神奈川県

写真 名称 ふりがな 区市町村 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
  荏田町の秋葉山常夜灯
(荏田宿常夜灯)
えだ 横浜市(青葉区) <矢倉沢往還> 石常夜灯 高2.3m 文久元(1861) 市登録地域史跡 WEB 移設→個人宅(道路から視認可能) (中台正面)「秋/葉/山」、(台石正面)「宿/中」/荏田宿の防火祈願のため秋葉講が建立/中台下面と台石上面に蓮花模様 3
  市ケ尾町の庚申塔道標 いちがお 横浜市(青葉区) 地蔵堂<矢倉沢往還> 石道標(駒型) 高72.5㎝(うち、台石10㎝),幅30㎝,厚19㎝ 安永4(1775)   緑区石造物調査報告書2p61/道標とともにp34 移設 (正面右)「上り 江戸みち」、(同左)「下り 大山ミち」/正面中央に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 2
  田奈町の多羅菩薩像道標 たな 横浜市(青葉区) <矢倉沢往還> 石道標(尖頭角柱) 高87.5㎝(うち、台石30.5㎝),幅24.5
㎝,厚19.5㎝
文化5(1808)   緑区石造物調査報告書1p65-66/横浜の古道p5 原位置? (台石左面)「上り/江戸道」、(同左)「下り/大山道」/正面頂部に多羅菩薩立像の浮彫り、その下に「供養塔」と陰刻/台石上に独立した蓮台を載せる 1
  荏田町の馬頭観音道標 えだ 横浜市(青葉区) 観福寺・前<矢倉沢往還> 石道標 高86㎝(うち、台石21㎝),幅26.5㎝,厚26㎝ 文化12(1815)   緑区石造物調査報告書2p41/横浜の古道p4 移設 (右面)「□□う/登戸、道」、(左面)「大山道」/正面に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 2
  鴨志田町の庚申塔道標 かもしだ 横浜市(青葉区) 甲神社 石道標 高86㎝(うち、台石11㎝),幅33㎝,厚19㎝ 文化13(1816)   緑区石造物調査報告書1p79-80 移設 (右面)「西 大山道」、(左面左)「東 江戸みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手○○、二鶏、三猿)を陽刻 2
  鴨志田町の題目塔道標 かもしだ 横浜市(青葉区) 南慶院 石道標 高55.5㎝,幅25㎝,厚15.5㎝ 文政2(1819)   緑区石造物調査報告書1p81 地蔵丸彫欠損→台石のみ残る (右面)「南 大山道」、(左面)「西 奈良道」/正面に「(梵字)地蔵菩薩」と陰刻 3 -
  荏田町の仏像(?)道標 えだ 横浜市(青葉区)   石道標 高70㎝,幅23㎝,厚14㎝ 文政9(1826)   緑区石造物調査報告書2p51 像容不明 (正面像下)「坂へのぼれバ ゆのき/左 しぶさわ かな川」、(右面)「南、ちがさき/川さき」、(左面)「北、ゑだじゆく/くわんおん」、(裏面)「東、大だな/江戸」/正面頂部に仏坐像(?)の陽刻   -
  鴨志田町の題目塔道標 かもしだ 横浜市(青葉区) 甲神社 石道標 高82㎝(うち、台石20㎝),幅26㎝,厚18.5㎝ 文政10(1827)   緑区石造物調査報告書1p80/道標とともにp36 移設 (左面)「大山/奈可"つ多、道」(=長津田)/正面に「地神塔」と陰刻 2
  恩田町の題目塔道標1 おんだ 横浜市(青葉区)   石道標(尖頭角柱) 高100.5㎝(うち、台石35.5㎝),幅27.5㎝,厚18㎝ 天保3(1832)   緑区石造物調査報告書1p59/道標とともにp38 原位置? (左面)「左り 長つ多道」/正面に「地神塔」と陰刻 1
  恩田町の馬頭観音道標 おんだ 横浜市(青葉区) 地蔵堂 石道標(尖頭角柱) 高74㎝(うち、台石11㎝),幅24㎝,厚18㎝ 天保3(1832)   道標とともにp38 原位置? (右面)「西 大山道/北 登戸道」、(左面)「東 江戸道/南 神奈川道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 1 -
  恩田町の題目塔道標2 おんだ 横浜市(青葉区) <神奈川道 北道> 石道標 高99㎝(うち、塔身64㎝),幅27.5㎝,厚18㎝ 天保5(1834)   横浜の古道p7 原位置? (左面)「左り 長つた道」/正面に「地神塔」と陰刻 1
  恩田町の題目塔道標3 おんだ 横浜市(青葉区) <神奈川道 北道> 石道標 高121㎝(うち、塔身71.5㎝),幅36
㎝,厚35㎝
天保6(1835)   横浜の古道p7 原位置? (右面)「北 登り戸道/南 神奈道」、(左面右)「西 八王子道」/正面に「地神塔」と陰刻 1
  荏田町の題目塔道標 えだ 横浜市(青葉区) <矢倉沢往還> 石道標 高72㎝,幅30.5㎝,厚28㎝ 文久3(1863)   道標とともにp33 原位置? (左面)「大山/奈可"つ多、道」(=長津田)/正面に「地神塔」と陰刻 1 -
  荏田町の聖観音像(?)道標 えだ 横浜市(青葉区)   石道標 高64㎝,幅22.5㎝,厚15㎝ 江戸期   道標とともにp34 原位置? (正面像下)「□□□□ ゆのき/左り 志ぶさ王 や登」、(右面)「南、ちがさき/川さ起」、(左面)「北、ゑだじく/く王んおん」、(裏面)「東、大だな/江戸」/正面上部を光背型に削り込み聖観音坐像(?)を陽刻/「江戸」の標記は江戸期の可能性 1
  大場町の石坂供養塔 おおば 横浜市(青葉区) 薬王寺 石碑 高64.5㎝,幅23㎝,厚17㎝ 文政11(1828)   緑区石造物調査報告書2p28   (正面)「石坂供養塔」   -
  市ケ尾町の石坂供養塔 いちがお 横浜市(青葉区) 東福寺 石碑 高241.5㎝(うち、塔身165㎝),幅35.5㎝,厚23㎝ 天保6(1835)   緑区石造物調査報告書2p55   (正面)「(梵字)弘法大師一千年御忌並石坂供養塔」  
  鉄町の石坂供養塔 くろがね 横浜市(青葉区) 宗英寺・鎮守社 石碑 高63㎝,幅25㎝,厚18.5㎝ 元治2(1865)   緑区石造物調査報告書2p26   (正面)「石坂供羪塔」   -
  市沢町の庚申塔道標1 いちざわ 横浜市(旭区)   石道標(笠付き) 高97㎝(うち、台石20㎝),幅25㎝,厚20㎝ 安永元(1772)   道標とともにp61 移設 (右面)「右 かまくら道」、(左面)「左 ぐめうぢ道」/正面に「庚申供養」と陰刻/笠正面に唐破風 2
  今宿町の庚申塔道標 いまじゅく 横浜市(旭区) 三叉路 石道標(駒型) 高65㎝(うち、台石17㎝),幅22㎝,厚11㎝ 安永4(1775)   道標とともにp63 原位置? (右面)「二又川く王んおん かまくら道」、(左面)「川井く王んおん 八王子道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人)の陽刻 1
  都岡町の阿弥陀如来像道標 つおか 横浜市(旭区) 都岡小学校・構内
<中原街道>
石道標(尖頭角柱) 高74㎝,幅32㎝,厚19㎝ 天明4(1784)   道標とともにp66/横浜の古道p6 移設 (右面)「(右指差し)かな川ミち由飛さし」(=指差し)、(左面)「(左指差し)江戸ミち/江戸ミち 由飛さ志」/正面上部に阿弥陀如来立像の陽刻、最下部に“三猿”の陽刻 3
  西川島町の題目塔道標 にしかわしま 横浜市(旭区)   石道標 高66㎝,幅27㎝,厚21㎝ 天明6(1786)   道標とともにp59 原位置? (右面)「右、八王子/大山、道」、(左面)「左 戸塚道」/正面を火灯窓型に削り込み「堅窂地神」と陰刻 1 -
  万騎が原の庚申塔道標 まきがはら 横浜市(旭区)   石道標(尖頭角柱) 高61㎝,幅24㎝,厚17㎝ 寛政4(1792)   道標とともにp65/保土ヶ谷区金石誌p105 原位置? (右面)「大山道」、(左面)「右 戸塚道」/正面に「庚申塔」と陰刻/紀年銘は「寛政壬」(保土ヶ谷区金石誌p105) 1 -
  三反田町の庚申塔道標 さんたんだ 横浜市(旭区)   石道標(尖頭角柱) 高71.5㎝(うち、台石13.5㎝),幅24
㎝,厚15.5㎝
寛政8(1796)   道標とともにp60 移設 (右面)「右 保土ヶ谷道」、(左面)「右 神奈川道」/正面に「奉造立庚申塔」と陰刻 2 -
  白根町の不動明王像道標 しらね 横浜市(旭区) 愛宕団地・入口
<八王子往還>
石道標(丸彫) 高152㎝(うち、塔身54㎝),幅26㎝,厚17.5㎝ 寛政9(1797)   道標とともにp63   (台石正面)「不動尊」、(同右上)「從是右」/台石上に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、背景に迦楼羅焔、磐石)の丸彫を載せる  
  本村町の庚申塔道標1 ほんむら 横浜市(旭区) 本村神明社<相州道> 石道標(駒型) 高60㎝,幅27.5㎝,厚16.5㎝ 文化13(1816)   横浜の古道p9 移設 (右面)「西 大山 厚木道/東 神奈川道」、(左面)「南 ふじ沢道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2 -
  本村町の題目塔道標 ほんむら 横浜市(旭区) 本村神明社・境外 石道標 高54㎝,幅24㎝,厚13㎝ 文政7(1824)   保土ヶ谷区金石誌p92   (右面)「北 川井くわんおん/東 二俣川くわんおん、道」、(左面)「南 ふじ沢/西 大山、道」/正面に「地神供養塔」と陰刻   -
  市沢町の庚申塔道標2 いちざわ 横浜市(旭区)   石道標 高71.5㎝(うち、台石18㎝),幅21.5
㎝,厚16㎝
文政13(1830)   道標とともにp62 原位置? (左面右)「左り、八王子/あつき、道」、(同左)「右り 大山道」/正面に「庚申需供羪」と陰刻 1 -
  本村町の庚申塔道標2 ほんむら 横浜市(旭区) 本村神明社・境外 石道標 高60㎝,幅27㎝,厚15㎝ 文政13(1830)   保土ヶ谷区金石誌p92   (右面)「西 大山 厚木道/東 神奈川道」、(左面)「南 ふじ沢道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻   -
  中希望が丘の庚申塔道標 なかきぼうがおか 横浜市(旭区)   石道標(尖頭角柱)   文政13(1830)   道標とともにp66   (右面)「東 か奈川/南 とつ可、道」、(左面)「左 大山道」/正面に「庚申墳」と陰刻    
  市沢町の庚申塔道標3 いちざわ 横浜市(旭区) 交番前<相州道> 石道標(尖頭角柱) 高85㎝(うち、台石22㎝),幅24.5㎝,厚18㎝ 天保2(1831)   道標とともにp60/横浜の古道p8 移設? (左面)「右 ほと可や/左 加な川、道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 2
  今川町の題目塔道標 いまがわ 横浜市(旭区)   石道標(尖頭角柱) 高57㎝(うち、台石20㎝),幅25.5㎝,厚17㎝ 天保14(1843)   道標とともにp64 原位置? (右面右)「北 川井観音…」、(同左)「東 神奈川道」、(左面右)「南 二又川観…」、(同左)「西 藤沢道」/正面に「堅窂」と陰刻 1  
  南本宿町の地蔵道標 みなみほんじゅく 横浜市(旭区)   石道標(蒲鉾型) 高67㎝(うち、台石7㎝),幅26.5㎝ 弘化3(1846)   道標とともにp62 原位置? (正面右端)「右 大山道」、(同左端)「左 かまくらミち」/正面に地蔵立像(錫杖、蓮台)の陽刻 1
  市沢町の馬頭観音道標 いちざわ 横浜市(旭区) 交番前<相州道> 石道標 高114㎝(うち、塔身64㎝),幅30㎝,厚26.5㎝ 慶応元(1865)   道標とともにp61/横浜の古道p9 移設? (右面)「これヨリ左/弘明寺道」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2
  白根町の道・橋供養塔 しらね 横浜市(旭区) <八王子往還> 石碑 高79㎝,幅24㎝,厚13.5㎝ 元文4(1739)   横浜の古道p8   (正面上部)「此所山ミち人馬往來なんきのゆへに/此度その所の田地買求め往來やすからしむ/者也」、(左面)「此の道はし所々はそんいたし候ハやさしの水方しゆふくを願入申候百八拾六間横三間まるた橋三ケ所」  
  上川井町の敷石供養塔 かみかわい 横浜市(旭区)   石碑   安政6(1859)   保土ヶ谷区金石誌p137   (正面)「石階供養柱」    
写真 岡津町の不動明王像道標 おかづ 横浜市(泉区) 永明禅寺別院・門前
<大山道>
石道標(丸彫) 高205㎝,
幅45㎝,厚28㎝
享保10(1725)   横浜の古道p11-12 移設 (台石正面)「大山道」、(右面)「右 ほし能やミち」/台石上に不動明王坐像(一面二臂、背景に迦楼羅焔、磐石)の丸彫を載せる 2
  和泉町の庚申塔道標1 いずみ 横浜市(泉区)   石道標(笠付き) 高89㎝(うち、台石12㎝),幅30.5㎝,厚24.5㎝ 延享元(1744)   泉区石造物調査報告書p23 笠欠損 (正面左下?)「右ハ ほしのや道」、(左面)「左ハ 大石どう道」/正面に青面金剛立像(日月、六手○○、邪鬼、三猿)を陽刻 2
  和泉町の如意輪観音像(?)
道標
いずみ 横浜市(泉区) 宝心寺 石道標(隅丸型) 高96㎝,幅38.5㎝,厚23.5㎝ 宝暦7(1757)   道標とともにp109 移設 (正面下部)「大山道」/正面上部に如意輪観音(?)の半跏坐像を陽刻/泉区石造物調査報告書p47には青面金剛像と書いてある 2
  和泉町の庚申塔道標2 いずみ 横浜市(泉区) 稲荷社 石道標(尖頭角柱) 高81.5㎝(うち、台石17.5㎝),幅27.5
㎝,厚18.5㎝
天明6(1786)   泉区石造物調査報告書p33 移設 (右面下部)「東 とつか道」、(左面下部)「西 大山道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻 2
  岡津町の庚申塔道標 おかづ 横浜市(泉区) 稲荷社<大山道> 石道標(尖頭角柱) 高80㎝(うち、台石18㎝),幅24.5㎝,厚15㎝ 寛政8(1796)   横浜の古道p11 移設 (右面)「大山道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
  中田町の庚申塔道標1 なかた 横浜市(泉区) <大山道> 石道標(尖頭角柱) 高62㎝,幅26㎝,厚22㎝ 文化6(1809)   横浜の古道p12 原位置? (右面)「東 かしを/南 ふじ沢、道」、(左面右)「西 大山道」、(同左)「北 八王子道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1 -
  和泉町の庚申塔道標3 いずみ 横浜市(泉区) 稲荷社 石道標(尖頭角柱) 高100㎝(うち、台石24㎝),幅29.5
㎝,厚28㎝
文化11(1814)   泉区石造物調査報告書p32 移設 (右面)「東 とつかみち」、(左面)「西 大山道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  下飯田町の馬頭観音道標 しもいいだ 横浜市(泉区) 東泉寺<八王子往還> 石道標 高79㎝(うち、台石17㎝),幅19.5㎝,厚15.5㎝ 文化12(1815)   横浜の古道p15/泉区石造物調査報告書p22 移設 (右面)「かな川通り/東 かまくらミち」、(左面)「南 婦じさハど於り/西 大山みち」/正面に「(梵字)馬頭大悲觀世音菩薩」と陰刻/高176㎝という資料あり 2
  和泉町の庚申塔道標4 いずみ 横浜市(泉区)   石道標(駒型) 高59㎝,幅24㎝,厚15㎝ 文政年間(1818-30)   道標とともにp108 原位置? (右面)「此方 と津加道」(=戸塚)、(左面)「南 ふじ沢道/西 大山道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、台石正面に“三猿”の陽刻 1 -
  上飯田町の庚申塔道標1 かみいいだ 横浜市(泉区) 飯田神社<八王子往還> 石道標(隅丸型) 高55.5㎝,幅23.5
㎝,厚15㎝
文政7(1824)   横浜の古道p15 移設 (右面左)「此方 とづか道」、(左面右)「此方 □□□道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2 -
  和泉町の馬頭観音道標 いずみ 横浜市(泉区)   石道標(駒型) 高53㎝(うち、台石12㎝),幅23.5㎝,厚15.5㎝ 文政12(1829)   泉区石造物調査報告書p51   (右面)「南 ふじ沢道」、(左面左)「北 八王子道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻   -
  上飯田町の題目塔道標1 かみいいだ 横浜市(泉区) 無量寺 石道標(自然石) 高99㎝(うち、塔身60㎝),幅24㎝,厚5㎝ 天保2(1831)   泉区石造物調査報告書p12 移設 (台石○面)「大/山/道」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻 2
  和泉町の庚申塔道標5 いずみ 横浜市(泉区)   石道標(尖頭角柱) 高53.5㎝,幅25㎝,厚23㎝ 天保11(1840)   道標とともにp108 原位置? (右面左)「右 と川加道」(=戸塚)、(左面)「左 八王子道/南 ふじ沢道」/正面に「庚申塔」と陰刻、下部に“三猿”の陽刻 1 -
  中田町の庚申塔道標2 なかた 横浜市(泉区) 栃木屋・前 石道標 高87㎝(うち、台石22㎝),幅30㎝,厚31.5㎝ 嘉永6(1853)   泉区石造物調査報告書p61   (右面左)「右 とつか道」、(左面)「西 大山道/東 かしを道」/正面に
「庚申塔」と陰刻
 
  岡津町の題目塔道標 おかづ 横浜市(泉区) <大山道> 石道標(尖頭角柱) 高69.5㎝(うち、台石20㎝),幅26.5
㎝,厚26㎝
安政2(1855)   横浜の古道p12 移設 (台石右面右)「下り/かしを道」、(同左)「上り/大山道」/正面に「地神塔」と陰刻 2 -
  上飯田町の題目塔道標2 かみいいだ 横浜市(泉区) <八王子往還> 石道標(尖頭角柱) 高116.5㎝(うち、塔身72.5㎝),幅33㎝,厚30㎝ 安政4(1857)   横浜の古道p16/泉区石造物調査報告書p8 移設→個人宅 (下段台石右面)「右/□□ら道」(かま/くら)、(下段台石左面)
「左/かな/かわ道」/正面に「堅牢地神」と陰刻
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  中田町の庚申塔道標3 なかた 横浜市(泉区)   石道標 高71㎝(うち、台石15㎝),幅27㎝,厚25㎝ 安政7(1860)   泉区石造物調査報告書p58   (左面)「 ふじ沢道/北 八王子道」/正面に「庚申塔」と陰刻   -
  下飯田町の庚申塔道標 しもいいだ 横浜市(泉区) 琴平神社<八王子往還> 石道標(尖頭角柱) 高93㎝(うち、塔身61㎝),幅27.5㎝,厚24㎝ 万延元(1860)   横浜の古道p15 移設 (右面)「右 とつ可/此方 鎌倉/左 ふち沢、道」、(左面左)「此方 八子道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  和泉町の庚申塔道標6 いずみ 横浜市(泉区) 中和田老人憩いの家・裏
<大山道>
石道標(尖頭角柱) 高85.5㎝(うち、台石21.5㎝),幅30
㎝,厚26.5㎝
万延元(1860)   横浜の古道p12 移設 (左面)「右 大山道/左 藤澤道」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
  上飯田町の題目塔道標3 かみいいだ 横浜市(泉区) 柳明神社・北の三叉路
<八王子往還>
石道標 高139㎝(うち、塔身81㎝),幅36㎝,厚33㎝ 文久元(1861)   横浜の古道p16 原位置? (右面下部)「東 神奈川道」、(左面)「南 大山道/北 八王子道」/正面に「堅牢地神塔」と陰刻 1
  上飯田町の庚申塔道標2 かみいいだ 横浜市(泉区) 三柱神社<大山道> 石道標(尖頭角柱) 高109.5㎝(うち、塔身74.5㎝),幅34㎝,厚32.5㎝ 文久元(1861)   横浜の古道p13 移設 (右面左)「此方 かしを道」、(左面左)「此方 大山道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  新橋町の庚申塔道標 しんばし 横浜市(泉区)   石道標 高88㎝(うち、台石22㎝),幅28㎝,厚21㎝ 文久年間(1861-64)   泉区石造物調査報告書p68   (右面)「南、とつか/かまくら、道」、(左面)「北、八王子/ほしのや、道」/正面に「庚申塔」と陰刻  
  西が岡の題目塔道標 にしがおか 横浜市(泉区) (1丁目)<大山道> 石道標 高67.5㎝,幅30㎝,厚28㎝ 慶応2(1866)   横浜の古道p12 移設 (右面左)「この方 かしを道」、(左面)「此/方、大山道」/正面に「堅/牢、大地神」と陰刻 2 -
  岡津町の供養塔道標 おかづ 横浜市(泉区) 西林寺<大山道> 石道標 高61㎝,幅22.5㎝,厚19㎝ 江戸期   横浜の古道p11 移設 (右面)「東、かまくら/ぐめうじ/江戸、道」、(左面)「西、阿つき/ほしのや/八王子、道」/正面に「月山/湯殿山/羽黒山、供養塔」と陰刻/「江戸」の標記は江戸期 2 -
  和泉町の仏像(?)道標 いずみ 横浜市(泉区) 和泉第二公園 石道標 高66㎝(うち、台石21㎝),幅27.5㎝,厚21㎝ 江戸期   泉区石造物調査報告書p37 移設/下部埋設/像容不明 (正面像右)「かまくら道」、(同左)「ふじさわ道」、(右面)「東、かしを/とつか、道」、(左面)「西、大山…/厚木…」、(裏面)「北、八王子…/江戸」/正面頂部に仏像の陽刻/「江戸」の標記は江戸期 3 -
  上中里町の庚申塔道標 かみなかざと 横浜市(磯子区) <金沢道> 石道標(駒型) 高99.5㎝(うち、台石21.5㎝),幅37
㎝,厚25㎝
享保元(1716)   道標とともにp81/磯子区金石誌2p22 原位置? (右面)「これより右 杦田道」、(左面)「これより左 新町ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 1
  峰町の廻国塔道標 みね 横浜市(磯子区)   石道標(隅丸型) 高81㎝(うち、台石21㎝),幅24.5㎝,厚16.5㎝ 明和9(1772)   道標とともにp82/磯子区金石誌2p54 移設、集約 (左面)「左 かまくら道」/正面中央に「奉納大乘妙典六十六部日本廻國」と陰刻 2
  峰町の庚申塔道標 みね 横浜市(磯子区)   石道標 高80.5㎝(うち、台石16㎝),幅35㎝,厚22㎝ 寛政4(1792)   磯子区金石誌2p50 移設?/笠欠損 (右面左下)「右 すき□□」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼)の陽刻 3
  中原の馬頭観音道標 なかはら 横浜市(磯子区) 願行寺 石道標(尖頭角柱) 高106㎝(うち、塔身72.5㎝),幅29
㎝,厚28㎝
安政3(1856)   道標とともにp80/磯子区金石誌1p29 移設 (右面)「右 磯子ちか道/左 磯子本道」/正面に「(梵字)馬頭觀音」と陰刻 2
  峰町の円柱道標 みね 横浜市(磯子区) 護念寺 石道標(円柱) 高133㎝,径26.5
万延元(1860)   道標とともにp83/磯子区金石誌2p60 移設/「圓海」の部分がブルドーザーで毀損 (正面)「圓海山道、是よ里/拾八丁」/円柱道標は稀 3
  神奈川の大井戸 かながわ 横浜市(神奈川区) 幸ヶ谷、宗興寺・脇
<東海道>
石井戸   江戸初期 市登録地域史跡 WEB 覆屋は立派だが、井戸枠が新材で被覆 東海道中の名井戸に数えられ、水量の増減によって翌日の天気を知ることができたことから「お天気井戸」とも呼ばれていた 4
写真 神奈川台場・跡 かながわ 横浜市(神奈川区)   台場(石塁) 総面積260ha,
砲14門
万延元(1860)   三瓶裕司/神奈川考古No46 一部現存→整備・公開 幕府が海防のため伊予松山藩に神奈川宿周辺の警備を命じ、勝海舟の設計で安政6(1859)着工、翌年に完成した/他の台場では見られない船溜りを有する 4
写真 金沢道 かなざわ 横浜市(金沢区) 称名寺~旧東海道・保土ヶ谷宿 道路 長約1㎞ 江戸期   WEB(鎌倉街道上道) 保存状態良好 金沢道に残る掘割/金沢道が使われたのは江戸期だが、この道の全身は鎌倉街道下道と考えられている(掘割構造は鎌倉街道の典型) 1
写真 称名寺の洞門 しょうめいじ 横浜市(金沢区) 称名寺 素掘トンネル   元亨3(1323)以前 市史跡 WEB 西側が良好に残る/現在通行禁止 称名寺と金沢文庫をつなぐ要道/元亨3(1323)に描かれた「称名寺絵図」に阿弥陀堂のうしろの山麓に両開きの扉があり、その洞門の位置に一致 3
写真 朝夷奈切通 あさひな 横浜市(金沢区)・鎌倉市   切通し 長330m 仁治元(1240)着工 国史跡 WEB/神奈川県の歴史散歩・下p.55 深い切通しなど往時の雰囲気を鎌倉七口の中で最もよく残す 鎌倉七口の一つ/『吾妻鏡』の仁治元年11月30日の条に鎌倉と六浦との中間に道路を開く議が定まり、時の執権第三代北条泰時が自ら足を運んだとある/良港のなかった鎌倉にとって六浦津を外港として確保できたことは重要な成果であった→北条4代が六浦・金沢に居を構え、金沢氏と称し称名寺と金沢文庫を創建した 1 写真
写真 金沢道の切通 かなざわ 横浜市(金沢区) 称名寺~旧東海道・保土ヶ谷宿 切通し   江戸期   WEB(鎌倉街道上道) 保存状態良好 金沢道に残る切通し/金沢道が使われたのは江戸期だが、この道の全身は鎌倉街道下道と考えられている(ルートの古さと、切通しの施工時期とはリンクしない) 1
  朝比奈町の道標 あさひな 横浜市(金沢区) <金沢道> 石道標 高56㎝ 宝暦4(1755)   道標とともにp90 移設→個人宅/縦に割れて1/3を欠損 (正面)「左 鎌倉道」/宝暦4年12月→1755年 4 -
写真 金沢町の道標 かなざわ 横浜市(金沢区) 称名寺・門前<金沢道> 石道標(笠付き) 高117.5㎝,幅24
㎝,厚20.5㎝
天明3(1783)   道標とともにp90 移設 (正面)「是より 志よふミやうし か満くらへ 春具道」(=すぐ)、(右面)「金澤文庫舊跡」/笠は台形の屋根状 2
写真 谷津町の道標 やつ 横浜市(金沢区) <金沢道> 石道標 高59㎝,幅26.5㎝,厚18.5㎝ 天保10(1839)   金沢区金石誌4p4/横浜の古道p11 移設? (正面)「右、能見堂/保土ヶ谷、道」、(右面)「此方 江戸」 2 -
  大倉山の庚申塔道標 おおくらやま 横浜市(港北区) 妙義神社<稲毛道> 石道標 高65㎝,幅28㎝,厚16㎝ 文化5(1808)   横浜の古道p6 移設 (右面下部)「右 綱嶋橋道」/正面に青面金剛立像を陽刻 2
  師岡町の馬頭観音像道標 もろおか 横浜市(港北区) 熊野神社<稲毛道> 石道標 高95.5㎝(うち、台石11㎝),幅30㎝,厚26㎝ 文政7(1824)   道標とともにp32 移設 (右面)「東/熊野三社大權現道」、(左面)「右 可奈川道/左 いなげ道」/正面に馬頭観音坐像(三面六臂〔馬頭冠、輪宝、斧〕、蓮台)を陽刻、その下に「西國/秩父/坂東、百番供養塔」と陰刻/頂部に宝珠を載せる 2
  港南台の石尊常夜灯 こうなんだい 横浜市(港南区) (2丁目)共同墓地 石常夜灯   元治元(1864)   ふるさと港南の石仏たちp119-120 移設、集約 (竿正面)「奉納石尊大權現」、(同右)「大天狗」、(同左)「小天狗」/石尊(大山阿夫利神社)講中による雨乞い祈願の建立→雨降山(大山阿夫利神社)への道しるべを兼ねていると思われる 3
写真 最戸の道標 さいど 横浜市(港南区) (1丁目)墓地脇 石道標 高79㎝,幅15㎝,厚16㎝ 元禄9(1696)   道標とともにp73/ふるさと港南の石仏たちp61 移設/裏面の刻字は見えない (正面)「東 妙見く王んおん」(?)、(左面)「北 久ミやうし道」(=弘明寺)、
(裏面)「南 かまくらみち」(?)/17世紀の道標
3
写真 丸山台の庚申塔道標
(旧馬洗橋庚申塔道標)
まるやまだい 横浜市(港南区) (3丁目)
丸山台第2自治会館
石道標(笠付き) 高98.5㎝(うち、台石17㎝),幅33㎝,厚21㎝ 享保7(1722) 市登録地域有形民俗 道標とともにp76/ふるさと港南の石仏たちp149 移設、集約/笠は欠損 (右面)「右 とつかミち」、(左面)「左 かまくらミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/下記の「丸山台の聖観音像道標」と並ぶ 3
  笹下の庚申塔道標1 ささげ 横浜市(港南区)   石道標(舟型) 高69㎝,幅36.5㎝ 享保14(1729)   道標とともにp74 移設? (左面)「左 森道 右 金沢道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 2
  上大岡西の庚申塔道標 かみおおおか、にし 横浜市(港南区) (1丁目)<金沢道> 石道標 高95㎝(うち、台石7㎝),幅27㎝,厚18㎝ 延享元(1744)   道標とともにp74 移設→個人宅/笠欠損 (左面)「右ハ かねさ王ミち/左ハ もり すきたミち」/正面に青面金剛立像(六手合掌、三猿)の陽刻 4
写真 大久保の庚申塔道標 おおくぼ 横浜市(港南区) 自性院 石道標 高108㎝,幅32㎝,厚22㎝ 延享元(1744)   ふるさと港南の石仏たちp56
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/右面は樹木に接して読めない (右面)「右坂上、右 とつかミち/左 かまくらミち」(?)、(左面)「左 か祢さ王ミち」/正面中央に「奉造立庚申供養」と陰刻 3
写真 芹が谷の阿弥陀如来像道標 (武相国境標示の道標) せりがや 横浜市(港南区) (1丁目)<東海道> 石道標 高72㎝(うち、台石10㎝),幅31㎝,厚20㎝ 寛延元(1748) 市登録地域有形民俗 道標とともにp79
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置? (正面像下)「弘明寺道」、(右面)「右 武刕相刕境道」、(左面)「左 戸塚道」/正面に阿弥陀如来立像(蓮台)を浮彫り/相武の国境上に立つ 1
  下永谷の聖観音像道標 しもながや 横浜市(港南区)   石道標(隅丸型) 高64㎝,幅25㎝,厚16㎝ 宝暦4(1754)   道標とともにp78/ふるさと港南の石仏たちp170 移設 (正面像下中央)「左 ぐミやう寺道」/正面頂部に聖観音坐像(蓮台)の浮彫り、像下右に「西國順禮供養」と陰刻 2
  日野南の地蔵道標 ひのみなみ 横浜市(港南区) (1丁目)北見家墓地 石道標(尖頭角柱)   宝暦8(1758)   ふるさと港南の石仏たちp127 移設、集約 (右面)「右 かまくらみち/左 かねさわみち」/正面頂部に地蔵坐像(光輪、錫杖、蓮台)の浮彫り、その下に「大乘、妙典、日本廻國六十六部供養」と陰刻 3
  下永谷の地蔵道標2
(勘九郎地蔵)
しもながや 横浜市(港南区) 県立子供医療センター・正門前 石道標(舟型) 高56.5㎝,幅27㎝ 明和9(1772)   道標とともにp79   (右面)「右 ぐめうし」、(左面)「左 とつか」/光背中央に地蔵立像の陽刻/相武の国境上に立つ  
写真 上永谷の庚申塔道標1 かみながや 横浜市(港南区)   石道標(笠付き) 高106.5㎝(うち、台石18㎝),幅26.5㎝,厚16.5㎝ 安永5(1776)   道標とともにp77/ふるさと港南の石仏たちp157 移設/右面は壁に接近して見えない (右面右)「右 ぐめうじ道」(?)、(左面右)「左、此方 やと かまくら道/とつ可道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)の陽刻/笠正面に唐破風 3
写真 丸山台の聖観音像道標 まるやまだい 横浜市(港南区) (3丁目) 石道標 高82㎝(うち、台石17㎝),幅24.5㎝,厚15.5㎝ 安永7(1778)   港南の歴史p691
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (左面)「右 かまくら 上 山下 くめうし道」/正面上部に聖観音坐像(蓮台の)浮彫り,その下に「奉納西國秩父坂東百番供羪」と陰刻/上記の「丸山台の庚申塔道標」と並ぶ 3
  上永谷の道標 かみながや 横浜市(港南区) 永谷天満宮・入口 石道標(尖頭角柱)   天明3(1783)   道標とともにp77/ふるさと港南の石仏たちp161 移設 (正面)「天神山天満宮江之道」 2
写真 野庭町の庚申塔道標1 のば 横浜市(港南区)   石道標(笠付き) 高89.5㎝(うち、台石15㎝),幅27㎝ 天明7(1787)   道標とともにp76/ふるさと港南の石仏たちp137 移設?/下部全体が剥離 (右面)「左 ぐミやうじみち」、(左面)「右 加満くらみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風 3
  下永谷の庚申塔道標 しもながや 横浜市(港南区)   石道標 高62㎝,幅26㎝,厚13.5㎝ 寛政2(1790)   道標とともにp78/ふるさと港南の石仏たちp183 移設(台石欠損) (右面左)「西 とつかみち」、(左面右)「東 くめうしみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 2
  笹下の庚申塔道標2 ささげ 横浜市(港南区) (1丁目)<金沢道> 石道標(笠付き) 高87㎝,幅16.5㎝,厚14㎝ 寛政3(1791)   港南の歴史p666/横浜の古道p10-11 移設、集約 (右面)「かみ 金さ王/川むかい さく塲/志毛 ほどがや、ミち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 3
写真 大久保の聖観音像道標 おおくぼ 横浜市(港南区) 自性院 石道標(笠付き) 高74㎝,幅24㎝,厚20㎝ 寛政4(1792)   ふるさと港南の石仏たちp57
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/笠右下欠損/左面大きく剥離→刻字欠損 (右面)「坂□、…津加/…」、(左面)「右 加ねさ王/左 ぐみうし、道」/正面頂部に聖観音坐像(蓮台)の陽刻、その下に「觀世音講」と陰刻/笠正面に唐破風 4
  港南台の庚申塔道標1 こうなんだい 横浜市(港南区)   石道標(駒型)   寛政7(1795)   ふるさと港南の石仏たちp118/港南の歴史p675 移設、集約 (右面左)「これより右 かまくら道」、(左面左)「左 ぐめうし道」/正面に青面金剛立像(六手合掌、三猿)の陽刻 3
写真 上永谷の庚申塔道標2 かみながや 横浜市(港南区)   石道標(駒型) 高77㎝(うち、台石20㎝),幅27㎝,厚20㎝ 寛政12(1800)   港南の歴史p691
/WEB(鎌倉街道上道)
移設?/祠内 (右面)「下 くめうし道/坂 とつかみち/左 かまくら道」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 2
写真 野庭町の庚申塔道標2 のば 横浜市(港南区)   石道標(笠付き) 高108㎝(うち、台石22㎝),幅26.5
㎝,厚15㎝
享和元6(1801)   道標とともにp75 原位置? (右面)「左 ぐミやうじ道」、(左面)「右 加まくらみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風 1
写真 野庭町の庚申塔道標3 のば 横浜市(港南区)   石道標(笠付き) 高101.5㎝(うち、台石22㎝),幅25.5㎝,厚18㎝ 文化6(1809)   道標とともにp75/ふるさと港南の石仏たちp142 移設/右面全面、正面下部、左面右下角が大きく剥離 (右面)「…」、(左面)「右 すぎた/左 ぐミやうじ道」/正面に「庚申供養」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/笠正面に唐破風 4
  笹下の馬頭観音道標 ささげ 横浜市(港南区)   石道標(駒型)   安政3(1856)   ふるさと港南の石仏たちp88 移設? (左面?)「右 かまくら/左 みね道」/正面に「馬頭觀音」と陰刻 2 -
  港南台の庚申塔道標2 こうなんだい 横浜市(港南区) (2丁目)共同墓地 石道標   万延元(1860)   ふるさと港南の石仏たちp119 移設、集約 (右面)「上り かまくら」、(左面)「下り くみようし」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 3
  最戸の題目塔道標 さいど 横浜市(港南区)   石道標 高75㎝,幅33㎝,厚24㎝ 江戸期   道標とともにp73   (右面)「これヨリ左/弘明寺道」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻   -
  小菅ケ谷町の庚申塔道標1 こすがや 横浜市(栄区) 公園内<吉田道> 石道標(尖頭角柱) 高93㎝(うち、台石8㎝),幅30㎝,厚24㎝ 元禄4(1691)   栄区石造物調査報告書p54-55/道標とともにp119 移設 (右面中央)「從是、とつ加道」、(同右下)「右 …し…」、(同左下)「左 登川加ミち」(=戸塚)、(左面)「北 …」、(裏面右)「從是 ぐミやうじ道」/正面に「奉造立庚申供養」と陰刻/17世紀の道標 2
  笠間町の道標1 かさま 横浜市(栄区)   石道標 高58㎝,幅30㎝,厚18㎝ 元禄年間(1688-1704)   栄区石造物調査報告書p40 移設 (正面)「…不動へ…/今泉山不動」/17世紀の道標の可能性 2
  笠間町の不動明王像道標 かさま 横浜市(栄区) 法安寺・付近<吉田道> 石道標(丸彫) 高135㎝(うち、台石81㎝),幅27㎝,厚19㎝ 宝永7(1710)   栄区石造物調査報告書p34 原位置? (台石正面)「今泉村不動江之道」/台石上に光背付き(?)不動明王坐像の丸彫を載せる 1
  小菅ケ谷町の道標 こすがや 横浜市(栄区)   石道標(尖頭角柱) 高76㎝,幅21.5㎝,厚19㎝ 正徳2(1712)   道標とともにp118 原位置? (正面)「此方 久めうし道」、(右面)「此方 ひろ道 とつか」、(左面)「此方 かまくら道」 1 -
写真 小菅ケ谷町の庚申塔道標2 こすがや 横浜市(栄区) 三叉路角 石道標(尖頭角柱) 高95㎝,幅18㎝,厚18.5㎝ 正徳5(1715)   栄区石造物調査報告書p46/道標とともにp118 移設?(道標の向きが180度違う) (左面)「従是 ぐミやうし道」/正面に「庚申供養」と陰刻 2
写真 小菅ケ谷町の供養塔道標 こすがや 横浜市(栄区)   石道標(駒型) 高75㎝(うち、台石15㎝),幅20㎝,厚11㎝ 明和元(1764)   栄区石造物調査報告書p46/ふるさと港南の石仏たちp144 移設 (正面右)「右 か満くら道」、(同左)「 ぐミやうじ道」、(左面)「此方 やまみち」/正面中央に「(梵字)已待供養」と陰刻/梵字と刻字の間に花弁状の浮彫り 2 -
  鍛冶ケ谷町の馬頭観音像道標 かじがや 横浜市(栄区) 正翁寺 石道標(舟型) 高75㎝(うち、台石18㎝),幅24㎝,厚14.5㎝ 文化4(1807)   栄区石造物調査報告書p60/道標とともにp119 移設 (右面)「右 かまくら道」、(左面)「左 くミやうし道」/正面に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕、蓮台)を陽刻、像右に「奉順禮、秩父/西國/坂東、百番供養塔」と陰刻 2
  小菅ケ谷町の庚申塔道標3 こすがや 横浜市(栄区)   石道標 高85㎝(うち、台石17㎝),幅25.5㎝,厚14㎝ 弘化3(1846)   栄区石造物調査報告書p51   (右面)「ぐめうじ道」、(左面)「かまくら道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻、下部に“三猿”の陽刻  
  上郷町の馬頭観音道標 かみごう 横浜市(栄区)   石道標(尖頭角柱)   弘化5(1848)   栄区石造物調査報告書p70-71   (台石正面?)「右 加〃さハ きた乃み祢/左 よこはま道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻    
  鍛冶ケ谷町の供養塔道標 かじがや 横浜市(栄区)   石道標(自然石) 高120㎝(うち、台石20㎝),幅39㎝,厚30㎝ 文久元(1861)   栄区石造物調査報告書p59-60   (正面右)「左 かまくら道」、(左面)「ぐミうじ 横浜道」/正面に「道祖供養塔」と陰刻/裏面に「當村之大道北通日野邑迂回而狹隘也/宇茶堂田毎遇洪水溝阝會益流困窮年久/矣今歳聚議全決而少長搬土新修道/路四間埋堆百二十三間発開十六間宇/角埋堆四十八間発関十間路之広七尺/下日成功所冀長固田地以便往來之人/馬因祭道祖之次略記其事」(緑字は1文字)と道路修築の経緯が記されている  
  笠間町の道標2 かさま 横浜市(栄区)   石道標 高63㎝,幅24㎝,厚18㎝ 江戸期?   栄区石造物調査報告書p40-41 移設 (正面)「(梵字)今泉山不動明王江之道」、(同最下部右)「九十九谷山中」、(同左)「是ヨリ 一里」/願主が「中野屋佐兵衛」と屋号名なので江戸期の可能性 2 -
写真 上郷深田遺跡 かみごう、
ふかだ
横浜市(栄区) 上郷 製鉄炉(18基) 炉(10号):1.9m×1m 7世紀末~9世紀   市埋蔵文化財センター
(上郷深田遺跡発掘調査概報)
現地に行っても何もない(仮設道路の下に埋設保存) 関東地方で最大の製鉄遺構/一度に18基が化膿していたのではなく、順次移動していったと推定されている(下段の12号炉が最古→8-11号炉がそれに続く→上段の13-19炉は8-9世紀→最上段の1-6号炉の中には製銅炉1基を含む) 5
  宮沢の地蔵道標 みやざわ 横浜市(瀬谷区)   石道標 高68㎝(プラス、横置きの地蔵34
㎝),幅21㎝,厚18㎝
正徳5(1715)   道標とともにp131 上に載っていた地蔵坐像が横に置いてある (正面左端)「こ連より くミやうし道」、(右面右端)「これより ほしのや道」、(裏面右端)「こ連よ里 婦じさ王みち」/正面中央に「奉造立地蔵菩薩」と陰刻 3
  瀬谷の庚申塔道標 せや 横浜市(瀬谷区)   石道標 高60㎝,幅26㎝,厚19㎝ 寛政11(1799)   道標とともにp132 移設/破損大/像容は部分的 (左面最下部左)「川道/厚木道」/正面に青面金剛立像(六手合掌)の陽刻/「寛□□未」→恐らく寛政11(寛延4の可能性も) 4 -
  五貫目町の題目塔道標 ごかんめ 横浜市(瀬谷区) (3丁目)<矢倉沢往還> 石道標 高95㎝(うち、台石23㎝),幅31.5㎝,厚27㎝ 安政3(1856)   横浜の古道p6 原位置? (台石左面右)「右/大山道」、(同左)「左/江戸道」/正面に「堅牢地神」と陰刻 1
  阿久和南の馬頭観音道標 あくわ、
みなみ
横浜市(瀬谷区)   石道標(尖頭角柱) 高71㎝,幅21㎝,厚19.5㎝ 安政6(1859)   道標とともにp131   (右面左)「右り さく者"道」、(左面)「左り とつか道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻   -
  大熊町の題目塔道標 おおくま 横浜市(都筑区) 交差点中央・植込 石道標 高123㎝(うち、台石18㎝),幅28㎝,厚20.5㎝ 文政7(1824)   緑区石造物調査報告書2p108-109 近接移設? (正面下部)「西 熊野權現道」、(右面)「南 阿わしまみち」、(左面)「東 江戸 川さき道」/正面上部に「五穀神」と陰刻 1
  川和町の題目塔道標 かわわ 横浜市(都筑区) 太神宮 石道標 高62㎝,幅24㎝,厚14.5㎝ 天保13(1842)   緑区石造物調査報告書2p69 移設 (右面)「右 江戸みち」、(左面)「左 ゑたかんおん道」/正面に「二十三夜塔」と陰刻 2 -
  市場一里塚 いちば 横浜市(鶴見区) <東海道> 一里塚(1基)   慶長9(1604) 市登録地域史跡 WEB 改変度大   4
  鶴見の道標1 つるみ 横浜市(鶴見区) 1丁目)東福寺・門前
<東海道>
石道標(尖頭角柱) 高131㎝,幅28㎝,厚29.8㎝ 貞享元(1684)   道標とともにp42/横浜の古道p1 移設、集約 (正面)「(梵字)從是 子生山觀音江之道」、(右面)「これより こいけ山くハん於んへのミち」、(左面)「これより こいけ山くハんおんへの道」/17世紀の道標 2
  上末吉の不動明王像道標 かみすえよし 横浜市(鶴見区) 真福寺・不動堂 石道標(舟型) 高64㎝,幅27㎝ 延享2(1745)   道標とともにp48 移設 (右面)「從是 すへよし不とう道」、(左面)「從是 すへよし不とう道」/光背中央に不動明王立像を陽刻 2
  生麦の道標 なまむぎ 横浜市(鶴見区) 神明社<東海道> 石道標 高63.5㎝,幅31㎝,厚21㎝ 寛延2(1749)   横浜の古道p2 移設 (正面)「弘法大師御作」、(右面)「是より」 2 -
  鶴見の如意輪観音像道標 つるみ 横浜市(鶴見区) (1丁目)東福寺・門前
<東海道>
石道標 高143.5㎝(うち、台石30㎝),45㎝角 宝暦3(1753)   道標とともにp42 移設、集約 (正面像下)「子/生/山、觀音江道」、(右面右端)「こいけ山く王んおん道」、(左面左端)「古い希山く王んおん道」(=子生山)、(台石正面中央)「江戸」/正面頂部に如意輪観音の半跏坐像(蓮台)を陽刻 2
  市場東中町の仏像(?)道標 いちば、
ひがしなか
横浜市(鶴見区) 専念寺<東海道> 石道標(駒型) 高56㎝,幅26.5㎝,厚15㎝ 宝暦9(1759)   道標とともにp41 移設 (正面)「これゟ/右 矢向 小杉への道」、(左面)「左ハ のみち」/頂部に仏坐像(蓮台)の浮彫り〔像容不明〕、その下に「南無阿弥陀佛」と陰刻 2 -
  岸谷の庚申塔道標 きしや 横浜市(鶴見区) 竜泉寺・門前 石道標(駒型) 高97.5㎝(うち、台石23.5㎝),幅37
㎝,厚20㎝
宝暦10(1760)   道標とともにp47 原位置? (台石正面右端)「これゟ 江戸の方/こいけさん ひたり」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 1
  矢向の道標 やこう 横浜市(鶴見区)   石道標(尖頭角柱) 高53㎝,幅19㎝,厚14.5㎝ 寛政4(1792)   道標とともにp41 移設 (正面)「右ハ いけかみ道」、(右面)「左り かな川道」、(左面)「左り 春へよし」(=末吉) 2 -
  下末吉の地蔵道標 しもすえよし 横浜市(鶴見区) 宝泉寺 石道標(舟型) 高86㎝,幅35㎝,厚14㎝ 文化14(1817)   道標とともにp48 移設 (光背右端)「右 野ミち」、(同左端)「左 てらを道」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
  鶴見中央の道標
(寺尾稲荷道道標)
つるみちゅうおう 横浜市(鶴見区) (1丁目)鶴見神社
<東海道>
石道標 高195㎝(うち、台石25㎝),幅35㎝,厚22.5㎝ 文政11(1828) 市登録地域有形民俗 道標とともにp45 移設 (正面)「馬上/安全、寺尾稻荷道」、(右面下部)「從是 廿五丁」 2
  鶴見の道標2 つるみ 横浜市(鶴見区) (1丁目)東福寺・門前
<東海道>
石道標 高109.5㎝,幅37.5
㎝,厚23.5㎝
江戸期   道標とともにp43 移設、集約 (正面中央)「如意輪觀卋音道」、(同右端)「山門まて二丁半 東海道上下」、(同左端)「北?して道にそ?ん奈し」/願主の2人が「桔梗屋平八/伊勢屋藤兵衛」と屋号のみで姓がない→江戸期の可能性 2
  二ヶ領用水・跡 にかりょう 横浜市(鶴見区) 矢向 用水路 長32㎞(区域外を含めた全長) 慶長16(1611) 市登録地域史跡 WEB 役目を終えほとんどが埋め立てられて道路化/昭和47に「二ヶ領用水路地跡」の碑を建立 徳川家康の命を受けた用水奉行・小泉次太夫により13年がかりで開削 5
写真 品濃一里塚 しなの 横浜市(戸塚区) <東海道> 一里塚(2基)   慶長9(1604) 県史跡 WEB 東塚裏側は公園化 東塚は平戸村内、西塚は品濃村内に位置/当時は西塚にはエノキが植えられていた/県下で唯一2基とも塚が残る 3
写真 柏尾の石尊常夜灯 かしお 横浜市(戸塚区) 不動堂・前<東海道> 石常夜灯 高2.46m 元治2(1865)   横浜の古道p3 移設、集約 (竿正面)「雨降山」/台石正面に「松戸宿」と陰刻/竿が角柱 2
  深谷町の道標1 ふかや 横浜市(戸塚区)   石道標(尖頭角柱) 高66㎝(うち、台石16㎝),幅20㎝,厚13㎝ 寛文年間(1661-73)   戸塚区石造物調査報告書3p31/WEB 移設、集約/刻字ほとんど不明 (右面)「右り、 戸塚道/…ニテ…/八十八ヶ所」、(左面)「左リ 、…おん/八王子、道」/正面に「…」と陰刻/17世紀の道標 4
  吉田町の題目塔道標 よしだ 横浜市(戸塚区) 妙秀寺<東海道> 石道標(尖頭角柱) 高138㎝,幅32㎝,厚29㎝ 延宝2(1674)   戸塚区石造物調査報告書p54 移設 (裏面)「□□くらみち」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻/17世紀の道標 2
  柏尾町の庚申塔道標 かしお 横浜市(戸塚区) <東海道・大山道> 石道標(笠付き) 高204㎝(うち、台石20㎝),幅40㎝,厚38㎝ 延宝8(1680)   戸塚区石造物調査報告書2p5/WEB 移設、集約 (裏面)「右江 大山道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、一猿)を陽刻(右面と左面下部に“一猿”を陽刻)/笠正面に唐破風/17世紀の道標 2
  深谷町の道標2 ふかや 横浜市(戸塚区) 専念寺 石道標(尖頭角柱) 高155㎝(塔身部),幅35㎝,厚24㎝ 元禄6(1693)   戸塚区石造物調査報告書3p32 移設 (正面)「(梵字)ふかや薬師青陽院江之道」、(同右端)「是者 鎌倉權五郎陰景正守本尊」、(右面)「深谷山」、(左面)「専念寺」/17世紀の道標 2
  上倉田町の題目塔道標 かみくらた 横浜市(戸塚区) 蔵田寺<吉田道> 石道標(尖頭角柱) 高95㎝,幅42㎝,厚19㎝ 元禄13(1700)   横浜の古道p13 移設 (裏面右)「是より とつ可 本宿江道」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻 2
  上矢部町の道標1 かみやべ 横浜市(戸塚区) 福泉寺・前 石道標(尖頭角柱) 高57㎝(塔身部),幅19㎝,厚14㎝ 宝永4(1707)   戸塚区石造物調査報告書2p38 移設?/下部埋設 (正面)「(梵字)上矢部…/是よ里 二…」 3 -
  戸塚町の題目塔道標 とつか 横浜市(戸塚区) 日立正門・前<東海道> 石道標 高146㎝(うち、台石13㎝),幅29㎝,厚37㎝ 宝永7(1710)   戸塚区石造物調査報告書p18/横浜の古道p4 移設 (左面)「これよ里/かまくら道」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻 2
  平戸町の道標 ひらど 横浜市(戸塚区) 東福寺<東海道> 石道標(尖頭角柱) 高88㎝(塔身部),幅42㎝,厚26㎝ 宝永7(1710)   戸塚区石造物調査報告書2p75 移設/下部埋設 (正面)「坂東十四番札所/従是 弘明寺觀…」、(右面)「是より くめう…」 3
  柏尾町の不動明王像道標 かしお 横浜市(戸塚区) 不動堂<東海道> 石道標(丸彫) 高210㎝(うち、塔身72㎝) 正徳3(1713)   戸塚区石造物調査報告書2p6/WEB 移設、集約/木祠内にあり木格子にアクリル樹脂が貼ってあり見えにくい (台石正面)「是よ里/大山道」/台石上に不動明王坐像の丸彫を載せる 3
  下倉田町の道標1 しもくらた 横浜市(戸塚区) 小菅ヶ谷小学校・上 石道標(尖頭角柱) 高80㎝(塔身部),幅22㎝,厚19㎝ 正徳5(1715)   戸塚区石造物調査報告書p100   (正面)「此方 ぐめうじ道」、(右面)「此方 ひろみち とつか/此方 かまくら道」  
写真 柏尾町の題目塔道標
(柏尾町の大山道標)
かしお 横浜市(戸塚区) 不動堂・前<東海道> 石道標(笠付き) 高106㎝(うち、台石25㎝,幅18㎝,厚17㎝ 享保12(1727) 市登録地域有形民俗 戸塚区石造物調査報告書2p4-5/WEB 移設、集約 (右面左)「右江 大山道」/正面に「奉納御寶前」と陰刻 2
写真 舞岡町の庚申塔道標 まいおか 横浜市(戸塚区)   石道標(笠付き) 高78㎝,幅26㎝,厚15㎝ 元文2(1737)   戸塚区石造物調査報告書2p27 80m移設 (右面)「これより ぐめうじミち」、(左面)「これより 加まくらミち」/正面中央に「庚申供養」と陰刻、頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻 2
  平戸町の庚申塔道標1 ひらど 横浜市(戸塚区) 白旗神社 石道標(尖頭角柱) 高65㎝(塔身部),幅24㎝,厚17㎝ 寛延元(1748)   戸塚区石造物調査報告書2p71-72 移設 (右面)「右 ぐみようじ道」/正面に「庚申供羪」と陰刻、下部に“三猿”の陽刻 2 -
  平戸町の庚申塔道標2 ひらど 横浜市(戸塚区) 白旗神社 石道標(舟型) 高56㎝(塔身部),幅24㎝,厚17㎝ 寛延3(1750)   戸塚区石造物調査報告書2p72 移設 (右面)「右 ぐめうじ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手○○、三猿)を陽刻 2
  吉田町の庚申塔道標 よしだ 横浜市(戸塚区) 東峯八幡 石道標(笠付き) 高67㎝(塔身部),幅32㎝,厚14㎝ 宝暦4(1754)   戸塚区石造物調査報告書p58-59 移設 (右面)「是より左 かまくら道」/正面に青面金剛立像(日月、六手○○、二鶏、邪鬼、三猿)を陽刻 2
  上矢部町の道標2 かみやべ 横浜市(戸塚区) 大善寺 石道標 高183㎝(うち、台石34㎝,幅34㎝,厚16㎝ 宝暦12(1762)   戸塚区石造物調査報告書2p46 移設 (正面)「淡島大明神、退魔山/大善寺」、(同右)「上矢部」、(同左)「道 六丁」、(右面)「大山、こくうぞう/ほしのや、八王子道」 2
  矢部町の道標 やべ 横浜市(戸塚区) 吉田大橋・付近<東海道> 石道標 高147㎝,幅38㎝,厚26㎝ 宝暦12(1762)   戸塚区石造物調査報告書p79 原位置? (正面)「淡島大明神」、(同右)「上矢部」、(同左)「道十丁」、(同下部)
「退魔山/大善寺」、(左面)「卍 虚空蔵菩薩/ほしのや、八王子道」
1
  戸塚町の庚申塔道標1 とつか 横浜市(戸塚区) 稲荷社 石道標(笠付き) 高69㎝,幅23㎝,厚14㎝ 宝暦14(1764)   戸塚区石造物調査報告書p36-37 移設 (右面)「是より右、八王子/大山、道」/正面に青面金剛立像(六手○○、三猿)を陽刻 2
  原宿の供養塔道標1 はらじゅく 横浜市(戸塚区) 大運寺向い・歩道橋下 石道標(尖頭角柱) 高101㎝(うち、台石17㎝),幅29㎝,厚20㎝ 天明2(1782)   戸塚区石造物調査報告書3p23/WEB 移設、集約 (右面)「右 とつかみち」、(左面)「左 ふじさわ道」/正面に「月山/湯殿山/羽黒山、百番供養塔」と陰刻 3
  下倉田町の道標2 しもくらた 横浜市(戸塚区) <吉田道> 石道標(尖頭角柱) 高118㎝(塔身部),23㎝角 天明8(1788)   戸塚区石造物調査報告書p93 原位置? (正面)「親鸞聖人/舊跡、面懸阿弥陀如來江ノ道」、(右面)「めんかけ如來/かさこひ太子、道」、(同下部)「右 かまくら」、(左面右)「相州鎌倉郡倉田 是より 二町半」、(同左)「龍臥山永勝寺/かまくらへ 行ぬけ」 1
  舞岡町の道標 まいおか 横浜市(戸塚区) 長福寺 石道標(尖頭角柱) 高159㎝,幅37.5
㎝,厚25.5㎝
寛政3(1791)   戸塚区石造物調査報告書2p18-19 移設 (正面)「鎌倉拾九番 桜堂觀音道」、(左面)「かまくら十九ばん さくらどう」、(同右)「かまくらへ ちかみち」、(同左)「くわんのん江のみち/是より 十三町餘」 2
  東俣野町の庚申塔道標 ひがしまたの 横浜市(戸塚区) 八坂神社・鳥居付近
<八王子往還>
石道標(笠付き) 高87㎝,幅30㎝,厚24㎝ 寛政7(1795)   戸塚区石造物調査報告書3p48 移設? (右面左)「右リ かまくら道」、(左面右)「左リ 八わうじ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手○○、邪鬼、三猿)を陽刻 2
  上倉田町の廻国塔道標 かみくらた 横浜市(戸塚区) 小野商店・横<吉田道> 石道標(尖頭角柱) 高133㎝(うち、台石39㎝),幅34㎝,厚28㎝ 寛政10(1798)   戸塚区石造物調査報告書p92   (正面下部)「右 かまくら道」、(左面左下)「左り むらみち」/正面上部に「月山/湯殿山/羽黒山」と陰刻  
  原宿の供養塔道標2 はらじゅく 横浜市(戸塚区) 原宿交差点・付近
<東海道>
石道標(尖頭角柱) 高130㎝(うち、台石30㎝),幅42㎝,厚39㎝ 文化8(1811)   戸塚区石造物調査報告書3p14-15 移設? (右面)「東 かまくら/南 ふち沢」、(左面)「西 大山/北 星のや」/正面に「(梵字)月山/湯殿山/羽黒山、大權現、秩父/西國/坂東、供養塔」と陰刻 2
  小雀町の供養塔道標 こすずめ 横浜市(戸塚区) 浄水場・前 石道標(笠付き) 高87㎝(うち、台石14㎝),幅22㎝,厚14㎝ 文化8(1811)   戸塚区石造物調査報告書3p23   (右面)「東 かまくら道」、(左面)「西 かげとり/北 原宿」/正面頂部に○○像を陽刻、その下に「廿三夜供養塔」と陰刻  
  戸塚町の庚申塔道標2 とつか 横浜市(戸塚区) 高松寺 石道標(笠付き) 高104㎝(うち、台石22㎝),幅27㎝,厚17㎝ 文化13(1816)   戸塚区石造物調査報告書p12 移設 (左面)「大山 八王子道」/正面に青面金剛立像(六手○○、二鶏、三猿)を陽刻 2
  平戸町の供養塔道標 ひらど 横浜市(戸塚区) 小糸並木寮・庭<東海道> 石道標(尖頭角柱) 高104㎝(うち、台石24㎝),幅30.5
㎝,厚23㎝
文政5(1822)   戸塚区石造物調査報告書2p75/横浜の古道p3 移設→寮内 (右面左)「是より/永谷天神ミち」/正面に「(梵字3)月山/湯殿山/羽黒山、供養塔」と陰刻 4
  深谷町の庚申塔道標 ふかや 横浜市(戸塚区) 三叉路 石道標 高86㎝(うち、台石21㎝),幅25㎝,厚17㎝ 天保2(1831)   戸塚区石造物調査報告書3p29 原位置? (右面)「東 戸塚ミち/南 藤沢ミち」、(左面)「西 大山ミち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻 1
  汲沢の庚申塔道標 ぐみざわ 横浜市(戸塚区) (3丁目) 石道標 高61㎝(塔身部),幅25㎝,厚24㎝ 天保14(1843)   戸塚区石造物調査報告書3p4   (左面)「南 ふじ沢/北 かしを/東 とつか/西 八王子」/正面に「庚申塔」と陰刻   -
  俣野町の庚申塔道標1 またの 横浜市(戸塚区) 三叉路<八王子往還> 石道標(尖頭角柱) 高85㎝(うち、台石21㎝),幅23.5㎝,厚12.5㎝ 弘化3(1846)   戸塚区石造物調査報告書3p38 原位置? (右面)「右 大山道/左 ふじ沢道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻 1
  俣野町の庚申塔道標2 またの 横浜市(戸塚区) 昭和電工グラウンド・前<八王子往還> 石道標 高81.5㎝(うち、台石24.5㎝),幅26.5
㎝,厚27㎝
嘉永2(1849)   戸塚区石造物調査報告書3p45/横浜の古道p14   (右面)「右 藤澤道/左 戸塚道」/正面に「庚申塔」と陰刻  
  名瀬町の題目塔道標 なせ 横浜市(戸塚区)   石道標(尖頭角柱) 高59㎝(塔身部),幅26㎝,厚26㎝ 慶応元(1865)   戸塚区石造物調査報告書2p29 移設→個人宅裏 (右面)「北 二又川みち」、(左面)「南 とつか道」/正面に「二十三夜塔」と陰刻 4 -
  戸塚町の庚申塔道標3 とつか 横浜市(戸塚区)   石道標 高77㎝(うち、台石19㎝),幅22㎝,厚23㎝ 慶応4(1868)   戸塚区石造物調査報告書p37 移設→個人宅裏 (右面)「大山/あつぎ/はちをじ、道」、(左面)「とつか道」/正面に「庚申塔」と陰刻 4 -
  柏尾町の橋供養塔 かしお 横浜市(戸塚区) 不動堂・前<東海道> 石碑(道標兼、尖頭角柱) 高166㎝(塔身部),幅44㎝,厚28㎝ 寛文10(1670)   戸塚区石造物調査報告書2p5 移設 (正面)「爲五處橋供養、鎌倉小町夷川橋/八瀬觀音橋/長野間倉田橋/柏尾名瀬綿土橋/名瀬矢部橋」(緑字は異体字)、(右面)「從是 大山」/17世紀の道標 2
写真 象の鼻防波堤 ぞうのはな 横浜市(中区) <横浜港・東突堤> 石防波堤 長102.4m 慶応3(1867)   WEB 関東大震災後補修(C被覆)/平成21に横浜開港150周年事業として「象の鼻パーク」として修景・側面の石積みを復元 横浜港で最古の施設/安政5(1858)に)に横浜運上所北側海面に造られた2本の突堤のうちの東突堤が慶応2の大火後に逆 L字型に伸延された時の伸延部(当初の突堤は明治29の大桟橋に取り込まれて消滅)→大正12の関東大地震で直線に近く改修〔上の写真〕→平成21に慶応2の形に戻す〔下の写真〕 2 写真
  南軽井沢の題目塔道標 みなみかるいざわ 横浜市(西区) 勧行寺<東海道> 石道標 高249.5㎝(塔身113㎝),幅41㎝,厚23.5㎝ 寛保2(1742)   横浜の古道p2 移設 (第2台石正面)「是より/三沢 檀林江/凡十餘町」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻 2
  老松町の馬頭観音像(?)道標 おいまつ 横浜市(西区) 市立図書館・裏玄関前
<金沢道>
石道標(舟型) 高103㎝(塔身66㎝),幅26.5㎝,厚14.5㎝ 嘉永6(1853)   道標とともにp50 移設/像容不明瞭 (左面)「東 □□□/加まくら/ほ登かや、道」/光背中央に馬頭観音坐像(一面二臂)?を陽刻 2
写真 岩難坂
いわな 横浜市
(保土ケ谷区)
<鎌倉街道> 道路 長350m 鎌倉時代?   WEB(鎌倉街道上道) C舗装 横浜市街地に残る鎌倉街道 3
写真 帷子町の道標1
(金沢横町の道標)
かたびら 横浜市
(保土ケ谷区)
<東海道・程ヶ谷宿> 石道標 高112㎝,幅34㎝,厚20.5㎝ 天和2(1682) 市登録地域有形民俗 WEB(鎌倉街道上道) 移設/C台石 (正面右上隅)「是よ里」、(正面)「か奈さわ/可満久ら、道」(=鎌倉)、
(左面)「久"めうし道」(=弘明寺)/17世紀の道標/下記3基と並ぶ(右から2番目)
2
  今井町の大日如来像道標 いまい 横浜市
(保土ケ谷区)
金剛寺 石道標(舟型) 高111㎝(うち、台石22㎝),幅39㎝ 元禄10(1697)   道標とともにp59/保土ヶ谷区金石誌p11 移設 (光背像右下端)「右へ かまくら道」/光背上部に大日如来坐像(蓮台)の陽刻、その下に“三猿”の陽刻/17世紀の道標 2
写真 岩井町の地蔵道標
(北向地蔵)
いわい 横浜市
(保土ケ谷区)
<金沢・浦賀往還> 石道標(丸彫) 高320.5㎝(うち、塔身102㎝) 享保2(1717) 市登録地域有形民俗 横浜の古道p10
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置/木祠内/信仰の対象 (台石正面左上)「是よ里/左の方、か奈さわ道」、(台石右面)「是よ里/右の方、久めう寺道」(=弘明寺)/台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる/台石正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻 1
写真 帷子町の道標2
(金沢横町の道標)
かたびら 横浜市
(保土ケ谷区)
<東海道・程ヶ谷宿> 石道標(尖頭角柱) 高135㎝,幅34㎝,厚23㎝ 天明3(1783) 市登録地域有形民俗 WEB(鎌倉街道上道) 移設/C台石 (正面)「圓海山之道」、(同右上端)「武州 峯村」、(同右下端)「道法 三里余」、(同左端)「かなさ王 かまくらへ通りぬけ」、(右面右上隅)「是より」、(右面)「ゑんかいさんみち」/上記1基、下記2基と並ぶ(一番右) 2
  和田町の庚申塔道標 わだ 横浜市
(保土ケ谷区)
杉山神社<八王子往還> 石道標(尖頭角柱) 高63㎝,幅29㎝,厚13.5㎝ 天明3(1783)   道標とともにp57/横浜の古道p7 移設 (右面右)「これより 大山みち」、(左面)「これより 八おう志"みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 2
  東川島町の題目塔道標 ひがしかわしま 横浜市
(保土ケ谷区)
(3丁目)<八王子往還> 石道標 高70㎝,幅23㎝,厚15㎝ 寛政3(1791)   道標とともにp56 移設→個人宅/下部埋設 (右面下部)「左 神奈川…」、(左面下部)「右 八王子道」/正面に「奉請堅窂地神」と陰刻 4 -
  川島町の庚申塔道標 かわしま 横浜市
(保土ケ谷区)
  石道標 高60㎝(塔身),幅27㎝ 文化6(1809)   保土ヶ谷区金石誌p82   (右面)「かまくら道」、(左面)「右 はちわうじ道/左 かな川みち」/正面に青面金剛立像の陽刻  
  東川島町の庚申塔道標 ひがしかわしま 横浜市
(保土ケ谷区)
<八王子往還> 石道標(駒型) 高69㎝(うち、台石10㎝),幅27㎝,厚14㎝ 文化8(1811)   道標とともにp56   (右面右)「か満久ら道」、(左面)「右 者ちわうし道/左 か奈川ミち」/正面に青面金剛立像(六手剣人)の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻  
写真 帷子町の道標3
(金沢横町の道標)
かたびら 横浜市
(保土ケ谷区)
<東海道・程ヶ谷宿> 石道標 高112㎝,幅25㎝,厚21㎝ 文化11(1814) 市登録地域有形民俗 WEB(鎌倉街道上道) 移設 (左面)「是ヨリ 杉田道」、正面に「程ヶ谷の 枝道曲れ 梅の花」の句を刻む/上記2基、下記1基と並ぶ(左から2番目) 2
写真 帷子町の道標4
(金沢横町の道標)
かたびら 横浜市
(保土ケ谷区)
<東海道・程ヶ谷宿> 石道標 高111㎝,26.5㎝角 弘化2(1845) 市登録地域有形民俗 WEB(鎌倉街道上道) 移設/下部で折損→修復 (正面)「…うそう守神/富岡山芋大明神江乃道/是与里行程 三里」
(=富岡・長昌寺は疱瘡の守り神)/上記3基と並ぶ(一番左)
2
写真 岩井町の石坂供養塔 いわい 横浜市
(保土ケ谷区)
御所台地蔵・前 石碑 高85㎝(うち、台石22㎝),幅19㎝,厚17㎝ 明和5(1768) 市登録地域有形民俗 WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (正面)「奉納燈籠石坂供養」 2
  東川島町の敷石供養塔 ひがしかわしま 横浜市
(保土ケ谷区)
  石碑   文政7(1824)   保土ヶ谷区金石誌p83 原位置 (正面)「本堂石階供養石標」 1  
  川島町の敷石供養塔 かわしま 横浜市
(保土ケ谷区)
随流院 石碑 高72㎝,幅30㎝ 天保2(1831)   保土ヶ谷区金石誌p75   (正面「舗石供養塔」   -
  桜ケ丘の道供養塔 さくらがおか 横浜市
(保土ケ谷区)
  石碑(道標兼) 高51㎝,幅22㎝,厚21㎝ 嘉永6(1853)   保土ヶ谷区金石誌p123   (右面)「新道供養塔」、(左面)「従是 保土ヶ谷」/正面に「道祖神」と陰刻   -
  釜台町の道路改修碑 かまだい 横浜市
(保土ケ谷区)
保土ヶ谷中学校・陸橋下<八王子往還> 石碑(蒲鉾型) 高103㎝,幅34.5,厚21㎝ 元文2(1737)   横浜の古道p7-8/保土ヶ谷区金石誌p160   (正面)「往古より武州八王子筋の往還は和田村の山中を通路とす此山甚險難にして/人馬の上り下り留されハ進み難く一歩/﹨に危險見るに忍び難し殊に/霖雨雪降の折はゑてして人馬と共に倒伏し腰をぬき足を折即時に/死するもありて年々怪我人その數を知らず然りといへども外に間道も無き故に/そのまゝ往來する度び川島村□□□院内へ降る道人馬の難義に及ぶこと/見るに難き戌となりまづ人道を踏みかへ人馬の苦患を救ハ誠に/幾ばくの善根にも成らんと思ひ計て…貧窮にして其入目を償ふに力なし若/我と志を合す人有らハ往來難儀を救はんと思ひ計こと廿年に及べり然に去し」、(左面)「八月下旬のころ吾家に來りて悉く相談す和田山の腰を開き道筋に石橋/三ヶ所懸通路と成す時ハ平易の道に成ることを知ると云へどもその費我の力に及び難し/我とを同ふする人有らざれハ終に志も遁れぬとて感涙に及べり是によつて我その/深志のことを思ふに容易のことにても往來人馬の苦を救ふことハ善根の随一と聞」、(裏面)「きもろともに彼の志願を同ふせは双親の菩提の爲にも成らんと費をかえり見ず加はれば/石井氏怗悅の余り則村の諸役にねがひて田租の入目を償ひ直路を經營すれハ/近郷よりも伝へ聞人夫多あつまりて不日に成就することは偏に神明の/加護を垂れ給ふものならん末の世此道筋破損することあらば往來の人に/修覆を加へ給ふことを願ふものなり」  
写真 御所台の井戸
(政子の井戸)
ごしょだい 横浜市
(保土ケ谷区)
  石積井戸   鎌倉期? 市登録地域有形民俗 WEB 簡易屋根が整備 北条政子が化粧に使用したと伝えられる井戸/将軍が保土ヶ谷宿の本陣に休息した際の御膳水に使われた 2
  長津田町の常夜灯
(長津田下宿常夜灯)
ながつだ 横浜市(緑区) (5丁目)<矢倉沢往還> 石常夜灯 高2.10m 文化14(1817) 市登録地域有形民俗 緑区石造物調査報告書1p43 移設、集約 (竿正面)「大/山、常夜燈」、(竿右面)「道祖神」/大山信仰の道/下の上宿の常夜灯に比べると質素で装飾性はゼロ 2
写真 長津田町の秋葉山常夜灯
(長津田上宿常夜灯)
ながつだ 横浜市(緑区) 大石神社<矢倉沢往還> 石常夜灯 高2.40m 天保14(1843) 市登録地域有形民俗 現地解説板/緑区石造物調査報告書1p50 移設/大石神社への参道途中に保存/火袋後補 (竿正面)「秋葉山」、(竿左面)「猛夏大吉辰」/大山信仰の道/中台に龍、台石に獅子の浮彫り/火袋の穴は羽団扇の形→秋葉山の天狗のモチーフ/猫脚 2
  長津田の地蔵道標1 ながつだ 横浜市(緑区) (6丁目)<矢倉沢往還> 石道標 高77㎝(うち、台石21.5㎝),幅27.5㎝,厚24㎝ 享保20(1735)   緑区石造物調査報告書1p50/道標とともにp39 地蔵像が欠損(蓮台のみ残る) (下段台石正面右端)「南 カナ川道」、(同左端)「東 江戸道」/上段台石中央に「奉造立地蔵菩薩」と陰刻、台石上に蓮台を載せる 3
  中山町の地蔵道標 なかやま 横浜市(緑区) 落合橋・際<中原街道> 石道標(舟型) 高51㎝,幅34㎝ 寛延元(1748)   横浜の古道p6 原位置? (光背右下隅?)「左り か奈川道」、(同左下隅?)「右 大山道」/光背中央に地蔵立像の陽刻 1
  十日市場町の馬頭観音道標 とおかいちば 横浜市(緑区) 宝袋寺・前
<神奈川道 南道>
石道標 高67㎝(うち、台石14㎝),幅21㎝,厚19.5㎝ 慶応2(1866)   緑区石造物調査報告書1p35-36/道標とともにp40 原位置? (右面)「東 金川道」、(左面)「西 八王子」/正面に「(梵字)馬頭觀世音」と陰刻 1 -
  長津田の地蔵道標2 ながつだ 横浜市(緑区) (6丁目) 石道標(丸彫) 高94.5㎝(台石17.5㎝) 江戸期?   緑区石造物調査報告書1p49 像と台石が元一具か不明 (台石正面右)「向て右/か奈川」、(同左)「左/みぞノ口」/台石上に地蔵立像(蓮台欠損)を載せる 3
写真 餅井坂 もちい 横浜市(南区) 別所3丁目<鎌倉街道下道(推定ルート)> 道路 長約500m 鎌倉期? 市登録地域史跡 南区の歴史p35-36 坂道は残るが、周辺景観は大きく変化 文明18(1486)に京を出た道興準后が、『回國雑記』の中で「行きつれて 見れとも見えす もちい坂 唯わらくつに 足をくわれて」と詠っている→急坂であったことが判る 3
写真 井土ケ谷上町の庚申塔道標 いどがやかみ 横浜市(南区) 住吉神社 石道標(尖頭角柱) 高101㎝,幅28.5
㎝,厚19㎝
元禄2(1689)   南区の歴史p599,615
/道標とともにp54
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約/覆屋内 (右面)「これより北 東海道 新町江之道」、(左面)「これより南 くミやうし江之道」、(裏面)「これより南 くミやうし道」/正面中央に「(梵字)奉造立庚申爲二世安樂」と陰刻、最下部に“三猿”の陽刻/17世紀の道標 2
写真 永田東の庚申塔道標1 ながたひがし 横浜市(南区) (1丁目) 石道標(駒型) 高105㎝(うち、台石21㎝),幅47㎝,厚23㎝ 正徳4(1714)   南区の文化財・金石誌p49/南区の歴史p600
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面)「左 ぐミやうじ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)を陽刻/下記の「永田東の庚申塔道標2」「永田東の供養塔道標」と並ぶ 2
写真 六ツ川の庚申塔道標1 むつかわ 横浜市(南区) (1丁目)定光寺 石道標(尖頭角柱) 高72㎝,幅22㎝,厚16㎝ 元文3(1738)   南区の歴史p603,619
/WEB(鎌倉街道上道)
移設(基部露出) (正面左端)「左 とつかミち」、(右面)「右向 作塲道」、(左面)「右 ぐみやうじ道」/正面頂部に「(梵字)庚申供養」と陰刻/下記の「六ツ川の庚申塔道標2」と並ぶ 2 -
写真 別所の庚申塔道標1 べっしょ 横浜市(南区) (2丁目)白山神社 石道標(駒型) 高53㎝,幅25㎝,厚15㎝ 元文5(1740)   南区の歴史p607,628
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (正面右上端)「右 弘明寺道」、(同左上端)「左 戸塚道」/正面に青面金剛立像(六手合掌、三猿)の陽刻 3
  六ツ川の地蔵道標 むつかわ 横浜市(南区) (4丁目) 石道標(舟型)   明和9(1772)   南区の文化財・金石誌p54/南区の歴史p603 移設、集約/祠内 (右面)「右 ぐみうし」、(左面)「左 とつか」/光背中央に地蔵立像を陽刻 2
  六ツ川の供養塔道標 むつかわ 横浜市(南区) (1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高50.5㎝,幅23.5
㎝,厚16.5㎝
安永5(1776)   南区の歴史p602,618道標とともにp52 移設 (右面中央)「是より右 くミやうじみ…」/正面に「(梵字)奉順禮、西國/坂東/秩父、百番供…」と陰刻 2 -
写真 永田東の庚申塔道標2 ながたひがし 横浜市(南区) (1丁目) 石道標(常夜灯兼) 高92㎝,幅27.5㎝,厚19㎝ 寛政8(1796)   南区の文化財・金石誌p49/南区の歴史p600
/WEB(鎌倉街道上道)
移設、集約 (右面右)「右 保土ヶ谷道」、(裏面下部右)「左り/弘明寺」/正面下部に「庚申講中」と陰刻/角柱頂部に四角い穴、その上に切妻屋根型の笠/記の「永田東の庚申塔道標1」、下記の「永田東の供養塔道標」と並ぶ 2
写真 睦町の地蔵道標 むつみ 横浜市(南区) (2丁目)弘誓院 石道標(丸彫) 高211㎝(うち、ち、塔身79㎝) 寛政10(1798)   南区の歴史p598
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面左)「右 ほん毛くみち」、(左面左)「ほと加や/か奈川、みち」/台石上に地蔵坐像(光輪、錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 六ツ川の庚申塔道標2 むつかわ 横浜市(南区) (1丁目)定光寺 石道標(駒型) 高69㎝,幅31㎝,厚20㎝ 寛政10(1798)   南区の歴史p603
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (左面)「左 とつ加みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻/上記の「六ツ川の庚申塔道標1」と並ぶ 2
写真 別所の庚申塔道標2 べっしょ 横浜市(南区) (1丁目)<鎌倉道> 石道標(駒型) 高60㎝,幅25㎝,厚15㎝ 寛政12(1800)   南区の歴史p607
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/青面金剛像の下半身が剥離/右面の一部も剥離 (右面右)「右 ぐ…じ」、(左面左)「とづか道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻 2
写真 南太田の地蔵道標 みなみおおた 横浜市(南区) (2丁目)大光寺<金沢道> 石道標(丸彫) 高173㎝(うち、塔身71㎝) 享和2(1802)   南区の歴史p594,614
/WEB(鎌倉街道上道)
移設/光輪の大部分が欠損 (台石右面)「かねさハ/かまくら、道」/台石上に地蔵坐像(光輪、錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 3
写真 弘明寺町の供養塔道標 こうみょうじ 横浜市(南区) 弘明寺・門前 石道標(墓石型) 高98㎝(うち、台石12㎝),幅35㎝,厚32㎝ 文政元(1818)   南区の歴史p603,620
/WEB(鎌倉街道上道)
移設 (右面)「保と可や道」/正面に「(梵字3)秩父/西國/坂東、百番供養塔」と陰刻 2
写真 永田東の供養塔道標 ながたひがし 横浜市(南区) (1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高50㎝,幅24㎝,厚17㎝ 天保5(1834)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (右面左下)「川上 ほとかや道」、(左面右)「加王下、くめし/かまくら、道」(=川下)/正面中央に「奉順禮、秩父/西國/坂東、供養」と陰刻/上記の「永田東の庚申塔道標1」「永田東の庚申塔道標2」と並ぶ 2 -
写真 井土ケ谷下町の庚申塔道標 いどがやしも 横浜市(南区) <金沢道> 石道標(尖頭角柱) 高110㎝(うち、台石31㎝),33㎝角 天保12(1841)   南区の歴史p600 移設? (右面)「是より、くみやうし/かま久ら、道」、(同左端)「尼将軍御影塔 六丁」、(左面)「北 ほとかや/南 か祢さハ、道」/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻、頂部枠隅に“日月”、上段台石正面に“二鶏”の陽刻 2
写真 別所の供養塔道標
(もちい坂の道標)
べっしょ 横浜市(南区) (3丁目)餅井坂<鎌倉道> 石道標 高76㎝,幅31㎝,厚23㎝ 江戸期?   南区の歴史p607/道標とともにp73(港南区最戸とあるのは間違い)
/WEB(鎌倉街道上道)
原位置?/刻字の磨耗大(左面上部は読解不能) (右面)「ミ奈ミ かまくら道」、(左面上部)「水、かみ/しも」(?)、(同下部)「とつかミち/くめやうじ道」/正面に「南無阿弥陀佛、百万遍/供養墖」と陰刻 2
写真 化粧の井戸 けしょう 横浜市(南区) 乗蓮寺 石井戸   承久年間(1219-21)   現地解説板 木柵で囲まれ、上に簾が敷かれていて井戸が見えない 北条政子が承久年間の争乱の際にこの地に避難した際、化粧にも適さないほど水が悪かったため掘った井戸/井戸枠には粗く整形された4枚の石がロの字型に置かれている 3
  上落合の常夜灯 かみおちあい 厚木市 長徳寺・南 石常夜灯(道標兼) 高1.13m 文化13(1816)   WEB 火袋以上が破壊し、竿石の上に載っている (竿正面)「左 大山道」、(竿左面)「右 戸田舟渡」/竿は角柱 4
  上古沢の不動明王像道標 かみふるさわ 厚木市 南谷三叉路 石道標(丸彫)   安永9(1780)   WEB 移設、集約/簡易覆屋内 (台石正面)「大山道」、(同頂部)「左り」、(台石左面)「いゝ山くわんおん道」/台石上に不動明王坐像(剣、羂索、磐石)の迦楼羅焔付き丸彫を載せる 2
  下津古久の不動明王像道標 しもつこく 厚木市 県道22号・天宗寺交差点角<中山道> 石道標(丸彫) 高191㎝,幅33㎝,厚31㎝ 享和元(1801)   WEB 近接移設? (台石正面)「右 戸田舟渡、左 ほしのや観音、道」、(台石右面)「左 大山道」/台石上に不動明王坐像(磐石)の迦楼羅焔付き丸彫を載せる 1
写真 七沢森林公園の石丁場・跡 ななさわ 厚木市 七沢 石丁場(凝灰岩)   江戸中期?   三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」/「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 山塊に岩脈が露出する石丁場(江戸中期に高遠の石工が開発したとされる)/石碑や建築用材、石臼当小物の石造物が切り出された/切り出し途中の様相や加工途中欠損して放棄された石材、大量の石屑(コッパ)などが往時のまま遺存する 1
  中原街道旧廻り坂   綾瀬市 <中原街道> 道路 幅2.7m 江戸期   市教委 砂利道→無舗装→断崖でstop   3
  早川の庚申塔道標1 はやかわ 綾瀬市 天神森隧道入口・脇 石道標(安山岩) 高108㎝,幅36㎝,厚26㎝ 元禄14(1701)   市教委 原位置?/笠欠損? (右面)「右 ふしさ王みち」、(左面)「左 とつ加 我那川道」(=神奈川)/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(六手合掌、三猿)を陽刻 2
  深谷の地蔵道標 ふかや 綾瀬市 深谷大上公民館と子育地蔵堂の間 石道標(安山岩) 高73㎝,幅26㎝,厚22㎝ 宝永2(1705)   市教委 移設、集約 (右面)「右 ふしさ王道」、(左面)「左 まちた 八王うし道」/正面に地蔵立像の陽刻/下記の「深谷の庚申塔道標2」と並ぶ 3
  吉岡の庚申塔道標1 よしおか 綾瀬市 根恩馬交差点・北 石道標(砂岩) 高63㎝,幅25㎝,厚20㎝ 享保10(1725)   市教委 移設/笠欠損?/風化がひどく刻字・像容不明 (右面右)「左 あつき道」、(同左)「右 ほしのや道」/正面に青面金剛立像を陽刻〔情報は古資料から引用〕 4 -
  深谷の庚申塔道標1 ふかや 綾瀬市 深谷交番・裏 石道標(笠付き) 高74㎝,幅26㎝,厚20㎝ 寛保3(1743)   市教委 移設?/祠内 (右面左)「右 止徒加道」(=戸塚)、(左面右)「左 江戸道」/正面に青面金剛立像(六手合掌)の陽刻 2
  落合の庚申塔道標 おちあい 綾瀬市 稲箸宮 石道標
(笠付き、砂岩)
高102㎝,幅25㎝,厚22㎝ 宝暦7(1757)   市教委 移設 (左面左)「ひがし ふし沢道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風 2
  深谷の庚申塔道標2 ふかや 綾瀬市 深谷大上公民館と子育地蔵堂の間 石道標
(笠付き、砂岩)
高85㎝,幅26㎝,厚21㎝ 寛政8(1796)   市教委 移設、集約 (右面左)「きた 八王うし道」、(左面)「ミ奈ミ ふち沢/にし 阿つき、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻/上記の「深谷の地蔵道標」と並ぶ 3
  上土棚南の庚申塔道標1 かみつちだな、みなみ 綾瀬市 (5丁目) 石道標
(笠付き、砂岩)
高112㎝,幅28㎝,厚21㎝ 寛政12(1800)   市教委 移設 (右面)「東 かし ふ志さ」、(左面)「西 大山みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風/下記「上土棚南の庚申塔道標2」と並ぶ 2
  落合北の庚申塔道標 おちあい、
きた
綾瀬市 (7丁目) 石道標(尖頭角柱、凝灰岩) 高70㎝,幅22㎝,厚17㎝ 寛政13(1801)   市教委 移設 (右面)「西 あつき/東 とつ加、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2 -
  深谷の庚申塔道標3 ふかや 綾瀬市 藤沢ゴルフクラブ管理事務所・付近 石道標(尖頭角柱、凝灰岩) 高65㎝,幅28㎝,厚24㎝ 享和2(1802)   市教委 移設/中央上部で水平に折損→修復 (右面左)「右 とつ加ミち」、(左面)「左 さく盤ミち」(=作場)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2 -
  上土棚の題目塔道標 かみつちだな 綾瀬市 蓮光寺参道 石道標(隅丸型、安山岩) 高108㎝,幅17㎝,厚18㎝ 享和3(1803)   市教委 移設 (右面左)「右 あつき道」、(左面右)「左 さく道」(=作場?)/正面に「南無阿弥陀佛…」と陰刻 2
  深谷の供養塔道標 ふかや 綾瀬市   石道標(安山岩) 高65㎝,幅29㎝,厚22㎝ 享和3(1803)   市教委 移設→個人宅/笠欠損? (右面下部)「右、加奈川/江戸、道」、(左面下部)「左、あつき/大山/ほしのや、道」/正面に「羽黒山/湯殿月山/大峯山、西國秩父坂東、供/養」と陰刻 4 -
  深谷の庚申塔道標4 ふかや 綾瀬市 鶴が丘 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高101㎝,幅34㎝,厚31㎝ 文化11(1814)   市教委 移設 (右面)「西 阿つぎ/北 江戸、道」、(左面)「南 大山道」/正面に大きく「庚申…」と陰刻 2
  吉岡の庚申塔道標2 よしおか 綾瀬市 堀ノ内 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高78㎝,幅26㎝,厚19㎝ 文政8(1825)   市教委 移設? (右面左)「此方 ふしさ王道」、(左面)「此方、江戸/加奈加王みち」(=神奈川)/正面を火灯窓型に削り込み「庚申塔」と陰刻 2
  上土棚南の供養塔道標 かみつちだな、みなみ 綾瀬市 丸山大神宮 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高128㎝,幅33㎝,厚29㎝ 文政10(1827)   市教委 移設 (右面右)「此方 ふしさ王ミち」、(左面)「此方 ほし能やミち」/正面に「(梵字)湯殿、月山/羽黒山、供養塔」と陰刻 2
  蓼川の不動明王像道標 たてかわ 綾瀬市 蓼川神社 石道標
(丸彫、凝灰岩)
高150㎝,幅30㎝,厚25㎝ 文政12(1829)   市教委 移設/像の2/3は欠損 (下段台石右面)「此方/ふ/し澤」、(下段台石左面)「此方/八/王/子」/台石上に不動明王坐像を載せる 3
  吉岡の庚申塔道標3 よしおか 綾瀬市 芝原公民館 石道標(尖頭角柱、凝灰岩) 高91㎝,幅27㎝,厚25㎝ 天保9(1838)   市教委 移設 (右面)「東 江戸/南 ふしさハ、道」、(左面右)「西 大山/北 本し能や、道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2
  早川の不動明王像道標 はやかわ 綾瀬市 坂上 石道標
(丸彫、凝灰岩)
高155㎝,幅30㎝,厚28㎝ 天保14(1843)   市教委 移設? (台石正面)「左、八王子/大山/あつき、道」、(台石右面)「右、加奈川/ふじ沢、道」/台石上に光背付きの不動明王坐像(三鈷剣、羂索、磐石)の丸彫を載せる 2
  上土棚北の題目塔道標 かみつちだな、きた 綾瀬市 綾南小学校入口・交差点 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高118㎝,幅36㎝,厚35㎝ 嘉永7(1854)   市教委 移設 (右面右)「右 戸塚」、(左面左)「西 厚木道」/正面に「堅牢大地神」と陰刻 2
  深谷の庚申塔道標5 ふかや 綾瀬市 深谷神社 石道標(尖頭角柱、凝灰岩) 高92㎝,幅27㎝,厚21㎝ 安政4(1857)   市教委 移設 (右面左)「東 か奈川道」、(左面)「西 あつき道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2
  上土棚南の庚申塔道標2 かみつちだな、みなみ 綾瀬市 (5丁目) 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高127㎝,幅32㎝,厚29㎝ 万延元(1860)   市教委 移設 (右面左)「東 かし越みち」、(左面右)「西 大山ミち」/面に大きく「庚申塔」と陰刻/上記「上土棚南の庚申塔道標1」と並ぶ 2
  早川の庚申塔道標2 はやかわ 綾瀬市   石道標(尖頭角柱、凝灰岩) 高84㎝,幅30㎝,厚29㎝ 文久元(1861)   市教委 移設 (右面)「北 八王子/□ ふち沢、道」(緑字は異体字)/正面に大きく「庚申塔」と陰刻 2
  串橋の庚申塔道標 くしはし 伊勢原市   石道標(笠付き) 高200.5㎝ 延宝3(1680)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p114) 移設 (左面右下)「左 金目道」/正面に「奉造立庚申供養」と陰刻/正面・右面・左面最下部に“一猿”の陽刻/笠の上に宝珠を載せる/17世紀の道標 2
  上粕屋の庚申塔道標1 かみかすや 伊勢原市 山王橋・際 石道標 高61.5,幅26㎝,厚22㎝ 享保6(1721)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p81) 移設、集約 (左面最下部左)「大山道」/正面に正面に青面金剛立像(六手合掌、三猿)を陽刻 2
  田中の庚申塔道標 たなか 伊勢原市 耕雲寺 石道標(笠付き) 高119㎝(うち、台石16㎝),幅31㎝,厚34㎝ 享保13(1728)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p77) 移設、集約 (右面)「右 ひなたみち/左 おすや満みち」/正面に青面金剛立像(六手合掌?、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 3
写真 桜台の不動明王像道標 さくらだい 伊勢原市 <中山道> 石道標(丸彫) 高160㎝,幅43㎝,厚37㎝ 元文4(1739)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p98) 原位置?/明治の廃仏毀釈にて首を破損され、現在は補修済み (台石正面)「(梵字)、右 日向道/左 大山道」/頂部に不動明王坐像の丸彫を載せる 2
写真 三ノ宮の不動明王像道標 さんのみや 伊勢原市 能満寺<中山道> 石道標(丸彫) 高141.5㎝ 元文4(1739)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p116) 移設/風化が進み、上部の不動明王の両腕も欠損 (正面左下)「左 金目道」、(左面)「右 大山道」/頂部に不動明王坐像
(一面二臂、磐石)を載せる、正面中央に「庚申供養」と陰刻、最下部に“三猿”の陽刻
3
  下糠屋の大山道標 しもかすや 伊勢原市   石道標 高165㎝ 元文5(1740)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p75) 原位置?/道路工事により埋設 (正面)「左 大山道」/頂部に不動明王と思われる石像の痕跡あり 2
  日向の庚申塔道標1 ひなた 伊勢原市   石道標 高74㎝,幅25㎝,厚21.5㎝ 寛保2(1742)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p48) 原位置? (正面下部)「右 やくしみち」、(左面)「左 一之沢 大山ミち」/正面に「庚申/供養」と陰刻 1 -
  日向の庚申塔道標2 ひなた 伊勢原市   石道標 高111㎝(うち、台石19㎝),幅30㎝,厚25㎝ 寛保3(1743)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p51) 移設/頂部大きく欠損/中央よりやや下で水平に折損→修復 (右面左)「いせはら道」、(左面右)「阿つぎ道」/正面に「庚申/供養、青面金剛塔」と陰刻 4
  西富岡の庚申塔道標 にしとみおか 伊勢原市 西富岡八幡神社 石道標(笠付き) 高138㎝ 宝暦3(1753)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p58) 移設 (右面)「北 いいや満道」、(左面)「南 かない道」、(裏面)「西 日向 大山道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻、その下に“三猿”の陽刻/笠の上に宝珠を載せる 2
  善波の庚申塔道標 ぜんば 伊勢原市 善波児童館 石道標(蒲鉾型) 高77㎝ 宝暦5(1755)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p117) 移設 (右面右)「右 ミたけミち」、(左面)「左 とおかいちばミち/正面に青面金剛坐像の陽刻、最下部に“三猿”の陽刻 2
  下落合の不動明王像道標 しもおちあい 伊勢原市 八幡神社 石道標 高71㎝,幅30㎝,厚25㎝ 宝暦6(1756)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p70) 移設/下部かなり埋設/像容不明瞭 (正面像下)「右 大山」、(左面)「従是左 ひ…」/正面頂部に不動明王像の陽刻 3 -
  下平間の庚申塔道標1 しもひらま 伊勢原市 (大原) 石道標 高55㎝,幅18㎝角 宝暦9(1759)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p107) 原位置?/下部欠損 (右面)「右 か奈ひ…」、(左面)「左 やはた」/正面に「庚申供養…」と陰刻 3 -
  沼目の庚申塔道標 ぬまめ 伊勢原市 八坂神社 石道標(尖頭角柱) 高77.5㎝(うち、台石13.5㎝),幅25㎝,厚22㎝ 宝暦11(1761)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p96) 移設 (右面)「右 大いそ道」、(左面)「左 たむら道」/正面に「庚申供羪塔」と陰刻 2 -
  日向の不動明王像道標 ひなた 伊勢原市   石道標 高97.5㎝,幅35.5
㎝,厚31㎝
明和元(1764)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p50) 原位置? (左面)「左 大山道」/正面頂部に不動明王の半跏坐像の丸彫を一体彫刻、その下に「(梵字)不動瀧本尊」と陰刻 1
  日向の庚申塔道標3 ひなた 伊勢原市   石道標(笠付き) 高127㎝ 明和3(1766)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p53) 原位置?/中央よりやや下で水平に折損→修復 (右面)「北 いい山みち」、(左面)「南 かないみち」/正面に「庚申供養塔」と陰刻/笠正面に唐破風 1
  上粕屋の聖観音像道標 かみかすや 伊勢原市 洞昌院本堂・手前 石道標(尖頭角柱) 高134.5㎝ 明和5(1768)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p80) 2度移設 (右面)「西、かなひ/いせはら、道」、(左面)「南、大いそ/やわた、道」/正面頂部に聖観音坐像(蓮台)の浮彫 2
  日向の庚申塔道標4 ひなた 伊勢原市   石道標(笠付き) 高102㎝(うち、台石15㎝),27㎝角 明和6(1769)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p44) 原位置? (左面)「此方 いゝ山」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)を陽刻/笠正面に唐破風 1
  日向の庚申塔道標5 ひなた 伊勢原市   石道標 高53㎝,幅24㎝,厚17㎝ 明和8(1771)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p42) 移設/像容不明瞭 (右面)「右 やくしミち」、(左面)「左 山ミち」/正面に青面金剛立像を陽刻 3 -
  下粕屋の庚申塔道標1 しもかすや 伊勢原市   石道標(笠付き) 高87㎝,幅31㎝,厚29㎝ 安永4(1775)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p74) 移設/銘文は剥落大 (右面)「右 たむらみち」、(左面)「 …」/正面に「奉造立寶塔庚申供養」と陰刻/笠は自然石/建立年は「乙年」→4と乙の組み合わせは江戸初期を除けば安永4のみ 3
  日向の庚申塔道標6 ひなた 伊勢原市   石道標 高75㎝(うち、台石18㎝),幅26㎝,厚22㎝ 天明元(1781)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p45) 移設/放置 (左面)「右 いい山/左 やくし、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 3 -
  三ノ宮の地蔵道標 さんのみや 伊勢原市 保国寺・地蔵堂前 石道標(丸彫) 高88.5㎝ 寛政4(1792)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p121) 移設、集約 (面1)「是ゟ 大山道」、(面2)「左 いせ原道」、(面3)「右 かない道」、(面4)「十日いちば道」、(面5)「山みち」→台石が6角柱/台石上に地蔵坐像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 3
  上粕屋の大山道標1 かみかすや 伊勢原市 山王橋・際 石道標 高77㎝,30㎝角 寛政11(1799)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p82) 移設、集約 (正面)「上り 大山道」、(右面)「下り、戸田道/厚木道」、(裏面)「右ハ 田村道/左ハ むら道」 2 -
  沼目の馬頭観音像道標 ぬまめ 伊勢原市 惣持院 石道標(尖頭角柱) 高42㎝,幅21.5㎝,厚18.5㎝ 文化元(1804)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p94) 移設 (右面中央)「右 田村道」、(左面)「左 戸田道」/正面全面に馬頭観音立像(一面二臂〔馬頭冠〕)を陽刻 2 -
  上谷の聖観音像道標 かみや 伊勢原市 池田神社 石道標(丸彫) 高237㎝ 文化3(1806)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p89) 移設 (台石正面)「西 いせ原/北 かすや」、(台石右面)「南 たむら/大いそ」、(台石左面右)「東 大かミ道」/台石上に聖観音坐像(蓮台、敷茄子)の丸彫を載せる 2
  東富岡の庚申塔道標 ひがしとみおか 伊勢原市   石道標(尖頭角柱) 高139㎝(うち、台石59㎝),幅35㎝,厚31㎝ 文化6(1809)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p67) 原位置? (右面)「西 大山道」、(左面)「東 あ徒き」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  上粕屋の庚申塔道標2 かみかすや 伊勢原市   石道標(円柱) 高180㎝,径22㎝ 文化8(1811)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p57) 移設/中央よりやや下で水平に折損→修復 (左面下部)「此方 八王子道」、(右面下部)「此方 大道」、(裏面)「此方 道」/正面に「庚申」と陰刻/円柱道標は珍しい 2
  日向の庚申塔道標7 ひなた 伊勢原市   石道標 高117㎝(うち、台石20㎝),幅34㎝,厚31㎝ 文化11(1814)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p52) 移設? (右面)「此方、いせ原/かなひ、道」、(左面)「此方、阿つぎ/不しのや、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  石田の題目塔道標 いしだ 伊勢原市   石道標(自然石) 高57㎝,幅39㎝,厚34㎝ 文化12(1815)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p62) 移設 (右面)「右、いゝ山/をきの」、(裏面)「左、飛なた/なゝさは」(=日向)/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻 2 -
  沼目の題目塔道標 ぬまめ 伊勢原市 日月神社 石道標 高72.5㎝,幅30.5
㎝,厚26.5㎝
文化14(1817)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p95) 移設 (右面)「右 いゝ山道」、(左面)「左 大いそ道」/正面に「大菩薩」と陰刻 2 -
  下平間の庚申塔道標2 しもひらま 伊勢原市 西ノ稲荷 石道標(尖頭角柱) 高82㎝(うち、台石17㎝),幅26.5㎝,厚24.5㎝ 文政8(1825)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p105) 移設 (台石左面)「左/ない道」/正面に大きく「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
  高森の地蔵道標 たかもり 伊勢原市   石道標(丸彫) 高137㎝(うち、台石61㎝) 文政11(1828)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p68) 簡易祠内に3体安置 (台石右面)「右 あつきミち」、(台石左面)「左 おきのミち」/台石上に地蔵立像(錫杖、蓮台)の丸彫を載せる 2
  粟窪の不動明王像道標 あわくぼ 伊勢原市   石道標(丸彫) 高135.5㎝,幅31
天保年間(1830-44)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p66) 移設予定/像が2つに折れ、下半分欠損→上半分が台石に載る (台石正面)「左 大山道」、(右面)「此方、飯山/八王子、道」、(左面)
「右 厚木道」/台石上に不動明王??像(迦楼羅焔)を載せる/台石左面に「天保」と刻字
4
  坪ノ内の道標 つぼのうち 伊勢原市 長福寺 石道標 高60㎝,幅25㎝,厚19㎝ 天保2(1831)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p119) 移設/かつては、上部に不動明王像が載っていた(?) (右面)「右 いせはら道」、(左面)「左 十日市場道」 3 -
写真 下谷の不動明王像道標 しもや 伊勢原市 下谷八幡神社<中山道> 石道標(丸彫) 高153㎝ 天保3(1832)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p90) 移設/不動明王の首に補修あり (台石右面下部)「田村ふなわたし」、(台石左面)「あつぎみち」/台石上に不動明王坐像(一面二臂、剣)の丸彫を載せる、その下に「不動大明王」と陰刻 3
  小稲葉の庚申塔道標 こいなば 伊勢原市 八幡神社 石道標(尖頭角柱) 高92㎝(うち、台石19.5㎝),22.5㎝角 天保4(1833)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p84) 移設/左面上部の銘文削除 (右面左)「此方 あつぎ道」、(左面)「此方 大山道」、(裏面)「此方 いいやま道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  伊勢原の馬頭観音像道標 いせはら 伊勢原市 (1丁目) 石道標 高91.5㎝(うち、台石20㎝),幅29㎝,厚26㎝ 天保4(1833)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p93) 移設/像容不明(古写真から馬頭観音と判断)/銘文も剥落大 (右面左)「この方 日向」、(左面)「此方 いせはら」/正面上部に像容の痕跡 4
  子易の大山道標 こやす 伊勢原市 大山新道<東海道・大山道> 石道標 高約270㎝ 天保6(1835)   WEB 平成24に移設/下部で斜めに折損→修復 (正面)「是与里右 大山美ち」/WEB上で、万治元(1661)の建立で県下最古とよく書いてあるが間違い→現存のものは天保6(1835)再建時のもの 2
  下落合の不動明王像道標 しもおちあい 伊勢原市   石道標(丸彫) 高156㎝ 天保6(1835)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p72) 近接移設/不動明王像が当初からあったかどうかは不明(過去の記録に両パターンあり) (台石正面)「右 大山道」、(右面左)「 戸田舟渡」、(左面)「左 飛ら塚」/台石上に不動明王坐像(一面二臂、背景に光背状の迦楼羅焔、磐石)を載せる〔左記のように、元来は像がなくて、台石ではなく塔身だった可能性がある→その場合名称は「下落合の大山道標」〕 2 C・B
  上平間の題目塔道標 かみひらま 伊勢原市   石道標 高88㎝ 天保6(1835)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p103) 原位置?/剥落大 (右面)「此/方、い山道」、(左面)「、かゐ」/正面に「」(二十三夜塔)と陰刻 3
  子易の道標 こやす 伊勢原市 龍泉寺 石道標 高118㎝ 天保9(1838)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p125) 移設、集約/かつては、上部に阿弥陀如来像が載っていた(?) (正面右下)「あみだ道」 3
  上粕屋の大山道標2   伊勢原市 国登録「山口家住宅」 石道標   天保10(1839)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p101) 移設→個人宅 (正面)「(梵字)大山道」、(右面)「右 ひなた道」、(左面)「左 かなひ道」 4
  高森の題目塔道標 たかもり 伊勢原市 (1丁目) 石道標 高87㎝(うち、台石24.5㎝),幅21.5㎝,厚20.5㎝ 天保11(1840)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p61) 移設/上部で斜めに折損→修復/全体に剥落が目立つ (左面)「、あ徒き/を幾の、道」(=厚木,荻野)/正面に「二十」と陰刻 3
  小稲葉の題目塔道標 こいなば 伊勢原市 沖小稲葉八坂神社・裏 石道標(尖頭角柱) 高91㎝(うち、台石21㎝),幅37㎝,厚24㎝ 天保14(1843)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p86) 移設、集約 (右面左)「右 戸田舩渡え みち」、(左面右)「左 大山みち」/正面に「二十三夜塔」と陰刻 2
  下平間の供養塔道標 しもひらま 伊勢原市 広済寺 石道標(墓石型)   天保15(1844)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p104) 移設、集約 (左面)「左 かない道」/正面に「(梵字)觀世音供養塔」と陰刻 2
  池端の庚申塔道標 いけばた 伊勢原市 御嶽神社 石道標(尖頭角柱) 高162㎝(うち、台石30.5㎝),幅29.5㎝,厚25㎝ 弘化2(1845)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p92) 移設、集約 (右面)「東 田村/西 日向、道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻 2
  日向の庚申塔道標8 ひなた 伊勢原市   石道標(自然石) 高168.5㎝(うち、台石35.5㎝) 嘉永5(1852)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p54) 移設 (台石正面)「此/方、いせ原/かない、道」、(台石右面)「此/方、おきのみち」、(台石左面右端)「此/方、大山道」、(台石裏面左)「此/方、いゝ山道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  大山の地蔵道標 おおやま 伊勢原市 (イヨリ)水呑地蔵 石道標(舟型) 高65.5㎝(うち、台石24.5㎝) 嘉永6(1853)前後   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p128) 移設/光背破損 (台石正面右)「右、小田原/道了道」、(同中央)「い保りこへ」、(同左)
「左、大山/大瀧道」/台石上と光背付きの地蔵坐像の丸彫を一体整形/石工の天野勝五郎は嘉永6に地蔵尊を建立
3
  日向の庚申塔道標9 ひなた 伊勢原市   石道標 高85㎝(うち、台石20㎝),幅27㎝,厚26㎝ 安政4(1857)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p43) 原位置? (左面)「左、一之沢/大山、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  東大竹の勢至菩薩像道標 ひがしおおだけ 伊勢原市 光明院 石道標(尖頭角柱) 高64.5㎝,幅30.5
㎝,厚15㎝
文久2(1862)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p99) 発掘→再移設 (右面)「東 阿つき道」、(左面)「西 大山道」/正面頂部に勢至菩薩坐像の浮彫、その下に「勢至大菩薩」と陰刻 2 -
  上粕屋の地蔵道標 かみかすや 伊勢原市   石道標(丸彫) 高104.5㎝ 慶応年間(1865-68)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p60) 原位置? (台石正面)「左、津久井/日向道」、(台石右面)「南、十日市場/かなひ道」、(台石左面)「東、あつき/をぎ乃道」/台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる/紀年銘は「慶應□□□ 1
  下糠屋の庚申塔道標2 しもかすや 伊勢原市   石道標(笠付き) 高123㎝(うち、台石22.5㎝),幅30㎝,厚30.5㎝ 慶応2(1866)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p73) 原位置? (右面)「藤沢道」、(左面)「柏尾道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  日向の題目塔道標 ひなた 伊勢原市   石道標(自然石) 高144㎝(うち、台石25㎝),幅70㎝,厚31㎝ 慶応2(1866)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p46) 移設 (右面)「是より、一の沢/大山寺、へ通りぬけ道」/正面右上に「日本三薬師霊場」、正面に「(梵字)新道…」と陰刻→新参道開設の記念碑 2
写真 上粕屋の不動明王像道標 かみかすや 伊勢原市 石倉下公会堂・前庭
<中山道>
石道標(丸彫) 高197.5㎝ 江戸期?   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p83) 移設、集約/不動明王の両腕が欠損 (台石正面)「此方 ひらつ可みち」、(台石右面)「此方 者たのミち」、(台石左面)「右、いせ原/田む良/江乃島、道」、(台石裏面)「左、戸田/あつき/青山、道」/台石上に不動明王坐像(一面二臂、磐石)を載せる/「ミち」の標記は江戸期の可能性 3
  大山の庚申塔道標 おおやま 伊勢原市 (イヨリ)水呑地蔵 石道標 高110㎝,幅70㎝,厚55㎝ 江戸期?   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p127) 出土/頂部破損 (正面左下)「 小田ミち」/正面中央に「庚申塔」と陰刻 3
  白根の道祖神道標 しらね 伊勢原市   石道標(自然石) 高63㎝,幅44㎝,厚28㎝ 江戸期?   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p111) 原位置? (正面左下)「此方 十日市場道」、(右面)「此方/いせ原ミち」、(左面)
「むら道」/正面に「道祖神」と陰刻
1 -
  西富岡の石橋供養塔 にしとみおか 伊勢原市 幡蔵寺 石碑
(丸彫、道標兼)
高209㎝,幅39.5
㎝,厚33.5㎝
嘉永5(1852)   市教委(伊勢原市内の大山道と道標p55) 移設 (正面)「(梵字)石橋供養塔」、(右面右)「従是/大磯 三里 八王子 八里/江の嶋 七里 日本橋 廿里」、(同左)「かまくら 十里」/裏面に「青空や 実蒔原の/上雲雀」の句を刻字/頂部に不動明王坐像を載せる 2
  柏ケ谷の不動明王像道標 かしわがや 海老名市 赤坂 石道標(丸彫、砂岩) 高185㎝,幅38㎝,厚28㎝ 宝暦6(1756)   綾瀬市教育委員会 原位置?/刻字部がかなり剥離 (台石右面)「右 神…」、(台石左面)「左 江戸道」/台石上に不動明王坐像(一面二臂、背景に迦楼羅焔、三鈷剣、羂索、磐石)の丸彫を載せる 2
  杉久保南の道標 すぎくぼ、
みなみ
海老名市 (3丁目) 石道標(尖頭角柱、凝灰岩) 高57㎝,21㎝角 文化10(1813)   綾瀬市教育委員会 移設(もと、綾瀬市吉岡) (正面)「北 八王子道」、(右面)「南 ふし道/西 大山みち」、(左面左)「東 江道」 2 -
  門沢橋の不動明王像道標 かどさわばし 海老名市 <大山道> 石道標(丸彫) 高187㎝,幅75㎝,厚70㎝ 安政2(1855)   WEB 移設?/迦楼羅焔に彩色 (台石正面)「大山」/台石上に不動明王坐像(剣、羂索、磐石)の迦楼羅焔付き丸彫を載せる 2
  相模川旧堤防 さがみがわ 海老名市 相模川(左岸) 土堤防   文化末~文政年間
(1818-29)
  市教委        
写真 前川の不動明王像道標 まえかわ 小田原市 <大山道> 石道標(丸彫)   天保5(1834)   WEB 移設?/不動明王像に派手に彩色 (正面)「従是大山道」、(左面)「大やまみち」/頂部に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、背景に迦楼羅焔、磐石)の丸彫を載せる 2
  荻窪用水 おぎくぼ 小田原市 早川 用水路 長7㎞ 享和2(1802)   WEB C改修 百姓・川口廣蔵の提案で5つの村が協力して開削 3
  桜田隧道 さくらだ 小田原市 荻窪用水 素掘トンネル
(水路)
長340m,高1.5m 享和2(1802)   WEB 坑口C改修 荻窪用水に17ヶ所あるとされるトンネルの中で最長 3
写真 早川石丁場群・南側群の石丁場・跡 はやかわ 小田原市 早川 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」/「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」、他
保存状態良好 小口が3尺角程度の石垣用材を切り出し、恐らく何らかの理由により出荷することなく放棄された丁場/写真(左)は、1つの石から5本の石垣用材を切り出す途中の岩/切り出し範囲の直下では平らな面を作りだし、斜面下部では成形された石垣用材が100点以上ストックされている/写真(右)では、“+”は石を切り出すまでの刻印、その左下の「枡紋」は、成形し完成した段階での追刻→作業グループの違いを示す? 1 写真
写真 石橋海岸海底の石材群 いしばし 小田原市 石橋 残石
(安山岩、海底)
  慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「考古調査ハンドブック5」
波で動いている可能性 山から切り出した石垣用材を船で積み出した湊があったと推定される⇒湊自体の痕跡は認められないものの(波により破壊?)、石垣用材がまとまって分布/海底に残る石垣用材は、船に積み込む際に誤って海中へ落ちたものと考えられる/いろいろな形状の石材が存在→江戸城修築以外にも継続して使用されていた可能性→写真中央の円柱石材(径60㎝、長21㎝は用途不明) 2
写真 石垣山一夜城の石丁場・跡 いしがきやま 小田原市 石橋 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   大島慎一
/小田原市郷土文化館研究報告35
保存状態良好 石垣山一夜城(国史跡)内に展開/写真は城郭の西側斜面で石垣用材の切り出しが行われている範囲/城郭内には「此石カキ左右 加藤肥後守 石場」との銘文が刻まれた自然石もある/年代は慶長9-寛永9(1604
-32)の可能性も
1
写真 石橋石丁場群玉川支群河口の磯丁場・跡 いしばし、
たまがわ
小田原市 石橋 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」/「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 矢穴が穿たれた巨石が海岸線に点在する/矢穴列は3尺幅以外にも様々な大きさのものが見られることから、江戸城修築以降、断続的に切り出しが行われていた石丁場と考えられる 1
写真 石橋石丁場群南側の石丁場・跡 いしばし 小田原市 石橋 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」/「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 矢穴が穿たれた巨石や切り出された石垣用材が点在する/自然石の目立つ所に約20㎝ほどの大きさの刻印“井”→占有・所有を表示した可能性 1
写真 米神の磯丁場・跡 こめかみ 小田原市 米神 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 矢穴が穿たれた巨石が海岸線に点在する/矢穴列は3尺幅以外にも様々な大きさのものが見られることから、江戸城修築以降、断続的に切り出しが行われていた石丁場と考えられる 1
  入生田の石丁場・跡 いりゅうだ 小田原市 入生田 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/「江戸城・城下と伊豆石」 保存状態良好 吾性沢周辺に矢穴石が多数見られる/小口が3尺角以上の石垣用材が分布/刻印なし 1
写真 石橋石丁場群玉川支群中流域の石丁場・跡 いしばし、
たまがわ
小田原市 石橋 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」/「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 or 石垣用材は埋設 矢穴が穿たれた巨石は点在するが、切り出された石垣用材は見当たらない→みかん畑を整備する際、平らな土地にするため土を入れて石を埋めたとの話も/刻印なし 1-2
写真 石橋石丁場群玉川支群中流域の石丁場・跡 いしばし、
たまがわ
小田原市 石橋 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」/「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 or 石垣用材は埋設 矢穴が穿たれた巨石は点在するが、切り出された石垣用材は見当たらない→みかん畑を整備する際、平らな土地にするため土を入れて石を埋めたとの話も/刻印なし 1-2
写真 早川石丁場群・関白沢支群の石丁場・跡 はやかわ、かんぱくざわ 小田原市 早川 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/かながわ考古学財団調査報告213 広域農道小田原湯河原線の入生田~一夜城までの区間に架橋された箕ヶ窪橋直下だが、原位置 江戸城修復(石垣築造)のための石材切り出し場/この石丁場では3尺角程度の小口を持つ角石・平石のみを製作⇒石垣用材としては大型/切り出した石垣用材がかなりの数そのまま残されている/母岩→割り出し→整形→刻印→製品のストックヤードの製作工程が観察できる/刻印は2種類→“○”の中に“寸”と“十”→石垣用材の1つで“寸”をノミで欠き削り“十”を新たに刻み込んでいる→“寸”が先で後から“十”になった可能性/矢穴の大きさは長辺6.0-11.0㎝×短辺2.9-5.5㎝、深5.6-10.0㎝、矢穴間隔2.0-7.0㎝ 2
写真 久野山中の石丁場・跡 くの 小田原市 久野 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」/「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 沢沿いに矢穴石がある/沢の奥にも矢穴石が認められることから上流部に石丁場があった可能性も/刻印なし 1
  清水川中流部の石丁場・跡 しみずがわ 小田原市 米神 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 清水川中流から上流部にかけて展開/刻印は、石橋石丁場群玉川支群で確認された刻印と同様の“十” 1
  清水川支流井ノ倉沢中流部の石丁場・跡 しみずがわ 小田原市 米神 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 清水川支流の井ノ倉沢に展開/刻印なし 1
写真 石橋石丁場群玉川支群下流域の石丁場・跡 いしばし、
たまがわ
小田原市 石橋 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」/「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 or 石垣用材は埋設 矢穴が穿たれた巨石が1個(矢穴列は3尺を目途に穿たれている)/切り出された石垣用材は見当たらない→みかん畑を整備する際、平らな土地にするため土を入れて石を埋めたとの話も 1-2
写真 矢ノ根石
(石橋山古戦場の石丁場跡)
やのね 小田原市 石橋・米神 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
原位置/農道沿いに1個だけポツンと残ってる 農道沿いに見られる自然石に「四つ目結紋」と「角紋」の刻印→刻み方に差があるので異なる手→双方の刻印がそれぞれの石丁場の領域を示し、その境界を標示した可能性も考えられる/「四つ目結紋」は京極氏や尼子氏だが裏付ける資料はない/石の下部にある2つの穴は「佐奈田与一義忠が射抜いた矢が突き刺さった痕」との伝承がある 2
写真

久野の石丁場・跡

くの 小田原市 久野 石丁場(安山岩)   寛永5(1628)?   内田清/
小田原市郷土文化館研究報告37
三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」/「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
保存状態良好 単独で所在する自然石に2種の刻印→刻印の形から「有馬」や「毛利」などの大名家の家紋が想起される→文献資料等による裏付けなし/双方の刻印を持つ石丁場の境界を示す標示石の可能性/他に、「三つ葉柏」の刻印と「つるまき山いりから 沢切/くほ入まて 松平土佐守 石者」という銘が近くに刻字→土佐藩が丁場にするため予め占地したことを標示したものと推定される 1
写真 早川石丁場群・関白沢支群の石曳道・跡 はやかわ、かんぱくざわ 小田原市 早川 石曳道(1本) 長約20m 寛永年間(1624-44)   三瓶裕司/かながわ考古学財団調査報告213 広域農道により上下に分断/上部では凹状の地形が確認できる   3
  曽比の酒匂川霞堤 そび 小田原市 酒匂川(右岸) 土堤防 長約600m 江戸期     上流で開き、下流で閉じる直線形の霞堤が良好に残る   1
写真 円覚寺の参道橋 えんがく 鎌倉市 円覚寺・参道 石桁橋(反橋) 幅2.15m(2G) 天保4(1833)   WEB(鎌倉街道上道) 保存状態良好 細い2本の角柱橋脚上に小さな石をかませて横桁を置き、その上に3本の石桁を架け、橋面石を載せるタイプ/簡略化した擬宝珠 1
写真 八坂神社の石橋 やさか 鎌倉市 扇ガ谷、八坂神社参道 石桁橋(反橋) 長1.50m(G),
幅2.12m
慶応2(1866)   WEB(鎌倉街道上道) 保存状態良好 緩い円弧状の桁石を5枚並べる簡単な構造 1 -
写真 浄智寺の石橋 じょうちじ 鎌倉市 浄智寺参道 石桁橋 (2G) 江戸期?   現地調査 保存状態良好 小規模だが、石桁の上に橋面石を載せる/高欄に若干の装飾 1
写真 釈迦堂口洞門 しゃかどうぐち 鎌倉市   素掘トンネル   平安末期~鎌倉初期   明治期に入口部分を拡幅〔写真に映っている部分はオリジナル〕/通行止め 鎌倉七口の切通しではない/三浦惣領家の杉本義宗(1126-64)が開削した三浦大道(三浦と義宗邸を結ぶ近道)に造られたトンネルの可能性が高い/横浜市の「称名寺の洞門」が元亨3(1323)以前なので、釈迦堂隧道は近世以前で最大断面だけでなく、わが国最古の道路用トンネルであり、非常に価値が高い 1 写真
写真 亀ヶ谷坂 かめがやつさか 鎌倉市   切通し 長約100m 12世紀中葉 国史跡 /神奈川県の歴史散歩・下p.55 切通しは残るが、舗装され現在でも生活道として利用される 鎌倉七口の一つ/起源は鎌倉以前で、山ノ内と源義朝(1123-60)邸を結ぶ道として開かれたと思われる 2
写真 名越切通 なごえ 鎌倉市・逗子市   切通し 長約400m 天福元(1233)以前 国史跡 現地解説板/WEB 名越切通のほとんどは逗子市側にある/逗子側と違い切通しというよりは掘割に近い 鎌倉七口の一つ/『吾妻鏡』の天福元年8月18日の条に「名越坂」の記述がある/逗子側からの切岸の迫った部分を通らねばならず、天然の地形に人工を加えての防御/鎌倉期の道幅は不明だが、発掘調査によると江戸期には2m程(現在は1~1.5m)と考えられる/一時期は道幅を広げる工事も行われ、路面幅約3m、両側に排水溝も設けられたとされる 2
写真 朝夷奈切通 あさひな 鎌倉市・
横浜市(金沢区)
  切通し 長約1㎞ 仁治2(1241)着工 国史跡 WEB/神奈川県の歴史散歩・下p.55 深い切通しなど往時の雰囲気を鎌倉七口の中で最もよく残す 鎌倉七口の一つ/『吾妻鏡』の仁治元年11月30日の条に鎌倉と六浦との中間に道路を開く議が定まり、時の執権第三代北条泰時が自ら足を運んだとある/良港のなかった鎌倉にとって六浦津を外港として確保できたことは重要な成果であった→北条4代が六浦・金沢に居を構え、金沢氏と称し称名寺と金沢文庫を創建した 1 写真
写真 巨福呂坂 こぶくろざか 鎌倉市   切通し 長約250m 建長2(1250)以前 国史跡 WEB/神奈川県の歴史散歩・下p.55 新道となり痕跡だけ残して消滅 鎌倉七口の一つ/『吾妻鏡』の建長2年6月3日の条に巨福呂坂の改修工事が指示されている/鶴岡八幡宮石段下を北西に一直線に進む道で,聖天社を左にみて山裾を進む坂路 3
写真 仮粧坂 けわい 鎌倉市   切通し 長約0.5㎞ 建長3(1251)以前 国史跡 現地解説板/WEB 長くはないが、切通しや切岸が残る 鎌倉七口の一つ/『吾妻鏡』の建長3年12月3日の条に「気和飛坂山上」の記述がある/鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける鎌倉街道上道の出入口に当たる→開削年代が、鎌倉幕府開設の時代まで遡ったとしてもおかしくはない/発掘調査により火葬跡も発見され、葬送の地でもあった 1
写真 極楽寺坂切通 ごくらくじざか 鎌倉市   切通し   鎌倉期?   /神奈川県の歴史散歩・下p.54 途中の成就院の山門の高さまで上る切通しであったが、後世大幅に掘り拡げられたため旧状はほとんど留めていない 鎌倉七口の一つ/忍性により極楽寺を開山する際に開いたという説もあるが、古代東海道であった可能性も高いと指摘されている 3
写真 釈迦堂口の小切通 しゃかどう、こ 鎌倉市 大町釈迦堂口遺跡 切通し   13世紀以降? 国史跡 WEB/WEB(鎌倉街道上道) 保存状態良好 大町釈迦堂口遺跡は13世紀以降に建てられた寺院跡とされる→保存状態が良いことから13世紀以降と考えるのが妥当であろう 1
写真 大仏切通 だいぶつ 鎌倉市   切通し   13世紀後期? 国史跡 /神奈川県の歴史散歩・下p.54 明治期も開削が続けられたが、トンネルが開通してからは利用されなくなった/崩壊箇所があって全行程を歩くことは不可能 開削時期を示す史料はないが、鎌倉時代以前の可能性もあると指摘されている(古代東海道の分枝道) 3
写真 谷戸坂の切通 やとざか 鎌倉市   切通し   江戸期? 鎌倉景観100選指定 WEB 保存状態良好/金網で遮断され通行禁止 小袋谷で鎌倉街道から分岐し、山沿いの道を深沢を経由して津村・腰越村・龍ノ口を経て江ノ島に至る江ノ島道の切通し/両側に高い崖が切り立った切通し/青蓮寺との関連で開削されたとすれば、もっと古い 2
写真 高野の切通 たかの 鎌倉市   切通し   不詳 鎌倉景観100選指定 WEB 両側が迫り、保存状態は良い 山ノ内と六浦を結んでいたといわれる尾根道 1
写真 大船の切通 おおふな 鎌倉市   切通し   不詳   WEB 距離は短いが、保存状態は良い 熊野神社と多聞院の背後を通る切通し 2
写真 腰越の江の島道標 こしごえ 鎌倉市 (2丁目)鎌倉腰越行政センター<江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃   湘南ふじさわウオーキング協会 移設/中央で水平に折損→修復 (正面)「(梵字)ゑ能し満道」(=江の島)/鍼医・杉山検校が藤沢宿から江の島へ続く約4㎞の江の島道に建立したと伝えられる→12基が藤沢市内に、1基が鎌倉市、1基が世田谷区に現存/17世紀の道標 2
写真 植木の道標1 うえき 鎌倉市 竜宝寺

石道標(駒型)

高59㎝,幅27㎝,厚18㎝ 宝永4(1707)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「従是右 かまくら道」、(右面)「是より左 ふし…」 2 -
  梶原の庚申塔道標 かじわら 鎌倉市 (1丁目) 石道標 高53㎝,幅22㎝,厚20㎝ 享保3(1718)   WEB 移設→個人宅 (左面)「右 はせみち/左 かまくら、道」/正面に「庚申供養」と陰刻、下部に“三猿”の陽刻 4 -
写真 長谷の地蔵道標 はせ 鎌倉市 盛久頸座 石道標(尖頭角柱) 高61㎝(うち、台石16㎝),幅29㎝,厚26.5㎝ 享保5(1720)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (右面)「右、光触寺道/宮の下江すぐ道」、(左面)「左 八まん宮江の道」/正面に地蔵立像(蓮台)の浮彫り、像右に「波阿弥陀佛」と陰刻 2
写真 小袋谷の如意輪観音像道標 こぶくろや 鎌倉市 <鎌倉街道・中道と上道支線の分岐点> 石道標
(駒型、安山岩)
高100㎝(うち、台石8㎝),幅40㎝,厚22㎝ 享保12(1727)   市教委/WEB(鎌倉街道上道) 原位置 (正面像下)「右 とつか/左 藤さ王、道」/正面頂部に如意輪観音の半跏坐像(光輪、蓮台)の浮彫り 1
写真 岡本の地蔵道標 おかもと 鎌倉市 玉縄首塚 石道標(駒型) 高86㎝(うち、台石18㎝),幅33㎝,厚15㎝ 享保13(1728)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約/顔が削欠 (正面像右)「右 者多志由くミち」(=畑宿)、(同左)「左 婦じさ王ミち」(=藤沢)/正面に地蔵立像(光輪、蓮台)の陽刻 3
写真 雪ノ下の庚申塔道標1 ゆきのした 鎌倉市 (3丁目)交差点・角 石道標 高62㎝,幅24㎝,厚18㎝ 延享2(1745)   WEB 原位置? (右面)「右 金沢道」、(左面)「左、ゑがら天神宮/大宮土ろう/瑞泉寺一らんてい、道」(=荏柄天神,大塔宮土牢,徧界一覧亭)/正面に「庚申供養」と陰刻、頂部に“一猿”の陽刻 1 -
写真 佐助の道標 さすけ 鎌倉市 佐助稲荷・参道口 石道標 高117㎝,23㎝角 寛政2(1790)   WEB(鎌倉街道上道) 移設? (正面)「佐助稻荷道」 2
写真 坂ノ下の道標 さかのした 鎌倉市 力餅屋・前、
御霊神社・参道口
石道標(尖頭角柱) 高153㎝(うち、台石31㎝),幅30㎝,厚27㎝ 寛政3(1791)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置 (正面)「五靈社 鎌倉權五郎景政」、(左面)「者せく王ん音 春く道」(=長谷観音すぐ)/庚申講の寄進だが庚申塔道標ではない 1
  岩瀬の庚申塔道標 いわせ 鎌倉市 西念寺 石道標 高76㎝,幅29㎝,厚27㎝ 寛政12(1800)   WEB 移設 (右面)「右、いしろ坂/阿つぎ、道」、(左面)「左 藤沢」/正面に「庚申供養塔」と陰刻 2 -
  津西の庚申塔道標 つにし 鎌倉市 (2丁目) 石道標 高60㎝,幅24㎝,厚16㎝ 寛政12(1800)   WEB 原位置? (右面)「是より、たつのくち/江のし満」/正面に「庚申供養」と陰刻、頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻 1 -
写真 浄明寺の庚申塔道標 じょうみょうじ 鎌倉市 浄明寺バス停・近く 石道標 高81㎝(うち、台石10㎝),幅24㎝,厚14.5㎝ 寛政12(1800)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (右面)「左 一者ん 春きもと道」、(左面)「二者"ん い王との江 はし与り入」/正面に「庚申供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻/天端に、うつ伏せになった猿の浮彫り→鎌倉の道標の特徴 2
写真 大船の庚申塔道標1 おおふな 鎌倉市 常楽寺 石道標 高78㎝,幅17.5㎝,厚25㎝ 享和3(1803)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (右面)「粟舩毛ん壽ほさ川道」(=粟船文殊菩薩)、(同最下部右)「粟舩山」、(同左)「常樂寺」、(裏面)「かまくら 雪下道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻/天端に、うつ伏せになった猿の浮彫り→鎌倉の道標の特徴 2
写真 大船の庚申塔道標2 おおふな 鎌倉市 湘南大船マンション敷地内 石道標(隅丸型) 高74㎝(うち、台石16㎝),幅30㎝,厚16.5㎝ 享和3(1803)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面左下)「本り下 とつ加/ふじさ王道」、(右面)「此方 山のね上/か満く良道」、(左面)「此可多/久みようぢ道」(=弘明寺)/正面に「(梵字3)青面金剛童子供養塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2 -
写真 手広の道標 てびろ 鎌倉市 青蓮寺 石道標 高92㎝,幅24㎝,厚22㎝ 文化6(1809)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面)「江のし満道」 2
写真 極楽寺の庚申塔道標 ごくらくじ 鎌倉市 極楽寺坂切通 石道標(笠付き) 高114㎝(うち、台石19㎝),幅28㎝,厚19㎝ 文化9(1812)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (右面)「左 江のしま道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風 2
写真 扇ガ谷の庚申塔道標 おうぎがやつ 鎌倉市 寿福寺・前 石道標(尖頭角柱) 高96㎝(うち、台石27㎝),幅31㎝,厚25㎝ 安政7(1860)   WEB(鎌倉街道上道) 移設、集約 (右面)「川上 藤沢宿/川下 八幡前、道」、(左面)「此方、長谷觀音/江嶋弁天、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
写真 植木の題目塔道標 うえき 鎌倉市 久成寺前公園角 石道標(駒型) 高87㎝(うち、台石21㎝),幅30㎝,厚19㎝ 万延元(1860)   WEB(鎌倉街道上道)

移設

(右面)「右 かまくら道」、(左面)「左 ふし沢道」/正面に「帝釋天王」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻/下記「植木の道標2」と並ぶ 2
  台の庚申塔道標 だい 鎌倉市 神明神社・階段下 石道標 高78㎝,幅30㎝,厚20㎝ 万延元(1860)   WEB   (左面)「左 江之嶋道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”、下部に“三猿”の陽刻  
写真 植木の道標2 うえき 鎌倉市 久成寺前公園角 石道標 高108㎝(うち、台石20㎝),幅34㎝,厚32㎝ 天明2(1782)?
or 慶応2(1866)?
  WEB(鎌倉街道上道)

移設

(正面)「右/從是 鎌倉道」、(右面)「是より こつ…」、(左面)「こ連…」/裏面に「…二寅(?)歳」とあり、「二寅」の組合せは天明2か慶応2のみ/“一猿”の陽刻があるというWEB情報もあるが、庚申塔道標ではない/上記「植木の題目塔道標」と並ぶ 2
写真 雪ノ下の庚申塔道標2 ゆきのした 鎌倉市 関取場跡 石道標 高92㎝(うち、台石22㎝),26㎝角 慶応2(1866)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (右面)「左、かくをんじ/やくしくろ地蔵/大山高養(?)不動」(=覚園寺,薬師黒地蔵,高養山浪子不動)、(裏面)「右、杉本くわんおん/加なざハ、道」/正面に「青面金」(緑字は異体字)と陰刻 2
写真 十二所の橋供養塔 じゅうにそ 鎌倉市 金沢道の泉水橋 石碑(駒型) 高50㎝,幅25㎝,厚14.5㎝ 文政6(1823)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「泉水橋/(梵字)橋供養 1 -
写真 雪ノ下の道供養塔 ゆきのした 鎌倉市 巨福呂坂切通石仏群 石碑(笠付き) 高92㎝(うち、台石9㎝),幅26.5㎝,厚21㎝ 天明8(1788)   WEB(鎌倉街道上道) 移設 (正面像下)「道造供養塔」、(左面)「道間數百廿三間堀間数/百九拾六間浚二尺五寸」/正面頂部に地蔵坐像(蓮台)の浮彫り 2
写真 十二所の道供養塔 じゅうにそ 鎌倉市 朝夷奈切通の峠付近の小さな岩窟内 石碑(尖頭角柱) 高80㎝(うち、台石16㎝),幅25㎝,厚17㎝ 文化9(1812)   WEB(鎌倉街道上道) 原位置? (正面)「道造供養塔」 1
写真 和賀江嶋築港・跡 わがえじま 鎌倉市 相模湾 築港遺跡(石積)   貞永元(1232) 国史跡 WEB 干潮時に巨石の石積みが見られる/所々に根石と思われる相当大きな石や瓦礫が残る 現存する日本最古の築港遺跡/勧進僧・往阿弥陀仏が、三代執権・北条泰時に進言して造ってもらった/遠浅で風波が荒く、難破・破損する船が多かったため、防波堤の役割を果たしたと考えられる/大きな根石を置き、その上に丸石を積みあげて築造 3 写真
  六方の井   鎌倉市   石積井戸 4.5m×3.6m 古代?   WEB 小さな池状 弘法大師の伝承あり 2
写真 甘露の井 かんろ 鎌倉市 浄智寺・山門脇 石井戸   久安3-正治元(1147-99)   WEB 竹で組まれた蓋で上部を覆われる 鎌倉十井の一つ/浄智寺境内にある井戸も甘露の井とされる/源頼朝により寄付されたとの伝承 2
写真 十六の井 じゅうろく 鎌倉市 海蔵寺 石井戸 径約70㎝×16 鎌倉期   「井戸」だと誤解されている 矩形断面にきれいに穿たれた岩窟の正面中央上部に正観音菩薩立像を祀り、底面一杯に4×4=16個の円形の穴が並ぶ→すべて穴から湧き水が出ているため井戸とされているが、実際には常滑焼の壷を置くための穴が並んだ岩蔵であった→対象外    
写真 底脱の井 そこぬけ 鎌倉市 海蔵寺 石井戸 径1-1.3m 13世紀後半以前   現地解説板/WEB 崖崩れにより埋もれ海蔵寺門の左側に移設、その後右側の元の位置に再移設 鎌倉十井の一つ/中世の武将・安達泰盛(1231-85)の娘の千代能が水を汲みに来た時、水桶の底が抜けたため「千代能がいただく桶の底脱けて、水たまらねば月もやどらず」と詠ったことから、名が付いたと言われる 4
写真 星月の井 ほしづき 鎌倉市   石井戸   慶長5(1600)以前   WEB 井戸枠は恐らく江戸期のもの/鉄蓋 鎌倉十井の一つ/慶長5(1600)に家康が井戸を見物したとの記述が後年の『新編相模国風土記稿』(1841)にある/井戸の中に昼間も星の影が見えたことから付いた名称と言われる/行基にまつわる伝承もある 2
写真 泉の井 いずみ 鎌倉市   石積井戸   延宝2(1674)以前   WEB 保存状態良好/現役 鎌倉十井の一つ/『鎌倉日記』(1674)には「泉井谷の辺に潔き水涌出る也」と記載 1
写真 六角の井(矢根の井) ろっかく 鎌倉市   石積井戸(八角)   貞享2(1685)以前   WEB 屋根付きの覆屋内→格子で井戸が見えにくい/草が茂る 鎌倉十井の一つ/『新編鎌倉志』(1685)に「此村の南に六角の井と云名水あり。鎌倉十井の一つなり。石にてたゝみたり」と記載/八角のうち六角が鎌倉分 3
  銚子の井(石井の井) ちょうし 鎌倉市   石井戸   貞享2(1685)以前   WEB 石蓋がある 鎌倉十井の一つ/『新編鎌倉志』(1685)に「長勝寺は石井山と沸す。名越へ通る道の南の谷にあり。寺内に岩を切り抜きたる井あり。鎌倉十井の一なり」と記載/石をくり抜いた枠 2
  扇の井 おうぎ 鎌倉市   井戸   貞享2(1685)以前   WEB 個人宅 鎌倉十井の一つ/『新編鎌倉志』(1685)に「山の根に岩を扇の地紙の形に鑿り、内より清水湧き出づ。扇の井と名く。鎌倉十井の一つ也」と記載 4
写真 鉄の井 くろがね 鎌倉市   石井戸   元禄12(1699)   WEB 井戸枠の保存状態不良 鎌倉十井の一つ/元禄12に井戸から鉄の観音像の頭(正嘉2(1258)の火災時のもの)が出てきたことから命名 3
写真 名越の切通しの井戸 なごえ 鎌倉市 名越の切通し 石井戸   近世以前?   現地調査 周囲にフェンスは設置されるが放置 井戸枠の形態から近代ではないと思われる 2
  瓶の井(甕の井) つるべのい 鎌倉市 宗猷堂 井戸   江戸期     現役 鎌倉十井の一つ/岩盤を垂直に掘り抜いた井戸    
  高石の庚申塔道標 たかいし 川崎市(麻生区) (2丁目) 石道標(笠付き) 高63㎝,幅52.5㎝,厚15㎝ 宝暦2(1753)   川崎の道標p26-27・68-69 移設? (右面右下)「是ヨリ あミた道」/正面に青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 2
  栗木台の庚申塔道標 くりぎだい 川崎市(麻生区) (4丁目) 石道標(尖頭角柱) 高71㎝,幅32㎝,厚28㎝ 天明2(1782)   川崎の道標p27・69 移設 (右面左)「右 府中道」、(左面右)「リ 八王子道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼)の陽刻 2
  王禅寺の道祖神道標 おうぜんじ 川崎市(麻生区) 琴平神社・参道下 石道標(隅丸型) 高69㎝,幅24㎝,厚13㎝ 文化3(1806)   川崎の道標p27・69 移設/2つに折損/上半分のみC固定/下半分は放置 (右面)「右 星宿山」、(左面)「左 二子/南 大山」/正面に「道」と陰刻 4 -
  上麻生の馬頭観音像道標 かみあさお 川崎市(麻生区) 浄慶寺 石道標 高88㎝(うち、台石22㎝),幅37㎝,厚27.5㎝ 文政12(1829)   川崎の道標p28・70 移設 (台石右面)「東 江戸道」、(台石左面右端)「南 かな川/道」、(同左端)「西 八王子/道」/正面に馬頭観音立像(三面八臂)の陽刻 2
  王禅寺の馬頭観音道標 おうぜんじ 川崎市(麻生区) 王禅寺 石道標(尖頭角柱) 高60㎝,幅27.5㎝,厚18.5㎝ 天保8(1837)   川崎の道標p28・70-71 移設 (正面左下)「南 大山道」、(右面)「右 二タ子の渡し」、(左面左)「左 府中道」/正面中央に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2 -
  細山の石橋供養塔 ほそやま 川崎市(麻生区) 香林寺 石碑   安永7(1778)   市教委 移設 (裏面)「村中石橋供養」 2  
  王禅寺の石橋供養塔 おうぜんじ 川崎市(麻生区)   石碑 高100.5㎝,幅25.5
㎝,厚23㎝
文政12(1829)   市教委   (正面)「(梵字3)石橋供養塔」 2
  大師駅前の石橋 だいし 川崎市(川崎区)   石桁橋   天保4(1833)   市教委   大師参道九橋の一つ    
写真 大師町の道標1 だいし 川崎市(川崎区) 平間寺<大師道> 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高170.5㎝,幅52
㎝,厚47㎝
寛文3(1663) 市歴史重要記念物 現地解説板/市教委/川崎の道標p1・31-3 移設
(もと、川崎宿下手の土居)
(正面中央)「從是 弘法大使江之道」、(右面・左面)「こう本"う大し江のみち」/庶民信仰の霊場であった平間寺への参詣路を示す道標(川崎宿で東海道と大師路の岐路にあった)/『東海道分間絵図』(1690)、『駅路の鈴』(1709)、『川崎宿船場町絵図』(1765)にも描かれている/17世紀の道標 2
  大師町の道標2 だいし 川崎市(川崎区) 平間寺・観音堂前
<大師道>
石道標(尖頭角柱) 高102㎝,幅26㎝,厚18.5㎝ 元文6(1741)   市教委/川崎の道標p2・33 移設 (正面)「是ヨリ左 弘法大師路」、(左面)「これより 加をほう大しみち」 2
写真 大師町の道標3 だいし 川崎市(川崎区) 平間寺・山門前<大師道> 石道標(尖頭角柱) 高147.5㎝,幅32
㎝,厚26㎝
安永5(1776)   市教委/川崎の道標p1・32-33 移設 (正面)「従/是、石観音道、七/町」、(右面)「従/是、石観音道、七/甼」/初代は貞享元(1684)され、損壊したため安永5に再建立 2
  渡田の庚申塔道標 わたりだ 川崎市(川崎区) さつき歩道橋・際 石道標(隅丸型) 高105㎝,幅35.5
㎝,厚23㎝
文政10(1828)   川崎の道標p2・34-35 移設、集約/折損した下半分(高76.5㎝)は埋設 (正面像下中央)「南 此方、渡田村道/小田村道」、(右面)「東 此方、大嶋村/大し、道」、(左面)「西 此方 川さき」、(裏面)「北 此方 川さき 」/正面頂部を矩形に削り込み青面金剛坐像(六手合掌、三猿)の陽刻 4
  旭町の道標 あさひ 川崎市(川崎区) 旭町小学校・校庭
<大師道>
石道標 高94㎝,幅25㎝,厚15㎝ 江戸期   川崎の道標p3・35-36 移設/頂部で折損→不自然な修復 (正面)「これよ利左 多いしミち」、(左面)「…法大師道」/「ミち」の標記は江戸期の可能性 3
  観音の石橋供養塔 かんのん 川崎市(川崎区) 石観音堂・門前 石碑
(舟型、道標兼)
高66.5㎝,幅34㎝,厚25㎝ 寛延2(1749)   川崎の道標p2・34 原位置? (光背右)「石橋供養佛」、(同左)「右 く王んおん道」/光背中央に如意輪観音の半跏坐像を陽刻/石観音堂の南側の道は、かつて観音川と呼ばれていた→その川に架かっていた石橋の供養塔 1 -
  幸町の供養塔道標 さいわい 川崎市(幸区) (3丁目) 石道標 高142㎝,幅35.5
㎝,厚23㎝
文化4(1807)   川崎の道標p3・36-37 移設? (裏面)「右 やぐちミち/左 川さきみち」/正面に「(梵字)月山/湯殿山/羽黒山、百番供養塔」と陰刻 2
  塚越の円柱道標 つかごし 川崎市(幸区) 御嶽神社<神奈川道> 石道標(円柱) 高95㎝,径18㎝ 文政12(1829)   川崎の道標p4・36-37 移設 (右 いけがみ 品川道/南 かな川みち/左 上いなげ道」/円柱道標は珍しい 2
  神明町の地蔵道標 しんめい 川崎市(幸区) 静翁寺 石道標(隅丸型) 高120.5㎝(うち、塔身74㎝),幅27
㎝,厚18㎝
嘉永3(1850)   道標とともにp28/
川崎の道標p4・37
移設 (右面)「右 いなけ 八王子道」、(左面)「左 市場 神奈川道」/正面頂部を火灯窓型に削り込み地蔵坐像(錫杖、蓮台)を陽刻、その下に「西國/秩父/坂東、順禮供養塔」と陰刻 2
  紺屋町の石橋供養塔 こんや 川崎市(幸区)   石碑 高115㎝,幅33㎝,厚23㎝ 文化14(1817)   市教委   (正面)「石橋供養塔」  
  南加瀬の敷石供養塔 みなみかせ 川崎市(幸区) 長弘寺 石碑 高60㎝,幅25㎝,厚13㎝ 明和3(1766)   市教委 原位置? (正面)「敷石建立願主」   -
  都町の敷石供養塔 みやこ 川崎市(幸区) 延命寺 石碑 高86㎝,幅29㎝,厚21㎝ 文化7(1810)   市教委 原位置? (正面)「(梵字)天下泰平/(梵字)奉建立敷石供養塔先祖為菩提/(梵字)國土安全」 1
  小倉の敷石供養塔 おぐら 川崎市(幸区) 無量院 石碑 高100㎝,幅30㎝,厚23㎝ 嘉永6(1853)   市教委 原位置? (正面)「龍燈觀音敷石供養塔」 1
  末長の庚申塔道標 すえなが 川崎市(高津区)   石道標(駒型) 高66.5㎝,幅30㎝,厚15.5㎝ 宝暦12(1762)   川崎の道標p7・40-41 何度も移設/簡易覆屋内 (左面)「左 やうこうじ道/右 大山道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、二猿)、台石正面に“一猿”の陽刻 2
  溝口の庚申塔道標 みぞのくち 川崎市(高津区) <稲毛道>片町交差点 石道標(尖頭角柱) 高97㎝(うち、台石23㎝),幅28㎝,厚18㎝ 文化3(1806)   川崎の道標p7・41/
横浜の古道p6
原位置? (右面)「西 大山道」、(左面左)「東 江戸道」、(裏面)「南 加奈川道」/正面の上2/3を隅丸矩形に削り込み青面金剛立像(六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 1
  千年の供養塔道標 ちとせ 川崎市(高津区) 能満寺・参道 石道標 高110㎝(うち、塔身63㎝),幅29.5
㎝,厚23㎝
文政3(1820)   川崎の道標p8・43 原位置? (左面頂部)「左/屋くし/みち」/正面に多摩川の仮橋を渡っている時に溺死した能満寺僧・要海の往生を祈願する内容の長文の刻字 1
  溝口の道標 みぞのくち 川崎市(高津区) 宗隆寺・門前 石道標 高84㎝,幅24㎝,厚22㎝ 文政12(1829)   川崎の道標p9・44/
道標とともにp29
移設? (正面右上端)「是ヨリ北」、(同中央)「高幡不動尊道」、(同左下端)「南 川崎道」、(右面)「東 青山道」、(左面右)「西 大山道」、(裏面)「北、登戸エ一リ 大丸エ二リ 高幡エ二リ/日野エ十町余 八王子エ二り」 2
  久地の道標 くじ 川崎市(高津区)   石道標 高75㎝,幅20㎝,厚13.5㎝ 嘉永7(1854)   川崎の道標p10・44-45 移設→個人宅(基部露出) (正面)「左、み楚の口/か王さき、道」、(左面)「りと/宿、道」 4 -
  梶ケ谷の供養塔道標 かじがや 川崎市(高津区)   石道標 高106.5㎝(うち、塔身73.5㎝),幅29㎝,厚28㎝ 文久元(1861)   川崎の道標p10・45-46 移設/下部C埋設 (台石正面右端)「右/ふち…」、(同左端)「かな…/左」/正面に「(梵字3)奉納、四國西國/秩父坂東、供養塔」と陰刻 3
  久本の馬頭観音像道標 ひさもと 川崎市(高津区)   石道標(駒型) 高65㎝,幅33㎝,厚20㎝ 慶応4(1868)   川崎の道標p11・46 移設 (右面)「右リ、影向寺薬師/かな川、道」、(左面右)「 溝口 府道」、(同左)「左 小杉 川崎道」/正面に馬頭観音の半跏坐像(三面八臂、蓮台)の陽刻、左面中央に「庚申塔」と陰刻 2
  坂戸の石橋供養塔1 さかど 川崎市(高津区)   石碑 高125㎝,幅30㎝,厚24.5㎝ 寛政5(1793)   市教委   (正面)「(梵字)、天下泰平/石橋供養塔/國土安全」(資料には高12.5㎝とあったが、誤植だと解釈して掲載)  
  坂戸の石橋供養塔2 さかど 川崎市(高津区)   石碑 高77㎝,幅36㎝,厚20.5㎝ 寛政5(1793)   市教委   (右面)「川崎領用水堀/石橋建立成就祈修」   -
  溝口の石橋・敷石供養塔 みぞのくち 川崎市(高津区) 宗隆寺 石碑 高50㎝,幅28㎝,厚18㎝ 文政元(1818)   市教委   (正面)「南無妙法蓮華経、石橋/敷石、門内門外供養塔」   -
  下作延の石橋供養塔 しもさくのべ 川崎市(高津区) 上之橋・際 石碑 高75㎝,35㎝角 慶応3(1867)   市教委 原位置? (正面)「石橋供養塔」、(左面)「十万多力/村中助力」 1 -
  生田の道標 いくた 川崎市(多摩区) 日本民家園 石道標 高80㎝,幅37㎝,厚20㎝ 寛政11(1799)   道標とともにp31/
川崎の道標p18・59-60
移設 (正面中央)「西 八をうじ道」、(右面)「右 加王さき道」、(左面)「左り のミち」 2
  生田の庚申塔道標 いくた 川崎市(多摩区) 日本民家園 石道標(尖頭角柱) 高67㎝,幅27㎝,厚24㎝ 享和2(1802)   道標とともにp31/
川崎の道標p19・60-61
移設 (正面左)「南 神奈川道」、(右面)「東、江戸/登戸、道」、(左面)「西、大山/長津田、道」、(裏面左)「北 八王子道」/正面中央に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2 -
  菅北浦の馬頭観音道標 すげ、
きたうら
川崎市(多摩区) 薬師堂 石道標 高86.5(うち、台石21.5㎝),24㎝角柱 文化12(1815)   川崎の道標p19・61 移設 (左面)「西 府中/北 布田 五宿、道」/正面に「馬頭觀世音」と陰刻 2
  枡形の題目塔道標1 ますがた 川崎市(多摩区) 広福寺 石道標(五輪塔) 高121.5㎝,幅30
㎝,厚29㎝
文政5(1822)   川崎の道標p20・61-62 移設/五輪の保存状態完全 (右面)「西 大山道」、(左面)「東 江道」、(裏面左)「南、のし/かまくら、道」/正面に「(梵字)廿三夜塔」と陰刻/五輪型の道標は極めて稀 2
  東生田の馬頭観音像道標 ひがしいくた 川崎市(多摩区) (4丁目) 石道標(蒲鉾型) 高54㎝(塔身のみ),幅25.5㎝,厚16㎝ 文政9(1826)   川崎の道標p20・62 原位置 (右面左)「右リ 押沼谷」、(左面)「左 上菅生道」/正面に馬頭観音立像(三面八臂)の陽刻 1
  枡形の題目塔道標2 ますがた 川崎市(多摩区) (5丁目)根岸橋・下 石道標(駒型) 高58(うち、台石13㎝),幅18㎝,厚9㎝ 弘化4(1847)   川崎の道標p20・62-63 移設 (正面最下部右)「江ノ嶋道」、(同左)「かまくら道」、(右面)「東 江戸道」、(左面)「西 大山道」/正面に「修道六神」と陰刻 2 -
  中野島の石橋供養塔 なかのしま 川崎市(多摩区) 稲荷神社 石碑   明和9(1772)   市教委 移設 (正面)「□□橋一永代不往来」、(左面)「永代橋造立施主…」 2  
  生田の石橋供養塔 いくた 川崎市(多摩区)   石碑 高51㎝,幅20.5㎝,厚18㎝ 天保2(1831)   市教委 移設→個人宅 (正面)「(梵字)石橋供養塔」 4 -
  上丸子山王町の庚申塔道標 かみまるこ、さんのう 川崎市(中原区) 日枝神社 石道標(駒型) 高67.5㎝,幅26㎝,厚17㎝ 文化14(1817)   川崎の道標p4・37-38 移設 (右面)「右むかい かわら道」、(左面)「左 かわさき道」/正面に「庚申」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2 -
  宮内の道標 みやうち 川崎市(中原区) 薬師前・バス停 石道標 高121㎝(うち、台石27㎝),幅22㎝,厚20㎝ 文政7(1824)   市教委/
道標とともにp29/
川崎の道標p5・38
原位置? (正面右上)「行基菩薩御作」、(同中央)「藥師如來」(=常楽寺の薬師如来)、(同左下)「春日山」、(右面右)「右、小春ぎ/川左起」(=小杉,川崎)、(左面)「左、みそのくち/八王うし」 1
  小杉御殿町の庚申塔道標
(中原街道庚申塔)
こすぎ、
ごてん
川崎市(中原区) (2丁目)
<中原街道・八王子道>
石道標(駒型) 高108㎝(うち、台石28㎝),幅36㎝,厚25㎝ 天保14(1843)   川崎の道標p5・39/WEB 原位置?/木祠内 (台石正面)「南 大師道」、(台石右面)「西 大山道/東 江戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 1
  小杉御殿町の題目塔道標 こすぎ、
ごてん
川崎市(中原区) (1丁目) 石道標(笠付き) 高64㎝(うち、台石27㎝),幅40㎝,厚32㎝ 弘化5(1848)以前   川崎の道標p6・39-40 移設 (台石正面右端)「 江戸…」、(同左端)「西 中原…」/正面に「南無妙法蓮華経日蓮大菩薩」と陰刻/塔身と台石は別個体→台石の方が古いと考えられている 2 -
  中丸子の庚申塔道標 なかまるこ 川崎市(中原区) 神明寺 石道標(駒型) 高65.5㎝,幅24㎝,厚20㎝ 文久元(1861)   道標とともにp28/
川崎の道標p6-7・40
移設 (正面下部)「北 丸子王たし/江戸ミち」、(右面)「右、加な川/川さき、道」、(左面)「左」/正面上部に「庚申」と陰刻 2 -
  宮内の敷石供養塔 みやうち 川崎市(中原区) 常楽寺 石碑 高66㎝,幅19.5㎝,厚14㎝ 安政5(1858)   市教委 原位置? (正面)「敷石供養塔」 1 -
  小杉御殿町の敷石供養塔 こすぎごてん 川崎市(中原区) 西明寺 石碑 高92㎝,幅75㎝,厚22㎝ 元治元(1864)   市教委 原位置? (正面)「略敷石供養塔」 1
  鷺沼の馬頭観音像道標 さぎぬま 川崎市(宮前区) (9丁目) 石道標(笠付き) 高96㎝,幅29㎝,厚17.5㎝ 文化2(1805)   川崎の道標p13・51-52 移設/祠内/像容もわからないjほど剥離が進行 (右面右)「道」(王禅寺道)、(左面)「道」(大山道)/正面に馬頭観音像の陽刻/笠正面に唐破風 3
  神木本町の庚申塔道標 しぼくほん 川崎市(宮前区) (4丁目) 石道標(尖頭角柱) 高63㎝,幅24㎝,厚15㎝ 文化12(1815)   川崎の道標p13・53 原位置? (右面)「東 二子道」、(左面)「西 王せんし道」、(裏面)「北 ふちう道」/正面に「庚供養塔」と陰刻 1 -
  野川の庚申塔道標 のがわ 川崎市(宮前区) 影向寺・門前 石道標(駒型) 高98㎝(うち、台石26㎝),幅32㎝,厚18.5㎝ 文政14(1829)   川崎の道標p14・47 移設/C覆屋内 (右面)「南 此方 神奈川道」、(左面)「東 江戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻 2
  野川の供養塔道標1 のがわ 川崎市(宮前区)   石道標(尖頭角柱) 高145㎝(うち、塔身92㎝),幅36.5
㎝,厚32㎝
天保9(1838)   川崎の道標p14-15・55-56   (左面)「西 大山/東 江戸、道」/正面に「(梵字3)奉拝禮、四國西國/秩父坂東、供養塔」と陰刻/塔身の下に大きな蓮台 2
  土橋の馬頭観音道標 つちはし 川崎市(宮前区) 正福寺・入口 石道標(駒型) 高63㎝,幅24㎝,厚14.5㎝ 天保12(1841)   川崎の道標p15・53 移設 (正面左下)「南 大山道」、(右面)「東 二子道」、(左面)「西 王禅寺道」、(裏面)「北 登戸道」/正面中央に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻 2 -
  初山の馬頭観音道標 はつやま 川崎市(宮前区) (2丁目) 石道標 高80㎝(うち、台石22㎝),幅28.5㎝,厚27.5㎝ 弘化3(1846)   川崎の道標p15・53-54 移設 (右面)「東 二子道」、(左面)「西 王せんじ道」/正面中央に「馬頭觀音大士」と陰刻 2
  菅生の道標 すがお 川崎市(宮前区) (1丁目)三叉路 石道標(尖頭角柱) 高67㎝(うち、台石12㎝),幅18㎝,厚14㎝ 嘉永5(1853)   市教委/
川崎の道標p16・56
原位置? (正面)「此方、のぼりと/ふちう、ミち」、(右面)「此方、かな川/ゑだ、ミち」、(左面)「此方、みぞの口/江、みち」/嘉永5.12→1853 1 -
  野川の供養塔道標2 のがわ 川崎市(宮前区)   石道標(尖頭角柱) 高74.5㎝(うち、台石15㎝),幅24.5
㎝,厚16㎝
文久2(1862)   川崎の道標p16・56 移設 (右面)「東 江戸道/西 大山道」/正面に「(梵字3)奉拝禮四國八拾八養塔」と陰刻 2 -
  馬絹の石橋供養塔 まぎぬ 川崎市(宮前区) 泉福寺 石碑 高59.5㎝,幅29㎝,厚13.5㎝ 享和3(1803)   市教委 移設 (正面)「石橋供養観音尊像」 2 -
  宮前平の敷石供養塔 みやまえだいら 川崎市(宮前区) (1丁目) 石碑 高64㎝,幅27㎝ 文政10(1827)   市教委   (正面)「石階成就之所」   -
  菅生の敷石供養塔 すがお 川崎市(宮前区) 本遠寺 石碑 高104㎝,幅39㎝,厚29㎝ 嘉永5(1852)   市教委   (右面)「石坂供養塔」  
  万平穴 まんぺいあな 相模原市(中央区) 相模川 素掘トンネル
(水路)
長120m,幅1.2m,高2.7m 安政年間(1854-59) 市登録史跡 WEB 私有地内 安政の飢餓の際、食料増産を図るため、陽原の中島万平が先頭に立ち、望地の金井津右衛門の協力を得て開削した用水トンネル 4
  烏山用水 かやすやま 相模原市(中央区) 相模川、田名地区 用水路   万延元(1860) 農村景観百選 WEB 「新堀用水路を愛する会」が中心となって再生 烏山藩第七代藩主・大久保忠美により、久所河原の水田開発のため開削/途中に市登録史跡になっている高さ2mの宮勾配の石垣がある 2
写真 川尻の地蔵道標1 かわしり 相模原市(緑区)   石道標(丸彫) 高89㎝ 延享5(1748)?   高橋 努 移設/木祠内/台石の剥離・磨耗が進行 (台石右面)「右ハ 高…」、(台石左面)「左ハ 山道」/台石上に地蔵坐像の丸彫を載せる/下記の「川尻の地蔵道標2」と並ぶ/建立年は『高尾山の記念碑・石仏』より(磨耗して判読不能) 3
写真 原宿の不動明王像道標 はらじゅく 相模原市(緑区)   石道標(丸彫) 高175㎝(うち、像高48㎝) 安永9(1780)   高橋 努/現地解説板 移設/全体に表面の剥離傾向が認められる (右面)「西 津久井みち/東 江戸 八王子道」、(左面)「左 小く良舩場」/正面に「大山、石尊大權現/大聖不動明王」と陰刻/正面頂部に不動明王坐像(一面二臂、剣と羂索、磐石)の丸彫を載せる/八王子・高尾方面から来て、小倉から舟で相模川を下り、厚木を経て大山へ向かう参詣人に対する道標 2
写真 川尻の地蔵道標2 かわしり 相模原市(緑区)   石道標(丸彫) 高119㎝ 嘉永3(1850)   高橋 努 移設/木祠内 (台石右面)「右ハ 髙尾山/左りハ 山道」/台石上に地蔵坐像の丸彫を載せる/上記の「川尻の地蔵道標1」と並ぶ 2
写真 橋本の不動明王像道標
(橋本の棒杭)
はしもと 相模原市(緑区) <大山道・追分> 石道標(尖頭角柱) 高151㎝,幅35㎝ 安政2(1855) 市登録史跡 WEB/高橋 努 移設 (正面像下)「右 大山見ち」、(右面)「北 八王子道」、(左面)「南 あつぎ道」/正面頂部に不動明王坐像(一面二臂、背景に迦楼羅焔、磐石)の浮彫り 2
      相模原市(南区)                    
  入谷の庚申塔道標1
(三峯台の庚申塔)
いりや 座間市 (3丁目)大門坂・上 石道標(笠付き) 高287㎝(うち、台石128㎝),幅33㎝,厚24㎝ 明和5(1768)   市教委/WEB 原位置 (右面)「右 ほしのや道」、(左面右)「右 江戸 つるまみち」、(同左)「左 大山 あつぎみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風/宝珠を載せる 1
  相武台の庚申塔道標
(相武台神社の庚申塔)
そうぶだい 座間市 (1丁目)相武台神社 石道標(尖頭角柱) 高77㎝,幅13㎝,厚14㎝ 明和5(1768)   市教委 移設 (右面)「右 加奈川 江戸道」、(左面)「左 木曾 ふちう道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2 -
  栗原の庚申塔道標1
(北向庚申神社の庚申塔)
くりはら 座間市 (中央1丁目)
北向庚申神社
石道標(隅丸型) 高145㎝(うち、台石77㎝),幅24㎝,厚19㎝ 明和8(1771)   市教委 移設/“三猿”消失 (右面下部)「ほしや 大」、(左面)「つる□□ 江戸道/南 ふ沢道」/正面に青面金剛立像(日月、六手○○、三猿)の陽刻 3
  入谷の庚申塔道標2
(入谷庚申北の庚申塔)
いりや 座間市 (3丁目)星の谷橋・横 石道標(尖頭角柱) 高62㎝,幅26㎝,厚22㎝ 安政6(1859)以降   市教委 原位置 (正面○)「此方 きそ まちだ ふちゆう」、(右面)「此方 ほしのや あつぎ 大山」、(左面)「此方 く里原 大つか 加な川」/正面中央に「庚申塔」と陰刻 1 -
  栗原の庚申塔道標2
(北向庚申神社の庚申塔)
くりはら 座間市 (中央1丁目)
北向庚申神社
石道標(尖頭角柱) 高157㎝(うち、台石74㎝),幅23㎝,厚14㎝ 慶応4(1868)   市教委 移設 (右面)「此方 ほし乃や 大山道」、(左面)「左 つる間 江戸道」/正面に青面金剛立像(日月、六手○○、三猿)の陽刻 2
  座間の庚申塔道標
(油面の庚申塔)
ざま 座間市 (中央1丁目)
北向庚申神社
石道標 高126㎝,幅34㎝ 江戸末期?   市教委 原位置 (台石○面)「此方/八王子/ふちう」、(台石○面)「この方/ふちさわ/かまくら」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  栗原の石橋供養塔
(崇福寺の石橋供養塔)
くりはら 座間市 (中央1丁目)
崇福寺・門前
石碑(隅丸型) 高59㎝,幅26.5㎝,厚20㎝ 享和元(1801)   市教委 移設 (右面)「石橋供養」/正面に馬頭観音像を陽刻 2
  相模川堤防 さがみがわ 座間市 <相模川(左岸)> 土堤防 長約800m 江戸期   市教委 砂利舗装の簡易道路   3
写真 七曲坂 ななまがりざか 逗子市 披露山公園
<古代の東海道>
道路 長約200m 古代 or 鎌倉時代   WEB(鎌倉街道上道) 保存状態良好 鎌倉古道らしい掘割道 1
写真 名越切通 なごえ 逗子市・鎌倉市   切通し   天福元(1233)以前 国史跡 現地解説板/WEB 切通しが3ヶ所残る/第一切通〔写真〕の発掘の結果、現在の路面の下に江戸中期の路面が発見され、何度も崩壊により埋まってきたことが判明した 鎌倉七口の一つ/『吾妻鏡』の天福元年8月18日の条に「名越坂」の記述がある/逗子側からの切岸の迫った部分を通らねばならず、天然の地形に人工を加えての防御/鎌倉期の道幅は不明だが、発掘調査によると江戸期には2m程(現在は1~1.5m)と考えられる/一時期は道幅を広げる工事も行われ、路面幅約3m、両側に排水溝も設けられたとされる 2
写真 不如帰碑 ほととぎす 逗子市   石碑 高320㎝ 慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸城の石丁場遺跡 -江戸城石垣のふるさと」
台座部分は分断 近くの海岸線に打ち上げられていた2点の石垣用材を転用して建立した
「徳富蘆花」の記念碑/鍋島藩の江戸城修築用の石垣用材を載せた石舟がこのあたりで座礁したとの伝承がある
3
写真 茅ヶ崎の東海道松並木 ちがさき 茅ヶ崎市 <東海道> 松並木 317本     WEB   2000年12月の茅ヶ崎市内松並木調査では、南側(海側)108本、北側(山側)209本、合計317本/目通りまわり170cm以上のものは、このうちの154本 2
写真 旧・相模川橋脚 さがみ 茅ヶ崎市 (下屋町)<相模川> <木桁橋>
木橋脚
長約40m以上,幅約9m〔1列3本×4〕(最後の列は1本) 建久9(1198) 国史跡 現地解説板 大正12年関東大震災と翌年1月の余震により水田の中から大きな杭が7本出現→地中に密閉保存→地上にレプリカで状況再現 建久9に源頼朝の重臣稲毛重成が亡き妻の供養のために架けた橋と考えられている/『吾妻鏡』に頼朝が渡り初めをしたことなどが書かれている/中世の大規模な木橋の遺構が残っていることは非常に稀 3
写真 茅ヶ崎一里塚 ちがさき 茅ヶ崎市 <東海道> 一里塚(1基)   慶長9(1604) 市史跡 WEB 片塚のみ現存/下部を石垣で補強 茅ヶ崎駅前通りの交叉点脇にあり、碑付き 4
  堀山下の大山道標 ほりやました 秦野市 日立製作所・前 石道標(凝灰岩) 高129.5㎝,幅62
㎝,厚64㎝
延享4(1751)   市教委 原位置?/最近、塔身上に不動明王坐像を設置 (正面)「大山道」、(右面)「右 そんふつミち」、(左面)「左 ふしみち」 2
  鶴巻南の道標 つるまきみなみ 秦野市   石道標(自然石) 高74㎝,幅55㎝,厚24㎝ 延享4(1751)   市教委 原位置 (正面)「左 かない道/右 大山道」 1 -
  蓑毛の道標 みのげ 秦野市 大日堂 石道標(凝灰岩) 高101㎝,幅48.5㎝,厚39㎝ 宝暦2(1752)   市教委 移設? (正面)「従是 不動石尊道」 2
  北矢名の如意輪観音像道標 きたやな 秦野市 矢名峠 石道標 高90㎝,幅30㎝,厚29㎝ 寛政2(1790)   市教委 原位置 (右面左)「北 いせはらみち」、(左面)「南 十日市場道」/正面に上部に如意輪観音の半跏坐像を浮彫り、その下に「念佛講」と陰刻 1
  今川町の供養塔道標 いまがわ 秦野市   石道標 高51㎝,幅24.5㎝,厚25.5㎝ 寛政7(1795)   市教委 原位置?/剥離が進行 (右面)「右 最…ふ/左 石…」/正面に「…供養塔」と陰刻 3 -
  曲松の道標 まがりまつ 秦野市   石道標(安山岩) 高183㎝,幅63㎝,厚60㎝ 寛政8(1796)   市教委 原位置 (正面)「右 ふじ山 さい志やうじ道/左 十日市場 かなひかんをん道」、
(右面)「右 大山みち」、(左面)「左 小田原 いいすミみち」
1
  渋沢の不動明王像道標 しぶさわ 秦野市   石道標(丸彫、凝灰岩) 高115㎝,幅38㎝,厚38㎝ 文化元(1804)   市教委 原位置 (台石正面)「東、かない観音/十日市場、道」、(台石右面)「右 みろくし道」、(台石左面)「左、さいじゃうし/ふし、道」/台石上に不動明王坐像(一面二臂、三鈷剣、羂索、背景に迦楼羅焔、磐石)の丸彫を載せる 1
  小蓑毛の不動明王像道標 こみのげ 秦野市   石道標(丸彫、凝灰岩) 高125.5㎝,幅51㎝,厚45㎝ 文政3(1820)   市教委 原位置/木祠内 (台石正面)「右 大山道」/台石上に不動明王坐像の丸彫を載せる 1
  栃窪の道標 とちくぼ 秦野市 栃窪神社 石道標(凝灰岩) 高72.5㎝,18㎝角 嘉永2(1849)   市教委 移設 (正面)「十日市場道」、(右面)「ふじ 小田原道」、(左面)「御嶽大權.現道」 2 -
  今泉の道標 いまいずみ 秦野市 南公民館 石道標 高92㎝,幅41.5㎝,厚35㎝ 万延元(1860)   市教委 移設 (正面)「… 大山道」、(右面)「すぐ 十日市場道」、(裏面)「すぐ ふじ道」 2
  横内の供養塔道標1 よこうち 平塚市   石道標   宝暦8(1758)   市教委(平塚市博物館研究報告37p27)   (正面○)「藤沢道/厚木」、(右面)「南」、(左面)「北 右 大山道」、(裏面)「東」/正面に「父坂東供養」と陰刻  
  田村の道標1 たむら 平塚市 <田村十字路> 石道標   宝暦9(1759)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26) 移設 (正面)「右 大山みち」、(右面)「(梵字)左、不じさ王/江のしま/加満くら、ミち」、(裏面)「右 大いそ道」 2
  岡崎の廻国塔道標 おかざき 平塚市   石道標   安永2(1773)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28)   (正面○)「東 田むら」、(右面)「北 いせ原」、(左面)「南 金目/西 十日市場」/正面に「秩父/西國/坂東」と陰刻  
  札場町の庚申塔道標 ふだば 平塚市 長楽寺 石道標   安永5(1776)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26) 移設 (右面)「右 ばにうミち」、(左面)「左 やわたミち」/正面に青面金剛立像の陽刻 2
  下島の庚申塔道標 しもじま 平塚市 八幡神社 石道標   安永7(1778)   市教委(平塚市博物館研究報告37p27) 移設 (正面○)「此方 田村道」、(右面)「此方 大山道」、(左面)「此方 ひら塚道」/正面に「庚申供養」と陰刻 2
  寺田縄の庚申塔道標1 てらだなわ 平塚市 (畑中) 石道標   安永8(1779)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28)   (正面○)「大磯/加奈い、道」、(右面)「是より、一之宮/四之宮/や王多、道」、(左面)「是より、いせ原/大山、道」/正面に「庚申供養」と陰刻  
  城所の庚申塔道標1 きどころ 平塚市 東十字路 石道標   天明7(1787)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28)   (右面)「東 たむら道」、(左面)「西、十日市場/加奈ひ觀音、道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻  
  田村の道標2 たむら 平塚市 (8丁目)八坂神社 石道標   寛政5(1793)   市教委(平塚市博物館研究報告37p27) 移設 (正面)「左 大山道」、(左面)「右 江之嶋みち/左 いまやみち」 2
  平塚の庚申塔道標1 ひらつか 平塚市 (4丁目)春日神社 石道標   弘化4(1847)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26) 移設 (正面右)「右 大山道」、(同左)「左 かない道」/正面中央に「庚申塔」と陰刻 2
  平塚の不動明王像道標 ひらつか 平塚市 (5丁目) 石道標(丸彫)   寛政5(1793)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26)   (台石正面)「大山道」/台石上に不動明王坐像の丸彫を載せる  
  小鍋島の庚申塔道標1 こなべしま 平塚市   石道標   寛政7(1795)   市教委(平塚市博物館研究報告37p27)   (左面)「西 かなひ/北 たむら、道」/正面に「庚申塔」と陰刻  
  南原の地蔵道標 みなみはら 平塚市 (2丁目) 石道標   寛政12(1800)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26)   (正面像下(?))「右 か奈い 十日市場/左 ひら津可 八はた、道」/正面頂部(?)に地蔵○像の陽刻(?)  
  岡崎の庚申塔道標1 おかざき 平塚市   石道標   寛政12(1800)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28)   (正面○)「此方、屋王多/大いそ」、(右面)「上り かない 十日市場/下り たむら」/正面に「庚申塔」と陰刻  
  岡崎の庚申塔道標2 おかざき 平塚市 駒形神社 石道標   享和2(1802)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28) 移設 (正面右)「右 大山」、(同左)「左 痢病神」/正面中央に「庚申塔」と陰刻 2
  諏訪町の廻国塔道標 すわ 平塚市 大久保公園・入口 石道標   文化元(1804)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26)   (正面下部?)「東 あつき/中 大山/西 かない、みち」/正面上部に「羽黒山/湯殿山/月山、巡拝塔」と陰刻  
  千須谷の供養塔道標 せんずや 平塚市   石道標   文化3(1806)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28)   (右面)「此方 かないみち」、(左面)「此方 いゝつみ道」/正面に「羽黒山/湯殿山/月山、百番供養塔」と陰刻  
  横内の供養塔道標2 よこうち 平塚市   石道標   文化3(1806)   市教委(平塚市博物館研究報告37p27)   (正面○)「いいづみ」、(右面)「南 やた ひら」、(左面)「北 大山い世 ほしのや」、(裏面)「東 一之みや 四みや」/正面に「百番供養」と陰刻  
  四之宮の庚申塔道標 しのみや 平塚市 (3丁目)高林寺 石道標   文化3(1806)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26) 移設 (正面右)「右 あつき」、(同左)「左 大山」/正面中央に「庚申供養塔」と陰刻 2
  下島の供養塔道標 しもじま 平塚市 霊山寺 石道標   文化9(1812)   市教委(平塚市博物館研究報告37p27) 移設 (右面)「此方、加なひ/ひら津か、道」、(左面)「此方 やはた道」/正面に「二十三夜待供養」と陰刻 2
  豊田本郷の不動明王像道標 とよだほんごう 平塚市 清雲寺 石道標(丸彫)   文化10(1813)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26) 移設 (台石正面)「右 糟谷/左 大山、道」/台石上に不動明王坐像の丸彫を載せる 2
  城所の馬頭観音道標 きどころ 平塚市 六叉路 石道標   文化11(1814)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28)   (右面)「北 大山/南 平塚/西 金目、道」/正面に「馬頭觀世音菩薩」と陰刻  
  小鍋島の道祖神道標 こなべしま 平塚市   石道標   文化13(1816)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28)   (左面)「右 をゝいそ/左 かすや、道」/正面に「道祖神」と陰刻  
  横内の廻国塔道標 よこうち 平塚市 神田寺 石道標   文政2(1819)   市教委(平塚市博物館研究報告37p27) 移設 (正面○)「此方 いゝ山道」、(右面)「此方 大山道」、(左面)「此方 ふじ沢道」、(裏面)「此方 やわた道」/正面に「西國觀世音菩薩」、右面に「不動明王」、左面に「秩父觀世音菩薩」、裏面に「坂東觀世音菩薩」と陰刻 2
  片岡の供養塔道標 かたおか 平塚市 龍源寺 石道標   文政8(1825)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28) 移設 (右面)「右 伊勢原道/左 金目道」/正面に「念佛供養碑」と陰刻 2
  東真土の道標 ひがししんど 平塚市 (4丁目) 石道標   天保2(1831)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26)   (正面○)「左り、ひらつか道/大山みち/や王多道」、(右面○)「田むら/あつき、ミち」、(左面)「か寿や/いせ原、ミち」  
  小鍋島の供養塔道標 こなべしま 平塚市 三叉路 石道標   天保12(1841)   市教委(平塚市博物館研究報告37p27)   (右面)「此方 田むら ほしのや」、(左面)「川下 平つか かなひ/川上 大山 いゝ山」/正面に「月山/湯殿山/羽黒山、百番觀世音供養塔」と陰刻  
  寺田縄の庚申塔道標2 てらだなわ 平塚市 吉祥院 石道標   天保15(1844)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28) 移設 (正面○)「伊勢原/大山/四之宮、道」、(右面)「此方、金目/十日市場/小田原、道」、(左面)「此方 大磯道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  入野の庚申塔道標 いの 平塚市 福田寺 石道標   嘉永2(1849)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28) 移設 (正面右)「大磯道」、(同左)「大山道」、(右面)「やはたみち」/正面中央に「庚申塔」と陰刻 2
  西八幡の馬頭観音像道標 にしやわた 平塚市 (3丁目) 石道標   嘉永3(1850)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26)   (台石正面)「あつきミち」、(台石右面)「右 大いそ」、(台石左面)「左 八まんまへ」/正面に馬頭観音立像を陽刻  
  東真土の庚申塔道標 ひがししんど 平塚市 (2丁目) 石道標   嘉永3(1850)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26)   (正面右)「此方 かなへ」、(同左)「此方 大山みち」、(右面)「此方 八わたミち」、(左面)「此方 あつき道」、(裏面)「一之宮道」/正面中央に「庚申供養塔」と陰刻  
  北豊田の題目塔道標 きたとよだ 平塚市   石道標   安政3(1856)   市教委(平塚市博物館研究報告37p26)   (右面)「川上 いせ原道」、(左面)「川下、飛ら塚/か奈い、道」/正面に「廿三夜」と陰刻  
  小鍋島の庚申塔道標2 こなべしま 平塚市   石道標   安政5(1858)   市教委(平塚市博物館研究報告37p27)   (右面)「川下、かなひ/ひらつか、道」、(左面)「川上、あつぎ/たむら、道」/正面に「庚申塔」と陰刻  
  土屋の供養塔道標 つちや 平塚市 水呑地蔵 石道標   元治元(1864)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28) 移設 (左面)「か奈い/いゝつミ、ミち」/正面に「大峰山/冨士山/立山、西國/四國、坂東/秩父、順拝供養塔」と陰刻 2
  城所の庚申塔道標2 きどころ 平塚市   石道標   慶応4(1868)   市教委(平塚市博物館研究報告37p28)   (右面)「此方 藤沢 田村」、(左面)「此方 十日市場 金目」/正面に「庚申塔」と陰刻  
  平塚の庚申塔道標2 ひらつか 平塚市 (5丁目) 石道標   江戸期   市教委(平塚市博物館研究報告37p26)   (正面右)「右 あつき」、(同左)「左 いせはら」/正面中央に「庚申塔」と陰刻/施主が「米田屋恒右ェ門」→屋号で姓なし→江戸期の可能性  
  本町の道標 ほん 藤沢市 (3丁目) 石道標   万治3(1660)   市教委(藤沢市の石仏p60) 移設→個人宅/下部埋設 (正面)「從是 江之嶋弁才天之道」、(右面)「此左 江能し満へんさいてんみち」、(左面)「是よ里 ゑの志ま扁んさいてん道」/17世紀の道標(現在判明している限りにおいて県内で最古の道標) 4
  藤沢の題目塔道標 ふじさわ 藤沢市 (2丁目)白旗神社 石道標(笠付き)   寛文5(1665)   市教委(藤沢市の石仏p60) 移設、集約 (正面左下隅)「向 弁才天」、(右面)「これより ほしのやかいとう」、(左面)「此より はちおうしかいどう」/正面中央に梵字で名号を陰刻、最下部に“一猿”を陽刻/17世紀の道標 2
写真 城南の不動明王像道標
(四谷不動)
じょうなん 藤沢市 四ツ谷辻<東海道・大山道> 石道標(丸彫)   延宝4(1676)   現地解説板/市教委 近接移設/木祠内/不動明王像が後補の可能性も (正面像下)「大山道」、(右面・左面)「こ連よ里 大山みち」/頂部に不動明王の半跏坐像(一面二臂、剣と羂索、木製の迦楼羅焔)を載せる/現在判明している限りでは、現存する国内最古の大山道標/17世紀の道標 1
  打戻の庚申塔道標1 うちもどり 藤沢市 宇都母知神社・鐘楼下 石道標   天和4(1684)   市教委(藤沢市の石仏p189) 移設 (右面)「東 かしを/南 一ノ宮」、(左面)「西 /北 」/正面に「青面金剛神」と陰刻/17世紀の道標 2
写真 片瀬の江の島道標1 かたせ 藤沢市 (3丁目)密蔵寺先分かれ道・角<江の島道> 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会/市教委 原位置? (正面)「(梵字)ゑ能し満道」(=江の島)/鍼医・杉山検校が藤沢宿から江の島へ続く約4㎞の江の島道に建立したと伝えられる→12基が市内に、1基が鎌倉市、1基が世田谷区に現存/17世紀の道標 1
写真 鵠沼神明の江の島道標 くげぬま、
しんめい
藤沢市 (1丁目)法照寺
<江の島道>
石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設 同上 2
写真 藤沢の江の島道標 ふじさわ 藤沢市 (2丁目)白旗神社
<江の島道>
石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設 同上 2
写真 元・朝日町の江の島道標 あさひ 藤沢市 <江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会/市教委 遊行通りロータリー〔写真〕→市が保管中 同上 2
写真 朝日町の江の島道標1 あさひ 藤沢市 市役所新館<江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高121.5㎝ 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会/市教委 3度目の移設 同上 2
写真 朝日町の江の島道標2 あさひ 藤沢市 市役所新館<江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 3度目の移設 同上 2
写真 片瀬の江の島道標2 かたせ 藤沢市 (2丁目)片瀬小学校・校庭隅<江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設 同上 2
写真 片瀬の江の島道標3 かたせ 藤沢市 (3丁目)片瀬市民センター
<江の島道>
石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設 同上 2
写真 片瀬の江の島道標4 かたせ 藤沢市 (3丁目)西行もどり松
<江の島道>
石道標(尖頭角柱)   元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会/市教委 移設/下部埋設 同上、(裏面)「西行能もとり松」 2
写真 片瀬海岸の江の島道標 かたせかいがん 藤沢市 (1丁目)洲鼻通り・なぎさ整備事務所前<江の島道> 石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設/頂部が斜めに欠損 同上 2
写真 江の島の江の島道標 えのしま 藤沢市 (2丁目)江の島神社
<江の島道>
石道標(尖頭角柱) 高約1.2m 元禄2(1689)頃 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会 移設 同上 2
写真 西富の江の島道標 にしとみ 藤沢市 (1丁目)真徳寺
<江の島道>
石道標(尖頭角柱)   元禄2(1689)頃   湘南ふじさわウオーキング協会 移設/下部折損 同上 4
  藤沢の庚申塔道標1 ふじさわ 藤沢市 (4丁目)伊勢山公園 石道標(笠付き)   元禄10(1697)   市教委(藤沢市の石仏p61) 移設 (裏面最下部右)「西冨道/田名道」、(同左)「松山道/永井道」/正面に青面金剛立像(六手剣人、邪鬼、三猿)、右左面に上から“日月、二童子、二鶏”の陽刻→童子付きはきわめて稀/17世紀の道標 2
  用田の庚申塔道標1 ようだ 藤沢市 歩道橋下 石道標(笠付き)   元禄15(1702)   市教委(藤沢市の石仏p183) 移設? (右面右)「従是 ふちさわ 江のしまへ乃道」、(左面右)「従是 かしを つとかへの道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻/笠正面に唐破風 1
  西富の聖観音像道標1 にしとみ 藤沢市 (1丁目)
遊行寺・長生院参道
石道標(舟型)   正徳元(1711)   市教委(藤沢市の石仏p51) 移設 (光背右)「砂山くわんおん道」/光背中央に聖観音立像の陽刻 2
  鵠沼橘の庚申塔道標 くげぬま、
たちばな
藤沢市 (2丁目)辻 石道標(駒型)   正徳5(1715)   市教委(藤沢市の石仏p77) 原位置? (右面)「右 ゑのしま道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 1
  藤沢の庚申塔道標2 ふじさわ 藤沢市 庚申堂 石道標(駒型)   正徳年間(1711-16)   市教委(藤沢市の石仏p48) 移設/上部で大きく割裂 (右面)「右 うじみち」、(左面)「左 しのや道」/正面に「庚申供羪」と陰刻 4 -
  善行の庚申塔道標1 ぜんぎょう 藤沢市 (2丁目)善行稲荷社 石道標(駒型)   享保元(1716)   市教委(藤沢市の石仏p65) 移設、集約 (左面左)「右 ほしのやみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼、三猿)の陽刻 2
  城南の地蔵道標 じょうなん 藤沢市 (1丁目)辻 石道標(丸彫)   享保12(1727)   市教委(藤沢市の石仏p95) 原位置? (台石右面左)「右 のみち」/台石上に地蔵坐像の丸彫を載せる 1
  長後の庚申塔道標1 ちょうご 藤沢市   石道標   享保14(1729)   市教委(藤沢市の石仏p155) 移設?/像容不明 (右面左)「 右 八王子道/向 左 厚木道」、(左面)「坂上左 厚木道」/正面に青面金剛立像(日月、六手○○、三猿)の陽刻 3
  片瀬の庚申塔道標1 かたせ 藤沢市 (1丁目)東京螺子・入口 石道標(駒型)   享保15(1730)   市教委(藤沢市の石仏p26)   (正面右端)「従是右 かまくら道」、(同左端)「従是左 ふしさわ道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻  
  藤沢の庚申塔道標3 ふじさわ 藤沢市 (2丁目)白旗神社 石道標(駒型)   享保19(1734)   市教委(藤沢市の石仏p61) 移設、集約 (右面)「これより右 ほしのや道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、邪鬼、三猿)の陽刻 2
  葛原の庚申塔道標1 くずはら 藤沢市   石道標(笠付き)   延享4(1747)   市教委(藤沢市の石仏p170) 移設→個人宅/像容不明瞭/下部埋設 (右面最下部)「右 とつ…」/正面に青面金剛立像(六手合掌)の陽刻 4
  長後の庚申塔道標2 ちょうご 藤沢市 宿上・中の境 石道標(笠付き)   寛延4(1751)   市教委(藤沢市の石仏p156) 原位置? (右面)「加志をみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻 1
  藤沢の庚申塔道標4 ふじさわ 藤沢市 (2丁目)白旗神社 石道標   宝暦3(1753)   市教委(藤沢市の石仏p62) 移設、集約 (右面右)「ほしのや道」/正面を火灯窓型に削り込み「庚申供養」と陰刻、最下部に“三猿”の陽刻 2
  下土棚の聖観音像(?)道標 しもつちだな 藤沢市 善然寺 石道標(笠付き)   宝暦11(1761)   市教委(藤沢市の石仏p162) 移設、集約 (右面右)「右 ほし乃や道」、(左面左)「左 大山道」/正面頂部に小さな聖観音(?)坐像を陽刻、その下に「月山/湯殿山/羽黒山、供養塔」と陰刻 2
  本町の庚申塔道標 ほん 藤沢市 (1丁目)道祖神社 石道標(隅丸型)   宝暦12(1762)   市教委(藤沢市の石仏p49) 移設 (右面)「右 八王子道」、(左面)「左 ほし能や道」/正面を火灯窓型に削り込み「庚申供養」と陰刻 2
  獺郷の聖観音像道標 おそごう 藤沢市 子聖神社 石道標(舟型)   明和元(1764)   市教委(藤沢市の石仏p198) 移設 (台石右面)「北 江戸道/西 大山道」、(台石左面)「東 かまくら、南 一之宮、道」/台石上に光背付き聖観音立像(蓮のつぼみ)の陽刻を載せる 2
  鵠沼神明の庚申塔道標 くげぬま、
しんめい
藤沢市 (1丁目)法照寺 石道標(尖頭角柱)   明和元(1764)   市教委(藤沢市の石仏p72) 移設、集約 (正面左)「左 ゑの志満道」/正面に「庚申供養」と陰刻、最下部に“三猿”の陽刻 2
  宮原の庚申塔道標1 みやはら 藤沢市 石道標   明和7(1770)   市教委(藤沢市の石仏p197) 原位置?/下部埋設 (右面左)「右 ふじさわ道」、(左面右)「左 かしお道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌)の陽刻 1
  下土棚の地蔵道標 しもつちだな 藤沢市 善然寺 石道標(丸彫)   明和8(1771)   市教委(藤沢市の石仏p162) 移設、集約 (台石右面左)「東 八王じ道」、(台石左面左)「西 ほしのや道」/台石上に地蔵立像(蓮台)の丸彫を載せる 2
  用田の不動明王像道標 ようだ 藤沢市 用田の辻 石道標(丸彫)   安永4(1775)   市教委(藤沢市の石仏p180) 原位置?/下部埋設 (台石正面)「右 大山道」、(同最下部)「東/柏/尾/道」、(左面)「北 江戸志んみち/南 一之宮みち」/台石上に不動明王坐像(迦楼羅焔なし)の丸彫を載せる 2
  獺郷の庚申塔道標 おそごう 藤沢市 子聖神社 石道標   安永4(1775)   市教委(藤沢市の石仏p198) 移設 (右面)「西 一之宮明神道/北 國分寺道」、(左面)「東 ふち沢みち/南 馬入みち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻 2
  西富の聖観音像道標2 にしとみ 藤沢市 (1丁目)日限地蔵 石道標   安永4(1775)   市教委(藤沢市の石仏p50) 移設 (正面像下右端)「右 加まくら道」、(同左)「左、ほしのや道/はし渡り上 大さかあり」/正面上半分を隅丸矩形に削り込み聖観音立像(蓮台)を陽刻、その下に「西國三十三所供養」と陰刻 2
  高倉の庚申塔道標1 たかくら 藤沢市 七ツ木神社 石道標   安永8(1779)   市教委(藤沢市の石仏p145) 移設 (右面)「東 八王子道」、(左面)「西、大山みち/ほしのや道」/正面を火灯窓型に削り込み「庚申供養」と陰刻 2 -
  片瀬の庚申塔道標2 かたせ 藤沢市 (3丁目)辻 石道標(尖頭角柱) 高78㎝,幅30㎝,厚27㎝ 安永9(1780)   市教委(藤沢市の石仏p28) 原位置? (右面)「左 ゑ能し満道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻、最下部に“三猿”の陽刻 1
  下土棚の庚申塔道標1 しもつちだな 藤沢市 石道標(笠付き)   天明2(1782)   市教委(藤沢市の石仏p162) 原位置? (右面)「右 ほしのや道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風 1
  西俣野の庚申塔道標 にしまたの 藤沢市 御嶽神社 石道標(蒲鉾型)   天明4(1784)   市教委(藤沢市の石仏p138) 移設、集約/像容不明 (右面)「右 加まくら道」、(左面)「八王し道」/正面に青面金剛立像(六手○○、三猿)の陽刻 4
  宮原の庚申塔道標2 みやはら 藤沢市   石道標(尖頭角柱)   寛政4(1792)   市教委(藤沢市の石仏p196) 移設→個人宅 (右面左)「此方 大山みち」、(左面)「右 こくぶんじみち」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌)の陽刻 4
  葛原の庚申塔道標2 くずはら 藤沢市   石道標(笠付き)   寛政6(1794)   市教委(藤沢市の石仏p173) 移設 (右面左)「ふじさわみち」、(左面右)「左 かまくらみち」/正面を火灯窓型に削り込み「庚申供養」と陰刻、その下に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風 2
  下土棚の庚申塔道標2 しもつちだな 藤沢市 北の三叉路 石道標(尖頭角柱)   寛政8(1796)   市教委(藤沢市の石仏p161) 原位置? (右面左)「みぎ かまくら道」、(左面右)「左 ほしのやみち」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  下土棚の庚申塔道標3 しもつちだな 藤沢市 白山神社 石道標   寛政年間(1789-1800)   市教委(藤沢市の石仏p163) 移設 (右面)「南 藤沢道」、(左面)「東 戸塚道」/正面中央に「庚申塔」と陰刻 2
  大庭の庚申塔道標1 おおば 藤沢市 (羽根沢)諏訪神社 石道標(尖頭角柱)   寛政12(1800)   市教委(藤沢市の石仏p104) 移設、集約 (左面)「左、ゑんとう/ほしのや、道」/正面を火灯窓型に削り込み青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)を陽刻 2
  亀井野の庚申塔道標1 かめいの 藤沢市 雲昌寺 石道標(駒型)   寛政12(1800)   市教委(藤沢市の石仏p136) 移設、集約 (右面左)「右 八王子」、(左面)「左、ふちさわ/かまくら、道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、二鶏、邪鬼、三猿)の陽刻 3
  長後の聖観音像(?)道標 ちょうご 藤沢市 長後市民センター 石道標   享和元(1801)   市教委(藤沢市の石仏p153) 移設 (右面下部右)「右、八王子/ほしのや、道」、(同左)「左 大山道」/正面に「(梵字)庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
  湘南台の庚申塔道標1 しょうなんだい 藤沢市 (3丁目)八幡神社 石道標(笠付き)   享和2(1802)   市教委(藤沢市の石仏p165) 移設、集約 (左面左)「右 ほしのや」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌)の陽刻 3
  遠藤の庚申塔道標1 えんどう 藤沢市 御嶽神社・正面階段下 石道標(駒型)   享和2(1802)   市教委(藤沢市の石仏p117) 移設、集約 (右面)「東 藤沢道」、(左面)「西 大山道」/正面頂部に小さな聖観音(?)
坐像の浮彫、その下に、「月山/湯殿山/羽黒山、秩父/西國/坂東、百番、供/養」と陰刻
2
  善行の庚申塔道標2 ぜんぎょう 藤沢市 (2丁目)善行稲荷社 石道標(尖頭角柱)   文化元(1804)   市教委(藤沢市の石仏p65) 移設、集約 (右面)「右 ほしのやミち」、(左面)「左 あつぎミち」/正面に「庚申供羪塔」と陰刻、、頂部に“日月”、最下部に“三猿”の陽刻 2
  大庭の庚申塔道標2 おおば 藤沢市 弁天社 石道標   文化2(1805)   市教委(藤沢市の石仏p105) 移設 (右面)「右 ほしのやミち」/正面に「庚申供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、最下部に“三猿”の陽刻 2
  下土棚の庚申塔道標4 しもつちだな 藤沢市 南の辻 石道標(笠付き)   文化3(1806) 市重文 市教委(藤沢市の石仏p161) 原位置?/下段台石正面の刻字は後刻の可能性 (左面右)「右 ふじさハ道」、(下段台石正面)「左り/ほ/し/の/や/道」/正面に青面金剛立像(日月、六手剣人、邪鬼)の陽刻、上段台石正面に“三猿”の陽刻/笠正面に唐破風 1
  大庭の庚申塔道標3 おおば 藤沢市   石道標(駒型)   文化5(1808)   市教委(藤沢市の石仏p109)   (左面)「是より おうばみち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、台石正面に“三猿”の陽刻  
  打戻の不動明王像道標 うちもどり 藤沢市 石道標(丸彫)   文化6(1809)   市教委(藤沢市の石仏p189) 原位置?/像は磨耗大 (台石左面)「右 長後/左 用田/南 一之宮、道」/台石上に光背付きの不動明王坐像の丸彫を載せる 2
  湘南台の庚申塔道標2 しょうなんだい 藤沢市 (4丁目)辻 石道標(蒲鉾型)   文化7(1810)   市教委(藤沢市の石仏p163) 原位置? (左面)「左 ふじ沢道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  石川の題目塔道標 いしかわ 藤沢市 山王社 石道標(尖頭角柱)   文化8(1811)   市教委(藤沢市の石仏p127) 移設 (左面左)「此方 星下り道」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻 2
  下土棚の庚申塔道標5 しもつちだな 藤沢市   石道標   文化9(1812)   市教委(藤沢市の石仏p161) 移設? (右面左)「右 ふし沢道」、(左面右)「かしを道」/正面に「庚申塔」と陰刻、台石正面に“三猿”の陽刻 2
  葛原の供養塔道標 くずはら 藤沢市   石道標(尖頭角柱)   文化11(1814)   市教委(藤沢市の石仏p173) 移設 (正面右下隅)「ほしのやみち」、(右面)「かんのんみち」、(左面)「ふじ沢道」/正面中央に「西國秩父坂東供養」と陰刻 2
  川名の題目塔道標 かわな 藤沢市 神光寺 石道標(尖頭角柱)   文政2(1819)   市教委(藤沢市の石仏p43) 移設 (左面)「東 かまくら道/西 ふじ沢道」/正面に「(梵字)木食觀音」と陰刻 2
  藤沢の庚申塔道標5 ふじさわ 藤沢市 (2丁目)白旗神社 石道標(駒型)   文政6(1823)   市教委(藤沢市の石仏p61) 移設、集約 (右面)「あつき/ほしのや/はし下り」、(左面)「ゑのし満/加まくら、みち」/正面に「庚申供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 2
  亀井野の庚申塔道標2 かめいの 藤沢市 雲昌寺 石道標(駒型)   文政7(1824)   市教委(藤沢市の石仏p136) 移設、集約 (右面左)「此方 八王子」、(左面)「此方 ふじ沢」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻 3
  湘南台の庚申塔道標3 しょうなんだい 藤沢市 (3丁目)八幡神社 石道標   文政7(1824)   市教委(藤沢市の石仏p165) 移設、集約/像容不明瞭/笠が欠損? (右面)「此方 ふし沢道」、(左面左)「此方 ほしのやみち」/正面に青面金剛立像の陽刻 3
  下土棚の庚申塔道標6 しもつちだな 藤沢市   石道標   文政7(1824)   市教委(藤沢市の石仏p161) 移設? (右面左)「南 ふち沢道」、(左面)「右 大山みち/東 かしを道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  大庭の庚申塔道標4 おおば 藤沢市 (羽根沢)諏訪神社 石道標   文政7(1824)   市教委(藤沢市の石仏p104) 移設、集約 (右面左)「右 一之宮道」、(左面)「左 ふじさハミち」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、最下部に“三猿”の陽刻 2
写真 朝日町の道標 あさひ 藤沢市 市役所新館 石道標   文政7(1824) or
寛政7(1795) or
安政7(1860)
  市教委(藤沢市の石仏p48) 移設/上部で大きく割裂→修復 (正面)「當所 龍ノ口」、(左面)「右 江ノ嶋道」/「政七年」/道標としては非常に珍しい形→写真参照 3
  下土棚の庚申塔道標7 しもつちだな 藤沢市 白山神社 石道標   文政10(1827)   市教委(藤沢市の石仏p163) 移設/笠が欠損? (右面左)「右 長後道」、(左面)「南 ふじ沢道」/正面に青面金剛立像
(日月、六手剣人、三猿)の陽刻
2
  大庭の庚申塔道標5 おおば 藤沢市 (聖ヶ谷戸) 石道標(尖頭角柱)   文政11(1828)   市教委(藤沢市の石仏p110)   (左面)「右 ひき志"/左 ふじ沢、道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、最下部に“三猿”の陽刻  
  江の島の道標 えのしま 藤沢市 (2丁目)奥津宮 石道標   文政12(1829)   市教委(藤沢市の石仏p19) 移設 (正面)「御岩屋道」、(右面)「是より いわやみち」/左面に「これやこの/花の香のさくいわや/詣つるひとの福を江のしま」の歌を刻字 2
  葛原の庚申塔道標3 くずはら 藤沢市   石道標(尖頭角柱)   文政13(1830)   市教委(藤沢市の石仏p171) 移設? (右面右)「北 星野谷道」、(左面左)「南 藤沢道」/正面に「庚申塔」と陰刻 2 -
  湘南台の庚申塔道標4 しょうなんだい 藤沢市 (4丁目)辻 石道標   天保3(1832)   市教委(藤沢市の石仏p163) 原位置? (右面右)「右 ふち沢道」、(左面右)「左 と川可道」(=戸塚)/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  天神町の庚申塔道標 てんじん 藤沢市 天神社 石道標(駒型)   天保3(1832)   市教委(藤沢市の石仏p127) 移設、集約 (左面)「東 とつか道/南 ふし沢道」、(左面)「西 大庭道/北 円行道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻 3
  用田の庚申塔道標2 ようだ 藤沢市 県道沿い 石道標(尖頭角柱)   天保6(1835)   市教委(藤沢市の石仏p182) 原位置? (左面)「右 江戸新みち/左 一之宮みち 馬入道」/正面に「猿田彦大神」と陰刻 1
  亀井野の庚申塔道標3 かめいの 藤沢市 雲昌寺 石道標(尖頭角柱)   天保10(1839)   市教委(藤沢市の石仏p136) 移設、集約 (右面)「右 八王子道」、(左面左)「左 ふぢ沢道」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
  湘南台の庚申塔道標5 しょうなんだい 藤沢市 (7丁目) 石道標   天保12(1841)   市教委(藤沢市の石仏p143) 移設? (右面)「南 藤沢道」、(左面)「北 八王子道」/正面に「庚申供養塔」と陰刻 2
  大庭の庚申塔道標6 おおば 藤沢市 (小糸) 石道標(尖頭角柱)   天保13(1842)   市教委(藤沢市の石仏p105) 移設? (左面)「右 ふじ沢/左 一の宮、道」/正面に「庚申塔」と陰刻、頂部に“日月”の陽刻、最下部に“三猿”の陽刻 2
  亀井野の庚申塔道標4 かめいの 藤沢市 雲昌寺 石道標(尖頭角柱)   天保15(1844)   市教委(藤沢市の石仏p136) 移設、集約 (右面)「南 藤沢道/北 八王子道」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
  渡内の道標 わたうち 藤沢市 日枝神社 石道標(駒型)   弘化3(1846)   市教委(藤沢市の石仏p37) 移設 (右面)「右 は世觀音道」、(左面)「左 かま具ら道」/正面に青面金剛立像(日月、六手合掌、三猿)の陽刻 2
  高倉の庚申塔道標2 たかくら 藤沢市 四辻稲荷 石道標(尖頭角柱)   弘化5(1848)   市教委(藤沢市の石仏p143) 移設、集約 (左面)「南 ふじ沢、北 八王子、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 3 -
  円行の題目塔道標 えんぎょう 藤沢市   石道標   嘉永2(1849)   市教委(藤沢市の石仏p164) 原位置? (右面)「北 ほし野や道/南 ふじ沢道」/正面に「地神塔」と陰刻 1
  湘南台の庚申塔道標6 しょうなんだい 藤沢市 (3丁目)八幡神社 石道標   嘉永2(1849)   市教委(藤沢市の石仏p165) 移設、集約 (右面)「右 八王子道」、(左面左)「此方 藤沢みち」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
  湘南台の庚申塔道標7 しょうなんだい 藤沢市 (3丁目)八幡神社 石道標   嘉永2(1849)   市教委(藤沢市の石仏p165) 移設、集約 (右面)「此方 ほしのや道」、(左面右)「此方 ふち沢道」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
  湘南台の庚申塔道標8 しょうなんだい 藤沢市 (3丁目)八幡神社 石道標   嘉永2(1849)   市教委(藤沢市の石仏p165) 移設、集約 (右面)「右 八王子道」、(左面右)「左 ふち沢道」/正面に「庚申塔」と陰刻 3 -
  遠藤の庚申塔道標2 えんどう 藤沢市 (諸之木) 石道標   嘉永5(1852)   市教委(藤沢市の石仏p121) 原位置? (左面)「東 ふじさハ/南 一之宮/北 ほしの谷、みち」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  葛原の庚申塔道標4 くずはら 藤沢市   石道標   嘉永6(1853)   市教委(藤沢市の石仏p171)   (左面)「(左指差し)ほしのや/(右指差し)ふじさハ、道」/正面に「庚申塔」と陰刻  
  菖蒲沢の庚申塔道標 しょうぶざわ 藤沢市 浄土院 石道標   嘉永7(1854)   市教委(藤沢市の石仏p175) 移設 (右面)「右 ほしのや/左 ふちさわ、道」、(左面左)「此かた あつきみち」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  西富の地蔵道標 にしとみ 藤沢市 (1丁目)
遊行寺・長生院参道
石道標(丸彫)   安政3(1856)   市教委(藤沢市の石仏p51) 移設、集約 (台石正面)「是より/小栗堂道」、(台石左面)「小栗堂道」/台石上に地蔵立像(光輪、錫杖、蓮台)を載せる 2
  宮原の庚申塔道標3 みやはら 藤沢市   石道標(尖頭角柱)   安政3(1856)   市教委(藤沢市の石仏p196) 移設→個人宅 (左面)「左、不…/八王子」/正面中央に「庚申供養塔」と陰刻 4
  石川の庚申塔道標 いしかわ 藤沢市 佐波神社 石道標   安政4(1857)   市教委(藤沢市の石仏p128) 移設、集約 (右面)「右 あつぎ道」/正面を火灯窓型に削り込み「庚申塔」と陰刻 3
  打戻の題目塔道標 うちもどり 藤沢市 堂の前の辻 石道標(自然石)   安政5(1858)   市教委(藤沢市の石仏p190) 原位置? (正面最下部)「右 一之宮/左 ふじさわ、道」/正面に「二十三夜塔」と陰刻 1
  湘南台の庚申塔道標9 しょうなんだい 藤沢市 (3丁目)八幡神社 石道標   安政6(1859)   市教委(藤沢市の石仏p165) 移設、集約 (右面)「右 藤沢道/左 ほしのや道」/正面に「庚申塔」と陰刻 3
  打戻の庚申塔道標2 うちもどり 藤沢市 石道標   万延元(1860)   市教委(藤沢市の石仏p188) 原位置? (右面)「東 長後/南 一之宮/西 西用田、道」/正面に「庚申塔」と陰刻 1
  亀井野の題目塔道標 かめいの 藤沢市 雲昌寺 石道標   文久2(1862)   市教委(藤沢市の石仏p136) 移設、集約 (左面)「南 藤沢/北 八王子、道」/正面に「二十三夜塔」と陰刻 3
  長後の庚申塔道標3 ちょうご 藤沢市   石道標   文久3(1863)   市教委(藤沢市の石仏p155) 移設? (右面左)「右 八王子ミち」、(左面)「左、あつき/ほしのや、ミち」/正面に「庚申塔」と陰刻 2
  湘南台の題目塔道標 しょうなんだい 藤沢市 (3丁目) 石道標   文久3(1863)   市教委(藤沢市の石仏p165) 移設? (左面)「右 婦ち沢道/左 八王子道」/正面に「堅牢地神塔」と陰刻 2
  遠藤の供養塔道標 えんどう 藤沢市 墓地 石道標   文久3(1863)   市教委(藤沢市の石仏p115) 移設、集約 (右面左)「此方 ふじ沢道」/正面に「西/國、秩父/坂東、百番供養塔」と陰刻 3
写真 片瀬の道標 かたせ 藤沢市 (3丁目)江の島道と龍口寺の別れ道角<江の島道> 石道標(尖頭角柱)   江戸期 市重文 湘南ふじさわウオーキング協会/市教委 移設 (正面)「従是右 江ノ嶋道」、(左面)「左 龍ノ口道」/刻字してある地名が江戸期のもの 2
  長後の庚申塔道標4 ちょうご 藤沢市 長後市民センター 石道標(尖頭角柱)   江戸期   市教委(藤沢市の石仏p153) 移設 (右面)「左 ふじ沢ミち」、(同左)「右 大山みち」/正面に「庚申塔」と陰刻/「ミち」の標記は江戸期の可能性 2
  下土棚の道標 しもつちだな 藤沢市 三叉路 石道標   江戸期   市教委(藤沢市の石仏p161) 原位置? (正面)「左 大山道」、(右面)「右 星の谷道」/世話人が「清右ヶ門」で姓がない→江戸期の可能性 1 -
  湘南台の橋供養塔 しょうなんだい 藤沢市 (3丁目) 石碑   宝暦5(1755)   市教委(藤沢市の石仏p165) 移設 (正面)「庚申橋供養」 2
  羽鳥の石橋供養塔 はとり 藤沢市 (3丁目)汲田墓地 石碑   文化12(1815)   市教委(藤沢市の石仏p97) 移設、集約 (正面)「石橋供養塔」、(裏面)「石橋五箇所」/頂部に球状の石を載せる 3
  遠藤の石橋供養塔 えんどう 藤沢市 御嶽神社・正面階段下 石碑   天保2(1831)   市教委(藤沢市の石仏p117) 移設、集約 (正面)「石橋供養」 2 -
写真 伝・源義経首洗い井戸 みなもとのよしつね 藤沢市   石井戸 1.7×1.7m
高約56㎝
寿永2(1183)?   現地解説板/WEB 井戸脇は恐らく江戸期のもの 腰越の浜へ捨てられた義経の首が、潮に乗って境川をさかのぼり、それを里人がすくい上げ洗い清めた井戸、との伝承がある 2
写真 「天神丸」 てんじんまる 三浦市 初声海岸 残石(安山岩) 角石1:小口130
㎝角,控え315㎝
角石2:小口120
㎝×130㎝,控え340㎝
慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
神奈川考古o47/
「考古調査ハンドブック5」
海岸線水打ち際に半分埋没/角石2本と角脇石1本が見られる 座礁した石材運搬船に積まれていた石垣用の角石2本と角脇石1本(加工済み)との伝承→「細川家文書」等に大風により多数の船が座礁・沈没した記事がある/石材は石垣用材としては最大級/下記の「サンコロ石」の状況と同じなので、これが船1艘分の積み荷と推定される 3
写真 サンコロ石   三浦市 初声海岸 残石(安山岩) 角脇石:小口140
㎝×150㎝,控え115㎝以上
慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
神奈川考古o47/
「考古調査ハンドブック5」
海岸線水打ち際に半分埋没/角石2本と角脇石1本(現在は角石1本消失)が見られる 座礁した石材運搬船に積まれていた石垣用の角石2本と角脇石1本(現在は角石1本消失、加工済み)との伝承→同上/石材は石垣用材としては最大級/上記の「天神丸」の状況と同じなので、これが船1艘分の積み荷と推定される 3
写真 足柄森林公園・丸太の森の石丁場・跡 あしがら 南足柄市 広町 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」/「江戸の石を切る-伊豆石丁場遺跡から見る近世社会」
公園内に点在し、一部は園路そばにある 小口3尺角程度の石垣用材が点在→小口が大きいので江戸城修築に関わる石材と考えられる/刻印なし 1
  矢佐芝の石丁場・跡 やさしば 南足柄市 矢佐芝 石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   内田 清/
小田原市郷土文化館研究報告37
保存状態良好 “―○△△”という刻印が2ヶ所にある/母岩からは1本以上の石垣用材が切り出されており、矢穴痕が認められる 1
  塚原の石丁場・跡 つかはら 南足柄市 塚原 石丁場(安山岩)   寛永5(1628)?   内田 清/
小田原市郷土文化館研究報告37
保存状態良好 「三つ葉柏」の刻印と、「此尾北 南谷川切/水 たり/下原まて」「北ハ大峰 いり 舟帰口ノ北/かの 村山切、いりを下 松平土左守いし者」という銘が近くに刻字→土佐藩が丁場にするため予め占地したことを標示したものと推定される 1
  文命堤 ぶんめい 南足柄市 酒匂川(右岸) 土堤防 長935m 享保11(1726) 市史跡 WEB 現役・道路化 農政・民政の意見書『民間省要』(1721)で注目され幕府の支配勘定並に抜擢された田中休愚が行った多くの川除普請の一つ/享保11年2月に着工し5月に完成/禹王が黄河を治めた功績を称えて「文命」という称号を得た故事にならい「文命堤」と命名した/発掘調査により堤体内に下記の「酒匂堰取水水門」と同じ構造の取水水門のあることが発見された 2
  境川の堤 さかいがわ 大和市       江戸期   市教委        
写真 長井の題目塔道標 ながい 横須賀市   石道標(尖頭角柱) 高72㎝ 正徳元(1711)   市教委 原位置? (右面)「右ハ 長井村へ道」、(左面)「左ハ あらいくわんをんみち」/正面に「南無大悲觀音菩薩為二世安樂也」と陰刻 1 -
  野比の不動明王像道標 のび 横須賀市 (大作) 石道標(丸彫) 高1m余 安政2(1855)   市教委 原位置? (台石○面)「此方 たけやま道」(=武山観音)/台石の上に不動明王坐像の丸彫を載せる 1
写真 浦賀の燈明堂 うらが 横須賀市 西浦賀町<浦賀湊> 木灯明台(海運) 高7.32m 安政4(1857) 市史跡
(石基壇)
市教委 平成元にガラス繊維Cを擬木風に処理して木造部本体を再現 浦賀港に出入りする舟や、江戸湾を航行する船のための灯台/初代は慶安元(1649)に築造、以後、台風や津波で何度も破壊され安政4に最後の再建→明治5廃止→明治20頃滅失/菜種油を使った灯火は7㎞先まで見えたと言われる 3
写真 内川新田開発記念碑 うちかわ 横須賀市 久里浜・夫婦橋南詰 石碑(笠塔婆型) 高134.5㎝(うち、塔身107㎝) 寛文7(1667)   市教委 移設 (正面上部中央)「南無阿弥陀佛」、その下に蓮の花の線刻、(同下半分)「相州三浦内川入海新田並八幡原/新畑見立此門樋成就處年々舟及/破損 八ヶ年間致苦勞盡工夫 時依蒙/佛神夢想 而今此以石柱成就畢/水神往護 爲子々孫々諸人現當二世/安樂也/寛文七丁未年三月吉日 砂村新左衛門尉政次敬白」と陰刻/刻字部は火灯窓型に浅く削り込まれている/笠正面に唐破風/砂村新左衛門が万治3(1660)から8年かけて完成させた市内最大の新田開発の碑 2
写真 旗山台場・跡 はたやま 横須賀市 走水 台場   天保14(1843)   市教委 近代の走水低砲台: 台場は砲台より海側に位置していたとも言われ、多少残存している可能性がある 〔写真のきれいな布積石垣は明治19の走水低砲台のもの〕 4
  猿島台場・跡 さるしま 横須賀市(猿島)   台場   弘化4(1847)   市教委 平成12の調査で長18.4mの敷石遺構と道路状遺構 (大輪戸台場への切通し道路面)が発見された 島の北~東側に造られた大輪戸台場、卯ノ崎台場、亥ノ崎台場の3ヶ所の台場と焔硝蔵などの付属施設の集合体/明治17に猿島砲台を構築した際に島全体が大改造を受けた 4
      (愛甲)愛川町                    
      (愛甲)清川村                    
写真 酒匂堰取水口・跡 さかわ (足柄上)大井町 生涯学習センター・南側
<酒匂川・左岸堤防>
石取水口
(水路トンネル)
長約10m(当初),全幅5.78m(3門) 慶長8(1603) 町重文 町教委/南足柄市教育委員会 もともと下記の「酒匂川の三角土手」の南に所在していた→足柄大橋建設の際に発掘調査→全長10mの一部を移設・復元 酒匂川に築かれた酒匂堰から左岸側に取水するため堤防に開けられたトンネル状の取水口/3連のトンネルだが、天井が石蓋ではなく合掌式アーチになっている→水路トンネルとして見ると、他に現存する類例は熊本県の幸野溝・旧貫しかない/県内の南足柄市の文命堤の取水口も同型だったことが発掘調査で判明しているため、この地域の独自の技術的発想であったと思われる 3
      (足柄上)開成町                    
      (足柄上)中井町                    
  酒匂川の三角土手 さかわ (足柄上)松田町 酒匂川(左岸) 土堤防   享保19(1734)   WEB 明治40の洪水で大破 宝永4(1704)の富士山が噴火して河床上昇した酒匂川の氾濫対策として田中丘隅により享保11(1726)に築かれた大口土手が享保16の洪水で流されたため、蓑笠之助(田中丘隅の娘婿)が築いた堤防 4
写真 皆瀬川掘割 みなせ (足柄上)山北町 皆瀬川 用水路 長276m 宝永6(1709)   町教委/WEB 小規模な改修 足柄上郡川村の里正・湯山家第6代・弥五右衛門/宝永4(1704)の富士山噴火により降灰で埋まった皆瀬川の水捌けのための新川(酒匂川に排水) 2
  川入堰 かわいり (足柄上)山北町 皆瀬川 用水路 長436m 享保19(1734)   町教委/WEB 小規模な改修 同上第7代・弥五右衛門/上記の「皆瀬川掘割」の影響で水不足に陥った山北・向原地区に皆瀬川の水を導くための用水 2
写真 箱根の東海道石畳 はこね (足柄下)箱根町 芦ノ湖付近<東海道> 石畳道 長2.66㎞ 文久2(1862)改修 国史跡 町教委/WEB 基本的に文久2(1862)の改修時のまま/史跡指定された旧道3.66㎞の中に断続的に残る
(觀音坂、割石坂、大澤坂、西海子坂、橿木坂、猿滑坂、白水坂、天ケ石坂、權現坂)
文久3(1863)、和宮内親王が第14代将軍・徳川家茂に降嫁するにあたり、その前年に大改修されたもの(実際には中山道を通った)/平均3.6m
の道幅の中央1.8mに石を敷き詰めた/最初の石畳化は、史料はないが、箱根西坂(静岡県側)が石畳化された延宝8(1680)頃だと思われる
〔写真は權現坂の石畳〕
1 写真
写真 箱根の東海道杉並木 はこね (足柄下)箱根町 芦ノ湖付近<東海道> 杉並木 長約500m(402本) 元和4(1618) 国史跡 町教委(箱根人の箱根案内p32-33) 402本の大木が残る/昭和19に県庁からの軍用木材としての供出命令書を焼却した町役場の書記の勇気ある行為で救われた 元和4(1618)に箱根越えの道が整備された後に松が植えられ、その後、気象に合わないため杉に替えられた/枯れた杉の樹齢から1640-60頃の植栽と推定される 2
写真 畑宿一里塚 はたじゅく (足柄下)箱根町 <東海道> 一里塚(2基) 直径9m 江戸初期 国史跡 町教委 発掘調査に基づいて平成10に復元 箱根の東海道石畳の両側に配置 3
  元箱根の常夜灯 もとはこね (足柄下)箱根町 權現道分岐点・付近
<東海道>
石常夜灯 高2.84m 文化11(1814)   町教委(「街道」関係資料調査報告書p64) 原位置 (竿右面)「筥根山大權現御広可」/石基壇なし

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  元箱根の道標1
(箱根権現印石)
もとはこね (足柄下)箱根町 權現道分岐点・付近
<東海道>
石道標(尖頭角柱) 高106㎝,幅45.5
享保5(1720)   町教委(「街道」関係資料調査報告書p64) 原位置 (正面)「従是右方 筥根山大權現」

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  元箱根の道標2 もとはこね (足柄下)箱根町 權現坂<東海道> 石道標(尖頭角柱) 高120㎝,幅44㎝ 享保16(1731)   町教委(「街道」関係資料調査報告書p64) 原位置 (正面)「(梵字)六道地蔵菩薩江之道」/京都に一連の道標を建てた江戸の米屋久右衛門が建立したもの

1

  箱根関所 はこね (足柄下)箱根町 <東海道> 関所   元和5(1619) 国史跡 町教委/WEB 「相州御関所御修復出来形帳」(1865)と発掘調査の結果に基づいて可能な限り正確に復元
(2007)
東海道で最も重要な関所/大番所、足軽場所、御門(2ヶ所)、石垣、木柵を復元

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  深良用水隧道(取水口) ふから (足柄下)箱根町 芦ノ湖
→深良用水(箱根用水)
<素掘トンネル
(水路)>
長1280m 寛文10(1670) 全国疎水百選 裾野市教育委員会
(深良地区の文化財めぐりp6-8)/WEB
坑口はC水門
→“江戸らしさ”は全くない
深良村の水田開発のため隣国にある芦ノ湖から静岡側に水を引くためのトンネル/深良村の名主・大庭源之丞が発起人となり、江戸の町人・友野与右衛門らを元締として用水開削の許可を幕府から得て、4年の歳月をかけ湖尻峠の下を掘り抜いたもの(用水全体は全長1342m、竣工は翌寛文11年)/出会いに1m程の誤差しかなかったと言われ測量技術の精度の高さがうかがえる 3
写真 真鶴半島尖端の磯丁場・跡 まなづる (足柄下)真鶴町   石丁場(安山岩)   慶長9-寛永13(1604-36)   三瓶裕司/
「考古調査ハンドブック5」
保存状態良好 海岸の岩場に無数の矢穴列が穿たれている→矢穴列は3尺幅を基準にしたものが多い 1
写真 真鶴半島西側(番場浦)の磯丁場・跡 まなづる・
ばんばうら
(足柄下)真鶴町   石丁場(安山岩)   江戸期   三瓶裕司/
「江戸城・城下と伊豆石」
保存状態良好 多くの安山岩の石丁場では矢穴技法を以って石の切り出しが行われているが、ここでは、凝灰岩等柔らかい石材に用いられる溝切り技法によった切り出しがなされている/丁場の目の前には船着きが設けられ、舫かけの加工が施された岩盤も認められる 1
      (足柄下)湯河原町                    
      (高座)寒川町                    
写真 大磯の東海道松並木 おおいそ (中)大磯町 <東海道> 松並木   慶長9(1604)以降   WEB 修景整備/先端切断 化粧坂~旧道に少々と旧吉田邸付近の両側に見事な松並木が残り、湘南地域の東海道松並木の代表的なもの 2
写真 虎御前の化粧井戸 とらごぜん、
けしょう
(中)大磯町   石井戸 直径1.1m 鎌倉期以前?   WEB 簡易屋根付き 曾我兄弟の兄十郎祐成との悲哀物語で知られる虎御前がこの近くに住み、朝夕この井戸の水を汲んで化粧をしていたとの伝承がある/弧状の石を組み合わせた円形の井戸枠は中世由来の可能性 2
写真 二宮の東海道松並木 にのみや (中)二宮町 <東海道> 松並木 3本 慶長9(1604)以降   現地調査/WEB 東海道の車道北側に松の古木が3本残る/後世の松も数本 化粧坂~旧道に旧吉田邸付近の両側に松並木が残り、湘南地域の東海道松並木の代表的なもの 4
  堀内の庚申塔道標
(脇町の庚申塔)
ほりうち (三浦)葉山町   石道標(安山岩) 高75㎝(塔身のみ),幅32㎝ 明和9(1772) 町建造物 町教委 移設、集約/覆屋内 (右面)「右 みさきみち」、(左面)「左 うらがみち」/正面に「庚申講中」と陰刻 2
  木古庭の馬頭観音像道標 きこば (三浦)葉山町   石道標(蒲鉾型、安山岩) 高63㎝
(塔身のみ)
文政5(1822)   町教委 移設? (台石正面右)「右/浦賀」、(同左)「金沢/左」/正面に馬頭観音坐像
(三面八臂〔輪宝、三又剣、棒、斧、数珠、施無畏印〕)の陽刻
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  堀内の地蔵道標 ほりうち (三浦)葉山町 幸福堂前の地蔵堂 石道標(尖頭角柱、安山岩) 高60㎝,幅27㎝ 天保2(1831)   町教委 原位置?/中央で折損→修復 (正面像下)「右 うら賀/左 やま道」/正面頂部に地蔵坐像(蓮台)の浮彫り 1
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       

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