ページの先頭へ

和歌山県

写真 名称 ふりがな 区市町村 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
  伊太祁曽の切通し いたきそ 和歌山市 伊太祁曽神社御井社参道 切通し   江戸期?   WEB 保存状態良好 社地へと続く切り通しが多い 1
写真 矢田峠の切通し やた 和歌山市 <熊野古道> 切通し 高90m 不詳   WEB 保存状態良好   1
写真 三断橋 さんだん 和歌山市 人道/和歌の浦 石桁橋
(橋+堤防+橋+堤防+橋)
全長約50m 慶安2(1649)   市教委 保存状態良好 施主:紀州藩初代藩主・徳川頼宣/中国杭州の西湖堤を模したものと言われる/3つの橋は入口の2径間を除き、3径間の太鼓型桁橋/県内最古の石橋 1
写真 嘉永橋 かえい 和歌山市 人道/大川 石桁橋(庵治石) 長12m,幅2.2m
(3G)
嘉永7(1854) 市建造物 市教委 保存状態良好 施主:大川浦の廻船問屋・石野氏/路面がアーチ状に加工/非常に細い井桁状の2本脚橋脚/高欄に梅花状の開口部 1
写真 不老橋 ふろう 和歌山市 人道/和歌の浦 石アーチ橋
(和泉砂岩)
長14.9m 嘉永4(1851) 市建造物 市教委/WEB あしべ橋開通時に全面修復 施主:紀州藩10代藩主・徳川治寶施工:肥後の石工集団、高欄部分(雲を模した浮彫)は湯浅の石屋忠兵衛(?) 1
写真 四箇郷一里塚 しかご 和歌山市 大和街道 一里塚(2基) 北塚:基底面積49.5㎡,高2.7m,南塚:39.6㎡,高1.8m 元和5(1619) 国史跡 市教委 新道のために一部切削(石垣化)し、南塚がほとんど欠損/塚木の松は昭和58に枯死→平成5に補植 国道24号線の両脇にある 4
  深山の道標1 みやま 和歌山市 <淡島街道> 石道標
(尖頭角柱、砂岩)
高120㎝,幅24.5㎝,厚25㎝ 明和4(1767)   近畿地方の歴史の道3p210   (左面)「左 大川報恩講寺、是より/二十四丁」/正面に「国光大師遺跡」、右面に「巡拝大坂講」と刻まれている 1
  栄谷の地蔵道標 さかえだに 和歌山市 <淡島街道> 石道標
(蒲鉾型、砂岩)
高57㎝,幅23.5㎝,厚18.5㎝ 天明8(1788)   近畿地方の歴史の道3p209 C造祠で保護 (正面下部)「道/こかわ道」/正面上部に地蔵菩薩坐像が陽刻 1 -
  内原の題目塔道標 うちはら 和歌山市 <熊野街道> 石道標(頂部に繰形、花崗岩) 高252㎝(うち台石22㎝),幅30㎝,厚29㎝ 寛政8(1796)   近畿地方の歴史の道3p75   (右面)「きみゐてら大門まて八町」/正面に「(梵字)南無観世音菩薩」と刻まれている 1
  栗栖の道標 くるす 和歌山市 <大和街道> 石道標(花崗岩) 高199㎝(うち台石30㎝),幅48㎝,厚48㎝ 寛政10(1798)   近畿地方の歴史の道3p213   (正面)「是より十二丁所田井能瀬のわたし/左へ是より□□ねごろへ二里十三町/根来より粉河へ二里半すく辻なり」、(左面)「是より岩出へ弐里半/岩出より粉河へ二里半」/右面に「新義/本山、根来寺不動明王、世云三国一/錐鑚不動」と刻まれている 1
  北島の道標 きたじま 和歌山市 <孝子街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高195㎝,幅42㎝,厚42㎝ 文化8(1811)   近畿地方の歴史の道3p209 移設 (正面)「右 本山総持寺 是より七丁余」、(右面)「加太大川」/背面に「このいしみちをしへ」と刻まれている 2
  大川の道標1 おおかわ 和歌山市 <淡島街道> 石道標
(自然石、砂岩)
高99㎝,幅44㎝,厚25㎝ 文政4(1821)   近畿地方の歴史の道3p211   (正面)「是より南/紀伊国/大川村」 1
  鳴神の地蔵道標 なるかみ 和歌山市 (砂子)<熊野街道> 石道標(花崗岩) 高92㎝,幅30㎝,厚29㎝ 文政4(1821)   近畿地方の歴史の道3p73 下部埋没 (右面)「右 こかわ道/左 大坂道」/正面に地蔵菩薩坐像が陽刻/右面に「南無阿弥陀仏」と刻まれている 2
  大川の道標2 おおかわ 和歌山市 <淡島街道> 石道標(尖頭角柱) 高170㎝,幅23㎝,厚22㎝ 文政8(1825)   大阪の街道と道標p78   (正面)「東 從是、京都へ二十九リ 若山へ三リ 泉州貝塚六リ/江戸ヘ百五十リ 和州当广へ十八リ 同尾崎四リ/大坂へ一六リ 大峯山へ二十六リ 淡州州本六リ/勢州山田へ四十八リ吉野山ヘ十五リ□□□十三リ/兵庫ヘ二十三リ 泉州堺へ十三リ 丸亀ヘ五十リ」、(右面)「北 是より壱丁半、□□場/八番、報恩講寺」、(左面)「南」、(背面)「西」 1
  奥須佐の地蔵道標 おくずさ 和歌山市 <熊野街道> 石道標(砂岩) 高96㎝(うち台石26㎝),幅48㎝,厚48㎝ 文政9(1826)   近畿地方の歴史の道3p73   (正面)「左 若山道」/正面中央に「三界万霊」と刻まれている/台石の上に地蔵菩薩像が丸彫 1
  祢宜の題目塔道標 ねぎ 和歌山市 <熊野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高75㎝,幅24㎝,厚23㎝ 天保3(1832)   近畿地方の歴史の道3p72   (正面)「右ハ 川辺/左ハ 若山」/正面上部に「南無大師遍照金剛」と刻まれている/左面に「南無阿弥陀仏」と刻まれている 1 -
写真 加太の道標1 かだ 和歌山市 <淡島街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高92㎝,幅25.5㎝,厚24.5㎝ 嘉永2(1849)   近畿地方の歴史の道3p210/市教委 移設(C台石) (正面)「右 和可山道」、(右面)「左 あ王しま道」 2
写真 加太の道標2 かだ 和歌山市 <淡島街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高103㎝,幅26㎝,厚25㎝ 嘉永2(1849)   近畿地方の歴史の道3p210 移設(基盤露出) (正面)「右 王可山道」、(右面)「阿王し満道」 2
  紀三井寺の道標1 きみいでら 和歌山市 <熊野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高130㎝,幅31㎝,厚24㎝ 嘉永3(1850)   近畿地方の歴史の道3p75   (正面)「弥ころふとう迄 四里/こかわてら迄 六里/かうやさ□□(ん迄) (十)三里」 1
  紀三井寺の道標2 きみいでら 和歌山市 <熊野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高120㎝,幅31㎝,厚29㎝ 嘉永3(1850)   近畿地方の歴史の道3p75   (正面)「弥ころふとう迄 四リ半/こかわでらまで 七リ/かうや山まで 十三リ」 1
  永穂の道標 なんご 和歌山市 <熊野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高143.0㎝,幅30.3㎝,厚30.3㎝ 安政7(1860)   近畿地方の歴史の道3p72 移設/一部刻字判読困難 (正面)「南、紀国真宗最初門/蓮如上人御奮跡、永正寺江是ヨリ壱丁半入」、(右面)「東、若山江壱里半/山口江廿七丁」、(左面)「西、花乃あるか多へ/いさ那う□□ふや」、(背面)「北、この永正寺乃道志る辺は石みむかし宝暦六年九月/大雨ふりて紀の川谷あふれ遣る時流失けるままに久し/と□□ねしきを辻忠正乃父ちと常に歎き居しをこひ/祖師能六百年忌尓あ多利その志をつきて子忠正の御にいれた/てたる時父の名人の光なる志わさという□□/安政七年三月からい□□七十の翁 山名真豊」 2
  養翠園の高灯籠 ようすいえん 和歌山市 養翠園 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高4.18m? 文政8(1825)   市教委/下記の現地解説板 保存状態良好 紀州藩第10代藩主・徳川治宝により、海上交通の安全を祈願し、紀淡海峡を遠望する養翠園の北西端に一対で建立→灯台としての機能はない(?)/笠・火袋ともに円形/全体に装飾的/5層の石基壇 1
写真 旧・養翠園の高灯籠 ようすいえん 和歌山市 和歌山城西の丸 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高4.18m 文政8(1825)   市教委/現地解説板 明治22に移設し私設灯台化→放置→昭和62移築・復元 同上 2
  六箇井用水 ろっかい 和歌山市・岩出市 紀の川 用水路 長16㎞ 古代?→元禄14(1701)→文政5(1822)   WEB 昭和28水害により流失→頭首工新設+C改修 取水口を延宝8(1680)西野村から清水村まで掘り上げたが、取水困難になり天保7(1836)に現在地まで取水口を改めた/千手川樋がある→近世?    
  新六箇井用水 しんろっかい 和歌山市 紀の川 用水路 長13.4㎞ 文政5(1822)→元治元(1864)   WEB/県農業農村整備課 昭和28水害により流失→旧堰跡に復旧・C改修 文政5(1822)治水家・中村成近が築造したが末端で水が流れず、この状態を見かねた楠美村村長・楠見信貴が元治元(1864)に官許を得て築設した用水路    
  大池 おお 和歌山市   土堰堤 長約147m 平安後期?   WEB   施主:覚ソウ上人    
写真 水軒堤防 すいけん 和歌山市   石防潮堤 長約1.4㎞,高約5.4-10.8m 18世紀後半? 県史跡 市教委/WEB 堤防上に人家や菜園が造成され荒廃 広川町の「広村堤防」、大分県の「馬場の堤防」と並び、"現在把握できている津波対策としての防潮堤" としては、全国で3例しかない貴重な事例→国内最大規模(記録が一切ないためランクはAに留めた)/詳細は不明(これだけ大規模な工事にもかかわらず記録が一切残っていない)/建造年代は、下記の「復元」時の発掘調査時の陶器・古銭などにより判断されたもの 3
写真 水軒堤防
(石堤の復元展示)
すいけん 和歌山市   石防潮堤   18世紀後半?   現地解説板 復元展示 海側に和泉砂岩の胴長石を使用→海の波にも耐える堅固な構造/陸側は急勾配で雑な石積み/内部は和泉砂岩と緑泥片岩の割石を充填 2
写真 柳堤・跡 やなぎ 和歌山市 紀の川 土堤防 長約1.7㎞→730m,高約3m,天端幅約5m 元和5(1619)   WEB/和歌山河川国道事務所 国道24号の北側にのみ残存 洪水防御と城郭防衛を兼ねて、浅野時代の堤防より北へ約100m程にところに築造した堤防/名称は嘉家作町の附近には堤上に街路樹として柳が植えてあったことに由来 4
  武内宿禰誕生井 たけうちのすくね 和歌山市 武内神社(長寿殿) 石井戸   古代?→享保年間(1716-1736)?   WEB 長寿殿内に保存 武内宿禰の産湯に使われたという伝承/紀州徳川家では代々産湯として使われた→現存する井戸枠は、長寿殿が建立された享保年間の可能性も? 2
  御殿井戸(渇助水) ごてん
(かつじょ)
和歌山市 雑賀崎(池ノ丁) 石井戸(花崗岩) 111㎝四方,高54㎝ 天保13(1842)   市教委 石で蓋 紀州藩が設置したと伝えられている 2
  御殿井戸(延寿水) ごてん
(えんじゅ)
和歌山市 雑賀崎(西ノ丁) 石井戸(花崗岩) 116㎝四方,高58㎝ 天保13(1842)   市教委 Cで過剰補修 紀州藩が設置したと伝えられている 3
写真 加太の嘉永井 かだ、かえい 和歌山市 <加太湊> 石井戸   嘉永年間(1848-54)   WEB(田舎暮らしdeほっ!) コンクリート板で蓋 加太湊の共同井戸/井戸脇正面に「嘉永井」と刻字されている 3
三井水(清浄水) さんせい
(しょうじょう)
和歌山市 紀三井寺 湧水   9世紀?→文化9(1812)以前 市名勝/
名水百選
WEB 現役で飲用/三井水の中で唯一オリジナル 開山為光上人が紀三井寺開創の頃、上人の前に忽然として出現した美女が、身を投じて龍に化身したという伝承の湧水/小滝を中心とする粗石積の壁周辺を扁平な空石積で補強した構造 1
  馮夷の滝 ふうい 和歌山市 大日堂 湧水 高約3m,奥行幅約2m 平安初期?   WEB 現役で飲用 弘法大師が開いたとの伝承/三方を小粒の空石壁で囲まれた人工の滝 1
写真 小浦台場・跡 こうら 和歌山市
(沖ノ島)
  台場   嘉永7(1854)頃   台場辞典
/WEB(城めぐ)
土塁・石垣の一部が残る ペリーの来航を受けて、和歌山藩の海士郡代官仁井田源一郎が『海防議』を提出し、加太浦や友ヶ島に砲台を置くことを主張した→これを受けて、沖ノ島には4つ、地ノ島には2つの台場が築造された 3
写真 池ノ尻台場・跡 いけのしり 和歌山市
(沖ノ島)
  台場   安政2(1855)   台場辞典
/WEB(城めぐ)
石垣の一部がよく残る 同上 3
  池ノ前台場・跡 いけのまえ 和歌山市
(沖ノ島)
  台場   安政2(1855)   台場辞典
/WEB(城めぐ)
明治期の砲台によりほとんど目立たない/海岸堤防の海側に土塁・石垣の一部が残る 同上 4
  蒲浦台場・跡 がまうら 和歌山市
(沖ノ島)
  台場・狼煙場 (土塁)長63m 安政2(1855)   台場辞典
/WEB(城めぐ)
視認困難 同上 5
写真 元番所台場・跡
(番所の鼻)
もとばんしょ
(ばんどこ)
和歌山市 番所庭園内 台場   幕末   台場辞典
/WEB(城めぐ)
土塁が一部残る/公園化 海に突き出した長約170m、幅約50mの自然の舌形突堤状の岩盤の上に造られた台場 2
写真 雑賀崎台場・跡 さいかざき 和歌山市   台場 南北約21m, 東西約12m
(石垣)高約50-180㎝
幕末 県史跡 WEB/市教委 台場の形状や野面唐石石塁・ 土塁がよく残る 幕末期に紀州藩が異国船に対する海上防御のため築造した台場 3
写真 太田城水攻め堤防 おおだ 和歌山市   土堤防(軍事遺産) 長約6㎞,高約3-5m,幅約30m 天正13(1585) 埋蔵文化財包蔵地 市教委 一部残存 豊臣秀吉が紀州攻めをした際、紀の川の水を引いて太田城を水攻めした際に築かれた堤防 3
  糸我町中番の道標1 いとが 有田市 (宮城) 石道標
(尖頭角柱、砂岩)
高61㎝,幅23㎝,厚23.5㎝ 元禄2(1689)   近畿地方の歴史の道3p77 下半欠損 (正面)「順礼道すくによし/左右ハ さとみち」、(右面)「これよりなち山へ四十四り」、(左面)「これよりきみいてらへ四り」/17世紀の道標 3
  糸我町中番の道標2 いとが 有田市 (新田) 石道標
(尖頭角柱、砂岩)
高92㎝,幅22㎝,厚20.5㎝ 文政5(1822)   近畿地方の歴史の道3p77 下半欠損 (正面)「右 きみゐて 3
  糸我町中番の道標3 いとが 有田市 (宮城) 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高158㎝,幅30.5㎝,厚30.5㎝ 文久4(1864)   近畿地方の歴史の道3p77/市教委/WEB   (正面)「すく熊の道、本宮に/廾八り」、(背面)「すく紀三井寺道 四り」 1
  糸我町中番の道標4 いとが 有田市 (別所谷) 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高123㎝,幅24.5㎝,厚24.5㎝ 天保8(1837)   近畿地方の歴史の道3p78/市教委/WEB 腹部折損 (正面)「左 くまの道」、(右面)「右 すハら道」 2
  糸我町中番の道標5 いとが 有田市 (沖) 石道標
(尖頭角柱、砂岩)
高85.5㎝,幅18㎝,厚18㎝ 天保13(1842)   近畿地方の歴史の道3p78   (正面)「左 くまの道」、(背面)「右 すぐ是より/中将姫寺へ三丁」 1
  糸我村一里塚 いとが 有田市 <熊野街道> 一里塚(1基) 約9m四方,高さ1.21m 江戸初期 県史跡 市教委 明治初年に東塚除去/道路拡幅で西塚一部切削/塚木補植 現役の道路の脇にある 3
写真 上田和隧道 かみだわ 有田市 有田川 素掘トンネル
(水路)
長約313m,高約2.4m,幅約1.5m 天保13(1842)
→天保14(1843)
→弘化2(1845)拡幅
  市教委(有田町史p534-542) 呑口〔写真〕・吐口をC改修、トンネル内は拡幅C改修 有田川が増水する度に排水不良で苦しんでいた野村・山地・千田地区の水田を救うための排水トンネル/千田神社前の馬場頭の上田和から高田浜へ掘り抜き、海へ排水する計画を3村の13名が発起人として立案→経費の捻出に苦しみながら4年がかりで完成/排水のため海に向かって切通しを造った例は散見されるがトンネルは非常に稀/工事面での功労者は白井久蔵(トンネル東口に明治期の碑が建つ) 4
  押川の供養塔道標 おしがわ 岩出市 <根来街道> 石道標 高110㎝,幅33㎝,厚34㎝ 宝暦9(1759)   大阪の街道と道標p170   (正面右)「みぎ 西坂本道二十一」、(同左)「左ハねごろ道」/正面上部に施主二人の両親の法名、左右両側面に「南無妙法蓮華経」、背面に「日本□□/南無日蓮大菩薩/国土安福」を陰刻 1
  新田広芝の道標 しんでんひろしば 岩出市 <淡路街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高103㎝,幅18.5㎝,厚18.5㎝ 文化3(1806)   近畿地方の歴史の道3p214 三材に折損/最下材亡失 (正面)「右、従道十□□/根来寺道□□  
写真 高塚の大師道標 たかつか 岩出市 <大和街道> 石道標(尖頭角柱) 高171㎝(うち台座20㎝),35㎝角 文政9(1826)   WEB/市教委 移設 (正面像下)「左リ、紀三井寺/わか山、道」、(左面)「右、こかわへ二リ半/いせ かうや、道」、(裏面)「左リ、祢ごろ/大坂、道」/正面頂部に弘法大師坐像の陽刻 2
  六箇井用水 ろっかい 岩出市・和歌山市   用水路 長16㎞ 古代?→元禄14(1701)→文政5(1822)   WEB 昭和28水害により流失→頭首工新設+C改修 取水口を延宝8(1680)に掘り上げたが、取水困難になり天保7(1836)に取水口を改めた/千手川樋がある→近世?    
  且来の石畳 あっそ 海南市 くも池堤防下<熊野参詣道・紀伊路> 石畳道   不詳   WEB 道路整備の際に移設   4 -
写真 藤白坂の石段 ふじしろ 海南市 <熊野古道> 石階段 長約10m 近世(中世まで遡る可能性も?)   WEB/市教委 保存状態良好 地蔵峰寺周辺に残る、岩盤を掘削して造った石階段/最上部の約10mがくっきりと階段状になっているのがわかる/岩盤を直接穿った階段は稀 1
  下津町小畑の供養塔道標 しもつちょうこばた 海南市 <熊野街道> 石道標(砂岩) 高85.5㎝,幅22㎝,厚18㎝ 延宝7(1679)   近畿地方の歴史の道3p76   (右面)「これよりきみいてらへ三り」/正面に「南無大慈大悲観音菩薩」と刻まれている/左面に「奉納四国卅三所為、濱中同行十八人/二世安楽也」と刻まれている/17世紀の道標 1
  下津町橘本の地蔵道標 しもつちょうきつもと 海南市   石道標   延享5(1748)   遥かなる熊野「明月記」の旅路p96   「岩屋山觀音堂マデ二丁 うらみのたきぬけ道    
  日方の道標1 ひかた 海南市 <熊野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高190㎝,幅20㎝,厚25㎝ 寛政6(1794)   近畿地方の歴史の道3p74   (正面)「右 きみゐてら道」、(右面)「左 くまの道」 1
  日方の道標2 ひかた 海南市 <熊野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高233㎝,幅32㎝,厚32㎝ 寛政12(1800)   近畿地方の歴史の道3p74/WEB   (正面)「左 紀三井寺道」 1
  井田の地蔵道標 いだ 海南市 (井田)<熊野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高84.0㎝,幅20.5㎝,厚16.5㎝ 文化8(1811)   近畿地方の歴史の道3p73   (正面)「右 山東大阪/左 紀三井寺若山、道」/正面上部に地蔵菩薩坐像が刻まれている 1
  藤白坂の丁石地蔵 ふじしろ 海南市 <熊野古道> 町石 高約30㎝ 元禄元-延享4
(1688-1744)
  WEB(現地解説板) 復元 施主:専念寺第十四世住職・全長上人/自然石前面に地蔵菩薩を陽刻/昭和56時点で現存する丁石地蔵は全18基のうち4基のみだったが、その後新しい地蔵を加えて18基が復元   -
  亀ノ川の直線化 かめ 海南市 亀ノ川 付替え(利水目的) 長4.2㎞ 宝永4(1707)   市教委/WEB   大畑才蔵・井沢弥惣兵衛/亀ノ川の蛇行した流路を直線化し、下流域の低湿地の水田化、荒れた砂地と干拓地の開墾を実現した→水の安定供給のため下記の「亀池」も築造(宝永7) 3
写真 亀池 かめ 海南市   石堰堤(唐積み) 長98m,高16m,面積約130000㎡ 宝永7(1710) ため池百選 市教委/岩屋 堤体コアを改修/底樋取替/公園化 井沢弥惣兵衛によって築かれた灌漑用溜め池/池端に為永の碑有り/堤体東側にRC造の余水吐有り/空石積み→当初のものか不明? 3
  くも池   海南市   土堰堤 長63m 江戸後期以前   市教委/WEB 土堰堤修復 神武軍との戦いの場となったとされる池   -
  井田の常夜灯 いだ 紀の川市 <大和街道・西高野街道> 石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高1.53m 文化12(1815)   近畿地方の歴史の道3p218/WEB   (竿正面右端)「右 かうやみち」、(竿正面左端)「左 いせまきのを道」/竿正面中央に「弘法大師永代常夜燈」と刻まれている 1
  深田の常夜灯 ふけだ 紀の川市 <淡路街道> 石常夜灯
(道標兼、砂岩)
高1.25m 安政2(1855)   近畿地方の歴史の道3p215   (竿右面)「いせかうや粉河町江十三丁」  
  粉河の常夜灯 こかわ 紀の川市   石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高約1.86m 江戸期   近畿地方の歴史の道3p217 移設 (竿正面)「右、いせ かうや/まきのを」/竿右面に「金毘羅大権現」、左面に「秋葉大権現」、背面に「天照皇大神宮」と刻まれている/「金毘羅」の標記は江戸期の可能性  
  粉河の題目塔道標 こかわ 紀の川市   石道標
(駒型、花崗岩)
高145㎝,幅32.5㎝,厚24.5㎝ 延宝2(1674)   近畿地方の歴史の道3p217 棟部は後降り (正面)「みき うしたきミち/ひさり やま見ち」/正面上部に「南無薬師如来」と刻まれている/17世紀の道標 1
  粉河の道標1 こかわ 紀の川市   石道標
(自然石、砂岩)
高74㎝,幅53㎝,厚30㎝ 正徳元(1711)   近畿地方の歴史の道3p217 移設 (正面)「左 観音道/是ゟ/十一町」 2 -
  風市の地蔵道標 かざし 紀の川市   石道標(花崗岩) 高92㎝(うち上部台石17㎝、下部台石23㎝),幅39㎝,厚24㎝ 安永3(1774)   近畿地方の歴史の道3p228   (台石左面)「右 いせ 高野/左 こ川、道」/台石正面に「(梵字)待三會暁信士/涼岸覚道信士/曜萃妙心信女」と陰刻 1
  桃山町百合の前道標   紀の川市 (辻地蔵前)<大和街道> 石道標(花崗岩) 高100㎝,幅30㎝,厚11㎝ 安永8(1779) 市史跡 市教委/和歌山県文化財目録p94   (正面)「右 いわで 若山/左 山東 有田、道」  
  麻生津中の道標 おうづなか 紀の川市   石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高145㎝,幅28㎝,厚22㎝ 寛政7(1795)   近畿地方の歴史の道3p229   (正面)「右 高野山大門へ五里」、(右面)「左、粉川/わか山、ミち」 1
  桃山町市場の道標 ももやまちょういちば 紀の川市 (安楽川中学校) 石道標(花崗岩) 高90㎝,幅26㎝,厚27㎝ 享和2(1802) 市史跡 市教委/近畿地方の歴史の道3p227 移設 (正面)「右、有田/熊野、道」、(右面)「左、高野/伊勢、道」 2
  粉河の道標2 こかわ 紀の川市   石道標
(自然石、砂岩)
高149㎝(うち台石38㎝),幅70㎝,厚45㎝ 文化3(1806)   近畿地方の歴史の道3p216-217 移設 (正面)「すぐ(左指差し)、いせかうや/まきのを」 2
  西脇の道標 にしわき 紀の川市 <河南大和街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高76㎝,幅24.5㎝,厚21㎝ 弘化2(1845)   近畿地方の歴史の道3p229   (正面)「左、いせ 三十六リ/かうや 五リ」、(右面)「右 明神道」、(左面)「すぐ 若山 七リ/岩出 三リ半」 1 -
  杉原の道標 すいばら 紀の川市 <河南大和街道> 石道標(自然石、緑泥片岩) 高137㎝,幅70㎝,厚11㎝ 弘化3(1846)   近畿地方の歴史の道3p228   (正面)「右 在所山道/左 伊勢高埜/をうづ」 1
  別所の道標1 べっしょ 紀の川市 <南海道> 石道標(頂部に繰形、花崗岩) 高83㎝,幅18㎝,厚17.5㎝ 嘉永3(1850)   近畿地方の歴史の道3p215   (正面)「左、こかわ道/十六丁」/台石に自然石を利用 1
  東野の地蔵道標 ひがしの 紀の川市 <南海道> 石道標
(自然石、砂岩)
高66.5㎝,幅56㎝,厚35㎝ 安政2(1855)   近畿地方の歴史の道3p218   (台石正面)「右 いせまきのを ミち」 1 -
  桃山町段の道標 ももやまちょうだん 紀の川市   石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高86㎝,幅24㎝,厚24㎝ 安政4(1857) 市史跡 市教委/近畿地方の歴史の道3p227   (正面)「すぐ和歌山道」、(背面)「すぐ八十八ヶ所」 1
  粉河の道標3 こかわ 紀の川市   石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高237㎝(うち台石20㎝),幅33.5㎝,厚33.5㎝ 慶応元(1865)   近畿地方の歴史の道3p216 移設 (正面)「左 いせかうやま紀のう道」、(右面)「右 若山 紀三井寺 新四国道」、(左面)「右 粉河寺根来大坂道」/背面に「往来安全」と刻まれている 2
  貴志川町丸栖の道標 きしがわちょうまるす 紀の川市   石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高70㎝,幅21.5㎝,厚20.5㎝ 慶応年間(1865-1868)?   近畿地方の歴史の道3p226 文字一部判読不能 (正面)「右、い世 高野□□/粉川寺新西国□□」、(右面)「右 若山 岩出□□/左 山東 紀三井寺□□」/背面に「應三年~」と刻まれている   -
  東山田の道標 ひがしやまだ 紀の川市 <大坂街道> 石道標(自然石、和泉砂岩) 高100㎝,幅80㎝,厚35㎝ 江戸期? 市史跡 市教委/和歌山県文化財目録p92   (正面)「右 大坂」  
写真 中鞆渕のホリキリ なかともぶち 紀の川市 真国川 切通し(水路) 長約10m,幅:(高1.5m地点)50㎝,(底幅)40㎝ 平安期   市教委 保存状態良好/現役 室町時代の史料に「ホリキリ」の地名が見られることや水利慣行などから、平安時代石清水八幡宮によって岩盤を開削したと想定される水路 1
  安楽川井用水 あらかわい 紀の川市 紀の川 用水路 長約7㎞ 天正年間(1573-1592)以前   市教委/WEB 昭和28水害により流失→C改修 天正年間に応其上人が、検校山・平野山の薪炭の採取を認可する代わりに敷地を提供させ、再興した用水路    
  荒見井用水 あらみい 紀の川市 紀の川 用水路 長約4㎞ 寛永7(1667)   市教委/WEB 昭和28水害により流失→C改修/連絡水路化 現在は井筋が藤崎党首港から安楽川井への連絡水路として整備されている    
  藤崎井用水 ふじさきい 紀の川市・和歌山市・岩出市 紀の川 用水路 長約24㎞→約10㎞ 元禄14(1701)   市教委/WEB 昭和28水害により流失→荒見、安楽川井と統合・C改修 施主:大畑才蔵/大畑才蔵の自作道具である水準測量具の「水盛台」により、3000~4000分の1という驚異的な暖勾配の精密測量が実施できた/建設当時を偲ばせる暖勾配の水路が農村景観を保ちながら現在も残っている    
  小田井用水(才蔵堀) おだい
(さいぞう)
紀の川市 紀の川 用水路(石積) 長約70m(復元区間) 宝永4(1707)→昭和40(1965)ルート変更→復元   WEB 1ヶ所復元/2ヶ所現存(不使用) 施主:大畑才蔵/高野口町から岩出町根来川までの総延長32.5kmの用水路/大畑才蔵の自作道具である水準測量具の「水盛台」により、3000~4000分の1という驚異的な暖勾配の精密測量が実施できた 3
  魚谷池 うおんたに 紀の川市   土堰堤 長約30m 永仁4(1296)   市教委/WEB 土堰堤修復 粉河の農民が用地を買い取って既存の池を拡張・築造した溜池    
  中後池 ちゅうご 紀の川市   土堰堤 長約30m 延慶2(1309)以前   市教委/WEB 土堰堤修復 延慶2(1309)農民が敷地にかかる税の免除を求めた記録の残る溜池    
  桜池 さくら 紀の川市 松井川 土堰堤 長320m,高16m,面積10ha 慶安5(1653)   WEB 土堰堤修復 施主:紀州初代藩主・徳川頼宣    
写真 花見堤・跡   紀の川市 紀の川 土堤防 長約2㎞→80m,天端幅約4m 寛永3(1626)   和歌山河川国道事務所/市教委 昭和28水害により破壊後、昭和36復旧/旧堤防の保存状態不明 施主:安藤忠兵衛/荒廃地として放置されていた氾濫原を開拓する際に、水害防止に築かれた堤防/昭和28(1953)の水害からの復旧・築堤の記念碑が残る 3
  花野の弘法井戸 けや 紀の川市   石積井戸   平安初期?   WEB RC造の覆屋 弘法大師が水を求めた際、老婆が苦労して水を運んできたのを見て、錫杖で地面を突いて水を湧き出させたとの伝承 3
  藤田町藤井の道標 ふじたちょうふじい 御坊市 <日高川丈道> 石道標
(自然石、砂岩)
高63㎝,幅36㎝,厚30㎝ 元禄15(1702)   近畿地方の歴史の道3p81   (正面)「ひたりかねまきてら」 1 -
  御坊の道標 ごぼう 御坊市 <日高川丈道> 石道標 高142㎝ 宝永4(1707)   近畿地方の歴史の道3p386 下部埋設 旧薗浦の船着場で出水時に舟を繋いだ道標 2
  薗の題目塔道標 その 御坊市 (茶免地蔵堂前) 石道標 高62㎝,幅31㎝,厚26㎝ 享保7(1722)   市教委   (左面)「此下小本願寺の御坊阿李/紀三井寺乃近道奈李」/正面に「三界萬霊」と陰刻/右面に「南無阿弥陀佛」と陰刻   -
  湯川町小松原の廻国塔道標(西国四国秩父板東巡礼塔) ゆかわちょうこまつばら 御坊市 (湯川中学校) 石道標(砂岩) 高140㎝,幅32㎝,厚18㎝ 安永2(1773)   市教委 当時のまま (正面)「右 道成寺道/左 和歌山大阪道」/正面中央に「西国四国秩父板東為二世安楽」と陰刻 1
  薗の道標 その 御坊市   石道標
(駒型、砂岩)
高61㎝,幅25㎝,厚14㎝ 安永4(1775)   近畿地方の歴史の道3p82、390   (正面)「小松原へ 十八丁/道成寺へ 三十丁/きみゐ寺へ 十里」、(右面)「その浦 □□(土手)」 1 -
  島の道標 しま 御坊市 (善妙寺境内墓地) 石道標 高64㎝,幅28.5㎝,厚11㎝ 寛政9(1797)   市教委   (正面)「右 小ま津原/中 とうこうじ/左 丹し口」   -
  湯川町富安の道標 ゆかわちょうとみやす 御坊市 (下富安) 石道標
(尖頭角柱、砂岩)
高77㎝,幅20.5㎝,厚15㎝ 文政元(1818)   市教委/近畿地方の歴史の道3p81   (正面)「左 道成寺」 1 -
  藤田町吉田の道標 ふじたちょうよしだ 御坊市 <熊野街道> 石道標(尖頭角柱) 高約110㎝,幅約20㎝ 天保12(1841)以前   WEB   「左 入田の中/きよひめ志やつか」   -
  藤田町吉田の地蔵道標 ふじたちょうよしだ 御坊市 (吉田八幡前) 石道標(花崗岩) 高57㎝,幅37㎝,厚17㎝ 江戸中期   市教委   「右 ミ/左 こまつ原」   -
  湯川町富安の地蔵道標 ゆかわちょうとみやす 御坊市 (茶所) 石道標(花崗岩) 高95.5㎝(うち台石14.5㎝),幅40㎝,厚39㎝ 江戸中期以降   市教委/近畿地方の歴史の道3p80   (台石正面)「左ハ/きみい寺道」/台石と地蔵坐像の丸彫が一石で彫りだされている 1
写真 湯川町小松原の石敢當1 ゆかわちょうこまつばら 御坊市 (橋本氏邸) 石敢當(砂岩) 高36㎝,幅15㎝,厚11㎝ 江戸期   市教委 根本C化 「石敢當」/和歌山県内で現存が確認されている2つの石敢當の1つ 2 -
写真 湯川町小松原の石敢當2 ゆかわちょうこまつばら 御坊市 (中野氏邸) 石敢當(自然石) 高33㎝,幅12㎝,厚20㎝ 江戸期   市教委 背面が塀に埋没 「石敢當」/和歌山県内で現存が確認されている2つの石敢當の1つ 4 -
  仏井戸   御坊市 (上野王子) 井戸   室町期 市史跡 WEB/和歌山県文化財目録p103 木造の覆屋で保護 井戸の底に一石三尊仏(地蔵菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩)が陽刻されており、王子の本地仏として参詣していた 1
  後谷池の灌漑用水路・導水トンネル   御坊市 後谷池 水路・水路トンネル 総延長2.0㎞
トンネル:高約1.5m
近世末   市教委 保存状態良好 施主:鈴木立庵/後谷池の水を用いて灌漑する3ヶ所のトンネルを通じる用水路  
  後谷池   御坊市   土堰堤 長約73m 近世末以前   市教委   改修:第6代鈴木立庵   -
  新池 しん 御坊市   土堰堤 長約137m 天保12(1841)   市教委 当時のまま   1
写真 神倉神社の石段 かみくら 新宮市 <神倉神社参道> 石段(花崗岩) 長250m,幅4.0m,各段高0.25m,奥行0.35m 永仁7(1299)以前 国史跡/
世界遺産
市教委 側面基礎部新石補強/半分程をC接合 源平合戦における熊野の功労を賞して、建久4(1193)に源頼朝が寄進したものと伝えられる、538段の鎌倉積みの石段/築造以降の修繕が度々あり、自然石・切石等が混在している 1 写真
  元・初野地の地蔵道標 ういのじ 新宮市 <熊野古道> 石道標(笠付き、黒雲母花崗斑岩) 高176㎝(うち標石110㎝,台石37㎝,屋根29㎝),幅27㎝(屋根幅56㎝),厚22.5㎝ 享保2(1717)   市教委 道路整備により熊野速玉大社内の小道へ移設/笠一部欠損 (標石正面下部)「是より右 神のくら道」、(左面)「右 神くら山へ五丁」/標石正面上部に高41㎝の地蔵菩薩立像が陽刻/かつて神倉山入口に建っていた 2
  神倉神社の下馬標石 かみくら 新宮市 <神倉神社参道> 下乗石(花崗岩) 高185㎝(うち台石26㎝),幅43㎝,厚17㎝ 寛文12(1672)   市教委 原位置? 寄進:大銀与兵衛盛道/「下馬」 1
  春日の量り石 はかりいし 新宮市 (新宮市庁舎前広場) 基準石(黒雲母花崗斑岩) 高0.7m,幅1.8m 正保・慶安年間(1645-1651)以前 市史跡 市教委 昭和38移設 この石を基点として代表的な地物への距離測量に使用した/新宮古図(正保・慶安年間頃作)に記載されていることより、それ以前の石と思われる 2
  猪垣(木ノ川~高森) きのかわ・たかもり 新宮市   猪垣(石塁) 全長5㎞,高1-2m,幅50-80㎝ 江戸期以前?   市教委/熊野の列石p16 放置 石塁と猪つぼ2基が現存する 3
  猪垣(高森~南桧杖) たかもり・みなみひずえ 新宮市   猪垣(石塁) 全長4㎞ 江戸期以前?   市教委/熊野の列石p18 放置 内側を赤土でたたきしめ、石を積んだ猪つぼが2基現存する/環状の石垣もある 2
  猪垣(相賀・高田) おうが・たかだ 新宮市   猪垣
(石塁、野面積み)
全長15㎞,高1-2m,幅約1m 江戸期以前?   市教委/熊野の列石p19 放置 耕地や盆地状の集落を囲むようにして造られている/2重の箇所や支線がある/猪つぼを多数確認 2
  熊野川町の猪垣 くまのがわ 新宮市   猪垣(石塁) 全長約3.3㎞,高1m 明和7(1770)頃   市教委/熊野の列石p22-23 放置 猪垣としては小さい→急斜面や堀を利用していた  
  新宮城跡水ノ手郭 しんぐう 新宮市   港湾遺跡   江戸期 国史跡 市教委 修復・改変により当初の石積は少ない 入り江に石積の船着場・荷揚げ場・石段などが残る 1
写真 祓殿王子の石畳 はらいど 田辺市 <熊野古道> 石畳道 長約100m 江戸期 国史跡 WEB/市教委 参道的整備 比較的少雨で石畳があまり敷設されなかった地域に敷設された数少ない石畳 2
写真 男坂の石畳 おさか 田辺市 岩神峠<熊野古道> 石畳道 長約30-40m 江戸期 国史跡 市教委   同上 2 -
写真 赤木越新道石畳 あかぎごえ 田辺市 <熊野古道> 石畳道 長約10-20m 近世   市教委   同上 3 -
  覗きの橋杭・跡   田辺市 <鍛冶屋川> 橋跡   不明 市史跡 市教委 当時のまま 平安末期に平重盛が利用したという伝承があるが、杭跡が当時のものか不明  
  龍神村龍神の道標 りゅうじんむらりゅうじん 田辺市 <高野街道> 石道標(花崗岩) 高80㎝,幅17㎝,厚13㎝ 文政元(1818)   近畿地方の歴史の道3p279   (正面)「右 りうしん道」/左面に「もし大水の時ハ/此方へまかるべし」と陰刻 1
  下万呂の道標 しもまろ 田辺市 <熊野街道> 石道標(花崗岩) 高121㎝ 文政11(1828)   近畿地方の歴史の道3p83   (正面)「厳蔵山八十八ヶ所、是より/ちか道」 1
  中辺路町高原の道標 なかへちちょうたかはら 田辺市 <熊野街道> 石道標
(蒲鉾型、砂岩)
高114㎝,幅23㎝,厚13㎝ 嘉永2(1849)   近畿地方の歴史の道3p85 二材に折損 (正面)「(左指差し)左、きみゐ寺へ/廿三り」 2
  北新町の道標 きたしんちょう 田辺市 <熊野古道> 石道標 高218㎝,幅30.5㎝,厚30㎝ 安政4(1857)   市教委/近畿地方の歴史の道3p82 保存状態良好 (正面)「右 きみゐ寺」、(右面)「左 くまの道 すくハ 大へち」/安政4(1857)に石工・見かげや新三郎が再建した道標 1
  鉛山口の庚申塔道標 かなやまぐち 田辺市 <熊野街道> 石道標
(自然石、砂岩)
高73㎝,幅18㎝,厚18㎝ 安政6(1859)   近畿地方の歴史の道3p84   (正面)「右 五むら道/左 くまの道」 1
  八丁田圃 はっちょう 田辺市   条里遺構 面積約20ha 大化2(646)頃 埋蔵文化財包蔵地 市教委 宅地造成により一部改変 現在の田地の小道・溝による碁盤目状の区画が、古代の条里制の跡を示す 3
写真 田辺城水門 たなべ 田辺市 <会津川> 水門   元和5(1619) 市史跡 WEB/市教委 公園化 明治3(1870)廃城となった田辺城に残る、埋門型の水門と石垣 1
写真 扇ヶ浜の防潮林 おうぎがはま 田辺市   海岸防潮林 長650m,幅50m 江戸期?   郷土田辺p121-122 ほとんどが近代の補植 詳細不明(田辺城主・安藤直次が家康より松を賜った、との説もある) 4
  野中の清水 のなか 田辺市   湧水   平安期以前?→宝永2(1705)以前 日本名水百選 WEB 公園整備/現役で飲用 古今和歌集にて「いにしへの野中の清水ぬるけどもとの心を知る人ぞくむ」と詠まれ、謡曲や狂言にも取り上げられてきた名水 2
写真 賢堂の常夜灯
(三軒茶屋大常夜燈籠)
かしこどう(さんげんぢゃや) 橋本市 <高野街道>/紀の川 石常夜灯(2基) 高3.42m 宝暦2(1752) 市史跡 大阪狭山市史7p126-127/WEB 東側の1基が5m移設/三軒茶屋渡船場跡に祠やその他の石造物を挟んで2基の常夜灯が残る 「弘法大師」、「天下泰平/永代常夜燈」、「高野山興山寺領」/高野参詣のための三軒茶屋渡船場の常夜灯/両方の竿に一対の菊花紋章の陽刻がある→江戸期に一般庶民の使用が自由化され世間に普及していたことから、江戸期の紋章であると考えられる 2
写真 東家の常夜灯
(東家渡場大常夜燈籠)
とうげ 橋本市 <高野街道>/紀の川 石常夜灯 高2.87m 文化11(1814) 市史跡 大阪狭山市史7p126-127/WEB 河川改修により移設/当初は2基あったが、1基は洪水により流失 「弘法大師」「永代常夜燈」/三軒茶屋渡船場へ繋がる東家渡船場の常夜灯  
  清水の常夜灯 しみず 橋本市 西行庵<高野街道> 石常夜灯 高1.95m 文政13(1830)   大阪狭山市史7p128-129 移設か    
  小原田の常夜灯 おはらた 橋本市 <高野街道> 石常夜灯 高2.27m 天保5(1834)   大阪狭山市史7p124-125   「牛頭天王」  
写真 学文路の題目塔道標 かむろ 橋本市 <高野街道> 石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高58㎝,幅22㎝,厚18㎝ 享保6(1721)   大阪狭山市史7p134-135/WEB 台石更新(移設)/最下部C補修 (右端)「右 ちそんいんミち これゟ□□」、(左端)「左 かうやミち こ□□□三里」/中央に大きく「南無釈迦牟尼佛」と陰刻/頂部が蒲鉾形になった道標は珍しい 2
写真 学文路の道標1
(学文路三叉路道標石)
かむろ 橋本市 <高野街道> 石道標(花崗岩) 高128㎝,幅31.5㎝,厚22.5㎝ 宝暦8(1758) 市史跡 大阪狭山市史7p134-135/WEB 移設 「(梵字)、右ハ 慈尊院みち 是より一里/左ハ 高野みち女人堂迄 三里」 2
  柱本の地蔵道標 はしらもと 橋本市 <高野街道> 石道標
(蒲鉾型、砂岩)
高66.5㎝,幅19㎝, 厚13㎝ 文化3(1806)   大阪狭山市史7p122-123/近畿地方の歴史の道3p332 二材に折損 「右 ちか□□(ミち)/左 本□□ 2

-

  山田の道標   橋本市 <高野街道> 石道標
(尖頭角柱、砂岩)
高63.5㎝,幅16.5㎝,厚13.5㎝ 文化14(1817)   近畿地方の歴史の道3p333   (正面)「大坂ミち」、(左面)「地蔵ミち」 1 -
写真 南馬場の道標 みなみばば 橋本市 地蔵堂<高野街道> 石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高108㎝,幅26.5㎝,厚26㎝ 文政4(1821)   大阪狭山市史7p132-133 移設 (正面)「東、高野山女人堂迄三里/地蔵尊 弘法大師御作/弘法大師御母公御廟所/慈尊院村江一里 是ヨリ十丁程先別道有」、(左面)「南、橋本町東家船渡シ江一里/伊勢江三十六里 吉野江七里/大坂江十二里 堺江九里」、(右面)「北」、(背面)「西(梵字)」 2
  学文路の道標2 かむろ 橋本市   石道標(自然石、緑泥片岩) 高108㎝,幅53㎝,厚14㎝ 天保3(1832)   近畿地方の歴史の道3p232   (正面)「左 新西国道」 1
写真 高野山三里道標石 こうやさん 橋本市 学文路大師<高野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高134㎝,幅26.5㎝,厚21.5㎝ 安政4(1857) 市史跡 大阪狭山市史7p132-133/近畿地方の歴史の道3p336 移設 (正面)「是ヨリ/高野山女人堂江 三リ」/右面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/河内茱萸木村(現大阪狭山市)の農民・小左衛門、五兵衛が発起人となり、堺市榎元町の十三里石から高野町神谷の一里石まで西高野街道に13基建立した道標の一つ(一里石は高野町、二里石は九度山町、七里~十三里石は大阪府に現存) 2
写真 高野山四里道標石 こうやさん 橋本市 (東家5丁目)<高野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高147㎝,幅24㎝,厚20.5㎝ 安政4(1857) 市史跡 大阪狭山市史7p126-127/近畿地方の歴史の道3p335 移設 (正面)「是ヨリ/髙野山女人堂江 四リ」/右面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/同上 3
写真 高野山五里道標石 こうやさん 橋本市 橋谷<高野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高130㎝,幅23㎝,厚23㎝ 安政4(1857) 市史跡 大阪狭山市史7p122-123/大阪の街道と道標p34/近畿地方の歴史の道3p332 中央部より少し上で水平に折損→セメントでみっともなく補修 「是ヨリ/高野山女人堂江 五里」/右面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/同上 3
写真 高野山六里道標石 こうやさん 橋本市 柱本(紀見峠)<高野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高153㎝,幅26㎝,厚26㎝ 安政4(1857) 市史跡 市教委/WEB/大阪の街道と道標p34/近畿地方の歴史の道3p332 保存状態良好 (正面)「是ヨリ/髙野山女人堂江 六里」/左面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/同上 1
写真 学文路の道標3 かむろ 橋本市 学文路郵便局<高野街道> 石道標(砂岩) 高110.5㎝,幅29㎝,厚29㎝ 元治元(1864)?(近代?)   大阪狭山市史7p134-135/近畿地方の歴史の道3p232 移設 (正面)「右 京 大坂 堺 伊勢 道」、(背面)「東家駅ヨリ立之」 2
写真 古佐田の道標
(古佐田道標石)
こさだ 橋本市 <伊勢(大和)街道> 石道標(花崗岩) 高102㎝,幅18㎝,厚19㎝ 嘉永年間(1848-1854) 市有形 WEB/近畿地方の歴史の道3p226 建立年一部判読不能 (東面)「左、こうや こかわ/き三井寺 わか山」、(南面)「右、いせ 山上 よしの/なら はせ たへま」/上部の周囲が少し彫り込まれている 1
写真 東家の道標
(東家四つ辻の道標)
とうげ 橋本市 (4丁目)<高野街道・伊勢(大和)街道> 石道標(尖頭角柱) 高153㎝,幅30㎝,厚30㎝ 江戸期 市有形 大阪狭山市史7p124-125/WEB   (正面)「北、右 わか山こかは/左 い勢 なら はせ よし野、追分」、(左面)「東、右 京 大坂道」(右面)「西、右 かうや/左 京 大坂道」、(背面)「南」/背面中央に「南無大師遍照金剛」にと陰刻、各面に四角く線刻し、その中に字を陰刻 2
写真 橋本の道標
(橋本道標石)
はしもと 橋本市 <伊勢(大和)街道> 石道標(駒型) 高105㎝,幅27㎝,厚20㎝ 江戸期 市有形 WEB(橋本市) 移設 (正面)「右 わか山 大坂/左 かうや」、(右面)「左 いせ よし乃」、(左面)「右 いせ よしの」、(背面)「右 わか山 こかは 大坂/左 かうや くまの」 2
  神野々の道標 このの 橋本市   石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高136㎝(うち台石55㎝),幅31㎝,厚30.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p224   (正面)「大坂道きい見峠へに道あり/田和地蔵尊 従是十八丁/菖蒲谷地蔵寺」/正面上部に「日本最初/子安帯解」と刻まれている 1
写真 学文路の境界石
(興山寺領御国領境界標石)
かむろ(こうざんじ) 橋本市 <高野街道・紀州徳川藩・北興山寺> 境界石(尖頭角柱) 高87㎝,幅18㎝,厚17㎝ 江戸初期 市史跡 大阪狭山市史7p134-135/現地解説板 移設 「是ヨリ/南御国領」、「定杭是ヨリ/北興山寺領」/紀州徳川藩領と高野山興山寺領の境界を示す 2
  隅田町垂井の条里遺構 すだちょうたるい 橋本市   条里遺構   中世以前   WEB/市教委   隅田八幡神社付近の河岸段丘上に残る条里遺構    
  高野口町の条里遺構 こうやぐちちょう 橋本市   条里遺構   中世以前   WEB/市教委   応其台地付近に残る条里遺構    
  引の池 ひき 橋本市 (高野口町応其) 土堰堤 長179m,高20m 天正18(1590)   WEB/市教委 一部C改修 施主:応其上人/池のほとりには応其上人の徳を偲ぶ記念碑の五輪塔が残されている    
  岩倉池 いわくら 橋本市 (隅田町垂井) 土堰堤(2ヶ所) 北側:長約110m
南側:長約100m
天正18(1590)以前   WEB/市教委 一部C改修 改修:応其上人/池のほとりには応其上人の徳を偲ぶ記念碑の五輪塔が残されている(五輪塔は市指定有形文化財)    
  平谷池 ひらたに 橋本市 (南馬場) 土堰堤 長約100m 天正18(1590)以前   WEB/市教委 一部C改修 改修:応其上人/池のほとりには応其上人の徳を偲ぶ記念碑が残されている    
  上湯川の道標 かみゆかわ (有田)有田川町 <高野街道> 石道標(花崗岩) 高75㎝,幅17㎝,厚13㎝ 文政元(1818)   近畿地方の歴史の道3p279   (正面)「右 かうや/和か山」、(背面)「すぐ りうしん」 1 -
写真 あらぎ島(嶋新田)   (有田)有田川町   棚田(石垣) 2.8ha,54枚 明暦元(1655)頃 棚田百選 WEB/市教委 昭和28大水害により約1ha流失→修復/用水路を全てC改修 施主:庄屋・笠松左太夫/上流約3㎞の湯子川に取水先を求め、断崖に用水路2.75㎞を切り開く難工事により築造された扇状に広がる棚田/写真は、①水鏡、②新緑、③収穫前、④雪化粧の4枚組合わせ 2
  内芝池 うちしば (有田)有田川町   土堰堤 長73m,高9.9m 17世紀中頃   WEB/市教委 当時のまま 改修:庄屋・笠松左太夫    
  河瀬の地蔵道標 ごのせ (有田)広川町 (鹿ヶ瀬峠)<熊野街道> 石道標(砂岩) 高57㎝(うち台石11㎝),幅23㎝,厚14㎝ 享保20(1735)   近畿地方の歴史の道3p80   (光背右)「是ゟ紀三井寺 七里」   -
  河瀬の供養塔道標1 ごのせ (有田)広川町 (河瀬橋)<熊野街道> 石道標
(蒲鉾型、砂岩)
高121.5㎝,幅39㎝,厚25㎝ 天保14(1843)   近畿地方の歴史の道3p79/WEB/町教委 移設後原位置に再移設 (正面右端)「右 く萬の道」、(正面左端)「左 むろご道」、(右面)「是ヨリ 左リ紀三井寺道 六里八丁」、(左面)「右、いせ/かうや、みち」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻/念仏行者・徳本上人を供養する名号碑を兼ねた道標 2
  河瀬の供養塔道標2 ごのせ (有田)広川町 (馬留王子)<熊野街道> 石道標
(蒲鉾型、砂岩)
高156㎝(うち台石47㎝),幅37㎝,厚21㎝ 弘化2(1845)   WEB/近畿地方の歴史の道3p80   (正面右端)「右 くまの道」、(正面左端)「左 ふじたき念佛堂」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻/左面に「きのふ過けふの此世の名こりにや/あす越も知れぬ命なりけり」と歌が刻まれている/念仏行者・徳本上人を供養する名号碑を兼ねた道標 1
写真 和田大波止 わだ (有田)広川町 畠山堤防の前面の沖合い 石防波堤 長220m 江戸初期→何度も修理   津波略史と防災施設p21-23,27-32 宝永の南海大地震で破損し修復→再度破損→安政の大地震後も放置⇒津波除けではない/C化され、石材が散在  紀州藩初代藩主・徳川頼宣の命で構築/下記の「畠山堤防」を構築した畠山氏の城館と港を守るため/宝永の南海大地震の破損時の修復は大庄屋・飯沼若太夫 4
  養源寺堀 ようげんじ (有田)広川町 (湯浅広港) 運河   正徳4(1714)   WEB/町教委 石垣が残る/水路の約半分をC改修   2
写真 畠山堤防 はたけやま (有田)広川町   石防潮堤 長509→約300m,高2.7m,天端幅1.8m 15世紀初頭 国史跡 津波略史と防災施設p18-21/近畿地方の歴史の道3p555/町教委 石堤C補強/写真の右側は下記の「広村堤防」 豪族・畠山氏が城館を守るために築いた防潮堤(津波対策ではない)/安政の大地震後、この石堤の背後に、上記「広村堤防」が、二重防潮堤のような形で築かれた 2-3
写真 広村堤防 ひろむら (有田)広川町 畠山堤防の背面 土防潮堤 長654m,高4.5m,底幅16m,天端幅2.7m 安政5(1858) 国史跡/未来に残したい漁業漁村の歴史文化財産百選 町教委/WEB

一部改修→堤防の頂部は修景舗装され、遊歩道になっている/資料館「稲むらの火の館」が近くに設置/年1回「津浪祭」が開催

和歌山市の「水軒堤防」、大分県の「馬場の堤防」と並び、"現在把握できている津波対策としての防潮堤" としては、全国で3例しかない貴重な事例/安政の大地震後、濱ロ梧陵が私財を投じ、いずれまた来襲するであろう津波に備えて、津波により仕事をなくした漁民や農民等村人を雇用し、4年の歳月をかけて築いた堤防で、この堤防により後の津波から多くの人を救ったという逸話が残る/小泉八雲がこの濱ロ梧陵の逸話を執筆・発表し、後にその作品を学校教員が凝縮したものが国語教材として利用された/堤防の下方に上記「畠山堤防」があり、その石垣との中間に松の防潮林が植栽されている三重構造 2 写真
写真 湯浅町湯浅の道標
(立石の道標)
ゆあさ (有田)湯浅町 (道町)<熊野街道> 石道標 高240.5㎝(うち、台石5㎝),幅30.3
㎝,厚30.3㎝
天保9(1838) 町史跡 町教委/近畿地方の歴史の道3p78/WEB ほぼ原位置? (正面)「東 (右指差し) きみゐてら」、(右面)「北 すぐ熊野道」、(左面)
「南 右 いせ かうや道」、(裏面)「西」/頂部を刳形に加工
1
写真 弁財天堀 べんざいてんぼり (有田)湯浅町   運河 長約215m 慶長6(1601)   町教委 昭和6北側一部埋立/中波止石積残存 深専寺住職の有伝上人による広川流路改修の際に築造された運河/弁財天社を勧請し水神として祀った 2
写真 大仙堀 だいせんぼり (有田)湯浅町 (湯浅広港) 運河 長約123m 江戸期   町教委 石積護岸と舫石が残存 湯浅伝建地区北端に位置するかつての醤油積出内港の運河 3
写真 深専寺の地震津波記念碑(大地震津なみ心え之記碑) じんせんじ (有田)湯浅町 (湯浅) 津波記念碑
(伊賀地震)
(東海地震)
高265㎝(うち台石85㎝),幅62㎝ 安政3(1856) 町有形 WEB 木造の覆屋で保護 「嘉永七年六月十四日夜八ッ時下り大地震ゆり出し翌十五日まで三十一二度ゆりそれより 小地震日としてゆらざることなし 二十五日頃ゆりやミ人心おだやかになりしニ同年十一月四日晴天四ッ時大地震凡半時ばかり瓦落柱ねぢれたる家も多し 川口より来たることおびただしかりとも其日もことなく暮て 翌五日昼七ッ時きのふよりつよき地震にて 未申のかた海鳴こと三四度見るうち海のおもて山のごとくもりあがり 津波といふやうな高波うちあげ北川南川原へ大木大石をさかまき 家 蔵 船みぢんニ砕き高波おし来たる勢ひすさまじくおそろし なんといはんかたなし これより先地震をのがれんため濱へ逃 あるひハ舟にのり又ハ北川南川筋へ逃たる人のあやうきめにあひ 溺死の人もすくなからず すでに百五十年前宝永四年乃地震にも濱邊へにげて津波に死せし人のあまた有しとなん聞つたふ人もまれまれになり 行ものなれハこの碑を建置ものそかし 又昔よりつたへいふ井戸の水のへり あるひハ津波有へき印なりといへれども この折には井の水乃へりもにごりもせざりし さすれハ井水の増減によらずこの後萬一大地震ゆることあらハ 火用心をいたし津波もよせ来へしと心え かならず濱邊川筋へ逃ゆかず 深専寺門前を東へ通り天神山へ立のくべし」/当時存在した「津波が起きる時は井戸の水が減ったり濁ったりする」という言い伝えが安政元(1854)の大地震で当てはまらなかったことから、地震が起きた時は言い伝えに囚われず用心を怠らないこと、また津波時の具体的な避難経路について刻まれている 1 写真
写真 丹生都比売神社の太鼓橋 にゅうつひめ (伊都)かつらぎ町 参道橋/鏡池 木桁橋(太鼓型) (7G) 江戸初期?   WEB(石橋巡礼) 改修履歴不明 反り橋の形状になったのは淀君が寄進した時との伝承/3本で一対の背の高い石柱6基の上に太鼓型に朱塗りの木桁を載せる/石柱の背が高いため、安定性を増すため、橋軸方向に4層、橋軸直角方向に3層の木桁(黒漆塗り)が組み込まれている 2
写真 上天野の題目塔道標 かみあまの (伊都)かつらぎ町 天野峠(伽藍~慈尊院) 石道標(御影石) 高246㎝,幅30㎝,厚25㎝,上部厚35㎝,下部厚30㎝ 建治2(1276)   高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 下部C接合 (左面)「天野路 法眼泰勝」、(右面)「建治二年十一月日」、(正面)「(梵字)奉為 前大僧正聖基」/施主:法眼・泰勝/「天野路」は文献上見られない名称で、参詣道研究上でも重要な遺構/建立位置は慈尊院、天野、三谷から高野山へ行き来する辻で、天野路の始点になる「天野辻」であったという説がある/高野山町石が石造化する前(平安時代中後期)にあったとされる木製卒都婆の形状と類似→高野山へ続く神聖な道である天野路へ入る始点である天野辻に、結界としての役割を持つ木製卒都婆が平安時代中後期に同位置に存在し、後に石造化されたと考えられる/慈尊院から伽藍までの高野山町石のある道筋に残る→参詣道の始点が天野辻から慈尊院まで後退していく際に取り残され、現在町石の道筋にあると言われる/建立年が陰刻してあって年代の確定している巡礼用道標としては国内最古 2 写真
  東谷の地蔵道標1 ひがしたに (伊都)かつらぎ町 <桧原越> 石道標
(舟型、砂岩)
高86㎝,幅31㎝,厚20㎝ 宝暦3(1753)   大阪の街道と道標p250/近畿地方の歴史の道3p222   (光背右)「右ハ、是より十六丁/まきのを道」、(同左)「左ハやまみち」/上半分に地蔵菩薩立像を陽刻 1 -
  東谷の道標1 ひがしたに (伊都)かつらぎ町 <槇尾山施福寺丁石道> 石道標
(尖頭角柱、砂岩)
高90.5㎝,幅22.5㎝,厚20.5㎝ 明和9(1772)   近畿地方の歴史の道3p223   (正面)「南 中まきのう道 五十丁」、(右面)「東 右こうや道七リ」、(左面)「西 左、堺七リ/大坂十リ」 1
  東谷の地蔵道標2 ひがしたに (伊都)かつらぎ町 <槇尾山施福寺丁石道> 石道標
(舟型、砂岩)
高66㎝(うち台石11.5㎝),幅27㎝,厚14㎝ 安永4(1775)   近畿地方の歴史の道3p221   (光背右端)「左ハまきのお道」/光背正面に上から梵字、地蔵菩薩立像、「三界万霊」と刻まれている 1 -
  東谷の道標2 ひがしたに (伊都)かつらぎ町 <桧原越> 石道標 高83㎝,幅19㎝,厚13㎝ 天保12(1841)   大阪の街道と道標p250   (正面)「右 粉河寺/すぐ 堀越観音/左 まきのを、道」 1
写真 丹生酒殿神社前の道標 にうさかどの (伊都)かつらぎ町 <鎌八幡宮参詣道> 石道標(自然石) 高111㎝,幅21㎝,厚20㎝ 不詳   町教委/現地 明治42移設 (北面)「この於く 鎌八幡宮 これより一丁余り とりゐ□□□ 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(九十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   高野山・慈尊院道町石は、丁数順に並べてある/(正面)「(梵字)九十六町」/伽藍~慈尊院に残る全180基の町石 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(九十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高241㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)九十七町」/建立:鎌倉幕府の有力者・少弐景頼/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(九十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高282㎝,幅32㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)九十八町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(九十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高220㎝,幅32㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)九十九町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高270㎝,幅30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高165㎝ 文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 中央で水平に折損→修復/下部埋設 (正面)「(梵字)百一町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(百二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高188㎝,幅30.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 中央で斜めに折損→修復/下部埋設 (正面)「(梵字)百二町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(百三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高275㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百三町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高255㎝ 文永9(1272) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修/中央で斜めに折損→修復 (正面)「(梵字)百四町」/建立:鎌倉幕府の有力者・加藤景経/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(百五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高275㎝ 文永12(1275) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百五町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高258㎝,幅32.5㎝ 文永10(1273) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 2ヶ所で斜めに折損→修復 (正面)「(梵字)百九町」/建立:連署・北条義政/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(百十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高270㎝,幅32.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百十町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高282㎝,幅32.5㎝ 文永9(1272) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 中央で斜めに折損→修復 (正面)「(梵字)百十一町」/建立:鎌倉幕府の御家人・河越経重/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高254㎝,幅30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百十二町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高250㎝,幅30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百十三町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高241㎝,幅30㎝ 文永9(1272) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百十四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高245㎝,幅29.5㎝,厚29.5㎝ 文永11(1274) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百十五町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百廿一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高244㎝,幅31㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百廿一町」/建立:十方施主(一般庶民)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百廿二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高167㎝,幅31㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百廿二町」/建立:十方施主(一般庶民)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百廿三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高190㎝,幅31㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百廿三町」/建立:十方檀那(一般庶民)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百廿四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高240㎝,幅33㎝,厚28㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百廿四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百廿五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高259㎝,幅31㎝,厚27㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 中央で水平に折損→修復 (正面)「(梵字)百廿五町」/建立:十方施主(一般庶民)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百廿六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高240㎝,幅33㎝,厚32㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)百廿六町」/建立:鎌倉幕府の有力者・池田忠能/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(百廿七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高270㎝,幅29㎝,厚30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百廿七町」/建立:左衛門尉・藤原景俊、鎌倉幕府の有力者・三善康有/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百二十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高245㎝,幅32㎝,厚32㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百二十八町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百廿九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高270㎝,幅30㎝,厚28㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百廿九町」/建立:鎌倉幕府の有力者・平頼綱/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百三十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高225㎝,幅30.5㎝,厚28㎝ 文永9(1272) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)百三十町」/建立:鎌倉幕府の有力者・平頼綱/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(百三十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高267㎝,幅33.5㎝,厚32㎝ 文永7(1270) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)百三十二町」/建立:引付衆・北条盛房/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百三十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高270㎝,幅32.5㎝,厚31.5㎝ 文永4(1267) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百三十三町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百三十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高258㎝,幅32㎝,厚31.5㎝ 文永4(1267) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百三十四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百三十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高225㎝,幅35㎝,厚34㎝ 文永8(1271) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百三十五町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百三十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永6(1269) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百三十六町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百三十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永8(1271) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百三十九町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百四十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永8(1271) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百四十一町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百四十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 下部で斜めに折損→修復 (正面)「(梵字)百四十三町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百四十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高195㎝,幅32.5㎝,厚32㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)百四十四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百四十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永9(1272) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)百四十八町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(百四十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 腹部亡失→別石で修復 (正面)「(梵字)百四十九町」/以下同上 3
写真 高野山・慈尊院道町石
(百五十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 上部亡失 (正面)「(梵字)百五十町」/以下同上 5
写真 高野山・慈尊院道町石
(百五十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高180㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百五十一町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百五十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高140㎝,幅32㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百五十二町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百五十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高160㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百五十三町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百五十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高180㎝,幅32.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百五十五町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百五十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百五十七町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百五十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永9(1272) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百五十八町」/建立:鎌倉幕府の御家人・安達泰盛/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百五十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永9(1272) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百五十九町」/建立:鎌倉幕府の御家人・安達泰盛/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高180㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六十町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高130㎝ 文永3(1266)→?→文永4(1267) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六十一町」、(右面)「文永三年十月四日園霊寺」→町石本体に紀年銘のあるものとしては日本で2番目に古い、(左面)「為大塔勧進上人良印也」、(背面)「(梵字)四町 二十町」/建立:覚斅(?)/後嵯峨上皇により奥の院道四町石から抜き取られて二十町石に転用→高野山の山主検校・覚伝により奥の院道二十町石から抜き取られて再転用(有力者が、少しでも空海に近い場所での町石建立を望んだため)/以下同上 1 写真
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高130㎝,幅31.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六十二町」/建立:十方檀那(一般庶民)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)かつらぎ町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高242㎝,幅31㎝ 文永8(1271) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六十三町」/以下同上 1
写真 槇尾山・桧原越道町石
(四十五丁)
まきおさん・ひばらごえ (伊都)かつらぎ町 近畿自然歩道<桧原越道> 町石 高52㎝ 江戸期   浅見峯一/近畿地方の歴史の道3p223 保存状態良好 槇尾山・桧原越道町石は遠方から現在の配置順に並べている/
(光背右)「(梵字)四十五丁」/全面に地蔵菩薩立像を陽刻/〔槇尾山・桧原越道町石は大阪府和泉市に2基、河内長野市に3基現存している〕
1
  槇尾山・桧原越道町石
(五十丁)
まきおさん・ひばらごえ (伊都)かつらぎ町 近畿自然歩道<桧原越道> 町石 高58㎝ 江戸期   近畿地方の歴史の道3p223   (光背右)「(梵字)五十丁」/全面に地蔵菩薩立像を陽刻   -
  槇尾山施福寺の丁石
(六丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (平) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高38㎝,幅15㎝,厚15㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p219/町教委   (正面)「(梵字)六丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(七丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (平) 町石(砂岩) 高51.5㎝,幅27㎝,厚26㎝ 文政10(1825)   近畿地方の歴史の道3p219/町教委 下部欠損 (正面)「(梵字)、右 まきのを道/七丁」、(右面)「右 牛瀧/左 こかわ、道」 3 -
  槇尾山施福寺の丁石
(八丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石(砂岩) 高27㎝,幅14.5㎝,厚15㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p219/町教委   (正面)「八丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(九丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高35㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p219/町教委   (正面)「(梵字)九丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(十丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高40㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p220/町教委   (正面)「(梵字)十丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(十三丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高38㎝,幅15.5㎝,厚15㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p220/町教委   (正面)「(梵字)十三丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(十五丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高36㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p220/町教委   (正面)「(梵字)十五丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(十六丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高40㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p220/町教委   (正面)「(梵字)十六丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(十七丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高40㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p220/町教委   (正面)「(梵字)十七丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(十八丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高56㎝(うち台石30㎝),幅21.5㎝,厚19㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p220/町教委   (台石正面)「(梵字)十八丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(廿一丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高35㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p221/町教委   (正面)「(梵字)廿一丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(廿二丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高40㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p221/町教委   (正面)「(梵字)廿二丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(廿三丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高38㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p221/町教委   (正面)「(梵字)廿三丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(廿四丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高37㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p221/町教委   (正面)「(梵字)廿四丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(廿五丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
高39㎝,幅15.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期?   近畿地方の歴史の道3p221/町教委   (正面)「(梵字)廿五丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(廿六丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
  江戸期?   近畿地方の歴史の道3p222/町教委   (正面)「(梵字)廿六丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(廿七丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
  江戸期?   近畿地方の歴史の道3p222/町教委   (正面)「東」、(右面)「北」、(左面)「南(梵字)廿七丁」、(背面)「西」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(廿八丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
  江戸期?   近畿地方の歴史の道3p222/町教委   (正面)「(梵字)廿八丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(二九丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
  江戸期?   近畿地方の歴史の道3p222/町教委   (正面)「(梵字)二十九丁」   -
  槇尾山施福寺の丁石
(三十丁)
まきおさん・せふく (伊都)かつらぎ町 (東谷) 町石
(尖頭角柱、砂岩)
  江戸期?   近畿地方の歴史の道3p222/町教委 下半埋没 (正面)「(梵字)三十丁」 3 -
  西飯降の条里遺構 にしいぶり (伊都)かつらぎ町   条里遺構       WEB   西飯降・妙寺・丁ノ町・笠田東・東渋田・西渋田などに残る条里遺構    
  文覚井(一ノ井) もんがくい(いちのい) (伊都)かつらぎ町 静川(穴伏川) 用水路 長約5㎞,幅約0.9m,深約0.6m 貞観3(1224)頃 県史跡 町教委 一部を除きC護岸/現役 文覚上人の名を冠する用水路だが、施主は文覚の弟子・上覚と推測される/貞観2-3(1223-1224)に取水口の設置場所を巡る堺相論を伴う開発計画があり、その時期の築造と思われる    
  移井(二ノ井) うつりゆ(にのい) (伊都)かつらぎ町 静川(穴伏川) 用水路   文治元(1185)以前   町教委 大規模な修復 桛田庄西半分の土地における中心的な灌漑用水路(文治元(1185)の桛田庄坪付帳に桛田庄西半分の開発が記されている)    
  高田井(三ノ井) たかだゆ(さんのい) (伊都)かつらぎ町 静川(穴伏川) 用水路   慶安3(1650)以前(中世後期?)   町教委 大規模な修復 慶安3(1650)の賀勢田庄絵図に記載されている用水路/移井(二ノ井)の後に開削されたと言われている    
  七郷井 ななごうい (伊都)かつらぎ町 小田井 用水路 長約5㎞ 延宝8(1680)以前   町教委/WEB/七郷井土地改良区 昭和28水害により一部流失/一部石積みの水路が残る 統合井堰の小田井から連絡水路を経て弁天谷川をサイフォンでくぐり旧来水路に接続している    
  小田井用水 おだい (伊都)かつらぎ町   用水路 長32.5㎞ 宝永4(1707)→大正8(1919)龍之渡井を木製から煉瓦アーチに改築   町教委/WEB 水路橋・サイホンは近代の改修 施主:大畑才蔵/高野口町から岩出町根来川までの総延長32.5kmの用水路/大畑才蔵の自作道具である水準測量具の「水盛台」により、3000~4000分の1という驚異的な暖勾配の精密測量が実施できた/紀の川に平行して開削されたためいくつもの河川と交差していたため、渡井(水路橋)や伏越(サイホン)による立体交差を造った→力学的に極めて高度な設計力 5
  三谷井 みたにい (伊都)かつらぎ町 小田井 用水路 長約6㎞ 明和8(1771)   WEB/三谷井土地改良区 支線のみC改修 七郷井と同地点で分水を受け、サイフォンで紀の川を渡り旧来水路に接続している    
  畑谷池 はたけたにいけ (伊都)かつらぎ町   土堰堤 長約97m 近世以前→天正17(1589)頃拡張   町教委 堰堤C改修 拡張:応其上人/池のほとりに応其上人が溜池を拡張した記念に天正17(1589)に築造された五輪塔があり、町指定有形文化財に指定されている    
  千間堤 せんげんつつみ (伊都)かつらぎ町   土堤防   寛文年間(1661-72)   町教委 土に埋もれており、外観で判別困難/堤体に果樹が植樹されている 当時舟運の着岸所にもなっていた連続堤/明治期には堤体が2段になっており、下の段に荷物が積まれていたところがあった 4
写真 丹生官省符神社の石段 にうかんしょうぶ (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕 石階段 119段,長約40m,高約20m,幅約4m (下12段)延享5(1748)→
(上107段)宝暦3(1753)
町建造 現地解説板 保存状態良好 寄進:田村伝助(下12段)    
写真 九度山の道標1 くどやま (伊都)九度山町 (遍照寺境内) 石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高150.5㎝(うち台石10㎝),幅32㎝,厚22.5㎝ 宝暦14(1764)   近畿地方の歴史の道3p231 移設(台石は砂岩) (正面)「左 槙尾道」 2
写真 九度山の道標2 くどやま (伊都)九度山町   石道標(蒲鉾型、花崗岩) 高65㎝,幅21㎝,厚15㎝ 寛政9(1797)   近畿地方の歴史の道3p231 移設/下部埋設 (正面)「右、志そんい…/まき…」 3 -
  高野山二里道標石 こうやさん (伊都)九度山町 (千石橋東詰)<高野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高147㎝,幅24㎝,厚21.5㎝ 安政4(1857) 町有形 大阪狭山市史7p138-139/近畿地方の歴史の道3p338 保存状態良好 (正面)「是ヨリ/高野山女人堂江 二里」/右面に「南無大師遍照金剛」と陰刻/河内茱萸木村(現大阪狭山市)の農民・小左衛門、五兵衛が発起人となり、堺市榎元町の十三里石から高野町神谷の一里石まで西高野街道に13基建立した道標の一つ(一里石は高野町、三里~六里石は橋本市、七里~十三里石は大阪府に現存) 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(八十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永8(1271) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 高野山・慈尊院道町石は、丁数順に並べてある/(正面)「(梵字)八十六町」/建立:少納言・藤原知継/伽藍~慈尊院に残る全180基の町石 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(八十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)八十七町」/建立:鎌倉幕府の有力者・佐々木行綱/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(九十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高198㎝,幅28㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 基部を石台石で補強 (正面)「(梵字)九十一町」/建立:鎌倉幕府の有力者・島津久清/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(九十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 基部を石台石で補強 (正面)「(梵字)九十二町」/建立:遠江守・名越篤時/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(九十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 基部を石台石で補強 (正面)「(梵字)九十三町」/建立:鎌倉幕府の有力者・二階堂行清/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(九十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高255㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)九十四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(九十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永9(1272) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)九十五町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高230㎝ 文永9(1272) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 基部を石台石で補強 (正面)「(梵字)百七町」/建立:従三位・藤原盛季の子・聖勝(僧侶)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高230㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 基部を石台石で補強 (正面)「(梵字)百八町」/建立:侍従・藤原為彰の子・空恵(僧侶)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高245㎝ 文永11(1274) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百十六町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高232㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百十九町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百二十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高300㎝ 文永7(1270) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百二十町」/建立:権大納言・藤原資季/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百四十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高190㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修/基部を石台石で補強 (正面)「(梵字)百四十五町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百四十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永10(1273) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百四十六町」/建立:中納言・久我道嗣の子・道賢(僧侶)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百四十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高180㎝,幅30.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 2ヶ所で水平に折損→修復/基部を石台石で補強 (正面)「(梵字)百四十七町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高178㎝,幅32㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六十四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高236㎝,幅30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六十五町」/建立:高野山検校・興実(僧侶)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3(1266)以降→文永4(1267)再建立 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六十六町 比丘尼法如 比丘尼妙因」、(右面)「比丘尼心阿 沙弥円仏」、(左面)「沙弥蓮覚」、(背面)「(梵字)二十町 比丘尼妙 比丘尼法」/高野山の山主検校・覚伝により奥の院道二十町石から抜き取られて移動(有力者が、少しでも空海に近い場所での町石建立を望んだため)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高221㎝ 文永7(1270) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六十七町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高249㎝,幅32.5㎝ 文永3(1266)以降→文永5(1268)再建立 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六十八町 比丘尼正智」、(背面)「(梵字)廿五町 比丘尼正智」/鎌倉幕府の有力御家人・安達泰盛により奥の院道廿五町石から抜き取られて移動(有力者が、少しでも空海に近い場所での町石建立を望んだため)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百六十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高259㎝,幅32㎝,厚30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百六十九町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百七十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高218㎝,幅32㎝,厚32㎝ 文永3(1266)以降→弘安8(1285)以前再建立 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百七十町 左衛門尉大江為氏」、(右面)「為考妣證果也」、(左面)「沙弥西願」、(背面)「(梵字)廿六町 左衛門尉大江為氏」/権大納言・藤原資季により奥の院道廿六町石から抜き取られて移動(有力者が、少しでも空海に近い場所での町石建立を望んだため)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百七十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高144㎝ 文永3(1266)以降→文永5(1268)再建立 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 下部欠損/基部を石台石で補強 (正面)「(梵字)百七十一町、沙弥/生阿…」、(左面)「蓮阿弥陀佛」、(背面)「(梵字)廿二町、沙弥念…/生阿弥…」/鎌倉幕府の有力御家人・安達泰盛により奥の院道廿二町石から抜き取られて移動(有力者が、少しでも空海に近い場所での町石建立を望んだため)/以下同上 3
写真 高野山・慈尊院道町石
(百七十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高100㎝,幅31㎝,厚30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 基部を石台石で補強 (正面)「(梵字)百七十二町」/建立:高野山安養院住・頼賢(僧侶)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百七十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高160㎝,幅31㎝,厚30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 移設(大掛かりな石基壇上) (正面)「(梵字)百七十三町」/建立:鎌倉幕府の有力者・宇都宮資信/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(百七十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高160㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百七十四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百七十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百七十五町」/以下同上 1
  高野山・慈尊院道町石
(百七十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百七十六町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百七十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百七十七町」/建立:高野山金剛三昧院長老・慶賢(僧侶)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百七十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永6(1269) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百七十八町」/建立:高野山金剛院住・明澄(僧侶)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百七十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永6(1269) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)百七十九町」/建立:六波羅探題・北条時茂/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(百八十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永9(1272) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   「(梵字)百八十町」/建立:関白・九条道家の子・勝信(僧侶)/以下同上 1
  高野山・慈尊院道町石
(下乗石)
じそん (伊都)九度山町   下乗石(御影石) 高330㎝→106㎝ 建治2(1276)? 町歴史資料 高野山町石道 慈尊院表門前に移設/折損し、上3分の1の部分のみ残存 「(梵字)下□□(下乗 法務権僧正定海?)」/築造当初は慈尊院領域入口である河岸付近にあり、高野山・慈尊院道町石(百八十町)から延長して、供養碑(現在は消失)が181町、下乗石が182町を示していた 4
写真 高野山・慈尊院道二里石 こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高220㎝,幅29㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)二里 沙門真願」、(右面)「左兵衛尉草部久知」、(左面)「為左金吾源高綱并重綱法師等」/慈尊院側から伽藍大塔方向へ、高野山・慈尊院道町石36本毎に各1本、町石と同じ形のものが計4本建っている 1
写真 高野山・慈尊院道一里石 こうやさん・じそんいん (伊都)九度山町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)一里、沙弥覚仏/沙弥覚慈」、(右面)「為忠矛出離得脱」、(左面)「藤原高行」/以下同上 1
写真 善女龍王社の橋 ぜんにょりゅうおう (伊都)高野町 高野山金剛峯寺 木桁橋 (8G) 江戸期?   WEB(石橋巡礼) 木桁の改修履歴不明 2本一対の背の低い石橋脚が等間隔で7基並び、その上に木桁橋を載せる 3
写真 高野山観光案内所前の常夜灯 こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 石常夜灯 高約2.5m 享和3(1803)   現地 中台以下C接合 基壇なし  
  西郷作水の常夜灯 にしごうさみず (伊都)高野町 <高野街道> 石常夜灯 高1.68m 文政4(1821)   大阪狭山市史7p138-139   「白石大明神」  
  高野山の地蔵道標1 こうやさん (伊都)高野町 (子継峠)<黒河道> 石道標(舟型) 高42㎝,幅20㎝,厚5㎝ 永正9(1512)   高野山町石道/県教委/WEB 木造の祠で保護/光背上部欠損 (光背左端)「香舂峠」/施主:金剛峯寺座主・重任/全面に地蔵菩薩立像(錫杖と宝珠)が陽刻/境界を示す「峠」の文字が刻まれている→高野山の入口を示す道標/座主自身が建立していることから黒河道は重要な参詣道だったことを示す/建立年が陰刻してあって年代の確定している巡礼用道標としては国内で3番目に古い〔1番は1276年の上天野の題目塔道標(和歌山)、2番は1451年の田能中畑の供養塔道標(大阪)〕 2
  高野山の地蔵道標2 こうやさん (伊都)高野町 <高野街道> 石道標   天明2(1782)   近畿地方の歴史の道3p339   (台石正面)「右 がらん/左 於くのゐん」 1  
  高野山一里道標石 こうやさん (伊都)高野町 (西郷神谷)<高野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高165㎝,幅24.5㎝,厚23㎝ 安政4(1857)   大阪狭山市史7p140-141/近畿地方の歴史の道3p338 4つの道標が並んで残存/移設 (正面)「是ヨリ/高野山女人堂江 一里」、「(南無大師遍照金剛)」/河内茱萸木村(現大阪狭山市)の農民・小左衛門、五兵衛が発起人となり、堺市榎元町の十三里石から高野町神谷の一里石まで西高野街道に13基建立した道標の一つ(二里石は九度山町、三里~六里石は橋本市、七里~十三里石は大阪府に現存) 2
  細川の道標1 ほそかわ (伊都)高野町 <高野街道> 石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高169㎝,幅46.5㎝,厚24.5㎝ 安政5(1858)   大阪狭山市史7p140-141/近畿地方の歴史の道3p338 4つの道標が並んで残存/移設 (正面)「左 志そん院 弘法大師御母公 廟所/槙の尾、大坂/ご江、粉河寺志ん四国道/紀北加田 ご江 金毘羅江ちか道」、(左面)「是ヨリ二里麓九度山村田」、(右面)「右 京 大坂 道」 2
  細川の五輪塔道標 ほそかわ (伊都)高野町 <高野街道> 石道標(一石五輪塔、花崗岩) 高155.5㎝,幅23.5㎝,厚23.5㎝ 江戸期?   大阪狭山市史7p140-141/近畿地方の歴史の道3p339 4つの道標が並んで残存/移設 (正面)「右 きやうかう」、(左面)「左、大坂□□/こま利」/上部に梵字5字を陰刻 2
  細川の道標2 ほそかわ (伊都)高野町 <高野街道> 石道標 高140㎝,幅24.5㎝,厚20.5㎝ 江戸期?   大阪狭山市史7p140-141 4つの道標が並んで残存/移設 「右 京大坂道」 2
  西郷の地蔵道標 にしごう (伊都)高野町 <高野街道> 石道標 高49㎝,幅26㎝,厚13㎝ 不詳   大阪狭山市史7p140-141/WEB   (右端)「右 これよりくまの道」/上部に梵字を陰刻/全面に地蔵菩薩立像を陽刻   -
写真 高野山・奥の院道町石
(二町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  安永2(1773) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 高野山・奥の院道町石は、丁数順に並べてある/(正面)「(梵字)二町 太上天皇」/建立:後嵯峨上皇/伽藍~奥院に残る全36基の町石/欠けた物は後世に再建されている 1
写真 高野山・奥の院道町石
(三町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  安永2(1773) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)三町 太上天皇」/建立:後嵯峨上皇/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(五町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  明和8(1771) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)五町」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(七町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  安永3(1774) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)七町」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(十二町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  明和8(1771) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)十二町」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(十四町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  明和8(1771) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)十四町」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(十五町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  明和7(1770) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)十五町」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(十六町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  明和7(1770) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)十六町」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(十七町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好/住宅の間に立っている (正面)「(梵字)十七町」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(十八町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永4(1267) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)十八町」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(十九町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  安永6(1777) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)十九町」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(二十町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永4(1267) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)二十町」/建立:高野山検校・覚伝(僧侶)/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(廿一町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)廿一町石」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(廿二町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)廿二町石」/建立:鎌倉幕府の御家人・安達泰盛/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(廿三町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3(1266) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)廿三町石」/町石本体に紀年銘のあるものとしては日本最古(文永3年2月15日)/建立:鎌倉幕府の有力者・大江忠成/以下同上 1 写真
写真 高野山・奥の院道町石
(廿四町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)廿四町石」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(廿五町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)廿五町石」/建立:鎌倉幕府の御家人・安達泰盛/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(廿六町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)廿六町石」/建立:権大納言・藤原資季/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(廿七町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)廿七町石」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(廿八町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)廿八町石」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(廿九町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)廿九町石」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(三十町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)三十町石」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(三十一町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)三十一町石」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(三十二町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  寛政3(1791) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)三十二町石」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(卅三町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  天正18(1590) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)卅三町石」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(三十四町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)三十四町石」/以下同上 1
写真 高野山・奥の院道町石
(三十五町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3(1266) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 保存状態良好 (正面)「(梵字)三十五町石」/日本で3番目に古い町石(文永3年12月28日)/以下同上 1
  高野山・奥の院道町石
(三十六町)
こうやさん (伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永4(1267) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 接近困難 (正面)「(梵字)三十六町石」/建立:後嵯峨上皇/以下同上 3
写真 高野山・慈尊院道町石
(一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  安永2(1773) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   高野山・慈尊院道町石は、丁数順に並べてある/(正面)「(梵字)一町石」/建立:執権・北条時宗/伽藍~慈尊院に残る全180基の町石 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  安永2(1773) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)二町」/建立:執権・北条時宗/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  安永7(1778) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 塔身だけで6つの部分に破損→修復 (正面)「(梵字)三町」/建立:太政大臣・西園寺実氏の子・道勝(僧侶)/以下同上 3
写真 高野山・慈尊院道町石
(四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  安永6(1777) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 上部でほぼ水平に折損→修復 (正面)「(梵字)四町」/建立:執権・北条政村/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  安永2(1773) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)六町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 昭和35頭部補修/下部埋設 (正面)「(梵字)七町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修/下部埋設 (正面)「(梵字)八町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)九町」/建立:鎌倉幕府の有力者・佐々木正義/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)十町」/建立:執権・北条時宗/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)十二町」/建立:鎌倉幕府の御家人・安達泰盛/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)十三町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)十四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)十五町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)十六町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永7(1270) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)十七町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永7(1270) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)十八町」/建立:右大臣・西園寺公基の子・実宝(僧侶)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永7(1270) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)十九町」/建立:少将・藤原兼季の子・覚経(僧侶)/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(二十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永7(1270) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)二十町」/以下同上 1
  高野山・慈尊院道町石
(廿一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永7(1270) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)/九度山町教委 水輪部以上再接合 (正面)「(梵字)廿一町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(廿三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)廿三町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(廿五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)/九度山町教委 水輪部以上再接合 (正面)「(梵字)廿五町」/建立:六波羅探題・北条義宗/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(廿六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)/九度山町教委 腹部折損 (正面)「(梵字)廿六町」/建立:六波羅探題・北条義宗/以下同上 3
写真 高野山・慈尊院道町石
(廿七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高135㎝,幅32.1㎝,厚31.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)廿七町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(廿八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)廿八町」/建立:織部正・和気経成/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(廿九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高190㎝,幅29.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)廿九町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(三十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高156㎝,幅29㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 空・風・火・水輪は後補/下部埋設 (正面)「(梵字)三十町」/建立:十方施主(一般庶民)/以下同上 4
写真 高野山・慈尊院道町石
(三十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)三十一町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(三十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  弘安4(1281) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 昭和35頭部補修 (正面)「(梵字)三十二町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(三十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 上部で折損→修復/基部を別石で修復 (正面)「(梵字)三十三町」/以下同上 3
写真 高野山・慈尊院道町石
(三十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)三十四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(三十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)三十五町」/建立:鎌倉幕府の有力者・池田奉道/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(三十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)三十六町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(三十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高200㎝,幅29.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)三十七町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(三十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高175㎝,幅29.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)三十八町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(三十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 昭和35頭部補修/下部埋設 (正面)「(梵字)三十九町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(四十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永7(1270) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)四十町」/建立:鎌倉幕府の御家人・少弐経資/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(四十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高170㎝,幅32㎝ 文永3(1266)以降→弘安8(1285)以前再建立→弘安8(1285)以前転用 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)四十一町 左近将監平朝臣 宗政」、(背面)「(梵字)二十一町 沙弥西雄」/比丘尼性明、沙弥良智により奥の院道二十一町石から抜き取られて移動→四十一町石としても北条宗政(正面に刻字されていた左近将監平朝臣宗政のこと)により転用/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(四十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3(1266)以降→弘安8(1285)以前再建立→弘安8(1285)以前転用 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)四十二町 左近将監平朝臣 宗政」、(背面)「(梵字)二十四町 金剛佛子聖翁」/比丘尼信阿・観阿他10名により奥の院道二十四町石から抜き取られて移動→四十二町石としても北条宗政(正面に刻字されていた左近将監平朝臣宗政のこと)により転用/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(四十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)四十三町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(四十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永8(1271) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)四十四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(四十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高200㎝,幅32㎝,厚31㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)四十五町」/建立:鎌倉幕府の御家人・宇都宮景綱/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(四十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)四十六町」/建立:鎌倉幕府の有力者・大友頼泰/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(四十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高200㎝,幅30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)四十七町」/建立:六波羅探題・北条時盛/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(四十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)四十八町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(四十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高205㎝,幅32㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)四十九町」/建立:鎌倉幕府の御家人・安達時盛/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(五十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高220㎝,幅31.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)五十町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(五十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高250㎝(根部75㎝),幅30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)五十一町」/建立:鎌倉幕府の御家人・二階堂行綱/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(五十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高205㎝,幅31.5㎝,厚26.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)/九度山町教委 頭部補修/近接移設 (正面)「(梵字)五十二町」/建立:鎌倉幕府の有力者・佐々木氏信/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(五十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高205㎝,幅32㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)五十四町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(五十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)五十五町」/建立:鎌倉幕府の有力者・諏訪盛経/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(五十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高170㎝,幅31㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)五十六町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(五十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)五十七町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(五十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)五十八町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(五十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高196㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)五十九町」/以下同上 1
  高野山・慈尊院道町石
(六十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永7(1270) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)六十町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(六十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)六十一町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(六十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)六十二町」/建立:連署・北条業時/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(六十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)六十四町」/建立:権大納言・二条為氏/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(六十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)六十五町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(六十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)六十六町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(六十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 下部折損→修復 (正面)「(梵字)六十七町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(六十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)六十八町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(六十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)六十九町」/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(七十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)七十一町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(七十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)七十三町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(七十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高220㎝,幅30㎝ 文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 下部埋設 (正面)「(梵字)七十四町」/建立:鎌倉幕府の有力者・大江時秀/以下同上 2
写真 高野山・慈尊院道町石
(七十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高251㎝,幅30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)七十五町」/建立:鎌倉幕府の有力者・大江時秀/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(七十六町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)七十六町」/建立:引付頭人・名越時基/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(七十七町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永5(1268) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)七十七町」/建立:鎌倉幕府の御家人・足利家時/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(七十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高251㎝,幅30㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)七十八町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(七十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高256㎝,幅30.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)七十九町」/建立:鎌倉幕府の有力者・少弐景頼/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(八十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高269㎝,幅29㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)八十町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(八十一町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高235㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)八十一町」/建立:鎌倉幕府の御家人・安達顕盛/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(八十二町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高251㎝,幅31㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)八十二町」/建立:鎌倉幕府の有力者・小山時長/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(八十三町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!) 大正2頭部補修 (正面)「(梵字)八十三町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(八十四町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)八十四町」/以下同上 1
  高野山・慈尊院道町石
(八十五町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)八十五町」/建立:鎌倉幕府の有力者・二階堂行有/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(八十八町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)八十八町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(八十九町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高263㎝,幅30㎝ 文永8(1271) 国史跡/
世界遺産
WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)八十九町」/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道町石
(九十町石)
こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高260㎝,幅31㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)九十町」/建立:評定衆・北条時広/以下同上 1
写真 高野山・慈尊院道四里石 こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
  弘安元(1278) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   「(梵字)四里 藤原長宗」、(右面)「為祖父秋田城介藤原義景」、(左面)「弘安元年十月日」/慈尊院側から伽藍大塔方向へ、高野山・慈尊院道町石36本毎に各1本、町石と同じ形のものが計4本建っている 1
写真 高野山・慈尊院道三里石 こうやさん・じそんいん (伊都)高野町 <高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
高180㎝,幅29.5㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!)   (正面)「(梵字)三里、沙弥行仏/沙弥道禅」、(右面)「沙弥妙仏…」、(左面)「源氏女…」、(背面)「比丘尼妙心…」/以下同上 1
  佐々の井 ささのゆ (海草)紀美野町 貴志川 用水路 長約6.4㎞ 承応3-元文3(1654-1738)   WEB C改修/一部ヒューム管化 施主:井沢弥惣兵衛 4
  大沼大橋の板石 おおぬま (西牟婁)上富田町 <熊野街道>/<惣田川> 橋桁 高300㎝,幅122㎝,厚28㎝ 宝暦8(1758) 町史跡 町教委/和歌山県文化財目録p111 大正期の河川改修により板石を耕地整理記念碑化 表面に轍が二条残っており、かつて橋であったことを示している 4
  市ノ瀬の道標 いちのせ (西牟婁)上富田町 (上平野)<熊野街道> 石道標
(自然石、砂岩)
高69㎝,幅32㎝,厚13㎝ 宝永4(1707)   近畿地方の歴史の道3p84   (正面)「(梵字)これよりみき きよ三つ」 1 -
  生馬の供養塔道標
(鹿供養塔)
いくま (西牟婁)上富田町 <宇津木越> 石道標
(自然石、砂岩)
高75㎝,幅40㎝ 寛政7(1795) 町史跡 町教委/WEB   (正面)「右 うつぎミチ/左 たまでミチ」/地元の亀吉という者が獣千頭の命を奪ったことに対する供養塔が道標の役目を兼ねたもの/江戸時代の獣の供養塔は県下でも珍しい 2
  市ノ瀬鉱山坑道・跡 いちのせ (西牟婁)上富田町   銀鉱山   明和3(1766) 町史跡 町教委/和歌山県文化財目録p111 立入禁止 明和3(1766)から吹職人60-70人が入り込み、銀の採掘をしていた 3  
  安居用水・暗渠 あご (西牟婁)白浜町 日置川 水路・水路トンネル 水路長1.5㎞,長237m,深2.7m,幅1.2-1.8m 文化2(1805) 町史跡 町教委/WEB/和歌山県文化財目録p111 一部用水が残る/暗渠、水路ともにC改修+ヒューム管化 日置川から流れ込んだ水が、高低差によって寺山や安居に流れる仕組みになっている/水路と暗渠碑とも町史跡指定 4
写真 南白浜の海岸防潮林 みなみしらはま (西牟婁)白浜町   海岸防潮林 長約1㎞,幅40m 宝永4(1707)以前?   西牟婁郡南富田村郷土誌 ほとんどが近代の補植 資料には「寛永の津波の頃より、漸次樹林を伐採」との記述→寛永には津波がないので宝永の誤記と思われる 4
  長井坂 ながい (西牟婁)すさみ町 <熊野古道> 道路   近世 国史跡/
世界遺産
WEB/町教委   古道の途中には、二箇所にわたって「段築」が構築/段築は、分水領となる丘陵部を土手状に整形し、古道平面のレベルを一定に保ち、降水による土砂の流出を防いで通行をスムーズにしたものと考えられるが、官道としての古道の構築や管理維持上からみて、極めて重要な事例    
  見老津の道標 みろづ (西牟婁)すさみ町 <熊野街道・大辺路> 石道標
(板碑形、砂岩)
高68㎝,幅21㎝,厚20.5㎝ 江戸期   近畿地方の歴史の道3p90/WEB 笠部欠損/下部埋没 (正面)「みぎハ やまみち/ひだ里ハ くまのみち」/上部に屋根型の笠 3 -
写真 周参見の防潮堤 すさみ (西牟婁)すさみ町   石防潮堤 長370m→約270m
,高2.4m(当時)
宝永4(1707)以降   和歌山県史蹟名勝天然記念物調査報告15p344-345 生活道路化/場所により石垣の保存状態に差がある(近代の改修部分も多い) 宝永の南海地震(1707)後に、周参見組大庄屋の谷三郎左衛門が租税を用いて構築/津波と日常の防潮用 2-3
      (東牟婁)北山村                    
  熊野古道大辺路の石畳 くまの・おおへち (東牟婁)串本町 <熊野古道> 石畳道 長約150m 江戸期? 国史跡/
世界遺産
県教委 保全整備 熊野参詣道・大辺路にあった石畳道 2
  姫の地蔵道標 ひめ (東牟婁)串本町 <熊野街道> 石道標
(舟型、砂岩)
高82㎝(うち台石16㎝),幅36㎝ 享保12(1727)   近畿地方の歴史の道3p91/WEB C造祠で保護 (正面右端)「右ハわかやまみち」、(正面左端)「左ハみさきみち」/正面中央に地蔵菩薩坐像が陽刻 1
  有田の地蔵道標 ありだ (東牟婁)串本町 <熊野古道・大辺路> 石道標
(舟型、砂岩)
高78㎝ 享保12(1727) 町史跡 和歌山県文化財目録p113/町教委 保存状態良好 (右端)「右はわかやま」、(左端)「左はいそみち」/正面中央に地蔵菩薩坐像が陽刻 1 -
  有田の道標 ありだ (東牟婁)串本町 (貝岡)<熊野古道・大辺路> 石道標 高約150㎝ 文久2(1862) 町史跡 WEB/町教委 移設ののち原位置付近に再設置 (正面)「左 いせみち」、(右面)「右 やまみち」/大辺路の道標で唯一「いせみち」と刻まれている道標→伊勢参りとの関連がうかがえる貴重な遺産 2
  高池の渡船碑 とせんひ (東牟婁)古座川町 <古座街道>/<池野山川> 舟繋石(2基) (1)高96㎝,幅53㎝,厚35㎝
(2)高96㎝,幅76㎝,厚35㎝
享保8(1723) 町史跡 町教委/WEB 片岸に並べて移設(C基壇上) 施主:池口村古座組大庄屋中西勝応/「願以比功徳普及於一切我等与衆生皆共成仏道」と陰刻/正面上部に地蔵菩薩が陽刻されている/池野山川渡船場の両岸に1基ずつあった舟繋石とみられている 3
  直見の猪垣 ぬくみ (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 長約550m 江戸期   町教委     2
  中崎の猪垣 なかざき (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁)   江戸期   町教委 風化が進んでいる 掘割で囲まれている 3  
  峯の猪垣 みね (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 小規模 江戸期   町教委 風化が進んでいる   3 -
  蔵土の猪垣 くろず (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 長約50m 江戸期   町教委 風化が進んでいる   3 -
  三尾川の猪垣1 みとがわ (東牟婁)古座川町 (小節川) 猪垣(石塁) 長約400m 江戸期   町教委 風化が進んでいる   3
  三尾川の猪垣2 みとがわ (東牟婁)古座川町 (中村) 猪垣(石塁)   江戸期   町教委     2  
  南平の猪垣 なべら (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 3ヶ所(小規模) 江戸期   町教委 風化が進んでいる 集落内 3
  長追の猪垣 ながおい (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 小規模 江戸期   町教委 風化が進んでいる   3 -
  山手の猪垣 やまて (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 長約450m 江戸期   町教委     2
  大桑の猪垣 おおぐわ (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 小規模 江戸期   町教委 風化が進んでいる   3 -
  田川の猪垣 たがわ (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁)   江戸期   町教委 風化が進んでいる 掘割になっている 3  
  佐田の猪垣 さだ (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 小規模 江戸期   町教委 風化が進んでいる   3 -
  添野川の猪垣 そいのがわ (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 長約200m 江戸期   町教委 風化が進んでいる   3
  平井の猪垣 ひらい (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 4ヶ所(小規模) 江戸期   町教委 風化が進んでいる   3 -
  西川の猪垣 にしかわ (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 長約200m 江戸期   町教委 風化が進んでいる   3
  成川の猪垣 なるかわ (東牟婁)古座川町   猪垣(石塁) 長約250m 江戸期   町教委 風化が進んでいる   3
  燈明崎の狼煙場・跡 とうみょうざき (東牟婁)太地町 (燈明崎) 古式捕鯨   江戸期 町史跡 町教委/WEB 石積みの台が残る 山見で鯨を見つけた時、沖合番所で待機している勢子船と、地方に待機している網船や持双船に、鯨の見えた方向を知らせる3ヶ所の狼煙場の1つ 3
写真 梶取崎の狼煙場・跡 かじとりざき (東牟婁)太地町 (梶取崎) 古式捕鯨   江戸期 町史跡 町教委/WEB 石積みの台が残る 同上 3
  高塚の狼煙場・跡 たかつか (東牟婁)太地町 (高塚) 古式捕鯨   江戸期 町史跡 WEB 石積みの台が残る 燈明崎・梶取崎の各山見から狼煙を受けて狼煙を上げ、鯨の種類や突き捕ったことなどの状況を布旗やむしろ旗を使って知らせる山見相互の連絡をしていた狼煙場 3
写真 燈明崎の山見台 とうみょうざき (東牟婁)太地町 (梶取崎) 古式捕鯨   江戸期 町史跡 町教委/WEB 石積みの山見台を復元 広大な海上で捕鯨を行う際に、全体を見渡せる高い位置から船団に指令を出していた総指揮所 2
写真 燈明崎の灯明台 とうみょうざき (東牟婁)太地町 (燈明崎) 古式捕鯨   寛永13(1636)   WEB 後代の灯籠型の絵図を参考に復元 1夜に3~4合の鯨油を使用して回船の標準を示した灯明台/後代に行灯型から灯籠型に変えられた 4
写真 燈明崎の山見番所 とうみょうざき (東牟婁)太地町 (燈明崎) 古式捕鯨   江戸期   WEB 平成4に古式捕鯨絵図を参考にして復元 捕鯨を行う上で山見相互間の連絡と海上の勢子船、網船などに指令を与えるため、太地浦(太地町)の5ヶ所に建てられた山見番所の1つ 4
写真 那智滝の石段 なち (東牟婁)那智勝浦町   石階段(花崗斑岩) 長約100m 鎌倉期? 国史跡/
世界遺産
和歌山県文化財目録p116 保全整備/那智滝を見るための観光客が必ず通るルート 那智の滝に降りていく階段/新宮市の神倉神社の石段などと一緒に造営されたとの伝承がある/神倉神社の石段と比べると造り方にかなり差があるが、時代の違いと見るか造り手の違いと見るかは微妙なところ 2
写真 大門坂 だいもん (東牟婁)那智勝浦町 <熊野古道> 石畳道・石階段
(砂岩)
杉並木
全長654m 嘉永4-7(1851-54)頃? 国史跡/
世界遺産
WEB 保全整備/杉並木とのコンビネーションが見事/熊野古道の面影をもっとも美しく残している石畳道 那智大社の嘉永の造営にあわせ新たに造営されたと推定するのが最も妥当と考えられている(それ以前にも、何らかの石敷はあったかもしれない)/上記の「那智滝の石段」と石材や石の使い方が異なるので、幕府が関与した外部の普請の可能性が高いが史料は残っていない 1 写真
写真 浜ノ宮の道標1 はまのみや (東牟婁)那智勝浦町 <熊野街道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高65.5㎝,幅24㎝,厚22㎝ 享保13(1728)   近畿地方の歴史の道3p92 原位置 (正面)「右、順禮/大遍ろ、道」 1 -
  浜ノ宮の道標2 はまのみや (東牟婁)那智勝浦町 (浜田)<熊野街道> 石道標
(自然石、花崗岩)
高140㎝,幅55㎝,厚50㎝ 宝暦4(1754)   近畿地方の歴史の道3p92   (右面)「右 じゅんれい道」/正面に「(梵字)奉納大乗妙典六十六部日本廻国」と刻まれている 1
  那智山の道標1 なちさん (東牟婁)那智勝浦町 <熊野街道> 石道標
(駒型、花崗岩)
高190㎝,幅40㎝,厚20.5㎝ 天保7(1836)   近畿地方の歴史の道3p86   「左 妙法山、大雲/かけぬけ道」 1
写真 那智山の道標2 なちさん (東牟婁)那智勝浦町 (大雲取越登口)<熊野街道> 石道標
(舟型、花崗岩)
高150㎝,幅49㎝,厚40㎝ 安政3(1856)   近畿地方の歴史の道3p86 原位置 (正面)「是より、大くもとり坂/きみゐてら道」 1
  妙法山阿弥陀寺の道標1 みょうほうざんあみだ (東牟婁)那智勝浦町 (奥之院大師堂別道)<妙法山阿弥陀寺参道> 石道標
(自然石、花崗岩)
高280㎝(うち台石45㎝),幅26.5㎝,厚22.5㎝ 弘化3(1846)   近畿地方の歴史の道3p88   (正面)「従是奥之院 八丁」 1
  妙法山阿弥陀寺の道標2 みょうほうざんあみだ (東牟婁)那智勝浦町 (大師堂前)<妙法山阿弥陀寺参道> 石道標
(蒲鉾型、砂岩)
高189㎝(うち台石30㎝),幅26.5㎝,厚22.5㎝ 嘉永5(1852)   近畿地方の歴史の道3p88 二材に折損(台石は花崗岩) (正面)「右、ほんぐう/きみいてら、みち」 2
  中里用水路 なかさと (東牟婁)那智勝浦町   用水路   宝永6(1709)   町教委        
  長井農業用水路 ながい (東牟婁)那智勝浦町   用水路   宝永年間(1704-10)以前   町教委 小規模な修復      
  与根子池 よなご (東牟婁)那智勝浦町   土堰堤 長約72m 正徳元(1711)   町教委 当時のまま      
  奥池 おく (東牟婁)那智勝浦町   土堰堤 長約30m 安政年間(1854-59)   町教委 小規模な修復      
  粉白池 こおしろ (東牟婁)那智勝浦町   土堰堤   江戸期   町教委 昭和39改修      
写真 市野々の郷倉・跡 いちのの (東牟婁)那智勝浦町   郷倉(石蔵造)
(2軒)
  江戸期 町史跡 町教委 石壁の下部が残存 壁の部分が石積で造られた郷倉は全国でも類を見ない(天井部分の構造は不明) 3
写真 高津気の猪垣 こうづけ (東牟婁)那智勝浦町   猪垣(石塁) 長約4㎞,高1.5m,幅1m 江戸期?   WEB/町教委 区民により保全整備 杉林内の斜面に良好な形で残る長大な猪垣/木戸跡5ヶ所、猪つぼ4ヶ所とともに現存 1
  那智銅山 なち (東牟婁)那智勝浦町   鉱山   天正8(1580)以前   町教委 大規模な修復 近世から昭和にかけて大規模な鉱山経営がなされた    
写真 大門坂の石丁場・跡 だいもん (東牟婁)那智勝浦町 大門坂駐車場・県道脇 石丁場(砂岩)   嘉永4-7(1851-54)頃?   阪口圭一 矢穴跡がよく残る 上記「大門坂」の石畳・石階段の築造に使用(年代は大門坂に合わせてあるが正しいかどうかは不明)/砂岩の矢穴跡は珍しい 2
写真 尻剣谷の精錬窯・跡 しりけんたに (東牟婁)那智勝浦町 那智川右岸支流尻剣谷の右岸 焼窯(9基×2列)   江戸中期頃?   阪口圭一 ほぼ原形を留める 黄銅鉱を精錬し純度の高い銅を取り出すため硫黄分を焙焼して取り除く焼窯/全国最大級 1 写真
  島田の地蔵道標 しまだ (日高)印南町 (橋が谷)<熊野街道> 石道標
(舟型、砂岩)
高75㎝(うち台石17.5㎝),幅30㎝,厚17㎝ 文政2(1819)   近畿地方の歴史の道3p82 台石下部埋没 (光背右)「右 きミ井寺」、(同左)「是より 十四り」/光背中央に地蔵○像(詳細不明) 2
  島田の狼煙山 しまだ (日高)印南町   狼煙場 面積約264㎡,高約40㎝ 元禄7(1694)以前 町史跡 WEB   三角形状に土盛りが配置され、往時はその中で狼煙を焚いたと伝えられている    
  鹿ヶ瀬峠石畳 しかがせ (日高)日高町 鹿ヶ瀬峠<熊野古道> 石畳道 長503m,幅1.0m 近世 町史跡 町教委/WEB 昭和63年に修復 熊野古道の中で、連続して残る石畳としては最大級 2
  大池   (日高)日高町   土堰堤 長約240m,面積2.5ha 元禄元(1688)   町教委/WEB C改修 施主:五郎右衛門 4
  若野井堰 わかの (日高)日高川町   用水路 長約6.1㎞ 寛永9(1632)   WEB/県農業農村整備課 全てC改修 施主:平井正次/昭和22年、六郷、 若野、 野口の3井堰統合により現在の若野井堰となる/昭和28年、県営復旧事業により造築 5
  鴨尽池(釜尽池) かまづくし (日高)日高川町   土堰堤 長83.5m→75m、高10.5m→9.2m 寛文4(1664)   WEB C改修 人柱になろうとした老人に対し「命は尊いもの、その命の次に大切なもの、それは命を支える釜だということで、家の釜を埋めよう」と村中の釜を出し尽くして完成させた溜池 4
      (日高)みなべ町                    
写真 煙樹ヶ浜の防潮林 えんじゅがはま (日高)美浜町   防潮林 長約3.9㎞,幅約500m 元和5(1619)頃 日本の白砂青松100選 WEB 現存する松のほぼ全てが補植 初代紀州藩主徳川頼宣が整備した防潮林/元和5(1619)頃より伐採が禁じられ、昭和24(1949)松本栄次郎が補植する等、往時より地元住民から厚く保護されていた/現在でも魚付保安林として漁業に貢献していると言われている 4 写真
写真 煙樹ヶ浜の汐土手・跡 えんじゅがはま (日高)美浜町   防潮堤? 長100m 江戸期?   県立博物館 当初の目的・規模とも不明 防潮林の中に残存/静岡県沼津市の「一本松の汐土手・跡」と類似しているため収録 3
写真 浜ノ瀬の津浪警告碑 はまのせ (日高)美浜町 (浜ノ瀬公民館) 津波記念碑
(安政南海地震)
高120㎝,幅58㎝,厚18㎝ 文久2(1862)   町教委/現地解説板 台石C接合 施主:庄屋・木村理三郎/(正面頂部)「津/浪/之/紀/事」、(正面その下)「後世もし大なる地震の時は必ず津浪起ると/心得て濱中の人々は大松原の小高き所え集り/居るべしさ阿れば高波の患へはた地震の恐れ/なかるべし船などにては遁んとすべからず諸人/此事をゆるがせに思ましきもの也/因に曰 嘉永七寅年霜月五日の大地震続/いて津浪起り来れり初め地震を避んとして舟に/乗り川内に浮び居し輩沈没せし事誠に嘆はしよ/つて後世の爲に其あらましを録し畢ぬ」(漢字、仮名、改行位置に間違いの可能性あり)/嘉永7(1854)の大地震の際に起きた事故からの教訓として、「大地震の時には必ず津波が来ると考えて、大松原のなかの高台に避難せよ、地震の避難に船は使うな」との銘文が刻まれている

2

      (日高)由良町