湧水 

   都道府県別データ一覧にあるBランク以上の湧水 (湧水の年代は伝承が多い)

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 大慈清水 だいじしみず 岩手/盛岡市 (鉈屋町) 湧水 全長11.2m,幅1.7m 江戸期   歴史の道/WEB 現役使用/木造屋根付き 下記の「青龍水」と並び盛岡を代表する湧水/湧水から雛壇形式の水枠に水が順に流れ、一番井戸が飲料水、二番井戸が米とぎ場、三番井戸が野菜・食器洗い場、四番井戸が洗濯物すすぎ場として使われている 1
  青龍水 せいりゅうすい 岩手/盛岡市 (大慈寺町) 湧水   江戸期   歴史の道/WEB 現役使用/木造屋根付き 上記の「大慈清水」と並び盛岡を代表する湧水/湧水から雛壇形式の水枠に水が順に流れ、一番枠が飲料水、二番枠が米とぎ水用、三番枠が食器洗い物用、四番枠が洗濯や足洗い用として使われている 1
  桂清水 かつらしみず 岩手/二戸市 天台寺 湧水   奈良or平安後期   歴史の道/WEB 水はあまりきれいではない 樹齢1000年ともいわれる桂の巨木の根元から湧いている/古来から霊水として知られ、そばに建立された桂観音ともいわれる天台寺は平安後期には開山されていた 2
  弓弭の泉 ゆはず 岩手/(岩手)岩手町 (御堂観音)<奥州街道> 湧水   天喜5(1057)?   WEB 保存状態良好 北上川の源泉との伝承/樹齢1200年といわれる杉の根元付近から湧き出る/天喜5、前九年の役で源頼義・義家父子が、この地に進軍した時に、義家が矢を放った所を弓の端で堀り出すと、清水がこんこんとわき出し、猛暑にあえぐ兵の喉を潤したという伝承もある 1
写真 滝ノ頭湧水 たきのかしら 秋田/男鹿市 寒風山 湧水   文政5(1822)   WEB   一日あたり約2万5千トンの湧水量であり、寒風山麓の総湧出量の7割を占める 1
写真 神清水 かみ 秋田/(仙北)美郷町 鑓田湧水(上二ツ石) 湧水池 52㎡ 文政12(1829)以前 名水百選/水の里百選 WEB 名水百選選定後に石垣等の小路・修復 菅江真澄の『月の出羽路』(文政12に執筆中に死亡)に言及 1
写真 米清水 よね 秋田/(仙北)美郷町 六郷湧水(米清水) 湧水池 242㎡ 江戸期? 名水百選/水の里百選 WEB 周囲は水田/泥が堆積 他の清水が旱魃で涸れて、ここだけは水を湛えていた→周辺住民が米を磨ぎに来たことから付いた呼称とされる 3
写真 宝門清水 ほうもん 秋田/(仙北)美郷町 六郷湧水(西高方町) 湧水池 207㎡ 文政12(1829)以前 名水百選/水の里百選 WEB 樹齢三百年のケヤキの下に扇形に広がる 菅江真澄の『月の出羽路』(文政12に執筆中に死亡)に言及/昔、照楽寺がこの泉を掘った→門に宝を得るの意味で「宝門清水」と名付け、寺の山号を「宝門山」としたとされる 2
写真 御台所清水 おだいどころ 秋田/(仙北)美郷町 六郷湧水(宝門清水) 湧水池 46㎡ 江戸初期 名水百選/水の里百選 WEB 周辺住民の生活と密着した清水で整備も行き届いている 第二代出羽久保田藩・佐竹義隆(1633-71)が鷹狩りの際に料理用に使用したとの故事から命名 1 写真
写真 沼清水 つつみ 秋田/(仙北)美郷町 鑓田湧水(上二ツ石) 湧水池 226㎡ 文政12(1829)以前 名水百選/水の里百選 WEB 下鑓田農村公園として整備/全面に緑の浮き草が繁っている自然のままの清水 菅江真澄の『月の出羽路』(文政12に執筆中に死亡)に言及 2
写真 諏訪清水 すわ 秋田/(仙北)美郷町 六郷湧水(本道町) 湧水池 87㎡ 江戸期 名水百選/水の里百選 WEB 底も砂地でよく澄んでいる 秋田諏訪宮境内4清水と御伊勢堂川を組み合わせたもの→諏訪神社の庭園のひょうたん形の清水を中心として「心」の文字の形に点在する 1
写真 機織清水 はたおり 秋田/(仙北)美郷町 六郷湧水(白山) 湧水池 512㎡ 天明8(1788)以前 名水百選/水の里百選 WEB 水面には茶色の藻が浮いている 竹村蛙叟の『六郷賦』(天明8)に言及/水面の広さは清水では六郷一 2
写真 藤九郎清水 とうくろう 山形/鶴岡市 羽黒山 湧水   鎌倉期 町史跡 市教委 保存状態良好 平坦な巨石と、小型の立石の組み合わせ/松尾芭蕉も訪れた 1
写真 御滝神社の湧水 おたき 福島/(伊達)国見町 御滝神社 湧水   平安期以前 町天然 町教委 神社脇の池から湧き出ている 灌漑用水に利用していた 2
写真 桜清水 さくら 新潟/新潟市(秋葉区)   湧水(屋根付き)   弘安元(1278) 市史跡 WEB 整備されており、現在も利用されている 村人たちに神様からの授けの水として「禊清水(みそぎしみず)」と名付け、大切に守り続けられてきた/ 「桜」という名前は、桜の大木がそばにあり毎年春に美しい花を咲かせていたため 3
写真 幸清水 さき 新潟/新潟市(秋葉区) 幸清水公園 湧水(屋根付き)   文化4(1807) 市史跡 WEB/現地解説板 石組はオリジナルか?/昭和7の上水道完成まで使用 整備:庄屋・長井久左衛門/岩屋の上に巨大な屋根が乗る/石油地帯により新津は飲料水不足であったため、幸清水の発見は住民の生活に多大な恩恵をもたらした 1
写真 重殿水源 じゅうどの 群馬/太田市 <新田荘> 湧水 10m×23m 鎌倉以前 国史跡 WEB 一部コンクリート護岸化されているが、残りは石垣護岸 一級河川・大川の源流/元亨2年に大館宗氏と岩松政経が重殿水源からの用水を巡って争いを起こした記録が残っており、当時の荘園経営にあたって、「湧水」が重要な存在だったことを伝える重要な遺跡/四角い水源、外壁は石垣

3

  おだきさん   栃木/(塩谷)高根沢町   湧水   江戸期 町史跡 WEB 現役の農業用水源 五行川の田園地帯に唯一残る湧水池(かつては随所で見られた)/庄屋に奉公勤めをしていた「おだき」という娘の身投げ伝説から付いた名 2
写真 曝井 さらし 茨城/水戸市   湧水   7~8世紀   現地解説板 良好に管理 『万葉集』(7世紀後半~8世紀後半)、『常陸国風土記』(713年編纂)に登場する由緒ある湧水 2
  玉清井 たまきよ 茨城/行方市   湧水   養老5(721)以前?   WEB コンクリート化 『上陸風土記』によれば、倭武(ヤマトタケル)尊が東方征討の途中、水をすくおうとし、誤って曲玉を水中に落としてしまったとの伝承 4
  沢山の泉 さわやま 千葉/白井市 (谷田) 湧水 2ヶ所,
面積1266㎡
古代?→文政12(1829)の祠   市教委 信仰の対象 日本武尊のみたらしの清水とされてきた 1
  清戸の泉 きよど 千葉/白井市 船橋カントリークラブ 湧水   大同年間(806-809) 県史跡 市教委 保存状態良好 大同年間のひどい旱魃の際、旅の僧の勧めで竜神に雨乞いして村人が救われたという伝承がある 1
写真 清水窪湧水 しみずくぼ 東京/大田区 (北千束1丁目) 湧水 長20mの池 江戸期 or それ以前 区天然 馬込と大田区の歴史を保存する会 4・5ヶ所→1ヶ所から染み出る程度(ポンプで汲み上げて循環) 洗足池の源流→灌漑に利用/池の小島に弁財天が祀られている 2
  大井の井 おおい 東京/品川区 光福寺 湧水   鎌倉期? 区史跡 WEB 非現役/設置環境悪し 元久の兵乱(1204-5)で東国に流された頭中将光福が、子授けを蔵王権現に祈願すると男児が生まれ、泉が湧きだしたとの伝承 4
写真 叶谷榎池湧水 かのうや、
えのきいけ
東京/八王子市   湧水   江戸初期以前   WEB(八王子散歩見聞録) 叶谷榎池湧水を起点とした水路と水のまちプロジェクト 樹齢数百年の榎の根本から湧き出る 1
写真 時田弁財天湧水池 ときた 東京/八王子市 斟珠寺 湧水   江戸後期以前   WEB(八王子散歩見聞録) 寺院の中の池 武蔵名勝図会(1820年代前半)に紹介されている 2
写真 沢頭の湧水 さがしら 東京/東久留米市 南沢の湧水群 湧水 南沢の湧水群全体で日量約1万t 江戸期 平成の名水百選 市教委/現地解説板/WEB 都の緑地保全地域/源泉地は南沢浄水場内(立入禁止) 市内の水道水に混入使用 2
写真 井の頭池 いのかしら 東京/三鷹市 井の頭恩賜公園<神田上水> 湧水   縄文期(竪穴式住居遺跡)→平安中期(井の頭弁財天)→寛永6(1629)頃 都旧跡 WEB 桜で有名/上の写真は、池の水源の「御茶の水」(地下からポンプアップ) 神田上水の主要な水源/「井の頭」の命名は、3代将軍・家光とされる(意味は、「上水道の水源」「このうえなくうまい水を出す井戸」の2説) 2
写真 三分一湧水 さんぶいち 山梨/北杜市 三分一湧水館 石分水<木分水>
(3用水)
湧水量8500t/日 元禄期(17C末~18C初0)
or 寛政12(1800)以降
(分水枡に三角木柱?)
  WEB 大正13に石造枡→昭和19再建(災害復旧)→昭和22に三角石柱(伝説を具現化) 用水自体の建設は享禄4(1531)で、武田信玄が施工した可能性がある
(分水とは無関係)/3つの村の間で続いた村争いを治めるため、3つの村に平等に水を分配するために江戸中期(元禄期?)に木製枠を設置して分水したとされる/現在のような形になったのは、土石流で湧水池が埋まった寛政12以降
3 写真
  忍野八海 おしの 山梨/(南都留)忍野村 富士山 湧水群   (平安中期)→天保14(1843)現在の形に改修 世界遺産・国天然・名水百選 WEB 観光地化→水質悪化防止が課題 出口池・御釜池・底抜池・銚子池・湧池・濁池・鏡池・菖蒲池の8つからなる湧水群 1
写真 槻井泉神社湧泉 つきいずみ 長野/松本市   湧水 高1.2m,幅2.0m 元慶5(881)頃? 市史跡 WEB 他の湧水の水量が減る中で、湧出量を維持している 開設年は、槻井泉神社の創建年(伝承)としているが、実態は不明/江戸時代には、染色や製糸にも使われた 2
  鹿塩の塩泉 かしお、えんせん 長野/(下伊那)下條村 (塩川) 湧水(塩水)   興国4〔南朝〕(1343) 村天然 信州の文化財/WEB 明治8、旧徳島藩士・黒部銑次郎氏が岩塩を求めて塩泉の採掘を始め、大掛かりな製塩場を設置 伝承は別として、最初に記録に現われるのは、後醍醐天皇の第八皇子・宗良親王が大鹿村大河原に入村当時、塩水を山を越えて御所平(釜沢地区)へ運んだという記述 3
写真 宗祀水(白雲水) そうぎ 岐阜/郡上市   水舟的な湧水   室町以前 日本名水百選 WEB 郡上八幡を代表する観光地 文明3(1471)、連歌の宗匠・飯尾宗祇が郡上の領主・東常縁から古今伝授を受けて京へ戻る際、この泉のほとりで歌を詠み交わしたことに由来する命名 2
  垂井の泉 たるい 岐阜/(不破)垂井町   湧水   天平12(740)、
仁平元(1151)
県史跡/県の名水50選 町教委 現役 天平12、聖武天皇が行幸した「曳常の泉」の比定地/平安期の『詞花和歌集』(仁平元、完成奏覧)に初見/垂井という地名の起こりとされている 1
写真 上の清水 かみ、
しょうず
石川/金沢市 (粟崎町) 湧水 石組水槽:長116㎝,幅97㎝ 江戸期以前   歴史の道
3p12/WEB/
現地解説板
水槽は全て石 加賀藩主にも飲用されたとの伝承が残る/かつては周辺に数ヶ所湧水があったが、現在残るのはここだけ 2
写真 押の泉 おし 石川/
(羽咋)宝達志水町
(紺屋町) 湧水 石枠:外径75㎝,高58㎝ 9世紀?   町教委
(押水のあゆみp104)
現役/屋根付き/円筒状の石枠(後世の追加?) 弘法大師が突き刺した杖の穴から湧き出したとの伝承 1
写真 殿様清水 とのさま、
しょうず
福井/大野市 とねき沢公園 湧水   古代?   市教委 飲用不可 朝倉義景伝承のある湧水/近くに右近次郎遺跡という縄文遺構があることから、歴史はもっと古い可能性がある) 2
写真 山王神社の堀 さんのう 福井/大野市 日吉町 湧水   中世?   市教委 飲用不可 堀は中世の亥山城の名残り/掘れば必ず水が出る土地なので、その時点での湧水池の可能性が高い 2
写真 御清水 おしょうず 福井/大野市 泉町 湧水 長30m 天正3(1575)以降 名水百選 市教委/WEB 現役/木造の覆屋は新設 三の丸付近にある大型の湧水の利用施設/臼と呼ばれる飲用部から順に果物を冷やす場所、野菜を洗う場所、洗濯する場所、オムツなど汚れ物を洗う場所と決められている 2 写真
写真 本願清水 ほんがん、
しょうず
福井/大野市 糸魚町/イトヨの里 湧水   天正3(1575)以降 国天然/平成の名水百選 市教委/WEB イトヨの里として修景整備(一時はヘドロ化していた時期もあった)/かつての上水路機能は喪失 大野城下の生活用水に利用された湧水/下記の「背割排水」とセットで、大野城下の上水路網の水源として重要な役割を果たしていた 3
写真 お馬屋池 おうまや 福井/大野市 城町・柳廼社 湧水   寛永12-21(1635-44)以前   市教委 飲用不可/西側の大半が埋め立てられた 江戸時代、大野藩の馬場や厩があったことから付いた名前/「越前大野城図」(寛政12-21)に池が描かれている/大きな木の根をくり抜いた臼を使用 3
  針江の生水 はりえ、
しょうず
滋賀/高島市 安曇川水系の伏流水 湧水 3500t/日 江戸期以前 国重要文化的景観 WEB 現役飲用 鹿児島県南九州市の清水の湧水(6000t/日)には及ばないが、最大級の湧水量/湧水を利用した川端文化を支えている点でも重要 1
写真 居醒の清水 いさめ 滋賀/米原市 加茂神社<中山道> 湧水   古代? 名水百選/湖東三名水 現地解説板 保存状態良好 地蔵川の源流/ヤマトタケル伝説がある 1
写真 十王水 じゅうおう 滋賀/米原市 <中山道> 湧水   平安中期?   現地解説板/近江の常夜燈p44 保存状態良好 天台宗の高僧・浄蔵法師が水源を開いたとの伝承/浄蔵水と呼ばれるべきところ、近くに十王堂があったため十王水と呼ばれるようになった/建立年不明の常夜灯(竿正面に「十王」、背面に「浄句蔵結縁水」)が流れの中に建つ 1
  柳の水 やなぎ 京都/京都市(右京区) 厭離菴 湧水   鎌倉期   WEB 庵室の下に涸れることなく現存 歌人・藤原定家や藤原為家に好まれたとされる井水 1
  瀬和井 せが 京都/京都市(西京区) 大原野神社 湧水   奈良時代   WEB 周囲を赤い木柵で囲む 大伴家持(718?-785)が詠んだ歌「大原や せがいの水を 手にむすび 鳥は鳴くとも 遊びてゆかん」などで知られる名水 2
  亀の井 かめ 京都/京都市(下京区) 松尾大社 湧水   江戸以前   WEB 水量が少なく「霊水」ということで順番待ちができている 湧水を、亀の形をした注ぎ口を通して、酒樽形の石枡に流し入れている/松尾大社は造り酒屋の神様で、亀の井の水を酒の元水として造ると酒が腐らないとの言い伝え/延命長寿の霊水としても知られる 1
写真 伝弁慶の泉 べんけい 大阪/池田市 (豊島南) 湧水   文治元(1185)以前   WEB(的形道標クラブ) 修景 箕面川の伏流水/義経の西国逃避行にまつわる伝承のある湧水/灌漑にも用いられた 2
  清浄泉(浄井戸) せいじょうせん
(じょういど)
大阪/柏原市   湧水   8世紀頃? 府史跡 WEB 蛇口による水汲み場を設置 生駒山地の岩盤の上面に湧き出た水/村人の他、この地に訪れた聖武・孝謙・弥徳天皇も使用したという伝説が残る/空海がこの井戸を掘り、干ばつから民衆を救った伝説から「大師の水」とも呼ばれる 4
  三井水(清浄水) さんせい
(しょうじょう)
和歌山/和歌山市 紀三井寺 湧水   9世紀?→文化9(1812)以前 市名勝/
名水百選
WEB 現役で飲用/三井水の中で唯一オリジナル 開山為光上人が紀三井寺開創の頃、上人の前に忽然として出現した美女が、身を投じて龍に化身したという伝承の湧水/小滝を中心とする粗石積の壁周辺を扁平な空石積で補強した構造 1
  馮夷の滝 ふうい 和歌山/和歌山市 大日堂 湧水 高約3m,奥行幅約2m 平安初期?   WEB 現役で飲用 弘法大師が開いたとの伝承/三方を小粒の空石壁で囲まれた人工の滝 1
写真 清水の金柄杓井戸 しみず、
かなびしゃく
島根/大田市 <銀山街道> 湧水   江戸期   歴史の道3p12/WEB 保存状態良好 堂床山の伏流水が湧出したもの/石垣が見事/銀山街道をゆく旅人の休憩地 1
写真 天川疏水 てんかわ 島根/(隠岐)海士町
(中ノ島)
(知々井)清水寺 湧水   奈良期? 名水百選、疏水百選 WEB
/WEB(みさき道人)
保存状態良好 行基が当地を訪れた際、流れ出る湧水に霊気を感じ、ここに建物を建て聖観音菩薩立像を祀り清水寺と号し、この水を天川と名づけたとされる/一日400㎥が湧き出し、農業用水、生活用水の貴重な水源 1
  金仙水 きんせん 広島/
広島市(安佐北区)
福王寺 湧水   古代?   WEB 洞の一部がC造 弘法大師が加持に用いた水との伝承/地蔵坐像の乗った石積の洞で覆われている 2
写真 茗荷の清水 みょうが 広島/竹原市   湧水   江戸期   吉岡速人 保存状態良好 周囲を空石で敷き詰めた珍しい構造 1
  今出川湧水 いまでがわ 広島/(安芸)府中町 (石井城) 湧水   文政8(1825)以前 町名勝/名水百選 WEB 周辺C改修/水量減少により飲用不可 榎川が形成する扇状地の扇端部に湧出/湧出部(飲用)、米や野菜の洗浄用、洗濯用の3つに分かれている/湧出部上に水天宮を祀る/平成24まで下記「出合清水」と名称が取り違えられていた 3
  歌の清水 うた 広島/
(神石)神石高原町
(小畠2025番) 湧水   文治6(1190)以前 町史跡 WEB 改修 西行法師が「手にむすぶ岩間の清水底澄みて行きかふ人のかげも涼しき」と詠んだ湧水 3
写真 大井戸 おお 香川/高松市 (瓦町) 湧水(石垣付き) 6m×6m 正保元(1644) 市史跡 市教委/WEB 東北隅に引水口があり樋材が残る/全面に網が被せてあり雰囲気最悪→石垣もほとんど見えない 初代高松藩主・松平頼重が地中に木管・土管を埋設し、瓦町・築地町・古馬場町などに給水→藩政時代に高松藩の上水道源となった/井戸というよりは湧水池=四方に見事な石垣→精緻な加工なので、この部分は江戸後期以降の改修か? 3
写真 八十場の水 やそば 香川/坂出市 <高松道> 湧水   古代?~中世起源   WEB 保存状態良好/
飲用(可能な程度)
景光天皇の御代、南海に征して悪魚の毒に悩んだ讃留霊皇子とその軍兵88人がこの水で蘇ったため「八十蘇場の水」と命名されたとの伝説/空海が十一面観音、阿弥陀如来、愛染明王の三尊像を作り堂を建立したとされる/配流された崇徳上皇が長寛2(1164)に死亡した際、この水に浸したところ、21日後も顔が生きているようだったとの伝承も/江戸期は高松道の水飲み場 1
写真 壱岐の湧 いき・ゆう 香川/善通寺市   湧水(農業用) 満水面積1080㎡ 徳治2(1307)以前   WEB 「水の駅・壱岐の湧(ゆ)」として整備 徳治2の『善通寺伽藍并寺領絵図』に描画/善通寺市周辺には出水、湧と呼ばれる80ヶ所以上の清水がある 3
写真 二頭出水 ふたがしら・ですい 香川/善通寺市 (生野町) 湧水(農業用) 満水面積800㎡ 江戸期 さぬきの名水 WEB 旧状が分かる程度に修景 2ヶ所から豊富な水が湧いていることから命名/善通寺市周辺には出水、湧と呼ばれる80ヶ所以上の清水がある 2
  湯船の水 ゆぶね 香川/(小豆)小豆島町
(小豆島)
蓮華寺 湧水
(飲用・農業用)
400t/日 南北朝期以前 さぬきの名水 WEB 水汲み場は保存状態良好 星ヶ城の城主・佐々木信胤が大旱魃の危機をこの湧水で救われたことから、仏堂を建立し霊水として奉じた/飲用、洗い場、棚田水源として多様に現役利用されている 1
写真 春日出水 かすが、
ですい
香川/(仲多度)琴平町 春日神社 湧水   江戸期 or それ以前   WEB 保存状態良好 榎の大樹の下に泉があり、そこに水神を祀り榎井明神とし、それが榎井村の名ともなった(榎井明神は春日神社の前身)/琴平地区に30ヶ所以上ある出水の中で最も由緒がある/細長い矩形の水源池(江戸期の石垣) 1
写真 弘法水 こうぼう 愛媛/西条市 加茂川(左岸) 自噴井   古代?   WEB 現役飲用/昔は干潮時には見えていた→ポンプで汲み上げ 海底にある水源から清水を汲み上げている弘法大師の伝説が残る湧水/海に突き出た石突堤の上に水汲み場がある 1 写真
写真 嘉母神社のうちぬき かも 愛媛/西条市 (禎瑞)加茂川(左岸) 自噴井   江戸期   WEB 名水として著名   1
写真 芝井の泉 しばい 愛媛/西条市 加茂川(左岸) 自噴井 水源奥行0.9m,幅1.63m,水板幅(内寸)1.80m,長(内寸)3.10m 江戸期?   現地解説板 保存状態良好 水洗い場(野菜、洗濯)/湧水場所の上に大師堂が建立 1
写真 三ヶ村泉 さんがむら 愛媛/東温市 重信川の伏流水 湧水池   寛政2(1790)   WEB 護岸改修(H26)/現役利用 代官・金子文左衛門が裁許→旧牛渕・南野田・北野田の三つの村が共同で、重信川の伏流水を得るために掘った泉(泉の名称の由来) 3
写真 柳原泉 やなぎはら 愛媛/東温市 重信川の伏流水 湧水池   寛政9(1797)   WEB 護岸改修/現役利用 代官・舛柳忠次/明和7(1778)に灌漑水源として試掘したが湧水量が少なく失敗、寛政6(1794)に現在地を試掘して湧水を発見したもの 2
写真 高柳泉 たかやなぎ 愛媛/新居浜市 高柳公園 湧水 長130m 天正年間(1573-92)以前   市教委(ふるさと泉川p4-5)

現役/土地改良区が清掃活動

天正年間に泉があったことが記されている/国領川の伏流水/農業用の現役湧水池としては全国最大級 1 写真
写真 御用御清水 ごよう、
おしみず
長崎/島原市 城内1丁目 湧水(石造)   寛文9(1669) 市史跡 市教委/WEB(みさき道人) 保存状態良好/木戸を復元 城主の居館があった三の丸の用水の水源地/石塀で囲まれた長方形の取水場(入口に木戸) 1
写真 浜の川湧水 はまのかわ 長崎/島原市 白土桃山 湧水(石造)   寛政4(1792)以降 名水百選/水の郷 WEB/WEB(みさき道人) 現役利用 寛政4の眉山大崩壊による地殻変動に伴い誘発された湧水(地下の地層帯が、火山灰と砂礫層が互層する帯水層となっていたため、地下水に強い圧力が加わり自噴したとされる)/切石で4つに仕切られ、①魚・食品の洗い場、②食器・食品のすすぎ場、③食器・食品の洗い場、④洗濯場と分かれている 1
写真 泉神社の湧水 いずみ 大分/宇佐市 (辛島) 湧水   応永30(1423)?   WEB/現地解説板 平成初めに下水道工事で水脈が切断し湧水量が減少 『宇佐宮造営日記』の応永30年6月18日の項に,和泉御社の池から17日に霊酒が湧き出したという記載がある/四周を石護岸で囲まれ湧水池内に石の小さな祠がある 2
写真 平清水大井戸 ひらそうず 大分/臼杵市 (福良> 湧水(石造)   寛永20(1643)以前   WEB(みさき道人) ステンレス製の屋根型蓋 臼杵の三大清水井戸の1つ/「井戸」と呼称されているが、実態は湧水/周囲に江戸期の切石敷の井戸端 3
写真 轟水源 とどろき 熊本/宇土市 轟泉水道 湧水→上水道 湧水量3000t/日 寛文3(1663)? 市史跡/日本の名水100選 市教委 修景→日曜日には子供の遊び場として人気 国内最古級かつ現役の上水道の水源/今も水を汲みに来る人が多い 2 写真
写真 福山郷地頭仮屋・跡
水汲場1
ふくやま 鹿児島/霧島市 <福山郷地頭仮屋> 湧水(石アーチ)   江戸期     保存状態良好(水盤に水が貯まっている) 石垣に埋め込まれるように造られている/天井部がアーチになっているのが如何にも九州的/背後のシラス台地からの湧水を水源とする 1
写真 清水の湧水 きよみず 鹿児島/南九州市 清水桜元の水元神社・脇 湧水 6000t/日   名水百選 市教委(文化財ガイド・川辺p205)/WEB 湧水量の半分を3800世帯の水道水として利用 姶良カルデラのシラス台地を万之瀬川が侵食した断崖から大量の地下水が湧出したもの 1
写真 古源泉 ふるげんごー、いじゅん 鹿児島/(大島)天城町
(徳之島)
松原 湧水   古代   WEB(みさき道人)/現地解説板 保存状態良好/現役 航海安全の守り神として代々受け継がれてきた「神の泉」で、遣唐使への水の供給にも使われた 1
写真 東又泉 あがりまた、いじゅん 鹿児島/(大島)天城町
(徳之島)
当部 湧水   江戸期   WEB(みさき道人)/現地解説板 コンクリート化/現役 徳之島内随一の湧水/薩摩藩亀津代官所の代官がわざわざこの水を取り寄せ美味に感心したとの伝承→「代官水」との別称 2
写真 雁股の泉 かりまた 鹿児島/(大島)喜界町
(喜界島)
  湧水   永万元(1165)   WEB(みさき道人) 保存状態良好/現役 保元の乱に敗れて伊豆大島に流された源為朝が、島を抜け出して沖縄に向かう途中、遥かに見える島に向かって雁股の矢を放った→矢を抜き取ると清水が湧き出てきれいな泉となったという伝承 1
写真 奄水 アマンジョウ 鹿児島/(大島)与論町
(与論島)
  湧水   大宝元(701)以前 町史跡 WEB 一部C改修 与論島に初めて人が渡来したとき、この水を発見し島に住みついたと言われている 2
写真 アダドゥーナー
(安多手井)
  沖縄/
石垣市 (石垣島)
下又屋敷遺跡 洞井(湧水) 深12m(斜道21m) 18世紀後半以前 市史跡 現地解説板/WEB 現在は放置状態(ゴミも) 1771年の明和大津波で埋没(それ以前から存在)→再建/40段の石段で洞内に降りていく洞窟湧水(ウリカー) 3
写真 犬名河 インナーガー 沖縄/うるま市
(伊計島)
  <石積井>(湧水)   不明 市史跡 WEB 外観は完全にRC建造物(破損)/清冷な水 伊計島唯一の水源/崖下の海岸にある 3
写真 盛加ガー ムイカ 沖縄/
宮古島市(宮古島)
平良市街地 洞井(湧水) 深17.5m
14世紀後半との説も 市史跡 現地解説板/WEB 保存状態良好 大規模な自然洞窟/103段の石段 1
写真 大和ガー やまと 沖縄/
宮古島市(宮古島)
平良市街地 洞井(切石積、湧水) 周囲の地表面から10m以上低い 1720年頃 国史跡 現地解説板/WEB 保存状態良好 大規模な半地下式の洞井(自然岩盤を切石積で補強・整形→井戸の周りに相方積みの石垣)/通路には20段の階段を設置/首里王府派遣の一部役人だけが使用したとされる 1 写真
写真 友利のアマガー ともり 沖縄/
宮古島市(宮古島)
城辺町 洞井(湧水) 深20m 1727年以前 県有形民俗 現地解説板/WEB 保存状態良好/昭和40まで生活用水として使用 自然洞窟=自然洞窟内の湧水を階段で汲みに行く方式のガーとしては最大規模/日々の苦労が偲ばれる 1 写真
写真 ムイガー   沖縄/
宮古島市(宮古島)
  湧水(海岸崖下)   不明   現地調査 C堰堤で水を貯めている(近代の改修) 宮古島に多い海岸崖下タイプ/高さ60mの断崖の直下にある水量の多い湧水 2
写真 シュガーガー   沖縄/(宮古)多良間村
(多良間島)
  洞井(湧水)   15-16世紀? 村史跡 現地解説板 一番奥の飲料用(塩分が混入)までは、入りにくい/写真は水浴用 自然洞窟/右側29mに水浴用の泉、その奥に飲料用の泉、左側に牛に水を飲ませえ泉 2
写真 フシャトゥガー   沖縄/(宮古)多良間村
(多良間島)
  洞井(切石積、湧水)   1727年と推測 村史跡 WEB 昭和40代まで使用/金網で囲まれている→覗くことは可能 周囲、階段回りに立派な切石積 2