香川県

写真 名称 ふりがな 区市町村 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 西ハゼ町の金毘羅常夜灯 にしはぜ 高松市 <丸亀「街道」・高松道> 石常夜灯 高3.68m 天明7(1787)   歴史の道1p21・63/同7p21・79 原位置 (竿正面)「金毘羅大權現」、(台石正面)「寓人講中」、(台石左面)「坂田村」/石工: 伊八郎/基壇なし 1
写真 出作町の金毘羅常夜灯 しゅっさく 高松市 <讃岐国往還> 石常夜灯 高4.50m 寛政6(1794)   歴史の道10p11・61 移設 (竿正面)「金毘羅奉燈」/(台石右面)「萬人講中」/基壇なし 2
写真 屋島中町の金毘羅常夜灯
(元・国分寺町の金毘羅常夜灯)
やしまなか
(こくぶんじ、しんみょう)
高松市 四国村<滝宮道> 石常夜灯 高4.09m(基壇含まず) 寛政6(1794) 国登録 歴史の道7p10・15 移設→斜めの石基壇は候補(全高に含めず) (竿正面)「金毘羅大權現」/台石に15ヶ所の講中名が陰刻 2
写真 国分寺町福家の金毘羅常夜灯1 こくぶんじ、ふけ 高松市 <滝宮道> 石常夜灯 高2.45m 寛政6(1794)   歴史の道7p10・16 個人宅(柵内) (竿正面)「金毘羅奉燈」/基壇なし 3
  香川町安原下の金毘羅常夜灯 かがわ、
やすはらしも
高松市 <仏生山「街道」> 石常夜灯 高1.92m 寛政8(1796)   歴史の道4p16・35 原位置 (竿正面)「金毘羅大權現」/基壇なし 1
写真 国分寺町国分の金毘羅常夜灯 こくぶんじ、こくぶ 高松市 <へんろ道> 石常夜灯 高2.47m 寛政8(1796)   歴史の道6(1)p37
、(2)p70
原位置 (竿右面)「金毘羅大權現」、(竿)「日向王」/基壇なし 1
写真 川島東町の常夜灯 かわしまひがし 高松市 <讃岐国往還> 石常夜灯 高2.50m 寛政8(1796)   歴史の道10p61 原位置? (竿右面)「萬人講中」 1
写真 飯田町の金毘羅常夜灯 いいだ 高松市 <丸亀「街道」・
伊予「街道」>
石常夜灯 高3.38m 寛政9(1797)   歴史の道1p17・62
/同3p57
原位置 (竿正面)「金毘羅大權現」、(台石裏)「瓦町」/石工: 金兵衛/基壇なし 1
  円座町の金毘羅常夜灯 えんざ 高松市 <高松道> 石常夜灯 高2.17m 寛政9(1797)   歴史の道7p23・79
/WEB
成合橋東詰→移設 (竿正面)「金毘羅奉燈」/基壇なし/下記「円座町の道標」と同所 2
  鬼無町鬼無の金毘羅常夜灯 きなし、
きなし
高松市 <丸亀道・伊予「街道」> 石常夜灯 高2.91m 寛政9(1797)?   歴史の道1p17-18
/同3p57
補修・移設/移築後、モルタル・鉄板で修復され、火袋をコンクリートに、宝珠を御影石で後補 (竿正面)「金毘羅大權現」、(竿左面)「笠井村中」 3
写真 十川東町の金毘羅常夜灯 そがわひがし 高松市 <讃岐国往還> 石常夜灯 高2.62m 寛政9(1797)   歴史の道10p60 空地に移設?/火袋→石塊 (笠正面)「金」、(竿正面)「奉燈」、(竿右面)「十河村東万人講中」 3
写真 牟礼町牟礼の金毘羅常夜灯 むれ、むれ 高松市 <志度道> 石常夜灯 高2.00m 寛政10(1798)   歴史の道8p18・82 原位置 (竿正面)「金」/竿=円柱状/基壇なし 1
  東山崎町の金毘羅常夜灯 ひがしやまさき 高松市 <志度道> 石常夜灯 高1.90m 寛政10(1798)   歴史の道8p46・88 原位置 (竿正面)「金」 1
  東ハゼ町の金毘羅常夜灯 ひがしはぜ 高松市 <丸亀「街道」・高松道> 石常夜灯 高2.41m 享和2(1802)   歴史の道1p20・62
/同・p21・79
家の軒にひっつくように残る (竿正面)「金毘羅大權現」、(竿左面)「江戸御供講中」 2
写真 一宮町の金毘羅常夜灯 いちのみや 高松市 <讃岐国往還> 石常夜灯 高2.88m 文化2(1805)   歴史の道10p62 原位置? (竿正面)「金毘羅大權現奉燈」/石工: 岩住長恒/基壇なし 1
  三谷町の金毘羅常夜灯 みたに 高松市 <讃岐国往還> 石常夜灯 高2.20m 文化3(1806)   歴史の道10p61 移設→個人宅 (竿正面)「金」 4
  牟礼町原の常夜灯 むれ、はら 高松市 <へんろ道> 石常夜灯 高2.00m 文化5(1808)   歴史の道6(2)p78 現況不明    
写真 国分寺町柏原の金毘羅常夜灯 こくぶんじ、かしはら 高松市 <滝宮道> 石常夜灯 高2.37m 文化7(1810)   歴史の道7p10・15 保存状態良好 (竿正面)「觀世音菩薩/金毘羅大權現/八幡」/基壇なし 1
  国分寺町福家の金毘羅常夜灯2 こくぶんじ、ふけ 高松市 <伊予「街道」・へんろ道・滝宮道・讃岐国往還> 石常夜灯 高2.70m 文化8(1811)   歴史の道3p58/同7p10・16/同10p63 保存状態良好 (竿正面)「金毘羅大權現」/基壇なし 1
写真 国分寺町新居の金毘羅常夜灯 こくぶんじ、にい 高松市 <丸亀「街道」・
伊予「街道」>
石常夜灯(自然石) 高2.41m 文化9(1812)   歴史の道1p25・64
/同3p57
保存状態良好 (竿正面)「金」/基壇なし 1
写真 木太町の金毘羅常夜灯 きた 高松市 <志度道> 石常夜灯 高約2.5m 文化11(1814)   歴史の道8p15・81 保存状態良好 (宝珠正面)「金」/基壇なし 1
写真 国分寺町福家の金毘羅常夜灯3 こくぶんじ、ふけ 高松市 <高松道> 石常夜灯 高1.88m 文化12(1815)   歴史の道7p28・80 個人宅(道に面する) (竿正面)「金毘羅大權現」/基壇なし 3
写真 岡本町の金毘羅常夜灯 おかもと 高松市 <高松道> 石常夜灯 高2.85m 文化15(1818)   歴史の道7p80 原位置から5mほど西へ移設 (笠裏面)「金」、(竿)「象頭山大權現」 1
  壇紙町の金毘羅常夜灯 だんし 高松市 <へんろ道> 石常夜灯(自然石) 高2.00m 文政3(1820)   歴史の道6(1)p73
、(2)p75
保存状態良好 (竿正面)「金」 1
  国分寺町国分の常夜灯1 こくぶんじ、こくぶ 高松市 <へんろ道> 石常夜灯 高1.24m 文政8(1825)   歴史の道6(2)p71 笠・竿が欠落 (竿正面)「三宝大荒神/想氏子」 3
  城東町の常夜灯 じょうとう 高松市   石常夜灯 高3.33m 文政8(1825)   歴史の道11p59 現況不明    
  成合町の金毘羅常夜灯 なりあい 高松市 <高松道> 石常夜灯 高1.94m 文政13(1830)   歴史の道7p23・79 個人宅の庭に移設 (竿正面)「金毘羅」/基壇なし 3
写真 太田上町の金毘羅常夜灯 おおたかみ 高松市 <仏生山「街道」> 石常夜灯 高3.03m 天保2(1831)   歴史の道4p12・35 保存状態良好 (竿左面)「金毘羅大權現」/基壇なし 1
写真 西春日町の金毘羅常夜灯 にしかすが 高松市 <丸亀「街道」・高松道> 石常夜灯(自然石) 高2.15m 天保6(1835)   歴史の道1p21・63
/同7p22・79
宝珠欠落/C補修 (火袋正面)「金」 3
  塩江町安原下の常夜灯 しおのえ、
やすはらしも
高松市 <仏生山「街道」> 石常夜灯 高3.20m 弘化4(1847)   歴史の道4p18・35 保存状態良好   1
  国分寺町新名の金毘羅常夜灯 こくぶんじ、しんみょう 高松市 <滝宮道> 石常夜灯(自然石) 高3.20m 弘化5(1848)   歴史の道7p10・16 移設? (竿右面)「春日大明神/金毘羅大權現」/基壇なし 2
写真 香川町浅野の金毘羅常夜灯 かがわ、あさの 高松市 八王子神社
<仏生山「街道」>
石常夜灯 高3.00m 弘化5(1848)   歴史の道4p15・35 赤坂道の道端部落→八王子神社に移設 (竿左面)「金」、(竿右面)「八王子」、(台石正面)「安西荒道端中洲惣講中」/猫脚/基壇あり 2
写真 屋島中町の常夜灯 やしまなか 高松市 四国村 石常夜灯 高3.79m
(うち、基壇1.12m)
安政2(1855) 国登録 現地 保存状態良好 猫脚 2
写真 鬼無町の常夜灯 きなし 高松市 <丸亀「街道」・
伊予「街道」>
石常夜灯(自然石) 高2.55m 安政2(1855)   歴史の道1p18・62
/同3p57
保存状態良好 基壇なし 1
  国分寺町福家の金毘羅常夜灯4 こくぶんじ、ふけ 高松市 <高松道> 石常夜灯(自然石) 高約3.0ⅿ 安政5(1858)   歴史の道7p28・80 個人宅内(立入不可)/笠石と火袋は後補 (笠正面)「金」/猫脚 5
  木太町の常夜灯 きた 高松市 <長尾道> 石常夜灯 高2.23m 安政5(1858)   歴史の道8p88 木太小学校の西100mの橋にあった→移設 (台石正面)「大橋」/木の橋から石橋になったことを記念して建立 2
写真 東山崎町の常夜灯 ひがしやまさき 高松市 <長尾道> 石常夜灯 高3.92m 万延元(1860)   歴史の道8p88 現況不明 (竿右面)「村中安全」  
写真 西山崎町の金毘羅常夜灯 にしやまさき 高松市 山崎八幡宮<高松道> 石常夜灯 高5.80m
(うち、基壇1.30m)
文久元(1861)   歴史の道7p25・80 昭和12改築→昭和55に移設/火袋に金属格子 (笠正面)「山」、(笠右面)「天」、(笠左面)「石」、(笠裏面)「金」、(台石右面)「石工/太吉」/笠4面に唐破風突起(その中に、前記「山」{天」「石」「金」の各文字が、円形台の上に陽刻/中台4面に花の浮彫/猫脚 2
写真 国分寺町国分の常夜灯2 こくぶんじ、こくぶ 高松市 <丸亀「街道」・
伊予「街道」>
石常夜灯(自然石) 高4.56m 慶応2(1866)   歴史の道1p26・64
/同3p58
保存状態良好 大型の自然石常夜灯/建立: 近くの中西集落 1
写真 亀水町の真念道標 たるみ 高松市 瀬戸内海歴史資料館 石道標   1680年代?   WEB(空海の里) 移設/屋外展示 (正面)「右 一能みやみち/左 ねごろみち、願主/真念」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 勅使町の真念道標 ちょくし 高松市 <「丸亀街道」> 石道標(花崗岩) 高72㎝,幅18㎝,厚16.5㎝ 1680年代?   歴史の道1p22・57 移設 (正面)「右 編ん路みち、願主/真念」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存)/下記「勅使町の題目塔道標」に隣接 2
写真 春日町の地蔵道標1 かすが 高松市 <へんろ道> 石道標
(丸彫、花崗岩)
高75㎝,幅30㎝,厚30㎝ 享保3(1718)   歴史の道6(1)p79
、(2)p28
原位置? (台石正面)「(右指差し)右 やしま寺」/明治30の後刻あり/台石の上に丸彫の地蔵座像を載せる/台石正面に瓢箪と酒杯の陽刻(道標としては異例) 1
  屋島東町の地蔵道標 やしまひがし 高松市 <へんろ道> 石道標
(舟型、花崗岩)
高67㎝ 享保14(1729)   四国遍路道調査研究会1p23/歴史の道6(1)p82、(2)p30 Cブロックの祠内 (光背左端)「右 遍んろミち」/全面に地蔵立像を陽刻 2
写真 牟礼町牟礼の地蔵道標1 むれ、むれ 高松市 <へんろ道> 石道標
(舟型、花崗岩)
高76㎝ 享保14(1729)   歴史の道6(2)p32 移設?、集約 (光背左端)「右 遍ん路道」/全面に地蔵立像(蓮台)を陽刻 2
写真 牟礼町牟礼の地蔵道標2 むれ、むれ 高松市 <へんろ道> 石道標
(舟型、花崗岩)
高74㎝ 享保14(1729)   歴史の道6(1)p86
、(2)p32
保存状態良好 (光背左端)「是より □□遍ん路道」/全面に地蔵(錫杖、蓮台)立像を陽刻 1
写真 牟礼町牟礼の地蔵道標3 むれ、むれ 高松市 <へんろ道> 石道標
(舟型、花崗岩)
高73㎝ 享保14(1729)   歴史の道6(2)p32
/四国遍路道調査研究会1p81/WEB
墓地に移設 (光背左端)「遍んろミち」/全面に地蔵立像(蓮台)を陽刻 3
  牟礼町牟礼の道標1 むれ、むれ 高松市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高70㎝ 享保14(1729)   歴史の道6(2)p31 現況不明 (正面)「左 遍ん路道」   -
写真 飯田町の地蔵道標 いいだ 高松市 <へんろ道> 石道標
(丸彫、花崗岩)
高79㎝ 延享2(1745)   歴史の道6(1)p62
、(2)p23
Cブロックの祠内 (台石右端)「□ゟ東 一宮ミち」/台石の上に丸彫の地蔵座像を載せる 2
写真 国分寺町国分の道標1 こくぶんじ、こくぶ 高松市 <丸亀道・伊予「街道」・
へんろ道>
石道標(尖頭角柱、安山岩) 高100㎝,幅21.5㎝,厚19.5㎝ 寛延元(1748)   歴史の道1p26・58
/同3p47/同6(2)p18
移設/正面下部刻字読めない (正面)「右 遍ん路道」、(正面最下部)「是より白峯/道法五十丁」(?)/
左面に「南無大師遍照金剛」と陰刻
2
写真 木太町の道標1 きた 高松市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高68㎝,幅29㎝,厚22㎝ 安永元(1772)   歴史の道6(1)p79
、(2)p28
保存状態良好 (正面)「(左指差し)」→大きな指だけが上部に陽刻 1 -
写真 多肥下町の題目塔道標 たひしも 高松市 <讃岐国往還> 石道標 高150㎝,30㎝角 寛政3(1791)   歴史の道10p11・44 四隅を鉄枠で補強 (裏面)「右 長尾道」、(右面)「左 屋しま道 二リ半」/正面に「三界萬霊」と陰刻 3
写真 木太町の道標2 きた 高松市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高80㎝,幅21㎝,厚21㎝ 寛政10(1798)   歴史の道6(1)p79
、(2)p28/四国遍路道調査研究会1p80
原位置?/中央付近で割裂→補修 (正面)「(梵字)右 屋嶋」、(左面)「(梵字)左 高松」 2
写真 牟礼町大町の大師道標1 むれ、
おおまち
高松市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高92㎝,幅25㎝,厚23㎝ 寛政11(1799)   歴史の道6(1)p89
、(2)p34
移設 (正面像下)「右 志度寺道/是与り半里」、(右面)「□□三十二丁」/頂部を円形に削り込み大師座像(蓮台)を陽刻 2
写真 屋島東町の徳右衛門道標 やしまひがし 高松市 屋島寺<へんろ道> 石道標(蒲鉾型、花崗岩) 高106㎝,幅24㎝,厚20㎝ 寛政12(1800)   歴史の道6(1)p81
、(2)p29/WEB(徳右衛門丁石)/WEB
保存状態良好 (正面像下)「是与り/八栗寺迠、 一里」、(正面右下隅)「願主 予州 越智郡」、(右面)「八くり道」、(裏面)「下り坂 八丁」、(左面)「取次西片元村講中」/正面梵字の下を駒型に削り込み大師坐像を陽刻/主として寛政6-文化4に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つ(120基程度現存)⇒建立年が刻字してあるものは2割弱 1
写真 一宮町の地蔵道標 いちのみや 高松市 一宮駐在所
<讃岐国往還・へんろ道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高79㎝,幅28㎝角 寛政12(1800)   歴史の道10p12・45/同6(1)p73、(2)p26/WEB 保存状態良好 (左面)「(左指差し)左、へんろふ道/札所へ二丁」/正面の頂部10分の1を残し全面的に削り込んで地蔵立像(錫杖)を陽刻 1
写真 牟礼町牟礼の地蔵道標4 むれ、むれ 高松市 <へんろ道> 石道標
(舟型、花崗岩)
高81㎝ 寛政12(1800)   歴史の道6(1)p86
、(2)p32
道の向かい側から移設 (光背右端)「右 やくりみち」/光背上部に梵字、全面に地蔵坐像を陽刻/三角に近い舟型光背 1
写真 牟礼町牟礼の徳右衛門(?)
道標
むれ、むれ 高松市 八栗寺<へんろ道> 石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高115㎝,幅30㎝,厚20㎝ 寛政12(1800)   四国遍路道調査研究会1p23・25/歴史の道6(1)
p87、(2)p32
移設? (正面)「自是 志度 五十丁」/上部を駒型に削り込み、小さな大師坐像を陽刻/蒲鉾型ではあるが、「徳右衛門」「越智」「朝倉」など刻字は一切なく、大師坐像の彫り方も異なるため「徳右衛門道標」とは断定し難い/主として寛政6-文化4に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つか? 2
  牟礼町大町の大師道標2 むれ、
おおまち
高松市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高66㎝,26㎝角 享和元(1801)   歴史の道6(2)p34 現況不明 (正面)「左 志ど道」、(左面)「右やくり道」/正面上部に大師坐像を陽刻  
写真 春日町の地蔵道標2 かすが 高松市 <志度道> 石道標
(駒型、花崗岩)
高79㎝,幅28㎝,厚22㎝ 文化6(1809)   歴史の道8p22・74 設置環境不良 (正面像下右)「やしまみち」、(同中央)「河わたりて ひだり」/正面頂部に地蔵立像(蓮台)を陽刻、正面像下左に建立年 2
写真 築地町の道標 つきじ 高松市 <志度道> 石道標(花崗岩) 高100㎝,27㎝角 文化6(1809)   歴史の道8p13・74 近代の道標として再利用 (右面)「左、やしま/志と、道」/正面の指差しと刻字は近世の追刻 2
写真 国分寺町国分の道標2 こくぶんじ、こくぶ 高松市 <丸亀道・伊予「街道」・
へんろ道>
石道標(花崗岩) 高170㎝,幅30㎝,厚30.5㎝ 文化8(1811)   歴史の道1p26・58
/同3p47/同6(2)
p18
移設 (正面)「(梵字)是与里、白峯 五十丁/一のミや 七十五丁」 2
写真 牟礼町大町の地蔵道標
(小鳥坂の地蔵)
むれ、
おおまち
高松市 <志度道> 石道標
(舟型、花崗岩)
高89㎝ 文化11(1814)   歴史の道8p44・78 信仰の対象 (光背右端)「右 高松道」、(同左端)「左 志度道」/中央に地蔵坐像を陽刻 1
写真 鬼無町鬼無の道標1 きなし、
きなし
高松市 <丸亀道・伊予「街道」・
へんろ道>
石道標(花崗岩) 高106㎝,幅25㎝,厚25㎝ 文政元(1818)   歴史の道1p18/同3p46/同6(2)
p23
現況不明 (正面)「(梵字)(右指差し)こ礼よ里 一のみや」  
写真 屋島西町の道標 やしまにし 高松市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高100㎝,幅18㎝角 文政2(1819)   歴史の道6(1)p80
、(2)p29
保存状態良好 (正面)「左 やしま満寺道」、(左面)「(左斜め指差し袖付き)」 1
写真 屋島東町の大師道標 やしまひがし 高松市 <へんろ道> 石道標
(笠付き、花崗岩)
高182㎝,幅30㎝,厚28㎝ 文政6(1823)   歴史の道6(1)p81
、(2)p29
保存状態良好 (正面)「久王すのなし」、(右面左下)「これよ里 本とへ三丁」/「久王すのなし(不喰梨)」は空海が当地の梨を所望し、持主が石のように硬い喰わずの梨と嘘をついた所、本当に石のような梨しかとれなくなったという伝説によった地名/正面上部に精緻な大師立像(錫杖)を陽刻/石工: 槌左衛門 1
写真 牟礼町牟礼の道標2 むれ、むれ 高松市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高148㎝,幅30.5㎝,厚31㎝ 文政7(1824)   歴史の道6(1)p86
、(2)p32/四国遍路道調査研究会1p81
原位置 (正面)「右 本堂参詣道」、(左面)「(左斜め指差し振袖付き)」/左面の指差し振袖付きは全面陽刻 1
  牟礼町牟礼の道標3 むれ、むれ 高松市 <へんろ道> 石道標(舟型)   天保2(1831)   四国遍路道調査研究会1p81 移設 「左 やくりミち 是より十八丁」 2  
写真 円座町の道標 えんざ 高松市 <高松道> 石道標(凝灰岩) 高95㎝,幅22㎝,厚20㎝ 天保4(1833)   歴史の道6(1)p71
、(2)p25/同7p24
・74/同10p45/WEB
車がぶつかり、右面上部と下部が欠損→移設・下部C基礎 (正面)「(左指差し)一宮…」、(右面下部)「髙松」/上記「円座町の金毘羅常夜灯」と同所 3
写真 中山町の題目塔道標 なかやま 高松市 <へんろ道> 石道標
(笠付き、花崗岩)
高152㎝,幅33㎝,厚30㎝ 天保9(1838)   歴史の道6(1)p56
、(2)p22/四国遍路道調査研究会1p24
保存状態良好 (左面下部)「是ヨリ 一ノ宮江/二里半」/正面を火灯窓形に削り込んで「(梵字)永代寒中攝待」と陰刻、台石中央に「講中」と陰刻→この地で寒中に接待が行われていた証/笠が常夜灯風 1
写真 飯田町の大師道標 いいだ 高松市 <へんろ道> 石道標
(駒型、花崗岩)
高95㎝,幅22㎝,厚21㎝ 天保12(1841)   歴史の道6(1)p63
、(2)p23
壁と接近(「三十五丁」の刻字は見えない) (正面)「(右手差し)右 一ノ宮 三十五丁」/上部を半円形に削り込み大師坐像を小さく陽刻 2
写真 屋島東町の道標 やしまひがし 高松市 屋島寺<へんろ道> 石道標(花崗岩) 高190㎝,幅30㎝角 天保15(1844)   歴史の道6(1)p81
、(2)p29
保存状態良好 (正面)「(右指差し)是より 一之宮江 百五拾丁」、(左面)「(左指差し)是よ里 やく里江 三拾五丁」 1
写真 成合町の道標 なりあい 高松市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高78㎝,幅21㎝,厚18㎝ 弘化2(1845)   歴史の道6(1)p67
、(2)p25
保存状態良好 (正面)「(左指差し)一宮道」、(右面)「右 安原道」 1
写真 栗林町の道標1
(元・志度村の道標)
りつりん
(しど)
高松市 栗林公園 石道標(花崗岩) 高174㎝,幅33㎝,厚21㎝ 嘉永2(1849)   現地 さぬき市志度町から栗林公園に移設/裏面に「讃岐民芸館」と大きく深く陰刻 (正面)「(右斜め指差し袖付き)右 遍ん路道」、(右面)「志度村講中」/上部が丸くくびれている 3
写真 壇紙町の灯籠道標 だんし 高松市 <「丸亀街道」・へんろ道> 石道標(笠・火袋付き、花崗岩) 高221㎝,幅31㎝角 嘉永4(1851)   四国遍路道調査研究会1p52/歴史の道1p22・57/同6(1)p65、(2)p24 保存状態良好 (正面)「(左斜め指差し)一宮道、是ヨリ/二十八丁」、(右面)「根香寺、是ヨリ/七十丁」/県下に見られる笠付き道標の中で唯一火袋が付く/石工: 大吉 1
写真 栗林町の道標2
(元・三木町の道標)
りつりん
(みき)
高松市 栗林公園<讃岐国往還> 石道標(花崗岩) 高160㎝,幅36.5㎝,厚31.5㎝ 安政4(1857)   歴史の道10p8・44 三木町から栗林公園に移設 (正面)「(右斜め指差し袖付き)こんひら道 九リ」、(右面)「志ろとり道/五リ 」/精密に加工された亀の丸彫の上に載る 2
写真 牟礼町牟礼の観音像道標 むれ、むれ 高松市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高105㎝,幅33㎝,厚24㎝ 文久2(1862)   歴史の道6(1)p87
、(2)p33
保存状態良好 (正面像下)「是/ヨリ、一丁」/頂部に観音座像(錫杖、蓮台)を陽刻〔錫杖を持っている→十一面観音?〕/下記「牟礼町大町の観音像道標」と同類 1
写真 牟礼町大町の観音像道標 むれ、おおまち 高松市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高76㎝,幅37㎝,厚23㎝ 文久2(1862)   歴史の道6(1)p88
、(2)p33
下部埋没 (正面像下)「是/ヨリ、十八丁」/頂部に観音座像(錫杖、蓮台)を陽刻
〔錫杖を持つ→十一面観音?〕/上記「牟礼町牟礼の観音像道標」と同類
2
写真 国分寺町新名の道標 こくぶんじ、しんみょう 高松市 <滝宮道> 石道標(花崗岩) 高141㎝,30㎝角 文久2(1862)   歴史の道7p10・15 西へ15m移設 (正面)「右 古ん飛良道(=金毘羅)」、(右面)「左 た可ま川道(=高松)」 2
写真 牟礼町大町の道標 むれ、おおまち 高松市 <へんろ道> 石道標(駒型、花崗岩) 高60㎝,幅25㎝,厚13㎝ 慶応3(1867)   歴史の道6(1)p89
、(2)p34/WEB
最下段がC造→移設? (正面)「(右斜め指差し)一國七十八番/愛染寺」 1 -
写真 勅使町の題目塔道標 ちょくし 高松市 <「丸亀街道」> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高177㎝,幅30.5㎝,厚30.5㎝ 慶応4(1868)   歴史の道1p22・57 移設?(C台石) (正面)「是ヨリ、二十四拝/新四國、道」、(左面)「(左指差し)」/右面に「南無阿弥陀佛」と陰刻/上記「勅使町の真念道標」に隣接 2
写真 岡本町の地蔵道標
(三ツ池地蔵)
おかもと 高松市 <高松道> 石道標
(丸彫、花崗岩)
高105㎝,幅38㎝,厚37㎝ 江戸期   歴史の道7p26・74 C製の祠内/信仰の対象 (台石正面右)「右 こんひらみち」、(同左)「左 やま多"みち」/台石上に丸彫の地蔵坐像を載せる/台石正面中央に「三界萬霊」、台石右面に
「金毘羅講中」と陰刻
1
写真 栗林町の道標3 りつりん 高松市 栗林公園 石道標(花崗岩) 高62㎝,幅19㎝,厚17㎝ 江戸期   現地 移設 (正面)「(右指差し袖付き)志ろみねミち」/「ミち」の標記は江戸期 2 -
写真 鬼無町鬼無の道標2 きなし、きなし 高松市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高58㎝,23㎝角 江戸期   歴史の道6(2)p23
/WEB
保存状態良好 (正面)「右 いちのみやミち」/「ミち」の標記は江戸期 1 -
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の
地蔵町石(一丁)
いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高100㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p56 移設/木覆屋内 屋島寺周辺(一宮寺側)の地蔵町石は、すべて享保11銘のもので、八十四番屋島寺に向けて丁数順に並んでいる(八十三番一宮寺側が一丁)/(光背右下)「一丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)
地蔵町石
(二丁)
いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型、
花崗岩)
高100㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p56 移設/木覆屋内 (光背右下)「二丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
  屋島寺周辺(一宮寺側)
地蔵町石
(五丁)
いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高105㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p56 原位置? (光背右下)「五丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の
地蔵町石(六丁)
いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高108㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p56 原位置? (光背右下)「六丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の
地蔵町石(七丁)
いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高102㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p56 移設 (光背右下)「七丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の
地蔵町石(八丁)
いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高105㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p56 原位置? (光背右下)「八丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年に「午九月廿四日」とのみあるが、これは他の町石の「享保十一丙午九月廿四日」の一部と考えられる 1
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の
地蔵町石(九丁)
いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高110㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p56
/WEB
原位置? (光背右端)「九丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻/建立年に「丙午九月廿四日」とのみあるが、これは他の町石の「享保十一丙午九月廿四日」の一部と考えられる 1
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の
地蔵町石(十丁)
いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型)   享保11(1726)   現地 原位置?/中央で水平に折損→修復 (光背右下)「十丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(蓮の花、蓮台)を陽刻 1
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の
地蔵町石(十一丁)1
いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型、
花崗岩)
高103㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p57 原位置? (光背右下)「十一丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の
地蔵町石(十一丁)2
いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高95㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p57 原位置? (光背右下)「十一丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の地蔵町石(十二丁) いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高98㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p57
/WEB
原位置? (光背右下)「十二丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻 1
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の地蔵町石(十三丁) いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p57
/WEB
原位置? (光背右下)「十三丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖、蓮台)を陽刻 1
  屋島寺周辺(一宮寺側)の地蔵町石(十五丁)1 いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高63㎝ 享保11(1726)?   歴史の道6(2)p57 原位置? (光背右下)「十五丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年に「廿四日」とのみあるが、これは他の町石の「享保十一丙午九月廿四日」の一部と推測できる 1
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の地蔵町石(十五丁)2 いちのみや、やしま 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高78㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p57 原位置? (光背右下)「十五丁…」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
  屋島寺~八栗寺の地蔵町石(八丁)1 やしま、やくり 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高75㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p57 移設? 屋島寺~八栗寺の地蔵町石は享保11と14銘だが、現位置、丁数など不明確な点が多い/(光背右下)「八丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻 2
写真 屋島寺~八栗寺の地蔵町石(六丁) やしま、やくり 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高74㎝ 享保14(1729)   歴史の道6(2)p57 移設? (光背右下)「六丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻 2
写真 屋島寺~八栗寺の地蔵町石(一丁) やしま、やくり 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高82㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2)p57 移設? (光背右下)「一丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻 2
  屋島寺~八栗寺の地蔵町石(八丁)2 やしま、やくり 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高76㎝ 享保14(1729)   歴史の道6(2)p57 移設? (光背右下)「八丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻 2
写真 屋島寺~八栗寺の地蔵町石(五丁) やしま、やくり 高松市 <へんろ道> 町石(舟型) 高76㎝ 享保14(1729)   歴史の道6(2)p58 移設? (光背右下)「五丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻 2
写真 屋島中町の
旧丸亀藩番所附境界標柱
やしまなか
(まるがめ)
高松市 四国村
<伊予・土佐街道>
境界石 高153㎝,21.5㎝角 18世紀 県有形
(建造物)
市教委/WEB/四国村 箕浦から移設 (正面)「讃州/豫州、境従是東 丸亀領」、(裏面)「従 丸亀是迄 八里拾七町」/境界石と道標を兼ねているものは珍しい 2
写真 平池 高松市 (仏生山町) 溜池 長700m,高11.4m 治承2(1178)   WEB 明治39、堰堤上に草競馬場→ベルトパーク化 平清盛の命で、阿波民部大夫・田口成良が築造/高松市内で最古の溜池/築堤が難工事→人柱伝説/皿池に近い 2
写真 小田池 おだ 高松市 (川部町) 溜池 長1721m,高10.5m 寛永4(1627)   WEB   讃岐に90余の溜池を築いた高松藩奉行・西嶋八兵衛の築造/堤長1721mは県下最長→人柱伝説/ほぼ完全な皿池 2
  龍満池 りゅうまん 高松市 (香川町) 溜池 長520m,高8.8m 寛永4(1627) 讃岐百景 WEB 竜桜公園 讃岐に90余の溜池を築いた高松藩奉行・西嶋八兵衛の築造/皿池に近い 2
写真 三郎池 さぶろう 高松市 (三谷町) 溜池 長392m,高14.2m 寛永5(1628)改修   WEB   弘法大師が築いたとの伝承/讃岐に90余の溜池を築いた高松藩奉行・西嶋八兵衛による改修/皿池に近い 2
写真 神内池 じんない 高松市 (植田町) 溜池 長249m,高15.2m 寛永12(1635)   WEB   讃岐に90余の溜池を築いた高松藩奉行・西嶋八兵衛の築造/皿池に近い 2
写真 音谷池 おんだに 高松市 (香南町) 溜池 長210m,高12.7m 寛永・正保頃(1624-47)改築   WEB 明治34嵩上げ4.5m   3
写真 平田池(王墓池) ひらた 高松市 (牟礼町) 溜池   正保2(1645)?   WEB   高松藩初代藩主・松平頼重のもとで溜池を100余の溜池を築いた下級武士・矢延平六の築造/皿池に近い 2
写真 新池 しん 高松市 (香川町) 溜池 長710m,高15.1m 寛文9(1669)?   WEB   高松藩初代藩主・松平頼重のもとで溜池を100余の溜池を築いた下級武士・矢延平六の最大の事業/香東川から4㎞の水路を開削して導水/矢延平六は、多大な経費の責任をとらされ(あるいは、讒言により)阿波国に追放された(その後、許されて帰国)/ほぼ完全な皿池 2
写真 奈良須池 ならず 高松市 (岡本町) 溜池 長520m,高13.2m 寛文10(1670)   WEB   高松藩御蔵奉行・・前田与三兵衛の築造(4つの池を統合する困難な工事)/皿池に近い 2
写真 舟岡池 ふなおか 高松市 (香川町) 溜池 長344m,高6m 寛文13(1673)   WEB   ほぼ完全な皿池 2
写真 小山池 こやま 高松市 (新田町) 溜池 長約220m 元禄13(1700)頃   WEB 一部遊歩道化   3 -
写真 久米池 くめ 高松市 (新田町) 溜池 長640m,高5m 元禄13(1700)頃 新さぬき百景 WEB 絶滅危惧種アサザの繁殖地 ほぼ完全な皿池 2
写真 橘池 たちばな 高松市 (国分寺町) 溜池 長287m,高9.7m 安永9(1780)以前   WEB     2
写真 田渡池 たわたり 高松市 (香川町) 溜池 長132m,高18.4m 寛政7(1795)   WEB 昭和3嵩上げ   3
写真 公渕池 きんぶち 高松市 (東植田町) 溜池 長260m,高27.8m 文久3(1863)   WEB 昭和8嵩上げ 高松藩普請奉行・大老大久保主計の築造 3
写真 香東川の付替え こうとう 高松市 (栗林公園) <付替え>   寛永年間(1630頃)   WEB 庭園化され、川だったイメージはない 現在の高松市中心部を流れていた香東川の洪水防御のため、高松藩奉行・西嶋八兵衛が行った付け替え工事→流れの跡地に栗林荘(栗林公園の前身)を築庭 3
写真 大禹謨の碑 だいうぼ 高松市 栗林公園
<大野・中津の堤防>
石碑(自然石) 高50㎝,幅27㎝,厚17㎝ 寛永8-9(1631-2)頃   現地解説板/WEB 昭和37移設 香東川の付け替えを計画・実施した土木巧者である高松藩奉行・西嶋八兵衛が、古代中国の伝説の治水の名君・禹王にあやかって建立したもの/平成24が、碑が発見されてから百年にあたる 2
写真 長刀泉 なぎなた 高松市 (牟礼町) 石積井戸   元暦2(1185)? 市史跡 現地解説板/WEB 保存状態良好 源平合戦の時、良い水を得ようと、弁慶が長刀で掘ったという伝承のある井戸/菜切地蔵、瓜生が丘の近くに位置することから源氏の陣跡に比定されている 1
写真 大井戸 おお 高松市 (瓦町) 湧水(石垣付き) 6m×6m 正保元(1644) 市史跡 市教委/WEB 東北隅に引水口があり樋材が残る/全面に網が被せてあり雰囲気最悪→石垣もほとんど見えない 初代高松藩主・松平頼重が地中に木管・土管を埋設し、瓦町・築地町・古馬場町などに給水→藩政時代に高松藩の上水道源となった/井戸というよりは湧水池=四方に見事な石垣→精緻な加工なので、この部分は江戸後期以降の改修か? 3
写真 屋島中町の
 「小豆島の猪垣」
やしまなか 高松市 四国村 土塀 長約24m,高1.16m 江戸期   現地解説板 再現 小豆島特有の土塀による猪垣の本格的な再現 3
写真 屋島中町の
 
元・三崎の義倉
やしまなか
(みさき・ぎそう)
高松市 四国村 郷倉(木造瓦葺) 1桁行10.9m,
梁間5.5m
文政2(1819)
→昭和15まで使用
土佐清水市有形/国登録 現地解説板/WEB(土佐清水市) 土佐清水市から移築 大庄屋・沖市左衛門が創建した備荒施設/いわゆる「社倉米」的な側面をもつ郷倉→社倉米は藩が行う米の農民への貸付だが飢饉時の農民救済も行う、郷倉は飢饉用の米の備蓄 2
  屋島中町の
 
元・龍王街道の茶堂
やしまなか 高松市 四国村 茶堂 3.64m×2.73m 19世紀中頃 市有形 現地解説板/WEB 愛媛県北宇和郡川上上組地区から移設 寄棟・萱葺屋根 2
写真 長崎ノ鼻砲台・跡 ながさきのはな 高松市 屋島最北端 台場 (中・下)大砲各3門 文久3(1863)   現地解説板/WEB 全体が風化して上・中・下段が判然としない 高松藩が、勤皇家の藤川三渓に命じ、屋島の先端・長崎ノ鼻に築かせたもの/上・中・下段の3段に分かれた構造/下段台場は海に突き出ている→これほど眺めのいい台場は他にない 2
  京上臈峯狼煙場・跡 きょうじょうろうみね 高松市 (庵治町) 狼煙場 内径3.2m,外径5.8m 江戸末期   古野徳久(ミュージアム調査研究報告1) 石材が持ち去られ土塁化 標高235.0mの遠見山の山頂/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、現存するのは7ヶ所 4
  長崎鼻狼煙場・跡 ながさきのはな 高松市 (屋島) 狼煙場 内径3m,外径6m 江戸末期   古野徳久(ミュージアム調査研究報告1) 石材が持ち去られ土塁化 木里神社の社殿すぐ背後の山林内/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、現存するのは7ヶ所 4
写真 大野原町中姫の常夜灯 おおのはら、なかひめ 観音寺市 <伊予・土佐道> 石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高1.80m 寛政元(1789)   歴史の道7p54・76 火袋後補 (竿正面)「左 こんひら道」、(竿裏面)「東村講中」/札納め(明治20)が後から併設された→その際、基壇石垣を追加 3 -
  豊浜町和田浜の金毘羅常夜灯1 とよはま、
わだはま
観音寺市 <伊予・土佐道> 石常夜灯 高4.03m 寛政4(1792)   歴史の道7p86 現況不明 (竿正面)「正八幡宮/金毘羅」  
  豊浜町姫浜の金毘羅常夜灯1 とよはま、
ひめはま
観音寺市 <「伊予」街道・
讃岐国往還>
石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高1.08m 寛政6(1794)   歴史の道3p56/同10p54 移設/火袋なし (竿正面)「金毘羅常夜灯」「右 いよ道」、(竿右面)「左 くわんおんじ道」 3 -
写真 大野原町青岡の金毘羅常夜灯 おおのはら、あおおか 観音寺市 <伊予・土佐道> 石常夜灯 高2.08m 寛政8(1796)   歴史の道7p55・84 火袋後補 (竿正面)「金毘羅大權現常夜燈」/竿=角柱状/石塔が後から併設された→その際、基壇石垣を追加 3
写真 大野原町大野原の常夜 おおのはら、おおのはら 観音寺市 神風神社<伊予「街道」・讃岐国往還> 石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高1.88m 寛政8(1796)   歴史の道3p25・55/同10p53/豊浜町の常夜灯p6 昭和初期に移設/火袋欠損 (正面)「右 こんひら道」、(左面)「左 丸めみち」/竿は角柱/下記の「大野原町大野原の常夜灯3」と並ぶ 2 -
写真 大野原町中姫の金毘羅常夜灯 おおのはら、なかひめ 観音寺市 <伊予・土佐道> 石常夜灯 高1.90m 寛政8(1796)   歴史の道7p54・84 昭和20頃、20m西へ移設 (火袋右面)「金」、(火袋左面)「八」、(竿)「金毘羅宮/三社氏宮」/竿=角柱状/札納め(明治14)が後から併設された→その際、基壇石垣を追加/下記の「大野原町中姫の金毘羅里程道標」のすぐ横 3 -
写真 豊浜町和田浜の常夜灯1 とよはま、
わだはま
観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯 高1.98m 寛政9(1797)   歴史の道3p25・63
/同10p67/豊浜町の常夜灯p5
移設/火袋後補 (竿裏面)「古酒屋(=地名)」/石基壇なし 2 -
  大野原町大野原の金毘羅常夜灯1 おおのはら、おおのはら 観音寺市 <伊予・土佐道> 石常夜灯(道標兼) 高3.00m 寛政10(1798)   歴史の道7p53・76 火袋後補 (竿正面)「右 こんひら」、(竿右面)「金毘羅大権現」、(竿左面)「正八幡宮」、(台石正面)「講中」、(台石裏面)「氏子中」 1
写真 豊浜町和田の金毘羅常夜灯 とよはま、
わだ
観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯(花崗岩) 高1.90m 寛政10(1798)   歴史の道3p27・63
/同10p67
下部埋設/火袋鉄製→後補? (竿正面)「金毘羅夜燈」/竿=角柱状 2 -
写真 大野原町大野原の金毘羅常夜灯2 おおのはら、おおのはら 観音寺市 <曼陀越・伊予「街道」> 石常夜灯 高2.20m
(基壇含まず)
享和3(1803)   歴史の道3p23・62
/同9p20・95/同10p66
昭和4頃移設、集約/火袋後補/現役で電気点灯 (竿正面)「金毘羅大權現」、(竿左面)「正八幡宮」/石塔(大正15)が後から併設された→その際、基壇石垣を追加 2
写真 吉岡町の金毘羅常夜灯 よしおか 観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯 高2.20m 文化元(1804)   歴史の道3p61/同10p65 移設/火袋を木枠で補強/最下段の台石C(平成2) (竿正面頂部)「金/毘/羅」、(竿左面)「八幡宮」、(竿裏面)「當村講中」/石基壇なし 3
写真 柞田町の金毘羅常夜灯 くにた 観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯 高2.20m 文化5(1808)   歴史の道3p62/同10p65 移設/火袋後補 (竿正面頂部)「金毘羅/大神宮/五社宮」、(竿左面下部)「山王/中村、講中」/竿石は角柱/石基壇なし 2
  新田町の金毘羅常夜灯1 しんでん 観音寺市 <伊予・土佐道> 石常夜灯 高2.25m 文化10(1813)   歴史の道7p85 現況不明 (中台正面)「金」  
写真 粟井町の金毘羅常夜灯 あわい 観音寺市 <伊予・土佐道> 石常夜灯 高2.75m 文化11(1814)   歴史の道7p84 移設、集約/火袋を木枠で補強 (笠正面妻部)「金」/笠石は切妻屋根状/竿石は角柱/石基壇なし 2
  豊浜町姫浜の常夜灯 とよはま、
ひめはま
観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高1.80m 文化11(1814)   歴史の道3p56/同10p54/豊浜町の常夜灯p11 昭和46に火袋後補 (中台正面)「金」、(竿左面)「施主講中」、(台石左面)「右 いよ道」 2 -
写真 豊浜町和田浜の常夜灯2 とよはま、
わだはま
観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯 高2.45m 文化12(1815)   歴史の道・p63/同10p67/豊浜町の常夜灯p5 昭和30頃移設/火袋後補/一部破損 (竿左面)「本町講中」/笠が春日型/基壇なし 2
  豊浜町和田浜の常夜灯3 とよはま、
わだはま
観音寺市   石常夜灯(花崗岩) 高1.10m 文化12(1815)   豊浜町の常夜灯p8 台石の横に春日型の笠石が放置 (竿左面)「中筋講中」 3 -
写真 植田町の金毘羅常夜灯 うえだ 観音寺市 柏木神社<伊予「街道」・讃岐国往還> 石常夜灯 高2.30m 文政7(1824)   歴史の道3p22/同10p65 移設 (竿右面)「金毘羅大權現」、(竿左面)「八幡大菩薩/當所五社宮」、(台石正面)「上/氏/子/中」/石基壇なし 2
写真 大野原町萩原の金毘羅常夜灯1 おおのはら、はぎわら 観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯
(一部自然石)
高2.20m 文政8(1825)   歴史の道9p21・96 移設?/木製火袋(後補)? (竿正面)「金 常夜燈」/竿石は角柱に近い自然石/石基壇なし 2
写真 大野原町萩原の常夜灯 おおのはら、はぎわら 観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯 高2.02m 文政8(1825)   歴史の道9p22・96 移設/竿石下半分が剥離/火袋を木枠で補強 石基壇あり(石組みは見事) 2
  大野原町大野原の金毘羅常夜灯3 おおのはら、おおのはら 観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯 高1.80m 文政8(1825)   歴史の道9p21・96 火袋は木製(補強) (竿正面)「金常夜燈」/火袋・中台・竿・台石が正方形断面/木祠が後から併設された→その際、基壇石垣を追加 3 -
写真 豊浜町姫浜の金毘羅常夜灯2 とよはま、
ひめはま
観音寺市 <伊予「街道」> 石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高2.35m 文政10(1827)   豊浜町の常夜灯p9/歴史の道3p55 原位置?/笠が砂岩→後補? (竿右面)「金毘羅大現」、(竿左面)「正八幡宮」、(台石正面)「(左指さし)道」、(台石左面)「く王ん/おんし/道/(右指さし)」、(台石右面)「氏子中」/笠石正面に唐破風/竿は角柱/石基壇あり 2
写真 大野原町大野原の金毘羅常夜灯4 おおのはら、おおのはら 観音寺市 <伊予・土佐道> 石常夜灯 高2.05m 文政10(1827)   歴史の道7p53・84 移設 (竿正面)「八幡宮/金毘羅、常夜燈」、(竿左面)「大神宮」/竿石は角柱/石基壇なし 2
写真 大野原町大野原の金毘羅常夜灯5 おおのはら、おおのはら 観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯 高2.55m 文政12(1829)   歴史の道9p20・95 原位置? (竿正面)「正八幡宮」、(竿右面)「金毘羅大權現」/石基壇あり/石塔(大正15)が後から併設された 1
写真 大野原町大野原の金毘羅常夜灯6 おおのはら、おおのはら 観音寺市 八幡神社<曼陀越> 石常夜灯 高1.95m 天保3(1832)   歴史の道9p21・95 八幡神社に移設 正面)「金」/石塔が後から併設された→その際、基壇石垣を追加 3 -
写真 出作町の常夜灯 しゅっさく 観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯   天保5(1834)   歴史の道3p61/同10p65 原位置?/竿石の最もくびれた部分で折損→修復 (竿右面)「八幡大神/天照皇大神宮/春日大明神」、(竿左面)「萬御神」/石基壇あり 1
写真 大野原町井関の金毘羅常夜灯 おおのはら、いせき 観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯   天保6(1835)   歴史の道9p97 原位置?/火袋を木枠で補強 (竿正面)「金毘羅大權現」、(竿右面)「天照皇大神宮」、(竿左面)「大社宮」、(竿裏面)「瀧宮大明神」/石基壇なし 1
写真 大野原町大野原の金毘羅常夜灯7 おおのはら、おおのはら 観音寺市 八幡神社<曼陀越> 石常夜灯 高2.90m 天保6(1835)   歴史の道9p21・95 八幡神社に移設/竿石下部が剥離 笠正面)「金」、(笠裏面)「八」/石塔が後から併設された→その際、基壇石垣を追加 3
写真 大野原町萩原の金毘羅常夜灯 おおのはら、はぎわら 観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯 高3.08m 天保12(1841)   歴史の道9p23・97 移設、集約 (竿右面)「金毘羅大權現」、(竿裏面)「井大明神/宗像大明神」/石基壇あり 2
  大野原町大野原の金毘羅常夜灯8 おおのはら、おおのはら 観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯 高2.04m 弘化2(1845)   歴史の道9p21・95 移設/石材表面が剥落 (竿右面)「天照大神宮/金毘羅大権現」、(竿裏面)「出雲大社宮/正八幡宮」/猫脚/石塔(大正3)が後から併設された→その際、基壇石垣を追加 3
写真 豊浜町箕浦の常夜灯1 とよはま、
みのうら
観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯 高1.90m 嘉永2(1849)   歴史の道3p63/同10p67 移設/中台・火袋後補 (竿正面)「夜燈」、(同下部)「氏子中」/竿石は角柱/石基壇なし 3 -
写真 植田町の常夜灯 うえだ 観音寺市 <へんろ道> 石常夜灯(道標兼) 高2.34m 嘉永6(1853)   歴史の道6(1)p14
、(2)p66
火袋後補 (竿右面)「 観音寺」 12
写真 観音寺町の常夜灯 かんおんじ 観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯 高2.32m 嘉永6(1853)   歴史の道9p17・94 移設/笠後補/火袋の補修法は異様 石基壇なし 3
写真 大野原町大野原の常夜灯2 おおのはら、おおのはら 観音寺市 八幡神社<曼陀越> 石常夜灯 高2.15m 嘉永6(1853)   歴史の道9p20・21
・95
八幡神社に移設/竿石下部が剥離 (台石正面)「東/講/中」/石祠が後から併設された→その際、基壇石垣を追加 3 -
写真 大野原町大野原の金毘羅常夜灯9 おおのはら、おおのはら 観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯   安政2(1855)   歴史の道3p24・62
/同10p66
原位置?/火袋後補 (竿右面)「金毘羅大權現/秋葉大權現」、(竿左面)「正八幡宮」/宝珠に花弁が付いている/猫脚/石基壇あり 1
写真 観音寺町の常夜灯 かんおんじ 観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯 高2.08m 安政3(1856)   歴史の道9p15・94 原位置? すべてが円形断面→珍しい 1
写真 大野原町大野原の常夜灯3 おおのはら、おおのはら 観音寺市 神風神社<伊予「街道」> 石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高2.10m 安政7(1860)   歴史の道3p25・55 昭和初期に移設/宝珠~中台まで欠損 (竿正面)「(右指差し)こんひら道」、(竿左面)「左 丸かめ道」/竿は角柱で、宝珠から中台まですべて欠損しているため、道標にしか見えない/上記の「大野原町大野原の常夜灯1」と並ぶ 3
写真 新田町の金毘羅常夜灯2 しんでん 観音寺市 <へんろ道> 石常夜灯(自然石) 高2.00m 元治元(1864)   歴史の道6(1)p12
、(2)p66/WEB
移設? (竿正面)「八/天/金、常夜燈」、(同左隅)「大原東氏子中」 12
写真 豊浜町箕浦の常夜灯2 とよはま、
みのうら
観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯(自然石) 高2.00m 慶応2(1866)   歴史の道3p63/同10p67 移設/火袋後補 (竿右面最下部)「講中」/竿石は角柱に近い自然石/石基壇なし 2
写真 豊浜町和田浜の常夜灯4 とよはま、
わだはま
観音寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石道標(花崗岩) 高1.86m 江戸期   歴史の道3p26・55
/同10p54
  (竿正面)「右 こんひら/左 く王んおんし、道」、(竿右面)「金毘羅大権現」、(竿左面)「正八幡宮」、(竿裏面)「中筋講中」/竿=角柱状 2
  観音寺町の金毘羅常夜灯 かんおんじ 観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯 高1.52m 江戸期?   歴史の道9p15・94 一部C補修 (竿正面)「金毘羅宮」、(竿裏面)「琴弾八幡宮」/火袋と一体化した角柱上に笠を置いた構造 2 C-
写真 出作町の真念道標 しゅっさく 観音寺市 <観音寺道> 石道標(花崗岩) 高62㎝,幅15㎝,厚16㎝ 1680年代?   四国遍路道調査研究会1p45・57/歴史の道6(2)p4 下部埋没 (正面)「これより く王んおんじみち、願主/真念」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/左面に「施主 大坂西濱町/木屋半右衛門」と刻字→木屋半右衛門は貞享4(1687)に真念が『四国遍路道指南』を出版した時のスポンサー→彼の名が完全に刻字されている真念道標はこの1基だけ/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存)/明治期の茂平道標(145度目供養)と並ぶ 1
写真 原町の真念道標 はら 観音寺市   石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 原位置? (正面)「(左指差し)編ん路みち、願主/真念」/右面「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 1
写真 粟井町の真念道標 あわい 観音寺市 土仏観音庵 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 移設 (正面)「左 編ん路みち、願主/真念」、(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 八幡町の真念道標 やはた 観音寺市 琴弾八幡宮・参道 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 移設、集約 (正面)「左 編ん路みち、願主/真念」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 3
写真 有明町の真念道標 ありあけ 観音寺市 観音寺郷土館 石道標   1680年代?   WEB(空海の里) ケース内展示/腹部折損 (正面)「右/これより 編ん路みち、願主/真念」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 4
写真 粟井町の地蔵道標 あわい 観音寺市 <小松尾道> 石道標(尖頭角柱   明和元(1764)   四国遍路道調査研究会1p56 原位置? (正面右下隅)「右 へんろ」、(同左下隅)「左 者き原」/正面頂部に地蔵座像(蓮台)を浮彫り、その下に「奉納六十六部講中供養 道」と陰刻(「道」は下隅部の道標のもの) 1
写真 八幡町の徳右衛門道標 やはた 観音寺市 観音寺・参道階段
<へんろ道>

石道標(蒲鉾型) 高124㎝,幅26㎝,厚20㎝ 寛政6-文化4
(1794-1807)
  歴史の道6(1)p16、(2)p6/WEB(空海の里) 原位置? (正面)「これゟ/本山寺迠 一里」、(左面)「願主 同村/徳右エ門」/頂部を光背型に削りこみ大師坐像を陽刻/主として寛政6-文化4に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つ(120基程度現存) 1
写真 粟井町の徳右衛門道標 あわい 観音寺市 白藤大師堂旧跡
<へんろ道>
石道標(駒型) 高78㎝,28㎝角 寛政6-文化4
(1794-1807)
  歴史の道6(1)p11
、(2)p1/WEB(空海の里)
移設(基礎C打設→下部埋設)? (正面)「是より/小松尾寺へ、一里」、(左面)「願主 徳右ヱ門」/頂部に大師坐像を陽刻/駒型は異例/主として寛政6-文化4に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つ(120基程度現存) 3
写真 植田町の道標1 うえだ 観音寺市 <伊予「街道」・讃岐国往還> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高105㎝,幅21㎝,厚18㎝ 寛政10(1798)   歴史の道3p54/同6(1)p14/同10p52 移設、仮置き(雑然と放置) (正面)「右 うゑ田松」、(右面)「松より観音寺 すぐみちあり」 4
写真 出作町の照蓮道標 しゅつさく 観音寺市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高94㎝,幅19㎝,厚12㎝ 文化6(1809)   歴史の道6(1)p13
、(2)p4
保存状態良好 (正面)「(右指差し袖付き)四国中千躰大師」、(左面)「真念再建願主照蓮/徳島講中」(照蓮の照は昭和の昭に火)/指差し下に大師座像を陽刻/文化6から72基(現存)が建立された「照蓮道標」の1つ(徳島に集中しているため、他県は珍しい) 1
写真 八幡町の照蓮道標 やはた 観音寺市 <へんろ道> 石道標 高91㎝,幅22㎝,厚15㎝ 文化6(1809)   歴史の道6(1)p14
、(2)p5/WEB 
移設/頂部右側が欠損 (正面像下)「四國中千躰大師」/頂部、左指差し下を火灯窓型に削り込み大師座像を陽刻/形式・年代から照蓮道標と推定/文化6から72基(現存)が建立された「照蓮道標」の1つ(徳島に集中しているため、他県は珍しい) 2
写真 粟井町の道標1 あわい 観音寺市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高134㎝,幅24㎝,厚18㎝ 文政4(1821)   歴史の道6(1)p11
、(2)p2
保存状態良好 (正面)「(右指差し)右 古まつをじ/すく 古んひら道/左 くわんおんじ」 1
写真 八幡町の大師道標 やはた 観音寺市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高97㎝,幅29㎝,厚30㎝ 文政12(1829)   歴史の道6(1)p16
、(2)p6
移設、集約 (正面)「すぐ 路道」(緑字異体字)/正面頂部を光背型に削り込に大師坐像を陽刻/右面に「大ノ原 徳右衛門」とあるが、「大ノ野」は香川の大野原を指し(徳右衛門道標の徳右衛門は愛媛の今治)、文政12は徳右衛門の没後のため「徳右衛門」と同名別人物 13
写真 粟井町の道標2 あわい 観音寺市 <へんろ道> 石道標(自然石、花崗岩) 高64㎝,幅35㎝,厚28㎝ 天保2(1831)   歴史の道6(1)p11
、(2)p2/WEB
移設?/刻字磨耗 (正面)「(左5本指差し)是より 小松尾行道」(?) 13 -
写真 観音寺町の道標 かんおんじ 観音寺市 琴弾公園<曼陀越> 石道標 高201㎝,39㎝角 天保4(1833)   歴史の道9p16・87
/WEB
移設/中央で水平に折損→修復 (正面)「右 編ん路道」(左面)「左 いよみち」 2
写真 大野原町中姫の道標 おおのはら、なかひめ 観音寺市 <伊予・土佐道> 石道標(常夜灯、砂岩) 高180㎝,幅30㎝,厚29㎝ 天保4(1833)   歴史の道7p54・76 C台石/火袋と笠は木製のため、後世の追加の可能性 (正面)「古ん飛ら道」/道標上に火袋と笠を載せる/刻字が深い 2
  八幡町の道標1 やはた 観音寺市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高84㎝,幅25㎝,厚20㎝ 天保8(1837)   歴史の道6(1)p16
、(2)p5
保存状態良好 (正面)「左指差し袖付き)左 遍ん路道」、(左面)「是よ里/観音寺へ/二丁」 1
写真 八幡町の道標2 やはた 観音寺市 <へんろ道> 石道標(花崗岩)   天保8(1837)   WEB 移設? (正面)「左 さい古く道」 2
  大野原町海老済の大師道標 おおのはら、えびすくい 観音寺市 <曼陀越> 石道標(花崗岩) 高72㎝,幅26㎝,厚15㎝ 天保13(1842)   歴史の道9p27・88 下部欠損 (正面)「(大師坐像)(右指差し)へんろ道」 3
写真 大野原町海老済の地蔵道標 おおのはら、えびすくい 観音寺市 <曼陀越> 石道標(舟型、
花崗岩)
高90㎝,幅35㎝,厚15㎝ 天保15(1844)   歴史の道9p26・88 原位置? (光背右)「右 いよ」、(同左)「左 あハ道」/光背中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 植田町の道標2 うえだ 観音寺市 天満宮<伊予「街道」・讃岐国往還> 石道標(花崗岩) 高132㎝,幅36㎝角 弘化3(1846)   歴史の道3p22・54
/同10p52
移設、集約(柵内放置) (正面右上)「従是下」、(正面)「植田松」、(右面)「丸亀江 五里半/金毘羅江 四里半/川之江 四里」、(左面)「琴弾山迄 廿五丁/観音寺町迄 十五町/すしかへはか道」 3
写真 新田町の金毘羅里程道標 しんでん 観音寺市 教善寺<伊予街道> 石道標 高140㎝,幅24㎝,厚18㎝ 弘化4(1847)?   WEB 移設 (正面)「こんひら大門ゟ 四里」/三豊市の「山本町神田の金毘羅里程道標」と同一時期に建立と推定 2
写真 大野原町中姫の金毘羅里程道標 おおのはら、なかひめ 観音寺市 <伊予街道> 石道標 高147㎝,幅24㎝,厚20㎝ 弘化4(1847)?   WEB 移設? (正面)「こんひら大門ゟ 五里」/上記の「大野原町中姫の金毘羅常夜灯2」のすぐ横/三豊市の「山本町神田の金毘羅里程道標」と同一時期に建立と推定 2
写真 豊浜町和田浜の金毘羅里程道標 とよはま、
わだはま
観音寺市 薬師堂<伊予街道> 石道標(花崗岩) 高165㎝,幅26.5㎝,厚18㎝ 弘化4(1847)? 市有形 歴史の道3p26・55
/現地解説板
移設/中央で折損→修復 (正面)「こんひら大門ゟ 六里」/三豊市の「山本町神田の金毘羅里程道標」と同一時期に建立と推定 2
写真 大野原町井関の大師道標 おおのはら、いせき 観音寺市 <曼陀越> 石道標(尖頭角柱、砂岩) 高80㎝,21.5㎝角 嘉永元(1848)   歴史の道9p23・88 移設/中央で折損→修復 (右面)「右 阿はみち/左 雲邊寺」/正面頂部を光背型に削り込み大師坐像を陽刻、その下に「奉照光明真言百萬…」と陰刻 2
写真 粟井町の道標3 あわい 観音寺市 <伊予・土佐道> 石道標(花崗岩) 高180㎝,幅30㎝,厚29㎝ 安政4(1857)   歴史の道7p55・76 移設 (正面)「直 こんひら道」、(右面)「右 うん編んじ/左 まるかめ、みち」 2
写真 豊浜町和田浜の道標 とよはま、
わだはま
観音寺市 薬師堂<伊予「街道」・讃岐国往還> 石道標(花崗岩) 高234㎝,幅59㎝,厚60㎝ 安政6(1859)   歴史の道3p26・55 移設 (正面)「左、琴弾山/加わくち」、(右面)「右 こんひら道」 2
写真 新田町の道標 しんでん 観音寺市 <伊予・土佐道> 石道標(尖頭角柱、砂岩) 高136㎝,幅26.5
㎝,厚23㎝
文久2(1862)   歴史の道7p56・77 原位置?/昭和63修復

(正面)「直 こんひら道」、(右面)「(右指差し袖付き)小松尾寺道」、(同左最下部)「是より十三丁」

1
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(拾丁目) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高70㎝ 享保5(1720)   歴史の道6(2)p39
/WEB
移設/光背上部が大きく割れ、割れた頂部が横に置いてある 雲辺寺周辺(讃岐側)の地蔵町石は、ほとんどが文政13の銘が入っており、六十七番大興寺に向けて凡そ丁数順に並んでいる
(六十六番雲辺寺側が一丁)
/(光背頂部)「拾丁目」/光背中央に地蔵立像を陽刻/雲辺寺の地蔵町石の中で、この町石のみ100年以上古い/雲辺寺から時代不詳の「三丁」「一丁」「二丁」「六丁」「七丁」「九丁」、この「拾丁目」、「十一丁」「十二丁」「十三丁」「十五丁」「十六丁」「十七丁」「十九丁」(「拾丁目」以外は建立年不詳)と並び、その後で、再び、「二丁」(年代不詳)から始まり、下記の「四丁」~「三十二丁」が大興寺まで続いている⇒理由不明
4
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(四丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高59㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p40
/WEB
原位置/木祠内 (光背右)「四丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(五丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高59㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p40
/WEB
原位置/木祠内 (光背右)「五丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(七丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(道標兼、舟型) 高59㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p40 原位置/木祠内 (光背右)「七丁」、(光背左)「左 雲編ん寺道」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(八丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高59㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p40 原位置/木祠内/頂部欠損 (光背右)「八丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(九丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p40 原位置/木祠内 (光背右)「九丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(十一丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高52㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p40 原位置? (光背右)「十一丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1 -
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(十二丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高72㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設/頂部剥離 (光背右)「十二丁」、(光背左)「…編ん路道」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 3
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(十三丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設/木祠内 (光背右)「十三丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 3
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(十四丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高59㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設 (光背右)「十四丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(十六丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高64㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設 (光背右)「十六丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(十七丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高75㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設 (光背右)「十七丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(十八丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設 (光背右)「十八丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(十九丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設/中央で水平に割裂→修復 (光背右)「十九丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(廿丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高56㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設 (光背右)「廿丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2 -
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(廿二丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高59㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設 (光背右)「廿二丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(廿三丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高58㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設 (光背右)「廿三丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(廿四丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高78㎝ 文政13(1830)?   歴史の道6(2)p41
/WEB
移設 (光背右)「廿四丁」、(光背左)「すく編ん路道」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年なし→上記「十二丁」と建立者に係る記載内容が似ているため、文政13の建立の可能性が高い 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(廿五丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高58㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p42 移設 (光背右)「廿五丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(廿六丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高59㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p42 移設 (光背右)「廿六丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(廿七丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高59㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p42
/WEB
移設 (光背右)「廿七丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(廿八丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高59㎝,幅30㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p42 移設(側溝上のC版の上に再設置) (光背右)「廿八丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(廿九丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高60㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p42 現況不明 (光背右)「廿九丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻  
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(三十丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高100㎝(うち、台石21㎝),幅37㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p42 木の祠内 (光背右)「三十丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石(三十二丁) うんぺん、
だいこう
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 文政13(1830)   歴史の道6(2)p42 木の祠内 (光背右)「三十二丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(九丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高46㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p44
/WEB
移設 大興寺~神恵院(琴弾八幡宮)の地蔵町石は、後半が文化12の建立で、六十八番神恵院に向けて丁数順に並んでいる(六十七番大興寺側が一丁)/(光背右)「九丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年が後半の一連のものより50年近く古い/大興寺に近い「一丁」「二丁」「三丁」「五丁」「六丁」「八丁」は建立年不詳のため未記載 2
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(十三丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高40㎝ 嘉永6(1853)   歴史の道6(2)p44
/WEB
移設/光背右端に亀裂 (光背右)「十三丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年が後半の一連のものより40年近く新しい 2 -
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(廿三丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高58㎝ 寛保3(1743) or
寛政3(1791) or
享保3(1803) or
嘉永3(1850) or
文久3(1863)
  歴史の道6(2)p44 移設/光背一部欠損 (光背右)「廿三丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代に「□□三亥七月」とあり、可能性のある江戸期の年代を左記に示した/「廿」の標記が、文化12の「二十」と異なるため異なるグループに属する(リスト未記載だが「十二丁」「十三丁」「十四丁」も同一年の可能性) 2
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(二十五丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高51㎝ 文化12(1815)?   歴史の道6(2)p44 移設/中央で折損→修復 (光背右)「□十五丁/池之尻講中」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代未記載だが「池之尻講中」と刻字されており、年代の確している「三十一丁」「三十八丁」と同一であるため、文化12の建立と推定 3 -
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(二十九丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高50㎝ 文化12(1815)?   歴史の道6(2)p44 移設/中央で折損→修復/光背右上が欠損→「二十」が消失 (光背右)「二十九丁/池之尻講中」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年の推定は同上 3 -
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(三十一丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高55㎝ 文化12(1815)   歴史の道6(2)p45
/WEB
移設? (光背右)「三十一丁」、(台石正面)「池之尻講中」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年が文化12と確定し、かつ、唯一完品 2
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(三十二丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高57㎝ 文化12(1815)?   歴史の道6(2)p45
/WEB
原位置?/光背右端に亀裂 (光背右)「三十二丁/池之尻講中」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年の推定は同上 1 -
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(三十三丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高56㎝ 文化12(1815)?   歴史の道6(2)p45
/WEB
移設?/光背右端に欠損と亀裂 (光背右)「三十三丁/池之尻講中」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 2 -
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(三十四丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高28㎝ 文化12(1815)?   歴史の道6(2)p45
/WEB
上・下部欠損、「三十三丁」へ移設 (光背右)「三十四丁/□之尻講□」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年の推定は同上 3 -
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(三十五丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高51㎝ 文化12(1815)?   歴史の道6(2)p45
/WEB
移設 (光背右)「三十五丁/□之尻講中」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年の推定は同上/「三十六丁と」同所 2 -
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(三十六丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高54㎝ 文化12(1815)?   歴史の道6(2)p45
/WEB
移設 (光背右)「三十六丁/池之尻講中」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年の推定は同上/「三十五丁と」同所 2 -
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(三十七丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高44㎝ 文化12(1815)?   歴史の道6(2)p45 移設 (光背右)「三十七丁/池之尻講中」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/建立年の推定は同上 2 -
写真 大興寺~神恵院の地蔵町石(三十八丁) だいこう、
じんね
観音寺市 <へんろ道> 町石(舟型) 高(49)㎝ 文化12(1815)   歴史の道6(2)p45 移設/光背頂部欠損、亀裂多し (光背右)「三十八丁」、(台石正面)「池之尻講中」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 3 -
写真 箕浦港の掘割り みのうら 観音寺市 箕浦港・最奥部 石荷揚場 50m×35m 天正18(1590)頃→元禄年間(1688-1704)修復   WEB 明治初期に「かね国」という人物が改築=改築の程度不明 小型の砂岩の乱積み/平面的にも立面的にも不整が大きいことから、現在残っている掘割りの護岸石垣は明治初期の改築時のものと思われる→しかし、その上部(海側)に下記の弘化4の常夜灯が建っていることから、掘割りの形態そのものはある程度保持されていると推測される(常夜灯が移設された可能性もある) 2
  真浦港の東波止・西波止 まうら 観音寺市(伊吹島) 真浦港 石堤防、船溜り (東)当初長27m 19世紀第1四半期(文化・文政期)→慶応2(1866)   WEB 明治17の台風で両波止はほとんど崩壊/頂部と犬走りがC化 両波止とも、基礎部の石積みは安山岩板石を縦横に交えた独特の乱積みであり、崩壊を免れたオリジナル部分と推定できる 3
写真 豊浜の和田浜築港記念常夜灯
(旧和田浜港の安永燈籠)
とよはま、
わだはま
観音寺市 豊浜八幡神社<和田浜> 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高4.40m
(うち、基壇1.40m)
寛政4(1792) 市有形 豊浜町の常夜灯p6 港の改修時に撤去→昭和46再建立 (竿)「正八幡宮/金毘羅宮」、(竿左面)「總廻舩中/海上安全」/竿=角柱状/基壇あり/安永2(1773)、和田浜の藤村喜八郎らが私財45000余両で和田浜築港を完成→その功績を伝えるため、喜八郎の子直道が建立→約200年間、灯台として海上交通安全の役割を果たしてきた 2
写真 豊浜港の金毘羅常夜灯1
(文政燈籠)
とよはま 観音寺市 (和田浜)豊浜港 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高2.40m 文政10(1827)   豊浜町の常夜灯p8 移設? (竿正面)「正八幡宮」、(竿裏面)「金毘羅大權現」、(台石正面)「當/濱/中」/石基壇なし 2
写真 豊浜港の金毘羅常夜灯2 とよはま 観音寺市 (姫浜)豊浜港 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高1.85m 文政11(1828)   豊浜町の常夜灯p9 移設?/火袋欠損 (竿正面)「金毘羅大現/正八幡宮、常夜燈」、(竿左面頂部)「一ノ宮」、(同下部)「西組中」/竿は角柱/石基壇なし 3 -
写真 箕浦港の金毘羅常夜灯 みのうら 観音寺市 箕浦港・最奥部 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高3.58m 弘化4(1847)   豊浜町の常夜灯p2 下部C巻き立て (竿右面)「金毘羅大権現」、(竿左面)「施主十方(=全世界)」/箕浦港掘割り(上記参照)の上に建つ/基壇なし 2
  観音寺町の常夜灯
(旧中洲浦の灯籠)
かんおんじ
(なかすうら)
観音寺市 <曼陀越> 石常夜灯 高1.80m 嘉永6(1853)?   歴史の道9p15・94 保存状態良好 「象頭山」「琴弾山」「□六年丑□月」→嘉永6と推定/基壇なし 1
写真 大谷池 おおたに 観音寺市 (大野原町) 溜池 長304m,高16.9m 文明2(1470)   WEB 昭和34に大規模改築/萩の丘公園 慶恵上人により築造されたという伝承/慶長から大正にかけて5回嵩上げ 3
  姥ヶ懐池 うばがふところ 観音寺市 (豊浜町) 溜池 長224m,高12.4m 天正年間(1580頃)以前   WEB 昭和27・46、平成19に改修・改築 1580 年頃、獅子ヶ鼻城が長曾我部元親の軍に攻められ落城した際、城主の幼い姫を抱いた姥がこの池に身を投じたことから命名されたとの伝承 3
写真 岩鍋池 いわなべ 観音寺市 (粟井町) 溜池 長260m,高14.1m 寛永7(1630)以前   WEB 堰堤C補強 讃岐に90余の溜池を築いた高松藩奉行・西嶋八兵衛の改修 23
写真 一ノ谷池 いちのたに 観音寺市 (中田井町) 溜池 長128m,高30.4m 寛永16(1639)   WEB/
現地改修碑
昭和45大改築→平成2に一の谷池親水公園 讃岐に90余の溜池を築いた高松藩奉行・西嶋八兵衛の築造/4つの谷の合流点に造られたため難工事→人柱/寛政5(1793)の大雨で決壊/昭和17にも決壊して大災害をもたらした 3
写真 井関池 いせき 観音寺市 (大野原町) 溜池 長350m,高16.0m 正保元(1644)   WEB/讃岐のため池誌p125-133 昭和57大改築/五郷山公園 大野原開墾の祖・平田与一左衛門正重により改築/皿池に近い 3
  千歳池 ちとせ 観音寺市 (大野原町) 溜池 長660m,高11.6m 延宝3(1675)   WEB 昭和18嵩上げ ほぼ完全な皿池 2
写真 山口の井戸 やまぐち 観音寺市 (八幡町) 石井戸   大同年間(806-10)?   WEB
(現地解説板)
昭和初期まで飲用→東屋/全体を木の板で覆う 弘法大師が観音寺の住職をしていた頃、旱魃に苦しむ人々の飲用に掘ったとの伝承 3
写真 八幡町の金毘羅常夜 はちまん 坂出市 八幡神社
<丸亀「街道」・へんろ道>
石常夜灯 高2.98m 寛政6(1794)   歴史の道1p.36・65
/同6(2)p69
原位置?/火袋欠損 竿裏面頂部)「金」/(台石正面)「内中」/見事な基壇の石積 3
写真 福江町の金毘羅常夜灯 ふくえ 坂出市 <丸亀「街道」> 石常夜灯 高2.56m 寛政6(1794)   歴史の道1p46・66 平成10に修復・移設(基壇新設) (竿正面)「金毘羅大現」、(台石正面)「當村講中」/石基壇なし 12
写真 府中町の金毘羅常夜灯1 ふちゅう 坂出市 <丸亀「街道」
・讃岐国往還>
石常夜灯 高2.04m 寛政6(1794)   歴史の道1p29・64
/同10p63
移設? (竿正面)「金毘羅大現」/竿は円柱/石基壇なし 1
写真 府中町の金毘羅常夜灯2 ふちゅう 坂出市 <丸亀「街道」・
伊予「街道」>
石常夜灯 高2.47m 寛政8(1796)   歴史の道1p27・64
/同3p58
移設/平成3復元 (竿正面)「金毘羅大権現」、(竿左面)「日向王」/石基壇なし 2
  八幡町の金毘羅常夜灯2 はちまん 坂出市 <丸亀「街道」・へんろ道> 石常夜灯 高2.60m 享和3(1803)   歴史の道1p34・65
/同6(2)p69
保存状態良好 (宝珠)「金」/基壇なし 1
写真 西庄町の金毘羅常夜灯 にしのしょう 坂出市 <へんろ道> 石常夜灯 高2.72m 文化14(1817)   歴史の道6(1)p38
、(2)p70
移設/C基壇/火袋改修 (中台正面)「金」、(同右面)「白」、(同左面)「天」 3
写真 高屋町の道標 たかや 坂出市 <白峯道> 石道標
(笠付き、花崗岩)
高222㎝,幅54㎝,厚48㎝ 寛政6(1794)   四国遍路道調査研究会1p24 移設 (正面)「(左指差し袖付き)すく編ん路ミち」、(同右端)「四國第八十一番霊刹」、(同左端下)「これより貮拾五丁三拾間」、(右面)「南/此方、國分寺 壹里貮拾四町/瀧之宮 貮里貮拾四町四拾間/髙松 四里貮拾六町 /一之宮 二里貮拾八町貮拾間/佛生山 四里拾八町五拾間」/上部に角錘型笠付き/県下の笠付き道標の代表格 2
写真 青海町の地蔵道標 おうみ 坂出市 <へんろ道> 石道標(丸彫、石基壇付き) 高323㎝
(うち、台石78㎝,石基壇115㎝)
寛政9(1797)   四国遍路道調査研究会1p64 石基壇上にCブロック造の覆屋 (台石右面)「この方 志ろミ祢道」、(同左面)「祢古ろ道 藤和右衛門實」、(同裏面)「この方 古くふ道」、(同正面)「天下泰平」/高さ3mを超える道標/石基壇の上に台石と丸彫地蔵を載せる(石基壇を道標の高さに入れるかどうかについて統一見解はないが、本リストでは常夜灯も石基壇を入れた総高で表示している)/白峰寺~根香寺の地蔵町石(十九丁)と並ぶ 2
写真 林田町の題目塔道標 はやしだ 坂出市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高112㎝,幅26㎝,厚24㎝ 寛政10(1798)   歴史の道6(1)p38
、(2)p19
原位置? 左面)「左 編んろ道」/正面に「(梵字)南無大師遍路…」と陰刻 1
写真 西庄町の道標1 にしのしょう 坂出市 <丸亀「街道」・へんろ道> 石道標(花崗岩) 高98㎝,幅30.5㎝,厚27㎝ 寛政12(1800)   歴史の道1p59/同6(1)p36、(2)p19 移設? (正面)「(梵字)天皇社/札所、摩尼珠院」 2
写真 府中町の地蔵道標 ふちゅう 坂出市 <へんろ道> 石道標
(丸彫、花崗岩)
高85.5㎝
(うち、台石40㎝)
文化9(1812)   四国遍路道調査研究会1p24/歴史の道6(1)p37、(2)p18 祠内 (台石正面右)「国分寺江 五丁」、(同左「天王江 七十丁」、(台石左面)「前谷講中」/台石上に地蔵坐像(蓮台)の丸彫を載せる、台石正面中央に「三界萬霊」と陰刻 1
写真 青海町の道標 おうみ 坂出市 <へんろ道> 石道標
(蒲鉾型、花崗岩)
高94㎝,幅28㎝,厚18㎝ 天保6(1835)   歴史の道6(1)p46
、(2)p20
原位置? (正面)「(右指差し)千手観音」、(同右端)「是ヨリ上札所」 1
写真 林田町の大師道標 はやしだ 坂出市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高100㎝,幅24㎝,厚21㎝ 弘化4(1847)   歴史の道6(1)p38
、(2)p19
保存状態良好 (正面像下)「(左指差し袖付き)是ヨリ 白峯江 三十六丁」/上部を光背型に削り込み大師坐像を陽刻 1
写真 西庄町の道標2 にしのしょう 坂出市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高55㎝,幅27㎝,厚24㎝ 嘉永5(1852)   歴史の道6(1)p38
、(2)p19
移設?/下部埋没 (正面)「(左指差し)編んろみ…」、(正面右下端)「是ゟ白峯寺」、(同左下端)「五十丁」 2 -
写真 高屋町の道標 たかや 坂出市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高91㎝,幅16.5㎝,厚16.5㎝ 安政4(1857)   歴史の道6(1)p43
、(2)p20
原位置? (正面)「(左指差し袖付き)んろミち」 1
写真 寿町の道標 ことぶき 坂出市 <丸亀「街道」・へんろ道> 石道標(凝灰岩) 高95㎝,幅23㎝,厚24㎝ 安政6(1859)   歴史の道1p60/歴史の道6(2)p17
/WEB
郷土資料館前に移設 (正面)「(左指差し)右 こんひら道」 2
写真 白峰寺の下乗石1
(摩尼輪塔)
しろみね 坂出市 白峯寺<へんろ道> 町石
(五輪卒塔婆、
角礫凝灰岩)
高200㎝
(うち、台石19㎝)
元応3(1321) 県有形 歴史の道6(2)p71
/WEB(現地解説板)
保存状態良好/覆屋内 (塔身上部)「下乗」/密教の僧・金剛仏子宗明によって建立/上部の空・風・火輪は五輪塔(立体的)、水・地輪”は同幅の平板なので卒塔婆風 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(五十丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高63㎝
(うち、台石25㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p51 原位置?/上部欠損 白峰寺~根香寺の地蔵町石は、宝暦3と推定されるもので(県教委の見解)、八十二番根香寺に向けて丁数順に並んでいる(八十二番根香寺側が一丁⇒逆順/(光背右端)「十丁」(他の「五十丁石」と同一場所にあるため「五十丁」と推定)/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/下記の「丁」石と類似性が高いため同年の建立と推定(県教委の見解) 3
  白峰寺~根香寺の地蔵町石(丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高93㎝ 宝暦3(1753)   歴史の道6(2)p52 移設 (光背右端)「□□」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/丁数不明だが、建立年の刻字のある町石はこれのみ 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(四十八丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高83㎝
(うち、台石23㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p52 原位置?/首で折損→補修 (光背右端)「四十八丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/上記の「丁」石と類似性が高いため同年の建立と推定(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(四十七丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高78㎝
(うち、台石15㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p52 原位置 (光背右端)「四十七丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(四十六丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高82㎝
(うち、台石21㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p52 原位置 (光背右端)「四十六丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(四十五丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高83㎝
(うち、台石25㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p52 原位置 (光背右端)「四十五丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(四十四丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高85㎝
(うち、台石21㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p52 原位置?/像下C固定 (光背右端)「四十四丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(四十三丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高61㎝
(うち、台石19㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p52 原位置?/首から上部欠損 (光背右端)「四十三丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 3
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(四十二丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高80㎝
(うち、台石21㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p52 原位置?/首で折損→C修復/像下C固定 (光背右端)「四十二丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(四十一丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高73㎝
(うち、台石9㎝)
宝暦3(1753)?   現地 自衛隊用地から再移設/首で折損→C修復 (光背右端)「四十一丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 3
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(三十九丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高68㎝
(うち、台石7㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p52 原位置 (光背右端)「三十九丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(三十八丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高78㎝
(うち、台石17㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p52 原位置?/胸で折損→粗雑にC修復/像下C固定 (光背右端)「三十八丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 3
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(三十七丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高80㎝
(うち、台石19㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p52 原位置?/像下C固定 (光背右端)「三十七丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(三十六丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高82㎝
(うち、台石20㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/文字を再度掘り込み/像下C固定 (光背右端)「三十六丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(三十五丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高74㎝
(うち、台石10㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/像下C固定 (光背右端)「三十五丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(三十四丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高82㎝
(うち、台石20㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/像下C固定 (光背右端)「三十四丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(三十三丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高68㎝
(うち、台石5㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/像下C固定 (光背右端)「三十三丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(三十二丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高82㎝
(うち、台石18㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/像下C固定 (光背右端)「三十二丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(三十一丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高95㎝
(うち、台石33)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/頭部一部欠損 (光背右端)「三十一丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(三十丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高77㎝
(うち、台石14㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/像下C固定 (光背右端)「三十丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二十九丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高75㎝
(うち、台石10㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/像下C固定 (光背右端)「二十九丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二十八丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高77㎝
(うち、台石12㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/像下C固定 (光背右端)「二十八丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二十七丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高70㎝
(うち、台石6㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/像下C固定 (光背右端)「二十七丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二十六丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高78㎝
(うち、台石13㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/上部折損→C補修/像下C固定 (光背右端)「二十六丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二十五丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高72㎝
(うち、台石10㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p53 原位置?/像下C固定 (光背右端)「二十五丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二十四丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高71㎝
(うち、台石6㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/首で折損→C補修/像下C固定 (光背右端)「二十四丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二十三丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高78㎝
(うち、台石14㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/首で折損→C補修/像下C固定 (光背右端)「二十三丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二十二丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高75㎝
(うち、台石10㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/像下C固定 (光背右端)「二十二丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二十一丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高81㎝
(うち、台石18㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/胸で折損→C補修/像下C固定 (光背右端)「二十一丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二十丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高68㎝
(うち、台石8㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/像下C固定 (光背右端)「二十丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(十九丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高74㎝
(うち、台石17㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/像下C固定 (光背右端)「十九丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(十七丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高57㎝
(うち、台石21㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 移設/上半分が欠損 (光背右端)「十七丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 4 -
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(十八丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高70㎝
(うち、台石6㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/像下C固定 (光背右端)「十八丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(十六丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高46㎝ 宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/下部欠損 (光背右端)「十六丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 3 -
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(十五丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高82㎝
(うち、台石18㎝)
宝暦3(1753)?   現地 移設?/像下C固定 (光背右端)「十五丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(十四丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高71㎝
(うち、台石7㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/光背の一部破損/像下C固定/台石後補 (光背右端)「十四丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(九丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高70㎝
(うち、台石7㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/像下C固定 (光背右端)「九丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(八丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高70㎝
(うち、台石5㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p54 原位置?/像下C固定/台石後補 (光背右端)「八丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(四丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高67㎝
(うち、台石2㎝)
宝暦3(1753)?   現地 移設?/台石後補 (光背右端)「四丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 2
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(二丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高88㎝
(うち、台石21㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p55 原位置 (光背右端)「二丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石(一丁) しろみね、
ねごろ
坂出市 <へんろ道> 町石(舟型) 高88㎝
(うち、台石21㎝)
宝暦3(1753)?   歴史の道6(2)p55 原位置 (光背右端)「一丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/年代推定→同上(県教委の見解) 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(十九丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高72㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p48 原位置? 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の町石は、3基を除き宝暦13の銘入りで、七十九番天皇寺から八十一番白峰寺に直行するルート上の終点近くの山道に丁数順に並んでいる(八十一番白峰寺側が一丁⇒逆順/(光背右端)「十九丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(十七丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高70㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p48
/WEB
原位置? (光背右端)「十七丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(十六丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高68㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p48 原位置? (光背右端)「十六丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(十五丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高70㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p48 原位置? (光背右端)「十五丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(十四丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高71㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p48
/WEB
Cブロック擁壁上→移設 (光背右端)「十四丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(十二丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高69㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p48
/WEB
原位置? (光背右端)「十二丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(十丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高70㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p48
/WEB
原位置? (光背右端)「十丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(九丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高71㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p49
/WEB
原位置? (光背右端)「九丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(十三丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高70㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p48
/WEB
移設 (光背右端)「十三丁目」/中央に地蔵立像を陽刻/「九丁」石と並んで置いてある 2
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(八丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高71㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p49
/WEB
原位置? (光背右端)「八丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(七丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高68㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p49
/WEB
背後の擁壁が改修→移設の可能性 (光背右端)「七丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(六丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高66㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p49
/WEB
移設? (光背右端)「六丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(十一丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高57.5㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p48
/WEB
移設/上2分の3で水平に割裂/光背の左頂部大きく欠損 (光背右端)「十一丁目」/中央に地蔵立像を陽刻/「六丁」石と並んで置いてある 4 -
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(五丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高70.5㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p49
/WEB
原位置? (光背右端)「五丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(四丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高66㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p49
/WEB
原位置? (光背右端)「四丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(三丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高69㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p49
/WEB
原位置?/光背先端が欠損 (光背右端)「三丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石(二丁) しろみね 坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)>
町石(舟型) 高71㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)p49
/WEB
原位置? (光背右端)「二丁目」/中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺の下乗石2 しろみね 坂出市 白峯寺<へんろ道> 町石(笠付き) 高252㎝
(うち、台石27㎝)
天保7(1836)   歴史の道6(2)p71
/WEB(現地解説板)
石の間をC固定 (正面)「下乗」、(裏面)「白峰之正路去/山稜一里余有下轎碑側刻元応三年二月十八日距今五百余/年特立不遷文字イ処然形制之古実世之所希有也 官慮其/異日破壊利欲淪移於荒苔乱石之間今茲丙申之春 命作/至覆之更作碑立其次焉/因紀其事俾後人徴遺蹟云」/高松藩が上記「摩尼輪塔」を保存するため小屋で覆い、新たに建立したもの(建立の趣意が裏面に刻字) 2
  四手池 しで 坂出市 (横山) 溜池 長175m,高10.1m 正保2(1645)   WEB   高松藩初代藩主・松平頼重のもとで溜池を100余の溜池を築いた下級武士・矢延平六の築造/府中地区の灌漑のため3㎞南に築造 2
写真 八十場の水 やそば 坂出市 <高松道> 湧水   古代?~中世起源   WEB 保存状態良好/
飲用(可能な程度)
景光天皇の御代、南海に征して悪魚の毒に悩んだ讃留霊皇子とその軍兵88人がこの水で蘇ったため「八十蘇場の水」と命名されたとの伝説/空海が十一面観音、阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を作り堂を建立したとされる/配流された崇徳上皇が長寛2(1164)に死亡した際、この水に浸したところ、21日後も顔が生きているようだったとの伝承も/江戸期は高松道の水飲み場 1
写真 笠指井戸 かざし 坂出市   石井戸 径1.77m 慶長年間(1596-1615)?   歴史の道1p46・65 上面を鉄板で蓋 外枠は方形の石井戸/干拓地・坂出(塩水しか出ない)の発展に寄与した福江地区の井戸群の中で唯一現存/異例に井戸枠が低い 2
  櫃石島の札場 ひついし 坂出市(櫃石島) <塩飽勤番所> 札所(本瓦葺き切妻屋根)   江戸後期 市史跡 WEB 保存状態良好 天領だった塩飽の勤番所からの触れ書、法度、掟書などを掲示し、一般に周知した場所(24ヶ所→3ヶ所、小型) 1
  鴨部の金毘羅常夜灯 かべ さぬき市 <志度道> 石常夜灯 高1.80m 文化12(1815)   歴史の道8p83 現況不明 (竿)「金」  
  大川町宮田西の常夜灯 おおかわ、
とみだにし
さぬき市 <長尾道> 石常夜灯 高2.50m 文政5(1822)   歴史の道8p53・89 保存状態良好 (竿裏面)「富田西講中」/基壇なし 1
写真 大川町田面の常夜灯 おおかわ、
たづら
さぬき市 <長尾道・讃岐国往還> 石常夜灯(自然石) 高2.15m 天保10(1839)   歴史の道8p90/同10p59 移設 (竿正面)「清浄光」/石基壇なし 2
  長尾西の金毘羅常夜灯 ながおにし さぬき市 <長尾道・讃岐国往還> 石常夜灯 高2.06m 天保15(1844)   歴史の道8p89/同10p59 現況不明 (笠正面)「金」  
写真 大川町田面の常夜灯 おおかわ、
たづら
さぬき市 <長尾道・讃岐国往還> 石常夜灯(自然石) 高3.00m 弘化4年(1847)   歴史の道8p54・90
/同10p59
移設 (竿)「玉光」、(竿裏面)「村中安全」/石基壇なし 12
写真 志度の用心堀石灯籠 しど さぬき市 <志度道・へんろ道> 石常夜灯 高4.03m 嘉永4(1851)   歴史の道6(2)p78
/同8p22・82/現地解説板
保存状態良好 (中台)「天」、(中台右面)「白」、(中台左面)「八」、(中台裏面)「金」、(竿)「用心堀 邑阝々/御蔵懸り」、(竿右面)「大庄屋/上野氏/同/岡田氏」、(竿左面)「石工 久通松蔵」/高松藩松平家の年貢米を収納する米蔵の「用心」のため、大庄屋の上野氏と岡田氏が建立/高い末広がりの石柱の上に竿なしの小型灯籠を載せた独自の形態 1
写真 志度の常夜灯1
(石鉄大権現灯籠)
しど
(いしづち)
さぬき市 <志度道> 石常夜灯
(自然石、安山岩)
高2.88m,笠幅1.20m 嘉永5(1852) 市有形
(建造物)
歴史の道8p23・82
/WEB
火袋水平に割裂→修復 (竿)「雲間山、石鉄大權現」/火袋開口部に下弦の月/元屋醤油の東→小倉家が建立 1
  志度の常夜灯2 しど さぬき市 <志度道> 石常夜灯 高3.05m 安政4(1857)   歴史の道8p82 現況不明    
写真 志度の真念道標 しど さぬき市 志度寺・南庭園 石道標 高53㎝,21㎝角 1680年代?   WEB 移設/庭園全体が荒れている (正面)「右 編ん路みち/左 徒多みち、願主…」/(右面)「南無大師遍照金剛」、(左面」「梵字」)/「願主真念」の刻字が埋没しているが、真念道標の多くに入っている「為父母六親」の刻字があるため真念道標と推定される/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 前山の道標1 まえやま さぬき市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高103㎝,幅23㎝,厚21㎝ 天明元(1781)   歴史の道6(2)p37 ダム建設に伴い移設/基部露出 (正面)「(梵字)右 んろみち」、(同最下部)「大窪寺/百二十町」 2
写真 前山の徳右衛門道標1 まえやま さぬき市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱) 高137㎝,幅24㎝,厚21㎝ 寛政6(1794)   歴史の道6(1)p93
、(2)p37/WEB(徳右衛門丁石)/WEB
保存状態良好 (正面)「是より/大窪寺迄、二里半」、(正面左下隅)「願主 豫州越智郡朝倉上村 徳右衛門」(歴史の道報告書では願主以下が読解不能になっている)/頂部を光背型に削り込んで大師坐像を陽刻/刻字内容から明らかに「徳右衛門道標」だが、蒲鉾型ではなく尖頭角柱をしており、正面に施主・願主が刻字してある点が類型的ではない/江戸後期に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つ(120基程度現存)⇒建立年が刻字してあるものは2割弱 1
写真 前山の徳右衛門道標2 まえやま さぬき市 <へんろ道> 石道標
(自然石、花崗岩)
高148㎝,幅76㎝,厚36㎝ 寛政6-文化4
(1794-1807)
  歴史の道6(1)p94
、(2)p37/WEB(徳右衛門丁石)/WEB
右上端部が斜めに欠損 (正面)「是より 於くほ迄 二里」、(正面左下隅)「…與州□右エ□」/頂部を光背型に削り込んで大師坐像を陽刻/自然石を使用するのは異例(下記の多和の徳右衛門道標と同様)/主として寛政6-文化4に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つ(120基程度現存) 2
写真 多和の徳右衛門道標 たわ さぬき市 <へんろ道> 石道標(自然石、花崗岩) 高55㎝,幅27㎝,厚11㎝ 寛政6-文化4
(1794-1807)
  歴史の道6(2)p37
/WEB(徳右衛門丁石)
移設/上部3分の1辺りで斜めに折損→修復 (正面)「左 へんろ/右 あハ、みち」、(正面左下隅)「予州 願主 德右衛門」/頂部を光背型に削り込んで大師坐像を陽刻/自然石を使用するのは異例(上記の前山の徳右衛門道標2と同様)/主として寛政6-文化4に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つ
(120基程度現存)
2
写真 造田の徳右衛門道標 ぞうた さぬき市 玉泉院<へんろ道> 石道標(駒型) 高144㎝,幅24㎝,厚21㎝ 寛政6-文化4
(1794-1807)
  歴史の道6(1)p91
、(2)p35/WEB(徳右衛門丁石)
移設? (正面)「長尾寺」、(右面)「明治弐十八年…」、(左面)「…施主 中務茂兵衛義教建之」/頂部に大師坐像があり、上記「前山の徳右衛門道標1」と作りが同じことから、中務茂兵衛らによる明治期の再刻と推定される/江戸後期に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つ(120基程度現存) 2
写真 志度の徳右衛門道標 しど さぬき市 志度寺<へんろ道> 石道標(蒲鉾型)   享和元(1801)   WEB(徳右衛門丁石)/WEB(空海の里) 再建立(台石新設) (正面)「是より 長尾寺へ 一里半」、(右面)「願主 豫州越智郡/朝倉上邑 徳右衛門」/頂部を光背型に削り込み大師坐像を陽刻/梵字、大師坐像、蒲鉾型など典型的な徳右衛門道標/江戸後期に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つ(120基程度現存)⇒建立年が刻字してあるものは2割弱 2
写真 寒川町石田東の道標 さんがわ、
いしだひがし
さぬき市 <長尾道・讃岐国往還> 石道標(自然石、花崗岩) 高140㎝,幅62㎝,厚33㎝ 文化5(1808)   歴史の道8p53・79
/同10p43
地蔵橋東側から移設 (正面)「(梵字)小倉師道」、(正面左端)「従是 二十七丁半 2
写真 多和の大師道標 たわ さぬき市 <へんろ道> 石道標(砂岩) 高50㎝,幅30㎝,厚18㎝ 文化10(1813)   歴史の道6(2)p37 上部1/4欠損 (正面像下)「へんろみち」/頂部に大師坐像(?)を陽刻 3 -
写真 前山の道標2 まえやま さぬき市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高76㎝,幅60㎝,厚40㎝ 文化14(1817)   歴史の道6(2)p37 移設/上部一部欠損 (正面)「(右指差し)右 へんろ道」、(同左)「大窪寺 三里」 2 -
写真 長尾西の道標1 ながおにし さぬき市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高70㎝,幅29㎝,厚29㎝ 文政7(1824)   歴史の道6(1)p92
、(2)p36
移設 (正面)「(梵字)(右指差し袖付き)」/正面に大きく右指差しを陽刻 2 -
写真 大川町富田中の題目塔道標 おおかわ、
とみだなか
さぬき市 <長尾道・讃岐国往還> 石道標(自然石、花崗岩) 高90㎝,幅63㎝,厚35.5㎝ 文政7(1824)   歴史の道8p54・79
/同10p43
移設? 面)「右 やくり道」/正面に「(梵字)最心墓」と陰刻 12
写真 長尾西の大師道標 ながおにし さぬき市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高119㎝,幅30㎝,厚30㎝ 安政4(1857)   歴史の道6(1)p92
、(2)p36
移設 (左面)「(左指差し袖付き)左 遍んろ道」/上部を光背型に削り込み大師坐像を陽刻 2
  長尾西の道標2 ながおにし さぬき市 <長尾道> 石道標(花崗岩) 高170㎝,幅30㎝,厚31㎝ 慶応2(1866)   歴史の道8p51・79 道路整備のため移設 (正面)「大日本式内讃岐国二十四之一/多和神社/従是 七十四丁」 2
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(六十六丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高63.5㎝ 明和元(1764)   歴史の道6(2)59
/WEB
移設 長尾寺~大窪寺の地蔵町石は、宝暦12-14・明和元銘のものを主体とするもので、八十八番大窪寺に向けて丁数順に並んでいる
(八十八番大窪寺側が一丁⇒逆順
/(光背上部)「六十六丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻
2
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(六十五丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高(69)㎝ 明和元(1764)   歴史の道6(2)59
/WEB
原位置/中央で水平に折損→修復/頂部刻字「六」が剥離 (光背上部)「十五丁」/丁数の下に地蔵立像(錫杖)を陽刻 3
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(六十四丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高64㎝ 宝暦14(1764)   歴史の道6(2)59
/WEB
原位置/中央で水平に折損→修復 (光背上部)「六十四丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(六十三丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高69.5㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)59
/WEB
移設 (光背上部)「六十三丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(五十八丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高60.5㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)59
/WEB
原位置/中央で水平に折損→修復 (光背上部)「五十/八/丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(五十七丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高66.5㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)59
/WEB
原位置/光背頂部一部欠損 (光背上部)「五/十/七/丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(六十丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高54.5㎝ 天明2(1782)   歴史の道6(2)59
/WEB
移設 (光背上部)「六/十/丁」/丁数の下に地蔵立像を浮彫り 2 -
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(五十四丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型)   明和元(1764)   WEB(空海の里) 原位置? (光背上部)「五十四丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(五十三丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型)   宝暦9(1759)   WEB(空海の里) 原位置? (光背上部)「五十三丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(五十二丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高64㎝ 明和元(1764)   歴史の道6(2)59 原位置/上部大きく欠損 (光背上部)「丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻/五十二の「二」の上まで切れていると推定 4 C-
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(五十一丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高79㎝ 明和元(1764)   歴史の道6(2)59
/WEB
原位置 (光背上部)「五十一丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(五十丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型)   宝暦12(1762)   WEB(空海の里) 原位置? (光背上部)「是ゟ/札/所江/左/五/十/丁」/丁数の下に地蔵立像(錫杖)を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(四十五丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高63.5㎝ 明和元(1764)   歴史の道6(2)59 原位置? (光背上部)「四十五丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(四十二丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高67㎝ 明和元(1764)   歴史の道6(2)60 移設 (光背上部)「四十二丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
  長尾寺~大窪寺の地蔵町石(卅九丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高61㎝ 明和元(1764)   歴史の道6(2)60 現況不明 (光背上部)「卅九丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻  
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(卅八丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型)   宝暦14(1766)   歴史の道6(2)60
/WEB
移設 (光背上部)「卅八丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2 -
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(三十七丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高65㎝ 宝暦14(1766)   歴史の道6(2)60
/WEB
移設/部一部欠損 (光背上部)「三十七丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(卅六丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 宝暦14(1766)   歴史の道6(2)60
/WEB
原位置 (光背上部)「卅六丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
  長尾寺~大窪寺の地蔵町石(三十五丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高58㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)60 上部欠損 (光背上部)「是ゟ/札/所江/十//丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 3 -
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(卅四丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高64㎝ 宝暦14(1766)   歴史の道6(2)60
/WEB
移設(C台石) (光背上部)「卅四丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町(三十三丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高70㎝ 宝暦14(1766)   歴史の道6(2)60
/WEB
原位置 (光背上部)「三十三丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(三十丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高66㎝ 宝暦14(1766)   歴史の道6(2)60
/WEB
原位置 (光背上部)「三十丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(廿九丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高67㎝ 宝暦14(1766)   歴史の道6(2)60
/WEB
原位置 (光背上部)「廿九丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(廿七丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高65㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)60 原位置? (光背上部)「廿七丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(廿六丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)60
/WEB
移設 (光背上部)「廿六丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
  長尾寺~大窪寺の地蔵町石(廿五丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高67㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)61 現況不明 (光背上部)「廿五丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻  
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(廿四丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高66㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)61
/WEB
移設 (光背上部)「廿四丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
  長尾寺~大窪寺の地蔵町石(廿三丁)1 ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高67㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)61 現況不明 (光背上部)「廿三丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻  
  長尾寺~大窪寺の地蔵町石(廿三丁)2 ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高79㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)61 現況不明 (光背上部)「廿三丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻  
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(□□丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高(54)㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)61 原位置?/上部欠損(「丁」しか残っていない) (光背上部)「丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 4 -
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(二十一丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高(59)㎝ 宝暦14(1766)   歴史の道6(2)61
/WEB
原位置?/頂部欠損(刻字が一部欠損) (光背上部)「十一丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 3 -
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(二十丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高65㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)61
/WEB
移設 (光背上部)「二十丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(十九丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高65㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)61
/WEB
移設/中央で水平に折損→修復 (光背上部)「是ゟ/札/所江/左/ 十/九/丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 12
  長尾寺~大窪寺の地蔵町石(十八丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高65㎝ 宝暦12-14(1762-64)?   歴史の道6(2)61
/WEB
光背先端部欠損 (光背上部)「十八丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻/建立年は刻字されていないが、「月吉日」「施主當村」は宝暦12-14建立のその他の町石と類似 2
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(十七丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高69㎝ 宝暦14(1764)   歴史の道6(2)61
/WEB
原位置 (光背上部)「十七丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町(十六丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)61
/WEB
原位置 (光背上部)「十六丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(十五丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高63㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)61
/WEB
設/木祠内 (光背上部)「十五丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(十四丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高65㎝ 宝暦14(1764)   歴史の道6(2)62 原位置 (光背上部)「十四丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(十三丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高66.5㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)62
/WEB
原位置 (光背上部)「十三丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
  長尾寺~大窪寺の地蔵町石(十二丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)62 現況不明 (光背上部)「十二丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻  
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(十一丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高63.5㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)62
/WEB
原位置 (光背上部)「十一丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(十丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高76㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)62
/WEB
原位置/中央で水平に折損→修復 (光背上部)「十丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(九丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)62
/WEB
原位置 (光背上部)「九丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(八丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高64㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)62
/WEB
原位置 (光背上部)「八丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(七丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型)   宝暦12(1762)?   WEB(空海の里) 原位置/頂部が一部剥離 (光背上部)「七丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(六丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高64㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)62
/WEB
移設?/中央で水平に折損→修復 (光背上部)「六丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(五丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高57.5㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)62
/WEB
移設?/頂部が剥離し「五」の判読が困難 (光背上部)「五丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 13 -
  長尾寺~大窪寺の地蔵町石(四丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 宝暦12-14(1762-64)   歴史の道6(2)62 2つに折れている (光背上部)「四丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻/「宝暦十」と刻字 3
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石(三丁) ながお、
おおくぼ
さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高65㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)62
/WEB
原位置 (光背上部)「三丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 窪寺への地蔵町石
(九丁)
おおくぼ さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)63
/WEB
原位置? 四国霊場八十八番最後の大窪寺に逆からアクセスするための町石は、旧長尾町多和(現・さぬき市)と旧白鳥町五名(現・東かがわ市)で形態が全く異なる(八十八番大窪寺が一丁⇒逆順/(光背上部)「九丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
写真 窪寺への地蔵町石
(八丁)
おおくぼ さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高60.5㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)63
/WEB
移設 (光背上部)「八丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
写真 窪寺への地蔵町石
(七丁)
おおくぼ さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高60㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)63
/WEB
原位置?/光背頂部欠損 (光背上部)「…丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 3
写真 窪寺への地蔵町石
(六丁)
おおくぼ さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高65㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)63
/WEB
原位置? (光背上部)「六丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 1
  大窪寺への地蔵町石
(五丁)
おおくぼ さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高62㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)63 現況不明 (光背上部)「五丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻  
写真 窪寺への地蔵町石
(三丁)
おおくぼ さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高60㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)63
/WEB
移設 (光背上部)「三丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻 2
写真 窪寺への地蔵町石
(二丁)
おおくぼ さぬき市 <へんろ道> 町石(舟型) 高61㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)63
/WEB
移設/中央で水平に折損→修復 (光背上部)「二丁」/丁数の下に地蔵立像(錫杖)を陽刻 2
写真 西教寺の奥の院参道町石 の建立趣意碑 さいきょう さぬき市 西教寺 石碑(尖頭角柱) 高86㎝,17㎝角 安永7(1778)?   現地/WEB 保存状態良好 (正面)「是より/奥の院、西教寺/江 八丁」/右面と裏面に建立の経緯について一面に刻字/建立年→建立趣意碑なので、町石と同年と推定 1
写真 西教寺の奥の院参道町石
(壱丁)
さいきょう さぬき市 西教寺~奥の院 町石(尖頭角柱) 高99㎝,幅17㎝,厚15㎝ 安永7(1778) 市史跡 現地/WEB 保存状態良好 西教寺の奥の院参道の町石は、安永7の銘入りで、奥の院に向けて丁数順に並んでいる(西教寺が一丁)/(正面)「(梵字)壹甼」、(左面下部)「尼 智貞」/津田の「板屋」で有名な安芸幸四郎の妻・衣武が寄付/右面に梅が谷に因んだ梅の句が陰刻(「白雲能 谷越埋むや 梅能花」(=白雲の 谷を埋めむや 梅の花)) 1
削除 西教寺の奥の院参道町石
(二丁)
さいきょう さぬき市 西教寺~奥の院 町石(尖頭角柱)   安永7(1778) 市史跡 WEB 保存状態良好 (正面)「(梵字)二甼」、(左面下部)「○○」/津田の「板屋」で有名な安芸幸四郎の妻・衣武が寄付/右面に梅が谷に因んだ梅の句が陰刻 1
写真 西教寺の奥の院参道町石
(三丁)
さいきょう さぬき市 西教寺~奥の院 町石(尖頭角柱) 高104㎝,17㎝角 安永7(1778) 市史跡 現地/WEB 保存状態良好 (正面)「(梵字)三甼」、(左面下部)「文貫」/津田の「板屋」で有名な安芸幸四郎の妻・衣武が寄付/右面に梅が谷に因んだ梅の句が陰刻 1
写真 西教寺の奥の院参道町石
(四丁)
さいきょう さぬき市 西教寺~奥の院 町石(尖頭角柱) 高100㎝,17㎝角 安永7(1778) 市史跡 現地/WEB 保存状態良好 (正面)「(梵字)四丁」、(左面下部)「芙蓉」/津田の「板屋」で有名な安芸幸四郎の妻・衣武が寄付/右面に梅が谷に因んだ梅の句が陰刻 1
削除 西教寺の奥の院参道町石
(五丁)
さいきょう さぬき市 西教寺~奥の院 町石(尖頭角柱)   安永7(1778) 市史跡 WEB 保存状態良好 (正面)「(梵字)五丁」、(左面下部)「○○」/津田の「板屋」で有名な安芸幸四郎の妻・衣武が寄付/右面に梅が谷に因んだ梅の句が陰刻 1
写真 西教寺の奥の院参道町石
(六丁)
さいきょう さぬき市 西教寺~奥の院 町石(尖頭角柱) 高98㎝,17㎝角 安永7(1778) 市史跡 現地/WEB 保存状態良好 (正面)「(梵字)六丁」、(左面下部)「羅峯」/津田の「板屋」で有名な安芸幸四郎の妻・衣武が寄付/右面に梅が谷に因んだ梅の句が陰刻 1
写真 西教寺の奥の院参道町石
(七丁)
さいきょう さぬき市 西教寺~奥の院 町石(尖頭角柱) 高100㎝,幅17㎝,厚15㎝ 安永7(1778) 市史跡 現地/WEB 保存状態良好 (正面)「(梵字)七丁」、(左面下部)「○○」/津田の「板屋」で有名な安芸幸四郎の妻・衣武が寄付/右面に梅が谷に因んだ梅の句が陰刻 1
写真 西教寺の奥の院参道町石
(八丁)
さいきょう さぬき市 西教寺・奥の院 町石(尖頭角柱) 高100㎝,幅17㎝角 安永7(1778) 市史跡 現地/WEB 保存状態良好 (正面)「(梵字)八丁」、(左面下部)「桐谷」/津田の「板屋」で有名な安芸幸四郎の妻・衣武が寄付/右面に梅が谷に因んだ梅の句が陰刻 1
写真 志度の船しるべ常夜灯
(新町自然石灯籠)
しど さぬき市 <志度街道> 石常夜灯(自然石) 高3.56m
(うち、基壇0.33m),笠径2.80m
弘化3(1846) 市有形
(建造物)
現地解説板/市教委 保存状態良好 球状の石をくり抜いた火袋他、すべてが自然石からできた珍しい構成/巨大な笠/志度の浜辺から玉浦川の川口にかけて繋留する漁船の道しるべのため、元屋醤油の初代当主・小倉嘉平が、石鎚神社を信仰する実弟の高松藩士・田山助蔵の勧めで建立 1
写真 弥勒石穴 みろく・せっけつ さぬき市 砕石谷→弥勒池(大川町) 素掘トンネル
(水路)
長189m 安政4(1857) 国登録 市教委/WEB/現地解説板 保存状態良好/坑口は矩形の切石積 弥勒池(下記)が、竣工後も溜池として機能しなかったため、富田中村の庄屋・軒原庄蔵が高松藩に願い出て砕石谷から導水したトンネル/設計:軒原庄蔵、設計アドバイス: 数学者・萩原栄次郎、施工: 多田信蔵 1
写真 宮池(八幡池) みや さぬき市 (長尾名) 溜池 長707m,高9.4m 正平19(1364)   WEB/
現地改修碑
昭和60嵩上/県立亀鶴公園の中核的な存在 四国管領・細川頼之が、東讃六都の農民に命じ、宝蔵院の寺社領用水として築造/『宝蔵院古歴記』『讃岐国大日記』によれば、わずか1ヶ月余で竣工したとされる/宝暦5(1755)の記録では長491m,高6.4mなので、その後の拡張が大きい 3
写真 中王田池 なかおうだ さぬき市 (寒川町) 溜池 長525m,高4.0m 江戸初期?   WEB   東王田池と堤防を挟んで並んでいる(東王田池と同時期で先に造られたと推測されている)/皿池 2
写真 東王田池 ひがしおうだ さぬき市 (寒川町) 溜池 長423m,高8.5m 江戸初期?   WEB   中王田池と堤防を挟んで並んでいる(中王田池と同時期で後に造られたと推測されている)/皿池 2
写真 石神池 いしがみ さぬき市 (長尾名) 溜池 長200m,高21m 寛文2(1662)着工
→天保8(1837)嵩上3m
  WEB 昭和27嵩上 高松藩の普請/天保の嵩上げは庄屋・蓮井藤左衛門 3
写真 弥勒池 みろく さぬき市 (大川町) 溜池 長96m,高16.8m 文政12(1828)
→安政4(1857)石穴
  現地解説板 堰堤C改修 施工:富田中村の庄屋・軒原庄蔵(上記・弥勒石穴と同じ人物)→機能不良が弥勒石穴開削の契機に/3つの池の総称/弥勒池の名は、この地から弥勒仏が出土し手厚く祠り築堤したことで工事が順調に進んだことに由来 23
写真 ・柳の泉 やなぎ さぬき市 (長尾東) 石井戸   寛文5(1665) 市史跡 WEB 平成10、清水川の護岸工事のため移設(井戸の移設は稀) 寛文5、高松藩初代藩主・松平頼重が石で井戸枠を作ったとされる/井戸内部が正方形断面で、切石布積は非常に珍しい→格式が高い 5
写真 大串石切場・跡 おおぐし さぬき市 大串自然公園 石切場
(白色凝灰岩)
3ヶ所 鎌倉前期 市史跡 現地解説板/
市教委/WEB
藩有地→国有地のため保存状態良好 石清水八幡宮文書(1339年、京都市)、絹本著色志度寺縁起図(14世紀、さぬき市)にも記録が残る/採石に使用した工具の痕跡が無数に残る他、五輪塔の火輪(笠部)の取り残した部分もある 1
写真 津田の松原 つだ さぬき市 琴平公園 防風林 3000本 鎌倉時代 国立公園 WEB(田舎暮らしdeほっ!)/WEB 保存状態良好/樹齢600年の黒松も残る 鎌倉時代に浜辺近くにあった石清水八幡宮別当寺常楽寺の住僧が、燃料用または防風林として黒松を植林したのが始まりとされる/享和元
(1801)に、地元の豪商・安藝栄住が京都の儒者・皆川淇園に松原の絶景を全国に宣伝して欲しいと依頼したことでも知られる/平山郁夫、棟方志巧にも描かれた
1 写真
写真 虎鼻狼煙場・跡 とらがはな さぬき市 (津田町津田) 狼煙場 内径3m,外径6.6-7m,高1.8m 江戸末期   古野徳久(ミュージアム調査研究報告1) 原位置の狼煙場群の中で保存状態最良(オリジナルの土塁構造がよく分かる上、内部の石も一部露出) 北山半島の尾根の標高170m地点/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、現存するのは7ヶ所 1
写真 大串狼煙場・跡 おおぐし さぬき市 大串温泉の北斜面公園広場 狼煙場 内径3.2-3.3m,高1.5m 江戸中期以降 市史跡 市教委/古野徳久(ミュージアム調査研究報告1) 昭和59に100m移設・復元 東と西が燃料の搬入や人の出入、風通しのため切断/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、現存するのは7ヶ所 2
写真 善通寺誕生院勅使門前橋 ぜんつうじたんじょういんちょくしもん 善通寺市 善通寺誕生院 石桁橋 (2G) 宝暦8(1758)   WEB(石橋) 保存状態良好/通行禁止 緩やかな弧状の石梁を橋面も並べる簡単な構造/擬宝珠付きの高欄 2
写真 与北町の桁橋
(与北茶堂跡の桁橋)
よぎた(よぎたちゃどう) 善通寺市 <(与北茶堂)丸亀道> 石桁橋   江戸期?   金毘羅参詣丸亀街道報告書p44 板状高欄の下部が隠れて見えない 「大坂/薩摩屋 or 堀/中筋町(?)/吉□/西邑□/愛□□」→近世大坂の代表的上層町人の寄贈 2
  金蔵寺町の常夜灯
(元・中府三軒家の常夜灯)
こんぞうじ
(なかぶ)
善通寺市 金倉寺<金毘羅街道> 石常夜灯   天明8(1788)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p31 明治24移設→昭和24丸亀から再移設 寄進: 岡山備前古手屋/現・丸亀市の金比羅街道の三つ角「中府三軒家」にあった3基の常夜灯のうちの1基 2  
写真 与北町の金毘羅常夜灯1
(角下組の常夜灯)
よぎた(すみしもくみ) 善通寺市 <丸亀道> 石常夜灯 高3.26m 寛政7(1795)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p43・172・173/歴史の道5p15・53/市教委 笠の1ヶ所が欠ける/竿に陰刻された寄進者名が削除/用水路設置に伴い下部改修 (竿左面)「金毘羅大権現」、(台石正面)「角下組」/角上組の常夜灯と対をなす/脇に七十丁石が建つ/笠石と宝珠の間に台石があり台石四面に龍の浮き彫り/火袋に日、月の浮彫 2
写真 与北町の金毘羅常夜灯2
(角上組の常夜灯)
よぎた(すみかみくみ) 善通寺市 <丸亀道> 石常夜灯 高3.44m 寛政7(1795)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p45・178・179/歴史の道5p15・53/市教委 竿に陰刻された寄進者名が削除/移設 (竿右面)「金毘羅大権現」、(台石右面)「角上組」/角下組の常夜灯と対をなす/笠石と宝珠の間に台石があり台石四面に龍の浮き彫り/火袋に日、月の浮彫 2
写真 村町の金毘羅常夜灯1 なかむら 善通寺市 <伊予「街道」> 石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高2.35m 文化6(1809)   歴史の道3p16・51/同5p57 昭和21の南海地震で倒壊→昭和52復元 (宝珠正右・左面)「金」、(竿右面)「き/た、たとつ道」、(竿左面)「に/し 、いよ道」/中村町の金毘羅常夜灯2と対をなす(形態は全く異なる)/装飾的な笠石/石工: 畑中八十郎 2
写真 村町の金毘羅常夜灯2 なかむら 善通寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高2.23m 文化7(1810)   歴史の道3p16・52
/同5p57
/同10p49
平成2移設 竿右面)「金毘羅大權現」、(台石右面)「右/た/ど/津/道」、(台石裏面)「左/ 金/び/ら道」、(竿正面)「無盡燈」(緑字は異体字)、(竿裏面)「國家安全」/中村町の金毘羅常夜灯1と対をなす(形態は全く異なる)/石工: 丸亀・半左エ門/竿=角柱状 2
写真 与北町の金毘羅常夜灯3
(与北茶堂跡の金毘羅常夜灯)
よぎた(よぎたちゃどう) 善通寺市 <(与北茶堂)丸亀道> 石常夜灯 高5.08m
(うち、基壇0.83m)
文政11(1828)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p45・174-177/歴史の道5p15・53 昭和21の南海沖地震で倒壊→昭和42復元 (中台の6角の各面に1字ずつ)「金」「毘」「羅」「大」「権」「現」、(台石1・2段目)「大坂/繁榮講」/台石と火袋と笠六角断面=非常に珍しい/基壇部が石板状/竿が円形断面/脇に復元の由来碑が立つ 2
写真 京町の金毘羅常夜灯 ぶんきょう 善通寺市 <多度津道> 石常夜灯(道標兼) 高2.60m 弘化2(1845)   歴史の道5p57 郷土館前に移設 (竿左面)「金毘羅大権現」、(台石左面)「右/古ん/飛ら」(竿裏面)「左 古んぞうじ」 2
写真 蔵寺町の常夜灯 こんぞうじ 善通寺市 <へんろ道> 石常夜灯
(道標兼、凝灰岩)
高1.90m 安政6(1859)   歴史の道6(2)p13
/WEB
移設 (竿右面)「右 世んつうじミち/十八丁」、(竿裏面)「左 古んひら道/五十丁」/竿角柱 2
写真 生野町の金毘羅常夜灯 いかの 善通寺市 <多度津道> 石常夜灯(道標兼) 高2.50m 江戸期   歴史の道5p20・57 原位置?/刻字磨耗大 (竿正面)「金毘羅宮」、(竿右面)「木熊野神社」、(台石正面)「(左指差し)金ひら」、(台石裏面)「(右指差し)多度津」/石基壇なし 12
写真 殿町の金毘羅常夜灯 ひどの 善通寺市 <伊予「街道」> 石常夜灯(自然石) 高1.77m 江戸期   歴史の道3p19・60 移設/刻字磨耗大 (竿)「金毘羅大権現」/竿=角柱状 3 -
写真 吉原町の真念道標 よしはら 善通寺市 曼荼羅寺 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 移設 (正面)「右 編ん路みち、願主/真念」/(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 下吉田町の真念道標 しもよしだ 善通寺市 石神神社 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の里) 移設/基部露出 (正面)「右 編ん路みち、願主/真念」/(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 蔵寺町の題目塔道標 こんぞうじ 善通寺市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高74㎝,幅22㎝,厚21㎝ 明和6(1769)
→寛政元(1789)
→寛政7(1795)
  歴史の道6(1)p27
、(2)p14/WEB
移設 右面)「右 へんろミち」/正面に「南无阿弥陀佛」と陰刻 2 -
写真 村町の道標1 なかむら 善通寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石道標(花崗岩) 高64㎝,18.5㎝角 安永4(1775)   歴史の道3p17・52
/同10p49
個人宅に移設 (正面 )「北 たとつ道」、(右面)「西 いよ道」、(左面)「東、丸め/高まつ、道」、(裏面)「南、せんつうし/こんひら、道」 4 -
写真 原町の道標1 よしわら 善通寺市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高105㎝,幅21㎝,厚20㎝ 天明元(1781)   歴史の道6(1)p21
、(2)p11/WEB
原位置? (正面)「七十二番札所 曼荼羅寺」、(右面)「是ヨリ出、釈迦寺江 五丁/弥谷寺江 廿八丁」、(裏面)「七十四番 甲山寺江 十三丁」 1
写真 下吉田町の道標1 しもよしだ 善通寺市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高65㎝,幅17㎝,厚16.5㎝ 文化2(1805)   歴史の道6(2)p13 移設 (正面)「これより東三丁/石神社」 2 -
写真 原町の道標2 よしわら 善通寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石道標(凝灰岩) 高207㎝,幅36㎝,厚37㎝ 文政6(1823)   歴史の道3p19・52/同10p50 原位置?/風化・摩耗 (正面)「従是 まんたらじへ 十四丁」 1
写真 北町の大師道標 よぎた 善通寺市 <「サカナ道」> 石道標 高120㎝,幅27㎝,厚21㎝ 天保6(1835)   歴史の道5p50 移設 (正面像下)「編んろみち」、(左面)「多どつみち」/右指差し手印下を光背型に刻み込み大師坐像を陽刻 2
写真 田町の大師道標1 ひろた 善通寺市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱
、花崗岩)
高114㎝,23㎝角 天保15(1844)   歴史の道6(1)p22
、(2)p12
移設 (正面像下)「(右指差し)へんろ道」/正面頂部を半円型に削り込んで大師坐像を陽刻 2
写真 蔵寺町の大師道標 こんぞうじ 善通寺市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱
、花崗岩)
高100㎝,幅27㎝,厚18㎝ 天保15(1844)   歴史の道6(2)p13 北へ30m移設 (正面像下)「是ヨリ 金倉寺札所江 三丁」/頂部を削り込み大師立像を陽刻(大師の腕が右を指す) 2
写真 吉田町の大師道標 しもよしだ 善通寺市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高120㎝,幅24.5㎝,厚23㎝ 弘化2(1845)   歴史の道6(2)p13 移設、集約 (正面像下)「編んろミち」、(同右端)「是ヨリ右 石神社へ 一丁」、(同左端)「是ヨリ 金蔵寺江 十八丁」/右指差し手印下を光背型に刻み込み大師坐像を陽刻 2
写真 村町の道標2 なかむら 善通寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石道標(尖頭角柱
、花崗岩)
高194㎝,幅29.5㎝,厚28.5㎝ 弘化2(1845)   歴史の道3p17・52/同10p49 移設 (正面)「左 金飛ら道」、(左面)「右 多と川道 2
写真 吉田町の道標2 しもよしだ 善通寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石道標(花崗岩) 高229㎝,幅29.5㎝,厚30㎝ 弘化2(1845)   歴史の道3p16・51
/同10p47
移設 正面)「左 多と川道」、(左面)「左 金ひら道」 2
写真 弘田町の大師道標2 ひろた 善通寺市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高75㎝,24㎝角 弘化4(1847)   歴史の道6(1)p22
、(2)p12
移設 (正面像下)「(左指差し)弥谷道/へん路ミち」/上部を光背型に削り込み大師坐像を陽刻 2
写真 麻町の道標 おおさ 善通寺市 <多度津道> 石道標(花崗岩) 高171㎝,幅28㎝,厚21㎝ 嘉永5(1852)   歴史の道5p49
/WEB
原位置? (正面)「左 こんひら道」 1
写真 吉田町の道標3 しもよしだ 善通寺市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石道標(花崗岩) 高167㎝,幅36.5㎝,厚29㎝ 万延元(1860)   歴史の道3p16・49
/同10p47
原位置より北へ16m移設 (正面)「右 金倉寺訶利帝社道」、(右面)「東 髙松江 七里/西 觀音寺へ 五里」 2
写真 田町の道標 ひろた 善通寺市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高131㎝,35㎝角 江戸期   歴史の道6(1)p22
、(2)p12/WEB
若干移動 (正面)「(右指差し袖付き)南 弘法大師御誕生所/善通寺/伽藍」、(その下)「東、高松/佛生山/瀧之宮」、(右面)「(右指差し)南、金毘羅/善通寺、道」、(その下)「(左指差し袖付き)北、丸亀/多度津/金蔵寺/塩屋御坊、道」 1
写真 北町の丸亀道町石
(六十六丁)
よぎた 善通寺市 <丸亀道> 町石(花崗岩) 高75㎝,幅19.5㎝,厚17㎝ 江戸期   歴史の道5p10・44 移設 丸亀道の町石は、現存位置に意味がないので、便宜上、丁数順に並べてある/(正面)「百六十六丁」/(右面)「播刕高砂/塩屋四良兵衛」 2 -
写真 与北町の丸亀道町石
(七十丁)
よぎた 善通寺市 <丸亀道> 町石(花崗岩) 高81.5㎝→○㎝,幅18㎝,厚16㎝ 江戸期   金毘羅参詣丸亀街道報告書p43・76/歴史の道5p10・45 移設 (正面)「七十丁」、(右面)「金毘羅大権現」、(左面)「願主 北邊田村/須賀村/講中」/与北町の常夜灯1(角下組の常夜灯)と並ぶ 2 -
写真 与北町の丸亀道町石
(七十五丁)
よぎた 善通寺市 <(与北茶堂)丸亀道> 町石(花崗岩) 高76㎝,幅30㎝,厚29㎝ 江戸期   金毘羅参詣丸亀街道報告書p43・77/歴史の道5p10・45 原位置 (正面)「丸龜入口迄、是ヨリ/七十五丁」、(右面)「作州津山元魚吉屋/治兵衛」/丸亀道の町石の中では異例の表記/丸亀道で2基しかない原位置町石の1つ 1
写真 北町の丸亀道町石
(八十七丁)
よぎた 善通寺市 <丸亀道> 町石(花崗岩) 高64.5㎝,幅16.5㎝,厚15.5㎝ 江戸期   金毘羅参詣丸亀街道報告書p46・82/歴史の道5p10・45 移設、金柵内 (正面)「八十七丁」、(左面)「 江戸小道具屋/柏屋清右ヱ門」 3 -
写真 北町の丸亀道町石
(九十丁)
よぎた 善通寺市 <丸亀道> 町石(花崗岩) 高79.5㎝,幅19㎝,厚17㎝ 江戸期   金毘羅参詣丸亀街道報告書p47・77/歴史の道5p10・45 個人宅の庭に移設/頂部一部欠損 (正面)「九十丁」、(右面)「金毘羅大権現」、(左面)「願主北邊田村/須賀村/講中」 3
写真 吉田町の多度津道町石
(八丁)
しもよしだ 善通寺市 <多度津道> 町石(花崗岩) 高60㎝,幅14㎝角 江戸期   歴史の道5p48 町立資料館に移設/下部約40㎝欠損 多度津道の町石は、現存位置に意味がないので、便宜上、丁数順に並べてある/(正面)「八丁」、 その下に「岩國鮫屋」と陰刻 3 -
写真 吉田町の多度津道町石
(三十七丁)
しもよしだ 善通寺市 <多度津道> 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高85㎝,幅15㎝,厚14.5㎝ 江戸期   歴史の道5p47 移設 (正面)「三十七丁」、 その下に「岩國室木新兵衛」と陰刻 2
写真 京町の多度津道町石
(四十丁)
ぶんきょう 善通寺市 <多度津道> 町石(花崗岩) 高102㎝,幅21㎝,厚20㎝ 江戸期   歴史の道5p48 移設/下部埋没 (正面)「四十丁」、 その下に「岩國塩屋太…」と陰刻 2
写真 吉田町の多度津道町石
(五十一丁)
しもよしだ 善通寺市 <多度津道> 町石(花崗岩) 高60㎝,幅14㎝角 江戸期   歴史の道5p48 下吉田下所公民館に移設/下部埋没 (正面)「五十一丁」、 その下に「岩國川西大…」と陰刻、(右面)「右 まるかめ/左 古んそう寺、みち」/道標を兼ねた町石 2
写真 京町の多度津道町石
(五十五丁)
ぶんきょう 善通寺市 <多度津道> 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高92㎝,幅15㎝,厚16㎝ 江戸期   歴史の道5p48 移設 (正面)「五十五丁」、 その下に「岩國平田屋清八」と陰刻 2
写真 麻町の多度津道町石
(百三丁)
おおさ 善通寺市 <多度津道> 町石(花崗岩) 高89㎝,14㎝角 江戸期   歴史の道5p49 転倒したまま放置 (正面)「百三丁」、その下に「岩國久■白銀屋」と陰刻(■は、○に久の字) 3
写真 与北町の駒乗石
(与北茶堂跡の駒乗石)
よぎた(よぎたちゃどう) 善通寺市 <(与北茶堂)丸亀道> 騎乗石 高26㎝ 江戸期?   金毘羅参詣丸亀街道報告書p15・45 保存状態良好 2段/(側面)「備中/嶋屋仙二郎/早嶌」と陰刻 1
写真 岡大池 ありおか 善通寺市 (北原) 溜池 長460m,高11.9m 徳治2(1307)以前   WEB 堰堤C補強 徳治2の『善通寺伽藍并寺領絵図』に描画→丸亀平野で最古級の溜池 3
写真 田池 かいた 善通寺市 (与北町) 溜池 長597m,高11.4m 慶長17(1612)
→元禄13(1700)
  WEB 堰堤C補強 元は満濃池の下池として築造され、当初「貝田池」と呼ばれていたが、慶長17に2町歩の田地を買い取って池を拡張したことから、「買田池」と改名→元禄13に大庄屋・高畑権兵衛が増築/皿池に近い 3
写真 階池 ひろしな 善通寺市 (弘田町) 溜池 長499m,高6.0m 元禄4(1691)   WEB   ほぼ皿池 2
写真 吉原大池 よしはら 善通寺市 (吉原町) 溜池 長247m,高8.0m 元禄9(1696)   WEB 堰堤C補強/顕彰碑が残る 庄屋・片山権左衛門が、私財を投じて築造/工事が難航したため、「翌朝最初に通りかかった人を人柱にする」ことにしたところ、それが自分の乳母だったという伝承が残る→別名:乳母ケ池 3
写真 地蔵池 じぞう 善通寺市 (大麻町) 溜池 長258m,高3.9m 天保年間(1830-43)?   讃岐のため池誌p525 平成16親水公園→堤を遊歩道化 池周りの土手は、多度津から琴平への金比羅参詣道/皿池に近い 2
写真 壱岐の湧 いき・ゆう 善通寺市   湧水(農業用) 満水面積1080㎡ 徳治2(1307)以前   WEB 「水の駅・壱岐の湧(ゆ)」として整備 徳治2の『善通寺伽藍并寺領絵図』に描画/善通寺市周辺には出水、湧と呼ばれる80ヶ所以上の清水がある 3
写真 二頭出水 ふたがしら・ですい 善通寺市 (生野町) 湧水(農業用) 満水面積800㎡ 江戸期 さぬきの名水 WEB 旧状が分かる程度に修景 2ヶ所から豊富な水が湧いていることから命名/善通寺市周辺には出水、湧と呼ばれる80ヶ所以上の清水がある 2
写真 井清水 ながい 善通寺市 (下吉田町) 湧水(農業用)   江戸期   WEB 旧状が分かる程度に修景 丸亀京極藩主の休憩所「永榎亭」があった/江戸期の石垣と、見事に加工された導水石が特徴/善通寺市周辺には出水、湧と呼ばれる80ヶ所以上の清水がある 3
写真 法大師 産湯の井戸 こうぼう・
うぶゆ
善通寺市 誕生院・西院 石井戸(円形)   平安初期?   WEB 本瓦葺きの堂内/井戸の形態から平安期のものとは思えない 弘法大師誕生時に産湯として、この井戸の水を使ったとの伝承/多度津町の海岸寺・奥の院にも同様のものがある 3
写真 中山の金毘羅常夜灯 なかやま 東かがわ市 <志度道・讃岐国往還> 石常夜灯 高1.42m 天明6(1786)   歴史の道8p56・90
/同10p58
移設 (竿右面)「金毘羅大權現」、(竿正面)「弘法大師」、(同下部)「中山講中ア」/竿が円柱/火袋が丸味を帯びる/石基壇なし/「奉燈」とあるので、街道常夜灯ではない可能性あり 2 -
写真 坂元の金毘羅常夜灯 さかもと 東かがわ市 <讃岐国往還> 石常夜灯(自然石) 高2.40m 文政3(1820)   歴史の道10p56 移設/火袋後補 火袋の前に置かれた小さな香炉(?)の正面に「金、その両脇に「世話人/本屋」と刻まれているが、常夜灯は大胆な自然石なのに、整形された香炉(?)とは違和感があり、一体のものかどうかは疑わしい 2
写真 白鳥の金毘羅常夜 しろとり 東かがわ市 <鵜の田尾越> 石常夜灯(自然石) 高1.70m 文政9(1826)   歴史の道9p64・113 移設/風化が激しい 竿正面)「金/白/地、御神燈」/地は地神、白は白鳥神社、金は金毘羅宮/石基壇なし 2
写真 湊の常夜灯 みなと 東かがわ市 <志度道・讃岐国往還> 石常夜灯 高2.70m 安政3(1856)   歴史の道8p84/同10p57 移設 (台石正面)「湊/講/中」/宝珠に花弁が付いている/中台に装飾的陰刻/猫脚/石基壇あり 2
写真 松崎の常夜灯 まつさき 東かがわ市 <志度道・讃岐国往還> 石常夜灯(道標兼、自然石) 高2.30m 文久2(1862)   歴史の道8p34・76/同10p42 移設/火袋後補 竿正面)「右 古んびら」 2
写真 川東の道標 かわひがし 東かがわ市 <志度道・讃岐国往還> 石道標(花崗岩) 高59㎝,18㎝角 元禄14(1701)   歴史の道8p35・77
/同10p42
移設、集約 (正面)「是ヨリ南 風呂迄/三十五丁」、(右面)「是ヨリ西/金毘羅道 十三里」 2 -
写真 町田の地蔵道標 まちだ 東かがわ市 <志度道・讃岐国往還> 石道標
(舟型、花崗岩)
高64㎝ 延享5(1748)   歴史の道8p76/同10p43 移設、集約/C祠内 (光背右)「右 やくりや志ま道」、(同左)「左 んひら道」/中央に地蔵立像を陽刻 2
写真 五名の大師道標 ごみょう 東かがわ市 <へんろ道> 石道標(駒型)   明和6(1769)   徳島県歴史の道5遍路道p136   (正面像下右)「是ゟ/東 白鳥」、(同左)「是ゟ/北 長尾」/正面頂部を駒型に削り込み大師坐像を陽刻  
写真 坂元の地蔵道標 さかもと 東かがわ市 <志度道・讃岐国往還> 石道標
(丸彫、砂岩)
高127㎝,幅39㎝,厚39㎝ 文化14(1817)   歴史の道8p42・78
/同10p41
移設/RCの洋風祠内 (台石右面)「右 大坂道/左 奈る戸」/台石上に地蔵坐像(光輪、2重の蓮台)の丸彫を載せる 2
写真 湊の道標1 みなと 東かがわ市 <志度道・讃岐国往還> 石道標(花崗岩) 高133㎝,幅24㎝,厚43㎝ 天保10(1839)   歴史の道8p36・77
/同10p42
移設、集約 (正面)「右 あしう道」、(左面)「左 白鳥みち」/右面と裏面にあたる道標の半分は円柱状 2
写真 湊の道標2 みなと 東かがわ市 <志度道・讃岐国往還> 石道標(花崗岩) 高193㎝,幅38㎝,厚35㎝ 天保11(1840)   歴史の道8p37・77
/同10p42
原位置(or 近接移設)? (正面)「右 白登利道」/引田から参拝する者のための道標 1
写真 町田の道標 まちだ 東かがわ市 <長尾道・讃岐国往還> 石道標(花崗岩) 高131㎝,幅33㎝,厚45㎝ 嘉永2(1849)   歴史の道8p34・76
/同10p43
移設 (正面)「左 古んひら道」、(同左端に小さく)「十二リ」、(右面)「右、やく里道 志渡」、(同右端に小さく)「是より、白鳥へ一リ半 引田へ三リ/津田へ二リ 志度へ四リ」、(同左端に小さく)「たづらへ十二リ半 長尾へ三リ 高松へ七リ」 2
写真 窪寺への地蔵町石
(三十八丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高61㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)65/徳島県歴史の道5遍路道p136/WEB 近接移設/下部欠損→C補修/頂部欠損 四国霊場八十八番最後の大窪寺に逆からアクセスするための町石は、旧白鳥町五名(現・東かがわ市)と旧長尾町多和(現・さぬき市)とで形態が全く異なる(八十八番大窪寺が一丁⇒逆順)/「三十/八丁」、(左端)「ゟ うへ大窪寺」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 4 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(三十七丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高67 ㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p65 原位置? (像を挟むように大きく)「三十/七丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 1
  大窪寺への地蔵町石
(三十六丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高55㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p65 現況不明 (像を挟むように大きく)「三十/六丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻   -
写真 大窪寺への地蔵町石
(三十五丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高57.5㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p65 原位置?/像容の磨耗大 (像を挟むように大きく)「三十/五丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 2 -
  大窪寺への地蔵町石
(三十四丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高58㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p65 現況不明 (像を挟むように大きく)「三十/四丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻   -
写真 大窪寺への地蔵町石
(三十三丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高63.5㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p65
/WEB
移設 (像を挟むように大きく)「三十/三丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 2
写真 大窪寺への地蔵町石
(三十二丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高50㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p65 原位置?/頂部欠損 (像を挟むように大きく)「三十/二丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 2 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(三十一丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高58㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p65
/WEB
移設 (像を挟むように大きく)「三十/一丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 2 -
  大窪寺への地蔵町石
(三十丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高59㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p65 現況不明 (像を挟むように大きく)「卅/丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻   -
写真 大窪寺への地蔵町石
(二十九丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高58㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p65
/WEB
原位置? (像を挟むように大きく)「二十/九丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 1 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(二十八丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高54㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64 移設?/下部埋設 or 欠損 (像を挟むように大きく)「二十/八丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 3 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(二十七丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高54㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64 移設/頂部欠損(刻字が半分見えない)/像容の磨耗大 (像を挟むように大きく)「二十/七丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 3 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(二十六丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高60.5㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2p)64
/WEB
移設 (像を挟むように大きく)「二十/六丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 2
写真 大窪寺への地蔵町石
(二十五丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高50㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64
/WEB
原位置?/頂部欠損 (像を挟むように大きく)「二十/五丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 1 -
  大窪寺への地蔵町石
(二十
丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高36㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64 上部欠損 (像を挟むように大きく)「二十/□丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 3 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(二十二丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高55㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64
/WEB
移設? (像を挟むように大きく)「二十/二丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 2 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(二十一丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高56㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64
/WEB
原位置? (像を挟むように大きく)「二十/一丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻/下記の「十丁」と並ぶ 1 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(廿丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高51㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64 原位置? (像を挟むように大きく)「廿/丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 21 -
  大窪寺への地蔵町石
(十九丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高51.5㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64 現況不明 (像を挟むように大きく)「十/九丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻   -
写真 大窪寺への地蔵町石
(十八丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高54.5㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64
/WEB
原位置? (像を挟むように大きく)「十/八丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 1 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(十七丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高50㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64
/WEB
原位置? (像を挟むように大きく)「十/七丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 1 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(十六丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高53.5㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p64
/WEB
原位置? (像を挟むように大きく)「十/六丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻 1 -
  大窪寺への地蔵町石
(十五丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高54㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p63 現況不明 (像を挟むように大きく)「十/五丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻   -
  大窪寺への地蔵町石
(十四丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高51.5㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p63 現況不明 (像を挟むように大きく)「十/四丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻   -
写真 大窪寺への地蔵町石
(十三丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高54㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)p63 移設? (像を挟むように大きく)「十/三丁」/刻字が大きい割に地蔵立像(錫杖)を小さく陽刻 2 -
写真 大窪寺への地蔵町石
(十丁)1
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型)   明和4(1767)   WEB(空海の里) 移設/像容の磨耗大 (像を挟むように大きく)「十/丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻/上記の「二十一丁」と並ぶ 2
写真 大窪寺への地蔵町石
(十丁)
おおくぼ 東かがわ市 <へんろ道> 町石(舟型) 高66㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)p63
/WEB
移設? (光背上部)「十丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻/旧長尾町多和(現・さぬき市)の町石と同じ様式→町境にあった? 2
  引田港のすべり ひけた 東かがわ市 引田港 すべり 長100m以上     歴史の道11p17 現況不明    
写真 宮奥池(別宮池) みやおく 東かがわ市 (西山) 溜池 長140m,高12.5m 延慶3(1310)
→寛永20(1643)
  WEB 昭和53、香川用水から導水 別宮八幡の御供田の用水・放生池として築造→高松藩初代藩主・松平頼重が代官・矢延兵六に命じて改修 3
写真 川田池 かわた 東かがわ市 (西村) 溜池 長198m,高9.7m 寛永年間(1624-44)以前   WEB 昭和21の南海地震で堤体に亀裂→昭和41大規模補修 寛永年間の図に名前があることから、それ以前の築造と推定/皿池に近い 3
写真 原間池 わらま 東かがわ市 (白鳥) 溜池 長355m,高10m 寛永年間(1624-44)?   WEB 昭和37に湊川からポンプ揚水 建造年は伝承 3
  葛峯狼煙場・跡 かずらみね 東かがわ市 引田の安戸池・西 狼煙場 内径3.0m,高1.0m(内高) 江戸末期   古野徳久(ミュージアム調査研究報告1) 内部の落石が大 尾根の151.3mピークから北に下った標高134mの地点/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、現存するのは7ヶ所 3
  蕪越山狼煙場・跡 かぶらごしやま 東かがわ市 (白鳥の北東) 狼煙場 外径4.5m,高1.1m 江戸末期   古野徳久(ミュージアム調査研究報告1) 一部崩壊 鹿浦越岬の尾根を下った鞍部/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、現存するのは7ヶ所 3
  小磯北山狼煙場・跡 こいそきたやま 東かがわ市   狼煙場   江戸末期   古野徳久(ミュージアム調査研究報告1) 接近不能→狼煙筒の地中部分の角礫の石積が視認できる程度 袖掛神社の北隣の低い尾根/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、現存するのは7ヶ所 4
写真 南条町の常夜灯1 なんじょう 丸亀市 <丸亀道・伊予「街道」> 石常夜灯 高3.75m 明和元(1764)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p21/歴史の道3p12・59/同5p11・52 保存状態良好 (竿左面)「農人町/南条町、講中」/丸亀道で最古の常夜灯/常夜灯南側の道は江戸時代には堀=常夜灯は堀に架かる橋のたもとにあった 1
写真 福島町の金毘羅常夜灯1
(元・中府三軒家の常夜灯)
ふくしま
(なかぶ)
丸亀市 みなと児童公園・北口
<金毘羅街道>
石常夜灯
(道標兼、2基、花崗岩)
高4.06m 天明8(1788)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p26・150-153/歴史の道5p12・42 明治24移設→平成元にみなと公園に再移設 (中台正面)「金」、(竿右面)「備前/岡山、古手屋中」、(台石下裏)「左り/こん/ひら道」/金毘羅街道の三つ角「中府三軒家」にあった3基の常夜灯のうちの2基 2
写真 綾歌町岡田西の金毘羅常夜灯 あやうた、
おかだにし
丸亀市 椋木神社<宇多津道> 石常夜灯 高2.60m 寛政5(1793)   歴史の道5p30 土器川の堤防から川へ降りる所にあったものを移設/火袋を木枠で補強 (竿左面)「金毘羅大權現」/石基壇なし 2
写真 大手町の金毘羅常夜灯1 おおて 丸亀市 丸亀市郷土資料館
<丸亀道>
石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高2.43m 文化3(1806)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p13/歴史の道5p42 移設(もと、富屋町南口の堀端) (宝珠下部面)「金」、(竿面)「右 こんら道」、(竿右面)「左 川口」、(台石右面)「上町」/竿石は角柱/中台下面と台石上面に装飾的な突起/石工: 木下廣右衛門 2
写真 倉町の金毘羅常夜 かなくら 丸亀市 <伊予「街道」> 石常夜灯 高2.57m 文化7(1810)   歴史の道3p59 移設 (竿正面)「金毘羅大權現」、(台石正面)「川/西/講/中」/竿石は角柱状/石基壇なし 2
写真 土居町の常夜 どい 丸亀市 蓬莱橋<丸亀道・
へんろ道/土器川>
石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高3.32m 文政4(1821)   歴史の道6(1)p34
、(2)p16/WEB
移設(C基礎上) (台石2段目正面)「川/編/道」/土器川の渡し場の常夜灯/下記の「土居町の金毘羅常夜灯2」と並んで建つ/石基壇なし 12
写真 手町の金毘羅常夜灯2 おおて 丸亀市 丸亀市郷土資料館
<丸亀道>
石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高2.56m 文政4(1821)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p13/歴史の道5p42 移設(もと、富屋町南口の堀端) 竿右面)「金毘羅大權現」、(竿左面)「大神宮/八幡宮」、(台石正面)「右/古ん/ひら/道」、(台石右面)「左/川/口」/石基壇なし/丸亀町内の商人組合(風呂屋・道具屋・髪結屋・豆腐屋・大工…)が奉献 2
写真 野町の金毘羅常夜灯1 いいの 丸亀市 <宇多津道> 石常夜灯 高2.60m 文政8(1825)   歴史の道5p28・61 原位置? (宝珠下部正・右・左面)「金」、(竿右面)「金毘羅大権現」、(台石正面)「免/塲/中」/石基壇なし 1
  飯野町の金毘羅常夜灯2 いいの 丸亀市 <宇多津道> 石常夜灯 高1.80m 文政8(1825)   歴史の道5p61 現況不明 (竿)「金毘羅大権現」  
写真 家町の金毘羅常夜灯1 ぐんげ 丸亀市 神野神社<丸亀道> 石常夜灯
(道標兼、花崗岩)
高3.31m 文政13(1830)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p36・162-164/歴史の道5p14・44/WEB 移設? 竿左面)「金毘羅大權現」、(竿右面)「神野神社/八幡宮」、(台石1段目左面)「すく/こん/ひら/道」、(同正面)「丸/亀/商/人」/石工: 泉屋金藏/石基壇な 2
写真 器町東の金毘羅常夜灯 どき、ひがし 丸亀市 <丸亀「街道」> 石常夜灯 高2.78m 天保10(1839)   歴史の道1p47・66 移設? 竿正面)「金毘羅大權現」、(竿右面)「若王子大權現」、(台石正面)「上/分/氏/子/中」/石基壇なし 2
写真 条町の金毘羅常夜灯1 さんじょう 丸亀市 <丸亀道> 石常夜灯 高2.36m 天保10(1839)   歴史の道5p52 移設? (竿正面)「金」、(竿裏面)「山王権現」、(竿右面)「十日講中」 2
写真 三条町の金毘羅常夜灯2 さんじょう 丸亀市 <丸亀道> 石常夜灯 高2.19m 天保14(1843)   歴史の道5p52 移設/火袋後補 (竿)「金毘羅」、(竿右面)「山王宮」、(台石右面)「下中」/石基壇なし 2
写真 郡家町の金毘羅常夜灯2
(両宮の常夜灯)
ぐんげ
(りょうみや)
丸亀市 <丸亀道> 石常夜灯 高2.28m 嘉永7(1854)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p36・166・167 原位置? (竿正面)「八幡宮」、(竿右面)「金毘羅大權現」、(台石正面)「八中」/石基壇なし 1
写真 綾歌町栗熊の金毘羅常夜 あやうた、
くりくま
丸亀市 住吉神社<高松道> 石常夜灯 高2.40m 安政3(1856)   歴史の道7p42・81 移設/火袋を木枠で補強 (竿正面)「金毘羅大權現」、(竿左面)「住吉大明神」/宝珠に花弁が付いている/石基壇なし 2
写真 居町の金毘羅常夜 どい 丸亀市 蓬莱橋<丸亀道・
へんろ道/土器川>
石常夜灯 高2.20m 安政4(1857)   歴史の道6(1)p34
、(2)p68/WEB
移設(C基礎上) (竿正面)「亀山大權現」、(竿右面)「田潮八幡宮」、(竿左面)「金毘羅大權現」/(台石1段目正面)「渡/場/中」/土器川の渡し場の常夜灯/上記の「土居町の常夜灯1」と並んで建つ/猫脚/石基壇なし 12
写真 原町の金毘羅常夜灯1 くばら 丸亀市 正面寺<丸亀道> 石常夜灯(自然石) 高2.63m
(基壇含まず)
万延元(1860)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p33・157・158/歴史の道5p13・52 正面寺に移設/基壇新設 (竿正面)「金 常夜燈」/扁平な笠石 3
写真 倉町の常夜 かなくら 丸亀市 <伊予「街道」> 石常夜灯
(道標兼、花崗岩) 
高1.60m 安政7(1860)   歴史の道3p14・50 移設/笠・火袋・中台欠損 (竿正面)「左 か里天以社みち」/石基壇なし 4
写真 原町の金毘羅常夜灯2 くばら 丸亀市 <丸亀道> 石常夜灯
(道標兼、花崗岩) 
高2.89m 文久3(1863)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p32・89/歴史の道5p13・43 移設 (竿左面)「金毘羅大權現」、(台石左面)「右/こ/ん/ひ/ら/道」、(台石正面)「園/亀/商/人/中」/石基壇なし/石工: 泉谷金蔵 2
写真 大手町の真念道標 おおて 丸亀市 丸亀市郷土資料館 石道標   1680年代?   WEB(空海の里) 移設/屋外展示 (正面)「右 編ん路みち、願主/真念」/右面に梵字を陰刻/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 山町東坂元の道標 はんざん、ひがしさかもと 丸亀市 <伊予「街道」・讃岐国往還> 石道標(花崗岩) 高155㎝,幅32㎝,厚32㎝ 文化6(1809)再建   歴史の道3p9・48
/同10p46
原位置? (正面)「右 世尊院道 是ヨリ 二王門迠 六丁」 1
写真 条町の道標2→1
(田宮坊太郎墓所道標)
なんじょう
(たみやぼうたろう)
丸亀市 <丸亀道・伊予「街道」> 石道標(花崗岩) 高144㎝,36㎝角 弘化4(1847)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p20・87/歴史の道3p49/同5p11 原位置? (正面)「(右指差し)金毘羅御利生/田宮坊太郎墓所」、(左面)「すぐ こんひら道」/田宮坊太郎は18歳で父の仇を討った後すぐ死亡した講談にもなった人物 1
写真 南条町の道標1→2
(寿覚院山門内の道標)
なんじょう
(じゅかく)
丸亀市 <丸亀道・伊予「街道」> 石道標(花崗岩) 高約1.3m 江戸期?   金毘羅参詣丸亀街道報告書p17・84 移設 (正面頂部)「(左指差し)」、(右面)「(右指差し)右 七拾七番道隆寺へ 二十七丁/左 七拾八番道場寺へ 三十三丁」/謎の多い道標/出典では慶長7(1602)の建立とされているが間違い→江戸期かどうかも不明/正面左指差し上の「こんぴら/ぜんつうじ/へんろみち」は、左指差し下の「往普金毘羅大権現御本地佛/當山十一面観世音菩薩/明治五年八月十七日御招待」と同じ字体なので、明治5年以降の追刻であろう/左面上部には「百八代後陽成天皇御申/慶長七年之歳/明治四拾五年三百十」、下部には「山崎甲斐守殿亀山城(丸亀城)築城/明坂重三郎墓所在地」とあり、この中の「慶長七年」を建立年と読み間違えたものだが、この刻字は、①後陽成天皇(1571-1617)は百八代ではなく百七代、②亀山城ではなく丸亀城、しかも築城開始は1641など間違いが多い/裏面の「人知れず咲いて樂しむ月見草/雲晴れて朝日に見ゆる飯の山」の句は追刻かどうか不明 32
写真 歌町栗熊の地蔵道標 あやうた、
くりくま
丸亀市 <高松道> 石道標(蒲鉾型、砂岩) 高66㎝,幅24㎝,厚12㎝ 江戸期   歴史の道7p42・75 移設?(台石とC接合) (正面像下右)「右 丸亀」、(同左)「左 金毘羅」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵坐像を陽刻 2 -
写真 中府町の丸亀道起点町石
(道案内立石)
なかぶ 丸亀市 <丸亀道・伊予「街道」> 町石(花崗岩) 高110㎝,幅23.5㎝,厚24.5㎝ 明和4(1767)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p25・73/歴史の道3p13・50/同5p12・43 保存状態良好 丸亀道の町石は、年代順、現存位置に意味がないので、便宜上、丁数順に並べてある/(正面)「従是 金毘羅町口江、百五拾丁」、(右面)「奉獻道案内立石」、(左面)「京大坂口仲間中」/琴平町の道案内立石と対をなす(建立者・年とも同じ) 1
写真 番丁の丸亀道町石
(二丁)
いちばんちょう 丸亀市 丸亀市立資料館<丸亀道> 町石(花崗岩)   享和元(1801)   WEB(空海の里) 移設/下部欠損? (正面)「二丁」 4 -
写真 番丁の丸亀道町石
(八丁)
いちばんちょう 丸亀市 丸亀市立資料館<丸亀道> 町石(花崗岩)   享和元(1801)   WEB(空海の里) 移設/下部欠損? (正面)「八丁」、(同その下)「武州兒王郡/森田…」 3 -
写真 番丁の丸亀道町石
(二十丁)
いちばんちょう 丸亀市 丸亀市立資料館<丸亀道> 町石(尖頭角柱、花崗岩)   享和元(1801)   WEB(空海の里) 移設/下部で折損→修復 (正面)「二十丁」、(右面)「金毘羅大 2
写真 家町の丸亀道町石
(五十丁)
ぐんげ 丸亀市 <丸亀道> 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高98.5㎝,幅21.5㎝,厚19.3㎝ 江戸期   金毘羅参詣丸亀街道報告書p37・38・75/歴史の道5p10・44 移設/下部をC固定 (正面)「五十丁」、(右面)「金毘羅大權現」、(左面)「願主 北邊田村/須賀村/講中」 2
写真 一番丁の丸亀道町石
(五十一丁)
いちばんちょう 丸亀市 丸亀市立資料館<丸亀道> 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高92.5㎝,幅18㎝,厚17㎝ 江戸期   歴史の道5p10・44 移設/上端一部欠損 (正面)「五十一丁」、(同その下)「中山道本庄宿/小間物屋講中」 2
写真 一番丁の丸亀道町石
(五十六丁)
いちばんちょう 丸亀市 丸亀市立資料館<丸亀道> 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高58㎝,幅17.8㎝,厚16㎝ 江戸期   歴史の道5p10・44 移設/下部埋設 or 欠損? (正面)「五十六丁」、(裏面)「百四十九丁」、(右面)「加 江戸本石四太…/大和…」/2種類の丁数が刻字されている理由不明 3 -
写真 家町の丸亀道町石
(六十一丁)
ぐんげ 丸亀市 <丸亀道> 町石(花崗岩) 高91.5㎝,幅19.5㎝,厚16㎝ 江戸期   歴史の道5p10・44 個人宅の庭に移設 (正面)「六十一丁」、(同その下)「番州明石西本町/島屋良右ヱ門/西新町/魚屋新兵衛」 3
写真 家町の丸亀道町石
(六十五丁)
ぐんげ 丸亀市 <丸亀道> 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高49.5㎝,幅20.3㎝,厚15.7㎝ 江戸期   歴史の道5p10・44 個人宅の庭に移設/下部折損 (正面)「六十五丁」、(右面)「播刕明石夲甼/住吉屋六右…」 4 -
写真 町の丸亀道町石
(百丁)
ぐんげ 丸亀市 <丸亀道> 町石(尖頭角柱、花崗岩)   享和元(1801)   WEB(空海の里) ほぼ原位置か? (正面)「是より/鳥居まで、百丁」 1
写真 番丁の丸亀道町石
(百五丁)
いちばんちょう 丸亀市 丸亀市立資料館<丸亀道> 町石(尖頭角柱、花崗岩)   明和4(1767)   WEB(空海の里) 移設/下部埋設 or 欠損? (正面)「従是金毘羅江 百五丁」 3 -
写真 中府町の丸亀道町石
(百四十丁)
なかぶ 丸亀市 <丸亀道> 町石
(常夜灯、花崗岩)
高1.63m 文化5(1808)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p25/歴史の道510-11・43 原位置不明/下部の町石部がオリジナル→灯籠化は後世の改修 (正面)「百四十丁/(小さく)金毘羅大権現…」/竿の3面に下総の寄進者76名の名前が陰刻/後補の宝珠は自然石砂岩、火袋は木製/本来丸亀が起点なので、琴平(150丁)に近い140丁が丸亀にあること自体おかしい 3
写真 新堀湛甫 しんぼりたんぽ 丸亀市 丸亀港 船着場 145m×72m,入口幅27m,満潮時水深4.8m 天保4(1833)   市教委(新編丸亀市史2・近世編)/金毘羅参詣丸亀街道報告書p7 大幅改修(C雁木)・修景(オリジナルは水面のみ) 施主: 丸亀藩主、実務: 丸亀藩江戸屋敷・瀬山登/福島湛甫完成(1806)後、旅客の増加により手狭になったため、文政年間の末(1830頃)宿屋・土産物業者から新港構築の願いが出されたのを契機に、廻船業者からの寄付などで築造→金毘羅詣での拠点として賑わった 4
写真 南条町の常夜灯2
(寿覚院の灯籠)
なんじょう
(じゅかく)
丸亀市 <丸亀港?> 石常夜灯 高3.82m 宝暦11(1761)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p7・137-140 明治44改築/移設/歌の刻字下部が判読困難な状況(この部分にのみ存在意義がある) (竿面)「講中」/(台石2段目正面)「波風に/吹きさらされし/石灯籠/千代の世までも/光り樂む」「雲晴れて/朝日に見ゆる/いひの山/人知れず咲て/樂/月み草」→歌の内容、明治44改築という点が下記の「南条町の常夜灯3(寿覚院山門前の灯籠/元・福島堪甫の常夜灯)」と類似→この常夜灯も港に関係していた可能性あり(竿正面に「奉獻」と刻字されており、本来はリスト対象外)/石基壇なし 23
写真 南条町の常夜灯3
(寿覚院山門前の灯籠)
(元・福島堪甫の常夜灯)
なんじょう
(じゅかく)
(ふくしまたんぽ)
丸亀市 <福島堪甫> 石常夜灯(道標兼) 高3.90m 寛政8(1796)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p16・132-136/現地解説板 福島堪甫の突堤→明治44に壽覚院山門脇に移設→平成6に再移設 (宝珠台)4面に「金」、(竿)「金毘羅大権現」、(台石1段目)「大坂 講中」、(台石4段目・北面)「左/金毘羅道」「本宮/百五十八丁」「善通寺/本堂/百八丁」「箸藏寺/三百五十三丁」、(台石4段目・西面)「右 七七番/鴨道隆寺/二十八丁/四國遍路道/観世音札所外」「左 七八番/宇多津/道場寺/三十三丁」、(台石4段目・東面)「福島町突堤/破損石燈籠/明治四十四年/十月十日/運志人名…」→この最後の部分は、壽覚院への移設を指した追刻/台石3段目には大正9年の追刻もある/(台座4段目・南面)「汐風に/吹き/あらされし/石灯籠/再世/生る/有明/月/身をさけて/花をさか/した/ふじの/はな」の歌/金毘羅詣の海の玄関として整備された福島堪甫(1806)の常夜灯→港の整備と常夜灯の創建と10年の開きがある→当然、当初は「福島堪甫の突堤」には建っていなかった 2
  笠島港の常夜灯 かさじま 丸亀市(笠島) 笠島港 石常夜灯   文化11(1814)   市教委 移設の可能性? 竿=円筒状/基壇石垣なし 2
  立石漁港の常夜灯 たていし 丸亀市(広島) 立石漁港 石常夜灯   文政6(1823)   市教委   島の東部の立石には廻船問屋が集中    
写真 福島町の金毘羅常夜灯2
(元・新堀湛甫の金毘羅常夜灯)
ふくしま
(しんぼりたんぽ)
丸亀市 <新堀湛甫> 石常夜灯   天保2(1831)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p7-8・130・131/WEB 昭和45頃不完全修復→平成18、丸亀駅北口に移設・完全修復 笠4面に唐破風突起(その中に、「金をで囲んだ印」が浮彫)、(竿)「金毘羅大權現」/猫脚/新堀湛甫開港2年前に完成 3
写真 丸亀港の金毘羅常夜灯
(新堀湛甫の太助灯籠)
まるがめ
(しんぼりたんぽ、
たすけ)
丸亀市 新堀湛甫<金毘羅街道> 青銅常夜灯(海運) 高7.09m(うち、青銅部5.28m) 天保9(1838)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p7・91-129/歴史の道11p32・62 昭和41補修、昭和53復元、昭和61嵩上 (台石)「江戸講中」/青銅の3段の台には寄進者や世話人ら1380人の名前(住所・職業付き)が刻字/寄進者の中で、1面を占め、最高額の80両を寄付した江戸本所の「塩原太助」の名にちなみ「太助灯籠」と呼ばれることもある/金毘羅詣の海の玄関のシンボル/八角は蓮華をかたどったもの/当初は12基建てる予定→3基実現→2基は戦時中に金属供出で喪失 2 写真
写真 塩屋町の舟繋石 まえじおや 丸亀市 正宗寺 舟繋石(花崗岩)   江戸期?   WEB 移設 (正面)「舟つ奈ぎ岩」→舟繋という文字が刻字してある例は稀 2
写真 楠見池 くすみ 丸亀市 (飯山町) 溜池 長328m,高10.3m 正保年間(1644-48)   市教委(飯山町誌p296)/WEB 堰堤C改修 高松藩初代藩主・松平頼重のもとで溜池を100余の溜池を築いた下級武士・矢延平六の修築(三谷池と旧楠見池を合わせて一つの池とした) 23
写真 仁池 丸亀市 (飯山町) 溜池 長328m,高16m 慶安2(1650)
→享保14(1729)
・文化8(1811)改修
  市教委(飯山町誌p299)/WEB 堰堤がサイクリングロード化 高松藩初代藩主・松平頼重のもとで溜池を100余の溜池を築いた下級武士・矢延平六の築造/仁池を必要以上に大きくしたとの誣告を受けて阿波に追放されたとの伝承がある(高松市の新池と類似した話) 2
  小津森池 こづもり 丸亀市 (綾歌町) 溜池 長540m,高14.5m 寛文12(1672)頃→文化7(1810)嵩上   市教委(綾歌町のふるさと探訪p13)/WEB 明治27の旱魃後に4倍に拡張 高松藩初代藩主・松平頼重のもとで溜池を100余の溜池を築いた下級武士・矢延平六の築造(WEBデータが正しいとすれば、阿波に追放され、その後許されて帰国後の築造)/文化7に大庄屋・木村又左衛門が嵩上げ(その時点で、長258m,高8.1m)/皿池に近い 3
写真 宝憧寺池 ほうどうじ 丸亀市 (郡家町) 溜池 長2260m(3つの池の計),高5.6m 延宝4(1676)頃   WEB 平成5改修 慶長年間から下池→仁池→上池の順に築造/施工: 多田佐多衛門義光/ほぼ完全な皿池/宝憧寺下池・上池・仁池の3つの溜池が堤防を挟んで四角い形を作っている 2
写真 田村池 たむら 丸亀市 (田村町) 溜池 長1356(1188?)m,高4.6(4.7?)m 宝永7-享保3(1710-18)頃?   市教委/WEB 旧状を留めている 宝永7-享保3の旱魃を受けて築造したとされる/ほぼ完全な皿池/堤防を挟んで太井池と隣接 1
写真 打越下池 うちこしした 丸亀市 (綾歌町) 溜池 (創建時)長480m,高12-16m 文政12(1829)   市教委(綾歌町のふるさと探訪p12)/WEB 堰堤の改修度・大 大庄屋・木村又左衛門・甚三郎父子の3度にわたる請願を受け、高松藩の郡奉行・荒川儀三郎らの指導のもとで築造 3
  本島の札場 ほん 丸亀市
(本島)
木烏神社<塩飽勤番所> 札所(本瓦葺き切妻屋根)   江戸後期 市有形 WEB 保存状態良好 天領だった塩飽の勤番所からの触れ書、法度、掟書などを掲示し、一般に周知した場所(24ヶ所→3ヶ所、この地区で現存する唯一の大型札場) 1
  手島の札場 丸亀市(手島) <塩飽勤番所> 札所(本瓦葺き切妻屋根)   江戸後期   WEB 保存状態良好 天領だった塩飽の勤番所からの触れ書、法度、掟書などを掲示し、一般に周知した場所(24ヶ所→3ヶ所、小型) 1
写真 法然上人 櫂堀井戸 ほうねん、
かいほり
丸亀市 (正宗寺) 石井戸   承元元(1207)   WEB 井戸周辺が練石で改修/井戸そのものは鉄蓋で覆われて見えない 法然上人が讃岐配流になり塩屋浜に上陸した際、清水が欲しくなり乗ってきた舟の櫂で浜を掘ったところ水が湧き出たとの伝承/井戸口が掘り下げてある 3
  専称寺下共同井戸 せんしょうじ 丸亀市(笠島) (笠島集落) 石井戸   文政12(1829)以前   市教委 保存状態良好 文政12の絵図に記載 1
写真 詫間町詫間の金毘羅常夜 たくま、たくま 三豊市 <多度津「街道」> 石常夜灯 高1.67m 寛政11(1799)   歴史の道2p23・37 移設/笠欠損、火袋・中台が適当に置かれている (竿正面)「金毘羅大現」/竿は角柱/石基壇なし 14 -
写真 山本町神田の金毘羅常夜灯1 やまもと、
こうだ
三豊市 <伊予・土佐道> 石常夜灯 高2.02m 寛政11(1799)   歴史の道7p57・85 原位置? (竿右面)「金毘羅大現/出雲大社」/竿は角柱/石基壇なし 1
写真 山本町神田の金毘羅常夜灯2 やまもと、
こうだ
三豊市 <伊予・土佐道> 石常夜灯(自然石) 高2.35m 文化11(1814)   歴史の道7p58・85 原位置?/火袋木製(後補) (竿正面)「金毘羅大現」/石基壇なし 2
写真 山本町神田の常夜 やまもと、
こうだ
三豊市 <伊予・土佐道> 石常夜灯 高2.83m 文政元(1818)   歴史の道7p58・85 原位置?/火袋後補 (竿左面)「當組中」/竿は角柱/石基壇なし 21
写真 山本町辻の金毘羅常夜灯 やまもと、
つじ
三豊市   石常夜灯   文久3(1863)   WEB(空海の道) 原位置 (中台正面右端)「金」、(同左端)「箸」(=箸蔵)、(台石正面)「施/主/十/方」/猫脚/石基壇あり/下記の「山本町辻の道標」と並ぶ 1
写真 財田町財田上の常夜灯 さいた、
さいたかみ
三豊市 <箸蔵越> 石常夜灯 高2.80m 文久3(1863)   歴史の道9p40・102 移設 (竿左面)「箸」/宝珠に花弁が付いている/猫脚/石基壇なし 2
  間町詫間の常夜 たくま、たくま 三豊市 <多度津「街道」> 石常夜灯 高1.40m 文久3(1863)   歴史の道2p24・37 加嶺峠→道路拡張工事のため移設 竿=角柱状/基壇なし 2
写真 山本町辻の真念道標 やまもと、
つじ
三豊市 (大興寺庫裡前庭) 石道標(尖頭角柱)   1680年代?   WEB(空海の道) 移設 (正面)「左 編ん路みち、願主/真念」/(右面)「(梵字)南無大師遍照金剛」/へんろ道で最初に体系的に整備された道標群(200基余→36基現存) 2
写真 三野町大見の地蔵道標 みの、おおみ 三豊市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高82㎝,幅27㎝,厚30㎝ 宝暦9(1759)   歴史の道6(2)p8 移設(台石新設)/正面像下が剥離して刻字消失 (左面)「弥谷 十八丁」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵立像(蓮台)を陽刻 3
写真 三野町大見の徳右衛門道標 みの、おおみ 三豊市 弥谷寺・参道階段
<へんろ道>
石道標(花崗岩) 高173㎝,幅26㎝,厚23㎝ 寛政6-文化4
(1794-1807)
  歴史の道6(1)p19
、(2)p8
移設? (正面)「従是 曼荼羅寺迄 廿五丁」→振り仮名「与里 古れ 満んだ らじ ま天」がうってある→きわめて稀)、(左面)「願主/予州 越智郡 朝倉上村/徳右衛門」/徳右衛門道標らしくない普通の細い角柱状道標/主として寛政6-文化4に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つ(120基程度現存) 2
写真 高瀬町下勝間の徳右衛門道標 たかせ、
しもかつま
三豊市 <伊予「街道」・へんろ道・讃岐国往還> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高139㎝,幅22㎝,厚20㎝ 寛政8(1796)   歴史の道3p53/同6(2)p7/同10p50/WEB(空海の里) RC祠内→刻字が見にくい (正面)「是より 弥谷寺迄 三里十八丁」、(左面)「願主 予州 越智郡 朝倉村 徳右ヱ門」/頂部に大師坐像を陽刻/尖頭角柱は異例/主として寛政6-文化4に四国遍路道に沿って約250基建立された「武田徳右衛門丁石」の1つ(120基程度現存)⇒建立年が刻字してあるものは2割弱 3
写真 山本町神田の道標 やまもと、
こうだ
三豊市 <伊予・土佐道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高88㎝,幅24㎝角 寛政8(1796)   歴史の道7p57・58
・78
平成3、交差点西に移設 (正面)「右、二宮道三本/松より又右江行」、(左面)「従是二宮社迠/拾六丁一五間」 2
写真 豊中町本山甲の道標 とよなか、
もとやまこう
三豊市 <伊予「街道」・
讃岐国往還>
石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高106㎝,幅31㎝,厚31㎝ 寛政9(1797)   歴史の道3p53/同10p51 移設 (正面)「右 路道」(緑字は異体字)、(左面)「左、うら門ゟ寺内/入納經所あり 2
写真 高瀬町上高瀬の大師道標 たかせ、
かみたかせ
三豊市 <へんろ道> 石道標
(丸彫、花崗岩)
高67㎝ 寛政12(1800)   歴史の道6(1)p18
、(2)p7
移設、集約 (台石正面)「左 編んろみち/是ヨリ いや谷へ 三十九丁」、(台石左面)「是ヨリ□□」/背の高い台石上に大師坐像の丸彫を載せる 3
写真 三野町大見の題目塔道標 みの、おおみ 三豊市 <へんろ道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高115㎝,幅23㎝,厚23㎝ 文化3(1806)   歴史の道6(1)p19
、(2)p9
移設 (右面)「左 大師堂」、(その下)「弘法大師御窟」、(裏面)「右 札所/本尊千手観音」/正面に「(梵字)光明真言百萬遍法界平等…」と陰刻 12
写真 豊中町本山甲の大師道標 とよなか、
もとやまこう
三豊市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高64㎝,幅25㎝,厚24㎝ 文化15(1818)   歴史の道6(1)p16
、(2)p6
原位置?/下部埋没 面)「右 遍路道」/正面頂部に大師坐像の浮彫り 21 -
写真 野町大見の地蔵道標 みの、おおみ 三豊市 <へんろ道・弥谷道> 石道標(丸彫)
(花崗岩・砂岩)
高131㎝
(うち、台石75㎝)
文政5(1822)   歴史の道6(1)p19
、(2)p8/四国遍路道調査研究会1p41・42
信仰の対象 (台石正面)「(左指差し袖付き)右 丸かめ道/左 へんろ道」、(台石右面)「寺地講中」/台石上に地蔵の半跏坐像(後から載せたものと推定されている) 2
写真 山本町神田の金毘羅里程道標 やまもと、
こうだ
三豊市 <伊予街道> 石道標(花崗岩) 高148㎝,幅28㎝,厚24㎝ 弘化4(1847)   歴史の道7p59・78
/WEB
平成5復元 (正面)「こんひら大門ゟ 一里」/伊予見峠の頂上に建つ 3
写真 山本町砂川の金毘羅里程道標 やまもと、
すながわ
三豊市 <伊予街道> 石道標 高131㎝,幅24㎝,厚19㎝ 弘化4(1847)?   WEB 家と家の隙間 (正面)「こんひら大門ゟ 弐里」/上記「山本町神田の金毘羅里程道標」と同一時期に建立と推定 1
写真 山本町辻の金毘羅里程道標 やまもと、
つじ
三豊市 (山本支所)<伊予街道> 石道標 高150㎝,幅19㎝,厚24㎝ 弘化4(1847)? <山本町・文化財> 現地解説板/WEB 河内橋西から移設 (正面)「こんひら大門ゟ 三里」/上記「山本町神田の金毘羅里程道標」と同一時期に建立と推定 2
写真 野町大見の道 みの、おおみ 三豊市 <へんろ道> 石道標(花崗岩) 高205㎝,幅40㎝角 元治元(1864)   歴史の道6(1)p19
、(2)p9
移設、集約 (正面)「右 札所道」、(左面)「左 大師堂道」 3
写真 山本町辻の道標 やまもと、
つじ
三豊市 <伊予・土佐道> 石道標(尖頭角柱、花崗岩) 高158㎝,
幅35.5㎝角
元治元(1864)   歴史の道7p56・77 原位置 (正面)「左 いよミち」、(右面)「右 かんおんじ道」、(左面)「右、こんひ/はしら、道」/上記の「山本町辻の金毘羅常夜灯」と並ぶ 1
写真 本山寺~弥谷寺の地蔵町石(六丁)