道路隧道

   都道府県別データ一覧にあるBランク以上の道路隧道

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
  綾戸の穴道 (綾戸の隧道) あやと 群馬/渋川市   素掘トンネル 長17m,高2m,幅2m 弘化3(1846)
→元治元(1864)拡幅
  市教委 国道17号工事の際に破壊→穴道の入口跡が対岸からかろうじて確認できる程度 利根・沼田方面への溝呂木街道と七曲り十八坂越が難所だったため、沼田町の金剛院第26世住職・江舟と周辺の村役人らが綾戸道の切開を計画し11年がかりで完成させた/江戸期の人道用トンネルは稀少 4
  燈籠坂の大師堂隧道 とうろうざか 千葉/富津市 参道 素掘トンネル   江戸期?~近代   市教委/WEB 保存状態良好 縦に異様に細長い断面+車がかろうじて通れる幅→恐らく、昭和18まで幹線道路として利用されていた時代に掘り下げて拡幅した結果だと推測される 4
写真 称名寺の洞門 しょうめいじ 神奈川/
横浜市(金沢区)
称名寺 素掘トンネル   元亨3(1323)以前 市史跡 WEB 西側が良好に残る/現在通行禁止 称名寺と金沢文庫をつなぐ要道/元亨3(1323)に描かれた「称名寺絵図」に阿弥陀堂のうしろの山麓に両開きの扉があり、その洞門の位置に一致 3
写真 釈迦堂口洞門 しゃかどうぐち 神奈川/鎌倉市   素掘トンネル   平安末期~鎌倉初期   明治期に入口部分を拡幅〔写真に映っている部分はオリジナル〕/通行止め 鎌倉七口の切通しではない/三浦惣領家の杉本義宗(1126-64)が開削した三浦大道(三浦と義宗邸を結ぶ近道)に造られたトンネルの可能性が高い/横浜市の「称名寺の洞門」が元亨3(1323)以前なので、釈迦堂隧道は近世以前で最大断面だけでなく、わが国最古の道路用トンネルであり、非常に価値が高い 1 写真
  戸隠荒倉山隧道
(松沢トンネル)
とがくし・あらくら 長野/長野市   素掘トンネル 長約29m,幅2.4m 慶応3(1867) 市史跡 WEB 山中にあるため途中の道は放置されているが、峠のトンネル部分は普通に歩行可能 技術指導: 松沢語一郎(トンネルの別名の由来)/荒倉山を越え鬼無里・戸隠に通じる手掘りの隧道で、7年かけて人力によって開かれたもの/荷駄が通りやすいよう中央が掘り下げてある/麻を煮る際に必要な薪炭の輸送で昭和30 年代まで盛んに使われていた 2
  法善壁 ほうぜん 福井/大野市 <美濃街道
(3本あるうちの1つ)>
片洞門 長30m程度 江戸期?   市教委 接近困難 断崖絶壁に付けられた道/近代の可能性もある 4
写真 千原峠の隧道 ちはら 京都/福知山市   素掘トンネル 長11m,幅1m,
高1.5m
江戸中期?   WEB(旧道倶楽部) 保存状態良好/通行可能 峠の一枚岩を貫通して造られた人道トンネル/開削年代不明だが峠の入口に江戸中後期の墓標が道に沿って並んでいる→江戸中期頃の開削と推定される/近畿地方に残る恐らく唯一の道路トンネル 2
写真 青の洞門 あお 大分/中津市 山国川(右岸) 素掘トンネル 長342m(うち、トンネル部144m) 明和元(1764) 県史跡 市教委 明治39-40に大改修が行われかなりの部分が破壊された/現在は、車道の横に「明り採り窓」などの素掘り部分が一部に残る 禅海和尚が30年あまりかけて完成させ、難所で苦しむ人々を救った/菊池寛の小説『恩讐の彼方に』に有名に/江戸期の人道トンネルは極めて稀 4 写真
写真 一ツ戸洞門 ひとつと 大分/中津市 山国川(左岸)<日田往還> 素掘トンネル 長78m 文化2(1805)   永冨 謙
/WEB
明か取りの窓:7ヶ所→2ヶ所残存 日田の代官・羽倉権九朗/青の洞門の影響を受けた素掘りの人道トンネル/江戸期の人道トンネルは極めて稀 3
写真 川原隧道 かわばる 大分/日田市 <日田往還> 石合掌トンネル 52m(実測値),
幅2m,高3m
文政年間頃(1821-31) 県史跡/選奨土木遺産 市教委/WEB/馬場 合掌式の部分と素掘の部分がある/合掌式の部分の保存状態は非常に良い/WEBサイトによりトンネルの延長に様々な数値が記されているため、市教委が2013.10に再実測し公式値を再確認した 西国筋郡代・塩谷大四郎正義の命による日田往還改修に伴い築造された江戸期では稀な道路トンネル(トンネル化による距離短縮が目的)/開削時期を文政年間としたのは、この時期に塩谷大四郎正義が日田往還の改修を行ったとされているため/工事には豆田町の豪商・廣瀬久兵衛が協力/トンネル入口の石柱に「嘉永七年甲寅八月吉日 切抜之内甃寄附 豆田町 広瀬久兵衛 石工 中國助次郎」との刻銘あり、一般的には嘉永7(1854)を川原隧道の竣工年としている→塩谷大四郎正義(1836没)との関連が不明→「嘉永7」は、あるいは、素掘を合掌式に変更した年かもしれない、もしくは、坑口の門型の石材とその脇の石壁を構築した年かもしれない→石工は周防辺りの石工とされているが、周防には合掌アーチの技術は存在しない、従って、中國助次郎が素掘を合掌式に変更した可能性はない(管理者・馬場の意見)/全国で唯一の合掌構造の道路トンネル(水路トンネルでは熊本県の幸野溝・旧貫が唯一現存) 1 写真
写真 上田塩井川の洞門 かみだしおいがわ 熊本/(阿蘇)小国町 塩井川の坂 素掘トンネル 長約5m, 幅1.5-3m,高約2m 天明年間(1781-88)   町教委 放置保存(風雨で少しずつ崩壊) 施工:豊後国東郡の僧「浄安」/江戸期の人道用トンネルは稀/すぐ隣に明治元(1868)に地元有志の人々により完成した洞門が現存 2
写真 山屋のトンネル やまや 熊本/(上益城)山都町 人道<日向往還> 素掘トンネル 長22m,幅2.15m,高約3m 幕末頃(明治3以前)   歴史の道・日向往還 当時のまま/散策道として整備 合掌風に中央が高く、くり抜かれている/道路トンネルは稀 1