荒川に入此度往昔より板を渡して人馬往來す是より乾に當て一里余金鳳山平林寺といふ霊場あり東都貴賤の詣も多手薄の板梁にてハ長く保がたきを歎き橋も石となし泥道の所も石を敷なば永く不朽の事ならむと予年を重て農を励ミ也と今四月成と爾云」と架橋と敷石の経緯を刻字 4
写真 白子の坂供養塔 しらこ 和光市 地福寺 石碑 高100㎝(うち、台石17㎝),幅28㎝,厚17㎝ 弘化3(1846)   和光の金石文と石造物p47
/WEB(鎌倉街道上道)
墓地内に移設、集約/頂部破損→修復 (正面)「坂供養塔」/正面下部に“獅子”の陽刻 3
写真 白子の敷石供養塔1 しらこ 和光市 水行場・跡(3丁目) 石碑(尖頭角柱) 高64㎝,幅30㎝,厚29㎝ 嘉永元(1848)   和光の金石文と石造物p114
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面中央)「奉建立水行塲敷石」 2 -
写真 白子の敷石供養塔2 しらこ 和光市 地福寺 石碑 高94㎝(うち、台石26㎝),幅27㎝,厚17.5㎝ 嘉永4(1851)   和光の金石文と石造物p35
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「鋪石供養塔」/右面に敷設の経緯が刻字されているが半数ほどが未解読 2
  白子の敷石供養塔3 しらこ 和光市 東明寺 石碑 高64㎝ 嘉永4(1851)   和光市史・民俗編p776   (正面中央)「石坂供養塔」   -
写真 南町の地蔵道標 みなみ 蕨市 (4丁目) 石道標(舟型) 高83㎝(うち、台石19㎝),幅28㎝,厚18㎝ 宝暦11(1761)   蕨の石造物p250
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→個人宅(一般開放) (光背右側)「是与り東 川口 善光寺道」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 3
写真 南町の庚申塔道標 みなみ 蕨市 (4丁目) 石道標(駒型) 高129㎝(うち、台石31㎝),幅35㎝,厚22㎝ 寛政4(1792) 市指定 蕨の石造物p249
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→個人宅(一般開放) (左面)「右ハ ぜん加うじ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 3
写真 塚越の庚申塔道標1 つかごし 蕨市 (5丁目)十字路 石道標(駒型) 高130㎝(うち、台石25㎝),幅42㎝,厚30㎝ 寛政7(1795)   WEB(鎌倉街道上道) 移設/木祠内 (右面最下部)「右 芝道/左 川口道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 塚越の庚申塔道標2
(猿田彦大神碑)
つかごし 蕨市 (2丁目) 石道標(笠付き) 高168.5㎝,
幅51㎝,厚44㎝
文政13(1830) 市指定 蕨の石造物p269
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/刻字が風化し判読困難 (右面下部右)「北、しば 十三丁/なんぶ 二里余」、(同下部左端)「東 者とがや 半里」、(左面中央)「南、戸田 二十二丁/江戸 四里半」、(左面左)「是より三丁裡行左 川口道」、(裏面最下部)「西 わらび 廿五丁」/正面に大きく「猿田彦太神」と陰刻 3
写真 中央の供養塔道標 ちゅうおう 蕨市 (2丁目)三蔵院 石道標(尖頭角柱) 高102㎝(うち、台石27㎝),幅28㎝,厚27㎝ 文政13(1830)   蕨の石造物p139-140
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「南 川口 ぜんかうじミち」/正面に「廿三夜供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の線刻 3
写真 中央の石橋供養塔 ちゅうおう 蕨市 (2丁目)宝樹院 石碑(隅丸型) 高126㎝(うち、台石16㎝),幅44.5㎝,厚26㎝ 正徳6(1716)   蕨の石造物p129
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「奉造架要害石橋萬人講供羪」/正面を火灯窓型に削り込み「奉納大乘妙典六十六部供羪」と陰刻/正面頂部に“卍”の陰刻、最下部に蓮花の陽刻 2
写真 中央の敷石供養塔 ちゅうおう 蕨市 (5丁目)長泉院 石碑(尖頭角柱) 高125㎝(うち、台石24㎝),幅33㎝,厚21㎝ 天保5(1834)   蕨の石造物p222
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「敷石供養塔」 1
写真 錦町の敷石供養塔 にしき 蕨市 (6丁目)堂山寺 石碑 高88㎝(うち、台石23㎝),幅25㎝,厚18㎝ 弘化3(1846)   蕨の石造物p58
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「敷石供養塔」 2
写真 塚越の敷石供養塔 つかごし 蕨市 (2丁目) 石碑(尖頭角柱) 高107㎝,幅54㎝,厚46.5㎝ 嘉永4(1851)   蕨の石造物p273
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「奉獻、/塚/山、敷石」、(右面)「槗際ヨリ南之方」(緑字は異体字) 2
写真 北町の敷石供養塔 きた 蕨市 (2丁目)三学院・門前 石碑(墓石型) 高194㎝(うち、台石33+41㎝),幅42㎝,厚39.5㎝ 文久3(1863)   蕨の石造物p101
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(C基礎) (正面)「(梵字)鋪石供養塔」、(右面下部)「蕨宿中」 2
写真 梅園神社の神橋 うめその (入間)越生町 梅園神社 石桁橋 長2.8m,幅1.2m
(2G)
明和3(1766)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
金属製の高欄追加 2本の石柱の上に横桁を置き、両岸から石梁を3本ずつΛ型に架けたもの 2
写真 大谷の六地蔵道標 おおや (入間)越生町 六地蔵の辻 石道標
(六角柱、笠付き)
高92㎝(うち、台石10㎝),23㎝角 享保5(1720)   おごせの文化財p31
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、簡易祠内 (正面像下)「あまてら道」、(右前面像下)「今市道」、(左後面像下)「玉川道」、(裏面像下)「ひき能 い王との」/六角の各面に地蔵立像(蓮台)を浮彫 2
写真 津久根の地蔵道標 つくね (入間)越生町 梅林前の三差路・脇 石道標(丸彫) 高113㎝(うち、台石48㎝) 宝暦3(1753)?   WEB(鎌倉街道上道) 首C接合⇒頭部後補?/台石とC接合→刻字一部見えない/台石右面→地衣類で刻字読めない (台石右面)「ちふミち」(?)(=慈光)、(台石左面)「高山 あ満寺み…」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる
3
写真 上谷の馬頭観音像道標 かみやつ (入間)越生町 大菅三叉路 石道標(舟型) 高106㎝(うち、台石13㎝),
幅35㎝,厚25㎝
安永3(1774)   おごせの文化財p69
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面下端)「右ハ/ち可う/みち」(=慈光)」(=慈光)/光背中央に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻/慈光寺への参詣道 2
写真 古池の地蔵道標 ふるいけ (入間)越生町   石道標 高68㎝(うち、台石11㎝),
幅19㎝,厚13㎝
安永9(1780)   おごせの文化財p33
/WEB(鎌倉街道上道)
像容がかなり摩耗 (左面)「左リ 阿あまてらみち」(=尼寺)/上部に地蔵立像(蓮台)の浮彫、像下に「寒念佛供養」と陰刻 2
写真 黒岩の馬頭観音道標 くろいわ (入間)越生町 黒岩の五大尊 石道標 高130㎝(うち、台石33㎝),32㎝角 文政13(1830)   越生の歴史1p184
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石正面右)「右/小川/秩父/慈光」、(同左)「左/高山/子権現」/正面に大きく「馬頭尊」と陰刻/台石3段(蓮台+中台+上部に浮彫の付いた台石) 2
写真 津久根の題目塔道標 つくね (入間)越生町 八幡神社・前 石道標(自然石) 高58㎝,幅63㎝,厚26㎝ 安政4(1857)   越生の歴史2p14
/WEB(鎌倉街道上道)
下部一部Cで固定→移設 (正面右下隅)「右 江戸 川越」、(同左下隅)「左、比企く王んお…/松山 小川」/正面に「道祖神」と陰刻 2
写真 津久根の道標 つくね (入間)越生町 梅林前の三差路・脇 石道標 高115㎝,幅33㎝,厚19㎝ 元治2(1865)   越生の歴史1p184
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「左、子ノ權現 三里廿九町/高山不動 二里半」、(右面)「右 志可う道 二里」、(左面)「左 大平山三瀧、一里/十五町」 2
写真 黒山の道標 くろやま (入間)越生町 黒岩の三滝入口交差点 石道標 高168㎝,幅36㎝,厚22㎝ 慶応元(1865)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「左 黒山三瀧道」、(正面左下)「二里」/正面頂部の「左」の右に
「日本」、左に「無双」と刻字
1
写真 堂山の大日如来・六地蔵道標 どうやま (入間)越生町 最勝寺 石道標(自然石) 高93㎝,幅58㎝,厚32㎝ 江戸期?   越生の歴史1p184
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/全体に摩耗が進行→江戸期?/刻字一部判読不能 (正面左端)「右 志かう(?)/ あまてら道」/正面上右に大日如来坐像の陽刻、その下中央、横一列に地蔵立像6体を陽刻 3
写真 黒岩の石橋供養塔 くろいわ (入間)越生町 黒岩の五大尊 石碑(尖頭角柱) 高64㎝,幅26㎝,厚18.5㎝ 文化5(1808)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面)「百番順禮/石橋供羪、塔」 2
写真 成瀬の橋供養塔 なるせ (入間)越生町   石碑(自然石) 高96㎝(うち、塔身79㎝),
幅74㎝,厚20㎝
安政4(1857)   越生の歴史2p14
/WEB(鎌倉街道上道)
C台石→移設 (正面右に小さく)「橋供養」/正面に大きく「馬頭尊」と陰刻 2
写真 才車の堰 さいぐるま (入間)越生町 越辺川 石積堰(野面) 長約10m,
高約2-3m(当初)
明和5(1768)   市教委
/越生の歴史2p11-12
/WEB(鎌倉街道上道)
大雨のため右岸側石積の大部分が流失(写真のどの部分が堰跡なのか不明) 小杉村の本山派修験・宝鏡院、同村・七郎右衛門、田代村の宇右衛門の3名が相談して始めた、水車による精米・精麦・製粉事業の際に造られた取水堰堤/江戸期の水車動力用の取水堰堤が現存している稀な事例 4
写真 上富の石尊常夜灯 かみとめ (入間)三芳町 (中下)県道56号・脇
(三富開拓地割遺跡)
石常夜灯 高4.27m 天保4(1833)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 保存状態良好 (竿)「石尊大權現」/笠裏面、中台に装飾/石基壇あり/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 1
写真 上富の庚申塔道標 かみとめ (入間)三芳町 (南止)所沢市との境界、交差点・北 石道標(常夜灯) 高172㎝,幅31㎝,厚23㎝ 文化9(1812)   富士見市近隣の道しるべp39/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?/基部13㎝露出 (正面右下)「右、山口道/大山道/所沢道」、(同左下)「左、江戸道/半丁ほど/行右入」、(左面右下)「北、入万川道/川ごい道」、(同左下)「東、水こ道/ひき又道」/右面に「奉納庚申」と陰刻/道標の上に火袋と笠・宝珠を載せているが、道標が主体なので道標として分類 2
写真 大類と市場境界の鎌倉街道上道・跡 おおるい・
いちば
(入間)毛呂山町 <鎌倉街道上道
(推定ルート)>
道路   鎌倉時代? 歴史の道百選 WEB(鎌倉街道上道) 現在も生活道路として利用 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/埼玉県中央を南北に縦断 1 写真
写真 大類と川角境界の鎌倉街道上道・跡 おおるい・
かわかど
(入間)毛呂山町 <鎌倉街道上道
(推定ルート)>
道路   鎌倉時代? 歴史の道百選 町教委/WEB(鎌倉街道上道) 古道の雰囲気が良好に残る/現在も生活道路として利用 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/埼玉県中央を南北に縦断/県内でも保存状態が良好で未舗装の鎌倉街道上道跡の道 1
写真 市場・西大久保境界の鎌倉街道上道・跡 いちば・
にしおおくぼ
(入間)毛呂山町 <鎌倉街道上道
(推定ルート)>
道路(掘割状遺構) 長約200m,幅5-7m,深0.5-2m 鎌倉時代? 歴史の道百選 町教委/WEB(鎌倉街道上道) 林間に道路の両端を示す掘割が残る→西大久保側の木をすべて伐採→歴史遺構の雰囲気は喪失したが、道路遺構としての視認性は向上した 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/埼玉県中央を南北に縦断/県内屈指の鎌倉街道上道の掘割状遺構 3
写真 西大久保の題目塔道標 にしおおくぼ (入間)毛呂山町   石道標(尖頭角柱) 高89.5㎝,幅31.5㎝,厚23.5㎝ 享保17(1732)   毛呂山町の石佛p55
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面右下)「い王どのみち」/正面を火灯窓型に浅く削り込み「(梵字)南無觀世音菩薩」と陰刻 2
  阿諏訪の地蔵道標1 あすわ (入間)毛呂山町 獅子ヶ滝の碑 石道標(自然石) 高87㎝,幅44㎝,厚18㎝ 明和3(1766)   毛呂山町の石佛p103 移設、集約 (正面左)「右 子のごんげん」/正面中央に地蔵立像の陽刻 2
  大谷木の供養塔道標 おおやぎ (入間)毛呂山町 (鎌北) 石道標 高75.5㎝(うち、台石11.5㎝),
幅27㎝,厚14.5㎝
安永8(1779)   毛呂山町石造物悉皆調査報告書p156 原位置? (左面)「左り 子ノこんけんみち」/正面を枠だけ残して浅く削り込み「(梵字3)奉唱念佛万々遍供羪」と陰刻 1
  権現堂の地蔵道標 ごんげんどう (入間)毛呂山町   石道標(丸彫) 高114.5㎝(うち、塔身53㎝),
幅19㎝,厚16㎝
天明6(1786)   毛呂山町石造物悉皆調査報告書p179 移設、集約/簡易祠内 (台石正面右端)「右 白子ヨリ 子ノ権現道」、(同左端)「左 横手ヨリ 大山道」/台石上に地蔵立像の丸彫(錫杖、蓮台)を載せる 2
写真 岩井の題目塔道標1 いわい (入間)毛呂山町 (互郷) 石道標(自然石) 高78㎝,幅46㎝,厚18.5㎝ 文化2(1805)   毛呂山町の石佛p152
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (○○)「北 觀音 二里/東 川越 四里」?、(同左)「西 あかの」?/正面中央に大きく「倉稲魂神」と陰刻⇒五穀をつかさどる神→建立者は下記「岩井の題目塔道標2」と同一 1
写真 岩井の題目塔道標2 いわい (入間)毛呂山町 総庭薬師墓地 石道標 高70㎝,幅22㎝,厚15㎝ 文化2(1805)   毛呂山町の石佛p152
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/中央で水平に折損→修復 (右面左?)「北 ひき觀音 二里/東 川越 四里」、(左面右)「西 ちゝぶ」/正面を枠だけ残して浅く削り込み大きく「保持神」と陰刻⇒五穀をつかさどる神→建立者は上記「岩井の題目塔道標1」と同一 3 -
写真 川角の地蔵道標
(川角の首切地蔵)
かわかど (入間)毛呂山町 吹上の県道三叉路 石道標 高96㎝,幅20.5㎝,厚27㎝ 文化14(1817)   毛呂山町の石佛p31
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/丸彫の地蔵欠損、蓮華座が上下逆 (台石右面)「右、さ可ど/か者ご江、道」(=坂戸、川越)、(台石左面)「左、い者どの/まつやま、道」 4
  大谷木の馬頭観音像道標 おおやぎ (入間)毛呂山町 (鎌北) 石道標(駒型) 高77㎝(うち、台石10㎝),幅29.5㎝,厚21.5㎝ 文政4(1821)   毛呂山町石造物悉皆調査報告書p156 原位置? (右面)「右 あすハ いなりミち」/正面に馬頭観音立像(三面六臂)を陽刻 1
写真 川角の道祖神道標 かわかど (入間)毛呂山町 八幡神社・入口 石道標 高97㎝,幅25㎝,厚19㎝ 文政4(1821)   毛呂山町の石佛p35
/WEB(鎌倉街道上道)
2度移設 (右面)「右 川越道」、(左面)「左 坂戸道」/正面に大きく「道祖神」と陰刻 2
  大谷木の庚申塔道標 おおやぎ (入間)毛呂山町 鎌北湖奥の駐車場 石道標(墓石型) 高98㎝,幅27㎝,厚20㎝ 文政4(1821)   毛呂山町の石佛p116 移設 (右面右)「子ノ權現ミち」、(左面左)「左 權現堂道」/正面に大きく「猿田彦大神」と陰刻 2
  阿諏訪の地蔵道標2 あすわ (入間)毛呂山町 (仁谷) 石道標(丸彫) 高109.5㎝(うち、塔身40㎝),幅23.5㎝,厚16.5㎝ 文政7(1824)   毛呂山町石造物悉皆調査報告書p186 移設? (台石右面)「左 子のごんげん」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 旭台の馬頭観音道標 あさひだい (入間)毛呂山町   石道標 高99㎝(うち、台石22㎝),37㎝角 天保4(1833)   毛呂山町石造物悉皆調査報告書p53
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置(基部CだがT字路交差点の真ん中にある) (台石正面右)「西 毛ろ道」、(同左)「北、おごせ/小川、道」、(台石右面右)「南、者んのふ/扇町屋、道」、(同左)「西 大やき道」、(台石左面)「東、川ごへ/江戸、道」/正面に大きく「馬頭観世音」と陰刻 1
写真 毛呂本郷の道祖神道標 もろほんごう (入間)毛呂山町 (金塚) 石道標(尖頭角柱) 高103㎝,幅29.5㎝,厚28.5㎝ 天保5(1834)   毛呂山町の石佛p164
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石正面右)「右/くろやま/三たき」、(同左)「左/阿すわ/かさもり/いなり」、(台石右面)「たきの入/髙山/ちゝ婦」、(台石左面右)「あすわ」、(同左)「我?の/子の/ごんげん」/正面に大きく「道祖神」と陰刻 1
写真 西大久保の馬頭観音道標 にしおおくぼ (入間)毛呂山町   石道標(墓石型) 高110㎝(うち、塔身98㎝),
幅27㎝,厚21㎝
天保9(1838)   毛呂山町の石佛p53
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石正面)「南 川越」、(台石右面)「北 小川/東 岩殿」、(台石左面)「西 八王子」/正面に大きく「馬頭観世音」と陰刻 1
  滝ノ入の庚申塔道標 たきのいり (入間)毛呂山町   石道標(自然石) 高120㎝,幅65㎝,厚53㎝ 天保14(1843)   毛呂山町の石佛p88 移設(台石C接合)?/簡易祠内 (○面)「東、もろ/川ごえ」「西、かつらぎ/高山」「南、かさもり/子のごんげん」「北、おごせ/小川」/正面に大きく「猿田彦大神」と陰刻 2
写真 長瀬の六地蔵道標 ながせ (入間)毛呂山町 薬王寺・裏の十字路 石道標(笠付き) 高178㎝(うち、塔身82㎝),
34.5㎝角
嘉永4(1851)   毛呂山町の石佛p172
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/左面と裏面の下段台石ブロック塀に隣接 (下段台石正面右)「右、小田谷/石尊道」、(同左)「左 八王子道」「東 川ごへ道」、(下段台石○)「北、ひきの/くわんのん道」/右左の両側面と裏面上部を光背型に削り込み地蔵立像を2体ずつ陽刻(正面でなく裏面は異例)/正面を枠だけ残して浅く削り込み大きく「南無阿弥陀佛」と陰刻/唐破風付きの立派な笠に宝珠を載せる 3
写真 葛貫の石橋供養塔 つづらぬき (入間)毛呂山町 宮脇橋・左岸橋詰 石碑(駒型) 高63㎝,幅27㎝,厚15㎝ 明和4(1767)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像下)「奉建立石橋供羪尊佛」/正面を枠だけ残して浅く削り込み頂部に地蔵坐像(蓮台)の浮彫 1
写真 市場の石橋供養塔 いちば (入間)毛呂山町 埼玉平成高校・正門北 石碑 高91㎝,幅26㎝,厚22㎝ 文化7(1810)   毛呂山町の石佛p60
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像下)「石橋四ヶ所供養塔」/正面上半分を削り込み馬頭観音坐像(三面六臂?〔馬口印〕)を陽刻 1
写真 川角の石橋供養塔 かわかど (入間)毛呂山町 浄光寺・南 石碑(尖頭角柱) 高62㎝,幅27㎝,厚20㎝ 文化9(1812)   毛呂山町の石佛p42
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面)「石橋供羪塔」/正面を枠だけ残して削り込み7体の小観音坐像を上から1・2・2・2体の順に縦に並べて陽刻  1
  阿諏訪の石橋供養塔 あすわ (入間)毛呂山町 阿諏訪川(左岸) 石碑(自然石) 高60㎝,幅64㎝,厚40㎝ 文化9(1812)   毛呂山町の石佛p107
/WEB(埼玉県の橋供養碑)
原位置? (正面右)「橋々供養」/正面中央に大きく「馬頭觀世音」と陰刻 1 -
写真 赤浜の鎌倉街道上道・跡 あかはま (大里)寄居町 (天神沢)
<鎌倉街道上道
(推定ルート)>
道路(掘割状遺構) 長約200m,幅約5m,深0.5-2m 鎌倉時代? 歴史の道百選 町教委/WEB(鎌倉街道上道) 雑草が繁茂 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/埼玉県中央を南北に縦断/全線トレンチ調査を実施 3
写真 用土の庚申塔道標 ようど (大里)寄居町 (三軒家)関越自動車道・東200m(深谷市武蔵野との境界) 石道標(自然石) 高96㎝,幅56㎝,厚25㎝ 安永4(1775)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設(C基礎)→下部埋設 (正面右)「北方/中ぜ…」、(同左)「…/八ま…」/正面に大きく「(梵字)」→種子が青面金剛なので庚申塔道標 3
  金尾の馬頭観音道標 かなお (大里)寄居町 (不士山) 石道標(自然石) 高188㎝,幅78㎝ 寛政4(1792)   町教委(よりいの石佛p41)   「右 大みや道」「左 やま道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻  
写真 用土の大黒天道標 ようど (大里)寄居町 (大門北)<脇往還> 石道標 高55㎝,幅26㎝ 文化元(1804)   町教委(よりいの石佛p81) 原位置?/下部埋設 (台石正面)「右 深谷/左 八幡山」/正面に「大黒天」と陰刻/下記の「用土の道標」と並ぶ/鎌倉街道上道の比定ルート→江戸期に入り脇往還として利用 2 -
写真 鷹巣の馬頭観音像道標 たかのす (大里)寄居町 公民館跡地 石道標(駒型) 高119㎝(うち、台石21㎝),幅35㎝,厚13㎝ 文化3(1806)   町教委(よりいの石佛p70)/WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石正面右)「右 今市道」、(同中央)「左 小川道」/正面に馬頭観音坐像(三面八臂〔輪宝、矛、水瓶?、斧、?、数珠〕)の陽刻 3
  鉢形の庚申塔道標 はちがた (大里)寄居町 (甘粕原) 石道標(自然石) 高146㎝,幅68㎝ 文化3(1806)   町教委(よりいの石佛p57)   「右 小川道」「左 川越道」/正面に「庚申塔」と陽刻  
  金尾の道標 かなお (大里)寄居町 (橋場) 石道標(自然石) 高69㎝,幅30㎝ 文政5(1822)   町教委(よりいの石佛p43) 原位置? (正面)「左 ちちぶミち」 1 -
  赤浜の馬頭観音道標 あかはま (大里)寄居町 (古形) 石道標 高65㎝,幅27㎝ 文政8(1825)   町教委(よりいの石佛p69)   「西 よりい」「北 ふかや」「南 小がわ」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻   -
写真 用土の道標 ようど (大里)寄居町 (大門北)<脇往還> 石道標 高2m以上 天保3(1832)   WEB 原位置?/折損→修復 「脇往還川越道 用土邑」/上記の「用土の大黒天道標」と並ぶ/鎌倉街道上道の比定ルート→江戸期に入り脇往還として利用 2
  桜沢の道標 さくらざわ (大里)寄居町 (金嶽下) 石道標 高79㎝,幅35㎝ 天保9(1838)   町教委(よりいの石佛p49) 原位置? (正面)「金嶽山觀音入口」 1
  富田の供養塔道標 とみだ (大里)寄居町 (下田波) 石道標 高63㎝,幅27㎝ 弘化4(1847)   町教委(よりいの石佛p72)   「左、小川/丸山、道」/正面に「坂東秩父西國供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻   -
  用土の題目塔道標 ようど (大里)寄居町 (三軒家) 石道標 高50㎝,幅23㎝ 安政6(1859)   町教委(よりいの石佛p81)   「右 小川」「左 くまがや」/正面に「二十二夜塔」と陰刻   -
  用土の石橋供養塔 ようど (大里)寄居町 用土中学校・北 石碑(尖頭角柱) 高81㎝,幅26㎝,厚20㎝ 安永5(1776)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「(梵字)、四國/西國/秩父/坂東、石橋供養塔」/左面に「熊野三社大權現」と陰刻 1
  鉢形の石橋供養塔 はちがた (大里)寄居町 長久院川 石碑 高98㎝,幅44㎝,厚10㎝ 天保6(1835)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置?/頂部欠損、下部埋設 (正面)「橋供…」/脇を流れる長久院川に架けられていた石橋の供養塔? 1
写真 小室の地蔵道標 こむろ (北足立)伊奈町 (本)建正寺墓地 石道標(丸彫) 高202㎝(うち、台石66㎝),
幅39㎝,厚29㎝
享保12(1727)   伊奈町の石仏p48/WE
B(埼玉県の橋供養碑)
移設、集約(雑然と詰め込まれている) (台石右面)「是より、さ川て/くき、みち」(=幸手)、(台石左面)「みハ かうの春/志もハ 以王つき、みち」(=鴻巣、岩槻)/台石上に地蔵立像の丸彫を載せる 3
  小室の庚申塔道標1 こむろ (北足立)伊奈町 (新田前) 石道標 高55㎝ 享保18(1733)   伊奈町の石仏p82 移設/頭部欠損、下部埋設 (正面最下部)「あげお/あま寺、道」、(右面)「い王つき 二り八」、(左面)「是より、こうのす 三里三十/よしみかんのん 五」、(裏面)「くき さって みわ/立北東 五番觀音 七丁/かわじま 」/正面に「庚申供養」と陰刻 3 -
写真 羽貫の地蔵道標 はぬき (北足立)伊奈町 (谷畑)西蔵院 石道標(駒型) 高57㎝,幅29㎝,厚15㎝ 享保20(1735)   伊奈町の石仏p59
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/下部埋設 (正面右端)「右 はらいちみち 一り」、(同左端)「左 いわつきみち 三り」、(右面)「西 ひら加たみち」、/正面中央に地蔵立像(蓮台)を浮彫り/資料では馬頭観音となっていたが、根拠がないので地蔵とみなした 3
写真 大針の庚申塔道標 おおばり (北足立)伊奈町   石道標(駒型) 高52㎝(うち、台石5㎝),幅22㎝,厚12㎝ 宝暦12(1762)   伊奈町の石仏p83
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(基部露出)?/ゴミの回収場横 (正面右)「是ヨリ 大針村」、(右面)「北 志やうぶ道」、(左面)「南 こむろミち」/正面中央に「(梵字)奉造立庚申供養塔」と陰刻 3 -
写真 小針新宿の庚申塔道標1 こばりしんしゅく (北足立)伊奈町 県道311号 石道標(笠付き) 高165㎝,52㎝角 明和3(1766)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設?(台石とC接合) (右面右)「右 い王つき」、(同左)「左 かうのす」/正面を枠だけ残して削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻/笠は4面に切妻を持つ形式 2
写真 小針新宿の庚申塔道標2 こばりしんしゅく (北足立)伊奈町 (上宿)県道311号・辻、
郷土資料館・北西
石道標(笠付き) 高116㎝(うち、台石5㎝),
幅37㎝,厚34㎝
明和6(1769)   伊奈町の石仏p85/WE
B(埼玉県の橋供養碑)
原位置?/台石埋設 (右面右)「右 せうぶ道」、(同左)「左 加うの春道」(=鴻巣)/正面を火灯窓型に浅く削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、二鶏、三猿)の浮彫、上段台石正面に“三猿”の陽刻/唐破風付の立派な笠 2
写真 小室の庚申塔道標2 こむろ (北足立)伊奈町 (西) 石道標(駒型) 高98㎝(うち、台石18㎝),幅37㎝,厚20㎝ 安永5(1776)   伊奈町の石仏p85
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/鋼製の簡易屋根 (右面左)「東、ぢおんじ/い王つき、道」、(左面右)「右、者らいち/あげを」、(同左)「左 おけか王」、(同中央下部)「道」/正面に青面金剛立像を陽刻 2
写真 小室の庚申塔道標3 こむろ (北足立)伊奈町 (志久) 石道標(尖頭角柱) 高101㎝(うち、台石20㎝),幅37㎝,厚24㎝ 安永7(1778)   伊奈町の石仏p86
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→個人宅内 (右面)「右 い王徒き道」(=岩槻)、(左面中央)「左 こうのす道」/正面を枠だけ残して削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 小室の庚申塔道標4 こむろ (北足立)伊奈町 (本上) 石道標(尖頭角柱) 高122㎝(うち、台石33㎝),幅35㎝,厚33㎝ 天明2(1782)   伊奈町の石仏p87
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面右)「右、かうのす/よしみ」、(同左)「左、いわつき/志"おんじ」、
(同中央下部)「道」/正面に「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻
1
写真 小室の庚申塔道標5 こむろ (北足立)伊奈町 (元宿)県道311号・辻、
小室小学校・北
石道標(尖頭角柱) 高130㎝(うち、台石35㎝),
幅41㎝,厚41㎝
天明2(1782)   伊奈町の石仏p86/WE
B(埼玉県の橋供養碑)
原位置? (台石右面右)「西、はら市/阿げを」、(同左)「北、こふ能す/セうぶ」(=鴻巣)、(台石左面左)「南左 い王つき」/正面に「金剛庚申塔」と陰刻、正面頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 小室の馬頭観音像道標 こむろ (北足立)伊奈町 (中島) 石道標(駒型) 高70㎝,幅27㎝,厚14㎝ 天明2(1782)   伊奈町の石仏p61
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面)「右 こうのす道」、(左面)「左 者らいち道」/正面に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻 1
写真 小室の廻国塔道標1 こむろ (北足立)伊奈町 (本郷)清光寺 石道標 高77㎝ 天明2(1782)   伊奈町の石仏p99 移設/端が一部欠損 (右面)「東、志おんし/い王つき」、(左面)「西、か…能春/よしみ」(=鴻巣)、(裏面)「北、さ川て/くき」(=幸手)/正面に「奉納西國、坂東/秩父、觀世音菩薩」と陰刻  2 -
写真 小室の庚申塔道標6 こむろ (北足立)伊奈町 (本上) 石道標(尖頭角柱) 高96㎝(うち、台石22㎝),幅34㎝,厚27㎝ 寛政6(1794)   伊奈町の石仏p88
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/木祠内 (右面左)「東 い王つき 志"おんじ」、(左面右)「南 者らいち 大ミや」、(同左)「北 かうのす 与しみ」/正面に「庚申塔」と陰刻、正面頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 小針新宿の地蔵道標 こばりしんしゅく (北足立)伊奈町 (高野屋敷) 石道標(丸彫) 高105㎝(うち、台石37㎝) 寛政9(1797)   伊奈町の石仏p51
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/祠内 (台石正面)「左 志やうぶ/右 者良いち、道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 1
写真 小室の供養塔道標 こむろ (北足立)伊奈町 (大山上) 石道標(駒型) 高50㎝,幅33.5㎝,厚20㎝ 文化6(1809)   伊奈町の石仏p99
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/下部埋設大→右欄の〔〕内は資料から (正面下部右)「者らい〔ち 十二丁〕」、(同左)「あげお 〔二十丁〕」、(右面)「古の方、こむろ〔宿 八丁〕/志"おん〔じ 二り余〕/いわつ 〔き 二り余〕」、(左面)「古の方、さ川て 三〔り余〕/志やうぶ 二〔り余〕」/正面に「(梵字)、月山/湯殿山/羽黒山、供養塔〔講中〕」と陰刻  3 -
写真 小針内宿の地蔵道標 こばりうちじゅく (北足立)伊奈町 (向小針)県道5号・脇 石道標(丸彫) 高160㎝(うち、台石42㎝),
幅41㎝,厚39㎝
文化9(1812)   伊奈町の石仏p53/WE
B(埼玉県の橋供養碑)
原位置?/簡易祠内 (台石右面右端)「是より 者らいち」、(台石左面左端)「是より 志やうぶ」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる/下記「小針内宿の馬頭観音道標」と並ぶ 1
  小針内宿の庚申塔道標 こばりうちじゅく (北足立)伊奈町 (薬師堂根)  石道標 高154㎝ 文化12(1815)   伊奈町の石仏p89   (上段台石右面)「右、くき 二り半/さって 三り」、(上段台石左面)「左、はらいち/一り半」、(下段台石正面)「左 しょうぶ 一り半」/正面に「庚申塔」と陰刻、上段台石正面に“三猿”の陽刻  
写真 小室の庚申塔道標7 こむろ (北足立)伊奈町 (谷畑) 石道標(尖頭角柱) 高108㎝(うち、台石26.5㎝),幅35
㎝,厚31㎝
文政12(1829)   伊奈町の石仏p90
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面)「此方、い王つき/志おんし」、(左面右)「此方、おけか王/こうのす」、(裏面左)「此方、さつて/くき」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1
  小室の題目塔道標1 こむろ (北足立)伊奈町 (本) 石道標(駒型) 高66㎝ 天保年間(1830-44)   伊奈町の石仏p92   (正面右)「向 はらいち」、(同左)「向 あげお」、(右面下部)「此方、いわつき/じおんじ」、(左面上部)「此方、高野/さって」/正面中央に「甲子塔」と陰刻    -
  寿の庚申塔道標 ことぶき (北足立)伊奈町 (2丁目) 石道標(尖頭角柱) 高130㎝ 天保6(1835)   伊奈町の石仏p76   (台石正面右)「東、じおんじ 三り/いはつき」、(同中央)「南、あげお 一り/あきは 三り/はらいち 一り」、(同左)「西 こうのす 二り/せうぶ 二り/おけかは 一り」、(台石右面)「北、くき/たかの」/正面に大きく「猿田彦尊」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻  
  羽貫の庚申塔道標 はぬき (北足立)伊奈町 (寺下) 石道標(尖頭角柱) 高111㎝ 天保6(1835)   伊奈町の石仏p77   (台石正面右)「東、たかの/さって/くき」、(同左)「南、かはこえ/おけかは/はらいち」/正面に「猿田彦尊」と陰刻  
写真 小室の廻国塔道標2 こむろ (北足立)伊奈町 (本郷)小室観音堂 石道標(尖頭角柱) 高102㎝(うち、台石31.5㎝),35㎝角 天保6(1835)   伊奈町の石仏p100
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/塔身と台石と石材が異なる (台石正面左)「南、い王つき/志"おんし」、(台石右面左端)「東、さつて/くき」、(台石左面左端)「西、あけを/おけか王」/正面上部に「月山/湯殿山/羽黒山」、ぞの下に「秩父 三十四番/西國三十三番/坂東三十三番」と陰刻 2
写真 小室の題目塔道標2 こむろ (北足立)伊奈町 (田妻) 石道標(自然石) 高115㎝,幅50㎝,厚13㎝ 天保13(1842)   伊奈町の石仏p91
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/木祠内 (正面下部右)「北 せうぶ」、(同中央)「向、さつて/た可の」、(同左)「西、者らいち/あけを」/正面中央上部に「甲子塔」と陰刻  1
写真 小室の馬頭観音道標 こむろ (北足立)伊奈町 (志の崎)願成寺 石道標(尖頭角柱) 高84㎝(うち、台石13㎝),29.5㎝角 嘉永3(1850)   伊奈町の石仏p64
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(墓地内) (正面右下隅)「向、…ち/大ミや」、(右面最下部左)「此方、い王つき/志おんし」、(左面最下部右端)「此方、さ川て/くき」/正面に「馬頭観世音」と陰刻 3 -
写真 小針内宿の馬頭観音道標 こばりうちじゅく (北足立)伊奈町 (向小針)県道5号・脇 石道標(尖頭角柱) 高63㎝,幅27㎝,厚17㎝ 嘉永5(1852)   伊奈町の石仏p64/WE
B(埼玉県の橋供養碑)
移設 (右面左)「左 者らいち」、(左面右)「右 志よふぶ」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/上記「小針内宿の地蔵道標」と並ぶ 2 -
  下高野一里塚 しもたかの (北葛飾)杉戸町 <日光御成街道> 一里塚(1基) 東塚:9m四方 江戸初期 県史跡 町教委/WEB 大正初期に道路拡幅のため西塚消滅 日光街道の脇街道/古利根川の自然堤防上に設置 3
写真 下野の御成街道松並木 しもの (北葛飾)杉戸町 県道65号<日光御成街道> 松並木   江戸期   WEB(埼玉県の橋供養碑) 2本のみ 日光御成街道の松並木(県下ではさいたま市岩槻区とここだけ) 4 -
写真 下野の庚申塔道標 しもの (北葛飾)杉戸町 八幡神社 石道標(駒型) 高116㎝,幅50㎝,厚31㎝ 元禄7(1694)   埼葛の道しるべp12/町教委 移設 (右面)「左 い王つき加い道」、(左面)「右 江戸加い道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/17世紀の道標 2
写真 大塚の庚申塔道標 おおつか (北葛飾)杉戸町 大榎橋・右岸橋詰 石道標(駒型)   延享4(1747) 町史跡 埼葛の道しるべp12/町教委 原位置 (右面)「左ハ せきやど道」、(左面)「右ハ 江戸 並 新川道/中ハ 庄内領宝珠花道」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 1
  宮前の庚申塔道標 みやまえ (北葛飾)杉戸町 (矢畑) 石道標   寛延4(1751)   埼葛の道しるべp12 原位置 (正面○○)「西 幸手道」、(右面)「北 せきやど道」、(左面)「南 宝珠花道」、(裏面)「東 谷畑道」/正面中央に「庚申供養塔」と陰刻 1  
  下高野の庚申塔道標 しもたかの (北葛飾)杉戸町 和戸橋<日光御成道> 石道標(駒型)   宝暦7(1757)   WEB 原位置 (右面)「右 すぎと道」、(左面)「左 さって道」/正面に「青面金剛」と陰刻 1
写真 堤根の庚申塔道標 つつみね (北葛飾)杉戸町 九品寺<日光街道> 石道標   天明4(1784)   WEB(関東地方の川)/埼葛の道しるべp12 移設 (右面)「右 江戸」、(左面)「左 日光」/正面に「青面金剛」と陰刻、台石正面に〝三猿”の陽刻/台石右面の左隅に几号水準点(お雇い外国人による全国測量に際の「不」の印)が追刻 2
写真 杉戸の馬頭観音像道標 すぎと (北葛飾)杉戸町 宝性院<日光街道> 石道標(丸彫) 高298㎝,幅54㎝,厚51㎝ 文化7(1810)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (台石右面)「日光道中」/背の高い台石上に光背を背にした馬頭観音の半跏坐像(四面八臂〔光輪、馬頭冠、剣、輪宝、斧、金剛杵、施無畏印、数珠、蓮台〕、二重の蓮台、敷茄子)の精緻な丸彫を載せる/台石正面に「馬頭觀音」と陰刻 2
  才羽の道標 さいば (北葛飾)杉戸町 (中島) 石道標   文化9(1812)   埼葛の道しるべp12 原位置 (正面)「江戸道 粕壁江」、(右面)「せきやと 二リ」、(左面)「さって 二リ」 1  
写真 才羽の庚申塔道標 さいば (北葛飾)杉戸町 (在来) 石道標 高176㎝(うち、台石82㎝),
39.5㎝角
天保3(1832)   埼葛の道しるべp12
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (中段台石右面右端)「南 かす可べ江/一リ半」、(同左端)「西 杉戸へ 壹リ」、(中段台石左面右端)「北 幸手へ 二リ」、(同左端)「東 せきやとへ/二リ半」/正面に「庚申塔と陰刻、頂部に“日月”、上段台石正面・右面・左面に“一猿”の陽刻 1
  本郷の庚申塔道標 ほんごう (北葛飾)杉戸町 山王社 石道標   天保4(1833)   埼葛の道しるべp12 移設 (右面)「志おんじみち」/正面に「庚申塔」と陰刻 2  
  杉戸の馬頭観音道標 すぎと (北葛飾)杉戸町 (与佐衛門) 石道標   安政2(1855)   埼葛の道しるべp12 原位置 (正面○)「向 すきとみち」、(左面)「南 さって道 一里半/北 ぬまいなり道 八丁/北 せきやと道 二里」、(裏面)「此方 のみち」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻 1  
  杉戸の石橋供養塔 すぎと (北葛飾)杉戸町 愛宕神社 石碑 高100㎝,37㎝角 宝暦6(1756)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「石橋三箇所供羪塔」/左面に「熊野三社大權現」と陰刻 1
  佐左エ門の石橋供養塔 さざえもん (北葛飾)杉戸町 松田寺 石碑   寛政12(1800)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「(梵字)地蔵大菩薩 石橋三所供養塔」/村内の3ヶ所に石橋を架けた際に僧侶が願主となり供養した碑 1
  下高野の石橋供養塔 しもたかの (北葛飾)杉戸町 厳島神社 石碑 高57㎝,幅20㎝,厚13㎝ 嘉永2(1849)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「石橋」/江戸の商人が村内の厳島神社に石橋を寄進した際の供養塔か? 1 -
写真 葛西用水 かさい (北葛飾)杉戸町・他 羽生市→加須市→久喜市→幸手市→杉戸町→春日部市→越谷市→草加市→八潮市 用水路 総延長70㎞ 万治3(1660) 疏水百選 WEB(関東地方の川) C擁壁・Cブロック等で護岸改修 見沼代用水とならび、江戸期を代表する大用水/徳川幕府の天領開発策の一貫(幸手領の用水路)として、関東郡代・伊奈忠克により構築/旧利根川筋(会の川と大落古利根川)の河道を利用し、複数の溜井を連結した用水形態(用排水兼用)/幹線水路の水管理や修築は、勘定奉行所の所管(幕府直轄)/用水体系が確立したのは享保4(1719) 4
  木津内用水 きづうち (北葛飾)杉戸町 江戸川→根用水・中用水 用水路   嘉永2(1849)   WEB C擁壁 用水そのものよりも、下記の「大禹像碑」で知られる 4 -
  大禹像碑 だいう (北葛飾)杉戸町 (深輪)櫻神社
/木津内用水
石碑(自然石)   嘉永2(1849)   木谷幹一(杉戸町史p201-202) 移設(神社が明治42の創建) (正面)「盡力乎疏鑿萬姓/始粒食道冠於百/王乹坤仰大徳/亀田梓拝題」、(裏面)「田間之有水道所以備旱澇也然地勢有時乎變水嘗通矣今也易而淤壤/嘗膏矣今也改而瘠則其所以備之之法亦宜循時而修之牧民之職斯為/尤急焉下総庄内領中嶋村其地舊瀕河正保中 官命鑿渠引河水而灌/之其側十六村倶蒙浸潤之利焉暦年已久深泥堙塞夏秋之交雨水暴漲/奔騰濫溢洊害嘉穀天保中事聞于官吏涖而巡視之乃建議木津内村新/開渠通水衆皆歡焉操器用奔走就役低者築堤護之高者斫石平之周歳/渠成水復潤下之性曲折回環抱十六村而奔又合木津内為十七村使之/倶與灌注之利焉於是土之瘠者自饒田之痺者自祟使人終身不罹墊溺/之患其 深仁厚澤之涵斯民也洵大矣哉又相深輪村高燥之土而作官/廨毎 官吏出而視事衆各袛役聚焉里正關口廣胤毎先衆操事事不愆/期功有各濟 官嘉廣胤有才幹 命之掌水功巡視之事 加恩賜禄且/許自稱姓氏廣胤乃使谷文一繪大禹像勒之於石又乞余文之於陰/以建屋西之山庶幾使其子其孫百世莫遺祖先之勲焉/綾瀬亀田梓撰」(緑字は異体字)/正面下半分に禹王の上半身像の線刻 2
写真 松伏の題目塔道標 まつぶし (北葛飾)松伏町 上河原緑地/
かがり火公園交差点・西 
石道標(蒲鉾型) 高65㎝,幅34㎝,厚21.5㎝ 享保19(1734)   WEB(鎌倉街道上道) 移設? (右面)「右 かな春き」、(左面)「左 うをぬま」/正面を枠だけ残して浅く削り込み「奉唱光明真言、六拾/六部(?)、念佛、□□□□、本願…」と陰刻 2 -
  大川戸の聖観音像道標1 おおかわど (北葛飾)松伏町 (宿通) 石道標   明和2(1765)   埼葛の道しるべp20 移設 (正面)「む…」、(右面)「むかふ こし…」、(左面)「むかふ ほ…」/正面に聖観音像を陽刻 2  
写真 大川戸の聖観音像道標2 おおかわど (北葛飾)松伏町 大川戸新々田集会場 石道標 高75㎝,幅24㎝,厚15㎝ 安永6(1777)   埼葛の道しるべp20
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/C台石に下部若干埋設/簡易覆屋内 (正面像下)「江戸/きう里、道」、(右面)「乃田/ながれ山、道」、(左面)「加す加べ/志"おんじ、道」、(裏面)「ほうじ者"奈/さしま、道」/正面上半分に聖観音立像(蓮台)の浮彫/下記の「大川戸の馬頭観音道標」と並ぶ 2 -
写真 松伏の庚申塔道標1 まつぶし (北葛飾)松伏町 内前野交差点 石道標 高89㎝,幅26㎝,厚22.5㎝ 寛政5(1793)   埼葛の道しるべp20
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(90度回転)? (正面像下中央)「こしかや道」、(右面)「よし川 二郷半道」、(左面)「の多" 宝珠花道」、(裏面)「乃みち」/道標頂部に「西・南・北・東」(正・右・左・裏に対応)と刻字/正面上半分に青面金剛立像(六手合掌、蓮台)の浮彫 2
  松伏の庚申塔道標2 まつぶし (北葛飾)松伏町 (柳町) 石道標   寛政9(1797)   埼葛の道しるべp20 原位置 (台石正面)「向 不動道」/正面に「青面金剛」と陰刻 1  
写真 魚沼の庚申塔道標 うおぬま (北葛飾)松伏町 魚沼東稲荷 石道標 高94㎝(うち、台石2段29㎝),幅26.5㎝,厚20㎝ 文化11(1814)   埼葛の道しるべp19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易屋根付き (下段台石正面中央右)「古乃方」、(同やや左)「下總国」、(下段台石左面右端)「古乃方/加…」/正面に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”、上段台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 大川戸の供養塔道標 おおかわど (北葛飾)松伏町 妙楽寺 石道標 高71㎝(うち、台石12㎝),幅23.5㎝,厚18㎝ 文化11(1814)   埼葛の道しるべp19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面左)「東 う於怒ま渡シ のだ道 」、(左面)「南 古しがや 大さがみ道/西 かすかべ 志おんじ道」/正面に「普門品三万四千巻供養」と陰刻 2 -
写真 大川戸の馬頭観音道標 おおかわど (北葛飾)松伏町 大川戸新々田集会場 石道標 高105㎝(うち、台石20㎝),幅32㎝,厚19㎝ 文政3(1820)   埼葛の道しるべp20
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/簡易覆屋内 (正面左下)「向 古し可"や道」、(右面)「東 の多"道」、(左面)「西 かす可べ道」、(裏面)「北 宝珠花道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/上記の「大川戸の聖観音像道標2」と並ぶ 2
写真 築比地の題目塔道標1 つきひじ (北葛飾)松伏町 栄光院 石道標(尖頭角柱) 高66㎝,幅26.5㎝,厚19㎝ 文政6(1823)   埼葛の道しるべp19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「是ヨリ下ノ 宝藏院へ 四丁拾五間」、(左面)「是ヨリ上ノ 觀音寺へ/七丁拾五間」/正面に「(梵字)南無遍照金剛」と陰刻 2 -
  松伏の庚申塔道標3 まつぶし (北葛飾)松伏町 (砂田) 石道標   文政6(1823)   埼葛の道しるべp20 移設 (正面○)「向 こしが…」、(右面)「東 かなす…」、(左面)「西 うをぬまわたし道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2  
写真 築比地の馬頭観音道標 つきひじ (北葛飾)松伏町 (築比地57) 石道標 高62㎝(基部込み102㎝),幅39㎝,厚24㎝ 文政10(1827)   埼葛の道しるべp19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→墓地内(密集)/右面と左面は隣接石標のため判読不能 (右面)「のだ道」、(左面)「こしがや道」、(裏面)「うじゆ花道」/正面を細長く削り込み小さく「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻、文字下に“馬をなだめる(?)人物像”を陽刻→他に例がない 4
  大川戸の庚申塔道標 おおかわど (北葛飾)松伏町 (曽根田) 石道標   天保5(1834)   埼葛の道しるべp20 原位置 (正面○)「こしがや道」、(右面)「東 のだ道」、(左面)「保う志ゆ花道」/正面に「庚申」と陰刻 1  
  松伏の道標 まつぶし (北葛飾)松伏町 (上河原) 石道標   安政3(1856)   埼葛の道しるべp20 原位置 (正面)「成田山道」 1  
写真 築比地の不動明王像道標 つきひじ (北葛飾)松伏町 前原バス停 石道標(丸彫) 高176㎝(うち、台石98+25㎝),幅30
㎝,厚19㎝
文久元(1861)   埼葛の道しるべp19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面最下部)「南、内川渡シ/吉川道」、(右面)「東、金杉渡シ/成田道」、(左面)「北、魚沼渡シ/宝珠花道」/正面に「成田山」と陰刻、その上に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、背景に迦楼羅焔、磐石)の丸彫を載せる 2
写真 魚沼の不動明王像道標 うおぬま (北葛飾)松伏町 魚沼東稲荷 石道標(駒型) 高152㎝(うち、台石27㎝),幅34㎝,厚21㎝ 文久元(1861)   埼葛の道しるべp19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易屋根付き (正面最下部右)「左、加なすぎ/奈り多、道」、(同左)「右、古し可"や/江戸、道」、(右面下部)「此方、本う志ゆ花/せき宿、道」、(左面下部)「此方、かす可べ/すぎ戸、道」/正面上半分に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、背景に迦楼羅焔、磐石)、および、脇童子の陽刻→脇童子は非常に稀/正面下半分に「成田山」と陰刻 2
  築比地の題目塔道標2 つきひじ (北葛飾)松伏町 (浅間) 石道標   文久3(1863)   埼葛の道しるべp19 移設 (正面右)「向 の多"」、(同左)「左 かす可部」/正面中央に「百八十八箇所」と陰刻 2  
写真 築比地の庚申塔道標 つきひじ (北葛飾)松伏町 香取神社 石道標(尖頭角柱) 高122㎝(うち、台石15㎝),幅39㎝,厚24㎝ 江戸期   埼葛の道しるべp19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易屋根付き (正面最下部左)「きたに 志於んじ/道有/三里半」、(右面)「西 江戸道/南 野田道/東 さしま/北 関宿」、(同下部)「きたに ぢ於んじ道有/三里半」/正面・右面・左面の頂部に「南」「東」「西」と刻字/正面に「庚申供養石諸願成就」と陰刻/「江戸」は江戸期の標記 2
写真 築比地の聖観音像道標 つきひじ (北葛飾)松伏町 (築比地694) 石道標 高84㎝,幅27㎝,厚22㎝ 江戸期   埼葛の道しるべp19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面像下)「乃た/かな春ぎ渡/奈可れ山、道」、(右面)「奈かさと/い王井/さしま、道」、(左面)「江戸/こしがや/かす可部/うをぬま渡、道」、(裏面)「本うし由は奈道」/正面上半分に聖観音立像(蓮台)を陽刻/「江戸」は江戸期の標記 2
写真 魚沼の石橋供養塔 うおぬま (北葛飾)松伏町 (魚沼717) 石碑(隅丸型) 高119㎝,幅37㎝,厚24㎝ 寛政10(1798)   WEB(埼玉県の橋供養碑)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像下)「石橋供羪塔」/頂部を光背型に削り込み地蔵の半跏坐像(錫杖)を陽刻/西側150mに流れる金野井用水に架けられていた石橋の供養塔? 1
写真 築比地の石橋供養塔 つきひじ (北葛飾)松伏町 宝蔵院・門前 石碑 高約75㎝(うち、台石約15㎝),幅約25㎝ 文政3(1820)   WEB(鎌倉街道上道) 移設?/木祠内 (正面像下)「石橋五ヶ處供羪」/正面頂部を浅く削り地蔵坐像を陽刻 2
写真 下赤岩の敷石供養塔 しもあかいわ (北葛飾)松伏町 お堂のある墓地前 石碑(自然石) 高165㎝(うち、台石30㎝),幅62㎝,厚15㎝ 嘉永4(1851)   WEB(鎌倉街道上道) 移設(墓地脇) (正面)「奉納敷石塔」 3
写真 庄内古川の旧堤 しょうない (北葛飾)松伏町 (金杉)<庄内古川(左岸)> 土堤防 長約1㎞ 享保13(1728)以前   WEB(関東地方の川) 天端→町道 井沢弥惣兵衛が享保13(1728)に庄内古川の河道を変更する以前の堤防 3
写真 砥根河重蔬碑(河童石) とねがわじゅうそひ
(かっぱ)
(北葛飾)松伏町 (金杉) 石碑   元文元(1736) 町有形 WEB/
WEB(関東地方の川)
原位置 (正面)「砥根河重蔬碑」/井沢弥惣兵衛による享保13(1728)の庄内古川河道変更(水害防止)の竣工を感謝して金杉村の名主・飯島家が建立したもの/石碑の下端にある「亀扶(きふ)」の丸彫/「河童」の名称は、砥根河重蔬碑の「河重」の読み間違いに由来 1
写真 植竹付近の鎌倉街道・跡 うけだけ (児玉)神川町 <鎌倉街道上道
(推定ルート)>
道路 長約1.2㎞ 鎌倉時代?   町教委/WEB(鎌倉街道上道) 旧道の雰囲気は残すが舗装された一般道 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/埼玉県中央を南北に縦断/伝承はあるが発掘記録はなく、確実性に欠ける 4
  神川町・本庄市の鎌倉街道上杉道・跡 かみかわ、ほんじょう (児玉)神川町・
本庄市
<鎌倉街道上杉道
(推定ルート)>
道路 長約8㎞ 鎌倉時代?   町教委 旧道の雰囲気は残すが舗装された一般道 鎌倉街道上道から分かれて山内上杉氏の支城を結ぶ道/伝承はあるが発掘記録はなく、確実性に欠ける 4
  片瀬道 かたせ (児玉)神川町 渡瀬村~下阿久原 道路 長約2㎞ 享保17(1732)以前   町教委 旧道の面影なし 渡瀬と下阿久原を結ぶ道/片瀬道修復に関する史料が複数残っている(享保17)→それ以前から存在していた 5
  児玉道 こだま (児玉)神川町・
本庄市
阿久原~児玉 道路 長約4㎞ 江戸期   町教委 峠道は幅約1.5mだが荒れている/他は生活道路として利用 本庄市元田から櫓峠を経て阿久原に至る道 4
  新宿の道標1
(元三大師道道標)
しんしゅく (児玉)神川町   石道標 高137㎝,幅25㎝,厚24㎝ 文政12(1829)   町教委 移設 (正面)「元三大師道」、(左面)「従是 金鑚寺迄 八丁」 2
  新宿の道標2
(琵琶橋端の道標)
しんしゅく (児玉)神川町   石道標
(自然石、安山岩)
高66㎝,幅24㎝,厚20㎝ 江戸期   町教委 移設→転倒状態/石材の片側と下が欠損 「右 江戸道」「左 妙義道」/「江戸」の標記は江戸期 4 -
  九郷用水 ぐごう (児玉)神川町・
本庄市
神流川 用水路 長15.6㎞ 700以前起源   町教委 C護岸 九郷用水の支川と推定される真下大溝の発掘調査から700年以前の開削とされている(条里制開田に関わる用水)/古文書に名前が現われるのは天正15(1578)だが、南北朝時代にも用水の存在を示唆する記録がある 4
  阿保領用水 あぼりょう (児玉)神川町・
上里町
神流川 用水路 長約12㎞ 江戸初期以前   町教委 C護岸 神川の小浜付近から引水し、楠川を利用し、神川と上里の13村に用水を供給/江戸期に楠川から分水した新田川を新たに開削 4
写真 勅使河原の金毘羅常夜灯
(見通し灯籠)
てしがわら (児玉)上里町 大光寺 石常夜灯(渡し場) 高3.44m 文化12(1815) 町有形 WEB 文政5(1822)の洪水で被災し安政4(1857)に修復→明治20代に移設 (中台正面)「金/毘/羅/大/權/現」、(竿右面)「燈に背 かざりせば 闇路にも 迷ひわせまじ 行くも帰りも」(秋因の歌)/本庄宿名主・戸谷半兵衛門が神流川渡し場のたもとに、夜間灯を設けて神流川を往来する旅人の目印および安全祈願とした/装飾的な猫脚/基壇なし/対岸の新町宿(現・高崎市新町)にあった常夜灯は同市大八木町に移設 2
  金久保の地蔵道標 かなくぼ (児玉)上里町 陽雲寺 石道標(丸彫) 高106.5㎝ 元禄3(1690)   上里町史・別巻p61 移設 「これより いかほかいとう」/台石上に地蔵立像の丸彫を載せる/17世紀の道標 2
  金久保の馬頭観音道標 かなくぼ (児玉)上里町 (金下) 石道標 高58㎝ 享保2(1717)   上里町史・別巻p71   「右 三友/左 八町川岸」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻   -
  神保原町の庚申塔道標 じんぼはら (児玉)上里町 安盛寺 石道標 高84㎝ 寛政元(1789)   上里町史・別巻p54 移設 「右 かし」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
  七本木の庚申塔道標 しちほんぎ (児玉)上里町 (本郷下) 石道標 高60㎝ 宝暦2(1752)   上里町史・別巻p48   「右 江戸道/左 かしみち」/正面に「庚申供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻   -
  勅使河原の大黒天道標 てしがわら (児玉)上里町   石道標 高50㎝ 文化元(1804)   上里町史・別巻p112 移設→個人宅 「右 かし」「左 志まち」「右 八幡山」/正面に「大黒天」と陰刻 4 -
  黛の石橋供養塔 まゆずみ (児玉)上里町 黛神社 石碑 高68㎝(塔身),
幅28㎝,厚25㎝
寛政9(1797)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面像下)「橋供養」/正面上半分を光背型に削り込み馬頭観音像(一面二臂)を陽刻 1
  長浜の石橋供養塔 ながはま (児玉)上里町   石碑 高60㎝,幅25㎝ 享和3(1803)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 原位置? (正面)「惣橋供養塔」 1 -
写真 白石の題目塔道標 しろいし (児玉)美里町 <鎌倉街道上道>国道254号松久小学校交差点・西100m 石道標(駒型) 高160㎝(うち、台石16㎝),幅70㎝,厚12㎝ 延享2(1745)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (正面下部右)「右、西 八幡山」、(同右中)「北 本庄」、(同左中)「東 江戸」、(同左)「左り 南、十二天/秩父」/正面中央に「六道能化地藏尊」と陰刻 2
写真 白石の如意輪観音像(?)道標 しろいし (児玉)美里町 <鎌倉街道上道> 石道標 高107㎝(うち、台石19㎝),幅27㎝,厚22㎝ 文化14(1817)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約/石材の欠損・剥離大 (台石右面)「右 山道」/正面に如意輪観音?の半跏坐像を陽刻 4
写真 古郡の如意輪観音像道標 ふるこおり (児玉)美里町 光明寺・門前 石道標 高121㎝(うち、台石36㎝),幅30㎝,厚19㎝ 文政7(1824)   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設、集約 (台石右面)「本庄」、(台石左面)「よりい」/正面を枠だけ残して光背状に削り込み如意輪観音の半跏坐像を陽刻 3
写真 駒衣の聖観音像(?)道標 こまぎぬ (児玉)美里町 毘沙門堂 石道標(丸彫) 高81㎝(うち、台石12㎝),幅18㎝,厚12㎝ 江戸期   WEB(埼玉県の橋供養碑) 移設/首が欠損→像容不明 (台石正面右)「東 本庄道/ 乃ミち」、(同左)「南 秩父道/十二天ミち」/台石が太鼓型の円筒/「ミち」の標記は江戸期の可能性  4
写真 さらし井   (児玉)美里町 広木地区/枌木川(右岸) 湧水   奈良時代? 県旧跡 WEB/WEB(関東地方の川) 昭和45に河川改修工事で湧水脈を切断したため涸れている 奈良時代に織布を洗いさらすために使用された井戸(伝承)/『万葉集』
(第9巻)には「三栗の 那賀に向かえる 曝井の 絶えず通はむ そこに妻もが」と詠まれている
3
  下小鹿野の地蔵道標 しもおがの (秩父)小鹿野町   石道標(舟型)?   安永4(1775)   歴史の道15p37   (台石正面)「三十一番」、(左面)「右 三十二番道」/台石上に光背付き地蔵坐像の陽刻を載せる    
  両神薄の供養塔道標 りょうかみ、すすき (秩父)小鹿野町   石道標   安永7(1778)   歴史の道15p37   (右面)「ミぎ 三十一はん」、(左面)「左 薄 須川」/正面に「二十三夜待供養塔」と陰刻    
  飯田の道標 いいだ (秩父)小鹿野町   石道標   安永9(1780)   歴史の道15p37   (正面)「三十一番入口」、(右面)「従是 二十五丁」    
  飯田の供養塔道標 いいだ (秩父)小鹿野町   石道標   寛政12(1800)   歴史の道15p37   (右面)「右 小かの道」、(左面)「三十一番道」/正面に「千部供養塔」と陰刻    
  下小鹿野の高札場 しもおがの (秩父)小鹿野町   高札場(切妻屋根) 間口2.65m,
奥行1.56m
江戸末期 町史跡 WEB 平成7に修復・復元 中型 2
  旧・諸沢橋   (秩父)長瀞町 西光寺<秩父往還> <石桁橋> 長404㎝,幅125㎝,厚22㎝ 寛政3(1791)   長瀞町史・民俗編2p183 昭和62にRC橋となり移設→地面の上に置かれている   3 -
  風布の馬頭観音像道標 ふうぷ (秩父)長瀞町 大鉢形~塞神峠 石道標(舟型) 高55㎝,幅31㎝,厚10㎝ 文政10(1827)   長瀞町史・民俗編2p303 原位置(塔身と台石が前後反対) (台石右面)「よりい/南 たの/三沢」、(台石左面)「のがみ」/光背中央に馬頭観音立像(一面二臂)を陽刻 1
写真 野上下郷の寛保洪水位磨崖標 のがみしもごう (秩父)長瀞町 <荒川> 洪水位磨崖標 高18m 寛保2(1742) 県史跡 WEB 保存状態良好 岩肌に「水」と刻字/寛保2に関東で発生した大洪水の水位を示す史跡/荒川の洪水の歴史を辿る上でも貴重な記録 1
  野上下郷の青石石材採掘場・跡 のがみしもごう (秩父)長瀞町   緑泥片岩(青石)の採石場   鎌倉時代 県旧跡 WEB 石切り場の雰囲気を留める 現・長瀞町と小川町の周辺は板石塔婆用の石材として全国的に有名であった→長瀞町には採石地といわれる露頭が残っており、近くに日本最大の板碑もあることから、早くから採掘場の可能性が高いとされ県旧跡となった(確実な証拠がないため史跡にはならない)→最近、小川町の採掘場に注目が集まっている 2
  西浦採銅坑・跡 にしうら (秩父)長瀞町   坑道 長100m,高1.5-4.0m,幅2.4m 江戸期? 町天然 WEB 原形を留める/立入できない 坑道掘りなので恐らく江戸期(16世紀初頭のたぬき掘りより技術的に進んでいる) 2
  皆谷の題目塔道標 かいや (秩父)東秩父村   石道標   元禄7(1694)   歴史の道15p29   (正面右下)「右 志ゆんれい道」、(同左下)「左 あまてら道)/正面中央に「南無大慈悲妙音觀自在」と陰刻/17世紀の道標    
  坂本の馬頭観音道標 さかもと (秩父)東秩父村   石道標   寛政12(1800)   歴史の道15p29   (正面左下)「左 ちゝ婦みち」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻    
  平草一里塚 ひらくさ (秩父)皆野町 <秩父往還> 一里塚(2基)   江戸期 町史跡 町教委 樹木が繁茂   3
  三沢の題目塔道標
(曽根坂一里塚の阿弥陀塔)
みさわ (秩父)皆野町 (四万部山) 石道標(自然石) 高125㎝,幅66㎝ 元禄15(1702) 町有形 町教委/歴史の道15p29 近接移設 (正面右端上)「ひだり 志まんぶ」(=四万部)、(同左端)「みきハ 大ミや」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻 2
  金沢の庚申塔道標 かなざわ (秩父)皆野町   石道標   寛保4(1768)   歴史の道15p37   (正面右端)「右 三十四番道」、(同左端)「左 一はん道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻    
  三沢の道標
(三沢勢至寺道の石標)
みさわ (秩父)皆野町 (藤ノ木) 石道標(自然石) 高130㎝,幅60㎝ 文化12(1815)   町教委 C根固め (正面)「勢至寺道」 2
  皆野の道標
(角屋わきの道しるべ)
みなの (秩父)皆野町 (下原) 石道標(自然石) 高147㎝,幅30㎝ 江戸期   町教委 原位置 (正面)「右 寄居 熊谷 江戸/左 三拾四番 妙義はるな、道」、(左面)「真壱番道」/「江戸」は江戸期の標記 1
  親鼻の渡し・跡 おやはな (秩父)皆野町 荒川 渡し場   江戸期   歴史の道7p38 渡船場への路に沿って道祖神、馬頭尊、地蔵尊像が並ぶ 『新編武蔵風土記稿(1810-30)』に記載がある 3
写真 門平の高札場 かどひら (秩父)皆野町 (上日野沢) 高札場(切妻屋根)   文化2(1805)以前 町史跡 WEB(埼玉県の橋供養碑) 昭和48修復・復元
(杉皮葺→亜鉛葺)
小型/自然石基壇 2
  横瀬の題目塔道標1 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   元禄15(1702)   歴史の道15p32   (左面)「みぎ 七ばん」/正面に「南無地蔵菩薩」と陰刻    
  横瀬の題目塔道標2 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   元禄15(1702)   歴史の道15p33   (正面右)「みぎ 十番」、(同左)「ひだり 大宮」/正面に「天下太平國土安全」と陰刻    
  横瀬の道標1 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   元禄15(1702)?   歴史の道15p31   (正面)「みぎ 六ばん」    
  横瀬の道標2 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   元禄15(1702)?   歴史の道15p31   (正面)「右 七番」    
  横瀬の題目塔道標3 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   元禄15(1702)?   歴史の道15p32   (正面右)「みき 九番」、(裏面)「ひたり 八番」/正面中央に「爲六親眷属七世父母」と陰刻    
  横瀬の道標3 よこぜ (秩父)横瀬町 明智寺 石道標   宝永元(1704)   歴史の道15p33 移設 (正面)「ひだり 十番」 2  
  横瀬の道標4 よこぜ (秩父)横瀬町 大慈寺 石道標   宝永元(1704)   歴史の道15p34 移設 (正面)「みぎ 十一番道」 2  
  横瀬の道標5 よこぜ (秩父)横瀬町 大慈寺 石道標   宝永2(1705)   歴史の道15p34 移設 (正面)「ひたり 十一番」 2  
  横瀬の道標6 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   宝暦2(1752)   歴史の道15p32   (正面)「右 九番道」    
  横瀬の道標7 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   明和4(1767)   歴史の道15p31   (正面)「中みち、六番/七番」    
  横瀬の道標8 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   天明年間(1781-89)   歴史の道15p32   (正面)「右 九ばんみち」    
  横瀬の庚申塔道標 よこぜ (秩父)横瀬町 大慈寺 石道標   寛政元(1789)   歴史の道15p34 移設 (右面)「右 三十番」/正面に「庚申塔」と陰刻 2  
  横瀬の馬頭観音道標 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   享和元(1801)   歴史の道15p32   (正面右)「右 名栗 八王子 大山 甲州道」、(同左)「左 大宮道」/正面中央に「馬頭大悲尊」と陰刻    
  横瀬の道標9 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   文政12(1829)   歴史の道15p31-32   (正面)「ひだり 六番道」    
  横瀬の道標10 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   江戸期   歴史の道15p31   (正面)「ひだり 六ばん」/施主に「江戸本芝」とあるので江戸期    
  横瀬の道標11 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   江戸期   歴史の道15p32   (正面)「みぎ 七ばん」、(裏面)「ひだり 八ばん」/施主に「江戸□又」とあるので江戸期    
  横瀬の道標12 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   江戸期   歴史の道15p32   (正面)「みぎ 九番」/施主に「江戸新吉原中ノ丁」とあるので江戸期    
  横瀬の道標13 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   江戸期   歴史の道15p32   (正面)「みぎ 九番」/施主に「江戸本船町」とあるので江戸期    
  横瀬の道標14 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   江戸期   歴史の道15p33   (正面)「みぎ 九番道」/施主に「江戸小笠原町」とあるので江戸期    
  横瀬の道標15 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   江戸期   歴史の道15p33   (正面)「たり 十はん」、(裏面)「みき 九はん」/施主に「江戸新肴場」とあるので江戸期    
  横瀬の道標16 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   江戸期   歴史の道15p33   (正面)「ひた里 十番」/施主に「江戸新橋源助丁」とあるので江戸期    
  横瀬の道標17 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   江戸期   歴史の道15p33   (正面右端)「右 志かう道」、(同中央)「中 十番道」、(同左端)「左 大宮)/施主に「江戸日本橋」とあるので江戸期    
  横瀬の道標18 よこぜ (秩父)横瀬町   石道標   江戸期   歴史の道15p34