石風呂・木風呂 

   都道府県別データ一覧にあるすべての石風呂・木風呂(沸かし湯のみ、温泉→温泉遺産)

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 妙心寺の明智風呂 みょうしん、
あけち
京都/京都市(右京区) 妙心寺 蒸し風呂(木造)   天正15(1587)
→明暦2(1656)再建
国重文 WEB 保存状態良好 光秀没後5年の天正15に、塔頭である太嶺院の僧・密宗が菩提を弔うため建立したとされる/唐破風の屋根をもつ総木造りの屋内の風呂部屋(木造漆喰壁、切妻瓦葺の独立した建物内) 1
  相国寺の宣明 しょうこく、
せんみょう
京都/京都市(上京区) 相国寺 蒸し風呂(木造)   1400年頃
→慶長元(1596)再建
府有形 WEB 平成14復元 唐破風の屋根をもつ総木造りの屋内の風呂部屋(木造漆喰壁、切妻瓦葺の独立した建物内) 1
  黄鶴台の蒸し風呂 おうかくだい 京都/京都市(下京区) 西本願寺<聚楽第> 蒸し風呂(木造)   天正14(1586)
→文禄4(1595)移設
国重文 WEB 聚楽第の破却後、西本願寺に移した 現存最古の浴室/唐破風の屋根をもつ総木造りの屋内の風呂部屋/床板のすき間から蒸気が出る仕組みになっていた/秀吉が庭園を見ながら入浴をしたと言われているが、織田信長邸の蒸し風呂(中京区参照)発見以降は、「風呂と庭を茶の湯のもてなし」にも着目されている 1
  二条御新造跡地の蒸し風呂遺構 にじょう、
ごしんぞう
京都/京都市(中京区) <織田信長邸> 蒸し風呂(小屋状) 竈:幅1.1m,奥行1.7m 16世紀後半   WEB 平成22に発見/京都市考古資料館で出土品を展示 居室部分から離れていたとみられる→日常的に使用したのではなく、信長が風呂と庭を茶の湯のもてなしに利用したのではないかと推測されている 3
写真 海住山寺の岩風呂 かいじゅうせん 京都/木津川市 海住山寺 石風呂   正嘉2(1258)   WEB 保存状態良好 在銘のある最古の石風呂/石風呂は重源(1121-1206)が全国各地で施湯を行うために石風呂・湯屋を60ヶ所以上造ったのが起源とされる/海住山寺のものは在銘最古だが、現存最古ではない/目的は不明とされるが、寺の入口に位置することから、当初は別として、次第に庶民に対する施湯に転化していったと推測される 1
写真 長弓寺の元・石風呂 ちょうきゅう 奈良/生駒市 長弓寺 石風呂   南北朝時代   市教委 手水舎に転用 真言律宗の叡尊(1201-90)が寺で法要行事が行われる時に参詣者に入浴させ清めと厄病よけとしたのが始まり。その後、湯施行の対象が庶民・病人に広がり、長弓寺の場合はハンセン氏病患者にも施されたと言われている/石風呂は塔頭の円生院内にもある 2
写真 野谷の石風呂 のたに 山口山口市   石風呂(土盛石室)
(林業遺産)
  文治2(1186)頃 国史跡 WEB/市教委 保存状態良好 下記の「岸見の石風呂」、防府市の「阿弥陀寺の石風呂」と並び、重源由来で現存する3基しかない石室型の風呂の1つ/佐波川関水の下流、中流左岸に造られ、3基中最もオリジナルの状態が保たれている/重源による東大寺用材の伐り出し人夫の疲労回復のために造られ(一種の林業遺産)、事業終了後は病気治療にも用いられた 1 写真
写真 岸見の石風呂 きしみ 山口山口市   石風呂(石室)
(林業遺産)
幅4.4m,奥行3.6
m,高1.8m
文治2(1186)頃 国重要民俗 WEB/市教委 現役だが構造改変/木造の覆屋は幕末~近代の築造(覆屋築造時に土盛も撤去された) 上記の「野谷の石風呂」、防府市の「阿弥陀寺の石風呂」と並び、重源由来で現存する3基しかない石室型の風呂の1つ/佐波川関水の上流部に造られた。他の2基と異なり、石室上の土盛がなく木造覆屋内にある
→『防長風土注進案』の中の、弘化年間(1844-47)に岸見村庄屋から藩に提出された記述によれば、覆屋はなく、土盛りした上に草木を繁茂させ石風呂を保護したとある/重源による東大寺用材の伐り出し人夫の疲労回復のために造られ、事業終了後は病気治療にも用いられた
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写真 阿弥陀寺の石風呂 あみだ 山口防府市 東大寺別院・周防阿弥陀寺 石風呂(土盛石室)   文治2(1186)頃   WEB/市教委 保存状態良好/入口閉鎖/近くに観光用の入浴可能な石風呂も造られている 山口市の「野谷の石風呂」「岸見の石風呂」と並び、重源由来で現存する3基しかない石室型の風呂の1つ/重源が東大寺用材の伐り出しのため周防に滞在した折、寺の施湯のため造立したと推定される 1
写真 阿弥陀寺の湯屋 あみだ 山口防府市 東大寺別院・周防阿弥陀寺 湯屋(木造) 桁行10.53m,
梁間4.5m
延宝年間(1673-80) 国重要民俗 WEB/市教委 丁寧な修復 重源が東大寺用材の伐り出しのため周防に滞在した折、寺の施湯のため造立/焚口・鉄湯釜・湯船(石材)・洗い場(石畳)・脱衣場からなる入浴場→現在の施設は江戸初期のものだが、構成は重源による中世の施欲形式を受け継いでいる/時代を経るにつれ、庶民に開放されていったと推定される 1
写真 温井の石風呂
(塩石の石風呂)
ぬるい 大分/臼杵市   石風呂
(横穴1ヶ所)
入口:高2m,幅2.2m 明和9(1772)以前 県有形民俗 WEB 保存状態良好 臼杵式の石風呂(他に、豊後大野市の「中ノ原の石風呂」参照)/豊後大野市の緒方に集中する火室を有するタイプとは発想が全く異なる→石を焼き、その上でセキショウなどの薬草を蒸して、近くにある海水をかけて蒸気を発生させ蒸し風呂としたもの/石風呂の前右上方の岩壁に、月桂寺第十世独園禅師の詩が陰刻:「地仙結宇倚岩陰/石室烟蒸薬気深/春夜眠醒纔出浴/何来風雨灑花林/春夜宿無一亭/明和壬辰釈処」→年代の根拠 1
写真 泉福廃寺の石風呂
(長田の石風呂)
せんぷく 大分/杵築市 (長田)<泉福寺> 石風呂(2階式) 入口高:90㎝,
奥行:150㎝
江戸中期 国重要有形民俗 WEB/WEB
(みさき道人)
保存状態良好 上下2階式: 上部が浴槽、下部が火ぶくろ(豊後大野市の「尾崎の石風呂」「市穴の石風呂」参照)/治療用→江戸中期の記録に「病人多く集り焚く」とある/石風呂の存在は大分県の特徴 1
写真 尾崎の石風呂 おざき 大分/豊後大野市 (小宛) 石風呂
(横穴2段式)
上段:高1.5m,
面積4㎡
寛永年間(1624-44) 国重要有形民俗 WEB/市教委 明治初期まで利用/昭和39に修理・再興 上下2階式: 上部が浴槽、下部が火ぶくろ→類例が少ない(杵築市の「泉福廃寺の石風呂」参照)/火室で薪を燃やし、2時間ほどして床石が熱くなったところに「石菖」という薬草を敷き、水をかけ蒸気を立てる→入口には蒸気が逃げないようにムシロを下げ、蒸気が充満したところに入浴/神経痛、リュウーマチ、疲労回復などに効果/緒方には石風呂が11基現存(地域性)→その代表格 1
写真 辻河原の石風呂 つじがわら 大分/豊後大野市 (辻長瀬) 石風呂(穴2ヶ所)   江戸期 県有形民俗 WEB/市教委 保存状態良好 左の長方形の岩穴が「蒸し風呂」、右の長方形の岩穴が「石菖湯」(五右衛門風呂)/底部に火室と炎道のための溝/中央上方の龕にある2基の宝塔が近世の作/石風呂の存在は大分県の特徴 1
写真 市穴の石風呂 いちあな 大分/豊後大野市 (原尻市穴) 石風呂
(横穴2段式)
上段:高1.8m,
入口幅1-0.6m,
内部幅2.74m
江戸期 県有形民俗 WEB 保存状態良好 上下2階式: 上部が浴槽、下部が火ぶくろ/火室中央付近に床面の支え石/浴室の床下は火熱の行きわたるようにオンドル式に左右に浅い溝が円条に刻まれている/石風呂の存在は大分県の特徴 1
写真 中ノ原の石風呂 なかのはる 大分/豊後大野市 (井上中原) 石風呂(穴2ヶ所)   江戸期 県有形民俗 WEB 保存状態良好 臼杵式の石風呂(臼杵市の「幸崎の」)/底面の左半分が水溜め、右方奥壁にカマド→カマドで人頭大の石を焼いて水溜めに入れ入浴/石風呂の存在は大分県の特徴 1
写真 平山の岩穴 ひらやま、
いわな
鹿児島/
(熊毛)南種子町
(種子島)
広田集落 サウナ   江戸期? 町指定 WEB/町教委 貴重な伝統文化を守るため、昭和48に岩穴を修理し「岩穴焚き」を復活させた 種子島に古くから伝わる乾燥浴(岩穴焚き)が行われた場所/中で火を焚き岩穴の中全体を暖め、次に穴の中央に残り火を集め、その周囲に小枝や柴・ゲットウの葉・バショウの葉等を敷き詰め、その上に入浴者が座り。最後に藁で作った蓋で入口を密閉し発汗を促した 2