石畳 

   都道府県別データ一覧にある現存長さ100m以上の石畳

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 羽黒山参道の石段 はぐろさん 山形/鶴岡市 羽黒山参道 石階段 長1.7㎞(2446段) 寛永7(1630)前後   いでは記念館 保存状態良好 羽黒山中興の祖と言われる天祐別当が石階段と杉並木を一体的に整備/途中の石段に酒盃、徳利、瓢箪などが33個彫られている→石段の上面に線刻→階段が狭くて急なため足元に注意させるためだと言われている 1 写真
  板谷街道の石畳 いたや 山形/米沢市 <板谷街道> 石畳道 長約200m 慶長3(1598)   市教委 当時のまま   2
写真 黒沢峠の敷石道 くろさわ 山形/(西置賜)小国町 <越後街道> 敷石道 残存石畳総数約3600枚,長約1.8㎞ 天保10(1839) 歴史の道百選 WEB 埋もれていたものを掘り起こし復元された/昭和55年に「黒沢峠敷石道保存会」を発足し、多くの協力のもとに敷石道を復元 越後米沢街道13峠の1つ/幕末の天保10(1839)、安政5(1858)、慶応3(1867)の3回の改修工事/角石を一列に並べる(二列の部分もある)/イザベラ・バードが明治11に苦心して通ったことでも知られる 1 写真
写真 萱野峠の敷石道 かやの 山形/(西置賜)小国町 <米沢街道> 敷石道 長約800m(掘り起し) 天保10(1839)? 歴史の道百選 WEB 旧街道の姿を再現/地元住民が平成19(2007)から復興作業を進めている 越後米沢街道13峠の1つ/角石を一列に並べた部分、石畳状の部分が混在/イザベラ・バードが明治11に苦心して通ったことでも知られる 2
  滝沢峠の石畳 たきざわ 福島/会津若松市 <白河街道> 石畳道 長約300m 寛永4-11(1627-34)   市教委 一部破壊されたが復元 天正19年に白河裏街道として開通/寛永11年に石畳道に改修し、それ後は滝沢道が表街道 3
写真 氷玉峠の石畳 ひだま 福島/
(大沼)会津美里町
<下野街道(会津西街道)> 石畳道 長約300m,
幅約1.6m
江戸前期   町教委 現在見れるのは発掘調査を行った30m ボーリング調査などの結果、約300mは地中に埋っていると考えられる 3
  束松峠の石畳 たばねまつ 福島/
(河沼)会津坂下町
<越後街道> 石畳道 長約1㎞,石:長約91㎝,幅約30㎝,厚約12㎝ 元文4(1739)頃   町教委/歴史の道・越後街道p68/WEB 約1㎞に渡って断続的に敷石が所々に露出している/切石の石畳だったため、近代に入り炭焼等に使われ、10m程度を残して現存せず 束ね松峠は泥岩の風化した粘質土壌のため、対策として石畳が整備されたと思われる 4
写真 安塚の敷石道 やすづか 新潟/上越市 <松之山街道・三国街道> 敷石道 長2㎞,
敷石:直径40-50㎝,厚10㎝
戦国期 市史跡 市教委/歴史の道3p16 保存整備が行われている/道幅に関しては後世の拡幅の可能性(最上部の道幅は狭い) 土道の中央に一列に並べられた全ての石に2-3㎝幅の筋目をつけて滑り止めにしている→判明して限り国内で唯一の事例(実際、普通の石畳がきわめて滑りやすいのに対し、安全に歩くことができる) 2 写真
写真 大沢峠の石畳 おおさわ 新潟/村上市 大沢峠<出羽街道> 石畳道 長300m 江戸期   市教委/歴史の道10(巻頭) 当時の雰囲気を残して、保存されている 松尾芭蕉が奥の細道の旅で通った道として有名 3
写真 京ノ瀬の石畳 きょうのせ 新潟/(東蒲原)阿賀町 <会津街道> 石畳道
(花崗岩の割石、自然石)
長4.2㎞(当初)→1.4㎞,幅2m 寛文年間(1661-72) 町史跡 町教委/WEB/歴史の道11 保存状態は区間により異なる/断続的(「どうしん坂」の500m区間に残る300mの石畳が最良) 新発田・村上両藩の殿様が参勤交代の際に通ったことから「殿様街道」、「新発田街道」とも呼ばれた 3
  滝尾古道の石畳 たきお 栃木/日光市 開山堂~滝尾神社 石畳道 長約700m 室町時代?   WEB 保存状態良好 二荒山神社別宮の滝尾神社への参道/東照宮造営以前の杉並木 1
写真 箱根の東海道石畳 はこね 神奈川/
(足柄下)箱根町
芦ノ湖付近<東海道> 石畳道 長2.66㎞ 文久2(1862)改修 国史跡 町教委/WEB 基本的に文久2(1862)の改修時のまま/史跡指定された旧道3.66㎞の中に断続的に残る
(觀音坂、割石坂、大澤坂、西海子坂、橿木坂、猿滑坂、白水坂、天ケ石坂、權現坂)
文久3(1863)、和宮内親王が第14代将軍・徳川家茂に降嫁するにあたり、その前年に大改修されたもの(実際には中山道を通った)/平均3.6m
の道幅の中央1.8mに石を敷き詰めた/最初の石畳化は、史料はないが、箱根西坂(静岡県側)が石畳化された延宝8(1680)頃だと思われる
〔写真は權現坂の石畳〕
1 写真
写真 菊川坂の石畳 きくがわ 静岡/島田市 <東海道> 石畳道 長160m,
幅2.9-4.2m
江戸後期? 県史跡 市教委(東海道菊川坂石畳p13-19) 保存状態良好/平成13に菊川坂の上部にも石畳が敷かれたが、その区間はもともと石畳のなかった場所なので観光用のイミテーション 菊川坂の集落に近い部分が「青ねば」と呼ばれる“雨が降ると非常にぬかるむ”地質であったため敷設された(工事に触れた文書は存在しない→伝承により文政、弘化などの説がある)/大小の山石を組み合わせ、やや隙間を開けて敷き詰められており、大きな石は65×50cmの楕円形をしている 1
写真 本坂峠の石畳 ほんざか 静岡/浜松市(北区) <姫街道> 石畳道 長約100m?,
幅1.2-1.9m
江戸期   WEB 保存状態良好 本坂峠の両側の石畳道(下記の「象鳴き坂」もその一部(最も急勾配の場所) 1
  箱根西坂の東海道石畳
(願合寺)
はこね、
がんごうじ
静岡/三島市 <東海道> 石畳道(安山岩) 長721m(オリジナル部188m) 延宝8(1680) 国史跡 市教委/WEB 平成7整備復元(オリジナルの石畳が欠損していた部分約278mは石材を補填して復元) 西坂は、概ね尾根の頂部を一直線の通る構造のため平均勾配16.7%と急で、かつ、地山のロームがむき出しであったため雨や雪の際はぬかるんで滑りやすい悪路であった→竹敷き→延宝8に石敷き/三島市内では峠に近い部分から、願合寺、腰巻、浅間平、上長坂、笹原の順に残る/石畳のオリジナル比率26% 2
写真 箱根西坂の東海道石畳
(笹原)
はこね、
ささはら
静岡/三島市 <東海道> 石畳道(安山岩) 長380m(オリジナル部145m) 延宝8(1680) 国史跡 市教委/WEB 平成8整備復元(オリジナルの石畳が欠損していた部分235mは石材を補填して復元) 同上/三島市内では峠に近い部分から、願合寺、腰巻、浅間平、上長坂、笹原の順に残る/石畳のオリジナル比率38% 2
写真 箱根西坂の東海道石畳
(上長坂)
はこね、かみながさか 静岡/三島市 <東海道> 石畳道(安山岩) 長370m(オリジナル部153m) 延宝8(1680) 国史跡 市教委/WEB 平成8整備復元(オリジナルの石畳が欠損していた部分217mは石材を補填して復元) 同上/三島市内では峠に近い部分から、願合寺、腰巻、浅間平、上長坂、笹原の順に残る/石畳のオリジナル比率41% 1
写真 箱根西坂の東海道石畳
(浅間平)
はこね、せんげんだいら 静岡/三島市 <東海道> 石畳道(安山岩) 長330m(オリジナル部178m) 延宝8(1680) 国史跡 市教委/WEB 平成8整備復元(オリジナルの石畳が欠損していた部分約152mは石材を補填して復元) 同上/三島市内では峠に近い部分から、願合寺、腰巻、浅間平、上長坂、笹原の順に残る/石畳のオリジナル比率54% 1
写真 箱根西坂の東海道石畳
(山中一里塚・下)
はこね、
やまなか
静岡/(田方)函南町 <東海道> 石畳道 長1.9㎞(オリジナル部約600m) 文久元(1861) 国史跡 WEB/町教委 オリジナル部の保存状態良好 文久元(1861)に大改修工事を行った際の石畳 1
写真 八鬼山道の石畳 やきやま 三重/尾鷲市 <熊野街道(熊野古道)> 石畳道(土道、石段を含む) 長7.5㎞,幅1.7-2m 不詳(17世紀前半?) 国史跡 熊野古道と石段・石畳p11/WEB 長7.5㎞にわたって石畳が連続しているわけではない→しかし、断続的に続くため分割表示することは不可能 標高627mの八鬼山道の峠越え=熊野街道随一の難所/北側の籠立場下の石畳や、七曲がりの石畳(長280m)ほか、全線にわたって、土道、自然転石、石畳、石階段が交錯しながら続く/大雨による路面の流出・崩壊の防護と、夏草やシダ類の繁茂抑制のため/全体に階段が多い 1-2
  曽根次郎坂・太郎坂の石畳 そねじろう・たろう 三重/尾鷲市・熊野市 <熊野街道(熊野古道)> 石畳道(土道、石段を含む) 長10㎞ 江戸期 国史跡 熊野古道と石段・石畳p12 長10㎞にわたって石畳が連続しているわけではない→しかし、断続的に続くため分割表示することは不可能/苔が多い 甫母峠(標高302m)北部(尾鷲市側)の標高100-120mの間には、2時期の造成による新旧の石畳・石段の重複区間がある/全体に階段が多い 1
  三木峠道・羽後峠道の石畳 みき、はご 三重/尾鷲市 <熊野街道(熊野古道)> 石畳道(土道、石段を含む) 長6㎞ 江戸期 国史跡 熊野古道と石段・石畳p11-12 長6㎞にわたって石畳が連続しているわけではない→しかし、断続的に続くため分割表示することは不可能 石段部は大小の石を雑然と積み上げた構造/全体に階段が多い 2
写真 波田須道の石畳 はだす 三重/熊野市 <熊野街道(熊野古道)> 石畳道(石階段を含む) 長300m,幅2m 江戸以前(鎌倉時代?) 国史跡 市教委/熊野古道と石段・石畳p14 保存状態良好 鎌倉時代の造成とされる説があるが(現地でもそう書いてある)、それを裏付ける具体的史料は未発見/石畳を外観で判断すると、江戸期の石畳よりは古い石組に見えるが(大ぶりの石材を使った重厚な造り)、戦国からどの程度遡るかは判断できない/最大長100㎝を超える隅丸長方形石材を利用しだ石段が連続する区間がある 1
写真 松本峠道の石畳 まつもと 三重/熊野市 <熊野街道(熊野古道)> 石畳道(石階段を含む) 長600m,幅約2.3-3.2m 江戸期 国史跡 市教委/熊野古道と石段・石畳p15-6 近世の部分も少なくとも2回以上普請がされている/木本町側登り口に近代以降の石畳 長さ2.3mの石桁橋、立派な石の擁壁、岩盤削り出し階段を含むよく整備された石畳・石段道/熊野古道、特に、伊勢路を代表する石畳道 1
  通り峠道の石畳 とおり 三重/熊野市 <北山道> 石畳道(土道部分もある) 長390m,幅1-1.5m 江戸期 国史跡 熊野古道と石段・石畳p18 何回かの修復が加えられている 風伝峠から吉野に向かう北山道/ほとんどの部分が2列の幅の狭い石畳 2
写真 ツヅラト峠道の石畳   三重/(北牟婁)紀北町・(度会)大紀町 <熊野街道(熊野古道)> 石畳道(土道、石階段を含む) 長200m 江戸期 or それ以前 国史跡 熊野古道と石段・石畳p8 保存状態良好 峠付近では岩盤露出→削り出し石段/谷斜面の土道下に石垣(高3m以上の部分も)/標高353mの峠を高低差にして200m以上下った辺りに石畳・石段(石畳は非整形) 1
写真 馬越峠道の石畳 まごせ 三重/(北牟婁)紀北町・尾鷲市 <熊野街道(熊野古道)> 石畳道(土道、石段を含む) 長5㎞ 江戸期 国史跡 熊野古道と石段・石畳p9-10 長5㎞にわたって石畳が連続しているわけではない→しかし、断続的に続くため分割表示することは不可能 最大約3mの石、2m級の石が点在→峠に近づくにつれ小型・稠密化/縦開削型の道造りの多用が馬越峠道の特徴 1
  宣旨帰りの石畳 せんじがえり 三重/(南牟婁)紀宝町 <川端街道> 石畳道 長約200m,幅1m弱 戦国?~江戸以前   WEB 保存状態良好 熊野川の崖を削って造られた道/後白河上皇の宣旨(命令文書)をもった使者が引き返したと云われる難所(伝承が正しくても、当時から石畳があったかどうかは不明) 1
写真 横垣峠道の石畳 よこがき 三重/(南牟婁)御浜町 <熊野街道(熊野古道)> 石畳道(土道部分もかなりある) 長約10,幅5m 江戸期 or それ以前 国史跡 熊野古道と石段・石畳p16-17 長10㎞にわたって石畳が連続しているわけではない→しかし、断続的に続くため分割表示することは不可能 横垣峠(標高310m)と坂ノ峠(同288m)を含む峠道/坂ノ峠以西に、よく整った石畳・石段が見られる=特に同峠から西へ100mほど下った丘陵斜面部の石畳は完成度が高い 1 写真
写真 風伝峠道の石畳 ふうでん 三重/(南牟婁)御浜町・熊野市 <熊野街道(熊野古道)> 石畳道(土道部分もかなりある) 長257m,幅1.8-1.9m 江戸期 or それ以前 国史跡 熊野古道と石段・石畳p17 保存状態良好 御浜町側には、外縁石を用いた幅広の立派な石畳区間がある 1
写真 刈安峠の石畳 かりやす 岐阜/高山市 <位山道> 石畳道 長約200m,幅約1.5m 室町期?   市教委/日本古代道路辞典/WEB 未改修 発掘調査を指導した三重大学名誉教授(考古学)の八賀晋は、石畳の道が奈良・平安時代に造られたと推定→古代道路研究会はこの見解を否定→ここでは、石畳の状態から、江戸期より古いと判定、仮に室町期とした/角のとれた山石が貼られている 1
写真 落合の石畳 おちあい 岐阜/中津川市 <中山道> 石畳道 長840m 江戸期 国史跡 市教委(歴史の道・中山道整備事業報告書p34-43、54-57、73-89) 中山道全体が国史跡/90%以上の部分が復元/観光地化 中山道十曲峠の石畳/江戸期の石畳は、歴史の道整備事業(昭和63-平成7)が始まる前は3ヶ所(計70.8mの区間)だけ残っていた 3
写真 琵琶峠の石畳 びわ 岐阜/瑞浪市 <中山道> 石畳道 長730m,幅約2m程度 天保2(1831)敷設 or 補修 県史跡 市教委/中山道保存整備事業報告書 昭和45石畳発見/平成7-12、歴史の道整備事業として石畳や一里塚を江戸時代の姿に復元(6割程度がオリジナル) 美濃国で最も高い峠(標高557.1m)を越える道/往時の面影を残す一里塚・道標・馬頭観音等が現存/開削当時のノミ跡を残す岩や、土止め工事、側溝工事の跡などもある 2
  唐木峠の石畳 からき 富山/南砺市 若杉~峠<五箇山街道> 石畳道 約200m 文政12(1829)? 市史跡 市教委/WEB 放置状態 標高690m/赤土で滑り易いため、近くの谷間にあるざらざらした凝灰岩が敷かれた/幅は狭く不規則 3
写真 殿様道の石畳 とのさま 石川/七尾市   石畳道 長約500m,
幅約1.8m
文政10(1827) 市史跡 市教委/
現地解説板
保存状態良好(現存する「殿様道」は1.2㎞なので、石畳はその4割程度) 豊田町村・吉左衛門と浜田村・久七が郡奉行に願い出て藩費で築造/道路幅の半分程度に石畳を敷設/翌文政11に、幕府の巡検上使が通った他、嘉永6(1853)に加賀藩第13代藩主・前田斉泰が能登巡検をした際にも通った 1
写真 鹿俣峠の石畳 かなまた 福井/福井市 鹿俣町~東大味町
<朝倉街道>
石畳道 長約100m? 江戸期?   市教委 旧道にまだらに石が残る 朝倉街道は、戦国大名・朝倉氏が経済・軍事目的で整備したもので、写真の峠を越えると、朝倉氏の本拠地である一乗谷の入り口(上城戸)へと通じていた/朝倉氏の滅亡後、柴田勝家によって拠点が北ノ庄、北陸街道沿いに再び移されたため、朝倉街道は使用されなくなったと解釈されている/石畳化の時期は不明 3
写真 平泉寺旧参道の石畳 へいせいじ 福井/勝山市 <平泉寺> 石畳道 約700m,幅3.0m 中世 日本の道百選 市教委 昔からの参道 社寺参道としては最古・最大級/平泉寺は天長9(832)に白山信仰の拠点として開山/参道石畳も永享12の火災後の構築の可能性が高いが発掘遺構ではないため証拠がない→末年の同じなので必ず中世の石畳 1 写真
写真 平泉寺南谷の石畳 へいせんじ、みなみだに 福井/勝山市 <平泉寺> 石畳道 長約280m,
幅約1.8-3.0m
15世紀中頃
~天正2(1574)
国史跡 市教委(史跡白山平泉寺旧境内発掘調査報告書) 発掘遺構 中世起源とはっきり分かっている大規模な石畳群/平泉寺が永享12(14
40)に火災で焼失した後、約600の坊院を含め一気に復興されるが、その際に都市計画のように石畳の道路網も整備された(発掘結果に基づく分析)/末年の天正2は中世・平泉寺の焼亡の年
2
  普甲峠の石畳 ふこう 京都/宮津市 小田 石畳道 長約1㎞ 江戸初期   市教委 断続的に残る 宮津藩主が軍事上の必要から、丹後と丹波を分ける峠道を付け替えた際に敷設したもの 3
写真 滝坂道の石畳 たきさか 奈良/奈良市 <柳生街道> 石畳道 長1㎞弱 江戸中期   市観光協会 保存状態良好/観光地化 奈良奉行によって石畳が敷き詰められた 1
写真 暗峠の石畳 くらがりとうげ  大阪/東大阪市・
奈良/生駒市
暗峠頂上
<暗越奈良街道>
石畳道 長100m,幅4m 江戸期   市教委/近畿地方の歴史の道2p34 改修され、上に新たに石畳が敷かれている 暗越奈良街道の生駒山地における難所で、特に大阪府側は超急勾配が麓から峠まで約2.5km続く/峠の頂上には小さな集落がありこの付近のみ、路面が石畳になっている
3
写真 祓殿王子の石畳 はらいど 和歌山/田辺市 <熊野古道> 石畳道 長約100m 江戸期 国史跡 WEB/市教委 参道的整備 比較的少雨で石畳があまり敷設されなかった地域に敷設された数少ない石畳 2
  熊野古道大辺路の石畳 くまの・おおへち 和歌山/
(東牟婁)串本町
<熊野古道> 石畳道 長約150m 江戸期? 国史跡/
世界遺産
県教委 保全整備 熊野参詣道・大辺路にあった石畳道 2
写真 那智滝の石段 なち 和歌山/
(東牟婁)那智勝浦町
  石階段(花崗斑岩) 長約100m 鎌倉期? 国史跡/
世界遺産
和歌山県文化財目録p116 保全整備/那智滝を見るための観光客が必ず通るルート 那智の滝に降りていく階段/新宮市の神倉神社の石段などと一緒に造営されたとの伝承がある/神倉神社の石段と比べると造り方にかなり差があるが、時代の違いと見るか造り手の違いと見るかは微妙なところ 2
写真 大門坂 だいもん 和歌山/
(東牟婁)那智勝浦町
<熊野古道> 石畳道・石階段
(砂岩)
全長654m 嘉永4-7(1851-54)頃? 国史跡/
世界遺産
WEB 保全整備/杉並木とのコンビネーションが見事/熊野古道の面影をもっとも美しく残している石畳道 那智大社の嘉永の造営にあわせ新たに造営されたと推定するのが最も妥当と考えられている(それ以前にも、何らかの石敷はあったかもしれない)/上記の「那智滝の石段」と石材や石の使い方が異なるので、幕府が関与した外部の普請の可能性が高いが史料は残っていない 1 写真
  鹿ヶ瀬峠石畳 しかがせ 和歌山/(日高)日高町 鹿ヶ瀬峠<熊野古道> 石畳道 長503m,幅1.0m 近世 町史跡 町教委/WEB 昭和63年に修復 熊野古道の中で、連続して残る石畳としては最大級 2
写真 駆馳山峠の石畳 しちやま 鳥取/(岩美)岩美町 <山陰道> 石畳道 長約152m,幅約2m,最大石約180×60㎝ 文化9(1812) 国史跡 WEB/歴史の道8p15-16 原形通りだが、草が繁茂 備前から来た多十郎という六部僧が、峠の悪路に難渋していた村人を助けるため、寄付を募って造った 2
写真 川床道の石畳 かわどこ 鳥取/(西伯)大山町 大休峠・西<川床道> 石畳道 長511m,幅約1.2m 天保-安政年間(1830-60)   歴史の道10
p3,4,41,49/町教委/WEB
保存状態良好 付近の村人によって大山寺への参道の一部として寄進造成(別所村の庄屋・小村定右衛門が私財を投じて造ったとの説も)/東伯方面からの大山参詣と牛馬市往来に利用された/沢の部分は長めの石を2列に並べて水抜きの役目を果たせるよう配慮/火災で記録が残っていないため築造年間などは推測 1
写真 大山寺参道の石畳 だいせん 鳥取/(西伯)大山町 大山寺~大神山神社奥宮への参道 石畳道 長約700m,幅約2.6m 寛政8(1796)   WEB 保存状態良好 路肩を縁石で固定し、細長い石材を意図的に混入させた堅固で他に例のない石畳/石畳というよりは舗石に近く、道を横断する細い水路溝も縁石できっちり仕切られている 1
写真 美保関の青石畳 みほのせき 島根/松江市 美保関 石畳道〔町中〕
(青石、笏谷石)
長約200m,
幅約3m
天保~弘化期(1830-47)   市教委/WEB 沈下・破損のため修復・復元 廻船問屋が集まっていた(50軒ほど)美保関の町中を舗装したもの⇒現存する江戸期の石畳の99%は峠などの路面損傷防止用に造られたもので、町中の石畳は極めて稀/町中は青石、美保神社参堂脇は笏谷石で舗装⇒青石は近くの海中から切り出したもの、笏谷石(越前産)は北前船にバラストとして積まれていたもの/山間部の石畳と違い、石のサイズがほぼ均一できれいに組み合わせられて隙間のないのが特徴 1
写真 才ヶ垰の石畳道 さいがとう 島根/浜田市 <浜田三次往還> 石畳道(玄武岩) 長約1㎞
→長約150m,
幅約1.5-1.85m
文化年間(1804-17)   市教委/歴史の道9
p26
大半はアスファルト舗装されてしまい、北端に150mほどが残るのみ 三隅竜雲寺住職・崑山石瑞が勧進し、付近の住民が築いた/有福方面とを結ぶ道 3
写真 笠松峠の石畳道 かさまつ 島根/浜田市   石畳道 長1.2㎞,幅1.2m 文化8(1811) 市史跡 島根県の歴史街道p202/WEB 建造当初の状態が近年の復元なしに保たれている貴重な存在 保存状態を含めると、全国で最もよく江戸時代の「峠の石畳」の雰囲気を感じさせる遺構/やや小ぶりの敷石材を使用/急勾配部分は階段化/波佐と長安を結び、鉄や和紙を運ぶ重要な街道 1 写真
写真 佐野の石畳道(ダンゴ坂) さの 島根/浜田市 <芸州街道> 石畳道(花崗岩) 長約120m,
幅約2.5m
江戸期   市教委/歴史の道9
p10
上部は崩壊/小規模な修復 坂道に平たい石を敷き詰めた、非常にきれいな石畳道/浜田藩主が参勤交代に利用していた 2
  田の迫の石畳道 たのさこ 島根/(邑智)邑南町 <浜田三次往還> 石畳道 長約500m 江戸期   歴史の道9p47 放置   3
写真 中座の山陰道石畳 なかざ、
さんいん
島根/(鹿足)津和野町 <山陰道> 石畳道 長150m,幅(内側1.4~1.9m,外側2.8~3.3m) 中世起源
(石畳の敷設年代は不明)
国史跡 町教委 発掘出現のため、保存状態は最良 発掘された石畳道/石畳だけでなく、石垣・石擁壁ともに非常に立派/敷石は小さいもので0.3m、大きいもので1m/江戸期の下関と京都を結ぶ商工業者の流通道 1
写真 ヶ峠の石畳 ますがとう 島根/(鹿足)津和野町 <津和野廿日市街道> 石畳道 長約1.5㎞ 元和3(1617)以降
(石畳の敷設年代は不明)
  歴史の道6p27
/WEB
車道が峠道を分断/保存状態の良い部分と放置部分が混在 石見銀山大森代官所の役人が、大森から日原・畑迫にあった幕府直轄領を往来する道/石畳は、峠の麓の鉄砲丁橋から枡ヶ峠を越え和田町までの区間 3
写真 船通山の石畳道 せんつう 島根/(仁多)奥出雲町 船通山
(鳥上滝コース)
石畳道(土道部分もかなりある) 長約1㎞ 江戸期~明治期?   町教委/WEB 昭和45~46に約100m改修 鳥上滝コースは全長約2.2㎞で石畳部分と土道部分が混在/たたら製鉄が盛んに行われた時代に炭焼に使用する木材を馬に運ばせるために整備された石畳道/正確な建造年代は不明 1-3
  石見津和野路の石畳
(石見津和野路石だたみ道)
いわみつわのじ 広島/廿日市市 <石見津和野路> 石畳道 長約400m 江戸期 市史跡 WEB/佐伯商工会/佐伯郡・大竹市の文化財p133 自然遊歩道として整備/栗栖~悪谷~中道~生山峠の間に石畳が所々残存 廿日市~石見津和野を結ぶ官道に整備された石畳/津和野の亀井氏が江戸参勤の際に利用 2
写真 下津田の石畳 しもづた 広島/(世羅)世羅町   石畳道 長約200m,幅1.2-1.4m 大永2(1522)   町教委 保存状態良好 16世紀初期の石畳が、良好な保存状態で残るのは非常に稀/塩の道として、津田明神山城主・金築少輔七郎の家臣・中村宗太郎光重が構築/石の最大が200×70cm 1
写真 千林尼の棚井山田石畳道 せんりんに、たないやまだ 山口/宇部市 <棚井小路> 石畳道 5ヶ所,長585m→計約200m,幅1.4-2.2m 慶応年間(1865-68) 市史跡 WEB/歴史の道2p136 断続的に残存→個々の保存状態は良好 幕末に千林尼が托鉢をして寄付金を集めて造成した石畳路/雨水や湧水によるぬかるみや表土の流出を防ぐよう、比較的平らな石の面を上にして道の中心部に敷き詰めている/山陽道に接続する道 1
写真 千林尼の大休・指月石畳道 せんりんに、たいきゅう・しづき 山口/山陽小野田市 <指月道> 石畳道 長260m,幅1.5m 文久2(1862) 市史跡 市教委 一部残存 船木逢坂の観音堂に住んでいた千林尼が険しい坂道を行き来する人馬の苦しみを見かね、自ら托鉢をして浄財を集めて敷いた石畳道の1つ 3
  鶴林寺道の石畳 かくりん 徳島/(勝浦)勝浦町 <へんろ道(鶴林寺道)> 石畳 長257m,幅1.7-3.3m 江戸期? 国史跡 阿波遍路道報告書1p27-30 数度にわたる改修→最後は昭和59 周辺部で採取される「子持ち石」を使用した部分が最古/途中、車道で1回分断 2
写真 犬寄峠の石畳 いぬよせ 愛媛/伊予市 犬寄峠<大洲街道> 石畳道 長約100m,
幅約1.8m
江戸期   歴史の道5p23 保存状態はやや放置に近い   2
写真 七曲りの石畳 ななまがり 愛媛/四国中央市
<土佐街道>⑥ 坂道、石畳道 8ヶ所(長約100m,50m他) 江戸期   WEB(四国の古道・里山を歩く)/WEB 保存状態やや良好(手付かずのまま) 笹ヶ峰に向かう最後の急坂 2
写真 法華津峠の石畳 ほけづ 愛媛/西予市 <宇和島街道> 石畳道 長約500m
→約230m
江戸中期   歴史の道6p29 一部損壊 割石を敷き詰めた石畳/赤土地帯でよく滑り浸食もひどかったため急な坂道に石畳を敷き詰めた 2
  下山の石畳 しもやま 高知/安芸市 (河野) 石畳道 長約100m 江戸期   市教委     2
  下関の石畳 しもぜき 高知/(長岡)本山町 山下家・前<北山道> 石畳道 長約100m 江戸期?   歴史の道・参勤交代北山道p47     1
写真 古八丁越の石畳 こはっちょう 福岡/朝倉市・嘉麻市 <秋月街道> 石畳道(一部に花崗岩) 長585m(嘉麻市)
(寸断、最長連続箇所は125m)
文政(改修記録)以前   嘉麻市市教委
/WEB(みさき道人)
朝倉市側は歩きやすい/嘉麻市側は未改修のため旧状が分かりにくい(林業による一部破損あり) 永禄10(1567)に文献に現れる歴史のある峠道/冷水峠が開削されるまでは、幹線街道/新八丁越の完成で寛永7(1630)に閉鎖、正徳元(1711)に追加で人馬通行禁止令が出されている/石畳は1630以前の築造の可能性が大 2
写真 冷水峠の石畳 ひやみず 福岡/飯塚市 (内野)<長崎街道> 石畳道 長約2㎞,
幅1.8m(最大でも)
慶長16(1611)   市教委
/WEB(みさき道人)
修景的に整備/筑紫野市側は滅失 毛利但馬/開削以来、幹線街道として使用され続けた(それまでは、古八丁越が幹線ルート) 2
写真 鬼の石段 おに 福岡/豊前市 求菩提山(上宮~中宮) 石階段 約850段 平安末期? 国史跡 求菩提資料館 保存状態良好 加工度の低い石を大胆に並べた急勾配の石段/和歌山県新宮市にある「神倉神社の石段」(1299以前)と雰囲気が似ている 1
写真 亀ノ尾道石畳 かめのお 福岡/(筑紫)那珂川町 <肥前・筑前街道> 石畳道 長約450m 江戸期 歴史の道百選 町教委
/WEB(みさき道人)
当時のまま(時代の経過に伴う石の凸凹はある) 市ノ瀬~亀ノ尾峠~五ヶ山を結ぶ道 2
写真 オランダ坂の石畳   長崎/長崎市 東山手<外国人居留地> 石畳 切通・オランダ坂:切石布目敷(斜)、活水坂:切石布目敷(直)/長330m 文久2(1862)以降   馬場/WEB 拡幅・石畳の敷き直しなど改変点は多いが、全体の雰囲気には「長崎らしさ」が色濃く漂っている/マンホールを敷石の下に埋設 文久元年居留地設定計画書の中で、石橋から教会に至る緩やかな坂道を造り舗装することを決定した旨の記述があり、翌2年、東山手11番にプロテスタントの教会堂が完成しているので、この頃に石畳も整備されたと思われる 3 写真
写真 今市宿の石畳 いまいち 大分/大分市 <肥後街道> 石畳道〔町中〕 長660m,道幅8.5m
(うち、中央の敷石幅2.1m)
文禄3(1594)以降 県史跡 市教委/WEB 保存状態良好/石畳の両側の土道は舗装 中川秀成が文禄3の岡城主として移封されてから、岡領の宿場として整備したというのが県の『歴史の道調査報告書 肥後街道』のスタンス。その際に、上・下町からなる一筋道の宿場、中央の両町境で道路をクランク状に曲げ、境の上に「火防藪床」と呼ばれる竹林を設けたとある。庄屋・伝兵衛の祖先が整備した説や、加藤清正の関与説などが流布しているが、ここでは中川氏の関与を正説としたい。石畳の敷設は当初からの可能性もあるし、「元禄四年ゟ往還道床ニ成」という記載に意味があるとすれば元禄4(1691)以降かもしれない 1 写真
写真 柞原八幡宮の裏参道石畳 ゆすはら 大分/大分市 柞原八幡宮・裏参道 石畳道 長約200m 江戸期   市教委/WEB 保存状態良好/石畳の両側の土道は舗装 柞原八幡宮の境内参道ではない(遥か手前) 1
写真 赤坂の石畳 あかさか 大分/大分市 <肥後街道> 石畳道 長100m以上 江戸期   WEB 保存状態良好(放置に近い)   2
写真 酢屋の坂 すや 大分/杵築市 杵築城下 石畳道〔町中〕 長100m,高低差3.7m 正保2(1645)前後?     江戸期の姿をかなり留める 2つの台地上に武家屋敷が形成され、その下に町屋が形成されたため、全国でも例のない特異な城下町が形成された→坂の多い城下町/北台武家屋敷(上級武士)~町屋/上記「志保屋の坂」と向かい合っている/下るほど道幅が狭くなっているのは、戦時に敵を迎え撃つにも有利な構造とされている/杵築の坂道の代表 1 写真
写真 永山布政所路 なかやま、
ふせいしょ
大分/中津市 <日田往還> 石畳道(一部) 長100m 寛永16(1639)以降   市教委 旧国道と現国道が重なるように残る/鶴市神社(中津市相原)付近は旧道の雰囲気が残る/出葉に石畳が残る 日田の永山布政所と四日市の陣屋を結ぶ道 3
写真 川原隧道前後の石畳 かわばる 大分/日田市 <日田往還> 石畳道 天ヶ瀬側:長600m,
日田側:長100m,
幅1.5m
文政年間頃(1821-31) 県史跡 市教委/WEB 平成2の集中豪雨で石畳が20mにわたり崩壊→翌年度に修復 西国筋郡代・塩谷大四郎正義の命による日田往還改修に伴い川原隧道の前後に敷設された石畳(石敷による荷車等の通行改善が目的)/工事には豆田町の豪商・廣瀬久兵衛が協力 1
写真 石坂石畳道 いしさか 大分/日田市 (市ノ瀬~伏木峠)
<日田往還>
石畳道 長1.21㎞,幅2.2-2.8m 嘉永3(1850) 県史跡/歴史の道百選 市教委/現地解説板 保存状態良好/石畳の中央と両側部で風化の度合いが異なり他に例のない2色の石畳となっている 隈町の掛屋・京屋作兵衛が周防の石工に私財で造らせた石畳道/牛・馬の歩行の便を考慮して工夫して作られている/16ヶ所の屈曲部をもつ峠道/石畳の中央部分(約96㎝)には堅い切石、その両側(各約60㎝幅)に山の自然石を敷く/勾配の急な部分には牛馬の通行を考え2・3歩進んでは1段上がるよう緩い段差が設けれている 1 写真
写真 犬飼の石畳と蒲鉾石 いぬかい 大分/豊後大野市 犬飼地区 石畳道(縁石付き)
〔町中〕
長800m 江戸期   WEB 保存状態良好 岡藩主・中川公が通った石畳の道/石畳の両側に蒲鉾石が置いてある→カマボコ形の縁石の上部に穴を開け、殿様が通る時は穴に柱を立て板を張り目隠しとした 2
写真 湯平温泉の石畳 ゆのひら 大分/由布市 湯平温泉 石畳道〔町中〕 長約500m 享保年間(1716-35)   WEB 温泉街のシンボル的存在 病魔退散を祈願し工藤三助が敷設/温泉街の中心に敷かれた石畳/温泉関連の遺産/街を覆う鄙びた風情や情緒ある佇まいの演出に効果 1 写真
写真 皇産霊神社参道の石畳 こうさんれい 大分/由布市 (北方)皇産霊神社・参道 石畳道 長106.6m,幅1.64m 江戸期 市有形 市教委/WEB(みさき道人) 市道により一ヶ所切断 角形をした大きな石板をきれいに並べた構造→江戸期としては稀/江戸期の名称は妙見宮→室町時代の武将・狹間直重による創建で、石畳も狹間氏による創建との説もあるが、保存状態から見て、臼杵藩主稲葉氏による修復の一環によるものであろう 1
写真 八丁坂の石畳 はっちょう 大分/(玖珠)玖珠町   石畳道 長約600m 江戸期   WEB(旧街道を歩く)
/町教委
保存状態良好 森藩の参勤交代路 1
写真 二重峠の石畳 ふたのえ 熊本/阿蘇市 <豊後街道>
/阿蘇の外輪山
石畳道 長約1.6km,幅約2.8~3.3m 江戸中期以前 市史跡 市教委/WEB 歴史の道保存整備事業で修景復元 阿蘇の外輪山を西で越える二重峠(標高683m)の石畳/標高差約200mを99折れの急坂で登る難所/石畳の流失を防ぐため排水溝が設けられている(石畳の敷石を低めて、石畳上に斜めの溝をつくり、左手の流水を右手へ移す構造) 2
写真 滝室坂の石畳 たきむろざか 熊本/阿蘇市 <豊後街道>
/阿蘇の外輪山
石畳道 長約3km→断続3ヶ所残存→350m,幅3.8m 江戸中期以前?   WEB 歴史の道保存整備事業で修景復元/後世拡幅された部分はC舗装 阿蘇の外輪山を東で越える滝室坂(標高653m)の石畳/標高差約200mを急坂で登る豊後街道最大の難所=「大坂に坂なし、板梨に坂有り」 3
写真 境ノ松の石畳 さかいのまつ 熊本/(阿蘇)産山村 <豊後街道> 石畳道 長200m,幅2.3m 文化8(1811) 村史跡 村教委 火山灰土のため何度も普請/昭和59から5年かけて復元整備 施主:惣庄屋・久住善兵衡/肥後と豊後の国境の「松」にちなんだ名 2
写真 八勢の石畳 やせ 熊本/(上益城)御船町 <日向往還> 石畳+石階段 長約500m,
幅4~5m,160段
安政2(1855)   WEB 当時のまま 八勢眼鏡橋と同時に施工/巨石(全て1m大)を敷き詰めた段差の低い石段と、石畳の組合せ/崖側の開削も見事 1
  赤子谷の石畳 あかごだに 熊本/(上益城)山都町 <日向往還> 石畳道 長120m,幅1.6m 江戸期?   歴史の道・日向往還 保存状態良好   2
写真 道明の石畳 どうみょう 熊本/(菊池)菊陽町 <南郷往還> 石畳道 約180m,幅約2m 中世(14C以前)? 町史跡 町教委 昭和46 熊本空港開港の際、約3㎞にわたり滑走路に→道明~高遊原台地間のみ石畳が現存 わが国で最古級の石畳の可能性がある(石組みが古い)/肥後の国府は9~14世紀まで、現在の熊本市古町にあり、当時の政治経済の中心地となった/南郷往還は肥後国府と阿蘇南郷とを結び、豊後(大分)に続く重要な道路だった 3
写真 龍門司坂の石畳 たつもんじ 鹿児島/姶良市 <大口筋(薩摩街道)> 石畳道(凝灰岩) 長約1.5㎞→487m,
幅4m(最大7m)
寛永12(1635)→元文6(1741)石畳化 国史跡 姶良町教委/現地解説板 保存状態良好 江戸初期に開削された大口筋の新道/石畳化の時期は古文書に明記されている/加工し易い溶結凝灰岩の石切場が近くにあったため、石材を角材型に加工して使用→石組みが見事/斜面に敷かれた石畳がずれないよう、縦に深く埋める石列まで設けられている/国内に数ある石畳道の中でも、石組の見事さは特筆に値する 1 写真
写真 白銀坂の石畳 しらかね 鹿児島/
姶良市・鹿児島市
<大口筋(薩摩街道)> 石畳道(安山岩) 約4㎞→約2.7㎞
(古い石畳部分は延長1㎞以上,幅2m)
18世紀前半? 国史跡 姶良町教委/WEB 平成8-15の8年をかけて、埋没していた石畳をほぼ昔通りに復元 戦国時代(1550代)の開設→戦国時代には島津貴久や義弘などの武将たちがこの坂に陣を構えたといわれている/石畳化の時期は不明だが、同じ大口筋にある鹿児島城下より遠い「龍門司坂」が元文6(1741)に石畳になっているので、それと同時期の施工と推測される/高低差は300m以上あり、中腹の「七曲り」といわれる急勾配の箇所に石畳が敷かれている/上記「龍門司坂の石畳」に比べると、硬い安山岩の地山の転石を粗加工して使用したため、ごく標準的な石畳道となっている 2
写真 掛橋坂の石畳 かけはし 鹿児島/姶良市 蒲生町・北~西浦 石畳・石段 長337m 寛政8(1796)以前 市史跡 市教委 保存状態良好 切石を敷き詰めた石畳と、地山の石を削った石段とからなる/年貢米を運ぶのに使われた 1
写真 大田坂の石畳 ウフタ・ビラ 沖縄/うるま市   石畳道(石灰岩) 長約300m,
幅2-3m
1800年頃 市史跡 WEB オリジナル分(摩耗した石)は100m/後は戦後の復旧 あかばんた掟、玉城親雲上、上門小ビニーの3人の企画と設計で施工/石が密集して置かれ、平坦に敷き詰められているわけではない 2
写真 当山の石畳道 とうやま 沖縄/浦添市   石畳道(石灰岩) 長約200m,
幅3-4.5m
17世紀後半頃 市史跡 WEB   琉球王国時代、首里城と沖縄本島中部を結ぶ中央街道の一部/地元で「馬転がし(ウマドゥゲーラシ)」などとよばれていた 1
写真 城町石畳道 きんじょう 沖縄/那覇市 <真珠道> 石畳道〔町中〕
(石灰岩)
約8㎞→
長約300m,
幅5.3-3.0m
1477-1526年頃 県名勝 市教委/現地解説板/WEB 那覇を代表する観光地 尚真王代に南部へ通ずる重要道路(真珠道)の一部として修築された/石灰岩を加工して「あいかた積」のように敷き詰めた石畳/石畳に降った雨が周辺の井戸の水源になるよう工夫されている(現地解説板) 2 写真
写真 垣花の石畳 かきのはな 沖縄/南城市   石畳道(切通し部を含む) 長約250m,
幅約1m
14世紀前半?   WEB 保存状態は良好 垣花城~垣花樋川を結ぶ石畳/急勾配 2
写真 サムレー道(侍道)の石畳   沖縄/(島尻)伊是名村
(伊是名島)
  石畳道 長約2㎞ 琉球王国時代 村史跡・
名勝
WEB/村教委 全長にわたって石畳がそのまま残る 伊是名集落にある銘苅家とグスク跡を結ぶ旧道 1 写真
写真 ピサダ道   沖縄/(八重山)竹富町
(西表島)
<慶来慶田城翁屋敷~大平井戸> 石段道 長約100m 16世紀初頭 町史跡 現地解説板 保存状態良好/日本軍による改変の可能性 「ピサダ」は大平井戸の周辺にあった水田の地名に由来/16世紀初頭の石畳 2