並木
都道府県別データ一覧にあるBランク以上の並木
写真
名称
ふりがな
所在地
付帯情報
形式
諸元
建造年
文化財
出典
保存状態
価値判断に係る事項
保存
評価
価値
評価
七飯の赤松街道
ななえ
北海道/(亀田)七飯町
国道5号<札幌本道>
並木(赤松)
安政5(1858)
→明治9(1872)
選奨土木遺産/日本の道百選
WEB
函館市桔梗町~七飯町字峠下までの14.3㎞の中で最も美しい区間
赤松街道そのものは明治9の天皇行幸に伴い札幌本道沿いに赤松が植えられて成立したものだが、それに使われた松は、箱館奉行組頭・栗本瀬兵衛が安政5に佐渡から赤松の種子を取り寄せて育てたもの
3
A
百沢街道松並木
ひゃくざわ
青森/弘前市
<百沢街道>
松並木
長2㎞,樹齢300余年,黒松・赤松,樹高約25m,64本
江戸期
県天然
WEB
3ヶ所に分離して断存
3
B
平舘の松前街道松並木
たいらだて
青森/
(東津軽)外ヶ浜町
<松前街道>
松並木、防風林、防砂林
長約1.8㎞,松周囲2~6.33m,
1660~80年代
県史跡
町教委/WEB
旧道化しているが現役の道路/松喰い虫の被害を受けていない貴重な江戸期の松並木
施主: 弘前藩主・津軽信政/参勤交代道の並木を防風・防砂の目的も兼ねて植栽されたと推定/樹齢300余年の松並木/3世代に分けて植栽
1
鹿角街道マダ並木
かづの
岩手/八幡平市
<鹿角街道>
マダ並木
安永9(1779)以降
市教委
道路痕跡が残るように整備
〔写真左端が街道、中央に映っているのがマダの木〕
安永9の代官並びに百姓宛ての古文書→盛岡藩は街道の並木について松or柳を植えるように指示しているので、並木の成立はそれ以降/七時雨山の過酷な環境に松や柳を植えても生育が難しいので、自生しているマダ(シナ科)を利用したもの
2
B
檜山追分の
羽州街道松並木
ひやまおいわけ、うしゅう
秋田/能代市
<羽州街道>
松並木
13本,樹高最高11m,直径70~36cm,樹齢200余年
天和元(1681)頃
県史跡
市教委/WEB/歴史の道・北部羽州街道
道路拡幅より東側の並木を伐採/現在は黒松が13本残る
佐渡藩により植栽/最大のものは樹高11mで、樹齢約200年と推定される
2
B
羽黒山参道の杉並木
はぐろさん
山形/鶴岡市
羽黒山参道
杉並木
586本
寛永7(1630)前後
国特別天然、緑ミシュラン3つ星
いでは記念館
保存状態良好
羽黒山中興の祖と言われる天祐別当が石階段と杉並木を一体的に整備/標高差約300m、2446段の石段の両側に樹齢300-600年の杉が立ち並ぶ(天祐別当の整備前から植えられていた杉もある)/「爺杉」は、樹齢1000年以上と推定されている
1
日下石の浜街道松
並木
にっけし
福島/相馬市
<浜街道>
松並木
長750m,約20本
寛永11(1634)
市天然
市教委/WEB
県道日下石新沼線沿いに松並木が残る/大きさ、太さから古木とは思われるが、当時のものかは不明
相馬領内の浜街道に植えられた
3
B
八海山の杉並木
はっかいさん
新潟/南魚沼市
八海神社
杉並木
<水源涵養林>
長約440m,256本,木の最大周囲6.4m;3m台の16本;2m台の66本
天保7(1836)
県天然
市教委/WEB
八海神社の参道として整備されている
天保7に一帯が大干ばつに襲われ、対策として水源涵養林造成の目的で植林された
1
A
安中原市の杉並木
あんなか、
はらいち
群馬/安中市
<中山道>
杉並木
17世紀頃
国天然
WEB
天保15年は732本→文化財指定当時の昭和8年は321本→現在16本((樹齢:約300年以上)/交通量の多い国道18号線沿いにあり、排気ガスなどの影響により大半が枯死
周辺のアスファルト整備等により、多くは根本が枯れており、延命策は講じられていない
4
B
上小池の日光街道杉並木
かみこいけ
栃木/宇都宮市
<日光街道>
杉並木
江戸初期
市教委
3
B
北赤塚町の日光壬生通杉並木
きたあかつか
栃木/鹿沼市
<日光壬生通>
杉並木
長約900m
承応3(1654)以前
県教委(歴史の道1p146)
当初の古木30本ほどが残る
日光壬生通の中で最も良好に景観が保持された杉並木の1つ
2
A
国分寺の日光壬生通杉並木
こくぶんじ
栃木/下野市
<日光壬生通>
杉並木
長数100m
承応3(1654)以前
県教委(歴史の道1p135)
旧国分村~旧大光村にかけて残る
3
B
日光の日光街道杉並木
にっこう
栃木/日光市
<日光街道>
杉並木
長19.2㎞,
5063本(平成19)
寛永2~慶安元(1625-48)
国特別史跡/国特別天然記念物
WEB
保存状態良好
徳川家康に取り立てられた松平正綱が、主君への報恩として、寛永2
(1625)から24年かけて日光に通じる3本の街道に紀州熊野の杉苗24300本を植樹したもの/世界一長い並木道としてギネスブックで認定されている/現在日本で唯一、特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けている
1
日光の例幣使街道杉並木
にっこう
栃木/日光市
<例幣使街道>
杉並木
長13.9㎞,
6386本(平成19)
寛永2~慶安元(1625-48)
国特別史跡/国特別天然記念物
WEB
保存状態良好
同上
1
日光の会津西街道杉並木
にっこう
栃木/日光市
<会津道(会津西街道)>
杉並木
長3.9㎞,
1028本(平成19)
寛永2~慶安元(1625-48)
国特別史跡/国特別天然記念物
WEB
保存状態良好
同上
2
A
日光神橋の並木寄進碑
にっこう、
しん
栃木/日光市
石碑(尖頭角柱)
慶安元(1648)
国史跡
市教委
原位置
(正面)「自下野國日光山山菅橋至同國都賀郡小倉村同國/河内郡大澤村同國同郡大桑村歴二十餘年植杉於/路傍左右并山中十餘里以奉寄進/東照宮/慶安元年戌子四月十七日 從五位下松平右衛門大夫源正綱」/杉並木の起点となる神橋、日光街道の大沢、例幣使街道の小倉、会津道(会津西街道)の大桑の4箇所に建つ/松平正綱の死後、子の正信が残った植樹を終えてから建立(没年と同年中)
1
B
大沢の並木寄進碑
おおさわ
栃木/日光市
<日光街道>
石碑(尖頭角柱)
高200㎝,幅46㎝,厚48㎝
慶安元(1648)
国史跡
市教委/県教委
(歴史の道1p56)
原位置
(正面)「下野國都賀郡小倉村同國河内郡大澤村同國同郡/大桑村自此三所至日光二十餘年之間植杉於路傍/左右并山中十餘里以奉寄進/東照宮/慶安元年戌子四月十七日 從五位下松平右衛門大夫源正綱」/同上/同上
1
B
小倉の並木寄進碑
こぐら
栃木/日光市
<例幣使街道>
石碑(尖頭角柱)
慶安元(1648)
国史跡
市教委
原位置
同上/同上/同上
1
B
大桑の並木寄進碑
おおくわ
栃木/日光市
<会津道(会津西街道)>
石碑(尖頭角柱)
慶安元(1648)
国史跡
市教委
原位置
同上/同上/同上
1
B
板谷の水戸街道松並木
いたや
茨城/土浦市
<水戸街道>
松並木(黒松)
長約1㎞
江戸期
市史跡
現地解説板
水戸街道中、唯一残存/松は減ったが、両側の盛土がよく残る
通行人を、暑さ・寒さから守るための松
3
B
甚兵衛渡しの松
じんべえ
千葉/成田市
甚兵衛公園
<宗吾街道/印旛沼>
松並木
江戸初期
現地調査/WEB
保存状態やや不良
佐倉藩の重税を幕府に直訴するため江戸に向かう佐藤惣五郎(直訴は実ったが一家は死罪)を乗せた渡し守・甚兵衛(入水自殺)の名に由来する渡し(伝承)
2
B
伊篠の松並木
いじの
千葉/(印旛)酒々井町
<成田街道>
松並木
長800m
享保年間(1716-35)
町教委/WEB
昭和50代に虫害で多数枯れ県指定→町指定/昭和60にすべて枯れ町指定も解除
天領を支配していた代官・小宮山杢之進が植樹したと伝えられているが樹齢と合わず、これよりも早い時期に植えられたと推測される/松は後補のみだが、雰囲気は残る
5
B
草加松原
そうか
埼玉/草加市
草加松原遊歩道/綾瀬川(右岸)・<日光街道>
松並木
長約1.5㎞,600本→江戸末期約60本
天和3(1688)
日本の道百選
WEB
現存数は20本程度/昭和57、遊歩道化によって松を保護できるように、県道・足立~越谷線の上り車線を西側に移設
関東郡代・伊奈半右衛門が綾瀬川改修の際に植えたもの
2
勘兵衛松
かんべい
埼玉/羽生市
<日光脇往還>
松並木
長560mに150本→38本(昭和3)→17本(昭和47)
寛永5(1628)
県天然
WEB
数本残るのみ
寛永5、第3代将軍・徳川家光が日光東照宮へ参詣した際、関東郡代の大河内金兵衛が家臣の勘兵衛に命じて日光脇往還沿いに松を植えた→「勘兵衛松}の名の由来
4
B
小金井の桜
こがねい
東京/小金井市・小平市・西東京市・武蔵野市
玉川上水
桜並木(水路)
長約6㎞
元文2(1737)?→嘉永年間に大補植→その後も補植を続行
国名勝
市教委/WEB
嘉永年間の大補植(5間に1本)で「千本桜」と呼ばれるように→昭和初期の調査で江戸期の個体は80本→現在では数本程度/昭和40以後ケヤキ等が自生→現在桜並木の復活事業中
貧しい新田農村のための「村おこし策」のため、幕命を受けた武蔵野新田世話役・川崎平右衛門(国分寺市の謝恩塔参照)が、吉野(奈良)や桜川(茨城)から山桜の名品種を取り寄せ、小金井橋を中心とする玉川上水堤の両岸に植えた/18世紀の終わり頃から江戸近郊有数の花見の名所となり、江戸から著名な文人達が花見に訪れ、紀行文や詩歌、錦絵等多くの文芸作品が生まれた→当初の目的は達成
2-3
馬場大門ケヤキ並木
ばばだいもん
東京/府中市
大國魂神社参道
欅並木
欅152本
平安末期由来→江戸初期
国天然
WEB/府中観光協会
江戸初期の欅が数本残る
源頼義・義家が、前九年の役の戦勝祈願御礼として、欅の苗千本を寄進したのが始まりとされる/徳川家康が関が原、大坂両役の戦勝の御礼として馬場を献上し、欅の苗を補植
3
泉津の椿トンネル
せんづ
東京/(大島)大島町
(大島)
都道・八丈循環線
椿並木
江戸期~戦後
WEB
樹齢400年の古木1本他は、樹齢200年級の古木が混在する
大島特産のヤブツバキの巨木がトンネル状になっている/元々は、防風目的で植えられていた後に道路を作り、椿を補植し、並木状にしたのではないかと推測される(絞油目的なら面的に植樹するはず、大島では一般的に防風用に椿を植えた)
2
A
茅ヶ崎の東海道松並木
ちがさき
神奈川/茅ヶ崎市
<東海道>
松並木
317本
WEB
2000年12月の茅ヶ崎市内松並木調査では、南側(海側)108本、北側(山側)209本、合計317本/目通りまわり170cm以上のものは、このうちの154本
2
A
箱根の東海道杉並木
はこね
神奈川/
(足柄下)箱根町
芦ノ湖付近<東海道>
杉並木
長約500m(402本)
元和4(1618)
国史跡
町教委(箱根人の箱根案内p32-33)
402本の大木が残る/昭和19に県庁からの軍用木材としての供出命令書を焼却した町役場の書記の勇気ある行為で救われた
元和4(1618)に箱根越えの道が整備された後に松が植えられ、その後、気象に合わないため杉に替えられた/枯れた杉の樹齢から1640-60頃の植栽と推定される
2
A
大磯の東海道松並木
おおいそ
神奈川/(中)大磯町
<東海道>
松並木
慶長9(1604)以降
WEB
修景整備/先端切断
化粧坂~旧道に少々と旧吉田邸付近の両側に見事な松並木が残り、湘南地域の東海道松並木の代表的なもの
2
B
二宮の東海道松並木
にのみや
神奈川/(中)二宮町
<東海道>
松並木
3本
慶長9(1604)以降
現地調査/WEB
東海道の車道北側に松の古木が3本残る/後世の松も数本
化粧坂~旧道に旧吉田邸付近の両側に松並木が残り、湘南地域の東海道松並木の代表的なもの
4
B
笠取峠の中山道松並木
かさどり
長野/(北佐久)立科町
松並木公園<中山道>
松並木
68本
慶長7(1602)
県天然
WEB
松は約2㎞の間に68本残すのみ/樹齢150-300年/公園化して整備
公儀が小諸藩に赤松苗753本を下付し、芦田宿~峠(標高887m)まで、風除け・日除けのため植えさせたとの伝承がある
2
A
大倉戸の東海道松並木
静岡/湖西市
<東海道>
松並木
長約1㎞
元禄13(1700)?
町史跡
WEB
340本のうち近世由来の松は多くて数本
4
B
中区の姫街道松並木
なか
静岡/浜松市(中央区)
県道・磐田~細江線
<姫街道>
松並木
3㎞,250本
江戸期
市史跡
市教委
拡幅のため西側のみ残る/不連続/補植多い
3
B
岡部宿の東海道松並木
おかべ
静岡/藤枝市
<東海道>
松並木(黒松)
長約500m
江戸期
市史跡
市教委
オリジナルの黒松が10数本残る
黒松は江戸初期までは遡らないとされる/市内には、藤枝宿付近にも松並木は残るが近世由来かどうかは疑問とされる
3
B
谷田の東海道松並木
(初音ヶ原の松並木)
やた
静岡/三島市
<東海道>
松並木
長約800m
慶長9(1604)以降
国史跡
市教委
松はオリジナルと戦後の補植の混在
箱根の登口に当たる部分(比較的長区間にわたり立派な松並木が続く)/江戸期の松並木の典型である盛土が立派
1
A
安城の東海道松並木
愛知/安城市
<東海道>
松並木
20本程度が散在
江戸期?
現地
両側の盛土を含めて残る
東海道松並木
3
B
藤川の東海道松並木
ふじかわ
愛知/岡崎市
<東海道>
松並木(黒松)
約1㎞,90本程度
慶長9(1604)以降
市天然
WEB
区間が長くて本数が少ないため連続性が低い
東海道筋のオリジナルの木が一部残る松並木の1つ
2
B
知立の東海道松並木
ちりゅう
愛知/知立市
<東海道>
松並木
約500m,170本→残るのは10数本で残りは補植
江戸期
市天然
WEB
補植の部分がほとんどだが、松並木としては連続している
3
B
御油の東海道松並木
ごゆ
愛知/豊川市
<東海道・御油宿~赤坂宿>
松並木
長600m,650本→70本
慶長9(1604)
国天然
市教委
近世~現在に至るまで補植/両側の盛土も残る/松並木を大切にするような修景整備
全国で最も有名な街道松並木(東海道筋であること、当初の規模、現存状況)
1
野上の中山道松並木
のがみ
岐阜/(不破)関ケ原町
<中山道>
松並木
20本
江戸期
町天然
町教委/WEB
虫害や台風で減少
松並木部分の舗装を、アスファルトからインターロッキングに変更
3
B
垂井の美濃路松並木
たるい
岐阜/(不破)垂井町
<美濃路>
松並木
20本程度
江戸中期~
県天然
WEB/町教委
現在も生活道路として利用
旅人に木陰を提供し、吹雪を防ぐ目的で松の並木が植えられた/美濃路唯一の松並木
3
B
浜黒崎の松並木
はまくろさき
富山/富山市
<北陸街道(浜街道)>
松並木(黒松)
長8㎞→51本(大正13)→29本(昭和40の指定時)→9本(平成19)
慶長年間(1596-1614)
県天然
WEB
ほとんど消失(戦前は、軍事用船舶建造のため、戦後は枯死)
加賀藩2代藩主・前田利長が参府の折に、街路の美観と冬季積雪時の往来の便を考えて、北陸道に植樹したのが始まりと伝えられる/樹齢500-600年の「親鸞聖人腰掛の松」が1本含まれる
4
A
八丁松原
はっちょうまつばら
大阪/高槻市
松原公園
松並木(黒松)
長約900m→360m
慶安2(1649)以降
木谷幹一/現地解説板/高槻の道しるべp6
明治8に鉄道工事により伐採/一部老木が残存→後補と再現
永井直清が高槻城主として移封された時、京口(別所新町)~西国街道を結ぶ8丁の道を新設し松数百本を植えたとされる
4
B
大門坂
だいもん
和歌山/
(東牟婁)那智勝浦町
<熊野古道>
杉並木、
石畳道・石階段
(砂岩)
全長654m
嘉永4-7(1851-54)頃?
国史跡/
世界遺産
WEB
保全整備/杉並木とのコンビネーションが見事/熊野古道の面影をもっとも美しく残している石畳道
那智大社の嘉永の造営にあわせ新たに造営されたと推定するのが最も妥当と考えられている(それ以前にも、何らかの石敷はあったかもしれない)/上記の「那智滝の石段」と石材や石の使い方が異なるので、幕府が関与した外部の普請の可能性が高いが史料は残っていない
1
大山並木松
だいせん
鳥取/(西伯)大山町
県道<尾高道>
松並木(黒松)
慶長年間(1596-1615)
町天然
歴史の道10
p31/WEB
81本→26本
大川寺中興の祖・豪円僧正が、雪深い山道に参詣者が迷わないよう、山奉行・三中市太郎と陶山太兵衛に命じて1町ごとに松を植えさせた始まりとされる
3
B
桜尾の街道松
さくらお
広島/廿日市市
<西国街道>
松並木
365本→1本
寛永10(1633)頃
市史跡
WEB/市教委/佐伯郡・大竹市の文化財p63
かつては佐方川~東町屋口に68本、佐原田・土橋~下平良境に149本、佐原田・土橋~大野方面に148本あったと言われるが、現在は1本が残るのみ
広島藩: 幕府巡見使のために街道の整備を行い、道の両側に松並木を植えた
4
B
曲里の松並木
まがり
福岡/北九州市
(八幡西区)
岸の浦<長崎街道>
松並木
長310m(指定部)
江戸期
市史跡
市教委
当初の松は100本以上→3本/旧街道緑地として市街地の中に保全
かつては、九州の代表的な松並木だった
4
B
柳坂曽根の櫨並木
やなぎなかそね
福岡/久留米市
櫨並木
(産業遺産)
長約1㎞,約200本
享保15(1730)以降
県天然
WEB
保存状態良好
/新・日本街路樹100景に選定
久留米藩が木蝋作りのため植樹/全国最大級の櫨(ハゼ)並木/本数では、熊本県の菊池川堤防櫨並木の237本に次ぐが、植樹間隔が短く見栄えがする
1
久住の小国街道松並木
くじゅう、
おぐに
大分/竹田市
<小国街道>
松並木
総延長4㎞
(約250本現存)
江戸期
市名勝/日本の道百選
WEB
西日本の松並木(樹齢約250年)としては保存状態かなり良好→近年松くい虫被害が進行(平成23に30本枯死)
1
A
菊池川堤防櫨並木
きくち
熊本/玉名市
菊池川(右岸)
櫨並木
(産業遺産)
長3.7km,237本
享保9(1724)頃以降
国登録記念物
WEB
河道整備に際しても、よく保存されている
熊本藩により、寛文4(1664)に櫨(ハゼ)が特産品奨励として植栽されるようになったが、木蝋生産の衰退とともに植栽地は減少し、多くの櫨が失われた。菊池川堤防沿いに残された櫨並木はかつての木蝋生産の名残り(福岡県の柳坂曽根の櫨並木の200本を超える)
2
A
大津街道杉並木
(肥後の大杉並木)
おおつ
熊本/(菊池)菊陽町・
熊本市(北区)
豊後(大津)街道
→旧国道57号,JR豊肥線
杉並木
約20km→12km,幅34-39m,1340本(昭和12)→1002本(平成11)
天正16(1588)以降
町教委/WEB/歴史の道・豊後街道p.95
旧国道側のみ杉並木が残る/大半は昭和初期の補植/原形を留めているのは三里木~原水間
加藤清正により植栽された(将来の城の修築用材と、伐採による敵兵の進軍防止が目的とされる)/屋久杉を使用したとの伝承があるが証明されていない(当初の杉が1本も残っていない。戦後補植された杉は、屋久杉の実生苗を使用)/幅が広かったため、国鉄と国道が併設された
3
A
はぜ馬場の櫨並木
宮崎/宮崎市
佐土原町下田島
櫨並木
(産業遺産)
長約500m
安政4(1857)
市史跡
WEB
南側のみ残る/まばら
安政の改革の際、第11代佐土原藩主・島津忠寛が財政建て直しのため、藩内各地の道路脇や空き地に櫨(ハゼ)の木を植えさせた→櫨の実からロウソクを製造し、藩の専売品として大坂に送ったとされる/現在は旧藩内で残るのはここだけ→馬を走らせる馬場でもあったので「はぜ馬場」と呼ばれる
2
B
諸鈍長浜のデイゴ並木
しょどん、
ながはま
鹿児島/
(大島)瀬戸内町
(加計呂麻島)
デイゴ並木
80本以上
江戸初期
町天然
WEB
樹齢300年/近年、デイゴヒメ コバチというインドから飛んできたハチが寄生したため、
6月の開花時期に満開とならなくなった
琉球王朝に支配されていた時代「那覇世」に、琉球からの文物の流入口として栄えた良港・諸鈍長浜の目印として、夜目にも見える赤い花を咲かせるデイゴを植えたと言われる
1
A
蔡温松並木
さいおん
沖縄/(国頭)国頭村
辺戸蔡温松並木保全公園
松並木
約30m
琉球王国時代
(1761年までの18世紀)
WEB
ほとんど枯死
蔡温(三司官=宰相、風水思想)が薩摩侵攻で疲弊した琉球経済の復興に尽力した頃に植えた松並木
4
B
仲原馬場
なかはら・ばば
沖縄/(国頭)今帰仁村
松並木
(競馬場)
長約250m×
幅約30m
18世紀初頭
県史跡
WEB
昭和初期頃までは競馬が行われていた/松の枯死が止まらない
蔡温によって植えられた、競馬場の周囲の松並木(農村における民俗行事や畜産奨励のための競馬)/本島内に現存する唯一の馬場
2
B
備瀬のフクギ
びせ
沖縄/(国頭)本部町
備瀬集落
並木、防風・防潮
・防火林
集落全体
琉球王国時代
町指定
WEB
観光地化/補植も多い
屋敷の防風林として整備されたのが起源/防風・防潮・ 防火林/集落の路地の両側にフクギが植えられた独特の景観が延々と続く/一部に土手も残る
1
A
真謝のチュラ福木
まじゃ
沖縄/(島尻)久米島町
(久米島)
真謝
防風林
長40m,幅3m,
高6m
18世紀中頃
県天然
WEB
県道の拡幅に伴い道路中央に分離帯のような形で保存/刈り込まれている
柴岡家の屋敷林だったもの/六世絜聡の時代に、福木を植えて囲いとしたとの記録がある
2
C