各種水路橋 

   都道府県別データ一覧にあるCランク以上の水路橋 (石桁水路橋は九州以外、石アーチ水路橋は九州)

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 吹上の石樋 ふきあげ・
いしとい
群馬/(甘楽)甘楽町 雄川→雄川堰 石桁橋(水路) 長6m(1枚岩) 慶応元(1865)   町教委 水が相当漏れている 国内で唯一の現役の石桁水路橋/約250人が7ヶ月かけて造った/雄川から引き入れた水を雄川堰へ供給している 1
写真 平用水石樋 たいら・いしどよ 長野/飯山市 常盤小学校<平八ヶ郷堰/日光川> 石桁橋(水路) 長7m,高0.7m,
外幅1.25m,内幅0.9m
寛文6(1666)   市教委 昭和63移設 施主: 飯山藩主・松平忠倶、施工: 野田喜左衛門/全長28㎞の平八ヶ郷堰(平用水)に造られた石桁水路橋 2
写真 永井の水路橋 ながい 三重/(三重)菰野町 (井出神社前)
<大井湯用水/小川>
石桁橋
(水路、花崗岩)

長5.67m,幅1.8m,
深0.67m

元禄12(1699)   町教委 昭和59、県営圃場整備事業で撤去(田光の石工の手で解体)→井出神社前に永久保存 底板と側板:長3m弱、厚20㎝の石板をつなぎ合わせ、水の力で開かないよう柱石と梁石で止め、隙間に水漏れ防止の漆喰が詰められていた 3
写真 青山の掛樋 あおやま 兵庫/姫路市 青山川 石桁橋(水路)
(花崗岩)
長3.02m,上幅0.53m,底幅0.40m,深0.37m,外側深0.50m 江戸期   市教委(文化財見学シリーズ40) 非現役(排水路化)/側壁C嵩上げ 稲岡山西側山麓では北東の上池から流れる水路が低い西に流れてしまうため、北の青山川から引いた水を掛け樋で渡す事により導水している 3
写真 小玉川の石の掛け樋・跡   岡山/岡山市(北区) 大井手用水/小玉川 石桁橋(水路)
(花崗岩)
  江戸期   建部町史 昭和30年代撤去(石材一部保管) 昭和30年代に撤去された割に写真1枚残ってないので、評価の下しようがないが、恐らく県内では2番目の規模 4
写真 田原用水の旧懸樋 たわら 岡山/赤磐市 <田原用水/小野田川> 石桁橋(水路)
(花崗岩)
長12.97m(3G),
幅3.19m
元禄10(1697)頃 県史跡 馬場俊介 移設・公園化/移設に当たり、石桁間の水漏れ対策は再現せず 施工:津田永忠/全国的に見て、飛び抜けて大きい石桁水路橋/構造的には、橋脚部に各3本の石柱を用い、上部に横桁を置き、その上に直接石梁を載せただけの単純な構造/水路の水密性の保持は、底面と側面で方式が全く異なっているのが特徴→底面は粗加工の石梁を隙間を空けて並べ、隙間には貝殻混じりの特殊な漆喰を詰めた→側面は精緻に加工した石梁を3段に積み、石材同士は“ほぞ”で密着させた/側壁上部に4本の連結材を載せ、水圧による横倒れを防いでいる(石桁水路橋としては大断面なため) 2 写真
写真 妹背川(前神寺川)掛樋・跡 いもせ(まえがみじ) 愛媛/西条市 禎瑞新田用水/妹背川 <石桁橋>(水路) 当初長不明
→残存長6.60m(2G),幅2.65m(内寸)
天明2(1782)   市教委/現地解説柱/WEB 妹背川の拡幅工事のため左岸側2径間を除き撤去 禎瑞新田の灌漑・生活用水のため神戸地区の泉から導水 4
写真 早鐘眼鏡橋 はやがね 福岡/大牟田市 早鐘池→水田、
人道/大牟田川
石アーチ橋(水路)(凝灰岩) 長11.20m,S10.1m
(A),幅3.2m
延宝2(1674) 国重文 市教委 非現役 奉行:平塚喜右衛門/灌漑用の石造水路アーチ橋としては、日本最古 2
写真 享保井路橋 きょうほ 大分/大分市 (横瀬)
<享保井路>/横瀬川
石アーチ橋(水路) 長7.6m,S4.6m(A) 享保11(1726)?   WEB(石橋)/WEB 石アーチ上にRC水路(非現役)が載る 享保井路は、大石又兵衛と安東善右衛門が開削した用水で、大分川中流右岸の狭間町鬼崎に取水口を設け、大分川の下流右岸の山裾に沿って、横瀬・田原、小野鶴、上宗方の地域を灌漑するために開削 3
写真 広瀬井路水路橋
(藤ヶ谷水路橋)
ひろせ 大分/宇佐市 (拝田新洞)
広瀬井路/藤ヶ谷川
石アーチ橋(水路) 長11.0m,S6.7m(A) 慶応2(1866)   WEB(石橋)/WEB 水路部C化 広瀬井路は、宝暦元(1751)、文化11(1814)と2度着工して失敗、文政11(1828)は天保6(1835)に全通するが通水に失敗、4度目の文久元
(1861)に南 一郎平の手で最終的に明治3(1871)に通水成功したもの/南 一郎平は日田の豪商・広瀬久兵衛(井路の呼称の由来)からの資金援助(7000両)と石工・小川徳兵衛、児島佐左衛門の紹介、さらには、島原藩の支援、明治期に入ってからは県令・松方正義の支援と私財を投じて完成にこぎつけた/水路橋は迫石が自然石を粗く削ったもので、壁石も野面積に近い
3
写真 橋詰水路橋 はしづめ 大分/宇佐市 (小稲)
人道・水路/高並川
石アーチ橋(水路) 長8.4m,S6.1m(A) 江戸末期 国登録 WEB(石橋)/WEB 水路は近代の跡付けだが、経過して長いのでここでは水路橋として分類 宇佐神宮の神職・小野氏の末裔・糸永亨寿によって江戸末期に架設された人道橋に、明治に入り農業用の水路橋を併設したもの/迫石は自然石を粗く削ったもの、壁石はほとんどが河原の自然石 2
写真 平田井路橋 ひらた 大分/中津市 平田井路/尾園川 石桁橋(水路) 長2.5m(G) 安政4(1857)
  WEB(石橋)/WEB 現役の石桁水路橋だが水路部はC改修 石工: 伊助/下流側の石桁に架設年、世話人、石工の刻銘 2
写真 大坪橋 おおつぼ 熊本/山鹿市 <寺島井手/吉田川> 石アーチ橋(水路)
(凝灰岩)
長31.0m,S8.9m(2A),幅2.0m 慶応元(1865)頃   WEB(石橋)/市教委 昭和58解体→山鹿市立博物館前に移設 石工:種山組/2径間アーチの水路橋は珍しい 2
写真 岩原の通水橋 いわばる 熊本/山鹿市 用水/人道 石方杖橋(水路)
(凝灰岩)
長6.0m,S2.15m
(G)
17世紀?   WEB(石橋) 開渠の水路内部はC化 施主:惣庄屋・新野尾清左衛門、石工:伊平?/石方杖橋は非常に珍しい/現役の水路橋 2
写真 中園眼鏡橋 なかぞの 熊本/(葦北)芦北町 <水路> 石アーチ橋(水路)
(凝灰岩)
長5.6m,S3.8m(A),
幅1.8m
天保4-10(1834-40)頃 町有形 WEB 水路部分C化 石工:岩永三五郎? 2
写真 八勢水路橋 やせ 熊本/(上益城)御船町 東上野用水/八勢川支流 石アーチ橋(水路) (A) 文化11(1814)   WEB 保存状態良好 県下で最古級の水路アーチ橋/現役 2
写真 立野橋 たての 熊本/(上益城)山都町 福良井出 石アーチ橋(水路)
(凝灰岩)
長30.3m,S3.1m(A),
幅3.1m
嘉永3(1850) 町有形 矢部町史/WEB(肥後石工) 下流左岸側の壁石は全面改修 石工:宇一(嘉八の二男、三男は橋本勘五郎)?/下流右岸側に鞘石垣/橋というより、カルバート 3
写真 通潤橋 つうじゅん 熊本/(上益城)山都町 通潤用水/五老ヶ滝川 石アーチ橋(水路)
(凝灰岩)
長75.6m,S27.5m(A),幅6.3m,高20.2m 嘉永7(1854)(竣工は7月なので嘉永) 国重文/重要文化的景観・重要な構成要素 矢部町史/現地解説板/WEB(肥後石工)/WEB 保存状態良好/周辺公園化 施主:惣庄屋・布田保之助、石工:宇一(棟梁)・丈八(後の橋本勘五郎)・甚平の兄弟他38名(矢部石工が多い)/近世最大径間の水路用石アーチ橋/橋上は、逆サイフォン式の石管3本で送水/主要石工がほぼ同じなのに、鞘石垣の形が、霊台橋とは逆に宮勾配を持った城郭石垣風に造られている/橋中央からの余水吐は通潤橋のシンボル的存在/単独の土木遺産として、錦帯橋に次ぐ観光地となっている 1 写真
写真 雄亀滝橋 おけだき 熊本/(下益城)美里町 柏川井手/緑川 石アーチ橋(水路)
(凝灰岩)
長15.5m,S11.8m(A),幅3.6m 文化15(1818) 県重文 WEB(石橋) 保存状態良好/水路はC化 石工:岩永三五郎/岩永三五郎の初期の記念碑的な作品/通潤橋に先行する大型水路用石アーチ/橋の上は水路に石蓋/上流右岸側に1/4円筒状の突起 2
  風呂橋 ふろ 熊本/(下益城)美里町 萱野用水/風呂川 石アーチ橋(水路)
(凝灰岩)
長10m(A),幅0.8m 文政2(1819)?   町教委 保存状態良好   2
写真 靉靆橋 あいたい 宮崎/えびの市 (杉水流)一般道<人吉街道>・享保水路 石アーチ橋(水路) 長13m,S3.95m(A),幅10m 享保14(1729)? 国登録 市教委
/WEB(石橋)
上流側左岸側の壁面全体がCプロック化 人吉街道の橋として架設されたが、3年後に享保水路も通した→街道橋として架設した際、数年後に水路橋として用いることを想定していた可能性がある(橋の幅も当時としては異例に広い)/架設年については異説あり(宮崎では孤立的に早い、鹿児島最古の石アーチより古い) 3
写真 享保水路太鼓橋 きょうほう 宮崎/えびの市 (大河平)
享保水路/有島川
石アーチ橋(水路) 長34m(A),幅9.6m 明治3(1870) 国登録 WEB(石橋)   1850頃に架設され、明治3に大修理が加えられたと書いてある場合も多いが、ここでは明治3の「大修理」が石アーチ化された時期と判断する→対象外  
写真 東方大丸太鼓橋 ひがしかたおおまる 宮崎/小林市 (東方)猿ノ宮溝/浜の瀬川 石アーチ橋(水路) 長27m,S15.3m(A) 弘化4(1847) 県有形 市教委
/WEB(石橋)
保存状態良好/写真は草刈直後だが、時期によっては草で石が見えない 県下に2橋ある近世の水路用アーチで、猿ノ宮溝の水を浜の瀬川を越えて引水するため、薩摩加治木の豪商・森山新蔵が私財を投じて建設したもの/江戸後期ではあるが、現存する県内最古の石造アーチ橋 1
写真 市野々橋 いちのの 鹿児島/霧島市 一般道・用水路
/市野々川
石アーチ橋(水路)
(凝灰岩)
長15.5m,S5.5m(A) 安政年間
(1854-59)
  WEB(石橋) アーチ部と路面がC補強(北面はオリジナル) 壁石:布積/アーチ・リブが2重 3
写真 平熊の石洗越 ひらくま 鹿児島/霧島市 竹山川/松永用水路 石アーチ橋(水路、防災、凝灰岩),
石段差工
石アーチ橋:長13.3m,S3.5m(A),幅7.5m
段差工:高2.1m
安永6(1777)以前 市有形 WEB(石橋)/WEB(みさき道人)/本田泰寛 保存状態良好/石アーチ橋と段差工(「落とし」)の間に近代の道路橋が架かり、全体構造が分かりにくいのが残念 松永用水に直接流れ込んでいた竹山川が、大雨の時には溢れて用水路を決壊させるので、竹山川専用の石橋を設けて用水路を跨いだ→災害防御用の石アーチ橋は現在判明している限り全国でこの1橋のみ/竹山川は橋の直後に設けられた「落とし」で勾配を一気に下げているが、この階段状の段差工が非常に珍しく美しい/由来を刻んだ「石洗越の碑」(同年)が脇に建つ 2
写真 八間川の水路橋 はっけん 鹿児島/薩摩川内市 水路/八間川 石桁橋(水路)
(凝灰岩)
長14.0m(4G) 嘉永2(1849)   WEB(石橋)/WEB 非現役/水路部は一部C補修 石工:岩永三五郎 2
写真 倉野の水路橋 くらの 鹿児島/薩摩川内市 元村用水路 石桁橋(水路) 長6.6m(G) 江戸期   WEB(石橋) 現役(漏水あり) 未改修の現役の石桁水路橋は非常に稀 1