取水堰 (長さ) 

   都道府県別データ一覧にあるランクB以上の取水堰を「長さ」の順に並べたもの (残存するのは石堰のため西日本中心)

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 第十堰 だいじゅう 徳島/(名西)石井町・
(板野)上板町
吉野川<吉野川から新川・別宮川への越流堤> 取水堰
(斜め堰<蛇籠による縦堰>)
(宝暦2)長約400m
→(寛政4)長910m
→(文久)長1021m
→(明治3)1054m
宝暦2(1752)   WEB(土木学会吉野川第十堰技術評価特別委員会報告書)/町教委 創建時とは用途が異なる/大正期の地震より修復→昭和期にC堰に改修/石井町側は一部石敷きが残る 寛文12(1672)の別宮川の開削(徳島藩が実施)に伴って生じた吉野川の断流現象を防止するため、吉野川沿川の農家が主体となって別宮川の流頭に建設(その後の増築・修築、管理も基本的に農家主体→①徳島藩は用水開発よりは藍作を重視、②徳島藩という一地方藩が管理するには吉野川は余りに大河川であった、などの理由が複合) 3 写真
写真 鵜ノ瀬堰 うのせ 熊本/(上益城)甲佐町 緑川→大井手川 取水堰 長662.5m,
幅最大125m
慶長13(1608) 町指定 町教委 左岸の河岸沿いに幅10m、長さ100mの石敷が残る/旧石材がC堰の下に残っている可能性も指摘 熊本藩主加藤清正の命により建設された湾曲斜め堰/利水用の斜め堰のなかで建造当時国内最長/上流の1/3点に新堰が作られ上部が分断 4 写真
写真 建部井堰(一ノ口井堰) たけべ 岡山/岡山市(北区) 旭川→大井手用水 取水堰
(片持ち斜め堰)
長620-650m(捨石先端部~第二土砂吐右岸 or 導水隧道入口) 享保6(1721)以前
⇒寛永5-7(1628-30)年前後の可能性大
選奨土木遺産/<武部町史跡> 建部井堰調査報告書 保存状態良好(上流のダム建設以来、越流が減り雑草が繁茂するようになった)/日本最大・最良の保存状態の取水堰が文化財行政の不作為により指定解除のまま放置されている状況は理解し難い 現存する最大の斜め堰で、かつ、当初の姿をほぼ完全に残している/備前・美作国境のため、川の中間で堰が途切れる「片持ち」式の特異な構造⇒主要部分の交差角は0度と河川と完全に平行/建造時の記録が全く残っていない(あるいは、発見されていない)ため、建設年代は堰の存在を示した最古の絵図の年代(享保6)以前としか言えない→可能性としては、①岡山藩に公式記録を残す制度が始まる前で、②土木普請に熱心だった岡山藩(池田家)の2代藩主・池田忠雄(1602-32)の死亡直前で、③当該地区で石高が急増した「寛永5~7年前後」という推定が、現時点では最も蓋然性が高い 2 写真
写真 カゴ井出堰   岡山/岡山市(北区) 旭川→<管掛用水> 取水堰(斜め堰) 長618m→約90m 寛文2(1663)     旭川合同堰(1953)により代替後は放置/『備陽記』には長618mとあるが、現在は川幅のほとんどが砂洲化し当時の面影はない 御野郡77ケ村の大庄屋金萬平次郎が私財を投じて開削 4
写真 吉井堰 よしい 岡山/岡山市(東区) 吉井川→倉安川 取水堰(斜め堰) 長約600m 寛文期(1661~72)の間→延宝7(1679)改修?   政田 孝 構造材料は近代化/形態のみ残る 池田忠雄の時代の築造/倉安川の開削に合わせ、津田永忠が改修したとされる 4
写真 土場の竪(立) どば、たつぜき 徳島/美馬市 穴吹川 取水堰(斜め堰) 長490m 元和年間(1615-20)?   市教委(穴吹町誌p743) 大正元に完全崩壊(原形喪失)→C補強 築造: 徳島藩家老・稲田植元?(建造年代を含め伝承)/大型の斜堰の一つだがC改修/「竪堰」という名称は、川を横断するのではなく、流れの向きに造られた「珍しい」堰であったことから来ている→一般の斜め堰に比べ、交差角がわずか3度と平行に近い 4
写真 田原井堰・跡 たわら 岡山/(和気)和気町 田原井堰資料館 <吉井川→田原用水> 取水堰(斜め堰) 長488m(15,000㎡の石組み) 寛永元(1624)
→元禄期に改修
県史跡 政田 孝 250㎡(全体の1/60)を移築復元 津田永忠による元禄期の改修/新河口堰ができる前は、岡山を代表する斜め堰だった 3
写真 山田堰・跡 やまだ 高知/香美市 山田堰記念公園<物部川> 取水堰
(湾曲斜め堰)
長327m→
東岸20m,西岸70m,高約1.5m
寛永16(1639)着工
寛文4(1664)竣工
県史跡 市教委(土佐山田町史p354
-355)
高水敷内の堰の一部を保存 野中兼山/現地の解説板にも、市の公式サイトにも着工は寛永16、完成は兼山死後の寛文4と書いてあるが、井筋はもっと前に機能しているので、25年もかかったかどうかには疑問が残る 3
写真 草生堰 くそう 岡山/岡山市(北区) 旭川 取水堰(斜め堰) 長307m 江戸期?     全長の半分はコンリート化 乱石積みの上を流れる水流が美しい/石積みの残る現役の旭川本流の斜め堰(建部井堰の下流) 3
写真 大口堰取水堰 おおぐち 鳥取/鳥取市 千代川→大口堰用水 取水堰(斜め堰) 長230m 慶長年間(1596-1615)?   WEB C改修されているがオリジナルの線形を維持 近江屋安兵衛による改修など数度の改修が行われた/典型的な斜め堰/下記の「大口堰用水」の取水堰 5
写真 山田井堰 やまだ 福岡/朝倉市 筑後川→堀川用水 取水堰(斜め堰) 長176.6m,幅47m 寛政2(1790)→
明治35(1902)嵩上げ
  現地解説板 経年的に原形復旧されてきたが、平成10に空石→練石に改修
(現地石を使用)
筑後川四大用水の中で、最古・最大の用水の取水堰/国内に残る大型の広い幅をもつ平坦な石堰 3
写真 一の井手 いちのいで 福岡/(筑紫)那珂川町 那珂川→裂田溝 取水堰 長約150m(当初) 4世紀の可能性   町教委 昭和43全面改修→昭和63年可動堰/かつての井手の遺構が、一部残されている(3ヶ所が小さく水面に出ている) 日本最古の農業用水路(『日本書紀』に登場する=周辺の発掘調査からも、時代推定はほぼ確か)の取水堰 4
  河戸堰 こうど 高知/宿毛市 松田川 取水堰
(湾曲斜め堰)
長145m,幅25m
(石堰時代)
万冶元(1658)   市立宿毛歴史館 平成14にRC可動堰に改築(直線化)/右岸側の1スパンに石敷を残す 野中兼山・一木権兵衛/兼山の代表的な湾曲斜め堰 4
写真 麻生堰 あそう 高知/四万十市 後川→四ヶ村溝 取水堰
(湾曲斜め堰)
長136m,幅12m 寛文2(1662) 市史跡 宰相野中兼山p373-374 C補強されているが、石積みも視認可能 野中兼山/兼山由来の湾曲斜め堰の中で唯一往時の形態を保持/現地では「糸流し」とも言われているが、水理学的に見ると、構造上敢えて不利とも思われる逆アーチ構造は、川に生まれる自然な堆積(下流に向かって弧を描く場合がある)上に堰を構築した結果だと推測できる 3 写真
写真 三野井堰挻樋堰) みの 岡山/岡山市(北区) 旭川→西川用水 取水堰(斜め堰) 長約100m 慶長6(1601)前後?   WEB 保存状態良好 小早川秀秋の築造(岡山藩第2代藩主・池田忠雄の築造説も)/西川用水の取水堰/美しいが小規模 1
写真 大井出堰・跡 おおいで 佐賀/佐賀市 (石井樋公園)
<嘉瀬川→多布施川>
取水堰 長96m→長約30m 元和年間(1615-24)?   現地解説板/WEB   「戸立」と称する開口部を有する石積堰 3
写真 都幾川の斜め堰群 とき 埼玉/東松山市 都幾川 取水堰 長70-100m級 江戸期   WEB(関東地方の川) Cブロック堰(改修は部分的?) 上流から、鞍掛堰、中井堰、上用水堰、矢来用水堰、長楽堰の5つの斜め堰が設けられ、ある程度改修されているものの全体的な景観としては江戸期の取水堰の雰囲気を残す 3
写真 大黒井堰 だいこく 佐賀/伊万里市 松浦川 取水堰 長50m,高7m 江戸初期   島谷幸宏 全面的にC被覆(2段の形態は残る)/公園化 初代唐津藩主・寺島広高(1563-1633)、設計: 僧侶・田代可休/虹の松原と並ぶ寺島広高の二大事業(松浦川、徳須恵川、厳木川に造られた6基の井堰の中で最大)/右岸側を拡幅する形で保存 3
写真 笹原の石磧 ささはら、いしぜき 熊本/(上益城)山都町 笹原川 取水堰 長48m,幅20m 嘉永元(1848) 町有形 矢部町史/熊本県の近代化遺産p.58 当時のまま 施主:惣庄屋・布田保之助/小笹・野尻地区の灌漑用/裏面の石垣が亀の甲形に組まれている→通称「亀堰」 1
写真 二ツ川堰 ふたつかわ 福岡/柳川市 沖端川→二ツ川 取水堰 長43.6m,幅14.3m 江戸期   市教委 改修の有無不明 掘枠面張の上に岩を積み上げる割石積立堰(二ツ川水門から二ツ川に引き入れる)/堰中央部で水を流下させる 2
写真 三千石井堰 さんぜんごく 佐賀/神埼市 城原川→横路川 石取水堰 長35m 江戸初期   WEB 原形をほぼ保つ 川久保の邑主・神代氏の采配により荒地への導水のため築造/成富兵庫の築造と記した資料もあるが関与の程度は不明/用水の取水口に天狗の鼻と象の鼻を設けたかのように解説しているWEBサイトもあるが、何でも成富兵庫や石井樋と結びつける風潮は感心しない 1
写真 萩の尾堰 はぎのお 佐賀/武雄市 松浦川 取水堰 長32m 慶長11(1611)   島谷幸宏 保存状態良好 成富兵庫茂安/茂安が築いた堰の中で現存最古?(現存する取水堰としても最古級)/馬ン頭伏越の取水堰 1
写真 論田の西井出堰 ろんでん、にしいで 愛媛/(喜多)内子町 麓川 取水堰 長30m,高3.3m 江戸後期 国登録 WEB 昭和前期に頂部をC補強 盤面に敷いた松丸太の上に空石積で構築 2
写真 原田井手 はらだ 佐賀/武雄市 鳥海川 取水堰 長23.0m,高3.0m 慶応4〈1868)以前   市教委/
佐賀県の近代化遺産p159
上流側はC補強 下流側は方形(60×80㎝程度)に近い形に加工された石を布積風に積み上げた構造→法面が一定勾配ではなく、膨らんだ曲面となっているのが非常に珍しい/慶応3の洪水被災を受けて、翌4年に修復普請の申し出が出されているので、創建はそれ以前と思われる(修復の度合いは不明)/伊万里市(唐津藩)の岩坂井堰と一見類似して見えるが、①石積方式、②余水の処理方法、③断面形状、④上流縁の遮水板の有無の4点で両者は全くの別物である 1
写真 子ノ堰 熊本/宇城市 浜戸川 取水堰 長約20m 江戸初期   豊野村史p.27 天端をC補修/一部近代の石積 堰堤本体の石積は9割方残る/小規模だが、江戸初期の石取水堰が現役で使われている貴重な例 3
写真 川畑井堰 かわばた 鹿児島/南さつま市 大谷川 取水堰 幅18m,高3m 享保年間
(1716-36)
市史跡 市教委 昭和25改修→切石はそのまま/取水堰としては非現役 階段状の堰堤→近世由来の取水堰堤としては恐らく全国唯一/佐伯氏が阿多新田の灌漑のため開削した用水路の取水堰/右岸岸壁に梵字や蓮華・文字が彫られている 1
写真 岩坂井堰 いわさか 佐賀/伊万里市 徳須恵川 取水堰 長約15m 江戸初期?   島谷幸宏 一部にC充填 建設の経緯は不明だが、上記「大黒井堰」「井手平井堰」の流れを汲む石積堰堤/3堰堤の中では保存状態最良で、曲面に近い独特の傾斜堰堤の構造がよく分かる/佐賀藩の原田井手(武雄市)と一見類似して見えるが、①石積方式、②余水の処理方法、③断面形状、④上流縁の遮水板の有無の4点で両者は全くの別物である 1
写真 三ヶ名堰 さんがみょう 福岡/(八女)黒木町 矢部川 取水堰   文化11(1814)     石堰がほぼ完璧に残っている 柳川領/三ヶ名廻水路用の斜堰/上流側が曲線状になっているのは珍しい 2
写真 花巡堰 はなめぐり 福岡/(八女)黒木町 矢部川 取水堰   弘化元(1844)     石堰がほぼ完璧に残っている 久留米領/花巡廻水路用の斜堰/土砂吐部の巨石を用いた敷石が見事 1
写真 延野ヶの大井手 のびの 愛媛/(北宇和)松野町 広見川 取水堰   鎌倉時代??
→寛文7(1667)石堰築造
  町教委(遺物・遺構・文献を探し求めてp163-166) 取水堰堤はC改修 鎌倉時代に廣福寺を開山した通雄法印(正応元(1288))没)が計画し、堰と幹線水路を造ったと伝えられている→寺に残る安永2(1773)再建時の棟札に「通應法印昔教村人水道使河水引通田疇以得水道之宜至于今村人皆穪言開山通應之功也」と書かれていて、この「水道」が大井手とされているが、具体性がなく曖昧な上に、500年も時代差があるので信憑性は疑問/寛文6の洪水で大井手が流出し、翌寛文7に宇和島藩が足軽と農民の夫役で石堰を構築したと宇和島藩の租税台帳『弐野截』に書かれていることを考えると、寛文6までは簡易な堰、流失後に堅固な石堰に改造したとも解釈できる/現在堰左岸側の水中に残る柱穴列〔写真参照〕は、堰の水をコントロールする一種の木堰に用いられていたと推定されているが、寛文6以前の堰の遺構だった可能性が高い 3