町石群

   都道府県別データ一覧にある18世紀以前の町石群 (該当する各町石群の中で最古の町石の建立年順でリスト化)(青字は町石とは認められないもの)

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 大町の石造浮彫阿弥陀三尊塔婆(一町仏) おおまち 福島/郡山市 今泉女子専門学校 一町仏(板碑、凝灰岩) 高70㎝ 長治2(1105)? 市史跡 今泉玲子(今泉女子専門学校校長) 原位置/祠内 奥州平泉の藤原清衡が中尊寺を草創(長治2)した記事に「先自白河関至于外浜 廿余ケ日行程也 其路一町別立笠率都婆云々」とある一町ごとに建てた塔婆、との伝承/国内最古の町石と言われるが、町数が示されていないため町石ではない(存在そのものを否定する説もある)/全面を凸型に彫り込んで、阿弥陀如来、観世音菩薩、勢至音菩薩の三尊像(西を向いている)を陽刻/『相生集(1841)』に記載 1
写真 旗宿の一町仏
(伝・一町仏供養塔)
はたじゅく 福島/白河市 <奥州街道> 一町仏(自然石) 高81㎝ 長治2(1105)? 市史跡 武部健一/WEB 移設? 阿弥陀如来を表す梵字が陰刻/奥州平泉の藤原清衡が中尊寺を草創
(長治2)した記事に「先自白河関至于外浜 廿余ケ日行程也 其路一町別立笠率都婆云々」とある一町ごとに建てた碑、とされる/国内最古の町石と言われるが、町数が示されていないため町石ではない(存在そのものを否定する説もある)/傍らに、享和2(1802)建立の白河藩校立教館教授・広瀬典による解説碑
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  滝沢不動の町石 たきざわ 群馬/桐生市 滝興寺・門前 町石(尖頭角柱) 最大高113㎝ 天明8(1788)   上州の近世石造物1 原位置?/全10基 滝沢不動の町石は、尊盛和尚が瀧興寺と関の磨崖仏から滝沢不動尊までの道沿いに76基を設置したもの/天明8の紀年銘を有するものは2基だけだが、残りも同年の設置とされる/(正面)「(梵字)○丁」 1
写真 清澄寺の町石 せいちょう 千葉/鴨川市 清澄寺 町石(尖頭角柱)   宝暦3(1753)   金田増補・天津小湊/WEB(加来_鴨) 移設、集約/全3基 清澄寺への町石は、順不同なので建立年代順にリスト化/(正面)「從是 本堂迄 ○町」/写真は「丗壹町」 3 -
  天龍寺参道(小床口)の町石 てんりゅう
(こゆか)
埼玉/飯能市 天龍寺参道(小床口) 町石
(自然石、石灰岩)
  安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物) 原位置/全5基 天龍寺参道(小床口)の町石は麓から山頂の天龍寺に向けてほぼ丁数順に並んでいる(山頂が1丁⇒逆順/すべて紀年銘が入る/
(正面)「天寺へ ○丁」
1 -
  天龍寺参道(吾野)の町石 てんりゅう
(あがの)
埼玉/飯能市 天龍寺参道(吾野口) 町石
(自然石、石灰岩)
  安永8(1779)   市教委(飯能の石造遺物p79・203) 原位置/全2基 天龍寺参道(吾野口)の町石は麓から山頂の天龍寺に向けてほぼ丁数順に並んでいる(山頂が1丁⇒逆順/すべて紀年銘が入る/
(正面)「○丁」
1
  満願寺の町石 まんがんじ 長野/安曇野市 栗尾山満願寺
<栗尾道>
町石(丸彫) 高70㎝ 寛政9(1797)   市教委 原位置/1基のみ(対象外を含めれば9基) 満願寺の地蔵丁石は1基だが、他の19世紀の自然石町石(リスト対象外)は入口から山麓の満願寺までほぼ丁数順に並んでいる(満願寺が1丁⇒逆順)/(台石正面)「従是十丁」/台石上に地蔵坐像の丸彫を載せる 1
写真 廃若澤寺(表参道)の町石 にゃくたくじ 長野/松本市 <若澤寺表参道> 町石(自然石) 最大高139㎝ 寛永12(1635) 市歴史資料 市教委 移設/全7基
(他、丁数不明2基)
若澤廃寺表参道の丁石は、入口から山麓の若澤寺まで丁数順に並んでいたものを各所に移設・集約したもの(かつては入口が1丁)/すべて紀年銘が入る/(正面)「(梵字3)○丁目」(緑字は異体字)/写真は「十四丁目」 2
写真 石雲院参道の町石 せきうん 静岡/牧之原市 石雲院参道 町石(変形蒲鉾型) 高60㎝ 元禄7(1694) 市史跡 市教委 原位置/1基/他には明治期のもの1基 (正面頂部)「十/三/丁」/正面を火灯窓型に浅く削り込み「虚空藏菩薩」と陰刻(町石としては非常に珍しい)/供養塔を兼ねている/地蔵と並んでいる 1
写真 廃補陀落寺の町石 ふだらくじ 三重/伊賀市 <補陀落寺参道> 町石
(自然石、花崗岩)
最大高113㎝ 建長5(1253) 国史跡 WEB(北伊勢の道標) 保存状態良好 廃補陀落寺の町石は、入口から補陀落寺まで丁数順に並んでいる(入口が基石=1丁)/廃補陀落寺から奈良街道への道中に設置/紀年銘は基石と四町石に刻字→国内で2番目に古い/「(梵字)○丁」/写真は「四丁」 1
写真 宇治岳道の地蔵町石 うじたけ 三重/伊勢市 <宇治岳道> 町石(舟型、砂岩) 最大高114㎝ 元禄2(1689)   伊勢市の石造遺物 原位置と思われるものは少ない/全55期 宇治岳道の地蔵町石は、宇治(内宮)方面から金剛證寺まで概略的には丁数順に並んでいる(移動もかなり多い)(入口が1丁)/下記の角柱町石が混在/朝熊岳信仰/(光背左・右・頂部)「○丁」/光背中央に地蔵立像の陽刻/写真は2基のみ紀年銘(延享3)のある「五十三丁」1 1-2
写真 宇治岳道の角柱町石 うじたけ 三重/伊勢市 <宇治岳道> 町石(角柱) 最大高128㎝ 延享3(1746)   伊勢市の石造遺物 原位置と思われるものの方が多い/全6基(ほかに自然石1基) 宇治岳道の角柱町石は、宇治(内宮)方面から金剛證寺までほぼ町数順に並んでいる(入口が1丁)/上記の多数の地蔵町石の中に混在/朝熊岳信仰/(正面)「○町」/写真は唯一紀年銘(元禄2)のある
「六十町」
1-2
写真 朝熊村岳道の角柱町石 あさまむらたけ 三重/伊勢市 <朝熊村岳道> 町石
(蒲鉾型、花崗岩)
最大高178㎝ 安永8(1779)   伊勢市の石造遺物 原位置/全20基 朝熊村岳道の角柱町石は朝熊村経由で金剛證寺まで町数順に並んでいる(入口が1丁)に並んでいる/角柱町石と地蔵町石が混在するが、後者は19世紀なので本リストの対象外/(正面)「(梵字)○町」/写真は「安永8」の紀年銘のある唯一の「二十二町」(これのみ移設) 1
写真 八鬼山道の地蔵町石 やきやま 三重/尾鷲市 <熊野街道(熊野古道)> 町石(舟型、緑色片岩) 最大高76㎝ 天正14(1586) 県指定 県石造物調査報告1
/WEB(北伊勢の道標)
全35基 八鬼山道の地蔵町石は、麓の矢浜から八鬼山山頂に向けてほぼ町数順に並んでいる/紀年銘のあるものは、天正14が1基、天正17が8基、残りも戦国末期と考えられている/(光背左・右・頂部)「○丁・町」/光背中央に地蔵立像を陽刻/写真は紀年銘(天正17)があり、かつ、保存状態が最も良い「四十四町」 1-2
写真 廃国束寺(原道)の地蔵町石 くづか、はら 三重/
(度会)玉城町・度会町
国束寺<原道(仮称)> 町石(舟型) 最大高85㎝ 正徳4(1714)   県石造物調査報告2
/WEB(神宮巡々)
移設/全14基 廃国束寺(原道)の地蔵町石は、廃国束寺町石の中で最も古くから整備された主要ルートで、山麓から山頂の国束寺に向けて順番に並んでいたとされるが現在は新・国束寺に移設されている
(光背右)「これより」、(同左)「○丁」、もしくは、(光背右)「これより ○丁」/光背中央に地蔵立像の陽刻/写真は最も古い紀年銘(正徳4)のある2基のうちの「九丁」
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  廃飯道寺の町石 はんどう 滋賀/甲賀市 <飯道寺参道> 町石
(五輪塔、花崗岩)
高140.7㎝ 室町前期後半中頃
(15世紀初?)
  市教委(甲賀市史6p588) 飯道山頂の神社鳥居近く/修復/1基のみ (正面)「(梵字)一町」 1
  西明寺の町石 さいみょう 滋賀/(犬上)甲良町   町石<五輪塔> 高165㎝ 元応2(1320)   WEB/近江の道標p209 移設/角柱状の塔身だけがオリジナル、台石は南北朝時代/1基のみ (正面)「(梵字)自 西明寺 五十二町」 3
写真 上醍醐の町石 かみだいご 京都/京都市(伏見区) 成身院の手前を登って右側 町石
(五輪塔、花崗岩)
最大高182㎝ 文永7(1270)頃
  高野山町石の研究p87/京都府史蹟名勝天然記念物調査報告No18も参照(以下省略)
/WEB(上醍醐)
ほとんどが角柱のみで、笠、受花、宝珠のすべてが揃い、かつ、鎌倉期のものは3基のみ 上醍醐の町石は、醍醐寺(下醍醐)の女人堂から山上の開山堂に向けて町数順に並んでいる/(正面)「(梵字)金剛索 二町」、(右面)「法印 權大僧都演光/法印 權大僧都演賀」/元はすべて笠塔婆型で鎌倉期を起源としていた(紀年名のある寛永18のものは町数の初めの方に多い/他の町石に見られない特徴として、一町から三十七町まで、マンダラの成身会構成図にある金剛界曼荼羅三十七尊の梵字、尊名を順番に刻字していることがあげられる/四摂菩薩(鉤→索→鏁→鈴)→十六大菩薩(埵→王→愛→喜→宝→光→幢→笑→法→利→因→語→業→護→牙→拳)→八供養菩薩(香→華→燈→塗→嬉→鬘→歌→舞)→四波羅蜜菩薩(羯磨→金剛→法→宝)→金剛界五仏(不空成就→阿弥陀→宝生→阿閦→大日)/一番古い可能性のあるのは「廿二町」で、(正面)「(梵字)金剛花 廿二町」、(右面)「權少僧都覺濟」とある。覺濟は文永7銘の高野山町石(十九町)も建立している 1-3 写真
写真 海住山寺の町石 かいじゅうせん 京都/木津川市 海住山寺参道 町石(五輪卒塔婆型板碑)   文明8(1476)?     移設?・原位置?/全6基 海住山寺の町石は、参道から本堂に向けてほぼ町数順に並んでいる(寺が一丁⇒逆順/「一町」のみ中世の建立、残りは寛文9(16
69)/(正面)「(梵字) □□ 一町」/正面下部に建立年代と建立者が陰刻/木卒塔婆の石造版→五輪塔より構造は簡単だが稀(恐らく唯一)
1-2
写真 楊谷寺参道の町石 ようこく 京都/長岡京市 楊谷寺表参道 町石(舟型)   江戸後期
(18世紀中以降)?
  市教委/WEB(長岡京市の道しるべ) 道路拡幅・舗装時に若干移動させた可能性/全17基 楊谷寺参道の町石は、楊谷寺から丁数順に並んでいる(寺が一丁⇒逆順/(光背右)「是より ○丁」/光背中央に地蔵立像の陽刻/写真は「一丁」 1 -
写真 音羽山観音寺の九品町石 おとわやま、くほん 奈良/桜井市 本堂・前 町石 最大高83㎝ 永禄5(1562)   市教委(音羽山観音寺参道町石p6) 移設、集約 観音寺の九品町石は、山麓から寺に向けて下品→中品→上品と位が上がっていく9本で構成されていた(⇒逆順
(正面)「(梵字)▽品△生 ○町」/写真は「(梵字)中品上生 四町」
2
写真 多武峰談山神社の町石 とうのみね、たんざん 奈良/桜井市 談山神社参道 町石(駒型) 高150㎝ 承応3(1654) 県史跡 県教委 原位置?/全32基 談山神社の町石は、山麓から神社に向けて華厳経に基づく菩薩の修行の52階位を順に刻字している
(正面)「(梵字)□□□位 ○町」/菩薩修行の階位である52位の中、1~10位までを「十信」、11~20位までを「十住」、21~30位までを「十行」、31
~40位までを「十廻向」、41~50位までを「十地」、51位が等覚、52位が妙覚/写真は最高位の「妙覺位 五十二町」
1
  多武峰西口坂の町石 とうのみね、にしぐちざか 奈良/桜井市 談山神社西口参道 町石   承応4(1655)   市教委
(桜井市史・上)
原位置?/全3基 談山神社西口の町石は、神社から山麓に向けて向けて華厳経に基づく菩薩の修行の52階位を順に刻字している⇒逆順
(正面)「□□□ ○町」
1
  倉治の町石 くらじ 大阪/交野市 (6丁目) 町石 高69㎝ 南北朝~室町期
(14-15世紀)?
  交野市の石造文化財1p49 移設/1基のみ 「(梵字)七町」/「石仏の道」と呼ばれる道沿いの池周辺から出土 3
  牛瀧山大威徳寺の地蔵町石 うしたきさん、だいいとくじ 大阪/岸和田市 <牛滝嶺道(牛滝街道)> 町石(舟型) 最大高120㎝ 江戸中期?
(18世紀前半)
  近畿地方の歴史の道1 原位置/全10基 牛瀧山大威徳寺の町石は、現在の残存配置順に遠方から並べてある/(光背右)「○丁」/光背中央に地蔵立像を陽刻 1
  石龕寺(岩屋道)の町石 せきがん、
いわや
大阪/丹波市 <岩屋道> 町石(五輪塔) 最大高125㎝ 室町期(15世紀)? 県史跡 市教委(山南町文化財のすがた/兵庫県指定文化財調査報告昭和39年度) 移設/五輪を形成する上部のが欠損したものが大半 石龕寺の岩屋道町石は、麓から山頂に向けて丁数順に並んでいる/紀年銘はないが、室町記と推定されるものと、江戸期と推定されるものが混在する/(正面)「○町」/地輪上部に地蔵立像を陽刻/石龕寺の町石は大正期の石龕寺移転に伴って全基移設されている 2-4
  石龕寺(寺坂道)の町石
せきがん、
てらさか
大阪/丹波市 <寺坂道> 町石(五輪塔) 最大高111㎝ 室町期(15世紀)? 県史跡 市教委(山南町文化財のすがた/兵庫県指定文化財調査報告昭和39年度) 移設/五輪を形成する上部のが欠損したものが大半 石龕寺の寺坂道町石は、麓から山頂に向けて丁数順に並んでいる/室町記と推定されるものと、江戸期と推定されるものが混在/(正面)「○丁」/以下同上 2-4
写真 勝尾寺の五輪塔町石 かつおうじ 大阪/箕面市 勝尾寺参道 町石
(五輪塔、花崗岩)
最大高173㎝ 宝治元(1247) 国史跡 WEB(アジアの風景!) 原位置 勝尾寺の五輪塔町石は、入口から勝尾寺に向けて町数順に並んでいる(入口が1丁)/下乗石、1町石~7町石までの8基は日本最古の町石/町石に建立年の刻字はないが、『勝尾寺毎年出来大小事等目録』に「宝治元年十一月比町率都婆立之…(略)…其比東西坂一丁ツツ…」と記されていることから確定できる/「(梵字)○町」/写真は「二町」 1-2 写真
写真 勝尾寺の角柱町石 かつおうじ 大阪/箕面市 勝尾寺参道 町石(尖頭角柱、花崗岩) 最大高131㎝ 寛文6(1666)   WEB 原位置・近接移設 勝尾寺の角柱町石は、上記五輪塔町石に続き勝尾寺まで町数順に並んでいる(終点の境内が三十六町)/八町石~三十六町石までの28基を大阪の豪商・小嶋長左衛門妻女が建立/「(梵字)○町」/写真は「三十六町」 1-2
写真 信貴山の町石 しぎさん 大阪/八尾市 <高安信貴道> 町石(頂部に開口部、花崗岩) 最大高141㎝ 宝永5(1708)   市教委(八尾の文化財4)/
近畿地方の歴史の道2/信貴山への道標
原位置? 信貴山に向かう高安信貴道の丁石は、山麓から信貴山頂に向けて丁数順に並んでいる(入口が1丁)/頂部に正方形の開口部(火袋)のあるものは寛政13(1801)なので本リストの対象外、宝永5の町石は角柱/「(梵字)○丁 信貴山」 1
  高代寺の町石 こうだいじ 大阪/(豊能)豊能町   町石(自然石) 最大高108㎝ 慶安3(1660)   現地解説板/
WEB(小鳥のさえずるホームページ)
原位置?/風化により摩耗が進んでいる/全9基 高代寺の町石は、山麓から高代寺に向けて町数順に並んでいる(入口が1丁)/「(梵字)○町」 2
  廃月峰寺(白木谷道)の町石 げっぽう、
しらきだに
大阪/(豊能)能勢町 (東山辺) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 最大高157㎝ 応永18(1411)   能勢の道しるべ 原位置?/全11基 剣尾山月峰寺(白木谷道)の町石は、麓から月峰寺まで町数順並んでいるが(寺が一町⇒逆順/紀年銘のあるのは1基だけだが、他の町石も同年の建立と推測されている/「(梵字)○丁・町」 2
  廃月峰寺(下見谷道)の町 げっぽう、
したみだに
大阪/(豊能)能勢町 (宿野) 町石(尖頭角柱、花崗岩) 最大高129㎝ 応永18(1411)?   能勢の道しるべ 移設/全4基 剣尾山月峰寺(下見谷道)の町石は、多くが移設されているため、当初の不明だが、上記の白木谷道と同じだと思われる(寺が一町⇒逆順/「(梵字)○丁」 2
  金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石 こんごうさん、てんぽうりんじ、ちはや 大阪/(南河内)
千早赤阪村
金剛山嶺道(千早道) 町石
(舟型、花崗岩)
最大高104㎝ 明暦2(1656)   WEB(金剛山登山道情報)/近畿地方の歴史の道1 原位置? 金剛山転法輪寺(千早道)の仏像町石は、麓から寺まで町数順に並んでいる(麓が1町)/十三仏を陽刻した町石(1:不動明王、2:釈迦如来、4:文珠菩薩、6:普賢菩薩、8:地蔵菩薩、10:弥勒菩薩、12:薬師如来、15:観音菩薩、18:勢至菩薩、21:阿弥陀如来)(廾三・廾八丁石は奈良県御所市)/(光背右)「○町」/光背全面に仏立像を陽刻 1
写真 高野山(奥の院道)の町石
こうやさん 和歌山/(伊都)高野町 <奥の院参道〔壇上伽藍~奥の院〕> 町石
(五輪塔、御影石)
最大高300㎝ 文永3(1266) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) ほとんどが原位置/戦国・江戸期の後補は10基 高野山・奥の院道町石は、丁数順に並べてある/伽藍~奥院に残る全36基の町石/「廿三町」は町石本体に紀年銘のあるものとしては日本最古(文永3年2月15日)/(正面)「(梵字)○町」/写真は「廿三町」 1 写真
写真 高野山(慈尊院道)の町石
こうやさん・じそんいん 和歌山/
(伊都)かつらぎ町・九度山道・高野町
<高野街道(大門口)〔慈尊院~壇上伽藍〕> 町石
(五輪塔、御影石)
最大高300㎝ 文永3-弘安8(1266-85) 国史跡/
世界遺産
高野山町石道/WEB(石仏と石塔!) ほとんどが原位置/江戸期の後補はわずか5基 高野山・慈尊院道町石は、丁数順に並べてある/伽藍~慈尊院に残る全180基の町石→日本最大の町石群/ユニークな経歴をもつ町石が幾つか含まれている→町石本体に紀年銘のあるものとしては日本で2番目に古い「百六十一町」は、嵯峨上皇により奥の院道四町石から抜き取られて二十町石に転用→高野山の山主検校・覚伝により奥の院道二十町石から抜き取られて再転用された/(正面)「(梵字)○町」/写真は「百六十一町」 1 写真
写真 廃明要寺の町石 めいよう 兵庫/神戸市(北区) <明要寺参道> 町石(五輪塔) 最大高210㎝ 永徳3(1383) 市史跡 市教委(平成10年度指定文化財調査報告書)/WEB 原位置が大半/全29基 廃明要寺の町石は、山麓から山頂までほぼ丁数順に並んでいる(山頂が一丁⇒逆順/永徳3と思われる中世町石は15基、紀念銘のあるもは5基、入口の「二十五丁」のみ明和7(1770)の地蔵町石/(正面)「従 丹生山 ○丁」/写真は永徳3銘で保存状態の良い「十九丁」 1
写真 摩耶山の町石 まや 兵庫/神戸市(灘区) 摩耶ケーブル下駅・前 町石(五輪塔)
(花崗岩)
高193㎝
文安4(1447)   WEB(神戸の道しるべ) 旧参堂入口→移設/1基のみ (正面)「(梵字)自山上 十八町」/他にも形態の類似性から室町期と推定されれている「十三町」が存在 2
  廃光明寺の町石 くろさわ、
こうみょう
兵庫/赤穂市 奥の院境内・入口 町石(五輪塔)
(花崗岩)
高約100㎝ 文明年間(1469-87)頃 市有形 市教委 廃寺→散逸→移設・集約/保存状態も様々/全6基 廃光明寺の町石は、本来は山麓から寺に向けて丁数順に並んでいた(現在はすべて移設)(寺側が一丁⇒逆順/「(梵字)自 光明寺 ○町」 2-4
写真 金剛院の町石 こんごう 兵庫/伊丹市 (3丁目) 町石(五輪塔?)
(花崗岩)
高113㎝ 永正14(1517)   伊丹の道標をたずねて古道を歩/WEB(的形道標クラブ) 五輪塔の塔身のみ残る/1基のみ (正面最下部)「十二丁」/正面上部に「南無阿弥陀佛」と陰刻、その下に蓮華座を陰刻 3
写真 常楽寺の町石 じょうらく 兵庫/加古川市   町石
(五輪塔、凝灰岩)
高95㎝ 永徳2(1382)   WEB 移設、集約/阿弥陀坐像背後に円光・舟型光、下部に蓮華座を墨描/風輪・水輪なし/1基のみ (正面像下部)「自 日光寺 一丁」/地輪頂部に阿弥陀如来坐像を半肉彫 3
写真 一乗寺の町石 いちじょう 兵庫/加西市 一乗寺 町石(五輪塔、石英流紋岩) 高290㎝ 正和5(1316) 県史跡 WEB 保存状態良好/町石全体を低い石高欄で囲う/1基のみ 「(梵字) 金輪聖王 自 金堂 一町」→「自 金堂 一町」のように道標的要素を兼ねる/台石上端に複弁反花の浮彫/西国三十三ヶ所の第二十六番札所・一乗寺入口の正面に建つ 1
写真 中山寺の町石 なかやま 兵庫/川西市 (加茂2丁目)
阿弥陀寺庫裡庭園
町石 高122㎝ 永正14(1517)   WEB(神戸の道しるべ) 原位置/1基のみ (正面)「(梵字)十四丁」 3
写真 廃大舟寺の町石 だいしゅう 兵庫/三田市 <大舟寺参道> 町石(五輪塔、石英粗面岩) 最大高160㎝ 明応8(1499)以前 県有形 現地解説板/WEB 原位置/全12基 廃大舟寺の地蔵町石は、参道入口から寺に向かって町順に並んでいる(寺が一丁⇒逆順/五輪塔町石に地蔵を陽刻した唯一の事例/大舟寺は明応8にふもとに移転したためそれ以前のものと考えられる/(正面像下)「○町」/角柱最上部に小さな地蔵立像(蓮台)を陽刻/写真は「三町」 1
写真 中山寺(奥の院参道)の町石 なかやま 兵庫/宝塚市 <奥の院参道> 町石(尖頭角柱) 高135㎝,24㎝角 享保19(1734)   たからづかの道標p49/歴史の道1p150 原位置/全18基 中山寺(奥の院参道)の町石は中山寺本堂から奥の院に向けて丁数順に並んでいる(本堂が1丁)/(正面上部)「○丁」、(右面下部)
「宿坊宝蔵院」、(左面)「亨保十九甲寅年十一月/施主 辰巳休海」/写真は「一八丁」
1
写真 石龕寺の岩屋道町石 せきがん、
いわや
兵庫/丹波市 <岩屋道> 町石(五輪塔) 最大高125㎝ 室町期?
(1基のみ応永6(1399))
県史跡 市教委(山南町文化財のすがた/兵庫県指定文化財調査報告昭和39年度) 石龕寺の町石は大正期の石龕寺移転に伴って全基移設されている/全14基(他に中世の町石の再利用が2基、江戸期のものが9基) 石龕寺の岩屋道町石は、麓から山頂に向けて丁数順に並んでいる/地輪頂部に地蔵立像を陽刻→五輪塔町石で地蔵像が彫られた最初の事例/写真は1基のみ応永6(1399)の「八町」 2-4 A-B
  石龕寺の寺坂道町石 せきがん、
てらさか
兵庫/丹波市 <寺坂道> 町石(五輪塔) 最大高111㎝ 室町期? 県史跡 市教委(山南町文化財のすがた/兵庫県指定文化財調査報告昭和39年度) 石龕寺の町石は大正期の石龕寺移転に伴って全基移設されている/全2基(他に江戸期のものが3基) 石龕寺の寺坂道町石は、麓から山頂に向けて丁数順に並んでいる/地輪上部に地蔵立像を陽刻 2-4
写真 甲山太師の町石 かぶとやま 兵庫/西宮市 <甲山参詣道> 町石(尖頭角柱)   宝暦年間(1751-63)以降   WEB 移設の方が多い/全8基 甲山太師(神呪寺)の町石は、町数順に遠方から並べてある(本堂下の仁王門が一丁⇒逆順/「(梵字) ○丁」/写真は「一丁」 2-3
写真 書写山(東坂参道)の町石 しょしゃざん 兵庫/姫路市 円教寺・東坂参道 町石(丸彫)?   享保9(1724)   姫路の文化財・石造遺品銘文集/WEB(的形道標クラブ) 原位置?/全3基  書写山(東坂参道)の町石は山麓から山頂まで丁数順に並んでいる(山麓が一丁)/台石正面に「法界」と陰刻、その右に「○丁」とあるのが基本だが、台石上に地蔵立像のあるものは丁がなく、逆に丁のあるものには地蔵がかつてあった穴のみ残る 3-4
写真 随願寺の地蔵町石 ずいがん 兵庫/姫路市 随願寺参道  町石(舟型)
町石(角柱)
  享保12(1727)
天保2(1831)
  同上p493/WEB(的形道標クラブ) 享保12が2基のみ、
天保2が8基ほか/全11基
随願寺の地蔵町石は麓から寺まで丁数順に並んでいる(麓が一丁)/享保期のものは舟型地蔵、天保期のものは角柱地蔵/享保の町石は、(台石正面)「○丁」/光背中央に地蔵立像(錫杖)の陽刻/天保の町石は、(正面像下)「○丁」、(台石正面)「○丁」/正面上部を光背型に削り込み地蔵坐像(蓮台)の陽刻 1
写真 諭鶴羽神社の町石 ゆづるは 兵庫/南あわじ市 <諭鶴羽表参道> 町石
(五輪塔、砂岩)
最大高111㎝ 建武元(1334) 市史跡 市教委
/WEB(みさき道人)
全2基(いずれも偶然発見され再建立) 諭鶴羽神社の五輪塔町石は、登山口から頂上に向けて丁数順に並んでいる(山頂の諭鶴羽神社が1丁⇒逆順/(正面)「(梵字)○町」/写真は「一町」 3
  金剛寺の町石 こんごう 兵庫/南あわじ市 <成相寺> 町石(五輪塔) 最大高81㎝ 康永2(1343)   市教委 移設/保存状態良くない/全2基 金剛寺の町石は境内に移設されている/旧名の成相寺は実弘上人が高野山を手本に建立したと伝えられる→町石の形態が類似/(正面)
「(梵字)○」
3
  妙見山(作山道)の地蔵町石 みょうけん、ひばた 兵庫/養父市・
(美方)香美町
  町石(舟型) 最大高99.5㎝ 寛政2(1790)   市教委(八鹿町の石造遺物) 移設も複数あり/全15基 妙見山(作山道)の地蔵町石は、麓(香美町)から妙見宮日光院(現・名草神社)まで大体順番に並んでいる(妙見宮が1丁⇒逆順/紀年銘のあるのは「一丁」のみ、他の町石もほぼ同年代か?/(光背右)「○丁」/光背中央に地蔵立像を陽刻 1-2
写真 笠形寺の板碑町石 かさがた 兵庫/(神崎)市川町 <笠形寺参道> 町石(駒型) 最大高120㎝ 江戸初期以前?   町教委(市川の道標) 原位置?/全6基 笠形寺の板碑町石は、麓から山腹の寺に向けて丁数順に並んでいる(寺が一丁⇒逆順/地元では中世由来とも考えられているが、駒型なので16世紀より遡る可能性は低い/「(梵字)○丁」/写真は「三十三丁」→下記「地蔵町石・五丁」と併設されているため町石の並び順が逆になっていることがよく分かる 1
写真 笠形寺の地蔵町石 かさがた 兵庫/(神崎)市川町 (上牛尾塩谷)
<笠形寺参道>
町石(舟型) 最大高82㎝ 享保10(1725)   町教委(市川の道標p35) 原位置がほとんど/全31基 笠形寺の地蔵町石は、麓から山腹の寺に向けて丁数順に並んでいる(麓が一丁)/紀年銘のあるのは「ゼロ」「三十五」の2基のみだが、他もすべて同年と推定される/(光背右)「○丁」/光背中央に地蔵立像を陽刻/写真は「五丁」→上記「駒型町石・三十三町」と併設されているため町石の並び順が逆になっていることがよく分かる/「ゼロ」と書いたのは、「一丁」の手前に建つ「從是本堂迄 三十六丁」と刻字された道標的な町石のこと→他では見られない特異な構成 1
  大安興寺の町石 だいあんこう 鳥取/鳥取市 (用瀬町鷹狩)<智頭往来> 町石(舟型)   宝暦3(1753)   歴史の道1 1基のみ (光背右)「五丁」/光背中央に地蔵を陽刻/「三丁」と刻字された地蔵町石もあるが年代不明    
  松笠観音表参道の地蔵町石 まつかさ 広島
広島市(安佐北区)
<松笠観音表参道> 町石(舟型) 高77㎝ 宝永2(1705)   口田の石文化p45 原位置?/1基のみ 松笠観音寺第四世住職・覚心が建立した道教え地蔵/(光背右)「七丁」 1
  弥山道の地蔵町石 みせん 広島廿日市市(厳島) <大聖院弥山道> 町石(駒型) 最大高85㎝ 慶長4(1599)   WEB 原位置?/全12基 弥山道の地蔵町石は山麓から山頂までほぼ丁数順に並んでいる
(麓が1丁)/慶長と元文の2通の町石が混在する(慶長は3基のみ)/
(正面像下)「○丁」/正面上部に地蔵立像(蓮台)の浮彫り
1-3
  降松神社上宮の町石 くだまつ 山口/下松市 (降松神社中宮拝殿前) 町石(尖頭角柱)   寛政元(1789)   市教委(下松史異読p201-202) 1基のみ 「是ニテ十八丁 是ヨリ上宮三丁余」  
写真 屋島寺周辺(一宮寺側)の
地蔵町石
いちのみや、やしま 香川/高松市 <へんろ道〉 町石(舟型) 最大高110㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2) 原位置が多い/全14基 屋島寺周辺(一宮寺側)の地蔵町石は、すべて享保11銘のもので、八十四番屋島寺に向けて丁数順に並んでいる(八十三番一宮寺側が一丁)/(光背右下)「○丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻/写真は「六丁」 1
写真 屋島寺~八栗寺の地蔵町石 やしま、やくり 香川/高松市 <へんろ道〉 町石(舟型) 最大高82㎝ 享保11(1726)   歴史の道6(2) 移設/全5基 屋島寺~八栗寺の地蔵町石は享保11と14銘だが、現位置、丁数など不明確な点が多い/(光背右下)「○丁目」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻(写真は「五丁」) 2
写真 雲辺寺~大興寺の地蔵町石 うんぺん、
だいこう
香川/観音寺市 <へんろ道〉 町石(舟型) 高70㎝ 享保5(1720)   歴史の道6(2)/WEB 移設/1基のみ(対象外を含めれば25基) 雲辺寺周辺(讃岐側)の地蔵町石は、ほとんどが文政13の銘が入っており、六十七番大興寺に向けて凡そ丁数順に並んでいる(六十六番雲辺寺側が一丁)/1基を除きすべて文政13(1830)の建立/
(光背頂部)「(梵字)拾丁目」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻(写真は「四丁」)
3
  大興寺~神恵院の地蔵町石 だいこう、
じんね
香川/観音寺市 <へんろ道〉 町石(舟型) 高46㎝ 明和4(1767)   歴史の道6(2)/WEB 原位置/1基のみ(対象外を含めれば13基) 大興寺~神恵院(琴弾八幡宮)の地蔵町石は、後半が文化12の建立で、六十八番神恵院に向けて丁数順に並んでいる(六十七番大興寺側が一丁)/1基を除きほとんどが文化12(1815)の建立/(光背右端)「九丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻 1
写真 白峰寺~根香寺の地蔵町石 しろみね、
ねごろ
香川/坂出市 <へんろ道〉 町石(舟型) 最大高95㎝ 宝暦3(1753)   歴史の道6(2) ほぼ原位置だが修復が多い/全41基 白峰寺~根香寺の地蔵町石は、宝暦3と推定されるもので(県教委の見解)、八十二番根香寺に向けて丁数順に並んでいる(八十二番根香寺側が一丁⇒逆順/(光背右端)「○丁」/光背頂部に梵字陰刻、中央に地蔵立像を陽刻(写真は「一丁」) 1-2
写真 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の地蔵町石 しろみね 香川/坂出市 <へんろ道
(79番→81番直行)〉
町石(舟型) 最大高72㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2) 原位置は半数程度/全17基 白峰寺周辺(祟徳天皇稜側)の町石は、3基を除き宝暦13の銘入りで、七十九番天皇寺から八十一番白峰寺に直行するルート上の終点近くの山道に丁数順に並んでいる(八十一番白峰寺側が一丁⇒逆順/(光背右端)「○丁目」/中央に地蔵立像を陽刻(写真は「十七丁目」) 1-2
写真 長尾寺~大窪寺の地蔵町石 ながお、
おおくぼ
香川/さぬき市 <へんろ道〉 町石(舟型) 最大高79㎝ 宝暦12(1762)   歴史の道6(2)/WEB 原位置と移設が同程度/全45基 長尾寺~大窪寺の地蔵町石は、宝暦12-14・明和元銘のものを主体とするもので、八十八番大窪寺に向けて丁数順に並んでいる
(八十八番大窪寺側が一丁⇒逆順
/(光背上部)「○丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻/写真は「十六丁」
1・2
写真 大窪寺への地蔵町石 おおくぼ 香川/
さぬき市・東かがわ市
<へんろ道〉 町石(舟型) 最大高67㎝ 宝暦13(1763)   歴史の道6(2)/徳島県歴史の道5遍路道p136/WEB 近接移設と移設が多い/全33基 四国霊場八十八番最後の大窪寺に逆からアクセスするための町石は、旧白鳥町五名(現・東かがわ市)と旧長尾町多和(現・さぬき市)とで形態が全く異なる(八十八番大窪寺が一丁⇒逆順/さぬき市の8基が宝暦13、東かがわ市の25基が明和4の建立/宝暦の町石は(光背上部)「○丁」/丁数の下に地蔵立像を陽刻/明和の町石は(正面)「(像を挟むように大きく)○/○丁」/刻字が大きい割に地蔵立像を小さく陽刻/写真は「九丁」 1-2
写真 本山寺~弥谷寺の地蔵町石 もとやま、
いやだに
香川/三豊市 <へんろ道〉 町石(舟型) 最大高78㎝ 宝暦9(1759)   歴史の道6(2)/WEB 全6基 本山寺~弥谷寺の地蔵町石は、1基を除き宝暦9の銘入りで、七十一番弥谷寺に向けて丁数順に並んでいる(七十一番弥谷寺側が一丁⇒逆順/(光背頂部「(梵字)」、(光背右下隅)「○丁」/中央に地蔵立像(蓮台)を陽刻/写真は「五丁」 1-2
  鶴林寺~太龍寺の角柱町石 かくりん、
たいりゅう
徳島/阿南市 <へんろ道(太龍寺道)> 町石(尖頭角柱、花崗岩) 高105㎝ 貞冶3(1364)
→後世に再町石化
国史跡 阿波遍路道報告書1 南北朝期の町石の再利用/旧刻が判読可能/1基のみ
(もう1基は宝暦9(1759))
鶴林寺~太龍寺の町石は、二十一番太龍寺に向けて丁数順に並んでいる(二十番鶴林寺が一丁)/一丁~二十八丁のうち、「三丁」のみが南北朝期の町石の再利用/(正面)「三丁」、(正面旧刻)「貞冶三年三月十三日」/頂部は水平(当初は尖頭角柱)/頂部四周に2本線を陰刻/ 3
写真 一宿寺~太龍寺の角柱町石 いっしゅく、
たいりゅう
徳島/阿南市 <へんろ道(かも道)> 町石(尖頭角柱、花崗岩) 最大高149㎝ 貞冶4(1365)
→後世に再町石化
県史跡 阿波遍路道報告書2 南北朝期の町石の再利用/旧刻が判読可能なものが多い/全14基 一宿寺~太龍寺の角柱町石は、貞冶4の旧町石を再利用したもので、二十一番太龍寺に向けて丁数順に並んでいる(二十一番太龍寺側が一丁⇒逆順/貞冶4の町石の再使用(紀年銘のないものも少しあるが同年と推定)/(正面)「○丁」、(正面or裏面旧刻)「○、貞冶ニニ年/正月十三日」/頂部は水平(当初は尖頭角柱)/頂部四周に2本線を陰刻/写真は「三十五丁」 2
  一宿寺境内の旧・角柱町石 いっしゅく 徳島/阿南市 一宿寺
<へんろ道(かも道)>
<町石(尖頭角柱、花崗岩)> 最大高78.5㎝ 貞冶4(1366) 市史跡 阿波遍路道報告書2 移設/全体に保存状態はよくない/全5基 一宿寺境内の角柱町石は、移設され町石としての機能を果たしていない/貞冶4銘のものは1基のみだが、他の4基も同時期のものと推定されている/貞冶4銘のものは、(正面)「四十二町、貞冶ニニ年/正月十三日」/頂部は水平(当初は尖頭角柱)/上部に左右に2本線を線刻/オリジナルの南北朝町石だが、町石の機能は果たしていない 2-4
  藤井寺~焼山寺の角柱町石 ふじい、
しょうさん
徳島/阿南市・(名西)神山町 <へんろ道> 町石(角柱)   享保15(1730)   歴史の道5 1基のみ(他の16基は年不詳) 藤井寺~焼山寺の角柱町石は、十二番焼山寺に向けて丁数順に並んでいる(十二番焼山寺側が一丁⇒逆順/角柱町石は焼山寺周辺のみ(十七丁が最終)、かつ、年代刻字は「一丁」1基のみ/(正面)「一丁」/   -
  藤井寺~焼山寺の地蔵町石 ふじい、
しょうさん
徳島/吉野川市 <へんろ道> 町石(舟型)   寛延2(1749)   歴史の道5/WEB 原位置/1基のみ(他に7基江戸期の町石はあるが年不詳) 藤井寺~焼山寺の地蔵町石は、十二番焼山寺に向けて丁数順に並んでいる(十二番焼山寺側が一丁⇒逆順/紀年銘のあるものは「百十九丁石」のみ/(光背右端)「焼山寺ゟ百十九丁也」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 1 -
写真 大日寺~地蔵寺の地蔵町石 だいにち、
じぞう
徳島/(板野)板野町 <へんろ道> 町石(舟型)   宝暦7(1757)   歴史の道5 ほとんどが移設/全13基 大日寺~地蔵寺の地蔵町石は、宝暦7銘のものを主体とするもので、五番地蔵寺に向けて丁数順に並んでいる(五番地蔵寺側が一丁⇒逆順/(光背右上)「○丁目」/光背全面に地蔵立像が陽刻されている/写真は「十三丁」 2-3
写真 鶴林寺周辺(立江寺側)の角柱町石 かくりん 徳島/(勝浦)勝浦町 <へんろ道(鶴林寺道)> 町石(尖頭角柱、花崗岩) 最大高114㎝ 貞治5(1366)
→後世に再町石化
国史跡 町教委/阿波遍路道報告書1 南北朝期の町石の再利用/旧刻が別面もしくは正面に重なって見られる/全12基(貞治5は1基、貞治年間1基、応安元(1368)が4基、写真の「二町」は応安4 鶴林寺周辺(立江寺側)の角柱町石は、二十番鶴林寺に向けて丁数順に並んでいる(二十番鶴林寺が一丁⇒逆順
/写真は、(正面)「十丁」、(右面旧刻)「九町」と新旧の町石が同時に見える唯一の町石で、初代の建立は応安2(1369)、再町石化(追刻)の時期は不明/頂部は浅型の尖頭(当初は尖頭角柱)/頂部四周に2本線を陰刻/写真は「二丁」
1-3
写真 石鎚横峰の町石 いしづち、
よこみね
愛媛/西条市   町石(尖頭角柱)   元文3(1738)   WEB 半数以上移設/全7基 石鎚横峰の町石群は、麓から山上に向けて並んでいたが移動が多い(山頂が一丁⇒逆順/(正面)「從峯 ○丁」/紀年銘のあるものは1基だがすべて同型のため同年の建立と推測される/写真は紀年銘のある「一丁」 1-3
写真 三角寺~奥之院仙龍寺の地蔵町石 さんかく、
せんりゅう
愛媛/四国中央市 六十五番三角寺~奥之院仙龍寺
<地蔵峠越えのへんろ枝道>
町石(舟型) 最大高94㎝ 18世紀(享保・宝暦年間)   歴史の道4p12/伊予の遍路道/WEB(四国の古道・里山を歩く) 紀年銘のあるのもはゼロ/原位置は半数程度/全36基 三角寺~奥之院仙龍寺の地蔵町石は、六十五番三角寺から奥之院仙龍寺の不動堂に向けて丁数順に並んでいる(不動堂北の分岐点の町石が九丁⇒逆順/(光背頂部)「五十八丁」/光背中央に地蔵立像(錫杖)を陽刻 1-2
写真 奥之院仙龍寺~平山の地蔵町石 せんりゅう、
ひらやま
愛媛/四国中央市 奥之院仙龍寺~平山
<堀切峠越えのへんろ枝道>
町石(舟型) 最大高104㎝ 宝暦11(1761)   歴史の道4p12/伊予の遍路道/WEB(四国の古道・里山を歩く) 紀年銘のあるのは1基のみ、他は享保・宝暦年間/原位置は少ない/全17基 奥之院仙龍寺~平山の地蔵町石は、奥之院仙龍寺の不動堂から平山(六十六番雲辺寺への分岐点)に向けて丁数順に並んでいる(不動堂北の分岐点の町石が九丁)/写真は、(光背頂部)「四十八丁」/光背中央に地蔵立像(錫杖)が陽刻されている 1-3
写真 八丁坂の町石 はっちょう 愛媛/四国中央市 不動堂~奥之院仙龍寺・本堂
<へんろ枝道>
町石(尖頭角柱) 最大高98㎝ 享保14(1729)   歴史の道4p12/伊予の遍路道/WEB(四国の古道・里山を歩く) すべてに紀年銘がある/原位置がと推測される/全17基 奥之院仙龍寺(不動堂)~同(本堂)までの八丁坂に建てられた町石は、六十五番三角寺からの道と、六十六番雲辺寺に向かう平山への道の分岐点(不動堂北)に向けて丁数順に並んでいる(奥之院・本堂が一丁⇒逆順/写真は、(正面)「是より奥院迄 一丁」 1
  最御崎寺の地蔵町石 ほつみさき 高知/室戸市 最御崎寺参道→境内 町石(舟型) 最大高55㎝ 明和5(1768)   歴史の道・ヘンロ道p201 移設/全4基 最御崎寺の地蔵町石は、すべて境内に移設されている/(光背頂部)「○丁」/光背中央に地蔵立像を陽刻 3 -