奈良県

写真 名称 ふりがな 区市町村 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 平城京朱雀大路・跡   奈良市 <平安京> 道路   延暦9(790) 国史跡 WEB 復元された朱雀門から南に200mほど整備 朱雀大路は、平城宮の正門である朱雀門と羅城門を結ぶ都城の骨格をなす道路であった 2
写真 滝坂道の石畳 たきさか 奈良市 <柳生街道> 石畳道 長1㎞弱 江戸中期   市観光協会 保存状態良好/観光地化 奈良奉行によって石畳が敷き詰められた 1
写真 今在家の石橋 いまざいけ 奈良市 一般道<奈良街道>
/佐保川
石桁橋 長15m(4G) 慶安3(1650)   永冨謙
/WEB(石橋巡礼)
大正12に両端にRC橋脚を加えて拡幅 各3本の橋脚石柱からなる17世紀の石桁橋 3
写真 嶋嘉橋 しまが 奈良市 一般道<伊勢街道>/率川 石桁橋 (2G) 明和7(1770)   WEB(石橋巡礼) 橋面が舗装/意味不明の文字が刻字された石柱は後補か? 椿井町嶋屋嘉兵衛が私財を投じて架設→嶋屋嘉兵衛の名から命名/5本ある橋脚石柱の2本目に「明和七庚寅年五月吉日」「椿井町施主 嶋屋嘉…」と刻字/擬宝珠付き高欄 2
写真 東大寺参道一ノ橋 とうだいじ 奈良市 東大寺参道 石桁橋 (G) 文化15(1808)   永冨謙
/WEB(石橋巡礼)
大正3に拡幅→内側の主桁4本がRC桁化   4
写真 三条本町の金毘羅常夜灯 さんじょうほん 奈良市 JR奈良駅の駅前広場
<三条通り>
石常夜灯 高4.2m 文化11(1814)   WEB 移設/台石以下は寛政2(1790) (竿正面)「金毘羅常夜灯」 2
写真 須川町の太神宮常夜灯 すがわ 奈良市 須川町公民館・北 石常夜灯   文政3(1820)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
写真 肘塚町の太神宮常夜灯 かいのづか 奈良市 市立看護専門学校の西200の交差点角 石常夜灯   文政13(1830)   WEB(宮様の石橋) 移設/火袋後補(写真の左側) (竿正面)「天照皇太神宮」、(右面)「春日大明神」、(左面)「八幡大菩薩」/石基壇なし/下記の「肘塚町の金毘羅常夜灯」と並ぶ 2
写真 肘塚町の金毘羅常夜灯 かいのづか 奈良市 市立看護専門学校の西200の交差点角 石常夜灯   文政13(1830)   WEB(宮様の石橋) 移設/火袋後補(写真の右側) (竿正面)「金毘羅大權現」/石基壇なし/上記の「肘塚町の太神宮常夜灯」と並ぶ 2
写真 中ノ川町の太神宮常夜灯 なかのかわ 奈良市 中ノ川町三社神社 石常夜灯   天保2(1831)   WEB(宮様の石橋) 移設、集約 (竿正面)「太神宮」、(竿右・左面の左下)「お可げ」/天保元の「文政のお蔭参り」(全人口の13%にあたる427万人が参拝)の翌年建立/台石正面に「村/中」とあるので元は恐らく村の街道沿いにあったと推定される 2
写真 大安寺の太神宮常夜灯1 だいあんじ 奈良市 (5丁目) 石常夜灯   天保2(1831)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/設置環境不良 (竿正面)「太神宮」、(竿左面)「八幡宮/春日社」/石基壇なし 2
写真 大安寺の太神宮常夜灯2 だいあんじ 奈良市 (1丁目) 石常夜灯   天保7(1836)   WEB(宮様の石橋) 移設/石材がずれている (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 3
写真 三条本町の常夜灯 さんじょうほん 奈良市 JR奈良駅の駅前広場
<三条通り>
石常夜灯 高4.0m 文久3(1863)   WEB 移設 (竿正面)「春日大明神」、(竿左面)「大照白王太神」、(竿裏面)「八幡大菩薩」 2
写真 奈良阪町の道標1 ならざか 奈良市 緑ヶ丘浄水場<大和街道> 石道標(蒲鉾型) 高225㎝,幅38㎝,厚31㎝ 安永2(1773)   WEB(北伊勢の道標) 移設 (正面)「太神宮 左 い可"いせ道」、(左面)「いせ迠 凡二十七里」 3
写真 西木辻町の道標1 にしきつじ 奈良市 愛染幼稚園・北東20m 石道標(駒型) 高129㎝,幅32㎝,厚21㎝ 文化7(1810)   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面)「右 古おり山道/左 かうやみち」 2
写真 西木辻町の道標2 にしきつじ 奈良市 奈良署・南100m 石道標 高130㎝,30㎝角 文化12(1815)   WEB(宮様の石橋) 移設? (正面)(右面)「左、西の京 こうり山/本う里う寺」、(右面)「右 ざい志よミち」、(左面)「すく、奈んゑんどう/かす可大ぶつ」(=南円堂,春日大仏)/頂部に円柱状の突起 2
写真 虚空蔵町の道標 こくうぞう 奈良市 虚空蔵町集会所・東200mの三叉路 石道標(駒型) 高125㎝,幅26㎝,厚17㎝ 文政4(1821)   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面)「右 い可” いせ/左 こくうぞう寺」 2
写真 紀寺町の道標 きでら 奈良市   石道標(駒型) 高158㎝,幅30㎝,厚21㎝ 文政12(1829)   WEB(宮様の石橋) 移設(恐らく向きも違う) (正面)「春ぐ ふるいち 登ひゞミち/左 奈ハり越 いせミち」(?)、(左面)「右 か春可”志ん宮」(=春日神宮?) 2
写真 奈良阪町の道標2 ならざか 奈良市 <大和街道> 石道標(尖頭角柱) 高168㎝,幅31㎝,厚29.5㎝ 弘化4(1847)   WEB(北伊勢の道標) 移設/下1/3で破断→修復 (正面)「東、右 京 うぢ/左 かす可" 大ぶつ、道」、(右面)「北、すぐ かす可" 大ぶ川/左 い可" いせ、道」、(左面)「南、右 い可" いせ/すぐ 京 うぢ、道」 2
写真 雑司町の道標 ぞうし 奈良市 奈良公園、手向山八幡参道入口 石道標(蒲鉾型) 高110㎝,幅31.5
㎝,厚18㎝
弘化4(1847)   WEB(宮様の石橋) 移設?/下部埋設 (正面)「右、手向山八幡/二月多"う/大ぶつ」 2
写真 大安寺の道標 だいあんじ 奈良市 (2丁目) 石道標(駒型) 高104㎝,幅27㎝,厚15㎝ 嘉永2(1849)   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面)「石清水八幡宮」、(同右上端)「是ヨリ南 二(?)丁半」 2
写真 登大路町の道標 のぼりおおじ 奈良市 <大和街道> 石道標(尖頭角柱) 高134㎝,幅31㎝,厚31.5㎝ 安政4(1857)   WEB(北伊勢の道標) 移設 (正面)「右 大坂 者せ/左 うぢ 京」、(右面)「右 かす可” 大ぶつ」、(裏面)「すぐ なんゑんたう」 2
写真 西大寺芝町の道標 さいだいじ、しば 奈良市 西大寺集会所・南100m余 石道標(尖頭角柱) 高60㎝,幅21㎝,厚12㎝ 慶応2(1866)   WEB(宮様の石橋) 移設/マンション敷地(柵内) (正面)「左 菅原天満宮道」、(右面)「右 生駒宝山寺道」 4 -
写真 川上町の道標 かわかみ 奈良市 若草保育園・南100m余左折すぐ 石道標(尖頭角柱) 高155㎝,25㎝角 江戸期   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面)「是より 大和廻り 者せ かうや道」、(右面)「法花寺 西大寺/尼ケ辻 大坂道」、(左面)「すぐ、うぢ/京、道」、(裏面)「左 うぢ 京ミち」/「大坂」「ミち」の標記は江戸期 2
写真 峠の石畳 くらがり 生駒市・
大阪/東大阪市
<暗越奈良街道> 石畳道 長約20m,幅4m
(生駒市側)
江戸期   市教委 改修され、上に新たに石畳が敷かれている/大阪側よりは短い
(家2軒分)
郡山藩の参勤交代の際、「滑りやすい」ということで敷設された 3 -
写真 萩の台の太神宮常夜灯 はぎのだい 生駒市   石常夜灯       市教委      
  俵口町の地蔵道標1 たわらぐち 生駒市 宝生寺 石道標(舟型) 高89㎝,幅35㎝,厚26㎝ 享保16(1731)   市教委(生駒市石造遺物調査p51・106) 移設、集約 (光背右)「右きよたき いわふねミち」/光背中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)の陽刻 3
写真 西畑町の道標1 にしはた 生駒市 暗峠頂上・北30m
<暗越奈良街道>
石道標 高63㎝,幅16㎝,厚14㎝ 享保17(1732)   市教委(生駒市石造遺物調査p63・130) 移設、集約(街道筋から離れている)/府県境から僅かに生駒市に入った場所→生駒市で登録 (正面)「(梵字)北、鬼取山 十二丁/宝山寺 廿五丁」 3 -
  俵口町の地蔵道標2 たわらぐち 生駒市 宝生寺 石道標(舟型) 高97㎝,幅38㎝,厚26㎝ 享保18(1733)   市教委(生駒市石造遺物調査p51・106) 移設、集約 (光背右)「右 奈ら 加うや山道」、(同左)「左 山志ろ 木づ道」/光背中央に地蔵立像の陽刻 3
  門前町の道標1 もんぜん 生駒市 宝生寺 石道標 高100㎝,幅18㎝ 寛政10(1798)   市教委(生駒市石造遺物調査p56・116) 移設 (正面)「右 大坂道」、(右面)「左 奈良道」 2
  門前町の道標2 もんぜん 生駒市 宝生寺 石道標
(頂部にくびれ)
高120㎝,幅29.5
㎝,厚23㎝
文化5(1808)   市教委(生駒市石造遺物調査p56・116) 移設 (正面)「於く乃ゐん道」(=奥の院) 2
  壱分町の道標 いちぶ 生駒市 往馬神社・北 石道標(尖頭角柱) 高114㎝,21㎝角 安政5(1808)   市教委(生駒市石造遺物調査p58・120) 原位置?/中央で折損→修復 (正面)「すぐ 京ミち」、(左面)「左 ほうざん寺道」 2
  北田原町の道標 きたたはら 生駒市 (中佐越) 石道標(自然石?) 高86㎝,幅29㎝,厚26㎝ 文化14(1817)   市教委(生駒市石造遺物調査p48・99) 原位置?/自然石か上部欠損か不明 (正面)「すぐ きず いか いせ」、(右面)「左 さだ 大坂」 2
  俵口町の道標1 たわらぐち 生駒市   石道標 高183㎝,幅34.5
㎝,厚34.5㎝
天保7(1836)   市教委(生駒市石造遺物調査p50・105) 移設(基部C) 正面「右 金毘羅大權現、是ヨリ/二丁」、(左面)「左、なら いせ/郡山、道」 2
  門前町の道標3 もんぜん 生駒市   石道標(尖頭角柱) 高100㎝,20㎝角 安政4(1857)   市教委(生駒市石造遺物調査p55・115) 原位置? (正面)「右 志ぎ山 たつ多道」、(裏面)「春く 奈ら 古ふり山」 1
写真 西畑町の道標2 にしはた 生駒市 暗峠頂上<暗越奈良街道> 石道標(蒲鉾型、花崗岩) 高139.5㎝,幅20
㎝,厚18.5㎝
安政6(1859)   市教委(生駒市石造遺物調査p63・131) 移設/府県境から僅かに東大阪市に入った場所→大阪府で登録 (正面)「従/是、北 鬼取山 元藥師 十二丁」、(右面)「従/是、北 生駒寶山寺 廾五丁」 2
  山崎町の道標 やまさき 生駒市 安養寺・入口 石道標 高115㎝,幅24㎝,厚20.5㎝ 慶応元(1865)   市教委(生駒市石造遺物調査p55・114) 原位置? (正面)「右 宝山寺 十八丁」 1
  小平尾町の道標 こびらお 生駒市   石道標(蒲鉾型) 高134㎝,幅23㎝,厚20.5㎝ 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p66・139) 原位置? (正面)「右 小平尾宝幢寺 六丁」、(左面)「従/是、北 生駒山宝山寺 廿五丁 1
  元町の道標 もと 生駒市 (2丁目)愛染寮・横 石道標 高99㎝,幅27㎝,厚25.5㎝ 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p55・115) 原位置? (正面)「右賓山寺」、(左面)「四十六丁」 1
  高山町の道標1 たかやま 生駒市   石道標(尖頭角柱) 高97㎝,18㎝角 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p37・71) 原位置? (正面)「(梵字)西 加た能みち」、(右面)「南 奈らミチ」、(左面)「北 やまし路」 1
  上町の道標 かみ 生駒市 白庭台公園 石道標(蒲鉾型) 高115㎝,幅25㎝,厚20.5㎝ 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p45・93) 移設 (正面)「右 なら 郡山/左 きづ い可" いせ」、(右面)「左 大坂」、(左面)「右 大さ可」 2
  鬼取町の道標1 おにとり 生駒市 鶴林寺・入口 石道標(尖頭角柱) 高105㎝,21.5㎝角 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p64・133) 移設 (正面)「鬼取山鶴林寺」、(右面)「右 宝山寺道」、(左面)「左 闇峠道」 2
  西畑町の道標3 にしはた 生駒市 国道・脇 石道標(自然石) 高103㎝,幅50㎝,厚21㎝ 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p62・130) 移設? (正面)「右 ならいセ/左 ざい所、道」 2
  鬼取町の道標2 おにとり 生駒市   石道標 高82㎝,幅14.5㎝,厚12.5㎝ 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p65・135) 移設 (正面)「左 元山上」、(左面)「右 宝山寺」 2
  高山町の地蔵道標1 たかやま 生駒市 (芝)西光寺 石道標(舟型) 高87㎝(うち、塔身53.5㎝) 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p42・84) 移設、集約/頂部一部欠損 (光背右)「右上 きづ いが」、(同左)「左 大坂」/光背中央に地蔵立像の陽刻 3
  俵口町の道標2 たわらぐち 生駒市   石道標 高69㎝,幅15.5㎝,厚17㎝ 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p52・108) 原位置? (正面)「右 大坂/左 生駒、下り道」 1 -
  高山町の道標2 たかやま 生駒市 天満神社 石道標(駒型) 高64㎝,幅24㎝,厚11㎝ 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p37・71) 移設 (正面)「右 てんの道/左 乃みち」 2 -
  高山町の道標3 たかやま 生駒市 高山天満宮 石道標 高63.5㎝,幅35㎝,厚27㎝ 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p41・81) 移設 (正面)「すぐ/大坂」、(右面)「南 なら」、(左面)「北 やわ多」、(裏面)
「すぐ、いが いせ きづ/やましろ、道」
2 -
  高山町の地蔵道標2 たかやま 生駒市 (芝)西光寺 石道標(舟型) 高53.5㎝(うち、塔身40㎝) 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p42・84) 移設/頭部欠損 (光背右下)「右 いが」、(同左下)「左 かたの」/光背中央に地蔵立像(錫杖)の陽刻 3 -
  俵口町の町石 たわらぐち 生駒市   町石 高55㎝,幅19㎝,厚17㎝ 江戸期   市教委(生駒市石造遺物調査p52・108) 原位置? (正面)「三十四丁」 1 -
写真 竹林寺の結界石1 ちくりん 生駒市 (有里町)竹林寺 結界石(駒型) 高115㎝,幅29.5
㎝,厚19㎝
嘉元2(1304)頃   市教委(生駒市石造遺物調査p59・122) 移設、集約〔写真の右端〕 (正面)「(2本線)大界外相」、(裏面)「生駒之霊峯十方如来所化道場也/悉往還之男女可致一札竟域之懐/□□之徳篤示一等□□□建支提 2
写真 竹林寺の結界石2 ちくりん 生駒市 (有里町)竹林寺 結界石(尖頭角柱) 高126㎝,幅24㎝,厚22.5㎝ 嘉元2(1304)頃   市教委(生駒市石造遺物調査p59・122) 移設、集約〔写真の中央左〕 (正面)「(2本線)大界西南角標」/4本の結界石が1ヶ所にまとめて置かれている(もとは5本あった) 2
写真 竹林寺の結界石3 ちくりん 生駒市 (有里町)竹林寺 結界石(尖頭角柱) 高114.5㎝,幅29㎝,厚19㎝ 嘉元2(1304)頃   市教委(生駒市石造遺物調査p59・122) 移設、集約〔写真の中央右〕 (正面)「(2本線)大界東南角標」/4本の結界石が1ヶ所にまとめて置かれている(もとは5本あった) 2
写真 竹林寺の結界石4 ちくりん 生駒市 (有里町)竹林寺 結界石(尖頭角柱) 高107.5㎝,23㎝角 嘉元2(1304)頃   市教委(生駒市石造遺物調査p59・122) 移設、集約〔写真の左端〕 (正面)「(2本線)大界東北角標」/4本の結界石が1ヶ所にまとめて置かれている(もとは5本あった) 2
写真 長弓寺の元・石風呂 ちょうきゅう 生駒市 長弓寺 石風呂   南北朝時代   市教委 手水舎に転用 真言律宗の叡尊(1201-90)が寺で法要行事が行われる時に参詣者に入浴させ清めと厄病よけとしたのが始まり。その後、湯施行の対象が庶民・病人に広がり、長弓寺の場合はハンセン氏病患者にも施されたと言われている/石風呂は塔頭の円生院内にもある 2
写真 榛原萩原の太神宮常夜灯(札の辻の太神宮常夜灯)
はいばら、
はぎはら
宇陀市 国道165号萩原交差点の西20m<伊勢本街道> 石常夜灯   文政11(1828)   WEB(宮様の石橋) 原位置(若干移動の可能性)? (竿正面)「太神宮」/火袋の斜め格子の透かし彫りが見事/石基壇なし 1
写真 榛原高井の太神宮常夜灯 はいばら、
たかい
宇陀市 下記「宇陀市榛原高井の道標」の北北東50m
<伊勢本街道・高井宿>
石常夜灯   慶応2(1866)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」、(竿右面)「五穀成就」、(竿左面)「御代官武運長久」/石基壇なし 1
写真 榛原檜牧の供養塔道標 はいばら、
ひのまき
宇陀市 <伊勢街道> 石道標(自然石) 高106㎝ 寛文4(1664)   WEB 移設→元の位置に再設置 (正面右)「右 伊勢本街道」、(同左)「左 やまみち」/正面中央に「奉供養順禮同行十二人」と陰刻/伊勢信仰の盛んな奈良県で、伊勢への街道を示すので参詣道標の意味合いが強い/17世紀の道標 1
写真 榛原諸木野の題目塔道標 はいばら、
もろきの
宇陀市 <伊勢本街道> 石道標(自然石) 高94㎝,幅60㎝,厚35㎝ 貞享3(1686)   WEB(北伊勢の道標) 原位置? (正面右)「右 はせみち/左 うたみち」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻/17世紀の道標 1
写真 榛原赤埴の道標 はいばら、
あかばね
宇陀市 <伊勢本街道> 石道標(自然石) 高111㎝,幅46㎝,厚39㎝ 享保7(1723)   WEB(北伊勢の道標) 原位置? (正面)「右 いせみち」 1
写真 榛原赤埴の供養塔道標 はいばら、
あかばね
宇陀市 大久保東
<伊勢本街道>
石道標(自然石) 高98㎝,幅26㎝,厚39㎝ 延享4(1747)前後   WEB(北伊勢の道標) 原位置? (正面右)「者せよりこれへ三里/是ゟ宮川江十八り半」//正面中央に「回國供羪」と陰刻/正面最下部に「菅野村/行悦」とあることから、僧行悦が長谷寺~伊勢宮川間に建てた道標群(9基残る)の1つ 1
写真 室生黒岩の供養塔道標 むろう、
くろいわ
宇陀市 宮城・山粕峠分岐
<伊勢本街道>
石道標(自然石) 高61㎝,幅50㎝ 延享4(1747)前後   WEB(北伊勢の道標) 原位置? (正面右)「者せより是江五り」、(同左)「是ゟ宮川江十六り半」/正面中央に「回國供羪」と陰刻/正面最下部に「菅野村/行悦」とあることから、僧行悦が長谷寺~伊勢宮川間に建てた道標群(9基残る)の1つ 1 -
写真 室生田口元上田口の道標 むろう、
たぐち、もとかみたぐち
宇陀市 石割峠、原山分岐
<伊勢本街道>
石道標(自然石) 高99㎝,幅44㎝,厚32㎝ 宝暦5(1755)   WEB(北伊勢の道標) 原位置 (正面)「右 いせ/左 原山、道」 1
写真 榛原高井の道標1 はいばら、
たかい
宇陀市 <伊勢本街道> 石道標 高83㎝,幅24㎝,厚19㎝ 天明元(1781)   WEB(宮様の石橋)/WEB(北伊勢の道標) 移設?/中央で折損→修復 (正面)「右 伊勢道/左 室生山、(弘法大師/是ヨリ 一り余) 2
写真 榛原高井の道標2 はいばら、
たかい
宇陀市 榛原高井郵便局から道沿いに東200m
<伊勢本街道・高井宿>
石道標 高109㎝,幅51㎝,厚32㎝ 寛政12(1800)   WEB(宮様の石橋) 移設(約100m)、集約/下部埋設 (正面)「左/室生山 女人髙野」、(同右下隅)「右 いせみち」、(同左下隅)「是ヨリ…」、(左面)「左 往古南大門 佛隆寺迠…」 2
写真 榛原自明の道標 はいばら、
じみょう
宇陀市 <伊勢本街道> 石道標 高104㎝,幅26.5
㎝,厚12㎝
文政6(1823)   WEB(北伊勢の道標) 移設/中央下部で折損→修復 (正面)「新四國/十二番、はしやうじ道」 2
写真 榛原萩原の道標
(札の辻の道標)
はいばら、
はぎはら
宇陀市 国道165号萩原交差点の北西30m
<伊勢本街道・初瀬街道>
石道標 高179㎝,32㎝角 文政11(1828)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/中央上部で折損→修復 (正面)「右 いせ本か以道」、(左面)「左 あをこ江みち」(=初瀬街道) 1
写真 大宇陀岩室の道標 おおうだ、
いわむろ
宇陀市   石道標(自然石)   嘉永2(1852) 市歴史資料 市教委 原位置 (正面)「右 はせ 者い原/左 み王 さ久らい」 1
写真 室生寺の町石(一丁) むろう 宇陀市 榛原高井 町石(尖頭角柱) 高125㎝ 文政3(1820)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/中央で折損→修復 室生寺参道の町石は麓から室生寺に向けて並んでいる(麓が1丁)/(正面)「(梵字)壹丁」 1
写真 室生寺の町石(十丁) むろう 宇陀市 榛原赤埴 町石(尖頭角柱) 高120㎝ 文政6(1823)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「(梵字)十丁」 1
写真 鎌田の太神宮常夜灯 かまだ 香芝市 鎌田天神宮・門前南 石常夜灯   宝暦12(1762)   WEB(宮様の石橋) 原位置?〔写真の右側〕 (竿正面)「太神宮常夜燈」/石基壇なし/下記の「鎌田の金毘羅常夜灯」と並ぶ 1
写真 畑の常夜灯 はた 香芝市 香芝市公民館・南の池の土手上 石常夜灯   明和4(1767)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「大峯山上常夜灯」/石基壇なし/下記の「畑の太神宮常夜灯」と並ぶ 2
写真 畑の太神宮常夜灯 はた 香芝市 香芝市公民館・南の池の土手上 石常夜灯   天明6(1786)   WEB(宮様の石橋) 移設/笠欠損(宝珠が火袋の上に載る) (竿正面)「大神宮」/石基壇なし/上記の「畑の常夜灯」、下記の「畑の金毘羅常夜灯」と並ぶ 4
写真 鎌田の金毘羅常夜灯 かまだ 香芝市 鎌田天神宮・門前南 石常夜灯   文化3(1806)   WEB(宮様の石橋) 原位置?〔写真の左側〕 (竿正面)「金毘羅大觀現」、(竿左面)「村内安全」/石基壇なし/上記の「鎌田の太神宮常夜灯」と並ぶ 1
写真 畑の金毘羅常夜灯 はた 香芝市 香芝市公民館・南の池の土手上 石常夜灯   文化5(1808)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「金毘羅大權現」/石基壇なし/上記の「畑の太神宮常夜灯」と並ぶ 2
写真 上中の太神宮常夜灯 かみなか 香芝市 JR芝都美駅・東30m 石常夜灯   文政12(1829)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし/上記の「上中の金毘羅常夜灯」と並ぶ 1
写真 上中の金毘羅常夜灯 かみなか 香芝市 JR芝都美駅・東30m 石常夜灯   文政12(1829)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「金毘羅大觀現」、(下段台石正面)「村/中」/石基壇なし/上記の「上中の太神宮常夜灯」と並ぶ 1
写真 下田東の太神宮常夜灯 しもだひがし 香芝市 (1丁目)
香芝駅・南南東100m
石常夜灯 高約4.2m 天保2(1831)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「村〃安全」/竿右面に「御城主様御武運御長久」と刻字/石基壇あり/現役で電気点灯 1
写真 藤原京朱雀大路・跡 ふじわら 橿原市   道路 長84.25m,幅18.81
m(保存展示部)
持統8(694) 国史跡 市教委 藤原京で現地で確認できる唯一の道路遺構 朱雀門から南の部分〔写真、左が西側溝、右の道路の辺りが東側溝〕 2
写真 曲川町の太神宮常夜灯 まがりかわ 橿原市 (1丁目) 石常夜灯   明和3(1766)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/安政2の刻字と並び安政2(1855)の追刻あり (中台面)「太/神/宮」/石基壇なし 2
写真 八木町の太神宮常夜灯 やぎ 橿原市 (1丁目)県道158号交差点<横大路(伊勢街道)・接待場> 石常夜灯   明和8(1771)   WEB/現地解説板 移設(200m)/火袋改修 (竿正面)「太神宮」、(竿右面)「明和八辛卯年九月/參 宮攝待連中」/200万人が伊勢参詣をしたと言われる明和のお蔭参りの時、接待場に建立された/笠・火袋・中台は6角、竿のみ角柱/石基壇なし/かつては、下記「八木町の金毘羅常夜灯」と並んでいた 2
写真 曽我町の太神宮常夜灯 そが 橿原市 曽我町陣屋会館・南 石常夜灯   寛政10(1798)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/弘化(1847)の四周の柵を含めて低い石基壇上に載る (竿正面)「大神宮」/石柵で四周を囲む/柵内の常夜灯本体には石基壇なし 1
写真 小房町の太神宮常夜灯 おうさ 橿原市 県道206号の飛鳥川橋・北詰 石常夜灯   文化4(1807)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「當/町/中」/整形された石材を用いた石基壇/石柵で四周を囲む 1
写真 八木町の金毘羅常夜灯 やぎ 橿原市 八木・接待場跡 石常夜灯   文化15(1818)   WEB(宮様の石橋) 原位置/火袋後補?、宝珠欠損 (竿正面)「金毘羅大権現」/石基壇なし/かつては、上記「八木町の太神宮常夜灯」と並んでいた 1
写真 東竹田町の太神宮常夜灯 ひがしたけだ 橿原市   石常夜灯   文政年間(1818-30)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「村/中/安/全」/中台正面に簡単な浮彫り/石基壇なし 1
写真 新堂町の太神宮常夜灯 しんどう 橿原市 春日神社・北100mの小川沿い 石常夜灯   文政8(1825)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし 1
写真 膳夫町の太神宮常夜灯 かしわて 橿原市 三輪神社・東100m 石常夜灯   文政13(1830)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/全体に傾いている (竿正面)「太神宮」/石基壇なし/石柵で四周を囲む 2
写真 出垣内町の太神宮常夜灯 でがいと 橿原市 阿弥陀院・西60m 石常夜灯 高175㎝ 天保2(1832)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
写真 東坊城町の太神宮常夜灯 ひがしぼうじょう 橿原市 正覺寺・南100m 石常夜灯   天保4(1833)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/火袋後補? (竿正面)「太神宮」/切り石を組み合わせた2段の石基壇 1
写真 地黄町の太神宮常夜灯 じお 橿原市 玉津嶋神社・前 石常夜灯   弘化2(1845)   WEB(宮様の石橋) 移設/火袋閉鎖 (竿正面)「大神宮」 2
写真 新口町の太神宮常夜灯 にのくち 橿原市   石常夜灯   文久2(1862)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「太神宮」、(竿右面)「御領主/御武運長久」、(最上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし/石柵で四周を囲む 1
写真 一町の太神宮常夜灯1 かずちょう 橿原市 常門会館・西 石常夜灯   慶応元(1865)   WEB(宮様の石橋) 原位置/全体に傾いている/点灯用の階段 (竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「村/中/安/全」/猫脚/石基壇あり 2
写真 一町の太神宮常夜灯2 かずちょう 橿原市 淨念寺・南西50m 石常夜灯   慶応3(1867)   WEB(宮様の石橋) 近接移設?/電気点灯 (竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇あり 2
写真 出合町の道標 であい 橿原市 耳成郵便局・東50m 石道標(蒲鉾型) 高100㎝,幅29㎝,厚19㎝ 天保14(1843)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「すぐ かく山 法祢ん寺」、(正面右端)「元祖大師廿五霊場第十番」、(正面左端)「おか寺 たち…」 1
写真 曽我町の供養塔道標 そが 橿原市   石道標(尖頭角柱)   嘉永元(1848)   WEB 移設?/縦に割れC充填→刻字が読めない/下部埋設 (正面最下部)「曽我/豊津」、(右面)「右 たつ田 法里…/春く □□□
…」/正面に「奉供養道中安全」と陰刻
3 -
写真 東坊城町の道標 ひがしぼうじょう 橿原市 立石会館・前の交差点 石道標(尖頭角柱) 高95㎝,幅23㎝,厚24㎝ 嘉永5(1852)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「初瀬 奈良…」、(右面)「右 金かう山 高野ミ…」 1
写真 益田池の堤 ますだ 橿原市 益田池児童公園<高取川> 土堰堤 長約200m,
幅36m,高9.6m
→長55m,
幅28m,高9.1m
天長2(825) 県史跡 市教委(沼山古墳・益田池堤p37-39) 埋め立てられて橿原ニュータウンに/公園内に堰堤の一部を保存 『性霊集』巻二の「大和州益田池碑銘幷序」によると、藤原三守と紀末成が旱魃対策と開墾促進のため溜池の築造を計画し,嵯峨天皇の許可を得て空海の弟子・真円とともに弘仁13(822)に着工し天長2(825)に竣工したとある/樋管が発見された時に採取された土器片のうち当該時代に合致するものがあり『性霊集』の記載は信憑性があるとされる/版築状の丁寧な工法(厚3㎝程度の層) 3
  益田池の木樋管 ますだ 橿原市 県立橿原考古学研究所・付属博物館 木樋管 長5.65m,幅1.14m
,高0.72m
天長2(825) 県史跡 市教委(沼山古墳・益田池堤p39) 堤から約100m下流で発見されたもの 中央をU字型にくり抜き、上部に板蓋があったと推定される 3
写真 今井環濠集落 いまい 橿原市 今井町 環濠集落(惣村型) 520m×340m 室町時代? 国重伝建
(江戸期)
WEB(奈良の環濠) 西側に一部残存/発掘調査に基づき南西の二重環濠の一部を復元 最大級の環濠集落/今井郷の中心で城砦化して本願寺の一向宗と協力⇒筒井氏ら国衆とは対立/織田信長の攻撃に対しても信長が本願寺と和睦するまで持ちこたえた 2 写真
  膳夫環濠集落 かしわて 橿原市 膳夫町 環濠集落 240m×220m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 西側・北側とも幅を狭めた水路、残りは暗渠化 永正12(1515)の「多武峰領膳夫荘差図」に「ヤフ」「ホリ」の注記→環濠ができていた/多武峰寺の領地となっていた膳夫荘の中心集落 4
  曲川環濠集落 まがりかわ 橿原市 曲川町 環濠集落 200m×270m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 宅地内に細いC水路として残る/西側は用水路化 中世居館はあるものの所有者不明、在地勢力との関連も不明確/3つの垣内を合わせて環濠で囲み、西側では環濠が一部2重になっている 4
  五井環濠集落 ごい 橿原市 五井町 環濠集落(惣村型) 110m×110m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 西側の春日神社境内地は旧状を留める/他は埋めて道路化 興福寺の「五井荘」に成立した村落→越智氏の支配下

3

  地黄環濠集落 じお 橿原市 地黄町 環濠集落(惣村型) 140m×90m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路はロの字型に残るが、すべてC化、幅も半分以下 東大寺領→興福寺または春日神社の支配地→土豪の地黄氏が活動(地黄氏の屋敷が存在?) 3
  西新堂環濠集落 にししんどう 橿原市 西新堂町 環濠集落 120m×90m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 南側にC水路 越智氏の支配下にあった環濠集落 4
  忌部環濠集落 いんべ 橿原市 忌部町 環濠集落(惣村型) 110m×120m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 埋めて道路化、一部暗渠 豪族忌部氏の本拠地→中世には越智郷に編入され越智氏の支配圏 5
写真 蘇武の井 そぶのい 橿原市 今井町1丁目 石井戸(六角)   江戸期、もしくは、それ以前   WEB(宮様の石橋)/現地解説板 飲用不可/簡易屋根付き修景/鉄格子で覆う 聖徳太子もしくはその愛馬が井水を飲んだという伝承/六角の精緻な石組み→加工自体は江戸期/六角井戸は稀 2
写真 七橋(行者橋)   葛城市 (葛木)
一般道(2t制限)/高田川
石桁橋 (4G) 江戸期   WEB(石橋巡礼) 保存状態良好 3本の石柱の橋脚上に横桁を置き、その上に3本の石梁を載せ、橋面石を置くタイプ(参道橋でもないのに、なぜ、横桁上に直接石桁を並べる簡易構造にしなかったか不明) 1
写真 染野の太神宮常夜灯 そめの 葛城市 染野稲荷神社・南南東100m 石常夜灯   天明6(1786)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし/下記の「染野の金毘羅常夜灯」と並ぶ 2
写真 薑の太神宮常夜灯 はじかみ 葛城市 錫杖院・東120m 石常夜灯   享和元(1801)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
写真 辨之庄の太神宮常夜灯 べんのしょう 葛城市   石常夜灯   享和2(1802)   市教委 原位置 (竿正面)「太神宮」 1
写真 柿本の太神宮常夜灯 かきのもと 葛城市 光現寺・東80m 石常夜灯   享和2(1802)   WEB(宮様の石橋) 移設? (竿正面)「太神宮」/石基壇あり 2
写真 南今市の太神宮常夜灯 みなみいまいち 葛城市   石常夜灯   文化6(1809)   WEB(宮様の石橋) 移設? (竿正面)「太神宮」 2
写真 新町の太神宮常夜灯 しん 葛城市 笛吹若宮神社・西南西60m 石常夜灯   文化7(1810)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「太神宮」/石基壇あり 1
写真 當麻の太神宮常夜灯 たいま 葛城市 国道165号南端の當麻寺交差点・東50m 石常夜灯   文政13(1830)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」 1
写真 南花内の太神宮常夜灯 みなみはなうち 葛城市   石常夜灯   天保2(1831)   市教委 原位置 (竿正面)「太神宮」 1
写真 大屋の太神宮常夜灯 おおや 葛城市 大屋ミュニティセンター・東50m 石常夜灯   天保7(1836)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
写真 忍海の太神宮常夜灯1 みなみはなうち 葛城市   石常夜灯   天保10(1839)   WEB(宮様の石橋) 移設? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 2
写真 染野の金毘羅常夜灯 そめの 葛城市 染野稲荷神社・南南東100m 石常夜灯   天保15(1844)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「金毘羅大權現/偸迦山大權現」、(最上段台石正面)「邑/中/安/全」/石基壇なし/上記の「染野の太神宮常夜灯」と並ぶ 2
写真 笛吹の太神宮常夜灯 ふえふき 葛城市 信行寺前の交差点 石常夜灯   弘化3(1846)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」/石基壇あり 1
写真 忍海の太神宮常夜灯2 おしみ 葛城市 忍海辻堂向かいの橋詰 石常夜灯   安政6(1859)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「大神宮」、(最上段台石正面)「邸/内/安/寧」/石基壇なし/舟運用も兼務? 1
写真 當麻の道標1 たいま 葛城市 近鉄 当麻寺駅・南200m 石道標(駒型) 高48㎝,幅26㎝ 貞享3(1686)   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面中央)「是よ里 右、つ本さか/よしの/加うや道」/17世紀の道標 2
写真 太田の道標 おおた 葛城市   石道標 高95㎝,幅34㎝,厚31㎝ 文化10(1813)   市教委/WEB(宮様の石橋) 原位置 (正面)「左、かうや/よしの/つ本坂、道」 1
写真 當麻の道標2 たいま 葛城市 市福祉総合ステーション・南150m 石道標(駒型) 高90㎝,幅26㎝,厚20㎝ 文化11(1814)   WEB(宮様の石橋) 移設/下部C埋設 (正面中央)「右 い王やミち」 2
写真 北道穗の道標1 きたみつぼ 葛城市 西宮神社・南60m 石道標(自然石) 高104㎝,幅32㎝,厚20㎝ 文政2(1819)   市教委 移設? (正面右)「右、者つせてら なら/たつ多」、(同左)「左 たゑま 竹之内」、(同最下部)「道」 2
写真 南今市の道標 みなみいまいち 葛城市   石道標(駒型) 高142㎝,幅34㎝,厚18㎝ 文政6(1823)   市教委 原位置 (正面)「右、大坂/さかい、道」 1
写真 北道穗の道標2 きたみつぼ 葛城市 西宮神社・南60m 石道標(尖頭角柱) 高113㎝,幅24㎝,厚23㎝ 嘉永2(1849)   市教委 原位置/下部C固定 (正面)「東、なら 郡山/者つせ寺、道」、(左面)「左、たへま 竹之内/大坂 さ可い、道」、(裏面)「右、よしの つぼ坂/大ミね山上、道」 1
写真 尺土の道標 しゃくど 葛城市 極楽寺・東南80m 石道標(駒型) 高74㎝,幅23㎝,厚20㎝ 文久2(1862)   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面)「左、者せ/た可多、道」、(左面)「すぐ 古"せ町」 2 -
写真 當麻の地蔵道標 たいま 葛城市 北之門公民館・北70m 石道標(舟型) 高150㎝,幅70㎝ 江戸期   市教委 原位置?/木祠内 (光背右)「右 たつ多 奈ら 大坂」、(同左)「左 いわや さ可いみち」/光背中央に地蔵立像の陽刻/「大坂」の標記は江戸期の可能性 1
写真 新庄の道標 しんじょう 葛城市   石道標(自然石) 高83㎝,幅36 江戸期   市教委 原位置/下部で斜めに折損→修復 (正面)「右、大坂/さ可い、道」/「大坂」の標記は江戸期の可能性 1
写真 染野の道標 そめの 葛城市 當麻小学校・北 石道標(自然石)   江戸期?   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面)「右、だるまじ/多川多/ほふりうじ、道」(=高田)、(右面)「左 たゑま、み/ち」 2 -
写真 南今市の分水石 みなみいまいち 葛城市 岩谷川 分水石 175㎝×36㎝ 宝暦4(1754)   WEB(宮様の石橋)/歴史地理学49.4 現役/水路はC化 (石の天端)「分水、長尾/今市」/分水点の先端に置かれたもの/設置年が記されているのは稀/今市村では自村で管理し「豊田井堰」と呼び、長尾村では共同で管理し「分水かきわけ」と呼んでいた 1
写真 鎌取井堰の分水堰
(もど川の分水石)
かまどり 葛城市 (山口)もど川 分水石 開口部幅:①38+
20㎝,と②28㎝
江戸期   市教委
/WEB(宮様の石橋)
現役 川の流れをを2つに分け、水量を2:1に分割している/天正18(1590)に始まった番水制度を江戸期になって分水石で定常化したもの 1
写真 元・戸分ケの分水石 とわけ 葛城市 角刺神社 分水石 150㎝×45㎝ 江戸後-末期   WEB(宮様の石橋)/現地解説板 移設 分水量を溝幅で規定したもの/忍海と近隣の村で水争いが起きた際、「火柱を抱く者があれば村の主張を聞く」との話に、忍海の農民・九平が犠牲となって火柱を抱き、忍海に有利な割合で分水ができた 2
写真 住川町の愛宕常夜灯 すがわ 五條市 龍智神社・境内 石常夜灯   安永3(1774)   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面)「愛宕山常夜燈」/竿が角柱状 2
写真 新町の愛宕常夜灯1 しん 五條市 まちなみ伝承館・水路を挟んで西すぐ 石常夜灯   文政4(1821)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「愛宕大權現」/石基壇なし 1
写真 西吉野町屋那瀬の太神宮常夜灯 にしよしの、やなせ 五條市 和田橋・東 石常夜灯   文政5(1822)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「太神宮」/竿が角柱状 2
写真 五條の常夜灯 ごじょう 五條市 国道168号の大川橋北詰交差点の北東角 石常夜灯 高約3.5m 天保2(1831)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/火袋を金属製の板で覆う(細かい穴が開いているので電気点灯で光は漏れる) (竿正面)「永代常夜燈」/石基壇なし 1
写真 新町の愛宕常夜灯2 しん 五條市 二見神社・東100m 石常夜灯   天保13(1842)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (中台正面)「愛/宕/大/權/現」/石基壇なし 1
写真 小山町の道標 こやま 五條市 三叉路 石道標(自然石、三角断面) 高110㎝ 天保9(1838)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (正面)「(梵字)右 是 八幡/左 五条 かうや、道」/八幡に「や者多」とふりがな 1
写真 野原西の道標 のはらにし 五條市 国道168号の野原西1丁目交差点南東角 石道標(駒型) 高106㎝,幅22㎝,厚13㎝ 安政4(1857)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (正面)「左 ふげん道」 1
写真 五條の道標 ごじょう 五條市 国道24号に国道168・310
号がぶつかる本陣交差点の西すぐ

石道標(常夜灯兼)

  安政3(1856)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/ブロック塀に近接しており左面が判読不能 (正面)「右 いせ、者せ な良/大峯山上/よしの、道」、(右面)「かうや、わか山/四國/くまの、道」/角柱頂部に灯火用の穴を開け笠を載せている/寄進者の中に江戸日本橋の商商人の名前も見える 2
写真 荒坂窯・跡 あらさか 五條市 荒坂峠北方の荒坂瓦窯群(14基)の1号窯 登窯 全長9.1m,燃焼室長1.3m 7世紀中頃 県史跡 WEB(宮様の石橋)/現地解説板 簡易覆屋内に発掘された窯を保存・展示 窯内部と周辺から蓮華文軒丸瓦、重弧文軒丸瓦などの瓦(川原寺跡出土のものと共通する)が発見された→川原寺創建時に瓦を焼くために造られた半地下式の登窯→時代を特定 2
写真 東松本の常夜灯 ひがしまつもと 御所市 厳島神社・西南西160m 石常夜灯   寛政7(1795)   WEB(宮様の石橋) 原位置 低い石基壇 1
写真 西柏町の愛宕山常夜灯 さいかし 御所市 豊年橋詰前の白龍大明神・脇 石常夜灯   文政6(1823)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「愛宕山」、(最上段台石正面)「皂/角/子/町」/石基壇なし 1
写真 茅原の道標1 ちはら 御所市 熊野神社・南の県道沿い 石道標(五輪塔型) 高118㎝,21㎝角 正徳4(1714)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「左 徒本さ可道」、(右面)「右 よしの道」/道標で五輪塔型は稀少 1
写真 茅原の道標2 ちはら 御所市 熊野神社・南 石道標(蒲鉾型) 高190㎝,幅27㎝,厚24㎝ 安永4(1775)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「役行者御誕生所茅原山」 1
写真 茅原の道標3 ちはら 御所市 柳町との境界付近 石道標 高186㎝,29㎝角 天保14(1843)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「左 役行者御誕生所茅原山」、(同右端)「是与り壹丁東」、(同左端)「吉野山かけぬけ壷坂道」 1
写真 西町の道標 にし 御所市 恵比須神社・西南西100m 石道標(駒型) 高98㎝ 文久3(1863)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「(右指差し)むろ大師道」(=室の寶国寺)、(同左端)「是ヨリ十八丁」 1
写真 奉膳の道標 ぶんぜ 御所市   石道標(笠付き) 高209㎝(うち、台石18㎝),幅31㎝,厚28㎝ 江戸期   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「左 大峯」、(右面)「右 かうや」、(左面)「右 大坂」/頂部の笠下に四角の開口部→常夜灯としての機能/「大坂」の標記は江戸期の可能性 1
写真 穴師の太神宮常夜灯 あなし 桜井市 常善寺・西70mの変形4差路 石常夜灯   文化7(1810)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
写真 外山の太神宮常夜灯 とび 桜井市 宗像神社・北50m 石常夜灯   文政9(1826)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「大神宮」/石基壇なし 2
写真 大西の金毘羅常夜灯 おおにし 桜井市 ルーラル・ヴィレッジ・南70m 石常夜灯   文政10(1827)   WEB(宮様の石橋) 移設? (竿正面)「金毘羅大權現」 2
写真 出雲の太神宮常夜灯 いずも 桜井市 十二柱神社・前
<初瀬街道>
石常夜灯 高2.56m 天保2(1831)   市教委(歴史の道・横大路p82) 原位置? (竿正面)「太神宮」、(台石正面)「村/中/安/全」 1
写真 慈恩寺の常夜灯1 じおんじ 桜井市 朝倉郵便局・東北東100mの旧道沿い南 石常夜灯   天保2(1831)   市教委(歴史の道・横大路p82) 移設 石基壇なし 2
写真 慈恩寺の太神宮常夜灯 じおんじ 桜井市 朝倉郵便局・東北東100mの旧道沿い北 石常夜灯   天保2(1831)   市教委(歴史の道・横大路p82) 移設 (中台正面)「太/神/宮」、(竿裏面)「村安全」 2
写真 大泉の太神宮常夜灯 おいずみ 桜井市 出屋敷公民館・北50m 石常夜灯   天保2(1831)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「太神宮」、(台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし 2 -
写真 高田の太神宮常夜灯 たかた 桜井市 高田會所・前 石常夜灯   天保9(1838)   WEB(宮様の石橋) 移設? (竿正面)「大神宮」/石基壇あり 2
写真 三輪の太神宮常夜灯 みわ 桜井市 出口橋(大和川)北詰 石常夜灯   天保10(1839)   WEB(宮様の石橋) 原位置もしくは近接移設?/笠一部欠損/電気点灯 (竿右面)「三輪大明神」、(竿左面)「太神宮」/台石最上段正面に「三/輪/日/參/講」、2段目正面に「信/心/之/村/々」と陰刻/低い石基壇あり 1
写真 上之庄の太神宮常夜灯 かみのしょう 桜井市 浄福寺・東北東100m 石常夜灯   天保11(1840)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「村/内/安/全」/竿左面に「御領主御武運長久」と陰刻/石基壇なし 1
写真 芝の太神宮常夜灯 しば 桜井市 建照神社・北西120mの小川沿い 石常夜灯(自然石)   天保14(1843)   WEB(宮様の石橋) 移設?(各部C接合) (竿正面)「太神宮」/火袋のみ加工石 2
写真 箸中の太神宮常夜灯 はしなか 桜井市 車谷公民館・南すぐ 石常夜灯(自然石)   天保15(1844)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
写真 慈恩寺の常夜灯2 じおんじ 桜井市   石常夜灯 高2.20m 万延元(1860)   市教委(歴史の道・横大路p82) 原位置/竿石が欠落(横に置いてある) (竿正面)「天下泰平往来安全」、(竿○面)「長谷寺大非尊/献龍王河立水神」 3
写真 巻野内の道標 まきのうち 桜井市 JR桜井線・巻向駅の北300m、国道169号辻北交差点の西300mの十字路 石道標(駒型) 高150㎝,幅46㎝,厚21㎝ 元禄11(1698)   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面)「正一位穴師大明神」、(左面)「從是十二町」/17世紀の道標 2
  笠の道標 かさ 桜井市 辻<初瀬街道> 石道標   元禄13(1700)   市教委(桜井市史・下p487) 原位置 (正面)「みき ともた/ひたり かさ もものを」 1  
  初瀬の道標1 はせ 桜井市   石道標   享保2(1717)?   市教委(桜井市史・上p487) 所在不明(?) (正面)「多羅尾たき道」(=多羅尾不動堂)/市史には「享徳2(1453)?」「刻字不明」と書かれているが、道標の歴史から見て「享保2」の可能性の方がはるかに高い 1  
写真 初瀬の道標2 はせ 桜井市 伊勢辻<初瀬街道> 石道標(尖頭角柱) 高197㎝,幅35.5
㎝,厚31.5㎝
享保11(1726)   市教委(歴史の道・横大路p83)/WEB(北伊勢の道標) 原位置/中央やや下部で斜めに折損→修復/台石後補 (正面)「右 いせミち」/(右面)「右 くわん音/左 なら 大坂道」、(左面)
「伊勢辻」
2
  初瀬の道標3 はせ 桜井市 長谷寺・門前<初瀬街道> 石道標 高120㎝ 享保11(1726)   市教委(桜井市史・下p487/桜井の古文化財1p17) 原位置 (正面)「笠山荒神道/従是廿八丁」 1
写真 初瀬の道標4 はせ 桜井市 桜井浄水場・付近
<伊勢本街道>
石道標   元文元(1736)   市教委(歴史の道・伊勢本街道p72) 原位置?/下部で水平に折損→修復/フェンス内 (正面)「多羅尾瀧」、(同右端)「従是四丁」 2 -
写真 初瀬の供養塔道標1 はせ 桜井市 長谷寺宝物館・前
<初瀬街道・伊勢本街道>
石道標(四角錐台) 高67㎝,幅32㎝,厚33㎝ 延享4(1747)   市教委(歴史の道・伊勢本街道p71-72)/WEB(北伊勢の道標) もと、西峠?→化粧坂 (左面)「是ヨリ いせ 宮川 廿一里半」、(同左下)「者せこゑ 卅六丁」/正面に「爲廻國供養」と陰刻/「菅野村/行悦」とあることから、僧行悦が長谷寺~伊勢宮川間に建てた道標群(9基残る)の1つ 2 -
  阿部の道標1 あべ 桜井市 安倍文殊院・庭園
<山田道>
石道標 高102㎝ 宝暦5(1755)   市教委(桜井の古文化財1p11) 2度移設 (正面)「右 かぐやま/左 よしの おか寺」/(左面)「右 はせ いせ」 2
写真 初瀬の供養塔道標2 はせ 桜井市 庚申辻
<初瀬街道・伊勢本街道>
石道標(尖頭角柱) 高95㎝,幅25.5㎝,厚22㎝ 寛政5(1793)   市教委(歴史の道・伊勢本街道p71)/WEB(北伊勢の道標) 原位置 (右面)「右 く王んおんちか道」/正面に「奉供養西國卅三所」と陰刻 1
写真 慈恩寺の如意輪観音像道標 じおんじ 桜井市 玉列神社・参道入口右
<初瀬街道・伊勢本街道>
石道標(自然石) 高110㎝ 寛政7(1795)   市教委(桜井の古文化財1p3)/WEB(宮様の石橋) 移設 (正面像下右)「右、於か/よし能、道」、(同左)「左、者せ/いせ、道」、(右面)「右 者つセ 左 奈ら…」、(左面)「みき なら/左 かうや、道」/正面上半分を光背型に削り込み如意輪観音の半跏坐像を陽刻) 2
写真 阿部の道標2 あべ 桜井市 安倍文殊院・庭園
<横大路>
石道標 高136㎝ 寛政10(1798)   市教委(桜井市史・上p996/桜井の古文化財1p10-11) 3度移設 (正面)「右 者せ いせ/左 たへま 大坂、道」、(右面)「左、あへ を可寺/よしの かうや山」、(左面)「右、あべ山/を可寺、みち」 2
  三輪の道標1 みわ 桜井市 若宮社<山の辺の道> 石道標 高78㎝ 江戸中期頃   市教委(桜井の古文化財1p4) 原位置 (正面)「右 山みち/左 ひばら」 1
  山田の道標 やまだ 桜井市 <山田道> 石道標 高73㎝ 寛政2(1802)   市教委(桜井の古文化財1p12) 原位置 (正面)「右 あすか 法界堤/左 たうのみね おくのいん とうげ、道」 1 -
  八井内の道標1 やいない 桜井市 針道分岐点
<多武峯街道・針道>
石道標 高158㎝ 文化2(1805)   市教委(桜井の古文化財1p8) 原位置 (正面)「右 たふのみね」 1
  八井内の道標2 やいない 桜井市 <多武峯街道> 石道標 高158㎝ 文化3(1806)   市教委(桜井市史・下p477) 原位置 (正面)「右 たふのミ禰」 1
写真 吉隠の供養塔道標 よなばり 桜井市 <初瀬街道・伊勢本街道> 石道標(四角錐台風の自然石) 高85㎝,幅33㎝,厚41㎝ 文化4(1807)   市教委(桜井の古文化財1p4/歴史の道・伊勢本街道p73)/WEB(北伊勢の道標) 原位置 (正面)「右 いせ」/右面に「納大峯山上五十六度供羪塔」と陰刻 1
写真 大西の道標1 おおにし 桜井市 市杵島神社・北すぐ
<田原本街道>
石道標(蒲鉾型)   文政7(1824)   市教委(桜井市史・下p489) 移設? ((正面)「(梵字)右、たつ多/ほふ里ふじ、道」、(右面)「左 者せ 三わ」 2
写真 外山の道標 とび 桜井市 報恩寺・北三叉路/東林寺・西50m<初瀬街道> 石道標 高120㎝ 文政11(1828)   市教委(桜井市史・下p482) 原位置?/下部埋設 (正面)「右 たふのミ祢 よし乃/大み年 かうや」、(右面)「すぐ 聖人御母公吉光尼御廟 ひ者り山/左 者せ い世」、(左面)「すぐ 大坂 さ可い」 1
写真 金屋の道標1 かなや 桜井市 海拓榴市観音堂・南南西60m<上街道> 石道標(自然石) 高80㎝ 天保4(1833)   市教委(桜井の古文化財1p14) 移設 (正面中央)「觀世音道」、(同右)「左 つ者”いち」、(同左)「大和西國第七十四番」 2
写真 金屋の道標2 かなや 桜井市 芹井製箱所・すぐ北の交差点<上街道> 石道標 高98㎝ 天保12(1841)   市教委(桜井の古文化財1p14) 移設 (正面)「左、者ぜ/いせ、道」/(左面)「右、三王/奈ら、道」 2
写真 阿部の道標3 あべ 桜井市 安倍文殊院・参道入口
<山田道>
石道標(駒型) 高122㎝ 天保14(1843)   市教委(桜井の古文化財1p11) 原位置? (正面)「元祖大師廿五第十番/右 すぐ かぐ山 法ねん寺道」 1
写真 慈恩寺の道標 じおんじ 桜井市 桜井市慈恩寺集会所・南 石道標 高140㎝,幅32㎝,厚29㎝ 弘化2(1845)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「左 かく山 法祢ん寺道」、(同右上端)「園光大師廿五靈場第十番」、(同左下端)「是より □□八丁」、(右面)「右 みわ なら道」、(左面)「右 者つせ いせ道」 1
写真 大西の道標2 おおにし 桜井市 市杵島神社・西150m
<田原本街道>
石道標(駒型) 高63㎝ 弘化3(1846)   市教委(桜井市史・下p489/桜井の古文化財1p16) 2度移設/下部埋設 (正面)「右、た徒多 み…/法里う寺」、(右面)「左、みわ/者せ、道」 2 -
写真 穴師の道標 あなし 桜井市 桜三輪窯・東40m 石道標 高67㎝,幅30㎝,厚22㎝ 弘化4(1847)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「右、田原本/三輪 者せ」、(右面)「右 二階堂 丹波市/左 法隆寺 立田 大坂、道」 1 -
写真 初瀬の道標5 はせ 桜井市 法起院<伊勢本街道> 石道標 高135㎝,幅26㎝,厚27㎝ 嘉永元(1848)   WEB(北伊勢の道標) 移設(もと、長谷山口神社・前) (正面)「右 伊勢道」/頂部に正方形の開口部 2
写真 南音羽の道標 みなみおとわ 桜井市 観音寺参道・町石(十丁)近く 石道標(自然石) 高約2m 安政2(1855)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (正面)「(梵字)、音羽觀世音/左 たふのミ祢」 1
写真 三輪の道標2 みわ 桜井市 円融寺南30m 石道標(尖頭角柱) 高137㎝,幅26㎝,厚20㎝ 元治元(1864)   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面)「左、者せ いせ たふのミ年/よし能 大ミ祢山上」、(左面)「右 奈ら 京ミち」 2
写真 三輪の道標3 みわ 桜井市 恵比須神社<上街道> 石道標 高245㎝ 慶応2(1866)   市教委(桜井市史・下p473)/WEB(宮様の石橋) 2度移設 (正面)「左 信貴山 毘沙門天王道」、(右面)「右 なら道」 2
写真 百市の千手観音像道標 もものいち 桜井市 観音寺・入口 石道標(自然石) 高215㎝,幅90㎝ 江戸期   WEB(宮様の石橋) 原位置(台石が舗装に埋もれている)? (正面)「右 多ひのミち/左 お登者さん」(=音羽山)/頂部を光背型に削り込み、光背付きの千手観音立像(蓮台)を安置/「ミち」の標記は江戸期の可能性/下記の「百市の道標」と並ぶ 1
  多武峰の道標 とうのみね 桜井市 談山神社<多武峯街道> 石道標 高120㎝ 江戸期   市教委(桜井市史・下p475) 原位置 (正面)「南 大峯 よしの たふの峯/北 はせ 三輪社 奈良、ミち」/「ミち」の標記は江戸期の可能性 1
写真 百市の道標 もものいち 桜井市 観音寺・入口 石道標(蒲鉾型) 高115㎝,幅38㎝ 江戸期   WEB(宮様の石橋) 移設(舗装上に載っている (正面)「音石山觀音靈塲」、(同左下)「従是十八町」/施主に「大坂」→「大坂」の標記は江戸期の可能性/上記の「百市の千手観音像道標」と並ぶ 2
  高田の道標 たかた 桜井市 <多武峯街道> 石道標   江戸期   市教委(桜井市史・下p476) 原位置 (正面)「たふみね すぐミち」/「ミち」の標記は江戸期の可能性 1  
写真 音羽山観音寺の九品町石(九町) おとわやま、くほん 桜井市 本堂・前 町石 高28㎝→高約40㎝ 永禄5(1562)   市教委(音羽山観音寺参道町石p6) 移設、集約/上部滅失、下部埋没→下部掘り出し 観音寺の九品町石は、山麓から寺に向けて下品→中品→上品と位が上がっていく9本で構成されていた(⇒逆順
(正面)「…(蓮花)下品下生 九町」
4 -
写真 音羽山観音寺の九品町石(五町) おとわやま、くほん 桜井市 本堂・前 町石(駒型) 高78㎝ 永禄5(1562)   市教委(音羽山観音寺参道町石p6) 移設、集約 (正面)「(梵字)中品中生 五町」 2
写真 音羽山観音寺の九品町石(四町) おとわやま、くほん 桜井市 本堂・前 町石(駒型) 高83㎝ 永禄5(1562)   市教委(音羽山観音寺参道町石p6) 移設、集約 (正面)「(梵字)中品上生 四町」 2
写真 音羽山観音寺の九品町石(一町) おとわやま、くほん 桜井市 本堂・前 町石 高63㎝ 永禄5(1562)   市教委(音羽山観音寺参道町石p6) 移設、集約/頂部欠損 (正面)「(梵字・蓮花)上品上生 一町」 3
写真 多武峰談山神社の町石
(初町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型) 高150㎝
(以下、だいたい同一)
承応3(1654) 県史跡 県教委 やや磨耗 談山神社の町石は、山麓から神社に向けて華厳経に基づく菩薩の修行の52階位を順に刻字している
(正面)「(梵字)信心位 初町」/菩薩修行の階位である52位の中、第1~10位までを「十信」という
1
写真 多武峰談山神社の町石
(二町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 下端埋没 (正面)「(梵字)念心位 二町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(三町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 台石あり/やや磨耗 (正面)「(梵字)精進位 三町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(四町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 折損→修復/台石あり/やや磨耗 (正面)「(梵字)恵心位 四町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(五町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 台石あり (正面)「(梵字)定心位 五町」 1
  多武峰談山神社の町石
(六町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 横転 (正面)「(梵字)不退心位 六町」 2
  多武峰談山神社の町石
(十町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 上部欠損/下部埋没 (正面)「(梵字)願心位 十町」 3 -
  多武峰談山神社の町石
(十二町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 上部欠損/下部埋没/やや磨耗 (正面)「(梵字)治地住位 十二町」/菩薩修行の階位である52位の中、第11~20位までを「十住」という 4 -
  多武峰談山神社の町石
(十三町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 台石あり (正面)「(梵字)修行住位 十三町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(十四町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 台石あり (正面)「(梵字)生貴住位 十四町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(十五町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 台石あり (正面)「(梵字)方便具足住位 十五町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(十六町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 台石あり/やや磨耗 (正面)「(梵字)正心住位 十六町」 1
  多武峰談山神社の町石
(二十二町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 下端のみ残る (正面)「(梵字)饒益行位 二十二町」/菩薩修行の階位である52位の中、第21~30位までを「十行」という 4 -
  多武峰談山神社の町石
(二十三町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 やや磨耗 (正面)「(梵字)無瞋根行位 二十三町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(二十四町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 台石あり/やや磨耗 (正面)「(梵字)無盡行位 二十四町」 1
  多武峰談山神社の町石
(二十七町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 折損/横転/やや磨耗 (正面)「(梵字)無著行位 二十七町」 3 -
写真 多武峰談山神社の町石
(二十八町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 台石あり/やや磨耗 (正面)「(梵字)尊重行位 二十八町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(二十九町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 下部埋没 (正面)「(梵字)善法行位 二十九町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(三十町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 折損→修復/台石あり (正面)「(梵字)真實行位 三十町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(三十三町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 下部埋没 (正面)「(梵字)等一切佛廻向位 三十三町」/菩薩修行の階位である52位の中、第31~40位までを「十廻向」という 1
写真 多武峰談山神社の町石
(三十四町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 下部埋没 (正面)「(梵字)至一切処廻向位 三十四町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(三十六町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 上部欠損/下部埋没 (正面)「(梵字)随順平等善根廻向位 三十六町」 3 -
写真 多武峰談山神社の町石
(四十一町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 頂部欠損/やや磨耗 (正面)「(梵字)歓喜地位 四十一町」/菩薩修行の階位である52位の中、第41~50位までを「十地」という 2
写真 多武峰談山神社の町石
(四十二町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 折損→修復/台石あり (正面)「(梵字)離垢地位 四十二町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(四十四町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委   (正面)「(梵字)焔慧地位 四十四町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(十九町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 移設/折損→修復/下端埋没 (正面)「(梵字)法王子住位 十九町」 2
写真 多武峰談山神社の町石
(四十六町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 下端埋没 (正面)「(梵字)現前地位 四十六町」 1
  多武峰談山神社の町石
(四十七町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 折損→修復/やや磨耗 (正面)「(梵字)遠行地位 四十七町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(四十八町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 下部埋没 (正面)「(梵字)不動地位 四十八町」 1
写真 多武峰談山神社の町石
(四十九町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 下部埋没/やや磨耗 (正面)「(梵字)善慧地位 四十九町」 2
写真 多武峰談山神社の町石
(五十一町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委   (正面)「(梵字)等覺位 五十一町」/菩薩修行の51位で、その智徳が略万徳円満の仏・妙覚と等しくなったという意味で等覚という 1
写真 多武峰談山神社の町石
(五十二町)
とうのみね、たんざん 桜井市 談山神社参道 町石(駒型)   承応3(1654) 県史跡 県教委 下端埋没/やや磨耗 (正面)「(梵字)妙覺位 五十二町」/菩薩修行の52位の最後の位で、一切の煩悩を断じ尽くし仏・如来と同一視される 1
  多武峰西口坂の町石
(八町)
とうのみね、にしぐちざか 桜井市 談山神社西口参道 町石   承応4(1655)   市教委(桜井市史・上p924) 原位置? 談山神社西口の町石は、神社から山麓に向けて向けて華厳経に基づく菩薩の修行の52階位を順に刻字している⇒逆順
(正面)「難勝地 八町」
1
  多武峰西口坂の町石
(九町)
とうのみね、にしぐちざか 桜井市 談山神社西口参道 町石   承応4(1655)   市教委(桜井市史・上p924) 原位置? (正面)「焔慧地 九町」 1
  多武峰西口坂の町石
(十三町)
とうのみね、にしぐちざか 桜井市 談山神社西口参道 町石   承応4(1655)   市教委(桜井市史・上p924) 原位置? (正面)「无盡法廻向 十三町」 1
写真 音羽山観音寺の町石
(一丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱) 高134㎝(以下、だいたい同一) 天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置 観音寺の町石は、山麓から寺に向けて順番に並んでいる/角柱の頂部に四角い穴を開けて火袋とし、上に笠を載せる稀な形の町石/
(正面)「音羽山、永/代、十七夜 一丁」
1
写真 音羽山観音寺の町石
(二丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/笠石欠損/下部埋没 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 …」 3
写真 音羽山観音寺の町石
(三丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/下部半分埋没 (正面)「音羽山、永/代、十…」 2
写真 音羽山観音寺の町石
(四丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/笠石欠損 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 四丁」 3
写真 音羽山観音寺の町石
(五丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 五丁」 1
写真 音羽山観音寺の町石
(六丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 六丁」 1
写真 音羽山観音寺の町石
(七丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 七丁」 1
写真 音羽山観音寺の町石
(八丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 八丁」 1
写真 音羽山観音寺の町石
(九丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/火袋部が滅失、宝珠もない/台石あり (正面)「音羽山、永/代、十七夜 九丁」 4
写真 音羽山観音寺の町石
(十丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/台石あり (正面)「音羽山、永/代、十七夜 十丁」 1
写真 音羽山観音寺の町石
(十一丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/宝珠欠損、笠石一部破損 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 十一丁」 2
写真 音羽山観音寺の町石
(十二丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/笠石欠損 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 十二丁」 3
写真 音羽山観音寺の町石
(十三丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/宝珠欠損 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 十三丁」 2
写真 音羽山観音寺の町石
(十四丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 十四丁」 1
写真 音羽山観音寺の町石
(十五丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/笠石欠損/転倒 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 十五丁」 4
写真 音羽山観音寺の町石
(十六丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/笠石一部破損 (正面)「音羽山、永/代、十七夜 十六丁」 1
写真 音羽山観音寺の町石
(十七丁)
おとわやま 桜井市 観音寺参道 町石(火袋付角柱)   天保15(1844)   市教委(音羽山観音寺参道町石p5) 原位置/笠石欠損 (正面火袋上)「音/羽/山」、(正面)「獻燈、永/代、毎月十七夜 十七丁」 3
写真 佐野の渡し さの 桜井市 初瀬川 渡し場   古代   市教委(桜井町史・続p810) 飛石や船繋の松の跡(松は枯死)が残る/金屋河川敷公園として整備 山崎から初瀬川を渡る所で忍阪方面に越える渡場/神武天皇御東征の軍が忍阪方面から北進して、このあたりから初瀬川を渡ったとの伝承がある/7世紀の海拓榴市(つばいち)は、山辺の道などの古道と大和川水運の交易点、藤原京の玄関でもあった 3
  アコセ井堰   桜井市 初瀬川 取水堰   享保4(1719)以前   市教委(大三輪町史p862)   享保四亥年六月廿七日付けの和州十市村、同国式上郡大西村と同国郡大泉村の水論について書かれている古文書「水論裁許状」の中に名前が出てくる 2
  大井堰 おおい 桜井市 初瀬川 取水堰   享保4(1719)以前   市教委(大三輪町史p862) C堰 享保四亥年六月廿七日付けの和州十市村、同国式上郡大西村と同国郡大泉村の水論について書かれている古文書「水論裁許状」の中に名前が出てくる 3
  味間井堰 あじま 桜井市 初瀬川 取水堰   江戸期   市教委(大三輪町史p862) C堰 江戸時代の藩主関係によって、味間~大泉井堰の間で、味間井堰で引水された河水は初瀬川の左岸に設けられた用水路によって大泉井堰に引水している(明神・アコセ井堰を通らないで、専用水路によって水を引いている) 3
  大泉井堰 おおいずみ 桜井市 初瀬川 取水堰   江戸期   市教委(大三輪町史p862) C堰 江戸時代の藩主関係によって、味間~大泉井堰の間で、味間井堰で引水された河水は初瀬川の左岸に設けられた用水路によって大泉井堰に引水している(明神・アコセ井堰を通らないで、専用水路によって水を引いている) 3
  下井堰 しもい 桜井市 初瀬川 取水堰   江戸期?   市教委(大三輪町史p862)   井堰同士の古くからの取り決めがあり、現在でも継続されている 2
  ウマヤ井堰   桜井市 初瀬川 取水堰   江戸期?   市教委(大三輪町史p862)   井堰同士の古くからの取り決めがあり、現在でも継続されている 2
  上之庄井堰 かみのしょう 桜井市 初瀬川 取水堰   江戸期?   市教委(大三輪町史p862)   井堰同士の古くからの取り決めがあり、現在でも継続されている 2
  飛鳥井堰 あすか 桜井市 初瀬川 取水堰   江戸期?   市教委(大三輪町史p862) C堰 井堰同士の古くからの取り決めがあり、現在でも継続されている 3
  大福井堰 だいふく 桜井市 初瀬川 取水堰   江戸期?   市教委(大三輪町史p862) C堰 井堰同士の古くからの取り決めがあり、現在でも継続されている 3
  明神井堰 みょうじん 桜井市 初瀬川 取水堰   江戸期?   市教委(大三輪町史p862) C堰 井堰同士の古くからの取り決めがあり、現在でも継続されている 3
写真 安倍寺瓦窯・跡 あべ 桜井市 安倍史跡公園 瓦窯(平窯) 5基 文治元(1185)
~文暦元(1234)
国史跡 WEB 遺構全体をアクリル板のモダンな屋根で覆う 鎌倉時代の典型的な平窯式の瓦窯が5基並んで残る/文治元(1185)に安倍寺崇敬寺が全山焼失し、文暦元(1234)に安倍別所(現在の安倍文殊院)に移転する際に建立された寺の瓦を焼いたとされる 1
  橋本の七つ井 はしもと 桜井市   井戸   古代   市教委(桜井町史・続p974) 七つ井は橋本と阿部との中間にあり、今も清水湧出して灌漑用水となっている/七つ井公園として整備 吉備大臣の作ったものだとの伝承/『大和志』(1734)に、「七井在安倍村 七処湧沸集流為渠灌漑田畝 渠中産芹 香味異他」とある(江戸期の史料なので信頼度は低い) 1
  八井内の大師の井(群) やいない 桜井市 八井内の山際 井戸   古代   市教委(桜井町史・続p975) 当初8つの井戸→現在6ヶ所が現役使用 弘法大師伝説がある 1
  粟殿の大師の井 おおどの 桜井市 桜井から三輪に通ずる旧街道の東側 井戸   古代   市教委(桜井町史p815)   弘法大師伝説がある 1
  池之内の大納言井戸 いけのうち 桜井市   石井戸   古代?   市教委(桜井町史・続p975)   巨石の井戸/大納言は地名だが、昔大納言が住んでいたと言われている 1
  大西環濠集落 おおにし 桜井市 大西 環濠集落(居館型) 140m×290m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路はロの字型に残るが、すべてC化、幅も半分以下 大西氏(興福寺大乗院門跡の坊人で越智氏と関係があった)の本拠地/明応2(1493)の越智家栄の上洛にも供奉/明応7(1498)に筒井順盛の攻撃を受けて落城 3
  大泉環濠集落 おいずみ 桜井市 大泉 環濠集落(惣村型) 100m×100m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路はロの字型に残るが、すべて道路で幅が半分になっているが、雰囲気は維持されている 興福寺雑役免荘園の「大泉荘」→戦国時代には「無沙汰」となって十市氏に押領→大乗院門跡の知行 2
  大豆越環濠集落 まめごし 桜井市 大豆越 環濠集落 160m×100m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 防火用水池はかつての環濠の一部?/他はほとんど消滅 十市氏の支配下 3
  東新堂環濠集落 ひがししんどう 桜井市 東新堂 環濠集落 160m×150m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 北・西側がC水路(対岸石垣)、西側の半分は道路化 八坂神社は在地武士の居館跡か? 3
  豊前環濠集落 ぶんぜ 桜井市 豊前 環濠集落 160m×90m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 大部分がC水路として残る/北側は道路化 越智氏の支配下 3
  上之庄環濠集落 かみのしょう 桜井市 上之庄 環濠集落(惣村型) 160m×160m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 大部分が狭いC水路か暗渠 十市氏の支配下 4
  江包環濠集落 えつつみ 桜井市 江包 環濠集落 150m×120m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 道路化/西側に僅かにC溝 地侍江堤氏(十市氏の被官?)の本拠地 5
  太田環濠集落 おおた 桜井市 太田 環濠集落 160m×150m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) ほとんど暗渠化 戦国時代には本来の領主である興福寺が管理維持 5
写真 青石橋 あおいし 天理市 市座神社/<布留川> <石桁橋> 長約2m(G) 江戸期   永冨謙/
WEB(宮様の石橋)
明治40前後に架替え/橋面石のみ移設し、板状に立てて展示 古墳の石棺の蓋の転用〔石板の一方の端に2つ穴が開いており、運搬用の綱を通すためと考えられている。その穴の独特のじょうご型の断面が古墳時代によく見られることから、石棺の蓋の転用と推測されている〕 3
  布留町の常夜灯 ふる 天理市 石上神宮
<上街道・布留街道>
石常夜灯(道標兼) 高3.33m 天明元(1781)   市教委 移設 (竿正面)「布留社」 2
写真 柳本町の太神宮常夜灯 やなぎもと 天理市 長岳寺五智堂・すぐ西 石常夜灯   天保8(1837)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」、(竿右面)「天満宮」、(最上段台石正面)「新町中」/中台に装飾的な浮彫り/石基壇なし/下記の「柳本町の道標」と並ぶ 1
写真 柳本町の道標 やなぎもと 天理市 長岳寺五智堂・すぐ西 石道標(駒型) 高158㎝,幅45㎝,厚21㎝ 元禄7(1694)   市教委/
WEB(宮様の石橋)
原位置 (正面)「釜口山長岳寺 從是東 五町」/17世紀の道標/上記の「柳本町の太神宮常夜灯」と並ぶ 1
写真 櫟本町の道標 いちのもと 天理市 恵比寿神社・西 石道標 高71㎝,幅27㎝,厚25㎝ 享保12(1727)   市教委/
WEB(宮様の石橋)
移設 (正面)「右 なら/左 たつた、みち」、(左面)「右 ほう里うじ/左 者せミち」 2 -
  岩屋町の題目塔道標 いわや 天理市   石道標 高70-58㎝,幅20㎝,厚16㎝ 延享3(1746)   市教委 原位置?/頂部欠損 (正面下部)「右 いせ/左 さと、道」/正面上部に「…大神宮」と陰刻 3 -
  二階堂北菅田町の道標 にかいどう、きたすがた 天理市 <中街道> 石道標(自然石) 高72㎝,幅52㎝,厚32㎝ 享和元(1801)   市教委 近接移設? (正面)「南、かうや道/よしの山上」、(右面左)「東 たんば市」、(左面)
「北 ら 郡山、西 じ 大坂、道」
1 -
  永原町の題目塔道標 ながはら 天理市   石道標 高61㎝,幅27㎝,厚15㎝ 享和3(1803)   市教委 移設 (正面右)「右ハ ならみち」、(同左)「左ハ ほうりう寺」/下記「永原の役行者像道標」と並ぶ 2 -
写真 田井庄町の墓碑道標 たいのしょう 天理市 天理大 体育館・南東角の交差点 石道標(自然石) 高50㎝,幅32㎝,厚24㎝ 文化3(1806)   市教委/
WEB(宮様の石橋)
原位置 (正面右)「すぐ なら」、(同左)「左 法里うじ」/正面中央に「(梵字)清岸浄喜信士」と陰刻 1 -
  二階堂上ノ庄町の役行者像道標 にかいどう、かみのしょう 天理市 <中街道> 石道標(駒型) 高81㎝,幅21㎝,厚17㎝ 文政2(1819)   市教委 移設 (正面像右)「西 ほりうぢ/北 なら 郡山」、(同左)「東 たんば市/南 よしの」/正面頂部に役行者○像を陽刻、その下に「三十三度」と陰刻 2
  武蔵町の大師道標 むさし 天理市   石道標(自然石) 高78㎝,幅64㎝,厚20㎝ 天保3(1832)   市教委 原位置 (正面像下右)「右 たわら本 たへま」、(同左)「左、なら 京」/正面頂部に大師坐像を陽刻 1
  楢町の道標 なら 天理市 <上街道> 石道標 高176㎝,幅32㎝,厚31.5㎝ 天保11(1840)   市教委 原位置 (正面)「楢大明神社」 1
  永原町の役行者像道標 ながはら 天理市   石道標(自然石) 高85㎝,幅66㎝,厚40㎝ 天保14(1843)   市教委 移設 (正面像右)「右 なら」、(同左)「左 法りう寺」/正面頂部を光背型に削り込み役行者立像(錫杖)を陽刻、その下に「奉納大峯山上供養」と陰刻/上記「永原の題目塔道標2」と並ぶ 2
写真 小島町の大師道標 こじま 天理市   石道標(自然石) 高110㎝,幅65㎝,厚44㎝ 嘉永3(1850)   市教委 原位置 (正面像下右)「右、こうり山/二かいとう」、(同左)「左、八木/たわら本」、(右面左)「右 はせ」、(左面)「すぐ、なら/たん者市」/正面頂部を円形に削り込み大師坐像を陽刻 1
写真 川原城町の地蔵道標 かわはらじょう 天理市 川原城会館・前
<上街道・布留街道>
石道標(尖頭角柱) 高170㎝,幅35㎝,厚32㎝ 嘉永4(1851)   市教委/
WEB(宮様の石橋)
移設 (右面)「すぐ 奈ら 京」、(同その下・右側)「右 ふる内山」、(同その下・左側)「左、たつ多/法隆寺、大坂」、(同最下部)「道」、(左面)「すぐ」、(同その下)「みわ 者つせ/たふの美ね」、(同最下部)「いせ 道」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵(?)坐像を陽刻 2
写真 石上町の道標 いそのかみ 天理市   石道標(尖頭角柱) 高187㎝,幅31㎝,厚29㎝ 安政7(1860)   市教委 原位置 (正面)「正一位 平尾姫丸 稲荷大明神」、(左面)「従是東 五町」 1
  喜殿町の供養塔道標 きどの 天理市   石道標 高139㎝,幅29.5
㎝,厚30㎝
文久2(1862)   市教委 近接移設 (右面)「右 なら/左 吉野」、(左面)「西、右 丹波市/左 郡山、道」/正面に「((梵字)、大峯/山上、三十三度供養」と陰刻 1
写真 嘉幡町の題目塔道標 かばた 天理市   石道標   慶応元(1865)   WEB 移設 (右面)「すく 京、な良 摂州/郡山 山上牧」、(左面右)「右、与し野/加う野、道」、(同左)「左、者せ/い勢」、(同最下部)「道」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻 2
  一ノ井分水石 いちのい 天理市 布留川 分水石   天正12(1584)以前   市教委(天理市史p270-271)/永冨謙 分水石: 石→C製に改修 布留川の水を川の北側と南側に分けるための五角形の分水“石”/文書では天正12に三島庄と勾田庄・田村庄の間に分水について取り交わしたものが最古、絵図では寛文13(1673)の「布留川分流図」が最古 3
写真 南柳生環濠集落 みなみやぎゅう 天理市 南六条町 環濠集落(惣村型) 100m×100m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 南側と西側の一部の環濠がほぼ当時のまま 十市氏の勢力下 1
写真 竹之内環濠集落 たけのうち 天理市 竹之内町 環濠集落(惣村型) 200m×150m 室町時代?   市教委 西側を南北に区画する濠の一部が残る(C護岸化はされていない)、北側は竹薮 県下で最も高所(標高100m)にある環濠集落→高所にあり平面的な環濠が確保しにくいため環濠集落とみなれない場合もあるかもしれないが、本リストでは中世の環濠集落として扱う 2
  備前環濠集落 びぜん 天理市 備前町 環濠集落
(居館並立型)
230m×120m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 南側に用水路に転用された水路が残るだけ 備前氏は国民十市氏の被官 4
  平等坊環濠集落 びょうどうぼう 天理市 平等坊町 環濠集落 160m×160m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 神社の周囲にC化され幅も狭くなった環濠が残る 興福寺・衆徒の平等坊氏の本拠地/筒井氏の被官→文明3(1471)に十市氏に被官→文明11(1479)の十市氏の敗北で没落→筒井氏の与力 4
  蔵之庄環濠集落 くらのしょう 天理市 蔵之庄町 環濠集落(平城) 180m×120m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 細い水路は残るが、近世の農業用水路の可能性も 筒井氏の勢力圏 4
  筑紫環濠集落 つくし 天理市 九条町 環濠集落(平城) 100m×100m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 北側に用水路に転用された水路が残るだけ 古代には物部氏系列の筑紫連の居住地だった場所 4
  岸田環濠集落 きしだ 天理市 岸田町 環濠集落 150m×140m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 暗渠化して道路に 岸田氏(越智氏の与力)の本拠地 5
写真 横田町の下ツ道・跡 よこた、
しもつみち
大和郡山市   道路   古代   木下 良 2つの道路に分かれており、説明がないと分からない〔写真の2本の黄色線が古代道路の幅〕 古代の道路の“広さ“を認識することができる 4
写真 西町の題目塔道標 にし 大和郡山市   石道標   元治2(1865)   WEB 移設 (正面)「右、二…堂/丹波市/三輪 長谷、道」、(右面)「左、龍田 法隆寺/大坂、道」 2 -
写真 番条環濠集落 ばんじょう 大和郡山市 番条町 環濠集落
(居館並立型)
200m×710m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 東側の「一堀」「初堀」、北側の「庄屋口堀」など当時のまま残る 佐保川東岸沿いの後背湿地を利用した長大な規模の環濠集落/興福寺・衆徒の番条氏の本拠地 1
写真 稗田環濠集落 ひえだ 大和郡山市 稗田町 環濠集落(惣村型) 260m×260m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 「環境整備」による道路拡張・駐車場のための暗渠化/東側は旧状を留める(平成25時点) 大型の環濠集落/松永金吾が陣を置き、郡山の筒井方と対峙した 2
  八条環濠集落 はちじょう 大和郡山市 八条町 環濠集落(平城) 320m×230m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) ほとんどC溝か暗渠/北東の堂山地区に狭い旧水路が残る 大型の環濠集落/筒井氏の勢力下 4
  白土環濠集落 しらつち 大和郡山市 白土町 環濠集落
(居館並立型)
220m×180m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路はロの字型に残るが、すべてC化、幅も半分以下 在地領主の白土氏(筒井氏に帰属)の居館 3
写真 若槻環濠集落 わかつき 大和郡山市 若槻町 環濠集落(平城) 295m×140m 室町時代? 市史跡 WEB(奈良の環濠) 水路のほとんどがC水路/西側一部に狭いが旧状らしき部分も 応仁・文明の乱→15世紀後半に環濠を造成(有事の際には旗色を明らかにして敵に備えることを前提した集落)/在地の若槻氏(筒井党) 3
  横田環濠集落 よこた 大和郡山市 横田町 環濠集落(平城) 250m×230m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 南・東側で細いC水路/他は道路化狭い旧水路が残る 大型の環濠集落/興福寺一乗院の支配下 4
  小泉市場環濠集落 こいずみ 大和郡山市 小泉町 環濠集落(市場型) 240m×80m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 北側はC水路~C溝、南側は暗渠 小泉氏の本拠地小泉城跡の東300mにある市場環濠集落 4
  発志院環濠集落 はっしいん 大和郡山市 発志院町 環濠集落
(居館並立型)
110m×110m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 大部分がC水路として残る(対岸が石垣の部分も) 筒井氏の支配下 3
  新木環濠集落 にき 大和郡山市 新木町 環濠集落
(居館並立型)
120m×120m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路の大部分が残るがC溝状/東側に狭いが旧状らしき部分も 在地土豪の新木氏(筒井党)の居館? 3
  田中環濠集落 たなか 大和郡山市 田中町 環濠集落(居館型) 100m×150m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 北側はC化して残る/東側はC溝化 在地土豪の田中氏(筒井党?) 3
  東椎木環濠集落 ひがししぎ 大和郡山市 椎木町 環濠集落
(居館並立型)
120m×130m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路はほぼロの字型に残るが、すべてC化/南側は暗渠化 筒井氏の勢力下 3
  大江環濠集落 おおえ 大和郡山市 大江町 環濠集落(惣村型) 120m×90m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 大部分がC水路・C溝として残る 有力者が君臨しない村落共同体 3
  上三橋環濠集落 かみみつはし 大和郡山市 上三橋町 環濠集落 100m×170m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 大部分が狭いC水路として残る 筒井氏の勢力下 3
  小美濃庄環濠集落 こみのしょう 大和郡山市 美濃庄町 環濠集落 120m×130m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 大部分がC水路・C溝として残る(農業用水路化) 大美濃庄環濠集落の南西に隣接→在地の農民の集落? 3
  大美濃庄環濠集落 おおみのしょう 大和郡山市 美濃庄町 環濠集落(居館型) 120m×130m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 一部C溝 興福寺衆徒・美濃庄氏(筒井氏の与力)の本拠地 4
  井戸野環濠集落 いどの 大和郡山市 井戸野町 環濠集落(居館型) 150m×140m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 大部分が農業用水路か暗渠/ごく一部に 十市氏の支配下 4
  中城環濠集落 なかじょう 大和郡山市 中城町 環濠集落
(居館並立型)
100m×140m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 大部分がC溝か暗渠 筒井氏家臣の中氏の本拠地? 4
  小南環濠集落 こみなみ 大和郡山市 小南町 環濠集落(居館型) 160m×180m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 道路化 筒井氏の勢力下 5
  天井環濠集落 てんじ 大和郡山市 天井町 環濠集落(惣村型) 120m×105m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 道路化/一部に近世の農業用水溝 筒井氏の勢力下 5
写真 南本町の太神宮常夜灯 みなみほん 大和高田市 北方塩町交差点・南西角 銅板葺の石常夜灯   天明元(1781)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/銅板葺の切妻屋根をもつ木造覆屋内にあるが、これは当初からの鞘堂ではなく、木造の常夜灯上部を守るため後年付加されたものと推測される (竿正面)「太神宮」/竿石上に木製の春日型の屋根(銅板葺)と火袋が載る/火袋下の四隅に雲形の肘木/竿石が四角錐台/細工人:和泉屋德右衛門 1
写真 藤森の太神宮常夜灯 ふじもり 大和高田市 藤森環濠集落 石常夜灯   文化4(1807)   現地調査 原位置 (竿正面)「大神宮」/広く低い石基壇 1
写真 野口の太神宮常夜灯1 のぐち 大和高田市 野口公会堂・西70m 石常夜灯   文化13(1816)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/火袋が木製 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
写真 野口の太神宮常夜灯2 のぐち 大和高田市 西代公園・北西150m 石常夜灯   文化13(1816)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 2
写真 大中南町の太神宮常夜灯 おおなかみなみ 大和高田市 長谷本寺・西120m 石常夜灯、
木造鞘堂(銅板葺)
  天保元(1830)   WEB(宮様の石橋) 原位置/木造鞘堂内 (竿正面)「太神宮」/石常夜灯なので、木造覆屋は遠州特有の鞘堂の一種と見ることができる。ただ、構造的には、全面が木桟となっており、火袋部のみ木桟の遠州の鞘堂とは根本的に目的が異なる 1
写真 根成柿の太神宮常夜灯 ねなりがき 大和高田市 安楽寺跡・前 石常夜灯(道標兼)   天保2(1831)   WEB(宮様の石橋) 移設(C基盤上) (竿正面)「太神宮」、(2段目台石正面)「右/い/せ」/切石を縦に並べた特異な石基壇 2
写真 今里町の太神宮常夜灯 いまざと 大和高田市 葛城川橋・西200m 石常夜灯   天保2(1831)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「村/中/安/全」/低い石基壇あり/正面と右面を石柵(慶応2(1866))で囲む 1
写真 吉井の太神宮常夜灯 よしい 大和高田市 円光寺・南東50m 石常夜灯   天保2(1831)   WEB(宮様の石橋) 移設? (竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇あり 2
写真 礒野環濠集落 いその 大和高田市 礒野町 環濠集落(居館型) 160m×250m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路はほぼロの字型に残るが、すべてC化 筒井党の布施氏の支配下 3
写真 藤森環濠集落 ふじのもり 大和高田市 藤森 環濠集落(惣村型) 160m×150m 室町時代?   市教委/
WEB(奈良の環濠)
市による環濠集落が整備事業の代表格→西側の環濠を整備・公園化/東側はC化され幅縮小 在地土豪の存在不明 2
写真 池尻環濠集落 いけじり 大和高田市 池尻 環濠集落 105m×110m 江戸期   市教委/
WEB(奈良の環濠)
東側と北側の一部の環濠が「歴史といこいの水辺空間」事業により整備→散策道を設置したため濠の幅が狭くなった どの在地勢力の支配下にあったか不明 2
写真 有井環濠集落 ありい 大和高田市 有井 環濠集落(複合型) 190m×150m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路はロの字型に残るが、ほとんどがC化 二重環濠/当麻高田氏の本拠地 3
写真 松塚環濠集落 まつづか 大和高田市 松塚 環濠集落(居館型) 100m×240m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 南北に長い環濠の形は明白だが水路化/西側は暗渠化 当麻高田氏の支配下? 3
  土庫環濠集落 どんご 大和高田市 土庫 環濠集落(居館型) 150m×160m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 埋めて暗渠化、一部空壕 地侍の土庫氏の本拠地→当麻為貞の次男為重が土庫城を築き城主に 4
写真 神楽環濠集落 じんらく 大和高田市 神楽 環濠集落(惣村型) 100m×120m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 環濠の南半分を拡張して溜池化(写真)、北側は道路化 地侍の神楽氏の本拠地→筒井方の高田氏と越智方の布施氏が神楽で合戦 4
写真 有井の弘法井戸 ありい 大和高田市 有井環濠集落 石井戸   文明年間   市教委 環濠を埋めた後に掘削   2
写真 旧・富本憲吉記念館前の桁橋 とみもとけんきち (生駒)安堵町 東安堵 石桁橋 (G) 安永年間(1772-80)?   WEB(宮様の石橋) 保存状態良好 建造年不明→長屋門、離れ、土蔵など生家の建物が安永年間の築造のため、同時期の施工と見るのが自然 1 -
写真 上窪田の太神宮常夜灯 かみくぼた (生駒)安堵町 上窪田公民館・南すぐ 石常夜灯   安政7(1860)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし/牛頭天王常夜灯(対象外)と並ぶ 2
写真 上窪田環濠集落 かみくぼた (生駒)安堵町 上窪田 環濠集落(居館型) 255m×200m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 外環濠はC化されているが、居館の内環濠は旧状を留める 在地土豪の窪田氏(筒井氏に属する)の本拠地 3
  東安堵環濠集落 ひがしあんど (生駒)安堵町 東安堵 環濠集落(居館型) 240m×205m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 旧居館の周囲の環濠のみ残る→竹薮化 在地領主の安堵氏(筒井党)の本拠地 4
写真 法隆寺南の道標 ほうりゅうじ、みなみ (生駒)斑鳩町 並木公民館・南20mの十字路 石道標 高133㎝,幅23.5
㎝,厚24.5㎝
天保15(1844)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「右 いせ、た王ら本 み王 者せ/いちの本 たん者”市」、(右面)「春ぐ、たつ多 志ぎ山/大坂 さ可い」、(左面)「左 京、郡山/奈ら、道」 1
写真 法隆寺山内の道標 ほうりゅうじ、さんない (生駒)斑鳩町 法隆寺・四脚門前 石道標(駒型) 高135㎝,幅24.5
㎝,厚20㎝
江戸期?   WEB(宮様の石橋) 移設 (正面)「左 松尾道」/その下に「大坂取次」として寄贈者が3名刻字→「大坂」の標記は江戸期の可能性 1
写真 斑鳩の条里制遺構 いかるが (生駒)斑鳩町   条里田   8世紀   町教委 保存状態良好 条里制発祥の中心地に残る整然とした一町単位の条里田 1 写真
  目安環濠集落 めやす (生駒)斑鳩町 目安 環濠集落 260m×100m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 環濠のほとんどを喪失 在地の武士・目安氏は筒井氏寄り 5
  高安環濠集落 たかやす (生駒)斑鳩町 高安 環濠集落(惣村型) 180m×160m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 大部分が狭いC水路 筒井氏の勢力下 4
写真 三井 みい (生駒)斑鳩町 (三井)法輪寺の旧境内 石組井戸   7世紀? 国史跡 現地解説板 明治初に埋め立てられ昭和7に掘り出された/瓦屋根付き 聖徳太子が掘らせたとされる古井戸の一つ/法輪寺の別名・三井寺の名称の由来にもなっている/井戸脇⇒粗加工の平石を四角に置いただけのもの(河合町の薬井(7世紀?)や兵庫県の再現された閼伽井(天平9(737))と同じ形式)/井戸内部は深さ4.25mのうち、上部3m部分に「磚」と呼ばれる扇状の薄い板状の石を積み上げている特殊な構造⇒国史跡になった理由 2 写真
写真 勢野東の常夜灯 せやひがし (生駒)三郷町 茶垣地区 石常夜灯   文化15(1818)   町教委 原位置 竿が角柱/伊勢講により建立された町中常夜灯 1 -
写真 勢野東の太神宮常夜灯 せやひがし (生駒)三郷町 養福寺・北すぐ 石常夜灯   文政13(1830)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1 -
写真 信貴山東の道標 しぎさん、
ひがし
(生駒)三郷町 大門ダム・東150m 石道標(駒型) 高314㎝(うち、台石45㎝),幅52㎝,厚40㎝ 文政2(1819)   WEB(宮様の石橋) 平成26移設(もと、斑鳩町の竜田大橋・東詰) (正面頂部)「従/是/西」、(正面)「信貴山毘沙門天道」、(右面頂部)「左、だるまし/多ゑま、道」/右面に「施主、江戸新吉原仲の町/張屋郎兵衛」、台石正面にも「尾/太」と刻字/下記の「勢野東の道標」と同年・同施主・同形だが、刻字内容が若干異なる 2
写真 勢野東の道標 せやひがし (生駒)三郷町 <奈良街道・信貴山参道> 石道標(駒型) 高261㎝ 文政2(1819)   町教委 原位置 (正面)「信貴山毘沙門天道」、(右面)「是より 二町西に本道進立石阿り」 1
写真 立野北の道標 たつのきた (生駒)三郷町 <信貴山参道> 石道標(尖頭角柱) 高64㎝,幅29㎝ 文久2(1862)   町教委 原位置 (正面)「左、たつた川/法隆寺」、(左面)「右、志ぎ山/す久 左可い」
(=堺)
1
写真 信貴山町石(二十五町)1 しぎさん (生駒)三郷町 <信貴山参道> 町石 高90㎝,幅17㎝ 宝永5(1708)   町教委 昭和63川中から発見→再建立 上醍醐の町石群は、山麓から信貴山門に向けて建立/(正面)「(梵字)二十五町 信貴山」 2
写真 信貴山町石(二十五町)2 しぎさん (生駒)三郷町 <信貴山参道> 町石(常夜灯) 高124㎝,幅24㎝ 寛政12(1800)   町教委 原位置 (正面)「(梵字)廿五丁 信貴山」/頂部に正方形の火袋開口部 1
写真 信貴山町石(三十二町) しぎさん (生駒)三郷町 <信貴山参道の大坂参道・堺参道分岐> 町石
(常夜灯、道標兼)
高85㎝,幅24.5㎝ 寛政11(1799)   町教委 移設/下部埋設 (正面)「(梵字)三十二町」〔資料によれば、この下部に「信貴山、右 大さか/左 さかい、みち」と刻字されている〕/頂部に正方形の火袋開口部 2
写真 寶壽橋 ほうじゅ (生駒)平群町 朝護孫子寺・参道 石桁橋 (4G) 江戸期   WEB(宮様の石橋) 石橋脚(2本柱)の上部を鋼材で補強→幅広の割に2本橋脚なので耐性に不安があったためか? 社寺の参道橋の割には、橋面石を置かない最も単純な形式/背の高い2本橋脚の4径間は石桁橋としては限界に近いが、重量のある擬宝珠付きの雲形の開口部をもつ高欄を載せる/橋台の石積は明らかに江戸期 2
写真 福貴の太神宮常夜灯1 ふき (生駒)平群町 (栗坪) 石常夜灯 高1.52m 天保2(1831)   平群谷p27 移設 (竿正面)「太神宮」、(竿左面)「春日社/八幡宮」、(台石正面)「お/か/気(?)」/江戸時代に流行した“お蔭参り”を直接示す遺構 2
写真 上庄の太神宮常夜灯 かみしょう (生駒)平群町   石常夜灯 高1.94m 天保5(1834)   平群谷p14 原位置? (竿正面)「天照皇太神宮」、(同右)「八幡大菩薩」、(同左)「春日大明神」、(左面)「爲五穀成就」 1
写真 平等寺の太神宮常夜灯 びょうどうじ (生駒)平群町 西入口 石常夜灯 高1.96m 天保5(1834)   平群谷p19 原位置 (中台正面)「大/神/宮」/下記の「愛宕山常夜灯」と同じ基壇上に並ぶ 1
写真 平等寺の愛宕山常夜灯 びょうどうじ (生駒)平群町 西入口 石常夜灯 高1.96m 天保5(1834)   平群谷p19 原位置 (中台正面)「愛/宕/山」/上記の「太神宮常夜灯」と同じ基壇上に並ぶ 1
写真 福貴の太神宮常夜灯2 ふき (生駒)平群町 (森垣内) 石常夜灯 高1.64m 慶応4(1868)   平群谷p26   (竿正面)「太神宮」/台石正面「お/か/げ」/江戸時代に流行した“お蔭参り”を直接示す遺構  
写真 福貴畑の道標1 ふきはた (生駒)平群町 十三峠 石道標(自然石) 高49㎝,幅28㎝,厚17㎝ 元禄2(1689)   町教委/平群谷p30 移設(基部露出)/中央で斜めに折損→修復 (正面中央)「本う里うじ道」、(同右)「右 たツ田」、(同左)「左 …」/「
二己巳年十」→元禄2と推定されている(寛延2(1749)の可能性も)→17世紀の道標
3
写真 久安寺の地蔵道標1 きゅうあんじ (生駒)平群町 五本松 石道標(舟型) 高84㎝,幅37㎝ 元禄11(1698)   平群谷p46 移設/石室内 (光背右)「右 立田みち」/光背中央に地蔵立像を陽刻/17世紀の道標 2
  福貴畑の題目塔道標 ふきはた (生駒)平群町 (高峯) 石道標(尖頭角柱) 高54㎝,幅22㎝,厚10㎝ 享保9(1724)   町教委/平群谷p29 原位置? (正面中央)「右、たつ田ミち/ほうりうじ」、(同左)「左 きい道」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻 1 -
写真 梨本の如意輪観音像道標 なしもと (生駒)平群町 戒国寺・付近 石道標(丸彫) 高126㎝ 明和3(1766)   平群谷p15 移設/覆屋内 (台石正面中央左)「北 本うさんじ/東 まつの方/南 志ぎさん」/台石上に光背付の如意輪観音の半跏坐像(蓮の蕾、蓮台)を載せる 2
写真 信貴畑の十一面観音像道標 しぎはた (生駒)平群町 (丸尾) 石道標(舟型) 高132㎝ 明和6(1769)   平群谷p44 移設/覆屋内 (光背左)「左 米尾山」/光背中央に十一面観音立像を陽刻/十一面観音像は稀 2
写真 久安寺の地蔵道標2 きゅうあんじ (生駒)平群町 北垣内・北 石道標(舟型) 高125㎝ 明和6(1769)   平群谷p47 移設/覆屋内 (光背右)「右 松尾 立田」、(光背左)「左 のみち」/光背中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)を陽刻 2
写真 信貴山の道標1 しぎさん (生駒)平群町 本堂・付近 石道標(尖頭角柱) 高115㎝,幅19㎝,厚18㎝ 文化8(1811)   平群谷p40 移設 (正面)「右、八尾 平野/大坂 さ可い、道」、(左面)「左、たつた 法里うし/奈ら 者せ(?)、道」、(裏面)「たへま とふのみね/よしの山上道」 2
写真 椿井の道標 つばい (生駒)平群町 (橋本) 石道標(尖頭角柱) 高166㎝,幅36㎝ 弘化4(1847)   平群谷p32-33 近接移設? (正面)「南 春く、松尾 や多 生駒/岩船越 八王多、道」、(右面)「東 春く、古しき塚 十三越/八尾 ひら野 大坂、道」、(左面)「西 春く、堂川多 法隆寺/郡山 なら 初瀬、道」(=立田)、(裏面)「北」 1
写真 越木塚の題目塔道標 こしきづか (生駒)平群町 <十三街道> 石道標 高95㎝,28㎝角 嘉永5(1852)   町教委
/平群谷p36-37
移設 (正面右)「右 十三とふげ」、(同左)「左 志やうかちかみ」(=消渇神社)、
(右面)「右 志やうかち可ミ/左 たつ多」/正面中央に「江戸ケ崎 乙吉」と陰刻(この付近に住んでいた相撲取り)
2
写真 信貴畑の絵入り道標 しぎはた (生駒)平群町 福蔵寺・門前 石道標 高89㎝ 安政2(1855)   町教委/平群谷p43 原位置? (正面右)「十三峠 古しき塚」、(正面左)「生駒山 (瓢箪の絵)山 大坂」→東大阪市の絵入り道標と同じ表現〔瓢箪の絵と“山”で、「瓢箪山」を表す〕 1
写真 信貴山の絵入り道標 しぎさん (生駒)平群町 本堂・付近 石道標(蒲鉾型) 高115㎝ 安政2(1855)頃?   平群谷p40 移設 (正面)「左、をく乃いん/米尾山へ 十三丁、生駒十三越 木塚/(瓢箪の絵)山 八尾 大坂」、(裏面)「是より おく乃いん江 十五丁」→上の「信貴畑の絵入り道標」と類似しているので、紀年銘はないが同時代と推定される 2
写真 鳴川の絵入り道標 なるかわ (生駒)平群町 千光寺 石道標 高115㎝,幅17㎝ 安政2(1855)頃?   平群谷p4 移設 (正面)「左すぐ (瓢箪の絵)山 近道」→上の「信貴畑の絵入り道標」と類似しているので、紀年銘はないが同時代と推定される 2
写真 福貴畑の道標2 ふきはた (生駒)平群町 西庄・墓地 石道標(尖頭角柱) 高93㎝,21㎝角 安政2(1855)   町教委/平群谷p28 移設、集約 (正面)「右、信貴山 米尾山/毘沙門天王出現所、七丁」、(左面)「た津多 法里うじ/奈良 いせ道」 3
写真 平等寺の道標 びょうどうじ (生駒)平群町 西入口 石道標 高120㎝,幅25㎝ 万延元(1860)   平群谷p19 移設? (正面)「右 松尾 矢田 郡山」、(左面)「右 龍田 法隆寺/左 生駒 宝山寺」、(裏面)「すぐ 志ぎ山 大坂」 2
写真 越木塚の道標 こしきづか (生駒)平群町   石道標(自然石)   文久3(1863)   鈴木進 原位置 (正面)「右 い古ま道」 1
写真 梨本の題目塔道標 なしもと (生駒)平群町 (辻) 石道標(自然石) 高100㎝,幅46㎝ 江戸末期   平群谷p15-16 原位置 (正面右端)「右 松尾」、(同左端)「左 生駒」/中央に「豊竹頼太夫」(江戸末期にこの辺りに住んでいた浄瑠璃の師匠)と陰刻 1
写真 福貴畑の道標3 ふきはた (生駒)平群町 十三峠直下 石道標(自然石) 高127㎝,幅70㎝,厚30㎝ 江戸期   平群谷p30 原位置 (正面)「右 大坂」、(左面)「左 ひらの 住吉」/正面の下部に「大和屋/仁兵衛」と刻字→姓がないのは江戸期の可能性 1
写真 福貴畑の道標4 ふきはた (生駒)平群町 十三峠 石道標(駒型) 高122㎝,幅23.5㎝ 江戸期   町教委/平群谷p30 移設 (正面)「右 松尾道」/十三峠より福貴畑西庄、三里をへて松尾寺へ至る近道を示したもの/正面最下部に「大坂取次、山田屋栄助/伊勢屋栄助/武田源七」と刻字→姓がないのは江戸期の可能性 2
  信貴山の道標2 しぎさん (生駒)平群町 千手院・前 石道標 高100㎝,幅20㎝ 江戸期   平群谷p39-40 移設 (正面右)「右 大坂」、(同左)「左、たつた/ほうりゅうじ」 2
写真 西宮の題目塔道標 にしのみや (生駒)平群町 黒元橋・北東 石道標(自然石) 高74㎝,幅55㎝ 江戸期   平群谷p33 移設(C舗装、下部埋設) (正面右)「右 いこま 松尾」、(同左)「左 十三 大坂」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻/「大坂」の標記は江戸期の可能性 2 -
写真 福貴畑の一石一尊十三仏
(弥勒)道標
ふきはた (生駒)平群町 (片福貴)<福貴畑~信貴畑奥の院~朝護孫子寺> 石道標(駒型) 高72㎝,幅26㎝ 室町時代?→江戸期?   町教委/平群谷p29 原位置 (正面像下)「右 十三/左 米尾」/頂部に一本線、その下を光背型に削りこみ弥勒菩薩坐像を陽刻/十三仏の一体ずつを刻んだ道標群(5基が現存)/仏身の方が文字よりもやや風化進んでいるようにも見え、一石一尊十三仏を道標に転用した可能性も高い/石仏の専門家の見解によると室町時代頃の築造と推定される 1
写真 信貴畑の一石一尊十三仏
(大日)道標
しぎはた (生駒)平群町 (丸尾)福貴畑~信貴畑奥の院~朝護孫子寺 石道標(駒型) 高116㎝,幅25㎝ 室町時代?→江戸期?   町教委/平群谷p29 近接移設?(基部露出)/上部で水平に折損→簡単に修復 (正面像下)「右 十三/左 米尾」/頂部に一本線、その下を光背型に削りこみ大日如来坐像を陽刻/同上 2
写真 福貴畑の一石一尊十三仏
(阿弥陀)道標
ふきはた (生駒)平群町 (片福貴)福貴畑~信貴畑奥の院~朝護孫子寺 石道標(駒型) 高81㎝,幅26㎝ 室町時代?→江戸期?   町教委/平群谷p29 移設/3基並んで立つ
〔写真の左端の道標〕
(正面像下)「すぐ 米尾/すぐ 十三」/頂部に一本線、その下を光背型に削りこみ阿弥陀如来坐像を陽刻/同上 2
写真 福貴畑の一石一尊十三仏
(地蔵)道標
ふきはた (生駒)平群町 (片福貴)福貴畑~信貴畑奥の院~朝護孫子寺 石道標(駒型) 高94㎝,幅23㎝ 室町時代?→江戸期?   町教委/平群谷p29 移設/3基並んで立つ
〔写真の右端の道標〕
(正面像下)「右 十三/左 米尾」/頂部に一本線、その下を光背型に削りこみ地蔵坐像を陽刻/同上 2
写真 福貴畑の一石一尊十三仏
(観音)道標
ふきはた (生駒)平群町 (片福貴)福貴畑~信貴畑奥の院~朝護孫子寺 石道標(駒型) 高61㎝,幅23㎝ 室町時代?→江戸期?   町教委/平群谷p29 移設/3基並んで立つ
〔写真の中央の道標〕
(正面像下)「左 十三/右 米尾」/頂部に一本線、その下を光背型に削りこみ観音菩薩坐像を陽刻/同上 2
写真 大井手用水 おおいで (生駒)平群町 竜田川→竜田川 用水路 長約3㎞ 平安時代後半~鎌倉時代   町教委 大規模な修復→C護岸化 建設年代の推定は、文献によるものではなく、長屋王墓西側の発掘調査の結果/水利権は最下流の椿井村が最優先であり、整備に在地勢力の優劣が反映していた 4
写真 椿井 つばい (生駒)平群町   石積井戸   古代?   WEB Cブロック建屋内/石階段付き 聖徳太子と平群神手将軍が、物部守屋を征伐する際に苦戦→将軍がこの地に椿の杖を突きたて戦勝を祈願すると一夜にして杖が芽吹き葉が茂り傍らから冷泉が湧き出したという伝承のある井戸 3
      (宇陀)曽爾村                    
写真 神末の太神宮常夜灯 こうずえ (宇陀)御杖村 御杖神社・北400m
<伊勢本街道>
石常夜灯   文政9(1826)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」、(中台正面)「兩/宮」/中台に簡単な浮彫り/石基壇なし/下記の「神末の道標2」と並ぶ 1
写真 菅野の太神宮常夜灯 すがの (宇陀)御杖村 御杖村役場・北東100m
<伊勢本街道・菅野宿>
石常夜灯   天保3(1832)   WEB(宮様の石橋) 移設? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし/下記の「菅野の道標」と並ぶ 2
写真 神末の道標1 こうずえ (宇陀)御杖村 佐田峠<伊勢本街道> 石道標(自然石) 高95㎝,幅50㎝ 延享4(1747)前後   WEB(宮様の石橋)/WEB(北伊勢の道標) 移設? (正面)「者せゟ是迠九里/是ゟ宮川迠十二里廿一丁」/正面左下隅「願主/行悦」とあることから、僧行悦が長谷寺~伊勢宮川間に建てた道標群(9基残る)の1つ 2
写真 菅野の道標 すがの (宇陀)御杖村 御杖村役場・北東100m
<伊勢本街道・菅野宿>
石道標(駒型) 高153㎝,幅37㎝,厚28㎝ 江戸期?   WEB(宮様の石橋) 移設? (正面)「左 いせミち」、(左面)「右 者せミち」/「ミち」の標記は江戸期の可能性/上記の「菅野の太神宮常夜灯」と並ぶ 2
写真 神末の道標2 こうずえ (宇陀)御杖村 御杖神社・北400m
<伊勢本街道>
石道標 高100㎝,幅31㎝,厚26㎝ 江戸期?   WEB(宮様の石橋)/WEB(北伊勢の道標) 原位置? (正面)「右 いせミち」/「ミち」の標記は江戸期の可能性/上記の「神末の太神宮常夜灯」と並ぶ 1 -
写真 畠田の太神宮常夜灯 はたけだ (北葛城)王寺町 小黒公民館・南40m 石常夜灯   嘉永2(1849)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」、(2段目台石正面)「村/中/安/全」、(竿左面)「御領主御武運長久」/石基壇なし 1
写真 本町の道標1 ほん (北葛城)王寺町 本町の道標2の北100m 石道標 高55㎝,幅27㎝,厚19㎝ 文政3(1820)   WEB(宮様の石橋) 下部埋設 (正面)「春ぐ たる…」、(右面)「左 たゑ満…」 2 -
写真 本町の道標2 ほん (北葛城)王寺町 池之原会館・東40m 石道標 高109㎝(うち、台石28㎝),幅33㎝,厚31㎝ 天保4(1833)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「すぐ、たるまし/多川多/ほう里うし/奈ら、道」(=龍田) 1
写真 元町の地蔵道標 もと (北葛城)王寺町 烏山公園・東50m 石道標(駒型) 高72㎝,幅18㎝,厚15㎝ 弘化4(1847)   WEB(宮様の石橋) 移設?/中央で水平に折損→修復 (正面像下)「右 田原本 者せ」、(右面)「すぐ 大阪 堺」(江戸期だが「大阪」の標記)/正面頂部に地蔵立像(蓮台)の陽刻 2
写真 長楽の道標 ちょうらく (北葛城)河合町 <曽我川・左岸堤> 石道標(尖頭角柱)   嘉永4(1851)   WEB 再移設→原位置近く (正面)「すぐ 堂つ多 法里うじ/右へ壹丁ゆき なら 郡山」、(右面)「右、たつ多/法里うじ、左、堂可多/かうや/たへま」(=高田)、(左面)「すぐ、可うや/堂可多/多へま、左 橋渡、いせ/者せ」 2
写真 薬井 くすりい (北葛城)河合町   石井戸   7世紀?   町教委   弘法大師が眼を患った人を気の毒に思い「ここを掘り湧き出す水で眼を洗いなさい」と教えらたとの伝承/井戸脇⇒粗加工の平石を四角に置いただけのもの(斑鳩町の「三井」と類似) 2
      (北葛城)上牧町                    
写真 弁財天の題目塔道標 べんざいてん (北葛城)広陵町 広陵北小学校・南東500m 石道標(自然石) 高116㎝(うち、台石約20㎝),幅約75㎝,厚約30㎝ 文政3(1820)   WEB(宮様の石橋) 移設 (右面)「右 那良 かうり山/左 法里うじ 立田」(=奈良,郡山,法隆寺,龍田)
、(左面)「右 たま/春ぐ、た可多/かうや」(=すぐ,高田,高野)/正面に「豐升信太夫」と陰刻
2
写真 古寺の道標 こでら (北葛城)広陵町 古寺環濠集落 石道標 高103㎝,21㎝角 文政8(1825)   WEB(宮様の石橋) 移設? (正面)「左 可ふり山 なら 京道」、(右面)「右 たつの ほうりうじ道」、(左面)「右 古うや 山上 たか多/左 みわ 者せ よしの、道」 2
写真 広瀬の供養塔道標 ひろせ (北葛城)広陵町 林口公民館・東50m 石道標(尖頭角柱) 高78㎝,24㎝角 安政2(1855)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/下部埋設 (右面)「右、たつ多 ほう里…/志き 大…」、(左面)「左、八木/大みわ」/正面に「大峯/山上、奉供養三拾三…」と陰刻 2
写真 百済の地蔵道標 くだら (北葛城)広陵町 曽我川・西50m 石道標 高107㎝,幅35㎝,厚25㎝ 文久元(1861)   田原本の歴史4p102
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移設 (左面)「すぐ、みわ/者せ、道」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵坐像(蓮台)を陽刻 2
写真 南郷環濠集落 なんごう (北葛城)広陵町 南郷 環濠集落(居館型) 550m×700m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 町の「水緑景観モデル事業」により環濠を整備→歴史性を忘れた修景整備(濠の意図的なジグザグ化、土塁の破壊など) 県下最大の環濠集落⇒環濠内部には7つの垣内(市場、庄ノ垣内、小路、田井中、園、奥ノ垣内、北ノ垣内)がある/在地武士・南郷氏(当初・箸尾氏→戦国期は動静不明)/江戸期に入り、中世居館跡に北見氏が代官陣屋を構えた 2 写真
  二条環濠集落 にじょう (北葛城)広陵町 百済 環濠集落 150m×100m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路はロの字型に残るが、すべてC化/南・西側は農業用水路化 真宗寺院の真宗寺を中心として成立した環濠集落→地侍・百済氏(箸尾氏)の拠点 3
写真 古寺環濠集落 こでら (北葛城)広陵町 古寺 環濠集落(惣村型) 160m×180m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 西・北側はC水路、東側は道路化 箸尾氏の支配下 4
写真 吐田の太神宮常夜灯 はんだ (磯城)川西町 南吐田公民館・南東100m 石常夜灯   慶応2(1866)   WEB(宮様の石橋) 原位置/写真の左側の常夜灯 (竿正面)「愛宕大權現」/石基壇なし/下記の「吐田の愛宕常夜灯」と並ぶ 1
写真 吐田の愛宕常夜灯 はんだ (磯城)川西町 南吐田公民館・南東100m 石常夜灯   慶応2(1866)   WEB(宮様の石橋) 原位置/写真の右側の常夜灯 (竿正面)「愛宕大權現」/石基壇なし/上記の「吐田の太神宮常夜灯」、下記の「吐田の道標」と並ぶ 1
写真 吐田の道標 はんだ (磯城)川西町 南吐田公民館・南東100m 石道標 高129㎝,幅23㎝,厚18㎝ 安政2(1855)   WEB(宮様の石橋) 原位置?/下部で水平に折損→修復 (正面)「右 郡山 奈ら 京/左 法里うじ 立田 大坂、道」、(右面)「左 たか多 吉野道」/上記の「愛宕常夜灯」と並ぶ 1
  唐院環濠集落 とういん (磯城)川西町 唐院 環濠集落 250m×150m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 南側(C水路)以外は消滅 興福寺・衆徒の唐院氏(箸尾氏)の本拠地 4
写真 大門中の太神宮常夜灯 だいもんなか (磯城)田原本町 大門中・大門東の境界 石常夜灯   明和8(1771)   町教委(田原本の歴史5p64) 若干南に移動 (中台正面)「太/神/宮」/石基壇なし 1
写真 多の太神宮常夜灯 おお (磯城)田原本町 多公民館 石常夜灯   安永2(1773)   町教委(田原本の歴史5p77) 原位置 (竿正面)「大神宮」/石基壇なし 1
写真 八尾の太神宮常夜灯1 やお (磯城)田原本町 鏡作神社・東50m 石常夜灯   安永2(1773)   町教委(田原本の歴史5p110) 原位置 (中台正面)「太/神/宮」/常夜灯の規模に比べて大きな石基壇 1
写真 八尾の太神宮常夜灯2 やお (磯城)田原本町 安養寺橋・西詰 石常夜灯   安永2(1773)   町教委(田原本の歴史5p116) 移設 (中台正面)「太/神/宮」/低く広い石基壇(移設なので当初形態は不明) 2
写真 味間の太神宮常夜灯1 あじま (磯城)田原本町 西福寺・前 石常夜灯   安永6(1777)   町教委(田原本の歴史5p92) 原位置 (中台正面)「太/神/宮」/石基壇なし 1
写真 法貴寺の太神宮常夜灯1 ほうきじ (磯城)田原本町 法貴寺公民館・東 石常夜灯   寛政年間(1789-1801)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「太神宮」/笠・火袋・中台が6角形、竿が円柱→この地域では稀な形態 2
写真 西井上の太神宮常夜灯 にしいね (磯城)田原本町 消防倉庫・東 石常夜灯   寛政3(1791)   町教委(田原本の歴史5p107) 原位置 (中台正面)「大/神/宮」/低い石基壇 1
写真 新町の太神宮常夜灯1 しん (磯城)田原本町 町役場・北西100m 石常夜灯   寛政6(1794)   町教委(田原本の歴史5p66-67) 2度移設 (竿正面)「兩皇太神宮/天滿宮、常夜灯」/石基壇あり 2
写真 新町の太神宮常夜灯2 しん (磯城)田原本町 妙勝寺・北60m 石常夜灯   寛政7(1795)   町教委(田原本の歴史5p68) 原位置 (中台正面)「太/神/宮」/低く広い石基壇 1
写真 阪手の太神宮常夜灯 さかて (磯城)田原本町 八阪神社・北のY字路 石常夜灯   寛政7(1795)   町教委(田原本の歴史5p108) 原位置/石基壇上にC打設 (中台正面)「太/神/宮」/低く広い石基壇 1
写真 法貴寺の太神宮常夜灯2 ほうきじ (磯城)田原本町 小川宅・前 石常夜灯   寛政8(1796)   町教委(田原本の歴史5p119) 原位置 (竿正面)「太神宮」、(2段目台石左面)「石工/佐保庄村/儀助」/高い石基壇 1
写真 東井上の太神宮常夜灯 ひがしいね (磯城)田原本町 極楽寺・東100m 石常夜灯   寛政11(1799)   町教委(田原本の歴史5p106) 原位置 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし/下記の「東井上の愛宕常夜灯」と並ぶ 1
写真 東井上の愛宕常夜灯 ひがしいね (磯城)田原本町 極楽寺・東100m 石常夜灯   寛政11(1799)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「愛宕大權現」/石基壇なし/上記の「東井上の太神宮常夜灯」と並ぶ 1
写真 為川北方の太神宮常夜灯 ためがわほっぽう (磯城)田原本町 為川北方公民館・西 石常夜灯   寛政11(1799)   町教委(田原本の歴史5p105) 原位置/地震で破損した笠と竿を更新 (竿正面)「太神宮」、(2段目台石裏面)「石工/佐保庄村/儀助」/1段のみの石基壇 2
写真 平田の太神宮常夜灯 ひらた (磯城)田原本町 平田橋・西詰 石常夜灯   文化4(1807)   町教委(田原本の歴史5p99) 原位置 (竿正面)「太神宮」/高い石基壇 1
写真 蔵堂の太神宮常夜灯1 くらどう (磯城)田原本町 須佐之男神社 石常夜灯   文化4(1807)   町教委(田原本の歴史5p103) 移設 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし/下記の「蔵堂の愛宕山常夜灯」と並ぶ 2 -
写真 蔵堂の愛宕山常夜灯 くらどう (磯城)田原本町 須佐之男神社 石常夜灯   文化4(1807)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「愛宕山大權現」/石基壇なし/上記の「蔵堂の太神宮常夜灯1」と並ぶ 2 -
写真 秦庄の太神宮常夜灯1 はたのしょう (磯城)田原本町 笠縫駅・北東のT字路 石常夜灯   文化7(1810)   町教委(田原本の歴史5p76) 原位置/周囲を壁で囲む/昭和60の段階では毎晩交代で灯を点していた (竿正面)「太神宮」、(竿右面)「春日大明神」、(竿左面)「金毘羅大權現」/石基壇なし 1
写真 八田の太神宮常夜灯1 はった (磯城)田原本町 西方寺・門前 石常夜灯   文化8(1811)   町教委(田原本の歴史5p124) 移設 or 門前改修に伴う再設置 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 2 -
写真 大木の太神宮常夜灯 おおぎ (磯城)田原本町 大木公民館・前 石常夜灯   文化9(1812)   町教委(田原本の歴史5p98) 移設?/保存状態悪い (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 2
  千代の太神宮常夜灯 ちしろ (磯城)田原本町 市杵島姫神社 石常夜灯   文化9(1812)   町教委(田原本の歴史5p97) 移設/昭和60の段階では毎晩交代で灯を点していた (竿正面)「太神宮」、(上段台石左面)「石工/俵本/佐兵衛」/石基壇なし 2
写真 味間の金毘羅常夜灯 あじま (磯城)田原本町 味間公民館・北の十字路 石常夜灯   文化10(1813)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (中台正面)「金/毘/羅」、(竿正面)「大權現」/石基壇なし 1
写真 八尾の太神宮常夜灯3 やお (磯城)田原本町 仲宅・前の十字路 石常夜灯   文化10(1813)   町教委(田原本の歴史5p111) 原位置 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし/八尾集落の環濠の南東隅・外側 1
写真 蔵堂の太神宮常夜灯2 くらどう (磯城)田原本町 村屋神社・東 石常夜灯   文化12(1815)   町教委(田原本の歴史5p94) 移設 (竿正面)「大神宮」/石基壇なし/下記の「蔵堂の金毘羅常夜灯」と並ぶ 2 -
写真 蔵堂の金毘羅常夜灯 くらどう (磯城)田原本町 村屋神社・東 石常夜灯   文化12(1815)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「金毘羅大權現」/石基壇なし/上記の「蔵堂の太神宮常夜灯2」と並ぶ 2 -
写真 新町の金毘羅常夜灯 しん (磯城)田原本町 上記の「新町の太神宮常夜灯」の西70m 石常夜灯   文政2(1819)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿右面)「金毘羅大權現」、(竿左面)「象頭山」/石基壇なし 2
写真 味間の太神宮常夜灯2 あじま (磯城)田原本町 東味間地蔵堂・前のT字路 石常夜灯   文政13(1830)   町教委(田原本の歴史5p90) 移設? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 2
写真 新地寺川堤防上の太神宮常夜灯 しんちてら (磯城)田原本町 新地寺川(左岸)/田原本中学校・東南東50m 石常夜灯   文政13(1830)   町教委(田原本の歴史5p71) 10mほど移動/自動車事故で笠を更新 (竿正面)「大神宮」/石基壇なし 2
写真 大網の太神宮常夜灯 おおあみ (磯城)田原本町 堀川タバコ店前の十字路 石常夜灯   天保2(1831)   町教委(田原本の歴史5p79) 原位置/宝珠が地震で一部欠損 (竿正面)「太神宮」、(竿左面)「御城主様御武運長久」、(最上段台石正面)「邑/中/安/全」、(同裏面)「南部/石工/林蔵」/中台に装飾的浮彫り/石基壇なし 1
写真 八田の太神宮常夜灯2 はった (磯城)田原本町 常寶寺・門前 石常夜灯   天保2(1831)   町教委(田原本の歴史5p123) 原位置? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
  根太口の太神宮常夜灯1 ねぶとぐち (磯城)田原本町 松原宅・前 石常夜灯   天保4(1833)   町教委(田原本の歴史5p102) 原位置? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
写真 法貴寺の金毘羅常夜灯 ほうきじ (磯城)田原本町 西誓寺・東50m 石常夜灯   天保8(1838)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「金毘羅大權現」/石基壇なし 1
写真 根太口の太神宮常夜灯2 ねぶとぐち (磯城)田原本町 田原橋・西詰 石常夜灯   天保11(1840)   町教委(田原本の歴史5p69) 原位置 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
写真 祇園町の太神宮常夜灯 ぎおん (磯城)田原本町 津島神社 石常夜灯   嘉永3(1850)   町教委(田原本の歴史5p65) 移設 (竿正面)「大神宮」、(中台正面)「住/吉」、(最上段台石正面)「袋屋講中」/低い石基壇 2
写真 秦庄の太神宮常夜灯2 はたのしょう (磯城)田原本町 春日神社・前 石常夜灯   安政5(1858)   町教委(田原本の歴史5p75) 2度移設 (竿正面)「太神宮」/台石1段のみ(小規模) 2 -
写真 宮古の太神宮常夜灯 みやこ (磯城)田原本町 宮古池・西のT字路 石常夜灯   安政5(1858)   町教委(田原本の歴史5p112) 原位置? (竿正面)「太神宮」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし 1
写真 佐味の太神宮常夜灯 さみ (磯城)田原本町 佐味公民館・東50m 石常夜灯   元治2(1865)   町教委(田原本の歴史5p80) 原位置?/やや傾いている/火袋に木格子 (竿正面)「太神宮」、(上段台石正面)「村/中/安/全」/石基壇なし 1
写真 保津の太神宮常夜灯 ほつ (磯城)田原本町 鏡作伊多神社・北すぐ 石常夜灯   慶応3(1867)   町教委(田原本の歴史5p89) 原位置?/周囲をCブロックで囲む (竿正面)「太神宮」、(竿右面)「御領主長久/村内安全」/石基壇なし 2
  為川南方の供養塔道標 ためがわなんぽう (磯城)田原本町 西田モータース横・初瀬川堤防上 石道標(駒型) 高52㎝,幅23㎝,厚17「㎝ 寛保元(1741)、
延享3(1746)
  町教委(田原本の歴史4p107-108) 移設 (左面右)「寛保酉年/右ハ ならみち」、(同左)「延享寅年/左ハ かう里山」/正面に「奉 四國遍路供」、その右下に「享保八年」と陰刻→享保8(1723」に供養塔が建立され、その後、寛保元と延享3に道しるべの部分が追刻されたと見るのが自然 2 -
写真 味間町の道標1 あじま (磯城)田原本町 鍵岡薬局・前の十字路 石道標 高107㎝,幅24㎝,厚25㎝ 寛政元(1789)
or 寛政11(1799)
or 天保10(1839)?
  町教委(田原本の歴史4p95)/現地解説板 頂部欠損/上1/3で折損→修復/右面が電柱に接近/下部埋設→「持ち上げ」工事で刻字が見えるように (正面)「… 龍田 法隆寺 大坂」、(右面)「…く、大峰 吉野 高野/伊勢 初瀬 三輪」、(左面)「…く 京 奈良 郡山」/裏面に「…己春、ぬしや/建立、長二郎」とある→寛政5(1793)銘の常夜灯に「塗師屋長治郎」とある→同一人物とすれば近くの年で己の入ったものは寛政元か寛政11、現地解説板では「子孫か」として天保10とするが、文化6、文政2・12など己の入った年は多く、なぜ特定できるのかは疑問 2
写真 八尾の道標 やお (磯城)田原本町 安養寺・前 石道標(尖頭角柱) 高126.5㎝,23㎝角 文化元(1804)   町教委(田原本の歴史4p109) 原位置? (正面)「(梵字)右 京 奈ら 郡山/左 法里うし 大坂 さ可い、道」、(右面)「(梵字)左、大峯山上/よしの かうや、道」、(左面左)「右 み王 者せ」 1
写真 唐古の廻国塔道標 からこ (磯城)田原本町 唐古公民館・西100m余 石道標 高80㎝,幅24㎝,厚23㎝ 文化11(1814)   町教委(田原本の歴史4p113) 原位置 (正面左端)「右 在所ミち」、(左面)「左 なら こうり山道」、(裏面)「すく/よし乃/かうや道」/正面に「奉納太□□十六迹日本廻國」と陰刻 1
写真 味間町の道標2 あじま (磯城)田原本町   石道標 高105.5㎝,幅25.5
㎝,厚26㎝
文化11(1814)   町教委(田原本の歴史4p119) 平成24復元(オリジナルは個人宅に移設) (正面)「左、たつ田/ほふ里うじ/大阪」、(右面)「すぐ、大峯山/与し野/かう野」、(左面)「すぐ、京/なら/郡山」/天保期で「大阪」の標記は稀 5
  大安寺の題目塔道標 だいあんじ (磯城)田原本町 加藤宅・前の交差点 石道標(自然石) 高86㎝,幅36㎝,厚32㎝ 文政8(1825)   町教委(田原本の歴史4p99) 移設? (正面右)「右 さい志よミち」(=在所)、(左面)「左、田原本/たつた/ほ里うし」/正面中央に「(梵字)子供法界」と陰刻 2
写真 唐古の題目塔道標 からこ (磯城)田原本町   石道標(尖頭角柱) 高78㎝,幅23.5㎝,厚24㎝ 天保3(1832)   町教委(田原本の歴史4p114) 下部埋設 (右面)「春く、よし…/髙…」、(左面)「すく、京/奈…」/正面に「大峯/山上、七十二度」と陰刻  
写真 南町の道標 みなみ (磯城)田原本町 斉藤歯科医院・前のT字路 石道標(尖頭角柱) 高120㎝,31㎝角 天保4(1833)   町教委(田原本の歴史4p93-94)/現地解説板 若干の移動/右面電柱に接近/下部埋設→平成21の「持ち上げ」工事で刻字が見えるように (正面)「右 大峯道」、(同最下部)「吉野/高野」、(右面)「左 京」、(同最下部)「奈良/郡山」 1
写真 蔵堂の題目塔道標 くらどう (磯城)田原本町 村屋神社一の鳥居・前 石道標(尖頭角柱) 高60㎝,幅32.5㎝,厚33㎝ 天保9(1838)   町教委(田原本の歴史4p104-105) 原位置? (右面)「右 かうや道/左 三わ はせ」、(左面左下隅)「三ワ/タツタ、…」、(裏面上部)「東 いせ」/道標の丸くなった天端部の4面に「東西南北」が刻字/正面に「西國同行中家内安全」、左面に「南無佛 三界萬…」と陰刻 1 -
写真 法貴寺の道標 ほうきじ (磯城)田原本町 西誓寺・北北東50m 石道標 高75㎝,幅27㎝,厚22㎝ 天保11(1810)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (正面)「右 三輪 初瀬/左 丹波市 なら、道」、(裏面)「右、法隆寺/大坂、道」 1 -
写真 魚町の道標 うお (磯城)田原本町 本誓寺・北30m 石道標 高132㎝,幅27㎝,厚25.5㎝ 天保13(1842)   町教委(田原本の歴史4p96-97) 数10m移設/下部埋設 (正面)「左、三輪/長谷寺 い声」(=伊勢)、(左面)「右、多川田/法里うし、大阪」(=龍田)/天保期で「大阪」の標記は稀 2
写真 大網の題目塔道標 おおあみ (磯城)田原本町 東口停留所・前の十字路 石道標(尖頭角柱) 高103㎝,幅31㎝,厚28㎝ 嘉永5(1852)   町教委(田原本の歴史4p102) 再建立の際、向きが変わった (正面右端)「右 なら た王ら本 楊本」、(同左端)「すく たつ多 ほうりうじ」、(右面)「右 たつ多 奈ら □□□/すく た可多 たゑま/左 八木 今井、道」、(裏面)「すぐ 今井 八木/左 た王ら本 柳本、道」/正面中央に「大峯山上五拾度」と陰刻 1
  八田の道標 はった (磯城)田原本町 前田宅・前のY字路 石道標(駒型) 高62㎝,幅21㎝,厚18㎝ 安政4(1857)   町教委(田原本の歴史4p) 移設? (正面)「左、たつた/法里うし」、(裏面)「右、はせ/みわ」 2 -
写真 今里の題目塔道標 いまざと (磯城)田原本町 今里橋・西詰堤防下 石道標(蒲鉾型) 高174㎝,幅33.5㎝,厚23㎝ 文久2(1862)   町教委(田原本の歴史4p112-113) 原位置/三宅町との境界上 (右面最下部)「すく、なら/郡山」、(左面中央)「すく、八木/今井」/正面に「本門/八品、南無妙法蓮華経」と陰刻 1
写真 新町の道標 しん (磯城)田原本町 町役場・北70m 石道標 高119㎝,30㎝角 元治元(1864)   町教委(田原本の歴史4p122)/現地解説板 移設→役場庁舎内保管(昭和60当時)→原位置復元か?/下部埋設 (正面)「右 大峰山、与し野/加うや」、(右面)「左り 京、なら/古りやま」 2
写真 三笠の道標 みかさ (磯城)田原本町 三笠停留所・南のT字路 石道標(駒型) 高53㎝,幅19㎝,厚17㎝ 元治元(1864)   町教委(田原本の歴史4p97-98) 移設 (正面)「左 田原本」、(左面)「右 たか田」 2 -
写真 藥王寺の道標 やくおうじ (磯城)田原本町 蓮休寺・前 石道標(尖頭角柱) 高90㎝,幅17㎝,厚17.5㎝ 江戸期?   町教委(田原本の歴史4p98) 原位置 (正面)「蓮如上人御休息地 當寺」、(右面)「すく た王ら本」、(左面)「春く たか多」/「施主 政吉」とあり姓がない→江戸期の可能性 1
写真 大安寺の地蔵道標 だいあんじ (磯城)田原本町 大安寺児童公園 石道標(自然石) 高74㎝,幅32㎝ 江戸期?   町教委(田原本の歴史4p99-100) 移設 (正面像下)「右、田原本/たつ田/法隆寺」、(右面)「すく 三王 者せ」/正面中央を小さく光背型に削り込み地蔵立像(蓮台)を陽刻/建立者が「當村 作次郎」とあり姓がない→江戸期の可能性 2
写真 大門西の廻国塔道標 だいもんにし (磯城)田原本町 津島神社・前 石道標 高63㎝,幅15㎝,厚13.5㎝ 江戸期   町教委(田原本の歴史4p96)/現地解説板 若干の移動/解説板には右面を「初せ/イせ」とミス標記され、拓本まで間違っており無責任 (右面)「すく、み王/者せ」、(左面)「すぐ、大坂 さかい/たかだ」/正面に「西國三十三所」と陰刻/「大坂」の標記は江戸期の可能性 2 -
写真 蔵堂の供養塔道標 くらどう (磯城)田原本町 村屋神社一の鳥居・横 石道標(尖頭角柱) 高55㎝,19㎝角 江戸期?   町教委(田原本の歴史4p104) 移設 (左面)「右 ならみち/左 保う里うし」/正面に「(梵字)四國遍路供養」と陰刻/施主が「森屋村/長五郎」とあり姓がない→江戸期の可能性 2 -
写真 法貴寺環濠集落 ほうきじ (磯城)田原本町 法貴寺 環濠集落 350m×320m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 全て暗渠化・埋立 大型の環濠集落/法貴寺一党の有力武士の居館と推定/筒井派の十市氏寄り 5
写真 保津環濠集落 ほつ (磯城)田原本町 保津
環濠集落(惣村型) 260m×260m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 西側は旧状を留める/他はC水路か暗渠(東側) 大型の環濠集落/箸尾氏方→十市氏方(?) 2
写真 北阪手環濠集落 きたさかて (磯城)田原本町 阪手
環濠集落 240m×105m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 南側はC化されてはいるが広い水面を維持/中世の環濠土塁の稀少な残存例 坂手荘の有力名主は春日神社の神官 2
写真 秦楽寺環濠集落 じんらくじ (磯城)田原本町 秦庄
環濠集落(居館型) 180m×250m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 北・東側はC化されてはいるが広い水面を維持/中世の環濠土塁の稀少な残存例 在地領主の秦楽寺氏は集落内部に境内地を構える秦楽寺の住僧/十市氏に属した 2
  西味間環濠集落 にしあじま (磯城)田原本町 味間
環濠集落(惣村型) 160m×140m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 周囲の水路はC改修された農業用水路/代官屋敷の周囲に江戸期の水路 十市氏の勢力下 3
写真 環濠集落 おお (磯城)田原本町
環濠集落(惣村型) 140m×150m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路は東側を除き残るが、すべてC化/東側は暗渠化 十市氏の勢力下 3
  西竹田環濠集落 にしたけだ (磯城)田原本町 西竹田
環濠集落(惣村型) 150m×140m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路はロの字型に残るが、ほとんどがC化(低湿地だったので深い)   3
写真 矢部環濠集落 やべ (磯城)田原本町 矢部 環濠集落(惣村型) 160m×160m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 北東部の屈曲水路(C改修)に往時の面影がある程度 十市氏の勢力下か? 4
写真 藥王寺環濠集落 やくおうじ (磯城)田原本町 藥王寺 環濠集落
(居館並立型)
120m×130m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 環濠の多くが暗渠化/支環濠のC溝(濠の幅は分かる) 藥王寺氏(箸尾氏)の本拠地 4
写真 金剛寺環濠集落 こんごうじ (磯城)田原本町 金剛寺 環濠集落
(居館並立型)
105m×150m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 北・東側のみC水路、あとは暗渠 金剛寺氏(箸尾氏)の本拠地 4
写真 松本環濠集落 まつもと (磯城)田原本町 松本 環濠集落(惣村型) 100m×120m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 西側のみC水路、あとは暗渠 箸尾氏の勢力下 4
  伴堂の地蔵道標 ともんど (磯城)三宅町   石道標(尖頭角柱) 高77㎝,幅31㎝,厚29㎝ 天保11(1840)   田原本の歴史4p112 原位置? (正面像下)「左、ほう里うし/たつ多」、(左面)「右、たわら本/みわ」、
(裏面)「すく、今井/八木」/道標の天端部の4面に「東西南北」が刻字/正面の上半分に地蔵(?)坐像を浮彫り
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  伴堂環濠集落 ともんど (磯城)三宅町 伴堂
環濠集落(居館型) 200m×360m 室町時代?   WEB(奈良の環濠) 水路はロの字型に残るが、ほとんどがC化(旧状を留めた部分はほとんど埋まっている) 大型の環濠集落/箸尾氏一族の伴堂氏の本拠地 3
写真 越の太神宮常夜灯 こし (高市)明日香村 近鉄飛鳥駅・北東70mの河畔 石常夜灯   文化元(1804)   WEB(宮様の石橋) 原位置 (竿正面)「天照大神宮」(篆書体)/石基壇なし/下記の「越の道標1」と並ぶ 1
写真 平田の金毘羅常夜灯1 ひらた (高市)明日香村 国道169号・飛鳥駅前交差点・東北東100m 石常夜灯   文化元(1804)   WEB(宮様の石橋) 移設 (竿正面)「金毘羅大權現」、(竿右面)「牛頭大王/大峯山上」、(竿左面)「冨士山/秋葉山」、(竿裏面)「天照皇太神宮」/石基壇なし 2
写真 平田の金毘羅常夜灯2 ひらた (高市)明日香村 明日香平田郵便局・西30m 石常夜灯   文化3(1806)   WEB(宮様の石橋) 原位置/台石が一部崩れる (竿正面)「金毘羅大權現」、(竿右面)「牛頭天皇/大峯山上」、(竿左面)「天煚皇神宮」/低い石基壇あり 2
写真 東山の太神宮常夜灯 ひがしやま (高市)明日香村   石常夜灯   文政12(1829)   WEB 原位置?/基部露出 (竿正面)「太神宮常夜燈」/竿と火袋が一体化した角柱 1
写真 真弓の太神宮常夜灯 まゆみ (高市)明日香村 西蓮寺・東南東70m 石常夜灯   天保4(1833)   WEB(宮様の石橋) 原位置? (竿正面)「太神宮」/石基壇あり 1
写真 川原の供養塔道標 かわはら (高市)明日香村 川原寺・南西 石道標(自然石、石英閃緑岩) 高69㎝,幅63㎝,厚30㎝ 寛文13(1673)   村教委(飛鳥の道標p11) 原位置/刻字がかなり磨耗 (正面右)「右 おかみち」、(同左)「左 はセみち」/正面中央に「(梵字)西國卅三番供養」と陰刻/17世紀の道標 1
  平田の道標1 ひらた (高市)明日香村 (下平田) 石道標
(駒型、花崗岩)
高95㎝,幅35㎝,厚13㎝ 天和元(1681)   村教委(飛鳥の道標p14) 原位置 (正面)「右 ざい志やう道/左 おかでらみち」/17世紀の道標 1
写真 上の地蔵道標1 かむら (高市)明日香村   石道標
(舟型、花崗岩)
高90㎝,幅35㎝,厚31㎝ 享保9(1724)   村教委(飛鳥の道標p21) 原位置 (光背左下端)「左 おか観音道」、(右面)「右 あべもんじゅ」、(左面中央)「上ハ たふのみね 高家庄 至」/光背中央に地立像(錫杖、蓮台)を陽刻 1
  島庄の地蔵道標 しましょう (高市)明日香村 飛鳥寺・門前 石道標(花崗岩) 高90㎝,幅35㎝,厚31㎝ 元文3(1738)   村教委(飛鳥の道標p10) 移設/頂部欠損、台石欠損 (正面右下端)「右 よ志の 四り」、(同左下端)「左 たふのミ祢 五十丁」/正面に地蔵立像(錫杖)の上半身像を浮彫り 3
写真 飛鳥の道標1 あすか (高市)明日香村 飛鳥寺・門前 石道標(花崗岩) 高116㎝,幅37㎝,厚20㎝ 寛政4(1792)   村教委(飛鳥の道標p5) 移設 (正面)「飛鳥大佛」 2
写真 越の道標1 こし (高市)明日香村 豊年橋・南東 石道標(尖頭角柱、石英閃緑岩) 高144㎝,幅34㎝,厚26㎝ 寛政8(1796)   村教委(飛鳥の道標p15) 原位置 (正面)「ほう祢ん橋」、(左面)「こんかう山ミち」/上記の「越の太神宮常夜灯」と並ぶ 1
  岡の道標 おか (高市)明日香村 明日香民俗資料館 石道標(花崗岩) 高145㎝,幅27㎝,厚28㎝ 天保14(1843)   村教委(飛鳥の道標p9) 移設 (正面右)「すぐ おか寺 四丁 左 はせ いせ」、(同左)「左、元祖円光大師/廿五霊場第十番、かぐ山 法祢ん寺、是より/十四丁」、(左面)「右 たちばな寺 四丁 つぼさか/すぐ たふのミ祢 よしの」/右面の施主に「大阪」の標記 2
写真 飛鳥の道標2 あすか (高市)明日香村 飛鳥寺 石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高122㎝,幅27㎝,厚10㎝ 天保14(1843)   村教委(飛鳥の道標p6) 移設 (正面)「右 かぐ山 法祢ん寺道」、(同左下)「これより 八丁…」 2
写真 真弓の地蔵道標 まゆみ (高市)明日香村   石道標
(舟型、花崗岩)
高65㎝,幅36㎝,厚30㎝ 嘉永2(1849)   村教委(飛鳥の道標p16) 原位置 (光背右端)「右 土佐道」/光背全面に地蔵立像の陽刻 1
写真 越の道標2 こし (高市)明日香村 越集落 石道標
(笠付き、花崗岩)
高210㎝,27㎝角 安政5(1858)   村教委(飛鳥の道標p15) 原位置 (正面)「右、ち王ら ごせ/古んかうさん、道」、(右面)「左、おかてら 者せ/とふのミ祢 いせ、道」/笠下の火袋にあたる部分の各面を火灯窓型に削り込み、正面に不空羂索観音坐像、右面と左面に地蔵坐像、裏面に聖観音立像を陽刻/笠正面に唐破風 1
  飛鳥の道標3 あすか (高市)明日香村 飛鳥坐神社 石道標(花崗岩) 高80㎝,幅25㎝,厚20㎝ 安政6(1859)   村教委(飛鳥の道標p4) 移設/下部で斜めに折損→修復 (正面)「すぐ 飛鳥大神宮」、(右面)「右 八木 たへま/左 つぼさか」、
(左面)「はせ」
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写真 平田の道標2 ひらた (高市)明日香村 (下平田) 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高228㎝,30㎝角 文久3(1863)   村教委(飛鳥の道標p14) 原位置? (正面)「右 於可寺 はせ いせ、あす可社 かく山/たふのミ祢 あべ、道」、(右面)「左 つぼ坂 加うや山、古んがう山/与しの山上、道」、(左面)「左 奈ら 京 大坂、久米寺 たへま/法里う寺 たつ田、道」 1
写真 細川の道標1 ほそかわ (高市)明日香村   石道標
(石英閃緑岩)
高150㎝,幅30㎝,厚26㎝ 慶応2(1866)   村教委(飛鳥の道標p19) 原位置 (正面)「右 毘沙門天 是より七丁/左 たふのミ祢、道」、(左面)「すぐ をかてら」/下記「細川の道標2」と並ぶ 1
  飛鳥の千手観音像道標 あすか (高市)明日香村 飛鳥寺 石道標(隅丸型、石英閃緑岩) 高115㎝,幅31㎝,厚25㎝ 江戸期?   村教委(飛鳥の道標p7) 移設

(右面)「右 はせ いせ 左 大坂」、(左面)「左 おかてら」、(裏面)「右 おかてら よしの山上 たふのみね」/正面上半分部に千手観音立像の浮彫り/千手観音は稀/「大坂」の標記は江戸期の可能性

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写真 飛鳥の地蔵道標1 あすか (高市)明日香村 飛鳥寺 石道標(舟型自然石、花崗岩) 高120㎝,幅50㎝,厚41㎝ 江戸期?   村教委(飛鳥の道標p6) 移設 (正面像右)「右 圓光大師 十番札所、香久山/法然寺」、(同左)「左 たゑま 大坂道」/正面上部に地蔵立像(錫杖、蓮台)の浮彫り/「大坂」の標記は江戸期の可能性 2
  飛鳥の地蔵道標2 あすか (高市)明日香村   石道標(舟型、石英閃緑岩) 高115㎝,幅50㎝,厚45㎝ 江戸期?   村教委(飛鳥の道標p4) 原位置 (正面像右)「右 ざい志よ道」、(同左)「左 はせ いせ道」、(左面)「右 おか寺 かうや/よしの、道」/正面上部に地蔵坐像の浮彫り/右面に「願主 弥七」→姓がないので江戸期の可能性 1
写真 豊浦の道標 とようら (高市)明日香村 甘樫橋・南西 石道標
(自然石、花崗岩)
高90㎝,幅46㎝,厚20㎝ 江戸期?   村教委(飛鳥の道標p2) 原位置 (正面)「右 たち者"奈道/左 おかミち」/「ミち」の標記は江戸期の可能性 1
写真 小原の地蔵道標 おはら (高市)明日香村   石道標
(舟型、花崗岩)
高85㎝,25㎝角 江戸期?   村教委(飛鳥の道標p8) 原位置 (正面像下)「右 とうげん志"/左 お可てら」、(左面)「右 たふのみ祢」/正面頂部を削り込み地蔵(?)立像(蓮台)を陽刻 1
写真 細川の道標2 ほそかわ (高市)明日香村   石道標(自然石、石英閃緑岩) 高80㎝,幅66㎝,厚24㎝ 江戸期?   村教委(飛鳥の道標p20) 原位置 (正面)「右 びしやもん道」、(同右上)「これより六丁」、(同左)「たふのミ祢 ぬけ道あり」/上記「細川の道標1」と並ぶ 1
写真 平田の如意輪観音像道標 ひらた (高市)明日香村 明日香平田郵便局・東300m 石道標(蒲鉾型)   江戸期?   WEB(宮様の石橋) 原位置 (正面像下)「右、於か/いせ」、(左面)「右、つぼ坂/加うや」/正面上部を光背型に削り込み如意輪観音の半跏坐像(蓮台)を陽刻/「施主 阿す可 きぬや」とあり、江戸期の可能性 1
写真 上の地蔵道標2 かむら (高市)明日香村   石道標
(自然石、花崗岩)
高64㎝,幅102㎝,厚44㎝ 江戸期?   村教委(飛鳥の道標p21) 原位置 (正面右)「右 高家□□」、(同左)「左 たふのみね」/正面中央を光背型に削り込み地蔵立像を陽刻 1
  上の地蔵道標3 かむら (高市)明日香村   石道標
(舟型、花崗岩)
高80㎝,幅39㎝,厚14㎝ 江戸期?   村教委(飛鳥の道標p20) 原位置/頂部欠損 (光背右)「右 たふのみ祢道」/光背中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)の陽刻 2
  奥山の題目塔道標 おくやま (高市)明日香村   石道標(花崗岩) 高61㎝,幅17㎝,厚12㎝ 江戸期?   村教委(飛鳥の道標p3) 原位置? (正面)「右 かぐ山 法祢ん寺」/右面の一部に「大坂」の標記→江戸期の可能性 1 -
  大根田の道標 おおねだ (高市)明日香村 大根田集落・東端 石道標
(自然石、花崗岩)
高51㎝,幅33㎝,厚28㎝ 江戸期?   村教委(飛鳥の道標p18) 移設? (正面)「右 かやのもり/左 いなふち、道」/「大根田村 藤兵衛」→姓がないので江戸期の可能性 2 -
写真 飛鳥水落遺跡 あすか、みずおち (高市)明日香村   水時計(?) 22.5m×22.5m 斉明6(660)以前 国史跡 村教委/WEB 遺跡公園として整備/飛鳥資料館に漏刻を置いていた様子の分かる模型 『日本書紀』の斉明6に「皇太子中大兄が初めて漏刻(水時計)を作り人々に時を知らしむ」という記載がある→この遺構であると推測→他にも、落下式加圧水槽、給水装置など諸説あり/出土土器からは650-660年頃の造営・廃絶/基壇中央のママ石が漏刻台   写真
  香高山の大師町石(二町) こうこうざん (高市)高取町 <壺阪寺~奥ノ院> 町石(尖頭角柱) 高160㎝,幅28㎝,厚23㎝ 慶長9(1604)   町教委   (正面下部)「香高山二町」/頂部を円形に削り込み梵字を陰刻、その下を四角に削り込み大師坐像を陽刻  
  香高山の大師町石(三町) こうこうざん (高市)高取町 <壺阪寺~奥ノ院> 町石(尖頭角柱) 高145㎝,幅22㎝,厚22㎝ 慶長9(1604)   町教委   (正面下部)「香高山三町」/頂部を円形に削り込み梵字を陰刻、その下を四角に削り込み大師坐像を陽刻  
  香高山の大師町石(四町) こうこうざん (高市)高取町 <壺阪寺~奥ノ院> 町石(尖頭角柱) 高101㎝,幅25㎝,厚25㎝ 慶長9(1604)   町教委 下部埋設 (正面下部)「香高山四…」/頂部を円形に削り込み梵字を陰刻、その下を四角に削り込み大師坐像を陽刻  
  香高山の大師町石(五町) こうこうざん (高市)高取町 <壺阪寺~奥ノ院> 町石(尖頭角柱) 高127㎝,幅24㎝,厚21㎝ 慶長9(1604)   町教委   (正面下部)「香高山五町」/頂部を円形に削り込み梵字を陰刻、その下を四角に削り込み大師坐像を陽刻  
  香高山の大師町石(六町) こうこうざん (高市)高取町 <壺阪寺~奥ノ院> 町石(尖頭角柱) 高130㎝,幅22㎝,厚22㎝ 慶長9(1604)   町教委 転倒 (正面下部)「香高山六町」/頂部を円形に削り込み梵字を陰刻、その下を四角に削り込み大師坐像を陽刻  
  香高山の大師町石(七町) こうこうざん (高市)高取町 <壺阪寺~奥ノ院> 町石(尖頭角柱) 高125㎝,幅26㎝,厚21㎝ 慶長9(1604)   町教委   (正面下部)「香高山七町」/頂部を円形に削り込み梵字を陰刻、その下を四角に削り込み大師坐像を陽刻  
  香高山の大師町石(八町) こうこうざん (高市)高取町 <壺阪寺~奥ノ院> 町石(尖頭角柱) 高130㎝,幅23㎝,厚20㎝ 慶長9(1604)   町教委 転倒 (正面下部)「香高山八町」/頂部を円形に削り込み梵字を陰刻、その下を四角に削り込み大師坐像を陽刻  
  北野の道標 きたの (山辺)山添村 ナガヒロ・三ツ辻 石道標   正徳4(1714)   村教委 原位置 (正面)「是より、右は てんのう/左は つきのせ」 1  
  下津の題目塔道標 しもづ (山辺)山添村 <奈良道> 石道標   宝暦9(1759)   村教委   (正面○?)「従是左 だけ みやま ながひき道」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻    
  中之庄の道標 なかのしょう (山辺)山添村 <伊勢道> 石道標   宝暦12(1762)   村教委   (正面)「右 いせ道/左 よしだ道」    
  菅生の道標 すごう (山辺)山添村   石道標   寛政12(1800)   村教委   (正面)「北 てんの道/東 いせ道/南 はせ道」    
  的野の道標 まとの (山辺)山添村 今窪横・三ツ辻 石道標   天保3(1832)   村教委 原位置 (正面)「(梵字)右 まとの/左 なら かさき、道」 1  
  上津の道標 かみづ (山辺)山添村   石道標(駒型)   弘化2(1845)   村教委   (正面)「(梵字)從是 天王寺へ/三十四丁」    
  中峯山の道標 ちゅうむざん (山辺)山添村 天王参道 石道標   弘化3(1846)   村教委   (正面)「左 だいし さんけいみち」    
  春日の題目塔道標 かすが (山辺)山添村   石道標   慶応4(1868)   村教委   (正面右)「右 なばり」、(同左)「左 かたへら」/正面中央に「なむあみだぶつ」と陰刻    
  水間の道標 みま (山辺)山添村 オサヨ谷・三ツ辻 石道標(自然石)   江戸期?   村教委 原位置 (正面右)「右、てん王う/いせ」、(同左)「左、にう/きたの山」、(同最下部)「道」/施主が「勝治郎」と姓がないので江戸期の可能性 1 -
  遅瀬の道標 おそぜ (山辺)山添村 <遅瀬道> 石道標   江戸期?   村教委   (正面)「かさぎみち これより一丁下に ふとうたきあり」/建立者が「惣四郎」と姓がないので江戸期の可能性    
写真 北六田の常夜灯
(柳の渡し石灯籠)
きたむだ (吉野)大淀町 美吉野橋・南詰<吉野川> 石常夜灯(道標兼)   天明6(1786) 町史跡 町教委 3度移設 (竿正面)「杦山」、(竿右面)「左 よしの」、(竿左面)「右 よしの」 2
  椿の井戸 つばき (吉野)大淀町   石井戸   享保年間(1716-35)以前   町教委 保存状態良好 『大和志』 (享保年間)が初出 1  
      (吉野)上北山村                    
      (吉野)川上村                    
      (吉野)黒滝村                    
      (吉野)下市町                    
      (吉野)下北山村                    
  大峯奥駈道   (吉野)天川村   道路   和銅3(710)   WEB   大峯奥駈道は修験道の開祖、役行者が8世紀初めに開いたとされる修験者の修行の道    
  小辺路 こへじ (吉野)十津川村   道路       村教委 当時の面影をよく偲ぶことができる 熊野参拝道    
      (吉野)野迫川村                    
写真 杉山の石畳 すぎやま (吉野)東吉野村 <伊勢街道・南路> 石畳道   江戸期   村教委 復元(文化財的な厳密な復元ではない) 紀州、大和、伊勢を結ぶ、塩・米・魚の交易路 4
写真 鷲家の道標
(伊勢街道道標)
わしか (吉野)東吉野村 <伊勢街道・南路> 石道標(常夜灯兼) 高150㎝,幅26㎝,厚27㎝ 文政11(1828) 村史跡 村教委(東吉野の旧街道) 原位置 (正面)「南、右 いせ 江戸/左 者せ 大坂、ミち」、(右面)「東、右 紀州 加うや/左 大峯山 た可はら、道」、(左面)「西、右 小川谷 河上/左 いせ くまの、道」/頂部に木製の春日型の屋根(銅板葺)と火袋を載せる 1
      (吉野)吉野町                    
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       

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