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滋賀県
写真
名称
ふりがな
区市町村
付帯情報
形式
諸元
建造年
文化財
出典
保存状態
価値判断に係る事項
保存
評価
価値
評価
大宮橋
おおみや
大津市
日吉大社
石桁橋
長13.9m(3G)
寛文9(1669)
国重文
市教委/WEB
保存状態良好
坂本の穴太衆の作とされる/構造的には、ほぼ3等分点に2本と両岸に立てた計4本の太い円柱と、その円柱の上に架けた3本の梁が主構造、主構造を補強するため、橋軸横断方向に3本ずつ置かれた円柱同士はほぞ穴を開けて横梁を渡し、ほぞの空隙をあたかも木橋のように石のかすがいを打ち込んで固定している/円柱上の石梁も、ただ置いてあるのではなく、木材の台持継ぎ、相欠継ぎと同じ形で密着させてある/上部工も、ただ石梁上に横桁を並べるだけでなく、横桁の接触部分を切り欠いて密着させてある/装飾的には高欄に格座間型の開口部が設けられている/日吉三橋の中で最も手が込んでおり、愛知県岡崎市の伊賀八幡宮の神橋(国重文)並ぶ石橋の傑作
1
二宮橋
にのみや
大津市
日吉大社
石桁橋
長13.9m(3G)
寛文9(1669)
国重文
市教委/WEB
保存状態良好
坂本の穴太衆の作とされる/構造的には、両岸とその近くに立てた計4本の太い円柱と、その円柱の上に架けた中央の大梁と短い側径間の梁が主構造、その上に置かれた等間隔の横桁の上に橋面石を並べている/大宮橋と類似した構造だが、円柱は独立して立っているだけで相互の固定・補強は全くないし、その上の石梁も置いてあるだけで、横桁も置いてあるだけ、高欄には開口部はない
1
B
走井橋
はしりい
大津市
日吉大社
石桁橋
長13.8m(3G)
寛文9(1669)
国重文
市教委/WEB
保存状態良好
坂本の穴太衆の作とされる/日吉三橋の中で最も簡易な構造で、普通の3径間の石桁橋で高欄もない/ただ、3径間を通して全体に緩い虹型をしており、簡素な中にシンプルな美しさが感じられる/走井橋は聖俗を分ける結界で、かつて人々は参詣前にこの橋上で罪穢れを祓う禊ぎを行ったと言われる
1
B
逢坂越の車石1
おうさかごえ、くるまいし
大津市
市歴史博物館・前庭<大津・札ノ辻~京都・三条大橋>
車石(花崗岩)
長約12㎞(車石5-6万個)→車石25枚以上×2列
文化2(1805)
市教委
ただ並べただけだが、ある程度長く、車石道をイメージしやすい
坂道で物資を輸送する牛車が通りやすいように道路に敷いた切石(京都の心学者・脇坂義堂の発案とされる)/車道と人道に分かれていて京都に向かって右側に車道があり、左側は人や馬が通った/古代地中海世界の軌条道が直接岩に掘りこまれたのと違い、溝の付いた石を敷き並べている点が全く異なる
3
A
逢坂越の車石2
おうさかごえ、くるまいし
大津市
閑栖寺<同上>
車石(花崗岩)
同上→車石4枚×2列
文化2(1805)
WEB
正確に再現/約30㎝高く造られていた人馬道も設ける
同上
2
B
逢坂越の車石3
おうさかごえ、くるまいし
大津市
蝉丸神社<同上>
車石(花崗岩)
同上→車石5枚×2列
文化2(1805)
WEB
ただ並べただけ
同上
3
B
和邇南浜の秋葉山常夜灯
わにみなみはま
大津市
公園内
石常夜灯
天明5(1785)
WEB/近江の常夜燈p53
移設/四周に背の高い金網
(竿正面)「秋葉大權現」/石基壇なし
3
-
大谷町の逢坂常夜灯
おおたに
大津市
<東海道>
石常夜灯
寛政6(1794)
市教委/近江の常夜燈p10
原位置?/火袋更新
(竿正面)「逢坂常夜燈」、(竿左面)「施主 大津 米屋中」/竿石が角柱/逢坂越を利用することが最も多かった大津の米屋達中が寄進
2
B
八屋戸の秋葉山常夜灯
はちやど
大津市
石常夜灯
文政4(1821)
近江の常夜燈p55
(竿正面)「秋葉山夜燈」「末廣講中」/石基壇なし
C
苗鹿の太神宮常夜灯
のうか
大津市
(1丁目)<西近江路>
石常夜灯
高約4m
弘化4(1847)
市教委/近江の常夜燈p49
移設(区画整理)
(竿正面)「太神宮」「両宮月参」「苗鹿講」/石基壇は低いが、その上に4段の台石が載る/苗鹿講が建立(伊勢両宮の常夜灯)
1
A
苗鹿の常夜灯
のうか
大津市
(3丁目)<西近江路>
石常夜灯(道標兼)
弘化4(1847)
WEB/近江の常夜燈p50
原位置
(竿正面)「法光寺」「薬師如来」/北国街道から法光寺への分岐点に建つ/石基壇なし
1
C
和邇高城の常夜灯
わにたかしろ
大津市
<西近江路>
石常夜灯(道標兼)
慶応2(1866)
近江の常夜燈p54
原位置
(竿正面)「十一面觀世音」/北国街道から報恩寺への分岐点に建つ/石基壇なし
1
C
坂本本町の道標1
さかもとほん
大津市
延暦寺横川行院・前
石道標(尖頭角柱)
高91㎝
元禄3(1690)
WEB(大津のかんきょう宝箱)
(右面)「日蓮
□□
石塔 此よりみぎ 八丁」/正面に「南無妙法蓮華経」と陰刻/17世紀の道標
B
中庄の道標
なかしょう
大津市
(1丁目)記恩寺
<石山寺道>
石道標
高88㎝,18㎝角
宝永6(1709)
WEB(大津のかんきょう宝箱)/近江の道標p91
移設
(正面)「右 石山寺道 六町」、(左面)「左 いわま寺ミち」(=岩間寺)
2
C
札の辻の道標
ふだのつじ
大津市
<東海道・顕証寺道>
石道標(尖頭角柱)
高152㎝,幅19㎝,厚14㎝
延享3(1746)
WEB(大津のかんきょう宝箱)/近江の道標p90
移設
(正面)「蓮如上人近松御舊跡」、(右面上部)「是より半町」
2
C
下阪本の道標
しもさかもと
大津市
石道標(尖頭角柱)
高68㎝,23㎝角
宝暦8(1758)
近江の道標p85
原位置?/下部埋設
(正面)「右 北國」、(左面)「左、日吉山/ひゑい…」(=比叡山)
1
-
木戸の道標
きど
大津市
石道標(尖頭角柱)
高100㎝,13.5㎝角
宝暦9(1760)
近江の道標p206
原位置?
(正面)「觀音堂号西方寺」、(右面)「従是至 二町」/宝暦9年12月→
1760年
1
C
坂本の道標
さかもと
大津市
(6丁目)倉園神社
石道標
高66㎝,15㎝角
明和2(1765)
WEB(大津のかんきょう宝箱)/近江の道標p46
移設
(正面)「右、いむろ/よかわ、元三大師/西教寺、道」
2
-
追分町の道標
おいわけ
大津市
<東海道・伏見街道>
石道標(尖頭角柱)
高75㎝,23㎝角
明和3(1766)
WEB(大津のかんきょう宝箱)/近江の道標p158
下部埋設
(正面)「蓮如上人…」、(左面)「是よ里 十町」/大きい方の道標は安土城考古博物館(近江八幡市)に移設
2
-
田上森町の道標
たなかみもり
大津市
太神山不動寺
石道標
高100㎝,11.5㎝角
安永10(1781)
近江の道標p95
原位置
(正面)「太神山本尊不動明王」、(左面)「是より 六町」、(右面)「右 志可羅き道」(=信楽)
1
C
石山寺の道標1
いしやまでら
大津市
(3丁目)
石道標
高139㎝,21㎝角
天明5(1785)
WEB(大津のかんきょう宝箱)/近江の道標p92
移設
(正面)「右 い者ま道/すく 宇治道」(=岩間寺)、(裏面)「左 石山道」
2
C
瀬田の道標1
せた
大津市
(2丁目)瀬田唐橋・東詰交差点<東海道>
石道標
高149㎝,30㎝角
寛政12(1800)
WEB(大津のかんきょう宝箱)/近江の道標p93
移設(約50m)
(正面)「田・上、太神山不動寺」、(右面上部)「是より 二里半」
2
C
三井寺町の道標
みいでら
大津市
石道標(尖頭角柱)
高136㎝,
幅21.5㎝,厚21㎝
文化2(1805)
近江の道標p88
移設?
(正面)「右 坂本 ひゑい山 からさ起/左 三井寺 く王ん於ん 京」、(右面)「左 いし山 せた/右 くだり 石山」
2
C
栗原の阿弥陀如来像道標
くりはら
大津市
石道標(尖頭角柱)
高93㎝,幅24㎝,厚18㎝
文化3(1806)
近江の道標p78
原位置?
(正面右下)「く里はら」、(同左下)「とちう」(=間道のこと)/正面頂部を四角に削り込み小さな阿弥陀如来坐像を陽刻、その下に「南無佛
□□□
」と陰刻
1
C
平津の道標
ひらつ
大津市
石道標(尖頭角柱)
高95㎝,幅27㎝,厚21㎝
文化3(1806)
近江の道標p92
原位置?
(正面)「右 たいこ/左 いわま、みち」
1
C
坂本本町の道標2
さかもとほん
大津市
石道標(尖頭角柱)
高142.5㎝,20.5㎝角
文化9(1812)
近江の道標p81
原位置?
(正面)「北國海道」、(左面)「左、元三大師/西教寺/乳野 仰木邑、道」、(右面)「すく 山王」
1
C
石山千町の道標
いしやません
大津市
石道標
高78㎝,幅21㎝,厚15㎝
文化10(1813)
近江の道標p161
移設?
(正面)「左 いしや満ミち」
2
C
本堅田の道標
ほんかたた
大津市
(2丁目)<堅田港>
石道標
高100㎝,幅21㎝,厚20㎝
文化11(1814)
WEB(大津のかんきょう宝箱)/近江の道標p43
原位置
(正面)「左 かたゝ舟王多し」、(右面)「右、さか本/大津」、(裏面)「すく 北國海道」
1
C
瀬田の道標2
せた
大津市
(2丁目)瀬田唐橋・東詰
石道標
高175㎝,25㎝角
文化14(1817)
WEB(大津のかんきょう宝箱)/近江の道標p165
近接移設?
(正面)「跋難陀龍王宮」、(同最下部)「是より」、(左面)「俵藤太秀郷社」、(同最下部)「川者"多/半丁」(=川端)
1
B
八屋戸の道標1
はちやど
大津市
石道標(尖頭角柱)
高104㎝,幅21.5㎝,厚10.5㎝
文政2(1819)
近江の道標p206
移設?
(正面)「(梵字)左 かいとう」
2
C
横木の道標
よこぎ
大津市
(1丁目)<東海道・小関越>
石道標
高219㎝,33㎝角
文政5(1822)
市教委
/WEB(大津のかんきょう宝箱)
原位置?
(正面)「三井寺觀音道」、(左面)「小關越」/江戸・京都・大坂に店をもつ定飛脚問屋が建立
1
B
大将軍の道標
たいしょうぐん
大津市
(1丁目)<瀬田道>
石道標
高109㎝
文政9(1826)
WEB(大津のかんきょう宝箱)
原位置?
(正面)「右 せた道」
1
C
観音寺の道標
かんのんじ
大津市
石道標
高130㎝,18.3㎝角
文政10(1827)
近江の道標p87
移設
(正面)「右 山王 唐崎道」、(右面)「右 三井寺 觀音道」
2
C
山中町の道標
やまなか
大津市
<無動寺道>
石道標
高238㎝
文政12(1829)
WEB(大津のかんきょう宝箱)
原位置?
「左、むどうじ道/弁才天女/不動明王、是より 三十六丁」
1
B
北小松の白鬚大明神道標1
きたこまつ
大津市
石道標(常夜灯兼、笠付き)
高197㎝,
幅23.5㎝,厚20㎝
天保7(1836)
近江の道標p205
原位置
(正面火袋下)「白鬚大明神/是より 二里八丁」/頂部に四角の開口部(火袋)、その上に笠を載せる/石基壇なし/一群の天保7の白鬚大明神道標の代表的存在
1
B
本堅田の白鬚大明神道標
ほんかたた
大津市
(3丁目)
<北国街道・仰木道>
石道標(常夜灯兼、笠付き)
高174㎝,25.3㎝角
天保7(1836)
WEB/近江の常夜燈p48/近江の道標p45
原位置
(正面火袋下)「是より/白鬚大明神」/頂部に四角の開口部(火袋)、その上に笠を載せる/石基壇なし
1
C
北小松の白鬚大明神道標2
きたこまつ
大津市
石道標(常夜灯兼、笠付き)
天保7(1836)
近江の道標p205
原位置?
(正面火袋下)「是より/白鬚大明神」/頂部に四角の開口部(火袋)、その上に笠を載せる/石基壇なし
1
C
滋賀里の道標
しがさと
大津市
石道標(尖頭角柱)
高130㎝,21㎝角
天保7(1836)
近江の道標p86
原位置
(正面)「三井寺觀音道」、(左面)「小関越」/江戸・京都・大坂に店をもつ定飛脚問屋が建立
1
C
木戸の白鬚大明神道標
きど
大津市
石道標(常夜灯兼、笠付き)
高174㎝,幅29㎝,厚25㎝
天保7(1836)
近江の道標p206
移設?
(正面火袋下)「白鬚大明神、右/是より」/頂部に四角の開口部(火袋)、その上に笠を載せる/石基壇なし
2
C
滋賀里の白鬚大明神道標
しがさと
大津市
<北国街道>
石道標(常夜灯兼)
高144㎝,幅27㎝,厚24.2㎝
天保7(1836)
WEB/近江の常夜燈p48/近江の道標p156
原位置/笠欠損
(正面火袋下)「白鬚大明神」/頂部に四角の開口部(火袋)/石基壇なし
2
C
八屋戸の道標2
はちやど
大津市
琵琶湖畔(北船路)
石道標
高140㎝,36㎝角
天保7(1836)
近江の道標p77
頂部欠損
(正面)「大明神 是より四百二十丁」(=白鬚大明神)、(右面下部)「従是/北國海道」、(左面下部)「北國海道」
2
C
唐崎の白鬚大明神道標
からさき
大津市
石道標(常夜灯兼)
高52㎝
天保7(1836)
WEB(大津のかんきょう宝箱)
移設?/下部埋設
(正面)「白鬚大明神…」/頂部に四角の開口部(火袋)
2
-
下阪本の白鬚大明神道標
しもさかもと
大津市
石道標(常夜灯兼)
高53㎝,幅28㎝,厚24㎝
天保7(1836)
近江の道標p85
火袋以上欠損
(正面)「白鬚明…」/石基壇なし
3
-
螢谷の道標
ほたるだに
大津市
<螢谷道>
石道標
高145㎝,23㎝角
天保14(1843)
WEB(大津のかんきょう宝箱)/近江の道標p50
移設?
(正面)「清水寺/奥之院、牛尾山觀音道」、(左面)「すぐ通り抜け近ミち/牛尾山江 二十九丁、牛尾ヨリ、山科御坊江 二十一丁/三条大橋江 六十丁/伏見船場江 二里」
2
C
石山寺の道標2
いしやまでら
大津市
(3丁目)法輪院・前
石道標(尖頭角柱)
高134㎝,22.5㎝角
安政3(1856)
近江の道標p91
原位置
(正面)「すぐ 立木觀世音道」、(同最下端)「是より/二十丁」
1
C
坂本本町の道標3
さかもとほん
大津市
延暦寺横川恵心院・前
石道標(尖頭角柱)
高110㎝
江戸期
WEB(大津のかんきょう宝箱)
原位置
(正面)「大師堂 是より北すぐ 三丁」、(左面)「此おく寺道 外ミちなし」/
「ミち」の標記は江戸期
1
C
牧の道標
まき
大津市
(1丁目)真光寺<信楽道>
石道標(尖頭角柱)
高107㎝
江戸期
WEB(大津のかんきょう宝箱)
移設
(正面)「左 しがらきミチち」/「ミち」の標記は江戸期
2
C
小関町の道標
こぜき
大津市
石道標
高95㎝
江戸期?
市有形民俗
市教委
/WEB(大津のかんきょう宝箱)
中央で水平に折損→修復
(正面)「右 小關越、三条/五条/以ま久満、京道」(=今熊)、(右面)「左り 三井寺 是より半丁」、(左面)「右 三井寺」
2
C
小舟入の常夜灯
こぶないり
大津市
(中央4丁目)<小舟入~矢橋間の渡し船>
銅板葺の石常夜灯(琵琶湖舟運)
高5.4m
文化5(1808)
市有形民俗
WEB/近江の常夜燈p11・100
原位置
(竿正面)「伊勢/両宮、常夜燈」/角柱状の竿の上に腕木を付け切妻屋根の火袋(木製)を置く/石基壇あり/京都の恒藤講が建立(伊勢両宮の常夜灯)/(台石上辺)「大/津/世/話/人」、(その下)「船方中/小船入/茶屋中/伊勢屋甚兵衛/船屋平八」
1
A
関津の常夜灯
せきのつ
大津市
(1丁目)<関津浜>
石常夜灯(自然石)(琵琶湖舟運)
高3.6m
天保12(1841)
近江の常夜燈p101
(中台正面)「立/木/觀/世/音」(→瀬田川水運の安全祈願のため?)/関津浜は、大石5ヶ村の木柴の集散地
B
元・
石場の常夜灯
(打出浜の常夜灯)
いしば
大津市
びわ湖ホール<石場~矢橋間の渡し船>
石常夜灯
(琵琶湖舟運)
高8.4m
弘化2(1845)
市教委/WEB/近江の常夜燈p12・100
2度移設/火袋後補
笠石裏面に木桟風の飾り/中台を4隅の邪鬼が支える珍しい構造/竿は、やや末広がりの角柱タイプで、4面を火灯窓風に浅く削り込み刻字/石基壇あり(見事な石組)/寄進者は近江中郡が圧倒的に多く近江商人の活躍ぶりが分かる
2
A
源内峠製鉄遺跡
げんない
大津市
びわこ文化公園・西駐車場南奥
製鉄炉(4基)
炉:長2.5m前後,高1m
7世紀後半
国史跡
WEB(源内峠遺跡復元委員会)
発掘調査後に埋め戻した遺跡上に製鉄炉群を再現(最初に復元した1基は粘土造、他の3基はC造)
瀬田丘陵生産遺跡群の一つ
2
A
四ツ子川の百間堤
よつご、
ひゃっけん
大津市
四ツ子川
石堤防(花崗岩)
長180m,天幅8m,高9m(水面からの比高)
安政5(1858)
現地解説板
/市教委
保存状態良好
嘉永5(1852)の豪雨による堤防決壊を受け、若狭から石積の名人(佐吉氏)を招き延1万人余の出役人夫が5年8ヶ月かけて構築/堤防というよりは巨石を組み合わせて造られた“岩塊”のような構造物→全国でも一例しか見られない特異な形態
1
坂本本町の穴太積石垣
さかもとほん、あのう
大津市
石垣
長388m
江戸期
市史跡
WEB
保存状態良好
史跡指定地以外にも、穴太積の多様で見事な石積技法をエリアとして眺めることができる
1
A
逢坂越の車石
おうさか・
くるまいし
近江八幡市
安土城考古博物館
車石(花崗岩)
車石7枚×2列
文化2(1805)
WEB
ただ並べただけ/地縁が全くない
大津市の「逢坂越の車石1」参照
4
B
元・
大津市の太神宮常夜灯
おおつ
近江八幡市
安土城考古博物館
石常夜灯
元禄10(1697)
WEB
移設(原位置不明)/地縁が全くない
(竿正面)「外宮長虹籠」/竿石が角柱/最古級の太神宮常夜灯
3
B
長田町の太神宮常夜灯
おさだ
近江八幡市
長田集落
石常夜灯
天明2(1782)
WEB
原位置?
(竿右面)「伊勢両宮常夜燈」、(竿左面)「愛宕大神/津嶋大神」
1
C
元・大津市の逢坂常夜灯
おおつ
近江八幡市
安土城考古博物館
石常夜灯
寛政6(1791)
WEB
移設(原位置不明)/地縁が全くない
(竿正面)「逢坂常夜燈」/竿石が角柱
3
C
東横関町の金毘羅常夜灯
ひがしよこぜき
近江八幡市
<中山道>
石常夜灯
寛政10(1798)
WEB/近江の常夜燈p32
原位置
(竿正面)「金毘羅」/日野川の渡河地を示す(集落の西の入口でもある)/石基壇なし
1
C
長光寺町の金毘羅常夜灯
ちょうこうじ
近江八幡市
<中山道・武佐宿>
石常夜灯
文化5(1808)
WEB/近江の常夜燈p32
原位置?/火袋一部改修
(竿正面)「金毘羅大權現」/武佐宿の入口付近/石基壇あり
1
B
安土町東老蘇の金毘羅常夜灯
あづち、
ひがしおいそ
近江八幡市
(轟橋・袂)<中山道>
石常夜灯
文化11(1814)
WEB/近江の常夜燈p35
原位置
(竿正面)「金毘羅大權現」/石基壇なし
1
C
益田町の常夜灯
ますだ
近江八幡市
石常夜灯
文政10(1827)
WEB
笠一部折損/基壇更新?→移設
大峯山行者講による建立
2
C
長光寺町の常夜灯1
ちょうこうじ
近江八幡市
<中山道・武佐宿の高札場>
石常夜灯
天保8(1837)
WEB(的形道標クラブ)/近江の常夜燈p33
原位置?
(竿正面)「愛宕山」、(竿右面)「村中安全」/竿が角柱
1
C
野田町の金毘羅常夜灯
のだ
近江八幡市
八幡神社・跡地
石常夜灯
天保10(1839)
WEB/近江の常夜燈p82
移設
(竿)「金毘羅大權現」「村内安全」/中台正面に“四ツ目”紋を陽刻/石基壇あり
2
B
金剛寺町の太神宮常夜灯
こんごうじ
近江八幡市
若松神社・前
石常夜灯(道標兼)
天保11(1840)
近江の常夜燈p82
原位置?
(竿正面)「太神宮」、(台石最上段正面)「若/松/講」、(台石2段目正面)「ひ/だ/里/い/せ/み/ち」/石基壇あり
1
B
安土町内野の太神宮常夜灯
あづち、
うちの
近江八幡市
<八風街道>
石常夜灯
安政3(1856)
WEB
原位置?
(竿正面)「太神宮常夜灯」/(?)「村内安全」/石基壇あり
1
B
安土町下豊浦の金毘羅常夜灯
あづち、
しもといら
近江八幡市
石常夜灯
文久元(1861)
WEB/近江の常夜燈p66
原位置?
(竿正面)「金毘羅大權現」/石基壇あり
1
B
音羽町の太神宮常夜灯
おとわ
近江八幡市
<朝鮮人街道>
石常夜灯
元治元(1864)
WEB/近江の常夜燈p65
原位置?
(竿正面)「太神宮」/宝珠、笠、台石最上段に装飾/石基壇あり(自然石を積んだもの)
B
長光寺町の常夜灯2
ちょうこうじ
近江八幡市
<中山道・武佐宿の脇本陣>
石常夜灯
慶応2(1866)
近江の常夜燈p34
移設?
(竿正面)「愛宕山献燈」/全体が角柱で頂部に火袋用に四角の開口部
2
-
長光寺町の常夜灯3
ちょうこうじ
近江八幡市
<中山道・武佐宿の陣屋>
石常夜灯
慶応3(1867)
WEB/近江の常夜燈p34
移設/火袋一部改修
(竿正面)「愛宕山」、(竿○面)「町内安全」/竿が角柱
2
C
長光寺町の道標
ちょうこうじ
近江八幡市
石道標
高126㎝,29.5㎝角
享保5(1720)
近江の道標p111
移設?/下部埋設
(正面)「(梵字)武佐寺長光…」、(左面下部)「從是 三丁」/頂部が円頭状
2
C
馬淵町の道標
まぶち
近江八幡市
円願寺
石道標(尖頭角柱)
高80㎝,21㎝角
宝暦10(1760)
近江の道標p180
移設
(正面)「右 いせ 京」、(左面)「左 くハんをん」
2
C
元・追分町の道標
おいわけ
近江八幡市
安土城考古博物館
石道標(尖頭角柱)
高144㎝,24.5㎝角
安永9(1780)以前
市教委/WEB/WEB(大津のかんきょう宝箱)/近江の道標p49
3度移設(現地にはレプリカ)/地縁が全くない
(正面)「みきハ 京ミち」、(左面)「ひ多利ハ ふしミみち」/右面に「柳緑花紅」と陰刻され、「都名所図会」(安永9)、「伊勢参宮名所図会」(寛政9)に紹介されるほど有名な道標
3
C
安土町常楽寺の道標
あづち、
じょうらくじ
近江八幡市
石道標
高142㎝,幅25㎝,厚24.5㎝
安永8(1779)
近江の道標p123
(正面)「沙沙貴大社道 従是十九丁」、(右面)「佐々木大社道、是より/十九丁」
C
武佐町の道標
むさ
近江八幡市
<中山道・八風街道>
石道標
高134㎝,35㎝角
文政4(1821)
WEB(的形道標クラブ)/近江の道標p112
原位置?
(正面)「いせ、ミな口/ひの/八日市、道」(=水口)
1
C
安土町石寺の道標1
あづち、
いしでら
近江八幡市
観音正寺
石道標(尖頭角柱)
高118㎝,幅18㎝,厚15㎝
文政6(1823)
近江の道標p190
移設
(正面)「長命寺ハ古知らへ」
2
C
安土町石寺の道標2
あづち、
いしでら
近江八幡市
石道標
高118㎝,幅23㎝,厚22.5㎝
文政7(1824)
近江の道標p190
中央で折損→修復
(正面)「すく 大津道」、(右面)「大坂 ×」、(左面)「すく くハんおん道」
2
C
西元町の道標
にしもと
近江八幡市
石道標
文政7(1824)
近江の道標p181
移設?/下部埋設
(正面)「すく 長命寺み…」、(右面)「すく 京み…」
2
C
安土町石寺の道標3
あづち、
いしでら
近江八幡市
石道標
高151㎝,30㎝角
弘化2(1845)
近江の道標p122
原位置
(正面)「すく 大つ 右、八まん/長命寺」、(右面)「左 くハんおんし すく ゑち川」、(左面)「(梵字)すく くハんおんし道」
1
C
金剛寺町の道標
こんごうじ
近江八幡市
<伊勢街道>
石道標
高140㎝,幅28㎝,厚24㎝
嘉永6(1853)
近江の道標p111
原位置
(正面)「右 いせ、ひの/八日市/むさ、道」、(右面)「左、八まん/長命寺、みち」、(左面)「すく、くハんおんし/浄こんいん、ちかみち」
1
C
音羽町の聖観音像道標
おとわ
近江八幡市
<朝鮮人街道>
石道標
高165㎝,幅24㎝,厚23㎝
文久3(1863)
WEB/近江の道標p182
移設?/中央で折損→修復
(正面像下)「すぐ/長命寺みち、是より/一里半/十丁」、(左面像下)
「久王んおん寺(右指差し)道/是より 二里」/正面・左面頂部に小さな聖観音立像(蓮台)を浮彫
2
C
長命寺町の道標1
ちょうめいじ
近江八幡市
長命寺・石段の登り口
石道標
高233㎝,幅32㎝,厚30㎝
元治2(1865)
近江の道標p114
原位置
(正面)「(梵字)是より く王んおんへ 六丁」
1
B
長命寺町の道標2
ちょうめいじ
近江八幡市
石道標
高233㎝,幅32㎝,厚30㎝
元治2(1865)
近江の道標p183
原位置?
(正面)「(梵字)是より く王んおんへ 八丁」
1
B
小船木町の道標
こぶなき
近江八幡市
<朝鮮人街道>
石道標(尖頭角柱)
江戸期?
WEB
原位置?
(正面)「右 長命寺/一里」、(右面)「左 京みち」
1
C
慈恩寺町の道標
じおんじ
近江八幡市
<朝鮮人街道>
石道標(尖頭角柱)
江戸期?
WEB
原位置?
(正面)「右 長命寺、一里半/すぐ京道」、(右面)「左 く王んおん寺 二里」
1
C
南須田町の境界石
みなみすだ
近江八幡市
摠見寺
境界石
室町末期
WEB
破損→再現
(正面)「従是南 摠見寺領」
4
B
八幡堀
はちまん
近江八幡市
運河
長6㎞,幅15m
天正13(1585)
国重伝建
市教委/WEB
石垣の復元・整備が進み、江戸時代の雰囲気を甦らせた観光地となっている
豊臣秀次によって新たに開かれた城下町で都市計画的に整備された水路網/八幡城の防御と琵琶湖水運とリンクした物流利用の目的で造られたが、秀次自害による廃城後は近江商人による「諸国産物回し」の場となった(琵琶湖を往来する船すべてに寄港を義務付けた)
1-2
大江水
おおえ
近江八幡市
大江観音堂・脇
湧水
WEB
現役飲用
八幡山の麓から湧出する清水/4つに石組で仕切られている
1
草津の常夜灯1
(追分道標)
くさつ
草津市
(1丁目)<東海道・中山道>
銅板葺の石常夜灯
(道標兼)
高3.78m
文化13(1816)
市有形民俗
市教委/WEB/近江の常夜燈p18・24
近接移設/木製部はすべて後補
(竿正面)「右 東海道 いせみち」、(竿左面)「左 中仙道 美のぢ」(=美濃路)→正徳6(1716)に「中山道」に名称統一されて100年経った時点での「中仙道」の標記は不思議(飛脚問屋が寄進しているので間違えるのはおかしい)/竿石上に木製の春日型の屋根(銅板葺)と火袋が載る/京都・大坂・尾張・岐阜などの飛脚問屋の宰領中や播州・備前・江戸などの日雇方の寄進により建立
2
A
草津の常夜灯2
(横町道標)
くさつ
草津市
(1丁目)草津川堤防上
<東海道・金勝信楽道>
銅板葺の石常夜灯
(道標兼)
高3.86m(ただし、台石は復元)
文化13(1816)
市有形民俗
市教委/WEB/近江の常夜燈p18
移設/昭和45まで竿石のみ残存→木製部はすべて再現
(竿正面)「右 金勝寺 志可らき道」、(竿左面)「左 東海道 いせ道」/竿石上に木製の春日型の屋根(銅板葺)と火袋が載る/標柱上に木製の春日型の屋根(銅板葺)と火袋が載る/日野の豪商(近江商人)・中井正治右衛門が後世の灯明料とともに寄進
3
A
南笠町の金毘羅常夜灯
みなみがさ
草津市
治田神社
石常夜灯
文政6(1823)
近江の常夜燈p17
移設(当初は集落内?)
(竿正面)「金毘羅」/石基壇あり
2
C
野路の金毘羅常夜灯
のじ
草津市
新宮神社・前
石常夜灯
高3.15m
(うち、基壇0.72m)
天保5(1834)
近江の常夜燈p16
昭和39道路拡幅のため移設/火袋後補
(竿正面)「金毘羅」/天保の大飢饉の最中にもかかわらず村の金毘羅講を中心に建立→野路村の財力と信仰の厚さの顕れ
2
B
草津の廻国塔道標
(旧追分道標)
くさつ
草津市
(4丁目)立木神社
<東海道・中山道?>
石道標
高179㎝,幅23㎝,厚18㎝
延宝8(1680)
市有形民俗
市教委/WEB/近江の道標p97
移設/草津宿街道交流館にレプリカ
(正面下半部)「みぎハ たう可いどう いせミち」、(左面)「ひ多"りは 中せんたう を多加みち」/正面上半部に「(梵字)七ヶ年中履行月参詣成就所」と陰刻、そのまま下半分の道しるべの標記が続く/17世紀の道標
2
B
矢倉の道標
やばせ
草津市
(2丁目)<東海道・矢橋渡し場への道>
石道標
高174㎝,30㎝角
寛政10(1798)
市有形民俗
市教委/WEB/近江の道標p52
原位置
(正面)「右 や者せ道」(=矢橋)、(同最下部)「古連より 廿五丁/大津へ舩わ多し」(=是、渡し)/広重の「東海道五十三次・草津」に描かれている
1
B
草津の道標
やばせ
草津市
(2丁目)<東海道・石山道>
石道標
江戸期
WEB(的形道標クラブ)
移設
(正面)「右 以し山ミち」(=石山)/「ミち」の標記は江戸期の可能性
2
C
矢橋港の石積突堤
やばせ
草津市
<矢橋渡し場>
石突堤(3基)
①長73m,幅2.8m
,高1.1m,
②長42m,幅3.7m
,高0.9m,
③長29m,幅1.7m
,高0.9m
江戸期
市教委/WEB
発掘→②と③は残存突堤を整形して復元、①は人道化/陸上の公園内/①の脇に下記の「矢橋の常夜灯」
矢橋港の突堤/港の突堤が(陸上にせよ)現存することは稀
3
A
矢橋の常夜灯
やばせ
草津市
<矢橋~石場間の渡し船>
石常夜灯
(琵琶湖舟運)
高5.71m
(うち、基壇0.75m)
弘化3(1846)
市教委/WEB/近江の常夜燈p17・102
原位置/周囲を石垣が囲み歴史的環境を維持(左記の高さに石垣は含まず)/個人の所有物
(竿左面)「渡航安全」/竿石が角柱/石基壇なし/対岸の大津・小舟入や石場への渡しがあり、東海道を歩くより時間的短縮になったためかなり利用された
2
A
木瓜原製鉄遺跡
ぼけわら
草津市
立命館大学びわこ・くさつキャンパス(グラウンド下)
製鉄炉(1基)
炉:2.8m×0.6m
7世紀末~8世紀初頭
立命館大学作成のパンフレット
グラウンド南端の地下に18m×
12.5mの長方形の保存施設を造り、発掘された状態で完全保存
瀬田丘陵生産遺跡群の一つ/土製の箱型炉1基の両側に踏み鞴が設置
1
A
野路小野山製鉄遺跡
のじ、
おのやま
草津市
野路町字小野山一帯
製鉄炉(14基)
炉:2m×1.2m
8世紀
国史跡
市教委(野路小野山製鉄遺跡発掘調査概報)
現地に行っても何もない
〔平面図で点線は未調査域の想定炉〕
瀬田丘陵生産遺跡群の一つ/土製の箱型炉15基が並ぶ一大製鉄基地だった/鉄鉱石を使用した製鉄炉であり、中世以降の砂鉄を用いる和式製鉄とは異なる
5
矢川神社の太鼓橋
やがわ
甲賀市
矢川神社参道
石桁橋(太鼓型)
長6.00m(4G),
幅3.71m,高3.96m
寛文11(1671)
市建造物
WEB(宮様の石橋)/市教委(甲賀市史6p565-567)
保存状態良好/明治20(1887)に修理
構造的には、中央と両岸近くに立てた3本の太い円柱と、その円柱にほぞ穴を開けて架け渡した1段2本の梁が主構造(中央のみ2段4本)、3本の円柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造(中央柱は上下2段、両側柱は下1段にほぞ穴を開けて計4本の梁を橋軸直角方向に架け渡す)、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/円柱を縦横に貫通するように見せた複雑な構造は木橋そのものであり、大津市の大宮橋に近い完成度の高さをもつ/高欄が全くない→渡ることを想定していない/雨乞い祈願の宮として知られる/『そりはし万事日記』により寛文11の架設であると判明
1
三十八社の太鼓橋
さんじゅうはっしゃ
甲賀市
三十八社参道
石桁橋(太鼓型)
長2.91m(2G),
幅2.13m,高1.06m
元禄年間(1688-1704)
WEB(宮様の石橋)/WEB
保存状態良好
中央に立てた1本の太い円柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、中間部にほぞ穴を開けて橋軸直角方向に梁で連結する(正確には円柱と横桁の間に小さな台石が挿入されている)/両岸と中央の横桁を支点として、2本のやや反った石梁を尖頭状に配置/高欄はない/年代刻銘あり
1
B
八坂神社の下馬橋
やさか、げば
甲賀市
八坂神社参道
石桁橋(太鼓型)
長3.48m(2G),
幅2.43m
元禄12(1699)
→天保5(1835)修理
市建造物
WEB(宮様の石橋)/市教委(甲賀市史6p563-564)
保存状態良好
上記「三十八社の太鼓橋」と酷似/中央の弧状桁石(上流側)に「雨乞御返礼」「元禄十二年乙卯年八月吉祥日」「儀俄庄惣氏子神主勘太夫」「泉州日根郡鳥取庄」などの刻銘→泉州石工は西日本を代表する石塔石工→細工物が得意/天保5の修理も泉州の石工が実施
1
A
柏木神社の太鼓橋
かしわぎ
甲賀市
柏木神社参道
石桁橋(太鼓型)
(2G)
元禄16(1703)
WEB(宮様の石橋)/WEB
保存状態良好
上記「八坂神社の下馬橋」を低く小型にしたもの/年代刻銘あり
1
C
和野八幡神社の太鼓橋
わのはちまん
甲賀市
和野八幡神社参道
石桁橋(太鼓型)
(2G)
元禄16(1703)
WEB(宮様の石橋)/WEB
保存状態良好
上記「八坂神社の下馬橋」をさらに低く小型にしたもの
1
C
水口神社の太鼓橋
みなくち
甲賀市
水口神社参道
石桁橋(太鼓型)
長5.70m(3G),
幅3.34m,高2.58m
江戸初期(遅くとも18世紀初頭以前)?
WEB(石橋)/WEB(宮様の石橋)
保存状態良好
構造的には、中央と両岸近くに立てた3本の太い円柱と、その円柱にほぞ穴を開けて架け渡した1段2本の梁が主構造(中央には梁がない)、3本の円柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造(中央柱、両側柱とも下1段にほぞ穴を開けて計3本の梁を橋軸直角方向に架け渡す)、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/上記「矢川神社の太鼓橋」に近い完成度/建立年不明だが、同年代と推定される/高欄はない
1
A
椿神社の太鼓橋
つばき
甲賀市
<椿神社参道>
石桁橋(太鼓型)
(2G)
宝暦9(1759)
WEB
保存状態良好/市街地に残る
中央に立てた1本の太い円柱(流れ方向に2本)の上に横桁を置き、両岸と横桁を支点に半楕円状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べる/勾配が両端にいくほど急になるのが特徴→かなり珍しい/中央の支柱が2本しかない→やや不安定感
2
B
大鳥神社の反橋
おおとり
甲賀市
大鳥神社参道
石桁橋(弓型)
長10.45m,
幅3.00m(3G)
延享元(1774)
市建造物
WEB(宮様の石橋)/市教委(甲賀市史6p564-565)
保存状態良好
2ヶ所に立てた2本の太い円柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、中間部にほぞ穴を開けて橋軸直角方向に梁で連結する/両岸と2ヶ所の横桁を支点として、3本のやや反った石梁を緩やかな弧状に配置/擬宝珠付き高欄/下部工の仕上げは粗い/右後擬宝珠親柱に「延享元年甲子三月一日/石工 杉本文右衛門」の刻銘
1
B
今在家(今郷)一里塚
いまざいけ(いまごう)
甲賀市
<東海道>
一里塚(1基)
慶長9(1604)以降
現地解説板/WEB
明治初年に撤去→モニュメントとして再現
5
-
泉一里塚
いずみ
甲賀市
<東海道>
一里塚(1基)
慶長9(1604)以降
現地解説板
モニュメントとして再現(場所も若干移動)
5
-
林口一里塚
はやしぐち
甲賀市
<東海道>
一里塚(1基)
慶長9(1604)以降
現地解説板
東海道の付け替えに伴い移動してモニュメントとして再現
5
-
土山町山中の金毘羅常夜灯(万人講常夜灯)
つちやま、
やまなか
甲賀市
<東海道・鈴鹿峠>
石常夜灯
(自然石、花崗岩)
高4.85m
正徳年間(1711-16)
WEB/近江の常夜燈p22
移設/2段の整形基壇は左記の高さに含まず(移設時の追加?)
(竿正面)「金毘羅大權現」、(台石正面)「万人講」/巨大な笠石と台石/総計38tの石材は山中村高幡山天ヶ谷より運び出され、地元山中村をはじめ坂下宿・甲賀谷の人達3000人の奉仕によって組み上がったと言われる
2
A
水口町泉の金毘羅常夜灯
(横田渡の金毘羅常夜灯)
みなくち、
いずみ
}(よこた)
甲賀市
<東海道・横田渡し場>
/野洲川・右岸
石常夜灯(渡し場)
高8.41m
(うち、基壇1.44m)
文政5(1822)
県史跡
WEB/現地解説板/近江の常夜燈p20
原位置/周辺整備
(竿右面)「金毘羅大權現」、(台石最上段正面)「萬/人/講/中」/渡し場の石常夜灯としては全国最大/周囲17.3mの玉垣で囲まれる/シーボルトの『江戸参府紀行(文政9)』に、「この川岸には金毘羅さんを祈念した石灯籠、火をともす大きな台がある」と記されている
1
土山町北土山の常夜灯
つちやま、
きたつちやま
甲賀市
田村神社<東海道>
石常夜灯
文政12(1829)
近江の常夜燈p22
移設
(竿正面)「永夜燈」/竿石が角柱/石基壇なし
3
-
甲南町葛木の太神宮常夜灯
こうなん、
かづらき
甲賀市
葛木神社
石常夜灯(道標兼)
天保3(1833)
近江の常夜燈p90/近江の道標p175
移設
(竿正面)「大神宮」「左 水口」/天保3年12月→1833年
2
-
水口町和野の道標
みなくち、
わの
甲賀市
石道標(自然石)
高51㎝,幅25㎝
宝永2(1705)
近江の道標p105
昭和44に田の中から発見
(正面)「(梵字)、右ハ 水口/左ハ ふ可王、みち」
2
-
甲賀町小佐治の地蔵道標
こうが、こさじ
甲賀市
石道標(笠付き)
高102㎝
享保9(1724)
近江の道標p106
原位置
(右面)「左 大原 油日へ」、(左面)「小さじ/觀をんへ」/正面に地蔵○像を陽刻
1
C
水口町水口の道標
みなくち、
みなくち
甲賀市
(狐塚)
石道標
高90㎝,20㎝角
元文2(1737)
近江の道標p171
移設
(正面)「左 天神道」、(右面)「右 多賀道」
2
C
水口町三大寺の道標1
みなくち、
さんだいじ
甲賀市
金毘羅神社<杣街道>
石道標(尖頭角柱)
宝暦3(1753)
WEB
移設
(正面)「(左指差し)や満可み
加
う志ん」、(裏面)「山上加う志ん道」/真鍮の製法を会得した藤左衛門を祭る広徳寺への道しるべ
2
C
信楽町多羅尾の地蔵道標1
しがらき、
たらお
甲賀市
浄顕寺
石道標(自然石)
高85㎝,幅39㎝
宝暦5(1755)
近江の道標p53
昭和28の災害後移設
(正面像下)「右、い加/いせ、道」/正面中央を円形に削り込み地蔵坐像(蓮台)を陽刻、像上に梵字
2
C
信楽町宮町の道標
しがらき、
みや
甲賀市
石道標
高177㎝,幅30㎝,厚26㎝
宝暦9(1759)
近江の道標p99
原位置?
(正面)「飯道寺、是より/十五丁」、(左面)「左 たかわ」
1
B
水口町泉の道標
みなくち、
いずみ
甲賀市
石道標(尖頭角柱)
高121㎝,幅18.8㎝,厚16.5㎝
宝暦12(1762)
近江の道標p171
鉄枠で四方を補強
(正面)「從是 山村天神道 三十二丁」
3
C
信楽町多羅尾の地蔵道標2
しがらき、
たらお
甲賀市
石道標(自然石)
高70㎝,幅38㎝
宝暦12(1762)
近江の道標p168
(正面像下)「右 たミち/左 た加わ」/正面上部を深く円形に削り込み地蔵坐像(蓮台)を陽刻
C
水口町三大寺の道標2
みなくち、
さんだいじ
甲賀市
いいみち館・前<杣街道>
石道標(尖頭角柱)
寛政8(1796)
WEB
移設
(正面)「右 ふかハミち」、(左面)「左 みなくち道」
2
C
甲南町柑子の地蔵道標
こうなん、
こうじ
甲賀市
<杣街道>
石道標(駒型)
高70㎝,幅24㎝,厚19㎝
文政5(1822)
WEB/近江の道標p57
原位置
(正面像下)「右 いか 上野」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵坐像を陽刻
1
C
信楽町勅旨の道標1
しがらき、
ちょくし
甲賀市
石道標(尖頭角柱)
高123㎝,幅26.5㎝,厚20.3㎝
天明元(1781)
近江の道標p99
原位置
(正面)「左 弘法大師」、(左面)「是ヨリ 八丁」
1
C
信楽町勅旨の道標2
しがらき、
ちょくし
甲賀市
石道標
高123㎝,幅26.5㎝,厚20.3㎝
天明元(1781)
近江の道標p168
(正面)「右 弘法大師」、(右面下部左)「是より 八丁」
C
土山町北土山の道標1
つちやま、
きたつちやま
甲賀市
<東海道>
石道標(尖頭角柱)
高130㎝,28㎝角
天明8(1788)
WEB/近江の道標p177
移設、集約
(正面)「高埜世繼觀音道」、(右面)「たかのよつぎ く王んおんみち」/下記の「土山町北土山の道標2」と隣接
2
C
水口町貴生川の道標
みなくち、
きぶかわ
甲賀市
(三本柳)<杣街道>
石道標
高177.6㎝,26㎝角
文化3(1806)
WEB/近江の道標p104
原位置
(正面)「右 飯道寺」、(左面)「左 山上庚申」
1
B
土山町北土山の道標2
つちやま、
きたつちやま
甲賀市
<東海道>
石道標(駒型)
高120㎝,幅39㎝,厚21㎝
文化4(1807)
WEB/近江の道標p60
移設、集約
(正面)「右、北國 たが街道/ひの 八まんみち」/上記の「土山町北土山の道標1」と隣接
2
C
甲南町杉谷の道標
こうなん、
すぎたに
甲賀市
<杣街道>
石道標(自然石)
高128㎝,幅71㎝,厚39㎝
天保2(1831)
WEB/近江の道標p105
原位置
(正面)「岩尾山」、(左面)「左 いか」
1
-
信楽町宮尻の題目塔道標
しがらき、
みやじり
甲賀市
<伊勢街道>
石道標(自然石)
高62㎝,幅26㎝
天保6(1835)
近江の道標p98
原位置?
(正面右下)「右 志からき」、(同左下)「左 山道」/正面中央に「南無阿弥陀佛」と陰刻
1
-
甲賀町田堵野の廻国塔道標
こうが、
たどの
甲賀市
石道標(自然石)
高70㎝,幅50㎝
天保14(1843)
近江の道標p107
移設?
(正面右端)「右 いせ」、(同左)「左 いちいの」/正面中央に「奉納経四國八十八ヵ所」と陰刻
2
-
水口町牛飼の道標1
みなくち、
うしかい
甲賀市
<東海道・横田川畔>
石道標
高566㎝
(うち、基壇142㎝),幅54㎝,厚44㎝
嘉永4(1851)
市有形民俗文化
WEB/近江の道標p56
大正8に紀伊国屋が移設→昭和58に再移設/石基壇は恐らくオリジナル(大正8の移設の際に銘板がはめ込まれているが、石積は大正期のものではない)
(正面)「山上庚申道」、(同頂部)「日本/真鍮/祖神」、(同左下隅)「是ヨリ 三十丁」/塔身上に“三猿”の丸彫を載せる/真鍮の製法を夢の中で会得し、京に上がり鋳法を広めたとされる藤左ェ門を祀る広徳寺への道しるべ(江戸、大阪、京都の金物屋が発起人となって建立)/現在判明している中で、江戸期の道標としては全国で最も背が高い(2番目が367㎝なので、ずば抜けて大きい)→昭和9に埼玉県入間市に建てられた「北狭山茶場碑入道」(高410㎝)が日本一としてギネスブックに記載されているのは間違い)/下記「水口町牛飼の道標2」の横に聳える
2
水口町牛飼の道標2
みなくち、
うしかい
甲賀市
石道標(尖頭角柱)
高166㎝,幅28㎝,厚26㎝
嘉永4(1851)
近江の道標p173
移設
(正面)「右 山上庚申道」、(右面)「右 志可らき」、(左面)「左 深川 伊賀道」/裏面に「三都金物屋中」とあり、上記の「水口町牛飼の道標1」と同趣旨の道標で、すぐ横に並べて移設
2
C
甲賀町上野の題目塔道標
こうが、
うえの
甲賀市
石道標(尖頭角柱)
高180㎝,
幅29.5㎝,厚29㎝
安政3(1856)
近江の道標p108
移設
(右面)「右 す山 阿ぶらひ/左 わた こたんだ、みち」、(左面)「右 つげ うえの/左 かふと せき、ミち」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻
2
B
廃飯道寺の町石(一町)
はんどう
甲賀市
<飯道寺参道>
町石(笠塔婆型、花崗岩)
高140.7㎝,
幅25.6㎝
室町前期後半中頃
市教委(甲賀市史6p588)
飯道山頂の神社鳥居近く/修復
(正面)「(梵字)一町」
1
B
水口宿の高札場
みなくち
甲賀市
<東海道>
高札場
江戸期
WEB
移動して再現
5
C
三雲の常夜灯
(横田渡の常夜灯)
みくも
(よこた)
湖南市
JR三雲駅・東<東海道・杣街道>/野洲川・左岸
銅板葺の石常夜灯(渡し場)
高4.41m
(うち、基壇1.37m)
安永8(1779)
WEB/近江の常夜燈p20・88
移設/全体に傾いている
(台石最上段正面)「京」/中台から上が木製/石基壇あり
3
A
正福寺の金毘羅常夜灯
しょうふくじ
湖南市
正福寺公民館
石常夜灯(道標兼)
高1.8m
天保7(1836)
近江の道標p101
/岡田常雄
移設
(竿正面)「古ん飛良山」(=金毘羅)、(同最下部)「是ヨリ/一丁」、(竿左面)「右 いつミ 水口道」/竿石が角柱
2
C
三雲の道標
みくも
湖南市
荒川橋・西詰め<東海道>
石道標(尖頭角柱)
高185㎝,幅24㎝,厚23㎝
寛政9(1797)
近江の道標p103
移設?(若干奥まっており、他に2基が集約)
(正面)「万里小路藤房卿古跡」、(右面)「雲照山妙感寺、従是/十四丁」/藤原藤房は妙感寺の前身となる草庵を結んだ鎌倉末期の公家
2
B
岩根の道標
いわね
湖南市
石道標
高80㎝,21㎝角
文化7(1810)
近江の道標p170
(正面)「左 三上 妙見道」
C
朽木宿の鍵の手
くつき
高島市
<鯖街道・朽木宿>
クランク状の道路
江戸期
WEB(田舎暮らしdeほっ!)
良好な雰囲気がある程度残る
宿場の北東の鍵の手(南西にもある)
2
C
河原市一里塚
かわらいち
高島市
新旭町安井川
一里塚(1基)
5m×5m,高1m
江戸期
市史跡
WEB
勝野の常夜灯
(打下常夜灯)
かつの
(うちおろし)
高島市
銅板葺の石常夜灯
明和5(1768)
WEB/近江の常夜燈p58・108
火袋部すべて後補
(竿正面)「山王大權現常夜燈」/竿が角柱→隣接して点灯用の6段の石階段
2
B
安曇川町三尾里の太神宮常夜灯
あどがわ、
みおざと
高島市
石常夜灯
安永7(1778)
WEB/近江の常夜燈p60
移設
(竿正面)「太神宮」、(台石最上段正面)「村/中/安/全」/石基壇あり(低い)
2
B
今津町深清水の太神宮常夜灯
いまづ、
ふかしみず
高島市
日吉神社・前<西近江路>
石常夜灯
天保10(1839)
近江の常夜燈p62
昭和30代に移設
(竿正面)「両皇大神宮」
2
B
保坂の道標
ほうざか
高島市
<鯖街道>
石道標
高153㎝,23㎝角
安永4(1775)
市史跡
WEB/近江の道標p74
近接移設/中央よりやや下部で折損→修復
(正面)「左 志ゅんれいみち」、(右面)「右 京道」、(裏面)「左 王加さ道」(=若狭)
2
C
マキノ町海津の道標
かいづ
高島市
石道標
高75㎝,幅20㎝,厚16㎝
天保5(1834)
WEB/近江の道標p145
(正面)「右 大﨑寺」、(左面)「左、大ウラ/シオツ/キノ本、志ゆん礼」
-
今津町浜分の地蔵道標
いまづ、
はまぶん
高島市
石道標(蒲鉾型)
高98㎝,幅27㎝,厚17㎝
弘化元(1844)
WEB/近江の道標p203
中央下で斜めに折損→修復/信仰の対象
(正面像下)「右、京 十七里/善光寺江 八十五里」/正面頂部を四角(上辺は円弧)に削り込み地蔵坐像を陽刻
2
C
鴨の道標
かも
高島市
石道標
高132㎝,幅23㎝,厚22㎝
弘化2(1845)
近江の道標p204
原位置?
(正面)「右 鴨御堂、是より/六丁」、(左面)「左 鴨御堂」
1
C
安曇川田中の石敢當
あどがわ、
たなか
高島市
石敢當
(道標兼、花崗岩)
高109㎝,18㎝角
天保13(1842)
<安曇川町史跡>
日本の石敢當/現地解説板/近江の道標p147
移設/2ヶ所で水平に折損→修復
(正面)「石敢當」、(右面)「すく 北國街道」、(左面)「すく 京 大津道」/膳所藩代官・安原氏により建立/道標を兼ねた石敢當は非常に珍しい
3
B
今津町深清水の金毘羅常夜灯
いまづ、
ふかしみず
高島市
日吉神社・前
石常夜灯
(河川舟運)
天保2(1831)
近江の常夜燈p62・109
昭和30代に移設
(竿正面)「金毘羅大權現」/荷物を積んだ川舟を貫川から深清水集落に引き上げる際の目印として建立されたと言われる
2
B
鵜川の常夜灯
うかわ
高島市
白髭神社
銅板葺の石常夜灯
(琵琶湖舟運)
高約7m
天保4(1833)
WEB/近江の常夜燈p57・107
平成16復元(国道拡幅)/火袋部すべて後補
(竿)「白鬚大明神」「海上安全心願成就」/竿が角柱
3
A
畑の棚田
はた
高島市
棚田
約700枚
室町時代以降
日本の棚田百選
WEB(好奇心京都)/現地解説板
オーナー制度を導入
平均勾配9.5度の急勾配の棚田
1
B
海津浜の波除石垣
かいづはま
高島市
近江湖
波除石垣
東浜668m,
西浜495m
元禄16(1703)
国重要文化的景観
現地解説板
保存状態良好
元禄14に甲府藩領高島郡の代官として赴任した西与一左衛門が、風波による被害の大きいのを見て、海津東浜の代官と協議して石垣を構築/琵琶湖の幅の最も広い部分に位置するため、季節風による波の影響を強く受け、湖岸に沿って波除の石垣が築かれた
1
針江の生水
はりえ、
しょうず
高島市
安曇川水系の伏流水
湧水
3500t/日
江戸期以前
国重要文化的景観
WEB
現役飲用
鹿児島県南九州市の清水の湧水(6000t/日)には及ばないが、最大級の湧水量/湧水を利用した川端文化を支えている点でも重要
1
A
針江水路とカバタ
はりえ
高島市
針江地区
水路、洗い場
カバタ: 108軒
江戸期以前
国重要文化的景観
WEB
『映像詩 里山~命めぐる水辺』 以後、カバタが復活→観光化
清涼な伏流水が流入する
壺池→端池→水路→針江大川のシステムと、住民の生活が一体となった川端文化の象徴的存在
1
A
朽木宿の水路と川戸
くつき
高島市
<鯖街道・朽木宿>
水路、洗い場
江戸初期
WEB(田舎暮らしdeほっ!)
川戸(かわと)の石敷は現代の修景によるもの
日常の洗い物、夏の打ち水、冬の融雪、火災時の消火などに利用された
2
B
深坂古道
ふかさか
長浜市
深坂峠
道路
10世紀
WEB
古道の雰囲気を残す
長徳2(996)に紫式部が峠を越える際に「知りぬらむ 往来にならす塩津山 世に経る道はからきものぞと」と詠んだ→当時から難所であったことを示す
2
B
新井口橋の石材
しんいのくち
長浜市
宮司町
石桁橋
江戸後期
WEB(宮様の石橋)
移設、集積展示/桁石1本のみ
十一川と薬師堂川の新分岐点に架けられた石橋/宮川陣屋が架橋に関与
4
-
意冨布良神社の壱之橋
おおふら
長浜市
意冨布良神社参道
石桁橋(太鼓型)
(2G)
江戸期?
WEB(宮様の石橋)
保存状態良好
中央に立てた1本の太い角柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、両岸と横桁を支点に弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べる/中央の角石が流れに対し45度回転させて設置→かなり珍しい/急勾配/米原市の「坂田神明宮の神橋」と酷似
1
B
上許曽神社の壱之橋
かみこその
長浜市
上許曽神社参道
石桁橋(太鼓型)
(G)
江戸期?
WEB(宮様の石橋)
保存状態良好
円弧状に成形した石桁(流れ方向に3基)の上に橋面石(9枚)を直接載せた構造/単純な構造だが、ほぼ半円に近い曲面を桁構造で造り上げている点が面白い/高欄はかなり装飾的
1
B
西浅井町塩津浜の太神宮常夜灯
(塩津海道常夜燈)
にしあざい、しおつはま
長浜市
常夜燈公園<塩津街道>
石常夜灯
(琵琶湖舟運)
天保5(1834)
WEB/近江の常夜燈p106
移設/火袋改修
(竿)「太神宮」、(最上段台石正面)「海/道/繁/栄」/石基壇あり/琵琶湖独特の帆船「丸子船」の基地として繁栄した中継地であることを示す指標/下記「西浅井町塩津浜の道標」がすぐ脇に立つ
2
A
香花寺町の道標
こうけいじ
長浜市
伊豆神社・社務所玄関右脇
石道標
高70㎝,幅18㎝,厚16㎝
元禄12(1699)
市有形民俗
市教委/近江の道標p200
移設(もと、速水北交差点)
(正面)「北 是より西、竹生嶋ミち/尾江村に船」/17世紀の道標
2
B
元浜町の道標1
もとはま
長浜市
<志那街道・杉江街道>
石道標
高105㎝,24㎝角
寛延2(1749)
市教委/近江の道標p137
移設(もと、草津市 or 京都市)
(正面)「志那海道/并 杉江濱道」、(左面)「蓮如上人御旧跡/金森御堂、江 八町」
3
C
唐国町の道標
からくに
長浜市
石道標
高127㎝,24㎝角
宝暦3(1753)
市教委(湖北の道標n66)/近江の道標p140
移設
(正面)「右 元三大師近道」、(左面)「左 木之本道」
2
C
元浜町の道標2
もとはま
長浜市
黒壁1号館・角
<北国街道・谷汲道>
石道標(尖頭角柱)
高130㎝,幅20㎝,厚23㎝
寛政8(1796)
市教委/WEB
移設→元の位置に再設置/下端部で折損→修復
(正面)「右 北國み知/左 京 いせ道」、(右面)「左 多に久み道」、(左面)「右 多に久み道」
2
C
元浜町の道標3
もとはま
長浜市
石道標
文化14(1817)
市教委(湖北の道標n2)
(正面)「みき たかミち」
高月町持寺の道標
たかつき、
もちでら
長浜市
石道標(石灰岩)
高82㎝,幅18.5㎝,厚17㎝
天保5(1834)
市教委(湖北の道標n78)/近江の道標p143
頂部を鉄線で補強
(正面)「左 北國 木の
□□
」、(左面)「右 江戸 なこや道」/滋賀県の道標で花崗岩以外は珍しい
2
C
余呉町中之郷の道標
よご、
なかのごう
長浜市
石道標(尖頭角柱)
高79㎝,幅21㎝,厚18㎝
天保6(1835)
市教委(湖北の道標n87)/近江の道標p209
(正面)「伊香巡禮/二十七番、觀世音道」
C
西浅井町塩津浜の道標
にしあざい、しおつはま
長浜市
常夜燈公園
<北国街道・塩津街道>
石道標
高115㎝,21.2㎝角
天保12(1841)
WEB/近江の道標p73
移設
(正面)「左 いせ たにくミ きのもと/すぐ 竹生島 大津 諸浦出航」/上記「西浅井町塩津浜の常夜灯」の脇に立つ
2
C
月ヶ瀬町の道標
つきがせ
長浜市
石道標
天保14(1843)
市教委(湖北の道標n67)
(正面)「左、元三大師/谷汲、道」、(
○
面)「右 木之本ミち」、(
○
面)「すぐ、京 いせ/長浜、道」
高月町唐川の道標
たかつき、
からかわ
長浜市
石道標
天保15(1844)
市教委(湖北の道標n83)
(正面)「從是西 唐川觀音道
十一町
」
宮司町の道標
(番場の「たにくみ道」道標)
みやし
長浜市
<谷汲道・小谷道>
石道標
嘉永元(1848)
WEB(宮様の石橋)
移設、集積展示/中央で折損→修復するも破損大/下部埋設
(正面)「左 た尓く…」、(右面)「右 まい者…」、(左面)「右 な
□
者ま 大路」
3
C
大戌亥町の道標
(石造旧北国街道々標)
おおいぬい
長浜市
<北国街道>
石道標
高165㎝,幅24㎝,厚22㎝
安政5(1858)
市有形民俗
市教委/WEB/近江の道標p70
ほぼ原位置(北国街道の拡幅に伴い20mほど移動)
(正面)「左 北こく道」、(左面)「右 京 いせ道」
1
C
曽根町の道標
(竹生嶋道の道標)
そね
長浜市
<北国街道>
石道標
高317㎝,幅29㎝,厚30㎝
文久2(1862)
市教委/近江の道標p139
2度移設
(正面)「左 竹生嶋道」/高さ3mを超える道標
2
A
湖北町馬渡の道標
こほく、
もうたり
長浜市
石道標
高142㎝,幅22㎝,厚12㎝
江戸期
WEB/近江の道標p199
原位置?
(正面)「右 竹生嶋道」/建立が江戸鳥居講中→「江戸」の標記は江戸期?
1
C
野村町の道標
のむら
長浜市
<北国脇往還・野村宿本陣前>
石道標
高88.5㎝,幅24.6㎝,厚21.5㎝
江戸期
市史跡
市教委/WEB/近江の道標p143
原位置?
(正面)「右 北國道」、(右面)「左 江戸 谷汲」/「江戸」の標記は江戸期
1
C
高田町の道標
たかだ
長浜市
市役所・前庭<北国街道>
石道標(尖頭角柱)
高148㎝,幅21㎝,厚19㎝
江戸期
WEB/近江の道標p199
移設
(正面)「左 北古く道」(=北国)、(左面)「右 京 いせミち」/「ミち」の標記は江戸期
2
C
八島町の道標
やしま
長浜市
<北国脇往還>
石道標
高125㎝,
幅23.5㎝,厚23㎝
江戸期
市史跡
市教委/WEB/近江の道標p141
移設?
(正面)「右 越前道」、(右面)「左 江戸道」/「江戸」の標記は江戸期
2
C
木之本町の道標
きのもと
長浜市
意冨布良神社
石道標
江戸期
WEB
移設
(正面)「ひだり 江戸 なごや道」、(右面)「みぎ 京 いせミち」/「江戸」「ミち」の標記は江戸期/複製が木之本宿に立つ
2
C
八幡東町の道標
やわたひがし
長浜市
<谷汲道>
石道標
江戸期?
市教委
原位置/中央で折損→上半分は後補
(正面)「右 たにくみ」
3
C
朝日町の馬つなぎ石
あさひ
長浜市
船問屋・玄関先
馬繋石
高35㎝,幅32㎝,厚26㎝
江戸期
WEB
原位置
1
C
朝日町の金毘羅常夜灯
(鞴橋常夜灯)
あさひ
長浜市
米川の鞴橋・橋詰
石常夜灯
(琵琶湖舟運)
高約3m
文化12(1815)
市教委/WEB/近江の常夜燈p92・105
原位置
(竿正面)「金毘羅大權現/常夜燈」/竿はやや末広がりの角柱タイプで、4面を火灯窓風に浅く削り込み刻字/立派な春日屋根の笠石/石基盤あり/米川の河口=長浜湊
1
B
朝日町の長浜領境界石
あさひ
長浜市
境界石
高84㎝,幅18㎝
慶安4(1651)
市教委
原位置/現存は10余本、原位置は数本
(正面)「從是北西 長濱領」/豊臣秀吉が年貢免除の特権を与えた朱印地の境界を示すため30数本の境界石を建てた
1
C
南呉服町の長浜領境界石
みなみごふく
長浜市
西本願寺・長浜別院
境界石
高87㎝,幅18㎝
慶安4(1651)
市教委
原位置/現存は10余本、原位置は数本
(正面)「從是東 長濱領」/豊臣秀吉が年貢免除の特権を与えた朱印地の境界を示すため30数本の境界石を建てた
1
C
元浜町の長浜領境界石
もとはま
長浜市
三ツ矢大神宮
境界石
高94㎝,幅18㎝
慶安4(1651)
市教委
原位置/現存は10余本、原位置は数本
(正面)「從是南 長濱領」/豊臣秀吉が年貢免除の特権を与えた朱印地の境界を示すため30数本の境界石を建てた
1
C
公園町の長浜領境界石
こうえん
長浜市
長浜城歴史博物館
境界石
慶安4(1651)
WEB
移設/現存は10余本、原位置は数本
(正面)「從是東 長濱領」/豊臣秀吉が年貢免除の特権を与えた朱印地の境界を示すため30数本の境界石を建てた
2
C
神照寺の地割
じんしょう
長浜市
地割
寛平7(895)
市教委
参道を含めすべて南北軸
周辺がすべて条里軸線で区画割りされているが、創建が条里施行以前の神照寺は南北軸に沿って造られている
1
C
南郷町の条里立石
なんごう
長浜市
条里石(自然石)
高147㎝,
幅56.5㎝
白鳳時代
市史跡
市教委/現地解説板/WEB
移設
九条と十条の境と、二条と三条の境の交差点に立てられた点(しるべ)石/条理の堺を示す点石の現存例は稀(兵庫県太子町に残る一群の牓示石は荘園の範囲を示すもので条里石とは異なる。福井県若狭町の条里起点石や岡山県赤磐市の縄目石や睨み石は条里制の測量基点で境界の点石ではない)
2
A
常喜の立石
じょうぎ、
たていし
長浜市
(本庄)常喜交番近く
条里石(自然石)?
高約30㎝,幅108
㎝,厚約40㎝
白鳳時代?
WEB(日本の測量史)
原位置
坂田郡条里制の九条と十条の境に一致するので条里石との伝承/本庄と常喜集落の大字界の境界石との説もある(この場合、江戸期か?)
1
B
元・
井口東虎口碑
いのくちひがし、こぐち
長浜市
宮司町
石碑(尖頭角柱)
江戸後期
WEB(宮様の石橋)
移設、集積展示
十一川と薬師堂川の新分岐点ができた後に、旧分岐点に建てられた碑/類似の碑は全国でも例がない
2
C
西野水道
にしの
長浜市
<余呉川>
排水(トンネル)
(素掘)
長249m,幅1.5m,高1.6-3m
弘化2(1845)
県史跡
高月町教育委員会/岩屋隆夫
/郷土に歴史的土木事業を訪ねるp111-114
排水機能を上げるため、昭和25と昭和55に新トンネルが掘られ、現在は後者が現役、前者が遊歩道となり、江戸期のトンネルは閉鎖
緩勾配で氾濫しやすい余呉川に苦しめられていた西野地区を救うため、西野充満寺の住職・恵荘師が発起し、姻戚の青木津右ェ門が彦根藩との折衝役を務め、西野の農民が石工の賃金等のほとんどを負担する形で6年がかりの難工事を完成させたもの
3
A
八日市金屋の金毘羅常夜灯
ようかいち、かなや
東近江市
野々宮神社
石常夜灯
寛政6(1794)
近江の常夜燈p75
(竿正面)「愛宕山常夜燈」「月参講中」、(中台正面)「○金」、(台石最上段正面)「村/中/安/全」/石基壇なし
B
川合町の金毘羅常夜灯
かわい
東近江市
(東出)<御代参街道>
石常夜灯
寛政12(1800)
WEB/近江の常夜燈p80
原位置?/火袋後補
(竿)「金毘羅」「村内安全」/石基壇あり
2
C
五個荘中町の太神宮常夜灯
ごかしょう、なか
東近江市
愛知川・左岸堤防上<中山道・愛知川渡し場>
石常夜灯(渡し場)
高4.5m
文政8(1825)
WEB(的形道標クラブ)/近江の常夜燈p40・72
原位置?
(竿正面)「太神宮」/愛知川の渡し場の常夜灯で、対岸の愛荘町の「愛知川の常夜灯1」と対をなし、共に「にらみ燈籠」と呼ばれていた/春日屋根の正面に唐破風を付けた装飾的な笠/石基壇あり
1
A
栄町の常夜灯
(清水常夜灯)
さかえ
東近江市
<御代参街道>
桧皮葺の石常夜灯(道標兼)
文政9(1826)
WEB/近江の常夜燈p74/近江の道標p117
原位置/木製部は後補
(竿正面)「左 いせ、 飛乃/み奈口、道」(=日野、水口)、(竿右面)「右 京、むさ /八まん道」(=武佐)、(竿左面)「右 多賀、 ゑち川/ひこね、道」(=愛知川)/竿石上に木製の春日型の屋根(桧皮葺)と火袋が載る
1
B
宮荘町の常夜灯
みやしょう
東近江市
北小学校・跡地<中山道>
石常夜灯
天保年間(1830-44)
WEB
原位置?/火袋一部改修
石基壇あり(石組が見事)
1
A
宮荘町の太神宮常夜灯
みやしょう
東近江市
五個神社のお旅所・交番横<中山道>
石常夜灯(道標兼)
天保2(1831)
WEB/近江の常夜燈p39/近江の道標p125
移設(もと、大同橋付近)/火袋一部改修
(竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「右/中/仙/道」→正徳6
(1716)に「中山道」に名称統一されて100年以上経った時点での「中仙道」標記/石基壇あり
2
B
五個荘小幡町の太神宮常夜灯
ごかしょう、おばた
東近江市
中仙道ぽけっとぱーく
<中山道・御代参街道>
石常夜灯
天保2(1831)
WEB/近江の常夜燈p39・72
移設/明治5再建
(竿正面)「太神宮」、(竿左面)「村内安全」/竿が角柱
3
B
御園町の常夜灯
みその
東近江市
<御代参街道>
石常夜灯
天保6(1835)
WEB
原位置?
石基壇の上に5段の台石を載せた大型の常夜灯
1
A
五個荘石塚町の金毘羅常夜灯
ごかしょう、いしづか
東近江市
<中山道>
石常夜灯
天保8(1837)
WEB/近江の常夜燈p37
原位置
(竿正面)「金毘羅大權現」/竿が角柱
1
C
五個荘新堂町の太神宮常夜灯
ごかしょう、
しんどう
東近江市
<中山道・御代参街道>
石常夜灯(道標兼)
天保15(1844)
WEB(的形道標クラブ)/近江の常夜燈p38・73/近江の道標p126
原位置
(竿正面)「太神宮」、(最上段台石正面)「左/いせ/ひの/八日市」、
(最上段台石右面)「右/京/道」/猫脚/宝珠が蓮の花型/猫脚/石基壇あり
1
B
川合町の常夜灯
かわい
東近江市
(本郷バス停・前)
<御代参街道>
銅板葺の石常夜灯(道標兼)
嘉永元(1848)
WEB/近江の常夜燈p79/近江の道標p118
原位置?/木製部は後補
(竿右面)「すく いせ ひの道」、(竿左面)「右 た加 八日市/すく むさ 八まん、道」、(竿裏面下部)「村中安全」/竿石上に木製の春日型の屋根(銅板葺)と火袋が載る
1
B
小脇町の常夜灯
おわき
東近江市
老人憩の家<八風街道>
石常夜灯
高3m弱
安政2(1855)
WEB
移設/火袋一部改修
2
B
妙法寺町の太神宮常夜灯
みょうほうじ
東近江市
<八風街道>
石常夜灯
安政4(1857)
WEB/近江の常夜燈p86
原位置?
(竿正面)「太神宮」/(台石最上段正面)「往/来/安/全」、(同右面)「村/内/安/全」/石基壇あり(石組が見事)
1
B
今崎町の太神宮常夜灯
いまさき
東近江市
蛇砂川(右岸)
石常夜灯(道標兼)
安政5(1858)
近江の常夜燈p78
原位置?
(竿正面)「伊勢両宮」、(台石最上段正面)「従/是/い/せ/山/田/廿/五/里」
1
C
妙法寺町の秋葉山常夜灯
みょうほうじ
東近江市
集会場・前<八風街道>
石常夜灯(自然石)
安政6(1859)
WEB/近江の常夜燈p86
火袋一部改修
(竿正面)「秋葉山」
C
東市辺町の天王講常夜灯群
ひがしいちのべ
東近江市
石常夜灯
江戸期
WEB
原位置
村の出入口となる四隅に津嶋神社の祠があり その脇に常夜灯が建立された(宮街道常夜灯、辻出常夜灯、東出常夜灯、北組常夜灯)/常夜灯の脇には番人小屋(東出・北組に物置として現存)が建てられ、不審者の村への出入りを監視していた/現在も天王講(津嶋神社講)の人々により 毎日行灯を回して常夜灯に点灯、村内安全を祈っている
1
A
五個荘小幡町の道標
ごかしょう、おばた
東近江市
(小幡)
<中山道・御代参街道>
石道標
高133㎝,幅28㎝,厚27㎝
享保3(1718)
WEB(的形道標クラブ)/近江の道標p65
原位置
(正面)「右 京みち」、(左面)「左 いせ、ひの/八日市、みち」/彫りが深い
1
C
五個荘新堂町の道標
ごかしょう、
しんどう
東近江市
石道標
高112㎝,幅24.4㎝,厚23.3㎝
宝暦9(1759)
近江の道標p126
原位置?
(正面)「左、むさ/八まん、道」、(右面)「右、ゑち川/たか、道」
1
C
五個荘川並町の道標1
ごかしょう、かわなみ
東近江市
石道標
高101㎝,18㎝角
文政3(1820)
近江の道標p191
原位置?
(正面)「(梵字)從/是、觀音寺 十三丁」
1
C
五個荘川並町の道標2
ごかしょう、かわなみ
東近江市
石道標
文政6(1823)
近江の道標p127
(正面)「右 たにぐみ」、(右面)「左 くわんおん寺」
C
蛇溝町の道標
へびみぞ
東近江市
(今堀)<御代参街道>
石道標(常夜灯兼)
高280㎝
弘化2(1845)
WEB/近江の常夜燈p79
原位置?
(正面)「右 た加 八日市/左 むさ 八まん、道」、(右面)「往来安全」、
(左面)「蛇溝邑安全」/標柱頂部が火袋になり、その上に入田屋形の笠石を載せる
1
A
伊庭町の常夜灯
いば
東近江市
大同川<伊庭の湊>
銅板葺の石常夜灯(琵琶湖舟運)
安政4(1857)
近江の常夜燈p104
原位置?
(竿左面)「湖/水/安/穏」、(台石最上段正面)「安/政/山」
1
B
五個荘金堂町の水路
ごかしょう、こんどう
東近江市
生活用水路
江戸期
国重伝建
WEB
修景整備/錦鯉を放流
近江商人の本宅群の間を流れる水路/屋敷内に水を引き込み「かわと」(水場)を設けたり、路地沿いに「あらいと」(洗い場)など設け、生活用水として利用されていた
1
A
五個荘清水ヶ鼻の水
ごかしょう、
しみずはな
東近江市
<中山道・清水鼻立場>
湧水
江戸期
名水百選/湖東三名水
WEB
現役飲用
中山道の著名な水呑み場
1
C
犬上川の無賃橋の碑1
いぬかみ
彦根市
高宮橋・北詰<中山道>/犬上川
石碑
天保3(1832)
WEB(的形道標クラブ)
原位置
(正面)「むちんはし」、(右面)「無賃橋」、(裏面)「むちんはし」/彦根藩は増水時の川止めを解消するため、藤野四郎兵衛らに命じて橋を架けさせた→当時川渡しや橋が有料であったのに対し、渡り賃をとらなかったため無賃橋と呼ばれるようになった
1
A
犬上川の無賃橋の碑2
いぬかみ
彦根市
高宮橋・南詰<中山道>/犬上川
石碑
天保3(1832)
WEB(的形道標クラブ)
原位置
(正面)「無賃橋」、(右面)「むちんはし」、(左面)「むちんはし」/彦根藩は増水時の川止めを解消するため、藤野四郎兵衛らに命じて橋を架けさせた→当時川渡しや橋が有料であったのに対し、渡り賃をとらなかったため無賃橋と呼ばれるようになった
1
A
大堀町の常夜灯
おおぼり
彦根市
<中山道・大堀道>
石常夜灯
享和2(1802)
WEB/近江の常夜燈p42
原位置
石基壇なし/中山道から多賀大社への分岐点に建つ
1
C
芹橋の常夜灯
せりばし
彦根市
明王堂・前
石常夜灯
弘化3(1846)
近江の常夜燈p68
原位置?
(竿)「町内安全」/全体が角柱で頂部に火袋用に四角の開口部
1
-
高宮町の常夜灯
たかみや
彦根市
<中山道>
石常夜灯
慶応3(1867)
WEB/近江の常夜燈p42
原位置?
竿が角柱
1
B
清崎町の道標
きよさき
彦根市
<朝鮮人街道>
石道標(花崗岩)
高208㎝,33.5㎝角
寛政10(1798)
WEB/近江の道標p196
原位置?
(正面)「従是 荒神道 八町」、(右面下部)「奥山寺」
1
B
鳥居本町の道標
とりいもと
彦根市
<中山道・彦根道>
石道標(花崗岩)
高124.5㎝,25.5㎝角
文政10(1827)
市建造物
WEB(的形道標クラブ)/近江の道標p68
原位置/事故で基部破損→修復
(正面)「左 中山道、京/いせ」、(右面)「右 彦根道」/『鳥居本宿絵図』(1831)にも記載
1
C
原町の道標1
はら
彦根市
<中山道>
石道標
高145㎝,幅27㎝,厚25㎝
天保15(1844)
WEB(的形道標クラブ)/近江の道標p197
移設
(正面)「五百らかん」、(同頂部)「天/寧/山」、(同最下部)「江/七丁餘」、(右面)「す・ぐ、ひこ祢」(=彦根)
2
C
正法寺町の道標
しょうぼうじ
彦根市
<中山道>
石道標
慶応2(1866)
WEB(的形道標クラブ)
原位置?/下部埋設
(正面)「金毘羅大權現 是、ヨ・リ、十…」(=金毘羅宮慈眼寺)
2
C
原町の道標2
はら
彦根市
<中山道>
石道標
慶応2(1866)
WEB(的形道標クラブ)
移設・仮置き
(正面)「金毘羅大權現 是、ヨ・リ、十一丁」(=金毘羅宮慈眼寺)
3
C
十王村の水
じゅうおう
彦根市
西今町
湧水
元禄年間(1688-1704)以前
名水百選/湖東三名水
WEB
保存状態良好
元禄年間に「湖東三名水の一つ」として知られていた/地蔵堂が付設
1
C
坂田神明宮の神橋
さかたしんめいぐう、しん
米原市
坂田神明宮参道
石桁橋(太鼓型)
(2G)
享保18(1733)?
WEB(宮様の石橋)/WEB
保存状態良好
中央に立てた1本の太い角柱(流れ方向に3本)の上に横桁を置き、両岸と横桁を支点に弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べる/中央の角石が流れに対し45度回転させて設置→かなり珍しい/急勾配/橋の架設年は神明宮の造営年と同一と推定/長浜市の「冨布良神社の壱之橋」と酷似
1
B
柏原一里塚
かしわばら
米原市
<中山道>
一里塚(1基)
江戸期
WEB
再現(場所も異なる)
4
-
柏原の秋葉山常夜灯
かしわばら
米原市
<中山道・柏原宿>
石常夜灯
高2.7m
安永6(1777)
市教委/WEB/近江の常夜燈p46
原位置?
(竿正面)「秋葉山」/石基壇あり/元・高札場の付近/『中山道江州柏原絵図』(1831)にも描かれている
2
B
柏原の金毘羅常夜灯
かしわばら
米原市
<中山道・柏原宿>
石常夜灯
高3.0m
文化12(1815)
市教委/WEB/近江の常夜燈p45
火袋更新
(竿正面)「金毘羅山」/石基壇なし/すぐ横に大型の石雁木→街道常夜灯だけでなく、船付き場の常夜灯の役割も兼ねていた
2
B
春照の秋葉山常夜灯
すいじょう
米原市
五又路
<北国脇往還・春照宿>
石常夜灯
文政11(1828)
WEB
原位置
1
B
梓河内の太神宮常夜灯
あんさかわち
米原市
<中山道>
石常夜灯
天保2(1831)
WEB/近江の常夜燈p45
原位置
(竿正面)「太神宮」/石基壇あり(敷地が大きい)/敷地を寄付した人の名前まで刻字されているのは稀
1
B
上野の金毘羅常夜灯
うえの
米原市
伊吹山登山口
石常夜灯
江戸期
WEB
移設
(竿正面)「金毘羅」、(台石正面)「大/權/現」/「金毘羅」の標記は江戸期
2
C
柏原の道標1
(薬師道道標)
かしわばら
米原市
<中山道・柏原宿>
石道標
高134㎝,幅24㎝,厚26㎝
享保2(1717)
市教委/WEB/近江の道標p136
移設?
(正面)「從是 明星山藥師道」、(右面)「屋具志へのみち」(=薬師)、(左面)「やくし江乃道」
2
C
柏原の道標2
(薬師道道標)
かしわばら
米原市
<中山道・柏原宿>
石道標
享保2(1717)
WEB
下部埋設
(正面)「従是 明星山藥師…」、(右面)「やくしへのみ…」、(左面)「屋具志江乃…」
2
C
飯の道標
い
米原市
石道標
享保18(1733)
市教委(湖北の道標n41)
(正面)「坂田神明道」
宇賀野の道標
うかの
米原市
石道標
享保18(1733)
市教委(湖北の道標n41)
(正面)「坂田神明道」
野一色の道標
のいしき
米原市
野一色会館
石道標(尖頭角柱)
高104㎝,幅21㎝,厚18㎝
天保2(1831)
WEB/近江の道標p134
移設
(正面)「右、た尓ぐみ/ぜん古うじ、道」、(右面)「左 長濱 京ミち」、(左面)「左 伊吹山みち」
2
C
米原の道標
(北陸道中山道分岐点道標)
まいばら
米原市
<中山道・北国街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩)
高140㎝,30㎝角
弘化3(1846)
市有形民俗
市教委/WEB/近江の道標p69
原位置
(正面)「右 中山道、者んハ/さめかゐ」(=番場、醒ヶ井)、(左面)「左 北陸道、奈可者満/きの毛登」(=長浜、木之本)/中山道から北国街道が分かれる地点に建てられた道標
1
B
小田の道標
やないだ
米原市
八幡神社<北国脇往還>
石道標(自然石)
高74㎝,幅37㎝
江戸期
WEB/近江の道標p198
移設
(正面)「右 江戸道/左 山中道」/「江戸」の標記は江戸期
1
-
地蔵川
じぞう
米原市
<中山道・醒井宿>
雁木、石橋
江戸期
修景整備
醒井宿の中を中山道に沿って流れる清流→石護岸、石雁木、石橋などが随所に見られる
2
A
通称「峠」の猪垣
とうげ
米原市
伊吹山麓
猪垣(石塁)
長約900m,高最大2.5m,幅1.0m
(現存部)
文政7(1824)以後
市教委/現地解説板
保存状態良好
視認できる形で連続して現存する国内最大規模の猪垣/小泉の藤田家に、文政7(1824)浜松藩役所に全長約2㎞の猪垣構築を願い出た文書が伝わる→天保5(1834)に大雪のため崩壊した部分の修復を願い出ている
2
A
居醒の清水
いさめ
米原市
加茂神社<中山道>
湧水
古代?
名水百選/湖東三名水
現地解説板
保存状態良好
地蔵川の源流/ヤマトタケル伝説がある
1
B
十王水
じゅうおう
米原市
<中山道>
湧水
平安中期?
現地解説板/近江の常夜燈p44
保存状態良好
天台宗の高僧・浄蔵法師が水源を開いたとの伝承/浄蔵水と呼ばれるべきところ、近くに十王堂があったため十王水と呼ばれるようになった/建立年不明の常夜灯(竿正面に「十王」、背面に「浄句蔵結縁水」)が流れの中に建つ
1
B
西行水
さいぎょう
米原市
<中山道>
湧水
鎌倉以前
現地解説板
修景整備/飲用
西行法師(1118-90)がこの泉で休憩したとの伝承/泉を囲む岩の上に仁安3(1168)建立の五輪塔がある
2
C
今宿一里塚
いまじゅく
守山市
<中山道・守山宿>
一里塚(1基)
江戸期
県史跡
現地解説板/市教委
土塚部を復元風に整備/南塚の榎は2代目
2
C
今宿の大神宮常夜灯
いまじゅく
守山市
(1丁目)樹下神社
<中山道>
石常夜灯(花崗岩)
高4.14m
(明治期の修築時の高さ)
天保2(1831)
市有形
市教委
明治2移設(もと、吉川川の橋詰)/移設後3回修理
(竿正面)「太神宮」、(竿右面)「金毘羅大權現」、(竿裏面)「瑜伽大權現」(=岡山の由加山)/石基壇上に3段の台石(もとは、最上段の台石のみ)/猫脚の付いた角柱竿石/立派な春日造の屋根/街道文化を伝える資料として文化財指定された/右欄の評価「B」は、現在の高さではなく、江戸期の高さに対するもの
2
B
三宅町の太神宮常夜灯
みやけ
守山市
<志那街道>
石常夜灯
安政3(1856)
近江の常夜燈p25
原位置?
(竿正面)「太神宮」、(台石最上段正面)「村/中/安/全」
1
C
守山の道標1
もりやま
守山市
(2丁目)<中山道・守山宿の高札場>
石道標(尖頭角柱)
高155㎝,30㎝角
延享元(1744)
市有形
WEB(的形道標クラブ)/市教委
原位置
(正面)「左、錦織寺 四十五町/こ乃者満ミち」(=木浜港)、(右面)「右 中山道 并 美濃路」、(左面)「江州 大津 西念寺/京 大坂 江戸 大津」/正面は、「左」の字の下の部分を枠だけ残して削り込んで道しるべを刻字
1
B
大門町の題目塔道標
だいもん
守山市
自治会館・前
石道標
高54㎝,11㎝角
江戸期
WEB/近江の道標p179
移設(基部新規補強)
(右面)「右 あなむら道/十八丁」、(左面)「左 やばせミち/二り」/正面に「南無阿弥陀佛」と陰刻/「ミち」の標記は江戸期
2
-
守山の道標2
もりやま
守山市
(1丁目)<中山道>
石道標
江戸期?
WEB(宮様の石橋)
移設/下端部でやや斜めに折損→修復/左面・裏面が見えない
(正面)「髙野郷新善光寺道」、(同下端)「是ヨリ/二十五丁」、(右面)「すぐ いしべ道」/「髙野郷」の呼称は江戸期
3
C
焔魔堂町の淀藩境界石
えんまどう
守山市
諏訪神社
境界石(尖頭角柱、花崗岩)
高125㎝,幅21.5㎝,厚21㎝
江戸期
WEB(筑前国境石散歩)/市教委
移設
(正面・右面・左面)「従是南 淀領」/山城国淀藩の飛び地領であった事を示す境界石
2
C
二町町の淀藩境界石
ふたまち
守山市
教願寺
境界石(尖頭角柱、花崗岩)
高129㎝,幅21㎝,厚20.5㎝
江戸期
WEB(筑前国境石散歩)/市教委
移設
(正面・右面・左面)「従是北 淀領」/山城国淀藩の飛び地領であった事を示す境界石
2
C
今宿の宮津藩境界石
いまじゅく
守山市
民家
境界石(尖頭角柱、花崗岩)
高127㎝,21㎝角
江戸期
WEB(筑前国境石散歩)
移設
(正面・右面・左面)「従是北 宮津領」/上記の「焔魔堂町の淀藩境界石」と向き合って中山道上今宿村の南外れに建立(推測)
3
C
今宿の濱松藩境界石
いまじゅく
守山市
民家
境界石(尖頭角柱、花崗岩)
高118㎝,21㎝角
江戸期
WEB(筑前国境石散歩)
移設
(正面・右面・左面)「従是北 濱松領」/水野忠邦時代の濱松藩の飛び地領であった事を示す境界石/野洲郡金森村と大門村との境の志那街道上に建立(推測)
3
C
岡町の馬繋ぎ石
(?)
おか
守山市
田中神社
馬繋石?
高約1m
江戸期?
市教委
馬繋ぎ石であったという伝承がある
C
播磨田湯
はりまだ
守山市
野洲川
用水路
享保4(1719)?
WEB/市教委
水路は自然のまま(修景か?)
庄屋・田中幸右衛門は、野洲川から灌漑用水を得ようと考え、地面に耳を当てて100日後にようやく水脈を見つけ、樋と長300mの籠樋と延長数㎞の水路を開削した
1
C
三津川
みつ
守山市
東門院・西
用水路
長約400m
江戸期
WEB/市教委
3本の流れを復元して親水公園として整備
水田に引く水をめぐる村同士の争いを防ぐため、分水石を置いて川の流れを3つに分けた
2
C
田用水の樋門
守山市
天満宮の北側広場
石樋門
(1門)
文政12(1829)
現地解説板/市教委
移設・復元
文政12の文書に、これまで50年毎に取り替えてきた木樋をやめて石樋にした旨が記されている
3
C
出湯の樋
でゆ
守山市
野津川
石樋門(花崗岩)、用水路
江戸期?
市教委
樋門と水路の一部が残る/放置
小規模の石樋(石の積み方からは近世の可能性もあるが、上記「田用水の樋門」とは形態が全く異なる
4
-
守山宿の井戸
・跡
守山市
<中山道・守山宿>
石井戸
90㎝角
天保4(1833)以前
現地解説板
平成21に移設保存/2枚の石板で蓋をされている
宿場の防火・生活用水の井戸/天保4の宿場絵図に記載
3
C
野洲の常夜灯
やす
野洲市
十輪院<中山道・
野洲川(右岸)堤防上>
石常夜灯
天明5(1785)
近江の常夜燈p27
移設/火袋後補
野洲川の徒歩渡りの安全を守るため、対岸の「野洲の金毘羅常夜灯」と相対するように建立されたと推定される
2
C
小堤の金毘羅常夜灯
こづつみ
野洲市
家棟川堤防上<中山道?>
石常夜灯
寛政6(1794)
近江の常夜燈p29
移設
(竿正面)「金毘羅大權現」/石基壇なし
2
C
野洲の金毘羅常夜灯
やす
野洲市
新川神社・鳥居脇<中山道・野洲川(左岸)堤防上>
石常夜灯
寛政11(1799)
近江の常夜燈p27
移設/火袋木製→後補
(竿正面)「金毘羅大權現」/野洲川の徒歩渡りの安全を守るため、対岸の「野洲の羅常夜灯」と相対するように建立されたと推定される
3
B
大篠原の太神宮常夜灯1
おおしのはら
野洲市
<中山道>
石常夜灯
文政元(1818)
WEB
原位置?
(竿正面)「太神宮」/石基壇なし
1
C
長島の金毘羅常夜灯
ながしま
野洲市
長島集落
銅板葺の石常夜灯
文政11(1828)
WEB/近江の常夜燈p64
原位置?/火袋更新(サイズがアンバランス)
(竿正面)「金毘羅大権現」/角柱の竿石上に木製の切妻屋根(銅板葺)と火袋が載る
3
C
大篠原の太神宮常夜灯2
おおしのはら
野洲市
<中山道>
石常夜灯
天保2(1831)
WEB/近江の常夜燈p30
民家敷地内
(竿正面)「太神宮」/石基壇なし
3
B
長島の太神宮常夜灯
ながしま
野洲市
西蓮寺・前
石常夜灯
天保8(1837)
WEB/近江の常夜燈p65
原位置?
(竿正面)「太神宮」
1
C
虫生の太神宮常夜灯
むしゅう
野洲市
虫生神社・前
石常夜灯
元治元(1864)
WEB
原位置?
(竿正面)「両宮 太神宮」
1
B
行畑の道標1
ゆきはた
野洲市
蓮照寺
<中山道・朝鮮人街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩)
高113㎝,30㎝角
享保4(1719)
市有形民俗
市教委/WEB/近江の道標p208
移設
(正面)「右 中山道、た…/北…」、(右面)「右 中山道」、(左面)「左 八まんみ
□
」/下記「行畑の道標2」「行畑の傍示石」と並ぶ
2
C
大篠原の道標
おおしのはら
野洲市
<中山道>
石道標
高88㎝,幅23㎝,厚20㎝
文化3(1806)
WEB
工事中土中から発見→再設置(下部埋設)
(正面)「錦織寺江 三十…」
3
C
小篠原の道標
こしのはら
野洲市
市役所・前
石道標(尖頭角柱)
高143㎝,幅24㎝,厚23.5㎝
万延元(1860)
近江の道標p109
移設
(正面)「三上妙見、従是/十三丁」
2
C
行畑の道標2
ゆきはた
野洲市
(1丁目)蓮照寺
<中山道・朝鮮人街道>
石道標(尖頭角柱、花崗岩)
高87㎝,幅24.5㎝,厚23.5㎝
江戸期
市有形民俗
市教委
移設/基部折損→修復
(正面)「自是 錦織寺迄 四十
□
」
2
C
行畑の淀藩境界石
ゆきはた
野洲市
(1丁目)蓮照寺
境界石(尖頭角柱、花崗岩)
高93㎝,幅20㎝,厚19㎝
江戸期(19世紀初頭?)
市歴史資料
市教委
移設(もと、蓮照寺・門前/基部折損→修復
(正面・右面・左面)「従是北 淀領」/山城淀藩の私領を示す
2
C
西池
にし
野洲市
大篠原
溜池(皿池)
長420m
平安末期?
WEB(的形道標クラブ)/WEB
C護岸
雄略天皇の御代(413頃)近江国に48基の池を掘らせた時の一つという伝承(推古24(616)頃とされる日本最古の狭山池より200年も古い→真偽不明)/『源平盛衰記』の元暦2(1185)に「篠原堤」、『東関紀行』の仁治3
(1242)に「篠原といふ所を見れば,西東へ遥かに長き堤あり」との記載
3
B
雷井戸
かみなり
野洲市
矢島
石井戸
文明2(1470)以前
WEB
四周を石柵で囲む
一休和尚が矢島・少林寺を開いた頃、この井戸に雷が落ちたのを見て雷を封じ込め、それ以来矢島には雷が落ちなくなったとの伝承がある井戸
1
C
林の題目塔道標
はやし
栗東市
石道標
享保4(1719)
市教委
移設
(右面)「高野新善光寺本尊 信濃善光寺分身如来」、(左面)「たうじほんぞん しなのぜんくわうじ にょらい一たいぶんしん」/『五海道其外分間延絵図並見取絵図』に「石道印」として描かれたものに比定
2
六地蔵の道標
ろくじぞう
栗東市
石道標
文化元(1804)以前
市教委
(正面)「新善光寺道 是より一丁余り」/大田蜀山人の『紀元紀行』
(1804)に記載
林の膳所藩境界石
はやし
栗東市
薬師如来堂<東海道>
境界石(尖頭角柱、花崗岩)
高107㎝,21.5㎝角
江戸期
市教委/WEB(国境石散歩)
移設
(正面・右面・左面)「従是東 膳所領」
2
C
西明寺町石(五十二丁)
さいみょう
(犬上)甲良町
町石<五輪塔>
高165㎝
元応2(1320)
WEB/近江の道標p209
移設/角柱状の塔身だけがオリジナル、台石は南北朝時代
(正面)「(梵字)自 西明寺 五十二町」
3
B
多賀大社の太閤橋
たが、
たいこう
(犬上)多賀町
多賀大社参道
石桁橋(太鼓型)
(4G)
寛永15(1638)
WEB(宮様の石橋)/WEB
保存状態良好
構造的には、等間隔に立てた3本の太い角柱と、その角柱にほぞ穴を開けて架け渡した2本の梁が主構造、3本の角柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の反石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/高欄の束石が若干装飾的
1
B
水沼池
みぬま
(犬上)多賀町
溜池
天平勝宝3(751)以前
町教委(多賀町史・上p210-228)
小規模な修復
正倉院所蔵の「東大寺荘園絵図」(天平勝宝3)に記載のある水沼荘の区画外の池と比定(それ以前は大門池と呼ばれていた)/自然の地形を利用し土木工事をできるだけ減らす工夫が見られる
2
B
(犬上)豊郷町
愛知川の常夜灯1
えちがわ
(愛知)愛荘町
祇園神社<中山道・愛知川・右岸>
石常夜灯(渡し場)
高4.35m
弘化3(1846)
WEB(的形道標クラブ)/近江の常夜燈p40
原位置?/火袋を鉄棒で補強
愛知川の渡し場の常夜灯で、対岸の東近江市の「五個荘中町の太神宮常夜灯」と対をなし、共に「にらみ燈籠」と呼ばれていた/石基壇あり
1
A
愛知川の常夜灯2
えちがわ
(愛知)愛荘町
八幡神社・前<中山道・愛知川宿>
石常夜灯
安政5(1858)
近江の常夜燈p41
原位置?
(竿正面)「八幡宮」「油搾職人中」/春日屋根/竿石が角柱/元・高札場
1
B
馬見岡綿向神社の太鼓橋
うまみおかわたむき
(蒲生)日野町
馬見岡綿向神社参道
石桁橋(太鼓型)
長5.5m(4G)
延宝9(1681)
町教委
保存状態良好
構造的には、等間隔に立てた3本の太い角柱と、その角柱にほぞ穴を開けて架け渡した2本の梁が主構造、3本の角柱は橋軸直角方向に3組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として4本の反石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている/高欄の束石が若干装飾的
1
B
八阪神社の太鼓橋
やさか
(蒲生)日野町
八阪神社参道
石桁橋(太鼓型)
(2G)
明和5(1768)
町教委
保存状態良好
構造的には、中央と両岸に立てた3本の太い角柱と、その角柱にほぞ穴を開けて架け渡した上下2段計4本の梁が主構造、3本の角柱は橋軸直角方向に2組あり、その頂部に3本の横梁を置いたのが上部構造、最後に、両岸と3ヶ所の横梁を支点として2本の弧状の石梁を太鼓状に配置し、その上に橋面石を並べている(両岸の角柱上の横梁は岸に近いため、最上段の石梁は馬見岡綿向神社のように4本ではなく、2本のみで構成)
1
A
十二神社の反橋
じゅうに
(蒲生)日野町
十二神社参道
石桁橋(弓型)
(G)
19世紀前期
町教委
保存状態良好
橋面が虹状になっていて優雅である以外は普通の石桁橋
1
C
正法寺の放生池橋
しょうほう、
ほうじょう
(蒲生)日野町
正法寺
石桁橋
(3G)
江戸期
WEB(宮様の石橋)/WEB
保存状態良好
3径間の単純な石桁橋だが、各径間がそれぞれ一枚の巨大な矩形の平板からできているのが極めて珍しい
1
B
上野田の太神宮常夜灯
こうずけだ
(蒲生)日野町
<御代参街道>
石常夜灯
高4.06m
文化9(1812)
町教委/WEB/近江の常夜燈p80/近江の道標p188
原位置/昭和4に改修(追刻あり)
(竿正面)「伊勢両宮」、(台石最上段正面)「右/い/せ/ミ/ち」/竿石下端が猫脚状に一体加工/四方に唐破風を付けた立派な笠/中台に装飾的浮彫/石基壇あり/下記の「上野田の道標」が石基壇脇に建つ
1
A
音羽の参宮常夜灯
おとわ
(蒲生)日野町
<御代参街道>
石常夜灯
慶応4(1868)
WEB
原位置?/火袋後補
(竿○面)「太神宮」/竿が角柱
1
C
鳥居平の道標
とりひら
(蒲生)日野町
石道標
高78㎝,幅24.5㎝,厚21.5㎝
天明4(1784)
町教委
原位置
(○面)「左、さくら/如来、道」、(○面)「右、中之郷/たかの、道」
1
C
上野田の道標
こうずけだ
(蒲生)日野町
<御代参街道>
石道標(駒型)
高106㎝,幅39㎝,厚21㎝
文化4(1807)
町教委/WEB/近江の道標p120
原位置
(正面中央)「左 ひの山王宮)、(同最下部)「十丁」、(同右下)「馬見岡神社 二十丁」、(同左下)「いセ道へ通りぬけ」、(右面)「右 いセみち」/上記の「上野田の太神宮常夜灯」の石基壇脇に建つ
1
C
寺尻の道標
てらじり
(蒲生)日野町
<御代参街道>
石道標(尖頭角柱)
高78㎝,幅18㎝,厚16.5㎝
文化4(1807)
町教委/WEB
移設?
(正面)「右、長徳寺百くわん音へ 一丁/ひのかち道」、(左面)「左 たが 北国道」
2
C
熊野の題目塔道標
くまの
(蒲生)日野町
石道標(自然石)
高102㎝,幅68㎝,厚70㎝
弘化3(1846)
町教委
原位置
(正面右下)「右 西明寺道」、(同左下)「左 ひの道」/正面中央に「南無妙法蓮華経」と陰刻
1
C
清田の地蔵道標
きよた
(蒲生)日野町
<御代参街道>
石道標
高113㎝,幅24.5㎝,厚20.5㎝
嘉永7(1854)
町教委/WEB/近江の道標p119
原位置
(正面像下)「北、いし原/八日市/者ちまん、道」、(右面)「右、者さ満/志ん城/てら庄、道」、(左面)「左、古ま月/大の/つち山、道」/正面頂部を光背型に削り込み地蔵坐像(蓮台)を陽刻
1
C
内池の道標
うちいけ
(蒲生)日野町
<御代参街道>
石道標
高96㎝,20㎝角
江戸期
町教委/WEB
原位置/下部で斜めに折損→下部の損傷大
(正面)「右 た加 北國道」、(右面)「左 いせミち」/「ミち」の標記は江戸期
3
C
大窪の道標
おおくぼ
(蒲生)日野町
石道標
高75㎝,18㎝角
江戸期
町教委
移設
「すく 山王宮 一丁/左 いせみち」「右 たが 北國/左 山王宮、道」
2
-
河原の石橋供養塔
かわら
(蒲生)日野町
石碑
(五角柱、道標兼)
高72㎝,幅11㎝,厚14㎝
江戸期?
町教委/WEB
(正面)「(梵字)石橋供養塔」、(右面)「右、鳥井平/たか野、道」、(左面)「左、松尾山/八日市、道」/関西で石橋供養塔は稀
B
若草清水
わかくさ
(蒲生)日野町
(村井)
湧水
16世紀以前
町教委
保存整備
日野城主・蒲生氏郷(1556-95)がこの水を茶の湯に用いたといわれる/天明年間に画家・島崎雲圃が清水のいわれを書いた碑を建立
2
C
鏡の常夜灯
かがみ
(蒲生)竜王町
石常夜灯
天保2(1831)
近江の常夜燈p31
山中に放置
(竿正面)「大峯山」
2
C