条里遺構 

   都道府県別データ一覧にある条里遺構(条里田を除く)

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 無悪の条里起点石 さかなし 福井/
(三方上中)若狭町
  起点石   8世紀頃 町史跡 WEB 移設 条里設定時の測量の際の起点となった石(⇒あくまで伝承) 3
写真 南郷町の条里立石 なんごう 滋賀/長浜市   条里石(自然石) 高147㎝,
幅56.5㎝
白鳳時代 市史跡 市教委/現地解説板/WEB 移設 九条と十条の境と、二条と三条の境の交差点に立てられた点(しるべ)石/条理の堺を示す点石の現存例は稀(兵庫県太子町に残る一群の牓示石は荘園の範囲を示すもので条里石とは異なる。福井県若狭町の条里起点石や岡山県赤磐市の縄目石や睨み石は条里制の測量基点で境界の点石ではない) 2
写真 常喜の立石 じょうぎ、
たていし
滋賀/長浜市 (本庄)常喜交番近く 条里石(自然石)? 高約30㎝,幅108
㎝,厚約40㎝
白鳳時代?   WEB(日本の測量史) 原位置 坂田郡条里制の九条と十条の境に一致するので条里石との伝承/本庄と常喜集落の大字界の境界石との説もある(この場合、江戸期か?) 1
写真 境川の条里石 さかいがわ 大阪/摂津市 千里丘東「さかいがわちびっこひろば」 条里石(円柱)
3個
径約60cm,
高約30cm
大化2(646)以降   WEB(日本の測量史)
/現地解説板
移設展示 境川の三嶋条里の方向転換部で発見された6個の石/条里の原点となっていた可能性/右岸(南西側)に沿って間隔約27mで6基が東西方向に配列されていた 3
写真 鵤荘の牓示石(大谷〕 いかるがのしょう
〔おおたに〕
兵庫/姫路市 (勝原区大谷)<鵤荘> 境界石(自然石) 高55㎝ 推古14(606)頃?   WEB/現地解説板 原位置 聖徳太子が斑鳩寺創建の際、布施地として推古天皇から拝受した方六町、三百六十町歩の鵤荘の境界を示すために置かれた石とされる/鵤荘の牓示石のほとんどは太子町に所在 1
写真 鵤荘の牓示石1
(松ヶ下の牓示石)
いかるがのしょう
〔まつがした〕
兵庫/(揖保)太子町 (松ヶ下)<鵤荘> 境界石(自然石) 高約95㎝,幅約180㎝,厚約110㎝ 推古14(606)頃   WEB(日本の測量史)/現地解説板 水田から移設(60m) 聖徳太子が斑鳩寺創建の際、布施地として推古天皇から拝受した方六町、三百六十町歩の鵤荘の境界を示すために置かれた石とされる/「投げ石」とは、聖徳太子が檀特山から石を投げ、その範囲を領地として頂いたとの伝説に基づく呼称/鵤荘の牓示石の中で最大/江戸時代後期の絵図に「太子なげ岩」と記載されている 2
写真 鵤荘の牓示石2
(東出の牓示石)
いかるがのしょう〔とうで〕 兵庫/(揖保)太子町 (東出)<鵤荘> 境界石(自然石)
2個
1:高約70㎝,底辺100-110㎝/2:高約60㎝,幅約80㎝
推古14(606)頃 県史跡 WEB(日本の測量史)/現地解説板 昭和30-40頃移設 一般的解説は上記参照/荘園の境界に位置するため牓示石の定義と合致する 2
写真 鵤荘の牓示石3
(平方の牓示石)
いかるがのしょう
〔ひらかた〕
兵庫/(揖保)太子町 (佐用岡・平方)<鵤荘> 境界石(自然石) 高約60㎝,幅・厚80-90㎝ 推古14(606)頃 県史跡 WEB(日本の測量史)/現地解説板 原位置/中央分離帯に残る→局所的に中央分離帯とし牓示石を避けている 一般的解説は上記参照/鵤荘の牓示石で最も有名/荘園の真ん中にあり牓示石の定義から外れる 1
写真 鵤荘の牓示石4
(北山根の牓示石)
いかるがのしょう〔きたやまね〕 兵庫/(揖保)太子町 (鵤・北山根)<鵤荘> 境界石(自然石) 高103㎝ 推古14(606)頃 県史跡 WEB/現地解説板 原位置/畑内に残る 一般的解説は上記参照/鵤荘の牓示石で2番目に大きい/荘園の真ん中にあり牓示石の定義から外れる 1
写真 鵤荘の牓示石5
(桜ヶ坪の牓示石)
いかるがのしょう 兵庫/(揖保)太子町 (佐用岡・桜ヶ坪)<鵤荘> 境界石(自然石) 高約30㎝,幅約60㎝ 推古14(606)頃   WEB(日本の測量史) 原位置/水田の畔に残る 一般的解説は上記参照/「播磨国鵤荘絵図」(14世紀)に記されている牓示石の位置と唯一合致するが、この石に関して聖徳太子伝説はなかった 1
写真 鵤荘の牓示石6
(東南の牓示石)
いかるがのしょう
〔とうなん〕
兵庫/(揖保)太子町 (東南)<鵤荘> 境界石(自然石) 径40-50cm 推古14(606)頃 県史跡 WEB(日本の測量史)/現地解説板 加工されている/石祠内(昭和30-40頃に50m移設) 一般的解説は上記参照/荘園の境界に位置するため牓示石の定義と合致する 4
写真 上仁保の睨み石 かみにぼ 岡山/赤磐市   傍示石(花崗岩) 高95㎝,幅31㎝,厚19㎝ 白鳳時代   聖徳太子の榜示石 道路端の法面の笹藪の中 条里制にもとづく土地測量にあたって用いられた測量基点/傾斜地ではうまく縄が引けないため目標の標柱を立て、またはこの位置を睨んで条里を定めた(伝承) 2
写真 西仁保の睨み石 にしにぼ 岡山/赤磐市   傍示石(花崗岩) 高40㎝,幅80㎝ 白鳳時代   聖徳太子の榜示石 地蔵の前 同上 2
写真 東窪田の縄目石 ひがしくぼた 岡山/赤磐市   傍示石(花崗岩) 高60㎝→20㎝,幅50㎝→20㎝ 白鳳時代 市史跡 聖徳太子の榜示石 道路拡幅で移設、埋没 条里制にもとづく土地測量にあたって用いられた測量基点/石と石を結んで測量のために縄を張った(伝承) 3
写真 下仁保の睨み石 しもにぼ 岡山/赤磐市   傍示石(花崗岩) 高98㎝,幅55㎝,厚32㎝ 白鳳時代   聖徳太子の榜示石 石割れ修復・移設/個人宅の外庭先 同上 3