大阪府

写真 名称 ふりがな 区市町村 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
      大阪市(旭区)                    
      大阪市(阿倍野区)                    
  勝山北の道標 かつやまきた 大阪市(生野区) (5丁目)
<俊徳街道・鶴橋街道>
石道標(尖頭角柱) 高153㎝,幅26㎝,厚26㎝ 宝暦2(1752)   大阪の街道と道標p95,205 保存状態良好 (正面)「左 なら」、(右面)「左 すぐ 十三/きしだ堂/右 平野道」/右側面に「大峯山上三十三度」と陰刻/西俊徳地蔵堂前に建つ 1
  桃谷の道標1 ももたに 大阪市(生野区) (2丁目)
<北八尾街道・桑津街道>
石道標 高145㎝,幅28㎝,厚25㎝ 文政9(1826)   信貴山への道標p30(年代は『きょうどしいくの』出典と記載)/大阪の街道と道標p205 保存状態良好 (正面)「右 信貴山/すぐ いせ」、(右面)「左 高津いく玉道とんぼり」 1
写真 巽東の道標1 たつみひがし 大阪市(生野区) (1丁目)
<北八尾街道・放出街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高60㎝,幅26㎝,厚25㎝ 天保4(1833)   信貴山への道標p32/大阪の街道と道標p131 移設/下部埋設 (正面)「右 大坂」、(右面)「左 信貴山」 3

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  桃谷の道標2 ももたに 大阪市(生野区) (3丁目)つるのはし
<北八尾街道・鶴橋街道>
石道標 高77㎝,幅28㎝,厚25㎝ 慶応2(1866)   現地解説板/大阪の街道と道標p205 猪飼野保存会館前(移設)/風化により判読が難しくなりつつある (西面)「右、八尾 久宝寺/信貴山」、(南面)「左 大阪」/長方形に削り込み文字を陰刻/江戸期だが大阪の表記に「阪」の字が使われている 2
写真 巽東の道標2 たつみひがし 大阪市(生野区) (1丁目)巽伊々賀公園・前<北八尾街道・放出街道> 石道標(尖頭角柱) 高63㎝,幅18㎝,厚18㎝ 江戸期?   信貴山への道標p32/大阪の街道と道標p131 移設 (正面)「左 大坂」、(左面)「右 信貴山 卍」/「大坂」の標記は江戸期の可能性 2 -
写真 巽東の道標3 たつみひがし 大阪市(生野区)   石道標(尖頭角柱、花崗岩)   江戸期?   WEB(北伊勢の道標) 移設 (正面)「左 大坂」、(右面)「左 信貴山」/「大坂」の標記は江戸期の可能性 3 -
写真 中之島の道標 なかのしま 大阪市(北区) (5丁目)
<山陽道(中国街道)>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高130㎝,幅30㎝,厚24㎝ 寛政11(1799)   大阪の街道と道標p47 歩道際植栽の上に保存(原位置?) (正面右)「右ハ、梅田 十そう/大仁 尼可"さ起」(=尼崎)、(同左)「左リ 安治川、やぐら迠/十七丁程」 2
  西天満の道標 にしてんま 大阪市(北区) <天王嶺道> 石道標(棟形角柱、花崗岩) 高120㎝,幅30㎝,厚23㎝ 嘉永2(1849)   近畿地方の歴史の道2p.405/大阪の街道と道標p47 夕願寺(移設)/鉢植えなどと共に建物横に建つ (正面)「右 本庄 服部天神 池田 能せ/左 十三 神崎 中山 尼崎 西宮」、(左面)「右 天満 八軒家 京 いせ」 2
写真 安治川 あじ 大阪市
(此花区・西区)
淀川 分水(放水路) 長約3㎞,
幅約90m
貞享2(1685)   近世を拓いた土木技術p44-45 C護岸/観光遊覧船が運航 計画:河村瑞賢/淀川、大和川下流部の排水促進を目的として開削された放水路/淀川下流を塞ぐ九条島を開削し、直線的に流下する流路を拓いた/大坂へ直結する直線航路の開削も目的の一つとされる/「安く治まる川」と願掛け安治川と命名 3
写真 今福南の常夜灯道標 いまふくみなみ 大阪市(城東区) (2丁目)皇大神宮
<奈良街道中垣内越え
(古堤街道)>
石道標(常夜灯) 高241㎝,幅30㎝,厚31㎝ 天保3(1832)→常夜灯化:安政6(1859)   大阪の街道と道標p102 神社境内(移設) (正面)「右ハ、のざき/奈ら いせ、道」、(右面)「左リ 大坂道」/中台に安政6(1859)と刻まれているため、笠、火袋、中台は後補と考えられる/寄進:山上講 2
      大阪市(住之江区)                    
写真 住吉大社の反橋 すみよし 大阪市(住吉区) 住吉大社 木桁橋(太鼓型) 長20m,高4.4m 慶長年間(創建)   WEB 何度も架替え(近年は昭和56と平成21)/石橋脚は創建時のものと考えられる(享保8(1723)以降の「攝津国一之宮住吉大神宮境内之図」には、石橋脚だけ描かれている) 雨に曝される構造のため定期的に架け替えられているが、江戸初期に起源をもつ大型の木橋/大きな太鼓型の桁を6ヶ所の石橋脚で支える構造/造営者は秀吉の側室・淀殿、もしくは、その子・豊臣秀頼とされる/宝永5(1708)以降の「住吉社古図」や、明和8(1771)の「住吉社細見繪圖」には、太鼓橋が明瞭に描かれている 3 写真
  住吉の地蔵道標 すみよし 大阪市(住吉区) (2丁目)<熊野街道> 石道標(尖頭角柱) 高96㎝,幅25.5㎝,厚25.5㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p64/WEB 亡失の可能性 (正面)「北 右、住吉社/さかい、道」、(右面)「西 左、天王寺/大坂、道」、(左面)「東 右、天王寺/大坂、道」、(裏面)「南 右、平野/ふじゐ寺、道」  
写真 武庫川の旧・量水標 むこ 大阪市(住吉区) <武庫川>法楽寺・境内 石標(尖頭角柱) 高約160㎝,約20㎝角 文久元(1861)   WEB(日本の測量史) 移設 地上4㎝の位置から1寸ごとに横線の刻みが目盛状に入り、1尺ごとに下から「一」~「五」の数字が刻字 2
      大阪市(大正区)                    
写真 上町の道標 うえ 大阪市(中央区) (1丁目)東雲稲荷神社・社殿裏
<暗越奈良街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高111㎝,34㎝角 文政4(1821)   近畿地方の歴史の道2p117/大阪の街道と道標p20 移設/下部埋設 (正面)「右、春ぐハ 京橋 …/ 丹しハ 安堂寺」、(右面)「左、なら 伊勢/大師 鬼 3
写真 東横堀川 ひがしよこぼり 大阪市(中央区) 土佐堀川→道頓堀川 堀川→運河 長2.2㎞ 天正13(1585)   WEB 水路上に阪神高速1号環状線/約300mの遊歩道を設置/観光遊覧船が運航 計画:豊臣秀吉/豊臣時代の大坂城外堀として開削された堀川→その他の外堀は大坂冬の陣の和睦の際に解体、本丸は徳川時代の大坂城に基礎から更新されたため、豊臣大坂城の姿を唯一留めるものとされる/江戸期には水路が接続され、舟運路として活用/大阪の堀川としては現存最古 4 写真
  西横堀川 にしよこぼり 大阪市(中央区) 土佐堀川→道頓堀川 運河 長約2.5㎞
→約20m
慶長5(1600)   WEB 昭和39の阪神高速1号環状線開通に伴いほぼ埋立→道頓堀川から20m区間のみ残る 大坂船場の西側に開削された運河/東西に流れる多くの運河が接続された/昭和4(1929)築造の金屋橋が架かる 5
  道頓堀川 どうとんぼり 大阪市(中央区
・浪速区・西区)
東横堀川→木津川 運河 長約3㎞,
幅約36m
元和元(1615)   WEB 遊歩道の設置、遊覧船運行により観光利用 事業者:平野坂上七名家・安井(成安)道頓、大坂豪家・安井道卜(九兵衛)・平野藤次郎/舟運、利水を目的として梅の川を元に開削された運河/1660年代に芝居小屋を沿岸に集中させた事により繁華街として発展→沿岸は現在も大阪を代表する繁華街 3
写真 太閤(背割)下水 たいこう
(せわり)
大阪市(中央区)   石積下水渠 幅0.3-3.6m 江戸初期 市史跡
(約7㎞)
有井/WEB 明治27に暗渠化/約20㎞をC巻立し、現役で使用中/一部見学区間のみ石積が露出 太閤下水は、あくまで通称で、文化財の指定名称は「中央部下水道改良事業の下水道敷」→現存する石組下水道が豊臣時代に遡るかどうか、現時点の発掘調査では確認されていない/慶安元~万治元(1648-58)の「三郷町絵図」には、現在の南大江小学校付近に水色に彩色された水路が描かれていることから、江戸初期は水路が存在していたことは確かである。大坂が淀川・大和川のデルタ地帯にできた低湿な土地であったため、町屋から出る下水を排水する目的で造られたと思われる/大坂城に向かう東西の道路に向かって町屋が建っており、その町屋の背面を割るよう規則正しく計画されている→水路と道路に挟まれた約72m四方の区画が町割りの基本となっている/この排水路は、当初恐らくは素掘りの開渠で、それがいつの段階かで石組に変更され、明治27に暗渠化され、現在は現役の下水道として使われている/残念ながら、この流れのどこにも秀吉の名は出てこない 3 写真
  中茶屋の道標 なかのちゃや 大阪市(鶴見区) <奈良街道中垣内越え
(古堤街道)・枝切街道>
石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高118㎝,幅36㎝,厚21㎝ 宝暦11(1761)   大阪の街道と道標p121/近畿地方の歴史の道2p.116 保存状態良好 「右 ならミち/左 京みち」 1
  諸口の道標 もろくち 大阪市(鶴見区) (3丁目)
<奈良街道中垣内越え
(古堤街道)>
石道標 高145㎝,幅31㎝,厚31㎝ 天保2(1831)   大阪の街道と道標p103 茨田小学校(移設) (正面)「右 いせ、なら/のざき」、(右面)「右 京/左 大坂」 2
  今津中の道標 いまづなか 大阪市(鶴見区) (4丁目)
<奈良街道中垣内越え
(古堤街道)>
石道標 高140㎝,幅31㎝,厚31㎝ 天保13(1842)   大阪の街道と道標p103 今津小学校(移設) (正面)「すぐ 大坂」、(右面)「左、宝山寺 角堂 中垣内/大竜寺 星田妙見宮、みち」、(裏面)「右、大峯山 八尾 平野/高野山 平岡 稲田、ふじ井寺 道」 2
  放出東の道標 はなてんひがし 大阪市(鶴見区) (3丁目)
<奈良街道中垣内越え
(古堤街道)・放出街道>
石道標 高98㎝,幅23㎝,厚23㎝ 天保15(1844)   大阪の街道と道標p103,131 阿遅速雄神社(移設) (台座正面)「右 稲田/左 大坂」、(同左側面)「右 平野/左 守口」/正面に「大峯/山上、三十三度詣」と陰刻 2
  焼野の道標 やけの 大阪市(鶴見区) <枝切街道> 石道標(尖頭角柱) 高90㎝,幅25㎝,厚25㎝ 元治元(1864)   大阪の街道と道標p121 保存状態良好/最下部煉瓦舗装 (正面)「右 京 守口 八は田/左 のミち」、(右面)「左 大坂道」、(裏面)「すぐ 大坂道」/左側面に「大峯山上三十三度」と陰刻 1
  浜の道標 はま 大阪市(鶴見区) <枝切街道> 石道標(丸頭角柱) 高130㎝,幅26㎝,厚24㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p121 保存状態良好 (正面)「右 佐太 京/左 守口、道」、(右面)「すぐ 大坂道」、(裏面)「すぐ 大坂道」/左側面に「大峯山上三十三度」と陰刻 1
写真 茶臼山町の道標 ちゃうすやま 大阪市(天王寺区) <熊野街道> 石道標 高80㎝,幅24㎝,厚23㎝ 宝永2(1705)   大阪の街道と道標p64/WEB 堀越神社(移設?) (正面)「これよりひだりハ/大坂みち」、(左面)「これより右ハ/すミよし さ可い」、(右面)「これより右ハ 天王寺みち」 2
  伶人町の道標 れいにん 大阪市(天王寺区) <熊野街道> 石道標 高145㎝,幅34㎝,厚34㎝ 寛政4(1792)   近畿地方の歴史の道1p259/大阪の街道と道標p64 清水寺(移設) (正面)「大阪札所/二十五番/清水寺 左 天王寺/婦じゑ寺/大ミね」、(右面)「右 天王寺ちか道」、(左面)「右 大阪だうたんぼり/日本ばし」 2
  上之宮町の道標 うえのみや 大阪市(天王寺区) <熊野街道> 石道標(尖頭角柱) 高80㎝,幅18㎝,厚13㎝ 文政13(1830)   大阪の街道と道標p64   「上之宮、是より/壱丁東」  
写真 四天王寺の地蔵道標 してんのうじ 大阪市(天王寺区) <奈良街道(亀瀬越道)> 石道標(花崗岩) 高180㎝,幅33㎝,厚33㎝ 天保2(1831)   近畿地方の歴史の道1
p259、2p127
四天王寺境内(移設)/2ヶ所で水平に割裂→修復 (正面像下)「南 右 庚申堂 住吉 堺 あまの 高野山/北 左 生玉 高津 天満天神 八軒屋 京道」、(右面)「東 右、平野 藤井寺 道明寺 たまで/おぐろ 壷井 通法寺 古ん多" 上太子」、(左面)「西 右、道頓堀 木津川/阿弥陀池 安治川」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵坐像(蓮台)を陽刻/左側面下部に「先祖代々三界満霊」と陰刻 3
写真 北河堀町の地蔵道標 きたかわほり 大阪市(天王寺区) <下高野街道> 石道標(尖頭角柱) 高102㎝,幅33㎝,厚34㎝ 安政4(1857)   大阪狭山市史7p100-101/大阪の街道と道標p125/近畿地方の歴史の道1p391 保存状態良好 (左面)「右 かうや」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵立像(錫杖、蓮台)を陽刻 1
写真 夕陽丘町の道標 ゆうひがおか 大阪市(天王寺区) (1丁目)<熊野街道> 石道標(頂部刳り込み角柱、花崗岩) 高116㎝,幅30㎝,厚28㎝ 元治元(1864)   近畿地方の歴史の道1
p258
太平寺境内(移設) (右面)「(右指差し)、是より壱丁/ふどう明王/さ可うへ可登"」、(左面)「是より一丁/ふどう明王/坂の上の角」/正面に「北/山、大聖不動明王」と陰刻 2
  伶人町の常夜灯道標 れいにん 大阪市(天王寺区) <熊野街道> 石道標(常夜灯、頂部刳り込み角柱) 高170㎝,幅24㎝,厚23.5㎝ 慶応元(1865)   近畿地方の歴史の道1
p239/大阪の街道と道標p64
清水寺境内(移設) (右面)「左 天王寺、藤井寺/道明寺/大峰山上」、(左面)「左 大阪、道頓堀/二ツ井戸/八軒家」/正面に「清水寺、往生/安楽」と陰刻/上部が火袋として一体となった形状 2
写真 逢阪の道標 おうさか 大阪市(天王寺区) (2丁目)
<竜田越奈良街道>
石道標 高161㎝,24㎝角 慶応3(1867)   大阪の街道と道標p15 保存状態良好 (正面)「(右指差し)観音寺、住吉/さかい、道」、(右面)「すぐ かう志ん堂 平の/ひだり 四天王うじ、道」、(左面)「すぐ一心寺 安居天神道」/頂部に円筒状の突起 1
  上汐の南無阿弥陀仏道標 うえしお 大阪市(天王寺区) <熊野街道> 石道標(尖頭角柱) 高120㎝,幅35㎝,厚31㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p64   (正面)「南、すぐ八けんや/右 なら いせ、みち」、(右面)「東、すぐ どうとんぼり/右 八けんや/左ハ てんのうじ、みち」、(左面)「西、すぐ 玉つくり なら/右ハ 天王寺 山上/左ハ 京ばし 天ま、道」、(裏面)「北、すぐ 天王寺 高野/道頓堀 長町、みち」  
  茶臼山町の地蔵道標 ちゃうすやま 大阪市(天王寺区) <熊野街道> 石道標 高93㎝,幅30㎝,厚30㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p64 天王寺動物園〔高速道路付近の柵のそば〕(移設) (正面)「南、右ハ 天王うじぬけみち/左ハ 大阪 ながまち」、(左側面上)「西」、(右面)「東」、(裏面)「北」、(同右)「此方ハすみよしさかい道 妙善安」/正面上部に地蔵坐像を陽刻、右側面に「南無阿弥陀仏」、裏面に「南無阿弥陀仏、道善/白方、知戒」、左側面に「此方ハ しるやしらぬと みた如来/とのうるこへを つねとたのみし」と陰刻 3
写真 大道の道標 だいどう 大阪市(天王寺区) (3丁目)
<竜田越奈良街道>
石道標(尖頭角柱) 高77㎝,幅20㎝,厚21㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p15 河堀神社(移設)/2ヶ所水平に折損、修復/多数の亀裂 (正面)「左、ひらの 大念仏/五者"ん 藤井寺/和州 大峯山上、道」、
(右面)「右、田なべ 住江/高野山、道」、(左面)「すぐ 大坂道」/「大坂」の標記は江戸期
3 -
写真 四天王寺の津波記念碑 してんのうじ 大阪市(天王寺区)   津波記念碑
(東海地震)
(南海地震)
  安政2(1855)   安政南海地震津波碑文の判読/WEB 四天王寺元三大師堂前無縁墓(近接移設)/周辺の墓石により一部判読不能 (東面)「(梵字5字)諸國地震及洪浪/南無阿彌陀佛/水陸横死大菩提」、(南面)「(梵字5字)、去年霜月四月五日の地震を遁ん爲に小船に乗居し輩俄の波浪湧か如く/木津川口悉の大小数船一時に川上に押寄橋を落し船を摧き漂没死人夥し/尤前日より海鳴潮の干満乱しを志ら寿して死に至るもの寔憐むへし」(緑字は石材に隠れて見えない部分)、(西面)「(梵字5字)海鳴潮の干満みだれし時は早く津波の兆と知りて難をのかれ玉ふへし」/古文書『記録帳』に「(地震、津波の惨状は)筆紙に尽し難く恐敷事に候これ追善之為天王寺元三大師前に石塔建立之事」と記述されており現位置の近くに建立されたと考えられる 3
  道頓堀川 どうとんぼり 大阪市(浪速区)
・中央区・西区)
東横堀川→木津川 運河 長約3㎞,
幅約36m
元和元(1615)   WEB 遊歩道の設置、遊覧船運行により観光利用 事業者:平野坂上七名家・安井(成安)道頓、大坂豪家・安井道卜(九兵衛)・平野藤次郎/舟運、利水を目的として梅の川を元に開削された運河/1660年代に芝居小屋を沿岸に集中させた事により繁華街として発展→沿岸は現在も大阪を代表する繁華街 3
写真 大地震両川口津浪記
(幸町の津波記念碑)
だいじしん、
りょうかわぐち、つなみき
(さいわい)
大阪市(浪速区) (3丁目) 津波記念碑
(伊賀地震)
(東海地震)
(南海地震)
高189㎝,幅56㎝,厚約33㎝ 安政2(1855) 市有形 現地解説板/WEB 大正4に渡し場から大正橋東詰に移設/碑文に倣い毎年保存会によって陰刻した文字に墨が入れられている (正面中央)「南无阿弥陀佛/南無妙法蓮華經」、(同右)「天下和順 日月晴明/風雨以時 災属不起」、(同左)「願以此功徳 普及施一功/我等興衆生 皆共成佛道」、(裏面上から右側面上へ横書き)「大地震両川口津浪記」、(裏面から右側面)「干時嘉永七申寅年六月十四日子刻頃大地震、市中一統べ驚き、大屋川端にたゝずみ、ゆり直しを恐れ、四五日、心もとなふ夜を明しぬ、伊賀、大和計り人多しとなん、同十一月四日辰刻大地震前々恐れ明地に小屋懸け老少多く、小船に乗翌五日申刻大地震家くづれ、出火も有、恐敷有様漸く治る頃、雷の如くひゞき、日暮頃大浪立東堀迄泥水四尺許込入、両川筋に居合す数多くの大小船綻綱打切れ、一時川上へ逆登勢ひに、安治川橋、亀井橋、高橋、水分、黒金、日吉、汐見、幸、住吉、金屋橋等悉くづれ落、猶大道へあふるゝ水に、あはて迯まよひ右橋より落込も有、大黒橋大船横せきに成し故川下より込入船小船を下敷きに弥が上乗り懸け、大黒橋より西松ヶ鼻、南北川筋一面暫時に船山をなして、多く破船川岸の掛造り納屋等大船捍崩し、その物音人さけぶ声々急変にて、助けすくふ事あたはす忽水死せる人の夥敷、船場、島之内迄も津浪寄せ津浪寄せ来ると、上町へ迯行有様あはたゞし、今より百四十八ヶ年寛永四丁亥年十月四日大地震の節も、小船にのり津浪にて溺死人多しとかや、年月へたれば伝へ聞人稀なる故、今亦所かはらす夥敷人損いしまし敷事、限なし、後年又斗がたし都而大地震の節は津浪起らん事を兼而心得、必船に乗るべからず、又家崩れて出火もあらん金銀證文藏めて、火用心肝要也、偖川内滞船大小に応じ、水勢おだやかなる所えらみ、つなぎかへかこひ船は早く高く登し用心すべし、かゝる津浪は沖より汐込許計に非ず、磯近き海底等より、吹わく又海辺の新田畑中に泥水あまた吹上る、今度大和古市池水あふれ人家多く流しも此れ類なれば海辺大川大池の辺に住人用心有べし、水勢平日の高汐と違う事、今の人能知る所なれども充分心得且溺死追善旁有の儘拙文にて記し置、願わくば心あらん人、年々文字よみ安きよう墨を入たまふべし」/正面下部に蓮花台を線刻/当時の大坂は路地も狭く、広い神社などもなかったため、人々は大火の度に川船で水路に避難しており、宝永、安政両地震の際にも、地震後水路に避難し、津波の被害が大きかったとされる 2 写真
  九条南の道標 くじょうみなみ 大阪市(西区) (4丁目)<尼崎街道> 石道標 高135㎝,幅31㎝,厚29㎝ 寛政4(1792)   大阪の街道と道標p213 九条北小学校内(移設) (正面)「安治川」/(左面)「右、あまがさき/中山、道」、(右面)「左、あまがさき/中山、道」 2
写真 新町の道標 しん 大阪市(西区) (4丁目) 石道標 高115㎝,幅25㎝,厚23㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p213/WEB 西区役所前(移設)/周辺が修景 (正面)「東、右 ざこ者" 大渡 あ治川 天保山〔追刻〕/すぐ 西口の渡 寺嶋 木津川/左 瓶橋 幸町 前だれ嶋」(=雑喉塲)、(右面)「北、右 ご□□び/すぐ 堀江 あミ陀 木津 なん者"/左 四ツ橋 日本橋 天王寺」、(左面)「南、右 四ツ橋 新町/すぐ ざこ者" 大渡 安治川/左 西口の渡 寺嶋 竹林寺」、(裏面)「西、右 道頓堀 木津 なん者" 住吉/すぐ 四ツ橋 御城/右 新町 南御堂 堂島 天満」 2
写真 安治川 あじ 大阪市
(西区・此花区)
淀川 分水(放水路) 長約3㎞,
幅約90m
貞享2(1685)   近世を拓いた土木技術p44-45 C護岸/観光遊覧船が運航 計画:河村瑞賢/淀川、大和川下流部の排水促進を目的として開削された放水路/淀川下流を塞ぐ九条島を開削し、直線的に流下する流路を拓いた/大坂へ直結する直線航路の開削も目的の一つとされる/「安く治まる川」と願掛け安治川と命名 3
  道頓堀川 どうとんぼり 大阪市(西区
・中央区・浪速区)
東横堀川→木津川 運河 長約3㎞,
幅約36m
元和元(1615)   WEB 遊歩道の設置、遊覧船運行により観光利用 事業者:平野坂上七名家・安井(成安)道頓、大坂豪家・安井道卜(九兵衛)・平野藤次郎/舟運、利水を目的として梅の川を元に開削された運河/1660年代に芝居小屋を沿岸に集中させた事により繁華街として発展→沿岸は現在も大阪を代表する繁華街 3
      大阪市(西成区)                    
      大阪市(西淀川区)                    
  駒川の道標 こまがわ 大阪市(東住吉区) (4丁目)<下高野街道> 石道標(尖頭角柱) 高90㎝,幅26㎝,厚26㎝ 天保11(1840)   大阪の街道と道標p125 下部欠損 (正面頂部)「北」、(同側面部)「左、平野 八尾/久宝寺 ふじい」、(右側面頂部)「西」、(同側面部)「右、住よし/さかい」、(裏面頂部)「南」 2
  矢田の地蔵道標 やた 大阪市(東住吉区) (6丁目) <下高野街道> 石道標(舟型) 高64㎝,幅32㎝,厚21㎝ 江戸期?   大阪狭山市史7p100-101/大阪の街道と道標p125 賽の神神社(移設) (光背上)「(梵字)」、(同右)「右 なかのひらの」、(同左)「左 大坂てんのうじ」/全面に地蔵立像を陽刻 2
写真 大今里の常夜灯道標 おおいまざと 大阪市(東成区) <暗越奈良街道
・北八尾街道>
石道標
(常夜灯、花崗岩)
高180㎝,幅36㎝,厚36㎝ 文化3(1806)   近畿地方の歴史の道2p118/大阪の街道と道標p20/WEB 保存状態良好/台石更新 (正面)「左、なら/いせ、道」、(右面)「右、きしのだう/久ハんぜをん/志ぎさん、八尾/久宝寺、道」/角柱状の竿の上部に火袋が一体化し上部に笠が乗っている形状 2
写真 雪鯨橋 せつげい 大阪市(東淀川区) 瑞光寺 石アーチ橋 長約6m,幅約3m 宝暦6(1756) 市民俗 WEB(大阪市) 文政12(1829)~平成18に5回欄干の骨部材を交換 欄干がクジラの顎骨で造られている橋/江戸期の大坂は鯨肉の大消費地であり、産地の紀州熊野浦の漁民により欄干の鯨の骨の取り替え、橋の修復が行われていた 1
  菅原の題目塔道標 すがはら 大阪市(東淀川区) <高槻街道> 石道標 高114㎝,幅28㎝,厚28㎝ 文政12(1829)   大阪の街道と道標p172 左側面下部が側石のため目視不能 (正面右)「左り ずいがんじ」、(左面)「右 大坂」/正面に「觀世音菩薩」と陰刻 2
  菅原の道標1すがはら 大阪市(東淀川区) 杭全神社参道口
<鳥居嶺道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高170㎝,幅25㎝,厚26㎝ 天保7(1836)   大阪の街道と道標p172/近畿地方の歴史の道2p414 最下部3方がC埋設 (正面)「(指差し)正観世音 瑞光寺道」、「瑞光寺道」の左側に小さく「同江口道」、下部に「是より/十六丁」と陰刻、(左面)「(指差し)吹田 冨田 茨木道」、(裏面)「すぐ 大坂道」 1
  菅原の道標2 すがはら 大阪市(東淀川区) <高槻街道> 石道標(尖頭角柱) 高73㎝,幅18㎝,厚17㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p172 保存状態良好 (正面)「右 大坂 みち」、(右面)「左、すいた/江口、わたし」、
(左面)「左 大さかみち」
1 -
写真 平野本町の道標1 ひらのほん 大阪市(平野区) (4丁目)平野本町商店街
<竜田越奈良街道(亀瀬越道)・八尾街道・中高野街道>
石道標 高76㎝,幅30㎝,厚29㎝ 安永8(1779)   信貴山への道標p35/大阪の街道と道標p113,128/WEB(十三) 下部埋没 (正面)「左、なかの/住よし/さかい、道」、(右面)「右、ふぢゐ寺/大峯山上、道」、(左面)「右、八尾/志起"山、みち」 2
写真 平野上町の道標1 ひらのうえ 大阪市(平野区) (2丁目)
<竜田越奈良街道(亀瀬越道)・中高野街道>
石道標(尖頭角柱) 高117㎝,幅30㎝,厚30㎝ 寛政12(1800)   大阪の街道と道標p15/大阪狭山市史7p104,105/WEB(十三) 保存状態良好 (右面)「右、ふちゐ寺/大峯山上/かうや山」、(左面)「右 大坂」、(裏面)「すぐ、天王寺/ 大さか」/正面を枠だけ残して浅く削り込み、「當社、熊野權現/祇園宮」と陰刻 1
  加美鞍作の道標 かみくらつくり 大阪市(平野区) (1丁目)<八尾街道> 石道標(尖頭角柱) 高70㎝,幅21㎝,厚21㎝ 天保6(1835)   大阪の街道と道標p113/信貴山への道標p37 保存状態良好 (正面)「右、久宝寺/八尾/信貴山」、(右面)「左、平野/大阪」/左側面に「百度廻り」と陰刻 1
写真 平野上町の道標2 ひらのうえ 大阪市(平野区) (2丁目)
<竜田越奈良街道(亀瀬越道)・古市街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高92㎝,幅33㎝,厚32㎝ 弘化2(1845)   大阪の街道と道標p15,86/信貴山への道標p36/WEB(十三) 保存状態良好 (正面)「右、ふじいでら/大峯山上」、(右面)「すぐ 玉つくり/左 天王寺」、(左面)「すぐ 道明寺/左 志ぎ山」 1
  喜連の地蔵道標 きれ 大阪市(平野区) (4丁目)<中高野街道> 石道標(駒型) 高82㎝,幅24㎝,厚18㎝ 嘉永4(1851)   大阪狭山市史7p106-107/大阪の街道と道標p128 大型の木祠内/現在も信仰の対象 (正面)「右、すミよし/さかい」、(右面)「すぐ 高野山ミち」、(裏面)「すぐ、大念佛寺十八町/四天王寺一里半」/正面上部に地蔵立像を陽刻 1
写真 平野本町の道標2 ひらのほん 大阪市(平野区) (4丁目)全興寺
<中高野街道・竜田越奈良街道(亀瀬越道)>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高157㎝,幅32㎝,厚32㎝ 慶応2(1866)   大阪の街道と道標p15/大阪狭山市史7p106,107/WEB(十三) 移設 (正面)「左、ふじ井寺/道明寺/大峯山上、是より一丁東/乃辻右へ同所、道」、(右面)「右、さ山/高野山、すぐ 信貴山道」、(左面)「右、天王寺/大さか、すぐ、住よし/さかい、道」 2
写真 平野上町の道標3 ひらのうえ 大阪市(平野区) (1丁目)
<竜田越奈良街道(亀瀬越道)>
石道標(蒲鉾型) 高68㎝,幅20㎝,厚16㎝ 江戸期   大阪の街道と道標p15/WEB(十三) 保存状態良好 (正面)「左、ふちゐ寺/かしハら、道」、(左面)「右 大さかミち」 1
写真 平野郷の環濠 ひらの 大阪市(平野区) 杭全神社 環濠 長約300m
(杭全神社東側)
戦国期   WEB(十三) 最北部にあった杭全神社の東・北・西にあった濠の東側他2ヶ所が局部的に残る 平野郷の前身は、征夷大将軍 坂上田村麻呂の次男・廣野麿が杭全荘を賜り、開発領主となったことに始まる。その際に杭全神社が創建されるが、現在この神社の東側の濠だけが残っているのは偶然とは思えない/因みに、戦国時代の平野郷は、「平野衆議定書」という15ヶ条の町掟が制定され町人の自治都市として繁栄していた/環濠は、織田軍の侵攻を防ぐ目的で築造されたとされる 3
写真 鷺洲の地蔵道標 さぎす 大阪市(福島区) (2丁目)<梅田街道> 石道標(蒲鉾型) 高108㎝,幅35㎝,厚21㎝ 宝暦8(1758)   大阪の街道と道標p215 了徳院(移設) (正面右下)「右ハ 了徳院」、(同左下)「左ハ ざい道」/全面に地蔵菩薩(錫杖)立像、蓮華座を陽刻 2
写真 鷺洲の常夜灯道標 さぎす 大阪市(福島区) (2丁目)<梅田街道> 石道標(常夜灯) 高220㎝,幅36㎝,厚36㎝ 嘉永2(1849)   大阪の街道と道標p215 了徳院(移設)/現役で点灯(電気) (左面)「すぐ、(左指差し)あまがさき/にしのみや」、(裏面)「すぐ 大坂みち」/正面に「(喜欠)喜天」と陰刻 2
  鷺洲の道標 さぎす 大阪市(福島区) (2丁目)<梅田街道> 石道標 高90㎝,幅28㎝,厚22㎝ 慶応元(1865)   大阪の街道と道標p215 鷺洲小学校(移設) (正面)「右 尼崎 西宮」、(右面)「すぐ 湊はし ざこば/左 大坂城 八けんや いせ」、(左面)「すぐ 尼崎」 2
写真 玉川の道標 たまかわ 大阪市(福島区) (1丁目)<尼崎街道> 石道標 高180㎝,幅28㎝,厚28㎝ 天文元(1532)
→宝暦13(1763)頃道標化
  市教委/WEB/大阪の街道と道標 改訂版p211 天神社(移設)/下部や角に多少の破損 (正面)「右ハ ふぢ名所 春日社」/道標には大きく「天文元壬辰年」と陰刻されているが、この年代の大坂は石山本願寺に関わる戦乱の時代であったため、「藤」の名所を示すような観光目的の道標が建てられていた可能性は低く、周辺が藤の名所「野田の藤」としてより知られるようになった江戸期に石材だけ転用された/建立:山名礒兵衛→春日神社を宝暦13に再建した米屋→道標も同時代の建立 2
  海老江の道標1 えびえ 大阪市(福島区) (6丁目)<梅田街道> 石道標 高120㎝,幅24㎝,厚24㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p215 羽間文庫前(移設) (正面)「右 藤名所 ふなつばし ざこば/左 なかやま あまがさき」、(左面)「左 、五百らかん了とくいん/大仁 むめだ」 2
  海老江の道標2 えびえ 大阪市(福島区) (4丁目)<梅田街道> 石道標 高60㎝,幅20㎝,厚20㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p215 南桂寺(移設) (正面)「右、あま/みへじま、道」、(右面)「左 大坂道」 2 -
      大阪市(港区)                    
写真 東野田町の道標 ひがしのだ 大阪市(都島区) (2丁目)<奈良街道中垣内越え(古堤街道)・京街道> 石道標(花崗岩) 高140㎝,幅31㎝,厚32㎝ 文政9(1826)   近畿地方の歴史の道2p115,.223/WEB(十三) 移設/下部埋没 (正面)「左 京みち」、(右面)「右 大和、なら/のざき」、(左面)「右 大坂」 2
写真 中野町の道標 なかの 大阪市(都島区) (2丁目)<京街道> 石道標 高140㎝,幅31㎝,厚32㎝ 天保15(1844)   大阪の街道と道標p37 都島区役所(移設)/C台座/駐輪場裏の植え込みに隠れるように建つ (正面)「左り 京ばし」、(左面)「右 なら、日下たき/のざき/生駒山 宝山寺」 3
  網島町の道標 あみじま 大阪市(都島区) <京街道> 石道標 高142㎝,幅27㎝,厚22㎝ 安政4(1857)   大阪の街道と道標p37 大閣園(移設) (正面)「(左指差し)京ばし/八けんや」、(右面)「(右指差し)さくらのみや/ぼおんじ」、(左面)「(右指差し)京 道、もり口/ひらかた」 2
写真 十三東の道標1 じゅうそうひがし 大阪市(淀川区) (2丁目)
<天王嶺道・能勢街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高130㎝,幅24㎝,厚22㎝ 寛政2(1790)   近畿地方の歴史の道2p405/WEB/大阪の街道と道標 改訂版p56 神津神社(移設)/上部と下部で2ヶ所水平に折損、修復 (正面)「右 小嶋村宮/稲荷社、すぐハ 十三/左リハ 本庄、道」/左側面に「あんさん(安産)御守 おりこうよけ御ふた/ほうそう 御守か持 御信心ニ神主宅より披露之」と陰刻 2
写真 十三東の道標2 じゅうそうひがし 大阪市(淀川区) (2丁目) 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高78㎝,幅25㎝,厚23㎝ 嘉永年間(1848-54)   WEB 神津神社(移設) (南面)「はっとり天神宮 三国渡 池田」、(北面)「堤上 西十三渡 東本庄渡 大坂」、/東面に「往来安全」と陰刻 2 -
写真 十三東の道標3 じゅうそうひがし 大阪市(淀川区) (2丁目)
<天王嶺道・能勢街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高83㎝,幅31㎝,厚28㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標 改訂版p56 神津神社(移設)/下部の「へ」、「せ」の刻字が埋没 「小嶋村宮 是より左へ/稲荷社/すぐハ みのを 多田 のせ」 2
写真 伏尾町の題目塔道標
(寛文十年の道標)
ふしお 池田市 久安寺参道口
<余野街道(摂丹街道)・関明神越道>
石道標
(自然石、花崗岩)
高114㎝,幅50㎝,厚32㎝ 寛文10(1670)   市教委(池田を歩くp23)/大阪の街道と道標p52 保存状態良好 「右ハ かめ山道/左ハ 久安寺道」/駒型に陰刻し、その中に文字を陰刻/中央に「(梵字3字)南無阿弥陀仏沸」と陰刻/17世紀の道標 1
  東山町の題目塔道標 ひがしやま 池田市 <余野街道(摂丹街道)> 石道標(駒型) 高57㎝,幅21㎝,厚21㎝ 寛文10(1670)or12(1672)   市教委(池田を歩くp22)/大阪の街道と道標p52 摩耗が進み判読が難しい (正面)「右ハ さい/左ハ 久安寺かめ山みち」/「さい」は「在所」を表し東山の村を指すとされている/右側面に「南無阿弥陀佛」と陰刻/17世紀の道標 2
  畑の題目塔道標
(東畑の道標)
はた
(ひがしはた)
池田市 <西国三十三所巡礼道
(勝尾寺→中山寺)>
石道標(尖頭角柱) 高82㎝,幅20㎝,厚17㎝ 寛文12(1672)   市教委(池田を歩くp29)/WEB/大阪の街道と道標p255 保存状態良好 (左面)「 左 佛日寺道」、(右面)「右 中山道」/正面に「南無阿弥陀佛仏」と陰刻/17世紀の道標 1
  木部町の道標1
(新町の道標2)
きべ
(しん)
池田市 <能勢街道・余野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高70㎝,幅24㎝,厚20㎝ 寛文12(1672)   市教委(池田を歩くp13)/能勢地方の旧街道・石造物p46 移設/風化により、年代判読不能 (右下)「右ハ 久安寺道」、(左下)「左ハ 銀山道」/上部に「南無阿弥陀佛」と陰刻/『能勢地方の旧街道・石造物』の『能勢地方の街道(1991)』の再版部分に「寛文12の銘あり」とされており、『池田を歩く(2004)』には「年号が記されていない」とされているため、年代は風化により判読できなくなったと考えられる/17世紀の道標 3
  綾羽の道標1 あやは 池田市 (2丁目)<巡礼道(箕面勝尾寺道・中山道)> 石道標(尖頭角柱) 高98㎝,20㎝角 宝永元(1704)   市教委(池田を歩くp33) 保存状態良好 (正面中央)「(梵字)左 あたこみち」(同右下)「右 大広寺みち」、(同左下)「是より九町」/油掛け地蔵の前にある 1
  綾羽の道標2
(大広寺前の道標)
あやは
(たいこうじ)
池田市 (2丁目)<巡礼道(箕面勝尾寺道・中山道)> 石道標(尖頭角柱) 高78㎝,幅16㎝,厚15㎝ 正徳2(1712)   市教委(池田を歩くp32)/WEB 保存状態良好 「右 みのを道」 1 -
  古江町の題目塔道標 ふるえ 池田市 <摺脛峠道・能勢街道・妙見道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高182㎝,幅23㎝,厚22㎝ 安永3(1774)   近畿地方の歴史の道2p406/市教委(池田を歩くp16)/大阪の街道と道標p57 保存状態良好 (正面下)「右 妙見山/左 多田院并ゆもと」/正面中央に「南無妙法蓮華経」、左側面に「建界石而示正露書玅名以勤羣生 必願與童子聚沙戲均共成佛道耳」と陰刻 1
写真 石橋の道標 いしばし 池田市 (3丁目)
<能勢街道・西国街道>
石道標(花崗岩) 高85㎝,幅17㎝,厚20㎝ 天保2(1831)   市教委(池田を歩くp2)/WEB 移設/フェンスの中にある(線路脇) (正面)「右 西宮/左 大坂」、(右面)「すぐ大坂 京/左 いけだ」、(左面)「右 妙見/すぐ 西宮」 3
  綾羽の道標3 あやは 池田市 (一丁目)<巡礼道(箕面勝尾寺道・中山道)> 石道標(駒型) 高93㎝,幅25㎝,厚23㎝ 天保4(1833)   市教委(池田を歩くp10)/WEB/大阪の街道と道標p57 保存状態良好 (正面)「左 京、みのを山/かち尾寺、道」、(左面)「右 中山」 1
  木部町の道標2
(新町の道標1)
きべ
(しん)
池田市 <吉野嶺道(能勢街道)> 石道標
(駒型、花崗岩)
高104㎝,幅21㎝,厚21㎝ 天保10(1839)   市教委(池田を歩くp13)/近畿地方の歴史の道2p410 保存状態良好 (正面)「右 久安寺 亀山 愛宕山/左 妙見山 多田御社、道」、(左面)「右 妙見山 平野 湯本/左 多田御社 廣根銀山、道」 1
  古江町の題目塔道標 ふるえ 池田市 <吉野嶺道(能勢街道)
・妙見道>
石道標(花崗岩) 高180㎝,幅23㎝,厚22㎝ 安政3(1856)   市教委(池田を歩くp26)/近畿地方の歴史の道2p410 保存状態良好 (正面)「是ヨリ妙見山迄三拾丁」、(台石正面)「右ハ 妙見山/左ハ 多田院」/正面中央に「北辰妙見山大菩薩」、右側面に「南妙法蓮華経 法界」と陰刻/3段の石が積まれた構造 1
  吉田町の地蔵道標
(慈恩寺の道標)
よしだ
(じおんじ)
池田市 <能勢街道> 石道標
(舟型、自然石)
高77㎝,幅37㎝,厚17㎝ 寛文年間(1661-73)以降?   市教委(池田を歩くp17)/能勢地方の旧街道・石造物p46,74 移設 (光背右)「右ハ よし川ちか道」、(同左)「左ハ ぎんざん道」/全面に地蔵立像を陽刻/多田銀山の産出量が増え始めた寛文年間以降と考えられている 2
  井口堂の題目塔道標1
(有馬道の道標)
いぐちどう
(ありま)
池田市 (1丁目)
<能勢街道・有馬道>
石道標(自然石) 高92㎝,幅29㎝,厚36㎝ 17世紀中期?   市教委(池田を歩くp4)/大阪の街道と道標p57   (中央右)「右ハ いけだみち」、(同左)「左ハ ありまみち」/中央に「南無阿弥陀仏」、下部に蓮華紋を陰刻/井口堂の南無阿弥陀仏道標2と同様の形式  
  井口堂の題目塔標2 いぐちどう 池田市 (1丁目)
<能勢街道・有馬道>
石道標(自然石) 高65㎝,幅31㎝,厚24㎝ 17世紀中期?   市教委(池田を歩くp3)/大阪の街道と道標p57 新しい台石の上に置かれ、祀られている (中央右)「右ハ 大坂道」、(同左)「左ハ 京道」/中央に「南無阿弥陀仏」、下部に蓮華紋を陰刻/井口堂の南無阿弥陀仏道標1と同様の形式 1 -
  中河原町の題目塔道標 なかがわら 池田市 <余野街道(摂丹街道)> 石道標(自然石) 高65㎝,幅42㎝,厚30㎝ 17世紀中期?   市教委(池田を歩くp21)/大阪の街道と道標p52 下部埋没 (中央右)「右 久安寺かめやま道」、(中央左)「左ハ のせみち」/中央に南無阿弥陀佛」と陰刻 3 -
  神田の道標 こうだ 池田市 (3丁目)
<尼崎街道・池田道>
石道標(蒲鉾型) 高90㎝,幅17㎝,厚15㎝ 江戸期?   市教委(池田を歩くp36) 移設 (正面中央)「(梵字)左 いけた」、(同左)「是より十五丁」、(側面中央)「右 いたみ」、(同左)「是より二十丁」 2
  吉田町の題目塔道標
(長尾山毘沙門天の道標)
よしだ
(ながお)
池田市 <妙見道> 石道標(円柱) 高158㎝,幅19㎝,厚19㎝ 江戸期   市教委(池田を歩くp27) 移設 「妙見江ぬけ道」/中央に「長尾山毘沙門天」と陰刻 2
  木部町の道標3
(新町の道標3)
きべ
(しん)
池田市 <能勢街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高117㎝,幅22㎝,厚21㎝ 江戸期?   市教委(池田を歩くp14)/大阪の街道と道標p57 移設 (正面)「右 大聖天道、久安寺宝積院/是ヨリ二十五丁」、(左面)「久安寺より妙見道/池のせつたい所まで十三丁」 2
  井口堂の地蔵道標 いぐちどう 池田市 (1丁目)
<能勢街道・有馬道>
石道標(尖頭角柱) 高91㎝,幅23㎝,厚22㎝ 江戸期   市教委(池田を歩くp3-4)/大阪の街道と道標p57/能勢地方の旧街道・石造物p43 移設?/井口堂の道標1に並んで祀られている (像下)「右 大坂」/上部を光背型に削り込み、地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻/光背の下に蓮華紋を陰刻 2
  西本町の道標
(呉服橋手前の道標)
にしほん 池田市 <西国三十三所巡礼道
(勝尾寺→中山寺)>
石道標(自然石) 高67㎝,幅47㎝,厚47㎝ 江戸期?   市教委(池田を歩くp12)/大阪の街道と道標p255 横倒しになり、一部埋没している 「すぐ、妙見/中山、道」 3 -
  建石町の道標 たていし 池田市 明星大神宮 石道標(自然石) 高60㎝,幅30㎝,厚30㎝ 江戸期   市教委(池田を歩くp8) 移設/下部埋没 「左、京/大坂、道」 3 -
写真 伝弁慶の泉 べんけい 池田市 (豊島南) 湧水   文治元(1185)以前   WEB(的形道標クラブ) 修景 箕面川の伏流水/義経の西国逃避行にまつわる伝承のある湧水/灌漑にも用いられた 2
写真 伏屋町の常夜灯1 ふせや 和泉市 (3丁目)
<父鬼街道・妙見道>
石常夜灯 高1.80m 寛政9(1797)?   和泉市石造物p91/市教委 保存状態良好/常夜灯2、伏屋町の秋葉山常夜灯と並んで残る 「住吉大神宮」 1
  池田下町の常夜灯 いけだしも 和泉市 (願成) 石常夜灯 高1.82m 天保2(1831)   和泉市石造物p90/市教委 個人宅に移設 「おかげ」 3
写真 伏屋町の常夜灯2 ふせや 和泉市 (3丁目)
<父鬼街道・妙見道>
石常夜灯 高1.70m 江戸期?   和泉市石造物p92/市教委 保存状態良好/常夜灯1、伏屋町の秋葉山常夜灯と並んで残る/風化により摩耗が進む 「愛宕山大明神」 1
写真 伏屋町の秋葉山常夜灯 ふせや 和泉市 (3丁目)
<父鬼街道・妙見道>
石常夜灯 高1.50m 江戸期?   和泉市石造物p91/市教委 保存状態良好/伏屋町の常夜灯1、2と並んで残る/風化により摩耗が進む/現在も町の防火設備と並んで残る 「秋葉山大権現」 1
写真 万町の常夜灯 まん 和泉市 (石尾山) 石常夜灯 高1.50m 江戸期?   和泉市石造物p92/市教委 山中の道路沿いに残る/風化による摩耗で文字判読困難   2
  伏屋町の題目塔道標 ふせや 和泉市 (4丁目)<父鬼街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高110㎝,幅30㎝,厚28㎝ 元禄4(1691)   大阪の街道と道標p138/和泉市内の道標写真集p24/WEB 下部埋没 (正面)「ひたりハ めうけん」/左右各側面に「南無妙法蓮華経」と陰刻/17世紀の道標/17世紀の道標 2
写真 和気町の題目塔道標 わけ 和泉市 (1丁目) 石道標(尖頭角柱) 高85㎝,幅24㎝,厚24㎝ 元禄4(1691)   和泉市石造物p143/市教委/大阪の街道と道標p245 妙泉寺(移設)/その他の石碑、常夜灯と並べて建てられている (裏面右)「左ハ めうけんみち」/正面に「南無日蓮大菩薩」と陰刻、左側面に「南無妙法蓮華経」、裏面左に「奉誦蛇尼五百巻」と陰刻/17世紀の道標 2
  善正町の題目塔道標 ぜんしょう 和泉市 <桧原越> 石道標(自然石) 高80㎝,幅58㎝ 元禄11(1698)   和泉の文化財2p29/和泉市内の道標写真集p37/大阪の街道と道標p249   「みぎ ふぢいてらみち/ひだり さかいみち」/中央に「南無観世音菩薩」と陰刻/17世紀の道標  
写真 寺門町の道標 てらかど 和泉市 <熊野街道・河泉街道> 石道標(尖頭角柱) 高75㎝,幅19㎝,厚19㎝ 享保6(1721)   市教委/大阪の街道と道標p66,142/和泉市内の道標写真集p20 迎接寺〔寺門町の地蔵道標が祀られる地蔵堂脇〕(移設)/下部埋没 「(梵字)右ハ 牛滝道 是三」 2 -
写真 内田町の地蔵道標 うちだ 和泉市 (3丁目) 石道標(舟型) 高50㎝,幅25㎝,厚10㎝ 延享2(1745)   和泉市石造物p75/市教委 C製台座、石造の祠で祀られている/前掛けが掛けられている (光背左)「左 まつの寺へ」/全体に地蔵立像を陽刻、光背右に「法界」と陰刻 2 -
  父鬼町の道標1 ちちおに 和泉市 <桧原越> 石道標(尖頭角柱) 高98㎝,幅23㎝,厚20㎝ 明和9(1772)   和泉市内の道標写真集p49 移設 「東 右 こうや 七り」、「南 中まきのう 五十丁」、「西 左、堺 七り/大坂 十り」、「北」 2
  和気町の題目塔道標 わけ 和泉市 (2丁目)<熊野街道> 石道標(尖頭角柱) 高174㎝,幅36㎝,厚36㎝ 安永2(1773)   大阪の街道と道標p66   (台石)「左り/妙泉寺」/正面上部に「南無妙法蓮華経」と陰刻  
  槇尾山町の道標1 まきおさん 和泉市 <桧原越> 石道標(尖頭角柱) 高83㎝,幅18㎝,厚18㎝ 安永9(1780)   大阪の街道と道標p249   (正面)「弘法大師求聞持所」、(左面)「女人きんせい」  
写真 槇尾山町の道標2 まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 石道標 高110㎝,幅29㎝,厚28㎝ 寛政4(1792)   浅見峯一/和泉市内の道標写真集p43/大阪の街道と道標p247 施福寺門前(移設?) (正面)「右、ふし井てら 七り/さ可い 六り 大坂 九り」、(左面)「左、こ可王てら 六り/かうやさん 七り」 2
写真 父鬼町の道標2 ちちおに 和泉市 <父鬼街道> 石道標
(自然石、砂岩)
高117㎝,幅22㎝,厚29㎝ 寛政11(1799)   大阪の街道と道標p139/市教委/和泉市内の道標写真集p47 上部で折損し、上下部分が並べて置かれている/父鬼町の道造供養塔と並んで残る (正面中央)「東、ま起のを道/二リ」、(同右)「さかい 大坂」、(左面)「南 高野山道」、(裏面)「西 うしたき道」 3
  南面利町の道標 なめり 和泉市 <河泉街道> 石道標(尖頭角柱) 高87㎝,幅18㎝,厚17㎝ 文化10(1813)   大阪の街道と道標p143/和泉市内の道標写真集p37 保存状態良好 (正面)「南 まきのす みち」、(左面)「西、きしわだ/牛滝山 さかい、道」、(右面)「東、ふぢゐ寺/大峯山 いせ、道」 1
写真 和気町の道標 わけ 和泉市 <熊野街道・松尾谷街道> 石道標 高110㎝,幅28㎝,厚28㎝ 文化12(1815)   和泉市石造物p144/大阪の街道と道標p66,245/市教委/和泉市内の道標写真集p22 「寺」の刻字が埋没 「右 和氣 妙泉寺」 2
  松尾寺町の道標 まつおじ 和泉市 <松尾谷街道> 石道標(駒型) 高68㎝,幅19㎝,厚15㎝ 天保2(1831)   和泉市内の道標写真集p33/大阪の街道と道標p245 保存状態良好 「右 やまみち/左 、道」(「大のむら/まきの」) 1 -
  父鬼町の道標3 ちちおに 和泉市   石道標 高85㎝,幅20㎝,厚12㎝ 天保12(1841)   和泉市内の道標写真集p50 保存状態良好 「右 粉川寺/すぐ 堀越観音/左 まきの尾」 1
  下宮町の道標 しものみや 和泉市 <父鬼街道> 石道標(自然石) 高68㎝,幅50㎝,厚30㎝ 嘉永6(1853)   大阪の街道と道標p139/和泉の文化財2p29/和泉市内の道標写真集p38 保存状態良好 「右 まきのを/左 大みね山」 1 -
  大野町の道標 おおの 和泉市   石道標(自然石) 高約70㎝ 安政3(1856)   和泉市内の道標写真集p46 保存状態良好 (正面)「左、己かがし/きし己だ/みづま寺、道」/右側面に「先祖為代々」と陰刻 1 -
  槇尾山町の道標3 まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 石道標 高85㎝,幅26㎝,厚23㎝ 文久元(1861)   大阪の街道と道標p247 施福寺(移設?) (正面)「当国三十三所第一番」、(右面)「是ヨリ二番佛並一里」 2
  槇尾山町の道標4 まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 石道標 高130㎝,幅24㎝,厚21㎝ 文久3(1863)   和泉市内の道標写真集p44/大阪の街道と道標p247 施福寺(移設?) 「右 ふじゐ寺/左 堺 大坂、道」 2
  大野町の地蔵道標 おおの 和泉市   石道標(舟型) 高約70㎝ 江戸期?   和泉市内の道標写真集p45 保存状態良好? (光背右)「右 あまの山 こんごう山」、(同左)「左 さかい大坂」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 仏並町の道標 ぶつなみ 和泉市 <槇尾山街道> 石道標 高120㎝,幅22㎝,厚15㎝ 江戸期   市教委 道路際に横倒しになっている/一部埋没? 「右 さかいミち/左 まきのみち」 3
  下宮町の地蔵道標 しものみや 和泉市 <父鬼街道> 石道標(舟型) 高80㎝,幅40㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p139   (光背右)「右 ふぢい寺道」、(同左)「左 さかい 大坂道」/全面に地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻  
  伏屋町の地蔵道標 ふせや 和泉市 (1丁目)<父鬼街道> 石道標(舟型) 高79㎝,幅36㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p138/和泉の文化財2p31/和泉市内の道標写真集p23   (光背上)「(梵字)」、(同右)「右 いせふじゐ寺」、(同左)「左 さかい大坂」/全体に地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻  
  池田下町の道標 いけだしも 和泉市 <父鬼街道> 石道標(舟型) 高55㎝,幅30㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p138   (光背右)「右 さかい 大坂」、(同左)「左 信田森道」/全面に地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻   -
写真 槇尾山・桧原越道町石
(二十丁)
まきおさん、
ひばらごえ
和泉市 近畿自然歩道
<桧原越道>
町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期?   浅見峯一 木に立て掛けられている 槇尾山・桧原越道町石は遠方から現在の配置順に並べている/
(光背上)「(梵字)」、(同右)「二十丁」/全面に地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻/〔槇尾山・桧原越道町石は和歌山県に1基、河内長野市に3基現存している〕
2
写真 槇尾山・桧原越道町石
(十五丁)
まきおさん、
ひばらごえ
和泉市 近畿自然歩道
<桧原越道>
町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期?   浅見峯一 現役で信仰の対象 (光背上)「(梵字)」、(同右)「十五丁」/全面に地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻/〔槇尾山・桧原越道町石は和歌山県に1基、河内長野市に2基現存している〕 1
写真 槇尾山・滝畑道町石
(六丁?)
まきおさん、
たきはた
和泉市 (追分)ダイアモンドトレール<高野山慈尊院→槇尾山> 町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期   浅見峯一 風化により文字判読困難/設置環境不良 槇尾山・慈尊院方面参道町石は遠方から現在の配置順に並べている/形態から六丁石と考えられる/全面に地蔵立像を陽刻 3
写真 槇尾山・滝畑道町石
(五丁)
まきおさん、
たきはた
和泉市 ダイアモンドトレール<高野山慈尊院→槇尾山> 町石(舟型) 高約40㎝ 江戸期   浅見峯一 下半部欠損 (光背右)「五丁」/全面に地蔵立像を陽刻 3 -
写真 槇尾山・滝畑道町石
(三丁)
まきおさん、
たきはた
和泉市 ダイアモンドトレール<高野山慈尊院→槇尾山> 町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期   浅見峯一 保存状態良好 (光背右)「三丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 槇尾山・滝畑道町石
(二丁)
まきおさん、
たきはた
和泉市 ダイアモンドトレール<高野山慈尊院→槇尾山> 町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期   浅見峯一 現在も信仰の対象 (光背右)「二丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 槇尾山・滝畑道町石
(一丁)
まきおさん、
たきはた
和泉市 ダイアモンドトレール<高野山慈尊院→槇尾山> 町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期   浅見峯一 現在も信仰の対象 (光背右)「一丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 槇尾山・藤井寺道町石
(九丁)
まきおさん、
ふじいでら
和泉市 <西国三十三所巡礼道
(槇尾山→藤井寺)>
町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期   浅見峯一 光背頂部欠損 槇尾山・藤井寺方面参道町石は遠方から現在の配置順に並べている/(光背上)「(梵字)」、(同右)「九丁」/全面に地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻 2
写真 槇尾山・藤井寺道町石
(七丁)
まきおさん、
ふじいでら
和泉市 <西国三十三所巡礼道
(槇尾山→藤井寺)>
町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期   浅見峯一 光背頂部に帽子状のものが被せられている (光背右)「七丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 槇尾山・藤井寺道町石
(五丁)
まきおさん、
ふじいでら
和泉市 <西国三十三所巡礼道
(槇尾山→藤井寺)>
町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期   浅見峯一 保存状態良好 (光背右)「五丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 槇尾山・藤井寺道町石
(四丁)
まきおさん、
ふじいでら
和泉市 <西国三十三所巡礼道
(槇尾山→藤井寺)>
町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期   浅見峯一 保存状態良好 (光背上)「(梵字)」、(同右)「四丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 槇尾山・藤井寺道町石
(三丁)
まきおさん、
ふじいでら
和泉市 <西国三十三所巡礼道
(槇尾山→藤井寺)>
町石(舟型) 高約60㎝ 江戸期   浅見峯一 保存状態良好 (光背上)「(梵字)」、(同右)「三丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 槇尾山・藤井寺道町石
(一丁)
まきおさん、
ふじいでら
和泉市 <西国三十三所巡礼道
(槇尾山→藤井寺)>
町石(舟型) 高約50㎝ 江戸期   浅見峯一 光背上部欠損 (光背上)「(梵字)」、(同右)「一丁」/全面に地蔵立像を陽刻 2 -
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(五十丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高77㎝,幅33㎝ 江戸期   市教委 仏並寺(移設)/下部埋没 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石は遠方から現在の配置順に並べている「(梵字)五十丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(五十丁)~地蔵町石(四十六)が一つのC台に並んでいる/写真:一番右の地蔵町石 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(四十九丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高77㎝,幅32㎝ 江戸期   市教委 仏並寺(移設)/下部埋没 「(梵字)四十九丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(五十丁)~地蔵町石(四十六)が一つのC台に並んでいる/写真:右から2つ目の地蔵町石 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(四十八丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高78㎝,幅34㎝ 江戸期   市教委 仏並寺(移設)/下部埋没 「(梵字)四十八丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(五十丁)~地蔵町石(四十六)が一つのC台に並んでいる/写真:中央の地蔵町石 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(四十七丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高55㎝,幅34㎝ 江戸期   市教委 仏並寺(移設)/頭から上が欠損/下部埋没 「(梵字)四十七丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(五十丁)~地蔵町石(四十六)が一つのC台に並んでいる/写真:左から2つ目の地蔵町石 3 -
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(四十六丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高76㎝,幅34㎝ 江戸期   市教委 仏並寺(移設)/下部埋没 「(梵字)四十六丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(五十丁)~地蔵町石(四十六)が一つのC台に並んでいる/写真:一番左の地蔵町石 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(四十五丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高75㎝,幅33㎝ 江戸期   市教委 仏並寺(移設)/下部埋没 「(梵字)四十五丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(四十五丁)~地蔵町石(四十二)が一つのC台に並んでいる/写真:一番右の地蔵町石 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(四十四丁?) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高57㎝,幅32㎝ 江戸期   市教委 仏並寺(移設)/頭から上が欠損、下部埋没 「十四丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(四十五丁)~地蔵町石(四十二)が一つのC台に並んでいる/周辺の町石から四十四丁石と考えられる/写真:右から2つ目の地蔵町石 3 -
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(四十三丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高80㎝,幅33㎝ 江戸期   市教委 仏並寺(移設)/下部埋没 「(梵字)四十三丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(四十五丁)~地蔵町石(四十二)が一つのC台に並んでいる 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(四十二丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高75㎝,幅40㎝ 江戸期   市教委 仏並寺(移設)/上部欠損、下部埋没 「(梵字)四十二丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(四十五丁)~地蔵町石(四十二)が一つのC台に並んでいる 3
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(四十一丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高63㎝,幅34㎝ 江戸期   市教委 光背上部欠損 「四十一丁」/全面に地蔵立像を陽刻 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(三十六丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高86㎝,幅38㎝ 江戸期   市教委 保存状態良好/祠内 「三十六丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(三十五丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高約80㎝? 江戸期   市教委 移設/個人宅裏の祠で祀られている(木枠で見えにくい) 「(梵字)三十五丁」/全面に地蔵立像を陽刻 3
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(三十四丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高70㎝,幅35㎝ 江戸期   市教委 保存状態良好 「(梵字)三十四丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(三十三丁) まきおさん 和泉市 貧女橋<槇尾山街道> 町石(舟型) 高92㎝,幅34㎝ 江戸期   市教委 光背上部欠損/Cブロックの祠内 「(梵字)三十三丁」/全面に地蔵立像を陽刻/角柱町石(三十四丁)と並んでいる 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(二十六丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高69㎝,幅36㎝ 江戸期   市教委 光背上部欠損 「二十六丁」/全面に地蔵立像を陽刻 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(二十五丁) まきおさん 和泉市 池<槇尾山街道> 町石(舟型) 高43㎝,幅34㎝ 江戸期   市教委 下半部埋没、地蔵の顔が削られている 「二十五丁」/全面に地蔵立像を陽刻/角柱町石(二十五丁)と並んでいる 4 -
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(二十三丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高67㎝,幅35㎝ 江戸期   市教委 下部欠損 「二十三丁」/全面に地蔵立像を陽刻 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(二十二丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高71㎝,幅34㎝ 江戸期   市教委 地蔵の顔の一部が欠損、下部埋没 「(梵字)二十二丁」/全面に地蔵立像を陽刻 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(二十丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高78㎝,幅31㎝ 江戸期   市教委 首の下で水平に折損、修復 「二十丁」/全面に地蔵立像を陽刻/角柱町石(二十一丁)と並んでいるので「二十一丁」と思われる 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(二十丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高69㎝,幅35㎝ 江戸期   市教委 下部欠損 「二十丁」/全面に地蔵立像を陽刻 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(二十九丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高63㎝,幅35㎝ 江戸期   市教委 首から上が欠損 「二十九丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(二十七丁)、角柱町石(十八丁)と並んでいる/写真:中央の地蔵町石 3
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(二十七丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高56㎝,幅33㎝ 江戸期   市教委 頭から上が欠損 「二十七丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(二十九丁)、角柱町石(十八丁)と並んでいる/写真:左側の地蔵町石 2 -
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(十七丁) まきおさん 和泉市 青少年の家・前
<槇尾山街道>
町石(舟型) 高71㎝,幅36㎝ 江戸期   市教委 光背上部欠損 「十七丁」/全面に地蔵立像を陽刻 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(十六丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高61㎝,幅32㎝ 江戸期   市教委 首から上が欠損/祠で祀られている 「十六丁」/全面に地蔵立像を陽刻 3
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(十五丁) まきおさん 和泉市 十五丁谷<槇尾山街道> 町石(舟型) 高61㎝,幅33㎝ 江戸期   市教委 光背上部欠損 「十五丁」/全面に地蔵立像を陽刻 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(十四丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高58㎝,幅31㎝ 江戸期   市教委 下半部欠損 「十四丁」/全面に地蔵立像を陽刻 4 -
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(十三丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高61㎝,幅33㎝ 江戸期   市教委 光背欠損 「十三丁」/全面に地蔵立像を陽刻 3
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(十二丁) まきおさん 和泉市 <槇尾山街道> 町石(舟型) 高77㎝,幅33㎝ 江戸期   市教委 下部欠損 「十二丁」/全面に地蔵立像を陽刻 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(十一丁) まきおさん 和泉市 公園駐車場
<槇尾山街道>
町石(舟型) 高約80㎝? 江戸期   市教委 移設 「十一丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(十丁)と並んでいる 2
写真 槇尾山・槇尾山街道地蔵町石(十丁) まきおさん 和泉市 公園駐車場
<槇尾山街道>
町石(舟型) 高約80㎝? 江戸期   市教委 移設 「十丁」/全面に地蔵立像を陽刻/地蔵町石(十一丁)と並んでいる 2
写真 不動さん町石(二丁) ふどう 和泉市 (若樫町) 町石(尖頭角柱) 高70㎝→約20㎝,幅15.5㎝,厚7㎝ 不詳   和泉市石造物p1512/市教委 移設/ほぼ欠損し現存部分に残る文字は「丁」のみ 「二丁」/以前は11丁石まであったとされるが現存するのはこの1基のみ 4 -
写真 父鬼町の道造供養塔 ちちおに 和泉市 <父鬼街道> 石塔(自然石) 高106㎝,幅69㎝,厚30㎝ 天保15(1844)   近畿地方の歴史の道1p92/市教委/和泉市内の道標写真集p47 下部をCで固定/父鬼町の道標と並んで残る (正面中央)「(梵字)道造供養塔」、(同右)「馬頭観世音」、(同左)「大威徳明王」/関西で道供養塔は稀 2
写真 泉穴師神社の太鼓橋 いずみあなし 泉大津市 泉穴師神社・参道 石桁橋(太鼓型) (2G) 江戸期?   WEB(石橋巡礼) 橋脚、弧状の桁石、橋面石の半分が後補 いわゆる「神橋」だが通行禁止になっていない/弧状に削り出された両側の太鼓型の桁石上に橋面石を直接並べる簡単な構造 3
  日根野の題目塔道標 ひねの 泉佐野市 <粉河街道> 石道標 高58㎝,幅23㎝,厚23㎝ 弘化3(1846)   大阪の街道と道標p167   (右面)「すぐ 粉河/左 山みち」、(左面)「すぐ 貝塚/左 こんぴらみち」/正面に「大衆妙典一宇一石」と陰刻   -
  土丸の題目塔道標 つちまる 泉佐野市 <大木嶺道> 石道標(自然石、砂岩) 高103㎝,幅41㎝,厚31㎝ 嘉永7(1854)   大阪の街道と道標p167/近畿地方の歴史の道1p112,282 中央で水平に折損したものを修復 (正面右)「右 大阪 きしわだ」、(同左)「左 さの」、(右面)「左 こかわ道」/正面中央に「南無阿彌陀佛」と陰刻 2
  鶴原の題目塔道標 つるはら 泉佐野市 (4丁目)<紀州街道・孝子越紀州街道> 石道標(上部円筒角柱) 高162㎝,幅28㎝,厚28㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p74 保存状態良好 (上部円筒部)「東南西北」、(正面下)「右 大川あはしま/左 紀州わか山」/正面に「南無阿弥陀仏」と陰刻 1
  本町の道標 ほん 泉佐野市 (4丁目)
<孝子越紀州街道>
石道標(尖頭角柱) 高60㎝,幅26.5㎝,厚16.5㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p75   (正面)「右ハ 大川道」、(左面)「右 大坂道」   -
  泉原の道標常夜灯 いずはら 茨木市 <余野街道(亀岡街道)> 石常夜灯(道標) 高2.4m 文政4(1821)   わがまち茨木・道標p30/大阪の街道と道標p187 火袋を更新(?)し、火袋を鋼枠で補強 (竿上部横書き)「大峯」、(竿)「為三十三度供養、右 妙見/左 泉原」 2
  東福井の常夜灯 ひがしふくい 茨木市 (ニ丁目)<鳥居嶺道> 石常夜灯 高約2m 嘉永6(1853)   近畿地方の歴史の道2p424/WEB 火袋更新? (正面)「妙見宮」、(礎石部横書き)「大阪」、(竿右側面)「天下泰平 國宮安全」 2
  三咲町の道標 みさき 茨木市 <枝切街道(茨木街道支道)> 石道標 高105㎝,幅27㎝,厚27.5㎝ 寛政9(1797)   わがまち茨木・道標p66/大阪の街道と道標p123 風化により摩耗が進む (正面)「すく そうぢじ、右 大坂/左 丹波」、(裏面)「す久 かちをてら、右 丹波/左 大坂」、(頂部左側面側)「亀」、(同右側面側)「禽」/左側面に「石に問ひ/石のこたふる/野分け哉」と陰刻/「亀」は玄武で北、「禽」は朱雀で南を表すとされる/方位を四神で表した道標は珍しい 2
  中穂積の道標 なかほづみ 茨木市 (2丁目)<茨木街道> 石道標 高92㎝,幅24㎝,厚24㎝ 寛政12(1800)   わがまち茨木・道標p64 個人宅に移設 (正面)「右、からさき/みしまへ、道」、(左面)「左、京 道/そうじ寺」 2
  下音羽の阿弥陀如来像道標 しもおとわ 茨木市 <鳥居嶺道・清坂街道(亀岡街道)> 石道標(丸彫) 高94㎝,幅24㎝,厚20㎝ 文化2(1805)   大阪の街道と道標p50/わがまち茨木・道標p51 下部埋没/旧清坂峠に至る旧道に残る (正面)「右 あなう」、(右面)「左 そうじ寺」/道標頂部の正面向きに阿弥陀如来(?)立像を丸彫 2
  下音羽の墓標道標1 しもおとわ 茨木市 <鳥居嶺道・清坂街道(亀岡街道)> 石道標 高84㎝,幅27㎝,厚13㎝ 文化5(1808)   わがまち茨木・道標p95/大阪の街道と道標p50 旧清坂峠に残る/保存状態良好 (右面)「左 あなを」、(左面)「右 そうじ寺」/正面に「(梵字)願徳了永信士之位」と陰刻 1
写真 宿川原町の道標 しゅくがはら 茨木市 宿川原西会場<道祖本街道(巡礼街道)> 石道標 高102㎝,幅24㎝,厚26㎝ 文化5(1808)   わがまち茨木・道標p83/WEB(的形道標クラブ) 移設/上半分が欠損/基部露出 (正面)「〔右、そう〕じ寺/〔京 〕大坂、道」←〔〕内が欠損 3 -
  三咲町の供養塔道標 みさき 茨木市 <枝切街道・道祖本街道(巡礼街道)> 石道標(尖頭角柱) 高93㎝,幅35㎝,厚35㎝ 文政4(1821)   わがまち茨木・道標p82/大阪の街道と道標p123,227 保存状態良好 (正面)「右 いはらき/左 そうちち、道」/右側面に法名を陰刻 1
  東福井の道標 ひがしふくい 茨木市 (2丁目)
<清坂街道(亀岡街道)>
石道標(尖頭角柱) 高80㎝,幅28㎝,厚16㎝ 文政10(1827)   大阪の街道と道標p49/わがまち茨木・道標p23 下部埋没? (正面)「右、妙けん/たんば」、(右面)「左 郡山 大坂」 2
  総持寺の道標 そうじじ 茨木市 (1丁目)総持寺正門<道祖本街道(巡礼街道)> 石道標(尖頭角柱) 高121㎝,幅24㎝,厚24㎝ 天保15(1844)   わがまち茨木・道標p79/大阪の街道と道標p227 移設 (正面中央)「右 かちをうじ道」、(同左下)「是より二り半」 2
  東奈良の道標1 ひがしなら 茨木市 (3丁目)東奈良史跡公園 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高132㎝,幅16㎝,厚16㎝ 安政2(1855)   わがまち茨木・道標p100 移設/横倒しにされている 「左 妙見山」/下部の本来地中に埋める部分は台形に広がっている 3
  下音羽の題目塔道標2 しもおとわ 茨木市 <鳥居嶺道・清坂街道(亀岡街道)> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高142㎝,幅30㎝,厚30㎝ 安政4(1857)   近畿地方の歴史の道2p417/大阪の街道と道標p50/わがまち茨木・道標p50 石垣の上に立つ/旧清坂峠に至る旧道に残る (左面)「右 阿なを寺道」、(右面)「左 そうじ寺道」/正面に「(梵字3文字)宝誉樹林山大徳/願誉恵光智海禪尼、位」と陰刻 1
  忍頂寺の道標1 にんちょうじ 茨木市 <清坂街道(亀岡街道・枝切街道)> 石道標(尖頭角柱) 高79㎝,幅22㎝,厚22㎝ 文久3(1863)   わがまち茨木・道標p47/大阪の街道と道標p123 忍頂寺の道標2と並んで立つ (正面)「是ヨリ/龍王山八丁」、(左面)「右 大坂 茨木/左 柳谷 、道」(「道原/立石 から」) 1 -
  忍頂寺の道標2 にんちょうじ 茨木市 <清坂街道(亀岡街道・枝切街道)> 石道標(尖頭角柱) 高127㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 慶応元(1865)   わがまち茨木・道標p46/大阪の街道と道標p123 忍頂寺の道標1と並んで立つ 「左、日本/最初、神峰山寺毘沙門天王道」/「左」は正方形に削り込まれ陰刻 1
  新中条町の道標 しんちゅうじょう 茨木市 <高槻街道> 石道標(尖頭角柱) 高73㎝,幅18㎝,厚18㎝ 慶応3(1867)   わがまち茨木・道標p87/大阪の街道と道標p173 中条小学校(移設) (正面)「左、大坂 河内/吹田」、(右面)「右、京 茨木/そうじち」、(左面)「すぐ 奈良町」 2 -
  山手台の題目塔道標 やまてだい 茨木市 (4丁目)<清坂街道(亀岡街道)> 石道標(尖頭角柱) 高164㎝,幅39㎝,厚39㎝ 江戸期?   わがまち茨木・道標p36/大阪の街道と道標p188 山手台中央公園(移設) (正面)「左 京みち 右 大坂」/右、左側面に「南無妙法蓮華経」と陰刻 2
  安威の五輪塔道標 あい 茨木市 <茨木街道支道> 石道標(下部六角柱、五輪塔) 高157㎝,六面各幅16㎝ 江戸期   わがまち茨木・道標p76 墓地内に残る (六角柱正面)「左 そうじちミち」/道標記載面以外の5面各面に「南無阿弥陀佛」と陰刻/上部は水輪、火輪が丸掘りされている 2
写真 耳原の題目塔道標 みのはら 茨木市 法華寺門前(2丁目)
<西国街道>
石道標(尖頭角柱) 高139㎝,幅40㎝,厚40㎝ 江戸期   わがまち茨木・道標p13/大阪の街道と道標p43 移設 (左面)「左 そうぢじミち」/正面、右側面に「南無妙法蓮華経」と陰刻 2
  郡の常夜灯道標 こおり 茨木市 (4丁目)<清坂街道(亀岡街道)> 石道標(常夜灯) 高123㎝,幅15㎝,厚15㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p49/わがまち茨木・道標p21 下部に亀裂/上部に十字に切り込みの入った角柱状の竿のみが残る (正面)「右 大坂」、(左面)「左 妙けん たんば」 3
  大岩の道標 おおいわ 茨木市 <清坂街道・余野街道(亀岡街道)> 石道標 高80㎝,幅23㎝,厚23㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p49,187   「右 福井 大坂/左 大岩 高槻」  
  東奈良の道標2 ひがしなら 茨木市 (3丁目)<茨木街道> 石道標(尖頭角柱) 高77㎝,幅15㎝,厚13㎝ 江戸期?   わがまち茨木・道標p60 茨木市立文化財資料館(移設) (正面)「右 かちうじ郡山宿」 2 -
  東奈良の道標3 ひがしなら 茨木市 (3丁目)<茨木街道> 石道標(尖頭角柱) 高75㎝,幅17㎝,厚15㎝ 江戸期?     東奈良史跡公園(移設) (正面)「右そうじち」、(左面)「左 加ち(お)し」 2 -
  山手台の道標 やまてだい 茨木市 (4丁目)
<清坂街道(亀岡街道)>
石道標(尖頭角柱) 高75㎝,幅18㎝,厚16.5㎝ 江戸期?   わがまち茨木・道標p35/大阪の街道と道標p188 山手台中央公園(移設) (正面)「すぐ、能勢 妙見山/国見 かめ山」、「右、大坂 福井 郡山/茨木 みしま江」/かめ山は明治3以前の亀岡の呼称 2 -
  東福井の町石 ひがしふくい 茨木市 (3丁目) 町石 高73㎝,幅19㎝ 元治元(1864)   わがまち茨木・道標p105 個人宅へ移設/風化による摩耗が進む (正面)「五十丁」/風化が激しく「五十丁」以外の内容が読み取れないものの、「五十丁」が上部に配置されている事から町石だと考えられる 3
  五社井堰 ごしゃいせき 茨木市 安威川・左岸 用水路 灌漑面積209ha 寛永2(1625)以前   市教委 昭和49にC改修 太田・総持寺・中城・宮田・赤大路・富田・西五百住の7村を灌漑していた 4
  一ノ井堰 いちのいせき 茨木市 安威川・右岸 用水路 灌漑面積187ha 寛永2(1625)以前   市教委 昭和26にC改修 桑原・安威・十日市・耳原・西河原・田中・倍賀・上中条・五日市・畑田の11村を灌漑していた 4
  権内水路(深山水路) ごんない
(みやま)
茨木市 下音羽川 用水路 長約2㎞,幅約1m 宝永年間(1704-10)   WEB C改修/約1.3kmの遊歩道を整備 施主:庄屋・畑中権内/独力で築造下流 4
  池之原の太神宮常夜灯 いけのはら 大阪狭山市 (4丁目) 石常夜灯 高1.84m 宝暦10(1760)   大阪狭山市史7p60-61 保存状態良好 「太神宮夜燈」 1 -
  東池尻の常夜灯 ひがしいけじり 大阪狭山市 (3丁目)
<西高野街道>
石常夜灯 高1.93m 明和元(1764)   近畿地方の歴史の道1p458/WEB 東池尻の常夜灯2と並んで残る→移設? 「天王宮夜燈」 2 -
写真 茱萸木の太神宮常夜灯 くみのき 大阪狭山市 (5丁目)
<西高野街道>
石常夜灯 高2.46m 明和7(1770)   近畿地方の歴史の道1p92,381/大阪狭山市史7p80-81 原位置?/火袋更新 (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
  東池尻の太神宮常夜灯 ひがしいけじり 大阪狭山市 (3丁目)
<西高野街道>
石常夜灯 高2.00m 安永4(1775)   近畿地方の歴史の道1p389,457/WEB 東池尻の常夜灯1と並んで残る(移設?) 「太神宮」 2
  狭山の太神宮常夜灯 さやま 大阪狭山市 (5丁目)
<中高野街道>
石常夜灯 高2.38m 文化2(1805)   近畿地方の歴史の道1p389,458/大阪狭山市史7p50-51 火袋更新/移設? 「太神宮献燈」/狭山の道標2などの石造物と共に建つ 2
写真 今熊の太神宮常夜灯 いまくま 大阪狭山市 (7丁目) 石常夜灯 高1.58m 天保元(1830)   大阪狭山市史7p72-73 原位置?/街道沿いの住宅の門前に残る (竿正面)「太神宮」、(中台正面)「お/か/げ」/竿は角柱/石基壇なし 1 -
  池尻中の地蔵道標 いけじりなか 大阪狭山市 (1丁目)
<下高野街道>
石道標(舟型) 高63㎝,幅29㎝,厚14㎝ 享保14(1729)   大阪狭山市史7p46-47/大阪の街道と道標p126 地蔵堂(移設?)/現在も信仰の対象 (光背上)「(梵字)」、(同右)「右 大さか」、(同左)「左 かうや」/全面に地蔵立像を陽刻 2
  池之原の地蔵道標1 いけのはら 大阪狭山市 (1丁目) 石道標 高63㎝,幅29㎝,厚10㎝ 享保14(1729)   大阪狭山市史7p60-61   「(梵字)左 さかい」/地蔵菩薩を陽刻  
  岩室の地蔵道標 いわむろ 大阪狭山市 <西高野街道> 石道標(舟型) 高75㎝,幅30㎝ 元文元(1736)   大阪の街道と道標p32/近畿地方の歴史の道1p379,436   (光背上)「(梵字)」、(同左)「左、さやま/よしの、道」/全面に地蔵立像(錫杖)を陽刻  
  池之原の地蔵道標2 いけのはら 大阪狭山市 (4丁目) 石道標 高70㎝,幅30.5㎝, 厚16㎝ 宝暦3(1753)   大阪狭山市史7p60-61   「(梵字)右ハ たうき道」/地蔵菩薩を陽刻  
  大野中の地蔵道標 おおのなか 大阪狭山市   石道標 高51㎝,幅22㎝,厚12.5㎝ 明和3(1766)?   大阪狭山市史7p86-87   「(梵字)、右 くみのき/左 いのくま」/道標部分は追刻/地蔵菩薩像を陽刻   -
  半田の供養塔道標 はんだ 大阪狭山市 (2丁目)
<中高野街道>
石道標(蒲鉾型) 高70㎝,幅28㎝,厚15㎝ 安永8(1779)   大阪狭山市史7 付録p58-59/大阪の街道と道標p129 風輪寺(移設) (右面)「左 かうやみち」/正面に「(梵字3字)天下太平/奉納大乗妙典六十六部/日月清明河刕南郡半」と陰刻 2 -
  池之原の地蔵道標3 いけのはら 大阪狭山市 (2丁目)
<下高野街道>
石道標(舟型) 高60㎝,幅30㎝, 厚17㎝ 文政11(1828)   大阪狭山市史7 付録p60-61/大阪の街道と道標p126   (光背上)「(梵字)」、(同右)「右 さかい」、(同左)「左 妙見」/全面に地蔵立像を陽刻   -
写真 今熊の道標 いまくま 大阪狭山市 (7丁目)<西高野街道・天野街道> 石道標(蒲鉾型) 高123㎝,幅32㎝, 厚15.5㎝ 天保3(1832)   大阪狭山市史7p72-73
/大阪の街道と道標p32
近接移設? (正面)「右 あまの山 二里/左 かうや山 十里」 1
  狭山の道標さやま 大阪狭山市 (4丁目)
<中高野街道>
石道標(尖頭角柱) 高122㎝,幅26㎝,厚24㎝ 天保11(1840)   大阪狭山市史7 付録p50-51/大阪の街道と道標p129 報恩寺(移設?) (正面)「こい/さか、子安地蔵尊/是より一丁」、(左面)「(梵字)」 2
写真 高野山十里道標石 こうやさん 大阪狭山市 (茱萸木7丁目)
<西高野街道>
石道標(尖頭角柱) 高154㎝,幅23㎝,厚24㎝ 安政4(1857)   近畿地方の歴史の道1p438/大阪狭山市史7 付録p80-81 原位置? (正面)「是ヨリ/髙野山女人堂江 十里」/左側面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/河内茱萸木村(現大阪狭山市)の農民・小左衛門、五兵衛が発起人となり、堺市榎元町の十三里石から高野町神谷の一里石まで西高野街道に13基建立した道標の一つ(一里~六里石は和歌山県、七里~九里石は河内長野市、十二・十三里石は堺市に現存) 1
写真 高野山十一里道標石 こうやさん 大阪狭山市 (岩室2丁目)
<西高野街道>
石道標(尖頭角柱) 高175㎝,幅27.5㎝,厚25㎝ 安政4(1857)   大阪狭山市史7 付録p66-67/大阪の街道と道標p32 近接移設? (正面)「是ヨリ/髙野山女人堂江 十一里」/左側面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/以下同上 1
  大野西の道標1 おおのにし 大阪狭山市   石道標(尖頭角柱) 高96㎝,幅22.5㎝,厚15㎝ 安政7(1860)   大阪狭山市史7p84-85   (正面)「右、高野山/是より/九里」、(左面)「左、瀧谷山/是より/七十丁」  
  東野西の道標 ひがしのにし 大阪狭山市 (4丁目)
<中高野街道・和泉街道>
石道標(尖頭角柱) 高182㎝,幅55㎝,厚53㎝ 慶応2(1866)   大阪狭山市史7 付録p42-43/大阪の街道と道標p129,148 保存状態良好 (正面)「當社菅生天満宮」、(左面)「すぐ、三日市/高野山」、(右面)「すぐ、平野総本山/大坂天王寺、右、藤井寺/誉田八幡宮/道明寺」/鳥居脇に建つ 1
  今熊の地蔵道標 いまくま 大阪狭山市 (7丁目) 石道標 高63.5㎝,幅29㎝,厚16㎝ 江戸期   大阪狭山市史7p72-73 地蔵首部で折損したものを補修 「(梵字)、右 あまのミち/いまくまみち」/地蔵菩薩像を陽刻 2
  狭山の道標2 さやま 大阪狭山市 (5丁目)<滝谷不動・金剛山道への道> 石道標(尖頭角柱) 高94㎝,幅19.5㎝,厚17.5㎝ 江戸期   大阪狭山市史7p50-51 移設? 「左 たきたにふどう/こんごう山ミち、狭山新丁」/狭山の常夜灯などの石造物と共に建つ 2
写真 狭山池(遺構を含む) さやま 大阪狭山市 狭山池博物館(遺構)/西除川 土堰堤 展示切断面:
高14.49m,底幅57.19m,厚3m
推古24(616)頃→天平3(731)頃行基による改修→天平宝字6(762)大規模改修→建仁2(1202
)改修→慶長13(1608)改修→元和・寛永・慶安・延宝・享保・寛保・文化に改修
府史跡名勝 狭山池博物館常設展示案内 狭山池の堤の断面が展示/保存工事として、高1.5m、幅3m、厚0.5mの101個ブロックに分け、ポリエチレングリコールをつかった保存処理で強度を高めて切り出した 聖徳太子が摂政となり(593)、古代国家が形成されていく中で、灌漑用の池溝開発を積極的に推進した時代背景を象徴する遺構/日本最古のダム式の溜池→敷葉工法で築造(堤高5.4m,堤長推定300m)/行基の嵩上は約60㎝(敷葉工法)/天平宝字の嵩上は3.5m(堤高9.5m,堤長310m)/建仁の改修は重源/慶長13の改修は、文禄5(1596)の大地震による被災を受け豊臣秀頼の家臣・片桐且元が改修、工事責任者は林又右衛門尉(東樋、中樋、西樋の構築、堤長推定600m) 3 写真
写真 狭山池の木樋管・遺構 さやま 大阪狭山市 狭山池博物館 木管 樋管長約60m 推古24(616)頃→天平宝字6(762)改修→弘仁8(817)改修 府考古資料 狭山池博物館常設展示案内 博物館内に保存展示/堤体解体補強時に発掘 狭山池創建時に設けられた樋管: コウヤマキの丸太のくり抜き(長約60m)→年輪年代測定により616年に切り倒されたことが判明→狭山池の築造年代を確定/天平宝字の改修(土堰堤の嵩上げに伴う底幅の拡大)の際に13m延長/天平宝字に延長された樋管の取水部から弘仁8の木材が発見→継続的な改修を示す
2
写真 狭山池の「六段」の石樋・遺構 さやま、
ろくたん
大阪狭山市 狭山池博物館 石管 樋管長約65m
→3個
建仁2(1202) 府考古資料 狭山池博物館常設展示案内 博物館内に保存展示/大正・昭和初年の改修時に発見/平成の改修時にも発見 古墳時代の石棺を加工して重源が造った石樋/「段」は長さの単位/建仁2の「南無阿弥陀佛作善集」に記された「石樋」と推定されている
3
写真 狭山池の東樋・遺構 さやま 大阪狭山市 狭山池博物館 木樋 1段の取水部,樋管全長約64m 慶長13(1608)→寛永・享保・寛保・文化に改修 府考古資料 狭山池博物館常設展示案内 博物館内に保存展示 江戸時代の狭山池の3つの樋の一つ/背の高い摺柱の間に水の取り入れ口があり、戸関板に取り付けた男柱を上下させて水量を調節した/木樋に続く樋管部は、上記「創建時の木樋管」が丸太のくり抜きだったのに対し、底板、側板、蓋を組み合わせた構造→継ぎ目に「まきはだ」が見られる→船大工の技術
2
写真 狭山池の中樋・遺構 さやま 大阪狭山市 狭山池博物館 木樋 4段の取水部 慶長13(1608)→寛永・享保・寛保・文化に改修 府考古資料 狭山池博物館常設展示案内 博物館に保存展示(一部石)/平成の改修で最下段の4番樋のみ発見(大正・昭和初年の改修で1~3番樋を撤去) 江戸時代の狭山池の3つの樋の一つ(4段の尺八樋)/樋門自体は4段の尺八樋/取水部の両側に重源の石棺を使って擁壁が造られている→右手の擁壁石材に「重源狭山池改修碑」を転用(展示はレプリカ)→中世の土木工事に関する貴重な石碑〔博物館内では別途にガラスケース内で展示 2
  狭山池の西樋・遺構 さやま 大阪狭山市 狭山池博物館 木樋 4段の取水部 慶長13(1608)→寛永・享保・寛保・文化に改修   狭山池博物館常設展示案内 博物館に保存展示(部分)/平成の改修で最下段の4番樋のみ発見 江戸時代の狭山池の3つの樋の一つ(4段の尺八樋)/かつて狭山池最大の樋だった/16世紀末~17世紀頃の構造船の棚と呼ばれる船材を再利用 4
写真 重源狭山池改修碑 ちょうげん、
さやま
大阪狭山市 狭山池博物館 石碑(和泉砂岩) 高58.5㎝,
幅192㎝,
厚79.5㎝
建仁2(1202)頃   狭山池博物館常設展示案内p38-39 博物館に展示 「敬白 三世十万方諸佛菩提寺/狭山池修複事/右池者昔行基菩薩行年六十四/之時以天平三年次辛未初築/堤伏樋而年序漸積及毀破爰依摂津/河内和泉三箇國流末五十余郷人民之/誘引大和尚南無阿陁佛行年八十二/時自建仁二年次壬戌春企修複/即以二月七日始堀土以四月八日始伏石/樋同廿四日終功其間道俗男女沙少/乞丐非人等自手引石築堤者也是/不名利偏爲益也願以此結縁□□/一佛長平等利益法界衆生 敬白/(梵字5字)/大勧進造東大寺大和尚/南無阿弥陁佛/少勧進阿闍梨(梵字)阿佛/(梵字7字)浄阿/(梵字5字)順阿□□□/(梵字5字)/(梵字5字)/…/阿…/番匠廿人之内/造東大寺大工伊勢/守物部爲里/造唐人三人之内 大工守保」/緑字は異体字/行基が築造した堰堤と伏樋が破損したため、建仁2に重源が修復を計画し、身分、男女関係なく公益のため協力して修復を行ったことが記されている 2
写真 半田一里塚 はんだ 貝塚市 <熊野街道> 一里塚(1基) 高4m,周囲30m 慶長9(1604) 府史跡 市教委/WEB 塚上に雑木が茂っている 現役の道路沿いに残る 3
  蕎原の地蔵道標1 そぶら 貝塚市 <水間街道> 石道標(和泉砂岩) 高69㎝,幅32㎝ 寛延元(1748)   市教委(貝塚の石造物p25)/大阪の街道と道標p159 保存状態良好 (光背右)「石やまミち」、(同左)「左 かつらき」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  蕎原の地蔵道標2 そぶら 貝塚市 <水間街道> 石道標 高91㎝,幅42㎝ 延享5(1748)   市教委(貝塚の石造物p25)/大阪の街道と道標p159 C製?の台に乗せられ、祀られている (光背左)「是よりかすらき山へ三十六町」/全面に地蔵立像を陽刻、光背右に「(梵字)諸願成就」と陰刻 2
  木積の道標 こつみ 貝塚市 <水間街道> 石道標 高114㎝,幅25㎝,厚24㎝ 寛政8(1796)   近畿地方の歴史の道1p107/市教委(貝塚の石造物p23) 保存状態良好 (正面)「左り、こつみ村/楠大名神五丁」、(右面)「右 道陸神社二十丁」 1
  海塚の道標 うみづか 貝塚市 <水間街道> 石道標(尖頭角柱) 高106㎝,幅22.5㎝,厚22㎝ 文政13(1830)   市教委(貝塚の石造物p28)/大阪の街道と道標p159/近畿地方の歴史の道1p280 中央折損部をセメントで修復 (正面)「左ハ、うしたき/まきをてら、道」、(右面)「右ハ みづまてら道」 2
  蕎原の道標 そぶら 貝塚市 <粉河越道・水間街道> 石道標 高100㎝,幅21㎝,厚12㎝ 天保4(1833)   近畿地方の歴史の道1p103/市教委(貝塚の石造物p27) 保存状態良好 (正面)「玉冷泉」、(右面)「是より拾五間入志みず阿理」 1
  麻生中の地蔵道標 はんだ 貝塚市 <熊野街道> 石道標 高80㎝,幅22㎝,厚21㎝ 天保15(1844)   大阪の街道と道標p66   「右 はし本道/左 みづま道」/上部を光背型に削り込み、地蔵坐像を陽刻  
  王子の地蔵道標 はんだ 貝塚市 <熊野街道・粉河街道> 石道標(蒲鉾型) 高65㎝,幅26㎝,厚17㎝ 嘉永6(1853)   大阪の街道と道標p66 現在も信仰の対象 「左 く三のき山/すぐ をぐり」/上部を光背型に削り込み、地蔵坐像を陽刻 1
  三ツ松の大師像道標
(辻堂地蔵尊)
みつまつ 貝塚市 <水間街道> 石道標 高64㎝,幅21㎝,厚14㎝ 安政2(1855)   市教委(貝塚の石造物p22)/大阪の街道と道標p159 下部折損部を修復 「右 岸和田貝塚/左 三之(凾をかんにょうの代りにしんにょう)山大師十丁」/上部に弘法大師坐像を陽刻 2
  麻生中の大師像道標 あそなか 貝塚市 <水間街道> 石道標 高80㎝,幅25㎝,厚22㎝ 安政6(1959)   市教委(貝塚の石造物p29)/大阪の街道と道標p159 下部埋没 (正面)「左 かいがんじ」、(右面)「右 みつまみち」/正面上部に弘法大師坐像を陽刻 2
  澤の道標1 さわ 貝塚市 <紀州街道> 石道標
(上部円柱角柱)
高138㎝,幅25.5㎝,厚20.5㎝,円形部高12㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p11)/大阪の街道と道標p74 保存状態良好 「八品大明神/是ヨリ二丁/左 紀州道」、(上部円柱正面)「東/南」/角柱の上が円柱状になっている 1
  橋本の地蔵道標 はしもと 貝塚市 <熊野街道> 石道標 高97.5㎝,幅33.5㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p15) 保存状態良好 (光背右)「右ハ おぐりみち」、(同左)「左ハ かいづかみち」/全面に地蔵立像を陽刻、下部に蓮の花を線刻 1
  半田の道標 はんだ 貝塚市 <熊野街道> 石道標 高99㎝,幅21.5㎝,厚14.5㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p11) 移設 「右 たゑま道」/左側面に「円光大師廿五巡拝」と陰刻 2
  石才の地蔵道標1 いしざい 貝塚市 <熊野街道> 石道標 高86㎝,幅47㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p14) お堂で祀られている (光背右)「右 かいつかみち」、(同左)「左 おくりみち」/全面に地蔵立像を陽刻 2
  石才の地蔵道標2 いしざい 貝塚市 <熊野街道> 石道標 高81.5㎝,幅36㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p14) お堂で祀られている (光背右)「右ハ か」、(同左)「左ハ おぐりみち」/全面に地蔵立像を陽刻 2
  王子の地蔵道標 おうじ 貝塚市 <熊野街道> 石道標(蒲鉾型) 高62.5㎝,幅16.5㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p16) C製の台に乗せられ、祀られている (像下)「左三の山/すぐをぐり、道」/上部に地蔵立像を陽刻 2
  新町の道標 しん 貝塚市 <紀州街道> 石道標 高62㎝,幅18.5㎝,厚11㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p9) C舗装上に立っている 「八大龍王道」 1 -
  澤の道標2 さわ 貝塚市 <紀州街道> 石道標 高61㎝,幅19.5㎝,厚13㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p10) 保存状態良好 「右 妙見山」 1 -
  木積の地蔵道標1 こつみ 貝塚市 <水間街道> 石道標 高57㎝,幅34㎝, 江戸期   市教委(貝塚の石造物p23)/大阪の街道と道標p159 木積の地蔵道標2と並んで残る (光背上)「(梵字)」、(同右)「右 かづらき 高野道」、(同左)「左、牛たきまきのを/大峯山伊勢、道」/全面に地蔵立像を陽刻 1 -
  名越の弘法大師像道標 なごせ 貝塚市 <水間街道> 石道標 高50㎝,幅17.5㎝,厚9.5㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p20) 下部埋没 (像下)「右 三ノ上(以下埋没)/すぐ(以下埋没)」/上部に弘法大師坐像を陽刻 2 -
  海塚の道標2 うみづか 貝塚市 <水間街道> 石道標 高62㎝,幅17㎝,厚11㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p17) 上部欠損 「(欠損部)寺観音道」 3 -
  木積の地蔵道標2 こつみ 貝塚市 <水間街道> 石道標 高58㎝,幅26㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p24)/大阪の街道と道標p159 地蔵首部で左右に亀裂/木積の地蔵道標1と並んで残る (光背上)「(梵字)」、(同右)「右ハ かつらき道」、(同左)「左ハ 牛たきまきのを」/全面に地蔵立像を陽刻 3 -
  蕎原の地蔵道標3 そぶら 貝塚市 <水間街道> 石道標 高55.5㎝,幅30㎝ 江戸期   市教委(貝塚の石造物p24)/大阪の街道と道標p159   (光背)「右ハ かつらき道/左ハ うしたき道」/全面に地蔵立像を陽刻   -
  清児の地蔵道標1 せちご 貝塚市 <水間街道> 石道標 高50㎝,幅25㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p20) 地蔵首部で水平に折損したものをC修復 (光背上)「(梵字)」、(同右)「 岸和田」、(同左)「 貝塚」/全面に地蔵立像を陽刻 3 -
  葛城神社町石(十丁) かつらぎ 貝塚市 (蕎原)<水間街道> 町石(駒型) 高90㎝,幅16㎝,厚8.5㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p26) 斜面に立てかけられている 蕎原の道標・丁石は、年代順、丁数順ではなく、現在の残存配置順に遠方から並べてある/「十丁」、(左面)「貝、ぬし/きそ」 2
  葛城神社町石(三丁) かつらぎ 貝塚市 (蕎原)<水間街道> 町石(駒型) 高73㎝,幅15㎝,厚8.5㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p30) 移設 「三丁」、(左面)「貝かごせ」 2 -
  葛城神社町石(八丁) かつらぎ 貝塚市 (蕎原)<水間街道> 町石(駒型) 高50㎝,幅14㎝,厚9.5㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p26) 保存状態良好 「八丁」 1 -
  葛城神社町石(四丁) かつらぎ 貝塚市 (蕎原)<水間街道> 町石(駒型) 高44㎝,幅14.5㎝,厚7.5㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p27) 保存状態良好 「四丁」、(右面)「貝をけ 1 -
  水間寺町石(三十三町) みずまじ 貝塚市 (鳥羽)<水間街道> 町石 高35㎝,幅16㎝,厚11㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p18) 下部Cに埋没 水間寺の丁石は、年代順、丁数順ではなく、現在の残存配置順に遠方から並べてある/「三十三丁」 2 -
  水間寺町石(廿七町) みずまじ 貝塚市 (麻生中)<水間街道> 町石(駒型) 高51.5㎝,幅16㎝,厚10.5㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p19) 一部欠損 「廿七町」 2 -
  水間寺町石(八丁) みずまじ 貝塚市 (三ツ松)<水間街道> 町石(駒型) 高93㎝,幅17.5㎝,厚12㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p21) 下部Cで固定 「八丁」 2
  水間寺町石(一町) みずまじ 貝塚市 (水間)<水間街道> 町石 高37.5㎝,幅19㎝,厚17㎝ 江戸期?   市教委(貝塚の石造物p22)   「一町」   -
  件番井堰 けんばん 貝塚市 近木川→今池 用水路 約2㎞ 近世   市教委 大正初期にC改修 件番用水は畠中、加治神前、脇ノ浜の管理水路 5
  貝塚寺内町環濠・跡 かいづか 貝塚市 感田神社<貝塚寺内町> 環濠 東西550m,南北800m→長約20m 天文年間(1532-54)   近畿地方の歴史の道1p73/WEB 感田神社境内に濠の一部が保存 貝塚寺内町の周囲に築造された環濠の一部とされる 4
  上市の常夜灯 かみいち 柏原市 (2丁目)
<奈良街道(亀瀬越道)>
石常夜灯 高2.00m 明和8(1771)   近畿地方の歴史の道2p137/WEB 大和川堤防斜面に残る (正面)「金比羅大権現」、(裏面)「金比羅大権現」/東高野街道との交差点 1
  国分東条町の地蔵道標 こくぶひがんじょう 柏原市 柏原工業団地<ひるめ道> 石道標 高110㎝,幅20㎝,厚15㎝ 寛保3(1743)   大阪の街道と道標p193 周囲に雑草が茂る 「右ハ ひるめ みち/左ハ、ふじい/だるま寺、みち」/上部に地蔵立像を陽刻 2
写真 今町の道標 いま 柏原市 (1丁目)<竜田越奈良街道(亀瀬越道)> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高155㎝,幅28㎝,厚26㎝ 天保9(1838)   近畿地方の歴史の道2p130/大阪の街道と道標p16/信貴山への道標p39 原位置? (正面中央)「右 信貴山 毘沙門天」、(同左)「是ヨリ 五十町」、(右面)
「すぐ、八尾 平野/大坂、道」、(左面)「すぐ、道明寺 廿一丁/大和、道」、(裏面)「左、住与之/さ可い」(=住吉)
1
  雁多尾畑の道標 かりんどおばた 柏原市 <信貴越恩智道> 石道標 高60㎝,幅21㎝,厚19㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p91   (正面)「右 やまみち」、(左面)「左、大坂/かしわら、道」/「大坂」の標記は江戸期の可能性   -
写真 大和川の付替え やまと 柏原市 <大和川> 付替え 延長約14.3㎞,高約5m,幅約180m 元禄17(1704)   石田 堤防を嵩上げ/写真は、旧大和川の流路を北から西に直角に変える部分に構築された「築留」堤()と、西(正面)に向かって直線的に掘られた新河道 旧大和川流域は天井川地形のため洪水の常襲地帯となっていたため、新川開削による付替えの嘆願書が何度も町奉行所に提出された→しかし、新川が開削される地域では多大な不利益をこうむるため、反対の嘆願書が提出され膠着状態に陥ってしまう→最終的に、元禄15(1702)に出された42ヶ村による付替え嘆願書を受け、翌16年4月に大坂東町奉行所代官・萬年長十郎が検分を実施、翌5月には幕府の若年寄・大目付・勘定奉行が検分、10月には付替えを決定、翌17年2月着工、14.3㎞、幅180mの開削という大工事にもかかわらず同年10月には完成/旧河道は砂地のため綿花が栽培され、幕府に安定した収入をもたらした→この経済的効果が、付替えを決断した最大の理由とされる 3 写真
  清浄泉(浄井戸) せいじょう、せん(じょういど) 柏原市   湧水   8世紀頃? 府史跡 WEB 蛇口による水汲み場を設置 生駒山地の岩盤の上面に湧き出た水/村人の他、この地に訪れた聖武・孝謙・弥徳天皇も使用したという伝説が残る/空海がこの井戸を掘り、干ばつから民衆を救った伝説から「大師の水」とも呼ばれる 4
  郡津の常夜灯 こうづ 交野市 <東高野街道> 石常夜灯 高3.00m 文政13(1820)   近畿地方の歴史の道1p362,450/WEB 竿に注意看板が掛けられている/火袋にスリガラス 「大峯山」、「弘法大師」 3
  寺の常夜灯 てら 交野市 <奈良街道(傍示越道)> 石常夜灯(花崗岩) 高2.55m 文政12(1829)   近畿地方の歴史の道2p131   「二月堂」  
  倉治の供養塔道標 くらじ 交野市 (7丁目)<山根街道> 石道標 高94㎝,幅22㎝,厚22㎝ 天保2(1831)   大阪の街道と道標p199 移設 (右面)「すぐ 大坂道」、(左面)「すぐ 京みち」/正面に法名を陰刻 2
  私市の道標 きさいち 交野市 (2丁目)
<岩船街道・山根街道>
石道標(六角柱) 高82㎝,各面24㎝ 天保7(1836)   大阪の街道と道標p80,199/WEB 移設 (正面より時計回り順に各面)「地ぞうみち」「東 かいがけ」「南 いわふ弥道」「西 京ひらかた」「ざいのみち」「北」/6面に内容が刻まれた道標は稀 2
  星田の道標 ほしだ 交野市 (2丁目)<山根街道> 石道標 高100㎝,幅27㎝,厚16㎝ 弘化2(1845)   大阪の街道と道標p199 風化により摩耗が進む (正面)「(右指差し)大坂/(左指差し)妙見、道」 2
  私部西の道標 きさべにし 交野市 (5丁目)
<東高野街道・山根街道>
石道標 高188㎝,幅33㎝,厚33㎝ 安政2(1855)   近畿地方の歴史の道1p363,426/大阪の街道と道標p26 保存状態良好 (正面)「右 宇治/左 京八幡、道」、(右面)「すぐ 高野大坂 道」/正面上部に「大峰山」と陰刻/明治期の道標と並んで建つ 1
  星田の道標 ほしだ 交野市 (5丁目)<東高野街道> 石道標
(自然石、花崗岩)
高182㎝,幅120㎝,厚80㎝ 安政3(1856)   近畿地方の歴史の道1p426 保存状態良好 (右面)「すぐ 京 八はた 道」/正面に「大井川万吉」と陰刻 1
  倉治の町石 くらじ 交野市 (6丁目) 町石 高69㎝,幅28㎝,厚22㎝ 南北朝~室町期
(14-15世紀)?
  交野市の石造文化財1p49 下部欠損/移設 「(梵字)七町」/「石仏の道」と呼ばれる道沿いの池周辺から出土 3
写真 稗島の道標 ひえじま 門真市 堤根神社・前
<枝切街道>
石道標 高110㎝,幅32㎝,厚25㎝
江戸期   大阪の街道と道標p120 移設? (正面)「右 さた らか多 京/左 とくあん やを 大坂、道」、(右面)「左 のざき すみのど/春ぐ とくあん ふじい寺 大坂」、(左面)「右 のざき すみのどら/すぐ さたみち」/「大坂」の標記は江戸期 2
  砂子水路 すなご 門真市 <古川> 運河 長500m,幅6m
寛永7(1630)   WEB 護岸整備 農器具・農作物や生活物資を運ぶ際に使われたとされる/門真市内で一番ともいわれる桜の名所   3
写真 伝茨田堤  でんまんだのつつみ 門真市 <淀川?> 土堤防? 長543m
(史跡指定長)
(古墳期?)
→室町初~後期
府史跡 WEB/木谷幹一 低い土手様のものが残る 「古事記」「日本書紀」に記載された“日本最古の築堤”と言われてきたが、門真市による昭和57の「宮野遺跡発掘調査概要」では、室町初期の木組み遺構が発見され、現遺構の実年代は中世の可能性が大/現在、この遺構が“何か?”については、①この辺りに古代の築堤があった(古代の淀川が現在より南方、旧茨田郡の中央を流れていたために、低湿地帯であった集落を水害から防ぐため)が、現遺構は室町期の新設 or 修築によるもの、②古文書に見られる下神田の「横堤」の一部ではないかという説、③室町後期の城郭の一部という説、④中世の奈良街道(兼堤防)などの可能性が指摘されている 4
  喜多町の太神宮常夜灯 きた 河内長野市 <西高野街道> 石常夜灯 高2.72m 宝暦年間(1751-63)   近畿地方の歴史の道1p383,457   「太神宮夜燈」  
写真 原町の太神宮常夜灯 はら 河内長野市 <西高野街道> 石常夜灯 高2.04m? 明和5(1768)   近畿地方の歴史の道1p383/大阪狭山市史7p114-115 移設/火袋、最下段の台石 後補 (竿正面)「太神宮常夜燈」/石基壇なし 2
  古野町の太神宮常夜灯 ふるの 河内長野市 <西高野街道> 石常夜灯 高2.08m 明和6(1769)   近畿地方の歴史の道1p383,457   「太神宮」、「古野村」  
写真 三日市町の常夜灯 みっかいち 河内長野市 <高野街道・三日市宿> 石常夜灯   明和7(1770)   現地解説板 原位置?/小公園として整備 (竿正面)「弘法大師」/石基壇なし 1
  市町の太神宮常夜灯 いち 河内長野市 <東高野街道> 石常夜灯 高3.10m 明和8(1771)   近畿地方の歴史の道1p375,454   「太神宮夜燈」  
  岩瀬の太神宮常夜灯 いわぜ 河内長野市 <高野街道> 石常夜灯 高1.83m 明和9(1772)   大阪狭山市史7p120-121   「太神宮」   -
  向野の太神宮常夜灯 むかいの 河内長野市 <東高野街道> 石常夜灯 高2.80m 安永3(1774)   近畿地方の歴史の道1p375 保存状態良好 「太神宮夜燈」 1
写真 松ヶ丘中町の太神宮常夜灯 まつがおかなか 河内長野市 <西高野街道> 石常夜灯 高2.90m 安永5(1776)   近畿地方の歴史の道1p381/大阪狭山市史7p112-113 原位置?/火袋更新 (竿正面)「太神宮夜燈」/石基壇なし 1
写真 天見の太神宮常夜灯 あまみ 河内長野市 <高野街道> 石常夜灯 高1.66m 寛政2(1790)   大阪狭山市史7p120-121 原位置/火袋はガラス入り木枠がはめられている (竿正面)「太神宮夜燈」/石基壇なし 1 -
写真 小深の道標 こぶか 河内長野市 <河泉街道(大沢峠道)> 石道標(鉤状駒型、花崗岩) 高129㎝,幅52㎝, 厚33㎝ 万治4(1661)   大阪の街道と道標p145/近畿地方の歴史の道1p512,558 保存状態良好 「(梵字)金剛山道」/17世紀の道標 1
  錦町の地蔵道標 にしき 河内長野市 <河泉街道> 石道標(舟型) 高90㎝,幅35㎝ 享保4(1719)   大阪の街道と道標p144   (光背右)「右 ざい所道」、(同左)「左 ふじい寺道」/全面に地蔵立像を陽刻  
写真 市町の地蔵道標
(孝子の地蔵さん)
いち 河内長野市 <東高野街道> 石道標(舟型) 高136㎝,幅48㎝,厚44㎝ 元文2(1737)   大阪の街道と道標p29/近畿地方の歴史の道1p375,434 木の祠の中にある (光背上)「(梵字)」、(同左)「左 まきのを道」/全面に地蔵立像(錫杖)を陽刻/西国巡礼に出かけた母娘の悲話と孝行の伝承/現在も信仰の対象 1
写真 岩瀬の地蔵道標 いわぜ 河内長野市 地蔵堂<高野街道> 石道標(舟型) 高105㎝,幅42㎝,厚15㎝ 元文6(1741)   大阪狭山市史7p120-121大阪の街道と道標p33 移設、集約/光背頂部が斜めに折損→修復 (光背右)「右 加うや くまのミち」/中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 3
  小山田町の道標 おやまだ 河内長野市 <天野街道> 石道標(尖頭角柱) 高111㎝,幅28㎝,厚18㎝ 文政4(1821)   大阪狭山市史7p142-143   (正面)「右 あまの/左 かうや、道」、(左面)「右 さかい道」  
写真 原町の道標1 はら 河内長野市 (1丁目)<西高野街道> 石道標(自然石) 高80㎝,幅40㎝,厚26㎝ 天保6(1835)   大阪狭山市史7p114-115/大阪の街道と道標p33 移設 (正面)「右 かうや/左 ふじゐ寺」 2
写真 楠町西の大師像道標 くすのきにし 河内長野市 <西高野街道(高野街道?)> 石道標(尖頭角柱) 高158㎝,幅31㎝,厚30㎝ 天保8(1837)   近畿地方の歴史の道1p438/大阪狭山市史7 付録p114-115 移設 (正面像下)「四國八十八ケ所遥拜道/こ連与里 壱甼」/正面頂部を光背型に削り込み大師坐像を陽刻 2
写真 原町の道標2 はら 河内長野市 (1丁目)<西高野街道> 石道標(自然石) 高109㎝,幅68㎝,厚39㎝ 嘉永元(1848)   大阪狭山市史7p114-115/大阪の街道と道標p33 移設/下部埋没 (正面)「右 さ可い 大…/左 まきの…」 3
  向野町の祖神寺護道標 むかいの 河内長野市 <東高野街道> 石道標(自然石) 高92㎝,幅66㎝ 嘉永7(1854)   大阪の街道と道標p29   (正面)「右 まきのふ/左 かうや」/中央に「祖神寺護」と陰刻  
  野作町の道標 のさく 河内長野市 <河泉街道> 石道標(尖頭角柱) 高140㎝,幅28㎝,厚28㎝ 安政3(1856)   大阪の街道と道標p144   (正面)「すぐ ふじいてら」、(右面)「人皇/十四代、仲哀天皇御陵」  
  天野町の供養塔道標 あまの 河内長野市 <天野街道・河泉街道> 石道標(尖頭角柱) 高213㎝,幅31㎝,厚31㎝ 安政4(1857)   大阪狭山市史7p142-143/大阪の街道と道標p143 天野山金剛寺北側(移設?) (正面)「左 ふち井てら道/是より/四里半」、(左面)「右 まき尾山道/是より/七十丁」/裏面に「(家紋?)祖先菩提」と陰刻 2
  天野町の道標 あまの 河内長野市 <天野街道・上神谷街道> 石道標(尖頭角柱) 高158㎝,幅32㎝,厚32㎝ 安政4(1857)   大阪狭山市史7p142-143/大阪の街道と道標p152 天野山金剛寺北側(移設?) (正面)「南 右、(ふりがな)ふちいてらミち/葛井寺道、是ヨリ/四里」、(左面)「西」、(右面)「東 左、(ふりがな)まきをさんミち/槙尾山道、是ヨリ/七十二丁」、(左面)「西」、(裏面)「北」/方角は各面に向かって頂部に陰刻されている/ふりがな付の道標は稀 2
写真 高野山七里道標石 こうやさん 河内長野市 (天見)<西高野街道> 石道標(尖頭角柱) 高172㎝,幅26㎝,厚25㎝ 安政4(1857)   近畿地方の歴史の道1p386/大阪狭山市史7p120-121 移設/下部で水平に折損→修復 (正面)「髙野山女人堂江 七里」/左面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/以下同上/河内茱萸木村(現大阪狭山市)の農民・小左衛門、五兵衛が発起人となり、堺市榎元町の十三里石から高野町神谷の一里石まで西高野街道に13基建立した道標の一つ(一里~六里石は和歌山県、十里・十一里石は大阪狭山市、十二・十三里石は堺市に現存) 2
写真 高野山八里道標石 こうやさん 河内長野市 (西片添町)<西高野街道(高野街道)> 石道標(尖頭角柱) 高173㎝,幅31㎝,厚30㎝ 安政4(1857)   近畿地方の歴史の道1p384/大阪狭山市史7 付録p118-119 移設 (正面頂部)「西」、(その下)「是ヨリ/高野山女人堂江 八里」、(右面頂部)「南」、(左面頂部)「北」、(同下部)「従是/三日市宿」/右面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/以下同上 2
写真 高野山九里道標石 こうやさん 河内長野市 行者堂(古野町)<高野街道・東高野街道・西高野街道> 石道標(尖頭角柱) 高157㎝,幅27㎝,厚27㎝ 安政4(1857)   大阪の街道と道標p29,33/大阪狭山市史7p116-117 移設、集約/刻字が一部見えない (正面)「是ヨリ/髙野山女人堂 九里」/左面に「南無…」と陰刻/以下同上/下記の「古野町の道標」と密着 2
写真 古野町の道標 ふるの 河内長野市 行者堂(古野町)<高野街道・東高野街道・西高野街道> 石道標(尖頭角柱) 高112㎝,幅23㎝,厚18㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p29,33/大阪狭山市史7p116-117 移設、集約/刻字が一部見えない (正面)「右 中本山極樂寺/左 さ可い 四里 大坂江 七里」、(左面)「(右指差し)高野…」/上記の「高野山九里道標石」と密着 3
  楠町東の地蔵道標 くすのきちょうひがし 河内長野市 <西高野街道・中高野街道> 石道標 高69㎝,幅28㎝,厚17㎝ 江戸期?   大阪狭山市史7p114-115/大阪の街道と道標p33,129 移設? (光背右)「右ハ 平野道」、(同左)「ハ堺大坂道」、「南 かうや」/全面に地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
写真 滝畑の地蔵道標 たきはた 河内長野市 近畿自然歩道
<桧原越道>
石道標 高約60㎝ 江戸期?   浅見峯一 風化により摩耗が進む (光背右)「右まきのを」、(同左)「左 ちゝをに」/全面に地蔵立像を陽刻 2
  原町の地蔵道標 はら 河内長野市 (2丁目)明忍
<寺墓地<西高野街道>
石道標(花崗岩) 高70㎝,幅34㎝, 厚17㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道1p382 移設/下部Cに埋設 「左 志゛ゅんれい道」/頂部に地蔵坐像を丸彫 3
  喜多町の道標 きた 河内長野市 <高野街道> 石道標(蒲鉾型) 高95㎝,幅27㎝,厚19㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p33   (正面)「右、さかい/大坂道」、(左面)「左 いづみ」  
  岩瀬の道標 いわぜ 河内長野市 <高野街道> 石道標(自然石) 高88㎝,幅43㎝,厚35㎝ 江戸期   大阪狭山市史7p120-121/大阪の街道と道標p33   「右 かうや」「左 かうんこうせミち」  
写真 槇尾山・桧原越道町石
(三十五丁)
まきおさん、
ひばらごえ
河内長野市 近畿自然歩道
<桧原越道>
町石 高約60㎝ 江戸期?   浅見峯一 風化により摩耗が進む 槇尾山・桧原越道町石は遠方から現在の配置順に並べている(光背右)「三十五丁」/全面に地蔵立像を陽刻〔槇尾山・桧原越道町石は和歌山県に1基、和泉市に2基現存している〕 2
写真 槇尾山・桧原越道町石
(三十丁)
まきおさん、
ひばらごえ
河内長野市 (千本杉峠)近畿自然歩道<桧原越道> 町石 高約60㎝ 江戸期?   浅見峯一 保存状態良好 (光背上)「(梵字)」、(同右)「三十丁」/全面に地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻 1
写真 槇尾山・桧原越道町石
(二十五丁)
まきおさん、
ひばらごえ
河内長野市 近畿自然歩道
<桧原越道>
町石 高約60㎝ 江戸期?   浅見峯一 保存状態良好 (光背上)「(梵字)」、(同右)「二十五丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  寺ヶ池 てらが 河内長野市   溜池 堤長147m,
堤高15m
慶安2(1649)   WEB 昭和44堰堤を改修/遊歩道設置 現場指揮:中村与次兵衛/丘陵を利用して池の拡張を図る 3
写真 大沢の地蔵道標1 おおさわ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 石道標 高82㎝,幅33㎝,厚24㎝ 貞享2(1685)   近畿地方の歴史の道1p97,272 大沢の地蔵道標2と同じ木祠内/現在も信仰の対象 「左 まきの山道」/17世紀の道標 1
  大沢町の道標1 おおさわ 岸和田市 <父鬼街道> 石道標 高128㎝,幅52㎝,厚27㎝ 享保18(1733)   近畿地方の歴史の道1p97,272   (正面)「是より葛城嶺まで二十一丁」、(台石正面)「水間寺へ二リ/槇尾山へ二リ/粉河寺へ三リ/金剛山へ八リ」  
写真 大沢の地蔵道標2 おおさわ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 石道標 高92㎝,幅40㎝ 享保18(1733)   近畿地方の歴史の道1p92 大沢の地蔵道標1と同じ木祠内/現在も信仰の対象 「牛滝十六丁」 1
  大沢町の道標2 おおさわ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 石道標 高61㎝,幅17㎝,厚17㎝ 文化3(1805)   大阪の街道と道標p164   (正面)「右 さかいみち」、(左面)「左 みづま道」   -
  内畑町の地蔵道標 うちはた 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 石道標 高55㎝,幅23㎝ 文政7(1824)   大阪の街道と道標p164   (光背上)「(梵字)」、(同右)「右 みずま」、(同左)「左 うしたき」/全面に地蔵立像を陽刻   -
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石(廿二丁) うしたきさん、だいいとくじ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 高94㎝,幅48㎝ 江戸中期?   近畿地方の歴史の道1p86,272 保存状態良好 牛瀧山大威徳寺の町石は現在の残存配置順に遠方から並べてある/(光背右)「廿二丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石(廿一丁) うしたきさん、だいいとくじ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 高94㎝,幅50㎝,厚28㎝ 江戸中期?   近畿地方の歴史の道1p86,272 保存状態良好 (光背右)「廿一丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石(二十丁) うしたきさん、だいいとくじ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 高120㎝,幅45㎝ 江戸中期?   近畿地方の歴史の道1p86,272 保存状態良好 (光背右)「二十丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石(十九丁) うしたきさん、だいいとくじ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 高96㎝,幅50㎝ 江戸中期?   近畿地方の歴史の道1p86,272 保存状態良好 (光背右)「十九丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石(十七丁) うしたきさん、だいいとくじ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 高115㎝,幅51㎝ 江戸中期?   近畿地方の歴史の道1p86,272 保存状態良好 (光背右)「十七丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石(十丁) うしたきさん、だいいとくじ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 高96㎝,幅52㎝,厚16㎝ 江戸中期?   近畿地方の歴史の道1p86,272 保存状態良好 (光背右)「十丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石(九丁) うしたきさん、だいいとくじ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 高82㎝,幅51㎝ 江戸中期?   近畿地方の歴史の道1p86,272 保存状態良好 (光背右)「九丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石(八丁) うしたきさん、だいいとくじ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 高94㎝,幅50㎝ 江戸中期?   近畿地方の歴史の道1p86,272 保存状態良好 (光背右)「八丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石(四丁) うしたきさん、だいいとくじ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 高93㎝,幅50㎝,厚21㎝ 江戸中期?   近畿地方の歴史の道1p86,272 保存状態良好 (光背右)「四丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石(一丁) うしたきさん、だいいとくじ 岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 高111㎝,幅51㎝,厚25㎝ 江戸中期?   近畿地方の歴史の道1p86,272 保存状態良好 (光背右)「一丁」/全面に地蔵立像を陽刻 1
写真 久米田池 くめだ 岸和田市   土堰堤 堤長222m,堤高9m,面積45.6ha 天平10(738) 府史跡名勝/ため池百選 坂田/WEB 遊歩道を整備 行基が築造した溜池の代表事例/神亀2(725)から14年の歳月をかけて完成したとされ、隣接する久米田寺は久米田池の維持管理を目的として行基が建立したとされている/府下最大の溜池 3 写真
  百舌鳥赤畑町の道標 もずあかはた 堺市(北区) (5丁目)<西高野街道> 石道標 高11㎝,幅24㎝,厚24㎝ 文政13(1830)   近畿地方の歴史の道1p436/大阪の街道と道標p32 百舌鳥八幡宮(移設) (正面)「すぐ、かうやさん/こん古う山、道」、(右面)「右、いゑ者ら/大鳥一の宮、道」、(裏面)「さかい 神南辺」 2
  蔵前町の道標 くらまえ 堺市(北区) <長尾街道> 石道標(石屋形柱石、凝灰岩) 高165㎝,各柱幅12㎝ 天保14(1842)   近畿地方の歴史の道1p492,549 平成10の石屋再建に伴い解体→地蔵横に移設/左前柱欠損 (右前柱)「右 たき谷道 金剛山」、(左前柱)「左、ふじい寺/はせなら、みち」/地蔵の石屋の柱が道標化 3
写真 黒土町の題目塔道標 くろつち 堺市(北区) <竹内街道> 石道標(尖頭角柱) 高150㎝,幅24㎝,厚24㎝ 弘化2(1845)   大阪の街道と道標p6 移設 (右面)「従是、万代八幡 十二町/家原文殊 三十七町」/正面に「本尊阿彌陀如来」と陰刻 2
  中百舌鳥町の地蔵道標 なかもず 堺市(北区) (5丁目)<西高野街道> 石道標 高52㎝,幅25㎝ 江戸期   大阪狭山市史7p92-93   「さかい/右 かうやみち/左 大さかミち」/地蔵菩薩像を陽刻   -
写真 極楽橋 ごくらく 堺市(堺区) (宿屋町東)<土居川> 石桁橋(花崗岩) 長11.6m,幅2.6m 嘉永6(1853)   現地調査/WEB 土居川公園(移設) 堺の環濠・土居川に掛けられていた橋/由来:堺王子ケ飢墓地へ向う葬列が渡ったことから、死者の極楽往生を願って名付けられたとされる 2
  百舌鳥夕雲町の題目塔道標 もずせきうん 堺市(堺区) (3丁目)<上神谷街道> 石道標 高70㎝,幅47㎝ 元禄9(1696)   大阪の街道と道標p151   (正面右)「これよりみぎ めう見みち、あまの/たき」、(同左)「ひたりハ 西国みち」/正面中央に「南無妙法蓮華経 法界」と陰刻/17世紀の道標  
写真 材木町東の道標 ざいもくちょうひがし 堺市(堺区) (1丁目)<紀州街道> 石道標 高167㎝,幅30㎝,厚30㎝ 安永6(1777)   近畿地方の歴史の道1p64,260/大阪の街道と道標p72 保存状態良好 (正面)「五丁南大ふぢ」、(左面)「左 妙国寺」、(裏面)「右 住よし 大さか」 1
  百舌鳥夕雲町の道標 もずせきうん 堺市(堺区) (3丁目)<上神谷街道> 石道標 高138㎝,幅21㎝,厚18㎝ 寛政11(1799)   大阪の街道と道標p151   「右 妙見山 道」  
写真 宿屋町東の道標 しゅくやちょうひがし 堺市(堺区) (1丁目)<紀州街道> 石道標(尖頭角柱) 高130㎝,幅30㎝,厚30㎝ 嘉永5(1852)   大阪の街道と道標p72 保存状態良好 (正面)「右 そてつ」、(左面)「左 ふじ」、(右面)「左 大坂」 1
  幸通の道標 さいわいどおり 堺市(堺区) <紀州街道> 石道標(尖頭角柱) 高87㎝,幅18㎝,厚17㎝ 嘉永6(1853)   大阪の街道と道標p73   (正面)「右 家原文殊道」、(左面)「左、万代八まん/かうや山、道」  
写真 甲斐町東の道標 かいのちょうひがし 堺市(堺区) <家原文殊道> 石道標 高181㎝,幅31㎝,厚30㎝ 安政2(1855)   近畿地方の歴史の道1p435/大阪の街道と道標p73 土居川公園(移設) (正面)「左、万代八幡宮/には谷妙見、道、十八町/百町」、(右面)「右 家原文殊道、是より/卅八町」/左側面に和歌「□□朝市の□□の石橋の□□□□□めやも」と陰刻 2
  今池町の道標 いまいけ 堺市(堺区) (2丁目)<熊野街道> 石道標(尖頭角柱) 高133㎝,幅23.5㎝,厚22.5㎝ 安政2(1855)   大阪の街道と道標p65   「是ヨリ東あさか山道」  
  石津町の道標 いしづ 堺市(堺区) (1丁目)<熊野街道> 石道標(尖頭角柱) 高124㎝,幅23㎝,厚25㎝ 安政3(1856)   大阪の街道と道標p65   「是より、ちのをか/いゑはら、道」  
写真 高野山十三里道標石 こうやさん 堺市(堺区) (榎元町4丁目)
<西高野街道>
石道標(尖頭角柱) 高131㎝,幅25㎝,厚23㎝ 安政4(1857)   大阪の街道と道標p32/近畿地方の歴史の道1p435/大阪狭山市史7p90-91 「里」の刻字がCに埋設 「是より髙野山女人堂江 十三里」/左側面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/河内茱萸木村(現大阪狭山市)の農民・小左衛門、五兵衛が発起人となり、堺市榎元町の十三里石から高野町神谷の一里石まで西高野街道に13基建立した道標の一つ(一里~六里石は和歌山県、七里~九里石は河内長野市、十里・十一里石は大阪狭山市に現存) 2
  南向陽町の道標 みなみこうよう 堺市(堺区) (2丁目)<熊野街道> 石道標
(石屋形柱石)
高116㎝,幅76㎝,厚62㎝ 安政4(1857)   大阪の街道と道標p65 亡失の可能性 (右柱)「右 かうや」、(同左)「左 あさか山」/上部に卍を陰刻  
写真 擁護璽(大浜北町の津波記念碑) ようごじ 堺市(堺区) (4丁目) 津波記念碑
(伊賀上野地震)
(安政東海地震)
(安政南海地震)
高270㎝ 安政2(1855)   WEB/堺市・『擁護璽』,神から賜った璽 明治28に大浜公園に移設 (正面)「擁護璽」、(裏面)「嘉永七寅のとし六月十四日地震あらあらしく またも十一月四日朝五日夕つよくゆり動き 五日はゆるとその沖のかたおとろおとろしくなりふためき 暮なんころ俄に津浪たちて川すしへけハしく込いり 引もまたはけしく 川通りに繋し船ともハ碇綱きれ 棹さすちからたらす 矢庭に走入り そこよこゝへつきあてゝ 橋八も崩落ち 船はわれ或はつよく損して 見るおそろしさいわんかたなし 地震津波に家潰れ ぬりこめかたむきたるはさはなれと 里人ハ神社の廣庭に集りててさけ居たるか これかために一人も怪我はししたる人のなきこそいよいよめてたかりける 余所の入江川筋にハ地震をよけるに小舟に乗り家うち圓居し したりかほにありたるか 大船いやかうへ高汐のためにはせ人に敷かれて命落せしもの数知れすとや まさに川に逃途たるゆへなり ゆめゆめ地震つよく川すしへ船に乗りさける事すましきなり むかし賓永年中にもこたひにおなし地震つよく津波もあり 船に除け居て命をとらるゝもの多しとかや かかるためしもあきらかなれハ 地震つよけれハ津なみありと知るへきなり 堺の人のつゝかもなきありかたさに 産神神明宮 三村宮 天満宮にそのよろこひの幣を捧け 後の世まても患のなきを祗りて賜りしをしてを爰に祭るになん」/地震の教訓と、堺の人々の無事を神に感謝し、災いのない事を祈ってこの碑を祀る事が刻字されている 2
写真 堺南台場・跡 さかいみなみ 堺市(堺区) 大浜公園 台場(石造稜堡式) 長南北295m,東西195m 安政2-5(1855-58)
→慶応2(1866)改修
  台場辞典p399/WEB 石垣、外堀の半分程度が残る 安政元(1854)にロシア船が大坂に来航したのを受けて、大阪湾防衛のため沿岸部各所に築かれた台場群の中で最大級のもの/翌安政2から直線状の台場が築かれたが、慶応2、彦根藩により大砲18門を擁する稜堡式の台場に全面的に改造された 2 写真
写真 福田の太神宮常夜灯 ふくだ 堺市(中区) <西高野街道> 石常夜灯 高2.15m 文化9(1812)   近畿地方の歴史の道1p379/大阪狭山市史7p98-99 原位置? (竿正面)「太神宮」/石基壇なし 1
  陶器北の地蔵道標 とうききた 堺市(中区) <伊勢道> 石道標 高83㎝,幅35㎝,厚12㎝ 享保13(1728)   大阪狭山市史7p144-145   「(梵字)東 いせみち」/地蔵菩薩像を陽刻  
  平井の地蔵道標 ひらい 堺市(中区) 地蔵堂<伊勢道> 石道標 高95㎝,幅46㎝,厚27㎝ 宝暦9(1759)   大阪狭山市史7p144-145   (光背上)「(梵字)」、「右ハ いせ道/左 ふじい寺道」/地蔵菩薩像を陽刻  
  福田の地蔵道標 ふくだ 堺市(中区) <西高野街道> 石道標 高91㎝,幅33㎝,厚23㎝ 天保14(1843)   大阪狭山市史7p98-99 移設 (光背上)「(梵字)」、「高野道是ヨリ十一里」/地蔵菩薩像を陽刻 2
  東山の地蔵道標 ひがしやま 堺市(中区) 地蔵堂
<和泉街道(伊勢道)>
石道標 高76㎝,幅26㎝,厚10㎝ 江戸期   大阪狭山市史7p144-145/大阪の街道と道標p147   (光背上)「(梵字)」、「右ハ たうきみち たかくらみち/左ハ はせみち いせミち」/地蔵菩薩像を陽刻  
写真 家原寺の参道橋 えばら 堺市(西区) 家原寺・参道 石桁橋 (5G) 江戸期?   WEB(石橋巡礼) 高覧外側を鋼板で補強 2本の円柱橋脚上に横桁を置き、不均等な大きさの桁石が敷きつめられている(神社の参道橋としては簡易な構造) 2
  鳳南町の地蔵道標 おおとりみなみ 堺市(西区) (2丁目)<熊野街道> 石道標(笠付角柱) 高115㎝,幅32㎝,厚32㎝ 元禄2(1689)   大阪の街道と道標p65   (右面)「さかいへいちり」、(左面)「右ハ/しのだみち/みづまみち/うしたきみち」/各面上部にそれぞれ地蔵立像を陽刻/17世紀の道標  
  北条町の題目塔道標 ほうじょう 堺市(西区) (1丁目)<上神谷街道> 石道標 高149㎝,幅37㎝,厚26㎝ 宝暦11(1761)   大阪の街道と道標p151   (左面)「右 妙見山道 左 とうき道」/正面に「南無妙法蓮華経 法界」と陰刻  
  鳳東町の地蔵道標 おおとりひがし 堺市(西区) (2丁目)<熊野街道> 石道標 高75㎝,幅23㎝,厚15㎝ 寛政元(1789)   大阪の街道と道標p65   (右面)「右ハ えはらみち」/正面上部を光背型に削り込み、地蔵菩薩像を陽刻、像下に「釈永寿」と陰刻  
  上の道標 かみ 堺市(西区) <伊勢道・父鬼街道> 石道標(尖頭角柱) 高166㎝,幅27㎝,厚27.5㎝ 文久2(1862)   大阪狭山市史7p142-143/大阪の街道と道標p138   (正面)「すぐ 堺、住吉/大坂」、(左面)「右 槙尾山道」、(裏面)「左、草部不動/楠公石燈籠」  
  鶴田池 つるた 堺市(西区)   溜池 湛水面積6.3ha 天平10(738)頃   行基事典p218-220 鶴田池ゴルフ練習場のボールの落下地 行基によって築造された溜池/信太山麓に築造された谷池 4
写真 草尾の太神宮常夜灯 くさお 堺市(東区) <西高野街道> 石常夜灯 高1.90m 安永2(1773)   大阪狭山市史7p98-99 移設 (竿正面)「太神宮夜燈」、(竿左面)「河州草尾新田出口」/石基壇なし 2 -
  草尾の地蔵道標 くさお 堺市(東区) <伊勢道> 石道標 高82㎝,幅34㎝,厚24㎝ 享保20(1735)   大阪狭山市史7p146-147 地蔵堂(移設?) (光背上)「(梵字)」、(台座)「東 ふじい寺/南 かうや/西 泉州」/地蔵菩薩像を陽刻 2
  中茶屋の地蔵道標 なかちゃや 堺市(東区) 地蔵堂<伊勢道> 石道標 高70㎝,幅21㎝,厚13㎝ 天明元(1781)   大阪の街道と道標p32   「かうや山へ十一り/是与さかいへ七十丁」/上部を光背型に削り込み、地蔵立像を陽刻  
  西野の地蔵道標 にしの 堺市(東区) <伊勢道> 石道標 高85㎝,幅20㎝,厚12㎝ 天保2(1831)   大阪狭山市史7p146-147 地蔵堂(移設?) (台座)「右 かうや道/左 たきたに道」 2
  日置荘西町の道標 ひきしょうにし 堺市(東区) (2丁目)<富田林街道> 石道標(尖頭角柱) 高115㎝,幅19㎝,厚16㎝ 天保8(1837)   大阪の街道と道標p134   「右 いせ 大峯山上登山/左 なら ふじゐ寺、道」  
写真 高野山十二里道標石 こうやさん 堺市(東区) (関茶屋)<西高野街道> 石道標(尖頭角柱) 高138㎝,幅25㎝,厚25㎝ 安政4(1857)   大阪の街道と道標p32/近畿地方の歴史の道1p436/大阪狭山市史7p94-95 移設/下部埋設 (正面)「是ヨリ/右 髙野山女人堂 十二里」/左側面に「南無大師偏上金剛」と陰刻/河内茱萸木村(現大阪狭山市)の農民・小左衛門、五兵衛が発起人となり、堺市榎元町の十三里石から高野町神谷の一里石まで西高野街道に13基建立した道標の一つ(一里~六里石は和歌山県、七里~九里石は河内長野市、十里・十一里石は大阪狭山市に現存) 2
  岩室の道標 いわむろ 堺市(南区)   石道標 高72㎝,幅17㎝ 寛保3(1743)   大阪狭山市史7p68-69   (台座)「左、くわんおん堂/たうき、みち」/台座の上に地蔵が乗る   -
  富蔵の道標 とみくら 堺市(南区) 感応寺<上神谷街道> 石道標(尖頭角柱) 高120㎝,幅18㎝,厚18㎝ 寛政11(1799)   大阪の街道と道標p152 移設 「右 妙見山道」 2
  平尾の太神宮常夜灯 ひらお 堺市(美原区) <伊勢道> 石常夜灯 高2.40m 明和8(1771)   大阪狭山市史7p146-147   「太神宮」  
  大保の地蔵道標 だいほ 堺市(美原区) <中高野街道> 石道標 高59.5㎝,幅26㎝,厚16㎝ 享保10(1725)   大阪狭山市史7p110-111 浄土寺墓地(移設?) 「南 かうやみち/東、はせふじいてら/てんわうし/すミよし、みち」/地蔵菩薩像を陽刻 2 -
  管生の聖観世像道標 すごう 堺市(美原区) <和泉街道(伊勢道)> 石道標(丸彫) 高91㎝,幅40㎝,厚35㎝ 宝暦10(1760)   大阪狭山市史7p146-147/大阪の街道と道標p148 地蔵堂(移設?) (台座正面)「左 ふじゐ寺」、(同右側面)「西ハかうやみち/いつミみち」/上部に丸彫の聖観音坐像が乗る、台座正面に「観世音菩薩」と陰刻 2
  小寺の道標 こでら 堺市(美原区) <下高野街道> 石道標(尖頭角柱) 高97㎝,幅20㎝,厚19.5㎝ 天保9(1838)   大阪狭山市史7p104-105/大阪の街道と道標p126   (正面)「左、大さか/天王寺、道」、(左面)「右、かうや/大ミね、道」、(右面)「すく、富田林/ふじゐ寺、道」  
  黒山の道標 くろやま 堺市(美原区) 菅生神社一の鳥居・横
<中高野街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高145㎝,幅32㎝,厚32㎝ 慶応2(1866)   近畿地方の歴史の道1p444   (正面)「すぐ 三日市 高野山」、(裏面)「すぐ、平野総本山/大阪 天王寺/右、葛井寺/誉田八幡宮/道明寺」/右側面に、「當社菅生天満宮」と陰刻  
  小寺の地蔵道標1 こでら 堺市(美原区) <下高野街道> 石道標 高79㎝,幅14㎝,厚9㎝ 江戸期   大阪狭山市史7p104-105 平松寺(移設?) (正面)「右、かうや/三日市、/左 大坂、道」、(左面)「和泉ミち是より/一丁南西入」、(右面)「右 ふじ井寺」  
  小寺の地蔵道標2 こでら 堺市(美原区) <下高野街道> 石道標 高60㎝,幅28㎝,厚11㎝ 江戸期?   大阪狭山市史7p102-103/大阪の街道と道標p126 小寺墓地無縁塔(移設?) (光背右)「西 さかい/北 大坂、みち」、(同左)「東 ふしいてら いまい/南 かうや、みち」/全面に地蔵立像を陽刻 2
  大饗の地蔵道標 おわい 堺市(美原区) 八上小学校
<下高野街道>
石道標 高55㎝,幅28㎝,厚14㎝ 江戸期   大阪狭山市史7p104-105 文字部分をC補強 「北 大坂/東 ふしいてら、みち/西 いつミ/南 かうや、みち」/地蔵菩薩像を陽刻   -
  蔀屋本町の常夜灯 しとみやほん 四條畷市   石常夜灯 高3.14m 安政2(1855)   石造物調査報告書第一次p39,40   清滝川堤防上に建つ  
  蔀屋本町の道標 しとみやほん 四條畷市 <清滝街道(奈良街道清滝越え)・守口街道> 石道標(自然石) 高80㎝,幅65㎝,厚30㎝ 延宝3(1675)   市教委(石造物調査報告書第一次p10,11)/大阪の街道と道標p83 下部の一部が埋没 「これより 清滝/やハたみちすじ」/清滝街道の起点/17世紀の道標 2
  南野の道標 みなみの 四條畷市 <奈良街道> 石道標
(自然石、花崗岩)
高104㎝,幅68㎝,厚40㎝ 寛政7(1795)   近畿地方の歴史の道2p114   (左面)「きよたき峠」/正面に「(梵字)奉供養西国卅三所巡礼」と陰刻  
写真 中野の地蔵道標 なかの 四條畷市 市立市民総合センター前<東高野街道・清滝街道> 石道標(舟型) 高97㎝,幅41㎝厚18㎝ 寛政10(1798)   市教委(石造物調査報告書第一次p14,15)/大阪の街道と道標p26,84 移設、集約(C基壇上) (光背右)「右、なら/いせ、道」、(同左)「左、京/や王多、道」/中央に地蔵立像を陽刻 2
  下田原の道標 (清滝街道の石塔型道標(下田原)) しもたわら 四條畷市 <清滝街道(奈良街道清滝越え)> 石道標(花崗岩) 高122㎝,幅31㎝,厚31㎝ 弘化2(1845)   市教委(石造物調査報告書第一次p18,19)/近畿地方の歴史の道2p114 保存状態良好 (右面)「右 なら郡山/左 やましろ、道」、(左面)「すぐ大阪」、(台座正面)「油若中」/三段の石積の道標/正面に「(家紋)西川大吉」と陰刻 1
  岡山の道標 (高野街道の道標(岡山四丁目)) おかやま 四條畷市 (4丁目)<東高野街道> 石道標(尖頭角柱) 高54㎝,幅19㎝,厚19㎝ 弘化2(1845)   市教委(石造物調査報告書第一次p12,13)/大阪の街道と道標p26 近接移設 (正面)「(右指差し大坂」、(右面)「(左指差し)星田妙見」/「大日さん」と呼ばれる高150㎝の自然石と並んでいる 2
写真 砂の題目塔道標
(岡部川右岸の道標)
すな 四條畷市 <四十箇街道> 石道標(尖頭角柱) 高150㎝,幅29㎝ 弘化4(1847)   市教委(石造物調査報告書第一次p8,9)/大阪の街道と道標p202 近接移設/下部埋没 (左面)「左 大坂道」、(裏面)「右 八幡宮道」/正面に「大峯/山上、三拾三度先達甚…」と陰刻 2
  清瀧の地蔵道標
(光背型地蔵道標(逢阪))
きよたき 四條畷市 <清滝街道> 石道標 高100㎝,幅50㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p84/石造物調査報告書第一次p16,17 保存状態良好 (光背右)「東 なら 西 大坂道 下かたの」/全面に地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻/「大坂」の標記は江戸期の可能性 1
写真 佐井寺の道標
(天童道標)
さいでら
(てんどう)
吹田市 佐井寺<清坂街道(亀岡街道・高槻街道)・佐井寺観音参詣道・高槻街道> 石道標(駒型) 高142㎝ 享保18(1733)   WEB(吹田市の古道・道標)/市教委(すいた歴史散歩p67)/大阪の街道と道標p172 移設/下部埋没 (西面)「さゐ寺くわんおん道」、(南面)「是より十五」/正面上部がひさし状に突出した形状となっている 3
  佐井寺の地蔵道標
(向かい坂地蔵)
さいでら 吹田市 (1丁目) 石道標 高55㎝,幅31㎝,厚16㎝ 享和3(1803)   市教委(すいた歴史散歩p67)/大阪の街道と道標p233/WEB 移設/多くの地蔵と共に祀られている 「右 吹田/左 きしべ」、正面中央に地蔵菩薩像を陽刻 2 -
写真 岸部北の五輪塔道標
(吉志部小路道標)
きしべきた(きしべしょうじ) 吹田市 (2丁目)<清坂街道(亀岡街道・高槻街道)・佐井寺観音参詣道・高槻街道> 石道標(五輪塔) 高95㎝,幅25㎝,厚24㎝ 江戸中期   WEB(吹田市の古道・道標)/市教委(すいた歴史散歩p67)/大阪の街道と道標p172 摩耗が進んでいる (正面中央)「(梵字)さい寺」、(同左)「是より十二丁」 2
写真 南高浜町の道標1
(六地蔵道標)
みなみたかはま(ろくじぞう) 吹田市 <高槻街道・吹田街道・鳥居嶺道> 石道標(花崗岩) 高100㎝,幅18㎝,厚18㎝ 江戸期→明治期に東、北面を追刻   市教委(すいた歴史散歩p67)/大阪の街道と道標p172,218/近畿地方の歴史の道2p414 移設 (正面)「右、勝尾寺/惣持寺 」、(左面)「左 帝釋天王、片山村/帝釋寺」/右面に「右 大坂道」、裏面に「左、茨木 冨田/福井 山田、京」と明治期に追刻 2
写真 南高浜町の道標2
(南町道標)
みなみたかはま(みなみ) 吹田市 <清坂街道(亀岡街道)・吹田街道・高槻街道> 石道標 高90㎝,幅32㎝,厚26㎝ 江戸期   市教委(すいた歴史散歩p67)/大阪の街道と道標p172,218/WEB 昭和57に埋没部分を上げ、30㎝移動 (正面)「右 京、茨木 惣持寺/富田 高槻/勝尾寺 芥川」、(右面)「すく 大坂」、(左面)「左 中山、池田/伊丹、岡」 1
写真 江坂町の道標1
(榎坂西道標)
えさか
(えさかにし)
吹田市 (3丁目)<吹田街道> 石道標 高100㎝,幅17㎝,厚11㎝ 江戸期   現地解説板/市教委(すいた歴史散歩p67) 保存状態良好 (正面)「右 みのを 中山/すぐ 者津とり あま…」(=服部、尼崎)、(裏面)「すぐ 吹田 京」/江坂町の道標3建立後、交通量増加により詳しい情報が必要になったため建立されたと推測される 1
写真 江坂町の道標2
(榎坂東道標)
えさか(えさかひがし) 吹田市 (3丁目)<吹田街道> 石道標 高62㎝,幅21㎝,厚12㎝ 江戸期   現地解説板/市教委(すいた歴史散歩p67)/大阪の街道と道標p218 昭和63に埋没部分を上げ、80㎝移動 「左リ 勝尾寺」 1 -
写真 山田東の道標
(山田三ツ辻道標)
やまだひがし
(やまだみつつじ)
吹田市 (4丁目)
<山田街道・小野原街道>
石道標
(三角柱、花崗岩)
高約70㎝ 江戸期   現地解説板/市教委(すいた歴史散歩p67) 移設/道標を低い杭で囲っている (正面)「右、をの原村/かちを寺/妙見山、 みのを/いけ多"/中山寺」、(左面)「左、上新田村/をか町/い多ミ」 2 -
  山田市場の道標 やまだいちば 吹田市 (2丁目)<清坂街道(亀岡街道)・小野原街道> 石道標 高約70㎝ 江戸期   WEB(吹田市の古道・道標)/市教委(すいた歴史散歩p67) 私有地に移設 (南面)「右、いばらぎ/そうじじ」、(西面)「左、かちを寺/やまだ」 3 -
  樫切山の道標 かしきりやま 吹田市 吹田市立博物館 石道標 高67.5㎝,幅16㎝,厚12.5㎝ 江戸期?   市教委(すいた歴史散歩p67) 博物館に保管 (東面)「すぐ 山田小川村 左 山田下村」、(西面)「すぐ 茨木 富田」 3 -
  垂水南遺跡・水田畦畔 たるみみなみ、すいでんけいはん 吹田市 吹田市立博物館 水田遺構   古墳中期   市教委 埋没/土留め用矢板のみ博物館に展示 垂水南遺跡で発掘された土留め用矢板が設置された水田畦畔遺構 4
  五反島遺跡・堤防遺構 ごだんじま 吹田市 吹田市立博物館
<神崎川>
土堤防(背割堤   平安期   市教委 博物館内に展示 砂の自然堤防を利用し、主に杭と横木で両斜面を護岸した堤防/河の合流点付近に設置された背割堤と考えられている 2
      摂津市                    
  信達市場の太神宮常夜灯 しんだちいちば 泉南市 <熊野街道> 石常夜灯 高約2m 寛政年間(1789-1800)or文政年間(1818-30)   泉南市の石造物p17 移設?/信達市場の菩薩像道標、信達市場の常夜灯2、3と共に残る 「太神宮」 2
  信達市場の常夜灯1 しんだちいちば 泉南市 <熊野街道> 石常夜灯 高約2m 寛政年間(1789-1800)or文政年間(1818-30)   泉南市の石造物p17 移設?/信達市場の菩薩像道標、信達市場の常夜灯1、3と共に残る   2
  信達市場の常夜灯2 しんだちいちば 泉南市 <熊野街道> 石常夜灯 高約2m 文化12(1815)   泉南市の石造物p17/WEB 移設?/信達市場の菩薩像道標、信達市場の常夜灯1、2と共に残る   2
  信達六尾の常夜灯 しんだちむつお 泉南市   石常夜灯 2基,高約2.5m 文政13(1830)   泉南市の石造物p13 2基が道路沿いに並んで残る/どちらか一方が移設?   2
  信達葛畑の地蔵道標 しんだちつづらばた 泉南市 <根来街道> 石道標 高約80㎝ 明和3(1766)   泉南市の石造物p4 保存状態良好/現在も信仰の対象 (台座)「右ハ 志う道/左ハ 徒つら畑道」/光背全面に地蔵菩薩像を陽刻 1
  男里の道標 おのさと 泉南市   石道標(駒型) 高約60㎝ 安永5(1776)   泉南市の石造物p33 保存状態良好 「右 をさき/左 あハしま、道」 3 -
  信達岡中の仏像道標 しんだちおかなか 泉南市 <熊野街道> 石道標(尖頭角柱) 高160㎝,幅30㎝,厚30㎝ 文化11(1814)   近畿地方の歴史の道1p57/泉南市の石造物p22 保存状態良好 (正面)「是より、あたご/迎四國、ミち」、(左面)「(梵字)」/左側面に坐像仏を陽刻 1
  信達岡中の地蔵道標 しんだちおかなか 泉南市 <熊野街道> 石道標 高123㎝,幅27㎝,厚16㎝ 文化11(1814)   大阪の街道と道標p68 林昌寺(移設) (像下)「右 あたご山四国みち」/正面上部に地蔵坐像を陽刻 2
  信達市場の菩薩像道標 しんだちいちば 泉南市 <熊野街道> 石道標(駒型) 高120㎝,幅㎝28,厚17㎝ 文化12(1815)   大阪の街道と道標p68/近畿地方の歴史の道1p56/泉南市の石造物p17/WEB 移設?/長慶寺の案内板が針金で括りつけられている/信達市場の常夜灯1、2、3と共に残る (正面)「金泉山/長慶寺、西國秩父坂東近道/是より」/正面上部に細密に菩薩坐像を陽刻 3
  岡田の道標 おかだ 泉南市 <孝子越街道> 石道標 高77㎝,幅27㎝,厚20㎝ 文政7(1824)   大阪の街道と道標p75 上部欠損 (正面)「大坂道」 3
  樽井の道標 たるい 泉南市 <孝子越街道> 石道標(駒型) 高105㎝,幅57㎝,厚26㎝ 天保10(1839)   泉南市の石造物p32/大阪の街道と道標p75 下半分を鋼枠で補強 (正面)「すぐ 大川かた/左 紀州いセきごゑ」、(右面)「すぐ 大坂」、(左面)「右 大坂」 3
  寺川の太神宮常夜灯 てらがわ 大東市 (5丁目)<東高野街道> 石常夜灯(道標兼) 高2.18m 文政2(1819)   大東市文化財ガイドブック1p19,60/近畿地方の歴史の道1p366 大谷神社(移設) 「太神宮、南 かうや道/北 京のざき道」 2
  中垣内の太神宮常夜灯 なかがいと 大東市 (1丁目)
武内須波麻神社前
<東高野街道・奈良街道中垣内越え(古堤街道)>
石常夜灯(道標兼) 高2.40m 文政13(1830)   近畿地方の歴史の道1p366/近畿地方の歴史の道2p134/大阪の街道と道標p27/大東市文化財ガイドブック1p18 保存状態良好 (正面)「大神宮 東、なら/木津」、(右面)「北 京」、(左面)「南 高野山」、(裏面)「西 大坂」 1
  諸福の太神宮常夜灯 もろふく 大東市 <奈良街道中垣内越え(古堤街道)> 石常夜灯 高3.78m 天保2(1831)   近畿地方の歴史の道2p133/大東市文化財ガイドブック1p61 保存状態良好 「天照大神宮」 1
  灰塚の太神宮常夜灯 はいづか 大東市 (3丁目)<奈良街道中垣内越え(古堤街道)> 石常夜灯 高3.55m 天保2(1831)   近畿地方の歴史の道2p133/大東市文化財ガイドブック1p56 保存状態良好 (正面)「おかげ 太神宮」、(左面)「村内安全」 1
  栄和の太神宮常夜灯 えいわ 大東市 <河内街道> 石常夜灯(花崗岩) 高2.4m 慶応3(1867)   近畿地方の歴史の道2p236   (竿)「おかげ 太神宮」、(台座)「村中安全」  
  野崎の道標 なかがいと 大東市 (2丁目)<太子堂道> 石道標(尖頭角柱) 高約100㎝ 天明~文政頃?
(1781-1829)
  大東市文化財ガイドブック1p16 保存状態良好 (正面)「太子堂道」、(左面)「左、聖徳皇院/大坂道へ出」 1
  深野の道標 ふこの 大東市 (2丁目)
<野崎観音道・河内街道>
石道標(尖頭角柱) 高107㎝,幅21㎝,厚21㎝ 天保8(1837)   大東市文化財ガイドブック1p6/大阪の街道と道標p26 中央で折損 (正面)「右 のざ起観音道」、(右面)「左 大坂道」、(左面)「すぐ 星田妙見道」/寝屋川沿いに建ち、当時ここまで大坂から舟で移動し、野崎観音へ参拝に参拝する者が多かったとされる 2
  中垣内の道標 なかがいと 大東市 (2丁目)
<東高野街道・奈良街道中垣内越え(古堤街道)>
石道標(尖頭角柱) 高160㎝,幅34㎝,厚34㎝ 嘉永2(1849)   大阪の街道と道標p26/近畿地方の歴史の道2p116/大東市文化財ガイドブック1p7 保存状態良好 (正面)「右 大峯山上道」、(右面)「すぐ 京、乃ざき/やワた/柳谷、道」、(左面)「すぐ 大峯山上」 1
写真 伽羅橋 きゃら 高石市 高砂公園 石桁橋(花崗岩) 長11.1m,幅4.5m 慶応元(1865)   市教委/WEB 昭和63に移設 室町期に架けられた木橋の伽羅橋には、高価な香木である伽羅が橋に敷かれていたためこの名がついたとされている 2
  小高石橋標柱 こだかいしばし 高石市   石橋標柱 高120㎝,幅30㎝,厚30㎝ 慶應3(1867)   市教委 移設 開国に伴い武士、役人の移動が増えたため石橋に換えられた小高石橋の標柱 4
  八丁松原 はっちょうまつばら 高槻市 松原公園 松並木(黒松) 長約900m→360m 慶安2(1649)以降   木谷幹一/現地解説板/高槻の道しるべp6 明治8に鉄道工事により伐採/一部老木が残存→後補と再現 永井直清が高槻城主として移封された時、京口(別所新町)~西国街道を結ぶ8丁の道を新設し松数百本を植えたとされる 4
写真 芥川一里塚 あくたがわ 高槻市 <西国街道> 一里塚(1基) 東塚:塚木:榎 慶長9(1604) 府史跡 市教委/近畿地方の歴史の道2p288/WEB 塚木の榎はオリジナルにしては小さいが、刈り込まれているためかもしれない 周囲は削られて小規模になり、道路側に祠が建立されている 2
  三島江の常夜灯 みしまえ 高槻市 淀川 石常夜灯 2.85m? 文化7(1810)   近畿地方の歴史の道2p538/WEB かつての三島江の渡し上り口に残る 「能勢 妙見宮」/三島江は渡し場兼淀川舟運の船着場 1
  原の金毘羅常夜灯 はら 高槻市 (中村) 石常夜灯 高約2m 文化14(1817)   高槻の道しるべp75 火袋を更新 (正面)「金毘羅大權現」 2
  上牧町の常夜灯 かんまき 高槻市 (2丁目)<淀川> 石常夜灯 2基 文政2(1819)?   高槻の道しるべp26 本澄寺門前(移設) 移設前は淀川沿いに2基並んで立ち、行きかう人の燈台としての役割を果たしたとされている 2
写真 殿町の常夜灯 との 高槻市 <西国街道> 石常夜灯 高約1.7m 文政5(1822)   高槻の道しるべp77/WEB(的形道標クラブ) 原位置? (竿正面)「愛宕山献燈」/火除けの神である愛宕信仰の常夜灯/火袋と竿が一体化した尖頭角柱で、火袋の左側面は三日月、右側面は丸型の穴となっている 1
  富田町の常夜灯1 とんだ 高槻市 (6丁目)<津戸中道> 石常夜灯 高約3m
(基壇含む)
文政10(1827)   近畿地方の歴史の道2p421/WEB 基壇更新 「大峯山」 2
写真 芥川町の金毘羅常夜灯 あくたがわ 高槻市 (4丁目)水門・前 石常夜灯(道標兼)   文政12(1829)   WEB(的形道標クラブ) 移設? (竿正面)「象・頭・山、金毘羅大權現 常夜灯」、(竿右面)「従是道 六十三里半」(は「法」の誤字)→目的地を示さないで距離だけ書いてある/竿石は角柱/笠が立派 2
  富田町の常夜灯2 とんだ 高槻市 (5丁目)<津戸中道> 石常夜灯 高約3.5m
(台含む)
嘉永3(1850)   近畿地方の歴史の道2p421   「大峯山上」  
写真 田能中畑の供養塔道標 たのう、
なかはた
高槻市 <西国三十三所巡礼道
(善峰寺→穴太寺)>
石道標(石碑型) 高107㎝,幅15㎝,厚29㎝ 宝徳3(1451)   市教委(高槻の道しるべp55)/大阪の街道と道標p251,252/WEB 保存状態良好 (正面上部)「(梵字3字)」、(正面)「三十三所穴太寺九十町」/四角く削った中に内容と「奉読誦大乗妙典一千部/為彼供養石仏立者也」、を陰刻、道標内容下に蓮花台を陽刻/建立年が陰刻してあって年代の確定している巡礼用道標としては国内で2番目に古い〔1番は1276年の上天野の奉為大僧正聖基道標(和歌山)〕 1
  霊仙寺町の道標 りょうぜんじ 高槻市 (1丁目)<富田街道> 石道標(尖頭角柱) 高104㎝,幅22㎝,厚19㎝ 宝暦7(1757)   高槻の道しるべp49/大阪の街道と道標p224 下部欠損 (北面)「右 萩谷道」/東面に「(梵字)一言不動尊鶴(林山霊山寺)」、西面に「當山第十世現住本端(覚峯十界助縁敬立)」と陰刻(カッコ内の文字は欠損により消失) 2
写真 天神町の道標 てんじん 高槻市 (1丁目)<西国街道> 石道標(尖頭角柱) 高約100㎝ 明和4(1767)   高槻の道しるべp23/WEB(的形道標クラブ) 下部一部埋没/一番下の刻字の「つ」が変体仮名かどうか不明 (正面)「く王わんぜおん本"さ」(=観世音菩薩)、(同右上端)「聖徳太子之作」、(右面)「當國廿六番/廣智禅寺」、/東面は西国三十三所札場に類する摂津国霊場の26番目を示す 2
  上牧町の南無日蓮大菩薩道標 かんまき 高槻市 <淀川> 石道標(九輪塔)   安永4(1775)→笠、九輪、台座:文政3(1820)   高槻の道しるべp27 本澄寺境内(移設) (南面)「上牧/本澄寺/是より二町」/西面に「南無妙法蓮華経」、北面に「南無日蓮大菩薩」と陰刻/台石に文政3(1820)に笠、九輪、台座石を付け加えたと刻まれている 2
  三島江の道標
(神峯山寺の参詣道筋標石(一番))
みしまえ 高槻市 (2丁目)<神峯山寺参道・富田街道> 石道標(尖頭角柱) 高201㎝,幅29㎝,厚29㎝ 享和元(1801)   大阪の街道と道標p224/高槻の道しるべp30/近畿地方の歴史の道2p538/WEB 移設 (正面)「(梵字)神峯山寺毘沙門天道」、(正面台座)「右」、「此所三島江村ふねあがり場 是より二里半」、(左面)「左 妙見」 2
  芥川町の道標
(神峯山寺の参詣道筋標石(四番))
あくたがわ 高槻市 <西国街道・真上街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高160㎝,幅29㎝,厚30㎝ 享保元(1801)   近畿地方の歴史の道2p396/大阪の街道と道標p44/高槻の道しるべp31 移設 (正面)「(梵字)神峰山寺毘沙門天道/此所芥川登り口 是より四十丁」、(台座正面)「右」 2
  田能の供養塔道標 たのう 高槻市 <西国三十三所巡礼道
(善峰寺→穴太寺>
石道標(自然石) 高90㎝,幅70㎝ 文化9(1812)   高槻の道しるべp56/大阪の街道と道標p252 保存状態良好 「右 あなう/左 妙見、道」/秋田から来た巡礼者二人の供養を兼ねて村で建てた道標 1
写真 上本町の道標 かみほん 高槻市 <津戸中道・高槻街道
・前島街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高150㎝,幅24㎝,厚24㎝ 文政8(1825)   大阪の街道と道標p173,229/近畿地方の歴史の道2p404 原位置? (正面)「右 あく多川 かさのも里 能せ 妙見/左 そうぢ寺 とん田 い者"
ら木」(=芥川、笠森、能勢、茨木)、(右面)「すぐ、大坂 三しまへ 尼可"さ起/そうぢヽ 飛ら可多」(=尼崎、枚方)、(左面)「右 八者多 淀 前鳴 船能り場/春ぐ 京 伏見 山ざ起 柳谷 よしみ禰」(=八幡、山崎、善峯)/細い柱に非常に多くの地名を変体仮名を多用して刻字
1
  芥川町の常夜灯道標 あくたがわ 高槻市 (4丁目)<西国街道> 石道標(常夜灯) 高126㎝,幅19㎝,厚19㎝ 文政12(1829)   大阪の街道と道標p44/高槻の道しるべp74 C製の台に立つ/火袋を更新? (右面)「従是道法六十三里半」/正面上部に横書きで「象頭山」、正面に「金毘羅大権現」と陰刻 2
  富田町の道標1 とんだ 高槻市 (4丁目)<津戸中道・高槻街道・富田街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高130㎝,幅23㎝,厚23㎝ 天保4(1833)   大阪の街道と道標p173,224/近畿地方の歴史の道2p403   (正面)「右 京 山崎 高つき 芥川/左 能勢妙見 かぶさん、道」、(左面)「右 大阪 みしまへ道」、(右面)「左、大阪 尼ヶ崎 いばらき/すぐ そうじ寺、道」  
  富田町の道標2 とんだ 高槻市 (5丁目)<津戸中道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高106㎝,幅21㎝,厚21㎝ 天保6(1835)   高槻の道しるべp17/大阪の街道と道標p173/近畿地方の歴史の道2p403 保存状態良好 (正面)「右、いはらき/吹田、大阪」、(右面)「左、高つき/芥川、京」 1
写真 氷室町の道標 ひむろ 高槻市 (1丁目)
<西国街道・亀岡街道>
石道標(花崗岩) 高95㎝,幅23㎝,厚23㎝ 天保6(1835)   大阪の街道と道標p44,188/WEB(的形道標クラブ) 左右ともブロック塀に挟まれている(塀が薄いので、側面がかろうじて読める) (正面)「右 妙見道」、(同左下端)「是より 五り」、(左面)「すぐ そうじ寺」 3
  原の道標 はら 高槻市 <神峯山寺参道・真上街道> 石道標(尖頭角柱) 高80㎝,幅18㎝,厚18㎝ 嘉永元(1848)   高槻の道しるべp35/大阪の街道と道標p183 保存状態良好 (南面)「右 神峯山寺道」 1
写真 京口町の道標1 きょうぐち 高槻市 (5丁目)<津戸中道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高126㎝,幅26㎝,厚26㎝ 万延元(1860)   近畿地方の歴史の道2p404 原位置?/下部埋設 (正面)「左、大坂 冨田 茨木 十…/尼ヶ崎 惣持寺 …」、(左面)「右、京 山崎 淀 柳谷 …/ふしミ 宇治 八幡 …」/右側面に「當町/往來、安全」と陰刻 2
写真 京口町の道標2 きょうぐち 高槻市 (12丁目)<天王嶺道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高130㎝,幅23㎝,厚21㎝ 万延2(1861)   高槻の道しるべp5/大阪の街道と道標p173/近畿地方の歴史の道2p404 道路改修で90°回転 (正面)「左、京 ふしミ よど/八幡 山崎 柳谷」、(左面)「右、大坂 とん田/い者良木 惣持寺」(=茨木) 2
写真 古曽部町の道標1 こそべ 高槻市 (2丁目)<西国街道> 石道標(自然石) 高100㎝,幅31㎝,厚31㎝ 元治元(1864)   近畿地方の歴史の道2p396/大阪の街道と道標p44/WEB
(的形道標クラブ)
移設? (正面)「能因法師墳」、(同左下端)「從是北方 三町餘」/左側面に能因法師の和歌「志幾嶋の ふ可記をしへ乃/跡とへは 此渉ろふし能/道よりそいる」(?)(=敷島の深き教えの…?)を陰刻/能因法師(古曽部入道)は平安中期の歌人/和歌は新古今和歌集のものとされる 2
写真 古曽部町の道標2 こそべ 高槻市 (2丁目)<西国街道> 石道標
(蒲鉾型、砂岩)
高144㎝,幅34㎝,厚18㎝ 江戸後期?   近畿地方の歴史の道2p396/WEB(的形道標クラブ) 移設? (正面)「花之井/從是四丁北」/左側面に能因法師の和歌「阿し曳の 山志多た水尓 影見れハ/眉志路多へ耳 我老尓介李」(=あしびきの山した水に影見れば. まゆ白妙にわれ老いにけり)、右側面に「舊記別所村寶泉寺 村田静倹建/元部牛後書」と陰刻/花之井は能因法師が使用したとされる名水 2
  安満北の町の道標 あまきた 高槻市   石道標(尖頭角柱) 高80㎝,幅21㎝,厚21㎝ 江戸期?   高槻の道しるべp60/大阪の街道と道標p190 保存状態良好 (西面)「左 やなぎ谷」、(北面)「右 そうじ寺」 1
  下田部の高札場 しもたなべ 高槻市   高札場(木造瓦葺、石基壇)   江戸後期 市史跡 WEB 基壇正面の石組は後補? 小型の高札場 1
写真 番田井路 ばんだ 高槻市   排水(放水路)   慶安4(1651)   木谷幹一/WEB   高槻城主・永井直清が、慶安3(1650)の大洪水を受けて、芥川左岸に広がる低湿地の水を排出するための開削した排水路(一種の治水対策) 2
  花の井 はな 高槻市 古曽部 石積井戸   11世紀 市史跡 WEB 水は涸れている 平安時代中期の歌人・能因法師が使用したとされる名水/上記の「古曽部町の道標2」がわざわざ建てられているほど著名だった 2
  不老水 ふろう 高槻市 古曽部 石積井戸?   11世紀 市史跡 WEB 飲用には適さない/井戸全面が覆われている 平安時代中期の歌人・能因法師が不老不死を願って煎茶に使用したとされる名水 3
  服部西町の道標常夜灯 はっとりにし 豊中市 <能勢街道・吹田街道> 石常夜灯(道標兼) 高2.01m 文政4(1821)   WEB/大阪の街道と道標p56 豊島小学校(移設)/竿以外更新 (東面)「右 大阪」、(南面)「右 京 茨木/能勢妙見宮/左 池田」、(西面)「右大坂」 3
写真 上新田の道標1 かみしんでん 豊中市 勝尾寺参道・佐井寺 石道標 高50㎝,幅20㎝,厚20㎝ 天明元(1781)   大阪の街道と道標p233/WEB(十三) 原位置? (西面)「右 さいて良/左 かち越じ」、(東面)「左 大坂」 1 -
写真 上新田の道標2 かみしんでん 豊中市 (1丁目)<三国街道・山田街道> 石道標(尖頭角柱) 高65㎝,幅21㎝,厚21㎝ 天明2(1782)   大阪の街道と道標p233/WEB(十三) 原位置? (正面)「右 ざい所/左 大坂へ 三り」、(左面)「右 かちをし」 1 -
  刀根山の道標 みょうけん 豊中市 (4丁目)<能勢街道> 石道標 高約70㎝ 寛政5(1793)   WEB 保存状態良好 (南面)「左 妙見 池田」/寄進:茶所上町講中 1 -
  中桜塚の役行者倚像道標 なかさくらづか 豊中市 (2丁目)<吉野嶺道(能勢街道)> 石道標(花崗岩) 高221㎝ 文政8(1825)   近畿地方の歴史の道2p408/WEB 現端輪寺(移設?) (台座)「右 大坂 左 京道」/正面上部に役行者倚像を陽刻、正面に「大峯(役行者倚像)大峯 山上 三十三度拝」、左側面に「天下泰平國土安穏 風雨順次五殻成就」と陰刻 2
  常楽寺の題目塔道標 じょうらくじ 豊中市 常楽寺<能勢街道> 石道標 約70㎝ 天保13(1842)   WEB 保存状態良好 (正面下)「常楽寺是より二丁西」/上部に「役行者御作 薬師如来」と陰刻 1 -
  赤阪の役行者像道標 あかさか 豊中市 <豊中・箕面街道> 石道標(尖頭角柱) 約160㎝ 天保14(1843)   WEB 保存状態良好 (東面)「すぐ、いたみ/中山」、(南面)「すぐ、みのお山/かとを寺」、(西面)「すぐ、上新田/京、道」、(北面)「はっとり天神/大阪」/南面上部を光背型に削り込み、役行者像を陽刻 1
  長興寺南の道標 ちょうこうじみなみ 豊中市 (2丁目)
<吉野嶺道(能勢街道)>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高100㎝,幅24㎝,厚24㎝ 嘉永2(1849)   近畿地方の歴史の道2p408 保存状態良好 (正面)「右 みのを 勝尾寺山ごえ道」、(左面)「左 池田道」 1
  庄内東町の地蔵道標 しょうないひがし 豊中市 (3丁目)<能勢街道)> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高80㎝,幅28㎝,厚20㎝ 嘉永6(1853)   大阪の街道と道標p56   (正面上部横書き)「大峯山上」、(同下)「右 勝尾寺/三十三/左  みのを せ川」/正面上部を光背型に削り込み、地蔵菩薩像を陽刻  
  刀根山元町の道標 とねやまもと 豊中市 <能勢街道> 石道標 高約60㎝ 慶応3(1867)   WEB 中国自動車道建設に伴い移設 「右 大坂道/左 刀祢山御坊」/頂部に丸い穴が空いている 2 -
  上野西の地蔵道標 うえのにし 豊中市 (1丁目)<箕面街道> 石道標(尖頭角柱) 高187㎝,幅24㎝,厚24㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p237   (正面)「すぐ、みのを山/かつをう寺、道」、(左面)「すぐ、上新田/京、道」、(右面)「すぐ、いたみ/中山、みち」、(裏面)「すぐ、大坂/はっとり、天神 道」/正面上部に地蔵菩薩(?)立像を陽刻  
  刀根山元町の題目塔道標 とねやまもと 豊中市 <吉野嶺道(能勢街道)> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高134㎝,幅31㎝,厚31㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道2p408   (右面)「刀根山御坊是ヨリ壱丁」/正面に「存覺上人御舊蹟」を陰刻  
  中桜塚の地蔵道標 なかさくらづか 豊中市 (5丁目)
<山田街道・箕面街道>
石道標(尖頭角柱) 高134㎝,幅25㎝,厚20㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p233,237   (正面左下)「すぐ みのかつを寺」、(左面)「すぐ 柳谷京道」、(右面)「すぐ 桜塚 尼ヶ崎道」、(裏面)「すぐ 茨木 大坂道」/正面上部に地蔵菩薩(錫杖)(?)立像を陽刻、像上に「大峯山上」、像下に「三十七度」と陰刻  
  庄本町の常夜灯   豊中市 (庄本浜船着場)
旧猪名川<京街道>
石常夜灯
(河川舟運)
  弘化4(1847)   現地解説板 周囲を金柵で囲む 「金毘羅大権現」/火袋は自然石/かつての庄本浜船着場兼渡し場に建つ 2 -
  穂積村囲堤 ほづみ 豊中市   土堤防(背割堤 東西1㎞,南北800m 室町期以前?   市教委/WEB 昭和期に改修/多くは埋没しているが、一部土堤防が残る 猪名川・千里川などの氾濫に備え穂積集落の周囲に築かれたとされる 4
  九名井(久米井・原田井) くめい 豊中市・兵庫/尼崎市・伊丹市 猪名川 用水路   中世   市教委 C改修/現役使用/一部伊丹空港により断絶 酒井・森本・岩屋(伊丹市)、田能(尼崎市)、勝部・原田・桜塚・曽根・岡山(豊中市)の9村を灌漑するために開削された用水路 5
  長興寺焔硝蔵場の土塁 ちょうこうじ、えんしょうぐらば 豊中市 服部緑地公園 土塁   江戸期   市教委/現地解説板 服部緑地内に1基のみ残存 長興寺焔硝蔵場は大坂城の火薬庫であり、5棟あった蔵が誘爆するのを防ぐため、蔵の間に土塁が築かれた 3
  錦織一里塚 にしきおり 富田林市 <東高野街道> 一里塚(2基) 西塚:高約2m,約9m四方 慶長9(1604) 府史跡 市教委/現地解説板 東塚は半分以上が川に崩落 現役の道路が2基の脇を通る 3
  新家の太神宮常夜灯 しんけ 富田林市 <東高野街道> 石常夜灯 高2.27m 安永4(1775)   近畿地方の歴史の道1p375,453   「太神宮夜燈」  
  伏山の太神宮常夜灯 ふしやま 富田林市 <中高野街道> 石常夜灯 高2.53m 天明5(1785)   近畿地方の歴史の道1p390,458   「太神宮夜燈」  
  桜井町の太神宮常夜灯 さくらい 富田林市 <東高野街道> 石常夜灯 高2.80m 天明8(1788)   近畿地方の歴史の道1p373,452   「太神宮常燈」  
  甲田の金毘羅常夜灯 こうだ 富田林市 <東高野街道> 石常夜灯 高2.20m 寛政8(1796)   近畿地方の歴史の道1p374   「金毘羅大権現」  
  常盤町の金毘羅常夜灯 ときわ 富田林市 <東高野街道> 石常夜灯 高2.00m 嘉永元(1848)   近畿地方の歴史の道1p373   「金毘羅大権現」  
  南別井の常夜灯 べつい 富田林市 <水越嶺道> 石常夜灯 高2.10m 文久元(1861)   近畿地方の歴史の道1p509      
写真 富田林町の道標 とんだばやし 富田林市 寺内町・南端
<東高野街道>
石道標 高112㎝,幅21㎝,厚18㎝ 宝暦元(1751)   現地解説板/近畿地方の歴史の道1p433/大阪の街道と道標p29 保存状態良好 (正面)「左 ふじゐ寺道」、(左面)「右、まきの尾/高野山、ミち」/右側面に「町中、く王へきせる/ひな盤火、無用」と旅人の防火意識向上の啓発もかねて陰刻(煙管、火縄は当時の旅人の必需品)/宗教自治都市であった富田林寺内町は藁葺きの民家が密集し、高台で水の便も悪かったため、火事の予防に細心の注意が払われたとされている 1
  錦織中の地蔵道標 にしきおりなか 富田林市 (1丁目)<東高野街道> 石道標 高68㎝ 幅24㎝,厚23㎝ 文化11(1814)   大阪の街道と道標p29   (正面)「左、たきたに/よしの」/正面上部を光背型に削り込み、地蔵坐像を陽刻  
  富田林町の道標 とんだばやし 富田林市 <東高野街道> 石道標(花崗岩) 高116㎝,幅24㎝,厚14.5㎝ 天保13(1842)   近畿地方の歴史の道1p434 浄谷寺門前(移設?) 「右 ふじゐ寺/左 まきのを寺、道」/上部に「大峯/山上/三十三年度供養」と陰刻 2
  錦織中の役行者像道標 にしきおりなか 富田林市 (1丁目)<東高野街道> 石道標 高98㎝ 幅31.5㎝,厚29㎝ 万延元(1860)   近畿地方の歴史の道1p434/大阪の街道と道標p29 下部埋没 (左面)「すぐ山上道」/正面上部を光背型に削り込み、役行者像を陽刻、その下に「大峯三十三度満願塔」と陰刻 2
写真 仁和寺一里塚 にわじ 寝屋川市 淀川堤防<東海道> 一里塚(1基)   江戸期   木谷幹一 東海道の一里塚が堤防斜面に残る珍しい事例 複数の江戸期の絵図と文書により一里塚であることが確認 3
写真 高倉の常夜灯 たかくら 寝屋川市 (1丁目)
<東高野街道>
石常夜灯 高2.15m 明和3(1766)   近畿地方の歴史の道1p364,450 移設 (竿正面)「八幡宮」/石基壇なし 2
  堀溝の常夜灯 ほりみぞ 寝屋川市 <奈良街道(清瀧越道)> 石常夜灯 高3.05m 安政5(1858)   近畿地方の歴史の道2p132   (竿)「能勢 妙見大菩薩」、(台石)「飼講 往来安全」  
  打上元町の道標 うちあげもと 寝屋川市 <東高野街道> 石道標 高120㎝,幅25㎝,厚25㎝ 安政4(1857)   近畿地方の歴史の道1p426/大阪の街道と道標p26 一部埋没 (正面)「南、かうや/のさ紀、大坂みち」、(左面)「東 なら いせ ミち」、(裏面)「北 京、八はた/柳谷、星田妙見」 2
  堀溝の道標 ほりみぞ 寝屋川市 (2丁目)
<守口街道・四十箇街道>
石道標(尖頭角柱) 高130㎝,幅31㎝,厚31㎝ 慶応2(1866)   大阪の街道と道標p83,202 保存状態良好 (右面)「右 大峯山、なら/いせ、道」、(裏面)「右 やはた 柳谷/左 大坂 もり口」/正面に「大峯山上 六拾六度先達四郎」と陰刻 1
  河北西町の地蔵道標 かわきたにし 寝屋川市 <四十箇街道> 石道標 高65㎝,幅17㎝,厚14㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p202   (正面)「右 大坂」、(右面)「左 のざき」  
写真 古川 ふる 寝屋川市 <淀川> 悪水路   江戸初期   木谷幹一/市教委
護岸Cブロック化 行基が天平13(741)に開いたとされる「古林溝」に比定する説もある/古川は淀川の旧流路と考えられているが、秀吉による文禄堤(守口市参照)の築造後、悪水路として転用された 3
  友呂岐悪水路 ともろぎ 寝屋川市   悪水路   江戸初期   木谷幹一/市教委 護岸Cブロック化 秀吉による文禄堤(守口市参照)の築造後、友呂岐庄で灌漑用水を整備した時期に合わせて、用水路に平行して開削された悪水路 3
  二十箇用水井路 にじっか 寝屋川市   用水路   享保9(1724)   木谷幹一/市教委 鋼製矢板護岸 秀吉による文禄堤(守口市参照)の築造後、友呂岐庄で灌漑用水を整備したのを端緒(友呂岐六箇村)に、「八箇用水路」、「上十一箇村」と受益地が増え、享保9に「後入り九箇村」が加わり二十箇用水となった 4
写真 木田の囲い堤 きだ 寝屋川市 木田町、中木田町、下木田町、出雲町、大成町、木田元宮、萱島地区 土堤防(輪中堤) 長約5.6㎞
→長約3.2㎞,
高3-4m(寝屋川堤防),高1.5m(築造部)(現存部)
江戸期   木谷幹一/市教委 寝屋川堤防沿いおよび日之出町と木田町、昭栄町と出雲町の境界、萱島地区で残存/周辺の宅地化に伴い比高ゼロの部分も多い
(→写真参照)
水害から水田を守るための一種の「輪中堤」/寝屋川をはさんで対岸の下記・神田地区にも残る 3
写真 神田の囲い堤 かみだ 寝屋川市 上神田、中神田、下神田、御幸西町、御幸東町 土堤防(輪中堤) 長約4.2㎞
→長約2.4㎞,
高3-4m(寝屋川堤防),高1.5m(築造部)(現存部)
江戸期   木谷幹一 寝屋川堤防沿いや神田天満宮、京阪萱島駅北側で残存 水害から水田を守るための一種の「輪中堤」/寝屋川をはさんで対岸の上記・木田地区にも残る 3
写真 久左衛門樋 きゅうざえもん 寝屋川市 寝屋川/二十箇用水井路 伏越樋   享保年間(1716-36)   WEB C改修 庄屋・久左衛門 5
写真 誉田八幡宮の放生橋 こんだ、
ほうじょう
羽曳野市 誉田八幡宮 石桁橋(太鼓型) 長4m,高3.5m
(2G)
江戸末期以降?   WEB(石橋巡礼) 保存状態良好 勾配の急な「神橋」: 通行禁止/3本の円柱橋脚の中央に貫が入っているように見える細工が施されている(滋賀では多いが大阪では稀)/雲形の束柱で支えられた弧状の高覧も見事/鎌倉期の創建との伝承もあるが、橋直下の川の護岸が落とし積みなので、現在の橋は江戸末期以降再建の可能性がある 1
  駒ケ谷の太神宮常夜灯 こまがたに 羽曳野市 <竹内街道> 石常夜灯 高2.25m 文政5(1822)   近畿地方の歴史の道1p559   「太神宮」  
  古市の道標1 ふるいち 羽曳野市 (2丁目)
<竹内街道・東高野街道>
石道標
(駒型、花崗岩)
高117㎝,幅30㎝,厚18㎝ 文化10(1813)   近畿地方の歴史の道1p501/大阪の街道と道標p28   (正面)「右、上ノ太子 弘川寺 西行古跡/たえまつぼ坂 大峯山上」、(右面)「大坂 さかい道」  
  伊賀の道標 いが 羽曳野市 <竹内街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高144㎝,幅30㎝,厚30㎝ 文政12(1829)   近畿地方の歴史の道1p499/大阪の街道と道標p7   (正面)「右、大坂 さかいみち/左 まきの寺 さやま」、(右面)「左、ふじい寺 大みね/いせ はつせ つぼ坂」  
  軽里の道標 かるさと 羽曳野市 (3丁目)<竹内街道> 石道標(尖頭角柱) 高72㎝,幅23㎝,厚23㎝ 天保4(1833)   大阪の街道と道標p7   「右 ふぢゐ寺/左 さかい」   -
  野々上の道標 ののうえ 羽曳野市 <竹内街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高93㎝,幅21㎝,厚18㎝ 天保7(1836)   近畿地方の歴史の道1p500,552/大阪の街道と道標p7   (正面)「右 大阪/左 さかい、道」、(左面)「右 はせ」  
写真 誉田の道標1 こんだ 羽曳野市 (6丁目)
<東高野街道・誉田道>
石道標 高113㎝,幅30㎝,厚26㎝ 天保9(1838)   近畿地方の歴史の道1p432/大阪の街道と道標p28,86 移設、集約 (正面)「右 道明寺 玉手 なら 京/左 八尾 久宝し、道」、(右面)「南、上之 太子/古うや、道」 2
  古市の道標2 ふるいち 羽曳野市 (3丁目)
<竹内街道・東高野街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高133㎝,幅32㎝,厚32㎝ 嘉永元(1848)   近畿地方の歴史の道1p501/大阪の街道と道標p7   (正面)「右 大阪 すぐ さかひ」、(右面)「左 大和路、上の太子 たえま/つぼう坂 大峯山、すぐ/高野山/金剛山」、(左面)「古市簑の辻」  
  古市の道標3 ふるいち 羽曳野市 <竹内街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高130㎝,幅27㎝,厚24 安政6(1859)   近畿地方の歴史の道1p502,553   「右/水場/法華寺/」/上部に紋章を陰刻  
  古市の道標4 ふるいち 羽曳野市 <東高野街道> 石道標(尖頭角柱) 高84㎝,幅26㎝,厚24㎝ 元治2(1865)   大阪の街道と道標p28   (正面)「右 誉田道道明寺 京/左 ふじ井寺 大坂」/右面に「往来安全」と陰刻  
  駒ケ谷の役行者像道標 こまがたに 羽曳野市 <竹内街道> 石道標(尖頭角柱) 高120㎝,幅20㎝,厚20㎝ 江戸期? 市石造物 大阪の街道と道標p7   (左面)「右 金剛山」/正面上部を光背型に削り込み、役行者坐像を陽刻、裏面に「役行者錫杖水」と陰刻/「大坂」の標記は江戸期の可能性  
  野々上の地蔵道標 ののうえ 羽曳野市 (3丁目)<竹内街道> 石道標 高100㎝,幅41㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p7   (光背右)「右ハ はせみち 左ハ ならみち」  
写真 誉田の道標2 こんだ 羽曳野市 (3丁目)<東高野街道> 石道標 高88㎝,幅22㎝,厚22㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p28,86 下部C埋設→移設? (正面)「左 ふぢ井寺 大坂道」、(左面)「右 いせみち」、(右面)「右 道明寺 玉手山」/「大坂」の標記は江戸期の可能性 2
写真 波太神社の参道橋 はた 阪南市 (石田) 石桁橋(花崗岩) (G) 文政10(1827)   市教委 保存状態良好 装飾的な高欄/反橋だが石桁の下縁は水平 1
写真 貝掛の題目塔道標 かいかけ 阪南市 貝掛共同墓地 石道標(蒲鉾型、和泉砂岩) 高55㎝,幅20㎝,厚15㎝ 宝暦13(1763)   市教委 移設→墓地内/下部埋設 (正面最下部)「右 あハし…/左 さい志…」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻 3 -
写真 鳥取中の題目塔道標 とっとりなか 阪南市 潮音寺 石道標(蒲鉾型、和泉砂岩) 高64㎝,幅24㎝,厚16㎝ 明和9(1772)   市教委 移設/下部埋設/風化進行 (正面右下)「右 大川 あハし…」、(同左下)「左 孝子 くわんのん」/正面中央に「南無觀世音大士」と陰刻 2 -
写真 尾崎町の地蔵(?)道標 おざき 阪南市   石道標
(駒型、和泉砂岩)
高70㎝,幅30㎝ 江戸期   市教委 移設→木祠内 (正面像下)「右 清…/すく 大…/左 井関…」/正面上部を光背型に削り込み地蔵(?)坐像(蓮台)の陽刻/「大…」は恐らく「大坂」→「大坂」の標記は江戸期の可能性 2 -
写真 鳥取の地蔵道標1 とっとり 阪南市 <信長街道> 石道標
(舟型、和泉砂岩)
  江戸期   市教委 移設→木祠内 (光背右)「右 大坂」、(同左)「左 佐野」/光背中央に地蔵立像の陽刻/「大坂」の標記は江戸期の可能性 2 -
写真 鳥取の地蔵道標2 とっとり 阪南市 <浜街道> 石道標
(舟型、和泉砂岩)
高68㎝,幅23㎝ 江戸期   市教委 移設、集約→木祠内 (正面像下)「左、大川/阿王志満宮、道」、(左面下部)「右 大坂」/正面上部の舟型部を削り込み地蔵坐像(蓮台)の陽刻/「大坂」の標記は江戸期の可能性 3 -
写真 暗峠の石畳 くらがり 東大阪市・
奈良/生駒市
暗峠頂上
<暗越奈良街道>
石畳道 長100m,幅4m 江戸期   市教委/近畿地方の歴史の道2p34 改修され、上に新たに石畳が敷かれている 暗越奈良街道の生駒山地における難所で、特に大阪府側は超急勾配が麓から峠まで約2.5km続く/峠の頂上には小さな集落がありこの付近のみ、路面が石畳になっている
3
写真 大師橋 たいし 東大阪市 谷川 石桁橋 長2.28m,幅0.6m
(拡幅前)
文久4(1864)   市教委/東大阪市の石造物3p83 昭和2に拡張(石桁の両側にRCで)、金属製の欄干を付設 1枚の桁石だけで構成/世話人:額田村・立野屋吉兵ヱ、豊浦村・米屋礒右ヱ門 4
  西石切町の常夜灯 にしいしきり 東大阪市 (1丁目) 石常夜灯   天明2(1782)   東大阪市の石造物3p92   「石切剱箭宮」  
  善根寺町の金毘羅常夜灯 ぜんこんじ 東大阪市 (5丁目)<東高野街道> 石常夜灯 高2.30m 文化7(1810)   近畿地方の歴史の道1
p366/東大阪市の石造物3p93
保存状態良好 「金毘羅大権現」 1
写真 東豊浦町の太神宮常夜灯 ひがしとようら 東大阪市 暗峠<暗越奈良街道> 石常夜灯 高2.3m 文政年間(1818-30)?   東大阪市の石造物3p85
,90
移設?/暗峠から少し下ったお堂脇/文字磨耗→「文政」とは読み取れない (竿正面)「太神宮」、(竿左面?)「おかげ年」(?)/(台石左面)「峠/中」 3
  大蓮東の常夜灯 おおはすひがし 東大阪市 (1丁目)<北八尾街道> 石常夜灯(道標兼、花崗岩) 高2.68m 文政7(1824)
→嘉永元(1848)更新
  東大阪市の石造物1p48
,54/WEB
個人宅に移設/竿以外は更新? (竿南面)「右 玉津久り/左 天王寺」、(同北面)「すぐ 信貴山」/東面に「和州 信貴山 毘沙門天□□」と陰刻/「文政7年」とともに「嘉永元年改建之」と書かれている 3
  加納の太神宮常夜灯 かのう 東大阪市 (2丁目)<河内街道> 石常夜灯(花崗岩) 高3.30m 文政13(1830)   近畿地方の歴史の道2
p236/東大阪市の石造物2p54
  「太神宮」、「おかげ」、(台座)「常燈」  
  新庄の太神宮常夜灯1 しんじょう 東大阪市   石常夜灯   天保2(1831)   東大阪市の石造物2p54   「両皇太神宮/五穀成就」、「おかげ/をど里」    
  新庄の太神宮常夜灯2 しんじょう 東大阪市   石常夜灯   天保2(1831)   東大阪市の石造物2p54   「をど里/お加げ/太神宮」    
  上石切町の常夜灯1 かみいしきい 東大阪市 (2丁目) 石常夜灯 高3.1m 天保9(1838)   東大阪市の石造物3p74
,92
上石切町の常夜灯1,2で道路を挟んで現存している 「大坂」、「歓喜天」  
  上石切町の常夜灯2 かみいしきい 東大阪市 (2丁目) 石常夜灯 高3.14m 弘化4(1847)   東大阪市の石造物3p74
,92
上石切町の常夜灯1,2で道路を挟んで現存している 「大坂」、「歓喜天」  
  瓢箪山町の太神宮常夜灯1 ひょうたんやま 東大阪市 <東高野街道> 石常夜灯 高2.50m 嘉永5(1852)   近畿地方の歴史の道1
p451
  「太神宮/稲荷社」、(台石)「六十六部建立」  
  瓢箪山町の太神宮常夜灯2 ひょうたんやま 東大阪市 <東高野街道> 石常夜灯 高2.50m 嘉永5(1852)   近畿地方の歴史の道1
p451
  「太神宮/稲荷社」、(台石)「六十六部建立」  
  吉田の常夜灯 よした 東大阪市 (5丁目) 石常夜灯   元治2(1865)   東大阪市の石造物2p55   (竿)「氏神」  
  西石切町の太神宮常夜灯 にしいしきい 東大阪市 (2丁目) 石常夜灯 高2.46m 慶応4(1868)   東大阪市の石造物3p81
,92
街中の三差路に残る 「太神宮」  
  菱屋東の地蔵道標
(道開地蔵)
ひしやひがし 東大阪市 (2丁目) 石道標(舟型) 高106㎝,幅18㎝,厚18㎝ 享保11(1726)   東大阪市の石造物2p32
,60
移設/お堂で祀られている (光背上)「(梵字)」、(左面)「右ハ ならみち」/全面に地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
写真 東豊浦町の道標1 ひがしとようら 東大阪市 暗峠頂上・北30m
<暗越奈良街道>
石道標 高63㎝,幅16㎝,厚14㎝ 享保17(1732)   東大阪市の石造物3p75
,94
移設、集約(街道筋から離れている)/府県境から僅かに生駒市に入った場所→生駒市で登録 (正面)「(梵字)北、鬼取山 十二丁/宝山寺 廿五丁」 3 -
  太平寺の道標 たいへいじ 東大阪市 (1丁目)
太平寺<十三街道>
石道標(自然石) 高116㎝,幅44㎝,厚14㎝ 宝暦4(1754)   東大阪市の石造物1p47
,55/大阪の街道と道標p95
移設 (東面)「志ゆんとく道、西 天王寺/東 高や素」、(西面)「是よ里 南 太平寺村」/隣接して立つ同様の内容、年号が刻まれた角柱の道標は後世のものとされている 2
  御厨の馬頭観音像道標 みくりや 東大阪市 (3丁目)
<暗越奈良街道>
石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高55㎝,幅22.5㎝,厚19.5㎝ 寛政4(1792)   東大阪市の石造物1p45
,56/大阪の街道と道標p21
下部欠損/石台の上にCで固定/摩耗が進む (東面)「左 大坂」(南面)「右、なら/いせ」/東面上部を光背型に削り込み、馬頭観音坐像、蓮座を陽刻 3
  若江南町の道標 わかえみなみ 東大阪市 (2丁目)
<十三街道・河内街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高131㎝,幅25㎝,厚25㎝ 享和3(1803)   東大阪市の石造物2p38
,58/大阪の街道と道標p95,116/近畿地方の歴史の道2p121
舗装された道路上に残る (正面)「右 十三越道」、(右面)「左 大阪道」、(左面)「すぐ八尾道」 1
  上石切町の道標1 かみいしきり 東大阪市 (2丁目)
<鷲尾越え(打越越え)>
石道標 高187㎝,幅29㎝,厚29㎝ 文政5(1822)   東大阪市の石造物3p73
,95/大阪の街道と道標p100
下部を道路沿いの石積みに挟まれた状態で立っている/保存状態良好 「從是、生駒山 賽山寺 廿六丁/鷲尾山興法寺 十八丁」 1
写真 菱屋東の道標1 ひしやひがし 東大阪市 (2丁目)八剱神社
<暗越奈良街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高106㎝,幅18㎝,厚18㎝ 天保2(1831)   近畿地方の歴史の道2
p119/東大阪市の石造物2p8,71/大阪の街道と道標p21
移設/下部一部Cに埋設 (正面)「右 大坂」、(右面)「左り、奈ら/いせ」/右面上部に「おかげ」と陰刻→伊勢詣の道しるべ/下記の「菱屋東の道標1」「菱屋東の絵入り道標」と並ぶ 2
  東石切町の道標 ひがしいしきり 東大阪市 (2丁目) 石道標 高約150㎝ 弘化2(1845)   東大阪市の石造物3p73,
95
移設 (正面)「北 右、道明寺 拾五丁/藤井寺 一里/高野山 拾三里/すぐ野、道」、(右面)「西 左、野崎 三里/八幡八里/京 拾三里、道」 2
  日下町の道標 くさか 東大阪市 (8丁目)
<東高野街道>
石道標(尖頭角柱) 高100㎝,幅22,厚19㎝ 弘化2(1845)   東大阪市の石造物3p72
,95/大阪の街道と道標p26
孔舎衙小学校〔道路脇の小学校敷地内〕(移設?) (正面)「右 平野」、(右面)「左 のざ記ミち」、(左面)「北 京 や巳た/南 高野 大ミ年、道」 2
写真 加納の道標 かのう 東大阪市 加納東公園(4丁目) 石道標   弘化2(1845)   東大阪市の石造物2p57 移設 (正面)「左 平野御本山、八尾/久宝寺」、(右面)「北 角ノ堂」、(左面)
「右、日下 大龍寺/野さ起觀音、道」
2
  大蓮東の道標 おおはすひがし 東大阪市 (2丁目)
<北八尾街道>
石道標(尖頭角柱) 高108㎝,幅22㎝,厚22㎝ 弘化3(1846)   東大阪市の石造物1p48
,54/WEB/信貴山への道標p33
移設/塀に挟まれている (東面)「右 大坂 天王寺道」、(北面)「左、八尾/久宝寺、信貴山道」 2
  若江本町の道標 わかえほん 東大阪市 (3丁目) 石道標(舟型) 高68㎝ 弘化3(1846)   東大阪市の石造物2p39
,58
下部Cに埋没 (正面)「左 平野道」、「南 右京 のざき 松原」 2 -
写真 吉田の絵入り道標1 よした 東大阪市 (2丁目)西昌寺 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高81㎝,幅21㎝,厚19㎝ 弘化4(1847)   東大阪市の石造物2p40
,58/近畿地方の歴史の道2p119
一部Cに埋没 (正面)「右 (瓢箪の絵)山」、(右面)「右 のざきミ」、(裏面)「左 平野本山」/瓢箪山を瓢箪の絵の線刻で表している 1
写真 松原の道標 まつばら 東大阪市 (1丁目)
<暗越奈良街道>
石道標(花崗岩) 高129㎝,幅36㎝,厚36㎝ 嘉永元(1848)   近畿地方の歴史の道2
p120/東大阪市の石造物2p40,58
原位置? (正面)「右、奈ら/いせ、道」、(右面)「左 大坂道」 1
  新庄の道標 しんじょう 東大阪市   石道標 高150㎝,幅29.5㎝,厚29.5㎝ 嘉永2(1849)   東大阪市の石造物2p42
,57
C舗装上に立つ/保存状態良好 (西面下)「右 京橋 左 玉造」、(南面)「左り なら いせ」/西面に大峯山上、北面に三拾三度と陰刻  1
写真 出雲井町の道標 いずもい 東大阪市 (2丁目)
<暗越奈良街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高330㎝,幅43㎝,厚35㎝ 嘉永6(1853)   近畿地方の歴史の道2
p120/東大阪市の石造物3p76,94/大阪の街道と道標p21
移設 (正面右上)「當国」、(同左上)「一ノ宮」、(同中央)「元春日平岡大社」、
(同中央右)「是ヨリ南ヘ二丁くらかり峠ヘちか道有」、(同下横書)「左なら」、(左面)「右 大坂」/高さ3mを超える道標
2
  三ノ瀬の役行者像道標 さんのせ 東大阪市 (2丁目)
<俊徳街道・十三街道>
石道標(蒲鉾型) 高94㎝,幅28㎝,厚14㎝ 安政2(1855)   東大阪市の石造物1p46
,55/大阪の街道と道標p95
下部埋没 (西面像下)「右、大峯/山上、道」、(北面)「すぐ 十三峠」/西面上部を光背型に削り込み、役行者、蓮座を細密に陽刻 2
  喜里川町の絵入り道標1きりかわ 東大阪市 (3丁目)
<東高野街道>
石道標(尖頭角柱) 高80㎝,幅21㎝,厚21㎝ 安政6(1859)   東大阪市の石造物3p77
,94/大阪の街道と道標p27
かなり摩耗が進んでいる (正面)「(左指差し)京、平岡/のざき/や者た」、(左面)「すぐ 高野山、大ミ年/ふぢゐ寺/(瓢箪の絵)山」/瓢箪山を瓢箪の絵の線刻で表している 3
写真 東豊浦町の道標2
(暗峠の道しるべ)
ひがしとようら 東大阪市 闇峠頂上
<暗越奈良街道>
石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高139.5㎝,幅20
㎝,厚18.5㎝
安政6(1859)   近畿地方の歴史の道2
p121/市教委(東大阪市の石造物3p75,94)/大阪の街道と道標p22
移設/府県境から僅かに東大阪市に入った場所 (正面)「従/是、北 鬼取山 元藥師 十二丁」、(右面)「従/是、北 生駒寶山寺 廾五丁」 2
  喜里川町の絵入り道標2 きりかわ 東大阪市 (3丁目)
<東高野街道>
石道標(尖頭角柱) 高55㎝,幅20㎝,厚20㎝ 安政6(1859)   東大阪市の石造物3p77
,94/大阪の街道と道標p27
  (正面)「左 高野山、大ミ年/ふぢゐ寺/(瓢箪の絵)山」、(左面)「右 京、平岡/のざき/やはた」/瓢箪山を瓢箪の絵の線刻で表している  
写真 東豊浦町の道標3 ひがしとようら 東大阪市 闇峠<暗越奈良街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高115㎝,幅22㎝,厚21㎝ 万延元(1860)   近畿地方の歴史の道2
p120/市教委(東大阪市の石造物3p75,94)/大阪の街道と道標p22
移設、集約 (正面)「矢田 三里/奈良 四里半」、(右面)「日本第一/和州矢田山、出迎地蔵尊」、(裏面)「すぐ 大坂」
2
  稲田本町の道標 いなだほん 東大阪市 (3丁目) 石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高150㎝,幅26㎝,厚22.5㎝ 文久3(1863)   東大阪市の石造物1p45
,56/大阪の街道と道標p121
保存状態良好 (東面)「す久 大坂」、(西面)「左 京、徳庵/野崎」、(北面)「右、八尾/平野」 1
写真 菱屋東の道標2 ひしやひがし 東大阪市 (2丁目)八剱神社 石道標
(蒲鉾型、凝灰岩)
高104㎝,幅21.5
㎝,厚16.5㎝
江戸期   東大阪市の石造物2p8,71
/近畿地方の歴史の道2p107
移設 (正面)「(梵字)右 鳴川山、千光寺/役行者、道」、(右面)「これより弐十丁 なる川山へちか道」/「大坂」の標記は江戸期の可能性/上記の「菱屋東の道標1」、下記の「菱屋東の絵入り道標」と並ぶ 2
写真 菱屋東の絵入り道標 ひしやひがし 東大阪市 (2丁目)八剱神社 石道標(尖頭角柱、花崗岩)   江戸期   WEB(北伊勢の道標) 移設 (正面)「右 (瓢箪の絵)山」、(同左下隅)「是ヨリ三十丁」、(右面)「左 大坂」/瓢箪山を瓢箪の詳細な浮彫で代替している→瓢箪の線刻は多いが浮彫は珍しい/「大坂」の標記は江戸期の可能性/上記の「菱屋東の道標1・2」と並ぶ 2
  吉田の絵入り道標2 よした 東大阪市 (6丁目)西昌寺 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高118㎝,幅21.5㎝,厚18㎝ 江戸期   東大阪市の石造物2p40
,58/近畿地方の歴史の道2p120
折損のため、四方を下から3分の2の高さまで鋼材で補修 (正面)「右 (瓢箪の絵)山」、(右面)「左 大坂」、(裏面)「乗田」/瓢箪山を瓢箪の絵の線刻で表している/「大坂」の標記は江戸期の可能性/上記の「菱屋東の絵入り道標」の記載ミスの可能性はあるが、諸元・保存状態が違い過ぎる 3
写真 箱殿町の聖観音像道標 はこどの 東大阪市 (1丁目)<暗越奈良街道・東高野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高160㎝,幅31㎝,厚30㎝ 江戸期   WEB/市教委(東大阪市の石造物3p74,95)/大阪の街道と道標p21 移設(C台の上に3基集約)/上部で水平に折損→修復 (正面像下)「柳谷觀世音菩薩道」、(同右上部)「是ヨリ北江すぐ 京 八者多」、(同左最下部)「淀ふしミ」、(右面)「西江すぐ、大坂/金ひら、道」、(左面)「東江すぐ、奈ら/いせ、道」、(裏面)「南江すぐ、かうや/大ミ称、道」、/正面頂部を光背型に削り込み聖観音立像(蓮台)を陽刻/「大坂」の標記は江戸期の可能性 2
  東豊浦町の道標4 ひがしとようら 東大阪市 闇峠頂上
<暗越奈良街道>
石道標(蒲鉾型) 高125㎝,幅26.5㎝,厚15㎝ 江戸期?   生駒市教育委員会
(生駒市石造遺物調査p63・131)
移設、集約 (正面)「(梵字)矢田山 二里」 2
  上石切町の道標2かみいしきり 東大阪市 (2丁目) 石道標 高120㎝ 江戸期?   東大阪市の石造物3p73-74,95 草地の中に立つ 「(右指差し)鷲尾山 元聖天 願教寺前 京前」鷲尾山 元聖天 願教寺前 京前」 2
  四条町の道標 しじょう 東大阪市   石道標 高94㎝,幅11㎝,厚11㎝ 江戸期?   東大阪市の石造物3p77
,94
郷土資料館(移設) (西面)「(梵字)左 なるかわ道」、(南面)「右 加うやみち」 3
  吉原の道標 よしはら 東大阪市 (1丁目)<河内街道> 石道標(花崗岩) 高66㎝,幅22.5㎝,厚18㎝ 江戸期?   東大阪市の石造物2p41
,57
一部埋没 (西面)「右 八尾 平野/左 なら いせ」、(北面)「すぐ 京やわた」 2 -
  衣摺の道標 きずり 東大阪市 (3丁目)
<北八尾街道>
石道標(自然石) 高70.5㎝,幅21㎝,厚21㎝ 江戸期?   東大阪市の石造物1p47
,55/信貴山への道標p33
おつる地蔵堂(移設?)/下半分ほど埋没 (東面)「西すぐ 天王寺」、(南面)「北すぐ 玉津くり」、(西面)「東すぎ 志起山」、(北山)「南すぐ ひらの」 3 -
  荒川の道標 あらかわ 東大阪市 (3丁目)<十三街道> 石道標(尖頭角柱) 高63㎝,幅21㎝,厚21㎝ 江戸期   東大阪市の石造物1p55
/大阪の街道と道標p95
念通寺(移設) (東面)「右 大坂」、(西面)「南 ひらの」、(北面)「十三こゑ」/「大坂」の標記は江戸期の可能性 2 -
  上石切町の丁石(七丁) かみいしきり 東大阪市 (2丁目) 町石 高約50㎝ 江戸期?   東大阪市の石造物3p74
,95
  「七丁」   -
  上石切町の丁石(一丁) かみいしきり 東大阪市 (2丁目) 町石 高約70㎝ 江戸期?   東大阪市の石造物3p74
,95
  「一丁」   -
写真 地蔵谷川の分水樋 じぞうだにがわ 東大阪市   分水樋   江戸期?   市教委 当時のまま(放置) 江戸時代両村に等分に水を分けるため、分水樋を作り、分水樋が残っている 2
  六郷井路 ろくごういじ 東大阪市   用水路、運河 長2.5㎞ 寛文元(1661)   市教委 C改修 新開池床に近郷農民によって堀削された水路 5
  五箇井路 ごかいじ 東大阪市   用水路 長3.8㎞,幅9m 延宝元(1672)以前   市教委 C改修 新開池内に堀削された水路 5
  堀上田 ほりあげた 東大阪市   水田遺構   江戸中~後期   市教委 都市化により大部分埋め立て 低湿地の水田形態    
写真 東高野街道・跡 ひがしこうや 枚方市 高野道2丁目・住宅展示場裏<東高野街道> 道路 長100m(現存部) 古代(起源)→江戸期   木谷幹一 僅かな区間が江戸期の雰囲気で残る(アスファルト舗装) 京と河内国府を結ぶ古代官道とされる→中近世には京都から高野山への参詣道 3
  南中振の太神宮常夜灯 みなみなかぶり 枚方市 <河内街道> 石常夜灯(花崗岩) 高2.4m 文政3(1820)   近畿地方の歴史の道2p235   「太神宮」「村内安全」  
写真 船橋本町の常夜灯 ほなはしほん 枚方市 二宮神社・近く
<八幡船橋道>
石常夜灯   嘉永6(1853)   木谷幹一 原位置? (竿正面)「北辰大星大尊神」、(台石正面)「村/中」/竿石が角柱/八幡船橋道は、東海道と東高野街道を接続する街道/下記の「船橋本町の金毘羅常夜灯と一対(同型・同一基壇上、写真の右側) 1
写真 船橋本町の金毘羅常夜灯 ほなはしほん 枚方市 二宮神社・近く
<八幡船橋道>
石常夜灯   嘉永6(1853)   木谷幹一 原位置? (竿正面)「金毘羅大權現」、、(台石正面)「安/全」/竿石が角柱/八幡船橋道は、東海道と東高野街道を接続する街道/上記の「船橋本町の常夜灯」と一対(同型・同一基壇上、写真の左側) 1
写真 村野本町の常夜灯 むらのほん 枚方市 <奈良街道(岩舟越(割石越)道)> 石常夜灯 高3.35m 嘉永7(1854)   近畿地方の歴史の道2p132 火袋と内台をC接着、基壇は後補? 「妙見宮」、「天下泰平」 2
写真 三矢町の常夜灯 みつや 枚方市 <京街道・枚方宿> 石常夜灯(花崗岩) 高2.80m 嘉永7(1854)   近畿地方の歴史の道2p232 火袋C製に更新 「妙見宮」、「天下泰平」、「驛内安全」、(台石)「他力 開運講」/枚方宿内の常夜灯 2
  池之宮の常夜灯 いけのみや 枚方市 (1丁目)<尊延寺越道> 石常夜灯(花崗岩) 高3.35m 萬延元(1860)   近畿地方の歴史の道2p234 保存状態良好 「氏神 秋葉山常夜燈」、(台座)「丁内安全」 1
  北中振の道標 きたなかぶり 枚方市 西川造園<渋谷越> 石道標(尖頭角柱) 高101㎝,幅24.5
㎝,厚27㎝
宝永2(1705)   京都の道標p32/WEB(いしぶみ)/川﨑渉三 移設(もと、京都市山科区) (正面)「左、今くま能/くハんをん、道」、(右面)「右は 京みち」/京都に多くの道標を建てた素封家・沢村道範の現存する数少ない1基 3
  楠葉中之芝の地蔵道標1 くずはなかのしば 枚方市 <京街道> 石道標(駒型) 高117㎝,幅30.5㎝,厚25.5㎝ 元文元(1736)   大阪の街道と道標p39 久親恩院寺(移設) (正面)「右 津の国そうじ寺/左 大坂みち」/正面上部を光背型に削り込み、地蔵坐像を陽刻、右側面に「一切衆生/仰誉上人/往生極楽」と陰刻 2
  楠葉中之芝の地蔵道標2 くずはなかのしば 枚方市 <京街道> 石道標
(駒型、花崗岩)
高113㎝,幅27㎝,厚24㎝ 寛保3(1743)   近畿地方の歴史の道2p227/大阪の街道と道標p39 久親恩院寺(移設) (正面)「八まん宮道す」、(右面)「そうぢじ道」/正面上部を光背型に削り込み、地蔵坐像を陽刻、左側面に「一切衆生/仰誉上人/往生極楽」と陰刻 2
  牧野阪の大師像道標 まきのさか 枚方市 <京街道> 石道標
(蒲鉾型、砂岩)
高78㎝,幅39㎝,厚19㎝ 明和6(1769)   近畿地方の歴史の道2p224 今清岸寺門前(移設?) (台石正面)「右 京道」、(右面)「八はたへ一里/よどへ二里/京へ五里/ふしみ江三里」/正面上部に弘法大師坐像を陽刻、その下に「四國邊路供用佛」と陰刻 2
  印田町の道標 いんだ 枚方市 <奈良街道> 石道標(花崗岩) 高116㎝,幅24㎝,厚25㎝ 寛政9(1797)   近畿地方の歴史の道2p112 本誓寺(移設) (正面)「右 やまとミち/左 くらじたき」、(裏面)「すく ひらかた」 2
  郡津の道標 こうづ 枚方市 <東高野街道> 石道標(砂岩) 高145㎝,幅67㎝,厚67㎝ 文政2(1819)   近畿地方の歴史の道1p425 郡津墓地(移設) (右面)「すく かうやみち」、(左面)「すく/や者た二り よど三り/ふしミ四り 京り」/正面に「晆聲庵樂譽古光居士/いさよ飛盤 闇といふ間に 月夜か那」と陰刻 2
写真 岡本町の道標 おかほん 枚方市 <奈良街道・京街道・岩舟越道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高161㎝,幅37㎝,厚37㎝ 文政9(1826)   近畿地方の歴史の道2p111,224/大阪の街道と道標p38 保存状態良好 (正面)「右 久らじたき 是ゟ四十三丁/左 京 六リ や王多 二リ、道」、
(左面)「右 大坂ミち」
1
写真 楠葉の地蔵道標 くずは 枚方市 <京街道> 石道標
(駒型、花崗岩)
高171㎝,幅31㎝,厚25㎝ 天保3(1832)   近畿地方の歴史の道2p226/WEB(十三) 長福寺(移設) 「右 八幡宮 二十三町」/正面上部に地蔵坐像を浮彫 2
  楠葉丘の道標1 くずはおか 枚方市 <京街道> 石道標(花崗岩) 高163㎝,幅34㎝,厚27㎝ 嘉永2(1849)   近畿地方の歴史の道2p226 交野天神社西入口(移設?) 「右ハ はし本 山崎柳谷 大阪へ行 舟の便り場」、(裏面)「右ハ 野崎くわんおん 倉治瀧 牧方へ行」/左側面に「奉祈念五穀成就祈攸 風雨順道 萬民豊楽 芳山住 袋入翁法敬白」と陰刻 2
  楠葉丘の道標2 くずはおか 枚方市 <京街道> 石道標(花崗岩) 高125㎝,幅33㎝,厚23㎝ 嘉永2(1849)   近畿地方の歴史の道2p225 交野天神社西入口(移設?) 「右 やわた よど ふしみ」/正面に「為往来安全」と陰刻 2
  春日西町の道標 かすがにし 枚方市 (4丁目<東高野街道> 石道標 高103㎝,幅31㎝,厚30㎝ 嘉永7(1854)   近畿地方の歴史の道1p425 上部欠損 「右 京や者た/すく枚方大阪/左のミち/道」/正面上部に「山上講」と陰刻 2
写真 上島町の地蔵道標 かみじま 枚方市 <京街道> 石道標
(駒型、花崗岩)
高190㎝,幅30㎝,厚21㎝ 安政3(1856)   近畿地方の歴史の道2p224/大阪の街道と道標p38 移設? (正面像下)「八幡宮、参詣道/橋本へ一リ」、(右面)「北、京五里 伏見三里/淀二里 柳谷二里」、(左面)「南、大坂六里 枚方五十丁/奈良七里 總持寺二里半」/正面頂部に地蔵坐像(光輪、蓮台)の浮彫 2
  南中振の道標 みなみなかぶり 枚方市 <河内街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高150㎝,幅25㎝,厚25㎝ 安政4(1857)   近畿地方の歴史の道2p228/WEB   「蹉跎山天満宮 是ヨリ 東 二丁」、「すぐ 野崎道」、「すぐ 京 八幡 柳谷 牧方 左リ野 道」  
  藤阪南町の道標 ふじさかみなみ 枚方市 (2丁目)<山根街道> 石道標 高105㎝,幅24㎝,厚24㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p199   (正面)「東 なら 五り」、(右面)「北、八はた一り半/京五り/宇治二り半」、(左面)「南、のざき三り/大坂六り/高野二十り」、(裏面)「西、ひら方五十丁/高つき二り半」  
写真 楠葉台場・跡 くずは 枚方市 (楠葉中之芝)<京街道> 台場(土塁) 長南北約280m,東西約150m(史跡指定長),カノン砲4門? 慶応元(1865) 国史跡 有井/WEB 明治末期:京阪電鉄の敷設に伴い土塁の土砂撤去 提案:京都守護職・松平容保、設計:勝海舟/淀川左岸に構築された我が国唯一とされる河川台場/淀川から京都に侵入する外国船に備えた台場と、京街道から侵入する長州藩などの討幕派を防ぐ関所を兼ねるとされる 4
  岡の道標 おか 藤井寺市 (1丁目)<長尾街道> 石道標 高96㎝,幅26㎝,厚15㎝ 元禄14(1701)   WEB 移設 (正面)「右ハ、ふじい寺 かうや/よしの はせミち」、(左面)「左ハ なら かふり山 ミち」 2
  小山の道標1 こやま 藤井寺市 (1丁目)<長尾街道> 石道標(尖頭角柱) 高111㎝,幅30㎝,厚22㎝ 文化年間(1804-17)   大阪の街道と道標p12   (正面)「左、さかい 妙国寺 そてつ/やかさ松 住吉大」、(右面)「右 大坂」  
  小山の道標2 こやま 藤井寺市 (1丁目)<古市街道> 石道標(尖頭角柱) 高97㎝,幅25㎝,厚18㎝ 天保12(1841)   大阪の街道と道標p86   (正面)「右 大峯山、ふじい寺/い勢 はせ」  
  道明寺の道標 どうみょうじ 藤井寺市 (1丁目)<東高野街道> 石道標 高112㎝,幅23㎝,厚22㎝ 弘化4(1847)   近畿地方の歴史の道1p431/大阪の街道と道標p12 道明寺(移設) 「すぐ 道明寺、こん田八まん/高野山」(右面)「左 大坂 左海道」、(裏面)「右 柏原 京 道」 2
  野中の道標1 のなか 藤井寺市 (3丁目)<古市街道> 石道標 高150㎝,幅29㎝,厚29㎝ 嘉永6(1853)   大阪の街道と道標p86   (正面)「西、右 まきの尾 金剛山 高野山/左 つぼ坂 はせ よしの 伊勢」、(左面)「北」  
  野中の道標2 のなか 藤井寺市 (3丁目)<古市街道> 石道標 高114㎝,幅30㎝,厚20㎝ 慶応元(1865)   大阪の街道と道標p86   (正面)「左 つぼ坂 吉野」、(左面)「右 藤井寺 大坂/左 佐かい いづみ」  
  小山の道標3 こやま 藤井寺市 (1丁目)<長尾街道> 石道標(花崗岩) 高120㎝,幅24㎝,厚24㎝ 慶応3(1867)   近畿地方の歴史の道1p494/大阪の街道と道標p12   (正面)「右 いせ、道明寺/藤井寺」/右側面に「村内安全」と陰刻/頂部が十字形の溝状となっている/頂部の形状から、当初は常夜灯道標であった可能性がある  
  沢田の道標 さわだ 藤井寺市 (3丁目)<長尾街道> 石道標(尖頭角柱) 高93㎝,幅16㎝,厚15㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p12 道明寺小学校(移設) (正面)「すぐ 道明寺」、(左面)「右 大坂」、(裏面)「左 ふじい寺」 2
  国府の地蔵道標 こう 藤井寺市 (1丁目)<長尾街道> 石道標(尖頭角柱) 高72㎝,幅23㎝,厚21㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p12   (正面)「右 大坂 さかひ」、(左面)「右 ふぢゐてら道」/正面上部を光背型に削り込み、地蔵坐像を陽刻  
  高見の里の地蔵道標 たかみのさと 松原市 (3丁目)稱念寺<下高野街道> 石道標 高約50㎝ 天和2(1682)   WEB/大阪の街道と道標p11 お堂に移設して祀られている/中央で折損したものを修復 (光背右)「右 はせ よしの」、(同左)「左 なら ふじいでら」/上半分に地蔵立像、地蔵の下に蓮花台を陽刻/17世紀の道標 3
  南新町の地蔵道標 みなみしん 松原市 (1丁目)<長尾街道> 石道標 高77㎝,幅36㎝,厚19㎝ 享保13(1728)   大阪狭山市史7p102-103/大阪の街道と道標p11 光背右上部欠損 (光背左)「是南 かうや道 東 ならふじい寺」/全面に地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻 2
  岡の道標1 おか 松原市 (5丁目)松原南図書館<中高野街道> 石道標(蒲鉾型) 高70㎝,幅29㎝,厚23㎝ 寛政9(1797)   大阪狭山市史7p110-111/WEB(松原市)/大阪の街道と道標p128 移設/下部で水平に折損、修復 (正面)「右、ひらの/大坂、道」、(左面)「左 さかい道」、(右面)「左、さやま/三日市/かうや、道」/ 2 -
  岡の道標2 おか 松原市 (5丁目)<中高野街道・竹内街道> 石道標(蒲鉾型) 高約70㎝,幅約29㎝ 寛政9(1797)   WEB 土中から発見、個人宅で保管/下部欠損/「かうや/さやま」の間が欠けている (正面)「左 ふちゐ寺/上太子/やまと、道」「左、ひらの/大坂、道」、「右、かうや/さやま、道」 3 -
  新堂の道標 しんどう 松原市 (3丁目)<中高野街道> 石道標 高89㎝,幅22㎝,厚21㎝ 天保5(1834)   大阪狭山市史7p108-109/大阪の街道と道標p128/WEB 行き先から道標の向きが変わっていると考えられている (正面)「左、さかい/住よし、道」、(右面)「右、平野/大坂、道」、(裏面)「すぐ、かうや/よしの、道」 2
  天美東の地蔵道標1 あまみひがし 松原市 (8丁目)<下高野街道> 石道標(蒲鉾型) 高95㎝,幅23㎝,厚12㎝ 江戸期?   大阪狭山市史7p100-101/信貴山への道標p41/大阪の街道と道標p125 保存状態良好/現在も信仰の対象 (正面)「右 しき山八尾ひらの三村/左 大坂 天王寺 あま岸」、(裏面)「すぐ 高野山狭山道」/正面上部を光背型に削り込み、地蔵立像を陽刻/蒲鉾形は珍しい 1
  一津屋の地蔵道標 ひとつや 松原市 (4丁目)<長尾街道> 石道標(蒲鉾型) 高90㎝,幅20㎝,厚14㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p12 道路際で鉢植えと共に建つ (正面)「右 平野 大坂/左 さかい、道」、(右面)「すぐ ひらの」、(左面)「すぐ、ふじい寺/なら」/正面上部を光背型に削り込み、地蔵立像を陽刻/蒲鉾形は珍しい 1
  天美東の地蔵道標2 あまみひがし 松原市 (8丁目)<下高野街道> 石道標 高64㎝,幅32㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p125   (光背右)「右 なかの ひらの」、(同左)「左 大坂 てんのうじ」/全面に地蔵立像を陽刻  
  中門の堰樋の分量石 ちゅうもん 松原市   水量調整用の置き石   享和元(1801)   WEB 移設/中門の堰樋跡付近に残る 中門の堰樋(阿保村の海泉池から三宅村の大海池に至る用水の取水掛口)で東と西に分岐する水路の堰高を定めた石/「字中門三宅村大海池 分量石 上田三宅立会」と陰刻 2
  満水石   松原市 阿保公民館 水量調整用の置き石   文化5(1808)   WEB 海泉池付近の公民館に移設 「海泉池満水石 西阿保三宅立会」と陰刻/西阿保三宅への水量を定めた石とされる 2
  大海池 おおがいけ 松原市   土堰堤 堤長600m,堤高2.0m 慶長5(1600)   WEB   松原市最大水面積の溜池    
  更池惣井戸 さらいけそう 松原市 (新町図書館前)<長尾街道> 井戸(花崗岩) 高45㎝,122㎝角 寛政8(1796)   WEB 移設 建立:信田喜右衛門/村人の共同井戸として造られたと考えられている 2
  高見の惣井戸 たかみ 松原市 (高見の里3丁目)<長尾街道> 井戸 高約40㎝,約100㎝角 安政6(1859)   WEB 移設 建立:多聞院・龍昌/村人の共同井戸として造られたと考えられている 2
写真 小野原西の金比羅常夜灯 おのはらにし 箕面市 <西国街道> 石常夜灯 高2.62m 寛政8(1796)   近畿地方の歴史の道2p419/WEB(的形道標クラブ) 火袋後補 (竿右面)「金毘羅大權現」 2
写真 萱野の道標 かやの 箕面市 (2丁目)<西国街道> 石道標(尖頭角柱) 高110㎝,幅30㎝,厚30㎝ 寛文12(1672)   大阪の街道と道標p42/WEB(十三) 移設、下部埋設 (正面)「み乃於山 能入…」(=箕面山の入口)、(左面)「従是西 箕面山道」/17世紀の道標 2
  新稲の道標 にいな 箕面市 <西国三十三所巡礼道
(勝尾寺→中山寺)>
石道標(自然石) 高70㎝,幅43㎝ 元禄4(1691)   大阪の街道と道標p255/WEB 下部埋没 「(梵字)右 中山道、中山へ二里/池田へ廿二」/17世紀の道標 2
写真 牧落の道標1 まきおち 箕面市 (2丁目)
<西国街道・箕面街道>
石道標(駒型) 高60㎝,幅21㎝,厚15㎝ 享保5(1720)   大阪の街道と道標p42,237/WEB(十三) C基礎上に牧落の道標2と並んで立つ/最下部折損→修復 (正面)「みのをみち」 3 -
  箕面の道標1 みのお 箕面市 (6丁目)<箕面街道> 石道標(自然石) 高95㎝,幅90㎝ 安永8(1779)   大阪の街道と道標p237 サンプラザ1号館前(移設?)/下部埋没 「牧之荘、東去 平安/北去 中/西去 池/南去 大」 2
写真 小野原東の道標 おのはらひがし 箕面市 楠水龍王堂
<西国街道>
石道標(花崗岩) 高101㎝,幅24㎝,厚24㎝ 享和2(1802)   近畿地方の歴史の道2p398/大阪の街道と道標p43 修景の舗石が道標に合わせて切断→原位置? (正面)「左 京 ふしみ道」 1
  石丸の地蔵道標 いしまる 箕面市 (2丁目) 石道標 高65㎝,幅21㎝,厚21㎝ 文化3(1806)   大阪の街道と道標p255   (正面)「右 中山寺」、(右面)「左 勝尾寺」/正面上部に地蔵立像を陽刻  
  粟生間谷西の供養塔道標 あおまたににし 箕面市 (7丁目)<勝尾寺参道> 石道標(尖頭角柱) 高95㎝,幅21㎝,厚20㎝ 文化15(1818)   大阪の街道と道標p235   「左 かつをじ道」/右側面に法名を陰刻  
  箕面の道標2 みのお 箕面市 勝尾寺 石道標 高150㎝,幅31㎝,厚31㎝ 文政3(1820)   大阪の街道と道標p235   (正面)「東 第二十三番札所」、(右面)「北 左 中山寺 百六十丁」、(裏面)「西 京十り」  
  箕面の道標3みのお 箕面市 勝尾寺 石道標 高200㎝,幅60㎝,厚30㎝ 天保14(1843)   大阪の街道と道標p235   (正面右)「みのふたきこし/中山寺、(左指差し)」/正面上部に「南無阿弥陀仏」、同左に法名、右側面に「観世音菩薩、不動明王/薬師如来」と陰刻  
写真 牧落の道標2 まきおち 箕面市 (2丁目)<西国街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高126㎝,幅23㎝,厚23㎝ 江戸期   大阪の街道と道標p42/近畿地方の歴史の道2p399/WEB(十三) C基礎上に牧落の道標1と並んで立つ (正面)「(右指差し袖付き)大坂/はつとり、天神、四り半/二り、道」、
(左面)「有覚上人/御旧跡、刀根山御坊、從是南/十五丁」/「大坂」の標記は江戸期の可能性
2
写真 粟生新家の道標1 あおしんけ 箕面市 勝尾寺参道<西国街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高125㎝,幅21㎝,厚14㎝ 江戸期   近畿地方の歴史の道2p398/大阪の街道と道標p43/WEB
(的形道標クラブ)
移設/勝尾寺町石(三十六町石)の道の向かいに立つ (正面右)「(梵字)自是山上惣門迠 三十六町」/正面左に「町石施主大坂内淡路町小嶋長左衛門」→「大坂」の標記は江戸期の可能性/下記「粟生新家の道標2」と並ぶ 2
  箕面の題目塔道標 みのお 箕面市 (1丁目)<箕面街道> 石道標(自然石) 高110㎝,幅24㎝,厚23㎝ 江戸期   大阪の街道と道標p237   (正面下)「すぐ 大坂/右 中山/左 京」、(右面)「西、すぐ 京/右 大坂/左 みのお」、(左面)「東、すぐ 中山/右 みのお/左 大坂」、(裏面)「南、すぐ みのお/右 京/左 中山」/正面に「南無阿弥陀仏」と陰刻/「大坂」の標記は江戸期の可能性  
写真 粟生新家の道標2 あおしんけ 箕面市 (1丁目)<西国街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高100㎝,幅24㎝,厚25㎝ 江戸期   近畿地方の歴史の道2p399/大阪の街道と道標p43/WEB
(的形道標クラブ)
移設/勝尾寺町石(三十六町石)の道の向かいに立つ (正面)「左 勝尾寺 二階堂道」、(右面)「圓光大師遺跡/廿五箇所第五番」/右面の「大坂講中」→「大坂」の標記は江戸期の可能性/上記「粟生新家の道標1」と並ぶ 2
  粟生間谷の題目塔道標 あおまたに 箕面市 <勝尾寺参道> 石道標(尖頭角柱) 高65㎝,幅15㎝,厚15㎝ 江戸期   大阪の街道と道標p235   (正面)「右 中山又大坂みち」、(左面)「左 たいしやく」/右側面に「南無阿弥陀仏」と陰刻/「大坂」の標記は江戸期の可能性   -
  勝尾寺町石(下乗石) かつおうじ 箕面市 勝尾寺<勝尾寺参道> 町石
(五輪塔、花崗岩)
高135㎝,幅22㎝,厚20㎝ 宝治元(1247)→追刻:元治元(1864) 国史跡 箕面市立郷土資料館/大阪の街道と道標p235,255 山門付近の改修に伴い宝物庫付近に保管/火輪から上が欠損 (正面)「(梵字)下乗」、(右面)「左 京十リ」、(左面)「右 大坂六り」、(裏面(「右 中山ち 百六十丁/左 そうじち二り半 竜王山二り」/正面以外の文字は元治元の追刻 3
写真 勝尾寺の五輪塔町石
(一町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石
(五輪塔、花崗岩)
高150㎝,幅23㎝,厚19㎝ 宝治元(1247) 国史跡 WEB(アジアの風景!) 原位置 勝尾寺の五輪塔町石は入口から勝尾寺に向けて町数順に並んでいる(入口が1丁)/下乗石、1町石~7町石までの8基は日本最古の町石/町石に建立年の刻字はないが、『勝尾寺毎年出来大小事等目録』に「宝治元年十一月比町率都婆立之…(略)…其比東西坂一丁ツツ…」と記されていることから確定できる/「(梵字)一町」 1 写真
写真 勝尾寺の五輪塔町石
(二町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石
(五輪塔、花崗岩)
高173㎝,幅22㎝,厚22㎝ 宝治元(1247) 国史跡 WEB(アジアの風景!) 原位置 「(梵字)二町」/以下同上 1 写真
写真 勝尾寺の五輪塔町石
(三町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石
(五輪塔、花崗岩)
高100㎝,21.5㎝角 宝治元(1247) 国史跡 WEB(アジアの風景!) 五輪塔の水輪から上が欠損 「(梵字)三町」/以下同上 3
  勝尾寺の五輪塔町石
(四町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石
(五輪塔、花崗岩)
高105㎝,21.5㎝角 宝治元(1247) 国史跡 WEB(アジアの風景!) 五輪塔の水輪から上が欠損 「(梵字)四町」/以下同上 3
  勝尾寺の五輪塔町石
(五町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石
(五輪塔、花崗岩)
高93㎝,21.5㎝角 宝治元(1247) 国史跡 WEB(アジアの風景!) 五輪塔の水輪から上が欠損 「(梵字)五町」/以下同上 3
写真 勝尾寺の五輪塔町石
(六町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石
(五輪塔、花崗岩)
高99㎝,幅21㎝ 宝治元(1247) 国史跡 WEB(アジアの風景!) 五輪塔の水輪から上が欠損 「(梵字)六町」/以下同上 3
写真 勝尾寺の五輪塔町石
(七町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石
(五輪塔、花崗岩)
高133㎝,幅20.5
宝治元(1247) 国史跡 WEB(アジアの風景!) 風輪、空輪を欠損/「七町」の陰刻がその他の文字の刻字、さらに、1-6町石の刻字と比べ風化が少ないため、後世に彫り直した可能性あり 「(梵字)七町」/以下同上
2
  勝尾寺の角柱町石
(十町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高約130㎝ 寛文6(1666)   WEB 原位置? 勝尾寺の角柱町石は上記五輪塔町石に続き勝尾寺まで町数順に並んでいる(終点の境内が三十六町)/八町石~三十六町石までの28基を大阪の豪商・小嶋長左衛門妻女が建立/「(梵字)十町」 1
  勝尾寺の角柱町石
(十七町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高約130㎝ 寛文6(1666)   WEB 原位置? 「(梵字)十七町」/以下同上 2
  勝尾寺の角柱町石
(十九町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高約130㎝ 寛文6(1666)   WEB 原位置? 「(梵字)十九町」/以下同上 1
写真 勝尾寺の角柱町石
(二十二町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高約130㎝ 寛文6(1666)   WEB 移設(基部露出)? 「(梵字)二十二町」/以下同上 2
写真 勝尾寺の角柱町石
(二十三町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高約130㎝ 寛文6(1666)   WEB 移設? 「(梵字)二十三町」/以下同上 2
写真 勝尾寺の角柱町石
(二十八町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高約130㎝ 寛文6(1666)   WEB 原位置? 「(梵字)二十八町」/以下同上 1
写真 勝尾寺の角柱町石
(二十七町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高約130㎝ 寛文6(1666)   WEB 移設? 「(梵字)二十七町」/以下同上 2
写真 勝尾寺の角柱町石
(二十六町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高約130㎝ 寛文6(1666)   WEB 移設 「(梵字)二十六町」/以下同上 2
写真 勝尾寺の角柱町石
(三十町)
かつおうじ 箕面市 帝釈寺・勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高約130㎝ 寛文6(1666)   WEB 近接移設?/中央で水平に折損→修復 「(梵字)三十町」/以下同上 2
写真 勝尾寺の角柱町石
(三十二町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高約130㎝ 寛文6(1666)   WEB 近接移設? 「(梵字)三十二町」/以下同上 1
写真 勝尾寺の角柱町石
(三十四町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩)   寛文6(1666)   WEB 移設/下部欠損 「(梵字)三十四町」/以下同上 4 -
写真 勝尾寺の角柱町石
(三十五町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩)   寛文6(1666)   WEB 移設/下部欠損 「(梵字)三十五町」/以下同上 3
写真 勝尾寺の角柱町石
(三十六町)
かつおうじ 箕面市 勝尾寺表参道<西国街道> 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高131㎝,幅21㎝,厚18㎝ 寛文6(1666)   WEB 下部が石ブロックに挟まれている 「(梵字)三十六町」 3
写真 竜田通の道標 たつた 守口市 (1丁目)<京街道・守口街道> 石道標(尖頭角柱) 高116㎝,幅20㎝,厚18㎝ 文政13(1830)   大阪の街道と道標p37,83/守口の石造物p91 下半分埋没 (正面)「左 京〔道〕」、(左面)「右 大〔坂〕」、(右面)「すぐ 京〔みち〕」/道標内容の〔〕部分は埋没 3
  藤田町の道標 とうだ 守口市 (3丁目)弥治右衛門公園<枝切街道> 石道標 高165㎝,幅29㎝,厚29㎝ 天保年間?(1830-43)   大阪の街道と道標p122/守口の石造物p96,102-4/WEB 昭和期に建立された複数の顕彰碑などと共に公園入り口に残る (正面)「すぐ 徳庵 大坂 道」、(右面)「すぐ なら いせ 道」、(左面)「すぐ 吹田 中山道」、(裏面)「すぐ 佐田 京 道」/慶安元(1648)に幕府の許可なしに排水樋を造り、処刑された庄屋・小泉弥治衛門の名が刻まれている→刑死者の墓を建てられないため、道標として排水樋が造られ、処刑された場所に建立されたとされている 1
写真 佐太中町の道標さたなか 守口市 佐太天満宮前<京街道・交野街道> 石道標
(頂部刳り込み角柱、花崗岩)
高136㎝,幅28㎝,厚26㎝ 万延元(1860)   近畿地方の歴史の道2p223/大阪の街道と道標p37,197/WEB/守口の石造物p87 移設 (正面)「佐太天満宮 一丁半」、(右面)「 (右袖付き指差し)野ざき 七十丁/ほし多" ニリ/らじ瀧 七十丁」(=星田、倉冶滝)、(左面)「毛り口 一り/京者し 三り」(=守口、京橋) 2
写真 本町の道標 ほん 守口市 旧・文禄堤
<京街道・清滝越道>
石道標(蒲鉾型) 高45㎝,幅25㎝,厚16㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p37/守口の石造物p90/近畿地方の歴史の道2p31 原位置 「右、なら/のざき、みち」/長方形(上辺半円)に削り込み文字を陰刻/文禄堤残存部の上に立つ 1 -
写真 文禄堤・跡 ぶんろくつつみ 守口市 (本町2丁目)<淀川・京街道> <土堤防>・道路 長約27㎞→約650m,高約5m,幅約30m 文禄5(1596)   現地解説板/WEB/近畿地方の歴史の道2p174 旧街道のように残っているが、道路と交差する地点で、嵩上げされた旧堤防であったことが分かる 企秀吉が大坂城(1583)と伏見城(1594)を築いた際、2つの城の連絡のために(軍事上の必要性から)淀川堤防を利用しようと考え、毛利輝元・小早川隆景・吉川広家らに命じて左岸堤防を拡幅・補強・直線化したもの/江戸期には東海道の一部として使用された。 4
  玉串川の石橋   八尾市   石桁橋 長136㎝,幅95㎝ 文化13(1816)   信貴山への道標p42 教育センターで保管/一部欠損 「信貴」と陰刻されている 3
写真 神宮寺の参道石橋 じんぐう 八尾市 神宮寺 石桁橋 (3G) 江戸期   WEB(石橋巡礼) 保存状態良好 3本の橋脚上に横桁を載せ、その上に3本の石桁を置き、その上に薄い橋面石を並べたている/本格的な高欄はない/かなりの大きさの矢穴跡の残る石材を橋脚に使用→江戸期 1
写真 垣内村一里塚 かいちむら 八尾市 <東高野街道> 一里塚(1基) 塚木:松(補植) 江戸初期 市史跡 市教委(八尾の文化財2p9) 3分の1ほどに削平された東塚が残る/周囲を石積みで補強 現役の道路の脇に残る/一里松とも呼ばれる 3
写真 教興寺の道標1
(教興寺道標・寺川家前)
きょうこうじ 八尾市 (3丁目)<東高野街道・高安信貴道(信貴越黒谷道)> 石道標(頂部丸形角柱、花崗岩) 高108㎝,幅24㎝,厚24㎝ 宝永5(1708)   市教委(八尾の道標p27)/近畿地方の歴史の道1p430/大阪の街道と道標p27,90/信貴山への道標p4 Cの台座に、セメントで固定/交通事故により幾度となく折損し、補修されたとされる/教興寺の道標2と同じ交差点に道路を挟んで立つ (正面)「和州信貴山道 是四十二丁」/左側面に「毘沙門天王(以下判読不能)」と陰刻 3
  植松町の太神宮常夜灯 うえまつ 八尾市 <奈良街道(亀瀬越道)> 石常夜灯 高3.00m 宝暦7(1757)   近畿地方の歴史の道2p136   「太神宮」  
  植松町の金毘羅常夜灯 うえまつ 八尾市 <奈良街道(亀瀬越道)> 石常夜灯 高2.94m 寛政11(1799)   近畿地方の歴史の道2p136   「金毘羅大権現」  
  植松町の常夜灯 うえまつ 八尾市 <奈良街道(亀瀬越道)> 石常夜灯 高3.00m 安政3(1856)   近畿地方の歴史の道2p136   「象頭山」  
  久宝寺の題目塔道標 きゅうほうじ 八尾市 (6丁目)<八尾街道> 石道標 高62㎝,幅19㎝,厚15㎝ 享保5(1720)   信貴山への道標p22/八尾の道標p23/大阪の街道と道標p195/WEB 地蔵堂内に保存 「左 志き山道」/上部に「毘沙門天王」と陰刻 2 -
  久宝寺の地蔵道標1 きゅうほうじ 八尾市 <立石越道> 石道標(花崗岩) 高120㎝,幅21㎝,厚14㎝ 享保17(1732)   近畿地方の歴史の道2p123 地蔵堂内に保存 (右面)「右ハ たいし きのもと うゑまつ」/正面上部に地蔵立像を陽刻、像の下に「南無阿弥陀」と陰刻 2
  大窪の地蔵道標 おおくぼ 八尾市 <立石越道> 石道標(花崗岩) 高110㎝,幅43㎝,厚21㎝ 享保20(1735)   近畿地方の歴史の道2p125/信貴山への道標p28/大阪の街道と道標p96   (光背右)「左、志ぎ山/たつた、みち為無縁法界」、(同左)「まつの山道」/全面に地蔵立像(錫杖)を陽刻、光背右に「為無縁法界」と陰刻  
写真 久宝寺の道標1
(久宝寺東口道標)
きゅうほうじ 八尾市 (2丁目)<八尾街道> 石道標(花崗岩) 高109㎝,幅24㎝,厚23㎝ 天明元(1781)   市教委(八尾の道標p7)/大阪の街道と道標p113/近畿地方の歴史の道2p123 保存状態良好 (正面)「右、和刕信貴山/八尾地蔵尊、道」、(右面)「左、大坂/平野 、道」 1
写真 相生町の道標1
(植松墓地入口の道標)
あいおい(うえまつ) 八尾市 (4丁目)<竜田越え奈良街道> 石道標(花崗岩) 高105㎝,幅34㎝,厚33㎝ 寛政7(1795)   市教委(八尾の道標p10) 一部がカーブミラーに隠れるように建つ (正面)「右 八尾/左 平野」、(左面)「右 柏原/左 八尾」、(右面)「右 平野/左 柏原」/三差路であったためこのような刻字となっている 2
  黒谷の道標1 くろだに 八尾市 (4丁目))<高安信貴道> 石道標 高110㎝,幅31㎝,厚29㎝ 寛政8(1796)   近畿地方の歴史の道2p127/信貴山への道標p10 下部埋没/廃道化した高安信貴道の山中に残る (正面中央)「左 岩谷辨財天社道」 、(同左)「是より教興寺村へちかみち」 2
  黒谷の道標2 くろだに 八尾市 (4丁目))<高安信貴道> 石道標 高92㎝,幅31㎝,厚29㎝ 寛政8(1796)   信貴山への道標p5 下部埋没 (正面中央)「右 岩谷辨財天社」、(同右)「是より志き山ちかみち」、(同左)「是より信貴山」 2
  教興寺の道標3 きょうこうじ 八尾市   石道標 高約70㎝ 寛政8(1796)   八尾の道標p34 草に埋もれている (正面)「左 岩谷辨財天社」 2 -
  東山本町の常夜灯道標 ひがしやまもと 八尾市 (7丁目)<おと越え> 石道標(常夜灯兼) 高95㎝,幅24㎝,厚22㎝ 文化3(1806)   八尾の道標p21-22/大阪の街道と道標p96 保存状態良好 「右 大坂/左 八尾、道」/上部が火袋状になっており、正面に四角、左右に丸型に穴が開いている 1
  大窪の道標 おおくぼ 八尾市 <おと越え> 石道標(自然石) 高約60㎝ 文化3(1806)   八尾の道標p23 近接移設 (正面)「右 大坂/左 八尾 平野」/正面中央に「西国三十三所観世音」、左側面に「南無地蔵尊」と陰刻 2 -
  山本町の地蔵道標 やまもと 八尾市 <おと越・立石越> 石道標 高60㎝,幅36㎝,厚36㎝ 文化6(1809)   八尾の道標p21/大阪の街道と道標p96 笠、前掛けなどが掛けられている (台座正面)「右 信貴山/左 立石越」、(同右側面)「左 大坂 2
写真 植松町の道標
(植松道標)
うえまつ 八尾市 (5丁目)<竜田越奈良街道(亀瀬越道)> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高116㎝,幅32㎝,厚23㎝ 文化12(1815)   市教委(八尾の道標p15)/大阪の街道と道標p16/近畿地方の歴史の道2p129 八尾市役所龍華出張所(移設) (正面)「右 大和、かしわら/こくぶ/ひるめ」、(左面)「左、八尾/平岡」 2
写真 桂町の供養塔道標
(十三道道標)
かつら(じゅうさんみち) 八尾市 (3丁目)<十三街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高128㎝ 文政2(1819)   市教委(八尾の道標p17) 桂少年会館前(移設) (正面)「右 十三道」、(右面)「左 大坂道」/左側面に「父五十廻忌供養塔」と陰刻 2
写真 久宝寺の道標2
(久宝寺西口道標)
きゅうほうじ 八尾市 (6丁目)<八尾街道> 石道標(花崗岩) 高96㎝,幅17㎝,厚14㎝ 文政8(1825)   市教委(八尾の道標p6)/信貴山への道標p22/大阪の街道と道標p113 保存状態良好 (正面)「右、八尾地蔵/信貴山、道」、(右面)「左、平野/大坂、道」 1
  本町の地蔵道標 ほん 八尾市 <河内街道> 石道標(花崗岩) 高130㎝,幅31㎝,厚31㎝ 天保9(1838)   近畿地方の歴史の道2p231/八尾の道標p30 常光寺(移設)/下部埋没 「八尾地蔵尊/是ヨリ三丁」/上部を光背型に削り込み、地蔵菩薩像を陽刻 3
  服部川の道標 はっとりがわ 八尾市 (6丁目)<おおと越> 石道標(自然石) 高95㎝,幅60㎝ 天保11(1840)   八尾の道標p22/大阪の街道と道標p96 中高安小学校前(移設?) 「右 信貴山立石/左 おうとごへ」、中央に「西国三十三所」と陰刻/自然石の一部を平に削り、文字を陰刻 2
  大窪の道標 おおくぼ 八尾市 <おと越え> 石道標(自然石) 高120㎝,幅60㎝ 天保14(1843)   八尾の道標p23/大阪の街道と道標p96   「右、おとごへ道/ほうりょうじ」、「左 八尾玉造道」/長方形に削り込み文字を陰刻  
写真 本町の道標
(表町東口の道標)
ほん 八尾市 (2丁目)<立石越道・八尾街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高136㎝,幅30㎝,厚30㎝ 嘉永5(1852)   市教委(八尾の道標p8)/信貴山への道標p24/大阪の街道と道標p113/近畿地方の歴史の道2p124 本町2丁目公園〔道路沿いの敷地内〕(移設) (正面)「左、信貴山/ならいせ、道」、(左面)「大坂 玉造/平野 天王寺、道」、(裏面)「右、信貴山/ならいせ、道」/右側面に「町内安全」と陰刻 2
  幸町の供養塔道標 さいわい 八尾市 <十三街道> 石道標(尖頭角柱) 高100㎝,幅23㎝,厚23㎝ 安政2(1855)   大阪の街道と道標p96   (右面)「右 十三越」、(裏面)「左 大坂道」/正面に「父五十回忌供養」と陰刻  
  神立の道標 こうだち 八尾市 (6丁目<十三街道> 石道標 高91㎝,幅21㎝,厚21㎝ 安政2(1855)   信貴山への道標p28/八尾の道標p19/大阪の街道と道標p96 下部一部埋没し傾いている (正面)「右 大坂道」、(右面)「左、信貴山 松尾山江三十/たつた 法りゆうし/大和ミち」 2
  久宝寺の地蔵道標2 きゅうほうじ 八尾市 (2丁目)<八尾街道> 石道標
(駒型,砂岩)
高68㎝,幅15㎝,厚13㎝ 安政7(1860)   大阪の街道と道標p113/八尾の道標p7 風化により摩耗が進んでいる (右面)「右、下の太子/ふじい寺/道明寺」/正面上部を光背型に削り込み、地蔵菩薩像を陽刻、正面下部に「南無観世音」と陰刻 2
  福万寺町の道標 きょうこうじ 八尾市 (3丁目)<十三街道> 石道標(尖頭角柱) 高約100㎝ 文久2(1862)   八尾の道標p17/大阪の街道と道標p95 保存状態良好 「右 十三峠五十丁/左 大坂百丁」 1
写真 教興寺の道標2
(教興寺道標・浅田家前)
きょうこうじ 八尾市 (7丁目)<東高野街道・信貴山道(信貴越黒谷道)> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高108㎝,幅25㎝,厚25㎝ 元治元(1864)   市教委(八尾の道標p27)//大阪の街道と道標p27,90 下部埋没/教興寺の道標1と同じ交差点に道路を挟んで立つ 「すぐ 信貴山 毘沙門天王」 2
写真 東久宝寺の道標 ひがしきゅうほうじ 八尾市 (1丁目)<八尾街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高153㎝,幅29㎝,厚31㎝ 江戸期?   八尾の道標p7,8/信貴山への道標p23/大阪の街道と道標p113/八尾の史跡p15 東久宝寺の常夜灯に並んで立つ (正面)「北 左 信貴山道」、(右面)「すく 玉造道」、(左面)「右 大坂道 直く、ひらの/天王寺」、(裏面)「右 かしわら国分/すぐ 信貴山道」 1
  恩智中町の道標 おんぢなか 八尾市 (5丁目)<信貴山道> 石道標 高約150㎝ 江戸期?   八尾の道標p25 保存状態良好 (正面)「左 新四國、大坂/是より一丁」、(左面)「左 毘沙門天王」 1
  神立の道標2 こうだち 八尾市 <十三街道> 石道標 高140㎝,幅20㎝,厚15㎝ 江戸期?   八尾の道標p19/大阪の街道と道標p96 草木に埋もれている (正面)「右 水谷地蔵尊」、(右面)「十三峠」 2
  東本町の道標 ひがしほん 八尾市 (1丁目)
<八尾街道・立石越>
石道標 高110㎝,幅30㎝,厚25㎝ 江戸期?   信貴山への道標p25/八尾の道標p9/大阪の街道と道標p96 保存状態良好 (正面)「右、かしわら/信貴山/左 十三越 をうとう越」、(右面)「左、八尾地蔵/ひらの/大坂」、(左面)「右、ひらの/大坂」 1
  大竹の道標 おおたけ 八尾市 <十三街道> 石道標 高60㎝,幅24㎝,厚24㎝ 江戸期?   大阪の街道と道標p96   (正面)「是より右大坂道/左 十三峠」、(左面)「西ハ平野道」   -
写真 信貴山の町石(三丁) しぎさん 八尾市 (6丁目)<高安信貴道(信貴越黒谷道)> 町石(頂部に開口部、花崗岩) 高141㎝,幅30㎝,厚30㎝ 寛政13(1801)   市教委(八尾の文化財4p28)/近畿地方の歴史の道2p126/信貴山への道標p5/大阪の街道と道標p90 保存状態良好 信貴山に向かう高安信貴道の丁石は、山麓から信貴山頂に向けて丁数順に並んでいる(入口が1丁)/寛政期の町石は、頂部に正方形の開口部があり火袋の役割を果たしていた(火袋の側面は、丸に陰刻し、その中に月状に穴が開けられている)→頂部が欠損/より古い宝永期は角柱町石/残念ながら多くが頂部が欠損し、単なる角柱町石になっている/「(梵字)三丁 信貴山」 1
  信貴山の町石(四丁) しぎさん 八尾市 (4丁目)<高安信貴道> 町石(<頂部に開口部>、花崗岩) 高110㎝,幅25㎝,厚24㎝ 寛政13(1801)?   信貴山への道標p6 上部欠損 「(梵字)四丁 信貴山」/頂部に火袋→欠損 3
  信貴山の町石(六丁) しぎさん 八尾市 (4丁目)<高安信貴道> 町石(<頂部に開口部>、花崗岩) 高110㎝,幅25㎝,厚24㎝ 寛政13(1801)   近畿地方の歴史の道2p126/信貴山への道標p6 権現社(移設)/上部火袋部欠損 「(梵字)六丁 信貴山」/頂部に火袋→欠損 3
  信貴山の町石(七丁) しぎさん 八尾市 (5丁目)<高安信貴道> 町石(<頂部に開口部>、花崗岩) 高102㎝,幅24㎝,厚24㎝ 寛政13(1801)   近畿地方の歴史の道2p126/信貴山への道標p6 上部火袋部欠損 「(梵字)七丁 信貴山」/頂部に火袋→欠損 3
  信貴山の町石(十三丁) しぎさん 八尾市 <高安信貴道> 町石 高77㎝,幅13㎝,厚13㎝ 宝永5(1708)   信貴山への道標p9 原位置?/廃道化した高安信貴道の山中に残る 「(梵字)十三丁 信貴山」 1 -
  信貴山の町石(十四丁) しぎさん 八尾市 <高安信貴道> 町石 高80㎝,幅18㎝,厚18㎝ 宝永5(1708)   信貴山への道標p9 原位置?/廃道化した高安信貴道の山中に残る 「(梵字)十四丁 信貴山」 1
  信貴山の町石(廿一丁) しぎさん 八尾市 <高安信貴道> 町石(頂部に開口部、花崗岩) 高140㎝,幅25㎝,厚25㎝ 寛政11(1799)   近畿地方の歴史の道2p127/信貴山への道標p11 原位置?/廃道化した高安信貴道の山中に残る 「(梵字)廿一丁 信貴山」/頂部に火袋 1
  信貴山の町石(二十二丁) しぎさん 八尾市 <高安信貴道> 町石 高74㎝,幅19㎝,厚13㎝ 宝永5(1708)   信貴山への道標p11 原位置?/廃道化した高安信貴道の山中に残る 「(梵字)二十二丁 信貴山」 1 -
写真 東久宝寺の常夜灯
(久新田常夜灯)
ひがしきゅうほうじ(きゅうしんでん) 八尾市 (1丁目)長瀬川<井路川> 石常夜灯
(河川舟運)
高3.68m 慶応2(1866)   市教委 東久宝寺の道標と並んで残る (台座)「久新田」/舟運の要衝であった久宝寺船着場の常夜灯 1
写真 長瀬川(旧・大和川)の旧堤防〔狐山〕 ながせがわ 八尾市 八尾高校 土堤防   元禄17(1704)   坂田 構内緑地 付け替え前の旧・大和川の堤防の貴重な遺構 4
  和田の太神宮常夜灯 わだ (泉南)熊取町   石常夜灯   文久2(1862)   熊取町の石造物p54   「両宮太神宮」「村中」  
  朝代の太神宮常夜灯 あさしろ (泉南)熊取町   石常夜灯   慶応4(1868)   熊取町の石造物p54   「天照皇太神宮」「村中」  
  高田の地蔵道標 たかた (泉南)熊取町   石道標 高約40㎝ 安政4(1857)   熊取町の石造物p68   (光背右)「右 水間道」/全面に地蔵菩薩像を陽刻   -
  高田の道標 こうだ (泉南)熊取町   石道標 高約70㎝ 江戸期   熊取町の石造物p68   「右 大木ミち/左 山ミち」   -
  大畑村の領界石 おおはたむら (泉南)熊取町   境界石   文化12(1815)以前   熊取町の石造物p86 上部欠損 「南大畑村分/是より大宮橋へ/北中内分」/文化12(1815)に畦道から出土したとされている    
  成合西の道標村界石 なりあいにし (泉南)熊取町 <粉河街道> 境界石(道標兼) 高75㎝,幅34㎝,厚31㎝ 嘉永3(1850)   大阪の街道と道標p167/WEB   (正面)「日根野邑/熊取谷、領境目」、(右面)「道ヨリ十七間半九条令九」  
  長池 なが (泉南)熊取町   溜池 堤長105m,
堤高7.9m
室町期   WEB C護岸/遊歩道を整備 下池と隣接した溜池 2
  下池 した (泉南)熊取町   溜池 堤長200m,
堤高6.7m
室町期   WEB C護岸/遊歩道を整備 長池と隣接した溜池 2
      (泉南)田尻町                    
  多奈川谷川の題目塔道標 たながわたにがわ (泉南)岬町 <大川越> 石道標 高46㎝,幅24㎝,厚18㎝ 文化9(1812)   大阪の街道と道標p78 下部埋没 (正面右)「是ヨリ大川寺へ二十」/正面中央に「南無阿弥陀仏」と陰刻 2 -
  多奈川谷川の供養塔道標 たながわたにがわ (泉南)岬町 <大川越> 石道標 高160㎝,幅110㎝ 嘉永7(1854)   大阪の街道と道標p78   (正面右)「右、大川/加太、道」/中央に「井蛙塚」、左に「南無阿弥陀仏」と陰刻  
  多奈川小島の紀伊国境石 たががわこしま (泉南)岬町 <大川越> 境界石 高104㎝,幅43㎝,厚25㎝ 文政4(1821)   大阪の街道と道標p78 保存状態良好 「是南/紀伊国/大川」 1
      (泉北)忠岡町                    
  吉川の秋葉山常夜灯 よしかわ (豊能)豊能町 <吉野嶺道(能勢街道)> 石常夜灯 高3m 江戸期   近畿地方の歴史の道2p422   「秋葉山 愛宕山 金講中」  
  川尻の道標 かわしり (豊能)豊能町 <余野街道(摂丹街道))> 石道標(自然石) 高67㎝,幅35㎝,厚28㎝ 正徳4(1714)   大阪の街道と道標p52/WEB/能勢地方の旧街道・石造物p75 埋没により判読困難 「(梵字)右ハ かめやま/左ハ さい志よミち」 3 -
写真 牧の地蔵道標 まき (豊能)豊能町 <亀山道・妙見道・関明神越道> 石道標(丸彫+六角柱、花崗岩) 高107㎝,幅28㎝厚30㎝ 延享5(1748)   WEB 長福寺(梅相院)〔墓地内東南隅南東隅〕(移設) (台座斜め左)「左 かめ山道」、(台座斜め右)「右 いけた道」/六角柱の台座に地蔵坐像の丸掘りが上に乗る 2
写真 野間口の道標 のまぐち (豊能)豊能町 妙見山参道<亀山道・妙見道・関明神越道> 石道標 高166㎝,幅37㎝厚35㎝ 文政10(1827)   近畿地方の歴史の道2p413/能勢地方の旧街道・石造物p83 保存状態良好 (正面)「右 妙見山」、(左側面左下)「御山江十八丁」、(右面)「左 京龜山道」/寄進:京都開運講 1
  高代寺の町石(一町) こうだいじ (豊能)豊能町   町石(自然石) 高100㎝,幅35㎝,厚25㎝ 慶安3(1660)   現地解説板/WEB(小鳥のさえずるホームページ) 風化により摩耗が進んでいる 高代寺の町石は、山麓から高代寺に向けて町数順に並んでいる(入口が1丁)/「(梵字)一町 従是十二法印秀栄」 2
  高代寺の町石(二町) こうだいじ (豊能)豊能町   町石(自然石) 高75㎝,幅36㎝,厚27㎝ 慶安3(1660)?   WEB(小鳥のさえずるホームページ) 風化により摩耗が進んでいる 「(梵字)二町」 2 -
  高代寺の町石(三町) こうだいじ (豊能)豊能町   町石(駒型) 高94㎝,幅33㎝,厚27㎝ 不詳   WEB(小鳥のさえずるホームページ) 保存状態良好 「(梵字)三町」 1
  高代寺の町石(四町) こうだいじ (豊能)豊能町   町石(自然石) 高70㎝,幅25㎝,厚27㎝ 慶安3(1660)?   WEB(小鳥のさえずるホームページ) 半ば埋もれている 「(梵字)四町」 3 -
  高代寺の町石(六町) こうだいじ (豊能)豊能町   町石(自然石) 高90㎝,幅29㎝,厚24㎝ 慶安3(1660)?   WEB(小鳥のさえずるホームページ) 倒れている 「(梵字)六町」 2
  高代寺の町石(七町) こうだいじ (豊能)豊能町   町石(駒型) 高86㎝,幅25㎝,厚26㎝ 不詳   WEB(小鳥のさえずるホームページ) 移設 「(梵字)七町」 2
  高代寺の町石(八町) こうだいじ (豊能)豊能町   町石(駒型) 高108㎝,幅30㎝,厚25㎝ 不詳   WEB(小鳥のさえずるホームページ) 下半部埋没 「(梵字)八町」 2
  高代寺の町石(九町) こうだいじ (豊能)豊能町   町石(駒型) 高85㎝,幅30㎝,厚24㎝ 不詳   WEB(小鳥のさえずるホームページ) 保存状態良好 「(梵字)九町」 2
  高代寺の町石(十二町) こうだいじ (豊能)豊能町   町石(自然石) 高79㎝,幅27㎝,厚17㎝ 慶安3(1660)   WEB(小鳥のさえずるホームページ) 高代寺境内石段下に残る 「(梵字)十二町」 1 -
  西田橋 にしだ (豊能)能勢町   石桁橋
(石英閃緑岩)
  文政12(1829)   WEB 長谷公民館南東側水路へ移設 一本の石材を4本の石材を渡して懸けられている 2
  野間中の常夜灯 のまなか (豊能)能勢町 <吉野嶺道(能勢街道)> 石常夜灯 高4.3m 寛政5(1793)   近畿地方の歴史の道2p423   (竿正面)「妙見大菩薩」、(台石正面)「永福講」、(同右側面)「野間庄」  
  山田の金毘羅常夜灯 やまだ (豊能)能勢町 <摺脛峠道・丹州街道> 石常夜灯 高3.7m? 文化10(1813)   近畿地方の歴史の道2p421/能勢地方の旧街道・石造物p65   「金毘羅大権現」  
  上山辺の金毘羅常夜灯 やまべ (豊能)能勢町 <摺脛峠道> 石常夜灯 高3.9m 文政9(1826)   近畿地方の歴史の道2p422   「金毘羅大権現」  
  柏原の金毘羅常夜灯 かしはら (豊能)能勢町 <亀山路> 石常夜灯 高3.20m 文政9(1826)   近畿地方の歴史の道2p420   「金毘羅大権現」  
  天王の金毘羅常夜灯 てんのう (豊能)能勢町 <摺脛峠道> 石常夜灯 高3.5m 文政10(1827)   近畿地方の歴史の道2p422   「金」/丸く削り、文字を陰刻  
  天王の愛宕山常夜灯 てんのう (豊能)能勢町 <摺脛峠道> 石常夜灯 高3.35m 嘉永7(1854)   近畿地方の歴史の道2p422   「愛宕山」  
写真 長谷の道標1
(長谷サイノカミ峠
寛永11年の道標)
ながたに (豊能)能勢町 才ノ神峠
<能勢街道(銀山街道)>
石道標(自然石、石英閃緑岩) 高82㎝,幅37㎝,厚19㎝ 寛文11(1671) 市有形 WEB/近畿地方の歴史の道2p402/能勢の道しるべp40,41 保存状態良好 「右 ニ春じハ 山道/たにハ 銀山ありま/左ハ いけ田みち」/才ノ神峠は多田銀山や有馬、池田等に通じる峠であり、平安期にはこの辺りの杉材等に使用されていたとされ、8叉路となっている/江戸期に3つ同地に道標が建立されている事からも交通の要衝であった事がわかる/17世紀の道標 1
  宿野の道標 しゅくの (豊能)能勢町   石道標(自然石、花崗岩) 高57.5㎝,幅29.5㎝,厚15㎝ 元禄7(1694)   能勢の道しるべp74,75 久佐々神社前(移設?) (正面)「是より、右 京ミち/左 せんがはた」/17世紀の道標 2
  吉野の道標 よしの (豊能)能勢町   石道標(自然石、花崗閃緑岩) 高58.5㎝,幅40㎝ 元禄7(1694)   能勢の道しるべp88,89 移設 (正面)「右はきねのみや道/左はいけたみち」/17世紀の道標 2
  吉野の題目塔道標 よしの (豊能)能勢町 <亀山路・吉野嶺道(能勢街道)> 石道標(蒲鉾型、花崗岩) 高148㎝,幅48㎝,厚34㎝ 元文2(1737)   近畿地方の歴史の道2
p400/大阪の街道と道標p58/能勢地方の旧街道・石造物p57/能勢の道しるべp90,91
移設 (正面下)「右き袮の宮道/左 いけだ道」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻 2
  地黄の道標 じおう (豊能)能勢町   石道標(自然石、花崗閃緑岩) 高62㎝,幅15㎝ 文化年間(1804-17)頃?   能勢の道しるべp140,141 近接移設 (正面)「御志やかどう道、にし山むら/これより八丁」、(左面)「すぐ 妙見山」/寄進:永福講//釈迦堂が再建された文化年間(1804-17)頃の建立と考えられている 2
  天王の題目塔道標 てんのう (豊能)能勢町   石道標(自然石、石英粗面岩) 高90㎝,幅77㎝ 江戸中期~文政9(1826)頃?   能勢の道しるべp12,13 横倒しになっている (正面左)「右 いけた/左 さい所、道」、(同右)「のせめうけん山ミち」/正面左に「南無観世音菩薩」と陰刻)/「のせめうけん山ミち」は追刻と考えられている 2
  倉垣の題目塔道標1 くらがき (豊能)能勢町 <亀山路> 石道標(自然石、閃緑岩) 高215㎝,幅130㎝,厚50㎝ 文政13(1830)   近畿地方の歴史の道2
p400/能勢地方の旧街道・石造物p57/能勢の道しるべp102,103
保存状態良好 (正面)「右うしたう上宿埜/左き袮乃ミや三田、ミち」/正面に「南無妙法蓮華」と陰刻 1
  野間稲地の常夜灯道標 のまいなじ (豊能)能勢町 (沢)
<吉野嶺道(能勢街道)>
石道標(常夜灯、自然石、花崗岩) 高180㎝ 天保3(1832)   近畿地方の歴史の道2
p411/能勢の道しるべp134,135
個人宅へ移設 「左 妙見山」/本体上部に「献燈」と陰刻 3
  野間出野の道標 のましゅつの (豊能)能勢町 <名月峠街道> 石道標(自然石) 高65㎝,幅40㎝ 天保3(1832)   大阪の街道と道標p241 移設 (正面)「右、ふくすミ/笹山」、(裏面)「妙見山」/当初は常夜灯の台の一部として使用されていたとされる 2 -
  倉垣の題目塔道標1 くらがき (豊能)能勢町 (西村)
<吉野嶺道(能勢街道)>
石道標
(自然石、花崗岩)
高158㎝,幅78㎝,厚40㎝ 弘化2(1845)   能勢の道しるべp112
,113/近畿地方の歴史の道2p412
石台座上に設置 (正面)「右 清正宮是より三丁/左 妙見山是より五十丁」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻 1
写真 長谷の道標2 ながたに (豊能)能勢町 才ノ神峠
<能勢街道(銀山街道)>
石道標
(自然石、花崗岩)
高95㎝,幅108㎝,厚36㎝ 安政2(1855)   近畿地方の歴史の道2
p402/能勢の道しるべp42,43
保存状態良好 「右 京かめ山/左 さい所、道」 1
  森上の題目塔道標 もりがみ (豊能)能勢町 <亀山路> 石道標
(墓石型、花崗岩)
高158㎝(内台石23㎝) 安政2(1855)   近畿地方の歴史の道2
p401/能勢の道しるべp66,67
岡村家墓地(移設) (台石正面)「右三田/左池田、道」/正面に「二代竹本文太夫」、右側面に「(梵字)徳應文甚居士」と陰刻 2
  稲地の道標 いなじ (豊能)能勢町   石道標(自然石、石英斑れい岩) 高102㎝,幅78㎝ 弘化年間(1844-47)以降   能勢の道しるべp48,49 保存状態良好 (正面)「奉、右 當所妙見道/左 いけ田道」/稲地妙見山が建立された弘化年間(1844-47)以降のものと考えられる 1 -
写真 長谷の題目塔道標 ながたに (豊能)能勢町 才ノ神峠<能勢街道(銀山街道)> 石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高177㎝(内台座18㎝),幅47㎝,厚36㎝ 江戸中期   近畿地方の歴史の道2
p402/能勢の道しるべp38,39
保存状態良好 (左面)「右ニすしハ山ミち/たにハありまミち/左ハ いけ田ミち」、(右面)「右ハ かめ山ミち/左ハ さい志よミち」/正面に「南妙法蓮華経」と陰刻/寛文11(1671)の長谷の道標1に「たにハ銀山ありま」と表記されているのに対して「たにハありまミち」と表記されているため、銀山が衰退し重要度が下がった江戸中期のものではないかとされている/「さい志よ(在所)ミち」は「いなか道」の意の一般名詞 1
  倉垣の題目塔道標2 くらがき (豊能)能勢町 <亀山路> 石道標
(自然石、花崗岩)
高136㎝,幅63㎝,厚45㎝ 江戸中期   近畿地方の歴史の道2p400/能勢の道しるべp114,115   保存状態良好 (正面)「右ハ 京みち/左ハ ざい志ょ道」/正面に「南無妙法蓮華経法界」と陰刻 1
  平野の題目塔道標 ひらの (豊能)能勢町 (稲荷坂)<摺脛峠道・丹州街道古道> 石道標
(自然石、花崗岩)
高110㎝,幅72㎝,厚40㎝ 江戸中期?   能勢の道しるべp56,57/大阪の街道と道標p180/近畿地方の歴史の道2p406 保存状態良好 (正面)「右ハ さい志よミち/左ハ さゝやまミち」/正面中央に「(梵字)南無観世音菩薩」と陰刻、その下に蓮華座を陰刻 1
  大里の道標 おおざと (豊能)能勢町 (ハタクニ) 石道標
(自然石、閃緑岩)
高95㎝,幅30㎝ 江戸中期?   能勢の道しるべp64,65 保存状態良好 (正面)「(梵字)是より左三たミち」、(右面)「是より右さゝやま」 1
  森上の道標 もりがみ (豊能)能勢町   石道標(自然石、石英斑れい岩) 高94㎝,幅30.5㎝ 江戸中期?   能勢の道しるべp64,65 保存状態良好 (正面)「右 いけ田/左 さい所、道」、(右面)「右ハ いけたミち/左ハ 京 あたこ道」 1
  上杉の道標1 うえすぎ (豊能)能勢町 (制札場)
<丹州街道古道>
石道標(自然石、花崗閃緑岩) 高87㎝,幅33.5㎝ 江戸中期?   能勢の道しるべp58,59/能勢地方の旧街道・石造物p68 保存状態良好 (正面)「(梵字)、右ハ さゝ山ミち/左ハさい所みち」/正面中央に「(梵字)南無観世音菩薩」と陰刻、その下に蓮花座を陰刻 1
  天王の道標1 てんのう (豊能)能勢町   石道標(石英粗面岩) 高64.5㎝,幅21.5㎝,厚18.5㎝ 江戸中期?   能勢の道しるべp17,18 保存状態良好 (正面)「右 やま/左 六のせ、ミち」 1 -
  野間中の道標 のまなか (豊能)能勢町   石道標(自然石、花崗閃緑岩) 高90㎝,幅55㎝ 江戸後期?   能勢の道しるべp150,151 保存状態良好 (正面)「左 妙見山道」 1
  吉野の道標 よしの (豊能)能勢町 <亀山路・吉野嶺道(能勢街道)> 石道標(自然石) 高82㎝,幅65㎝ 江戸後期?   大阪の街道と道標p58/能勢の道しるべp94,95 保存状態良好 「右ハ ざいしよ道/左ハ かめ山みち」 1
  宿野の題目塔道標 しゅくの (豊能)能勢町 <亀山路> 石道標(自然石、花崗岩) 高113㎝,幅52㎝,厚42㎝ 江戸後期   近畿地方の歴史の道2p400/能勢の道しるべp64,65 移設 (正面)「右 やま道/左 志くの」/正面に「南無妙法蓮華経千部塔」と陰刻 2
  野間大原の題目塔道標 のまおおはら (豊能)能勢町   石道標(自然石、花崗閃緑岩) 高90㎝,幅55㎝ 江戸後期?   能勢の道しるべp144,145 近接移設 (正面)「右 おわら/左 いぬかんの」/正面中央に「南無妙法蓮華経 為先祖代々聖霊」と陰刻 2
  山内の地蔵道標 やまうち (豊能)能勢町   石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高90㎝,幅23㎝,厚13㎝ 中世→江戸後期に道標化?   能勢の道しるべp118,119 移設 (像下)「右 妙見山/左 京亀山」/正面上部を光背型に削り込み、弥陀坐像を陽刻、像下に「南妙法蓮華経」と陰刻/中世の碑に江戸後期に題目と道標を追刻したものとされる 2
  上杉の地蔵道標 うえすぎ (豊能)能勢町 (カイモリ峠) 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高68㎝,幅15㎝ 江戸後期?   能勢の道しるべp62,63 水平に2ヶ所折損し、中央部が欠損 (正面)「右 □□山 中山/左 池田、道」 3
  柏原の道標 かしはら (豊能)能勢町 (木戸岡)
<名月街道(妙見道>
石道標
(自然石、花崗岩)
高64㎝,幅50㎝ 江戸後期?   能勢の道しるべp80,81 保存状態良好 (正面)「右 妙見道」/施主:七墓巡同行中/柏原村では七墓巡りの盆行事が戦前まで行われていたとされる 1 -
  天王の道標2 てんのう (豊能)能勢町   石道標(石英粗面岩) 高64㎝,幅21.5㎝,厚18.5㎝ 江戸後期?   能勢の道しるべp17,18 保存状態良好 (正面)「右 やま/左 六のせ、道」 1 -
  上杉の道標2 うえすぎ (豊能)能勢町 (丸尾) 石道標(自然石、石英斑れい岩) 高60㎝,幅32㎝ 江戸後期?   能勢の道しるべp60,61 保存状態良好 (正面)「左 妙見道」 1 -
  下田尻の題目塔道標 しもたじり (豊能)能勢町 (猪ノ子峠)<名月峠街道> 石道標(尖頭角柱、輝緑凝灰岩) 高72㎝,幅28㎝,厚14㎝ 江戸後期?   大阪の街道と道標p241/能勢の道しるべp128,129 移設 (正面右)「右 笹山」、(同左)「左 三田」/中央を長方形に削り込み、「南無妙法蓮華経」と陰刻 2 -
  柏原の地蔵道標 かしはら (豊能)能勢町 (名月峠) 石道標
(自然石、花崗岩)
高52.5㎝,幅21.5㎝,厚15㎝ 江戸後期?   能勢の道しるべp84,85 近接移設 (正面)「右ハ さゝ山/左ハ さん田、道」/正面中央に地蔵立像を陽刻 2 -
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(廿六丁) げっぽう、
しらきだに
(豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高100㎝,幅㎝,厚㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp192 頂部欠損 剣尾山月峰寺(白木谷道)の町石は、麓から月峰寺まで町数順並んでいるが(寺が一町⇒逆順/紀年銘のあるのは1基だけだが、他の町石も同年の建立と推測されている/「(梵字)廿六丁」 2
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(二十五町) (豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高157㎝,幅21㎝ 応永18(1411)   能勢の道しるべp190,191 上部で水平に折損 「(梵字)二十五町」/剣尾山月峰寺への町石で唯一紀年銘のある町石 2
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(二十四町?) (豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高35㎝,幅21㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp189 頂部、下半部欠損 「(梵字)二十」/所在地から二十四町石と推定されている 4
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(二十三町) (豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高85㎝,幅21㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp188 頂部欠損 「(梵字)二十三町」 2
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(二十一町) (豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高110㎝,幅21㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp186 水平に3ヶ所折損し、最頂部は欠損 「(梵字)二十一町」 2
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(二十町) (豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高80㎝,幅33㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp185 保存状態良好 「(梵字)二十町」 1
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(十九丁) (豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高69㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp184 水平に折損し、上半部欠損 「(梵字)十九丁」 3
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(十四町) (豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高76㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp182,183 近接移設 「(梵字)十四町」 2
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(十三町) (豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高114㎝,幅33㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp181 頂部欠損 「(梵字)十三町」 2
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(十二町) (豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高52㎝,幅24㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp180 中央で水平に折損し、下半部欠損 「(梵字)十二町」 3
  廃月峰寺(白木谷道)の町石(九町) (豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高84㎝,幅22㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp179 頂部欠損 「(梵字)九町」 2
  廃月峰寺(下見谷道)の町石(卅八丁) げっぽう、
したみだに
(豊能)能勢町 (宿野) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高69㎝,幅20㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp200,201 上部欠損 剣尾山月峰寺(下見谷道)の町石は、多くが移設されているため、当初の不明だが、上記の白木谷道と同じだと思われる(寺が一町⇒逆順/「峯寺卅八丁」 2
  廃月峰寺(下見谷道)の町石(卅七丁) (豊能)能勢町 (大里) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高93㎝,幅17㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべp198,199 移設 「(梵字)月峯寺卅七丁」 2
  廃月峰寺(下見谷道)の町石(三十四町) (豊能)能勢町 (宿野) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高72㎝,幅26㎝ 室町中期?   能勢の道しるべp196,197 移設 「(梵字)三十四町」/梵字を月輪で囲み、その下に蓮花座を線刻 2
  廃月峰寺(下見谷道)の町石(三十二町) (豊能)能勢町 (宿野) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高129㎝,幅29㎝ 室町中期?   能勢の道しるべp194,195 移設 「(梵字)三十二町」/梵字を月輪で囲み、その下に蓮花座を線刻 2
写真 長谷の棚田のガマ ながたに (豊能)能勢町   石垣地下水路 300基以上ある 近世以前   有井 現在も激しく水が流れている 棚田、住居の間に土坡の一部に石垣が組まれ、ところどころに穴が開いている農業、生活用水路 1
写真 長谷の棚田 ながたに (豊能)能勢町   棚田 不詳 近世以前 棚田百選 有井     2
写真 櫻井の道標 さくらい (三島)島本町 (1丁目)<西国街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高104㎝,幅24㎝,厚21㎝ 慶応3(1867)   近畿地方の歴史の道2
p395/WEB(十三)
頂部破損 (正面)「右 柳谷/左 西ノ宮そうじ寺、道」、(左面)「右、京/伏見 /山崎、道」 2
      (泉南)田尻町                    
      (南河内)河南町                    
  太子の太神宮常夜灯 たいし (南河内)太子町 <伊勢道> 石常夜灯 高1.78m 天明6(1786)   大阪狭山市史7p148-149   「大神宮照夜燈」  
  山田の地蔵道標 やまだ (南河内)太子町 <竹内街道> 石道標
(舟型、花崗岩)
高103㎝,幅43㎝,厚21㎝ 元文4(1739)   近畿地方の歴史の道1
p554
  「(梵字)ミぎ 大坂 さかいミち」/全面に地蔵菩薩を陽刻  
  太子の道標 たいし (南河内)太子町 <和泉街道(伊勢道)> 石道標(尖頭角柱) 高142㎝,幅26㎝,厚25.5㎝ 寛政6(1794)   大阪狭山市史7p148-149/大阪の街道と道標p149   「是より半丁南/皇太子御めのと三尼公御廟所/同旧跡常行念仏場西方尼院」  
  春日の道標1 かすが (南河内)太子町 <伊勢道・竹内街道> 石道標(尖頭角柱) 高148㎝,幅29.5㎝,厚26.5㎝ 江戸期?   大阪狭山市史7p148-149/大阪の街道と道標p8   (正面)「右 たへま つぼさか/いせ よしの 高野、道」、(左面)「すぐ たへま よしの はせ 道」、(右面)「右 大坂 さかい/左 たいし いづみ、道」  
  春日の道標2 かすが (南河内)太子町 <伊勢道> 石道標(尖頭角柱) 高87㎝,幅25㎝,厚24㎝ 江戸期   大阪狭山市史7p148-149   「右 大坂ミち/左 上ノ太子道」、「右 たへまつほ坂竹内峠/左 なら郡山穴虫峠」  
  水分の地蔵道標 すいぶん (南河内)
千早赤阪村
<富田林街道(水越嶺道)> 石道標(花崗岩) 高73㎝,幅35㎝ 宝暦7(1757)or12(1762)   大阪の街道と道標p135/近畿地方の歴史の道1p509   (光背上)「(梵字)」、(同右)「こんごうせん/よしの、みち」/全面に地蔵菩薩(錫杖)立像を陽刻  
  千早の供養塔道標 ちはや (南河内)
千早赤阪村
<千早街道> 石道標(自然石) 高103㎝,幅87㎝,厚25㎝ 天保元(1830)   大阪の街道と道標p157   「金剛山道」/正面右に「大峯三十三度」、同左に「(梵字)本法浄生信士」と陰刻/  
  千早の道標 ちはや (南河内)
千早赤阪村
<千早街道> 石道標(自然石) 高95㎝,幅60㎝,厚40㎝ 天保15(1844)   大阪の街道と道標p157   「右 大坂ふじゐ寺/左 堺 三日市」  
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石(基石) こんごうさん、てんぽうりんじ、ちはや (南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
高104㎝,幅44㎝,厚21㎝ 明暦2(1656)   WEB(金剛山登山道情報)/近畿地方の歴史の道1p557 原位置? 金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石は、麓から寺まで町数順に並んでいる(麓が1町)/十三仏を陽刻した町石/(廾三・廾八丁石は奈良県御所市)/(光背右)「金剛山本堂迄 廾八町」/光背全面に不動明王立像を陽刻 1
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石(二町) (南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
高104㎝,幅40㎝,厚21㎝ 明暦2(1656)   原位置? (光背右)「二町」/光背全面に釈迦如来立像を陽刻 1
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石(四町? (南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
高89㎝,幅42㎝,厚26㎝ 明暦2(1656)?   原位置? (光背右)「□□」/光背全面に文珠菩薩立像を陽刻/形態、立地から四町石と考えられる 2
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石(六町) (南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
高96㎝,幅26㎝,厚24㎝ 明暦2(1656)   原位置? (光背右)「六町」/光背全面に普賢菩薩立像を陽刻 1
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石(八町) (南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
高91㎝,幅39㎝,厚25㎝ 明暦2(1656)   原位置? (光背右)「八町」/光背全面に地蔵立像を陽刻 1
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石(十町? (南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
  明暦2(1656)   原位置? (光背右)「□□」/光背全面に弥勒菩薩立像を陽刻/周辺の町石の形態から十町石と考えられる 2
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石(十五丁) (南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
高83㎝,幅39㎝,厚18㎝ 明暦2(1656)   原位置? (光背右)「十五丁」/光背全面に観音菩薩立像を陽刻 1
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石(十二丁) (南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
高95㎝,幅60㎝,厚19㎝ 明暦2(1656)   原位置? (光背右)「十二丁」/光背全面に薬師如来立像を陽刻 1
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石(十八丁) (南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
高74㎝,幅35㎝,厚22㎝ 明暦2(1656)   原位置? (光背右)「十八丁」/光背全面に勢至菩薩立像を陽刻 1
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石(廾一丁) (南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
高74㎝ 明暦2(1656)   原位置? (光背右)「廾一丁」/光背全面に阿弥陀如来立像を陽刻 1
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                       

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