愛知県

写真 名称 ふりがな 区市町村 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 二十五丁橋   名古屋市(熱田区) 熱田神宮 石桁橋(弓型)
(花崗岩)
(2G) 江戸期   WEB 昭和11解体、昭和30に移設・復元 25枚の橋面石が整然と並ぶ広復員の弓橋。架設時期不明。室町時代の境内を描いた「享禄古圖」を江戸時代に模写した「享禄古図」に描かれていることから中世由来と書かれているケースも多いが、この図に描かれている橋は朱塗りの高欄付きなので木橋/江戸期に木橋が石橋に架け替えられた事例は多いので、二十五丁橋も江戸期の架設と思われる/
「尾張名所圖會」に描かれているとの指摘もあるが、江戸末期~明治初期の刊行物なので証拠にはならない/木桁風の組石細工が見事
2
写真 裁断橋 さいだん 名古屋市(熱田区) 姥堂<東海道/精進川> 木桁橋   元和8(1622) 市有形(工芸) WEB 昭和28移設/3分の1の長さに短縮されたイミテーション橋(平成5)に復元した擬宝珠を付けて展示(本物の擬宝珠は、市立博物館) 秀吉の小田原征伐に出陣し病死した堀尾金助の母が供養のために老朽化した橋を修復/擬宝珠に母の愛を示す有名な銘文が刻まれている 4
写真 伝馬町の道標1 てんま 名古屋市(熱田区) (1丁目)<美濃路> 石道標   宝暦8(1758)   WEB 移設(繊細で4つに破壊したものを接合)→個人宅(接近自由) (正面)「南、…/北 さや ミのぢ きそ、道」、(右面)「東、左 京 □□/…」、(左面)「西、是よりきた/あつ多御本社 二丁」 4
写真 伝馬町の道標2 てんま 名古屋市(熱田区) (1丁目)<東海道・美濃路> 石道標(尖頭角柱)   寛政2(1790)   WEB 移設 (正面)「西、東 江戸かいとう/北 なこや きそ道」、(右面)「東、北 さやつしま/向 みのち、道」、(左面)「北、南 京 いせ 七里の渡し/是ゟ北 あつ多御本社 貮丁、道」 2
写真 新尾頭の道標 しんおとう 名古屋市(熱田区) 金山新橋南交差点・西南角<佐屋路・美濃路> 石道標(尖頭角柱)   文政4(1821)   WEB 近接移設?/中央で折損(戦災)→修復 (正面)「東 右、なこや/木曽、海道」、(左面)「南 左、さや海道/津しま道」、(裏面)「西、右 宮海/左 なこや」/佐屋宿の旅籠仲間が建立 2
写真 熱田湊の常夜灯 あつた、
みなと
名古屋市(熱田区) 宮の渡し公園<東海道> 石常夜灯(海運)
(火袋は木製)
  寛永2(1625)→承応3(1654)現位置に移設→寛政3(1791)焼失・再建   WEB 昭和30復元/当時のものを使ってなく、形も異なる 建立:犬山城主・成瀬正虎 4
写真 (再現)七里の渡しの船着場 しちり 名古屋市(熱田区) 宮の渡し公園<東海道> 木造埠頭   慶長6(1601)起源   WEB 昭和58イミテーション的に再現(明治期になっても使われたため、実際の当初形態は不明) 宮~桑名を結ぶ海上7里の航路の起点 4
写真 蔵福寺の「時の鐘」 ぞうふくじ 名古屋市(熱田区) 宮の渡し公園<蔵福寺> 木造楼閣   延宝4(1676)   WEB 戦災で焼失→昭和58復元 建立:尾張藩主・徳川光友/宿場の住民や旅人に時を告げる役割を担った 3
写真 清正橋 きよまさ 名古屋市(北区) 味鋺神社<稲置街道> 石桁橋(花崗岩) 長3.1m(2G),幅1.7m(桁石4枚) 慶長15(1610)頃?   WEB 昭和53移設/取り壊しの予定→保存の要望で残る 名古屋城築城の際に、加藤清正が行った石びきのために造られたと伝えられる/完形で残る沖縄以外で国内最古級の石桁橋 2
  大曽根の追分道標 おおぞね 名古屋市(北区) <善光寺街道・飯田街道> 石道標 高約80㎝ 延享元(1744)   区役所 ほぼ元の場所に再移設して整備 「右 いゐたみち」「左 江戸みち/ぜんく己うじみち」 2
  味鋺の渡しの馬頭観音像道標 あじま 名古屋市(北区) 護国院<木曽街道・味鋺の渡し/庄内川> 石道標(舟型)   江戸期   区役所/WEB 移設 (右端)「右 勝川道」、(左端)「左 小牧道」/中央に馬頭観音立像を陽刻 2
  小坂町の地蔵道標 こさか 名古屋市(昭和区) <飯田街道・塩付街道> 石道標(舟型) 高約70㎝ 江戸期   WEB 信仰の対象 (右端)「東海道 新四国」、(左端)「やごと道」/中央に地蔵尊立像を陽刻 2
      名古屋市(千種区)                    
      名古屋市(天白区)                    
      名古屋市(中区)                    
  万場の渡しの常夜灯 まんば 名古屋市(中川区) <佐屋路>(庄内川右岸) 銅板葺の石常夜灯
(渡し場)
  安永6(1777)   WEB 堤防下に移設(木部は再現) 竿石の上に木製の春日型の屋根(銅板葺)と火袋が載る構造 3
写真 万場宿の常夜灯 まんば 名古屋市(中川区) <佐屋路>(庄内川右岸) 石常夜灯 高約3.1m 天保13(1842)   WEB 移設 万場宿にあった常夜灯 2
写真 新川 しん 名古屋市(中川区)、他 西区参照 分水(放水路) 長約20㎞ 天明8(1788)   新川・開削の歴史/WEB 特定都市河川(一級河川) 西区参照    
  烏森町の秋葉山常夜灯 かすもり 名古屋市(中村区) 八幡社<佐屋路・柳街道> 石常夜灯(道標兼)   安永6(1777)   WEB 移設 「秋葉山大權現」「町内安全」/「左 なこや道」/竿が角柱状 2
写真 四間道 しけみち 名古屋市(西区) 那古野 街路 幅4間(7.3m) 元禄13(1700)以降 市の町並み保存地区   四間道沿いには石垣上に土蔵群が並び、元文年間(1740頃)の姿を留めている 名古屋城下の町人居住地は、国内最大の近世の碁盤目状の街区として慶長15(1610)に誕生したが、万治3(1660)の大火を経て堀川左岸が再区画され、元禄13(1700)の大火の後に堀川右岸沿いの商家の裏道幅を3間から4間に広げたことに由来 1 写真
写真 堀川 ほり 名古屋市(西区) 名古屋城近く~熱田湊 運河 長約6㎞(当初) 慶長15(1610)→寛文3(1663)、天明4(1784)、明治10(1877)を経て現状   市教委/WEB 大規模な改修 施工:広島藩主・福島正則/当初の開削の目的は、軍事上の防備線や名古屋城の築城資材の運搬水路であったとされるが、江戸期を通じて名古屋城下への生活資材の運搬水路として重要な役割を果たした 3 写真
写真 新川 しん 名古屋市(西区)、あま市、清洲市、
北名古屋市、
(海部)大治町、
名古屋市(中川区)名古屋市(港区)
名古屋市(西区)
北名古屋市
→名古屋市(西区)
→清洲市→あま市
→大治町
→名古屋市(中川区)
→名古屋市(港区)
分水(放水路) 長約20㎞ 天明8(1788)   新川・開削の歴史/WEB 特定都市河川(一級河川)/明治11・昭和2に堤防の改築、昭和29に護岸改修、堤防嵩上げ(抜本的な大改修はされていない) 江戸期、わが国最長の放水路/尾張藩勘定奉行・水野千之右衛門は、低湿地のため洪水に苦しんでいた庄内川右岸の村々を救うため、藩主徳川宗睦に庄内川の分水工事の建白書を提出した→藩財政が窮乏していたため着手は見送られたが、安永8(1779)の庄内川の大洪水の後、宗睦は水野千之右衛門と国奉行・人見弥右衛門に検討を命じた→千之右衛門は、工事費の総額が尾張藩の1年分の収入を遥かに超えることから、わざと減額した積算表を提出するとともに、工事を途中で中止できないよう水源の比良村(現・名古屋市西区)から伊勢湾に至るまで一度に200ヶ所以上も掘り立てるという方法で本工事に着手(天明4(1784))/水野・人見両名は工事途中で過小な工事積算が発覚し責を問われて降職・謹慎となったが、工事は完成するまで続行(40万両以上を要した)→千之右衛門の功績を称えるため、洪水に悩まされてきた28ヶ村の有志によって下記の「水埜士惇君治水碑」が建立された(碑には千之右衛門の字・「士惇」の文字を使用) 3 写真
写真 庄内川新川洗堰

しょうない、
しん

名古屋市(西区) 庄内川→新川 分水(洗堰)   天明8(1788)   岩屋隆夫 明治11・16・37大改修(堰高・構造を変更→洪水処理方法は、建設当時の超過洪水の越流という手法を踏襲) 上記「新川」への、庄内川の洪水時越流堤/施工後、庄内川の新川分派点より下流では破堤しなかった(~戦前)ので、水害防止に一定の効果はあった 4
写真 主税町の道標 ちから 名古屋市(東区) 文化のみち二葉館
<清須街道>
石道標(自然石) 高76㎝,幅25㎝,厚13㎝ 慶長9-15(1604-10)?   WEB/馬場愼一 明治末に主税町の山高家の母屋の床下から発見→その後各所を転々→平成18文化のみち二葉館の中庭に移設 (正面)「是ゟ右 江戸道」/尾張藩士普請方・奥村徳義(1793-1862)の『金城温古録』に名古屋開府前の地図が添付され、そこに道標の詳細な記述があり、さらに同人の『松濤棹筆』には道標の絵や文字まで書いてある→しかし、年号は刻字されていない→もし、この道標が「現地解説板」記載通りとすれば全国で4番目に古い道標となる/行き先が「江戸」と刻字してあるため慶長9(1604)以降の建立で、かつ、名古屋遷都工事が始まる慶長15(1610)頃には撤去されたとされる→①最古期の道標で遠くの都市名を刻字したものはないし、②江戸末期の書物に正確な絵が表示されている→著者が武士の家に保管してあった石をそのまま写した可能性が高い→その際、由来もその家の伝承を書いただけ→建立年が正しい蓋然性は低い 2
  長久寺の地蔵道標 ちょうきゅう 名古屋市(東区) (白壁3丁目)<東海道> 石道標(舟型)   江戸期?   WEB 長久寺にある六地蔵の一番右にある (右端)「右 なるみ道」、(左端)「左 坂道」/中央に地蔵尊立像を陽刻 2
      名古屋市(瑞穂区)                    
  丹下町の秋葉山常夜灯 たんげまち 名古屋市(緑区) <東海道> 石常夜灯   寛政4(1792)   WEB 石常夜灯を避けるように歩道新設 「秋葉大權現」「新馬中」/鳴海宿の西口→宿場の両口の常夜灯が残っているのは珍しい 1
  平部町の秋葉山常夜灯 ひらぶまち 名古屋市(緑区) <東海道> 石常夜灯   文化3(1806)   WEB 旧状をよく留める 「秋葉大權現」「宿中為安全」/鳴海宿の東口→宿場の両口の常夜灯が残っているのは珍しい 1
  平手南の地蔵道標 ひらてみなみ 名古屋市(緑区) 報恩寺<平手新田> 石道標(舟型)   江戸期?   WEB 移設 (右端)「右 モロノキ」、(左端)「左 白土」/中央に地蔵尊立像を陽刻 2 -
写真 込高新田堤 こめだか 名古屋市(緑区) <込高新田> 土堤防 長約800m(残存) 延宝8(1680)   市教委/馬場愼一 上流部〔写真〕は、かつての堤防らしさを残す 込高新田の西側堤防として、市内で良好な状況で現存する数少ない干拓遺構/土積み方法: ほぼ中央に長さ約1.5mの丸木杭を約50㎝間隔で打ち、杭の左右約1m及び1.6mの位置に長さ約30㎝の短杭を約70㎝間隔で打ち、東側から西側へと土積みした 3
写真 新川 しん 名古屋市(港区)、他 西区参照 分水(放水路) 長約20㎞ 天明8(1788)   新川・開削の歴史/WEB 特定都市河川(一級河川) 西区参照    
写真 笠寺一里塚 かさでら 名古屋市(南区) <東海道> 一里塚(1基) 東塚:高約3m,直径約10m,塚木:榎 江戸初期   市教委 樹齢400年を超える榎の古木=枝ぶりも根張りも見事/市街地にありながら、旧東海道の雰囲気を残す 東海道筋に残る最も見事な塚木、かつ、これより西でこれ以上見事な塚ぎは存在しない/戦前指定の木も枯れた国指定の一里塚が多い現在、これほどの一里塚が市指定ですらないのは大きな矛盾 2
  紀左衛門新田堤 きざえもん 名古屋市(南区) <紀左衛門新田> 土堤防 長約30m(残存) 宝暦4(1754)   市教委/WEB 民有地内/周辺が嵩上げされ堤防であると視認困難 施主:加藤紀左衛門→のち徳川家の所有に 4
      名古屋市(名東区)                    
      名古屋市(守山区)                    
写真 二子町の道標
(定納の道標)
ふたご
(じょうのう)
愛西市 <高須街道/佐屋川> 石道標   安政3(1856)   八開村史p123 原位置? (正面)「名古屋道」、(右面)「起 竹花道」、(左面)「天王道」、(裏面)「すぐ 京 高須 高田 今尾」 1
  さや舟場道道標   愛西市 <佐屋路> 石道標   江戸期   WEB 移設 「左 さや舟場道」/佐屋三里の渡し跡に相応しい道標 2
写真 御囲堤(二子町) おかこいづつみ(ふたご) 愛西市・一宮市・江南市・津島市 旧八開村<佐屋川左岸> 土堤防 長約47㎞,高9.1~14.5m,馬踏10.9~18.2m 慶長15(1610)
→寛政3(1791)嵩上
→寛政11(嵩上)
  八開村史・通史編/馬場愼一 旧堤防を一部崩して道路化した区間 施工命令:徳川家康,計画・実施:伊奈忠次/尾張徳川家を水害から守るためと、西国大名の侵入を防ぐために築造(大坂冬の陣直前)/「対岸美濃の諸堤は御囲堤より低きこと三尺たるべし」との不文律 2
写真 御囲堤(西保町) おかこいづつみ(にしほ) 同上 旧佐屋町<佐屋川左岸> 同上 同上 同上   同上 旧堤防を一部崩して道路化した区間 同上 3
写真 甚目寺の道標1 じもくじ あま市 (西大門)<津島街道> 石道標(尖頭角柱)   享保10(1725)   宮川康夫 原位置? (正面)「従是左 さや宿道」、(右面)「従是右 徒し満街道」(=つしま) 1
写真 花長の聖観音像道標 はなおさ あま市 <津島上街道> 石道標(舟型) 高60㎝,幅30㎝ 延享3(1764)   市美和資料館 昭和40頃、道路拡幅に伴い隣接移設/像の部分は風化が進む  (像の右脇)「是より右へ はなまさ」、(同・左脇)「くわんおんみち」/聖観音像が全面に陽刻 3
写真 甚目寺の道標2 じもくじ あま市 (西大門)<津島街道> 石道標 高135㎝,25㎝角 安政3(1856)   馬場愼一 原位置? (正面)「右 つしまみち」、(左面)「左 さ屋 まじ満みち」 1
  新川 しん あま市、名古屋市、清洲市、北名古屋市、(海部)大治町 名古屋市(西区)
→北名古屋市
→名古屋市(西区)
→清洲市→あま市
→大治町
→名古屋市(中川区)
→名古屋市(港区)
分水(放水路) 長約20㎞ 天明8(1788)   新川・開削の歴史/WEB 特定都市河川(一級河川)/明治11・昭和2に堤防の改築、昭和29に護岸改修、堤防嵩上げ(抜本的な大改修はされていない) 江戸期、わが国最長の分水(放水路)/尾張藩勘定奉行・水野千之右衛門は、低湿地のため洪水に苦しんでいた庄内川右岸の村々を救うため、藩主徳川宗睦に庄内川の分水工事の建白書を提出した→藩財政が窮乏していたため着手は見送られたが、安永8(1779)の庄内川の大洪水の後、宗睦は水野千之右衛門と国奉行・人見弥右衛門に検討を命じた→千之右衛門は、工事費の総額が尾張藩の1年分の収入を遥かに超えることから、わざと減額した積算表を提出するとともに、工事を途中で中止できないよう水源の比良村(現・名古屋市西区)から伊勢湾に至るまで一度に200ヶ所以上も掘り立てるという方法で本工事に着手(天明4(1784))/水野・人見両名は工事途中で過小な工事積算が発覚し責を問われて降職・謹慎となったが、工事は完成するまで続行(40万両以上を要した)→千之右衛門の功績を称えるため、洪水に悩まされてきた28ヶ村の有志によって下記の「水埜士惇君治水碑」が建立された(碑には千之右衛門の字・「士惇」の文字を使用) 4 写真
写真 安城の東海道松並木 あんじょう 安城市 <東海道> 松並木 20本程度が散在 江戸期?   現地 両側の盛土を含めて残る 東海道松並木 3
写真 旧鎌倉街道の「目印しの松」   安城市 <鎌倉街道>   不詳   現地解説板 松の樹齢が江戸期以前には遡らないため、真偽のほどは不明 鎌倉街道の屈曲点を示すとされる松 4
写真 西別所町の秋葉山常夜灯 にしべっしょ 安城市 (本郷) 石常夜灯   嘉永元(1848)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/電気点灯 (中台正面)「秋葉山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/整形布積された石基壇 1
写真 安城町の秋葉山常夜灯 あんじょう 安城市 東尾公民館 石常夜灯   嘉永4(1851)   WEB(遠州・万斛の郷) C基盤→移設?/火袋改修/電気点灯 (中台正面)「秋葉山」/きれいな亀甲積の石基壇(明治期?) 2
写真 冨田一里塚 とみだ 一宮市 <美濃路> 一里塚(2基) 高約1.8m,約9.2m
四方,塚木:榎
慶長9(1604)以降 国史跡 WEB 両塚に榎の巨木 美濃路で唯一両塚が現存/現存する一対の一里塚で塚木が2本ともオリジナルなのは、この冨田一里塚と、栃木県日光市の室瀬一里塚の2ヶ所のみ 1 写真
写真 起渡船場の常夜灯 おこし 一宮市 金刀比羅社<美濃路/木曽川(左岸)> 石常夜灯(渡し場) 高約4m 天保4(1843)建造後、明治16(1883)東方へ移設、明治24(1891)濃尾地震で倒壊後再度改修 県史跡 尾西歴史民俗資料館/WEB 火袋下の中台に昭和28、竿に明治12、竿の台石に明治33の銘が入っている 木曽川の重要な渡船場に残る常夜灯 3
写真 宝江の追分道標 ほうえ 一宮市 <岐阜街道・お堤通り> 石道標 高150㎝,幅30㎝,厚30㎝ 文政12(1829)   尾西歴史民俗資料館/馬場愼一 保存状態良好 「右 津しま 起道」「左 奈こや道」 1
  野府の地蔵さん(道教え地蔵) のぶ 一宮市 <津島道・一宮道> 石道標(舟型) 高40㎝ 文政12(1829)   尾西歴史民俗資料館 移設/保存状態良好 (光背・右)「右 つしま道」、(同・左)「左 一のみや道」 1
写真 旧・冨田の道標 とみだ 一宮市 富田一里塚横の
小公園<美濃路・津島道>
石道標(尖頭角柱) 高85㎝,19㎝角 弘化3(1846)   尾西歴史民俗資料館 移設 (正面)「左 おこし道」、(左面)「右 つしま道」 2
写真 駒塚の道標 こまづか 一宮市 <美濃路・駒塚道> 石道標(尖頭角柱) 高204㎝,幅31㎝,厚31㎝ 慶応3(1867)   尾西歴史民俗資料館/WEB 移設もしくは再建立(C台石) (正面)「左 駒塚道」、(同最下部)「舩渡ヘ五丁」/下記の「駒塚の渡し」への道しるべ 2
  冨田村・加賀野井村の境杭 とみだ、
かがのい
一宮市   境界石 高150㎝,幅80㎝,厚80㎝ 弘化4(1847)   尾西歴史民俗資料館 保存状態良好 是上富田村扣」「是下加賀野井村扣」 1
写真 宝江の渡し・跡 ほうえ 一宮市 <岐阜街道/木曽川(左岸)> 渡し場   慶長5(1600)→同・12(1607)官道化   現地解説板/馬場愼一 木曽川に接して残る(施設は何もないが、場所が特定されている) 関ヶ原の合戦の前、東軍先鋒の池田輝政が岐阜城攻めのため木曽川を渡った地点/尾張藩主・徳川義直が官道として整備 4
写真 北方の渡し・跡 きたがた 一宮市 木曽川(左岸) 渡し場
(戦時・儀式)
  慶長5(1600)   現地解説板/馬場愼一 木曽川に接して残る(施設は何もないが、場所が特定されている) 関ヶ原の合戦の際、徳川家康がこの地点で渡河したことに由来、尾張藩主が交代する度に、「岐阜お成り」と称しここを渡ったとされる 4
写真 起渡船場・跡 おこし 一宮市 金刀比羅社<美濃路/木曽川(左岸)> 渡し場   江戸初期 県史跡 WEB 木曽川から少し離れた金刀比羅社境内に各種記念碑が立つ 東海道と中山道を結ぶ美濃路が木曽川を渡る地点(上、中、下3ヶ所の渡し場があった) 5
写真 駒塚の渡し・跡 こまづか 一宮市 <駒塚道/木曽川(左岸)> 渡し場   享保11(1726)   現地解説板/WEB 場所が推定されている程度/羽島市側はもう少し状況はいいとされるが未確認 享保11、尾張藩家老・石河氏が屋敷を構えていた美濃国中島郡駒塚から名古屋城へ登城するため、駒塚~冨田間に駒塚の渡しを含む駒塚道を開いた 4
写真 御囲堤(浅井町) おかこいづつみ(あざい) 一宮市・愛西市・江南市・津島市 県道・小牧~北方~江南線<木曽川(左岸)> 土堤防 長約47㎞,高9.1~14.5m,馬踏10.9~18.2m 慶長15(1610)→寛政3(1791)嵩上→寛政11(嵩上)→明治18(1885)嵩上・一部に桜植樹 国天然(桜) 江南市教育委員会/八開村史・通史編//木曽川上流河川事務所 現役の県道(堤防としての役目は終えている)/桜並木で有名な区間 施工命令:徳川家康,計画・実施:伊奈忠次/尾張徳川家を水害から守るためと、西国大名の侵入を防ぐために築造(大坂冬の陣直前)、さらに、尾張平野の農業開発や木曾檜の流送も視野に入っていたとされる/
「対岸美濃の諸堤は御囲堤より低きこと三尺たるべし」「尾張領御囲堤御修繕相済候迄は、対岸の諸藩領分堤普請遠慮これ有るべし」との不文律を美濃側に強制したという話は有名だが、直接これに言及した資料はないので強制力が働いたのか、結果的に堤防に差が出たのかは不明
1 写真
写真 御囲堤(北方町) おかこいづつみ(きたがた) 同上 同上 同上 同上 同上   同上 現役の県道(堤防としての役目は終えている)/堤防跡を感じさせる市街地区間 同上 2
写真 四ツ家の追分道標 よつや 稲沢市 長光寺<美濃路・岐阜街道> 石道標   文政2(1819)   市教委 移設/下部が損傷→四隅を鋼材で補強 「右 ぎふ道」「左 京都道」(事故損傷前は下部にもっと字があった) 3
写真 矢合の馬頭観音像道標 やわせ 稲沢市 <八神街道> 石道標(舟型)   文政9(1826)   市教委 木祠内 (光背右上)「津嶋道」、(同左上)「なごや道」、(右面)「北 一ノ宮道」、
(左面)「西 やがみかいどう」/光背中央に馬頭観音坐像(三面六臂、蓮台)を陽刻
2
  片原一色の道標 かたはらいしき 稲沢市 <八神街道> 石道標   天保7(1836)   市教委 下半分が葉で見えない 「右 八神海道」「左 なごや道」 2
  矢合の聖観音像道標 やわせ 稲沢市 <八神街道> 石道標(舟型)   天保14(1843)   市教委   (光背右)「一ノ宮道」、(同左)「やケみ道」/光背中央に聖観音像を陽刻 2
写真 北島の道標 きたじま 稲沢市 大江川の堤防上
<八神街道>
石道標(尖頭角柱)   安政6(1859)   市教委 移設 (正面下部)「右 奈こや/左 や加み」、(同上部)「愛染明王」、(同上部左縁)「北へ八丁」、(左面下部右)「右 甚目寺」、(同下部左)「左、こうの宮/一の宮」、(同上部)「本尊善光寺如來」 2
写真 稲葉の円柱道標 いなば 稲沢市 <美濃路・津島道> 石道標(円柱) 高1.1m 江戸期?   WEB 保存状態良好 「右つしま道 三里」/円柱状の道標は珍しい 1
写真 栗栖の渡しの石畳 くりす 犬山市 木曽川(左岸) 石畳 幅約2.5m,長約30m 江戸期   市教委/現地解説板 渡し場へ向かう道に残る石畳/保存状態は良好 栗栖から対岸の岐阜県坂祝町勝山への渡し場/渡し場に降りる石畳が残る事例は少ない 2
写真 内田の渡しの常夜灯 うちだ 犬山市 <尾張藩営>/木曽川(左岸) 石常夜灯(渡し場) 高約3.1m 文化12(1815)   市教委/現地解説板 工事により若干の移設の可能性はあるが、当時のまま 近世以前より尾張と美濃を結んでいた木曽川の渡し場/無事故安泰を願うと共に舟運発着の目標とされた/対岸は鵜沼の渡し(岐阜県各務原市) 2
  鵜飼の渡しの常夜灯 うかい 犬山市 木曽川(左岸) 石常夜灯(渡し場)   文政13(1830)   市教委 電気点灯 犬山から木曽川対岸に渡る3つの渡し場の1つ(材木商・神戸弥兵衛が個人で設けたとされる)/対岸は小伊木の渡し(岐阜県各務原市) 1
写真 入鹿池の河内屋堤
(百間堤)
いるか、
かわちや
犬山市   土堰堤 長175m,高26m,基礎幅136m 寛永10(1633)→慶応4(1868)の「入鹿切れ」の決壊以後数次にわたり補強   市教委/水土を拓いた人びとp206/馬場愼一 大規模な改修(10回にのぼる堰堤の嵩上げ・拡幅) 地元の「入鹿六人衆」が尾張藩主に願い出て着手→水没する村・寺社を移転(藩より当時としては異例の多額な移転料)/銚子口の締切が困難を極めたため河内国から甚九郎を招いて施工→一気に川を堰き止める「棚築き」という方法で締切に成功/当時最大級の溜池 3
      岩倉市                    
      大府市                    
  岡崎二十七曲 おかざき 岡崎市 <東海道> 道路   文禄5(1596)
~慶長5(1600)の間
  WEB 街並みは変わってしまっているが、二十七曲の道路の線形そのものは残っている 豊臣秀次の筆頭家老格として八幡城下の町割を行った田中吉政が、秀次自害後に10万石の三河国岡崎城主となった際に行った城下町整備の一環/本来岡崎の郊外を通っていた東海道を城下町の中心を通るように変更し、クランク状の道に整備したもの 3
写真 伊賀八幡宮の神橋 いが、しん 岡崎市 伊賀八幡宮・蓮池 石桁橋   寛永13(1636) 国重文 WEB 保存状態良好/通行禁止 伊賀八幡宮は、3代将軍・徳川家光の命で岡崎城主・本多忠利が奉行となり、幕府作事方御大工・鈴木長次が造営したが、神橋も鈴木長次が木橋の工法を取り入れて造ったとされる→特に4本の反桁を支える組物(頭貫木鼻付き)は木造建築の軒下構造と酷似/高欄をはじめ随所に雲形模様が取り入れられ、全体が工芸美術品の水準に達している/滋賀県の日吉神社の大宮橋(国重文)と並ぶ石橋の傑作/構造的には、長方形の池の中央に石桁を架け、その4分の1点と4分の3点に組物を置き、その上にもう1本石桁を架け、その中央にさらに組物を置き、計3ヶ所の組物で太鼓状の4本の反石を支える形式 1
写真 藤川の東海道松並木 ふじかわ 岡崎市 <東海道> 松並木(黒松) 約1㎞,90本程度 慶長9(1604)以降 市天然 WEB 区間が長くて本数が少ないため連続性が低い 東海道筋のオリジナルの木が一部残る松並木の1つ 2
写真 大平一里塚 おおひら 岡崎市 <東海道> 一里塚(1基) 南塚:7.3m×8.5
m,高2.4m
慶長9(1604)以降 国史跡 WEB 塚木は昭和28の台風で倒木→補植された木がかなり育っている   2
写真 市場町の秋葉山常夜灯 いちば 岡崎市 <藤川宿・棒鼻> 石常夜灯 高3.59m(うち、基壇0.57m) 寛政7(1795)   WEB(遠州・万斛の郷) 保存状態良好 東海道の常夜灯/基壇石組が見事/藤川宿東口の曲手に建つ 2
写真 材木町の秋葉山常夜灯 ざいもく 岡崎市 御旗公園 石常夜灯 高4.15m(うち、基壇0.75m) 寛政10(1798)   WEB(遠州・万斛の郷) プラスチック製の柵で囲まれている/基壇は後世のもの?/笠と火袋から中台まで、台石と台石下2段の石が異なるため改修されている (竿正面)「秋葉山」、(竿裏面)「能見町」/中台に装飾を彫刻 2
写真 籠田町の秋葉山常夜灯 かごた 岡崎市 籠田公園 石常夜灯 高3.40m 寛政10(1798)   WEB(遠州・万斛の郷)/現地解説板 大正期、昭和25、56に計3度移設/周辺整備 (竿正面)「秋山常夜燈」(緑字は異体字)/石工:七左衛門竿の上下に繊細な線刻、中台に菱形模様中台下部に蓮花台、台石上部に逆蓮花台の彫刻/台石から笠、宝珠まで6角形、竿のみ円筒/伝馬通の秋葉山常夜灯とよく似たデザインの灯籠型/石基壇なし 2
写真 桜形町の秋葉山常夜灯1 さくらがた 岡崎市 (日面) 石常夜灯 高3.10m(うち、基壇0.93m) 寛政11(1799)   WEB(遠州・万斛の郷) 現役で点灯(蝋燭)/保存状態良好 (竿正面)「秋葉山」、「村中安全」 1
写真 本宿町の秋葉山常夜灯 もとじゅく 岡崎市 <東海道> 石常夜灯 高2.25m 寛政13(1801)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設(台石後補)/火袋後補 (竿正面)「秋葉常夜燈」/東海道の常夜灯/石基壇なし/火の見櫓が隣接(火事除けの秋葉信仰との関連性を感じさせる) 2
写真 伝馬通の秋葉山常夜灯 てんま 岡崎市 伝馬通公民館・前 石常夜灯 高約3.3m 享和3(1803)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設 (竿正面)「秋葉大權現」、石工:嘉兵ヱ/上記の「籠田町の秋葉山常夜灯」とよく似たデザインの灯籠型 2
写真 明大寺町の秋葉山常夜灯 みょうだいじ 岡崎市 東明大寺公民館・前 石常夜灯   文化5(1808)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修 (竿正面)「秋葉山常夜灯」/細長い石基壇 1
写真 夏山町の秋葉山常夜灯1 なつやま 岡崎市 平針公民館 石常夜灯   文化7(1810)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 1
写真 大平町の秋葉山常夜灯1 おおひら 岡崎市 大平観音寺・東 石常夜灯 高2.85m(うち、基壇1.00m) 文化7(1810)   WEB(遠州・万斛の郷) 宝珠先端部欠損 基壇石正面と両側面に梅→基壇としては稀(豊川市の「八幡町の秋葉山常夜灯」と類似した5枚花弁の梅花) 1
写真 石原町の秋葉山常夜灯 いしはら 岡崎市 (屋下) 石常夜灯   文化8(1811)   WEB(遠州・万斛の郷) 電気点灯 (竿正面)「秋葉山」/基壇石組が見事 1
写真 千万町町の秋葉山常夜灯1 ぜまんじょう 岡崎市 (寺沢) 石常夜灯   文化8(1811)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋補強   1
写真 千万町町の秋葉山常夜灯2 ぜまんじょう 岡崎市 (郷家) 石常夜灯   文化8(1811)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋補強/基盤一部補強   2
写真 福岡町の秋葉山常夜灯1 ふくおか 岡崎市 田口町公民館 石常夜灯 高3.33m(うち、基壇0.67m) 文化9(1812)   WEB(遠州・万斛の郷) 電気点灯 (竿正面)「秋葉山常夜灯」、(2段目台石正面)「町/内/安/全」/中台の2面に龍、中台、台石に縦縞の彫刻 1
写真 夏山町の秋葉山常夜灯2 なつやま 岡崎市 (鬼沢 ) 石常夜灯 高2.12m(うち、基壇0.16m) 文化9(1812)   WEB(遠州・万斛の郷) 文字一部判読不能 (竿正面)「秋葉山」 1
写真 花崗町の秋葉山常夜灯 みかげ 岡崎市   石常夜灯 高3.47m 文化10(1813)   現地調査 笠、火袋欠損→欠損していなかったら巨大 (中台左面)「秋/葉/山」/竿直下の台石に龍、鯉などを繊細かつ立体的に彫刻→常夜灯の彫刻としては最高の出来栄え/中台にも繊細な装飾的彫り込み/石基壇なし 3
写真 舞木町の秋葉山常夜灯 まいぎ 岡崎市 (広池) 石常夜灯 高2.71m(うち、基壇m) 文化10(1813)   WEB(遠州・万斛の郷) 隣接して地蔵2体の入ったC製の祠 (竿正面)「秋葉山」/立方体の石基壇 2
写真 牧平町の秋葉山常夜灯 まきひら 岡崎市 豊富神社・東 石常夜灯   文化13(1816)   WEB(遠州・万斛の郷) C基壇→移設/木製火袋 (竿正面)「秋葉山」、(中段台石正面)「村/中/安/全」 3
写真 桜形町の常夜灯 さくらがた 岡崎市 (井口) 石常夜灯 高1.7m 文化年間(1804-1817)   現地調査 笠の一部が損傷 秋葉山常夜灯ではない(異例)/小石仏と並ぶ街道沿いの歴史的風景 2
写真 冨尾町の秋葉山常夜灯 とんびゅう 岡崎市 (中洞) 石常夜灯 高約4.2m 文政4(1821)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋補強 (竿正面)「秋葉山」/基壇石組が見事 2
写真 毛呂町の秋葉山常夜灯 けろ 岡崎市 (下毛呂) 石常夜灯 高2.64m 文政4(1821)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋を木枠で補強/建立年一部判読不能/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」/中台3面(背面以外)に浮彫/台石正面に縦溝/石基壇なし 1
写真 稲熊町の秋葉山常夜灯 いなぐま 岡崎市 石の公園団地・入口 石常夜灯 高4.84m(うち、基壇0.17m) 文政5(1822)
→弘化元(1844)再建
  WEB(遠州・万斛の郷) 昭和20空襲により破損/昭和24復興土地整理事業で移設/昭和48再移設 (竿正面)「秋葉山」/石工:久七/石工の町・岡崎を代表する豪華な常夜灯/中台・竿上下・台石に蓮華座模様/笠・火袋・中台・台石が六角形/竿が円柱状/台石最上段全面に波の浮彫 2
写真 田口町の秋葉山常夜灯 たぐち 岡崎市 田口町公民館 石常夜灯   文政9(1826)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/電気点灯 猫脚/石基壇なし 1
写真 蓑川町の秋葉山常夜灯 みのがわ 岡崎市 (中屋敷) 石常夜灯 高3.70m(うち、基壇0.97m) 文政10(1827)   WEB(遠州・万斛の郷) 基壇の谷積は後世の改修か? (中台左面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/消防団器具庫が隣接 2
写真 細川町の秋葉山常夜灯 ほそかわ 岡崎市 (上平) 石常夜灯 高3.93m 文政11(1828)   WEB(遠州・万斛の郷) 保存状態良好 (中台左面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし 2
写真 欠町の秋葉山常夜灯 かけ 岡崎市 法光寺・西 石常夜灯 高3.84m(うち、基壇1.04m) 文政13(1830)   WEB(遠州・万斛の郷) 保存状態良好 (中台左面)「秋/葉/山」、(竿左面)「村中安全」/基壇石組が見事 1
写真 上里の秋葉山常夜灯 かみさと 岡崎市 上里公民館・前 石常夜灯 高3.42m 天保3(1832)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設? (中台左面)「秋/葉/山」/竿直下の台石に装飾的彫り込み/石基壇なし 2
写真 魚町の秋葉山常夜灯 うお 岡崎市 白山神社・東 石常夜灯 高3.36m(うち、基壇1.0m) 天保4(1833)   WEB(遠州・万斛の郷) 保存状態良好 (竿正面)「秋葉山」、(竿左面)「國家安全」/基壇石組が見事 1
写真 福岡町の秋葉山常夜灯2 ふくおか 岡崎市 福岡郵便局・東 石常夜灯 高3.41m(うち、基壇0.68m) 天保5(1834)   WEB(遠州・万斛の郷) 基壇部を高欄状の石版で覆う/電気点灯 (中台左面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「町/中/安/全」 2
写真 滝町の秋葉山常夜灯1 たき 岡崎市 (本部) 石常夜灯 高3.42m(うち、基壇0.9m) 天保6(1835)   WEB(遠州・万斛の郷) 竿・台石・基壇C接合/基壇C改修/電気点灯 (中台左面)「秋/葉/山」/祠が隣接 1
写真 滝町の秋葉山常夜灯2 たき 岡崎市 (山籠) 石常夜灯   天保6(1835)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/笠石の一部が欠損 猫脚/石基壇なし 2
写真 大幡町の秋葉山常夜灯 おおばた 岡崎市 大幡農村公園 石常夜灯 高4.16m(うち、基壇0.98m) 天保7(1836)   WEB(遠州・万斛の郷)/馬場愼一 公園内→移設? (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中」/基壇石組が大胆かつ見事 2
写真 大門の秋葉山常夜灯 だいもん 岡崎市 上大門公民館・前 石常夜灯 高2.84m(うち、基壇0.6m) 天保10(1839)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋にガラスが入っている (中台左面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」 1
写真 中町の秋葉山常夜灯 なか 岡崎市 (七丁目) 石常夜灯   天保15(1844)   WEB(遠州・万斛の郷) お札を置くための木箱を火袋に設置/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」、(竿左面)「町中安全」/竿直下の台石に縦縞の彫刻、中台に装飾 2
写真 桜形町の秋葉山常夜灯2 さくらがた 岡崎市 (名之内) 石常夜灯 高約3.4m 天保12(1841)   WEB(遠州・万斛の郷) 個人の家の前   2
写真 大平町の秋葉山常夜灯2 おおひら 岡崎市 大平上町公民館 石常夜灯 高約3.8m 弘化4(1847)   WEB(遠州・万斛の郷)   (中台左面)「秋/葉/山」/基壇石組が見事/消防器具庫、火の見櫓が隣接(火事除けの秋葉信仰との関連性を強く感じさせる) 1
写真 真福寺町の秋葉山常夜灯 しんぷくじ 岡崎市 真福寺公民館・前 石常夜灯   嘉永元(1848)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/火袋改修 (中台正面)「秋/葉/山」、(中段台石正面)「村/安/全」/石基壇なし 2
写真 明大寺本町の秋葉山常夜灯 みょうだいじほん 岡崎市 太陽の城・前 石常夜灯 高2.38m(うち、基壇0.37m) 嘉永2(1849)   WEB(遠州・万斛の郷) 電気点灯 (中台左面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「家/中/安/全」 1
写真 片寄町の秋葉山常夜灯 かたよせ 岡崎市 (下滝下) 石常夜灯 高2.10m 嘉永2(1849)   WEB(遠州・万斛の郷) 3段の台石下にC基礎→移設? 石基壇なし 2
写真 羽根町の秋葉山常夜灯 はね 岡崎市 岡崎駅前局・東 石常夜灯(自然石) 高4.14m(うち、改修部分1.33m、基壇0.65m) 嘉永5(1852)   WEB(遠州・万斛の郷) 不自然に2つの常夜灯を重ねた形で改修(上部は自然石、下部は整形された台石)/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」/岡崎市内で自然石の近世街道常夜灯は1基だけ 4
写真 六供町の秋葉山常夜灯 ろっく 岡崎市 (杉本) 石常夜灯 高3.36m(うち、基壇0.95m) 嘉永6(1853)   WEB(遠州・万斛の郷) 電気点灯 (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「杦/本/安/全」/基壇石組が見事 2
写真 井内町の秋葉山常夜灯 いない 岡崎市 (久世) 石常夜灯 高3.16m(うち、基壇0.72m) 嘉永7(1854)   WEB(遠州・万斛の郷) 笠破損、中台・竿・台石最上段後補 (中台左面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/基壇石組が見事 3
写真 鳥川町の秋葉山常夜灯 とりかわ 岡崎市 (犬迫) 石常夜灯   安政2(1855)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (中台左面)「秋/葉/山」/石基壇なし 1
写真 滝尻町の秋葉山常夜灯 たきじり 岡崎市 (馬場) 石常夜灯 高2.81m(うち、基壇0.52m) 安政6(1859)   WEB(遠州・万斛の郷) 上部基壇は後補、下部基壇はオリジナル/電気点灯
(中台左面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」 2
写真 明見町の秋葉山常夜灯 みょうけん 岡崎市 伝正院・南 石常夜灯 高3.26m(うち、基壇0.72m) 万延元(1860)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋補強 「村中安全」/基壇石組が大胆かつ見事 2
写真 夏山町の秋葉山常夜灯3 なつやま 岡崎市 (寺野) 石常夜灯 高3.23m 文久4(1864)   WEB(遠州・万斛の郷) 現役で点灯(蝋燭)/保存状態良好 (中台左面)「秋/葉/山」/石基壇なし 1
  藤川の吉良道道標 ふじかわ 岡崎市 県道・市場~福岡線<東海道・吉良道> 石道標 高143㎝,20㎝角 文化11(1814)   WEB 保存状態良好 「西尾、平坂、土呂、吉良道」 1
写真 藤川宿の曲手 ふじかわ、
かねんて
岡崎市 (東口)<東海道> 枡形   慶安元(1648)   現地解説板 道路線形のみ残る 三河代官/道を曲げることで長さを増やし住民数を多くするためという説も 3
写真 細川町の船番所跡の秋葉山常夜灯 ほそかわ 岡崎市 矢作川左岸(権水・船番所跡) 石常夜灯
(河川舟運)
高4.04m 天保10(1839)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋改修? (中台左面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「邨中安全」/矢作川水運に係る常夜灯/石基壇は長尺の石材の組合せたもの2段 2
写真 万足平の猪垣 まんぞくだいら 岡崎市   猪垣
(石塁、片麻岩)
長612m,高約2m 東側:文化2(1805)、
西側:天保3(1832)
県有形民俗 WEB オリジナルの形態を保った猪垣としては全国屈指の規模 大規模な猪返しの台形断面石垣(山手側をわずかに反らし、侵入しにくくしている=高度な技術)/方形割石の乱積/万足平の背後の山裾を囲む/猪垣の一角には人が出入りするための木戸が造られている 1
  「つんぼ石」脇の道標   尾張旭市 <瀬戸街道・殿様街道> 石道標 高41㎝ 江戸期   市教委/WEB 石表面の摩耗が進んでいる/平成16、つんぼ石とセットで移設 「右、セト/志奈の、道」「左、定光寺/かさわら、道」/名古屋城築城に伴う「つんぼ石」伝承と一体的に存在する小規模な道標 2 -
  南原山の馬頭観音像道標 みなみはらやま 尾張旭市 <瀬戸街道・名古屋街道> 石道標(舟型) 高63㎝ 弘化4(1847)   市教委/WEB 祠付き 「右 大ぞね道」「左、でき町/や、道」/変形6差路の西側に立つ/馬頭観音像を全面に陽刻/下記の十一面観音像道標と一対 1
  南原山の十一面観音像道標 みなみはらやま 尾張旭市 <瀬戸街道・名古屋街道> 石道標(舟型)   弘化4(1847)   市教委 祠付き 「右 さなげ道」「左、せと/しなの、道」/変形6差路の東側に立つ/十一面観音像を全面に陽刻/上記の馬頭観音像道標と一対 1
  狩宿郷倉 かりじゅく 尾張旭市   郷倉
(土蔵造切妻瓦葺)
桁行3.6m 江戸期 市有形民俗 WEB 平成元の失火で一部焼失→平成3補修復元 村の共同倉庫として、共有道具や祭礼道具の保管に使用された 2
  柳井(止水道者の井戸) やない 尾張旭市 洞光院 井戸(円形)、屋根付き   正徳年間(1711-15)頃   市教委/WEB 何度も改修(『張州雑志(安永-寛政期)』の絵では四角の木枠) 「止水道者」がこの寺に留まっていたとき,村人が生活用水に困っているのを見て気の毒に思い,この井戸を掘り当てたとの伝承 3
写真 大泉寺町の金比羅常夜灯 だいせんじ 春日井市   石常夜灯 高1.6m 安政3(1856)   現地調査 交差点の角の消防用空地に残る (竿正面)「金毘羅大權現」/竿が角柱状 2
写真 大泉寺町の秋葉山常夜灯 だいせんじ 春日井市   石常夜灯 高2.1m 元治元(1864)   現地調査 交差点の角の消防用空地に残る (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/消防団器具庫、火の見櫓、街頭消火器の3点セットが隣接(火事除けの秋葉信仰との関連性を強く感じさせる) 2
写真 下街道の「諸人助けの井戸」 した 春日井市 退休寺門前 石井戸 90㎝四方,高60㎝,深約20m 慶安5(1652) 市有形民俗 市教委/現地解説板/WEB 良好な保存状態/蓋がしてるので使用不可 施主:小野沢五郎衛門/水に困った通行人や農民のために五郎衛門がそれまでにない深い井戸を掘ったとされる/屋根付き/大きな一枚板を並べただけの井戸枠 2
写真 祖母神社の鎌倉街道・跡 そぼ 刈谷市 祖母神社 土道 長約100m 鎌倉時代? 市史跡 市教委 実生で生えた木が育ち、道幅が不均等に 祖母神社の境内西端に鎌倉街道の跡と伝えられる道が残る 2
写真 一ツ木町の秋葉山常夜灯 ひとつぎ 刈谷市 法林寺・東 石常夜灯 高2.6m 享和元(1801)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委   (竿正面)「秋葉山夜燈」 2
写真 今岡町の秋葉山常夜灯 いまおか 刈谷市 洞隣寺・前<東海道> 石常夜灯   安政8(1825)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 恐らく移設(基壇最下部が後補) 東海道の常夜灯 2
写真 市原の常夜灯 いちばら 刈谷市 (司町) 石常夜灯 高3.1m 天保12(1841)   市教委 移設・小規模な修復   2
写真 元・下町の秋葉山常夜灯 したまち 刈谷市 城町<下町→銀座6丁目.> 石常夜灯 高4.0m 嘉永4(1851)   市教委/WEB 一旦崩壊していたものを郷土資料館敷地内に修復・移設 (中台正面)「秋/葉/山」、(竿正面)「永常燈」、(竿左面)「當所安全」/竿が角柱状/当初の建立地点は、熊村と刈谷町の境になっていて、夜道を急ぐ人々の目印にな っていた 3
  福島藩領の碑1 ふくしま 刈谷市 浄福寺・脇<東海道> 境界石 高2.0m 寛政12(1800)頃   市教委/知立市教育委員会 移設/元は池鯉鮒宿と牛田村の境に建っていた 「從是東福嶋領」/福島藩~刈谷藩/東西2ヶ所に立てられていた/東海道の境界石 2
  刈谷藩領の碑 かりや 刈谷市 城町<東海道> 境界石 高1.8m 寛政12(1800)頃   市教委/知立市教育委員会 一旦個人宅→郷土資料館敷地内に移設/元は池鯉鮒宿と牛田村の境に建っていた 「從是西刈谷領」/刈谷藩~福島藩/1ヶ所のみ立てられていた(西側が境川だったため)/東海道の境界石 2
  小垣江の常夜灯 おがきえ 刈谷市 <衣ヶ浦の小垣江土場> 石常夜灯(海運) 高3.5m 文政7(1824)   市教委/WEB 移設 港の常夜灯/この土場から年貢米が積み出され、市原や高浜の湊で廻船に積み換えられ江戸に送られていた 2
写真 佐次兵衛井戸 さじへえ 刈谷市 重原の三井戸(下重原町) 石井戸   弘仁13(822) WEB 周囲に石造物が並び荘厳な雰囲気 重原の三井戸(弘法大師が水を求めた際、村人が苦労して水を運んできたのを見て、法力で地面に穴を開け水を湧き出させたとの伝承)の1つ 2
  乞井戸 刈谷市 重原の三井戸(重原本町) 石井戸   弘仁13(822)   WEB/市教委 道端 重原の三井戸(弘法大師が水を求めた際、村人が苦労して水を運んできたのを見て、法力で地面に穴を開け水を湧き出させたとの伝承)の1つ    
  慕井戸 した 刈谷市 重原の三井戸(一色町) 石井戸   弘仁13(822)   WEB/市教委 個人の畑内 重原の三井戸(弘法大師が水を求めた際、村人が苦労して水を運んできたのを見て、法力で地面に穴を開け水を湧き出させたとの伝承)の1つ    
写真 十能の秋葉山常夜灯
(大塚町の秋葉山常夜灯1)
じゅうのう
(おおつか)
蒲郡市 (伊賀久保) 石常夜灯 高4.29m(うち、基壇2.17m) 寛政3(1792)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委 原位置/四周を練積、上部C製の塀で囲む/中台後補 (竿正面)「秋葉山」/四周の壁全体を基壇(練積)が支える大規模な構造→蒲郡の特徴 3
写真 形原町の秋葉山常夜灯 かたはら 蒲郡市 (西中畑) 石常夜灯 高2.90m(うち、上部基壇0.31m、下部基壇0.33m) 寛政4(1793)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委 原位置/四周を土壁、木の表面に漆喰を塗った壁、瓦葺きの塀で囲む/電気点灯 (竿正面)「秋葉山御燈明」/中台下面と台石上面に蓮花模様/猫脚/低い石基壇 1
写真 清田町の秋葉山常夜灯 せいだ 蒲郡市 (下中郷) 石常夜灯 高3.30m(うち、基壇0.95m) 文化5(1808)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委 原位置?/石基壇→隙間にC充填 (竿正面)「秋葉山夜燈」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/大型の石を用いた基壇石積 2
写真 勝川の秋葉山常夜灯
(大塚町の秋葉山常夜灯2)
かつかわ
(おおつか)
蒲郡市 (下長尾)<平坂街道> 石常夜灯 高4.54m(うち、上部基壇1.12m、下部基壇1.04m) 文化7(1810)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委/WEB 原位置/四周を漆喰の壁に煉瓦を載せた塀で囲む/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」、(竿左面)「村中安全」/平坂街道の常夜灯/四周の壁全体を基壇(C製)が支える大規模な構造→蒲郡の特徴 3
写真 西島の秋葉山常夜灯
(大塚町の秋葉山常夜灯3)
にしじま
(おおつか)
蒲郡市 (柴垣)<平坂街道> 石常夜灯 全高4.15m(うち、上部基壇1.16m、下部基壇0.75m) 文化8(1811)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委/WEB 原位置/四周を漆喰の壁に瓦葺きの屋根の塀で囲む/中台後補/火袋改修/電気点灯 「村中安全」/平坂街道の常夜灯/四周の壁全体を基壇(亀甲積)が支える大規模な構造→蒲郡の特徴 2
写真 相楽町の秋葉山常夜灯 さがら 蒲郡市 (小畑ケ) 石常夜灯 高2.80m(うち、基壇0.80m) 文政元(1818)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委 移設?/基壇大幅改修→中央部が陥没/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇あり 3
写真 神ノ郷町の秋葉山常夜灯 かみのごう 蒲郡市 (中山本) 石常夜灯   文政4(1821)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」/一部に面白い石組が見られる基壇 1
写真 竹谷町の秋葉山常夜灯 たけのや 蒲郡市 (政久) 石常夜灯   文政5(1822)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委 原位置? (竿正面)「秋葉山」/基壇部の石組が見事 1
写真 鹿島町の秋葉山常夜灯 かしま 蒲郡市 (中郷) 石常夜灯 高3.47m(うち、基壇1.54m) 文政6(1823)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委 原位置?/基壇練石積化・上面C補強/火袋改修/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」、(下段台石正面)「村/中/安/全」/背の高い石基壇/街頭消火器が隣接設置 2
写真 栄町の秋葉山常夜灯 さかえ 蒲郡市 犬飼集会所<平坂街道> 石常夜灯 高2.85m(うち、基壇0.6m) 文政6(1823)   WEB(遠州・万斛の郷)/WEB/市教委 移設(200m)→基壇後補(当初の高さ不明)/中台後補/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」、(中段台石正面)「嶋/中/安/全」/平坂街道の常夜灯 3
写真 金平町の秋葉山常夜灯 かねひら 蒲郡市 (烏田) 石常夜灯 高3.35m(うち、基壇1.05m) 天保12(1841)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委 移設?/石基壇練積化/全面的にC補強/電気点灯 (中段台石正面)「村/中/安/全」 2
写真 西浦町の秋葉山常夜灯 にしうら 蒲郡市 (北馬場) 石常夜灯 高3.26m(うち、基壇1.17m) 元治元(1864)   WEB(遠州・万斛の郷)/市教委 四周をCブロック塀で囲む/基壇石積の目地補修/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」、「嶋中安全」/四周の壁全体を基壇(練積)が支える大規模な構造→蒲郡の特徴 3
写真 元・光昌寺の地蔵像道標 こうしょうじ 蒲郡市 蒲郡市博物館<平坂街道> 石道標(舟型) 高47㎝ 江戸期(明治9以前)   WEB/市教委 観音堂前→光昌寺の無縁塔→蒲郡市博物館/台座欠損 (光背右)「右 にしの郡」、(同左)「左 みやみち」/光背中央に地蔵立像の陽刻 3 -
写真 勝善寺参道石段 しょうぜん 蒲郡市 勝善寺 石階段 長89.3m(147段),幅2.2-2.7m 嘉永(1851)以前 市史跡 市教委 保存状態良好 30度の直線状の急勾配階段(1段ごとの段差が30-60㎝と大きい)/非整形された石で構成/「三河国名所図絵」(弘化元-嘉永4)に記載 1
写真 新川 しん 北名古屋市、
名古屋市、あま市、清洲市、(海部)大治町
名古屋市(西区)
北名古屋市
→名古屋市(西区)
→清洲市→あま市
→大治町
→名古屋市(中川区)
→名古屋市(港区)
分水(放水路) 長約20㎞ 天明8(1788)   新川・開削の歴史/WEB 特定都市河川(一級河川)/明治11・昭和2に堤防の改築、昭和29に護岸改修、堤防嵩上げ(抜本的な大改修はされていない) 江戸期、わが国最長の放水路/尾張藩勘定奉行・水野千之右衛門は、低湿地のため洪水に苦しんでいた庄内川右岸の村々を救うため、藩主徳川宗睦に庄内川の分水工事の建白書を提出した→藩財政が窮乏していたため着手は見送られたが、安永8(1779)の庄内川の大洪水の後、宗睦は水野千之右衛門と国奉行・人見弥右衛門に検討を命じた→千之右衛門は、工事費の総額が尾張藩の1年分の収入を遥かに超えることから、わざと減額した積算表を提出するとともに、工事を途中で中止できないよう水源の比良村(現・名古屋市西区)から伊勢湾に至るまで一度に200ヶ所以上も掘り立てるという方法で本工事に着手(天明4(1784))/水野・人見両名は工事途中で過小な工事積算が発覚し責を問われて降職・謹慎となったが、工事は完成するまで続行(40万両以上を要した)→千之右衛門の功績を称えるため、洪水に悩まされてきた28ヶ村の有志によって下記の「水埜士惇君治水碑」が建立された(碑には千之右衛門の字・「士惇」の文字を使用) 4 写真
写真 水埜士惇君治水碑 みずの、
しじゅんくん
北名古屋市 久地野 石碑(砂岩) 125㎝,45㎝,45㎝ 文政2(1819) 市史跡 木谷幹一
(新川町史・資料編2p291-292)
保存状態良好(昭和2修復)
/木造覆屋内
(正面頂部)「水/埜」、(同全面)「愛智春日井郡中有二川 其源一出濃州土岐郡是為勝川 一出参州加茂郡/是為矢田川 二水會為荘内川 其川縈回荘内而歸于海 明和四年丁亥七月/沛雨傾盆水潦衍溢 猿投山谷口崩騰 愛智春日井二郡水災最甚 屋宇□□/人馬陥溺 而後砂礫羅敷隄防屢決壊 安永八年己亥八月水潦復邑衆民/墊/明公特命駕視民疾苦而深憂之 使參政人見彌右衛門小野泰子魚度支長/水野千之右衛門平允士惇専掌治水 於是士惇君首謀其事精覈水行 比良/邑大蒲沼群邨之潨會合于此 因以其沼為施功之載 天明四年甲辰鑿沼南」、(左面頂部)「士/惇」、(同全面)「味鋺堤 就其隄腹築五分石堰 自比良村距海東郡榎津村之間別疏鑿一巨/川 號新川 以殺荘内川水勢 爾後勝川潦踰堤五分 則其潦溢石堰経大蒲沼/入新川 勝川水潦頓減其半 往昔五條川水歴八屋村會荘内川 故其潦泝五/條川害海東郡 於是塞八屋派口會五條川水于新川 又塞荘内川口于中須/村 乃廝二川至下一色村南荘内川新川二派纔隔一堤雙歸于海 而後群村/悉免災三十六年 予毎巡視與老里正仰士惇君治水之功 且嘆歴星霜之久/少壮者今習安居而無知免災之由 今茲君年八十有六 庶民逾頌其德且祝/君之壽考 乞立碑以傳後卋 予謂後漢董詡除須昌令多異政人為生立碑 今」、(裏面頂部)「君/治」、(同全面)「追其故事不為僭矣 當為君勒碑使民不忘其恵澤 夫子魚君擧士惇君使君/専掌治水 又使造牐令武藤加六藤原直逵為副量水利 相與戮力土功遂成/焉 君獨保眉壽至于今 比年蒙  恩華事績益彰 庶其名與石不朽 是以立碑/比良隄上作頌 其辭曰/赫矣二賢 寔天所啓 為爪為牙 維國之體 允文允武 維治之柢/吁士惇君 水工濟濟 銘心禹貢 委質張州 辟商羊害 救昏墊憂/慕若父母 望邁等儔 不拘小節 寛大壯優 陞大司農 逾事治水/修築河渠 撫恤邑里 老安散官 講武卓爾 遂以舊功 恩光倍蓰」、(右面頂部)「水/碑」、(同全面)「底平治績 立奠居基 民承恵澤 感星霜移 厥功厥壽 與頌與嬉/丕丕懿德 永在生碑/文政二年己卯十一月 張藩 大代官樋口又兵衛中原好古謹誌/…」 2
写真 土器野の道標1 どきの 清須市 新川橋橋詰ポケットパーク<美濃路・津島街道> 石道標 高65㎝,18㎝角 天明8(1788)   市教委(新川町史・資料編1)/馬場愼一 2度移設(ポケットパークとして修景整備)/下部埋設(字が見えない) 「右 津し」「左 なこ 2 -
写真 西枇杷島町橋詰の道標
(美濃路道標)
にしびわじま、はしづめ 清須市 <美濃路> 石道標 高173㎝,31㎝角 文政10(1827) 市有形民俗 市教委 平成13以降に「市場モニュメント」脇に2度目の移設(元の位置は、井下見取) (正面頂部)「東」、(正面)「にしハ、つし満てん王う/き与す宿、みち」、
(右面頂部)「北」、(右面)「い王くら道」、(左面頂部)「南」、(裏面頂部)
「西」、(裏面)「飛がしハ、とうかゐだう/なごや、みち」/頂部に書かれた面の向きと、その下に書かれた行き先の方向が逆となっている→正しいのだが、実例はほとんどない
2
  西枇杷島町古城の道標 にしびわじま、こじょう 清須市 <善光寺道> 石道標 高81㎝,幅18.5㎝,厚18㎝ 天保6(1835)   市教委 古城小学校内に移設/根元部分で折損し修復 (南面)「右 善光寺」、(東面)「右 百度石」 2
写真 桃栄の地蔵像道標 とうえい 清須市 長谷院<津島街道> 石道標 高188㎝,幅27.5㎝,厚19㎝ 天保11(1840)   市教委(新川町史・資料編1)/馬場愼一 長谷院境内に移設 (左面)「左 〔空白部〕 つし満へ通ぬけ」/「南無阿弥陀仏」と陰刻した下部を光背型に彫り込み、地蔵尊立像を陽刻 2
写真 桃栄の十一面観世音菩薩道標 とうえい 清須市 長谷院・西<美濃路・堀江山長谷院参道> 石道標 高150㎝,23㎝角 弘化3(1846)   市教委(新川町史・資料編1)/馬場愼一 駐車場の片隅に移設 「(梵字)是より 弐町つしまへ通りぬけ」/右面上部に梵字と小さな「堀江山」、その下に大きく「十一面観世音菩薩」と陰刻 2
写真 桃栄の十一面観世音菩薩像道標 とうえい 清須市 長谷院・西<津島街道> 石道標 高123㎝,27㎝角 嘉永7(1854)   市教委(新川町史・資料編1)/馬場愼一 駐車場の片隅に移設 (正面)「名古屋通抜」/上部を光背型に彫り込み、十一面観世音菩薩立像を陽刻 2
  清須の道標 きよす 清須市 清凉寺<美濃路> 石道標 高117㎝,幅24.2㎝,厚22.6㎝ 江戸期?   市教委(新川町史・資料編2) 移設 「甚目寺/つしま、道」「佐屋/かもり、道」「名古屋/立花町」/美濃路清洲宿の中心地に位置 2
写真 土器野の道標2 ときの 清須市 土器野神明社<馬島道> 石道標 高100㎝,幅19㎝,厚18㎝ 江戸期?   市教委(新川町史・資料編1) 移設 (正面)「是より まじ満道」、(右面)「従是 馬島明眼院道」 2
写真 土器野の五条橋親柱道標 どきの、
ごじょうばし
清須市 新川橋橋詰ポケットパーク<美濃路・津島上街道> 石道標
(元・石親柱)
高約1m 江戸期?   馬場愼一 /現地解説板 移設(ポケットパークとして修景整備) 「左 つしま道」/土器野新田の伊東権左衛門の祖が、清洲・五条橋の親柱を譲り受けて建立→擬宝珠型 2
写真 清須の香鉢道標 きよす 清須市 永安寺 石道標(香鉢) 高32㎝,幅43㎝,厚14㎝ 江戸期?   市教委(新川町史・資料編2) 移設 (正面右)「右 や加み」、(同左)「左 甚目寺/伊勢道」/香鉢が道標になっている例は稀 2
写真 新川 しん 清洲市、名古屋市、あま市、北名古屋市、(海部)大治町 名古屋市(西区)
北名古屋市
→名古屋市(西区)
清洲市→あま市
→大治町
→名古屋市(中川区)
→名古屋市(港区)
分水(放水路) 長約20㎞ 天明8(1788)   新川・開削の歴史/WEB 特定都市河川(一級河川)/明治11・昭和2に堤防の改築、昭和29に護岸改修、堤防嵩上げ(抜本的な大改修はされていない) 江戸期、わが国最長の放水路/尾張藩勘定奉行・水野千之右衛門は、低湿地のため洪水に苦しんでいた庄内川右岸の村々を救うため、藩主徳川宗睦に庄内川の分水工事の建白書を提出した→藩財政が窮乏していたため着手は見送られたが、安永8(1779)の庄内川の大洪水の後、宗睦は水野千之右衛門と国奉行・人見弥右衛門に検討を命じた→千之右衛門は、工事費の総額が尾張藩の1年分の収入を遥かに超えることから、わざと減額した積算表を提出するとともに、工事を途中で中止できないよう水源の比良村(現・名古屋市西区)から伊勢湾に至るまで一度に200ヶ所以上も掘り立てるという方法で本工事に着手(天明4(1784))/水野・人見両名は工事途中で過小な工事積算が発覚し責を問われて降職・謹慎となったが、工事は完成するまで続行(40万両以上を要した)→千之右衛門の功績を称えるため、洪水に悩まされてきた28ヶ村の有志によって下記の「水埜士惇君治水碑」が建立された(碑には千之右衛門の字・「士惇」の文字を使用) 4 写真
  勝佐町の太神宮常夜灯 かっさごう 江南市 (中辻) 石常夜灯 高1.63m 文化11(1814)   市教委   「両皇太神宮」「金毘羅大權現」「秋葉大權現」 2
  和田町の太神宮常夜灯 わだ 江南市 六所社 石常夜灯 高2.12m 文政6(1823)   市教委 移設/基壇部は堤防改修時の再建か? 「大神宮」「金毘羅山」「秋葉山」「愛宕山」/丸石積の基壇 3
写真 宮田宮西二重堤の太神宮常夜灯 みやたみや 江南市 木曽川二重堤 石常夜灯 高3.55m(本体高1.80m) 文政10(1827)   市教委/馬場愼一 基壇部は堤防改修時の再建(宮田用水の水門工事のため20mほど移設) 「太神宮」「水神」「金毘羅大權現」「秋葉大權現」/丸石積の基壇 3
写真 宮田生原本堤の太神宮常夜灯 みやたはいばら 江南市 木曽川本堤 石常夜灯 高2.52m(基壇改修前の数値?) 慶応3(1867)   市教委 基壇部は堤防改修時の再建 「太神宮」「水神」「金毘羅大權現」「秋葉大權現」/竿の台石が猫脚/丸石積の基壇 3
写真 小折町の仏像道標 こおり 江南市 (郷東)<柳街道> 石道標 高105㎝ 享和2(1802)   市教委/馬場愼一 /WEB 県道拡幅のため、折東区横町公民館 駐輪場内に移設 「右 いぬやま」「左 一のみや」/四角柱の道標の上に同幅寸の仏像を一体的に彫り出した珍しい構造(下記の道標と2点のみ) 2
  中般若町西の仏像道標 なかはんにゃ 江南市 <巡見街道> 石道標 高67㎝ 文化10(1813)   市教委 保存状態良好 「右 かさまつ道」「左、あさい/一のみや」/四角柱の道標の上に同幅寸の仏像を一体的に彫り出した珍しい構造(上記の道標と2点のみ) 1
  村久野町の道標 むらくのしんかい 江南市 (新開)<巡見街道・草井街道> 石道標 高66㎝ 嘉永5(1852)   市教委 個人宅に移設 「右、いぬやまへ 五十丁/ふしみへ 六り/くろせへ 七り」「左、くさい舟場へ 八丁/せきへ 四り/こうづちへ 六り」 3
写真 御囲堤(小杁町) おかこいづつみ(おいり) 江南市・愛西市・一宮市・津島市 県道・小牧~北方~江南線<木曽川(左岸)> 土堤防 長約47㎞,高9.1~14.5m,馬踏10.9~18.2m 慶長15(1610)→寛政3(1791)嵩上→寛政11(嵩上)→明治18(1885)嵩上・一部に桜植樹 国天然(桜) 市教委/八開村史・通史編/木曽川上流河川事務所 現役の県道/近代に植えられた桜でも有名 施工命令:徳川家康,計画・実施:伊奈忠次/尾張徳川家を水害から守るためと、西国大名の侵入を防ぐために築造(大坂冬の陣直前)、さらに、尾張平野の農業開発や木曾檜の流送も視野に入っていたとされる/
「対岸美濃の諸堤は御囲堤より低きこと三尺たるべし」「尾張領御囲堤御修繕相済候迄は、対岸の諸藩領分堤普請遠慮これ有るべし」との不文律を美濃側に強制したという話は有名だが、直接これに言及した資料はないので強制力が働いたのか、結果的に堤防に差が出たのかは不明
2 写真
写真 中般若町の猿尾股1 なかはんにゃ 江南市 <木曽川(左岸)> 土水制 長約70m,高約3m 江戸期   馬場愼一 やや変形 最初の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の直上流にあって、御囲堤から直接突き出た水制 2
写真 中般若町の猿尾股2 なかはんにゃ 江南市 <木曽川(左岸)> 土水制 長約90m,高約2.5m 江戸期   馬場愼一 やや変形 最初の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の最上流部にある2つの水制の1つ(上流側) 2
写真 中般若町の猿尾股3
(勘兵衛猿尾)
なかはんにゃ
(かんべぇ)
江南市 <木曽川(左岸)> 土水制 長約50m,高約3m 江戸期   馬場愼一 かなり変形 最初の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の最上流部にある2つの水制の1つ(下流側) 3
写真 草井町の千間猿尾 くさい 江南市 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約1950m,高約5m 江戸期   馬場愼一 拡幅・嵩上げにより原形喪失→堤防道路 最初の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の本堤 5
写真 忠平猿尾 ちゅうべい 江南市 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約400m,高約4m 江戸期   木曽川上流河川事務所/馬場愼一 川側多少変形/民地側一部埋立(上流側) 最初の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の鹿子島地区の本堤の通称/鹿子島の忠平親子が独力で築造を開始→村人が遺志を継いで完成/現存する最大規模の猿尾 3
写真 鹿子島町の千間猿尾 かのこじま 江南市 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約1300m,高約4m 江戸期   馬場愼一 嵩上げにより原形喪失(線形は保持)→堤防道路 最初の千間猿尾と一部重なるように造られた2番目の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の本堤 4
写真 三ノ猿尾 さんの 江南市 <木曽川(左岸)> 土水制 長約80m,高約3m 江戸期   馬場愼一 腹付け盛土により原形を損なう 2番目の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の木曽川寄りの部分に3ヶ所造られた水制のうち、唯一現存する最下流の水制 4
写真 宮田神明町・宮田町の千間猿尾 みやたしんめい、みやた 江南市 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約1800m,高約5m 江戸期   馬場愼一 拡幅・嵩上げにより原形喪失(線形は保持)→堤防道路/片側埋立 2番目の千間猿尾の終端の直下流から始まる3番目の千間猿尾(御囲堤の二重堤)の本堤 5
写真 年貢橋(清正橋) ねんぐ 小牧市 本田公園<原川> 石桁橋 (3G) 慶長15(1610)頃? 市有形 WEB/市教委 平成17県道拡幅のため解体/平成18本田公園内に移設復元 名古屋城築城の際に、加藤清正が行った石びきのために造られたと伝えられる/完形で残る沖縄以外で国内最古級の石桁橋 2
写真 岩崎の常夜灯 いわざき 小牧市 観音寺 石常夜灯 高約2.9m 天保7(1836)   現地調査 平成15移設 (右面)「觀世音」/街道常夜灯でない可能性も 3
  下末の聖観音像道標 しもずえ 小牧市 真福寺 石道標(舟型) 高60㎝+台座,幅30㎝,厚10㎝ 享保15(1730)   市教委 移設 「右 うつつ坂下、左 小まつ寺」(台座ではなく菩薩像の両側に陰刻)/全面に聖観音像が陽刻 2
  大山の如意輪観音像道標 おおやま 小牧市 大山会館・前 石道標(舟型) 高86㎝,幅39㎝,厚28㎝ 宝暦12(1762)   市教委 移設/崖の中ほどの祠内 「右 内津々反ち、左 小木反ち、紀刕那智山」(台座ではなく菩薩像の両側と中央上部に陰刻)/下部に如意輪観音像が陽刻 3
  小牧の道標 こまき 小牧市 (5丁目) 石道標 高94㎝,17㎝角 寛政6(1794)   市教委   「右ハ 一のみやゑ/左ハ きよすゑ」 2
  小牧の追分道標 こまき 小牧市 (3丁目)<稲置街道・清須街道> 石道標 高134㎝,幅26㎝,厚21㎝ 寛政10(1798)   市教委 保存状態良好 (正面)「南 名古屋」、(右)「東、木曽海道/大山、ゑ」、(左)「西、一の宮/つしま、清州」 1
  郷中の地蔵菩薩像道標 ごうなか 小牧市 (1丁目)<上街道> 石道標(舟型) 高54㎝+台座,幅27㎝,厚20㎝ 寛政10(1798)   市教委 移設/木造祠内 「右 こまきみち」(台座ではなく菩薩像の右に陰刻)/全面に地蔵菩薩像が陽刻 2
  堀の内の観世音道標 ほりのうち 小牧市 (2丁目)<小牧街道> 石道標 高85㎝,21㎝角 寛政11(1799)   市教委 隣接移設 「左 いぬやま」「西國三十三所 こまき」/「南無大慈観世音」と陰刻 2
  小木の如意輪観音像道標 こき 小牧市 (5丁目)<清州街道> 石道標(舟型) 高54㎝+台座,幅26㎝,厚13㎝ 文化10(1813)   市教委 個人宅の敷地内だが道路に面して他の4体の石仏とともに立つ 「右 藤志まかん音ゑ」/如意輪観音像を陽刻 1
  上末の地蔵菩薩像道標 かみずえ 小牧市 (平) 石道標(舟型) 高47㎝+台座,幅21㎝,厚14㎝ 文化13(1816)   市教委   「右ハ こまき道、左ハ うつつみち」(台座ではなく菩薩像の両側に陰刻)/全面に地蔵菩薩像が陽刻 2
  池之内の観世音菩薩道標 いけのうち 小牧市 (大稲葉) 石道標(板状自然石) 高70㎝+幅30㎝,厚20㎝ 文政5(1822)   市教委 隣接移設 「南こまき」/「南無大慈大悲観世音菩薩」と陰刻された石碑状の道標 2
  二重堀の地蔵菩薩像道標 ふたえぼり 小牧市 (中屋敷) 石道標(舟型) 高58㎝+台座,幅34㎝,厚17㎝ 文政6(1823)   市教委   「左 うつつみち」/全面に地蔵菩薩像が陽刻 2
  三ッ渕の道標 みつぶち 小牧市 (原新田) 石道標 高98㎝,幅18㎝,厚13㎝ 嘉永4(1851)   市教委 上部30㎝の所で折れたのを修復 (正面)「右 小牧道/左 正眼寺通」、(右)「名古屋通」/正面上部に地蔵尊像を小さく陰刻 2
  郷中の観音道標 ごうなか 小牧市   石道標 高64㎝ 安政2(1855)   市教委   台座「右まゝくわんおん并こまき 為弧峯源精姉清涼宗泉庵主 左こまつじ并うつつみ□」    
写真 三ッ渕の地蔵菩薩像道標 みつぶち 小牧市 (丹那新田) 石道標 高156㎝ 文久3(1863)   市教委 簡易屋根で覆われている 台座「正眼寺是ヨリ八丁」/地蔵尊の立像/縄で地蔵を縛って願い事をすると叶うという言い伝えもある 2
写真 豊岡の秋葉山常夜灯1 とよおか 新城市 (大道下) 石常夜灯(砂岩) 高1.63m 宝暦6(1756)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? 球状の火袋→稀少/県下で最古の街道常夜灯(全国でも1750年代の街道常夜灯は数少ない)/石基壇なし 1
  有海の秋葉山常夜灯 あるみ 新城市 (小呂道) 石常夜灯 高1.26m 明和3(1766)   市教委      
写真 大海の秋葉山常夜灯 おおみ 新城市 (南田) 石常夜灯 高2.42m(うち、上部基壇0.11m,下部基壇0.34m) 寛政8(1796)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設? (竿正面)「秋葉山」、(竿右面)「村中安全」/天明3(1783)の灯籠と同じ基壇上に並ぶ 2
写真 徳定の秋葉山常夜灯 とくさだ 新城市 徳定公民館 石常夜灯(砂岩) 高1.80m 享和3(1803)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/笠損傷/電気点灯 (竿正面)「秋葉山常夜灯」/石基壇なし 3
写真 浅谷の秋葉山常夜灯 あさや 新城市 (上ノ山) 石常夜灯 高2.89m(うち、基壇0.62m) 文化4(1807)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/オリジナルの火袋を木枠で覆う (竿正面)「秋葉山」、(竿右面)「村中安全」/乱石積の基壇 1
写真 片山の秋葉山常夜灯 かたやま 新城市 片山公民館 石常夜灯 高1.90m 文化6(1809)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 柵内隔離→移設?/火袋後補 (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 3
写真 長篠の秋葉山常夜灯1 ながしの 新城市 (段子)<伊那街道> 石常夜灯 高3.02m(うち、基壇0.84m) 文化8(1811)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋木枠補強/基壇大幅改修 (竿正面)「秋葉山常夜燈」 2
写真 富沢の秋葉山常夜灯1 とみざわ 新城市 光明寺・西<伊那街道> 石常夜灯 高2.83m(うち、基壇0.82m) 文化9(1812)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋を木製に改修/火袋・中台後補/宝珠・竿後補?/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」 3
写真 吉川の秋葉山常夜灯 よしかわ 新城市 上林公会堂 石常夜灯 高2.41m 文化13(1816)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) C基盤→移設 (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇なし 2
写真 平井の秋葉山常夜灯1 ひらい 新城市 清龍寺・西 石常夜灯 高1.65m 文化13(1816)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/笠・火袋後補 (竿左面)「村中安全」/低い石基壇 3
写真 名号の秋葉山常夜灯 みょうごう 新城市 (袋林) 石常夜灯(砂岩) 高2.12m 文化14(1817)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 最下部をC基壇で補強 (竿正面)「秋葉山」/石基壇あり 2
写真 作手清岳の秋葉山常夜灯 つくで、
きよおか
新城市 市場公民館 石常夜灯   文化14(1817)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/火袋を木枠補強 (竿正面)「秋葉山」、(中段台石正面)「村/中/安/全」/中台と上段台石に装飾的浮彫り/石基壇なし 2
  平井の秋葉山常夜灯2 ひらい 新城市 清竜寺・西 石常夜灯 高2.80m 文化年間(1804-17)   市教委 C基盤→移設    
写真 上平井の秋葉山常夜灯 かみひらい 新城市 県道・豊川~新城線 石常夜灯 高2.28m 文政元(1818)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 1
  富永の秋葉山常夜灯1 とみなが 新城市 (安京) 石常夜灯 高2.28m 文政2(1819)   市教委      
写真 富永の秋葉山常夜灯2 とみなが 新城市 川上公会堂 石常夜灯 高1.70m 文政2(1819)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) C基盤→移設/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 2
写真 富岡の秋葉山常夜灯1 とみおか 新城市 (中屋敷)<別所街道> 石常夜灯 高3.17m(うち、基壇0.50m) 文政2(1819)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/脇に一列に石仏 1
写真 富岡の秋葉山常夜灯2 とみおか 新城市 (大屋敷) 石常夜灯 高3.53m(うち、基壇0.75m) 文政2(1819)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/電気点灯 「村中安全」/基壇が自然石の石組/背後に祠が建つ 1
写真 睦平の秋葉山常夜灯 むつだいら 新城市 (六郎貝津) 石常夜灯 高2.22m 文政2(1819)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山夜燈」/丸味を帯びた火袋/基壇なし 1
  八束穂の秋葉山常夜灯 やつかほ 新城市 (ミノウチヒラ) 石常夜灯 高2.72m 文政3(1820)   市教委 原位置?   1
写真 中宇利の秋葉山常夜灯 なかうり 新城市 (高田)<別所街道> 石常夜灯 高3.37m(うち、基壇0.59m) 文政3(1820)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山」/宝珠から台石第二段まで竿を除き六角、竿のみ円柱状/中台、竿上下、台石に蓮華座模様 1
写真 巣山の秋葉山常夜灯 すやま 新城市 (巣山公民館) 石常夜灯(砂岩) 高2.18m 文政5(1822)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 移設 (竿正面)「秋葉山」/竿は円柱/笠・火袋・中台・上段台石が6角形断面/低い石基壇 2
写真 乗本の秋葉山常夜灯 のりもと 新城市 (浜射場) 石常夜灯 高3.07m(うち、基壇0.85m) 文政5(1822)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 中台後補?/基壇更新/基壇と台石の間に12㎝のCを挟む→移設?/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」、(竿左面)「村中安全」/中台に簡略化した龍の線刻/最上段台石に草花の浮彫 3
写真 横川の秋葉山常夜灯 よこがわ 新城市 (広貝津) 石常夜灯 高3.02m(うち、基壇0.61m) 文政5(1822)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋C補強 (中台正面)「秋/葉/山」、(中台裏面)「瀧川組中安全」、(竿右面)「馬頭觀世音」全面に石材の剥離目立つ 2
写真 川田の秋葉山常夜灯 かわだ 新城市 川田公民館 石常夜灯 高2.42m 文政6(1823)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷)   (竿正面)「秋葉山」/石基壇あり  
写真 布里の秋葉山常夜灯1 ふり 新城市 (御堂前) 石常夜灯(砂岩) 高2.77m 文政8(1825)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/現役で点灯(蝋燭) (竿正面)「秋葉山」/台石右側面に建立者の組および名前が陰刻/竿に2本の縦状の窪み/基壇なし 1
写真 布里の秋葉山常夜灯2 ふり 新城市 (下貝津) 石常夜灯 高2.22m 文政8(1825)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/現役で点灯(蝋燭) (竿正面)「秋葉山」/中台正面に浮彫/竿に2本の縦状の窪み/基壇なし 1
写真 富沢の秋葉山常夜灯2 とみざわ 新城市 富沢公民館・北
<伊那街道>
石常夜灯 高2.39m(うち、基壇0.33m) 文政8(1825)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋を木製に改修/宝珠・笠・竿が若干剥落/電気点灯 (竿正面)「秋葉山常夜燈」、(竿左面)「村中安全」 2
  竹広の秋葉山常夜灯 たけひろ 新城市 (乗久根) 石常夜灯 高1.70m 文政10(1827)   市教委 火袋補強   2
写真 井代の秋葉山常夜灯 いしろ 新城市 (中谷)<別所街道> 石常夜灯 高3.60m(うち、上部基壇0.43m,下部基壇0.98m) 文政11(1828)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設/中台C改修/竿下半分をC補強〔写真左側〕 (竿正面)「秋葉山」/中台正面に草花の浮彫/台石最上段正面に浮彫(剥落して木以外は判読不能)/下基壇は隣接する明治期の常夜灯と共有→移設/消防団器具庫が隣接 4
  矢部の秋葉山常夜灯 やべ 新城市 (ユツリハ) 石常夜灯 高2.28m 文政13(1830)   市教委      
写真 富永の秋葉山常夜灯3 とみなが 新城市 (個人宅前) 石常夜灯 高2.01m 文政13(1830)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 火袋改修 (竿正面)「葉山」(緑字は異体字)/石基壇あり 1
写真 作手岩波の秋葉山常夜灯 つくで、
いわなみ
新城市 (上貝津) 石常夜灯 高3.28m(うち、基壇1.43m) 天保6(1835)   WEB(遠州・万斛の郷) 現役で点灯(蝋燭)/基壇部の石組がやや緩む (竿正面)「秋葉山」/宮勾配の基壇部石組が見事/斜面に建つ 1
写真 富栄の秋葉山常夜灯2 とみさか 新城市 (茶屋貝津)<別所街道> 石常夜灯 高2.56m(うち、基壇0.34m) 天保6(1835)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋C改修/宝珠と笠をC接合/笠一部欠損 (竿正面)「秋葉大權現」、(竿左面)「峯藥師如來」、(竿裏面)「寺林村中安全」/中台全面に菱形模様の線刻/竿石に2本の縦状の窪み/台石最上段全面に草花の浮彫/台石最下段全面に菱形の線刻 2
写真 野田の秋葉山常夜灯 のだ 新城市 (中市場) 石常夜灯 高2.10m 天保8(1837)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」/石基壇あり 2
写真 牛倉の秋葉山常夜灯 うしぐら 新城市 (黒口) 石常夜灯 高3.33m(うち、上部基壇0.54m,下部基壇0.96m) 天保9(1838)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋補強/竿石以下C接合/上部基壇大幅改修 (竿正面)「秋葉山」、(竿右面)「村中安全」、(竿左面)「三夜燈」/中台正面に装飾的浮彫/傾斜地にあるため、東面のみに下部基壇あり 3
  大宮の秋葉山常夜灯1 おおみや 新城市 (長頭貝津) 石常夜灯 高2.00m 弘化4(1847)   市教委      
写真 大野の秋葉山常夜灯 おおの 新城市 (天神山)<別所街道> 石常夜灯 高3.09m 嘉永元(1848)   WEB(遠州・万斛の郷) 保存状態良好 (竿正面)「秋葉山」、(竿右面)「鳳來寺」、(竿裏面)「村中安全」/火袋が丸みを帯びている/本格的な猫脚/基壇なし 1
写真 玖老勢の秋葉山常夜灯 くろぜ 新城市 (塩谷貝津) 石常夜灯 高1.74m 嘉永元(1848)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋後補 (竿正面)「秋葉山」、(竿左面)「村中安全」/基壇なし 2 -
写真 川路の秋葉山常夜灯1 かわじ 新城市 川路公民館・西 石常夜灯 高1.58m 嘉永2(1849)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 石基壇後補→移設/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」 2
写真 作手黒瀬の秋葉山常夜灯 つくで、くろせ 新城市 (井之上) 石常夜灯 高2.86m(うち、基壇0.86m) 安政2(1855)   WEB(遠州・万斛の郷) 背後の大石が損傷したため、全体がやや背面に傾く (竿正面)「秋葉山」、(竿右面)「太神官」、(竿左面)「津島社」、(上段台石正面)「村/中/安/全」 2
写真 布里の秋葉山常夜灯3 ふり 新城市 (登り小名) 石常夜灯 高2.12m(後補基壇を入れると総高2.71m) 安政3(1856)     現役で点灯(蝋燭)/台石以下は別のもの→移設?/笠・火袋・中台・竿がC接合 (竿正面)「秋葉山」、(竿右面)「村中安全」、(竿裏面)「金毘羅山」、(上段台石裏面)「村中/安全」/中台全面に浮彫 3
  川路の秋葉山常夜灯2 かわじ 新城市 (沖田) 石常夜灯 高2.29m 安政4(1857)   市教委      
写真 豊岡の秋葉山常夜灯2 とよおか 新城市 (細筋) 石常夜灯(道標兼) 高2.60m 安政4(1857)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋改修/移設と同時に竿の下部が欠損 (竿正面)「秋葉大權現/峯藥師如来、村中安全」、(竿右面)「右 ほうらいじ」、(竿左面)「左 あきは道」/竿が角柱状/基壇なし/移設前は火の見櫓に隣接 2
  大宮の秋葉山常夜灯2 おおみや 新城市 (井戸ノ本) 石常夜灯 高1.23m 文久年間(1861-63)   市教委      
  門谷の道標 かどや 新城市 <秋葉街道> 石道標 高1.79m 天明元(1781)   市教委 近接移設 (正面)「いせみち」、(右面)「せんかう寺道」 2
  横川の道標 よこがわ 新城市   石道標 高1.60m 天明元(1781)   市教委   「右 不うらい寺道/左 ぜんかう寺道」  
  大野の道標 おおの 新城市 <別所街道・阿寺道> 石道標 高1.20m 天明3(1783)   市教委 保存状態良好 (正面)「右 しんしろ道/左 はままつ道」 1
  玖老勢の道標 くろぜ 新城市 <伊那街道> 石道標 高1.75m 寛政8(1796)   市教委 保存状態良好 (正面)「ほうらい寺道」、(右面)「せんかう寺道」、(背面)「右、しんしろ/いせ、道」 1
写真 中宇利の馬頭観音道標 なかうり 新城市 (高田)<別所街道> 石道標 高85㎝,幅21㎝,厚21㎝ 弘化2(1845)     移設? (右面)「東 此方、を者"多/山よし田/あき者"、道」、(左面)「西 此方、とよ川/よし田/い勢、道」、正面に「(梵字)馬頭観世音菩薩」と陰刻、背面に「北」、「村中安全」などと陰刻 2
  豊岡の灯籠形道標 とみおか 新城市   石道標 高1.67m 安政4(1857)   市教委 保存状態良好 (正面)「右 あきは道」、(右面)「左 ほうらいじ」 1
  御神手洗川用水 おみたれがわ 新城市 巴山 用水路 長1㎞余 正徳4(1714) 市建造物 市教委 大改修 正眼寺住職が造ったという伝承 4
写真 直入橋 ちょくにゅう 瀬戸市 定光寺参道/参道入口の池 石桁橋(花崗岩) 長9.4m(G),桁長6m強,幅2.6m 承応2(1653) 市有形(建造物) WEB 保存状態良好 施主: 尾張藩2代藩主・徳川光友、施工:奉行・熊谷政実/親柱上部と擬宝珠の装飾に独自性 1
  上品野町の馬頭観音像道標 かみしなの 瀬戸市 寂場山菩提寺<飯田街道?>

石道標(舟型)

高42㎝ 享和(?)年間(1801-03)   WEB(瀬戸の馬頭観音) 移設/かなり摩耗

(光背左)「右 「右山道/左 定光寺」あかず道」、(同右)「□□四月二日」/中央に馬頭観音立像を陽刻/本堂脇の祠内に2列に並べてある多くの石仏の1つ

2 -
  中品野町の馬頭観音像道標 なかしなの 瀬戸市  

石道標(舟型)

高51㎝ 文久元(1861)   WEB(瀬戸の馬頭観音) 頂部欠損/かなり摩耗 (光背右)「右 あかず道」/中央に馬頭観音立像を陽刻 2 -
  品野町の馬頭観音像道標 しなの 瀬戸市 全宝寺<飯田街道>

石道標(舟型)

高48㎝ 江戸末期   WEB(瀬戸の馬頭観音) 移設/かなり摩耗 (光背右)「右 なごや道」、(同左)「左 せと道」/中央に馬頭観音立像を陽刻、像下に「村中安全」と陰刻 2 -
  春日町の道祖神像道標 かすが 高浜市 (7丁目) 石道標(舟型) 高52㎝ 江戸後期 市有形民俗 市教委 移設/木製の祠内(扉付き) 烏帽子姿に御幣を持つ男神に寄り添う女神が陽刻 3
写真 小塩津町の秋葉山常夜灯 こしおづ 田原市   石常夜灯   寛政6(1794)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?(鞘堂があった可能性) 竿が角柱状/基壇なし 2
写真 田原町の秋葉山常夜灯1 たはら 田原市 (柳町) 石常夜灯 高3.21m(後補基壇を入れると総高4.09m) 寛政11(1799)   WEB(遠州・万斛の郷) 大正4基壇改築→昭和10移設+基壇新築→昭和43改築+再移設/火袋改修 (中台正面)「秋/葉/山」/竿が円柱状/中台、竿上下、台石に蓮華座模様/亀甲積の石基壇(後補) 3
写真 小中山町の秋葉山常夜灯1 こなかやま 田原市 総合会館・西 石常夜灯   享和2(1802)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/火袋改修 竿が角柱状/石基壇なし 2
写真 小中山町の秋葉山常夜灯2 こなかやま 田原市 総合会館・西 石常夜灯   享和3(1803)   WEB(遠州・万斛の郷) C基礎→移設?/火袋改修 (竿正面)「秋葉山常夜燈」/竿が角柱状/石基壇なし 2
写真 折立町の秋葉山常夜灯 おりたち 田原市 折立公民館・東 石常夜灯   文化8(1811)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山常夜燈」/石基壇なし 1
写真 古田町の秋葉山常夜灯 こだ 田原市   石常夜灯   文化8(1811)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 1
写真 野田町の秋葉山常夜灯 のだ 田原市 (西彦田) 石常夜灯 高3.27m(うち、基壇0.89m) 文政3(1820)   WEB(遠州・万斛の郷) 宝珠・笠石後補/石基壇→隙間にC充填/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇(野面積風)あり 2
写真 八王子町の秋葉山常夜灯 はちおうじ 田原市 八幡社・西 石常夜灯   文政3(1820)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修 石基壇あり 1
写真 和地町の秋葉山常夜灯1 わじ 田原市 (川尻) 石常夜灯   文政9(1826)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設?(基壇石積が粗く変形) (竿正面)「秋葉山」/石基壇あり 3
写真 若見町の秋葉山常夜灯 わかみ 田原市 (松渕) 石常夜灯   天保2(1831)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/石基壇→隙間にC充填 (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇あり 2
写真 大久保町の秋葉山常夜灯 おおくぼ 田原市 (南浅場) 石常夜灯 高3.16m(うち、基壇0.99m) 天保6(1835)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/石基壇→隙間にC充填/笠一部欠損/竿損傷/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」、(中段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇あり 2
写真 田原町の秋葉山常夜灯2 たはら 田原市 (下八軒家) 石常夜灯 高3.94m(うち、基壇1.76m) 天保6(1835)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/石基壇→隙間にC充填/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」/野面石を自然風に2段重ねた基壇上に普通の常夜灯が載る 3
写真 和地町の秋葉山常夜灯2 わじ 田原市 (東本村) 石常夜灯   天保13(1842)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/石基壇→隙間にC充填/C階段/周囲を低いC塀で囲む (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/大型の石基壇 3
写真 越戸町の秋葉山常夜灯 おっと 田原市 (田尻) 石常夜灯   天保14(1843)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/石基壇→隙間にC充填 (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇あり 2
写真 堀切町の秋葉山常夜灯 ほりきり 田原市 (瀬戸) 石常夜灯   弘化2(1845)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? 石基壇あり 1
写真 福江町の秋葉山常夜灯 ふくえ 田原市   石常夜灯   安政3(1856)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修/電気点灯 石基壇あり 1
  泉福寺参道石段 せんぷく 田原市 泉福寺 石階段 265段,幅約2.1m,段差約15cm,傾斜角約25度 文化9(1812) 市史跡 WEB 最上部2段のみ改修(保存状態良好) 石段上部の石柱に文化3、石段最下段の石柱に文化9の刻字がある(年代が確定しているのは珍しい) 1
      知多市                    
写真 知立神社の石橋 ちりゅう 知立市 知立神社 石桁橋 長6.6m(4G),幅2.4m 享保17(1732) 市指定(建築) WEB 一部を鋼板で補強(目立たない) 弧状の石桁を中央で継いで太鼓型とした変形桁橋(2本の石桁を4ヶ所の石柱橋脚で支える)/太鼓状の桁の上に厚さ12㎝の石板19枚を並べる/石造の擬宝珠付き親柱をもつ立派な橋 1
写真 来迎寺一里塚付近の東海道松並木 らいこうじ 知立市 <東海道> 松並木 南側に10本程度 江戸期   現地調査 松が相当傷んでいる   4
写真 知立の東海道松並木 ちりゅう 知立市 <東海道> 松並木 約500m,170本→残るのは10数本で残りは補植 江戸期 市天然 WEB 補植の部分がほとんどだが、松並木としては連続している   3
写真 来迎寺一里塚 らいこうじ 知立市 <東海道> 一里塚(2基) 直径11m,高3m 江戸初期 県史跡 WEB 両塚の塚木の松は補植/右塚は民家の陰 東海道の一里塚で両側に残るのは数少ない 3
写真 旧問屋場の常夜灯 といやば 知立市 知立神社<東海道・池鯉鮒宿> 石常夜灯 高約4.9m 嘉永4(1851)   市教委/知立神社/WEB(遠州・万斛の郷) 昭和46問屋場の解体時に移設 東海道・池鯉鮒宿の問屋場の役人が発起人となって玄関脇に設置/常夜灯に彫られた役名と名前で当時の問屋の構成が理解できる 2
  牛田の道標 うしだ 知立市 <東海道> 石道標(2基)   元禄9(1696) 市指定 市教委/WEB 道路拡幅に伴い近接移設 「従是四丁半北 業平作観音在」/在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべ 2
  来迎寺町の道標 らいこうじ 知立市 <東海道> 石道標   元禄11(1698) 市指定 市教委/WEB 道路拡幅に伴い近接移設 「従是五丁北 八橋 業平作観音在」/在原業平ゆかりの八橋無量寿寺への道しるべ 2
  福島藩領の碑2 ふくしま 知立市 <東海道> 境界石   寛政12(1800)頃   市教委 重原公民館に移設(現・安城市宇頭茶町辺りにあったとされる) 「従是西福嶋領」」/東西2ヶ所に立てられていた 2
  谷田町の郷倉 やた 知立市 神明社 郷倉(土蔵造瓦葺)   延宝3(1675)   WEB 昭和10移設/一部補修/保存状態良好 延宝3年の大飢饉を契機に幕府が全国に造らせた穀物貯蔵倉庫の1つ/市内で唯一現存 2
写真 神守一里塚 かもり 津島市 <佐屋路> 一里塚(1基)  塚木:椋 寛文年間(1655-72) 市史跡 WEB 北塚が残る/道路側は石垣化 佐屋路に残る唯一の一里塚 3
写真 埋田の津島神社常夜灯 うめだ 津島市 <佐屋路・津島道> 石常夜灯(2基)   天保5(1834)   WEB 保存状態良好 津島氏子中の建てた一対の常夜灯/折れた大型鳥居の前に道を挟んで立つ 1
写真 埋田の追分道標 うめだ 津島市 <佐屋路・津島参詣道> 石道標   天和2(1682)   WEB 保存状態良好 「右 つしま天王みち」「左 さやみち」「東、あつた/なごや、道」 1
写真 御囲堤(下新田町) おかこいづつみ(しもしんでん) 津島市・愛西市・一宮市・江南市 <佐屋川左岸> 土堤防 長約47㎞,高9.1~14.5m,馬踏10.9~18.2m 慶長15(1610)→寛政3(1791)嵩上→寛政11(嵩上)   八開村史・通史編/馬場愼一 旧堤防を一部崩して道路化した区間 施工命令:徳川家康,計画・実施:伊奈忠次/尾張徳川家を水害から守るためと、西国大名の侵入を防ぐために築造(大坂冬の陣直前)/「対岸美濃の諸堤は御囲堤より低きこと三尺たるべし」との不文律 4
写真 上切の井戸 かみきり 津島市 <津島上街道> 石井戸(花崗岩、2段積)   江戸期 市指定祖先の遺産 WEB 保存状態良好 共同井戸/津島天王祭の船や屋台を連結するのに使用するワラ縄を編む際の、打ち水に使用したとの記録もある 1
  浅山新田堤防 あさやま 東海市 浅山新田 干拓堤防(土手)   寛保元(1741)   市教委 大規模な改修(C化)   5
  小鈴谷の秋葉山常夜灯 こすがや 常滑市 (辻) 石常夜灯   文化14(1817)   常滑郷土文化会 保存状態良好 江戸後期になって復興した常滑焼のため町の中心に窯が集中し、火災に対しては一際敏感であった歴史を感じさせる 1
  樽水町の秋葉山常夜灯 たるみ 常滑市 (3丁目辻) 石常夜灯   文政2(1819)   常滑郷土文化会   「村中安全」/同上  
  保示町の秋葉山常夜灯 ほうじ 常滑市 (新居坂) 石常夜灯   文政4(1821)   常滑郷土文化会 保存状態良好 「村中安全」/同上 1
  新開町の秋葉山常夜灯
(元・北条の常夜灯)
しんかい 常滑市 (3丁目) 石常夜灯 m 文政11(1828)   常滑郷土文化会 昭和4に移設 「村中安全」/火袋の台石と竿の台石に装飾的浮彫/海上からも見えるよう灯台の役を兼ねた常夜灯/同上 2
  古場町の秋葉山常夜灯 こば 常滑市 (4丁目) 石常夜灯  

文政12(1829)

  常滑郷土文化会 電気点灯 「村中安全」/同上 1
  多屋の秋葉山常夜灯 たや 常滑市 (1丁目) 石常夜灯   天保8(1837)   常滑郷土文化会 電気点灯 「為海上安全、廻船中」/海椙神社参道入口の旧街道沿い/同上 1
  苅屋町の秋葉山常夜灯 かりや 常滑市 (3丁目) 石常夜灯   天保15(1844)   常滑郷土文化会 電気点灯 「村中安全」/同上 1
  大野海岸の秋葉山常夜灯 おおの  常滑市   石常夜灯(2基) m 文久3(1863)   常滑郷土文化会 大野川畔から移設 「町内安全」/海上からも見えるよう灯台の役を兼ねた常夜灯/同上 2
写真 阿野一里塚 あの 豊明市 <東海道> 一里塚(2基)   慶長9(1604)以降 国史跡 市教委 両塚とも残るが、一里塚らしい雰囲気はない   3
写真 御油の東海道松並木 ごゆ 豊川市 <東海道・御油宿~赤坂宿> 松並木 長600m,650本→70本 慶長9(1604) 国天然 市教委 近世~現在に至るまで補植/両側の盛土も残る/松並木を大切にするような修景整備 全国で最も有名な街道松並木(東海道筋であること、当初の規模、現存状況) 1 写真
写真 御油町の秋葉山常夜灯 ごゆ 豊川市 <東海道・姫街道> 石常夜灯(石道標) 高3.39m(うち、基壇0.7m) 安永3(1774)   WEB(遠州・万斛の郷) 基壇を安易にC後補(2009年の時点ではオリジナルの、より高い石基壇が残っていた) (竿正面)「秋葉山」、(竿左面)「左、道」、(竿裏面)「右 こゆ」/東海道の姫街道の追分に立つ重要な常夜灯/中台背面に唐草模様

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  萩町の秋葉山常夜灯 はぎ 豊川市 室集会所・北 石常夜灯   寛政9(1797)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置   1
写真 国府町の秋葉山常夜灯 こう 豊川市   石常夜灯   寛政12(1800)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」/岡崎市の籠田町・伝馬通の秋葉山常夜灯とよく似たデザインの灯籠型 1
写真 市田町の秋葉山常夜灯 いちだ 豊川市 正願寺・西 石常夜灯 高3.9m(うち、基壇0.86m) 文化3(1806)   WEB(遠州・万斛の郷) 基壇C化/電気点灯   1
写真 光輝町の秋葉山常夜灯 こうき 豊川市 庚申寺・東 石常夜灯 高2.67m(うち、基壇0.77m) 文化3(1806)   WEB(遠州・万斛の郷) 電気点灯 (竿正面)「秋葉山/津嶋牛頭天王」/野面石を乱積した基壇 2
写真 野口町の秋葉山常夜灯 のぐち 豊川市   石常夜灯 高2.83m(うち、基壇0.73m) 文化4(1807)   WEB(遠州・万斛の郷)   (竿正面)「秋葉山」 2
写真 南大通の秋葉山常夜灯 みなみおおどおり 豊川市 稲市場公民館 石常夜灯 高2.76m(うち、基壇0.63m) 文化5(1808)   WEB(遠州・万斛の郷) 年号判読困難 (竿正面)「秋葉山」 2
写真 八幡町の秋葉山常夜灯 やわた 豊川市 八幡宮・南 石常夜灯 高3.92m(うち、基壇1m) 文化8(1811)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/基壇石両側面に梅、正面に扇状の石が組み込まれている→基壇としては稀(岡崎市の「大平町の秋葉山常夜灯1」と類似した5枚花弁の梅花)/中台、台石上段に縦縞状の線刻 1
写真 赤根の秋葉山常夜灯 あかね 豊川市 (郷中)<平坂街道> 石常夜灯 高2.85m(うち、基壇0.9m) 文化8(1811)   WEB(遠州・万斛の郷)/WEB 火袋改修/基壇上面C補修 (竿正面)「秋葉山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/基壇の石組が粗い/平坂街道の常夜灯/祠と常夜灯の基壇が一体化/火の見櫓が隣接(火事除けの秋葉信仰との関連性を感じさせる) 2
写真 西方の秋葉山常夜灯 にしがた 豊川市 (中屋敷) 石常夜灯 高3.76m(うち、基壇0.8m) 文化10(1813)   WEB(遠州・万斛の郷) 基壇練積化、上部C改修/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/消火用ホースが隣接設置 2
写真 大草の秋葉山常夜灯 おおくさ 豊川市 (郷中)<平坂街道> 石常夜灯 高3.37m(うち、基壇0.46m) 文政2(1819)   WEB(遠州・万斛の郷)/WEB 刻字に墨入れ (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/平坂街道の常夜灯/台石上段に縦縞状の線刻 3
写真 谷川町の秋葉山常夜灯 やがわ 豊川市 谷川集会所 石常夜灯 高2.96m(うち、基壇0.7m) 文政6(1823)   遠州・万斛の郷 移設(昭和56)→基壇を亀甲積に変更?/電気点灯 祠の基壇と常夜灯の基壇が一体化 3
写真 下佐脇の秋葉山常夜灯 しもさわき 豊川市 鎌田公会堂<平坂街道> 石常夜灯 高2.27m 文政11(1828)   WEB(遠州・万斛の郷)/WEB 火袋を木製に改修(ガラスをはめてある) (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「嶋/安/全」/平坂街道の常夜灯/猫脚/石基壇なし 2
写真 森の秋葉山常夜灯 もり 豊川市 (1丁目) 石常夜灯 高3.41m(うち、基壇0.9m) 天保3(1832)   WEB(遠州・万斛の郷) 電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/基壇石組が見事 1
写真 三蔵子町の秋葉山常夜灯 さんぞうご 豊川市 三蔵子公会堂 石常夜灯   天保11(1840)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置/火袋改修 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/石基壇(石組が見事)/火の見櫓が隣接 1
写真 東上町の秋葉山常夜灯 とうじょう 豊川市 (丸塚) 石常夜灯 高2.91m(うち、基壇0.82m) 天保12(1841)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋改修(木枠で保護)/基壇大幅改修 (竿正面)「秋葉山」/河原の石を乱積した基壇 3
写真 豊沢の秋葉山常夜灯 とよさわ 豊川市 (石堂野) 石常夜灯   嘉永元(1848)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? 石基壇あり 1
写真 御馬湊の御城米積立場 おんまみなと、ごじょうまい 豊川市 <御馬湊> 石すべり(花崗岩)   寛永12(1635)以降   市教委/現地解説板 江戸期の港の石すべりが良好に保存された珍しい事例 代官・鳥山牛之助・鈴木八右衛門により定められた「五か湊」の1つ(幕府に納める年貢米の集積場)/石を谷積風に敷き詰めた「すべり」 2
写真 長沢「フロノ下」の猪垣 ながさわ 豊川市 小沢地区 猪垣(石塁) 周囲235m,高平均1.25m 江戸時代中期以降 市有形 市教委/現地解説板 開けた土地にあるため保存状態良好 山→野への境界線ではなく、耕地を輪中のように保護する珍しい形態の猪垣/非常に小さな石を密に積んだ構造 1 写真
  柏木浜・志香須賀の渡し・跡 かしわぎのはま、
しかすが
豊川市 <東海道/豊川(右岸)> 渡し場   律令期 市史跡 WEB 当時の豊川河口は川幅が広かったため(4㎞程度)、現在は内陸に位置/碑が立っている 律令制時代の東海道の渡し場(位置が特定されている稀な例) 4
写真 賀茂の霞 かも 豊川市・豊橋市 豊川(左岸) 土堤防(霞堤) 遊水地:約200ha 17世紀後半頃(諸説あり未確定)   豊橋河川事務所 現役の霞堤 最も典型的な低平地霞堤群(左岸4、右岸5の遊水地の集合体)/下流から3番目 1
写真 金沢の霞 かなざわ 豊川市 豊川(左岸) 土堤防(霞堤) 遊水地:約120ha 17世紀後半頃(諸説あり未確定)   豊橋河川事務所 現役の霞堤 最も典型的な低平地霞堤群(左岸4、右岸5の遊水地の集合体)/下流から4番目 1
写真 稲武町の秋葉山常夜灯 いなぶ 豊田市 <飯田街道> 石常夜灯   明和5(1768)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修 (竿正面)「秋葉大權現」/スレンダーな石基壇 1
写真 大蔵連町の秋葉山常夜灯 おおぞうれん 豊田市 (勘蔵連) 石常夜灯   天明4(1784)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋後補? (竿正面)「秋葉山、永代/燈明」/火袋の中台下部と、竿石の台石上部に共通した花弁状の飾り/石基壇なし 1
写真 八草町の秋葉山常夜灯1 やくさ 豊田市 (森下)庚申堂・東 石常夜灯 高2.67m 天明5(1785)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷)   (竿正面)「秋葉山永代常夜燈」/石基壇(1列のみ)  
写真 上丘町の秋葉山常夜灯 かみおか 豊田市 (宮前)宝樹院・北東 石常夜灯 高1.77m 寛政9(1797)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 火袋木製 (竿正面)「秋葉山常夜燈」/石基壇なし 2
写真 広幡町の秋葉山常夜灯1 ひろはた 豊田市 (市場)田中橋・南 石常夜灯 高3.02m 寛政11(1799)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山常夜燈」/石基壇なし 1
写真 足助町の秋葉山常夜灯 あすけ 豊田市 (西町)<飯田街道> 石常夜灯(花崗岩) 高5.07m 寛政11(1799)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 保存状態良好/2度移設 (竿正面)「秋葉山」/整形布積4段の立派な基壇/飯田街道沿いの町・足助の中心部に立つ最大級の秋葉山常夜灯 2
写真 今町の秋葉山常夜灯 いま 豊田市 (8丁目)常光院・西 石常夜灯   寛政11(1799)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設?(直方体1列1段の石基壇)/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」 2
写真 田籾町の秋葉山常夜灯 たもみ 豊田市 (前田)御神馬橋・西 石常夜灯 高2.55m 寛政11(1799)   豊田市の石造文化財p57/WEB(遠州・万斛の郷)   石基壇なし  
写真 四郷町の秋葉山常夜灯1 しごう 豊田市 (山畑) 石常夜灯 高3.40m 享和3(1803)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし/火の見櫓が隣接(火事除けの秋葉信仰との関連性を感じさせる) 1
写真 土橋町の秋葉山常夜灯 つちはし 豊田市 法雲院・前<善光寺街道> 石常夜灯 高2.18m 享和3(1803)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 移設 (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 2
写真 幸海町の秋葉山常夜灯1 こうかい 豊田市 (割林) 石常夜灯 高1.32m 文化元(1804)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/火袋遮蔽 石基壇なし 2
写真 乙部町の秋葉山常夜灯 おとべ 豊田市 (北屋敷) 石常夜灯 高2.44m 文化2(1805)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷)   (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし  
写真 広幡町の秋葉山常夜灯2 ひろはた 豊田市 (上ノ島)八幡宮・東 石常夜灯 高1.62m 文化2(1805)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山常夜燈」/下記の「広幡町の常夜灯」と並ぶ 1
  猿投町の秋葉山常夜灯1 さなげ 豊田市 (丸子) 石常夜灯 高3.61m 文化3(1806)   豊田市の石造文化財p55      
写真 渡刈町の秋葉山常夜灯 とがり 豊田市 (上郷中) 石常夜灯 高2.55m 文化3(1806)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 移設(最下段C造) (竿正面)「秋葉山常夜燈」/石基壇なし 2
写真 亀首町の秋葉山常夜灯1 かめくび 豊田市 (森腰) 石常夜灯   文化4(1807)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設? (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 2
写真 立岩町の秋葉山常夜灯 たていわ 豊田市 (ヒロカイツ) 石常夜灯   文化4(1807)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 2
  本地町の秋葉山常夜灯 ほんじ 豊田市 (6丁目) 石常夜灯 高2.29m 文化4(1807)   豊田市の石造文化財p54   旧道脇  
写真 本新町の秋葉山常夜灯 ほんしん 豊田市 (4丁目) 石常夜灯 高2.15m 文化4(1807)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 基壇更新(移設?)/火袋改修/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」 3
写真 森町の常夜灯 もり 豊田市 (7丁目)共同墓地 石常夜灯   文化5(1808)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設/火袋改修 (2段目台石正面)「村/中/安/全」/猫脚/石基壇なし 2
写真 平井町の秋葉山常夜灯 ひらい 豊田市 (8丁目)大塚古墳 石常夜灯   文化5(1808)   豊田市の石造文化財p53/遠州・万斛の郷 移設?/火袋改修(木枠をはめる) 石基壇なし/大塚古墳の西土手上 2
写真 岩滝町の秋葉山常夜灯 いわたき 豊田市 (小玉) 石常夜灯 高2.36m 文化5(1808)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山」 1
写真 小坂本町の秋葉山常夜灯1 こざかほん 豊田市 (3丁目)公民館・西 石常夜灯 高3.13m 文化6(1809)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修 (中台正面)「秋/葉/山」/低い石基壇 1
写真 大坂町の秋葉山常夜灯 おおさか 豊田市 大坂集会所・前 石常夜灯   文化6(1809)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設? (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 2
写真 本徳町の秋葉山常夜灯 ほんとく 豊田市 (西前) 石常夜灯 高2.03m 文化6(1809)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) ダンプカーがぶつかり破損→基部改修(高さが低くなった) (竿正面)「秋葉山」 3
写真 荒井町の秋葉山常夜灯 あらい 豊田市 (寿田) 石常夜灯 高2.51m 文化8(1811)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? 石基壇(1段のみ) 1
写真 竹元町の秋葉山常夜灯1 たけもと 豊田市 (南嶋)竹下公会堂 石常夜灯 高2.24m 文化8(1811)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/火袋改修 中台正面)「秋/葉/山」/石基壇なし 2
写真 猿投町の秋葉山常夜灯2 さなげ 豊田市 (村上) 石常夜灯 高2.17m 文化9(1812)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷)   (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし  
写真 広幡町の秋葉山常夜灯3 ひろはた 豊田市 (竹之上)八幡宮・西 石常夜灯 高1.24m 文化9(1812)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 火袋後補? 石基壇なし  
写真 上原町の秋葉山常夜灯 うわはら 豊田市 (上原)上原区民会館 石常夜灯 高2.34m 文化11(1814)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 移設? (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 2
写真
長興寺の秋葉山常夜灯 ちょうこうじ 豊田市 (9丁目)<岡崎街道> 石常夜灯 高5.22m(うち、基壇0.22m) 文化12(1815)   市教委/豊田市の石造文化財p54/遠州・万斛の郷 笠一部欠損/火袋後補? (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/最大級の秋葉山常夜灯→石工の町と言われた長興寺(地名)に相応しい造り/基壇なしでこの高さは珍しい/中台正面に草花の浮彫/中台両側面に龍の浮彫 1
写真 渡合町の秋葉山常夜灯 どあい 豊田市 (5丁目)渡合区民館・前 石常夜灯 高2.09m 文化13(1816)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/火袋改修 石基壇(1段のみ) 2
写真 下市場町の秋葉山常夜灯 しもいちば 豊田市 (5丁目) 石常夜灯 高3.62m 文化13(1816)   WEB(遠州・万斛の郷) 全て上手にC接合/笠一部補修跡 (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/中台3面(背面以外)に花のような浮彫/消防団器具庫が隣接 1
  大畑町の秋葉山常夜灯 おおばた 豊田市 (上屋敷)<瀬戸街道> 石常夜灯 高2.78m 文化14(1817)   豊田市の石造文化財p55      
写真 亀首町の秋葉山常夜灯2 かめくび 豊田市 (本郷) 石常夜灯 高2.19m 文化14(1817)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷)   (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇(1段のみ)  
写真 大平町の秋葉山常夜灯 おおだいら 豊田市 大平公民館・前 石常夜灯   文政2(1819)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設? (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/宝珠と笠がアンバランスに大きい/石基壇なし 2
写真 大岩町の秋葉山常夜灯 おおいわ 豊田市 (神ノ前) 石常夜灯   文政3(1820)   WEB(遠州・万斛の郷) C基盤上→移設? (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 2
写真 枝下町の秋葉山常夜灯 しだれ 豊田市 <枝下の渡し/飯田街道> 石常夜灯(花崗岩) 高3.45m 文政4(1821)   市教委/WEB(遠州・万斛の郷) 移設 (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし/矢作川の渡し場関連の遺産 2
写真 百々町の秋葉山常夜灯 どうど 豊田市 (1丁目) 石常夜灯(花崗岩) 高4.25m(うち、基壇0.80m) 文政4(1821)   豊田市の石造文化財p53/WEB(遠州・万斛の郷)/馬場愼一 保存状態良好 (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/基壇と一体化した階段 1
写真 亀首町の秋葉山常夜灯3 かめくび 豊田市 (町屋洞)上町屋集会所 石常夜灯 高3.15m 文政4(1821)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」 2
写真 畝部西町の秋葉山常夜灯 うねべにし 豊田市 畝部小学校・校庭 石常夜灯 高3.51m 文政4(1821)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/火袋改修/校庭の南端に金網で囲ってある (竿正面)「秋葉山」、(2段台目石正面)「村/中/安/全」/石材を組み合わせた低い石基壇 3
写真 中町の秋葉山常夜灯 なか 豊田市 (中郷)地蔵堂・跡 石常夜灯 高2.39m 文政4(1821)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 移設?(C基壇)/火袋改修 (竿正面)「秋葉山常夜燈」/道路沿いに地蔵菩薩と並んで立つ 2
写真 下林町の秋葉山常夜灯 しもばやし 豊田市 (3丁目)地蔵堂・北東 石常夜灯 高2.77m 文政5(1822)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 移設/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし 2
写真 西広瀬町の秋葉山常夜灯 にしひろせ 豊田市 西広瀬公民館・前 石常夜灯   文政5(1822)   WEB(遠州・万斛の郷)   石基壇なし  
写真 黒坂町の秋葉山常夜灯 くろさか 豊田市 (下平) 石常夜灯 高2.65m 文政5(1822)   WEB(遠州・万斛の郷) 保存状態良好 「惣村中」/石基壇なし 1
写真 桝塚東町の秋葉山常夜灯 ますづかひがし 豊田市 (中郷) 石常夜灯 高2.54m 文政5(1822)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 火袋過剰改修/全体に石組が緩む (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/基壇なし 2
写真 鴛鴨町の秋葉山常夜灯 おしかも 豊田市 (中屋敷) 石常夜灯 高3.27m 文政8(1825)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 基壇にC目地 (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇 2
写真 三箇町の秋葉山常夜灯 さんが 豊田市 (森前) 石常夜灯   文政8(1825)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山」 1
写真 加納町の秋葉山常夜灯1 かのう 豊田市 (寄元) 石常夜灯 高2.91m 文政9(1826)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 石基壇後補(当初の高さ不明)→移設? (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/基壇なし 2
写真 寺部町の秋葉山常夜灯 てらべ 豊田市 (4丁目)東高院・西 石常夜灯 高2.97m 文政10(1827)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置/石囲いとブロック囲いの中 猫脚/石基壇なし/同じブロック内に道標も立つ/6月16日に祭りが行われる 1
写真 神明町の秋葉山常夜灯 しんめい 豊田市 (2丁目)コロモ劇場跡 石常夜灯 高2.44m 文政10(1827)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「町/内/安/全」/石基壇なし/猫脚/隣接して火災報知器 1
写真 四郷町の秋葉山常夜灯2 しごう 豊田市 (下古屋)<飯田街道> 石常夜灯(花崗岩) 高2.76m 文政10(1827)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし/毎年12月にお祭りを行い、町内安全を願う 1
写真 岩倉町の秋葉山常夜灯1 いわくら 豊田市 (平古) 石常夜灯 高4.82m(うち、基壇1.10m) 文政13(1830)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 移設/現役で点灯(蝋燭)/中台一部欠損 (竿正面)「秋葉山」/猫脚/中台正面に花のような浮彫/丁寧な基壇石組/前方竹柵に注連縄 1
写真 広幡町の常夜灯 ひろはた 豊田市 (上ノ島)八幡宮・東 石常夜灯 高1.62m 文政13(1830)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「山神常夜燈」/山神は豊穣を祈ったもの/上記の「広幡町の秋葉山常夜灯2」と並ぶ 1
  田籾町の太神宮常夜灯 たもみ 豊田市 神明社・南東 石常夜灯 高1.94m 天保元(1830)   豊田市の石造文化財p55 火袋改修 秋葉山ではなく大神宮常夜灯 2
写真 藤岡飯野町の秋葉山常夜灯 ふじおか、
いいの
豊田市 秋葉神社・西 石常夜灯   天保2(1831)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇(石組が見事) 1
写真 上仁木町の秋葉山常夜灯 かみにぎ 豊田市 上仁木診療所・前 石常夜灯   天保2(1831)   WEB(遠州・万斛の郷) C基盤→移設? 石基壇なし 2
写真 小坂本町の秋葉山常夜灯2 こざかほん 豊田市 (6丁目) 石常夜灯(自然石) 高1.65m(うち自然石0.30m) 天保3(1832)   豊田市の石造文化財p54/馬場愼一 移設(50m)/竿石下部はCを山盛りにして固定/今でも輪番で灯明が点けられている (竿正面)「秋葉山常夜燈」/自然石風に加工された常夜灯 2
写真 住吉町の秋葉山常夜灯 すみよし 豊田市 (前邸)行者堂・前 石常夜灯 高2.69m 天保3(1832)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 台石が緩んでいる (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇なし 2
写真 乙ヶ林町の秋葉山常夜灯 おかばやし 豊田市 (信田) 石常夜灯   天保6(1835)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋木製 (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 2
写真 山中町の秋葉山常夜灯 やまなか 豊田市 (トンモ)山中町区民会館 石常夜灯 高2.24m 天保11(1840)   豊田市の石造文化財p53/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修(障子桟がきれいに紙張り)→区民が2日間交代で灯明を上げている (中台正面)「秋/葉/山」、(竿左面)「村内安全」/石基壇なし/火の見櫓が隣接(火事除けの秋葉信仰との関連性を感じさせる)/集落の中心部 1
写真 幸町の秋葉山常夜灯1 さいわい 豊田市 (下郷中)幸町公民館 石常夜灯 高2.83m 天保12(1841)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 火袋改修 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし 2
写真 深見町の秋葉山常夜灯 ふかみ 豊田市 (細田) 石常夜灯   天保14(1843)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」/猫脚/石基壇 1
写真 幸町の秋葉山常夜灯2 さいわい 豊田市 (隣松寺) 石常夜灯 高4.13m 天保15(1844)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) ガラス入り木枠で保護 (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「當/所/安/全」/点灯用階段が正面についている/基壇なし(69㎝の台石状基壇あり)/「隣松寺」は地名 1
写真 上切町の秋葉山常夜灯 かみぎり 豊田市 上切公民館 石常夜灯   嘉永元(1848)   WEB(遠州・万斛の郷) 石基壇にC目地   2
写真 岩倉町の秋葉山常夜灯2 いわくら 豊田市 (則越)西区民会館・前 石常夜灯 高2.79m 嘉永5(1852)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷)   (竿正面)「秋葉山」  
写真 林添町の秋葉山常夜灯 はやしぞれ 豊田市 (西トウモ)児童館・向 石常夜灯 高1.92m 安政2(1855)   豊田市の石造文化財p57/WEB(遠州・万斛の郷) 移設? (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「邑/中/安/全」 1
写真 蘭町の秋葉山常夜灯 あららぎ 豊田市 (東蘭) 石常夜灯 高2.67m 安政3(1856)?   WEB(遠州・万斛の郷) 建立年判読不能 (竿正面)「秋葉山」/基壇なし 1
写真 和合町の秋葉山常夜灯 わごう 豊田市 (日影) 石常夜灯 高5.22m(うち、上部基壇0.90m,下部基壇1.1m) 安政4(1857)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/広い5段の台石を、見事な石組の基壇が載せる/上部基壇正面中央に扇形の石 1
写真 滝見町の秋葉山常夜灯 たきみ 豊田市 (上江通)滝見町公民館 石常夜灯(花崗岩) 高1.86m 安政4(1857)   豊田市の石造文化財p54/WEB(遠州・万斛の郷)   石基壇なし  
写真 御船町の秋葉山常夜灯1 みふね 豊田市 (中島) 石常夜灯   安政4(1857)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 昭和54移設再建(丸石積基壇も後補→当初の高さ不明) (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇(丸石) 3
  桝塚東町の常夜灯 ますづかひがし 豊田市 (中郷) 石常夜灯 高1.80m 安政5(1858)   豊田市の石造文化財p56   秋葉山ではなく津島天王常夜灯  
写真 竹元町の秋葉山常夜灯2 たけもと 豊田市 (外田) 石常夜灯 高2.05m 万延2(1861)   豊田市の石造文化財p56/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修 (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし 2
写真 加納町の秋葉山常夜灯2 かのう 豊田市 (末石) 石常夜灯 高3.38m 文久2(1862)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇(見事な石組 1
写真 八草町の秋葉山常夜灯2 やくさ 豊田市 (松崎)八草駅・北 石常夜灯 高2.55m 文久2(1862)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山」/猫脚/石基壇なし 1
写真 寺下町の秋葉山常夜灯 てらした 豊田市 (冷田) 石常夜灯 高3.35m 元治元(1864)   豊田市の石造文化財p57/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? 整形布積を立方体に積み上げた基盤/自然石を積み上げた階段 1
写真 加納町の秋葉山常夜灯3 かのう 豊田市 (落合) 石常夜灯 高2.51m 慶応元(1865)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇(低い) 1
写真 幸海町の秋葉山常夜灯2 こうかい 豊田市 (オーツケ) 石常夜灯 高2.48m 慶応2(1866)   豊田市の石造文化財p55/WEB(遠州・万斛の郷) 火袋遮蔽 (上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし  
  陣中町の道標1 じんなか 豊田市   石道標 高103㎝,幅18㎝ 享保年間(1716-35)   豊田市の石造文化財p53 郷土資料館に移設 「これよりひがし 志なの道 三州力石」「是より南 おかざき道」 3
  広川町の地蔵菩薩像道標1 ひろかわ 豊田市 (5丁目) 石道標(舟型) 高58㎝,幅35㎝ 江戸中期以降   豊田市の石造文化財p33   「右 そぶり/左 てらべ」/地蔵菩薩立像が陽刻 2 -
  稲武町の道標 いなぶ 豊田市 <飯田街道> 石道標 高59㎝ 寛政9(1797)再建   市教委 移設 「左 ぜんこうじ」「右、 ほうらいじ/あきは、道」 2 -
  四郷町の馬頭観音像道標 しごう 豊田市 (下古屋) 石道標(舟型) 高125㎝,幅41㎝ 寛政10(1798)   豊田市の石造文化財p27   (台座)「右 こ志/善光寺」「左 」/馬頭観音立像が陽刻 2
  広川町の地蔵菩薩像道標2 ひろかわ 豊田市 (8丁目)<岡崎街道> 石道標(舟型) 高50㎝,幅27㎝ 江戸後期   豊田市の石造文化財p33   てらべ道/ころも道 あすけ道」/地蔵菩薩立像が陽刻 2 -
  野見山町の地蔵菩薩像道標 のみやま 豊田市 (4丁目) 石道標(舟型) 高63㎝,幅34㎝ 天保4(1833)   豊田市の石造文化財p34   、おかざき/いわず、道」「左、まつだいら/こかわ、道」/地蔵菩薩立像が陽刻 2
  桑田和町の道標 くわだわ 豊田市 <飯田街道> 石道標(花崗岩) 高114㎝ 天保6(1835)   市教委   「右、こんひら江三十丁/ほうらいじ江九り あきは江二十り」「左 ぜんこうじ江五十九り」 2
写真 桝塚東町の地蔵菩薩像道標 ますづかひがし 豊田市 清安寺・門前 石道標
(六角柱、丸彫)
高133㎝,像台座幅44㎝ 天保13(1842)   豊田市の石造文化財p39 移設/木祠内(他の石像と並ぶ) (台石斜め前方右)「右 ころも道」、(台石斜め前方左)「左 を里う道」/六角柱台石正面に「地蔵大菩薩」と陰刻/蓮華座の上に地蔵菩薩座像が丸彫/台石に蓮華座模様付き 2
写真 足助町の道標 あすけ 豊田市 (西町)<伊奈街道・鳳来寺道> 石道標(花崗岩) 高88㎝ 弘化2(1845)   市教委 下部埋設 (正面)「右 ほうらい寺…」、(左面)「左 せんこう寺…」 2
  陣中町の道標2 じんなか 豊田市   石道標 高152㎝,幅22㎝ 嘉永3(1850)   豊田市の石造文化財p53 郷土資料館に移設 「名古屋/伊勢、道」「右、善光寺/足助道」「左、木曽路/岩村/野道」 3
  室町の念仏塔道標 むろ 豊田市 (6丁目) 石道標(自然石) 高64㎝,幅25㎝ 安政2(1855)   豊田市の石造文化財p44   「右 おかざき/東 ひらい」 2 -
  陣中町の道標3 じんなか 豊田市   石道標 高103㎝,幅18㎝ 安政3(1856)   豊田市の石造文化財p53 郷土資料館に移設 「東、岩津天神/屋くし/おかざき、道」「南、うへの/大濱茶屋/亀さき、道」「西、土し/みや口/なや、道」「北、ころも/さなげ/あすけ」 3
  古瀬間町の観音菩薩像道標1 あすけ 豊田市 (藤塊) 石道標(舟型) 高57㎝,幅34㎝ 安政6(1859)   豊田市の石造文化財p24   「右 あすけ」/観音菩薩立像が陽刻 2 -
  上挙母の地蔵菩薩像道標 うわごろも 豊田市 (1丁目) 石道標(舟型) 高95㎝,幅33㎝ 江戸末期   豊田市の石造文化財p34 ブロックの堂宇内/建立者が確定 「右 ちやゝみち/左 をかざき」/地蔵菩薩立像が陽刻 3
  渡刈町の地蔵菩薩像道標 とがり 豊田市 (乗越)<挙母街道> 石道標(舟型) 高64㎝,幅26㎝ 江戸期   豊田市の石造文化財p39   「向テ右 をゝはま茶や/向て左 をかざき」/地蔵菩薩立像が陽刻 2
  幸町の地蔵菩薩像道標 さいわい 豊田市 (下郷中) 石道標(舟型) 高44㎝,幅25㎝ 江戸期   豊田市の石造文化財p39 移設/セメント製の堂宇内 「右 ころも」「左、をしかも/し、道」/地蔵菩薩立像が陽刻 3 -
  広川町の聖観音像道標 ひろかわ 豊田市 (8丁目) 石道標(舟型) 高87㎝,幅36㎝ 江戸末期~明治初期   豊田市の石造文化財p25 移設/建立者が確定 「右 南コセマ/左 北コセマ」/聖観音立像が陽刻 2
写真 四郷町の道標 しごう 豊田市 (観音坂)<飯田街道> 石道標(花崗岩) 高140㎝,22㎝角 江戸期?   市教委   (正面)「右 いせ、ミや/な古や、道」、(右面)「左 せんく王うじ道」、(左面)「左 お可さ起ミち」(=岡崎) 2
写真 枝下町の渡しの石刎 しだれ 豊田市 <飯田街道/矢作川> 石水制   江戸期?   市教委 左岸側は基部が視認可、右岸側は水中 小規模な水制 3
写真 枝下町の渡しの舟つなぎ石 しだれ 豊田市 <飯田街道/矢作川> 舟繋石(Π型)   江戸期?   市教委 川との関連性が若干薄い(果樹や畑に囲まれている) 粗削りの2本の石角柱の上に、屋根型に粗く加工した石梁を載せる構造(水門を連想させる形態=舟繋石としては異例) 2
写真 枝下町の渡しの水のみ場 しだれ 豊田市 <飯田街道/矢作川> 水飲み場(石積)   江戸期?   市教委 水飲み場本体の石積より、脇の石垣の方が立派 「水天宮」と陰刻されたが井戸のすぐ脇に立つ/渡し場に水飲み場が残っている例は稀少 2
写真 ウレ道の水神   豊田市 <飯田街道> 馬の水飲み場   江戸期?   市教委   「水神」と陰刻された自然石、文化年間の馬頭観音石仏等が清水を囲む 2
  本坂峠の石畳 ほんざか 豊橋市 <姫街道> 石畳道       市教委 昭和45一部復元(不自然な再現部分も多い)   3
  一里山一里塚 いちりやま 豊橋市 <東海道> 一里塚(1基) 北塚:径12m,高3m 慶長9(1604)以降 市史跡 市教委 塚木なし/塚の形態が定かでない   3
  嵩山一里塚(井原一里塚) すせ 豊橋市 <姫街道> 一里塚(1基)   江戸期 市埋蔵文化包蔵地 市教委 山林化   4 -
写真 石巻町の秋葉山常夜灯 いしまき 豊橋市 (金割) 石常夜灯 高2.66m(うち、基壇0.80m) 享和4(1804)   WEB(遠州・万斛の郷) 基壇大幅改修 (竿正面)「秋葉山常夜燈」/火袋が丸みを帯びている 2
写真 八町通の秋葉山常夜灯
(新町の大灯籠)
はっちょう 豊橋市 <東海道> 石常夜灯 高約5m 文化2(1805)   WEB(遠州・万斛の郷)/WEB 昭和19地震で倒壊→昭和55復元→平成13原位置付近に移設 (竿右面)「秋葉山」、(2段目台石正面)「吉/田/中/安/全」/中央が膨らんだ円筒状の竿石/上段台石正面に“獅子”の浮彫り/笠・火袋・中台が六角形 2
写真 下五井町の秋葉山常夜灯 しもごい 豊橋市 下五井町公民館 石常夜灯   文化5(1808)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/火袋後補 (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇なし 2
写真 細谷町の秋葉山常夜灯 ほそや 豊橋市 (中ノ島)<姫街道> 石常夜灯 高2.08m(後補基壇を入れると総高2.97m) 文政3(1820)   WEB(遠州・万斛の郷) 基壇更新(布積基壇)/火袋改修 「村中安全」 3
写真 杉山町の秋葉山常夜灯 すぎやま 豊橋市 (向井) 石常夜灯 高2.62m(うち、基壇0.70m) 文政5(1822)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋を木製に改修 (竿正面)「秋葉山」、(上段台石正面)「殿村/安全/久郷」/消防団器具庫が隣接/火袋に注連縄 2
写真 石巻本町の秋葉山常夜灯1 いしまきほん 豊橋市 (小深田) 石常夜灯 高2.94m(うち、基壇0.17m) 文政5(1822)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋後補/台石と基壇の間にC小基壇 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/脇に消火器 2
写真 日色野町の秋葉山常夜灯 ひしきの 豊橋市 (菱形) 石常夜灯   文政6(1823)   WEB(遠州・万斛の郷) 石基壇(成層布積)→近代の後補の可能性 (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/猫脚/石基壇あり(布積) 2
写真 牟呂中村町の秋葉山常夜灯 むろなかむら 豊橋市 中村公民館 石常夜灯 高3.21m(うち、基壇0.55m) 文政8(1825)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋後補/竿の上下がC接合 (中台正面)「秋/葉/山」、(竿左面)「村中安全」/基壇正面石組に扇型の石、基壇左側面石組に瓢箪型の石→基壇石組としては非常に珍しい 2
写真 高塚町の秋葉山常夜灯 たかつか 豊橋市 (西方) 石常夜灯 高4.60m(うち、上部基壇0.49m,下部基壇1.62m) 文政9(1826)   WEB(遠州・万斛の郷) 石基壇が“落とし積み”→近代の改修の可能性 (竿正面)「秋葉山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/高い2段式も石基壇 2
写真 高洲町の秋葉山常夜灯 たかす 豊橋市 (高洲) 石常夜灯 高2.71m(後補基壇を入れると総高3.08m) 文政9(1826)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋大幅改修/基壇後補/火袋が鋳物製?/金柵内 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/猫脚/火袋に注連縄 3
写真 嵩山町の秋葉山常夜灯 すせ 豊橋市 <姫街道・嵩山宿> 石常夜灯 高4.00m(うち、基壇0.98m) 文政10(1827)   WEB(遠州・万斛の郷) 保存状態良好/鉄製の階段が付いている/煉瓦塀で囲まれているのがユニーク/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/消防団器具庫が隣接 1
写真 石巻本町の秋葉山常夜灯2 いしまきほん 豊橋市 (的場) 石常夜灯 高3.29m(うち、基壇0.85m) 文政11(1828)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋を木製に改修/笠大部分欠損/竿一部欠損/台石一部沈下→C充填 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/形状がスレンダー/台石正面に櫛状の浮彫/消防団器具庫、火の見櫓が隣接(火事除けの秋葉信仰との関連性を強く感じさせる) 3
写真 東細谷町の秋葉山常夜灯 ひがしほそや 豊橋市 (西島) 石常夜灯 高2.79m(うち、基壇60m) 天保2(1831)   WEB(遠州・万斛の郷) 笠・竿一部欠損/火袋後補/基壇大幅改修 (上段台石正面)「秋/葉/山」 3
写真 岩崎町の秋葉山常夜灯1 いわさき 豊橋市 (森) 石常夜灯 高3.24m(うち、上部基壇0.45m,下部基壇0.53m) 天保3(1832)   WEB(遠州・万斛の郷) 宝珠・笠・火袋後補/各基壇上面にC補修/移設?/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/背の低い2段式基壇 2
写真 岩崎町の秋葉山常夜灯2 いわさき 豊橋市 (長尾) 石常夜灯   天保12(1841)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋改修 (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇(見事な石組み) 2
写真 草間町の秋葉山常夜灯 くさま 豊橋市 (郷西) 石常夜灯 高3.43m(うち、基壇0.95m) 弘化2(1845)   WEB(遠州・万斛の郷) 保存状態良好 (竿正面)「秋葉山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/野面石を乱積した基壇 1
写真 石巻西川町の秋葉山常夜灯 いしまきにしがわ 豊橋市 (安川下)<別所街道> 石常夜灯 高3.38m(うち、基壇0.63m) 弘化3(1846)   WEB(遠州・万斛の郷) 保存状態良好/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/基壇石組が見事、基壇正面石組中央に緑色の石→非常に珍しい 2
写真 小池町の秋葉山常夜灯 こいけ 豊橋市 潮満公園 石常夜灯 高3.87m(うち、基壇1.05m) 弘化4(1847)   WEB(遠州・万斛の郷) 笠破損/竿・中台ともにC接合/基壇大幅改修/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」 3
写真 平川本町の秋葉山常夜灯 ひらかわほん 豊橋市 神明社・東 石常夜灯 高3.4m(うち、基壇高1.0m) 安政6(1859)   WEB(遠州・万斛の郷)/馬場愼一 基壇部(亀甲積み): 昭和50年代に改修   3
写真 前芝の灯明台 まえしば 豊橋市   木灯明台(海運) 高7.06m 寛文9(1669) 県史跡 市教委/WEB 昭和41解体復元 現存する国内最古の木造灯台/2番目に古いものは、岡山県の牛窓燈籠堂(瀬戸内市、延宝年間(1673-81))だが、こちらは再現/3番目に古いものは、岐阜県の住吉灯台(大垣市、貞享年間(1687-87)説をとった場合) 2
  青竹新田の堤防 あおたけ 豊橋市   土堤防   明和7(1770)   市教委 干拓堤防が道路として残る 施主: 青木九郎治・大嶽七右衛門 2
  奈木の桂士石切場址 なぎ 豊橋市   石切場   近世~   市教委 放置/切り出し面は視認可能 石灰生産のための石灰岩の採石場 3
写真 牛川の霞 うしかわ 豊橋市 豊川(左岸) 土堤防(霞堤) 遊水地:約80ha 17世紀後半頃(諸説あり未確定)   豊橋河川事務所 現役の霞堤 最も典型的な低平地霞堤群(左岸4、右岸5の遊水地の集合体)/下流から1番目 1
写真 下条の霞 げじょう 豊橋市 豊川(左岸) 土堤防(霞堤) 遊水地:約350ha 17世紀後半頃(諸説あり未確定)   豊橋河川事務所 現役の霞堤 最も典型的な低平地霞堤群(左岸4、右岸5の遊水地の集合体)/下流から2番目/全国でも最大規模の遊水地 1 写真
写真 賀茂の霞 かも 豊橋市・豊川市 豊川(左岸) 土堤防(霞堤) 遊水地:約200ha 17世紀後半頃(諸説あり未確定)   豊橋河川事務所 現役の霞堤 最も典型的な低平地霞堤群(左岸4、右岸5の遊水地の集合体)/下流から3番目 1
  松原用水(大村井水) まつばら 豊橋市 豊川 用水路   室町起源?→明応年間(1493-1501)洪水で取水口破壊→永禄10(1567)   市教委/WEB 現在の取水口は明治2のもの/水路はC化 近世以前に豊川から引水した唯一の用水 5
  向山大池 むかいやま 豊橋市 向山大池公園 土堰堤 長約120m 承応3(1654)   市教委 大規模な改修→公園化/昔はもっと大きかったという話もある   4
  嵩山の猪垣 すせ 豊橋市   石垣(石灰岩?)   近世?   市教委 山林内に放置/保存状態は良好   3  
      長久手市                    
写真 駮馬の秋葉山常夜灯 まだらめ 西尾市 (郷中) 石常夜灯   明和8(1771)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設?/火袋改修/宝珠一部欠損 石基壇なし 3 -
  中村の秋葉山常夜灯 なかむら 西尾市 秋葉社・南 石常夜灯 高1.70m+基壇 寛政4(1792)   幡豆町教育委員会      
写真 室町の秋葉山常夜灯1 むろ 西尾市 (下屋敷) 石常夜灯 高3.27m(うち、基壇0.91m) 寛政13(1801)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/石基壇の石組が少し緩んでいる(経年変化か移設によるものか?)/火袋改修/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」/石基壇(見事な石組) 1
写真 津平の秋葉山常夜灯1 つひら 西尾市 (東郷) 石常夜灯   享和2(1802)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置/電気点灯 (竿正面)「秋葉山夜塔」/蒲郡市に多い塀で囲むタイプ 1
写真 紺屋谷戸の秋葉山常夜灯 こんややと 西尾市 津島社・南 石常夜灯   享和3(1803)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋補強 (竿正面)「秋葉山夜塔」/石基壇(亀甲風の石積) 2
写真 津平の秋葉山常夜灯2 つひら 西尾市 (山ノ上) 石常夜灯   文化2(1805)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設?(C基盤上) (竿正面)「秋葉山夜塔」/石基壇(大型) 2
写真 八幡の秋葉山常夜灯 やはた 西尾市 明正寺・西 石常夜灯 高3.25m(うち、基壇高1.2m) 文化3(1806)   幡豆町教育委員会/WEB(遠州・万斛の郷)/馬場愼一 原位置 (竿正面)「献上秋葉山夜燈」/高い石基壇(大型の石を大胆に組み合わせた石組) 1
写真 赤羽の秋葉山常夜灯 あかばね 西尾市 高須病院・南 石常夜灯   文化3(1806)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置/竿後補? (竿正面)「秋葉山大權現」/高い石基壇(見事な石組) 2
写真 津平の秋葉山常夜灯3 つひら 西尾市 (前田) 石常夜灯   文化4(1807)   WEB(遠州・万斛の郷) 石基壇の石積が汚く落とし積み→近代の後補? (竿正面)「秋葉山夜塔」/石基壇 2
写真 江原町の秋葉山常夜灯 えわら 西尾市 福浄寺・南<平坂街道> 石常夜灯 高3.8m(うち、基壇1.38m) 文化6(1809)   WEB(遠州・万斛の郷)/WEB 原位置?/火袋改修/一時電気点灯→取りやめ (竿正面)「秋葉山」、(竿右面)「村中安全」/石基壇(石組が見事)/平坂街道の常夜灯/中台下に唐草模様、台石に縦縞状の線刻 1
写真 高河原町の秋葉山常夜灯 たかがわら 西尾市 白山神社・南 石常夜灯 高3.23m(うち、基壇1.12m) 文化7(1810)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山常夜燈」/石基壇(石組が見事) 1
写真 山口の秋葉山常夜灯 やまぐち 西尾市 養寿院・南 石常夜灯 高1.75m 文化8(1811)   幡豆町教育委員会/WEB(遠州・万斛の郷) 移設 (竿正面)「秋葉山夜塔」/石基壇なし 2
写真 治明の秋葉山常夜灯 じめい 西尾市 愛宕神社・東 石常夜灯   文化10(1813)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋後補?/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」/高い石基壇(石組が見事) 1
写真 鳥羽の秋葉山常夜灯1 とば 西尾市 極楽寺・東 石常夜灯 高3.41m(うち、基壇1.39m) 文化11(1814)   幡豆町教育委員会/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」/高い石基壇(亀甲風の石積) 1
写真 鳥羽の秋葉山常夜灯2 とば 西尾市 通因寺・西 石常夜灯 高1.80m+基壇 文化12(1815)   幡豆町教育委員会/WEB(遠州・万斛の郷) 石基壇にC目地/火袋改修 (竿正面)「秋葉山」/石基壇 2
  鳥羽の秋葉山常夜灯3 とば 西尾市 (西迫) 石常夜灯 高1.52m+基壇 文化12(1815)   幡豆町教育委員会      
写真 行用町の秋葉山常夜灯 ぎょうよう 西尾市 行用町公民館 石常夜灯   文化13(1816)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋改修/基壇石組に落とし積みを多用→後補? 猫脚  
写真 乙川の秋葉山常夜灯 おつかわ 西尾市 了淳寺・南 石常夜灯   文化13(1816)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇(亀甲風の石積) 1
写真 鹿川の秋葉山常夜灯 ししかわ 西尾市 神明宮・北 石常夜灯 高1.50m+基壇 文化14(1817)   幡豆町教育委員会/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋後補 (竿正面)「秋葉山常夜燈」/石基壇(亀甲風の石積) 2
写真 下永良町の常夜灯 しもながら 西尾市 丹過公民館・北 石常夜灯 高3.50m(うち、基壇1.15m) 文化15(1818)→昭和55改築   WEB(遠州・万斛の郷)/WEB 移設?(C基礎上、基壇の石材・石組が新しい)/竿後補 (中台正面)「秋/葉/山」 3
写真 洲崎の秋葉山常夜灯 すさき 西尾市 (迎) 石常夜灯 高1.70m+基壇 文化年間(1804-18)   幡豆町教育委員会/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/石基壇にC目地/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」/低い石基壇 1
  鳥羽の常夜灯 とば 西尾市 (林) 石常夜灯 高1.70m+基壇 文化年間(1804-17)   幡豆町教育委員会   秋葉山常夜灯ではない  
  山口の常夜灯 やまぐち 西尾市 養寿院・南 石常夜灯 高1.65m+基壇 文政2(1819)   幡豆町教育委員会   「山上大權現」  
写真 室町の秋葉山常夜灯2 むろ 西尾市 (上屋敷) 石常夜灯   文政3(1820)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋改修/基壇石組の補修が汚い   2
写真 小牧の秋葉山常夜灯 こまき 西尾市 小牧公民館 石常夜灯   文政4(1821)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」/低い石基壇 1
写真 八ヶ尻町の秋葉山常夜灯 はちがしり 西尾市 香秀寺・北 石常夜灯   文政5(1822)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋補強/宝珠欠損? (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇なし 3
写真 鳥羽の秋葉山常夜灯4 とば 西尾市 観音堂・南 石常夜灯 高3.07m(うち、石基壇1.17m) 文政11(1828)   幡豆町教育委員会 原位置/石基壇の目地C充填 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「世/子/中/安/全」/斜面に造られたため、前面のみ2段の基壇をもつ(全高には加えない) 1
写真 下羽角町の秋葉山常夜灯 しもはすみ 西尾市 専念寺・南 石常夜灯   文政11(1828)   WEB(遠州・万斛の郷)   (2段目台石正面)「村/中/安/全」/石基壇(亀甲風の石積)  
写真 鳥羽の秋葉山常夜灯5 とば 西尾市 (迎) 石常夜灯 高2.93m(うち、基壇1.06m) 文政12(1829)   幡豆町教育委員会/WEB(遠州・万斛の郷) 原位置/電気点灯 (竿正面)「秋葉山」/石基壇(亀甲積に近い石組) 1
写真 寺部の秋葉山常夜灯1 てらべ 西尾市 (堂前) 石常夜灯 高3.44m(うち、基壇1.34m) 文政年間(1818-30)   幡豆町教育委員会/WEB(遠州・万斛の郷) 宝珠欠損/火袋後補/石基壇
(亀甲積み→後補の可能性)
高い石基壇 1
写真 上町の秋葉山常夜灯1 かみ 西尾市 稲荷山茶園公園 石常夜灯 高6.40m(うち、基壇高1.60m) 天保11(1840)   WEB(遠州・万斛の郷)/馬場愼一 原位置 (中台正面)「秋/葉/山」/基壇石組が見事/大型の石常夜灯 1

写真 住崎町の秋葉山常夜灯 すみさき 西尾市 神明社・東<平坂街道> 石常夜灯   天保15(1844)   WEB(遠州・万斛の郷)/WEB 宝珠~竿まですべて後補の可能性/石基壇にC目地 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/石基壇/平坂街道の常夜灯 3
写真 貝吹町の秋葉山常夜灯 かいふく 西尾市 貝吹町公民館 石常夜灯   弘化3(1846)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋改修 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし 2
写真 善明町の秋葉山常夜灯 ぜんみょう 西尾市 善徳寺・北 石常夜灯   弘化4(1847)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇 2
写真 家武町の秋葉山常夜灯 えたけ 西尾市 圓満寺・東<平坂街道> 石常夜灯 高3.68m(うち、基壇1m) 弘化5(1848)   WEB(遠州・万斛の郷)/WEB 原位置/火袋改修/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/石基壇(石組が見事)/平坂街道の常夜灯 1
写真 小山田の秋葉山常夜灯 おやまだ 西尾市 大善寺・西 石常夜灯 高3.47m(うち、基壇1.04m) 嘉永年間(1848-53)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置/基壇練積化 石基壇上の台石が6段(例外的に多い) 2
写真 上横須賀の秋葉山常夜灯 かみよこすか 西尾市 青木公民館 石常夜灯   安政3(1856)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/火袋改修/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇(整形された布積) 1
写真 荻原の秋葉山常夜灯 おぎわら 西尾市 細畑公民館・西 石常夜灯   安政7(1860)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋改修/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「世/子/中/安/全」/石基壇(低いが石組は見事) 1
写真 岡島町の秋葉山常夜灯 おかじま 西尾市 (美晴) 石常夜灯 高3.3m(うち、基壇0.88m) 安政年間(1854~1859)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置 (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇 1
写真 上町の秋葉山常夜灯2 かみ 西尾市 朝日園・前 石常夜灯   文久2(1862)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置 (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「世/子/中/安/全」/石基壇(石組が見事) 1
写真 上町の秋葉山常夜灯3 かみ 西尾市 熊野神社・北 石常夜灯   元治元(1864)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置 (中台正面)「秋/葉/山」、(2段目台石正面)「除/災/安/全」/石基壇(稠密な石組) 1
写真 斉藤町の秋葉山常夜灯 さいとう 西尾市 斉藤町公民館・北 石常夜灯   慶応2(1866)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置/電気点灯 石基壇(見事な石組) 1
  鹿川組の丁石 ししかわ 西尾市   町石 高85㎝,幅20㎝ 文化14(1817)   幡豆歴史民俗資料館 鉄枠で支持 「従是觀音道 十八丁」/他の丁石で残っているものは九、十一、十二(いずれも丁数のみ標記、年代不明)/三ヶ根信仰に関わる町石群(下記のものとは別ルート) 3
  三ヶ根への丁石群 さんがね 西尾市   町石   天保15(1844)   幡豆歴史民俗資料館 保存状態良好 一丁から順に10基ほど並んでいる/三ヶ根信仰に関わる町石群(上記のものとは別ルート) 3
写真 寺部の秋葉山常夜灯2 てらべ 西尾市 (西浦) 石常夜灯(海運?) 高2.82m(うち、基壇0.88m) 文化元(1804)   幡豆町教育委員会/WEB(遠州・万斛の郷)/幡豆歴史民俗資料館 火袋補強/基壇が練石積化 (竿正面)「秋葉山常夜燈」/海岸沿いに建つ 2
写真 前島の太神宮常夜灯 まえしま 西尾市(前島) (西端) 石常夜灯(海運?) 高2.40m+基壇 文政12(1829)   幡豆町教育委員会/幡豆歴史民俗資料館 東幡豆・本郷にあったものを数10年前に移設/電気点灯 「太神社」/移設前の建立地点も、舟から見える自然海岸だった/伊勢神宮の遥拝所っだたという指摘もある 2
写真 鳥羽の太神宮常夜灯 とば 西尾市 崎山・豊受大神宮 石常夜灯(海運?) 高1.50m 江戸期?   幡豆町教育委員会/幡豆歴史民俗資料館 保存状態良好 海にせり出した小高い山の上にある/伊勢神宮の遥拝所っだたという指摘もある 1
写真 東幡豆港の旧防波堤 ひがしはず 西尾市   石防波堤 長36m 天保15(1844)   幡豆町教育委員会 小規模な修復 森川の堤を利用し大風・高潮を防ぐ目的で建設(昔は、森川に舟が入り船溜りにもなっていた) 2
写真 桑畑港防波堤 くわはた 西尾市   石防波堤 長24m 弘化5(1848)→明治期に修繕?→平成2先端を数m削る   幡豆町教育委員会/幡豆歴史民俗資料館 大規模な改修   3
写真 義倉蔵 ぎそうぐら 西尾市 伊文神社 郷倉
(土蔵造切妻瓦葺)
間口6.3m,奥行10.8m  安政4-6(1857-9)頃 市史跡 WEB/馬場愼一 保存状態良好 西尾義倉会が義倉米を貯蔵するため、伊文神社の境内地を借りて建築した土蔵/義倉会は城下の御用商人らが飢饉時に困窮者の救済を行なうことを目的に設立した組織(御用達等の寄付米を元米として義倉に貯蔵し、平時にこれを貸し付けることにより利米を稼いで備蓄米を増やし、飢饉の際には難民に安売りや施米を行なった) 1
写真 長根の証文岩 ながね 西尾市   石碑 高2.4m,幅1.2m 宝暦年間(1751-63) 市史跡 幡豆町教育委員会/幡豆歴史民俗資料館 風化が進むのを止めるための薬剤注入を実施/私有地内(散策道あり) 渇水に苦しむ谷村の農民のため上畑上池の水を引いた寛永年間の事業を称えた顕彰碑 2
写真 花蔵寺町の曲輪 けぞうじ、
くるわ
西尾市   土堤防(輪中堤) 長約400m,幅7m 寛文元(1661) 市史跡 WEB/馬場愼一 一部現存 家や耕地を洪水から守るため、集落の周囲に防堤を巡らせた輪中堤 3
  黄金堤 こがね 西尾市   土堤防 長約180m,高約4m(明治17の実測値) 貞享3(1686)   吉良町教育委員会 県道・西尾~吉良線の拡幅に伴い、黄金堤の一部開削調査が行われた/堤体上部の両側に桜が植栽 旗本・吉良上野介義央が、岡山陣屋代官・斉藤金右衛門に命じて水害防御のため貞享3年に築造させたと言われる→裏付ける同時代史料存在せず 2
写真 東幡豆海岸の松林 ひがしはず 西尾市   海岸防風林 長約300m 江戸期?   幡豆町教育委員会/幡豆歴史民俗資料館 オリジナルと思われる松がよく残っている   2
  米野木の石橋 こめのき 日進市 <名古屋街道> 石桁橋 長2m以下(5本) 弘化4(1847)以前?   市教委/WEB 桁石5本のうち1本は近代の後補   2 -
  北新田の聖観音菩薩像道標 きたしん 日進市   石道標(舟型)   江戸期?   WEB 祠内/刻字に黒い塗料 (光背右)「右、やくさ/せと」、(同左)「左、やざこ/水の」/全面に聖観音菩薩立像が陽刻 2 -
写真 亀崎渡船場跡の常夜灯 かめざき 半田市   石常夜灯(海運) 高4.35m 文化5(1808)   WEB/馬場愼一 火袋とその台石は後補/電気点灯 知多半島から三河へ渡る港として栄えた渡船場の唯一残る遺産(今も衣浦大橋と衣浦トンネルに挟まれて立地) 2
写真 鷲林町の秋葉山常夜灯 わしばやし 碧南市 遍照院・西 石常夜灯   寛政12(1800)   WEB(遠州・万斛の郷) 石基壇→近代の後補の可能性 (竿正面)「秋葉山」 2
写真 伏見町の秋葉山常夜灯 ふしみ 碧南市 伏見屋区民館 石常夜灯   文化5(1808)   WEB(遠州・万斛の郷) 移設? (竿正面)「秋葉山常夜燈」/石基壇なし 2
写真 東浦町の秋葉山常夜灯 ひがしうら 碧南市 神明社・南 石常夜灯   文政3(1820)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/立派な柵付きの石基壇 1
写真 天神町の秋葉山常夜灯 てんじん 碧南市 応春寺・南 石常夜灯   文政5(1822)   WEB(遠州・万斛の郷) 石基壇が亀甲積み→近代の後補の可能性/電気点灯 (中台正面)「秋/葉/山」/石基壇あり 2
写真 松江町の秋葉山常夜灯 まつえ 碧南市 (4丁目)<大浜街道> 石常夜灯 5.40m(うち、基壇高1.10m) 文政7(1824)   WEB(遠州・万斛の郷)/馬場愼一 石基壇が成層布積み→近代の後補の可能性 垂直の直方体の石基壇 2
写真 福谷町の秋葉山常夜灯 うきがい みよし市 帰西寺・南 石常夜灯   天明3(1783)   WEB(遠州・万斛の郷)   石基壇なし  
写真 三好町の秋葉山常夜灯 みよし みよし市 全海寺・南 石常夜灯   享和元(1801)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「遠州秋葉山」/火の見櫓が隣接(火事除けの秋葉信仰との関連性を感じさせる) 1
写真 明知町の秋葉山常夜灯 みょうち みよし市 細口池・西 石常夜灯   文化9(1812)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋後補 (竿正面)「秋葉山」/常夜灯と比べ不自然に大きな石基壇(基壇内に喰い込む形で階段が設けられている) 2
  鵜の池 弥富市 神戸新田 澪(みお) 長径約90m,短径約50m 宝歴7(1757) 市史跡 WEB C護岸だが形態は維持(ただし、細かな出入りは直線化) 干拓新田の多い弥富市らしい遺構=高潮や地震で堤防が切れ洪水になった跡に、澪(みお)と呼ばれる池が各所に残された→埋め立てが進み、烏の池が唯一現存する澪の跡 3
  祐福寺一里塚 ゆうふくじ (愛知)東郷町 <駿河街道(飯田街道)> 一里塚(2基)   江戸期   WEB かなり変形   4
写真 新川 しん (海部)大治町、
名古屋市、あま市、清洲市、北名古屋市
名古屋市(西区)
→北名古屋市
→名古屋市(西区)
清洲市→あま市
大治町
→名古屋市(中川区)
→名古屋市(港区)
分水(放水路) 長約20㎞ 天明8(1788)   新川・開削の歴史/WEB 特定都市河川(一級河川)/明治11・昭和2に堤防の改築、昭和29に護岸改修、堤防嵩上げ(抜本的な大改修はされていない) 江戸期、わが国最長の放水路/尾張藩勘定奉行・水野千之右衛門は、低湿地のため洪水に苦しんでいた庄内川右岸の村々を救うため、藩主徳川宗睦に庄内川の分水工事の建白書を提出した→藩財政が窮乏していたため着手は見送られたが、安永8(1779)の庄内川の大洪水の後、宗睦は水野千之右衛門と国奉行・人見弥右衛門に検討を命じた→千之右衛門は、工事費の総額が尾張藩の1年分の収入を遥かに超えることから、わざと減額した積算表を提出するとともに、工事を途中で中止できないよう水源の比良村(現・名古屋市西区)から伊勢湾に至るまで一度に200ヶ所以上も掘り立てるという方法で本工事に着手(天明4(1784))/水野・人見両名は工事途中で過小な工事積算が発覚し責を問われて降職・謹慎となったが、工事は完成するまで続行(40万両以上を要した)→千之右衛門の功績を称えるため、洪水に悩まされてきた28ヶ村の有志によって下記の「水埜士惇君治水碑」が建立された(碑には千之右衛門の字・「士惇」の文字を使用) 4 写真
      (海部)蟹江町                    
      (海部)飛島村                    
  棒ノ木山の石畳 ぼうのきやま (北設楽)設楽町 <伊那海道> 石畳道   江戸期   町教委 未整備のまま残る   2
写真 西納庫の秋葉山常夜灯  にしなぐら (北設楽)設楽町 (清水) 石常夜灯   文化8(1811)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山」/低い石基壇 1
写真 三都橋の秋葉山常夜灯  みつはし (北設楽)設楽町 栗島公会堂 石常夜灯   文化9(1812)   WEB(遠州・万斛の郷) 火袋後補 笠正面に唐破風/石基壇なし 2
写真 清崎の秋葉山常夜灯  きよさき (北設楽)設楽町 (紺屋道) 石常夜灯   安政5(1858)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置?/基壇石組がやや緩む 低い石基壇 1
写真 白鳥の秋葉山常夜灯  しろとり (北設楽)設楽町 白鳥神社・南 石常夜灯   文久元(1861)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山」/石基壇なし 1
写真 田内の郷倉 たうち (北設楽)設楽町 (中林) 郷倉(木造切妻鉄板葺)   江戸期 町有形民俗 WEB   飢饉用にヒエ・アワを貯蔵/村ごとに設置され、家族の人数に応じた量を強制的に貯穀した  
  信玄坑 しんげん (北設楽)設楽町 <津具金山> 坑道 長約140m 元亀年間(1570-72)頃   町教委/WEB 素掘り坑道の坑口を鉄柵で封鎖 武田信玄が金堀奉行と金堀師を派遣したとされる金山 3
写真 三輪の秋葉山常夜灯  みわ (北設楽)東栄町 (下深谷) 石常夜灯   文化7(1810)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (竿正面)「秋葉山」 1
      (北設楽)豊根村                    
      (知多)阿久比町                    
写真 竜宮神社の常夜灯  りゅうぐう (知多)武豊町 竜宮保育園南の公園 石常夜灯(海運) 高4.10m(うち石基壇1.15m) 嘉永7(1854)   WEB/馬場愼一 保存状態良好/石基壇下に厚60㎝のC版 海上安全祈願と、夜間の航行の目印として建てられた/立派な石基壇 2
写真 須賀川堤上の常夜灯  すか (知多)東浦町 藤江神社・南 石常夜灯(海運) 高2.95m 寛政10(1798) 町工芸 WEB/馬場愼一 保存状態良好 「象頭山金毘羅大權現」/海上安全祈願と、夜間の航行の目印として建てられた 1
  帝井 みかど (知多)南知多町
(篠島)
  井泉(岩畳) 間口2.5m,奥行2.0m,深2.0m 延元3(1338)以前 町史跡 WEB 立派な屋根をつけ、石柵で囲む 延元3年、後醍醐天皇の皇子・義良親王(後の後村上天皇)が東征の折、暴風雨に遭って篠島に漂着・滞留した際、飲用したとされる井泉 2
      (知多)美浜町                    
      (西春日井)豊山町                    
  (再現)裁断橋 さいだん (丹羽)大口町 堀尾跡公園
<東海道/精進川>
木桁橋   元和8(1622)   WEB 母子の出世地に大々的に再現(平成8) 秀吉の小田原征伐に出陣し病死した堀尾金助の母が供養のために老朽化した橋を修復/擬宝珠に母の愛を示す有名な銘文が刻まれている 4
写真 外坪の馬頭観音像道標 とつぼ (丹羽)大口町   石道標(舟型)   弘化4(1847)   町教委 木造祠内 (台座)「右 犬山/南 名古屋/左 ざい」 2
写真 小口の道標 おぐち (丹羽)大口町 <小田街道> 石道標(自然石)   慶応3(1857)   町教委 移設 「右 犬山」「左 くさい/ぎふ、左」/小田村の住民・近藤甚吉が立てたという記載がある(真偽不明) 3 -
写真 山那の渡しの常夜灯 やな (丹羽)扶桑町 木曽川(左岸) 石常夜灯(渡し場) 高4m(うち石基壇0.8m) 文化12(1815) 町記念物史跡 木曽川学歴史ガイドブック/馬場愼一 保存状態良好 渡し場の常夜灯としては最大規模/鎌倉時代の渡河地点/対岸は大伊木の渡し(岐阜県各務原市) 1
  小渕の渡し・跡 おぶち (丹羽)扶桑町 木曽川(左岸)     文政9(1826)以降 町史跡 木曽川学歴史ガイドブック 痕跡はないが、河川公園内にあり場所が特定されている 対岸は小山の渡し(岐阜県各務原市) 4
写真 般若用水元杁・跡 はんにゃ、
もといり
(丹羽)扶桑町 扶桑緑地公園<般若用水> 取水口の土手 長27m,幅3.6m,高1.8m 寛永11(1634)以降に現在地に移設→元文5(1740)堆砂で取水不能 町史跡 現地解説板/馬場愼一 新しい石積で基礎固めされている 御囲堤の築造に伴い尾張平野に流入していた支川が締め切られたため、慶長13(1608) 御囲堤上流の岩手村に杁を造り、般若川を用水として整備した/尾張最古の元杁(取水水門) 3
写真 山那の百間猿尾 やな (丹羽)扶桑町 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約200m,高約3.5m 江戸期   馬場愼一 保存状態良好 木曽川左岸御囲堤の最上流にある猿尾 2
写真 古金猿尾 こがね (丹羽)扶桑町 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約40m,高約3m 江戸期   馬場愼一 保存状態不良 百間猿尾のすぐ下流にある小水制 3
写真 大猿尾 おお (丹羽)扶桑町 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約230m,高約3.5m 江戸期   馬場愼一 後世の嵩上げ/両側が道路・採石場となり荒廃 古金猿尾の下流にある大水制 4
写真 小牧猿尾 こまき (丹羽)扶桑町 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約130m,高約3m 江戸期   馬場愼一 保存状態良好/護岸工事により30m程撤去 大牧の大猿尾の下流に平行してある大水制 2
写真 中猿尾 なか (丹羽)扶桑町 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約10m,高約2m 江戸期   馬場愼一 50m程撤去(ほとんど消滅) 小牧猿尾から少し離れた下流に3ヶ所連続してある最初の水制 5 -
写真 札猿尾 ふだ (丹羽)扶桑町 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約30m,高約2.5m 江戸期   馬場愼一 80m程撤去、かつ、後世の嵩上げ 小牧猿尾から少し離れた下流に3ヶ所連続してある2番目の水制 5 -
写真 滑猿尾 すべり (丹羽)扶桑町 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約20m,高約3m 江戸期   馬場愼一 90m程撤去、かつ、近代化 小牧猿尾から少し離れた下流に3ヶ所連続してある3番目の水制 5 -
写真 旧岩手村の猿尾 いわて (丹羽)扶桑町 <木曽川(左岸)> 土堤防 長約130m,高約1.5m 江戸期   馬場愼一 やや変形/両側が埋め立てられ堤高が低くなった 山那の百間猿尾から始まる一連の水制群とは別の存在/江南市の一連の千間猿尾群の最上流に位置する単独の弧状水制 3
写真 深溝の秋葉山常夜灯  ふこうず (額田)幸田町 梅谷公民館 石常夜灯   文政4(1821)   WEB(遠州・万斛の郷) 原位置? (中台正面)「秋/葉/山」 1
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       

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