東京都

写真 名称 ふりがな 区市町村 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 江北の地蔵道標 こうほく 足立区 恵明寺・門前 石道標(駒型) 高83㎝,幅25㎝,厚21㎝ 貞享3(1686)   足立風土記・金石文2p28 移設、集約/柵内/先端が欠損 (正面像下中央)「従是西 六あミた」/正面頂部に地蔵坐像(光輪、蓮台)を浮彫り/17世紀の道標 3
写真 大谷田の道標1
(六阿弥陀道標)
おおやた 足立区 区郷土博物館 石道標(尖頭角柱) 高77.5㎝,幅25㎝,厚19㎝ 元禄4(1691)   足立風土記・金石文2p36 移設/風化・摩耗・汚れ (正面)「六阿弥陀佛」、(同左下)「是より左江□□」/17世紀の道標 3
写真 伊興の庚申塔道標 いこう 足立区 (4丁目) 石道標(舟型) 高98㎝(うち、台石19㎝),幅36㎝,厚26㎝ 元禄5(1692)   文化財の保護43p83
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(C版上)/木祠内 (台石正面中央)「弘法大師道」/正面中央に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 六町の道標 ろくちょう 足立区 六町神社 石道標(尖頭角柱) 高115㎝,幅21㎝,厚20㎝ 宝永2(1705) or
嘉永2(1849)
  足立風土記・金石文2p12-13/鎌倉みちこ 移設 (正面)「鷲大明神/矢納弁才天、道」、(右面)「東、八条領/二合半領、道、榎戸 八丁/千住 壹里」、(左面)「西 此道馬ひく編可ら須」→「馬ひくべからず」の標記が江戸市中らしい/「永二年/酉二月」→「永二」と「酉」の組合せは宝永と嘉永のみ 2
写真 大谷田の蛇体道標
(下妻街道の蛇体道標)
おおやた 足立区 区郷土博物館<下妻街道> 石道標(駒型) 高110㎝,幅27㎝,厚12.5㎝ 宝永3(1706)   足立風土記・金石文2p14 移設(もと、青井5丁目)/基部を露出展示 (正面像下右)「是ゟ…」、(同左)「不動院ヘヨシ」/正面上部にとぐろを巻いた蛇(弁財天の化身)の浮彫→下記の「六町の蛇体道標」と同一形 2
写真 六町の蛇体道標 ろくちょう 足立区 六町神社 石道標(駒型) 高117㎝,幅27㎝,厚12㎝ 宝永3(1706)   足立風土記・金石文2p32/鎌倉みちこ/区立郷土博物館 移設(もと、六町1丁目)、集約/簡易屋根付き (正面像下右)「是ゟ…」、(同左)「不動院ヘヨシ」/正面上部にとぐろを巻いた蛇(弁財天の化身)の浮彫→上記の「大谷田の蛇体道標」と同一形 2
写真 西新井の庚申塔道標 にしあらい 足立区 (3丁目) 石道標(駒型) 高108㎝(うち、台石23㎝),幅33㎝,厚22㎝ 宝暦13(1763)   足立風土記・金石文2p69
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/木祠内 (右面最下部右)「向左 千住へ 一リ半」、(同左)「向右 草加へ 一リ半」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 2
写真 大谷田の道標2
(花畑・六木の分岐点道標)
おおやた 足立区 区郷土博物館 石道標 高57.5㎝,幅24.5
㎝,厚18㎝
明和4(1767)   文化財の保護43p106/足立風土記・金石文2p36 移設/風化により刻字の判読困難 (正面)「左 棋戸道 是ゟ/千住迄 一里半」、(右面)「右 ニがう半道 是ゟ/戸ヶ崎渡場迄 廿丁」/「庚申講中」 3
写真 東綾瀬の庚申塔道標 ひがしあやせ 足立区 (1丁目)下河原公園 石道標(尖頭角柱) 高118㎝,幅31.5㎝,厚23㎝ 安永6(1777)   足立風土記・金石文2p68
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/簡易覆屋内/左面が隣の碑に近接 (右面)「右 六阿ミ陀道」、(左面)「左 江戸道」/正面に「奉供養庚申塔」と陰刻 2
写真 西新井の道標1 にしあらい 足立区 総持寺・光明殿 石道標 高226㎝(うち、台石22㎝),37㎝,厚24㎝ 安永6(1777)   足立風土記・金石文2p34 移設 (正面)「弘法大師道」、(同頂部右)「西あら井」、(左面)「是与り 一里」 2
写真 大谷田の道標3
(水戸海道入口の道標)
おおやた 足立区 区郷土博物館
<水戸佐倉道・入口>
石道標(自然石) 高67.5㎝,幅40㎝,厚30㎝ 天明元(1781)   足立風土記・金石文2p37 移設(もと、千住)/縦に割裂→修復 (正面)「水戸海道」 3 -
写真 扇の道標1 おうぎ 足立区 性翁寺 石道標 高124㎝,幅24㎝,厚23㎝ 天明8(1788)   足立風土記・金石文2p26/鎌倉みちこ 移設、集約/中央で斜めに折損→修復 (正面)「木餘如來」、(同頂部)「六阿みだ/こん不"ん」、(同下部右)「一丁半」、(同下部左)「通り怒け」、(左面)「六阿みだこん不"ん 壱丁半/木あまりによらい通怒け」/下記の「扇の道標2」「扇の道標3」と並ぶ 3
写真 扇の道標2 おうぎ 足立区 性翁寺 石道標(尖頭角柱) 高68㎝,幅25㎝,厚21㎝ 天明8(1788)   足立風土記・金石文2p26/鎌倉みちこ 移設、集約 (正面)「木餘」、(同頂部)「六阿みだ/こん不"ん」、(右・左面)「六あみだこん不"ん/木あまりによらい」、(同最下部)「壹丁/通怒」/上記の「扇の道標1」と並ぶ 2 -
写真 千住桜木の道標1 せんじゅ、
さくらぎ
足立区 帝京科学大学入口・交差点 石道標(尖頭角柱、石橋供養塔兼) 高85㎝,幅36.5㎝,厚23㎝ 寛政5(1793)   足立風土記・金石文2p30
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/下部埋設 (正面)「弘法大師道」、(同右上)「是より西 阿ら井」、(同左下)「石橋二所建立 万人…」 2
写真 花畑の馬頭観音像道標 はなはた 足立区 福寿院 石道標(駒型) 高120㎝(うち、台石27㎝),幅39㎝,厚18㎝ 寛政7(1795)   文化財の保護43p110/足立風土記・金石文2p70/鎌倉みちこ 移設/覆屋内 (正面右上隅)「右リ 八でう道」、(同左上隅)「左リ そうか道」、(右面左)「左 ゑのき戸 せんじゆ道」、(左面右)「右り ゑのき戸 かさい道」/正面に馬頭観音立像(一面六臂〔馬頭冠、矛、輪宝、斧〕)を陽刻 2
写真 西新井の道標2 にしあらい 足立区 総持寺・山門西 石道標(尖頭角柱) 高79㎝,幅20㎝,厚30㎝ 寛政8(1796)   足立風土記・金石文2p18/鎌倉みちこ 原位置? (正面)「六阿ミ多"」、(同右上)「是…り左り」、(同最下部)「道のり十八丁」、(同左下)「二者"んめ道」 1
写真 鹿浜の供養塔道標 しかはま 足立区 (5丁目) 石道標 高105㎝,幅35㎝,厚22㎝ 寛政8(1796)   足立風土記・金石文2p73/鎌倉みちこ 移設、集約/覆屋内 (右面下部)「南、千じ由へ 二り/六阿みだ二番目へ 廿丁/王子へ 一り」、(左面下部)「北、わらび宿へ 二り半/川口ぜん可うじへ 一り/はとがや町へ 一り三十丁」/正面に「(梵字)奉讀誦普門品供羪塔現當…」と陰刻 2
写真 大谷田の道標
(弘法大師道道標1)
おおやた 足立区 区郷土博物館 石道標 高89.5㎝,幅37㎝,厚23.5㎝ 寛政8(1796)   足立風土記・金石文2p38 移設(もと、江北) (正面)「弘法大師道」、(同右端)「左り 西阿ら井、是ゟ大使江まいり/本宿まで一里十二丁」、(同左下)「是ゟ十八丁」 2
写真 大谷田の道標
(弘法大使道道標2)
おおやた 足立区 区郷土博物館<王子道?> 石道標 高83㎝,幅25㎝,厚19㎝ 寛政8(1796)   足立風土記・金石文2p39 区中央図書館に移設→区郷土博物館に再移設 (正面)「弘法大師道」、(同右上)「左り 西阿ら井」 2
  江北の道標 こうほく 足立区 (1丁目) 石道標 高58㎝,幅24㎝,厚18㎝ 寛政8(1796)   足立風土記・金石文2p27 原位置? (正面)「弘法大師道」、(右面)「右り 六阿弥陀道」 1 -
写真 江北の道標2 こうほく 足立区 (1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高67㎝,幅24㎝,厚19㎝ 寛政8(1796)   足立風土記・金石文2p28
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「左 弘法大師道」、(右面)「みぎ 六阿ミ多"ミち」 2 -
写真 江北の道標3 こうほく 足立区 (2丁目) 石道標 高65㎝,幅23㎝,厚19.5㎝ 寛政8(1796)   足立風土記・金石文2p33
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(基部露出) (正面)「弘法大師道」、(同右上)「左り」、(右面)「六阿弥陀みち」、(同右上)「右へ」 2 -
写真 梅田の道標 うめだ 足立区 梅田神明宮 石道標(尖頭角柱) 高90㎝,幅25㎝,厚22㎝ 享和2(1802)   足立風土記・金石文2p25/鎌倉みちこ 移設/中央で斜めに折損→「神」の字がかなり欠損 (正面)「神明宮」 3
写真 関原の不動明王像道標1 せきばら 足立区 大聖寺・門前 石道標(丸彫) 高142㎝
(うち、塔身81㎝)
享和3(1803)   足立風土記・金石文2p20
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「不動尊道、関原山/大聖寺」、(左面)「これより 二町」/塔身上に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、迦楼羅焔、磐石)を載せる/下記の関原の不動明王像道標2と並ぶ 2
写真 入谷町の供養塔道標 いりや 足立区 氷川神社 石道標(尖頭角柱) 高100㎝,幅36㎝ ,厚24㎝ 文化13(1816)   足立風土記・金石文2p72 移設/裏面に昭和4の追刻 (左面)「南 西新井大師道/西 河口善光寺道」/正面に「月山/湯殿山/羽黒山、巡礼供養塔」と陰刻 2
写真 梅田の不動明王像道標 うめだ 足立区 明王院 石道標(丸彫) 高140㎝
(うち、塔身84㎝)
文政3(1820)   足立風土記・金石文2p22
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/覆屋内 (正面)「感/得、不動尊道」、(右面)「これより三丁」/塔身上に不動明王立像(一面二臂、剣と羂索、迦楼羅焔、磐石?)の丸彫を載せる/実は磐石と思われる部分の正面両端に脇童子らしきものが視認できるが、中央部が大きく削られ像容も磨耗し定かではない 2
写真 大谷田の道標
(正八幡宮道標)
おおやた 足立区 区郷土博物館 石道標 高153㎝,幅39㎝,厚21㎝ 文政9(1826)   足立風土記・金石文2p35 移設(もと、塚)/文政9(1826
)再建
(正面)「正八幡宮」、(同頂部)「開/運」、(同最下部)「是ゟ/一里」、
(右面)「おふミやへ 五り半余/はと可"やへ 壹り半余/と祢りへ 三十丁」
2
  花畑の道標 はなはた 足立区 (2丁目) 石道標 高68㎝,幅23㎝,厚17㎝ 天保年間(1830-44)   足立風土記・金石文2p12 移設? (正面)「大明神道」、(同最下部)「是より/八丁」 2 -
写真 竹の塚の道標 たけのつか 足立区 萬福寺 石道標 高196㎝(うち、台石46㎝),40㎝角 天保5(1834)   足立風土記・金石文2p19 移設 (正面)「弘法大師道」/右・左・裏面頂部に冨士講の印が陽刻されているほか、塔身の四隅に上から下まで岩石様の突起が彫られ、それは台石まで続いている→他に例を見ない特異な装飾 2
写真 本木の題目塔道標 もとき 足立区 (1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高122㎝(うち、台石28㎝),幅32㎝,厚33㎝ 天保6(1835)   WEB(鎌倉街道上道) 近接移設? (右面)「ふどう/だ以し、道」/正面に「関/原/山、不動尊」(=大聖寺)と陰刻 2
写真 関原の廻国塔道標 せきばら 足立区 (1丁目) 石道標 高83㎝(うち、台石19㎝),幅21㎝,厚15㎝ 天保7(1836)   足立風土記・金石文2p23/現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/ガラスケース内 (正面下部右)「右 當村不動尊道」、(同左)「関原山不□□道」、(左面)「向テ、右リ 千住掃部宿/左リ 千住五丁目道」、(台石右面)「すぐ/せき/原山/みち」、(台石左面)「拾七丁/十五丁」/正面上部に「奉納、西國/父/坂東、現當二世□□也」と陰刻 3
写真 千住桜木の道標2 せんじゅ、
さくらぎ
足立区 帝京科学大学入口・交差点 石道標(駒型) 高155㎝,幅40.5㎝,厚23㎝ 天保11(1840)   足立風土記・金石文2p31
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「子育地蔵大菩薩道」、(同左下)「是よ里下道 壹里」 2
写真 小台の道標 おだい 足立区 (2丁目) 石道標 高82㎝,幅29㎝,厚21.5㎝ 天保11(1840)   足立風土記・金石文2p30
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/頂部右が欠損 (正面)「弘法大師道」、(同右下)「大師江 二十丁」、(同左下)「六阿ミ一者"んへ 八丁」 2
写真 関原の道標 せきばら 足立区 大聖寺 石道標(墓石型) 高165㎝(うち、台石2段59㎝),幅33
㎝,厚23㎝
嘉永元(1848)   足立風土記・金石文2p21/鎌倉みちこ 移設 (正面)「関原山不動明王」、(右面)「厄除弘法大師」、(同最下部)「是より/十六町」 2
写真 六月の元・不動明王像道標 ろくがつ 足立区 (1丁目) 石道標 高142㎝,幅32㎝,厚19㎝ 嘉永3(1850)   足立風土記・金石文2p18/鎌倉みちこ 移設/塔身頂部に置かれていた不動明王像(高28㎝)が紛失、磐石のみ残る (台石正面)「成田道」、(台石左面)「新宿/成田、道」 4
写真 関原の不動明王像道標2 せきばら 足立区 大聖寺・門前 石道標(丸彫) 高109㎝ 嘉永4(1851)   足立風土記・金石文2p21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/不動明王の顔が欠損 (正面)「関原山」、(左面)「是/より、十壱町」/塔身上に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、迦楼羅焔)を載せる、台石が磐石を表現している可能性あり/上記の関原の不動明王像道標1と並ぶ 3
写真 扇の道標3 おうぎ 足立区 性翁寺 石道標 高93㎝(うち、台石17㎝),幅28㎝,厚24㎝ 嘉永5(1852)   足立風土記・金石文2p27/鎌倉みちこ 移設 (正面下部)「木餘如來」、(左面)「是与り左江 弐町半」/上記の「扇の道標1」と並ぶ 2
写真 保木間の不動明王像道標 ほきま 足立区 西光寺・門前<流山道> 石道標(隅丸型) 高165㎝,幅41㎝,厚25㎝ 万延元(1860)   足立風土記・金石文2p17/鎌倉みちこ 移設/樹木で下部の刻字が見えない (正面像下)「成田山」、(同下部)「江 是より十六里/榎戸迄 二十丁」、(右面下部)「是より西 新井大師/一二十丁」、(左面下部)「大鳥、江/二十丁」/正面頂部をほぼ正方形に削り込み不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索)を陽刻 2
写真 綾瀬の道標 あやせ 足立区 龍慶寺 石道標(自然石) 高88㎝,幅36㎝ 万延元(1860)   足立風土記・金石文2p15 移設 (正面)「成田山道」、(同左端)「従是 十六里」 2
写真 平野の不動明王像道標 ひらの 足立区 平野神社 石道標(駒型) 高104㎝(うち、台石22㎝),幅30.5㎝,厚18.5㎝ 文久2(1862)   足立風土記・金石文2p34
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面像下)「左 成田…」、(右面)「右 竹之塚 八丁」/正面上半分を光背型に削り込み不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、迦楼羅焔、磐石内に二童子)を陽刻/二童子は稀 2
写真 江北の題目塔道標 こうほく 足立区 (2丁目)不動堂 石道標(自然石) 高205㎝(うち、台石9㎝),幅107㎝,厚18㎝ 慶応2(1866)   足立風土記・金石文2p74
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (裏面下部)「成田山江 拾七里/厄除大師江 三十丁/川口江 二里」/正面に「(梵字)、成/田/山、不動明王」と陰刻 2
写真 東和の庚申塔道標 とうわ 足立区 (2丁目) 石道標(駒型) 高94㎝(うち、台石22㎝),幅35㎝,厚9㎝ 江戸期?   足立風土記・金石文2p67/鎌倉みちこ 移設/木祠内 (右面)「此方 成田道」、(左面)「右 千住宿/左 飯塚渡、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/駒型で青面金剛像があれば江戸中-後期の可能性大 2
  鹿浜の庚申塔道標 しかはま 足立区 (8丁目) 石道標(駒型) 高62㎝(塔身のみ),幅30㎝ 江戸期?   足立風土記・金石文2p69 移設 (左面)「これより 六あミだ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻/駒型で青面金剛像があれば江戸中-後期 2
写真 伊興の供養塔道標 いこう 足立区 実相院 石道標(尖頭角柱) 高160㎝(うち、台石15.5㎝),幅35㎝,厚24㎝ 江戸期?   足立風土記・金石文2p71
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面題目刻字下)「南方」、(その下右)「六阿弥陀/一里」、(同中央)「弘法大師/十二丁」、(同左)「江戸道/千住迄 一里半」、(右面題目刻字下)「東方」、(その下右)「草加/一里」、(同中央)「鳩ヶ谷/一里半」、(同左)「竹之塚/十二丁」、(左面題目刻字下)「西方」、(同右)「王子/一里半」、(同左)「川口善光寺/一里十丁」/正面上半分を火灯窓風に浅く削り込み「南無阿弥陀佛」と陰刻、蓮花の浮彫の下に「百萬遍供養」と陰刻/右面に「當山所蔵西国廿三番正觀世音菩薩」と陰刻、左面に「奉順礼、坂東/西国/秩父、爲先祖代々菩」(提の誤字を使用)と陰刻/「江戸」の標記は江戸期 2
写真 東和の橋供養塔 とうわ 足立区 円性寺 石碑(駒型) 高92㎝(うち、台石17㎝),幅28㎝,厚21㎝ 元禄4(1691)   足立区文化財調査報告書庚申塔編 p77
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/刻字がかなり風化 (正面)「奉立庚申橋供養二世安樂」/17世紀の橋供養塔 2
写真 本木西町の石橋供養塔 もとき、にし 足立区 吉祥院星谷寺 石碑(駒型) 高99㎝(うち、台石25㎝),幅36㎝,厚13㎝ 元禄8(1695)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約/裏面下部刻字部に石灰様のものが付着 (裏面中央)「石橋二ヶ所供養□□□□」/正面中央に「庚申供養」と陰刻(その下の「念佛」は追刻)/17世紀の石橋供養塔 2
写真 小台の石橋供養塔 おだい 足立区 珠明院 石碑(駒型) 高82㎝(うち、台石20㎝),幅24㎝,厚17㎝ 享保15(1730)   足立区文化財調査報告書庚申塔編 p35
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (裏面中央)「懸石橋度諸人難者也」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 3
写真 鹿浜の橋供養塔 しかはま 足立区 (4丁目)交差点 石碑
(駒型、道標兼)
高66㎝,幅36㎝,厚22㎝ 享保19(1734)   足立区文化財調査報告書庚申塔編 p129
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/C覆屋内/下部埋設 (右面)「奉造立青面金剛庚申橋供養尊」、(正面左下隅)「六あみ多みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、…)の陽刻 3
写真 大谷田の橋供養塔1 おおやた 足立区 区郷土博物館
<花畑街道/用水路>
石碑 高77㎝,幅31㎝,厚19㎝ 安永2(1773)   現地解説板 移設(もと、花畑)/石材頂部が大きく剥離 本廻國供橋」/大鳥橋の供養塔 3
写真 千住の石橋供養塔1 せんじゅ 足立区 (1丁目)不動院 石碑 高101㎝(うち、台石18㎝),幅26㎝,厚18㎝ 安永6(1777)   足立区文化財調査報告書庚申塔編 p22
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「同所西耕地石橋七ヶ所掛之」/正面に「(梵字)庚申供養塔」と陰刻/下記の「千住の石橋供養塔2」と1つ挟んで並ぶ 3
写真 江北の石橋供養塔 こうほく 足立区 (3丁目)帝釈天堂 石碑(駒型) 高127㎝(うち、19㎝),幅47㎝ 天明3(1783)   足立区文化財調査報告書庚申塔編 p44
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木祠内/両側面が見えにくい (左面)「奉造立青金剛/為供養石橋也」(緑字は異体字)/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 千住の石橋供養塔2 せんじゅ 足立区 (1丁目)不動院 石碑(自然石) 高79㎝(うち、台石14㎝),幅55㎝,厚19㎝ 文化11(1814)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (裏面)「西耕地石橋供養塔」/正面に大きく「庚申」と陰刻/上記の「千住の石橋供養塔1」と1つ挟んで並ぶ 3
写真 大谷田の橋供養塔 おおやた 足立区 区郷土博物館 石碑 高92㎝(うち、台石19㎝),幅34㎝,厚20㎝ 文政年間(1818~30)   WEB(鎌倉街道上道) 移設展示(個別の木覆屋付き)/もと、江北橋の土手下/頂部欠損 (台石正面右端)「當橋石垣奉(?)造立」/江北橋の供養塔/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻→造形がシャープ 2
写真 興野の石橋供養塔 おきの 足立区 善應寺 石碑 高132㎝(うち、台石29㎝),幅38㎝,厚38㎝ 慶応3(1867)   WEB(鎌倉街道上道) 移設/両脇に旧橋の親柱を保存 (正面)「石橋供養塔」 2
  南千住の庚申塔道標 みなみせんじゅ 荒川区 (3丁目) 石道標(駒型) 高90㎝ 元禄4(1691)   文化財の保護43
p82
○○ (正面側)「是より」/正面に「奉造庚申供養」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻/17世紀の道標  
写真 南千住の不動明王像道標
(袈裟塚耳無不動道標)
みなみせんじゅ(けさづかみみなし) 荒川区 三峰神社<仙光院> 石道標 高232㎝(うち、台石151㎝),
幅37㎝,厚36㎝
宝暦10(1760) 区有形民俗 WEB/区教委 明治29移設/焔の部分を赤く彩色/参拝の対象 (台石左面右端に大きく)「右」、(その下に小さく)「みのはへ 八丁/小つか原へ 九丁/南千住へ 十五丁」、(台石左面左端に大きく)「左」、(その下に小さく)「にっぽりへ 八丁/王子へ 一り十丁/板ばしへ 一り半」、 (台石左面中央に)「南 坂本へ 十四丁/南 谷中へ 十二丁」/背の高い台石上に、不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、迦楼羅焔、磐石)を半立体的に浮彫した本体を載せる/像そのものは、建立の由来から、耳の病にご利益があることで有名 2
写真 清水坂 しみず 板橋区 <中山道> 道路   江戸期   WEB(鎌倉街道上道)/現地解説板 昭和30年代頃までは旧街道の面影を残していた 日本橋を出た中山道の最初の難所(急坂)/街道で唯一右手に富士山を一望できたとされる 4
写真 智清寺の参道橋 ちせい 板橋区 (大和町)智清寺 石桁橋 (G) 正徳4(1714) 区登録史跡 WEB(鎌倉街道上道) 橋としての役割は終えている 中用水に架けられていた橋 2 -
写真 志村一里塚 しむら 板橋区 <中山道> 一里塚(2基) 塚木:榎(2基とも補植) 慶長9(1604) 国史跡/
区登録史跡
WEB 土盛り下部を石垣で補強/都市部の割によく保存 日本橋から3里目の一里塚 2
写真 宮本町の庚申塔道標 みやもと 板橋区 清水稲荷 石道標(笠付き) 高185㎝(うち、台石32㎝),幅41㎝,厚40㎝ 元禄13(1700)   文化財の保護43p87
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面左上端)「右 大日みち」、(左面右上端)「左 祢里満道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 双葉町の庚申塔道標 ふたば 板橋区 氷川神社
<中山道・練馬道>
石道標(駒型) 高120㎝(うち、台石25㎝),幅47㎝,厚25㎝ 宝永7(1710)   文化財の保護43p92
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「是より右 祢りま道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)を陽刻 2
写真 蓮沼町の庚申塔道標1 はすぬま 板橋区 (1丁目) 石道標(駒型) 高134㎝(うち、台石25㎝),幅47㎝,厚24㎝ 正徳2(1712)   文化財の保護43p92
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石右面中央)「北ハ 川口 善光寺道/南ハ いた者志みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 志村の庚申塔道標1 しむら 板橋区 (2丁目) 石道標(駒型) 高115㎝(うち、台石18㎝),幅42㎝,厚22㎝ 正徳4(1713)   文化財の保護43p94
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/像容、刻字とも磨耗が進行 (左面)「是より □□しせくふじ道」(?)/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)を陽刻 2
写真 仲町の庚申塔道標 なか 板橋区 専称院
<川越街道・子易道>
石道標(駒型) 高102㎝,幅39㎝ 享保5(1720)   文化財の保護43p96
/鎌倉みちこ
移設、集約/中央で水平に節操→修復/刻字が一部損耗/右面見えず(資料による)/像容損耗 (右面)「右ハ 小石川 おふ内道」、(左面)「左ハ 中仙道 しむら道」/正面に青面金剛立像(日月、六手●●、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 東新町の地蔵道標 とうしん 板橋区 (2丁目)安養院 石道標(丸彫) 高76㎝(塔身) 享保19(1734)   いたばしの石造文化財4p69 移設、集約/地蔵の正面損耗 (台石右面)「右ハ か王ごへ道」、(台石左面)「左ハ たなし道/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 小豆沢の庚申塔道標1 あずさわ 板橋区 龍福寺 石道標(駒型) 高103㎝,幅42㎝ 享保19(1734)   文化財の保護43p100
/鎌倉みちこ
移設、集約/刻字が一部損耗(刻字は資料による)/像容損耗 (右面)「是より右/ふなとミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手●●、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 中台の庚申塔道標1 なかだい 板橋区 延命寺 石道標(駒型) 高124㎝(うち、台石22㎝),
幅46㎝,厚30㎝
享保20(1735)   文化財の保護43p100
/WEB(街角の庚申塔)
移設、集約 (正面右脇)「これより左へ ねりま 十八丁」/正面中央に青面金剛立像(六手剣人)を陽刻/下記「中台の庚申塔道標2」「中台の馬頭観音道標」と同所 3
  東山町の供養塔道標 ひがしやま 板橋区 長命寺 石道標   元文4(1739)   文化財の保護43p101 現況不明 (右面)「右 東中台道」、(左面)「左ハ 練馬道」/正面に「奉彫大青面金剛供養塔」と陰刻    
写真 東新町の供養塔道標 とうしん 板橋区 安養院 石道標(尖頭角柱) 高75㎝,幅21㎝ 寛保2(1742)   いたばしの金石文p147 移設、集約 (右面下部)「右 河こゑみち」、(左面下部)「左り たなしみち」/正面に「(梵字3)奉納大乘妙典六十六部供養塔」と陰刻 2 -
写真 小豆沢の庚申塔道標2 あずさわ 板橋区 (2丁目) 石道標(駒型) 高114㎝(うち、台石20㎝),幅43㎝,厚29㎝ 延享年間(1744-48)   文化財の保護43p102
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置(塀に窪みをつけて安置)? (右面)「西 祢りま ふし道/東 川口 セんかうし道」、(左面)「み奈ミ 江戸道/北 あつ沢王多しハ」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 西台の地蔵道標 にしだい 板橋区 (2丁目)善長寺 石道標(丸彫) 高83㎝(うち、台石9㎝),幅32㎝,厚21㎝ 宝暦2(1752)   いたばしの石造文化財4p42
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/頂部欠損 (正面像下)「南 祢りま道」、(右面)「東 戸田王多し道」、(左面)「北 徳丸 吹あげ道」/正面頂部に地蔵坐像(蓮台)の浮彫り/下記の「西台の庚申塔道標」と並ぶ 3
写真 中台の庚申塔道標2 なかだい 板橋区 延命寺 石道標(駒型) 高120㎝(うち、台石22㎝),
幅43㎝,厚30㎝
宝暦3(1753)   文化財の保護43p103
/WEB(街角の庚申塔)
移設、集約 (右面)「此方 ねっぱミち」、(左面)「此方 西台道」/正面に青面金剛立像(六手合掌)を陽刻/上記「中台の庚申塔道標1」、下記「中台の馬頭観音道標」と同所 3
写真 赤塚の庚申塔道標1 あかつか 板橋区 (8丁目) 石道標(駒型) 高93㎝(うち、台石20㎝), 幅33㎝,厚21㎝ 宝暦5(1755)   文化財の保護43p104
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置(塀をくり抜いて設置)? (右面最下部)「右 早瀬道」、(左面最下部)「左 吹上道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 赤塚の庚申塔道標2 あかつか 板橋区 (4丁目)
赤塚氷川神社・参道口
石道標(駒型) 高144㎝(うち、台石35㎝),幅39㎝,厚23㎝ 明和4(1767)   文化財の保護43p106
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (台石正面右端)「右 ふき上道」、(同左端)「左 屋くし道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、二鶏、三猿)の陽刻 1
写真 前野町の庚申塔道標1 まえの 板橋区 熊野神社 石道標(駒型) 高75㎝(うち、台石13㎝),幅27㎝,厚16㎝ 安永2(1773)   文化財の保護43p107
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面上部)「従是右 戸田道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻/下記の「前野町の庚申塔道標2」と並ぶ 3
写真 小豆沢の地蔵道標 あずさわ 板橋区 (3丁目) 石道標(丸彫) 高128㎝(うち、台石57㎝) 安永4(1775)   いたばしの石造文化財4p32
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/祠内 (台石左面)「左 せんこうじみ…」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 前野町の庚申塔道標2 まえの 板橋区 熊野神社 石道標(駒型) 高70㎝(うち、台石13㎝),幅28㎝,厚16㎝ 安永8(1779)   文化財の保護43p108
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「南ハ、右ハ 江戸道/ぞう志や可いどう 川越道/北 川口 ぜんかうじ」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼)を半立体的に浮彫/上記の「前野町の庚申塔道標1」、下記の「前野町の庚申塔道標3」と並ぶ 3
写真 前野町の庚申塔道標3 まえの 板橋区 熊野神社 石道標(駒型) 高88㎝(うち、台石13㎝),幅40㎝,厚26㎝ 天明3(1783)   文化財の保護43p108
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/正面左に縦の亀裂 (右面右)「右ハ 江戸道」、(左面左端)「左ハ 志むらミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、二鶏、三猿)の陽刻/上記の「前野町の庚申塔道標2」と並ぶ 3
写真 中台の子安地蔵道標 なかだい 板橋区 (1丁目) 石道標(丸彫) 高126㎝(うち、台石53㎝) 天明4(1784)   WEB(街角の庚申塔) 簡易祠内 (台石右面)「右 練馬道 五町」、(左面)「左 下板橋道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる/下記「中台の馬頭観音像道標」「中台の庚申塔道標3」と並ぶ 2
写真 小豆沢の庚申塔道標3 あずさわ 板橋区 (2丁目) 石道標 高95㎝,幅38㎝,厚24㎝ 天明5(1785)   文化財の保護43p109
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面)「右ハ 大山道」、(左面)「左ハ 上い多者しみち」/正面を火灯窓型に浅く削り込み「奉造立庚申塔供養」と陰刻 1
  蓮沼町の庚申塔道標2 はすぬま 板橋区 南蔵院 石道標(笠付き)   天明8(1788)   文化財の保護43p109
/WEB(街角の庚申塔)
移設、集約/笠を含め風化が進行 (右面)「右 江戸道」、(左面)「右、禰りま道/左 ぜんかうじ道」/正面に青面金剛立像(邪鬼、三猿)を陽刻 4
写真 西台の馬頭観音像道標 にしだい 板橋区 (2丁目) 石道標(舟型) 高186㎝(うち、塔身96㎝) 寛政2(1791)   いたばしの石造文化財4p42
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内/信仰の対象/像容に彩色 (台石正面左)「南 祢りま道」、(台石右面右)「東 戸田渡し者道」、(台石左面)「西、吹阿げ道/はやせ道」/光背全面に馬頭観音立像(三面六臂〔馬頭冠、剣、輪宝、斧、棒〕、蓮台)の陽刻 3
写真 前野町の庚申塔道標4 まえの 板橋区 (1丁目) 石道標(笠付き) 高65㎝ 寛政3(1791)   文化財の保護43p109 原位置? (右面)「右 大日道」、(左面)「左 祢里ま道」/正面に「(梵字)奉待大青靣金剛」と陰刻 1 -
写真 志村の道標 しむら 板橋区 (2丁目)
<中山道・富士大山道>
石道標 高88㎝,幅19.5㎝,厚16.5㎝ 寛永4(1792) 区登録有形 WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「是より/大山道、并 ねりま 川こへみち」/下記「志村の庚申塔道標2」と並ぶ 2
写真 成増の庚申塔道標1 なります 板橋区 (4丁目) 石道標(駒型) 高96㎝(うち、台石15㎝),幅34㎝,厚23㎝ 寛政9(1797)   文化財の保護43p110
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面下部)「東 下赤塚道/南 江戸道」、(左面)「西 白子道/北 吹上道」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻、頂部に“日月”の線刻 1
写真 中台の馬頭観音像道標 なかだい 板橋区 (1丁目) 石道標(駒型) 高82㎝(うち、台石17㎝),
幅27㎝,厚22㎝
寛政12(1800)   WEB(街角の庚申塔) 移設?/簡易祠内 (右面)「右 大山道」、(左面)「左 江戸道」/正面に馬頭観音立像を陽刻/上記「中台の子安地蔵道標」、下記「中台の庚申塔道標3」と並ぶ 2
写真 徳丸の庚申塔道標1 とくまる 板橋区 (3丁目) 石道標(駒型) 高88㎝(うち、台石15㎝),幅31㎝,厚20㎝ 享和2(1802)   文化財の保護43p111
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/簡易祠内/像容・刻字とも風化でボロボロ(左面の字は彫り直し?) (右面)「右 ねり□□□」、(左面)「左 戸田みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人)の陽刻 3
写真 若木の庚申塔道標 わかぎ 板橋区 (1丁目) 石道標 高90㎝,幅39㎝,厚21㎝ 享和4(1804)   文化財の保護43p111
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/木祠内/信仰の対象 (右面)「右 にしたい とくまる」、(左面)「左、ねりま/大山、みち」/正面中央を矩形に削り込み「庚申塔」と陰刻 2
写真 成増の庚申塔道標2 なります 板橋区 (4丁目) 石道標 高67㎝(うち、台石16㎝),幅21㎝,厚14㎝ 文化2(1805)   文化財の保護43p111
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面)「右 志良こ道」(=白子)/正面に「庚申塔」と陰刻 1 -
写真 大原町の馬頭観音道標 おおはら 板橋区 長徳寺 石道標 高126㎝,幅35㎝,厚24㎝ 文化5(1808)   いたばしの石造文化財4p29
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「是与り 大日道 祢里まみち」/正面に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 上板橋の馬頭観音像道標 かみいたばし 板橋区 (2丁目) 石道標(駒型) 高53㎝(塔身) 文化12(1815)   いたばしの石造文化財4p57 場所は原位置近くか?/C祠内に2基安置/右面見えず(資料による)/像容損耗大 (右面)「右 王子道」、(左面右)「? 戸田渡道」/正面に馬頭観音坐像(一面二臂)の陽刻 3
  前野町の庚申塔道標5 まえの 板橋区 (2丁目) 石道標 高72㎝ 文政10(1827)   文化財の保護43p114 移設 (右面)「志むら とた渡道」/正面に「庚申待講中」と陰刻 2 -
写真 前野町の庚申塔道標6 まえの 板橋区 志村第2公園 石道標(駒型) 高76㎝(うち、台石9㎝),幅34㎝,厚24㎝ 文政13(1830)   文化財の保護43p114
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「向右 祢つ者"与り 吹上道」、(左面右)「向左 祢りま与り 大山道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/下記「前野町の石橋供養塔」と並ぶ 2
  前野町の庚申塔道標7 まえの 板橋区 熊野神社 石道標(駒型) 高62㎝ 天保7(1836)   文化財の保護43p114 移設 (右面)「志むら とた渡道」/正面に青面金剛立像を陽刻 2
写真 中台の馬頭観音道標 なかだい 板橋区 延命寺 石道標(駒型) 高64㎝,幅27㎝,厚17㎝ 天保14(1843)   WEB(街角の庚申塔) 移設、集約 (右面)「西 練馬 ふじ大山道」、(左面)「東 岩淵 川口道」、(裏面)「南 板橋道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/上記「中台の庚申塔道標1・2」と同所 3 -
写真 中台の庚申塔道標3 なかだい 板橋区 (1丁目) 石道標(駒型) 高87㎝(うち、台石16㎝),
幅28㎝,厚19㎝
嘉永5(1852)   文化財の保護43p115
/WEB(街角の庚申塔)
移設/簡易祠内 (右面)「西 ふじ大山 練馬道」、(左面)「南 いたばし 前野道」/正面に青面金剛立像(六手剣人)を陽刻/上記「中台の子安地蔵道標」「中台の馬頭観音像道標」と並ぶ 2
写真 徳丸の庚申塔道標2 とくまる 板橋区 (5丁目) 石道標 高90㎝(うち、台石29㎝),幅30.5㎝,厚29㎝ 嘉永5(1852)   文化財の保護43p116
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石右面中央)「北、赤塚/吹上、道」、(台石左面中央)「左、ねりま/江登、道」(江戸をこのように標記するのは稀)/正面に「庚申塔」と陰刻 2
写真 蓮根の馬頭観音像道標 はすね 板橋区 (1丁目) 石道標(笠付き) 高104㎝(うち、台石25㎝),幅24㎝,厚17㎝ 寛政2(1791)   いたばしの石造文化財4p46
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/像容不明瞭/右面に剥離 (右面)「 戸田王多し」、(左面)「東 な可多"い 江戸/西 にしだい とくま、道」、正面に馬頭観音坐像(一面六臂)の陽刻 3
写真 蓮根の庚申塔道標 はすね 板橋区 (2丁目) 石道標(笠付き) 高102㎝(うち、台石25㎝),幅24.5㎝,厚16㎝ 嘉永6(1853)   文化財の保護43p116
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (右面左)「東 中台 板橋道」、(左面)「西、大山 祢ま/戸田渡しバ、道」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼)の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 小豆沢の庚申塔道標4 あずさわ 板橋区 (4丁目) 石道標 高72㎝,
幅21㎝,厚13㎝
嘉永6(1853)   文化財の保護43p116
/鎌倉みちこ
場所は原位置近くか?/ブロック塀の中に覆屋を設け2基安置/左面見えず(資料による) (右面)「南 い堂者"し/西 志村 根葉 吹上、道」(=板橋)、(左面)「東 岩淵道/北 □□□」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3 -
写真 赤塚新町の庚申塔道標 あかつかしん 板橋区 (3丁目) 石道標(自然石) 高200㎝(うち、台石62㎝),幅52㎝,厚29㎝ 万延元(1860)   文化財の保護43p116
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (上段台石左面右)「南 あらいやくし道」、(同中央)「右 者やせ道」、(同左)「左 吹上道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
写真 志村の庚申塔道標2 しむら 板橋区 (2丁目)
<中山道・富士大山道>
石道標(尖頭角柱) 高108㎝(うち、台石8㎝),幅38㎝,厚25㎝ 万延元(1860) 区登録有形 文化財の保護43p116
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「是ヨリ/冨士山 大山道」、(左面下部)「練馬江 一里/柳沢江 四里/府中江 七里」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/上記「志村の道標」と並ぶ 2
写真 四葉の庚申塔道標 よつば 板橋区 四葉観音堂 石道標(笠付き) 高134㎝(うち、台石51㎝) 万延元(1860)   文化財の保護43p116
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (上段台石正面右端)「東 志むら」、(同左端)「西 志らこ」/正面に「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の平面的陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 徳丸の庚申塔道標3 とくまる 板橋区 (8丁目) 石道標(駒型) 高88㎝(うち、台石20㎝),幅28.5㎝,厚22㎝ 文久2(1863)   文化財の保護43p117
/鎌倉みちこ
移設 (台石左面右端)「西 ふきあげ道/東 にしだい道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2 -
写真 徳丸の庚申塔道標4 とくまる 板橋区 (6丁目) 石道標 高89㎝(うち、台石25㎝),幅32㎝,厚31㎝ 文久2(1863)   文化財の保護43p117
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石正面右)「右、祢りま/江戸、道」、(同中央)「向、赤塚/吹上、道」、(同左)「左、に□□□□□□、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
写真 東新町の庚申塔道標 とうしん 板橋区 (2丁目) 石道標(尖頭角柱) 高63㎝ 文久2(1863)   文化財の保護43p117 移設、集約/墓地内 (右面)「右 □□□道」、(左面)「左 あらい薬師道」/正面に「庚申」と陰刻 3 -
写真 大原町の庚申塔道標 おおはら 板橋区   石道標 高85㎝(うち、台石23㎝),幅29㎝,厚27㎝ 文久3(1864)   文化財の保護43p117
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面)「冨士大山道/新井薬師道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1
写真 蓮沼町の庚申塔道標3 はすぬま 板橋区 南蔵院 石道標(笠付き) 高105㎝,幅41㎝,厚21㎝ 江戸期   文化財の保護43p124 移設(もと、本蓮沼)/像容損耗がひどい/刻字損耗(刻字は資料による) (左面)「□にしふしミち」/正面に青面金剛立像(六手●●、三猿)を陽刻/「ミち」の標記は江戸期 3
写真 赤塚の庚申塔道標3 あかつか 板橋区 区立郷土資料館 石道標(駒型) 高93㎝,幅39㎝,厚24㎝ 江戸期   文化財の保護43p120
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(もと、若木)/屋外展示/中央で折損→修復 (右面上部)「南ハ、祢里ま/大山道」、(左面上部)「東ハ、いた者"し/江戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/「江戸」の標記は江戸期 3
写真 西台の庚申塔道標 にしだい 板橋区 善長寺 石道標(駒型) 高89㎝(うち、台石7㎝),幅30㎝,厚18㎝ 江戸期   文化財の保護43p123
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/中央で斜めに折損→修復 (右面)「西 ねりま道」、(左面)「東 江戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/「江戸」の標記は江戸期/上記の「西台の地蔵道標」と並ぶ 3
写真 前野町の石橋供養塔 まえの 板橋区 志村第2公園 石碑(尖頭角柱、道標兼) 高57㎝,幅21㎝,厚16㎝ 明和7(1770)   文化財の保護43p106
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面)「奉石橋建立庚申待講中二世安樂所」、(右面)「右ハ 者やぞミち」、(左面)「左ハ 祢里まミち」/上記「前野町の庚申塔道標6」と並ぶ 2 -
写真 双葉町の敷石供養塔 ふたば 板橋区 氷川神社 石碑 高53㎝,幅18㎝,厚16㎝ 安政4(1857)   WEB(鎌倉街道上道) 移設(下部埋設)、集約 (正面)「奉、敷/石」/その下に願主名が大きく陰刻 2 -
写真 北小岩の地蔵道標
(小岩田三谷の道標)
きたこいわ 江戸川区 (8丁目)<慈恩寺道> 石道標(笠付き) 高113㎝,幅41㎝,厚21㎝ 正徳3(1713) 区登録有形 区教委/WEB 移設、集約/木祠内/右面は隙間が狭く刻字が読みにくい (右面)「是より右 岩付 慈恩寺道」、(同○下)「岩附迄 七里」(岩附=岩槻)、(左面中央)「これより左 千手道」(千手=千住)、(同右下)「新宿迄 壹里」、(同左下)「千手迄 弐里半」/正面を火灯窓型に削り込み地蔵立像(蓮台)を陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 東小岩の庚申塔道標
(笹ケ崎の道標)
ひがしこいわ 江戸川区 (1丁目)<河原道> 石道標(駒型) 高95㎝ 正徳5(1715) 区登録有形 文化財の保護43p94
/区教委/WEB
移設 面)「これより左 いち川へのみち」、(面)「これより 加王らへのみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)を陽刻、台石正面に“三猿”を陽刻 2
写真 北小岩の庚申塔道標
(小岩田の道標)
きたこいわ 江戸川区 正真寺<坂東道> 石道標(駒型)   享保8(1723) 区登録有形 区教委 移設 (正面左上端)「これゟ左 者"んどうみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
  平井の聖観音像道標
(下平井の道標)
ひらい 江戸川区 諏訪神社<浅草道> 石道標(舟型) 高67㎝,幅32㎝,厚11㎝ 享保19(1734) 区登録有形 区教委/WEB 近接移設 (光背右)「あさくさ道」、(光背左)「是より佐/ぎやうとく道」/中央に聖観音立像(手に蓮の花)を陽刻 2
写真 北小岩の道標1
(御番所町の道標)
きたこいわ 江戸川区 (3丁目)
<佐倉道・元佐倉道〉
石道標 高134㎝,幅30㎝,厚25㎝ 安永4(1775) 区登録有形 区教委/WEB 原位置/右面は壁に近接し刻字が読めない (正面)「右 せんじ由 岩附 志おんじ道/左り 江戸 本所ミ知」、(右面)「左り いちかわミち」、(左面)「右 いち川みち」 1
写真 北小岩の道標2
(伊予田の道標)
きたこいわ 江戸川区 (4丁目)<観世音道> 石道標 高106㎝,幅31㎝,厚21㎝ 安永4(1775) 区登録有形 区教委/WEB 近接移設 (正面)「是より 阿さくさく王んせ於ん道」(=浅草観世音)、(同左最下部)「二リ六丁」、(右面)「右、舟者"し迄 三リ/いち加王道」(=船橋,市川)、(左面)「左、にいしく道/い王徒き ぢ於んじ迄 七リ」(=岩槻) 2
写真 平井の道標 ひらい 江戸川区 庚申堂<浅草道> 石道標 高71㎝,幅23㎝,厚18㎝ 安永8(1779) 区登録有形 区教委 移設/頂部が欠損 (正面)「左 あさ草道」、(左面)「…徳 市川道/…松 新宿道」 3 -
写真 西小松川町の廻国塔道標
(旧・四股の道標)
にしこまつがわ 江戸川区 (1丁目)
<行徳道・千葉街道>
石道標 高78㎝(うち、台石17㎝),18㎝角 文化2(1805) 区登録有形 区教委/鎌倉みちこ 大正2に荒川開削のため移設→個人宅内 (正面最下部右隅)「此向キ」、(同左隅)「両國道」、(右面最下部右隅)「此向キ」、(同左隅)「行徳道」、(左面最下部右隅)「此向キ」、(同左隅)「浅草道」、(裏面最下部右隅)「此向キ」、(同左隅)「市川道」/正面に「遠/州、秋葉山大權現」、右面に「讃/州、金毘羅大權現」、左面に「秩/父、三峯山大權現」、裏面に「大/山、石尊大權現」と大きく陰刻/このような4面表記は珍しい/頂部に突起があるので、上に何か載っていたと思われる 3
写真 中央の庚申塔道標
(東小松川中道の道標)
ちゅうおう 江戸川区 (3丁目)<河原道> 石道標(板碑型) 高107㎝,幅43㎝,厚38㎝ 文化5(1808) 区登録有形 区教委/鎌倉みちこ 原位置(周りにCブロックで覆屋)/下部埋設(刻字は資料より) (台石正面)「是より/かハら道」、(台石左面)「両國マテ 二里/市河マテ 一里」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
  春江町の道標
(一之江の道標)
はるえ 江戸川区 (2丁目)<河原道> 石道標 高60㎝,幅19㎝,厚14㎝ 文化5(1808) 区登録有形 区教委 個人宅内 (正面)「かいら道」、(右面)「是、下 かまた/上 いまゐ、道」、(左面)
「右 東京道」→明治7の再建立時の追刻
4 -
写真 大杉の庚申塔道標
(東小松川田子沼の道標)
おおすぎ 江戸川区 (4丁目)<河原道> 石道標(駒型) 高135㎝,幅38㎝ 文化8(1811) 区登録有形 区教委/WEB 原位置(Cブロック祠内) (正面下部)「かハら道」/正面上部を削り込んで青面金剛座像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 中小岩の庚申塔道標 なかこいわ 江戸川区 十念寺<河原道> 石道標(駒型) 高118㎝(うち、台石26㎝),幅36㎝,厚28㎝ 文化10(1813) 区登録有形 区教委/鎌倉みちこ 移設/簡易屋根付き (左面)「右 両國江 三り/左 市川江 三丁/左 松戸江 一り/右 河原江 一り」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
写真 鹿骨の庚申塔道標 ししぼね 江戸川区 本城寺 石道標(駒型) 高199㎝,幅40㎝,厚35㎝ 文化11(1814) 区登録有形 区教委 移設/墓地入口 (正目下部左端)「西 江戸道」、(右面下部)「南 可わら道」、(左面下部)「北 浅間?道」/正面上部を削り込んで青面金剛立像(日月、六合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 上篠崎の庚申塔道標 かみしのざき 江戸川区 (3丁目)<河原道> 石道標(駒型) 高129㎝,幅36㎝,厚33㎝ 文化13(1816) 区登録有形 区教委/鎌倉みちこ 移設 (正面下部右)「右 加王良道」、(右面下部)「左 江戸道」/正面上部を削り込んで青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼)を陽刻 2
写真 東葛西の道標
(雷不動明王石造道標)
ひがしかさい 江戸川区 真蔵院 石道標(尖頭角柱) 高174㎝,幅42㎝,厚29㎝ 文政元(1818) 区登録有形 区教委/WEB 平成3倒壊→修復・移設 (正面)「雷不動明王」(真蔵院の本尊)、(左面)「従是南 十三丁」/新川の曳船のもやい綱を掛けた跡が残る 2
写真 本一色の廻国塔道標 ほんいっしき 江戸川区 北野神社 石道標(駒型) 高103㎝,幅34.5
㎝,厚24.5㎝
文政2(1819) 区登録有形 区教委/鎌倉みちこ 移設 (正面下部左)「是よ里 一丁/(上小/平井)、道」(緑字は異体字)、(右面)「是与り右/新宿道」、(左面)「是与り右/市川道」/正面上部に「月山/湯殿山/羽黒山」と陰刻 2
写真 篠崎町の庚申塔道標 しのざき 江戸川区 (3丁目)<河原渡場道> 石道標(駒型) 高117㎝,幅33.5
㎝,厚21㎝
文政8(1825) 区登録有形 区教委/鎌倉みちこ 近接移設/台石左面の刻字一宇欠損(刻字は資料より) (台石正面下部)「此方/江戸道」、(台石左面)「此…/か王ら/渡シ場道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、背の高い台石上部に“三猿”の陽刻 2
写真 南篠崎町の庚申塔道標
(上鎌田の道標)
みなみしのざき 江戸川区 (2丁目)<行徳道> 石道標(尖頭角柱) 高150㎝ 文政9(1826) 区登録有形 区教委/WEB 原位置(ブロック塀の窪み)/刻字は資料より (台石左面)「右/ぎ/や/う/と/く/ミ/ち」/正面に「青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/台石正面は枠を残して削り込み“三猿”を向かい合うように配置して陽刻 1
写真 江戸川の題目塔道標 えどがわ 江戸川区 (1丁目) 石道標 高163㎝,幅33㎝,厚23㎝ 文政9(1826) 区登録有形 区教委 原位置近くに再移設/鉄枠の覆屋 (台石正面)「右 行徳/左 市川」、(右面)「是より左 江戸道」/正面に「成田山不動明王」と陰刻 3
写真 一之江の道標
(第六天の道標)
いちのえ 江戸川区 (3丁目) 石道標 高80㎝,幅19㎝,厚18㎝ 文政9(1826) 区登録有形 区教委 移設 (正面)「妙/應、第六天道」、(同下部左端)「是ヨリ左り」 2
写真 北小岩の題目塔道標 きたこいわ 江戸川区 宣要寺 石道標(尖頭角柱) 高136㎝,幅32㎝,厚13㎝ 天保4(1833) 区登録有形 区教委 移設 (左面)「中小岩宣要寺/帝釈 従是 二十町余」/正面に「日蓮大菩薩」と陰刻 2
  松島の供養塔道標
(旧・四股の道標)
まつしま 江戸川区 (1丁目) 石道標(駒型) 高132.5㎝,幅33㎝,厚19㎝ 弘化2(1845) 区登録有形 区教委/WEB 個人宅内 (右面)「向而、右り 両国/左り 市川、道」、(裏面)「向而、右り 行徳/左り 浅草、道」/正面に「月山 秩父/湯殿山 西国/羽黒山 坂東、奉拝禮供養塔」と陰刻 5
写真 篠崎町の句碑道標
(谷河内の道標)
しのざき 江戸川区 (8丁目)<河原道> 石道標(駒型) 高100㎝,幅31㎝,厚20㎝ 安政3(1856) 区登録有形 区教委 移設 (左面)「左 かまた」/正面に「(左指差し)河原迄/九丁 稲の花」の句、右面に「虫なくや にかくれし 傍示杭」の句を陰刻 2
写真 北小岩の道標3
(中小岩の道標)
きたこいわ 江戸川区 (4丁目)<成田道> 石道標 高62㎝,幅21㎝,厚14㎝ 文久2(1863) 区登録有形 区教委 移設 (正面)「左 成田ミち」 2 -
写真 江戸川の庚申塔道標 きたこいわ 江戸川区 (4丁目) 石道標 高72㎝ 江戸期   文化財の保護43p123 移設 (右面)「右 行徳道」、(左面)「左 江戸道」/正面に「青」(緑字は異体字)と陰刻/「江戸」の標記は江戸期 2 -
写真 今井の渡し・跡 いまい 江戸川区 <行徳道>/江戸川 渡し場   戦国期?   区教委/解説板 場所が分かっている程度 『東路のつと』(1509)に、「今井の津」の記載あり/農耕のために黙認されていた渡し 4
  逆井の渡し・跡 さかさい 江戸川区 <佐倉道>/中川 渡し場   江戸期 区登録史跡 区教委/解説板   江戸と房総を結ぶ重要な渡し/安藤広重の「名所江戸百景」にも描かれる 4
  平井の渡し・跡 ひらい 江戸川区 <浅草道>/中川 渡し場   江戸期 区登録史跡 区教委/解説板   浅草と行徳を結ぶ渡し/「江戸名所図会」に収録 5
写真 旧・小岩の渡しの常夜灯
(常燈明)
こいわ 江戸川区 宝林寺<佐倉道/小岩市川> 石常夜灯
(河川舟運)
高3.82m 天保10(1839) 区登録有形 区教委 昭和9河川改修に伴い移設/火袋・中台・猫脚(?)は後補/台石の下部3段は移設時の追加の可能性あり 小岩市川の渡し場の常夜灯/猫脚 2
写真 中原街道(相州街道) なかはら 大田区 桜坂<江戸~平塚中原> 道路 高2.04m 江戸以前 区史跡 現地解説板 中原街道の旧道の雰囲気を残す唯一の区間 家康の江戸入国の際に部分改修→江戸初期には参勤交代路→東海道の整備により脇往還に 3
写真 南馬込の富士講燈籠 みなみまごめ 大田区 (2丁目) 石常夜灯(道標兼) 高2.04m 文政7(1824) 区有形民俗 史誌12p86/文化財総覧p142/馬込と大田区の歴史を保存する会 原位置 (竿正面)「冨士仙元大菩薩」、(竿右面)「金毘羅大權現」、(竿左面)「石尊大權現」、(竿裏面)「秋葉山大權現」、(台石上段右面右端)「北/品川道」、(同左端)「南/池上道」/上段台石正面に富士をかたどった講紋(常夜灯を兼ねて建立) 1
  大森西の東海道常夜灯 とうかいどう 大田区 大森三輪公園<東海道> 石常夜灯   江戸後期 区有形民俗 WEB 関東大震災で倒壊→昭和61復元(火袋・竿を更新) 台石正面の富士をかたどった講紋が立派/常夜灯を兼ねて建立/猫脚 3
写真 西六郷の道標
(古川薬師道道標)
にしろくごう 大田区 安養寺
<東海道・多摩川道>
石道標(尖頭角柱) 高188㎝,幅36㎝,厚28㎝ 延宝2(1674) 区有形 WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p81
移設 (正面)「(梵字)古川 薬師如來江之道」、(右面)「是より ふる川屋くし江のみち」、(左面)「これよ里 ふ類かわやくしへ乃ミち」/17世紀の道標 2
  本羽田の道標 ほんはねだ 大田区 秀明寺 石道標(尖頭角柱) 高120㎝,幅38.5
㎝,厚25.5㎝
元禄2(1689)   史誌12p81 移設/文久元(1861)の刻字→再建か追刻か資料では不明(一応、追刻として扱う) (正面)「正徳太子道」、(右面)「是ヨリ 太子道 五丁」、(裏面)「正徳太子道」/17世紀の道標 2
写真 池上の題目塔道標1 いけがみ 大田区 (4丁目)浅野屋店舗・角
<池上道>
石道標(尖頭角柱) 高110㎝,幅31㎝,厚26㎝ 元禄9(1696)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p81
原位置/「古川道」「新田道」は追刻 (右面)「是与りひ多り か王さきみち」、(同右端)「古川道」、(左面)「是与りみき、 こすきみち」、(同左端)「新田道」/正面に「南無妙法蓮華経」の陰刻/17世紀の道標 1
写真 池上の題目塔道標2
(祖師御墓所への道標)
いけがみ 大田区 池上本門寺・墓所 石道標(尖頭角柱) 高186㎝(うち、台石10㎝),幅38㎝,厚25㎝ 元禄10(1697)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会) 原位置? (右面)「祖師日蓮大菩薩御は加志よ江能みち奈里」(=御墓所への道なり)/正面中央に「南無妙法蓮華経」の陰刻/17世紀の道標 1
写真 池上の題目塔道標3
(祖師御硯水道への道標1)
いけがみ 大田区 大坊坂 石道標 高117㎝,幅30.5
㎝,厚21㎝
元禄10(1697)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p81・82
移設 (正面右)「右 祖師御廟處」、(同左)「左 祖師御硯水」/正面中央に「南無妙法蓮華経」の陰刻/17世紀の道標 2
写真 仲池上の題目塔道標
(大尽坂の道標)
なかいけがみ 大田区 (2丁目)<目黒道> 石道標(蒲鉾型) 高88㎝,幅30㎝,厚20㎝ 享保3(1718)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p82
/民間信仰p94
耕地整理で移設(祠内)? (右面)「池上 めくろ江道」、(左面)「せんそく ほりの内江道」/正面に
「南無妙法蓮華經 庚申」の陰刻
2
写真 東雪谷の庚申塔道標1 ひがしゆきがや 大田区   石道標(駒型) 高100㎝,幅45㎝ 享保7(1722)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p82
木祠内 (正面右端)「右 瀬田ヶ谷道」、(同左端)「左 久品仏道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、二鶏、三猿)を陽刻 1
  大森中の題目塔道標
(池上道道標)
おおもりなか 大田区 大林寺<東海道・池上道> 石道標(尖頭角柱) 高161.5㎝(うち、台石16㎝),幅37
㎝,厚25.5㎝
享保14(1729) 区有形 WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p83
移設 (正面最下部)「池上道」、(右面)「是より いけかみみち」、(左面)「是より いけかみ道」、(左面右隅に小さく)「みちのり拾五丁」、(同左隅に小さく)
「品川江 いきぬけ」/正面上部に「南無妙法蓮華経」の陰刻
2
写真 西嶺町の道標 にしね 大田区 観蔵院 石道標 高110㎝(うち、台石2段41㎝),幅21.5㎝,厚16.5㎝ 明和3(1766)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p83
/WEB(鎌倉街道上道)
台石とC接合 (正面)「峯之藥師道」、(正面左隅)「左 新田ミち」 2
写真 東雪谷の庚申塔道標2 ひがしゆきがや 大田区 雪ヶ谷八幡神社 石道標(駒型) 高77㎝(うち、台石23.5㎝),幅25㎝,厚16㎝ 明和7(1770)   史誌12p84
/民間信仰p95
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内 (右面)「是より右 につ多みち」、(左面左)「是より左 池上道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 池上の道標1
(祖師御硯水道への道標2)
いけがみ 大田区 本門寺 石道標(尖頭角柱) 高118㎝,幅34.5
㎝角
天明元(1781)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p84
移設 (正面)「祖師御硯水道」、(同右端)「そしおんすゝりみつミち」、(右面)「祖師御廟所道」 2
写真 南千束の供養塔道標 みなみせんぞく 大田区 (3丁目) 石道標 高111㎝(うち、台石24㎝),幅30㎝,厚22.5㎝ 天明2(1782)   史誌12p85
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面)「右 いけかみミち/左 めくろみち」、(左面)「く保んふ川みち/志な加王ミち」(=九品仏,品川)/正面頂部に「月山/湯殿山/羽黒山」、その下に「奉納、秩父/西國/坂東、百番供養爲二世安樂之也」と陰刻 2
写真 田園調布の庚申塔道標1 でんえんちょうふ 大田区 東稲荷 石道標(隅丸型) 高74.5㎝(塔身のみ),幅30㎝ 文化10(1813)   史誌12p85
/民間信仰p105
移設/C覆屋内 (台石正面)「九本んふつみち」、(台石右面)「丸子王みち」(=脇)、(台石左面)「につ多/いけ可ミ、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 南千束の庚申塔道標 みなみせんぞく 大田区 (2丁目)<中原街道> 石道標 高129㎝(うち、台石19㎝),幅34㎝,厚33㎝ 文化11(1814) 区有形民俗 WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p85・86
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設/大型の台石は後補の可能性 (右面)「従是九品佛道」/正面に「庚申塚」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/九品仏=浄真寺(世田谷区)への道しるべ 2
写真 矢口の道標
(新田神社の道標)
やぐち 大田区 新田神社 石道標(尖頭角柱)   文化14(1817)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会) 移設 (正面)「従是右 新田大明神道」 2
写真 東雪谷の道標 ひがしゆきがや 大田区 長慶寺墓地 石道標 高91㎝ 文政2(1819)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会) 移設、集約(密集)
→放置(ほぼ廃棄に近い)
(正面下部)「東 いけかみ道」、(右面)「北 ほりの内ミち」/正面上部に「南無妙法蓮華経」の陰刻 5
写真 山王の庚申塔道標 さんのう 大田区 日枝神社 石道標 高67㎝,幅24㎝,厚22㎝ 文政2(1819)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p86
/民間信仰p86
移設 (右面)「右、なかのふ/めくろ、道」、(左面)「左 まこめ道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2 -
  東雪谷の題目塔道標 ひがしゆきがや 大田区 長慶寺 石道標(尖頭角柱) 高91㎝,幅31㎝,厚18㎝ 文政12(1829)   史誌12p87 移設 (正面最下部)「東/いけかみ道」、(右面)「北 ほりの内ミち」 2
  北馬込の道標 きたまごめ 大田区 (2丁目)<田無街道> 石道標 高70㎝ 天保2(1831)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会) 原位置? (正面)「南 いけかみミち」、(右面)「東 品川道」、(左面)「西、せんそく/おくさハ、みち」、(裏面)「北 めくろみち」/五差路に立つ4面道標 1
  池上の道標2 いけがみ 大田区 本門寺 石道標 高56㎝,31㎝角 天保3(1832)   史誌12p87 移設 (正面)「南 池上道」、(右面)「右 ほりの内みち」、(左面)「九ほんふつミち」 2 -
写真 南千束の馬頭観音像道標 みなみせんぞく 大田区 妙福寺<中原街道> 石道標(舟型) 高135㎝,幅37㎝,厚30㎝ 天保11(1840) 区有形民俗 現地解説版/WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会) 移設 (台石正面)「北、堀之内/碑文谷、道」、(同右面)「西 丸子 稲毛」、(同左面)「東 江戸 中延」、(同裏面)「南、池上/大、道」/台石上に蓮台を置き、その上に光背付きの馬頭観音坐像(三面六臂〔馬頭冠、馬口印〕)の陽刻を載せる/緑字は異体字 2
写真 北馬込の庚申塔道標 きたまごめ 大田区 宗福寺 石道標(尖頭角柱) 高108㎝,幅32㎝,厚19.5㎝ 天保11(1840)   史誌12p87/民間信仰p92/馬込と大田区の歴史を保存する会 移設 (正面最下部)「南」、(同右)「池上江 十八町」、(同左)「新田江 一里」、
(右面)「右 品川江 三十丁」、(左面)「めぐろへ 廿八丁/さる丁へ 壱り」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人)を陽刻
2
写真 千鳥の道標
(光明寺道標)
ちどり 大田区 (3丁目)<池上道> 石道標 高143㎝(うち、台石38㎝),幅39㎝,厚25.5㎝ 嘉永4(1851)   WEB(馬込と大田区の歴史を保存する会)
/史誌12p88
/文化財総覧p147
頂部欠損→欠損部分は光明寺が保管 (正面)「〔善導〕大師靈塲」、(同右隅)「是与り右へ三町」、(同左隅)「うの木 光明寺」、(右面右)「右、目黒 さる町/丸子王多し ふちう、道」、(同左)「左、池上 大毛里/品川 者年た、道」、(左面右)「右、新田 古川薬師/六江 河崎大師、道」、(同左)「左、平間王たし/神奈川在、道」/
「文化財総覧p147」「史誌12p88」では鵜の木1丁目とあるが、何れも古い資料のため、刻字情報は資料を、現在地情報はWEBを用いた
3
  田園調布の庚申塔道標2 でんえんちょうふ 大田区 稲荷社 石道標(駒型) 高68㎝ 江戸期?   民間信仰p106 移設 (右面)「向、右 …/うしろ □□かみ」、(左面)「右ハ 九ほんふつ/うしろ みたけさん」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻/駒型で青面金剛像があれば江戸中-後期 2
  南馬込の石橋供養塔 みなみまごめ 大田区 圓乗院・門前 石碑 高67㎝,幅27㎝,厚22㎝ 享保6(1721)   民間信仰p88 移設? (裏面)「石橋寄進」/正面上部に地蔵坐像を陽刻、その右端に「庚申供養并他力建立石橋一ヶ所成」と陰刻 2 -
写真 石川町の石橋供養塔 いしかわ 大田区 <中原街道/呑川> 石碑(隅丸型)

高165㎝(うち、台石13㎝),幅39㎝,厚27㎝

安永3(1774) 区有形 WEB/文化財総覧p152
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/中央で水平に折損→修復 (正面下部)「石橋供養塔」/正面上部に「南無妙法蓮華経」の陰刻/石橋の無事と通行人の安全という交通安全だけを目的として建立 2
写真 東雪谷の石坂供養塔 ひがしゆきがや 大田区 雪ヶ谷八幡神社 石碑(尖頭角柱)

高65㎝,幅24㎝,厚21.5㎝

天明3(1783)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「八幡宮石坂供養之碑」 2 -
写真 丸子の渡し・跡 まるこ 大田区 沼部~上丸子
<中原街道>/多摩川
渡し場   鎌倉期? 区史跡 現地解説板/文化財総覧p110 昭和9に丸子橋が完成するまで使われた/整備されているが、あくまで史跡的な価値のみ 鶴岡八幡宮の社領としての丸子庄の発展に関連した渡し場と推定されている/『廻國雑記』(1486-87)に「東路のまりこの里に行かかりあしもやすめずいそぐ暮れかな」と詠まれている /江戸初期には参勤交代のルートとなった 4
  矢口の渡し・跡 やぐち 大田区 多摩川 渡し場   江戸中期 区史跡 WEB 昭和24まで使用 延文3(1358)の故事に登場するが、流路の変更で場所を変え、現在の場所になったのは江戸中期 5
写真 六郷用水(次大夫堀) ろくごう
(じだゆう)
大田区・世田谷区 多摩川 用水路 長23㎞ 慶長14(1609)
→享保10(1725)改修
  現地解説板/WEB 1970年代までに暗渠化→中原街道~東急・多摩川駅~鵜の木駅の区間に湧水を使って用水路を再現(女堀のみち
写真〕→北堀・南堀のみち)
世田谷領と六郷領への農業用水/稲毛・川崎領の代官・小泉次太夫が開削/開通後100年で荒廃した際は、代官・田中丘隅が改修 3
  旧・石川村郷倉 いしかわ 大田区 <石川村(幕府直轄地)> 郷倉
(木造切妻鉄板葺)
  江戸期 区有形 WEB 近接移設→個人宅内/元は草葺き 幕府の直轄地であった石川村の名主宅に置かれていた郷倉/毎年収穫時に詰替えが行われた(米100俵を格納) 3
写真 御硯井戸 おすずり 大田区 本行寺 石井戸 90cm角 鎌倉時代?   文化財総覧p126/馬込と大田区の歴史を保存する会 屋根付き/井戸枠は江戸以降のもの 池上右衛門宗仲の邸内にあった井戸→日蓮が池上在住中に使用されたとの伝承がある 3
写真 磐井の井戸 いわい 大田区 (大森北2丁目) 石井戸   江戸期 区史跡 名所図会であるく江戸p112/馬込と大田区の歴史を保存する会 磐井神社境内→神社前歩道上/井戸上にC製の蓋 東海道の旅人に利用/井戸の水が「心正しければ清水、心邪ならば塩水」になるという伝説 3
写真 清水窪湧水 しみずくぼ 大田区 (北千束1丁目) 湧水 長20mの池 江戸期 or それ以前 区天然 馬込と大田区の歴史を保存する会 4・5ヶ所→1ヶ所から染み出る程度(ポンプで汲み上げて循環) 洗足池の源流→灌漑に利用/池の小島に弁財天が祀られている 2
写真 高砂の庚申塔道標
(高砂の三猿道標)
たかさご 葛飾区 (6丁目)<佐倉道> 石道標 高95.5㎝,幅34㎝,厚23㎝ 元禄6(1693) 区登録有形 現地解説板/
区宝篋印塔・道標調査報告p87-88
移設、集約/風化が進み、刻字・三猿とも摩耗 (正面)「これより右/下川原村/さくら海道」、(右面)「これゟ左 下乃割へ能道」/正面と両側面頂部に三猿の小さな浮彫(摩耗して見猿、言わ猿、聞か猿の判別不能)/下記「高砂の地蔵道標」と同所/17世紀の道標 2
写真 東金町の地蔵道標1 ひがしかな 葛飾区 光増寺<岩槻慈恩寺道> 石道標(舟型)

高158㎝(うち、台石28㎝),幅50㎝,厚33㎝

元禄7(1694) 区登録有形 区宝篋印塔・道標調査報告p94-95
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(30m)/地衣類のため刻字判読不能 (光背右端下)「そう可迄 三里半」、(光背左端下)「これよりミぎ いわつき ぢおんじミち」/光背中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)を陽刻/17世紀の道標 3
写真 水元の庚申塔道標 みずもと 葛飾区 遍照院 石道標(駒型) 高71㎝(うち、台石14㎝),幅26㎝,厚15㎝ 宝永元(1704)   文化財の保護43p89
/鎌倉みちこ
移設 (右面左)「従是左 坂本道」、(左面右)「是より左 □□」/正面中央上部に「奉(?)造立青面金剛」と陰刻 2
写真 高砂の地蔵道標 たかさご 葛飾区 (6丁目) 石道標(舟型) 高94㎝,幅44㎝,厚20㎝ 正徳2(1712)   文化財の保護43p92/
区宝篋印塔・道標調査報告p88
近接移設 (光背左上端)「左 や王たみち」/光背全面に地蔵立像を陽刻/上記「高砂の庚申塔道標」と同所 1
写真 柴又の庚申塔道標 しばまた 葛飾区 医王寺 石道標(駒型) 高145㎝(うち、台石28㎝),
幅53㎝,厚22㎝
享保2(1717)   区宝篋印塔・道標調査報告p89/文化財の保護43p95/鎌倉みちこ 移設(300m)(もと、柴又堤) (正面最下部)「ぢおんし迠/是ゟ七里」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)を陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 東金町の道標1 ひがしかな  葛飾区 半田稲荷神社・入口 石道標(尖頭角柱) 高213㎝(うち、台石26㎝),幅32㎝,厚27㎝ 元文5(1740)   区宝篋印塔・道標調査報告p93
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面)「正一位 半田稲荷大明神」、(台石正面)「是与り/左り」 1
写真 東金町の地蔵道標2  ひがしかな  葛飾区 光増寺 石道標(舟型) 高142㎝(うち、台石19㎝),幅52㎝,厚36㎝ 元文6(1741)   区宝篋印塔・道標調査報告p95
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(30m) (光背左)「これより左 い王つき 志"おんじ道」/光背中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)を陽刻 2
写真 東金町の聖観音像道標  ひがしかな  葛飾区 葛西神社<岩槻街道> 石道標(舟型) 高91㎝,幅33㎝,厚19㎝ 寛保元(1741)   区宝篋印塔・道標調査報告p94/鎌倉みちこ 移設/下部かなり埋設〔資料では「是よりみぎ い者津き/慈恩寺道 二里半」とある〕 (正面最下部)「是よ…/慈…」/正面に聖観音立像を陽刻 3
写真 西新小岩の道標  にししんこいわ  葛飾区 東光寺 石道標 高83㎝,25㎝角 延享4(1747)   区宝篋印塔・道標調査報告p82 移設、集約 (右面)「東 者ん田道/南 江戸道」/道標でありながら、正面中央には「講中十二人」と陰刻され、名前がずらりと陰刻されている 3
写真 東四つ木の道標1  ひがしよつぎ 葛飾区 (1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高140㎝(うち、台石22㎝),
幅42㎝,厚25㎝
宝暦4(1754)   区宝篋印塔・道標調査報告p84-85 近接移設(17m) (正面)「やくしみち」、(同右上に小さく)「き祢川 みぎ」/右面に「奉供養諸願成就」、左面に「月山/湯殿山/羽黒山、攝待堂講中」と陰刻 1
写真 立石の供養塔道標 たていし 葛飾区 (4丁目) 石道標(尖頭角柱) 高137㎝(うち、台石27㎝),36㎝角 宝暦5(1755) 立石諏訪自治会史跡 区宝篋印塔・道標調査報告p83
/区教委
近接移設(13m) (左面右)「右 江戸みち」、(同左)「左、おくとミち/ま加里加祢道」、
(同下部中央)「渡し者道」/正面に「羽黒山大權現/湯殿山大權現/月山大權現、奉供養大日講中」と陰刻/台石に「慶応四年三月石坂鋪石再建」の追刻
1
写真 東水元の聖観音像道標  ひがしみずもと 葛飾区 蓮蔵院 石道標(蒲鉾型) 高130㎝,幅40㎝,厚26㎝ 宝暦6(1756)   区宝篋印塔・道標調査報告p96
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(100m)/下部埋設 (正面像下)「右 い王つき ぢおん寺道」、(同右上)「是より」、(同左最下端)「草加…」 2
写真 西水元の庚申塔道標 にしみずもと 葛飾区 安福寺 石道標(駒型) 高104㎝(うち、台石39㎝),幅27㎝,厚18㎝ 明和3(1766)   区宝篋印塔・道標調査報告p95
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/台石の裏面が正面を向いているし、塔身も墓地内通路と逆を向いている (左面左)「右 猿ヶ又道」、(台石右面)「此/方、二江半 流山道」、(台石左面)「此/方、新宿 千住道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 3
  奥戸の不動明王像道標  おくど  葛飾区 (3丁目) 石道標(舟型) 高約60㎝ 明和5(1768)   区宝篋印塔・道標調査報告p83 移設(もと、下篠崎村)→個人宅 (左面)「従是右/江戸道」/光背中央に不動明王立像を陽刻 4
写真 鎌倉の庚申塔道標 かまくら 葛飾区 (3丁目) 石道標(笠付き) 高126㎝(うち、台石26㎝),幅34㎝,厚24㎝ 安永6(1777)   文化財の保護43p108/
区宝篋印塔道標調査報告p82-83/鎌倉みちこ
移設/簡易覆屋内 (右面)「右 江戸みち 奥戸渡し迄 半道/橋向左リ 矢切渡しみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻/笠は春日屋根を模している 2
写真 柴又の供養塔道標1  しばまた  葛飾区   石道標(尖頭角柱) 高138㎝(うち、台石30㎝),30㎝角 天明3(1783)   区宝篋印塔・道標調査報告p90-91
/鎌倉みちこ
移設 (右面)「金町江 拾五町/松戸江 壹里/下矢切渡場江 壹丁半」、(左面)「市川渡シ塲江 三拾丁/舩橋江 三里」、(裏面下部)「新宿へ 十八丁/江戸道/松登渡し場へ 十八丁」、(台石正面)「いわつき/ぢおんじへ 八里/いわぶちへ 七里」/正面に「(梵字3)奉納西國百番供羪塔」と陰刻 2
写真 水元の聖観音像道標  みずもと  葛飾区 遍照院 石道標(駒型) 高84㎝,幅30㎝,厚18㎝ 天明4(1783)   区宝篋印塔・道標調査報告p98/鎌倉みちこ 移設・集約 (正面像下・右)「右 二がう者んみち」/正面上半分に聖観音立像(蓮台)を陽刻 3
  高砂の廻国塔道標  たかさご 葛飾区 天祖神社 石道標 高137㎝(うち、台石32㎝),34㎝角 享和2(1802)   区宝篋印塔・道標調査報告p86-87 移設 (右面)「東、松戸道/市川道、一里」、(左面)「西 浅草 二里」/正面に「(梵字)月山/湯殿山/羽黒山、大權現」と陰刻 2
写真 柴又の供養塔道標2  しばまた  葛飾区 柴又堤上 石道標(尖頭角柱) 高120㎝(うち、台石20㎝),幅34㎝,厚28㎝ 文化6(1809)   区宝篋印塔・道標調査報告p89-90
/鎌倉みちこ
移設 (右面下部)「右 江戸/左 市川、道」、(左面上部)「右 市川/左 松戸、道」、(台石正面)「北 志おんじ、東 千葉寺、道」、(台石裏面)「右 下矢切/左 上矢切、渡場へ」/正面に「(梵字)百番供養塔」と陰刻 2
写真 東新小岩の庚申塔道標 ひがししんこいわ 葛飾区 (6丁目) 石道標(笠付き) 高122㎝(うち、台石19㎝),幅30㎝,厚26㎝ 文化9(1812)   文化財の保護43p112/
区宝篋印塔・道標調査報告p81/鎌倉みちこ
移設 (台石正面右端)「東」、(同左)「市川道」、(台石右面右端)「北」、(同左)「新宿道」、(台石左面右端)「南」、(同左)「平井道」、(台石裏面右端)「西」、(同左)「上平井道」/正面を枠だけ残して削り込み青面金剛立像(六手合掌?、邪鬼、三猿)を陽刻、正面枠頂部に“日月”の陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 立石の道標 たていし 葛飾区 (8丁目)<薬師道> 石道標 高115㎝(うち、台石28㎝),
幅33㎝,厚22㎝
文政3(1820)   区宝篋印塔・道標調査報告p84 原位置/基部C埋設(指差しが半分以上見えない) (正面)「帝釋天王(左指差し)」(=柴又帝釈天への道を示す)/指差しはへんろ道標等と違い線刻 2
写真 東四つ木の道標2~4 ひがしよつぎ 葛飾区 白髭神社 石道標 高88㎝/77㎝/63㎝ 文政5(1822)   区宝篋印塔・道標調査報告p85/鎌倉みちこ 各所にあったものを昭和41に一括移設/基部埋設 (正面)「左 客人大權現道」/写真は、背の高い順に1・2・3 3
写真 東四つ木の道標5~7  ひがしよつぎ 葛飾区 白髭神社 石道標 高86㎝/81㎝/77㎝ 文政5(1822)   区宝篋印塔・道標調査報告p85/鎌倉みちこ 各所にあったものを昭和41に一括移設/基部埋設 (正面)「右 客人大權現道」/写真は、背の高い順に4・5・6 3
  高砂の道標1  たかさご  葛飾区 (2丁目) 石道標 高90㎝,幅23㎝,厚18㎝ 文政5(1822)   区宝篋印塔・道標調査報告p86 移設(約300m)→個人宅 (正面)「(右指差し)帝釋天王)」(=柴又帝釈天への道を示す) 4
  新宿の道標  にいじゅく  葛飾区 教育センター 石道標(尖頭角柱) 高96㎝,幅21㎝,厚18㎝ 文政6(1823)   区宝篋印塔・道標調査報告p92-93 移設/中央で折損→修復 (正面)「古連与り/すわ大明神」、(右面)「奈可れやまミち」 3
写真 東金町の道標2  ひがしかな  葛飾区 半田稲荷神社・入口 石道標(尖頭角柱) 高100(基部を除く塔身77㎝),幅30
㎝,厚20㎝
文政8(1825)   区宝篋印塔・道標調査報告p93-94
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/基部露出  (正面)「半田稲荷道」、(正面右上)「右」/下記の「東金町の道標3」と並ぶ 2
写真 東金町の道標3  ひがしかな  葛飾区 半田稲荷神社・入口 石道標(尖頭角柱) 高93㎝(基部を除く塔身80㎝),幅30
㎝,厚21.5㎝
文政8(1825)   区宝篋印塔・道標調査報告p93-94
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/基部露出 (正面)「半田稲荷道」、(正面左上)「ひ多り」/上記の「東金町の道標2」と並ぶ 2
  高砂の道標2  たかさご  葛飾区 (2丁目) 石道標(蒲鉾型) 高130㎝,幅32㎝,厚23㎝ 文政12(1829)   区宝篋印塔・道標調査報告p86 近接移設(約10m)→個人宅  (正面)「(右 成田道)」 4
写真 東水元の供養塔道標  ひがしみずもと 葛飾区 光増寺 石道標(墓石型) 高127㎝(うち、台石2段53㎝),幅30㎝,厚27㎝ 嘉永3(1850)   区宝篋印塔・道標調査報告p96-97
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(100m)、集約 (右面右上端)「此方 志"おんじ道」/正面に「(梵字3)秩父/西國/坂東、百番供羪塔」と陰刻 3
写真 東四つ木の道標8  ひがしよつぎ 葛飾区 浄光寺 石道標 高100㎝,幅25㎝,厚20㎝ 江戸期    区宝篋印塔・道標調査報告p84 移設  (正面)「左 やくしみち」、(右面)「此方 龜井戸道」、(左面)「是より右 江戸道」/「江戸」の標記は江戸期 2
  白鳥の石橋供養塔 しらとり 葛飾区 区郷土と天文の博物館
<水戸街道・佐倉街道>
石碑(道標兼) 高83㎝,幅33㎝,厚30㎝ 安永6(1777) 区登録有形 区宝篋印塔・道標調査報告p92/区教委/WEB 移設/上部にあった不動明王像は消失/一部破損、下部埋没 (正面)「石橋供養塔」、(左面)「安永二年巳ノ十月廿三日ゟ酉ノ十一月十三日まで/石橋廿七ケ所建立仕候爲供養尊像辻石立置申候」、(右面)「右 奈りだ ち者寺道/左 水戸街道」、(裏面)「成/田/山、さくらミち」、(左面)「石橋供養塔」/安永2(1773)から5年を費やし27ヶ所の石橋を架け、その供養のために造られた 3
写真 青戸の石坂供養塔  あおと 葛飾区 稲荷神社 石碑(自然石) 高91㎝,幅72㎝,厚3㎝ 江戸期   区宝篋印塔・道標調査報告p88  移設  (正面)「石坂寄進/帝釋天王通」/寄進者の名前すべてに姓なし→江戸期 2
写真 小合溜井 こあい 葛飾区 水元公園 溜井
(遊水池、溜池)
  享保14(1729)
→安永6(1777)囲堤
  WEB 公園化 幕命により、灌漑用水を調整する遊水池として、幕臣・井沢為永により開削 2
写真 堀切の郷倉 ほりきり、
ごうぐら
葛飾区 堀切小学校 郷倉
(木造寄棟萱葺)
  天明期(1781-1788)以降 区有形 現地解説板/WEB 多少の修理は行われているが、創建当初の姿をよく残す 郷村に設置された共同の倉庫/年貢の一時的保管のために設けられ、次第に非常用の食料を保管 2
写真 半田稲荷神社神泉遺跡 はんだ 葛飾区 半田稲荷神社 石井戸(円筒型)   江戸中期? 区有形 現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
井戸としての機能はないが、原位置で丁寧に保存 願人坊主が神仏に祈願する際、水を浴びて体の穢れを去る「水垢離」を行った場所/円筒型にくり抜いた井戸枠/井戸を囲む石柵には、市川団十郎や尾上菊五郎ら歌舞伎役者の名前も 2
写真 西ヶ原一里塚 にしがはら 北区 <日光御成道> 一里塚(2基)   江戸期 国史跡 区教委/WEB 塚木を昭和60(1985)に榎に植替え/塚を保存するために新道を迂回/都市部の割によく保存 大正初期の一里塚と榎撤去に対する反対運動が功を奏し、これを記念する碑が一里塚上に建つ 3
写真 岸町の常夜灯道標 きしまち 北区 王子稲荷 石常夜灯<中山道> 高2.8m 寛政3(1791)   区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (竿正面)「王/子、稲荷大明神」、(竿右面)「これより/王子みち」、(竿左面)「古礼与り/王子ミち」/竿は角柱/中台4面に浮彫り 2
写真 滝野川の道標1
たきのがわ 北区 金剛寺 石道標
(自然石、玄武岩)
高102㎝,幅47㎝,厚26㎝ 延宝8(1680)   区・文化財研究紀要別冊10p119
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/石の外縁部がかなり欠損/風化がひどく刻字の判読困難 (正面中央)「右/岩屋辨財天道」/正面右側に「…待庚申羪禅門」と陰刻/現在は「延宝…」としか判読できないが、資料によれば「延宝八庚申天」とある/17世紀の道標 3
写真 滝野川の庚申塔道標1
(岩屋弁財天道道標)
たきのがわ 北区 金剛寺門前 石道標
(駒型、安山岩)
高88㎝,幅50㎝,厚26㎝ 貞享元(1684)   区・文化財研究紀要別冊10p120
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(もと、豊島区西巣鴨)/風化がひどく刻字の判読困難 (正面中央)「…岩屋辨財天道」/正面右側に「奉□□庚申供養二世安樂…」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/17世紀の道標 3
写真 赤羽台の地蔵道標 あかばねだい 北区 宝幢院第一墓地 石道標
(舟型、玄武岩)
高133㎝(うち、台石14㎝),幅52㎝,厚33㎝ 正徳2(1712)   区・文化財研究紀要別冊10p33
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (光背右)「西ハ さいごく ふじ道」、(同右下)「東 岩付道」、(光背左)「南 江戸海道」/光背中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)を半立体的に浮彫→非常にきれいな像容 3
写真 滝野川の聖観音道標 たきのがわ 北区 (1丁目) 石道標(舟型) 高102㎝,幅51㎝,厚23㎝ 享保4(1719)   区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (光背最下部右端)「右 王子道」、(同左)「左、せんりうのたき/い王や遍んてん」/光背中央に聖観音立像の陽刻  1
写真 西ケ原の道標 にしがはら 北区 無量寺・前 石道標(尖頭角柱) 高150㎝(うち、台石30㎝),幅22㎝,厚19.5㎝ 享保11(1726)   区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面右)「六阿弥陀 春ゑ木のく王んをん江」、(同左)「是より右江 一甼 補陀山昌林寺」 2
写真 赤羽台の庚申塔道標1 あかばねだい 北区 諏訪神社参道 石道標
(駒型?、安山岩)
高100.5㎝(うち、塔身73.5㎝),幅32㎝,厚21.5㎝ 享保19(1734)   区・文化財研究紀要別冊10p15 移設/頂部欠損(日輪なし) (右面右下)「右 練馬道」、(左面左下)「左 板橋道」/正面に青面金剛立像(月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻/下記の「赤羽台の庚申塔道標1」と1つ置いて並ぶ 3
  中十条の庚申塔道標1 なかじゅうじょう 北区 (2丁目) 石道標(駒型) 高100㎝(うち、塔身78㎝),幅38㎝,厚26㎝ 元文2(1737)   区・文化財研究紀要別冊10p97 個人宅地内 (正面右下隅)「左 豊嶋道」、(同左下隅)「右 王子道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、三猿)を陽刻 4
写真 滝野川の庚申塔道標2 たきのがわ 北区 (1丁目) 石道標
(駒型、玄武岩)
高102㎝,
幅47.5㎝,厚34㎝
元文5(1740)   区・文化財研究紀要別冊10p129
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/右枠の刻字風化で判読困難 (正面右枠)「□□□右 王子道」、(同左枠)「是より左 弁天道」/正面を枠だけ残して全体に削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 赤羽の道標 あかばね 北区 宝幢院<日光御成道> 石道標(尖頭角柱) 高82㎝,幅26㎝,厚16㎝ 元文5(1741)   江戸東京歴史散歩2p64
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/石材が劣化 (正面)「南 江戸道」、(右面)「東 川口 善光寺道/日光岩付道」、(左面)「西 西國冨士道/板橋道」/元文5年12月の建立なので、西暦は1741年 2
写真 西ケ原の八角柱道標 にしがはら 北区 飛鳥中学校 石道標(八角柱) 高75㎝,径27㎝ 宝暦11(1761)   区教委 移設(台石紛失) (面7=正目から右回りに数えて)「い堂はし通り」/正面(面1)に「奉祭田彦太神」と陰刻/八角柱は珍しい/緑字は異体字 3
写真 田端の聖観音像道標 たばた 北区 与楽寺・前 石道標(駒型) 高126㎝(うち、台石16㎝),幅36㎝,厚23㎝ 明和4(1767)   区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面像下右)「右ハ 江戸 駒込道」、(同像下左)「左ハ 王子 道灌山道」、(左面右)「右ハ 六阿弥陀三番目道」、(同左)「左ハ 六阿弥陀四番目道」、(同左端)「…くらし道」/正面上部に聖観音立像(蓮台)の浮彫り、その下に「秩父/西國/坂東、順禮供養佛」と陰刻/下記「田端の敷石供養塔」と並ぶ 2
写真 赤羽西の庚申塔道標 あかばねにし 北区 (2丁目) 石道標
(駒型、安山岩)
高139㎝(うち、塔身104㎝),幅37㎝,厚25㎝ 明和6(1769)   区・文化財研究紀要別冊10p46 近接移設? (右面)「これより いた者"し/ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 堀船の地蔵道標 ほりふね 北区 福性寺参道・前 石道標(舟型) 高122㎝(うち、台石20㎝),幅43㎝,厚32㎝ 明和7(1770)   区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/雑然とした環境 (光背)「六あミ多 左一番目道」(=阿弥陀)/光背中央に地蔵立像(錫杖)の陽刻 3
写真 赤羽北の庚申塔道標1 あかばねきた 北区 諏訪神社 石道標
(駒型、安山岩)
高75㎝(塔身),
幅37㎝,厚18㎝
安永7(1778)   区・文化財研究紀要別冊10p17 移設、集約/下部埋設、月輪ほぼ欠損 (左面右)「是より 東 川口わたし場 十八丁」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/下記の「赤羽北の庚申塔道標2」と並ぶ 3
  王子の道標
(元・赤羽西の道標)
おうじ 北区 飛鳥山博物館 石道標 高93㎝ 安永8(1779)   区教委
/WEB(街角の庚申塔)
移設/中央部で折損 (正面)「左 いわぶちみち」、(右面)「右 あすさわ はすぬまみち」、(裏面)「いたばし道」 3
写真 中十条の庚申塔道標2 なかじゅうじょう 北区 八雲神社 石道標
(駒型、玄武岩)
高99.5㎝(うち、塔身79.5㎝),
幅29.5㎝,厚19㎝
天明4(1784)   区・文化財研究紀要別冊10p91
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面左)「是より左り い多者し道」/正面中央に「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 赤羽台の庚申塔道標2 あかばねだい 北区 諏訪神社・参道 石道標
(駒型,安山岩)
高132㎝(うち、塔身100.5㎝),
幅37.5㎝,厚23㎝
天明5(1785)   区・文化財研究紀要別冊10p16 移設、集約 (台石正面右)「右/大山 祢りま/ミち」、(同左)「左/いた者"し/ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻/上記の「赤羽台の庚申塔道標2」と1つ置いて並ぶ 2
写真 滝野川の供養塔道標1 たきのがわ 北区 寿徳寺 石道標(隅丸型) 高92㎝(うち、台石16㎝),幅25.5㎝,厚16㎝ 天明7(1787)   区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「飛多"り おふじ い王ぶちみち」(=左)/正面を枠だけ残して削り込み、「(梵字3)奉供羪西國四國秩父坂東爲、二/世/安/樂、也」と陰刻 2
写真 中十条の庚申塔道標3 なかじゅうじょう 北区 (2丁目)子育地蔵堂 石道標
(駒型、玄武岩)
高103.5㎝(うち、塔身79㎝),
幅30㎝,厚19㎝
寛政3(1791)   区・文化財研究紀要別冊10p98
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/台石は異なる石材を使用 (左面)「右り 練馬みち/左り 豊島みち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 西ケ原の題目塔道標 にしがはら 北区 飛鳥中学校 石道標(尖頭角柱) 高265㎝,
幅37㎝,厚21㎝
寛政7(1795)   区教委 移設 (正面下部)「右 王子みち/左 い多ばし道」/正面上部に「猿田彦大神」と陰刻 2
  滝野川の供養塔道標2 たきのがわ 北区 重吉稲荷 石道標 高174㎝ 寛政10(1798)   区教委 移設 面)「これより、たきの川へんてんたきふとう/おふし六阿弥陀せんちゆ、みち」/正面に「奉供養大乘妙典日本回國六十六部」と陰刻 2
写真 滝野川の大日如来像道標 たきのがわ 北区 金剛寺 石道標 高146㎝(うち、台石9㎝),幅33㎝,厚22㎝ 寛政10(1798)   区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面・像下)「多起能ふどう尊/ま起能おく王ん音、これより左え」/正面全面を長方形に彫り込み、頂部に大日如来坐像(蓮台)を陽刻./右面に「水起よき瀧の川上/多つ祢見よ、南無阿弥陀仏を道の志るべに」と、和歌が陰刻→珍しい 2
写真 田端の庚申塔道標 たばた 北区 (1丁目) 石道標
(駒型、安山岩)
高92㎝(うち、台石16㎝),幅39㎝,厚27㎝ 寛政12(1800)   区・文化財研究紀要別冊10p147
/WEB(鎌倉街道上道)
戦災による損傷大/木祠内 (右面)「右、六阿弥陀 四/日くらし道/千住道」、(左面)「北、王/上尾久道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 岩淵町の庚申塔道標1 いわぶち 北区 梅王寺 石道標
(駒型、安山岩)
高81㎝(うち、台石18㎝),幅24㎝,厚18㎝ 文化9(1812)   区・文化財研究紀要別冊10p25
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/雑然とした環境 (左面)「古れより/ 志もむらミち」/正面に「庚申」と陰刻 3
写真 浮間の供養塔道標 うきま 北区 (5丁目) 石道標(尖頭角柱) 高61㎝ 文政元(1818)   区教委 浮間渡船場→100mほど移設 (右面)「左 浮間村」、(左面最下部)「右 いゝ川か 川口道」(=飯塚)/正面に「(梵字3)西國 秩父 坂東/四國八十八箇所、供養塔」と陰刻 2 -
写真 田端の道標 たばた 北区 (2丁目)JR田端機関区 石道標(尖頭角柱) 高110㎝,幅31㎝,厚21㎝ 文政11(1828)   区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設/2ヶ所で水平に折損→修復 正面)「右、六阿弥陀/西新井 弘法大師道/先舩王多し場迄 十壱丁」、(面)「左 王子道」 3
写真 岩淵町の庚申塔道標2 いわぶち 北区   石道標
(駒型、安山岩)
高157㎝(うち、台石24㎝),幅54㎝,厚30㎝ 天保3(1832)   区・文化財研究紀要別冊10p21
/WEB(鎌倉街道上道)
本体の供養塔は元禄6(1693)の建立/台石の道標部(後補)の具体的な刻字内容不明 (台石正面右端)「右 十五間行く/之ゟ左 下村」、(同左端)「天保三辰歳/七月再建」/正面中央部を長方形に削り込み「(梵字)奉待庚申供養二世安樂所」と陰刻/頂部の三角部分に“日月の線刻、削り込み最上部に“日月”の陽刻、最下部に“三猿”の陽刻/下記「岩淵町の廻国塔道標」と並ぶ 4
写真 滝野川の道標2 たきのがわ 北区 正受院 石道標 高132㎝(うち、台石15㎝),幅34㎝,厚18㎝ 天保6(1835)   区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「瀧ふ動尊道」、(右面)「堂起の河みち」(=滝) 2
写真 赤羽北の庚申塔道標2 あかばねきた 北区 諏訪神社 石道標(尖頭角柱、玄武岩) 高96㎝,幅28㎝,厚27㎝ 天保13(1842)   区・文化財研究紀要別冊10p18 移設、集約/下部埋設 (正面左)「東 岩渕宿渡舩塲…」、(右面)「南 野みち」、(左面)「北 當村かし…」、(裏面)「西 中山道 志村…」/正面に「庚申…」と陰刻/上記の「赤羽北の庚申塔道標1」と並ぶ 3
写真 岩淵町の廻国塔道標 いわぶち 北区 <天王道> 石道標(板碑型) 高102㎝(うち、台石22㎝),幅31㎝,厚19㎝ 天保15(1844)   区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/中央で水平に折損→修復 (台石正面)「右/下/村」/石碑全面を枠だけ残して削り込み、「奉順禮、A B」と陰刻(Aの部分は「西國/秩父/坂東」、Bの部分は「出羽三山/身延山/六阿弥陀」)/上記「岩淵町の庚申塔道標2」と並ぶ 2
写真 上十条の庚申塔道標 かみじゅうじょう 北区 (5丁目) 石道標
(駒型、玄武岩)
高41㎝(塔身),幅30.5㎝,厚21.5㎝ 嘉永4(1851)   区・文化財研究紀要別冊10p94 下半分欠損→遺存せず (右面)「西 仲…/東 王…」、(左面)「是より/南 い□…」/正面に「庚申…」と陰刻/頂部に“日月”の陽刻 4 -
写真 上十条の石橋供養塔
(姥ヶ橋延命地蔵)
かみじゅうじょう 北区 姥ヶ橋交差点
<板橋道・王子道>
石碑
(丸彫、安山岩)
高207㎝(うち、石37㎝) 享保9(1724)   WEB(鎌倉街道上道)
/現地解説板
原位置/立派な銅板葺きの屋根付き木造祠内(耐震補強されている)/信仰の対象 (正面正面)「石橋供養佛」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる/稲付川に架かっていた姥ヶ橋の安全供養のための地蔵 1
写真 滝野川の石橋供養塔 たきのがわ 北区 金剛寺 石碑(安山岩) 高95.5㎝(うち、塔身82㎝),幅30㎝,厚20㎝ 元文5(1740)   区・文化財研究紀要別冊10p121
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/下部C接合で刻字(があったとしても)見えず (正面)「(梵字)奉庚申供養石橋造…」 2
写真 岩淵町の石橋供養塔 いわぶち 北区 正光寺 石碑(尖頭角柱) 高89㎝,幅24㎝, 厚21㎝ 文政10(1827)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「石槗十二ヶ昉供羪塔」 2
写真 田端の敷石供養塔 たばた 北区 与楽寺・前 石碑(尖頭角柱) 高134㎝(うち、台石15㎝),幅36㎝,厚24㎝ 安永5(1776)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「「(梵字)奉建立敷石靣々為二世安樂也」/上記「田端の聖観音像道標」と並ぶ 2
写真 赤羽北の敷石供養塔 あかばねきた 北区 諏訪神社 石碑 高116㎝(うち、台石34㎝),幅33㎝,厚33㎝ 天保7(1836)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面)「(梵字)石坂供養塔」 2
写真 亀戸の題目塔道標
(六阿弥陀道道標)
かめいど 江東区 常光寺 石道標(駒型) 高145㎝,
幅45㎝,厚25㎝
延宝7(1679) 区有形民俗 WEB 移設 (左面)「自是右 六阿弥陀道」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 亀戸の庚申塔道標 かめいど 江東区 常光寺・墓地 石道標(尖頭角柱) 高107㎝(うち、台石34㎝),幅30.5
㎝,厚32㎝
元文2(1737)   WEB(鎌倉街道上道) 移設(墓地内) (右面)「六阿み多 六番目」、(同右上隅)「右 さかさい道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏?、邪鬼)を陽刻 3
写真 亀戸の道標1
(木下川やくしみち道標)
かめいど 江東区 境橋際・祐天堂左(3丁目) 石道標 高67㎝,幅22㎝,厚21㎝ 宝暦11(1761) 区登録有形民俗 WEB(鎌倉街道上道) 移設/設置環境不良/下部で斜めに折損→修復 (正面)「やくしみち」、(同右隅)「木下川」、(右面)「あつまもり(=吾妻権現社)」 3 -
写真 亀戸の大師道標
(厄除弘法大師標柱)
かめいど 江東区 竜光寺 石道標(隅丸型、安山岩) 高128㎝(うち、台石31㎝),幅32㎝,厚21㎝
明和7(1770) 区有形民俗 区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(裏面が簡単に見えないため) (裏面左端)「右尓向ひ 是与里左り 六番目迄 四丁」/正面に「(梵字)厄除弘法大師」、裏面に「(梵字)南無遍照金剛」と陰刻 2
  亀戸の道標2
(富士せんげん道道標)
かめいど 江東区 浅間神社 石道標(板碑型)   享和元(1801) 区有形民俗 WEB 移設 (正面)「是より右、冨士せんげん/亀戸天神/六阿ミだ/あさくさ、道」/刻字部分を平らに削り込む 2
  猿江の道標1
(五百羅漢道標)
さるえ 江東区 (2丁目) 石道標(板碑型) 高129.5㎝ 文化2(1805) 区有形民俗 WEB 移設(下部埋設) (正面)「是より 五百らかん江 古川/八町ほど先へ参り」、(右面)「此横道 四ッ目橋通り 亀戸天神」/刻字部分を平らに削り込む/小名木川に面して建てられていた 3
  東砂の題目塔道標
(鬼子母神道道標)
ひがしすな 江東区 上妙寺 石道標   文化10(1813) 区有形民俗 WEB 移設(最下段の台石更新 or 追加) (右面)「是ヨリ/子母神道」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻/緑字は異体字 2
  猿江の道標2
(五百らかん道標)
さるえ 江東区 釜屋堀子育地蔵堂 石道標(安山岩) 高81.5㎝,
幅34.5㎝,厚18㎝
文政12(1829) 区登録有形民俗 区教委 移設(堂内)/下部欠損、2つに割裂 (正面)「五百らかん 此橋…/三…町(?)」(此橋=大島橋) 4
  大島の道標
(亀高村弘法大師道標)
おおじま 江東区 中川船番所資料館 石道標 高75㎝,幅29㎝,厚19㎝ 天保10(1839) 区登録有形民俗 区教委 移設(北砂→東陽)/下部欠損 (正面)「亀高村弘法大」(持宝院を指す)、(右面)「(左指差し)」 3 -
  亀戸の不動明王道標
(不動明王標柱)
かめいど 江東区 東覚寺 石道標   天保11(1840) 区登録有形民俗 WEB 水平に3ヶ所にに折損→修復 (正面)「不動明王 右へ一丁」/刻字部分を平らに削り込む 3
写真 平久橋西詰の波除碑 へいきゅう、なみよけ 江東区 (深川牡丹3丁目) 石碑(砂岩) 高131㎝(うち、台石45㎝),29㎝角 寛政6(1794)頃 都有形 WEB/区教委 破損大、若干の移動/刻字の判読困難→右欄の刻字内容は『東京市史稿』(1901編纂開始)によるもので、当時は判読可能だったと思われる (左面)「此処寛政三年波あれの時家流れ人死するもの/少からず此後高なみの変はかりがたく流死の難」、(裏面)「なしといふべからず是によりて西は入船町を限り東は/吉祥寺前に至る迄凡長さ二百八十五間余の処」、(右面)「家居取払いあき地になしおかるゝもの也寛政六年甲寅十二月日」(旧字の使用は不明)/正面に「葛飾郡永代浦築地」と陰刻/寛政3(1791)9月4日、深川洲崎一帯に襲来した高潮によって付近の家屋が流され多数の死者・行方不明者が出た→幕府は、洲崎弁天社から西の辺り一帯の東西285間、南北30余間、総坪数5,467坪(約1万8000㎡)を買い上げ空き地とし、これより海側に人が住むことを禁じた→空地の東北地点(洲崎神社)と西南地点(平久橋の袂)に波除碑を建立 3 写真
写真 洲崎神社の波除碑 すさき、
なみよけ
江東区 (木場6丁目)洲崎神社 石碑(砂岩) 高155㎝(うち、台石15㎝),29㎝角 寛政6(1794)頃 都有形 WEB/区教委 破損大(鋼棒とCで補強)、若干の移動/C被覆で銘文判読不能→石材露出部分も損耗大 (正面)「…あき地…/…十二月日」/同上 4
写真 西大井の題目塔道標
(文禄八年銘道標)
にしおおい 品川区 (1丁目)<東海道と中原街道を結ぶ道> 石道標(尖頭角柱) 高108㎝,幅35㎝,厚31㎝ 元禄8(1695) 区史跡 現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (右面)「從是 奥澤九品佛道」、(左面)「從是 池上本門寺道」/正面に「南無阿彌陀佛」と陰刻/枠だけ残し火灯窓風に削り込み刻字/品川用水に架かる石橋の無事と通行者の安全を願って造立/17世紀の道標

1

写真 豊町の不動明王像道標
(六十六部廻国供養道標)
ゆたか 品川区 (5丁目)大原不動堂
<品川道・池上道>
石道標(丸彫) 高172㎝(うち、尊像80㎝),幅40㎝,厚30㎝ 享保17(1732)   WEB(鎌倉街道上道)
/WEB
/品川の古道p73・78
近接移設/不動明王像は道標と無関係だが、伝承によれば江戸期から置かれている→供養塔道標とせず不動明王像道標とした理由 (右面)「こ連より左、セんぞくミち/志奈か王ミち」、(左面)「こ連より右、いけかミ/ミち」/正面に「奉納大乗妙典六十六部廻國…」と陰刻/旧道標本体上に、不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、磐石)の丸彫を載せる 2
  南品川の庚申塔道標
(享保二十一年銘道標)
みなみしながわ 品川区 (4丁目)日本ペイント・正門脇 <目黒道・碑文谷道> 石道標 高58㎝,幅20㎝ 享保21(1736) 区史跡 WEB/品川の古道p74 近接移設 (右面)「右 めくろ道」、(左面)「左 ひ文や道」/正面に「かう志んかう中」と陰刻 3 -
写真 中延の道標1
(天明三年銘石造道標)
なかのぶ 品川区 (5丁目)
<中通り・平間道>
石道標
(駒型、安山岩)
高109㎝,幅28.5
㎝,厚13.5㎝
天明3(1783) 区史跡 区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(基部一部露出) (正面)「是ゟ、右 うの木光明寺道/左 池可ミ道」/鵜の木光明寺は、江戸から日帰りで往復できる行程の大寺として多くの参詣者で賑わった 1
  小山の道標
(寛政元年石造銘道標)
こやま 品川区 (2丁目)朝日地蔵堂
<目黒通・碑文谷道>
石道標(隅丸型) 高約1m 寛政元(1789) 区史跡 WEB/品川の古道p74 若干移動、左右逆転 (正面)「右 目黒不動尊/左 碑文谷仁王尊、道」(目黒、碑文谷の字は小さい) 2
写真 西品川の道標1
(文政十一年銘道標)
にししながわ 品川区 貴船神社 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高92㎝,幅20㎝,厚16㎝ 文政11(1828) 区史跡 区教委/現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「(梵字)西 めくろ」、(右面)「右 南品川」、(左面)「左 北品川」/下記の西品川の道標2と一対(建立者、梵字、形態が同じ) 2
  西品川の道標2 にししながわ 品川区 (1丁目)
東日本旅客鉄道・大崎寮
石道標(尖頭角柱、安山岩) 高107㎝ 文政11(1828) 区有形 区教委
/品川の古道p74
移設→私有地 (正面)「(梵字)東ハ 品川」、(右面)「右 めくろ」、(左面)「左 三ツ木 戸こへ」/上記の西品川の道標1と一対(建立者、梵字、形態が同じ) 4
写真 中延の道標2
(天保二年銘道標)
なかのぶ 品川区 (5丁目)<品川道・中通り> 石道標 高78㎝(露出している基部を除く),幅27㎝,厚23㎝ 天保2(1831) 区史跡 現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(基部露出) (正面)「東 品川道」、(右面)「北 めくろみち」、(左面)「南 いけ可みミち」、(裏面)「西、せんそく/おくさハ、道」 2
写真 大井の題目塔道標
(天保九年銘題目供養塔)
おおい 品川区 清護稲荷神社
<池上道・稲毛道>
石道標(尖頭角柱) 高119㎝,幅30㎝,厚29㎝ 天保9(1838) 区有形民俗 区教委/現地解説板
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/左面はCブロック塀と接近し下部判読不能 (右面)「右 稲毛道」、(同下部)「中延マテ 十八町/千束マテ 廿五町」、(左面)「左 池上道…」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻 3
写真 東品川の鯨供養塔 ひがししながわ 品川区 (1丁目) 石碑(自然石) 高103㎝(塔身のみ),幅153㎝,
厚31㎝
寛政10(1798) 区有形 WEB(動物のお墓)/現地解説板 移設 (正面)「鯨/碑」/暴風雨のため寛政10年5月1日に品川沖に迷い込んだ鯨の供養碑/鯨は体長16.5mと巨大で江戸中の評判となり第十一代将軍・家斉も浜御殿で上覧した/東京に現存する唯一の鯨碑 2
  御殿山下台場 ごてんやました 品川区 台場小学校 台場   嘉永6(1853)   区教委/WEB 台場の輪郭→5角形の道として残るのみ/台場の石垣に使用されていた石材→ミニチュアの品川灯台の基壇 ペリー提督の「黒船来航」を契機に江戸湾に計画された11ヶ所の台場の一つ 5
  大井の井 おおい 品川区 光福寺 湧水   鎌倉期? 区史跡 WEB 非現役/設置環境悪し 元久の兵乱(1204-5)で東国に流された頭中将光福が、子授けを蔵王権現に祈願すると男児が生まれ、泉が湧きだしたとの伝承 4
  大井・原の水神池 おおい、はら 品川区 (西大井3丁目) 湧水   江戸中期 区史跡 区教委 柵で囲まれる   3
写真 本町の常夜灯
(幡ヶ谷不動尊の常夜灯)
ほん 渋谷区 荘厳寺<甲州街道> 石常夜灯(道標) 高3.04m(うち、基壇0.93m) 嘉永3(1850)   WEB/区教委 移設/火袋後補 (竿裏面)「幡ヶ谷不動尊」、(台石左面上段)「御府内八十八ヶ所/弘法大師 壹丁余/熊野十二社大權現 二丁余/大宮八幡宮 三拾丁余/神田御上水源上/井之頭弁財天 二里余」 2
写真 千駄ヶ谷の庚申塔道標 せんだがや 渋谷区 聖輪寺 石道標(尖頭角柱) 高101㎝,幅36㎝,厚30㎝ 延宝5(1677)   WEB 移設?/上部の隅角部が複数個所欠損(量は僅か) (右面左端)「是より 多聞院迄 十七丁」/右面中央に「弘法/大師、阿波國切幡寺之移」と陰刻/正面中央に“三猿”の陽刻→「三猿庚申」と通称、正面頂部に“日月”の線刻/17世紀の道標 2
写真 渋谷の庚申塔道標 しぶや 渋谷区 豊栄稲荷 石道標(隅丸型) 高98㎝(うち、台石12㎝),幅36.5㎝,厚20㎝ 宝永元(1704) 区有形 渋谷の文化財p61
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面)「めくろ/こんわう、道」/正面に「(梵字)南無阿弥陀佛」と陰刻、頂部に“日月”の陰刻、題目刻字下に“蓮花”と“三猿”の陽刻 3
  猿楽町の地蔵道標1 さるがく 渋谷区   石道標(駒型) 高76㎝,幅34㎝ 宝暦5(1755)?   渋谷の文化財p106 移設→個人宅 (正面右下隅)「…道」、(同左下隅)「左 目黒道」/正面に地蔵立像(蓮台)を陽刻/建造年は資料には「暦三乙年」と書いてあるが、恐らく「宝暦五乙亥年」(宝暦3は癸酉)の間違い 4
写真 恵比寿南の題目塔道標 えびすみなみ 渋谷区 (3丁目) 石道標 高135㎝(うち、台石25㎝),幅39.5㎝,厚39㎝ 安永8(1779)   渋谷の文化財p107
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/小堂内 (正面右端)「右 ゆふてん寺道」、(左端)「左 不動尊ミち」/正面に「南無阿彌陀佛」と陰刻 2
写真 猿楽町の地蔵道標2 さるがく 渋谷区   石道標(丸彫) 高114㎝(うち、台石2段68㎝),幅42㎝,厚27㎝ 文政元(1818)   めぐろの文化財増補Ⅱp126/渋谷の文化財p105
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易覆屋内 (台石正面右)「右 大山道」、(同左)「左 裕天寺道」/台石の上に地蔵坐像の丸彫を載せる/台石正面に中央に「南無阿彌陀佛」と陰刻 2
写真 代々木の天狗面道標 よよぎ 渋谷区 (3丁目)<大山道> 石道標 高153㎝,幅31㎝,厚18.5㎝ 弘化3(1846)   現地解説板/WEB 原位置 (正面)「大山石尊大權現」/頂部に天狗の面が2面並べて陽刻→非常に稀 1
写真 東の庚申橋供養塔 ひがし、
こうしん
渋谷区 (3丁目)庚申橋・南詰 石碑 高160㎝(うち、台石2段53㎝),幅35㎝,厚23㎝ 寛政11(1799)   渋谷の文化財p77-79
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 or 近接移設?/木祠内/見える範囲において橋講中の文字はないので、橋供養塔である保証は解説板のみ 4面に橋講中の世話役や万人講の個人名が多数刻字(広範囲→重要な交通路であったことを示す)/頂部(全高の1/4)に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 渋谷の石橋・敷石供養塔 しぶや 渋谷区 金王八幡宮 石碑(自然石) 高141㎝,幅85㎝,厚15㎝ 嘉永2(1849)   WEB(鎌倉街道上道) 移設? (正面)「敷石新造并石橋修理碑」 2
  幡ヶ谷の道供養塔 はたがや 渋谷区 (1丁目)
<鎌倉道 or 甲州街道>
石碑(尖頭角柱) 高150㎝,幅29㎝ 文化3(1806)   WEB/渋谷の文化財p117 移設? (正面)「(梵字)道供養塔」 2
  玉川上水(修景保存区間) たまがわ 渋谷区・世田谷区 多摩川
(笹塚駅周辺の2ヶ所)
上水路(C改修) 総延長約43㎞のうち計約0.4㎞ 承応3(1654) 国史跡 玉川上水現況調査報告書/WEB 杉並区の浅間橋より下流は、都心部に残る3ヶ所の保存修景区間(一部は自然な土手水路)以外は、すべて暗渠化 総奉行: 老中・松平信綱、水道奉行: 伊奈半十郎忠治(没後は半左衛門忠克)、施工: 庄右衛門・清右衛門兄弟(褒賞として玉川姓を賜る)/江戸の人口急増による水不足解消のために、羽村市で多摩川から取水し、四谷大木戸まで掘られた素掘りの上水路/開渠部の30kmが国指定史跡 3
  清正の井 きよまさ 渋谷区 明治神宮 湧水   江戸初期?   現地解説板/WEB 現在もきれいな水が湧き出る この地に下屋敷を構えていた加藤清正が掘ったとされる井戸/南池の水源 2
写真 西早稲田の地蔵道標
(源兵衛子育地蔵尊)
にしわせだ 新宿区 早稲田通り沿い(2丁目) 石道標(丸彫) 高195㎝(うち、台石42㎝) 享保11(1726) 区地域文化財 WEB(鎌倉街道上道) 原位置/木祠内/信仰の対象 (台石右面)「右/落合道」、(台石左面)「左/春王道」(=諏訪)/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 1
写真 西落合の庚申塔道標 にしおちあい 新宿区 自性院 石道標(尖頭角柱) 高98㎝,幅38㎝,厚28㎝ 宝暦11(1761)   新宿と石造文化p50
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/中央で水平に折損→修復 (右面右下)「西 江古田村道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 2
写真 下落合の供養塔道標 しもおちあい 新宿区 薬王院 石道標(尖頭角柱) 高121㎝(うち、台石19㎝),幅35㎝,厚23㎝ 安永9(1780)   新宿区の文化財2p111
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面下)「右 いた者し」、(左面下)「左 祢りま」/正面に「(梵字3)奉納大乘妙典日本廻国供養塔」と陰刻 2
  西早稲田の道標 にしわせだ 新宿区 観音寺・門前 石道標(尖頭角柱) 高51㎝ 寛政元(1789)   新宿区の文化財2p114 移設 (正面)「此下り道 石橋」、(右面)「是より右 めじ」、(左面)「是より左り たかた」 2 -
写真 下落合の庚申塔道標 しもおちあい 新宿区 氷川神社・鳥居前(2丁目) 石道標(駒型) 高96㎝(うち、台石29㎝),幅37㎝,厚24㎝ 文化13(1816)   新宿区の文化財2p112
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設 (右面)「右 者"〃下道」(=馬場下)、(左面)「左 ぞうしがや道」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻〔ただし、合掌している2本の手以外は線刻〕 2
写真 高田馬場の敷石供養塔 たかだのばば 新宿区 玄国寺 石碑(尖頭角柱) 高74㎝(うち、台石12㎝),幅24㎝,厚16㎝ 文化12(1815)   新宿と石造文化p88
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「(梵字)敷石供養塔」 1 -
写真 西早稲田の敷石供養塔1 にしわせだ 新宿区 穴八幡神社 石碑(尖頭角柱) 高61㎝,幅37㎝,厚29㎝ 文政7(1824)   新宿区の文化財(石造品)p49
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/中央で水平に折損→修復 (正面)「敷石造立」/下記の「西早稲田の敷石供養塔2」と一対 1 -
写真 西早稲田の敷石供養塔2 にしわせだ 新宿区 穴八幡神社 石碑(尖頭角柱) 高53㎝,幅37㎝,厚29㎝ 文政7(1824)   新宿区の文化財(石造品)p49
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「石坂再興」/上記の「西早稲田の敷石供養塔1」と一対 1 -
写真 玉川上水の余水吐 たまがわ 新宿区 <渋谷川> 上水路 長約490m 江戸期   現地解説板/WEB 新宿御苑の東側に沿って水路跡が残る/水路幅は当時のものと異なると考えられる/暗渠化 玉川上水の余水を穏田川(渋谷川)の谷筋に落とす水路跡 3
  筑土八幡神社の井戸 つくどはちまん 新宿区 筑土八幡神社 石井戸(八角形) 1.25m×1.1m,
高0.8m
天保5(1834)   新宿と石造文化p109 保存状態良好 正面に「御供養」と陰刻/八角形の井戸枠は珍しい 1
写真 元・追分の下水石樋 おいわけ 新宿区 都立新宿高校 下水路 長約3.6m,幅約1m 木樋→
寛政7(1795)石樋に変更
  現地解説板/WEB 上水の暗渠化に伴い昭和初年頃に撤去され、後に新宿高校に移設 甲州街道と青梅街道の追分一帯の雨水などの下水を新宿御苑内の池へ落とすために上水の上に架設された石樋 3
写真 松平摂津守屋敷の
排水暗渠遺構
まつだいらせっつのかみ 新宿区 落合水再生センター 下水路(石組暗渠) 長50.4m→約2.5m 江戸期 区埋蔵 現地解説板/区教委/WEB 発掘後、一部を移設復元 池の排水用の水路として造られたとされており、明治半ばにはその土地の排水路に、また大正期には下水道施設に役割を変え、現在もその役割を果たす 3
写真 久我山の庚申塔道標1
(享保七年銘道標付庚申塔)
くがやま 杉並区 (5丁目)<人見街道> 石道標(駒型) 高142㎝(うち、台石27㎝),幅42㎝,厚29㎝ 享保7(1722) 区登録有形 杉並の石仏と石塔p138 移設(台石とC接合) (右面)「これよりみぎ いの加しらミち」、(左面)「これよりひ多"り ふちうミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 高井戸東の地蔵道標 たかいどひがし 杉並区 松林寺 石道標(丸彫) 高232㎝(うち、塔身150㎝) 寛保元(1741)   杉並の石仏と石塔p166 移設→墓地 (台石正面右端)「右は 大見や 前新田道」、(同左端)「左ハ ふちうみち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 下井草の庚申塔道標 しもいぐさ 杉並区 (3丁目)<所沢道> 石道標(笠付き) 高106㎝(うち、台石25㎝),幅30㎝,厚18㎝ 寛保元(1741)   杉並の石仏と石塔p76
/鎌倉みちこ
木祠内 (右面左)「右 志やくち道」、(左面右)「南 中の道」、(左面左)「うしろ能東 於そ能い道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 井草の庚申塔道標
(八成所在道標付石造物)
いぐさ 杉並区 (2丁目)<所沢道・長命寺への巡礼道> 石道標(駒型) 高93㎝(うち、台石16㎝),幅30㎝,厚12㎝ 寛保元(1741) 区登録有形 杉並の石仏と石塔p79
/鎌倉みちこ
移設、集約/木祠内 (右面最下部左端)「右 たな可道」、(左面下部右端)「左 志やくじ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/下記「井草の供養塔道標」と同所 2
写真 今川の地蔵道標 いまがわ 杉並区 (2丁目)観泉寺・無縁墓地 石道標(隅丸型) 高82㎝(うち、台石16㎝),幅25㎝,厚18㎝ 明和6(1769)   杉並の石仏と石塔p97 移設、集約/正面中央部の剥離大(右欄の〔〕内は剥離で滅失した刻字) (正面像下)「〔向/ぞうし〕がや」、(右面)「右 長命寺」、(左面)「左 ほりの内」/正面を枠だけ残して削り込み、上半分に小さな地蔵立像(蓮台)の陽刻 3
写真 久我山の庚申塔道標2 くがやま 杉並区 (1丁目) 石道標 高82㎝(うち、台石14㎝),幅25㎝,厚16㎝ 安永5(1776)   杉並の石仏と石塔p131 移設、集約/覆屋内 (右面)「右 井ノ頭道」、(左面)「左り ふちう道」/正面上半分に小さな青面金剛立像(日月、六手合掌)の浮彫り 2
写真 井草の馬頭観音像道標 いぐさ 杉並区 (2丁目) 石道標(舟型) 高75㎝(うち、台石14㎝),幅27㎝,厚14.5㎝ 安永5(1776)   杉並の石仏と石塔p77
/鎌倉みちこ
移設、集約/木祠内 (光背左端)「これより左 江戸道」/光背中央に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)の陽刻 3
写真 永福の地蔵道標 えいふく 杉並区 (1丁目) 石道標(丸彫) 高180㎝(うち、塔身107㎝) 安永6(1777)   杉並の石仏と石塔p228 移設、集約/木祠内 (台石右面)「右 大山道/左 ほりの内道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 井草の供養塔道標
(八成所在道標付石造物)
いぐさ 杉並区 (2丁目)<所沢道・長命寺への巡礼道> 石道標(板碑型) 高79㎝(うち、台石15㎝),幅26㎝,厚16㎝ 寛政5(1793) 区登録有形 杉並の石仏と石塔p80
/鎌倉みちこ
移設、集約/木祠内 (右面右)「是より …丁/右 新高野へのミち」、(左面左)「是より/左 石神井への道」/正面に「(梵字3)念佛供養塔現當爲二世安樂」と陰刻/上記の「井草の庚申塔道標」と同所 2
  高井戸東の庚申塔道標 たかいどひがし 杉並区 松林寺 石道標(笠付き) 高138㎝(うち、台石27㎝),幅31㎝,厚30㎝ 寛政8(1796)   杉並の石仏と石塔p167
移設→墓地/塔身の損傷大 (右面)「東 江戸道/南 高井戸道/西 府中道/北 …」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風 3
写真 大宮の道標 おおみや 杉並区 郷土博物館 石道標 高70㎝,幅33㎝,厚22㎝ 寛政12(1800)   杉並の石仏と石塔p245 移設(もと、久我山)、集約/館内の解説では上に地蔵坐像が載っていたとされる (正面)「南 上高井土宿道」、(右面)「東 四ッ谷道」、(左面)「西 井之頭道」、(裏面)「北 ほりの内ミち」 2 -
写真 方南の題目塔道標 ほうなん 杉並区 (2丁目)地蔵堂・隣 石道標(駒型) 高58㎝,幅24㎝,厚18㎝ 享和元(1801)   杉並の石仏と石塔p239 移設? (左面)「右 大山 目黒 池上道」/正面に「浅草觀世音千日参回向」と陰刻 2 -
写真 下井草の地蔵道標 しもいぐさ 杉並区 (2丁目) 石道標(丸彫) 高232㎝(うち、塔身116㎝) 文化9(1812)   杉並の石仏と石塔p75 大正4に像を部分再建 (上段台石正面)「南 ほりのうち道」、(同右面)「東 ぞうし可"や道」、(同左面)「西 とりゐさき道」、(同裏面)「北 志んかうや道」/背の高い上段台石上に地蔵立像(光輪、錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 2
写真 今川の馬頭観音像道標 いまがわ 杉並区 (2丁目)観泉寺・前 石道標(隅丸型) 高163㎝(うち、台石23㎝),幅55㎝,厚24.5㎝ 文政7(1824)   杉並の石仏と石塔p88
/鎌倉みちこ
移設(西萩北より)、集約/木覆屋内 (右面)「西 ふちう」、(左面)「東 江戸」/正面を枠だけ残して浅く削り込み頂部に小さな馬頭観音坐像(三面六臂、蓮台)を陽刻、その下に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
  井草の道標 いぐさ 杉並区 (2丁目)地蔵堂・前 石道標 高65㎝,幅16㎝ 文政11(1828)   杉並の石造物(記念碑等)p55   (正面)「右 志やくじ道」   -
写真 永福の馬頭観音道標 えいふく 杉並区 永福寺・墓地 石道標 高56㎝,幅23㎝,厚14㎝ 天保3(1832)   杉並の石仏と石塔p229
/鎌倉みちこ
移設、集約→右面が隣の石碑と密着して刻字が見えない/下部切削 (右面)「南、ほり野うち/大山、道」(資料による)、(左面)「東 江戸…」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 4 -
写真 上高井戸の蛇体道標 かみたかいど 杉並区 (1丁目) 石道標 高135㎝,幅34㎝ 天保14(1843)   杉並の石造物(記念碑等)p55/WEB 原位置? (正面)「井之頭辨財天道」、(同左下隅)「是ヨリ 一里半」、(左面)「別當所大盛寺迠 一里」/正面頂部にとぐろを巻いた蛇(弁財天の化身)の線刻 1
  井草の馬頭観音道標 いぐさ 杉並区 (2丁目) 石道標(隅丸型) 高67㎝(うち、台石16㎝),幅21㎝,厚10㎝ 嘉永2(1849)   杉並の石仏と石塔p78 移設、集約/木祠内 (台石正面右)「右 石神井」/正面を枠だけ残して浅く削り込み「馬頭觀音」と陰刻 2 -
写真 今川の題目塔道標 いまがわ 杉並区 (2丁目) 石道標(笠付き) 高156㎝(うち、台石26㎝),幅34㎝,厚26㎝ 江戸期   杉並の石仏と石塔p88
/鎌倉みちこ
移設、集約/木祠内 (左面下部)「志やくち道」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻〔その上に小さな像が陽刻されていた可能性あり〕 2
  善福寺の橋供養塔 ぜんぷくじ 杉並区 (2丁目)渡戸橋・際 石碑 高100㎝(うち、台石17㎝),幅21㎝,厚18㎝ 延享2(1745)   杉並の石仏と石塔p109 原位置? (正面像下)「千日念佛橋供養佛」/正面頂部に小さな阿弥陀如来坐像(光背、蓮台)の浮彫り 1
写真 今川の橋供養塔 いまがわ 杉並区 (2丁目)観泉寺・前 石碑(尖頭角柱) 高82㎝(うち、台石21㎝),幅25㎝,厚17.5㎝ 延享2(1745)   杉並の石仏と石塔p91
/鎌倉みちこ
移設(西萩北より)、集約/簡易覆屋内 (正面像下)「奉建立庚申橋供養佛」/正面頂部に小さな青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻 2
  下井草の石橋供養塔 しもいぐさ 杉並区 (3丁目) 石碑(板碑型) 高92㎝(うち、台石14㎝),幅30㎝,厚18㎝ 宝暦8(1758)   杉並の石仏と石塔p75 移設? (正面頂部像右)「奉造立石橋供養塔」/正面頂部中央に地蔵立像(蓮台)を浮彫り 2
  阿佐谷北の石橋供養塔 あさがやきた 杉並区 世尊院 石碑 高126㎝,幅24㎝ 宝暦9(1759)   杉並の石造物(民間信仰)p27   (正面像下)「奉掛石橋廿三ヶ処供養成就所」/正面頂部に小さな薬師如来坐像を陽刻  
写真 成田東の石橋供養塔 なりたひがし 杉並区 須賀神社 石碑 高91㎝(うち、台石28㎝),幅16㎝,厚19㎝ 安永7(1778)   杉並の石仏と石塔p258 移設 (正面)「奉/掛、石橋二十一ヶ所」 2
写真 大宮の石橋供養塔 おおみや 杉並区 郷土博物館 石碑(道標兼) 高73㎝,幅23㎝,厚18㎝ 文化3(1806)   杉並の石仏と石塔p246 移設 (正面)「橋供養塔」、(右面最下部)「右/所澤道」、(左面最下部)「左/府中道」 2 -
写真 成田西の石橋供養塔 なりたにし 杉並区 宝昌寺・門前 石碑(尖頭角柱、道標兼) 高69㎝,幅32㎝,厚21㎝ 文久4(1861)   杉並の石仏と石塔p264
/鎌倉みちこ
移設/下部埋設 (正面)「石橋/供養、十方村々々…」、(右面)「東 江戸道」 2 -
  玉川上水(素掘改修区間) たまがわ 杉並区・西東京市・武蔵野市・三鷹市 多摩川 上水路(C改修) 総延長約43㎞のうち約9.2㎞ 承応3(1654) 国史跡 玉川上水現況調査報告書/WEB 中流部においては、昭和61から東京都の清流復活事業により下水の高度処理水を流している/護岸の一部がC改修 総奉行: 老中・松平信綱、水道奉行: 伊奈半十郎忠治(没後は半左衛門忠克)、施工: 庄右衛門・清右衛門兄弟(褒賞として玉川姓を賜る)/江戸の人口急増による水不足解消のために、羽村市で多摩川から取水し、四谷大木戸まで掘られた素掘りの上水路/開渠部の30kmが国指定史跡 3
  八広の道標
(やくしみち道標)
やひろ 墨田区 (4丁目) 石道標 高104㎝,幅27㎝ 享保年間(1716-35)   区文化財調査報告書4p87/WEB 移設/路傍の植栽に埋もれている (正面)「右 や久しみち」(=木根川薬師)、(右面)「左 ゑとみち」/8大将軍・吉宗の木下川薬師参詣の際に、その道しるべとして大畑村の村民によって要所に建立されたものの1基と伝えられいる(建立年不記載) 2
  向島の題目塔道標 むこうじま 墨田区 三囲神社 石道標 高93㎝,15㎝角 寛延3(1750)   区文化財調査報告書4p87 近接移設(三囲神社門前) (右面)「右 秋葉道」、(左面)「左 稻荷道」/正面に「三圍稻荷大明神」と陰刻/年号の「延三」は寛延(万延は2年までしかない) 1
  立花の庚申塔道標 たちばな 墨田区 東漸寺 石道標(駒型) 高92㎝,幅41㎝ 宝暦13(1763)   区文化財調査報告書4p88/文化財の保護43p105 移設(もと、中川の土手道) (右面)「右 市川道」、(左面)「左 やくし道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 東向島の大師道標1
(蓮花寺門前の道標1)
ひがしむこうじま 墨田区 蓮花寺 石道標(尖頭角柱) 高105㎝(塔身),幅43㎝,厚27㎝ 文化15(1818) 区登録有形 現地解説板/
区文化財調査報告書4p88/WEB
移設(もと、地蔵坂の墨堤上)/刻字部分を朱色に着色 (右面)「右 大しミち」(=蓮花寺)、(左面)「左 たいしみち」(=西新井大師)/正面に「女人濟度/御自筆、弘法大師」と陰刻/3面とも枠を残して全面を浅く平らに削り込み、四周を二重線で縁取りした中に刻字/台石に正面に「と組」と陰刻→江戸火消の建立 2
  堤通の道標 つつみどおり 墨田区 隅田川神社 石道標(板碑型) 高119㎝,幅44㎝ 文政2(1819)   区文化財調査報告書4p89 移設(もと、地蔵坂の墨堤上) (正面)「水神宮、是より西/二町余」/正面頂部に「建久/年間/垂跡」と刻字し四角で囲む→頼朝の事蹟を顕彰 2
写真 東向島の大師道標2
(蓮花寺門前の道標2)
ひがしむこうじま 墨田区 蓮花寺 石道標 高123㎝(うち、台石37㎝),
幅30㎝,厚25㎝
文政5(1822) 区登録有形 現地解説板/
区文化財調査報告書4p89/WEB
近接移設(蓮花寺門前) (右面)「西、白ひげ/はしば、みち」、正面に「厄除弘法大師」と陰刻/3面とも枠を残して全面を浅く平らに削り込み刻字 1
  墨堤 ぼくてい 墨田区 隅田川(左岸) 土堤防 約1.3㎞ 江戸初期→享保2(1717)桜植樹後、桜の名所に 区登録名勝 古地図で江戸散歩p108/WEB/
区教委
C改修・修景/桜の名所(水害で捕植、伸延のための追加) 水害を避けるため利根川の水路付替えが行われ築堤が進む/享保2(1717)、8代将軍・吉宗の命で100本の桜を植樹(→通説→実際は4代将軍・家綱)→文化年間に150本、天保2に200本、弘化3の決壊後に150本補植、安政元に200本、明治初期に1000本 3
  駒止井戸 こまどめ 墨田区 旧安田庭園 石井戸   元禄4(1691)以降   古地図で江戸散歩p7/WEB   常陸笠間藩の藩主・本庄因幡守宗資の下屋敷 2 -
写真 玉川の江の島道標 たまがわ 世田谷区   石道標(尖頭角柱) 高135㎝,24㎝角 元禄2(1689)頃   鎌倉みちこ 移設/平成20頃発見→平成24に「江の島道標」と確認 (正面)「(梵字)ゑ能し満道」(=江の島)/鍼医・杉山検校が藤沢宿から江の島へ続く約4㎞の江の島道に建立したと伝えられる→12基が江の島のある藤沢市内に、1基が鎌倉市、1基が世田谷区に現存/17世紀の道標 2
写真 奥沢の庚申塔道標1 おくさわ 世田谷区 奥沢神社 石道標 高98㎝,幅16㎝,厚16㎝ 享保13(1728)   区石造遺物調査報告2p62
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「こ連より右江 九保ん仏道)、(左面)「これより左江 ぬま遍道」/正面に「奉供養庚申之塔」と陰刻 2
  代沢の庚申塔道標 だいざわ 世田谷区 森厳寺 石道標 高71㎝,幅25㎝,厚18㎝ 元文5(1740)   区石造遺物調査報告2p67 移設 (正面右側)「れより右 あわしま道」、(同左側)「これより左 せたかいみち」/正面に「奉納庚申供養」と陰刻 2 -
写真 等々力の地蔵道標 とどろき 世田谷区 (7丁目) 石道標(笠付き) 高135㎝(うち、台石23㎝),幅30㎝,厚24㎝ 延享3(1746)   区石造遺物調査報告3p33
/WEB(鎌倉街道上道)
祠内に集約 (右面)「右 大山道 二子渡し」、(左面)「左 影向寺 中稲毛江」/正面を枠だけ残して削り込み、上部に地蔵坐像(蓮台)を陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 世田谷の道標1 せたがや 世田谷区 世田谷代官屋敷
~区郷土資料館
石道標(自然石) 高144㎝,幅70㎝,厚53㎝ 延享3(1746)   区石造遺物調査報告4p11/WEB 移設(もと、弦巻) (正面)「(梵字)大山道」、(正面右端)「左 さがみ」、(右面)「右 登戸道」 2
写真 世田谷の道標2 せたがや 世田谷区 区郷土資料館 石道標 高97㎝(塔身),
幅24㎝,厚17㎝
延享4(1747)   区石造遺物調査報告2p71 移設(もと、駒沢)、集約/裏面のほとんどが意図的に削欠 (正面)「西ハ 大山道」、(右面)「東ハ 赤坂道」、(左面)「右 めくろミち」、(裏面)「…道」/正面右下隅に「庚申供養」と陰刻 4
写真 桜丘の地蔵道標1 さくらがおか 世田谷区 久成院 石道標(丸彫) 高111㎝(うち、塔身65㎝),幅30㎝,厚21㎝ 寛延元(1748)   区石造遺物調査報告2p72/鎌倉みちこ 移設 (正面)「右 府中道/左 村中道」/本体上部に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 赤堤の題目塔道標 あかつつみ 世田谷区 西福寺 石道標(尖頭角柱) 高118㎝ 宝暦5(1755)   区石造遺物調査報告4p13 移設 (右面)「右リ 二番上北澤村密蔵院 八丁余」、(左面)「左リ 二十一番當村善性寺 七丁余」/正面に「大師遍照金剛一番西福寺」と陰刻 2
写真 世田谷の地蔵道標1 せたがや 世田谷区 区郷土資料館 石道標(丸彫) 高118㎝(うち、塔身47㎝) 宝暦6(1756)   区石造遺物調査報告3p38 移設(もと、常盤橋陸橋付近)、集約/首が欠損 (台石右面)「是より南/いけかミみち」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 4
写真 上祖師谷の題目塔道標 かみそしがや 世田谷区 安穏寺 石道標(尖頭角柱) 高98㎝(塔身のみ),幅17㎝,厚15.5㎝ 宝暦8(1758)   区石造遺物調査報告4p13/鎌倉みちこ 移設 (右面)「從是、上 髙井上宿 醫王寺迠 十八町/下 祖子ヶ谷觀音堂迠 六町廿間」/正面に「大師遍照金剛」と陰刻 2
写真 深沢の地蔵道標 ふかさわ 世田谷区 深沢不動教会 石道標(丸彫) 高135㎝,幅35㎝,厚20.5㎝ 宝暦13(1763)   区石造遺物調査報告4p14/鎌倉みちこ 移設 (台石正面)「さかみ海道」、(同右面)「江戸道」、(同左面)「せ多かや道」/台石上に地蔵の半跏坐像(光輪、錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 2
写真 瀬田の地蔵道標 せた 世田谷区 (5丁目) 石道標(舟型) 高134㎝ 明和3(1766)   区石造遺物調査報告4p15 移設/お堂内で両側面の刻字が見えない→資料による (右面)「是より右 高井戸道」、(左面)「是より左 府中道」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を半立体的に浮彫 3
写真 下馬の庚申塔道標1 しもうま 世田谷区 (1丁目) 石道標 高94.5㎝,幅25㎝,厚22㎝ 明和3(1766)   区石造遺物調査報告2p77/鎌倉みちこ 原位置?/裏面は塀に密着しているため刻字が見えない→資料による (正面上部)「東、/戸/道」、(右面)「北 上めぐろ道」、(左面)「南 ゆふてん寺道」、(裏面)「西 せたがや道」/正面中央に「奉納庚申供養」と陰刻 2
  弦巻の如意輪観音像道標 つるまき 世田谷区 常在寺 石道標(笠付き) 高141㎝,幅34㎝,厚30㎝ 安永2(1773)   区石造遺物調査報告4p48 移設 (右面)「右 品川ミち 丸子わたし」、(左面)「左 江戸道 二子渡」、(台石正面)「西/大/山/道」/正面上部を正方形に削り込み如意輪観音の半跏坐像(蓮台)を陽刻 2
写真 玉川の道標 たまがわ 世田谷区 (2丁目) 石道標(駒型) 高89㎝,幅25㎝,厚7.5㎝ 安永6(1777)   区石造遺物調査報告2p80/鎌倉みちこ 移設/上半分が5つに割れ、接着補修 (正面頂部右)「右 東 目黒道」、(同中央)「 南 大山道」、(同左)「左 西 赤坂道」/正面下部中央に「庚申供養講中」と陰刻 3
写真 桜丘の庚申塔道標1 さくらがおか 世田谷区 (1丁目) 石道標 高126㎝(塔身のみ),幅33㎝,厚25.5㎝ 安永8(1779)   区石造遺物調査報告2p83
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/昭和52に「古老の話」と題した解説文を刻んだ台石を追加 (右面像下中央)「西、府中道/四里」、(右面)「南 大山道、二子川迄/一里余」、(左面)「北 四谷道 二里半余」、(裏面)「東 青山道 二里半余」/正面上部を光背型に削り込み青面金剛立像(六手合掌、邪鬼)を陽刻、最下部に“三猿”を陽刻 2
写真 喜多見の庚申塔道標 きたみ 世田谷区 (1丁目) 石道標(駒型) 高102㎝(うち、塔身75㎝),幅28㎝,厚19㎝ 天明元(1781)   区石造遺物調査報告2p84 移設/簡易木覆屋内/像容の磨耗大 (右面右端)「東 江戸道」、(左面下部)「西 府…道/南 大山道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 深沢の題目塔道標 ふかさわ 世田谷区 (5丁目) 石道標 高72㎝,19㎝角 天明3(1783)   区石造遺物調査報告4p15/鎌倉みちこ 原位置? (右面)「是ヨリ 玉川渡シ迠 廾丁」、(左面)「左リ 於く沢 九品佛迠 八丁」/正面に「南無遍照金剛」と陰刻 1
写真 東玉川の庚申塔道標 ひがしたまがわ 世田谷区 東玉川神社 石道標 高101㎝,幅26㎝,厚17.5㎝ 天明5(1785)   区石造遺物調査報告2p85
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「右 新田道」、(左面)「左 品川道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻 2
写真 世田谷の地蔵道標2 せたがや 世田谷区 区郷土資料館 石道標(駒型) 高70㎝,幅25㎝,厚18㎝ 天明5(1785)   区石造遺物調査報告4p16/WEB 移設、集約/苔むして正面の刻字判読不能 (正面像下左)「西 さ加み道」、(右面)「南 池上道」、(左面)「北 高井戸宿通り」、(裏面)「東 江戸道」/正面頂部を枠だけ残して光背型に浅く削り込み地蔵坐像(蓮台)を陽刻 3
写真 奥沢の如意輪観音像道標 おくさわ 世田谷区 奥沢神社 石道標(隅丸型) 高114㎝(うち、台石29㎝),幅32.5
㎝,厚23.5㎝
天明6(1786)   区石造遺物調査報告4p49
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面像下)「右 品川ミち/左 めくろミち」、(裏面右端)「右 ふすまミち」、(同左端)「左 九ほんぶつ道」(=九品仏)/正面上部を光背型に削り込み如意輪観音の半跏坐像(蓮台)を陽刻、裏面中央に「羽黒山/湯殿山/月山、奉納、秩父/四国/坂東、百番供養塔」と陰刻 2
  下馬の庚申塔道標2 しもうま 世田谷区 (5丁目) 石道標 高80㎝(塔身),
幅21㎝,厚8㎝
寛政年間(1789-1801)   区石造遺物調査報告2p88 原位置? (正面下部)「北、ほりの内/あわしま、道」、(右面)「西 せたヶ谷道」、(左面)「東、江戸/あさふ、道」、(裏面)「南、ゆうてん寺/目くろ」/正面上部を長方形に削り込み青面金剛立像(六手合掌)を陽刻 1
写真 成城の庚申塔道標 せいじょう 世田谷区 祖師谷観音堂 石道標(尖頭角柱) 高98㎝(うち、台石19㎝),幅33㎝,厚18㎝ 寛政3(1791)   区石造遺物調査報告2p87/鎌倉みちこ 移設 (右面)「南 登戸道」、(左面)「西 府中道」、(裏面)「北 上高井戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 豪徳寺の供養塔道標 ごうとくじ 世田谷区 善性寺 石道標 高125㎝(うち、台石30㎝),幅34.5
㎝,厚25㎝
寛政3(1791)   区石造遺物調査報告4p50
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「東 目黒 池上道/南 大山道/西 府中道」、(左面)「北、ほり能うち/四ッ谷みち」/正面に「(梵字3)奉供養、坂東/西國/秩父、百箇所順禮爲二世安樂也」と陰刻/裏面に「か能岸へ 屋春至ら無 石者し越/可希天お保く乃 人を渡さは(彼の岸へ 易々致らむ 石橋を 架けて多くの 人を渡さは)」と石橋施工に関わる和歌を刻む/緑字は異体字 2
写真 船橋の地蔵道標 ふなばし 世田谷区 (1丁目)観音堂 石道標(舟型) 高(160㎝(うち、台石3段高87㎝),幅33㎝,厚24㎝) 寛政3(1791)   区石造遺物調査報告3p47
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/地蔵と台石が別々に置かれている→上段台石とそれ以下が別物の可能性もある (台石右面)「これより右/た可いとみち」/光背中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)を陽刻 3
写真 桜の地蔵道標 さくら 世田谷区 (2丁目) 石道標(舟型) 高106㎝(うち、台石38㎝),幅45㎝,厚27㎝ 寛政6(1794)   区石造遺物調査報告4p14/鎌倉みちこ 移設/地蔵、蓮台、台石をCで乱暴に接合/台石の刻字の「大」と「道」の間の1文字は意図的に削除→C充填 (台石右面)「大…道」/台石上に光背付き地蔵立像(錫杖、蓮台)を載せる 3
写真 祖師谷の庚申塔道標 そしがや 世田谷区 (6丁目) 石道標 高115㎝(うち、台石31㎝),幅34㎝,厚32㎝ 享和2(1802)   区石造遺物調査報告2p89/鎌倉みちこ 再移設/木祠内 (正面下部)「東/世田ヶ谷/道」、(右面)「北 高井土道」、(左面)「南 二子道」、(裏面)「□ □□□道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石に“三猿”の陽刻 2
写真 上用賀の地蔵道標 かみようが 世田谷区 (5丁目) 石道標(丸彫) 高136㎝(うち、台石40㎝) 享和2(1802)   区石造遺物調査報告3p48/鎌倉みちこ 移設 (台石正面右)「右 府中道」、(同左)「左 大山道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、小さな敷茄子) 3
写真 東玉川の馬頭観音像道標 ひがしたまがわ 世田谷区 (1丁目) 石道標(駒型) 高117㎝(うち、台石22㎝),幅34㎝,厚21㎝ 享和3(1803)   区石造遺物調査報告3p118
/WEB(鎌倉街道上道)
祠内、集約 (右面)「右 九品佛道」、(左面)「左 池上道」/正面頂部を駒型に削り込み小さな馬頭観音坐像(一面二臂)を陽刻、その下に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 桜丘の地蔵道標2 さくらがおか 世田谷区 (5丁目) 石道標 高72㎝(うち、台石13㎝),幅27㎝,厚16㎝ 文化元(1804)   区石造遺物調査報告4p16/鎌倉みちこ 原位置?/塀と塀の間/簡易祠内 (左面)「大山道」/正面上部を光背型に削り込み地蔵坐像(蓮台)を陽刻 2
写真 代沢の地蔵道標 だいざわ 世田谷区 森厳寺 石道標(舟型) 高101㎝(塔身㎝),幅45㎝ 文化2(1805)   区石造遺物調査報告3p48 移設、密集 (光背右)「右 あ王しま道」、(同左)「左 せ多可や道」/光背中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)の浮彫 3
写真 松原の庚申塔道標 まつばら 世田谷区 (1丁目) 石道標(駒型) 高98㎝(うち、台石20㎝),幅32㎝,厚26㎝ 文化5(1808)   区石造遺物調査報告2p90/鎌倉みちこ 移設/像容の磨耗大/左面が壁に近いため刻字が見えない→資料による (左面)「是より 二子ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)を陽刻 3
写真 三軒茶屋の不動明王像道標 さんげんぢゃや 世田谷区 (2丁目)<大山道> 石道標(丸彫) 高241㎝ 文化9(1812)   区石造遺物調査報告4p12/現地解説板/WEB 何度も移設→昭和58に三軒茶屋町会結成50周年記念事業の一つとして原位置近くに再設置 (正面)「大山道」、(正面右上隅)「左 相刕道」、(右面)「右 冨士、世田谷/登戸、道」、(左面)「此方 二子通」/背の高い角柱道標の上に、リアルな磐石を置き、その上に迦楼羅焔を背にした不動明王座像(剣と羂索)の丸彫を載せる/石工: 石峯 2
写真 上祖師谷の庚申塔道標 かみそしがや 世田谷区 (1丁目) 石道標(駒型) 高71㎝,幅34㎝,厚23㎝ 文化9(1812)   区石造遺物調査報告2p92/鎌倉みちこ 移設(修景整備) (右面左)「東 たかいどミち」、(左面右)「南、せた加や/めくろ、みち」、(左面左)「北 ところさハミち」、/正面に「庚申塔」と陰刻、最下部に“三猿”の陽刻 2
写真 世田谷の馬頭観音道標 せたがや 世田谷区 区郷土資料館 石道標 高75㎝,幅40㎝,厚29㎝ 文化10(1813)   区石造遺物調査報告3p119 移設(もと、用賀)、集約/基部露出 (右面)「右 府中道」、(左面)「左 大山道」/正面に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 駒沢の馬頭観音像道標 こまざわ 世田谷区 (2丁目) 石道標(駒型) 高93㎝(うち、塔身54㎝),幅28㎝,厚19㎝ 文化13(1816)   区石造遺物調査報告3p120 移設/木祠内 (右面)「むかへ/左り/あ王志ま/みち」〔台石は六角形〕/正面全面に馬頭観音坐像(三面八臂〔馬頭冠、輪宝、剣、○、斧〕)を陽刻 2
写真 世田谷の庚申塔道標1 せたがや 世田谷区 区郷土資料館 石道標(隅丸型) 高108㎝(塔身),幅31㎝,厚22㎝ 文化13(1816)   区石造遺物調査報告2p95/WEB 移設(もと、駒沢通り付近)、集約 (正面下部)「東 目黒道」、(右面)「北 府中道」、(左面)「南 六かう道」/正面上部に「庚申塔」と陰刻/元号は消えているが「十三年丙子」は文化13 2
写真 深沢の庚申塔道標 ふかさわ 世田谷区 深沢不動教会 石道標(駒型) 高115(うち、内台石18㎝),幅39㎝,厚20㎝ 文政3(1820)   区石造遺物調査報告2p95/鎌倉みちこ 移設/像容の中央部一部欠損 (右面)「あ王し満道」、(左面)「ほりの内道」/正面上部に青面金剛立像(日月、六手○○、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 砧の供養塔道標 きぬた 世田谷区 (5丁目) 石道標 高73㎝,幅23㎝,厚19.5㎝ 文政6(1823)   区石造遺物調査報告4p53/鎌倉みちこ 原位置/電柱に縛り付けてあり、裏面は見えない→資料による (正面最下部左端)「東 江戸道」、(右面最下部左端)「北 高井戸道」、(左面最下部中央)「南 二子道」、(裏面最下部右端)「西 登戸道」/正面に「榛名山供養塔」と陰刻 2
写真 経堂の庚申塔道標 きょうどう 世田谷区 (1丁目) 石道標 高124㎝(うち、台石24㎝),幅31㎝,厚20㎝ 文政9(1826)   区石造遺物調査報告2p96
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木祠内 (正面像下)「南 二子道」、(右面下部)「東 青山道」、(左面)「西 ふちうミち」/正面上部2/3に青面金剛立像(六手○○、邪鬼、三猿)を陽刻 1
写真 桜丘の庚申塔道標2 さくらがおか 世田谷区 稲荷神社 石道標 高58㎝,幅25.5㎝,厚19㎝ 文政9(1826)   区石造遺物調査報告2p96/鎌倉みちこ 移設 (正面最下部左)「南 二子道」、(右面)「東 青山道」、(左面)「西 登戸道」、(裏面左側)「北 高井戸」/正面に「庚申塔」と陰刻 2 -
写真 世田谷の庚申塔道標2 せたがや 世田谷区 区郷土資料館 石道標 高123㎝(うち、塔身89㎝),36㎝角 文政10(1827)   区石造遺物調査報告2p97/WEB 移設(もと、用賀の追分)、集約 (右面)「右り 江戸道」、(左面)「左り 世田ヶ谷 四ッ谷道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
写真 奥沢の庚申塔道標2 おくさわ 世田谷区 (3丁目) 石道標 高55㎝(塔身),
幅21㎝,厚15㎝
天保11(1840)   区石造遺物調査報告2p97 移設/木祠内/中央で斜めに折損→みっともない修復/正面下部が表面剥離 (右面)「北 九品…道」、(左面)「南、沼部(?)/丸子、道」/正面上部に
「庚申供養」と陰刻
3 -
写真 用賀の庚申塔道標 ようが 世田谷区 真福寺 石道標(駒型) 高102㎝
(うち、塔身75㎝) ,幅29㎝,厚21㎝
弘化4(1847)   区石造遺物調査報告2p98 移設/銅板葺きの木祠内/裏面は見えない→資料による (右面)「南 大山道」、(左面)「北 青山道」、(裏面)「東 六郷道」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻〔躍動感のある見事な彫り〕/建立年は由来碑による 2
  喜多見の地蔵・馬頭観音道標
(玉川六阿弥陀参りの道標)
きたみ 世田谷区 慶元寺 石道標(板碑型) 高92㎝(塔身),
幅30㎝,厚22㎝
安政2(1855)   区石造遺物調査報告4p19/狛江市教委(狛江の古い道p33) 移設(もと、狛江市岩戸南) (正面下部)「右 宇奈根 大蔵ヨリ/左 六阿弥陀弐番慶元寺」、(正面最下部)「右リハ 池上 六郷/左リハ 世田谷 青山、道」/(左面下部)「北 喜多見 牛頭天王 玉川六阿弥陀/三番出口光伝寺大蔵永安寺/田中不動明王 同四番世田行善寺/光伝寺ヨリレハ世田谷 青山道」/正面上部右に地蔵坐像、左に馬頭観音坐像(三面二臂)を陽刻 2
写真 砧の庚申塔道標 きぬた 世田谷区 (7丁目) 石道標 高85㎝(うち、台石17㎝),29㎝角 元治2(1865)   区石造遺物調査報告2p99/鎌倉みちこ 移設 (正面最下部)「のぼりと/大山、道」、(右面中央最下部)「右 江戸道」、(左面)「左 □□□道」/正面上部に「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”を陽刻 2 C「
  尾山台の馬頭観音像道標 おやまだい 世田谷区 伝乗寺 石道標(駒型) 高86㎝(うち、塔身25㎝),幅25㎝,厚14㎝ 慶応2(1866)   区石造遺物調査報告3p130 移設、集約 (台石正面)「東、品川/六郷、道」、(台石右面)「右、世田ヶや/ふちう、道」、(台石左面)「左、たき/のけ渡、道」/正面に馬頭観音坐像(三面八臂?)を陽刻 2
  奥沢の庚申塔道標3 おくさわ 世田谷区 (5丁目) 石道標(駒型) 高85㎝(塔身),
幅22㎝,厚16㎝
江戸期?   区石造遺物調査報告2p109 原位置? (正面右端)「東 目黒道」、(右面)「西 九品佛道」、(左面)「南、新田/池上道」/正面上部に「庚申塔」と陰刻/世話人がすべて苗字なし→「明治8の平民苗字必称義務令」以前で近代の可能性もあるが、江戸期の可能性の方が高い 1 -
  上祖師谷の石橋供養塔 かみそしがや 世田谷区 神明社 石碑 高157㎝,幅35㎝,厚21㎝ 明和4(1767)   区石造遺物調査報告4p58 移設 (正面)「石橋供養塔」 2
  砧の石橋供養塔 きぬた 世田谷区 (7丁目) 石碑 高128㎝(塔身),幅33㎝,厚22㎝ 明和4(1767)   区石造遺物調査報告4p57 鉄柵内 (正面)「(梵字)奉石橋供養塔」/台石正面に“三猿”の陽刻 2
  等々力の石橋供養塔 とどろき 世田谷区 (8丁目) 石碑 高76㎝(塔身),
幅28㎝,厚18㎝
安永9(1780)   区石造遺物調査報告4p58 移設? (正面)「奉造立石橋供養爲先祖并」/正面上部を四角に削り込み地蔵坐像を陽刻 2
写真 経堂の石橋供養塔 きょうどう 世田谷区 (5丁目) 石碑
(道標兼、丸彫)
高162㎝,幅36㎝,厚28㎝ 寛政4(1792)   区石造遺物調査報告4p59
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/木覆屋内/台石の下半分が埋設され道しるべの部分が判読不能 (正面)「両石橋供養塔」、(台石正面)「南/二/子/道/東/江/戸/」、(左面)「十方他力」、(同右端)「十方ノ他力もちよる 石のはし」、(同左端)「千代をかけたる 施主のめん」と石橋施工に関わった人々を紹介する文言を刻む/緑字は異体字/塔身上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 成城の石橋供養塔1 せいじょう 世田谷区 祖師谷観音堂 石碑(道標兼) 高64㎝,幅31㎝,厚16㎝ 享和2(1802)   区石造遺物調査報告4p60/鎌倉みちこ 移設、集約 (正面)「石橋供養塔」、(右面)「西 ふちう道」、(左面)「東 世田ヶ谷道」、(裏面)「南 二子道」 2 -
写真 成城の石橋供養塔2 せいじょう 世田谷区 喜多見不動堂 石碑(尖頭角柱、道標兼) 高122㎝(うち、台石22㎝),幅30.5
㎝,厚22㎝
文化8(1811)   区石造遺物調査報告4p61/鎌倉みちこ 移設 (正面)「奉建立石橋供養塔」、(正面左下隅)「北 高井戸道」、(右面左)「南 のぼり…みち」、(左面左)「東 …子みち」/正面頂部に“日月”の陽刻 2
  大蔵の敷石供養塔 おおくら 世田谷区 永安寺 石碑 高105㎝,幅26㎝,厚18㎝ 寛政7(1795)   区石造遺物調査報告4p64 移設 (正面)「(梵字)敷石供養塔」 2
写真 宮坂の敷石供養塔 みやさか 世田谷区 (2丁目)常徳院 石碑 高145㎝(うち、台石2段49㎝),幅28.5㎝,厚24.5㎝ 天保2(1831)   区石造遺物調査報告4p65
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「敷石供羪塔」 2
  深沢の敷石供養塔 ふかさわ 世田谷区 医王寺 石碑(自然石) 高200㎝,幅74㎝,厚10㎝ 嘉永5(1852)   区石造遺物調査報告4p66 移設 (正面)「(梵字)南無遍照金剛 敷石供養塔」/裏面左側に「法の道 造るいさをは 堅磐の/ときはかきらす くちせさるへし」と石畳の有効性を詠んだ歌を刻む 2
写真 豪徳寺の石坂供養塔 ごうとくじ 世田谷区 善性寺 石碑(墓石型) 高176㎝(うち、台石3段82㎝),幅40㎝,厚33㎝ 安政3(1856)   WEB(鎌倉街道上道)   (正面)「(梵字)奉再建石坂供養塔」/(台石正面)「十/方/他/力」/右・左面と裏面上部に寄進者の名前が一面に刻字  
  玉川上水(修景保存区間) たまがわ 世田谷区・渋谷区 多摩川
(代田橋駅周辺の1ヶ所)
上水路(C改修) 総延長約43㎞のうち約0.1㎞ 承応3(1654) 国史跡 玉川上水現況調査報告書/WEB 杉並区の浅間橋より下流は、都心部に残る3ヶ所の保存修景区間以外は、すべて暗渠化 総奉行: 老中・松平信綱、水道奉行: 伊奈半十郎忠治(没後は半左衛門忠克)、施工: 庄右衛門・清右衛門兄弟(褒賞として玉川姓を賜る)/江戸の人口急増による水不足解消のために、羽村市で多摩川から取水し、四谷大木戸まで掘られた素掘りの上水路/開渠部の30kmが国指定史跡 3
  六郷用水(次大夫堀) ろくごう
(じだゆう)
世田谷区・大田区 多摩川  用水路 長23㎞ 文禄16(1611)→享保10(1725)改修   WEB 1970年代までに暗渠化→→喜多見で野川から取水し用水路を再現(次大夫堀公園→水路主体ではない) 世田谷領と六郷領への農業用水/稲毛・川崎領の代官・小泉次大夫が開削/開通後100年で荒廃した際は、代官・田中丘隅が改修 4
写真 元・品川領用水御普請所の標石 しながわ 世田谷区 区郷土資料館 石碑   天保7(1836)   区教委/WEB 移設、集約/下部で水平に折損→修復 (正面)「品川領用水御普請所」/用水の拡張で潰れる耕地について、虚偽の言上をしないことを村役人が誓ったもの 2
写真 浅草寺の石橋 せんそう、
しゃっきょう
台東区 浅草寺 石桁橋 長3.3m,幅2.2m
(G)
元和4(1618) <国重要美術品> WEB 原位置/通行禁止 2代将軍・徳川秀忠が浅草寺境内に東照宮を造った際、和歌山藩主の浅野但馬守長晃の妻・振姫(徳川家康の娘)が寄進/都内最古の石橋/立派な擬宝珠付き高欄 1
写真 永見寺の迷子石 えいけん 台東区 永見寺 石標(尖頭角柱) 高174㎝(うち、台石28㎝) 江戸期?   高橋 努 原位置? (正面)「まよひ子の/しるべ」、(右面)「たづぬる方」、(左面)「志らする方」/迷子や尋ね人を探すための告知板→側面上部の長方形に削り込んだ部分に紙を貼った 2
写真 浅草寺の「迷い子知らせ」石標 せんそう 台東区 浅草寺 石標 高217㎝(うち、台石50㎝),
36.5㎝角
安政7(1860)   WEB 復元(昭和32) (正面)「南無大慈悲観世音菩薩まよひごのしるべ」、(右面下部)「志らする方」、(左面下部)「たずねる方」/迷子や尋ね人を探すための告知板→側面上部の長方形に削り込んだ部分に紙を貼った 4
  上野広小路三橋遺構 うえのひろこうじ、みはし 台東区 <忍川> 石護岸(布積) 長約20m+30m,高3m 17C中頃→17C後半~18C前半に改築   区教委 区営地下駐車場工事中、平成17に発見→石材保管→部分復元構想中 将軍が寛永寺に参詣するにあたって忍川に3つの橋(中央が将軍用、両脇が一般用)が架けられた際、川の護岸も石できれいに修景されたもの 4
写真 八重洲の
「一石橋迷子しらせ」石標
やえす、
いっこくばし
中央区 (1丁目) 石標 高180㎝ 安政4(1857) 都有形 現地解説板/WEB 施錠されたフェンス内に保存 (正面)「満よひ子の志るべ」、(右面下部)「志らする方」、(左面下部)「たづぬる方」/迷子や尋ね人を探すための告知板→側面上部の長方形に削り込んだ部分に紙を貼った 2
写真 佃島・石川島の護岸 つくだ、
いしかわ
中央区   石護岸   江戸期   現地解説板/WEB 周囲にビルが立ち並んでいるが舟溜りのまま残り、かつて島だった雰囲気が漂う 佃島は、摂津国佃村の漁夫が正保元(1645)に移住した人工島/石川島は、幕府の船手頭・石川八左衛門重次が江戸初期に徳川家光から拝領した島/護岸を石積にした年代は不明/江戸幕府より建立を許された大幟の柱と抱が埋没 2
写真 外堀 (日本橋川 錦橋付近) の石垣 そとぼり 千代田区 日本橋川 石垣   江戸期   WEB 関東大震災で崩壊後に復元 乱れ積みと呼ばれる工法の石組み/江戸初期に外濠の整備を請け負った大名家の名前や工事をした石工の名前の刻印が石垣内の石に残る 3
  鎌倉荷揚げ場 かまくら 千代田区 日本橋川 荷揚場   江戸期?   区教委/WEB        
写真 玉川上水の石枡1 たまがわ 千代田区 和田倉噴水公園
<玉川上水>
石枡 145×145㎝,高70㎝     東京都水道歴史館 公園に移設 数段重ねた石枡に木樋を繋げ、玉川上水の所々に分水、水質管理、揚水を目的に設置 2
写真 玉川上水の石枡2 たまがわ 千代田区 清水谷公園
<玉川上水>
石枡 :高202㎝, 幅142㎝,:高163.6㎝,幅142㎝ 承応3(1654)   現地解説板/WEB 発掘され、公園に移設/木樋部分は区立四番街歴史民俗資料館に保存 数段重ねた石枡に木樋を繋げ、玉川上水の所々に分水、水質管理、揚水を目的に設置 2
写真 櫻の井 さくら 千代田区   石組井戸 幅約3m,
厚約1.8m,高80㎝
江戸期   現地解説板/WEB 道路拡幅のため原形のまま移設復元 三連式釣瓶井戸で当時は江戸城を訪れる通行人に水を提供していた 2
写真 柳の井戸 やなぎ 千代田区   石井戸   江戸期   WEB 傍に柳の木が植えられている 皇居桜田濠堤に残る石井戸 2
写真 北町奉行所の下水溝遺構 きたまち 千代田区 北町奉行所跡 下水路   文化3(1806)以降   現地解説板/江戸切絵図今昔散歩p12 発掘後、移設・復元/本来3~4段の石積みであったと思われるが、最下段のみ現存 北町奉行所跡から発掘された下水溝遺構/溝の角石が切り取ってあるのは邪鬼が進入する鬼門である艮の方角を防護するための呪術的な意味を示すものとされる 3
写真 南長崎の地蔵道標
(目白通り二又子育地蔵尊)
みなみながさき 豊島区 (2丁目) 石道標(丸彫) 高154㎝ 宝永7(1710)   歴史をたずねて―豊島区の文化財/WEB(鎌倉街道上道) 移設/立派な木祠内/信仰の対象 (台石右面)「是ゟ右 川越うら道」/台石上に地蔵立像(錫杖)の丸彫を載せる 2
写真 池袋本町の庚申塔道標 いけぶくろほん 豊島区 重林寺 石道標(笠付き) 高134㎝(うち、台石27㎝),幅37㎝,厚24㎝ 享保元(1716)   文化財の保護43p95
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/笠の一部が欠損 (右面右端)「□□りミ奈み 高田ミち」、(左面左下隅)「是よりきた 板者しミち」/正面を光背型に削り込み青面金剛立像(六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻、頂部枠の左右に“日月”の線刻/右・左面に蓮の花の浮彫り/笠正面に唐破風 2
写真 東池袋の供養塔道標
(池袋四面塔)
ひがしいけぶくろ 豊島区 (1丁目) 石道標   享保6(1721)   WEB 原位置/祠に鍵がかけられ詳細不明 (右面左)「北方 板ばしみち」、(左面右)「南方 高田 雑司ヶ谷道」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻/蓮台付き/享保6に一晩で17名の辻斬があったため無縁仏の供養のために建立 2
写真 長崎の庚申塔道標 ながさき 豊島区 (6丁目) 石道標(駒型) 高94㎝(うち、台石18㎝),幅30㎝,厚22㎝ 安永3(1774)   文化財の保護43p107
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面右)「右 いたばし道」、(左面左)「左 奈加の道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻、“二鶏”を線刻 1
写真 長崎の地蔵道標
ながさき 豊島区 金剛院不動堂・前 石道標(舟型) 高120㎝ 寛政8(1796)   歴史をたずねて―豊島区の文化財/WEB(鎌倉街道上道) 移設?/台石は享保17(1732)と塔身より古い (光背右下隅)「北 下板橋道」、(同左下隅)「南 本りの内道」/光背中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)を陽刻 2
写真 南池袋の石橋供養塔
みなみいけぶくろ 豊島区   石碑(尖頭角柱) 高153㎝,幅27㎝,厚22㎝ 享保18(1733)   歴史をたずねて―豊島区の文化財/WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (左面下部)「當所石橋施主 木村氏」/正面上部に「南無法蓮華経爲」と陰刻/弦巻川に石橋を架けた記念に建立 1
写真 千早の敷石供養塔
ちはや 豊島区 地蔵堂 石碑(道標兼) 高163㎝(うち、台石13㎝),幅33㎝,厚22㎝ 寛政13(1801)   歴史をたずねて―豊島区の文化財/WEB(鎌倉街道上道) 移設、下部C固定 (正面)「鋪石建立塔」、(同最下部)「東 さうし可や道」、(右面最下部左)「右/いたはし道」、(左面最下部)「左り/ほ里の内道」 2
写真 高田の敷石供養塔
たかだ 豊島区 南蔵院 石碑 高73㎝,幅24㎝,厚15㎝ 文政5(1822)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「石建立」(緑字は異体字) 1
写真 東中野の庚申塔道標 ひがしなかの 中野区 氷川神社 石道標
(舟型、安山岩)
高130㎝,幅59㎝,厚28㎝ 寛文9(1669) 区登録有形 中野の庚申塔を歩くp6
/中野区の石造物(神社)p25
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「あらい梅照院道」(追刻の可能性が指摘されている)/光背頂部に“日月”の陽刻、中央に“三猿”の浮彫り/17世紀の道標 2
写真 沼袋の庚申塔道標 ぬまぶくろ 中野区 (4丁目) 石道標(笠付き) 高156㎝(うち、台石17㎝),幅38㎝,厚29㎝ 正徳3(1713) 区登録有形 中野区内の石仏p29・71
/路傍の石仏をたずねてp45
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/石祠(瓦葺)内 (右面)「右 中村道」、(左面)「左 さぎのミや」/正面に青面金剛坐像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風、頂部に宝珠を載せる 2
写真 本町の題目塔道標
(お題目石)
ほんちょう 中野区 (4丁目) 石道標(隅丸型)   享保3(1718)   WEB 移設 (右面)「是より/妙法寺江 十八丁」、(左面)「是より/本りの内道」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻/堀之内にある妙法寺への参詣道 2
写真 若宮の庚申塔道標 わかみや 中野区 (2丁目) 石道標(駒型) 高151㎝(うち、台石30㎝),幅39㎝,厚27㎝ 享保10(1725)   中野区内の石仏p31
/WEB(鎌倉街道上道)
Cブロックを冂型にし、銅板葺屋根と木扉を付ける→原位置? (正面最下部右)「きた/なかむら」、(同中央)「ひ多"り、ぬまふくろ」、
(同左)「ミなみ/だい者"ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の浮彫り
1
写真 白鷺の地蔵道標1 しらさぎ 中野区 地蔵堂 石道標(丸彫) 高186㎝(うち、台石49㎝),幅43㎝,厚33㎝ 享保16(1731)   中野区内の石仏p23
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(左面判読不能) (台石正面左下隅)「是より 高井戸道」、(台石右面右下隅)「是より 禰りま道」、(台石左面左下)「是より …」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる/下記の「白鷺の地蔵道標2」と並ぶ 3
写真 野方の庚申塔道標1 のがた 中野区 がんかけ地蔵尊/三叉路 石道標(笠付き) 高185㎝(うち、台石67㎝),幅37㎝,厚30㎝ 享保21(1736)   中野区内の石仏p31・84
/路傍の石仏をたずねてp37・38
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内 (台石右面中央)「右/中村道」、(台石左面左)「左/さぎのみや道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、三猿)の浮彫り、右面・左面全面に蓮の花の浮彫り/笠正面に唐破風 1
写真 鷺宮の地蔵道標 さぎのみや 中野区 (5丁目)<東海道> 石道標(丸彫) 高123㎝ 元文3(1738)   中野区内の石仏p24
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/地蔵立像の上半分が欠損(蓮台のみ残る) (台石右面左)「ゑど道」、(台石左面右)「いぐさ道」/台石正面中央に
「奉供養地藏尊」と刻字してあることから、上半身の欠けた像が地蔵であったことが分かる
4
写真 野方の庚申塔道標2 のがた 中野区 (4丁目) 石道標(笠付き) 高165㎝(うち、台石23㎝),幅37㎝,厚25㎝ 元文5(1740)   中野区内の石仏p31/中野の庚申塔を歩くp40
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/中央で折損→修復/台石の道標銘が埋設 (台石右面)「右…」〔資料では「中村みち」〕、(台石左面)「左…」〔同・「中野道」〕/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の浮彫り、右面・左面全面に蓮の花の浮彫り/笠正面に唐破風 3
写真 新井の地蔵道標 あらい 中野区 (1丁目)三叉路付近 石道標(丸彫) 高166㎝(うち、台石38㎝) 延享3(1746)   中野区内の石仏p18/路傍の石仏をたずねてp61
/WEB(鎌倉街道上道)
C祠(瓦屋根)内/信仰の対象/首が折損→修復 (台石右面)「これより/右 あらい村/梅松院江/三丁道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 大和町の不動明王像道標 やまと 中野区 厄除不動堂
<旧・育英地蔵堂>
石道標(丸彫) 高110㎝(うち、台石25㎝) 延享3(1746)   中野区内の石仏p22
/WEB(鎌倉街道上道)/区立歴史民俗資料館
厄除不動堂の中央にある不動明王坐像(制作年不明)の載った台石(道標)は、隣接する育英地蔵堂の中央にある地蔵立像(延享3)を載せていたと思われる(1970年代末までの資料は、すべて地蔵台石と明記されている) (台石右面右端)「北ハ/さぎのみやミち」、(同左端)「東ハ 多加多ミち」、(台石左面右端)「南ハ/なかのミち」、(同左端)「西ハ/阿さ加やミち」/台石上に不動明王坐像(一面二臂、背景に迦楼羅焔、磐石)、敷茄子、蓮花の浮彫り付きの小台石を載せる→左欄に書いたように、かつては敷茄子上に地蔵立像が載っていた 3
写真 野方の庚申塔道標3 かみさぎのみや 中野区 (6丁目) 石道標(笠付き) 高113㎝(うち、台石13㎝),幅30.5㎝,厚21㎝ 寛延元(1748)   中野の庚申塔を歩くp41
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設?/木祠(銅板葺)内 (右面左)「右 中村ミち」、(左面右)「左 さきのミやミち」/正面を光背型に削り込み「(梵字)奉供養庚申待二世安樂所」と陰刻、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風 1
写真 大和町の地蔵道標 やまと 中野区 育英地蔵堂 石道標 高63㎝,幅18㎝,厚14㎝ 宝暦14(1764)   WEB(鎌倉街道上道) 移設/木祠内/顔が不鮮明 (右面右下端)「右 あざ加やみち」、(左面左下)「左 新井道」/正面上半分に地蔵坐像?(蓮台)の浮彫り 2
写真 上鷺宮の庚申塔道標 かみさぎのみや 中野区 北原神社 石道標(笠付き) 高112㎝(うち、台石27㎝),幅28㎝,厚19㎝ 明和8(1771)   中野区内の石仏p33
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面左下)「是ヨリ右 ぬくい道」、(左面上部)「是ヨリ左/や王ら道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻、足元の両脇に“二鶏”の線刻/笠正面に唐破風 2
写真 上高田の聖観音像道標 かみたかだ 中野区 東光寺 石道標(舟型) 高153㎝(うち台石2段45㎝),幅43㎝,厚26㎝ 天明3(1783)   中野区内の石仏p37/路傍の石仏をたずねてp58・59
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石正面右)「右、奈村/南蔵院/へ」、(同左)「左、あらい村/梅照院/へ」/光背正面に聖観音立像を陽刻 2
写真 弥生町の地蔵道標
(向台の地蔵尊)
やよい 中野区 (1丁目)三叉路 石道標(丸彫) 高207㎝(うち、台石3段102㎝) 寛政8(1796)   中野区内の石仏p17/路傍の石仏をたずねてp79
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木祠内/信仰の対象 (下から2段目の台石正面右端)「右 ぞうしき道」、(同左端)「左 は多加や道」/3段の台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 1
写真 丸山の元・聖観音像道標 まるやま 中野区 (1丁目)<所沢街道> 石道標(丸彫) 高118㎝(うち、塔身20㎝),幅35㎝,厚24㎝ 寛政10(1798)   中野区内の石仏p39/路傍の石仏をたずねてp44
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/聖観音立像が欠損(蓮台のみ残る)/木祠内 (台石右面)「右 中むら道」、(台石左面)「左 ほりのうち道」/台石正面中央に「奉建立聖觀世音菩薩」と刻字してあることから、上部にかつては聖観音立像が載っていたことが分かる 4
写真 鷺宮の庚申塔道標 さぎのみや 中野区 不動堂
<雑司谷道・中野道>
石道標 高177㎝(うち、台石19㎝),幅35㎝,厚22㎝ 寛政12(1800)   中野区内の石仏p32・42
・73/路傍の石仏をたずねてp22
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面最下部)「西」、(右面最下部)「奈加の/ち、南」、(左面最下部)「ぞふし加"や/みち、北」、(裏面最下部)「東」/正面に「(梵字)青面金剛」、右面に「(梵字)聖觀世音菩薩」、左面に「(梵字)馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 上高田の題目塔道標 かみたかだ 中野区 (1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高123㎝(うち、台石30㎝),幅32㎝,厚30㎝ 寛政12(1800)   中野区内の石仏p37
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石正面右)「これより/右 や者"(?)/三丁」、(同中央)「右 なかむら/なんぞういん/ 一り」、(同左)「左 阿らい村/者"い志やういん/十一丁」/正面に「南無阿彌陀佛」と陰刻 3
写真 白鷺の地蔵道標2 しらさぎ 中野区 地蔵堂 石道標(蒲鉾型) 高128㎝(うち、台石27㎝),幅34㎝,厚22㎝ 享和元(1801)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面像下右)「右 東高野山/長命寺道/是より十八丁」/正面上半分に地蔵坐像(錫杖、蓮台)の陽刻/上記の「白鷺の地蔵道標1」と並ぶ 2
写真 中央の馬頭観音像道標 ちゅうおう 中野区 慈眼寺 石道標(丸彫) 高206㎝(うち、塔身95㎝) 文化13(1816)   中野区内の石仏p36・77
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/腕の一本の先端が欠損 (台石右面)「(梵字) 右 いぐさ道」、(台石左面)「(梵字) 左 あふめ道」/背の高い台石上に馬頭観音坐像(光輪、三面六臂〔馬頭冠、剣、宝輪、斧〕、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる→左右の四臂が立体的な丸彫になっている例は稀 2
写真 白鷺の道標 しらさぎ 中野区 福蔵院 石道標(尖頭角柱) 高77㎝,幅20㎝,厚14.5㎝ 文政9(1826)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「弘法大師道」、(右面)「右 石神井江 一里十丁」、(左面)「是ゟ 福藏院みち/壹丁」 2 -
写真 上高田の如意輪観音像道標 かみたかだ 中野区 (1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高94㎝(うち、台石22㎝),幅27㎝,厚20㎝ 天保3(1832)   中野区内の石仏p37
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/覆屋内 (台石正面右)「右/やくし道」、(同左)「左/中野打越」/正面頂部に小さな如意輪観音の半跏坐像(蓮台)を浮彫り〔資料では聖観音となっているが、首の傾きから如意輪観音と判断〕、その下に「西國百ヶ所供養為二世安樂」と陰刻 2
写真 白鷺の馬頭観音像道標 しらさぎ 中野区 福蔵院門前・参道脇 石道標(丸彫) 高236㎝(うち、塔身77㎝) 天保5(1834)   中野区内の石仏p42
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (下段台石正面)「東 江戸道」、(下段台石右面)「北 練馬道/一里」、
(下段台石左面)「南 高井戸道/二里」、(下段台石裏面)「西 所澤道/五里」/背の高い上段台石上に馬頭観音坐像(光輪、一面四臂〔馬頭冠、剣、輪宝〕、蓮台)の丸彫を載せる/背の高い上段台石正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻
2
写真 中野の庚申塔道標 なかの 中野区 谷戸小学校 石道標(蒲鉾型)   慶応2(1866)   WEB 移設 (正面頂部中央)「東」、(その右上)「北」、(同左上)「南」、(右面)「あらいみち」、(同左下隅)「十二丁」、(左面)「ほりのうちミち」、(同左下隅)「二十三丁」/正面に「庚申塚」と陰刻 2 -
写真 東中野の石橋供養塔 ひがしなかの 中野区 氷川神社 石碑(尖頭角柱、安山岩) 高89㎝(うち、台石13㎝),幅25㎝,厚16㎝ 安政6(1859) 区登録有形 中野区の石造物(神社)p27
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「石橋供養塔」/下記の「東中野の敷石供養塔」と並ぶ 2
写真 東中野の敷石供養塔 ひがしなかの 中野区 氷川神社 石碑
(駒型、安山岩)
高116㎝,幅35.5㎝,厚21㎝ 安政6(1859) 区登録有形 中野区の石造物(神社)p27
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「敷石供養塔」/上記の「東中野の石橋供養塔」と並ぶ 2
写真 御廟橋 みみょう 練馬区 長命寺・奥の院参道 石桁橋 長3.93m(2G),
幅1.50m
嘉永7(1854)?   練馬の石造物寺院編2p51・68
/WEB(鎌倉街道上道)
橋面石の折損が意図的なものかどうか不明 小規模だが、2本の石柱の上に横桁を置き、その上に3本の石梁を架け、橋面石を置いた本格的な参道橋/高欄の石板に装飾的な開口部 1
写真 御廟橋碑 みみょう 練馬区 長命寺・奥の院参道 石碑(自然石) 高122㎝ 嘉永7(1854)   練馬の石造物寺院編2p51・68
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (正面)「御廟橋」、(同右フリガナ)「み め他うの 者し」、(同下部)「左ん希以の/人可" 多れハ/里やく阿り」(=参詣の 人が渡れば りやくあり)、(裏面上部)「嘉永七寅年/六月吉日/當山二十一世泰英代/橋修覆之」 1
写真 石神井町の庚申塔道標 しゃくじい 練馬区 郷土資料館の庭 石道標(駒型) 高125㎝(うち、台石18㎝),幅46㎝,厚28㎝ 元禄16(1703)   文化財の保護43p89
/練馬の石造物路傍編1p84
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(もと、北町) (正面右下隅)「右方 とく丸道」、(同左下隅)「左方 はやセ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻/台石正面にも“三猿”の陽刻→本体の“三猿”と重複→別の碑からの転用(?) 2
写真 旭丘の地蔵道標 あさひがおか 練馬区 能満寺 石道標(丸彫) 高125㎝(うち、台石29㎝) 享保元(1716)   練馬の石造物寺院編1p17
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/覆屋内/服を着せられている (台石右面中央)「右ハ かわごゑかいどう」(隣の石碑と接近して確認不能)、(台石左面中央)「左ハ たな志加…」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 氷川台の庚申塔道標 ひかわだい 練馬区 荘厳寺 石道標(笠付き) 高130㎝(うち、台石30㎝),幅30㎝,厚24㎝ 享保4(1719)   文化財の保護43p96
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面右)「右 か王こへミち 六里余、(同左)「左 た奈しミち 三里」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 錦の庚申塔道標1 にしき 練馬区 円明院 石道標(駒型) 高137㎝(うち、台石84㎝),幅45㎝,厚22㎝ 享保7(1722)   文化財の保護43p97
/WEB(街角の庚申塔)
移設、集約 (右面)「右 ふじミち」、(左面)「ひだりハ たかたみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/下記「錦の馬頭観音像道標」と同所 3
写真 石神井町の地蔵道標 しゃくじい 練馬区 禅定院(5丁目)
<江戸道・ほう谷道>
石道標(丸彫) 高183㎝(うち、塔身125.5㎝) 享保14(1729)   練馬の石仏1p37
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→墓地 (台石右面右)「右 はしとミち」、(台石左面左)「左 ほうやミち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 中村の七観音道標
(石幢七面六観音勢至道しるべ)
なかむら 練馬区 南蔵院・良弁塚 石道標
(七角柱、笠付き、台石は四角)
高238㎝(うち、台石35㎝),径43㎝ 元文5(1740) 区有形 WEB 近接(数10m)移設 (台石正面)「東、此方なかのミち/目ぐろみち」、(同右面)「北、此方ねりま/川口ミち」、(同左面)「南、武州豊嶋郡/中村里」、(同裏面)「西、此方た可いど/大山ミち」/四角の台石上に、七角、円断面の小台石、七角の蓮台を置き、その上に准提、十一面、馬頭、千手、聖、如意輪の真言系観音と勢至観音の坐像を各面中央に陽刻した七角柱の石憧、七角の笠と宝珠を載せる 2 写真
写真 中村の庚申塔道標1 なかむら 練馬区 南蔵院・良弁塚 石道標(笠付き) 高190㎝,幅42㎝,厚36㎝ 元文5(1740)   文化財の保護43p101
/WEB
移設/上に伸ばした右手を修復 (右面)「是より右ハ 下祢りま道」、(左面)「是より左ハ 上祢りま道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻、台石正面に鮮明な“二鶏”の陽刻、宝珠付きの笠も立派 2
写真 石神井台の灯籠道標 しゃくじいだい 練馬区 (5丁目) 石道標(常夜灯兼) 高73㎝,幅18㎝,厚15.5㎝ 元文5(1740)   練馬の石造物路傍編2p92
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/火袋等欠損、笠と竿のみ (右面右)「北ハ ひさをりミち」、(同左)「南ハ 多可いどミち」/正面に「奉納 石燈籠壹基」→かつて常夜灯であったことを示す 3 -
写真 平和台の庚申塔道標1 へいわだい 練馬区 (1丁目) 石道標(笠付き) 高80㎝ 宝暦2(1752)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置?/新しい祠内 (左面)「是より、西 たなし道/東 いた者し道」/正面に「庚申講」と陰刻 1
写真 北町の不動明王像道標
(下練馬の大山道道標)
きた 練馬区 <川越街道・大山道> 石道標(丸彫) 高208㎝(うち、塔身78㎝) 宝暦3(1753) 区有形 区教委
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設(8m)/新しい祠内/迦楼羅焔が一部欠損 (台石正面)「従是 大山道」、(同左面最下部右)「ふじ山道/田なしへ/三里」、(同左端)「府中江/五里」/台石上に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、迦楼羅焔、磐石)の丸彫を載せる 2
写真 中村の庚申塔道標2 なかむら 練馬区 南蔵院・良弁塚 石道標(駒型) 高106㎝(うち、台石19㎝),幅32㎝,厚23㎝ 明和元(1764)   文化財の保護43p105
/WEB
移設 (右面)「右ハ かうゑん寺高井戸通り」、(左面「左ハ そうしかや通り/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 春日町の庚申塔道標 かすが 練馬区 (1丁目) 石道標(駒型) 高97㎝,幅43㎝,厚27㎝ 明和3(1766)   文化財の保護43p106
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (左面)「これより左 中村ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)を陽刻 1
写真 谷原の地蔵道標1
(谷原延命地蔵)
やはら 練馬区 (1丁目)<大山道・橋戸道> 石道標(丸彫) 高183㎝(うち、台石78㎝) 安永4(1775) 区登録有形民俗 WEB(街角の庚申塔)
/WEB(鎌倉街道上道)
木祠内 (台石右面)「みぎ/者しど道」、(同左面左)「左 た奈し道/大山道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 1
写真 高野台の庚申塔道標1 たかのだい 練馬区 長命寺奥の院参道・脇 石道標(笠付き) 高129㎝(うち、台石25㎝),幅33㎝,厚27㎝ 安永5(1776)   文化財の保護43p107
/練馬の石造物路傍編2p54-55
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(もと、富士見台) (右面左)「右 田中道」、(左面)「左 石神井みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 中村南の庚申塔道標 なかむらみなみ 練馬区 (1丁目) 石道標(駒型) 高74㎝(うち、台石17㎝),幅26㎝,厚16㎝ 安永6(1777)   文化財の保護43p108
/練馬の石造物路傍編1p27
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→個人宅・隅 (正面最下部)「南 中の道」、(右面右)「北 なんぞういん江 二丁」、(同左)「東 ぞうし加やミち」、(左面)「西 せき 志やくしミち」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼)、台石正面に“三猿”を陽刻 3
  北町の庚申塔道標 きた 練馬区 (8丁目) 石道標 高139㎝ 安永7(1778)   文化財の保護43p108
/練馬の石造物路傍編1p71
移設 (右面最下部)「南 高田道/北 川越道/東 練馬道/西 上練馬道」/正面に「青面金剛尊」と陰刻/台石正面に“三猿”の陽刻/台石上面に蓮花、その上に蓮台を置く 2
  練馬の馬頭観音像道標 ねりま 練馬区 (4丁目) 石道標(駒型) 高86㎝ 安永7(1778)   練馬の石仏2p14   (右面)「右 さぎのみや道」、(左面)「左 ぞうしがや道」/正面に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻  
  谷原の地蔵道標2 やはら 練馬区 (6丁目) 石道標(舟型) 高93㎝ 安永8(1779)   練馬の石造物路傍編2p54 祠内 (右面右下)「志らこ道」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 1
写真 田柄の庚申塔道標 たがら 練馬区 (3丁目) 石道標(墓石型) 高144㎝(うち、塔身88㎝),幅33㎝,厚24㎝ 安永9(1780)   文化財の保護43p108
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石右面)「南 奈可むら道」、(台石左面左)「北 ふきあげ道」/正面に「青面金剛尊」と陰刻、正面頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
写真 富士見台の馬頭観音像道標 ふじみだい 練馬区 (4丁目) 石道標(駒型) 高121㎝(うち、台石9㎝),幅41㎝,厚26㎝ 天明6(1786)   練馬の石造物路傍編2p58-59
/練馬の石仏2p15
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/Cブロックで∏状に囲み、トタン板を架ける (正面像左上)「左 東高野山道」/正面に馬頭観音立像(一面六臂〔馬頭冠、三叉矛、宝輪、斧・槌?、数珠〕、蓮台)を陽刻 1
写真 大泉町の地蔵道標 おおいずみ 練馬区 別荘橋・際(2丁目)
<長久保道>
石道標(舟型) 高115㎝(うち、台石13㎝),幅40㎝,厚23㎝ 天明8(1788)   和光市の金石文と石造物p237
/練馬の石仏1p36
/WEB(鎌倉街道上道)
木祠内/信仰の対象 (正面最下部・蓮台右端)「南 江戸」、(同中央)「左/かたやま」、(同左端)「右/志らこ道」/光背中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)を陽刻 1
写真 豊玉南の聖観音像道標 とよたまみなみ 練馬区 正覚院 石道標(尖頭角柱) 高112㎝(うち、台石23㎝),幅30㎝,厚19㎝ 寛政2(1790)   練馬の石造物寺院編1p21
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面上部)「右 吹上道」、(左面上部)「左 東高野山道」/正面に聖観音立像(蓮台)を陽刻 2
写真 錦の馬頭観音像道標 にしき 練馬区 円明院 石道標
(変形した舟型)
高200㎝(うち、台石24㎝),
幅40㎝,厚26㎝
寛政6(1794)   WEB(街角の庚申塔)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/中央で水平に折損→修復 (台石右面)「北 と多"王たし道」、(台石左面)「西 ふじみち」/台石上に馬頭観音坐像(三面八臂〔焔髪、馬頭冠、剣、輪宝、斧、水瓶、馬口印、施無畏印、数珠〕)を半立体的に浮彫=彫刻として見事/光背状に光輪が一体化した珍しい形態/上記「錦の庚申塔道標」と同所 2
写真 石神井台の地蔵道標 しゃくじいだい 練馬区 (5丁目) 石道標(舟型) 高110㎝(うち、台石20㎝),幅37㎝,厚22㎝ 寛政6(1794)   練馬の石造物路傍編2p98-99
/WEB(鎌倉街道上道)
簡易な木祠内/信仰の対象 (光背最下部左端)「左 田奈し道」、(右面下部)「右 こくれ道」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 1
写真 桜台の庚申塔道標 さくらだい 練馬区 (5丁目) 石道標(駒型) 高90㎝(うち、台石17㎝),幅31㎝,厚17㎝ 寛政9(1797)   文化財の保護43p110
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面右)「右リ 荒井梅松院道」、(左面右)「左リ 雑司ヶ谷道」/正面を枠だけ残して駒型に削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 貫井の庚申塔道標 ぬくい 練馬区 (4丁目) 石道標 高90㎝(うち、台石23㎝),幅27㎝,厚21㎝ 寛政10(1798)   文化財の保護43p110
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/風化が進行(像容、刻字とも一部剥離) (右面)「此…り/右 東こうや…」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻 3
写真 大泉学園町の馬頭観音道標1 おおいずみがくえん 練馬区 (8丁目)<長久保道> 石道標(駒型) 高155㎝(うち、台石16㎝),幅36㎝,厚24㎝ 寛政11(1799)   和光市の金石文と石造物p232
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面右下)「右 子權現道」、(同左下)「左 大山道」/正面中央に「(梵字)馬頭觀卋菩薩」と陰刻 2
写真 貫井の道標1
(貫井の東高野山道道標)
ぬくい 練馬区 (5丁目) 石道標(自然石) 高135㎝,幅80㎝,厚60㎝ 寛政11(1799) 区登録有形 練馬の石造物路傍編1p96-97
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面上部)「東/高/野/山」、(右面右)「右 所さハ ちゝ婦"道」、(左面右)「左 高野山 十八丁」/下記の「貫井の道標2」と並ぶ 1
写真 貫井の道標2
(貫井の東高野山道道標)
ぬくい 練馬区 (5丁目) 石道標 高90㎝,幅20㎝,厚17㎝ 寛政11(1799) 区登録有形 練馬の石造物路傍編1p96-97
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/下部で水平に折損→修復・鉄棒で補強 (正面)「左/東髙野山道」/上記の「貫井の道標1」と並ぶ 2
写真 中村の庚申塔道標 なかむら 練馬区 南蔵院墓地 石道標(笠付き) 高192㎝(うち、台石31+25㎝),幅40㎝,厚30㎝ 寛政12(1800)   文化財の保護43p111
/WEB(鎌倉街道上道)
再移設 (台石正面上部)「北」、(台石右面中央)「西、せき/石神井」、(台石左面中央)「東、高井戸/大山/堀之内」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 高野台の庚申塔道標2 たかのだい 練馬区 長命寺長命寺奥の院参道・脇 石道標(駒型) 高134㎝(うち、台石19㎝),幅39㎝,厚20㎝ 享和元(1801)   文化財の保護43p111
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(もと、谷原1丁目) (台石右面)「所沢道/右」、(台石左面右)「左/大山道」、(同左)「田無へ 二リ」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 石神井町の馬頭観音道標1 しゃくじい 練馬区 郷土資料館の庭 石道標(尖頭角柱) 高180㎝(うち、台石25㎝),幅38㎝,厚24㎝ 享和3(1803)   練馬の石造物路傍編1p75
/練馬の石仏2p18
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(もと、田柄) (右面)「ねのごんげん道」、(左面)「こぐれ道」/正面に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 2
  氷川台の馬頭観音道標 ひかわだい 練馬区 (2丁目) 石道標 高179㎝ 文化元(1804)   練馬の石仏2p18 移設 (右面右下)「ふ□□□道」/正面に「馬/頭、觀世音菩薩」と大きく陰刻 2
写真 豊玉南の庚申塔道標 とよたまみなみ 練馬区 正覚院 石道標(舟型) 高68㎝(うち、台石16㎝),幅25㎝,厚17㎝ 文化元(1804)   文化財の保護43p111
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (光背頂部右)「左/ほりの内」、(同左)「右 中村/藥師」/光背中央に青面金剛立像(六手剣人)を陽刻 2
写真 高松の馬頭観音像道標 たかまつ 練馬区 (4丁目) 石道標(舟型) 高186㎝(うち、塔身49㎝) 文化6(1809)   練馬の石造物路傍編1p104-105
/練馬の石仏2p19
/WEB(鎌倉街道上道)
木祠内/信仰の対象 (台石右面)「右 所さ王みち」、(台石左面)「左 大山 東加うやさん道」/背の高い台石上に光背付きの馬頭観音坐像(三面八臂)、丸彫の蓮台と敷茄子を載せる 1
写真 東大泉町の馬頭観音道標 ひがしおおいずみ 練馬区 妙延寺(3丁目) 石道標(尖頭角柱) 高95㎝(うち、台石29㎝),幅27㎝,厚20㎝ 文化6(1809)   練馬の石仏2p24
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/正面の刻字が剥離 (右面右)「右 北志らこ道」、(左面)「左 堀之内道」/正面に「…音」と陰刻(資料では、「南無妙法蓮華経馬頭觀世音」) 3
  土支田の馬頭観音道標 どしだ 練馬区 (4丁目) 石道標 高124㎝ 文化7(1810)   練馬の石仏2p20   (右面左下)「右 大山道」、(左面右下)「左 高野山道」/正面に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻  
写真 石神井町の馬頭観音道標2 しゃくじい 練馬区 郷土資料館の庭 石道標(尖頭角柱) 高124㎝(うち、台石29㎝),幅36㎝,厚24㎝ 文化10(1813)   練馬の石造物路傍編2p84-85
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/台石の刻字がかなり剥離 (台石正面中央)「東、ぞうし/可"やみち」、(台石右面中央)「…、…/うや、道」、(台石左面中央)「南、奈可の/さぎの宮、道」/正面に「(梵字)南無馬頭觀世音菩薩」と陰刻 3
  北町の馬頭観音像道標 きた 練馬区 (1丁目) 石道標(駒型) 高50㎝ 文化12(1815)   練馬の石仏2p20 祠内 (右面上)「右 王子道」、(左面右上)「左 戸田渡シ道」/面に馬頭観音坐像(三面八?臂)を陽刻 1
写真 中村北の地蔵道標 なかむらきた 練馬区 (2丁目)<清戸道・下練馬道> 石道標(丸彫) 高160㎝(うち、塔身92㎝) 文化13(1816)   練馬の石造物路傍編1p20
/練馬の石仏1p37
/WEB(鎌倉街道上道)
木祠内/信仰の対象 (台石正面右)「南 中野 ほりのうち道」、(台石右面)「右 江戸ミち」、(台石左面)「左 かみねりま 志ら古/道」/台石上に地蔵立像(光輪、錫杖、蓮台)の丸彫を載せる/左記「練馬の石仏1」の刻字解説は完全な間違い 1
写真 錦の庚申塔道標2 にしき 練馬区 (2丁目)<冨士大山道> 石道標(駒型) 高164㎝,幅40㎝,厚26㎝ 文政4(1821)   文化財の保護43p113
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (右面)「右 ふじ大山道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
  南田中の馬頭観音像道標 みなみたなか 練馬区 (5丁目) 石道標(尖頭角柱) 高55㎝ 文政6(1823)   練馬の石仏2p21 像容不明瞭、下部埋設(刻字は見えない) (台石正面左端)「南 堀之内道/北 高□□道」/正面に馬頭観音坐像(一面二臂?、蓮台)を陽刻 4 -
  下神石井の馬頭観音道標 しもしゃくじい 練馬区 (4丁目) 石道標 高148㎝ 文政9(1826)   練馬の石造物路傍編2p74 Cブロック祠内 (台石右面)「西 柳澤道」、(台石左面)「東 雑司ヶ谷道」/正面に「南無馬頭觀世音」と陰刻 1
写真 中村の大師道標1 なかむら 練馬区 南蔵院 石道標 高65㎝,幅25㎝,厚19㎝ 文政9(1826)   WEB 移設/台石後補? (右面左端)「右 鷺宮福蔵院十丁」、(左面)「御府内八十八箇所第十五番南蔵院」/正面に「弘法大師」と陰刻 2 -
写真 中村の大師石碑道標 なかむら 練馬区 南蔵院・良弁塚
<鎌倉街道(推定ルート)>
石道標(尖頭角柱) 高73㎝,幅19㎝,厚17㎝ 文政11(1828)   WEB 移設 (右面)「右 福蔵院」/正面に「弘法大師」と陰刻 2 -
写真 中村の大師道標2 なかむら 練馬区 南蔵院 石道標 高85㎝(うち、台石20㎝),
幅19㎝,厚14㎝
文政11(1828)   WEB 移設 (左面)「左 長命寺」/正面に「弘法大師」と陰刻 2
写真 大泉学園町の馬頭観音道標2 おおいずみがくえん 練馬区 (8丁目) 石道標(尖頭角柱) 高82㎝(うち、台石15㎝),幅30㎝,厚28㎝ 天保3(1832)   和光市の金石文と石造物p233
/練馬の石仏2p19
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(400m)/石材表面が剥離(欠損、かろうじて付着) (右面右)「右 子ノごんげん道」、(左面右)「左 …」(資料によれば「左 大山道」)/正面に「馬頭觀…」と陰刻 4
写真 平和台の庚申塔道標2 へいわだい 練馬区 (1丁目) 石道標(駒型) 高86㎝(うち、台石23㎝),幅30㎝,厚20㎝ 天保5(1834)   文化財の保護43p114
/WEB(鎌倉街道上道)
Cブロックで冂状に囲む→原位置? (正面最下部)「江/戸/道」、(右面)「北、下祢りむま宿/とたわたし道」、(左面)「南、ぞうし可"や/た可たみち」、(裏面)「西、ふじ山/大山ミち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 1
写真 石神井町の馬頭観音道標3 しゃくじい 練馬区 郷土資料館の庭 石道標(尖頭角柱) 高95㎝(うち、台石22㎝),幅29㎝,厚27㎝ 嘉永3(1850)   練馬の石造物路傍編2p83
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面左下)「右 所沢道」、(左面左下)「左 田奈し 大山道」、(台石正面中央)「向 白子道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 平和台の庚申塔道標3 へいわだい 練馬区 (4丁目) 石道標 高106㎝(うち、台石30㎝),幅32㎝,厚28.5㎝ 文久3(1863)   文化財の保護43p117
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木造祠内 (右面左)「右、大山/新髙野、道」/正面に「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 1
  早宮の庚申塔道標 はやみや 練馬区 開進第一小学校 石道標(駒型) 高70㎝ 慶応2(1866)   文化財の保護43p117
/WEB
移設(もと、平和台)/像は剥離 (右面)「右、上 板はし/下 板はし、道」、(左面)「左、ねりま宿/戸田渡し道」/正面に青面金剛立像(日月、三猿)を陽刻 3
写真 平和台の馬頭観音道標 へいわだい 練馬区 (4丁目) 石道標 高96㎝,幅36㎝,厚23㎝ 江戸期?   練馬の石仏2p26
/WEB(鎌倉街道上道)
瓦葺きの新造木祠内/信仰の対象/文字が所々読めない (正面下部)「富士/大山/八王子/宮」、(同その下)「新高野 一里/田な志 三里/府中 五里」、(右面下部)「新井やくし …/堀之内 二里半/高田 二里/ぞうし賀や 二里/日本橋 里半」、(左面下部)「赤塚 十九丁/… 一里半/… 一里半」(資料によれば、「下板橋」「戸田」)、(同その下)「所澤 五里/川越 十里」/正面上部に「馬頭觀世音」と陰刻/左記出典には江戸中後期推定と書かれている 1
写真 石神井町の石橋供養塔 しゃくじい 練馬区 郷土資料館の庭 石碑(笠付き) 高90㎝(うち、台石10㎝),幅30㎝,厚18.5㎝ 享保12(1727)   練馬の石造物路傍編2p85
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面中央)「奉供養庚申塔石橋一ヶ所諸人快樂祈処」/正面を光背型に削り込み青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 豊玉北の橋供養塔 とよたまきた 練馬区 東神社(5丁目) 石碑 高100㎝,幅37㎝,厚21㎝ 安永3(1774)   練馬の石仏1p86
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内/信仰の対象 (右面)「(梵字3)奉橋供養觀世音人馬総延命祈所」/正面に聖観音立像(蓮台)の陽刻/千川上水の筋違い橋の完成時に建立(現・練馬区内の多くの村名・字名が書かれている) 2
写真 早宮の敷石供養塔 はやみや 練馬区 石神井川・左岸(3丁目) 石碑 高90㎝,幅32㎝,厚23㎝ 寛政4(1792)   練馬の石造物路傍編1p51
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「(梵字)奉建立鋪石供養塔」 2
写真 高野台の石橋・敷石供養塔 たかのだい 練馬区 長命寺・奥の院参道 石碑(尖頭角柱) 高144㎝(うち、台石35㎝),幅30㎝,厚24.5㎝ 享和元(1801)   練馬の石造物寺院編2p68/WEB(鎌倉街道上道)   (正面)「石橋/敷石、供養」/金山下橋の架橋に伴うもの  
写真 高松の石坂供養塔
(八幡神社の石造大山不動明王像)
たかまつ 練馬区 八幡神社 石碑(丸彫) 高213㎝(うち、塔身112㎝),幅56㎝,厚39㎝ 享和3(1803) 区登録有形民俗 練馬の石造物神社総集編p110
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石正面右)「石坂」、(同左)「供養」/台石上に不動明王坐像(迦楼羅焔、剣と羂索、磐石)を載せる、台石中央に「大山大聖不動明王」と陰刻 1
写真 高松の敷石供養塔
(宮田橋敷石供養塔)
たかまつ 練馬区 (2丁目)<清戸道> 石碑 高75㎝(うち、台石12㎝),幅26.5㎝,厚19㎝ 文化4(1807) 区登録有形 練馬の石造物路傍編1p99/現地解説板/WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面中央)「敷石供羪塔」/右面・左面・裏面に世話人・寄進者の名前が多数刻字/かつては湿地のため野菜や肥料の運搬に難渋していた 2
  大八車   練馬区 石神井公園ふるさと文化館 木製の大八車 長279㎝ 江戸後期 区有形民俗 WEB 保存状態良好 御所車型/検査印「免許入間県」の焼印(明治4-6)/現・大泉町4丁目の農家が、江戸のまちへ野菜や練馬大根のたくあん漬けを運ぶのに使用していた 1
  大泉町の尾張藩鷹場標杭
(尾張殿鷹場碑)
おおいずみ 練馬区 大泉第一小学校 石標 高約1.2m 享保2(1717)以降
→幕末に廃止
区登録有形 WEB 移設(もと、泉学園町の北端) (正面)「従是南北 尾張殿鷹場」/鷹場の境界を示す石杭(尾張藩鷹場には84本の石杭があり30余本が現存) 3
写真 千川上水 せんかわ 練馬区   上水路 長約5㎞ 元禄9(1696) 区史跡 現地解説版/区教委 一部暗渠化 現在でも消火用水などに使われるが、大部分が暗渠となり素掘りのままで残されているのは一ヶ所のみ/玉川上水より取水し、千川上水を開削 3
写真 円月橋 えんげつ 文京区 小石川後楽園 石アーチ橋
(御影石)
長11.09m(A),
幅2.32m
寛文5(1665)以降 特別史跡/特別名勝 東京都水道歴史館/江戸切絵図今昔散歩p31/WEB 平成22・23に解体・修復 石工:駒橋嘉兵衛/光圀公の命により、中国明の儒学者・朱舜水が設計したわが国初の石アーチとの俗説もあるが、光圀公の生年は寛永5(16
28)なので、長崎眼鏡橋(1634)より早いとは思えない。光圀公が朱舜水を招いた寛文5(1665)以降の完成と見るのが最も蓋然性が高い/解体調査時に121個の鉄ダボが石のズレ止めに使用されていることが判明
1
写真 本駒込の庚申塔道標1 ほんこまごめ 文京区 天祖神社 石道標
(笠付き、安山岩)
高92㎝,幅46㎝,厚30㎝ 元禄16(1703)   区の石造文化財p26 移設?/下部埋設/正面の猿の顔が欠損 (右面下部)「駒/込/道」(?)→あまりに見づらく、道標を兼ねていたかどうか不確定/正面に“不言猿”、右面に“不見猿”、左面に“不聞猿”の浮彫、正面頂部に“日月”の陽刻、最上部に笠を載せる 3
写真 本駒込の庚申塔道標2 ほんこまごめ 文京区 徳源院 石道標
(墓石型、凝灰岩)
高146㎝(うち、塔身93㎝),
幅28㎝,厚21㎝
文化4(1807)   文化財の保護43p112
/区の石造文化財p20
移設(もと、動坂)、集約 (正面下部)「向、AB、道」〔A:すぐ、古まこミ/小いし川〕〔B:みぎ、ふじ/そめ井〕、(右面)「此方、千多木/ね春/やなか/うへの、道」、(左面)「坂下、た者多/をく/ひく良し/せんし由、道」/正面上部に「猿田彦太神」と陰刻 2
写真 大塚の庚申塔道標 おおつか 文京区 護国寺 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高82㎝,幅32㎝,厚30㎝ 江戸期   文化財の保護43p119
/区の石造文化財p74
移設/中央で水平に折損・他各所で損傷→修復 (右面)「左 江戸道」、(裏面)「右 …つき道」/正面に「庚申供羪塔」と陰刻/年号が「元子年五月」とあることから、延享元(1744)、文化元(1804)、元治元(1864)の可能性 3
写真 湯島天神の奇縁氷人石 ゆしまてんじん、きえんひょうじん 文京区 湯島天神 石標(尖頭角柱) 高163㎝(うち、台石10㎝) 嘉永3(1850) 区有形 WEB/高橋 努 原位置 (正面)「奇縁氷人石」、(右面)「たつぬる可多」、(左面)「をしふるか多」/「一石橋迷子しらせ石標」と同じ迷子探しが目的だが、紙を貼るくぼみはない 1
写真 小石川後楽園の船着場 こいしかわ 文京区 小石川後楽園 船着場     特別史跡・特別名勝 小石川後楽園パンフレット  
2
写真 神田上水石樋 かんだ 文京区 本郷給水所公苑
<神田上水>
上水路 長約50m,
上幅150㎝,下幅120㎝,
高120-150㎝
寛永6(1629)頃→明治31廃止   東京都水道歴史館/江戸切絵図今昔散歩p31/WEB 文京区本郷で約70mが発掘され(昭和62-平成元)、内約50mが移設・復元 江戸の発展に伴い、小石川上水を拡張し、井の頭池・善福寺池・妙正寺池等の湧水を水源として日本橋方面に通水した(なお、小石川上水は、江戸入府に先立ち、家康が家臣・大久保藤五郎に見立てさせた江戸最初の水道で、小石川を水源としていたとされる) 2 写真
写真 小石川後楽園の
神田上水
・跡
こいしかわ、かんだ 文京区 小石川後楽園<神田上水> 上水路   寛永6(1629)頃 特別史跡・特別名勝 小石川後楽園パンフレット/東京都水道歴史館 当時の水路跡とは異なると思われるが、当時の雰囲気を再現 小石川後楽園は、水戸徳川家の祖である徳川頼房が、神田上水の分流を引き入れて造ったもの(完成は、二代藩主の光圀の代) 3
写真 神田上水取水口の元・石柱(中央の柱) かんだ 文京区 江戸川公園<神田上水> 石柱 高約1.4m 江戸期 区史跡 現地解説板/WEB 昭和8(1933)大洗堰の廃止に伴い移設 大洗堰の取水口に上水の流水量を調節するため「角落」と呼ばれた板をはめ込むための石柱 4
写真 高輪大木戸・跡 たかなわ 港区 <東海道> 石塀 幅5.4m,長7.3m,高3.6m 宝永7(1710)→
享保9(1724)移設
国史跡 現地解説版/江戸東京歴史散歩2p33 宝永7(1710)に芝口門に建てられたのが起源とされ、後に現在地に移設/街道両側に造られたが、現在は東側のみ現存 江戸の南の入口として、治安の維持と交通規制のため設置→道幅約10
mの東海道に木戸を設け、両側を石塀で遮断した(当初、夜は木戸を閉めていたが、江戸後期に廃止)/江戸全体を守る木戸のため大木戸と呼ばれた/伊能忠敬が日本地図作成のために行った測量の起点
2 写真
写真 高輪の牛供養塔 たかなわ 港区 願生寺 石碑(墓石型) 高257㎝(うち、台石3段48.5㎝、27.5㎝、40㎝),
幅40.5㎝,厚41㎝
文政11(1828)再建/台石に慶応2(1866)、大正3の追刻あり 区有形 WEB(動物のお墓)/現地解説板   (正面)「南無阿弥陀佛」、(上段台石正面)「牛/供/養/塔」、(中段台石正面)「牛/鐡」、(右面)「我寺門前車街有畜生者士家日吉日日水谷/日仙波日田中日山口日太田日岩牛毎家畜/牛無數矣故其死也遂年計之不知其幾千頭/也於是乎元文三年戌年七氏為之建塔テ我/寺以充其得脱之因文化三年丙寅之災塔斬/灰馬即欲再修之而七氏既其三今之在者/四家四家及隣里青年若ニ輩友謀建之己成/矣乃鐫弥陀之法以為群霊及法界含識拔/苦與樂之資爾四家即田中喜左衛門山口徳/右衛門吉田徳左衛門木田岩次郎是也」/寛永16(1639)に幕府が京都車町の牛屋に土地を与えて常駐させ重量物の運搬にあたらせた→7軒の業者が千頭ほどの牛を使用→その牛を供養したもの→きわめて珍しい(江戸ならではのもの)  
  渡辺綱産湯の井戸1 わたなべのつな 港区 綱町三井倶楽部 石井戸   平安中期   江戸東京歴史散歩2p25 庭園の構成要素 自然石をくり抜いた井戸枠 1
  渡辺綱産湯の井戸2 わたなべのつな 港区 竜生院 石井戸   平安中期?   江戸東京歴史散歩2p24 設置環境やや不良 普通の石枠井戸(加工は粗い)→中世のものではない 2
  渡辺綱産湯の井戸3 わたなべのつな 港区 オーストリア大使館 石井戸   平安中期?   江戸東京歴史散歩2p25 非公開   4  
  浅岡飯たきの井 あさおか 港区 港区役所 石井戸   万冶3(1660)   江戸東京歴史散歩2p20
/WEB
移設 伊達家三代目綱宗の側室・亀千代(後の四代綱村)の生母・三澤初子こと“浅岡の局”に由来/江戸時代ではあるが、井戸枠は古代に通じる特殊な形式 3
写真 品川第三台場・跡 しながわ 港区 東京湾 台場 高7.8m,
173.8m×173.3m
(基部)
安政元(1854) 国史跡 区教委/岩屋隆夫/WEB 台場公園として整備され、周囲には、海面から5~7mの石垣積みの土手が築かれ、黒松が植えられる 江戸幕府が黒船来襲にそなえて品川沖に築いた砲台跡/陣屋、弾薬庫跡、石組みの船着場跡どが残される/石護岸(布積+谷積) 2 写真
写真 品川第六台場・跡 しながわ 港区 東京湾 台場 高7.8m,124.6m×121.9m
(基部)
安政元(1854) 国史跡 区教委/岩屋隆夫/WEB 立入禁止して保存(チャーター船でしか接近不能) 江戸幕府が黒船来襲にそなえて品川沖に築いた砲台跡/石護岸(布積+谷積)、石護岸(谷積) 1
写真 目黒の架橋銘文碑
(目黒川架橋勢至菩薩石像)
めぐろ 目黒区 (1丁目)勢至堂 石碑(丸彫) 高185㎝(うち、塔身60㎝),30㎝角 宝永元(1704) 区有形(歴史資料) 区教委(目黒区指定文化財調査報告書2p10) 祠内 (台石)「夫當所江河者 往還難處/旅客患愁 霜雪之寒朝 人/馬成煩 雨露之降夕 洪水/挙波 依之當山不動浅艸/観音毎日参詣 両山之道/通於一銭二銭之助力/築立両岸千石壁 桂渡於/二間八間之方橋雁齒橋/斜一心鄭重可顕加/之造立勢至大士之石像/功成終而 執行一夜別時/念佛 奉點眼供養者也 若/酬此微善 施入之貴賤/興我等齋共成二世安樂/悉地云」/緑字は異体字/台石上に蓮台、勢至観音の半跏坐像を載せる 1
写真 下目黒の地蔵道標1
(みかえり阿弥陀道標)
しもめぐろ 目黒区 (3丁目)大聖院 石道標(笠付き) 高154㎝(うち、台石22㎝),幅44㎝,厚26㎝ 宝永3(1706)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp127) 移設/笠一部欠損 (正面下部)「目黒惣ちん守/大とり大明神/みかへ里之阿弥陀佛」、
(右面)「これより みち一町」/正面上部を火灯窓型に削り込み地蔵半跏坐像(蓮の花)を陽刻/左面に「南無阿弥陀佛」と陰刻
2
写真 上目黒の庚申塔道標
(天祖神社の庚申塔道標)
かみめぐろ 目黒区 (2丁目)天祖神社 石道標(駒型) 高121㎝(うち、台石19㎝),幅35㎝,厚25㎝ 享保元(1716) 区指定 区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp126)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内 (右面)「是より、末町さき四辻/大道 九品佛道/右 せたかい道/ 左 ふとう道」/正面に青面金剛立像(六手合掌、二鶏、三猿)の陽刻 2
写真 自由が丘の地蔵道標
(九品仏名号題目道標)
じゅうゆうがおか 目黒区 (3丁目) 石道標(丸彫) 高194㎝(うち、台石91+下2段61㎝),幅32㎝,厚24㎝ 寛保4(1744)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp132)
/WEB(鎌倉街道上道)
木祠内/地蔵は明治19の後補(江戸期のものではない)/刻字に赤い染料 (上段台石正面)「左 九品佛江」(=九品仏浄真寺)/右面に「南無妙法蓮華経」と陰刻、左面に「南無阿弥陀仏」と陰刻→日蓮宗(日蓮宗の影響が見られる碑衾地区)と浄土宗(寄進者の信仰)の双方が刻字/背の高い上段台石上に地蔵坐像の丸彫(錫杖、光背)を載せる 2
写真 下目黒の地蔵道標2
(瀧前町講中道標)
しもめぐろ 目黒区 (4丁目) 石道標(隅丸型) 高139㎝(うち、台石24㎝),幅37㎝,厚24㎝ 明和5(1768)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp128)
/WEB(鎌倉街道上道)
近接移設? (正面像下右)「右 目黒道」、(同左)「左 祐天寺道」/正面を枠を残して削り込み、頂部に地蔵坐像(光輪、蓮台)を陽刻、下部中央に「法界萬」(緑字は異体字)と陰刻 2
写真 下目黒の地蔵道標3
(不動境内道標)
しもめぐろ 目黒区 (5丁目) 石道標(墓石型) 高126㎝(うち、台石24㎝),幅35㎝,厚23㎝ 明和5(1768)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp128)
/WEB(鎌倉街道上道)
瀧泉寺墓地内 (正面像下右)「右 古ん飛ら道」、(同左)「左 ゆうてん寺道」/正面頂部を四角に削り込み、地蔵坐像(錫杖、蓮台)を陽刻、下部中央に「三界萬霊」と陰刻 3
写真 目黒の庚申塔道標
(ひいらぎ庚申)
めぐろ 目黒区 (2丁目) 石道標 高81㎝(うち、台石22㎝),幅35㎝,厚18㎝ 安永4(1775)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp126)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置 (右面)「志んてら/ゆふてん寺、道」、(左面)「こんひら/ふとう尊、みち」/正面に「奉庚申塔」と陰刻/建立年は「未」と刻字→「しんてら」=長泉寺の創建は1761年なので、安永4年しかあり得ない 1
写真 南の道標
(子ノ神庚申塔)
みなみ 目黒区 高木神社 石道標 高72㎝(うち、台石7㎝),幅24.5㎝,厚22㎝ 天明8(1788)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp132)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面上部)「南、丸子/池上/新田、道」、(右面上部右)「東、品川/大森、道」、(左面上部)「西、九品佛/二子、道」、(裏面頂部)「北」、(同下部)、「當所、目黒/二王尊、道」/裏面上部に「庚申講中」とあるので、
「子ノ神庚申塔」とも呼ばれる
2 -
写真 中目黒の道標1
(寛政九年道標)
なかめぐろ 目黒区 めぐろ歴史資料館 石道標 高66㎝,幅21㎝,厚18㎝ 寛政9(1797)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp131)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「てうせんゐん道」、(右面)「ゆふてん寺道」 2
写真 中目黒の庚申塔道標
(宿山組道標)
なかめぐろ 目黒区 めぐろ歴史資料館 石道標(尖頭角柱) 高77㎝,幅21㎝,厚17㎝ 寛政11(1799)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面像下)「北、本りの内/あ王志ま、道」、(右面)「西 せたヶ谷道」、
(左面)「東、江戸/あさふ、道」、(裏面)「南、ゆうてん寺/目くろ、道」/正面上半分を長方形に削り込み青面金剛立像(六手合掌)を陽刻
2
写真 中目黒の道標2
(長泉院道標)
なかめぐろ 目黒区 めぐろ歴史資料館 石道標 高79㎝,幅25㎝,厚20㎝ 寛政11(1799)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp129)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面右上端)「是より寺」、(正面)「長せん院道」 2
写真 平町の庚申塔道標
(切石庚申)
たいら 目黒区 (2丁目) 石道標

高93㎝,幅29㎝,厚23㎝

文化7(1810)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp132)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/帝釈堂内 (正面)「右ハ 目くろミち」、(同左)「左ハ 二子の渡し」、(右面)「右ハ ほりの内/左ハ 池上、ミち」/正面中央に「庚申供養塔」と陰刻 2
  目黒の道標
(高幢寺跡道標)
めぐろ 目黒区 (3丁目) 石道標 高145㎝,幅23㎝,厚22㎝ 文化8(1811)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp127)/目黒区の道しるべp32・33 個人宅庭 (正面)「右 こんひらみち」、(左面)「左 ふとうそんミち」 4
写真 中目黒の道標3
(しっこし坂下道標)
なかめぐろ 目黒区 めぐろ歴史資料館 石道標 高84㎝,幅29㎝,厚29㎝ 文政元(1818)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp129)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「南 碑文谷道」、(右面)「東 目くろミち」、(左面)「西 祐てんじ道」、(裏面)「北 長せん院道」 2
写真 目黒の地蔵道標
(油面子育地蔵尊・高地蔵)
めぐろ 目黒区 (4丁目) 石道標
(舟型+丸彫)
高212㎝(うち、尊像92㎝),幅44㎝,厚43㎝ 文政元(1818)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp127)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設→祠内/地蔵は後補
(「□□丙戌」とあるので文政9(1826)か?
(上段台石右面左端)「是より右 ゆうてんじ」、(上段台石左面右端)「是より左 九ほんぶつ道」/背の高い上段台石上に地蔵坐像(錫杖、光背付き、蓮台)の丸彫を載せる→「子育」とあるが、その部分は欠損 3
写真 目黒の題目塔道標
(高地蔵脇名号碑)
めぐろ 目黒区 (4丁目) 石道標 高151㎝(うち、台石31㎝),幅33㎝,厚23㎝ 文政元(1818)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp127)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/中央で水平に折損→修復 (左面)「是より 祐てん寺道」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻/上記の
「目黒の地蔵道標」の祠に隣接
2
写真 中町の道標
(さわら庚申道標)
なか 目黒区 (2丁目) 石道標

高79㎝,幅31㎝,厚20㎝

寛政9(1797)? or
文政9(1826)?
  区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp129)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「、お具沢/飛毛んや/いけ可み、道」、(右面)「右、古"ほん木/ふたご、道」、(左面)「右、あさふ/阿を山、道」 /現地解説板には建立年を「政五」としているが、「九」としか読めない 1
写真 上目黒の道標
(小川坂上道標)
かみめぐろ 目黒区 (3丁目)烏森小学校 石道標 高90㎝,幅21㎝,厚30㎝ 文政12(1829)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp126)/目黒区の道しるべp28・29 移設→横倒し/正面は欠損し刻字不明(資料による) (右面)「西、ふたご道並二十間程行/阿巴志ま 本り乃うち道」、(左面)「 麻布 ひろうまち/ 目黒 ゆうてんぢ不動尊、 4
写真 中目黒の道標4
(宿山組道標)
なかめぐろ 目黒区 めぐろ歴史資料館 石道標   文政13(1830)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp130)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「…、世田谷 并 ふちう/あ王志満 本りの内、道」、(右面)「右、碑文谷仁王尊/いけかみ本門寺、道」、(左面)「左、目黒 ゆうてん寺/ふ登うそん、道」 2
写真 大橋の道標
(大山道道標)
おおはし 目黒区 氷川神社・石段下
<日向道>
石道標 高122㎝(うち、台石29㎝),幅30㎝,厚22㎝ 天保13(1842)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp125)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(明治末) (正面)「大山道]、(同下部)「せたがや道り/玉川道り」、(右面)「右、飛ろう/め具"ろ/池可"ミ/品川、みち」、(左面)「左、青山/あざ、みち」 2
写真 下目黒の供養塔道標
(百八十八箇所供養碑)
しもめぐろ 目黒区 (4丁目) 石道標(駒型) 高120㎝(うち、台石28㎝),幅30㎝,厚21㎝ 弘化3(1846)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp128)
/鎌倉みちこ
墓地内 (右面)「右 不動尊道」、(左面)「右 二子/左 江戸、道」/正面に「四國/西國/秩父/坂東、百八十八箇所供養塔」と陰刻 3
  中目黒の道標5
(仁義礼智道標)
なかめぐろ 目黒区 めぐろ歴史資料館 石道標 高80㎝,幅20㎝,厚17㎝ 弘化4(1847)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp130)/目黒区の道しるべp37 移設(もと、鷹番) (正面)「向テ、右 青山 そうし谷/左 いけ上 みね丸子、道」、(右面)「向テ、右 二子 世田谷 ほりの内/左 なかのへ 品川、道」/左面に「行路是東西南北/人是原仁義礼智」と陰刻 2
写真 東山の道標
(謡坂道標)
ひがしやま 目黒区 (3丁目)墓地内 石道標 高76㎝,幅28㎝,厚18㎝ 弘化4(1847)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp125)/目黒区の道しるべp27 移設(もと、五本木)→墓地内(施錠) (正面)「北、あハしま/ほりの内、ミち」、(右面)「右、ひもんや/いけがみ、ミち」、(左面)「左、めくろふどう/しなかわ、ミち」 4
写真 鷹番の馬頭観音像道標 たかばん 目黒区 (1丁目)<二子道> 石道標(舟型) 高78㎝(うち、台石20㎝),幅31㎝,厚15㎝ 嘉永3(1850)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp131)
/鎌倉みちこ
原位置?/簡易祠内/刻字判読不能(資料による)/像容不明瞭 (右面)「右 ふたこ をくさわ道」、(左面)「南 にをう いけがみ まりこ道」/正面に馬頭観音坐像(三面二臂)を陽刻 3
写真 目黒本町の題目塔道標
(清水庚申)
めぐろほん 目黒区 (1丁目) 石道標

高87㎝,幅22㎝,厚15.5㎝

嘉永7(1854)   区教委(めぐろの文化財増補Ⅱp131)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内 (右面)「向テ、右 いけ加み まりこ/左 めくろ ゑど、みち」、(左面)「向テ、右 せた加や ふちう/左 志な川、みち」/正面に「南無妙法蓮華経 庚申講中」と陰刻/「庚申講中」とあるので「清水庚申」とも呼ばれる 2
写真 青葉台の石橋供養塔 あおばだい 目黒区 (4丁目) 石碑(尖頭角柱)

高105㎝(うち、台石15㎝),幅18㎝,厚18㎝

文化9(1812)   WEB(鎌倉街道上道) 昭和47移設(70m)/下部で折損→修復 (正面)「(梵字)石橋供養塔」/三田用水に架かっていた石橋 2
写真 大橋の石坂供養塔 おおはし 目黒区 氷川神社・石段下 石碑(板碑型?)

高108㎝(塔身),幅49㎝,厚13㎝

文化13(1816)   WEB(鎌倉街道上道) 移設/頂部欠損/中央上部で水平に折損→修復/丸石の台石は恐らく後補 (正面)「…坂再建供養塔」/現在の石段(明治38)に改修される前の石段の構築時のもの/上記の「大橋の道標」のすぐ前 3
写真 宮沢町の庚申塔道標 みやざわ 昭島市 諏訪神社 石道標   享和2(1802)   市教委 移設/放置/特に道標部の磨耗が激しい (正面最下部)「右 …原村/…川村/…大神村/左 …島村」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
  庚申塔道標1   昭島市   石道標   寛政2(1790)   市教委   (正面右側)「右 すな川ミち/左 大神ミち」、(正面左側)「右 はいじまミち/左 志んでんミち」 2  
  庚申塔道標2   昭島市   石道標   文政元(1818)   市教委 全面剥離 「右 すな川みち/左 は以じまミち」 3  
写真 拝島町の食い違い はいじま 昭島市 多摩川(5丁目) 霞堤   江戸期   高橋 努 形態を確認できる   2
写真 玉川上水(現役区間) たまがわ 昭島市・羽村市・福生市・立川市 多摩川 上水路(全面改修) 総延長約43㎞のうち約11.4㎞(暗渠等を除く) 承応3(1654) 国史跡 玉川上水現況調査報告書/WEB 小平監視所で野火止用水に分水するまでの区間は現役だが、護岸は近代の全面改修 江戸の人口急増による水不足解消のために、羽村市で多摩川から取水し、四谷大木戸まで掘られた素掘りの上水路/開渠部の30kmが国指定史跡 3
写真 おねいの井戸
(お鉢の井戸)
  昭島市 大日堂 石積井   室町末期 市旧跡 WEB/市教委 三方が石垣で囲まれている/覆屋付き 滝山城主・北条氏照の家臣・石川土佐守が、娘「おねい」の眼病が治るよう祈って井戸の水で眼を洗わせたところ、よくなったとの伝承あり/拝島の三井戸の1つ(その内の1つ、松原の井戸は滅失) 1
  花井の井戸 はない 昭島市   石積井   近世? 市旧跡 WEB/市教委 円形の石積 拝島の三井戸の1つ(その内の1つ、松原の井戸は滅失) 2
写真 二宮の秋葉山常夜灯 にのみや あきる野市 <二宮宿> 石常夜灯 高1.61m 寛政12(1800)   あきる野市の石造物p92 移設?/個人敷地角/石基壇は後から追加(C充填) (竿正面)「奉獻秋葉大權現」/二宮宿で火災が多く発生したことを受けて勧進 3
  養沢の庚申塔道標 ようざわ あきる野市   石道標(笠付き) 高116㎝,45㎝角 安永3(1774)   あきる野市の石造物p419 移設? (正面右)「右 やま」、(同左)「左 檜原」/正面中央に「猿田彦太神」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風の陽刻、笠の上に宝珠を載せる 2
写真 五日市の題目塔道標 いつかいち あきる野市   石道標(自然石) 高114㎝,幅64㎝,厚28㎝ 文化4(1807)   あきる野市の石造物p308 移設 (右面下部)「右 みたけミち」/正面に大きく「念佛塔」と陰刻 2
写真 留原の道標 ととはら あきる野市   石道標(自然石) 高61㎝,幅46㎝,厚15㎝ 嘉永4(1851)   あきる野市の石造物p292 石垣の一部に転用 (正面)「右 今熊山/左 天王山、道」 4 -
写真 小和田の供養塔道標 こわだ あきる野市   石道標(自然石) 高80㎝,幅56㎝,厚35㎝ 嘉永6(1853)   あきる野市の石造物p297 原位置? (裏面下部左)「右 今熊山」、(同、その左下)「八王子道」/正面に「百萬遍供養塔」と陰刻 1
  戸倉の道標 とくら あきる野市   石道標(自然石) 高76㎝,幅35㎝,厚30㎝ 安政4(1857)   あきる野市の石造物p337 原位置 (正面)「右 今熊山 八王子道」、(左面)「左 日市みち」 1
  平沢の馬頭観音道標 ひらさわ あきる野市   石道標(自然石) 高120㎝ 安政4(1857)   あきる野市の石造物p86 原位置 (台石正面)「南、八王子/髙尾山、道」、(台石右面)「東 江戸/道」、
(台石左面)「西、五日市/御嶽山、道」、(台石裏面)「北、…/…、道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻
1
  留原の馬頭観音道標 ととはら あきる野市   石道標(自然石) 高62㎝,幅47㎝,厚22㎝ 元治元(1864)   あきる野市の石造物p289 原位置(山中) (右面)「右 今熊山ミち」/正面に「馬頭観世音」と陰刻 1 -
  三内の石橋供養塔 さんない あきる野市   石碑 高60㎝,幅30㎝,厚22㎝ 天明元(1781)   あきる野市の石造物p258 移設/中央で折損→修復/風化が進み像容不詳 (右面)「石橋/供養」/正面に馬頭観音立像(一面二臂)を陽刻/三内川に架かる石橋のたもとにあったものと推定 3 -
写真 伊奈の石橋供養塔 いな あきる野市   石碑(自然石) 高97㎝(うち、台石19㎝) 寛政10(1798)   高橋 努 移設、集約(放置) (右面)「石橋造立二ヶ所」/正面に「道祖神」と陰刻 2
写真 五日市の石橋供養塔 いつかいち あきる野市   石碑 高90㎝,幅26㎝,厚24㎝ 天保13(1842)   あきる野市の石造物p308 原位置? (正面)「天台橋供養」/裏面に「饒舌水流大小大深渓疊石路頭通/直従者裏來過去人在空生巌畔中/現住猷方叔誌焉」と刻字 1
  乙津の橋供養塔 おつ あきる野市   石碑(自然石) 高68㎝,幅39㎝,厚25㎝ 嘉永7(1854)   あきる野市の石造物p391 移設 (正面)「橋供養」/青木平地区の人々が秋川の渡渉点に架けた橋(吊橋)の碑→この地区にとって「命の次に大切」だったとされる 2
写真 網代の駒繋ぎ石 あじろ あきる野市 (御前石)<鎌倉古道> 馬繋石   12世紀末?   高橋 努 原位置 畠山重忠が鎌倉へと通うために使った道(伝承)→重忠一行がここで休憩を取る際、馬の手綱を繋いだことから名付けられた(伝承) 1
写真 阿伎留神社の井戸 あきる あきる野市 阿伎留神社 掘下げ井
(非渦巻き
→直線通路)
  中世?   WEB 凹み中央の井戸部はC製の切妻屋根で被覆 四面の斜めの擁壁がすべてが石積構造(かなり古い石積み法) 2
写真 渕上の石積井戸
(マイマイズ井戸)
ふちがみ あきる野市 開戸センター 掘下げ井
(渦巻き状)
長径7.5m,短径5.5m,深3.2m 中世~近世 市史跡 市教委(マイマイズ井戸調査報告書) 保存状態良好 地表からすり鉢状に掘り下げ,石積みが施されているまいまいず井戸/北東と南西よりらせん状左回りの小径が底の水汲み場まで続く 1
写真 白石の井戸 しらいし あきる野市   石積井(湧水)   江戸期   市教委/WEB 現役/保存状態良好 かつて穴の開いた白い石から水が湧き出ていたという故事から来た名/この地域で横井戸は珍しい 1
  大悲願寺の井戸 だいひがんじ あきる野市 大悲願寺 掘抜井
(石枠:四角)
  戦国~江戸期? 市有形 WEB   石を井桁状に組んだ珍しい石枠 2
  横沢入の伊奈石採掘遺構 よこさわいり、いないし あきる野市 都の環境保全地区 石切場(伊奈石=粗流粒砂岩)   室町~江戸期   市教委(伊奈石採掘遺構分布調査報告書) 露頭掘り、竪坑、テラス、石道、ズリ石、矢穴石などが随所に残るが、雑草の生えた林の中に点在するため視認しにくい 信州伊那の石工集団が、過去しやすい石資源に着目して伊奈村を開いたという伝承/伊奈石の石造物は、現在の東京・神奈川・埼玉・千葉・山梨の一都四県一円に分布(中世は石碑・石塔、近世は石臼が主体) 3
写真 秋川河原沿いの伊奈石採掘遺構 あきがわ、いないし あきる野市 秋川 採石場   中世~近世   市教委 河原の石に矢穴があるので見やすい 横沢入に比べ圧倒的に規模が小さい 2
写真 東長沼の秋葉山常夜灯 ひがしながぬま 稲城市 上新田 石常夜灯 高1.13m 寛政6(1794)   稲城市の石造物p73/高橋 努 移設、集約/火袋、中台欠損 (竿正面)「秋葉山大權現」、(竿右面)「石尊大權現/青沼大明神」、(竿左面)「小御嶽大權現/榛名山大權現」/下記の「東長沼の石橋供養塔」に隣接 4 -
  東長沼の庚申塔道標 ひがしながぬま 稲城市 上新田 石道標(舟型) 高70㎝,幅34㎝ 元禄5(1692)   稲城市の石造物p43 原位置/上部欠損 (左面)「大山道 里半」/正面に青面金剛立像(六手合掌、三猿)を陽刻/17世紀の道標 1
  平尾の地蔵道標 ひらお 稲城市 下平尾 石道標(丸彫) 高120㎝ 享保9(1724)   稲城市の石造物p28-29 祠内 (台石右面)「是より右 江戸道 左 ふちう道」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 1
写真 矢野口の馬頭観音道標 やのくち 稲城市 三谷 石道標 高65㎝,幅22㎝,厚13㎝ 嘉永7(1854)   稲城市の石造物p58 原位置? (右面)「東 河﨑道」〔右側に小さく「可王さきミち」とふりがな〕、(左面)「西 八王子道」、(裏面左)「北 ふちう道」/正面に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 1 -
写真 矢野口の庚申塔道標 やのくち 稲城市 三谷 石道標(駒型) 高75㎝,幅25㎝,厚14㎝ 慶応2(1866)   稲城市の石造物p52 移設/木祠内 (右面下部)「北 府中道」、(左面下部)「東 川﨑/西 八王子、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻(見事な像容) 2
写真 矢野口の石橋供養塔1 やのくち 稲城市 三沢川の新田橋・際 石碑(丸彫) 高110㎝(うち、台石2段52㎝) 宝暦5(1755)   高橋 努 原位置近く?/木祠内に集約/台石の構造から上に地蔵が載っていたと思われるが、現状のものが当時のままの構成かどうかは不明 (台石正面中央)「念佛橋供養」/台石上に地蔵坐像(光輪、錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を置く 3
写真 東長沼の石橋供養塔 ひがしながぬま 稲城市 上新田 石碑(蒲鉾型) 高135㎝,幅42㎝,厚27㎝ 安永10(1781)   稲城市の石造物p69 移設、集約 (正面)「(梵字)石橋供養塔」、(正面外枠右端)「四十八ヶ所」/上記の「東長沼の秋葉山常夜灯」に隣接 3
写真 矢野口の石橋供養塔2 やのくち 稲城市 <渡舟場道> 石碑(道標兼) 高124㎝,幅35㎝,厚21㎝ 文政4(1821)   稲城市の石造物p69 移設/植栽で道標部が隠されている (正面)「石橋供羪塔」、(右面下部)「北 江戸/東 川崎、道」、(左面下部)「南 大山/西 八王子、道」 3
写真 東長沼の石橋記念塔
(葎草橋碑)
ひがしながぬま
(りっそう)
稲城市 大丸用水の菅堀 石碑(道標兼) 高126㎝,幅35㎝,厚23㎝ 天保9(1838)~幕末 市有形民俗 市教委/稲城市の石造物p69-70 原位置/石橋も、車道用に大改修されたものの、碑と一体となって残っている (正面頂部)「葎/艸/𣘺」、(正面)「武藏國多摩郡長沼押立兩邨之經界有堰水/蓋多摩川之支流也注而便土功架而作圯𣘺/謂厥水曰渠田川謂厥𣘺曰葎草𣘺是地也草/創之時荊棘未辟葎萬蒙被故歟自元祿庚午/架板𣘺以還戸長等共服厥修事經之營之今/茲天保九年戌冬十月新作石𣘺工人旣卒/功仍刻厥由以告後修事者云」(→天保9に木橋を石橋に架け架けたことを記念して立てられた碑)、(左面上段)「江戸 七里/八王子 四里/川越 八里/府中 一里」、(左面下段)「小田原 十六里/大山 十二里/川﨑 六里/日光山 卅六里」/右面に歌:「渠田川や 多摩の葎能 𣘺者し羅/動怒御代衣 石と成蘭」を陰刻(→安定した世の中を願う村民の気持ちが伺える) 1
写真 百村の石坂供養塔 もむら 稲城市 妙見尊・参道石坂下 石碑(自然石) 高83㎝ 文化7(1810)   高橋 努 原位置/石材の剥離進行 (正面)「…坂供羪…」 2
写真 坂浜の石坂供養塔1 さかはま 稲城市 高勝寺・裏庭 石碑(笠付き) 高110㎝ 天保14(1843)   高橋 努 移設、集約 (正面)「石坂供養塔敬白」/笠上に宝珠を載せる 2
写真 矢野口の石坂・鋪石供養塔 やのくち 稲城市 穴澤天神社・境内 石碑 高113㎝ 弘化2(1845)   高橋 努 移設、集約(密集) (正面)「獅子/石坂/鋪石、供羪塔」 3
写真 坂浜の石坂供養塔2 さかはま 稲城市 天満神社・境内 石碑 高80㎝ 安政4(1857)   高橋 努 原位置 (正面)「石坂供養」 1
写真 大丸用水の菅堀 おおまる、すげ 稲城市 多摩川→川崎市登戸/大丸用水土地改良区 用水路   江戸初期   市教委 現役だが農業利用の減少により親水空間化 幕府の「年貢増収」を目的とした利水政策の一環として開削/多摩川に長さ約182mの堰を築いて引水 2
  吹上坂の切通し ふきあげ 青梅市   切通し 長37m,幅4m,高10m 文政11(1828)   市教委/WEB 旧状を留める 名主・野崎嘉右ヱ門が中心になり、峠頂部の難所を切り開いた/成木から石灰を運搬する牛馬も通行しやすくなった 3
写真 根ヶ布の石橋 ねかぶ 青梅市 天寧寺 石桁橋(花崗岩) 長2.10m(G),幅3.10m 寛政3(1791)   WEB(鎌倉街道上道) 保存状態良好 梅花型の開口部をもつ虹型高欄 1 -
  御岳本町の道標 みたけほんちょう 青梅市   石道標   元禄14(1701)   青梅市の石仏259   「從是、みきりハ 日原山みち/ひたりハ みたけ山みち」/市内最古の道標 2
  黒沢の庚申塔道標 くろさわ 青梅市   石道標(笠付き)   享保11(1726)   青梅市の石仏p72 木祠内 「從是 子權現道」/全面に青面金剛像を陽刻 2
  黒沢の題目塔道標 くろさわ 青梅市   石道標(自然石)   延享4(1747)   青梅市の石仏p257   (梵字)「右ハ 子のこん見 ミチ」「左ハ 下具ろさ王 みち」/「南無阿彌陀佛」と陰刻 2 C
  梅郷の道標1 ばいごう 青梅市   石道標(自然石)   宝暦10(1760)   青梅市の石仏p258 梅郷の道標2と接して立つ 「右 山みち/左 八王子道」 1 -
写真 富岡の庚申塔道標 とみおか 青梅市 愛宕神社 石道標 高93㎝(うち、台石18㎝),幅30.5㎝,厚24㎝ 明和2(1765)   青梅市の石仏p73
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面右下端)「右 みたけミち」、(同左下端)「左 八王子道」/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 東青梅の題目塔道標 ひがしおうめ 青梅市 (3丁目) 石道標(自然石)

高111㎝(うち、台石2段54㎝),幅47㎝,厚39㎝

天明6(1786)   青梅市の石仏p258
/WEB(鎌倉街道上道)
博物館展示→原位置(?)に再設置 (正面右下)「右 江戸道」、(同左下)「左、者んのふ/加王ごゑ、ミち」/正面中央に「南無阿彌陀佛」と陰刻 1
  成木の供養塔道標1 なりき 青梅市   石道標   寛政12(1800)   青梅市の石仏p256   「右、ちゝ婦/子の古んけん、道」「是從、高水/み多け掛越」「西、日原/甲州、道」/「湯殿山 坂東順禮供養塔」と陰刻/この地域に羽黒信仰があったことを示す 2
  成木の供養塔道標2 なりき 青梅市   石道標   文化元(1804)   青梅市の石仏p256   「右 やまみち」「左、大たは ひか王/甲州みち」/「湯殿山 西國順禮供養塔」と陰刻/この地域に羽黒信仰があったことを示す 2
写真 新町の庚申塔道標 しん 青梅市 新町桜株・交差点 石道標(自然石) 高168㎝(うち、台石29㎝),幅78㎝,厚55㎝ 文化14(1817)   青梅市の石仏p74
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面右中に小さく)「右ハ 江戸道」/正面に「庚申塔」と陰刻/奇岩が使用されており、岩の襞に埋もれて小さな道しるべは分かりにくい→どれだけ道標の意味があったかは疑問 2
写真 今井の馬頭観音道標 いまい 青梅市 正福寺 石道標 高65㎝,幅23㎝,厚15㎝ 文政10(1827)   青梅市の石仏p209
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/多くの部分で破損・欠損し、特に中央部の欠損部には幅広にC充填→刻字の判読困難 (右面上部)「…、ちゝ/子の古ん、…」、(同下部)「ミち/ミち」〔左面下部を間違って接合〕、(左面右)「南、八王子/江戸、…」、(同左)「西、御…/青…」、(同下部左)「…ち」〔右面下部を間違って接合〕/「馬頭…音」と陰刻→写真は正しい接合を再現している 4 -
写真 野上町の馬頭観音道標 のがみ 青梅市 野上第一自治会館・前
<川越街道・町屋街道>
石道標(自然石) 高65㎝,幅46㎝,厚23㎝ 文政12(1829)   青梅市の石仏p209
/WEB(鎌倉街道上道)
再移設 (正面左)「向」、(その下・右)「右、あふぎ町や/か王ごへ」、(同・左)「左、者んのふ/ちゝ婦”」、(一番下)「ミち」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 藤橋の題目塔道標 ふじはし 青梅市 宝泉寺 石道標 高222㎝(塔身のみ),幅40㎝,厚30㎝ 天保11(1840)   WEB(鎌倉街道上道) 移設/台石は新しいので高さから除外 (正面最下部)「北、子權現/秩父」、(裏面最下部)「南、八王子/江戸」、(右面最下部)「西、青梅/御嶽」/正面に「南無阿彌陀佛、八百/萬遍、塔」、左面に「奉拝禮百八十八箇所」、裏面に「登山六十三度大願成就」と陰刻 2
写真 小曽木の庚申塔道標1 おそき 青梅市 (1丁目) 石道標(笠付き) 高110㎝(うち、台石19㎝),幅29㎝,厚28㎝ 天保15(1844)   青梅市の石仏p74
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面下部)「左、上成木/黒澤、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  小曽木の馬頭観音像道標 おそき 青梅市   石道標   嘉永3(1850)   青梅市の石仏p257   「右 子の古んけん ちゝふ □□寺」/ 高水 小布市」/中央部に馬頭観音像らしき仏尊像が陽刻 1 -
  長淵の常夜灯道標 ながぶち 青梅市   石道標(常夜灯兼)   安政3(1856)   青梅市の石仏p258 道しるべ兼用の竿石のみ残る 「從是東左 八王子道/右 大荷田道」「常夜燈、南無阿彌陀佛」と陰刻 4 -
  御岳山の庚申塔道標1 みたけさん 青梅市   石道標(自然石)   万延元(1860)   青梅市の石仏p75   「右 御宮さんけい道/左、五日市/八王子/州、道」/「猿田彦大神」と陰刻 2 -
  御岳山の庚申塔道標2 みたけさん 青梅市   石道標(自然石)   万延元(1860)   青梅市の石仏p75   「向、江戸/あふめ」「御宮、右 うら/左 おもて、道」/「猿田彦大神」と陰刻 2 -
  御岳山の道標 みたけさん 青梅市   石道標(自然石)   万延元(1860)   青梅市の石仏p259   「是より奥院、あや□の瀧 廿丁/なゝ代の瀧 八丁」「岩屋金毘羅 十丁/征夷髙祖御社 十八丁/あふむ岩 十五丁/大嶽山 五十丁」 1
  梅郷の道標2 ばいごう 青梅市   石道標(自然石)   江戸期(1776 or 1836)   青梅市の石仏p258 梅郷の道標1と接して立つ 「從是十七丁/山毘羅道」「左 八王子道」/最初の表示は、山上の琴平神社を指すもの 1
  小曽木の庚申塔道標2 おそき 青梅市   石道標(自然石)   江戸期   青梅市の石仏p76   「右 □□□/左 江戸道」/「青面金剛」と陰刻/「江戸」の標記は江戸期 2
  御岳の道標 みたけ 青梅市   石道標(自然石)   江戸期   青梅市の石仏p259   「左 たかはし入口」/「但シ牛馬無用」と記されているのは珍しい 1
写真 今井の石橋供養塔 いまい 青梅市 薬王寺 石碑(墓石型) 高162㎝(うち、台石2段62㎝),幅34㎝,厚25㎝ 明和3(1776)   青梅市の石仏p31,69
/WEB(鎌倉街道上道)

移設

(左面中央)「石橋供養塔」/正面を火灯窓型に削り込み聖観音立像(蓮台、敷茄子)を陽刻 2
写真 根ヶ布の石橋供養塔 ねかぶ 青梅市 天寧寺 石碑(丸彫) 高224㎝(うち、台石34㎝),幅34㎝,厚23㎝

寛政3(1791)

  青梅市の石仏p31
/WEB(鎌倉街道上道)

原位置

(正面)「石橋供養塔」/上記「根ヶ布の石橋」の供養塔/塔身上に聖観音坐像の丸彫を載せる 1
写真 藤橋の石橋供養塔1 ふじはし 青梅市 宝泉寺 石碑 高140㎝(うち、台石2段50㎝),幅36.5㎝,厚36㎝ 寛政5(1793)   青梅市の石仏p31,69,73
/WEB(鎌倉街道上道)

移設、集約

(左面)「石橋7ヶ所建立、供/養」/正面を火灯窓型に浅く削り込み「大青金剛」と陰刻(緑字は異体字) 2
写真 藤橋の石橋供養塔2 ふじはし 青梅市 福伝寺 石碑 高85㎝(うち、台石20㎝),幅25㎝,厚17.5㎝

寛政8(1796)

  青梅市の石仏p69
/WEB(鎌倉街道上道)

移設、集約/簡易覆屋内

(正面)「石橋建立供養」 2
写真 大門の石橋供養塔 だいもん 青梅市 大門神社・大門会館 石碑(自然石) 高73㎝,幅57㎝,厚35㎝ 寛政9(1797)   青梅市の石仏p69
/WEB(鎌倉街道上道)

移設

(正面)「石橋供羪塔」 2 -
写真 小曾木の道橋供養塔 おそき 青梅市 福昌寺 石碑 高96㎝(うち、台石20㎝),幅25.5㎝,厚18.5㎝

文化4(1807)

  青梅市の石仏p209
/WEB(鎌倉街道上道)

移設

(正面像下)「道橋供羪塔」/正面上半分に馬頭観音坐像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻、右面に「奉拝諸國所々供養塔」と陰刻 2
写真 勝沼の石橋供養塔 かつぬま 青梅市 乗願寺 石碑(自然石) 高134㎝(うち、台石2段60㎝),幅83㎝,厚20㎝ 文化5(1808)   青梅市の石仏p31,69,73
/WEB(鎌倉街道上道)

原位置?

(上段台石右端)「石橋供養」/正面に「庚申塔」と陰刻、上段台石に“三猿”の陽刻 1
写真 住江町の石橋供養塔 すみえ 青梅市 延命寺・南 石碑(自然石) 高106㎝(うち、台石26㎝),幅54㎝,厚33㎝

安政2(1855)

  WEB(鎌倉街道上道)

移設

(正面)「石橋供羪塔」/青梅街道から分かれる延命寺横丁に架かっていた境橋の供養塔/脇に境橋の旧石桁が1本展示されている

2
  和田の猪堀・跡 わだ 青梅市 日の出山~草花丘陵への尾根裾部 土塁 長約1㎞ 江戸期   市教委 ほとんど埋没 土塁と溝、陥し穴「猪陥し」を組み合わせた形式 4
  所久保の石灰焼関連遺跡 ところくぼ 青梅市 成木石灰 窯跡、石垣 石垣:長15.7m,高3.5m 天正~慶長年間
(1573-1614)
市史跡 市教委/WEB 成木地区の中で最も良く保存 事業者: 木崎平次郎/北条氏照による八王子城築城等の資材として、天正年間から石灰の生産が開始(通説)/慶長11(1606)、家康が江戸城改修(白壁用材)のため、八王子代官・大久保長安に供出を命じたことにより本格化→御用石灰を江戸に運ぶ成木街道の成立 3
写真 御岳山麓の水防石
(滝本の水防石)
みたけさんろく 青梅市 滝本川 水防石(自然石) (6個)最大高2m,幅4m 安政6(1859)直後   市教委 当時のまま/現在では、砂防工事の完成により水防石としての役目は果たしていない 安政6の大洪水で被害を受けた北島家の当主・左門が、6個の巨大な自然石を洪水の進入路に並べて水害を防ごうとしたもの/巨石の運搬は、地元の土木巧者の「あくとの万蔵」が実施 2
  男井戸女井戸 おいど、
めいど
青梅市 <青梅街道> 石積井(湧水) 2基(東側:内径135㎝×120㎝,深75㎝) 平安時代初期?   市教委 飲用には不適/西側の井戸は石が散乱 水を所望した弘法大師が、百姓が遠方の川まで水を汲みに行ったのを見て、杖で地面を叩いたら、2ヶ所から水が湧き出した等、各種の伝承が残る涌泉 3
写真 青梅新町の大井戸 おうめしんまち 青梅市 大井戸公園 掘下げ井
(渦巻き状)
長径33m,短径22m,深7m 中世由来→慶長16(1611)大改修 都史跡 市教委/WEB 平成10(1998)に復元・整備 羽村市のまいまいず井戸同様に、すり鉢状の石組井戸/「まいまいず」としては最大級/掘り抜き井戸の技術が普及する以前の築造→慶長16から土豪的農民・吉野織部之助らによって始まる新田開発の際に大改修を受ける→塩野家井戸として使用 2
写真 旧吉野家住宅の井戸 よしの 青梅市 <名主・吉野家> 掘抜井(木枠、屋根付き) 深23m? 慶長18(1613)   市教委/WEB 現在残っている家屋(都有形)は、安政2(1855)のもの 水位の低い(地下23mほど)開墾地に掘られた5本の井戸の1つ 2
写真 野塩の道標 のしお 清瀬市 (1丁目) 石道標 高70㎝,幅24㎝,厚18㎝ 明暦4(1658) or
宝暦4(1754)
  WEB(鎌倉街道上道)
/市博物館
原位置? (正面右)「をんたけだ大古んけん…」(=御嶽大権現)、(同左)
「御りやくを毛つて馬頭観世音つる也/東門へ」(=御利益をもって馬頭観音建つる也)、(左面)「是ゟ東ハ 西薬師入口」(近くの円福寺薬師堂?)、(裏面下部)「右り 江戸道/向ハ 所沢道/左り のみち」/紀年銘は右面に「…厂四戊(戌)年二月吉日」とあるが、厂が暦だとすれば明暦4、宝暦4とも「戌」を含むので可能性は同程度→清瀬市博物館では、隣接する地蔵菩薩が明暦3の建立で材質が似ている点と、市内の宗教施設の建立が17世紀に集中するので明暦4の建立とみなしている→明暦4の建立とすれば、裏面の標記はこの時期としてはあり得ないような道標標記であり、宝暦4の可能性も十分にあり得ると考える
1
写真 元町の庚申塔道標 もと 清瀬市 (2丁目) 石道標(笠付き) 高163㎝(うち、台石22㎝),幅43㎝,厚27㎝ 享保10(1725)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面右枠上)「右 青梅道」、(正面左枠上)「左 八王じ道」/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 元町の馬頭観音像道標 もと 清瀬市 (2丁目) 石道標(丸彫) 高172㎝(うち、台石2段114㎝) 天明2(1782)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面右下隅)「右 所澤 山口道」、(同左下隅)「左 八王子 大山道」/台石上に馬頭観音坐像(光輪、三面六臂〔馬頭冠、剣〕、蓮台)の丸彫を載せる/台石正面に「奉建立南無馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 中清戸の庚申塔道標 なかきよと 清瀬市 日枝神社・水天宮 石道標(駒型) 高139㎝(うち、台石13㎝),幅46㎝,厚28㎝ 天明6(1786)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (左面下部右端)「これより ところ沢道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 下宿の馬頭観音道標 したじゅく 清瀬市 円通寺 石道標(墓石型) 高169㎝(うち、台石62㎝),36㎝角 文政8(1825)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (上段台石正面)「東 飛きまた」、(上段台石右面)「北 川古”へミち」、(上段台石左面)「南 江戸みち」、(上段台石裏面)「西 と古ろさ王」 /正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 中里の馬頭観音道標 なかざと 清瀬市 (1丁目) 石道標 高82㎝(うち、台石20㎝),幅27㎝,厚19㎝ 文政11(1828)   WEB(鎌倉街道上道) 移設(C基礎) (正面右下隅)「右 ところさ王」、(同左下隅)「左 くめか王」/正面中央に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 下清戸の馬頭観音道標 しもきよと 清瀬市 長源寺 石道標(墓石型) 高114㎝(うち、台石48㎝),33㎝角 文政13(1830)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (台石正面右)「右/り、恵登道」(=江戸)、(同左)「左/り、飛き又道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 元町の馬頭観音道標 しもきよと 清瀬市 (2丁目) 石道標(尖頭角柱) 高73㎝(うち、台石10㎝),幅24.5㎝,厚17㎝ 嘉永7(1854)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (右面上部)「右り」、(同最下部)「のじう/ところ沢、道」、(左面上部)「左り」、(同最下部)「八王子/大山、道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 野塩の石橋供養塔 のしお 清瀬市   石碑 高80㎝,幅24㎝,厚20㎝ 嘉永3(1850)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置 or 近接移設 (正面)「石橋他力供養塔」 1
  野火止用水 のびどめ 清瀬市・小平市・東村山市・埼玉/新座市 玉川上水 用水路 長25㎞ 承応4(1655)   WEB 東京都の「清流復活事業」により昭和59水流復活/水路は人工的 施主:川越藩主・松平信綱、補佐:安松金右衛門・小畠助左衛門/生活・灌漑用水確保のために、玉川上水から3割の分水を許されたもの/工期40日、費用3000両 3
写真 谷保の秋葉山常夜灯 やほ 国立市 南養寺 <甲州街道> 石常夜灯 高2.21m 寛政6(1794) 市登録有形 WEB/現地解説板 道路改修のため移設 (竿正面)「秋葉大權現」、(竿右面)「榛名大權現」、(竿左面)「天満宮」/中台3面に浮彫/大正期まで村人が毎夕交代で灯りを点した/もとは上谷保村の油屋の隣に建立 2
写真 青柳の秋葉山常夜灯 あおやぎ 国立市 青柳福祉センター
<甲州街道>
石常夜灯 高1.99m 寛政11(1799) 市登録有形 WEB/現地解説板 竿の右・左面が表面剥離→標題の「秋葉山」の刻字も滅失 (竿正面)「正一位稲荷大…」/解説板によれば竿の側面に「秋葉大權現」「榛名大權現」と刻字されているとあるが不明/中台3面に浮彫/昭和初期まで村人が毎夕交代で灯りを点した 3
写真 谷保の常夜灯 やほ 国立市 (下谷保)<甲州街道> 石常夜灯 高1.95m 文久3(1863) 市登録有形 WEB/現地解説板 原位置/火袋は平成6修復 基壇が大きく、本体は小さい/猫脚/石基壇あり/「ジョートミ」と呼ばれる回覧板が各戸にまわり、毎夕交代で灯りを点していた/「あぶらや」の屋号をもつ屋敷の塀沿いに建つ→状況から見て火災防止の願望を兼ねていたと思われるが、現地解説柱のように「秋葉燈」と表示するのは間違い(∵竿正面には「獻燈」とのみ刻字) 1
写真 谷保の道標 やほ 国立市   石道標   宝暦10(1760)   高橋 努 移設、集約/木造覆屋内 (正面)「奉請五智如來、此/橋、車禁制」、(同右)「古れ与利南」、(同左)「く流まみち」(=車道)、(右面)「眷惟元禄年中宝林山永福前住渕山源公創/造這石橋渡人形馬形屈指住六十余霜令既/及敗壊仍郷黨諸善男励赤心丹誠再修造焉」/荷車の石橋通行禁止を指示し、かつ、迂回路を示した珍しい道標 3
写真 西の庚申塔道標
(江戸街道庚申塔)
にし 国立市   石道標(笠付き) 高105㎝ 寛政5(1793) 市登録有形 WEB/高橋 努 移設/複数の破片に損壊→C修復/正面の像容は剥離して9割以上滅失/祠内 (右面)「是、右 川越(?)道/左 …道」/市の資料では、正面に青面金剛立像が陽刻とある 4
写真 谷保の庚申塔道標
(本田道庚申塔)
やほ 国立市 下谷保地域防災センター 石道標(笠付き) 高67㎝
(塔身のみ)
寛政5(1793) 市登録有形 WEB/高橋 努 移設/台石滅失→後補/石材がかなり剥離/簡易覆付き (右面)「右 川こへ道」、(左面)「左 子のごん…/ちゝぶ、道」/正面に青面金剛立像(六手合掌?)の陽刻/笠正面に唐破風 3
写真 谷保の石橋供養塔1 やほ 国立市 滝之院 石碑(丸彫) 高133㎝ 宝暦11(1761) 市登録有形 WEB/高橋 努 移設、集約 (台石正面)「奉納扶桑巡國/當三ヶ所石橋建立、供養塔」/台石の上に地蔵半跏坐像(光輪、錫杖、蓮台)の丸彫を載せる/青柳稲荷神社参道入口の橋に関わる供養塔? 2
写真 青柳の石橋供養塔 あおやぎ 国立市 青柳福祉センター 石碑 高59㎝ 嘉永元(1848) 市登録有形 WEB/高橋 努 移設 (正面)「石橋供羪塔」/青柳稲荷神社の参道橋の供養塔? 2 -
写真 谷保の石橋供養塔2 やほ 国立市   石碑(自然石) 高43㎝ 嘉永3(1850) 市登録有形 WEB/高橋 努 移設/下部埋設(埋設がなければ高60㎝以上) (正面)「石橋供…」/永福寺住職が架けた石橋の再々修築に関わる供養塔? 3 -
写真 府中用水 ふちゅう 国立市 多摩川 用水路   元禄6(1693) 疏水百選 WEB ほとんどが暗渠化/城山歴史環境保全地域の付近は良好な景観 多摩川左岸の7つの町と村の灌漑・生活用として、旧多摩川の河道を利用する形で開削された用水(当初、「七ヵ村用水」と呼ばれた) 2-4
写真 本町の石尊常夜灯 ほん 小金井市 大松木下稲荷 石常夜灯   享和2(1802)   高橋 努 移設、集約 (竿正面)「大山石尊大權現、大天狗/小天狗、不動尊」、(竿左面)「榛名大權現」 3 -
写真 中町の地蔵道標 なか 小金井市 <江戸道> 石道標(丸彫) 高163㎝(うち、台石67㎝) 享保元(1716)   市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
2度移設、集約/木祠内 (台石右面)「左ハ 国分寺道/右ハ 須奈川道」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 緑町の庚申塔道標 みどり 小金井市   石道標(笠付き) 高115㎝(うち、台石17㎝),幅31㎝,厚25㎝ 宝暦元(1751)   市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
道路拡幅により近接(40m)移設/三方をCブロック壁・瓦屋根の祠内 (右面左)「右リ 府中みち」、(左面左)「ひたり ゑとみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 関野町の供養塔道標 せきの 小金井市 真蔵院・塀際 石道標 高128㎝,幅35㎝,厚23㎝ 寛政5(1793)   市教委/高橋 努 移設 (右面左下)「北方 たなし 祢りま道」/正面に「(梵字)奉/納、秩父/坂東/西國、百番供養塔」と陰刻 2
写真 貫井南町の庚申塔道標1
(寛政六年絶三尸庚申塔)
ぬくいみなみ 小金井市 <薬師道> 石道標 高77㎝ 寛政6(1794) 市有形民俗 市教委/WEB 木祠内(刻字が劣化したため→劣化がかなり進行)/台石とセメントで固定 (右面)「右、小川/すな川、道」、(左面)「左 こくぶんじ道」/正面に「絶三尸罪」と陰刻→道教に由来する「三尸(さんし)説」を直接表現した珍しい庚申塔(庚申の日の夜に眠ると三尸という虫が体から抜け出し、天帝に罪を告げるため人に至る→庚申の夜は眠らずに一夜を明かすという庚申信仰のキーとなる概念) 2
写真 緑町の地蔵道標 みどり 小金井市   石道標(丸彫) 高157㎝(うち、台石2段49㎝) 寛政6(1794)   市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/Cブロック祠内 (台石正面)「右 ふちう 大山みち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 2
写真 緑町の供養塔道標 みどり 小金井市   石道標(隅丸型) 高48㎝,幅21.5㎝,厚12.5㎝ 寛政7(1795)   市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/正面下半分剥離/下部埋設 (正面右下)「立向右 ふちう」、(同左下)「立向左 よ徒や」/正面中央に
「奉納、秩父/坂東/西國、□□二世安樂供養…」と陰刻
2 -
写真 貫井北町の庚申塔道標 ぬくいきた 小金井市 (5丁目) 石道標(駒型) 高97㎝(うち、上段台石22㎝) 文政5(1822)   高橋 努 移設/Cブロックの覆屋内 (台石正面右端)「南 府中道」、(台石右面左端)「東 江戸道」、(台石左面右端)「西 沙川道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻 2
  貫井南町の馬頭観音道標 ぬくいみなみ 小金井市   石道標   文政12(1829)   市教委   「北 □□道」「南 府中道」/「馬頭観世音」の文字のみ    
  梶野町の馬頭観音道標 かじの 小金井市 (4丁目) 石道標(尖頭角柱)   弘化3(1846)   市教委/
小金井の文化財4p10
原位置? (右面)「南、いし原/そめや/ふちう、道」/正面に「馬頭観世音」と陰刻 1 -
  貫井南町の庚申塔道標2 ぬくいみなみ 小金井市   石道標   江戸期?   市教委   「西 こくぶんじ」「北 清戸」「南 ふちゅう」/「庚申塔」の文字のみ    
写真 貫井南町の石橋供養塔 ぬくいみなみ 小金井市 貫井神社 石碑(自然石) 高95㎝ 文政9(1799)   小金井の文化財4p12
/高橋 努
移設? (正面)「石橋供養塔」 2
写真 貫井南町の石坂供養塔 ぬくいみなみ 小金井市 貫井神社 石碑(尖頭角柱) 高77㎝(うち、台石8㎝) 文政13(1803)   高橋 努 原位置/石階段の登り口・左 (正面)「石阪供養塔」 1
  梶野町の尾張藩鷹場標杭 かじの 小金井市 (3丁目) 石標   享保2(1717)以降
→幕末に廃止
  小金井の歴史散歩p11 個人所蔵 (正面)「従是西東南 尾張殿鷹場」/鷹場の境界を示す石杭(尾張藩鷹場には84本の石杭があり30余本が現存) 4
写真 山王窪の築樋 さんのうくぼ、つきどい 小金井市 玉川上水→小金井村分水/仙川 用水路(盛土上) 長約102m,高約5.4m 元禄9(1696)   市教委/
小金井の文化財3p11
水路を埋めて遊歩道に/盛土そのものも改修・整形 玉川上水を本町方面に分水するため、仙川の低地に近隣の農民により築かれた土手水路 4
写真 梶野の築樋 かじの、
つきどい
小金井市 玉川上水→
梶野分水/仙川
上水路(盛土上) 長約230m,高約4m 享保17(1732)   市教委/WEB ごく一部が、盛土のまま保存 梶野新田の飲み水を確保するため、新田の名主・藤右衛門が玉川上水からの分水を何度も幕府に請願し、実現したもの/土手による交差水路 3
写真 小金井の桜 こがねい 小金井市・小平市・西東京市・武蔵野市 玉川上水 桜並木(水路) 長約6㎞ 元文2(1737)?→嘉永年間に大補植→その後も補植を続行 国名勝 市教委/
小金井の文化財3p12-15
嘉永年間の大補植(5間に1本)で「千本桜」と呼ばれるように→昭和初期の調査で江戸期の個体は80本→現在では数本程度/昭和40以後ケヤキ等が自生→現在桜並木の復活事業中 貧しい新田農村のための「村おこし策」のため、幕命を受けた武蔵野新田世話役・川崎平右衛門(国分寺市の謝恩塔参照)が、吉野(奈良)や桜川(茨城)から山桜の名品種を取り寄せ、小金井橋を中心とする玉川上水堤の両岸に植えた/18世紀の終わり頃から江戸近郊有数の花見の名所となり、江戸から著名な文人達が花見に訪れ、紀行文や詩歌、錦絵等多くの文芸作品が生まれた→当初の目的は達成 3
写真 桜樹接種碑 おうじゅせっしゅひ 小金井市 (関野町1丁目)玉川上水 石碑(自然石) 高110㎝,幅123㎝,厚13.5㎝ 嘉永4(1851)   玉川上水 橋と碑とp140
-141(碑文が全文記載されているが、碑文の一部は傷のため読めなくなっているためで記した。また平仮名は写真を判読して変体仮名に変えた)
/WEB(鎌倉街道上道)

原位置?

 

(正面)「さくら/折編可ら須」(=折べからず)、(裏面)「櫻樹接種記/承應のむし多磨郡水路開き玉川十里の鴻渠をし江戸/大城入らとりの村々漑田飲料の助とせらる尤莫大の仁澤な志可能ミなら享保元文の頃櫻水毒を解効ありとて両岸數里の間和州吉野/常州さら川の種をつし植しめらむ 御代櫻木繁茂し/爛漫の花の頃 上水影をつし芬香流遠近□□る一と申もお本介那き/御駕越さへ駐さ給ひしよ櫻花ま本者セ越名四方傳播し都鄙/の雅俗花の優遊し 日て夜昇平の化謳歌セ里然るこの櫻木百有/餘年のさし起越経し加者朽るもま多かりし嘉永二年春の頃時の縣令大熊ぬし/以多く本意那きことして 御代長久と共花の□□□可禮と田無村里正半兵衛/邊り近き村々尓者可里尓ハ培ひ朽尓ハ種継な□□力を戮セ天よく物よと命/し尓ミ那喜ひ數百本の木足し植ぬおもふ此ぬししへの循吏も恥さる行あるよ/常其澤なつ毛能可ら忽かく事なり那連この後心あらん者幾万々年も徒起徒起尓宇ゑつ喜天このめしのいさしの櫻木と共朽さらこと冀ふ尓那む」(青字は変体仮名) 1
写真 玉川上水(素掘区間) たまがわ 小金井市・小平市 多摩川
(茜屋橋~新小金井橋)
上水路(素掘) 総延長約43㎞のうち約8.4㎞ 承応3(1654) 国史跡 玉川上水現況調査報告書/市教委 中流部においては、昭和61から東京都の清流復活事業により下水の高度処理水を流している/市内の茜屋橋~新小金井橋間には当時の素掘りが残る 総奉行: 老中・松平信綱、水道奉行: 伊奈半十郎忠治(没後は半左衛門忠克)、施工: 庄右衛門・清右衛門兄弟(褒賞として玉川姓を賜る)/江戸の人口急増による水不足解消のために、羽村市で多摩川から取水し、四谷大木戸まで掘られた素掘りの上水路/開渠部の30kmが国指定史跡 2
写真 泉町の東山道武蔵路・跡 いずみ 国分寺市 隣接地:都立武蔵国分寺公園 <旧国鉄中央学園跡地> 道路 側溝表示区間:長490m,幅15m 宝亀2(771)以前 国史跡 木下 良/WEB/市教委(国分寺市の文化財) 旧国鉄中央学園跡地の開発により発掘調査後、地下約0.8~1mの所に埋設保存/地表面は土色のアスファルトとし、発掘された側溝の位置および形状をアスファルト上に黄色の塗装で忠実に示す 新田駅(群馬)から東山道本道と分かれて武蔵国府に通じる駅路→宝亀2に武蔵国が東海道に所属替えになったため廃止/発掘調査により4期の変遷が確認→第1期は両側溝間12mの道路遺構が、中央線北側を含め約490mにわたり一直線に通っていることが判明/都指定地の約100m南で上記道路跡の延長部が検出されたが、ここでは1~3期の変遷が確認 2 写真
写真 西元町の鎌倉街道上道・跡 にしもと 国分寺市 黒鐘公園
<鎌倉街道上道(推定ルート)>
切通し 長約150m 鎌倉時代? 市史跡 WEB(鎌倉街道上道)/市教委(国分寺市の文化財) 公園内整備 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭)/国分寺崖線を切り通しにして通過/多摩川以北で昔ながらの古道の姿を残した道がある所は、上道ではここだけではないかとされる 2
写真 光町稲荷神社石橋 ひかりちょういなり 国分寺市 光町稲荷神社参道/中藤新田分水 石桁橋 長104㎝(G),幅111㎝ 安政6(1859)   市教委 分水路より北に移設(分水路は暗渠化)  橋面石は加工された1枚板  3 -
  神明社石橋 しんめいしゃ 国分寺市 神明社参道/野中新田分水 石桁橋 (G) 近世   市教委     2 -
写真 戸倉の馬頭観音像道標 とくら 国分寺市 満福寺・北東角 石道標(笠付き) 高153㎝(うち、台石2段50㎝),幅33㎝,厚24㎝ 安永6(1777)   市教委(国分寺の石造物・石仏編)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内(銅板葺) (台石正面右端)「右 八王寺/道」、(同左端)「左 江戸/みち」/正面を火灯窓型に削り込み馬頭観音立像(三面六臂〔短剣、宝輪、槌?、縄〕、蓮台)の陽刻/下記の「戸倉の地蔵道標」と並ぶ 2
写真 並木町の馬頭観音像道標 なみき 国分寺市 鳳林院 石道標(丸彫) 高159㎝(うち、台石2段102㎝),幅43㎝ 寛政10(1798)   WEB/市教委(国分寺の石造物・石仏編)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石右面)「是より、八王子/ふちう、道」/背の高い台石上に馬頭観音坐像(光輪、三面六臂〔馬頭冠、剣、宝輪、斧、?〕、蓮台)の丸彫を載せる/台石正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
写真 戸倉の地蔵道標 とくら 国分寺市 満福寺・北東角 石道標 高152㎝(うち、台石35㎝),幅41㎝,厚25㎝ 寛政11(1799)   市教委(国分寺の石造物・石仏編)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面下部右)「右、子ごん現/山くち」、(同下部左)「左 ふちう」、(右面下部)「西ハ 八王子/東ハ 江戸道」/正面の上半分を光背型に削り込み地蔵立像(錫杖、蓮台)を浮彫り/上記の「戸倉の馬頭観音像道標」と並ぶ 2
  元・泉町の地蔵道標 いずみ 国分寺市 国分寺市遺跡調査会 石道標 高51㎝,幅25㎝,厚15㎝ 文化13(1816)   市教委(国分寺の石造物・石仏編) 旧国鉄中央学園跡地の一角で発見/元は川越街道と薬師道の交差点にあったとされる/国分寺市遺跡調査会へ移設・保管  「右 ふちうミち(以下欠)/左 こくぶんじ(以下欠)」  4 -
写真 北町の庚申塔道標 きた 国分寺市 妙法寺 石道標(駒型) 高102㎝(うち、台石19㎝),幅38㎝,厚32㎝ 万延元(1860)   市教委(国分寺の石造物・石仏編)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内  (左面)「左り、…大山/八王子/ふ中、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)、台石正面に“三猿”を陽刻 2
写真 西恋ヶ窪の石橋供養塔 にしこいがくぼ 国分寺市   石碑(舟型)   元禄16(1703)   高橋 努 移設 (光背右)「奉造立石橋巳待衆餞爲現當二世安樂也」/光背正面に地蔵立像の陽刻 2
写真 南町の石橋供養塔 みなみ 国分寺市 不動橋 石碑(自然石)   天保3(1832)   高橋 努 原位置 (正面右)「石橋供養塔」 1
写真 恋ヶ窪用水 こいがくぼ 国分寺市 玉川上水/恋ヶ窪用水保存用地 用水路(開渠) 長1.8㎞,幅3.6m
(保全部は200mほど)
明暦3(1657)   市教委(砂川用水現況調査委託-生態系調査報告書) 市内西恋ヶ窪一丁目に一部再現的保全(写真)/水路の大部分は暗渠→目視できない 玉川上水の分水では野火止用水に次いで古い/分水名は国分寺村外3ヶ村分水/市内2ヶ所で貫井村分水、国分寺村分水に分岐 2・4
写真 砂川用水(野中新田分水) すながわ
(のなか)
国分寺市 玉川上水 用水路(開渠) 南水路長2.0㎞,北水路長1.6㎞,幅1m 享保14(1729)   市教委(砂川用水現況調査委託-生態系調査報告書) 立川市境で五日市街道を挟み南北2水路に分岐/南水路は通水あり(屋敷の裏に水路があり水路を見ることができるのは一部)/北水路は通水なし(一部埋没)    4
写真 川崎・伊奈両代官謝恩塔 かわさき、
いな
国分寺市 妙法寺 石塔(宝篋印塔) 高約4.2m 寛政11(1799) 市重宝 WEB/市教委(国分寺市の文化財) 関東大震災で倒壊したが、昭和26(1951)再建/碑面剥落あり 武蔵野新田開発(1722年~)の窮状を見た武蔵野新田世話役・川崎平右衛門が、各種の制度を考えて新田開発を進展させたことに感謝した80ヶ村の農民が建立(伊奈半左衛門は、川崎の後任) 2
  胎内堀 たいないぼり 国分寺市 玉川上水(中藤新田分水) 用水路(暗渠) 断面:30㎝×30㎝ 慶応4(1868)   市教委(国分寺市史・中巻) 現在竪穴の大部分は埋没→暗渠部分を観察することは難しい  国分寺崖線上を暗渠にした分水路=最初から全線暗渠化された分水は珍しい/清掃用に竪穴が点在  3
写真 真姿の池 ますがた 国分寺市 真姿弁財天 湧水 3.6m×3.6m 嘉祥元(848)伝承 都指定名勝/名水百選/東京の名湧水57選 WEB/市教委(国分寺市の文化財) 名水百選の「真姿の池湧水群」の一環/現役の湧水がすぐ脇にある 不治の病に苦しんだ玉造小町が、病気平癒祈願のため国分寺を訪れて21回参詣すると、童子が現れ、この池の水で身を清めるようにと言って姿を消したので、その通りにしたところ、すぐに病は癒え、元の美しい姿に戻ったという伝承に由来する名 1
写真 姿見の池 すがたみ 国分寺市 国分寺姿見の池緑地保全地域 湧水   鎌倉由来(伝承) 東京の名湧水57選 WEB/市教委 昭和40代に埋立て→平成10年度、環境庁及び東京都の井戸・湧水復活再生事業費補助で復元・再生 鎌倉街道の宿場町・恋ヶ窪の遊女達が自分の姿を見ていたという伝承に由来する名/周辺からの湧水が主な水源 2
写真 神明宮の石橋 しんめい 小平市 神明宮 石桁橋   嘉永年間(1848-54)   小平の石造物p16 保存状態良好 高欄の左側面に寄進者16名の名前他が一面に刻字されている 1 -
写真 小川町の秋葉山常夜灯1 おがわ 小平市 神明宮 石常夜灯 高1.91m 文化12(1815)   小平の石造物p22 移設(もと、小川三番組)/竿石下部が一部損傷 (竿正面)「榛名山」、(竿右面)「秋葉山」、(竿左面)「神明宮」/竿石は角柱/中台4面に装飾 2
  小川町の秋葉山常夜灯2 おがわ 小平市 (2丁目) 石常夜灯 高2.03m 文化13(1816)   小平の石造物p81 移設→個人宅・庭園 (竿正面)「秋葉山」、(竿右面)「愛宕宮/天満宮/山王宮」、(竿左面)
「榛名山」、(竿裏面)「神明宮」/中台4面に浮彫り
4
写真 小川町の秋葉山常夜灯3 おがわ 小平市 神明宮 石常夜灯 高2.38m 文政年間(1818-30)   高橋 努 移設/「文政」文字以外が削り取られている (竿正面)「神明宮」、(竿右面)「榛名山」、(竿左面)「秋葉山」/中台4面に簡単な浮彫り 2
  仲町の秋葉山常夜灯 なか 小平市 熊野宮 石常夜灯 高2.10m 文政9(1826)   小平の石造物p122 移設(もと、小川山家) (竿正面)「秋葉山」、(竿右面)「榛名山」、(竿左面)「熊野宮」、(竿裏面)「御嶽山/金毘羅/大山石尊」/中台4面に浮彫り 2
写真 小川町の秋葉山常夜灯4 おがわ 小平市 神明宮 石常夜灯 高3.23m 嘉永2(1849)   高橋 努 移設 (竿正面)「神明宮」、(竿右面)「冨士山」、(竿左面)「秋葉山」、(竿背面)「榛名山」/中台4面に装飾/上段台石正面に竜の陽刻 2
写真 小川町の秋葉山常夜灯5 おがわ 小平市 神明宮 石常夜灯 高2.75m 嘉永2(1849)   高橋 努 移設 (竿正面)「神明宮」、(竿右面)「秋葉山」、(竿左面)「榛名山」、(竿裏面)「愛宕山/成田山」/中台4面に簡単な装飾/猫脚 2
写真 中島町の庚申塔道標 なかじま 小平市 東大和市駅前/青梅橋交差点 石道標(駒型) 高97㎝,幅36㎝,厚25㎝ 安永5(1776)   小平の石造物p1
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/木祠内 (右面下部左)「西 おうめみち/ 山くちみち」(緑字は異体字)、(左面下部右)「東 江戸/南 八王子、道」/正面を火灯窓型に浅く削り込み「奉納庚申供養」と陰刻 2
写真 小川町の道標 おがわ 小平市 神明宮 石道標(尖頭角柱) 高75㎝,幅25㎝,厚21㎝ 江戸期   小平の石造物p15 移設/磨耗のため像容不明 (右面)「是より、北 山口/東 江戸、道」/「江戸」の標記は江戸期の可能性/正面を火灯窓型に浅く削り込んで像容を陽刻 3 -
写真 上水本町の石橋供養塔1 じょうすいほん 小平市 上鈴木不動尊堂 石碑(笠付き) 高98㎝,幅24㎝,厚15㎝ 寛政3(1791)   小平の石造物p179 移設? (右面右)「石橋造立供養」/正面に「(梵字3)奉巡禮、坂東/西國/秩父、百番供養塔」と陰刻 2
  鈴木町の石橋供養塔1 すずき 小平市 (1丁目)回田中通り・入口 石碑(道標兼) 高83㎝,幅31㎝,厚18㎝ 寛政12(1800)   小平の石造物p277 移設、集約 (正面)「石橋二ヶ所供養塔」、(左面)「左 古くぶんじ道」、(同右下)「ふちう」/塔身上に小さな馬頭観音坐像の丸彫りを載せる(後置き?) 2
  花小金井の石橋供養塔 はなこがねい 小平市 円成院 石碑(尖頭角柱) 高67㎝,17㎝角 文化5(1808)   小平の石造物p160 移設? (正面)「石橋四ヶ所供養塔」 2 -
  鈴木町の石橋供養塔2 すずき 小平市 (1丁目)回田中通り・入口 石碑 高50㎝,幅17㎝,厚12㎝ 文化13(1816)   小平の石造物p278 移設、集約(廃棄に近い) (正面)「石橋供養塔」 3 -
写真 小川町の石橋供養塔 おがわ 小平市 (1丁目)玉川上水・小川橋 石碑
(蒲鉾型、道標兼)
高120㎝,幅35㎝,厚23㎝ 天保13(1842)   立川の野仏をたずねてp168-169
/WEB(鎌倉街道上道)
基部露出→移設? (正面)「石橋供養塔」、(右面最下端右)「右り」、(同左)「江戸ミち」、(左面最下端)「左り、所沢/山口、ミち」 2
  上水本町の石橋供養塔2 じょうすいほん 小平市 (2丁目) 石碑(駒型) 高50㎝,幅20㎝,厚12㎝ 天保15(1844)   小平の石造物p169 移設→個人宅 (正面)「石橋供養塔」 4 -
写真 小金井の桜 こがねい 小平市・小金井市・西東京市・武蔵野市 玉川上水 桜並木(水路) 長約6㎞ 元文2(1737)?→嘉永年間に大補植→その後も補植を続行 国名勝 市教委/小金井市教育委員会/WEB 小金井市参照 小金井市参照 2 写真
写真 小金井桜樹碑 こがねい 小平市 海岸寺・参道入口 石碑(自然石) 高145㎝(うち、台石39㎝),幅125㎝,厚37㎝ 文化7(1810) 市有形 玉川上水 橋と碑とp126
-129(写真判定で旧字体に変換)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設? (正面右上端)「小/金/井/櫻/樹/碑」、(正面)「小金井櫻樹碑文/武州多摩郡玉川上水小金井𣘺上下両岸櫻樹/有廟時川﨑平右衛門定孝之所種大凡古者十里餘今/二里間千株餘云初定孝及武野墾闢役與而有功遂解/褐司郡於是乎請而承 朝命採芳野及諸邦名種雜/種之郡民子来封植亟畢實元文二年丁巳歳也其擧/慮衆根深入堤中而長無壊闕之患則両岸樹數均而南/岸葉茂北岸花盛者豈徒哉相其陰陽度其便宜春随/艶陽悦往来目夏障炎光使行旅憩且開花鮮美映加/清潔落英繽紛浮不汚穢又且吾 東方醫家一二方/凾櫻筎及花総用解毒剤則水毒亦可解況両岸千樹相/蔭映直流径入 東都何毒之有宜億兆爨炊之用煎茶/第一之水所薦於鬼神羞於公侯誠忠用心庶乎仁政一/助哉前十餘年余誘女婿石子亨與郷里親舊歴覧/多摩郡中名區擇優者八所與子亨議定其目各附題/辭審事實其一金𣘺櫻花即此所也遂題為武野八景/梓以公乎世於是人察奇勝欲一覧者不尠爾後遊人毎春/相倍蓰野路緜人肩摩馬蹄連騒人詞客吟詠相競/異説稍間起余恐吾題辭相混亂人以為鹵莽與子亨/同就定孝孫川崎平蔵于押立村質訪始終三人相謀刻/石防違乎永世銘曰/物之隠顯遅速有時千株之櫻十里水涯両岸相/均初種者誰司郡定孝従何致之芳野他山遠採/爰移多種夭夭争美花期瞻望悠遠若雲離披/土人慣目猶未甚奇況都人士豈曽聞知俄然一顕/遊客追随往還知織先後連騎時哉今顕盛賞花/宜稱種者功功亦盛馳」 2
写真 玉川上水(素掘区間)
たまがわ 小平市・小金井市 多摩川
(上水小橋~小金井橋)
上水路(素掘) 総延長約43㎞のうち約8.4㎞ 承応3(1654) 国史跡 市教委/玉川上水現況調査報告書/WEB 中流部においては、昭和61から東京都の清流復活事業により下水の高度処理水を流している/市内の上水小橋~小金井橋(茜屋橋~小金井橋間は小金井市と接する)には当時の素掘りが残る 総奉行: 老中・松平信綱、水道奉行: 伊奈半十郎忠治(没後は半左衛門忠克)、施工: 庄右衛門・清右衛門兄弟(褒賞として玉川姓を賜る)/江戸の人口急増による水不足解消のために、羽村市で多摩川から取水し、四谷大木戸まで掘られた素掘りの上水路/開渠部の30kmが国指定史跡 1 写真
  野火止用水 のびどめ 小平市・清瀬市・東村山市・埼玉/新座市 玉川上水 用水路 長25㎞ 承応4(1655)   市教委/WEB 東京都の「清流復活事業」により昭和59水流復活/水路は人工的 施主:川越藩主・松平信綱、補佐:安松金右衛門・小畠助左衛門/生活・灌漑用水確保のために、玉川上水から3割の分水を許されたもの/工期40日、費用3000両 3
写真 小川用水 おがわ 小平市 玉川上水 用水路 長17㎞ 明暦2(1656)   高橋 努/WEB 北水路(写真)は保存状態良好、南水路は修景的改修 小川九郎兵衛が小川村を開拓した際、玉川上水から引水 1-2
写真 和泉本町の聖観音像道標 いずみほん 狛江市 松原庚申堂 石道標 高90㎝,幅25㎝ 文化2(1805)   市教委(狛江市の石造物p31) 移設、集約/中央で水平に折損→修復 (台石正面)「東/六郷道/南/の本りと/道」、(台石右面)「北/たかいど/道」、(台石左面)「西/ふちう/道」/正面に聖観音立像(蓮の花)を陽刻、台石との間にもう1つ蓮台を入れる 3
  猪方の庚申塔道標 いのがた 狛江市 (1丁目) 石道標 高62㎝,幅24㎝,厚19㎝ 文政9(1826)   市教委(狛江市の石造物p26)/WEB 原位置? (右面)「東 江戸 青山道」、(左面)「南 野みち」、(裏面)「西 大山道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1 -
写真 中和泉の馬頭観音像道標 なかいずみ 狛江市 (3丁目)<品川道> 石道標 高84㎝,幅38.5㎝,厚35㎝ 文政10(1827)   市教委(狛江市の石造物p19、狛江の古い道p32)/WEB 近接移設?/像容の風化が進み詳細は不明 (台石正面右)「西 府中道」、(台石右面中央)「右、當村地蔵尊/玉川渡し場、道」、(台石左面)「左、江戸 青山/六ごう、道」〔資料より〕/正面に馬頭観音坐像(三面八臂、蓮台)を陽刻 2
写真 中和泉の庚申塔道標1 なかいずみ 狛江市 (3丁目)<布田道往来> 石道標(駒型) 高52㎝,幅37㎝ 安政5(1858)   市教委(狛江市の石造物p27)/WEB 移設 (正面像下)「南/の/本" /り/戸/道」、(右面)「右リ 高井戸みち」、(左面)「左リ 国領宿」〔資料より〕、/正面に青面金剛像(日月、六手剣人)を陽刻 2
写真 中和泉の庚申塔道標2 なかいずみ 狛江市 (4丁目)<品川道> 石道標(駒型) 高56㎝,幅23.5㎝,厚15㎝ 安政5(1858)   市教委(狛江市の石造物p27)/WEB 移設(半分宙に浮いた状態)/塔身と台石を乱雑にC接合 (右面)「右 地藏尊道」(=泉龍寺の子育地蔵尊)、(左面)「左 江戸 青山道」、(台石正面)「西/府/中/道」/正面を枠だけ残して駒型に削り込み「庚申塔」と陰刻 3 -
  和泉の石橋供養塔 いずみ 狛江市   石碑 高103㎝,
幅44.5㎝
文化3(1806)   市教委(狛江市の石造物p47)/WEB 原位置? 正面上部を長方形に削り込み聖徳太子像をを陽刻、その下に「太子講石橋供養塔」と陰刻 1
  西野川の石橋供養塔 にしのがわ 狛江市 (2丁目) 石碑 高105㎝,幅35㎝,厚24㎝ 文化13(1816)   市教委(狛江市の石造物p47、狛江の古い道p28) 原位置(かつて用水掘があった) 正面に「石橋供養塔」と陰刻/文化6に石橋を造ることを決め村々に勧進帳を配り32両余の寄付が集まったとの記録がある 1
写真 岩戸南の石橋供養塔 いわとみなみ 狛江市 (一の橋) 石碑
(隅丸型、道標兼)
高93㎝,幅32㎝,厚19㎝ 文政6(1823)   市教委(狛江市の石造物p48、狛江の古い道p14) 原位置?/下から3分の1部分の一部が欠損 (正面像下中央)「石橋供養塔」、(同右下隅)「西、登戸/府中、道」、(右面)「南 家村道」、(左面上部右)「北、保りの内/高井戸、道」、(同左)「東、六郷/江戸、道」/正面頂部を光背型に浅く削り込み弘法大師坐像(蓮台)を陽刻/長3間、幅5尺9寸の石橋 1
写真 弁財天池 べんざいてん 狛江市 泉龍寺 湧水 約200㎡ 元禄6(1693)以前 市史跡 現地解説板 昭和47、周辺の宅地化により枯渇→翌年文化財指定後に復元 奈良時代に東大寺を開山した良弁僧正が雨乞いを行ったところ竜神が現れ水が湧き出したとの伝承/池の中島に元禄6の石祠(弁才天を祀られている)
3
写真 (再)富士見町の秋葉山常夜灯1 ふじみ 立川市 (4丁目) 石常夜灯 高約2m 寛政9(1797)   立川の野仏をたずねてp143 原位置?/昭和61再建(かなり正確に再現) (竿正面)「秋葉大権現」/中台各面に浮彫り/石基壇なし 3
写真 砂川町の秋葉山常夜灯 すながわ 立川市 天王橋・際 石常夜灯 高1.73m 文化3(1806)   立川の野仏をたずねてp144
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/火袋更新 (竿右面)「秋葉大權現」、(竿左面)「榛名大權現」/中台4面に浮彫り/竿が角柱状/石基壇なし 2
  富士見町の秋葉山常夜灯2 ふじみ 立川市 (5丁目) 石常夜灯 高2.07m 天保4(1833)   立川の野仏をたずねてp146 移設/修理・復元 (竿右面)「秋葉大權」、(竿左面)「愛宕大□□」/石基壇なし 2
写真 栄町の愛宕常夜灯1 さかえ 立川市 (2丁目) 石常夜灯 高1.58m 天保9(1838)   立川の野仏をたずねてp146
/WEB(鎌倉街道上道)
修理・復元(火袋更新) (竿正面)「奉獻 愛宕大權現」、(竿右面)「秋葉山大權現」、(竿左面)「榛名山大權現」/石基壇なし/下記の「栄町の地蔵道標」と並ぶ 2
写真 栄町の愛宕常夜灯2 さかえ 立川市 (2丁目) 石常夜灯 高1.66m 弘化3(1846)   立川の野仏をたずねてp147
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/笠が数ヶ所破損 (竿正面)「阿豆佐味天神社」、(竿右面)「榛名山大權現」、(竿左面)「愛宕山大權現」/猫脚/石基壇なし 2
写真 柴崎町の秋葉山常夜灯 しばさき 立川市 (1丁目) 石常夜灯 高1.91m 弘化4(1847)   立川の野仏をたずねてp145/高橋 努 修理・復元 (竿正面)榛名大現、(竿右面)鎮守社宮、(竿左面)秋葉大□□/石基壇なし 2
写真 幸町の庚申塔道標 さいわい 立川市 (4丁目)
<小川道・山口道>
石道標(駒型) 高54㎝,幅28㎝,厚16㎝ 元和5(1619)   立川の野仏をたずねてp116-117
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(移設時に“三猿”の陽刻された台石が紛失したと推測される/木覆屋内 (右面左)「右 砂川 五日市」、(左面右)「左 八王子」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)の陽刻/17世紀初頭の道標/建立年が刻字してあって年代の確定している一般道標としては判明している限り国内最古 3
写真 砂川町の地蔵道標
(延命地蔵)
すながわ 立川市 天王橋・際 石道標(丸彫) 高130㎝(うち、塔身102㎝),幅30㎝,厚30㎝ 享保4(1719)   立川の野仏をたずねてp50-51
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内/信仰の対象 (台石右面)「右ハ 伊奈道」、(台石左面)「左ハ □□道」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 若葉町の地蔵道標
(十番のお地蔵さん)
わかば 立川市 (3丁目)<府中道> 石道標(丸彫) 高175㎝(うち、台石72㎝),幅33㎝,厚16㎝ 寛保元(1741)   立川の野仏をたずねてp42-43
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内 (台石右面)「右ハ ふちう/左ハ 江戸、道」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 若葉町の供養塔道標 わかば 立川市 (4丁目) 石道標(隅丸型) 高71㎝(うち、台石10㎝),幅23㎝,厚13㎝ 寛延4(1751)   立川の野仏をたずねてp134
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(設置環境不良: 写真は奥の石塔) (右面)「これより 山口ミち」/正面に「南無阿弥陀佛百萬遍供養」と陰刻 3
  砂川町の道標1 すながわ 立川市 天王橋・際 石道標(自然石) 高58㎝,幅50㎝,厚35㎝ 明和2(1765)   立川の野仏をたずねてp161 近接移設/複数片に破断→修復/鉄柵内 (正面)「右ハ い奈本そ 村山/中 者い志"ま くま川/左ハ 大神 上川原、道」 3 -
写真 栄町の地蔵道標
(愛宕地蔵)
さかえ 立川市 (2丁目) 石道標(丸彫) 高122㎝(うち、塔身68㎝),幅31㎝,厚23㎝ 安永7(1778)   立川の野仏をたずねてp53
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内/信仰の対象 (台石右面右)「左 江戸道」、(台石左面)「是ゟ、小川/沢、道」/台石上に地蔵半跏坐像(錫杖、蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる→地蔵で半跏坐像は稀/上記の「栄町の愛宕山常夜灯」と並ぶ 2
  幸町の馬頭観音道標 さいわい 立川市 (4丁目) 石道標 高76.5㎝(うち、台石15.5㎝),幅26.5
㎝,厚16.5㎝
天保8(1837)   立川の野仏をたずねてp79 移設 (右面)「砂川」、(左面)「是より左り 八王子 大山道」、/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
写真 砂川町の庚申塔道標 すながわ 立川市   石道標(駒型) 高85㎝(うち、台石19㎝),幅27㎝,厚20㎝ 天保13(1842)   立川の野仏をたずねてp128
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/像容が磨耗し不鮮明 (右面下部)「右、志者さ幾/日野」(=柴崎)、(左面下部)「左、本宿/ふちふ」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻 3
写真 砂川町の道標2 すながわ 立川市 <大山道> 石道標(隅丸型) 高129㎝(うち、台石11㎝),幅36㎝,厚21.5㎝ 安政4(1857)   立川の野仏をたずねてp162 近接移設/中央で水平に折損→修復/個人建物に隣接・植生が繁茂 (正面)「大山道」 3
写真 富士見町の道標 ふじみ 立川市 立川市歴史民俗資料館
<甲州街道>
石道標(自然石) 高89㎝,幅40㎝,厚35㎝ 江戸期?   立川の野仏をたずねてp163 資料館の敷地内に移設 (正面)「左 甲道中」(緑字は異体字)、(右面)「右、者いし満/五日市、みち」、 2
写真 砂川町の石橋供養塔 すながわ 立川市 天王橋・際 石碑(尖頭角柱) 高90㎝,幅26㎝,厚21㎝ 寛政4(1792)   立川の野仏をたずねてp166-167
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/金網で仕切られている (正面)「玉水分派 邈護公居/厲掲無若 渡馬渡驢」、(右面)「夫這渡頭者玉川□□萬人所來往也連日雨洪水蕩□□涌山□□浪波渺々漾/湿□□爲不得渡異僧□□波況於行路凡民哉故僅架略彴以渡往來漸積歳月及/廃此有者直入者愁之久矣志化十方壇那十余年不避風雨負栲栳一二同志/從後以□□□□□三仲春日石橋終成未修供養而逝去同志之輩其志願/請山野将修供養三宝可謂願主之功於是全矣 銘白」 3
写真 幸町の石橋供養塔 さいわい 立川市 (3丁目)弁財天・入口脇 石碑 高82㎝,幅22.5㎝,厚21㎝ 弘化4(1847)   WEB(鎌倉街道上道) 移設/下部で水平に折損→修復 (正面)「石橋供養塔」 2
写真 玉川上水(現役区間) たまがわ 立川市・羽村市・福生市・昭島市 多摩川 上水路(全面改修) 総延長約43㎞のうち約11.4㎞(暗渠等を除く) 承応3(1654) 国史跡 玉川上水現況調査報告書/WEB 小平監視所で野火止用水に分水するまでの区間は現役だが、護岸は近代の全面改修
写真は、金比羅橋~天王橋の中間部)
総奉行: 老中・松平信綱、水道奉行: 伊奈半十郎忠治(没後は半左衛門忠克)、施工: 庄右衛門・清右衛門兄弟(褒賞として玉川姓を賜る)/江戸の人口急増による水不足解消のために、羽村市で多摩川から取水し、四谷大木戸まで掘られた素掘りの上水路/開渠部の30kmが国指定史跡 3
写真 砂川分水 すながわ 立川市 玉川上水 上水路 長4㎞ 明暦3(1657)   WEB 現役の灌漑用水/C改修(一部に残る石積も近代もの) 野火止用水の次に古い分水/砂川新田の飲用水(伸延後、深大寺用水と名称変更) 2-3
写真 柴崎分水 しばさき 立川市 玉川上水 上水路・用水 長8㎞ 元文2(1737) 市史跡 WEB 現役の灌漑用水/C改修 柴崎村・芋窪新田の飲用水や農業用水/明治22に甲武鉄道が敷設された際、跨線橋を架け、用水路の一部を迂回させた 3
写真 元・本郷の尾張藩鷹場標杭 ほんごう、
おわりはんたかば
立川市 立川市歴史民俗資料館 石杭 高77㎝,14.5㎝角 享保2(1717)以降
→幕末に廃止
  立川市歴史民俗資料館/立川の野仏をたずねてp170-171 資料館の敷地内に展示(日野市本郷にあったものが流されてきた)/中央で折損→修復 (正面)「尾張殿鷹場」、(右面)「是より川上羽村 川向」、(左面)「従是東西北 尾張殿鷹場」/他の尾張藩鷹場標と異なり3面に刻字/鷹場の境界を示す石杭(尾張藩鷹場には84本の石杭があり30余本が現存) 3
写真 南野の鎌倉裏街道・跡 みなみの 多摩市 一本杉公園
<鎌倉裏街道(推定ルート)>
長約10m 鎌倉時代?   市教委 一部弧状に窪んだ古道跡が所在 鎌倉時代の主要幹線、鎌倉街道上道に並行した鎌倉古道(鎌倉街道上道に対して、鎌倉裏街道、鎌倉脇街道等とも呼ばれる) 3
写真 関戸の秋葉山常夜灯 せきど 多摩市 (5丁目)
<鎌倉街道(推定ルート)>
石常夜灯 高1.15m 寛政6(1794)   市教委 字が剥落(「葉宮」は消滅) (竿正面)「奉/献、秋葉宮」〔篆書体〕/中台各面に幾何学的模様を線刻、台石各面に波型模様を陽刻 2
  唐木田の秋葉山常夜灯 からきだ 多摩市 唐木田稲荷神社 石常夜灯 高1.57m 寛政11(1799)   市教委 多摩ニュータウンの建設にからんで移設 「秋葉大権現」 2
  貝取の庚申塔道標 かいどり 多摩市 (3丁目)
<鎌倉街道(推定ルート)>
石道標 高53㎝,幅15㎝,厚14㎝ 明和6(1769)   市教委 保存状態良好 (右面)「□□田道/大山道」、(左面)「かな川道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1 -
  落川の地蔵道標 おちかわ 多摩市   石道標(舟型) 62㎝,幅34㎝,厚17㎝ 安永10(1781)   市教委 移設 (光背上部)「大山道」、(右面)「 をやま道」/正面に地蔵菩薩立像が陽刻 2
写真 関戸の題目塔道標 せきど 多摩市 (4丁目)大栗橋・北詰
<鎌倉街道(推定ルート)>
石道標(駒型) 高107㎝,幅28㎝,厚17㎝ 天明3(1783)   市教委 移設 (右面)「右 ふちう道」、(左面)「左 八王うじ道」/正面に「南無觀世音菩薩」と陰刻 2
  諏訪の馬頭観音像道標 すわ 多摩市 (3丁目)馬引沢共同墓地 石道標(自然石) 高104㎝,幅58㎝,厚37㎝ 天保4(1833)   市教委 移設 (台石○面)「南 おのち道/左 東 さかはま道/北 ふちう道」/正面に「馬頭観世音」が陰刻 2
写真 豊ヶ丘の橋供養塔 とよがおか 多摩市 (1丁目) 石碑(尖頭角柱) 高56㎝,幅21.5㎝,厚20㎝ 文政7(1824)   高橋 努 移設、集約(C基礎)/頂部剥離 (正面)「橋供羪塔」 2 -
写真 霞ノ関南木戸柵・跡 かすみのせき 多摩市 <鎌倉街道(推定ルート)> 木戸柵跡の穴 16 建保元(1213) 都史跡 市教委 昭和30代に熊野神社参道際の土居を発掘したところ、丸柱の痕跡が45㎝間隔で16ヶ所確認された→指定に伴い柱穴列を復元 鎌倉街道に設けられた関の柵跡とされる/和田合戦に関連した豪族横山党の滅亡を受け、横山党の残党に備えて設置された軍事的な関所とみられる 3
写真 旧飛田給の秋葉山常夜灯 とびたきゅう 調布市   石常夜灯 高2.2m 弘化3(1846)   市教委(調布市の石造物2) 調布市交流館脇に移設/竿石の受石は更新 (竿正面)「秋葉大權現」、「榛名大權現」「鎮守両社宮大權現」/火袋・台石・基壇最上段とも非常に装飾的 2
写真 小島町の秋葉山常夜灯 こじま 調布市 西光寺<甲州街道> 石常夜灯   弘化3(1846)   WEB 保存状態良好 (竿正面)「秋葉大權現」、「榛名大權現」「鎮守両社宮大權現」/火袋・台石とも非常に装飾的/猫脚 1
写真 下石原の常夜灯 しもいしわら 調布市 常演寺<甲州街道> 石常夜灯 高2.55m 嘉永3(1850)   市教委(調布市の石造物2) 移設 (竿正面)「奉/納、仁王尊」/火袋・台石が装飾的(市内の他の2基の常夜灯と比べると、装飾性が少ない) 2
写真 深大寺元町の題目塔道標 じんだいじもと 調布市 深大寺<甲州街道> 石道標(隅丸型) 高236㎝,幅43㎝ 元禄16(1703) 市郷土資料 市教委/調布市の石造物2p35 移設 (右面)「是より大師尊参詣道」、(同下部)「石原宿迄/五丁近」/正面に「元三大師」と陰刻/深大寺に祀られる厄除け元三大師の参詣者に対する道しるべ 2
写真 入間町の供養塔道標 いりま 調布市   石道標   天明元(1781) 市郷土資料 市教委 昭和43地中から発見→修復・設置 (正面下部)「是より/泉むら/子安地蔵尊/二十五丁」、(右面)「右 世田ヶ谷目黒道」、(左面)「左り 江戸四ッ谷道」/正面に「百万遍供羪」と陰刻/江戸から子安地蔵尊への参詣者用に設置 2
写真 深大寺南の庚申塔道標 じんだいじみなみ 調布市 (3丁目) 石道標 高80㎝,幅28㎝ 寛政4(1792)   市教委(調布市の石造物1) やや摩耗している (右面)「大さわみち」、(左面)「深大寺道」/正面に「(梵字)青面金剛」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
写真 若葉町の庚申塔道標 わかば 調布市 (3丁目) 石道標(駒型) 高133㎝,幅35㎝ 文化9(1812)   市教委(調布市の石造物1p30・31) 移設?/祠内 (台石正面)「玉川道 府中」、(台石右面)「江戸道」、(台石左面)「井のかしら」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 入間町の庚申塔道標 いりま 調布市 (1丁目) 石道標(駒型) 高82㎝ 文化9(1812)   市教委(調布市の石造物1p31・32) 移設?/祠内 (裏面左)「西 いづみ村ぢぞう道」、(台石右面)「北 井のかしら」、(台石左面)「南 ふだ」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻 2
写真 飛田給の庚申塔道標 とびたきゅう 調布市 薬師堂 石道標 高56㎝,幅24㎝ 文化15(1818)   市教委(調布市の石造物2) 移設、集約 「北 所沢道」「南 相州大山」/正面に「庚申塔」と大きく陰刻 2 -
写真 深大寺元町の馬頭観音道標 じんだいじもと 調布市 池上院 石道標 高80㎝,幅28㎝ 嘉永3(1850)   市教委(調布市の石造物2) 道路工事のため近接移設/基壇新設(高さデータから除外) (右面)「石原道」、(左面)「小島・布田道」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 3
写真 富士見町の馬頭観音道標 ふじみ 調布市 (1丁目) 石道標(自然石) 高155㎝ 嘉永5(1852)   市教委(調布市の石造物1) 原位置? (正面最下部右)「右ハ、志"んた以寺/やぎ左ハ、道」、(同左)「左ハ、おふさ王/と古ろさハ、道」/正面に「(梵字)駒形大明神/馬頭觀世音」と陰刻 1
  深大寺元町の石橋供養塔 じんだいじもと 調布市 深大寺 石碑 高106㎝ 天明8(1788)   調布市の石造物2p36 移設? (正面)「西國/秩父/坂東、百番觀世音巡禮石橋供養塔」 2
  若葉町の石橋供養塔 わかば 調布市 (3丁目) 石碑 高90㎝,幅28㎝,厚18㎝ 寛政2(1790)   調布市の石造物1p30 原位置? (正面)「(梵字3)奉納、秩父/西國/坂東、百牧兼石橋建立惣供養」 1
  深大寺元町の敷石供養塔 じんだいじもと 調布市 深大寺 石碑 高192㎝ 寛政9(1797)   調布市の石造物2p36 移設? (台石正面)「敷石供羪塔」/正面に地蔵の半跏坐像を陽刻 2
  入間町の石坂供養塔 いりま 調布市 明照院 石碑 高73㎝,幅29㎝ 天保12(1841)   調布市の石造物2p72 移設? (正面)「(梵字)石坂供羪塔」 2 -
写真 泉町の庚申塔道標1 いずみ 西東京市 如意輪寺 石道標(笠付き) 高168㎝(うち、台石35㎝),幅35.5
㎝,厚34㎝
元禄14(1701)   市教委/保谷の石仏と石塔2p29-30
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面下部左端)「これよ里東ハ ね里満道」、(左面下部右)「これよ里西ハ 田無」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、三猿)を浮彫り/右・左面に蓮の花の浮彫り/笠正面に唐破風/下記の「泉町の地蔵・廻国塔道標」と並ぶ 2
写真 泉町の庚申塔道標2
(青面金剛庚申塔)
いずみ 西東京市 (6丁目) 石道標(笠付き) 高137㎝(うち、台石15㎝),幅35㎝,厚25㎝ 宝永4(1707)   市教委/保谷の石仏と石塔1p42-43
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内 (右面右端)「東 江戸みち」、(同左端)「南 ふちうミち」、(左面右)「北 にうくらみち」/正面を火灯窓型に浅く削り込み青面金剛立像(六手合掌、三猿)を浮彫り、枠頂部に“日月”の線刻/右・左面に蓮の花の浮彫り/笠正面に唐破風、その上に宝珠を載せる 2
写真 田無町の庚申塔道標
(柳沢庚申塔)
たなし 西東京市 (2丁目)
<青梅街道・所沢街道>
石道標(笠付き) 高308㎝(うち、台石36㎝),幅47㎝,厚39㎝ 享保8(1723) 市史跡 市教委/現地解説板
/田無の石仏p42
/WEB(鎌倉街道上道)
昭和40移設→平成18再移設 (右面左)「是より右り はんのふ道」、(左面右)「是より左り あふめミち」/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、二鶏)を陽刻、枠頂部に“日月”、枠最下部に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風、その上に蓮花付きの宝珠を載せる/右・左面に蓮の花の浮彫り/庚申塔道標として唯一高さ3mを超える 2 写真
  ひばりが丘の地蔵道標
(地蔵菩薩立像)
  西東京市 (北1丁目) 石道標(隅丸型) 高154㎝,幅32㎝ 延享3(1746)   市教委/保谷の石仏と石塔1p60-61 転倒・放置→木祠内に移設? (右面)「南ハ ふちうみち」、(左面)「北ハ かたやまみち」/正面上部に地蔵立像(光輪、錫杖、蓮台)を浮彫り、像右側に「奉造立地蔵菩薩講中二世安樂所」と陰刻 2
写真 西原の庚申塔道標 にしはら 西東京市 (5丁目) 石道標(笠付き) 高200㎝(うち、台石2段49㎝),幅40.5㎝,厚39㎝ 寛延2(1749)   田無の石仏p40
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木祠内 (右面)「これより右 まへさ王みち」、(左面)「これより左り、ところさ王/ちゝふ道」/正面を光背型に浅く削り込み青面金剛立像(六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)を浮彫り、光背頂部両脇に“日月”の陽刻/笠正面に唐破風、その上に宝珠を載せる 1
写真 の庚申塔道標3 いずみ 西東京市 如意輪寺 石道標(笠付き) 高128㎝(うち、台石29㎝),幅31㎝,厚27㎝ 宝暦4(1754)   保谷の石仏と石塔1p40
-41
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/C祠内 (右面最下部)「西 沢道/南 中道」(緑字は異体字)、(左面最下部)「東 江戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 田無町の如意輪観音像道標 (百箇所供養塔) たなし 西東京市 (4丁目) 石道標 高76㎝,幅24㎝,厚18㎝ 安永5(1776)   市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木建屋内 (右面)「是より ふちう道」/正面頂部に小さな如意輪観音の半跏坐像を陽刻、その下に「奉納 百箇所供養塔」と陰刻 3
写真 向台町の馬頭観音像道標
(馬頭観音)
むこうだい 西東京市 (1丁目) 石道標 高133㎝(うち、台石4.5㎝),幅37㎝,厚23㎝ 安永7(1778)   市教委/田無の石仏p6
/WEB(鎌倉街道上道)
3つに大きく破損→修復してあるものの、一部の刻字が消失 (右面)「南 大寺/北 □□、道」、(左面)「西 府中/東 戸、道」/正面上半分に馬頭観音坐像(光輪、一面六臂、蓮台)の浮彫り〔像上の梵字が馬頭観音を表す「カン」〕→資料の青面金剛像は間違い 3
写真 西原の六地蔵道標
(石幢六角地蔵尊)
にしはら 西東京市 (2丁目)<所沢街道> 石道標
(笠付き、六角柱)
高137㎝,幅43㎝,厚36㎝ 安永8(1779) 市史跡 市教委
/田無の石仏p39
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/六角の木祠内 (正面最下端)「右/江戸/みち」、(右面1最下端)「同/保谷/みち」、
(右面2最下端)「同/南沢/みち」、(左面1最下端)「同/小川/みち」、(左面2最下端)「同/所沢/みち」、(裏面最下端)「同/前沢/みち」/6本の別れ道に立ち、六道輪廻を救済するといわれる地蔵菩薩立像(蓮台)を各面に浮彫り/頂部に大きな六角錐型の笠を載せる
2
  田無町の地蔵道標 たなし 西東京市 (7丁目) 石道標(隅丸型) 高105㎝ 安永8(1779)   田無の石仏p29 塔身の最下部が欠損→道しるべの下半分も消失 (右面下部)「右、屋な…/を…/くめ…」、(左面下部)「左、を…/あ…」/正面を枠だけ残して削り込み地蔵立像を陽刻 4
写真 谷戸町の地蔵道標
(地蔵尊像)
やと 西東京市 (2丁目) 石道標(隅丸型) 高126㎝(うち、台石10㎝),幅35㎝,厚24.5㎝ 天明元(1781)   市教委
/田無の石仏p41
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/簡易な木祠内 (正面最下部)「南 ふちうミち」、(右面最下部)「東 江戸ミち」、(左面最下部)「西 ミ奈み沢ミち」、(裏面最下部)「北 きよどミち」/正面全面を枠を残して削り込み、最上部に地蔵坐像(錫杖、蓮台)を陽刻 2
写真 新町の庚申塔道標
(文字庚申塔)
しん 西東京市 (1丁目)
<五日市街道・鈴木街道>
石道標(隅丸型) 高196㎝,幅43㎝ 天明4(1784) 市史跡 市教委/現地解説板/
保谷の石仏と石塔1p2-3
平成10に3度目の移設 (正面最下部右)「北、たなし/きよ登/川こゑ/とこ路さハ」、(同左)「東 江戸道」、(右面最下部)「右、小川/村山、道」、(左面最下部)「左、婦ちう/春奈川/八王子、道」(=府中,砂川)/正面に「(梵字)庚申塔」と陰刻、最下端に“三猿”の陽刻 2
写真 の地蔵・廻国塔道標 いずみ 西東京市 如意輪寺
<富士街道・関道>
石道標(尖頭角柱) 高185㎝(うち、台石24㎝),幅34㎝ 寛政4(1792)   保谷の石仏と石塔1p30
-31(道標は未記載)
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約(移設により、隠れていた台石の道しるべが顕れた)/中央で折損→修復(目立つ) (台石正面右)「…沢ミち」、(同左)「左り/田無 大山ミち」/右正面上半分に地蔵立像(錫杖、蓮台)を浮彫り、像下に「南無…躰地蔵聖跡二世安樂善願成就處」と陰刻/左正面に「(梵字3)奉拝禮坂東、西國/聖跡/秩父、…樂善願圓満處」/2正面を持つので、道標名にも反映させた/上記の「泉町の庚申塔道標1」と並ぶ 3
写真 保谷の六地蔵道標
(六角地蔵石幢)
ほうや 西東京市 (4丁目)
<富士街道・深大寺道>
石道標(六角柱) 高179㎝ 寛政7(1795) 市史跡 市教委/保谷の石仏と石塔1p24-25 原位置/木祠内 (正面下部左)「北ハ …道」、(左1面)「東ハ ねりま道」、(左2面)「南ハ 志んたい寺道」/6つの面の頂部に地蔵立像を浮彫り 1
  新町の題目塔道標 しん 西東京市 (3丁目) 石道標 高65㎝,幅20㎝ 寛政8(1796)   保谷の石仏と石塔1p8-9 移設→平井家庭園内 (右面左下)「右 江戸道」、(左面上部)「於そのいでだな道」(=遅野井新田)/正面に「(梵字3)奉納百番觀世音菩薩」と陰刻/平井伊右衛門が巡拝成就の記念に建立 4 -
  北町の題目塔道標
(南無道祖神石塔)
きた 西東京市 天神社 石道標(尖頭角柱) 高58㎝ 文化13(1816)   市教委/保谷の石仏と石塔1p74-75 移設 (右面)「右 引又道」、(左面)「左 田無道」/正面中央に「南無道祖神」と陰刻 2 -
写真 柳沢の馬頭観音道標 やぎさわ 西東京市 (4丁目) 石道標 高192㎝(うち、台石29㎝),幅37㎝,厚24㎝ 文政元(1818)   保谷の石仏と石塔1p14
-15
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面右下隅)「右 深大寺道」、(同左下隅)「左、柳澤/所澤、道」/正面上部に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 泉町の馬頭観音道標
(馬頭観音文字塔)
いずみ 西東京市 如意輪寺 石道標(墓石型) 高156㎝(うち、台石2段52㎝),40㎝角 天保4(1833)   市教委
/田無の石仏p53
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約→墓地 (台石右面左)「右/深大寺道」、(台石左面右)「江戸ミち」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 3
写真 田無町の大師道標
(東高野山道標)
たなし 西東京市 (1丁目)<東高野山道> 石道標 高124㎝(うち、台石24㎝),幅32.5
㎝,厚21㎝
嘉永7(1854)   市教委
/田無の石仏p43
/WEB(鎌倉街道上道)
木祠内/中央で水平に折損→修復(目立つ)/台石の刻字が木枠で見えない (左面)「東 高野山道」、(同下部)「是よ里/… 廿四丁」、(台石左面)
「練馬江 三里/府中江 二里半/所澤江 三里/青梅江 七里」/正面に「(梵字)弘法大師」と陰刻
3
写真 向台町の石橋供養塔 むこうだい 西東京市 (2丁目) 石碑(尖頭角柱) 高93㎝(うち、台石14㎝),幅21㎝,厚21㎝ 延享3(1746)   田無の石仏p7
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面)「奉供養石橋三箇所爲自他平等二世安樂」 2
  東伏見の石橋供養塔 ひがしふしみ 西東京市 東伏見小学校
<青梅街道/石神井川>?
石碑(尖頭角柱) 高108㎝,幅32㎝ 宝暦9(1759)   保谷の石仏と石塔1p20
-21
移設/昭和39に発掘 (正面)「石橋供養塔」/右面に勧進に応じた村名が96刻まれている 3
  新町の石橋供養塔 しん 西東京市 (3丁目) 石碑(自然石) 高85㎝,幅40㎝ 元治2(1865)   保谷の石仏と石塔1p6-7 移設→平井家庭園内 (正面)「石橋供養塔」/造立目的不明(平井家の経営した水車分水路用か?) 4
写真 谷戸尾張藩鷹場標杭 やと、おわりはんたかば 西東京市 <保谷の尾張藩鷹場標杭> 石杭 9本→5本 享保2(1717)以降
→幕末に廃止
市史跡 WEB/市教委 鷹場の石杭のまとまった残存例は稀(移設)→宅地化に伴い個人宅に再移設 鷹場の境界を示す石杭(尾張藩鷹場には84本の石杭があり30余本が現存) 3
写真 田無町の稗倉 たなし、
ひえぐら
西東京市   木造瓦葺(切妻)   天保9(1838)→
文久3(1863)建替
市史跡 WEB/現地解説板 一部が残存 建立:田無村名主下田半兵衛富永/凶作に備え自費で稗(ひえ)を貯蔵→毎年12分の1ずつ詰め替え、古穀は貧困者等に分配 3
写真 小金井の桜 こがねい 西東京市・小平市・小金井市・武蔵野市 玉川上水 桜並木(水路)長約6㎞ 元文2(1737)?→嘉永年間に大補植→その後も補植を続行 国名勝 小金井市教育委員会/WEB 小金井市参照 小金井市参照 3
写真 玉川上水(素掘改修区間) たまがわ 西東京市・武蔵野市・三鷹市・杉並区 多摩川 上水路
(素掘、C改修)
総延長約43㎞のうち約9.2㎞ 承応3(1654) 国史跡 玉川上水現況調査報告書/WEB 中流部においては、昭和61から東京都の清流復活事業により下水の高度処理水を流している/護岸の一部がC改修 総奉行: 老中・松平信綱、水道奉行: 伊奈半十郎忠治(没後は半左衛門忠克)、施工: 庄右衛門・清右衛門兄弟(褒賞として玉川姓を賜る)/江戸の人口急増による水不足解消のために、羽村市で多摩川から取水し、四谷大木戸まで掘られた素掘りの上水路/開渠部の30kmが国指定史跡 2-3
写真 千川上水 せんかわ 西東京市・武蔵野市 玉川上水 上水路 総延長約22㎞のうち約5㎞ 元禄9(1696)
→宝永4(1707)農業用
  WEB 平成元から東京都の清流復活事業により下水の高度処理水を流している/C護岸 設計: 河村瑞賢、施工: 仙川村の太兵衛・徳兵衛(開削の功により、仙の字を吉字に改めて千川とし、2人に名字として与えた)/飲用から農業両用、農業専用、飲用兼用と変遷 2
写真 鑓水の絹の道・跡 やりみず 八王子市 (御殿橋・袂~「絹の道碑」・前)<神奈川往還> 道路 約1.5㎞ 江戸末期 市史跡/歴史の道百選 WEB/市教委 当時の雰囲気が残る(未舗装) いったん八王子宿に集められてから横浜に運ばれた絹の通り道 1
写真 高月町の常夜灯 たかつき 八王子市 <鎌倉道> 石常夜灯 高2.22m 文政13(1830)   高橋 努 移設、集約/一部剥離 石基壇なし 2
写真 裏高尾町の常夜灯
(三度飛脚常夜灯)
うらたかお 八王子市 宝珠寺
<甲州街道・小仏宿>
石常夜灯 高1.25m 文久2(1862)   高橋 努/WEB 移設 (台石正面)「甲府/三度/飛脚/中」/小仏宿の三度屋は甲州三度飛脚(毎月甲府と江戸を3度往復した)の定宿であった/甲州三度飛脚が奉納した常夜灯 2
写真 初沢町の地蔵道標
(初沢道標)
はつざわ 八王子市   石道標(丸彫) 高170㎝ 寛保2(1742)   八王子の道標p42 移設/木祠内/地蔵尊の首から上が欠損→簡易修復 (台石右面)「右 大山道/左 初沢道」/台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 長房町の道地蔵標
(船田会館道標)
ながぶさ 八王子市 船田会館・敷地内 石道標(丸彫)   宝暦12(1762)   八王子の道標p4 移設/木覆屋内 (台石右面)「左 元八王子道」、(台石左面)「右 髙尾山道」/台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 別所の庚申塔道標
(別所道標)
べっしょ 八王子市   石道標 高83㎝ 明和年間(1764-72)   八王子の道標p31 移設・集約/台石右面が見えない (台石左面右)「南、由木山やく…/大やま、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼?)の陽刻 3
写真 小津町の庚申塔道標
(小津道標)
おつ 八王子市   石道標(笠付き) 高103㎝ 明和7(1770)   八王子の道標p19 原位置 (右面)「左 案下道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)、台石正面に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風 1
写真 大船町の題目塔道標
(大船道標2)
おおふね 八王子市   石道標 高58㎝ 安永3(1774)   八王子の道標p39 破損大 (右面)「…ほさわ道」、(左面)「左 者志毛と道」(=橋本)/正面に「奉供羪大乘妙典塔」と陰刻 4 -
写真 裏高尾町の道標1
(小仏峠の道標)
うらたかお 八王子市 <甲州街道> 石道標 高138㎝(台石含む) 寛政7(1795)   市教委/高橋 努 移設・集約/台石とC接合/頂部一部欠損/下部埋設 (正面)「(梵字)高尾山道」、(左面下部)「甲郡内領/下谷村中」(緑字は異体字)/高尾山薬王院への参詣の道 3
写真 犬目町の題目塔道標
(下犬目道標)
いぬめ 八王子市 陶鎔小学校<高尾街道> 石道標(自然石) 高70㎝ 寛政8(1796)   八王子の道標p13 移設(小学校) (正面最下部)「南 八王子」、(正面右)「右 ミや志多、阿ふ免/者んのう」(=宮下,青梅,飯能)、(同左)「左 登婦起、いな飛良井/い川加いち」(=戸吹,伊那平井,五日市)/正面中央に「南無地藏大菩薩」と陰刻 3 -
写真 上野町の道標
(小名路道標)
うえの 八王子市 八王子郷土資料館・前庭 石道標   寛政8(1796)   八王子の道標p1 昭和20の空襲で3つの部分に破壊したまま放置(欠損も) (正面)「(梵字)高」、(同右上隅)「古連より」、(同最下部)「一里八町」(赤字は欠損)/左面下部に「江戸赤坂 願主清」の刻字 4
写真 高尾町の道標1
(高尾山一丁目の道標)
たかお 八王子市 薬王院参道・脇 石道標(尖頭角柱)   享和3(1803)   高橋 努/現地解説板 移設/現地解説板の標題は「不思議なめざめ石」→平成13に四天王門東の大樹が強風で傾き伐採したら、幹の中から出現した (正面)「飛”王のたきみち」、(同右上隅)「是より」/左面下部に「江戸赤坂 願主清八」の刻字 2
写真 裏高尾町の道標2
(荒井の高尾山道道標)
うらたかお 八王子市 <甲州街道・荒井宿> 石道標 高118㎝ 享和3(1803)   市教委/高橋 努 移設/下部埋設 (正面)「髙尾山道」、(同右上隅)「古連より」/甲州道中の蛇滝口から高尾山に向かう薬王院参詣道の分岐点に立つ/左面下部に「江戸赤坂 願主清八」の刻字 3
写真 追分町の道標
(追分道標)
おいわけ 八王子市 追分交差点・西50m
<甲州街道、陣馬街道>
石道標 高218㎝,幅38㎝,厚25㎝ 文化8(1811)   市教委/
八王子の道標p1
復元/昭和20の空襲で4つに割れたものを平成15に復元(2段目と4段目がオリジナル)/平成25移設 (正面)「中 高尾山道」(緑字は異体字)、(右面)「 あんげ道」(赤字は修復時の後補)/左面下部に「江戸赤坂 願主清八」の刻字 3
写真 大和田町の道標1
(高幡不動道標)
おおわだ 八王子市   石道標   文政6(1823)   八王子の道標p28 移設・集約/下部欠損 (正面)「高幡山不…」、(右面)「髙幡山金剛寺…」 3
写真 大船町の六地蔵道標
(大船道標1)
おおふね 八王子市   石道標
(笠・宝珠付き)
高180㎝(うち、台石3段57㎝) 文政8(1825)   八王子の道標p38 移設?/笠の破損大 (台石右面)「右/く/ほ/沢/道」/正面・両側面を光背型に削り込み各2体の地蔵立像を陽刻/笠と宝珠を載せる 2
写真 元八王子町の地蔵道標
(七面堂道標)
もとはちおうじ 八王子市 七面堂大明神・境内 石道標(丸彫)   天保4(1833)   八王子の道標p5 移設/雑然と集約 (下段台石正面右)「右ハ おんけみち」、(同左)「左ハ たかをみち」/背の高い上段台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 上恩方町の道標
(醍醐道標)
かみおんがた 八王子市   石道標(自然石) 高67㎝ 天保11(1840)   八王子の道標p21 原位置 (正面)「右 臼木山 飛のハら/左 さの川」 1 -
写真 上川町の道標1
(今熊山大権現道標)
かみかわ 八王子市   石道標 高176㎝ 弘化2(1845)   八王子の道標p16 道路拡幅により移設 (正面)「今熊山大權現入口」、(左面)「従是 三十六丁」 2
写真 上川町の道標2
(今熊野山道道標)
かみかわ 八王子市   石道標 高196㎝ 弘化3(1846)   八王子の道標p17 原位置?/中央で水平に折損→四隅を鉄アングル材で補強 (正面)「左 今熊野山道」、(右面)「右 戸倉 檜原道」 2
写真 館町の題目塔道標
(梅元庵神社道標)
たて 八王子市 梅元庵神社・境内 石道標(自然石) 高70㎝ 嘉永2(1849)   八王子の道標p40 移設 (右面)「右 妙法二神道」、(左面)「大戸かんおん道」/正面に「南妙法蓮華経」と陰刻 2 -
写真 上川町の道標3
(いまぐま山道道標)
かみかわ 八王子市   石道標(自然石) 高118㎝ 安政2(1855)   八王子の道標p17 移設(基部C台) (正面)「左 いまぐ満山/みち」 2
写真 下恩方町の道標
(辺名道標)
しもおんがた 八王子市   石道標(自然石) 高63㎝ 安政2(1855)   八王子の道標p18 原位置/下部埋設 (正面)「(左指差し)今熊…」 2 -
写真 美山町の道標
(萩園道標)
みやま 八王子市 乾晨寺 石道標 高71㎝ 安政3(1856)   八王子の道標p18 移設(もと、萩園の十字路) (正面)「南、髙尾山/大山、道」、(右面)「東 八王子道」、(左面)「西、今熊山/五日市」 2 -
写真 大和田町の道標2
(大和田坂道標)
おおわだ 八王子市   石道標(尖頭角柱)   安政5(1858)   八王子の道標p29 移設→個人宅/左面の刻字が磨耗のため不明 (正面)「右 江戸ミち」、(左面)「左、□□□□□□、道」 4 -
写真 寺田町の馬頭観音道標
(上寺田道標)
てらだ 八王子市   石道標(笠付き) 高78㎝(うち、台石15㎝) 文久元(1861)   八王子の道標p39 原位置/中央で水平に折損→修復 (台石正面右)「右、大/戸」、(同左)「かん/音/ミち」/正面に「馬頭尊」と陰刻 1
写真 高尾町の道標2
(高尾山十一丁目の道標)
たかお 八王子市   石道標(笠付き) 高123㎝(うち、台石24㎝) 文久2(1862)   高橋 努 移設 (正面)「び王可"多起みち」/江戸の錺屋藤八の建立 2
写真 片倉町の旗杭道標
(片倉道標)
かたくら 八王子市 慈眼寺・入口 石道標(頂部に刳り形、旗杭兼) 高82㎝ 文久2(1862)以降   八王子の道標p37 原位置 (正面)「板橋ヨリ壹丁参道」、(右面)「至 ヤリ水村」、(左面)「 子安村」(緑字は異体字)/慈眼寺の18世(文久2~)が建立したとあるので江戸期 1
写真 小津町の道標
(入山道標)
おつ 八王子市   石道標(自然石) 高103㎝ 文久3(1863)   八王子の道標p19 原位置 (正面)「右 今熊山けごし」 1
写真 鑓水の道標
(鑓水八王子道道標)
やりみず 八王子市 <神奈川往還> 石道標 高113.5㎝,
幅31㎝
慶応元(1865)   市教委/
八王子の道標p35
昭和63移設/正面下端剥離 (正面像下)「此/方、八王子道」、(右面)「此/方、者し本/津久井/大山」、(左面)「此/方、者良 町田/神奈川/ふじ左王」(=藤沢)/正面頂部に商人坐像を陽刻/江戸末期から明治初期にかけての日本のほとんど唯一の外貨獲得手段であった絹を横浜港へ運ぶための道標→近代化遺産でもある/商人像は絹糸の仲買人だった鑓水商人→道標に彫られた像容としては、きわめて珍しい 2
写真 鑓水の六地蔵道標
(鑓水道標)
やりみず 八王子市   石道標 高86㎝ 慶応4(1868)   八王子の道標p36 移設/台石右面中央の刻字の部分が割れて読解不能 (台石正面右端)「八王子」、(同左端)「東京」、(台石右面中央)「此方/者」、(台石左面中央)「此方/小山」/東京と改称されたのは慶応4年7月14日なので、8月7日に建立された石碑にそれが刻まれているのは、改称が事前に周知されていたことを示す(明治への改元は9月8日)/正面・両側面に各2体の地蔵立像を陽刻 2
写真 薬王院の町石(一町) やくおういん 八王子市 山麓~高尾山薬王院 町石 高97㎝ 文化3(1806)   高橋 努 移設 清滝から高尾山に向かう薬王院参詣道の町石/元々薬王院境内の一町石しか建立されなかった(残りの2町~35町は木標だった可能性)/
(正面)「當/山、一町目」 
2
写真 長房町の石橋供養塔 ながぶさ 八王子市   石碑 高60㎝ 宝暦9(1759)   高橋 努 近接移設?/下部埋設 (正面像下)「兩石橋供…」/正面上半分に地蔵立像(光輪、蓮台)の浮彫/年代: 「宝暦…閏七月」→宝暦年間で閏七月のあるのは宝暦9 2
写真 小仏関の手形石・手付石 こぼとけ 八王子市 <甲州街道> 手形石・手付石
(自然石)
手形石:約1m×
30㎝,高20㎝
北条氏照:天正10(1582)→徳川家康:元和2(1616)現位置に移転 国史跡 市教委/WEB 史跡的整備はされていない(残るのは手形石・手付石のみ)/市街地のため旧状復元は不可能 甲州街道で最も重要視された堅固な関所/2つの石→手形を広げ(手形石)、手を付いて(手付石)、調べの済むのを待つためのもの 4
写真 上恩方町の稗穀倉
(塚本家稗穀倉)
かみおんがた、ひえこく 八王子市   郷倉(木造切妻トタン板葺) 桁行3.6m,
梁行3.6m
天保期(1833-39)? 市伝統的建造物等 高橋 努 明治初期に移設/全体に傷みが進行 天保の大飢饉時に造られたと推測されている(左記の年代は飢饉の開始~終了年)/村中で稗を出し合って貯蔵していた村の共有の備蓄庫 3
写真 石見土手 いわみ 八王子市 宗格院<浅川> 石堤防 長584m→約20m 江戸初期 市史跡 市教委 ごく一部のみ残る 指揮: 八王子代官・大久保石見守長安→「石見」の名前の由来/八王子宿の水害防止 4
写真 叶谷榎池湧水 かのうや、
えのきいけ
八王子市   湧水   江戸初期以前   WEB(八王子散歩見聞録) 叶谷榎池湧水を起点とした水路と水のまちプロジェクト 樹齢数百年の榎の根本から湧き出る 1
写真 時田弁財天湧水池 ときた 八王子市 斟珠寺 湧水   江戸後期以前   WEB(八王子散歩見聞録) 寺院の中の池 武蔵名勝図会(1820年代前半)に紹介されている 2
写真 名綱神社の湧水 なづな 八王子市 名綱神社 湧水   江戸後期以前   WEB(八王子散歩見聞録) 整備されているとは言い難い 武蔵名勝図会(1820年代前半)に紹介されている 3
写真 清滝開創の碑 きよたき 八王子市 清滝側の高尾山登山口脇の清滝 石碑(自然石) 高147㎝ 宝暦5(1755)   高橋 努/高尾山の記念碑・石仏p62 原位置 (正面)「植田魯石敬信飯繩神有年矣今茲與/其同志者峯尾氏梅原氏峯尾氏及十/許輩胥圖就髙尾山下絶崖之所疏鑿/巉嵒激下飛泉乃生意以爲瀑布望之/若天造然而遠近士女禱神者爰沐爰/浴惟清惟潔僉謂曰偉哉斯擧也於是/乎魯石建碑其傍誌勠力者姓名詒于/不朽需予之銘予亦善其志因書其事/係之以銘授而併刊焉銘曰/起乎信報乎神浴者千載宜淨根塵」/宗教的な目的にせよ、人工の滝を作ったこと自体が稀であり、かつ、その記念碑が存在するのは他に例がない 1
写真 念佛院の「時の鐘」 ねんぶつ 八王子市 (上野町) 木造楼閣   元禄12(1699)   現地解説板 昭和20空襲で焼失→昭和29再建 八日市名主、千人頭、千人同心、宿内十五組、近郷村々の協力で鋳造された時を告げる鐘 3
  五ノ神の道標 ごのかみ 羽村市   石道標(自然石)   元文5(1724)   青梅市の石仏p261   「右、ちゝふ/阿まてら、道」「左、あふめ/みたけ、道」 2 -
  天笠の庚申塔道標   羽村市   石道標   享保9(1740)   青梅市の石仏p261 下部で折損し修復 「みき、ちゝ婦/あまてら、道」「ひたり、あふめ/□□□、道」/全面に青面金剛像を陽刻 2
写真 五ノ神の馬頭観音道標 ごのかみ 羽村市 まいまいず井戸公園
<江戸街道>
石道標(自然石)   嘉永2(1849)   青梅市の石仏p261 移設/左面の「あふめ」は追刻/台石との間に厚いC→台石がオリジナルかどうか不明 (右面右)「東 江戸道」、(同左)「南 五日市」、(左面左)「西、みたけ/あふめ/ちゝぶ、道」、(裏面)「北 扇町屋」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2 -
  羽の道標 はね 羽村市   石道標(自然石)   江戸期?   青梅市の石仏p261   「右ハ ちゝふ/左ハ あふめ、道」 2
  松本神社の尾張藩鷹場標杭 まつもと、
おわりはんたかば
羽村市 松本神社 石杭 1本 享保2(1717)以降
→幕末に廃止
  WEB 拓本と写真を参考に現地に原寸で復元/鷹場の石杭の残存例は稀 鷹場の境界を示す石杭(尾張藩鷹場には84本の石杭があり30余本が現存) 3
写真 玉川上水(現役区間) たまがわ 羽村市・福生市・昭島市・立川市 多摩川 上水路(全面改修) 総延長約43㎞のうち約11.4㎞(暗渠等を除く) 承応3(1654) 国史跡 玉川上水現況調査報告書/WEB 小平監視所で野火止用水に分水するまでの区間は現役だが、護岸は近代の全面改修 総奉行: 老中・松平信綱、水道奉行: 伊奈半十郎忠治(没後は半左衛門忠克)、施工: 庄右衛門・清右衛門兄弟(褒賞として玉川姓を賜る)/江戸の人口急増による水不足解消のために、羽村市で多摩川から取水し、四谷大木戸まで掘られた素掘りの上水路/開渠部の30kmが国指定史跡 3
写真 五ノ神のまいまいず井戸 ごのかみ 羽村市 五ノ神神社 掘下げ井
(渦巻き状)
直径16m→5m,深4.3m,中央の掘り井戸部直径1.2m 鎌倉時代の創建→
元文6(1741)普請→
昭和35(1960)使用停止
都史跡 WEB すり鉢状の窪みの中央に掘り井戸が残る 技術が未発達の時代に筒状井戸の掘りにくい砂礫層地帯に井戸を設けるために螺旋構造/地元伝説では大同年間(806-810)に遡るが、史料上の根拠はない 1 写真
写真 南沢の石尊常夜灯 みなみさわ 東久留米市   石常夜灯 高117㎝ 文化元(1804) 市有形民俗 市教委/東久留米の江戸時代p85
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (竿正面)「青面金剛常夜燈」、(竿右面)「石尊大権現、大天狗/小天狗」、(竿左面)「榛名大権現」/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる/下記の「南沢の庚申塔道標」と並ぶ 2
写真 南沢の庚申塔道標 みなみさわ 東久留米市 (1丁目) 石道標(笠付き) 高115㎝(うち、台石25㎝),幅34㎝,厚24㎝ 宝暦7(1757) 市有形民俗 市教委/東久留米市文化財資料集7p52-53
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (台石右面)「南 保谷村/田無村道/西 前沢道/東 清戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、二鶏)の浮彫り、台石正面に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風(梵字入り)/上記の「南沢の石尊常夜灯」と並ぶ 2
写真 南町の庚申塔道標 みなみ 東久留米市 (2丁目) 石道標(駒型) 高64㎝,幅30㎝,厚17㎝ 明和元(1764) 市有形民俗 東久留米市文化財資料集7p100-101
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/小木祠内 (左面左上端)「是より左 ふちう道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻 1
写真 中央町の地蔵道標
(坂の地蔵)
ちゅうおう 東久留米市 (5丁目)<大山道・江戸道> 石道標(丸彫) 高148㎝(うち、台石56㎝),幅36㎝,厚30㎝ 明和5(1768) 市有形民俗 東久留米市文化財資料集7p70-71
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/木祠内/信仰の対象 (台石正面右)「右 大山道」、(同左)「左 江戸道」、(右面左下)「ふちうまて 三り」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 1
写真 小山の馬頭観音道標 こやま 東久留米市 大円寺・門前 石道標(尖頭角柱) 高142㎝(うち、台石37㎝),幅43㎝,厚43㎝ 天保9(1838) 市有形民俗 東久留米市文化財資料集7p40-41
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(もと、下里) (左面)「東 い多はし 五里/西 八うし 五里/南 江戸四ツ谷 五里/北 川ご絵 五里」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻/すべて5里の距離にあたるので、「ゴリゴリ馬頭」と呼ばれている 2
  滝山の馬頭観音道標 たきやま 東久留米市 (5丁目) 石道標(墓石型) 高131㎝ 文久2(1862)   東久留米市文化財資料集7p92-93 原位置?/周囲をCブロックで囲んだたため道標が見にくい (台石右面)「右 道」、(台石左面)「左、柳久保/大岱」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
写真 中央町の石橋供養塔 ちゅうおう 東久留米市 (3丁目) 石碑(尖頭角柱) 高52㎝,幅30㎝,厚20㎝ 宝暦10(1760) 市有形民俗 東久留米市文化財資料集7p54-55
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面)「石橋日本廻國供養塔」 1 -
  柳窪の石橋供養塔 やなぎくぼ 東久留米市 (4丁目) 石碑 高135㎝ 明和6(1769) 市有形民俗 東久留米市文化財資料集7p90-91 原位置?/木祠内 (正面像下)「石橋供養塔」/正面頂部を光背型に削り込み小さな聖観音立像を陽刻/近くの黒目川に架けられた石橋の供養塔 1
写真 幸町の石橋供養塔 さいわい 東久留米市 米津寺 石碑(尖頭角柱) 高94㎝,幅25㎝,厚21.5㎝ 安永4(1775)   東久留米市文化財資料集7p72-73
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/木祠内 (正面像下)「石橋供養塔」/正面頂部を光背型に削り込み馬頭観音立像(一面六臂〔剣、宝輪、?、?〕、蓮台)を陽刻/楊柳橋の供養塔 2
写真 小山の石橋供養塔 こやま 東久留米市 大円寺・門前 石碑 高108㎝,幅31㎝,厚22.5㎝ 天保6(1835)   東久留米市文化財資料集7p38-39
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (正面像下)「石橋供養塔」/正面頂部を光背型に削り込み小さな聖観音立像を陽刻/黒目川に架かっていた石橋の供養塔 2
写真 旧下里村穀櫃 しもさと、
こくびつ
東久留米市 大円寺<下里村> 郷倉(木造切妻) 桁行2間、奥行6尺 弘化年間(1844-47)? 市有形民俗 市教委/東久留米の江戸時代p115 移築・復元 小規模 2
写真 沢頭の湧水 さがしら 東久留米市 南沢の湧水群 湧水 南沢の湧水群全体で日量約1万t 江戸期 平成の名水百選 市教委/現地解説板/WEB 都の緑地保全地域/源泉地は南沢浄水場内(立入禁止) 市内の水道水に混入使用 2
  門前厳島神社の湧水 もんぜんいつくしま 東久留米市   湧水       市教委 水量減少/C側壁 かつてが水量が多く、灌漑用にも使われていた 3
写真 本町の鎌倉街道上道・跡 ほんちょう 東村山市 <鎌倉街道上道(推定ルート)> 道路 約1㎞ 鎌倉時代? 市史跡 WEB(鎌倉街道上道)
/市教委
市街地化/舗装(一部2車線) 頼朝が 鎌倉に入り東国支配確立の頃には街道として整備されていたとされる(~17世紀初頭) 4
写真 久米川町の石尊常夜灯 くめがわ 東村山市 (1丁目) 石常夜灯 高2.60m 天保7(1836)   東村山の石仏と信仰p51
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 or 近接移設(C基壇上) (竿正面)「榛名山大權現」、(竿右面)「熊野大權現」、(竿左面)「秋葉大權現」、(竿裏面)「石尊大權現」/猫脚/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 2
  秋津町の石尊常夜灯 あきつ 東村山市 秋津神社 石常夜灯 高1.54m 安政5(1858)   東村山の石仏と信仰p47 移設 (竿正面)「石尊大權現」、(竿右面)「花園稲荷大明神」、(竿左面)「秋津不動尊」、(竿裏面)「金刀比羅大權現」/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 2
写真 久米川町の地蔵道標1 くめがわ 東村山市 (4丁目)<在所道(青梅道)、府中道> 石道標(丸彫) 高168㎝(うち、台石51㎝) 享保16(1731)   東村山市 野の神・野の仏p165-166/市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/木祠内(2基集約) (台石正面右)「右ハ 在所ミち」、(同左)「左ハ ふちうミち」/台石上に地蔵立像の丸彫(錫杖、蓮台)を載せる 2
写真 久米川町の地蔵道標2 くめがわ 東村山市 (4丁目)<府中道> 石道標(丸彫) 高133㎝(うち、台石54㎝) 宝暦11(1761)   東村山市 野の神・野の仏p168-169/市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/木祠内(2基集約)/台石下部が表面剥離 (台石右面左)「右 ふち…」(=府中)、(同左面左)「左 のミち」/台石上に地蔵立像の丸彫(光輪、錫杖、蓮台、敷茄子)を載せる 3
写真 本町の馬頭観音像道標 ほん 東村山市   石道標(隅丸型) 高91㎝,幅33㎝,厚22㎝ 明和3(1766)   WEB(鎌倉街道上道) 移設/像容やや磨耗 (正面最下部右)「右西 山口通/同北 川越通」、(同左)「左東 江戸道/同南 大山通」/正面中央に馬頭観音立像(一面?六臂〔剣、宝輪?、斧、金剛杵?〕、蓮台)の浮彫り、正面頂部に「南無阿弥陀佛」、同右上に「百万遍惣回向佛」、同左上に「構(ママ)中二十二筒(ママ)村」と陰刻 2
写真 多摩湖町の庚申塔道標 たまこ 東村山市 (2丁目)<山口観音道> 石道標(笠付き) 高138㎝(うち、台石22㎝),幅37㎝,厚24㎝ 明和4(1767) 市有形民俗 東村山の石仏と信仰p83/市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設・集約?/像容やや磨耗 (左面最下部)「山口/く王んおん道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、二鶏、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 久米川町の庚申塔道標 くめがわ 東村山市 (1丁目)
<秩父道、三ヶ島道>
石道標(笠付き) 高115㎝,幅36㎝,厚23㎝ 明和7(1770)   東村山の石仏と信仰p51/市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 or 近接移設(C基壇上)/石台石は喪失/像容一部欠削 (右面右下)「右ハ ちゝぶみち」、(左面左)「左ハ 三ヶ嶋道」/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(日月、六手剣人?、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 3
写真 秋津町の馬頭観音道標 あきつ 東村山市 (4丁目)<所沢道・小川道> 石道標(尖頭角柱) 高142㎝(うち、台石2段53㎝),幅37㎝,厚25㎝ 文政12(1829)   東村山の石仏と信仰p46/市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (台石右面)「右ハ/所沢道」、(台石左面)「左ハ/小川道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1
写真 秋津町の供養塔道標 あきつ 東村山市 (3丁目)<江戸道、八王子道、秩父道、引又道> 石道標(尖頭角柱) 高182㎝(うち、台石81㎝),幅41㎝,厚36㎝ 安政5(1858)   東村山の石仏と信仰p45/市教委
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (下段台石正面)「南 江戸」、(同右面)「東 引又」、(同左面)「西 八王子」、(裏面)「北 秩父」/正面に「奉讀誦普門品/一萬巻供養塔」と陰刻 2