灯台(海運用)

   都道府県別データ一覧にある高3m以上の海運用の灯台・灯明台・常夜灯

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 浜町の常夜灯 はま 青森/(上北)野辺地町 常夜灯公園
<奥州街道(松前道)>
石常夜灯(海運) 高3.80m 文政10(1827) 町史跡 町教委/町立歴史民俗資料館 常夜灯公園として保全整備を行う際に移設 (竿裏面)「金毘羅大権現」/建立: 地元の廻船問屋・野村治三郎、世話人:丸亀(香川)の廻船問屋・橘屋吉五郎/野辺地湊(盛岡藩の日本海航路の窓口の一つとして、大豆・鰯〆粕・銅・海産物などが積み出され、木綿・塩・砂糖・紙・日用品などが移入)に夜間入湊する北前船への目印となっていた 2
写真 南新町の常夜灯 みなみしんまち 山形/酒田市 日和山公園 石常夜灯(海運)
(御影石)
高3.4m 文化10(1813) 市史跡 市教委/WEB 日和山公園(指定名勝)内に保存 酒田に寄港する北国廻船の航海安全を祈願して建立(灯台の役目も担っていた)/高いテラス状の基礎の上に載る 2
写真 春日崎灯明台 かすがざき 新潟/佐渡市(佐渡島) <相川街道> 石常夜灯(海運)
(凝灰岩)
高4.07m 寛永5(1628)   市教委/歴史の道12p15 石積基壇は後世の積直しの可能性/風雨による風化が進む 『佐渡国略記』(18世紀中頃)によれば、寛永5(1627)に諸国廻船のために設置され、はじめ春日神社の神主、のち医王寺が点灯の当番を務めた/灯火部が2段になっている→灯台として重要な役割を担っていたため、特に明かりを強くするため、あるいは灯火が一度に消えてしまわないように工夫したものではないかとされる 2
写真 行徳河岸の常夜灯 ぎょうとく 千葉/市川市 <江戸川・
行徳河岸>
石常夜灯(海運) 高3.92m 文化9(1812) 市有形 WEB 関東大震災にり崩壊→復元/平成21に常夜灯公園として修景(過剰)整備 (竿正面)「日本橋」、(竿裏面)「日本橋」、(台石右面)「成田山」/火袋の正面は丸型、裏面は三日月の穴となっている/江戸から成田に向かう海路(江戸小網町~本行徳13㎞)の上陸点/行徳舟と呼ばれ最盛期には24人乗りの舩が62隻運行された/常夜灯は、航路安全祈願のために、江戸日本橋西河岸と蔵屋敷の講中が成田山に奉納 2
写真 浦賀の燈明堂 うらが 神奈川/横須賀市 西浦賀町<浦賀湊> 木灯明台(海運) 高7.32m 安政4(1857) 市史跡
(石基壇)
市教委 平成元にガラス繊維Cを擬木風に処理して木造部本体を再現 浦賀港に出入りする舟や、江戸湾を航行する船のための灯台/初代は慶安元(1649)に築造、以後、台風や津波で何度も破壊され安政4に最後の再建→明治5廃止→明治20頃滅失/菜種油を使った灯火は7㎞先まで見えたと言われる 3
  小垣江の常夜灯 おがきえ 愛知/刈谷市 <衣ヶ浦の小垣江土場> 石常夜灯(海運) 高3.5m 文政7(1824)   市教委/WEB 移設 港の常夜灯/この土場から年貢米が積み出され、市原や高浜の湊で廻船に積み換えられ江戸に送られていた 2
写真 前芝の灯明台 まえしば 愛知/豊橋市   木灯明台(海運) 高7.06m 寛文9(1669) 県史跡 市教委/WEB 昭和41解体復元 現存する国内最古の木造灯台/2番目に古いものは、岡山県の牛窓燈籠堂(瀬戸内市、延宝年間(1673-81))だが、こちらは再現/3番目に古いものは、岐阜県の住吉灯台(大垣市、貞享年間(1687-87)説をとった場合) 2
写真 亀崎渡船場跡の常夜灯 かめざき 愛知/半田市   石常夜灯(海運) 高4.35m 文化5(1808)   WEB/馬場慎一 火袋とその台石は後補/現役で点灯(電気) 知多半島から三河へ渡る港として栄えた渡船場の唯一残る遺産(今も衣浦大橋と衣浦トンネルに挟まれて立地) 2
写真 竜宮神社の常夜灯  りゅうぐう 愛知/(知多)武豊町 竜宮保育園南の公園 石常夜灯(海運) 高4.10m(うち石基壇1.15m) 嘉永7(1854)   WEB/馬場慎一 保存状態良好/石基壇下に厚60㎝のC版 海上安全祈願と、夜間の航行の目印として建てられた/立派な石基壇 2
写真 青峯山正福寺の常夜灯 あおのみね・しょうふく 三重/鳥羽市 正福寺 石常夜灯(2基、花崗岩)(海運) 高7m 天保8(1837) 市有形民俗 WEB 保存状態良好 「海上安全」=青峯山正福寺は、海上安全の祈祷寺/青峯山信仰/建立: 大坂西宮・樽船問屋中/江戸時代の海運史を知る上で貴重 1
写真 洲崎の高燈籠 すざき 福井/敦賀市 旧笙ノ川河口・左岸
<敦賀湊>
石灯明台(海運) 高7.46m 享和2(1802) 県史跡 市教委/WEB 原位置 廻船業者・荘山清兵衛が、自邸・荘山屋敷の一隅に私費を投じて建立。最下部に基壇、その上に11段の布積台石を高く細く積み重ね、、その上に火袋を置き、二重の笠と請花・宝珠を載せる/全国で6基しか現存していない江戸期の大型石灯台 1
写真 養翠園の高灯籠 ようすいえん 和歌山/和歌山市 養翠園 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高4.18m? 文政8(1825)   市教委/下記の現地解説板 保存状態良好 紀州藩第10代藩主・徳川治宝により、海上交通の安全を祈願し、紀淡海峡を遠望する養翠園の北西端に一対で建立→灯台としての機能はない(?)/笠・火袋ともに円形/全体に装飾的/5層の石基壇 1
写真 旧・養翠園の高灯籠 ようすいえん 和歌山/和歌山市 和歌山城西の丸 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高4.18m 文政8(1825)   市教委/現地解説板 明治22に移設し私設灯台化→放置→昭和62移築・復元 同上 2
写真 明石港旧灯台 あかし 兵庫/明石市 <明石港> 灯明台(海運) 高6.7m? 明暦3(1657)   市教委/WEB 石基壇の上にRCの火袋と笠が載る(昭和7の改修)/昭和38に非現役/老朽化が目立ち、C剥落の危険性があり、周囲にフェンスを設置 企画:明石藩主・松平忠国/常夜灯型ではなく灯明台型をした灯台の中で、本体まですべて石で造られた現存する唯一の遺構 3
写真 室津の常夜灯 むろつ 兵庫/たつの市 賀茂神社・門前<室津湊> 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高4.00m 弘化2(1845)   市教委 移設 豪商「嶋屋」西側の雁木付近にあった常夜灯/石基壇なし 2
写真 今津灯台 いまづ 兵庫/西宮市   灯明台(海運) 高6.7m
(うち、基壇0.7m)

文化7(1810)
→安政5(1858)再建

市建造物 市教委/WEB 現役の航路標識として点灯(電気)/長部本店の後身である大関酒造が維持管理/昭和40に解体修理、59に行灯の格子、銅板屋根、基壇を更新 創建:酒造「長部本店」・長部長兵衛、再建:長部分次郎/今津に出入りする灘酒廻船のため設置された常夜灯型の木造灯台/寛政11(1799)長部本店の樽廻船が海難事故を起こした→海上安全のため大坂谷町奉行所の許可を得て築造/安政5に長部分次郎により基盤の嵩上げ、櫓の補強等が行われた 3
写真 (再現)庭瀬港常夜灯 にわせ 岡山/岡山市(北区) <庭瀬港> 木灯明台(海運) 高6.5m,3m四方の石基壇 1700年代  

現地解説版

昭和29撤去→平成19復元/石基壇はオリジナル 庭瀬藩の商業・交通の中心地として栄えた庭瀬港の中核施設 3
写真 田の口港西波止の常夜灯 たのくち 岡山/倉敷市 田の口港 石常夜灯(花崗岩)(海運) 高約4m 天保7(1836)   児島の石造物p31,36-37 保存状態良好 (竿正面)「金毘羅大權現」、(竿裏面)「瑜伽大權現」/由加往来の玄関にあたる重要な港/防波堤の先端に残る/東防波堤とペアで残る→全国的にも非常に珍しい 1
写真 田の口港東波止の常夜灯 たのくち 岡山/倉敷市 田の口港 石常夜灯(花崗岩、六角形)(海運) 高5.00m 嘉永4(1851)   児島の石造物p31,37 保存状態良好 (竿正面上部)「瑜」/由加往来の玄関にあたる重要な港/防波堤の先端に残る/西防波堤とペアで残る→全国的にも非常に珍しい/灯籠型も港の常夜灯としては異例/火袋と中台に見事な彫刻/台座に120名以上の寄進者の名前 1
写真 野崎浜灯明台 のざきはま 岡山/倉敷市   木灯明台(海運) 高11.23m
(さらに基壇下に高約4mの石垣)
文久3(1863) 市建造物 WEB 昭和50に半解体修理・復元(軸木を残し、表面の板張りは更新) 全国でも最大級の木造灯明台(基壇は見事な石組み)/野崎浜への塩買船を導く燈台の役目と、塩釜明神宮への献灯を目的に建造 1 写真
写真 (再現)牛窓燈籠堂 うしまど 岡山/瀬戸内市 牛窓港 木灯明台(海運) 全高7.45m,石基壇(上部4.3m四方,基部4.9m四方,高2.2m) 延宝年間(1673-81) 市史跡(石基壇のみ) 教育委員会/歴史の道7p4,10 明治期に撤去、昭和63石基壇の上に燈籠堂を復元 大型の木造灯明台(石基壇のみ文化財)/夜間航行の標識として、池田綱政の命により建設/鯨油を使用 3
写真 (再現)大多府港・燈籠堂 おおたぶ 岡山/
備前市(大多府島)
大多府港 木灯明台(海運) 全高10.91m,石基壇(上部4.68m四方,基部5.28m四方,高3.1m) 元禄11(1698)? 市史跡   昭和61に復元 木造灯明台(石基壇のみ文化財指定)/上部がアンバランスに大きい 3
写真 祇園の常夜灯 ぎおん 広島/
広島市(安佐南区)
金神社・前<出雲街道> 石常夜灯(海運) 高4.75m 天明2(1782)   WEB 原位置 大型の常夜灯で末広がりになった4本脚は国内で1基のみ→非常にユニークな形態/かつての湊跡(灯台の役目を担っていたとされる) 1
写真 椋浦の常夜灯 むくのうら 広島/尾道市(因島)   石常夜灯(海運) 高5.2m 文化2(1805)     平成13再建立 石工:山根屋源四郎尚政/廻船業で繁栄を極めた港町の歴史を物語る、大型の金毘羅大権現を祀る常夜灯/巨大なピラミッド状の基壇の上に定番的な常夜灯が載る/基壇下部に波返し 2
  向島町の常夜灯1 むかいしま 広島/尾道市(向島) (東富浜・厳島神社) 石常夜灯(海運) 高3.5m 文化3(1806)   島んマップ向島・岩子島/向島の石造物p144 現役で点灯 海岸に面した常夜灯 1
  向島町の金毘羅常夜灯1 むかいしま 広島/尾道市(向島) (川尻・川尻王太子) 石常夜灯(自然石)(海運) 高4.0m 天保2(1831)   向島の石造物p104   「金比羅大權現 日本総社奉燈」/鎌倉期には前が海岸であったと思われ、その名残としてこの位置に建てられたと思われる 1
  瀬戸田町瀬戸田の常夜灯 せとだ、
せとだ
広島/尾道市(生口島)   石常夜灯(海運) 高4.9m 江戸期   WEB 現役で点灯(電気) (竿正面)「□□大明神」、(台石正面)「永代常夜燈」/基壇なし/瀬戸田湊で灯台の役割を果たしていた常夜灯 1
写真 向島町の常夜灯3 むかいしま 広島/尾道市(向島) (立花) 石常夜灯(海運) 高4.3m 江戸期   調査 火袋が石塊化 海岸に面した常夜灯/基壇を含め自然石風 3
写真 御手洗の高燈籠 みたらい 広島/呉市(大崎下島) (住吉神社前) 灯明台(海運) 高6.18m(?) 天保3(1832)   市教委 移設/平成に台風被害により一部補修(石積み稚拙、火袋更新→高さも変えた可能性あり)/基壇部C 「太平夜景」/寄進:庄屋・三笠屋忠左衛門/文政13(1830)に御手洗港の灯台として木製の燈籠が建てられたが暴風雨により破損したため天保3(1832)に石造に建て替えた 4
写真 忠海町の常夜灯 ただのうみ 広島/竹原市 忠海港 石常夜灯(海運) 高5.00m(うち、基壇0.35m) 文化13(1816)   WEB(備後の常夜燈アルバム)/市教委 保存状態良好 (竿東面)「天地海童一切諸神」、(竿南面)「金毘羅大權現」、(竿西面)「諸天諸菩薩」、(台石南面)「石工尾道塚脇和助」 1
  聖崎の常夜灯 ひじりざき 広島/廿日市市(厳島) 聖崎・沖 石常夜灯(海運) 高約3-4m 天保15(1844)   佐伯郡・大竹市の文化財p165/宮島観光協会/市教委/WEB 現役で点灯(電気・太陽光発電) 「奉献常夜燈」「為君臣上下國家親族/武運長久子孫榮昌」/石工:後藤又五郎/宮島の最北端、聖崎の沖に立つ海上灯台→広島方面の航路安全/背の高い石基壇上に猫脚付きの常夜灯が載る 1
写真 鞆の金毘羅常夜灯 とも 広島/福山市 鞆港 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高9.1m
(うち、基壇3.6m)
安政6(1859)   お山のこんぴらさんp163 平成元修復 (南面)「金毘羅大權現」、(西面)「當所祇園宮」/下部が木構造のような形になった、本格的な常夜灯/石常夜灯形式の海運用灯台としては全国で最大(大型の石基壇の上に載っているため) 1 写真
写真 みたらい燈籠堂
(室積燈籠堂)
(むろづみ) 山口/光市 (室積5丁目) 灯明台(海運) 高5.5m 元禄15(1702)   WEB 平成3復元 百姓・松村屋亀松が、病死した父の「夜中にも廻船が出入りできるようにしたい」という遺志を継ぎ、御手洗州先(象鼻岬)に銀800目の自費で建設した灯台 2
写真 住吉神社の石灯台 すみよし 山口/防府市 住吉神社 灯明台(海運) 高7.27m 文久3(1863) 国史跡 市教委/歴史の道1資料編p78/WEB 保存状態良好 三田尻宗像久三郎外39名の拠金をもって文久3(1863)正月に建設された海上交通用の灯台 1
写真 豊浜の和田浜築港記念常夜灯
(旧和田浜港の安永燈籠)
とよはま、
わだはま
香川/観音寺市 豊浜八幡神社<和田浜> 石常夜灯(海運)
(花崗岩)
高4.40m
(うち、基壇1.40m)
寛政4(1792) 市有形 豊浜町の常夜灯p6 港の改修時に撤去→昭和46再建立 (竿)「正八幡宮/金毘羅宮」、(竿左面)「總廻舩中/海上安全」/竿=角柱状/基壇あり/安永2(1773)、和田浜の藤村喜八郎らが私財45000余両で和田浜築港を完成→その功績を伝えるため、喜八郎の子直道が建立→約200年間、灯台として海上交通安全の役割を果たしてきた 2
写真 丸亀港の金毘羅常夜灯
(新堀湛甫の太助灯籠)
まるがめ
(しんぼりたんぽ、
たすけ)
香川/丸亀市 新堀湛甫<金毘羅街道> 青銅常夜灯(海運) 高7.09m(うち、青銅部5.28m) 天保9(1838)   金毘羅参詣丸亀街道報告書p7・91-129/歴史の道11p32・62 昭和41補修、昭和53復元、昭和61嵩上 (台石)「江戸講中」/青銅の3段の台には寄進者や世話人ら1380人の名前(住所・職業付き)が刻字/寄進者の中で、1面を占め、最高額の80両を寄付した江戸本所の「塩原太助」の名にちなみ「太助灯籠」と呼ばれることもある/金毘羅詣の海の玄関のシンボル/八角は蓮華をかたどったもの/当初は12基建てる予定→3基実現→2基は戦時中に金属供出で喪失 2 写真
写真 汐木港の常夜灯 しおき 香川/三豊市 <汐木港> 石常夜灯(海運) 高5.97m
(うち、基壇0.92m)
慶応元(1865)   WEB 昭和12に港としての役割終了 (台石1段目正面)「大平社」、(台石1段目裏面)「汐木□中」/竿の台石が猫脚 1
写真 網の浦の金毘羅常夜灯
(元・宇多津港常夜灯)
あみのうら 香川/(綾歌)宇多津町 恵美須神社<宇多津港> 石常夜灯(海運) 高3.21m 享和3(1803)   歴史の道5p25・60 移設 (竿)「金」、(竿裏面)「金/金毘羅大権現」、(竿右面)「金」、(竿左面)「金」/かつて港の上り口に置かれていた 2
写真 買田の金毘羅常夜灯2
(旧丸亀港常夜灯)
かいた 香川/(仲多度)
まんのう町
葛城神社<箸蔵越> 石常夜灯(海運) 高3.65m 慶応3(1867)   歴史の道9p30-31
・101
2度移設 (竿裏)「海上安全」/"明治の末頃、丸亀港の拡張のため移転を余儀なくされた灯籠を、葛城神社の氏子がもらい受けて、神社参道の目印として建立した"との古老の話あり/猫脚/基壇なし 2
写真 金比羅神社の常夜灯 ことひら 徳島/徳島市 (勢見町)金比羅神社・参道階段入口の鳥居脇 石常夜灯 高10.24m 天保10(1839) とくしま市民遺産 WEB/現地解説板/市教委 原位置 総石造の交通関連の常夜灯としては全国で最も背が高い/本来は神社に寄進されたものだが(竿正面に「獻燈」と陰刻/藍と関連→徳島らしさ)、津田港に入港する船の目印となっていた/石工: 東新/竿石が角柱状/石基壇は2段目地・割肌仕上げの長方形角材を組み合せて3段積みにしている(江戸期としては稀) 1
写真 撫養町林崎の石灯台 むや、はやさき 徳島/鳴門市 妙見神社 石常夜灯(海運) 高3.04m 慶応元(1865)   図説徳島県の歴史p154 火袋更新 (右側面)「江戸廻舩中」、(正面)「交通安全」/基壇なし/笠と宝珠の間に台石状の装飾/阿波第一の要港として栄えた撫養口に関連して残る唯一の土木遺産 2
写真 波止浜港の灯明台 はしはま 愛媛/今治市 波止浜港
<今治街道(南街道)>
石灯明台(海運) 高約6m 嘉永2(1849)   歴史の道1p50/WEB 御番所の前に建てられたが、その後塩田の廃止に伴い現在地に移設 (竿正面)「金毘羅大權現」、(竿左面)「海上安全」/石工・木村忠右衛門/移設年月・移設者の名が彫られている 2
写真 朔日市の石鎚常夜灯
(新堀石鎚常夜灯)
ついたち 愛媛/西条市 (新堀)本陣川沿い 石常夜灯(海運) 高4.92m(うち基壇0.65m) 弘化3(1846)   WEB 基壇C補修、基壇内部空洞化 (竿正面)「石鉄山大權現」/寄進者は「備前岡山」「橋本町大手」「伊部屋永吉」→かつては、ここが石鎚参詣の上陸港であった 2
写真 御神塔 ごしんとう 愛媛/(越智)上島町
(岩城島)
岩城八幡神社 石常夜灯(海運)   文政8(1825)   歴史の道4p34 原位置 沖合を航行する船舶の燈台/四角錐の屋根、円柱状の竿、四角錐状の石基壇など灯明台と常夜灯をミックスしたような特異な形態 1
写真 口之津町の灯明台
(唐人常夜灯)
くちのつ
(とうじん)
長崎/南島原市 口之津公園 石灯明台(海運) 高3.8m 寛永19(1642)以降 <口之津町有形> WEB 原位置/火袋は後補 灯明台に多い角錐状の構造だが総石造で、かつ、石組が見事な布積崩しになってのが珍しい/笠は自然石/琴平宮の献灯だが、航行船舶の標識として利用された 1
写真 東海町の常夜灯 とうみまち 宮崎/延岡市 延岡港 石常夜灯(海運)
(凝灰岩)
高5.6m 江戸後期 市有形 WEB 原位置 航海安全祈願や港の位置を示すために建てられたもの/台石には建設時の関係者(地元の有力問屋や、芸州・備前・摂州など遠方の関係者)が刻字されている→広島、岡山、兵庫など瀬戸内との関連が分かる 1