石桁橋 

   都道府県別データ一覧にあるBランク以上の石桁橋 (西日本全域に分布)

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 伊勢宇橋 いせう 茨城/稲敷市 瑞祥院・ひょうたん池 石桁橋 長2.98m(G) 天保14(1834)   市立歴史民俗資料館 小規模な修復(橋面コンクリート舗装) 伊勢屋宇兵衛(油問屋)が、父・権六の願いに応えて、 江戸崎地区の低湿地での歩行難を改善するため、瑞祥院前に石橋を架けた→それだけに止まらず、父の恩に報いるためとして、菩提寺瑞祥院を起点に江戸の日本橋に至るまでの街道の各所(百余ヶ所と伝える)に石橋を架け、往来する人々の便宜を図ったとされる/伊勢宇橋はその第1号で、かつ、現存唯一の橋 3
写真 浅草寺の石橋 せんそう、
しゃっきょう
東京/台東区 浅草寺 石桁橋 長3.3m(G),幅2.2m
元和4(1618) <国重要美術品> WEB 原位置/通行禁止 2代将軍・徳川秀忠が浅草寺境内に東照宮を造った際、和歌山藩主の浅野但馬守長晃の妻・振姫(徳川家康の娘)が寄進/都内最古の石橋/立派な擬宝珠付き高欄 1
写真 井の頭弁財天の太鼓橋 いのかしら 東京/三鷹市 井の頭弁財天 石桁橋 (3G) 文化14(1817) 市重宝 WEB/みたかの石造物p89/高橋 努 高欄→鋼製/石橋脚を一部補強/写真は「かいぼり時」のもの (右親柱)「井/頭、辨才…」、(左親柱)「神/田、御上…」/石橋脚に石桁を置いた最も単純な構造/施主: 伊勢屋由兵衛 2
写真 二十五丁橋   名古屋市(熱田区) 熱田神宮 石桁橋(弓型)
(花崗岩)
(2G) 江戸期   WEB 昭和11解体、昭和30に移設・復元 25枚の橋面石が整然と並ぶ広復員の弓橋。架設時期不明。室町時代の境内を描いた「享禄古圖」を江戸時代に模写した「享禄古図」に描かれていることから中世由来と書かれているケースも多いが、この図に描かれている橋は朱塗りの高欄付きなので木橋/江戸期に木橋が石橋に架け替えられた事例は多いので、二十五丁橋も江戸期の架設と思われる/
「尾張名所圖會」に描かれているとの指摘もあるが、江戸末期~明治初期の刊行物なので証拠にはならない/木桁風の組石細工が見事
2
写真 清正橋 きよまさ 愛知/名古屋市(北区) 味鋺神社<稲置街道> 石桁橋(花崗岩) 長3.1m(2G),
幅1.7m(桁石4枚)
慶長15(1610)頃?   WEB 昭和53移設/取り壊しの予定→保存の要望で残る 名古屋城築城の際に、加藤清正が行った石びきのために造られたと伝えられる/完形で残る沖縄以外で国内最古級の石桁橋 2
写真 伊賀八幡宮の神橋 いが、しん 愛知/岡崎市 伊賀八幡宮・蓮池 石桁橋   寛永13(1636) 国重文 WEB 保存状態良好/通行禁止 伊賀八幡宮は、3代将軍・徳川家光の命で岡崎城主・本多忠利が奉行となり、幕府作事方御大工・鈴木長次が造営したが、神橋も鈴木長次が木橋の工法を取り入れて造ったとされる→特に4本の反桁を支える組物(頭貫木鼻付き)は木造建築の軒下構造と酷似/高欄をはじめ随所に雲形模様が取り入れられ、全体が工芸美術品の水準に達している/滋賀県の日吉神社の大宮橋(国重文)と並ぶ石橋の傑作/構造的には、長方形の池の中央に石桁を架け、その4分の1点と4分の3点に組物を置き、その上にもう1本石桁を架け、その中央にさらに組物を置き、計3ヶ所の組物で太鼓状の4本の反石を支える形式 1
写真 年貢橋(清正橋) ねんぐ 愛知/小牧市 本田公園<原川> 石桁橋 (3G) 慶長15(1610)頃? 市有形 WEB/市教委 平成17県道拡幅のため解体/平成18本田公園内に移設復元 名古屋城築城の際に、加藤清正が行った石びきのために造られたと伝えられる/完形で残る沖縄以外で国内最古級の石桁橋 2
写真 直入橋 ちょくにゅう 愛知/瀬戸市 定光寺参道/参道入口の池 石桁橋(花崗岩) 長9.4m(G),桁長6m強,幅2.6m 承応2(1653) 市有形(建造物) WEB 保存状態良好 施主: 尾張藩2代藩主・徳川光友、施工:奉行・熊谷政実/親柱上部と擬宝珠の装飾に独自性 1
写真 知立神社の石橋 ちりゅう 愛知/知立市 知立神社 石桁橋 長6.6m(4G),幅2.4m 享保17(1732) 市指定(建築) WEB 一部を鋼板で補強(目立たない) 弧状の石桁を中央で継いで太鼓型とした変形桁橋(2本の石桁を4ヶ所の石柱橋脚で支える)/太鼓状の桁の上に厚さ12㎝の石板19枚を並べる/石造の擬宝珠付き親柱をもつ立派な橋 1
写真 極楽橋 ごくらく 三重/伊勢市 金剛證寺 石桁橋 長3.7m(2G),幅2.8m 慶長年間(1596-1615) 市有形 WEB 保存状態良好 本多忠勝の家臣・下里信種によって慶長年間に架設・寄進されたとされる/完形で残る沖縄以外で国内最古の可能性のある石桁橋 1
写真 八幡神社の太鼓橋 はちまん 岐阜/関市 八幡神社・奥参道
(武芸川町八幡)
石桁橋(太鼓型) 長3.8m(2G) 元禄7(1694)   市教委 保存状態良好 石工:石橋長右衛門/構造的には、中央に立てた1本の角柱の上に2本の石桁を架けたのが主構造、その石桁の中央にさらに角柱を立て、橋軸直角方向に見て3列になった角柱の上に横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と横梁を支点として2本の弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/真横から見ると十字の石組の上に太鼓橋が載っていて安定度が高いように見えるが、十字の石材が4本から構成されており、不安定な感じは否めない→他所では見られない特異な構造⇔滋賀県日野町の八阪神社太鼓橋では、角柱が川底から太鼓部まで1本で立ち上がっており安定性という点では勝っている 1
写真 南宮大社の輪橋 なんぐう、わ 岐阜/(不破)垂井町 南宮大社・参道 石桁橋(太鼓橋) 長5.6m(3G) 寛永19(1642) 国重文 町教委/WEB 保存状態良好/通行禁止 3代将軍・徳川家光の本殿造営の一環として築造/構造的には、1本の太い石桁を両岸近くに立てられた2本の円柱で支えるのが主構造、その石桁のほぼ3等分点に2本の円柱を立て、その上に簡素な組物を置くとともに、橋軸直角方向に見て3列になった組物上に横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と2ヶ所の横梁を支点として3本の反石を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/組物同士を細い梁でつなぎ、その両端に簡易な頭貫木鼻を付けるなど木橋の特徴が見られる 1
写真 九十九橋の石材 つくも 福井/福井市 <福井大橋> <石桁橋> 石桁部
長約75m(32G),
木桁部
長約85m(15G)
(元文4の架替時)
天正3(1575)   市教委(歴史の道6p135-145)
/福井市立郷土歴史博物館
/福井工大紀要26p133-140
元禄元(1688)に「福井大橋掛け直る。橋杭、石板とも残らず相改める」とある/明治期に撤去・保管されている高欄には安永6(1777)の銘が入っている/寛政3(1791)、弘化3(1846)に石欄干が38間、30間倒れるとの記載→石橋にもかかわらず建造当初の石材が残っていないことを示唆している/橋脚の石柱: 14ヶ所で展示・庭石など、橋桁の石梁: 11ヶ所で展示・門柱など、敷石: 1ヶ所で27枚保管、欄干: 1ヶ所で97m分を保管
〔写真は、神明神社境内の橋桁材の記念碑への転用例: 高264㎝〕
国内最長の石桁橋/一般には、柴田勝家が南半を石造、北半を木造とする「半石半木」の桁橋に架け替えたとされている。根拠としては、石工棟梁・彦三郎に石工の動員を指示していることがよくあげられている。もう少し詳しく検討してみよう。貞享2(1685)の「福居御城下絵図」には木橋の部分と石橋の部分が明確に色で分けて描かれている。しかし、この絵図は、記載内容から正保年間(1644-48)の作だとされている。一方、橋の架け替え記録を見ると、正保年間以前には架け替えは1回しかなく、慶長3(1598)に「大橋出来 北ノ庄青木紀伊守 渡り初め」という記録があるだけである。もし、勝家が木橋しか架けなかったとすれば、最初の架け替え時点でもう半木半石に変更されたことになり、如何にも不自然である。勝家の創建時から半木半石であったと見るのが妥当であろう/「九十九橋」という呼称の初出は寛政7(1795)の『東西遊記』であり、江戸時代の一般名称は「大橋」、略称は「米橋」(橋長が88間だったことに由来)であった/「九十九」の由来は不明である(寛文4には99間だったとされるが、名称初出の寛政7の時点では88間だったため)/石橋部分で橋脚を31本も必要としたのは、使用した石材の笏谷石(火山礫凝灰岩)が強度的に弱く長い径間をとれなかったため/「半石半木」の理由は不明だが、合理性のある説としては、すべて石材にしたかったが(長寿命なので)、笏谷石では径間が狭くて川舟が通れなかったため、半分を木桁としたというものがある(洲の部分を石桁、河水の部分を木桁) 4
写真 大宮橋 おおみや 滋賀/大津市 日吉大社 石桁橋 長13.9m(3G) 寛文9(1669) 国重文 市教委/WEB 保存状態良好 坂本の穴太衆の作とされる/構造的には、ほぼ3等分点に2本と両岸に立てた計4本の太い円柱と、その円柱の上に架けた3本の梁が主構造、主構造を補強するため、橋軸横断方向に3本ずつ置かれた円柱同士はほぞ穴を開けて横梁を渡し、ほぞの空隙をあたかも木橋のように石のかすがいを打ち込んで固定している/円柱上の石梁も、ただ置いてあるのではなく、木材の台持継ぎ、相欠継ぎと同じ形で密着させてある/上部工も、ただ石梁上に横桁を並べるだけでなく、横桁の接触部分を切り欠いて密着させてある/装飾的には高欄に格座間型の開口部が設けられている/日吉三橋の中で最も手が込んでおり、愛知県岡崎市の伊賀八幡宮の神橋(国重文)並ぶ石橋の傑作 1 写真
写真 二宮橋 にのみや 滋賀/大津市 日吉大社 石桁橋 長13.9m(3G) 寛文9(1669) 国重文 市教委/WEB 保存状態良好 坂本の穴太衆の作とされる/構造的には、両岸とその近くに立てた計4本の太い円柱と、その円柱の上に架けた中央の大梁と短い側径間の梁が主構造、その上に置かれた等間隔の横桁の上に橋面石を並べている/大宮橋と類似した構造だが、円柱は独立して立っているだけで相互の固定・補強は全くないし、その上の石梁も置いてあるだけで、横桁も置いてあるだけ、高欄には開口部はない 1
写真 走井橋 はしりい 滋賀/大津市 日吉大社 石桁橋 長13.8m(3G) 寛文9(1669) 国重文 市教委/WEB 保存状態良好 坂本の穴太衆の作とされる/日吉三橋の中で最も簡易な構造で、普通の3径間の石桁橋で高欄もない/ただ、3径間を通して全体に緩い虹型をしており、簡素な中にシンプルな美しさが感じられる/走井橋は聖俗を分ける結界で、かつて人々は参詣前にこの橋上で罪穢れを祓う禊ぎを行ったと言われる 1
写真 矢川神社の太鼓橋 やがわ 滋賀/甲賀市 矢川神社参道 石桁橋(太鼓型) 長6.00m(4G),幅3.71
m,高3.96m
寛文11(1671) 市建造物 WEB(宮様の石橋)/市教委(甲賀市史6p565-567) 保存状態良好/明治20(1887)に修理 構造的には、中央と両岸近くに立てた3本の太い円柱と、その円柱にほぞ穴を開けて架け渡した1段2本の梁が主構造(中央のみ2段4本)、3本の円柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造(中央柱は上下2段、両側柱は下1段にほぞ穴を開けて計4本の梁を橋軸直角方向に架け渡す)、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/円柱を縦横に貫通するように見せた複雑な構造は木橋そのものであり、大津市の大宮橋に近い完成度の高さをもつ/高欄が全くない→渡ることを想定していない/雨乞い祈願の宮として知られる/『そりはし万事日記』により寛文11の架設であると判明 1 写真
写真 三十八社の太鼓橋 さんじゅうはっしゃ 滋賀/甲賀市 三十八社参道 石桁橋(太鼓型) 長2.91m(2G),幅2.13
m,高1.06m
元禄年間(1688-1704)   WEB(宮様の石橋)/WEB 保存状態良好 中央に立てた1本の太い円柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、中間部にほぞ穴を開けて橋軸直角方向に梁で連結する(正確には円柱と横桁の間に小さな台石が挿入されている)/両岸と中央の横桁を支点として、2本のやや反った石梁を尖頭状に配置/高欄はない/年代刻銘あり 1
写真 八坂神社の下馬橋 やさか、げば 滋賀/甲賀市 八坂神社参道 石桁橋(太鼓型) 長3.48m(2G),幅2.43m 元禄12(1699)
→天保5(1835)修理
市建造物 WEB(宮様の石橋)/市教委(甲賀市史6p563-564) 保存状態良好 上記「三十八社の太鼓橋」と酷似/中央の弧状桁石(上流側)に「雨乞御返礼」「元禄十二年乙卯年八月吉祥日」「儀俄庄惣氏子神主勘太夫」「泉州日根郡鳥取庄」などの刻銘→泉州石工は西日本を代表する石塔石工→細工物が得意/天保5の修理も泉州の石工が実施 1
写真 水口神社の太鼓橋 みなくち 滋賀/甲賀市 水口神社参道 石桁橋(太鼓型) 長5.70m(3G),幅3.34
m,高2.58m
江戸初期(遅くとも18世紀初頭以前)?   WEB(石橋)/WEB(宮様の石橋) 保存状態良好 構造的には、中央と両岸近くに立てた3本の太い円柱と、その円柱にほぞ穴を開けて架け渡した1段2本の梁が主構造(中央には梁がない)、3本の円柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造(中央柱、両側柱とも下1段にほぞ穴を開けて計3本の梁を橋軸直角方向に架け渡す)、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/上記「矢川神社の太鼓橋」に近い完成度/建立年不明だが、同年代と推定される/高欄はない 1
写真 椿神社の太鼓橋 つばき 滋賀/甲賀市 <椿神社参道> 石桁橋(太鼓型) (2G) 宝暦9(1759)   WEB 保存状態良好/市街地に残る 中央に立てた1本の太い円柱(流れ方向に2本)の上に横桁を置き、両岸と横桁を支点に半楕円状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べる/勾配が両端にいくほど急になるのが特徴→かなり珍しい/中央の支柱が2本しかない→やや不安定感 2
写真 大鳥神社の反橋 おおとり 滋賀/甲賀市 大鳥神社参道 石桁橋(弓型) 長10.45m(3G),幅3.0m 延享元(1774) 市建造物 WEB(宮様の石橋)/市教委(甲賀市史6p564-565) 保存状態良好 2ヶ所に立てた2本の太い円柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、中間部にほぞ穴を開けて橋軸直角方向に梁で連結する/両岸と2ヶ所の横桁を支点として、3本のやや反った石梁を緩やかな弧状に配置/擬宝珠付き高欄/下部工の仕上げは粗い/右後擬宝珠親柱に「延享元年甲子三月一日/石工 杉本文右衛門」の刻銘 1
写真 意冨布良神社の壱之橋 おおふら 滋賀/長浜市 意冨布良神社参道 石桁橋(太鼓型) (2G) 江戸期?   WEB(宮様の石橋) 保存状態良好 中央に立てた1本の太い角柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、両岸と横桁を支点に弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べる/中央の角石が流れに対し45度回転させて設置→かなり珍しい/急勾配/米原市の「坂田神明宮の神橋」と酷似 1
写真 上許曽神社の壱之橋 かみこその 滋賀/長浜市 上許曽神社参道 石桁橋(太鼓型) (G) 江戸期?   WEB(宮様の石橋) 保存状態良好 円弧状に成形した石桁(流れ方向に3基)の上に橋面石(9枚)を直接載せた構造/単純な構造だが、ほぼ半円に近い曲面を桁構造で造り上げている点が面白い/高欄はかなり装飾的 1
写真 坂田神明宮の神橋 さかたしんめいぐう、しん 滋賀/米原市 坂田神明宮参道 石桁橋(太鼓型) (2G) 享保18(1733)?   WEB(宮様の石橋)/WEB 保存状態良好 中央に立てた1本の太い角柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、両岸と横桁を支点に弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べる/中央の角石が流れに対し45度回転させて設置→かなり珍しい/急勾配/橋の架設年は神明宮の造営年と同一と推定/長浜市の「冨布良神社の壱之橋」と酷似 1
写真 多賀大社の太閤橋 たが、
たいこう
滋賀/(犬上)多賀町 多賀大社参道 石桁橋(太鼓型) (4G) 寛永15(1638)   WEB(宮様の石橋)/WEB 保存状態良好 構造的には、等間隔に立てた3本の太い角柱と、その角柱にほぞ穴を開けて架け渡した2本の梁が主構造、3本の角柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の反石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/高欄の束石が若干装飾的 1
写真 馬見岡綿向神社の太鼓橋 うまみおかわたむき 滋賀/(蒲生)日野町 馬見岡綿向神社参道 石桁橋(太鼓型) 長5.5m(4G) 延宝9(1681)   町教委 保存状態良好 構造的には、等間隔に立てた3本の太い角柱と、その角柱にほぞ穴を開けて架け渡した2本の梁が主構造、3本の角柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の反石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/高欄の束石が若干装飾的 1
写真 八阪神社の太鼓橋 やさか 滋賀/(蒲生)日野町 八阪神社参道 石桁橋(太鼓型) (2G) 明和5(1768)   町教委 保存状態良好 構造的には、中央と両岸に立てた3本の太い角柱と、その角柱にほぞ穴を開けて架け渡した上下2段計4本の梁が主構造、3本の角柱は橋軸直角方向に2組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として2本の弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている(両岸の角柱上の横梁は岸に近いため、最上段の石梁は馬見岡綿向神社のように4本ではなく、2本のみで構成) 1
写真 正法寺の放生池橋 しょうほう、
ほうじょう
滋賀/(蒲生)日野町 正法寺 石桁橋 (3G) 江戸期   WEB(宮様の石橋)/WEB 保存状態良好 3径間の単純な石桁橋だが、各径間がそれぞれ一枚の巨大な矩形の平板からできているのが極めて珍しい 1
写真 千歳橋 ちとせ 京都/京都市(左京区) 修学院離宮・浴龍池 石桁橋 (G) 文政7(1824)   WEB(好奇心京都)/WEB 保存状態良好/平成15に腰掛待合を修復 両岸に宮勾配をもつ四角断面の橋台(石組が美しい)を建て、その間に巨大な石梁を架けた構造/屋根付き橋で、宝形に切妻、寄棟がのる屋根形式(宝形屋根上に金の鳳凰)/京都所司代・藤紀伊守信敦が進献 1
写真 知恩院の南門前橋 ちおんいん 京都/京都市(東山区) 知恩院参道 石桁橋(花崗岩) 長4.7m(G),幅6.4m 万治3(1660)   WEB 橋面石の中央2列と両端2列の石材表面の加工が異なるので、拡幅された可能性 幅が広いため石桁を5列配し、その上に橋面石を4列並べる構造 2
写真 今在家の石橋 いまざいけ 奈良/奈良市 一般道<奈良街道>
/佐保川
石桁橋 長15m(4G) 慶安3(1650)   永冨謙
/WEB(石橋巡礼)
大正12に両端にRC橋脚を加えて拡幅 各3本の橋脚石柱からなる17世紀の石桁橋 3
写真 嶋嘉橋 しまが 奈良/奈良市 一般道<伊勢街道>/率川 石桁橋 (2G) 明和7(1770)   WEB(石橋巡礼) 橋面が舗装/意味不明の文字が刻字された石柱は後補か? 椿井町嶋屋嘉兵衛が私財を投じて架設→嶋屋嘉兵衛の名から命名/5本ある橋脚石柱の2本目に「明和七庚寅年五月吉日」「椿井町施主 嶋屋嘉…」と刻字/擬宝珠付き高欄 2
写真 七橋(行者橋)   奈良/葛城市 (葛木)
一般道(2t制限)/高田川
石桁橋 (4G) 江戸期   WEB(石橋巡礼) 保存状態良好 3本の石柱の橋脚上に横桁を置き、その上に3本の石梁を載せ、橋面石を置くタイプ(参道橋でもないのに、なぜ、横桁上に直接石桁を並べる簡易構造にしなかったか不明) 1
写真 寶壽橋 ほうじゅ 奈良/(生駒)平群町 朝護孫子寺・参道 石桁橋 (4G) 江戸期   WEB(宮様の石橋) 石橋脚(2本柱)の上部を鋼材で補強→幅広の割に2本橋脚なので耐性に不安があったためか? 社寺の参道橋の割には、橋面石を置かない最も単純な形式/背の高い2本橋脚の4径間は石桁橋としては限界に近いが、重量のある擬宝珠付きの雲形の開口部をもつ高欄を載せる/橋台の石積は明らかに江戸期 2
写真 極楽橋 ごくらく 大阪/堺市(堺区) (宿屋町東)<土居川> 石桁橋(花崗岩) 長11.6m,幅2.6m 嘉永6(1853)   現地調査/WEB 土居川公園(移設) 堺の環濠・土居川に掛けられていた橋/由来:堺王子ケ飢墓地へ向う葬列が渡ったことから、死者の極楽往生を願って名付けられたとされる 2
写真 家原寺の参道橋 えばら 大阪/堺市(西区) 家原寺・参道 石桁橋 (5G) 江戸期?   WEB(石橋巡礼) 高覧外側を鋼板で補強 2本の円柱橋脚上に横桁を置き、不均等な大きさの桁石が敷きつめられている(神社の参道橋としては簡易な構造) 2
写真 伽羅橋 きゃら 大阪/高石市 高砂公園 石桁橋(花崗岩) 長11.1m,幅4.5m 慶応元(1865)   市教委/WEB 昭和63に移設 室町期に架けられた木橋の伽羅橋には、高価な香木である伽羅が橋に敷かれていたためこの名がついたとされている 2
写真 誉田八幡宮の放生橋 こんだ、
ほうじょう
大阪/羽曳野市 誉田八幡宮 石桁橋(太鼓型) 長4m(2G),高3.5m
江戸末期以降?   WEB(石橋巡礼) 保存状態良好 勾配の急な「神橋」: 通行禁止/3本の円柱橋脚の中央に貫が入っているように見える細工が施されている(滋賀では多いが大阪では稀)/雲形の束柱で支えられた弧状の高覧も見事/鎌倉期の創建との伝承もあるが、橋直下の川の護岸が落とし積みなので、現在の橋は江戸末期以降再建の可能性がある 1
  嘉永橋 かえい 和歌山/和歌山市 人道/大川 石桁橋(庵治石) 長12m(3G),幅2.2m 嘉永7(1854) 市建造物 市教委 保存状態良好 施主:大川浦の廻船問屋・石野氏/路面がアーチ状に加工/非常に細い井桁状の2本脚橋脚/高欄に梅花状の開口部 1
写真 曽根天満宮の庭園橋 そねてんまんぐう 兵庫/高砂市 曽根天満宮 石桁橋 長6.2m(3G) 享保8(1732)   WEB(石橋) 保存状態良好 石梁の上に橋面石を載せた構造/擬宝珠付き高欄(装飾性が高い) 1
写真 宝積禅寺の石橋 ほうしゃく 兵庫/たつの市 参道/放生池 石桁橋(弓型) (4G) 江戸前期?   市教委
WEB(石橋巡礼)
保存状態良好 2本橋脚上に横桁、その上に3本の石桁、その上に橋面石を2列に並べる/高欄なし 1
写真 西宮神社の反橋 にしのみや 兵庫/西宮市 西宮神社・茶屋前 石桁橋(弓型) (2G) 嘉永元(1848)   WEB(石橋巡礼) 保存状態良好 全体の規模の割に2本の細い橋脚(間隔かなり大)の上に横桁を置き、横桁とは関係なくさらにその上に載せた両端の弧状の桁石上に橋面石を載せる/高欄に雲形装飾 1
写真 天川橋 あまかわ 兵庫/姫路市 天川→御着城の濠跡
<西国街道>
石桁橋(亀山石) 長26.6m(6G),幅4.45m
文政11(1828)
→昭和47落橋
→昭和53復元・移設
  市教委(文化財見学シリーズ1)/歴史の道2p66 昭和期大水により中央部が崩壊したため解体→御着城跡に移築/流失したものを復元したため、橋の大半が半分の幅に縮小し復元 施工:石工・瀬助、仲右衛門/総亀山石製カーブをとって木造橋のように設計/総竜山石製の太鼓橋/姫路藩儒者近藤顧一郎撰の銘文が刻まれる 3
写真 岩尾神社の石橋 いわお 兵庫/(神崎)福崎町 (東田原)岩尾神社参道 石桁橋(凝灰岩) 長6.2m(2G),
幅1.76m
慶長16(1611) 県重文 町教委/WEB(福崎町HP) 高欄が欠損 岩尾神社参道の小川に残る石橋/小規模だが、石桁の上に橋面石を載せる/様式から岩尾神社石造鳥居と同時期のものとされる/完形で残る沖縄以外で国内最古級の石桁橋 2
写真 岡山藩校跡の泮池橋 はんいけ 岡山/岡山市(北区) 人道/泮池 石桁橋(花崗岩) 長10.6m(4G) 寛文9(1669) 国史跡   橋しか残っていないが、橋自体の保存状態は最良 津田永忠/良質の花崗岩を使用した細い梁と柱の造形は、九州に残る近世の2つの国史跡の石桁橋よりも繊細で華奢なイメージ 1
写真 吉浜の石橋 よしはま 岡山/笠岡市 人道/吉田川 石桁橋(花崗岩) 長12m(5G) 江戸期~明治初   岡山の石橋/WEB(石橋) 橋面をコンクリート舗装 2本柱橋脚の上に横桁を載せ、その上に石梁を載せているが、すべて空積み/橋台部分は江戸期の石積み 3
写真 久代の石橋 くしろ 岡山/総社市 人道/新本川 石桁橋(花崗岩) 長25m(6G) 江戸期?   WEB(石橋) 橋面舗装/橋脚のうち2本は改修 6径間の石桁橋は数少ない/3本柱の橋脚 3
写真 秀天橋 しゅうてん 岡山/玉野市 人道/鴨川 石桁橋(花崗岩) 長約36m(9G) 18世紀 県史跡 馬場俊介 右岸側に橋の価値を喪失させるような河川改修が行われた→石橋脚もかなり埋没し、一部の石材は更新された 実用橋として国内に現存する原位置・現役の最長の石桁橋/建造年に関しては諸説ある/3本の背の高い石柱の上に横梁を載せ、その上に直接石梁を載せる最も単純な形式/金毘羅往来や由加往来との関連性も指摘されている 3 写真
  妙義寺の参道橋 みょうぎ 島根/益田市 妙義寺・参道 石桁橋(山型) (2G) 江戸期  

岡崎文雄/市教委

保存状態良好 明治10の絵図に描かれているので江戸期の架設であることは確実/長径間の石桁を中央で継いでいるため山型になっている 1
写真 厳島神社の南参道橋 いつくしま 広島/廿日市市 厳島神社 石桁橋 長31.2m(6G) 江戸期?   WEB(石橋)/
WEB(石橋巡礼)
保存状態良好 1径間5mを越える大型の石桁橋/3本一組の石橋脚/最も単純な構造/擬宝珠付き高欄 1
写真 禅昌寺石橋 ぜんしょうじ 山口/山口市 禅昌寺 石桁橋(弓型)   江戸期?   WEB(石橋) 保存状態良好 中間支柱をもつ反橋/支柱先端の細工/装飾的な高欄・高欄/橋面の石組が橋軸方向に直角=桁の上に橋面石が載る二重構造 1
写真 神上寺の石橋 じんじょう 山口/下関市 神上寺 石桁橋(弓型)
(花崗岩)
長4.5m,幅2.4m 文化元(1804)   ふるさとの橋/WEB(石橋) 保存状態良好 橋桁に即身成仏の一偈(いちげ)が刻まれている/やや弓型になった高欄の角材も見事 1
写真 大照院門前橋 だいしょういん 山口/萩市 大照院(毛利家墓所前) 石桁橋(玄武岩)
〔部分的に刎石〕
長4.5m,幅3.0m 明暦2(1656)頃?   WEB(石橋) 保存状態良好 山口の「装飾石橋」の代表格/橋面石(写真参照)は5列、うち第2列と第4列の石材が数箇所で切れており、さらに、手前の石材(第4列)は切れて2つに分かれている⇒中央部の複数の切れ目は第1・3・5列の石桁側面に第2・4列の石材が“ほぞ”で固定されることで実現(裏面の写真参照)、第4列手前の切れ目は刎石で支持(部分的な使用なので刎橋ではない)/架橋年不明→墓所の開設時期と同じと推定 1 写真
写真 大照院墓所前橋 だいしょういん 山口/萩市 大照院(毛利家墓所前) 石桁橋(玄武岩)
〔部分的に刎石〕
長5.0m,幅3.0m 明暦2(1656)頃?   WEB(石橋) 保存状態良好 山口の「装飾石橋」/橋面石(写真参照)は5列、うち中央の石材が途中で切れており、さらに、手前が複雑な組石となっている⇒中央の切れ目は第2列と第4列の石桁側面に中央の第3列の石材が“ほぞ”で固定されることで実現、手前の組み石は刎石で支持(同上)/架橋年不明→墓所の開設時期と同じと推定 1
写真 大照院初代墓所前橋 だいしょういん 山口/萩市 大照院(毛利家墓所前) 石桁橋(玄武岩)
〔部分的に刎石〕
長4.2m,幅3.0m 明暦2(1656)頃?   WEB(石橋) 保存状態良好 山口の「装飾石橋」/橋面石(写真参照)は5列、うち第2列と第4列の石材が数箇所で切れており、さらに、手前の石材(第2列)も切れている⇒中央部の複数の切れ目は第1・3・5列の石桁側面に第2・4列の石材が“ほぞ”で固定されることで実現、第2列手前の切れ目は刎石で支持(同上)/架橋年不明→墓所の開設時期と同じと推定 1
写真 東光寺の瑞雲橋 とうこうじ、ずいうん 山口/萩市 東光寺(毛利家墓所前) 石桁橋(玄武岩)
〔部分的に刎石〕
長5.1m(2G),幅3.4m
元禄7(1694)以降?   WEB(石橋) 右記のようにかなり無理をした構造(墓所に向かって右側の側面は2径間の桁橋、左側の側面は刎橋(写真参照)という変則的な構造のため、恐らく無理がかかって木材で数ヶ所補強支持→木材が腐食 山口の「装飾石橋」/同じ毛利家墓所前の「装飾石橋」でも、大照院の3橋とは異なり2径間で、かつ、石刎を本格的に使用→3列ある橋面石のうち、墓所に向かって左から2列と3列目が中央で切れ、1列目だけが貫通している(中央の写真参照)→そのため3列目の下だけに中間支柱がある(右側の写真参照)、一方、1列目は両端部に多くの切れ目があるため長い刎石で支持(左側の写真参照)/左側面については外観上は完全な石刎橋だが、目的が「装飾」にあるため石桁橋として分類する/このような刎石の使用が磐石橋の発想につながった可能性は大きい/架橋年不明→墓所の最初の埋葬者・毛利吉就の没年以降と推定 1
写真 金谷天満宮の桁橋 かなや 山口/萩市 金谷天満宮 石桁橋(玄武岩) 長6.9m(3G),幅1.4m
享保5(1720)以降?   WEB(石橋) 保存状態良好 高欄も何もない唯の3連の石桁橋だが、中央径間が虹型、両側径間に上記「大照院」の3橋に見られた巧みな組み石がさり気なく用いられており、技術的には高度写真参照)/架橋年不明→天満宮の現在地での再興時期と同じと推定 1
写真 万歳橋 ばんせい 山口/萩市 志都岐山神社 石桁橋(弓型)
(花崗岩)
長4.05m,幅3.15m 嘉永2(1849) 市建造物 WEB/ふるさとの橋/WEB(石橋) もと明倫館→明治11(1878)萩城本丸跡内に志都岐山神社の前身である山口の豊栄・野田神社の遙拝所ができた際、庭池が造られ現在地に移設 両岸の石垣橋台に2本の虹型に加工した石桁を渡し、その上に10枚の橋面石を並べた構造→単純だが、虹型が美しい/高欄の橋柱は左右5本ずつで、中国風のデザインが施されている 2
写真 山の口太鼓橋 やまのくちたいこ 山口/防府市 剣神社 石桁橋(半円型)
(花崗岩)
長2.4m(G),幅1.0m
安政2(1855)   WEB(石橋) 保存状態良好 半円に近い円弧状に切り出した1本の石材でできた橋⇒形状はアーチだが、1つの石材で出来ているため、構造的には桁橋/立派な親柱 1
写真 久保鳥の石橋 くぼとり 福岡/朝倉市 三奈木
<日田街道/荷原川>
石桁橋(花崗岩) 長14.9m(4G) 安政5(1858) 市有形 WEB アスファルト舗装/鉄柵高欄/一部C化/現役の道路橋 主街道に架かる江戸期の橋 2
写真 桜井神社の神橋 さくらい 福岡/糸島市 桜井神社 石桁橋(太鼓型)
(凝灰岩)
長5.4m(3G),幅2.7m 寛永9(1632) 県有形 WEB(石橋) 若干の改修と損傷が認められる程度 井桁状に組んだ2本の石柱からなる橋脚を2基配し、その上に弓形に削り出した石梁を3本3列(計9本)置き、橋面石を敷き並べる形式/17世紀前半で初めて出現した井桁橋脚(長崎県の対馬藩主宗家墓所の参道入口橋)の方が古いが、元和元(1615)以降の建立のため年代不明確) 1
写真 石浦大橋 いしうら 福岡/久留米市 おおはし歴史公園
<豊後街道/巨瀬川>
石桁橋(山北石) 長15.9m(6G),幅4.03m 元禄11(1698)→
明和9(1765)一部取替え
県有形 市教委 昭和48年水害により解体保存、平成9年に復元/3分の1程度の石材を、木材で代替して復元 街道石橋/県内で最大の石桁橋/県内で、「小野神社の参道橋」に次いで古い石桁橋 3
写真 高良山御手洗橋 こうらさん・みたらい 福岡/久留米市 人道/放生池 石桁橋(弓型)
(凝灰岩)
長11.0m(5G),幅4.2m 享保年間 or
安永元(1712)
県有形 市教委 このタイプの橋の中で、保存状態は最良 久留米市らしい5径間の弧状石桁橋(中央の2本の橋脚上に別の梁を架け、その中央に横梁を載せて6径間としている)→太鼓型の桁橋は中央で支えることが定番→橋脚本数が偶数なので敢えてこのような形式としたのか? 1
写真 五穀神社の石橋 ごこく 福岡/久留米市 五穀神社 石桁橋(弓型)
(凝灰岩)
長10.5m(6G),幅3.2m 文化3(1806) 市有形 市教委 中央の2本の橋脚上の別梁が折れ、多くのRC柱で支持している 久留米市らしい5径間の弧状石桁橋(中央の2本の橋脚上に別の梁を架け、その中央に横梁を載せて6径間としている)→橋脚本数が奇数なので、このような構造は力学的に全く意味がない→高良山御手洗橋を真似ようとしたのか? 2
写真 本村三島神社の参道橋 ほんむら・みしま 福岡/柳川市 本村三島神社 石桁橋 長2.3m(G),幅2.7m 寛永18(1641)   WEB 保存状態良好 高欄は石梁の上に載るが、橋面は一枚の薄い巨岩でできている(矢穴跡が十字に残る) 1
写真 弥兵衛門橋 やえもん 福岡/柳川市 柳川城城堀 石桁橋   江戸期   市教委/WEB 改修、舗装 柳川城堀にかかる橋としては最古/川下りの舟はこの橋の幅を基準に造られた(推測)/橋の下が水路=両側の石積みが見事 2
写真 小野神社の参道橋 おの 福岡/八女市 小野神社 石桁橋 長2.9m(2G),
幅1.9m
寛文5(1665) 市史跡 WEB(石橋) 保存状態良好 中央の束柱に「寛文五寅申年/十一月吉日」と刻字/3本の石柱の上に横桁を載せ、その上に両岸から石梁を置く最も単純な形式 1
写真 与賀神社の萬歳橋 よか、ばんざい 佐賀/佐賀市 与賀神社・参道 石桁橋(太鼓型) 長10.5m(7G),幅3.15m 慶長11(1606) 国重文 WEB(石橋) 保存状態良好/青銅製の擬宝珠は架設時のもの 佐賀藩祖・鍋島直茂が与賀神社に寄進した橋/完形で残る沖縄以外で国内最古の可能性のある石桁橋(三重県の極楽橋が慶長年間と幅があるため確定できない) 1 写真
写真 大堂神社の参道橋 おおどう 佐賀/佐賀市 大堂神社・参道 石桁橋(太鼓型) 長4.6m(4G),幅2.8m 宝暦13(1763)   WEB(石橋) 保存状態良好 5列の縦梁を3列の柱で支える(4列の縦梁を横梁で支え、その横梁を3本の柱で支える2段構造。横梁は2本の石梁を片持ち式に連結させてある)/擬宝珠付き高欄 1
写真 善左衛門橋 ぜんじゃあ 佐賀/佐賀市 一般道/多布施川 石桁橋 長8m(5G),幅5m 明和元(1764)   WEB(石橋) 明治33に一部改修 旧土橋が老朽化したため、宇野善左衛門が自費で石橋に架け替えた/橋脚は各4本の円柱 3
写真 本庄神社の参道橋 ほんじょう 佐賀/佐賀市 本庄神社・参道 石桁橋(太鼓型) 長8.2m(5G),幅2.7m 江戸期   WEB(石橋)

路面C舗装

擬宝珠付き高欄/橋の取付け護岸が江戸前期の石積

2

写真 香椎神社の参道橋 かしい 佐賀/佐賀市 香椎神社・参道 石桁橋(太鼓型) 長4.6m(4G),幅2.2m 江戸期?   WEB(石橋) 保存状態良好 5列の縦梁を3列の柱で支える(5列の縦梁を横梁で支え、その横梁を3本の柱で支える2段構造。横梁は3本の石梁を片持ち式に連結させてある)/擬宝珠なし高欄/本殿の建立は江戸初期 1
写真 若宮神社の参道橋 わかみや 佐賀/神埼市 若宮神社・参道 石桁橋(太鼓型) 長4.0m(4G),幅2.8m 江戸期?   WEB(石橋) 保存状態良好 3列の縦梁を3列の柱で支える構造(縦梁と柱の間に横梁が挿入されている)/擬宝珠付き高覧 1
写真 越川橋 こしかわ 佐賀/武雄市 (長崎自動車道川登上り線SA内)
人道<長崎街道/六角川>
石桁橋 長15.5m(5G),幅3.0m 享保年間(1716-36)以降   市教委/
現地解説板
移設 長崎街道(武雄廻り)に架かっていた橋/3列の縦梁を3列の柱で支える構造(縦梁と柱の間に横梁が挿入されている)→橋面石を美しく見せるための工夫だが、参道橋でない街道橋になぜ必要だったかは不明/石梁の各所に鉄楔が使われている(構造上の必要性については疑問) 2
  塔の原橋 とうのはる 佐賀/武雄市 一般道
<長崎街道>/武雄川
石桁橋 長7.0m(4G),幅3.5m 享保年間(1716-36)以降   市教委/WEB 現役の道路橋/低いC高欄/護床敷石もよく残る 長崎街道(武雄廻り)に架かっていた橋/橋面石梁を直接横桁で支える一般的な形式 2
写真 相浦川の飛び石 あいのうら 長崎/佐世保市 人道/相浦川 飛び石(砂岩) 長16m(石23個)
+中洲
+長13m(復元)
江戸初期?   市教委 数年ごとに補修/近年流失した飛び石を追加/13m部分は復元 短冊形の石を50㎝ほどの隙間を空けて並べた実用目的の飛び石→現在も使われている稀有な例 2
写真 対馬藩主宗家墓所
(万松院)の参道入口橋
(ばんしょういん) 長崎/対馬市 人道/金石川 石桁橋(弓型) (3G) 元和元(1615)以降   WEB(みさき道人) 保存状態良好 対馬藩主である宗家の菩提寺に架かる橋/寺の創建時に木橋だったものを比較的早い時期に石造化した可能性が高い/2ヶ所に立てた2本の太い円柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、中間部2ヶ所にほぞ穴を開けて橋軸直角方向に上下2本の梁で連結する/両岸と2ヶ所の横桁を支点として、3本のやや反った石梁を緩やかな弧状に配置/擬宝珠付き高欄/滋賀県に多い「石材を木材のように使用した桁橋」→他地域で見られることはまずない 1
写真 とくしん橋   大分/宇佐市 廃道/社ヶ谷川 石方杖橋 長8.0m(G) 延享2(1745) 県有形 WEB(石橋) すぐ真横に道路がありアクセスは容易だが、非常に見えにくい 刻銘(親柱)のある県内最古の石橋/石方杖橋は非常に稀/江戸時代の記録に「豊後の僧が鷹栖の新道を開いた」とあり、「とくしん」は僧の名前とも考えられる 2
写真 乙見橋 おとみ 大分/臼杵市 一般道 石桁橋 長4.5m(G),
幅1.9-2.5m
江戸期   WEB(石橋) 高欄ガードレール化/上部C床版で拡幅 巨大な一枚岩でできた桁橋 3
写真 おたまや公園橋1   大分/竹田市 おたまや公園
<碧雲寺庭園・龍吟池>
石桁橋 長14.5m(7G) 万延元(1860)以前 国史跡 WEB(石橋)/WEB 国史跡・岡藩主中川家墓所(庭園を伴う仏式の墓所)内 多径間の石桁橋/全体に弓なりになっている 1
写真 鵯越橋 ひよどりごえ 大分/豊後高田市 (請)一般道/堅来川 石方杖橋 長6.6m(G) 江戸期?   WEB(石橋) C舗装、高欄ガードレール/見えにくい 石方杖橋は非常に稀/年代不詳だが、石材加工の荒々しさ、側壁の野面積から判断して江戸期の可能性が高い 2
写真 祇園橋 ぎおん 熊本/天草市 人道/町山口川 石桁橋(砂岩) 長28.6m(10G),
幅3.35m
天保3(1832) 国重文 市教委/WEB 橋桁石の一部は後補 架設:山口村庄屋大谷建之助、石工:辰右衛門/国内最大級の石桁橋〔岡山県の秀天橋は橋長36m(9G)〕/橋脚石は5本柱/簡素な高欄(束柱が若干装飾的) 3
写真 市木橋 いちき 熊本/宇城市 廃道/谷口川 石桁橋
(擬似アーチ風)
(凝灰岩)
長18m,S2.8m(G) 江戸末期 市重文 WEB/現地解説板 平成5復元 両岸に積み上げた石材を上になるほど川側にせり出させた疑似アーチを思わせる構造=他に例がない 2
写真 上町橋 かみまち 熊本/玉名市 人道/高瀬裏川 石桁橋(凝灰岩) (6G),石梁3本 江戸期?   WEB(石橋) 裏川の歴史的環境整備の一環で修景 高瀬裏川上流の4連続桁橋の1つ/最大(6連の石桁橋は稀少)かつ保存状態最良/2本橋脚 1
写真 御舘御前橋 みたちごもん 熊本/人吉市 人道/御舘の濠 石桁橋(凝灰岩) 長17.0m(5G),幅5.5m 明和3(1766) 県重文 WEB(石橋) 路面の石梁の一部にC補修 相良氏代々の御舘の前に架る幅広の立派な石桁橋(5径間は多い方)/3本橋脚 1
写真 大手橋(本御門橋) おおて 鹿児島/鹿児島市 人道/鶴丸城の濠 石桁橋(凝灰岩) 長15.75m,S2.40m(6G) 宝暦9(1759) 県史跡 WEB(石橋) 保存状態良好 擬宝珠高欄を持った格の高い石桁橋 1
写真 生橋 ほうじょう 沖縄/那覇市 <円覚寺参道>/ 放生池 石桁橋(石灰岩) 長2.7m(G) 1498年→沖縄戦で崩壊→1967年復原 国重文 市教委/WEB 沖縄戦で崩壊したものを復元 わが国現存最古の石橋/長方形の石版4枚を渡しただけの単純な構造/高欄は青石製で、精緻を極めた浮彫が見事 1