猪垣
都道府県別データ一覧にあるBランク以上の猪垣
写真
名称
ふりがな
所在地
付帯情報
形式
諸元
建造年
文化財
出典
保存状態
価値判断に係る事項
保存
評価
価値
評価
杉土手
すぎどて
宮城/仙台市(太白区)
鹿除け(土塁)
推定東西約6.4㎞→
旧期
:高約1.8m,幅約3.5m,
新期
:高約2m,幅約6m
江戸中期以前
WEB
住宅地の中に埋没するように残る
東西約6.4㎞に渡って名取川から広瀬川までの丘陵麓に築かれていたと推定されている。
3
B
榛名山東麓の猪土手
はるな
群馬/渋川市
猪垣(土塁)
江戸期?
市教委
榛名東麓の開発が進み大部分は消失/10ヶ所ほどが点在
幅約2mの深い溝を掘り、その土を耕作地側に盛り上げて土手を築いたとされる/丸太の柵や石塁を用いた区間もある
4
B
みなかみ町南部の猪土手
群馬/
(利根)みなかみ町
猪垣(土塁)
長約10㎞
→2㎞以上
江戸期?
WEB
下津、上津、師田、布施等の標高約600-700mの間に明瞭に残る
県下で数多く造られた猪垣の代表的存在
1
B
黒田しし穴列
くろだ
千葉/東金市
(松之郷)
しし穴
(楕円形の土坑)
総延長約150m,最大径約2m,深約1m
江戸期
市史跡
WEB/市教委
保存状態良好
しし狩に使用された陥し穴→追い込み猟的な組織的害獣駆除である可能性が高い
2
B
和田の猪堀
・跡
わだ
東京/青梅市
日の出山~草花丘陵への尾根裾部
猪垣(土塁)
長約1㎞
江戸期
市教委
ほとんど埋没
土塁と溝、陥し穴「猪陥し」を組み合わせた形式
4
B
北方丸山の猪垣
きたがたまるやま
長野/飯田市
猪垣(土塁)
長2.5㎞,高0.5m
元禄6(1694)頃
市教委
平成10 一部復元
木の柵(高120㎝)を持つタイプ
3
B
諏訪形の猪垣
すわがた
長野/伊那市
猪垣(土塁)
長約2㎞→約10m
,高1.8m(復元)
文化5(1808)
市史跡
現地解説板
復元/それ以外に残存区間もある
木の柵を持つタイプ→石塁の上に盛土し、その上に高さ1.2mの木柵を想像復元したもの(全高は堀から3mに達する)/全国でもこのような形で復元整備された例は他にない
2
B
春日平椰の脇の猪堀
かすがだいら、なぎのわき
長野/(上伊那)飯島町
(田切区)
猪堀(土濠、2ヶ所)
総延長640m→約50m,深2m,幅3-4m
安永9(1780)以前?
飯島町の猪垣・猪堀調査報告書
1号堀の西南部分が最も原状に近い
唐沢家3軒の畑用/安永9は新田検地の年
2
B
上通り遠見石の猪垣
うえどおり、とおみいし
長野/(上伊那)飯島町
(七久保区)
猪垣(石塁、5ヶ所)
総延長394m→151m,高1.1m(山側),0.7m(農地側)
江戸後期?
町教委/飯島町の猪垣・猪堀調査報告書
小池家のΛ型に残る猪垣の北西面15mが最も原状に近い
小池家と豊口家の畑用/飯島町近辺では幕末から昭和初期にかけて、猪が大変少なかったといわれる
2
B
南割の猪垣
みなみわり
長野/(上伊那)宮田村
猪垣(石塁)
延長5.7㎞→約350m(3ヶ所計)
不明→寛保元(1741)→文化5(1808)
村史跡
村教委
3ヶ所を除き破壊
築造年代は不明だが、寛保元(1741)に再普請、文化5(1808)に大幅な普請を行った記録が残っている/江戸末期より猪や鹿の被害が減り、放置されるようになった
3
B
万足平の猪垣
まんぞくだいら
愛知/岡崎市
猪垣
(石塁、片麻岩)
長612m,高約2m
東側
:文化2(1805)、
西側
:天保3(1832)
県有形民俗
WEB
オリジナルの形態を保った猪垣としては全国屈指の規模
大規模な猪返しの台形断面石垣(山手側をわずかに反らし、侵入しにくくしている=高度な技術)/方形割石の乱積/万足平の背後の山裾を囲む/猪垣の一角には人が出入りするための木戸が造られている
1
A
長沢「フロノ下」の猪垣
ながさわ
愛知/豊川市
小沢地区
猪垣(石塁)
周囲235m,高平均1.25m
江戸時代中期以降
市有形
市教委/現地解説板
開けた土地にあるため保存状態良好
山→野への境界線ではなく、耕地を輪中のように保護する珍しい形態の猪垣/非常に小さな石を密に積んだ構造
1
曽根次郎坂・太郎坂の猪垣
そねじろう、たろう
三重/尾鷲市・熊野市
<熊野街道(熊野古道)>
猪垣(石塁)
長1100m
寛保元(1741)
市史跡
熊野市教委/
熊野古道と石段・石畳p13
保存状態良好
「寛保元歳酉三月上旬ヨリ戌二月迄築立之也、垣頭取才領、松場清右衛門」と刻まれた記念碑がある→猪垣ではきわめて異例/猪垣そのものも大規模/楔穴の付いた(石切り場から切り出した)石材も一部に使われている
1
A
大観猪垣道の猪垣
だいかん
三重/熊野市
観音道~大吹峠
猪垣
長873m,高1.6-1.2m
江戸期
WEB
保存状態良好/猪垣に沿って街道が造られているので視認性が良い
大規模な猪垣/猪垣三叉路がある
1
A
河内町奥河内
の猪垣群
こうち・おくこうち
三重/鳥羽市
猪垣(石塁)
長
約200
m(2ヶ所),長約100m(1ヶ所)
江戸期
市教委
少し荒れている
猪の害が多く、市内に多くの猪垣が造られ、今も現存している
2
B
牧の猪垣
まき
岐阜/郡上市
古今伝授の里フィールドミュージアム
猪垣(石塁)
江戸期?
市教委
フィールドミュージアム内を横断する部分の猪垣を修復・復元して、外側の窪地を散策道化
2
B
板所の猪鹿垣
いたしょ
岐阜/本巣市
猪垣(石塁)
長7㎞→長20m,高1m
文化年間(1804-16)
市史跡
市教委
ごく一部のみ残る
大垣藩の指導で造られた(江戸時代で文化年間が、猪被害の大きかった時期)
3
B
通称「峠」の猪垣
とうげ
滋賀/米原市
伊吹山麓
猪垣(石塁)
長約900m,高最大2.5m,幅1.0m
(現存部)
文政7(1824)以後
市教委/現地解説板
保存状態良好
視認できる形で連続して現存する国内最大規模の猪垣/小泉の藤田家に、文政7(1824)浜松藩役所に全長約2㎞の猪垣構築を願い出た文書が伝わる→天保5(1834)に大雪のため崩壊した部分の修復を願い出ている
2
A
猪垣(木ノ川~高森)
きのかわ・たかもり
和歌山/新宮市
猪垣(石塁)
全長5㎞,高1-2m,幅50-80㎝
江戸期以前?
市教委/熊野の列石p16
放置
石塁と猪つぼ2基が現存する
3
B
猪垣(高森~南桧杖)
たかもり・みなみひずえ
和歌山/新宮市
猪垣(石塁)
全長4㎞
江戸期以前?
市教委/熊野の列石p18
放置
内側を赤土でたたきしめ、石を積んだ猪つぼが2基現存する/環状の石垣もある
2
B
猪垣(相賀・高田)
おうが・たかだ
和歌山/新宮市
猪垣
(石塁、野面積み)
全長15㎞,高1-2m,幅約1m
江戸期以前?
市教委/熊野の列石p19
放置
耕地や盆地状の集落を囲むようにして造られている/2重の箇所や支線がある/猪つぼを多数確認
2
A
熊野川町の猪垣
くまのがわ
和歌山/新宮市
猪垣(石塁)
全長約3.3㎞,高1m
明和7(1770)頃
市教委/熊野の列石p22-23
放置
猪垣としては小さい→急斜面や堀を利用していた
B
直見の猪垣
ぬくみ
和歌山/
(東牟婁)古座川町
猪垣(石塁)
長約550m
江戸期
町教委
2
B
高津気の猪垣
こうづけ
和歌山/
(東牟婁)那智勝浦町
猪垣(石塁)
長約4㎞,高1.5m,幅1m
江戸期?
WEB/町教委
区民により保全整備
杉林内の斜面に良好な形で残る長大な猪垣/木戸跡5ヶ所、猪つぼ4ヶ所とともに現存
1
B
日谷山の石塁
にっこくさん
広島/広島市(佐伯区)
(善福寺極楽苑)
猪垣(石塁)
長120m,高約1.5m
江戸中期-後期
選奨土木遺産/<湯来町史跡>
湯来町の文化財めぐりp9
およそ半分を復元(市町村合併に伴う地域住民の交流を図るため保存・整備活動による)
山林と元屋敷・耕地との境界に造られ、寺院及び関連施設を取り囲む石垣/石積みの両端が谷側の石垣に繋がっていることから、寺域を土石流や蛇ノ谷川の氾濫から保護する用途や、寺域内に耕作地があったことから猪垣としての用途もあったと推定される/日入谷の万里の長城とも呼ばれている
2
B
安浦町の猪鹿垣
やすうら
広島/呉市
(内平)
猪垣(石塁)
長6.5㎞,高約2m
文化10(1813)
県文化100選
WEB(瀬戸内野呂山麓内平村の猪鹿垣について)/市教委
後世の開墾等で一部破壊/放置
集落全体を囲むように造られ、一名万里の長城とも呼ばれていた中国地方最大級の石垣/内平地区内の穀神社に文化10(1813)建立の猪鹿垣記念碑が現存し、築調の中心人物と猪鹿垣の長さ、高さが刻まれている/猪鹿垣記念碑に長40町(約40㎞)と記載があるが、文化9-10(1812-1813)の工事記録では長31町(約3.4㎞)とあり、この差異は工事以前から存在していた猪鹿垣の長さを含めるか否かの違いであると考えられる/内平地区の外にも原畑地区に猪鹿垣が連続するような形で残存→『芸藩通志(1825)』の絵図に記載があるため江戸期以前のものと思われるが、前述の文化9-10(1812-1813)の工事記録に記載がなく、内平地区の猪鹿垣との関連性は不明(原畑地区の猪鹿垣も含めた場合、全長約6.5㎞)/猪鹿垣の裏手に耕作放棄された棚田の痕跡が残っている
2-3
砂ケ瀬の猪垣
ごみがせ
広島/
(山県)安芸太田町
(中筒賀1186番)
猪垣(石塁)
長300m,高1-3m
享保20(1735)頃?
町史跡
WEB/町教委
接近不能
4
B
長崎のしし垣
ながさき
香川/(小豆)小豆島町
(小豆島)
(長崎)
猪垣(土塁)
長200m,高1.6m
(最高部),幅0.6m
江戸中~後期
町史跡
町教委/
現地解説板
土塀のため風化が進んでいる
鹿や猪などから農作物を守るため築かれた/島内に石塀や土塀が築かれ延べ120㎞と言われる中でも、長崎地区のものはほぼ完全な形を残している/剥き出しの土塀で造られた猪垣が残るのは珍しい→木で型枠を組み、両側の板を棒で固定し、型枠内にこねた土を3段に分けて突き固めた(棒の穴がしし垣に残る)
2
笠ケ滝の猪鹿垣
かさがたき
香川/(小豆)土庄町
(小豆島)
猪垣(石塁)
江戸期
町教委
畑などの石垣に転用されているところもある
途切れながら山中に長く延びている(保存状態良好)/町内には、他にも未調査の猪鹿垣が各所に残る
1
B
竹尾集落の大猪垣
たけお
徳島/美馬市
猪垣
長1.5㎞(うち、空壕250m)
室町 or 江戸前期
市教委(木屋平村史p1175)
放置保存→崩壊
猪が集落に入って畑作物を荒らすのを防ぐ目的で築かれた「集落周回型」の猪垣=東・北・西を猪垣、南を川で防いだ/長い石を板垣状に立てた部分、石積みの部分、幅・深さ2mの空壕の部分に分かれる/長尺の石を柵状に用いた猪垣は稀少
3
A
内泊の猪垣
うちどまり
愛媛/(南宇和)愛南町
猪垣
長約8.8㎞
江戸期
町教委
樹木により視認困難
海に面した内泊地区を取り巻くように権現山に築かれた猪垣
3
B
能古島の鹿垣
のこのしま、ししがき
福岡/福岡市(西区)
(能古島)
鹿垣(土塁,石垣)
東西約2㎞,高2mの土盛りの北側に30~50㎝大の石,その前面に幅3mの溝
天保7(1836)
市教委
現存するのは長600m程度
福岡藩の鹿の狩猟場/田畑への鹿の被害が著しかったため、島を南北に分断する石垣を築いた
2
B
西彼杵半島の猪垣
にしそのぎ
長崎/西海市
西彼杵半島全域
猪垣(石塁)(結晶片岩・玄武岩)
延長約70㎞
(当初),高約1.5m
享保7(1722)着工
県有形民俗(基点石のみ)
矢ヶ﨑孝雄/WEB
西彼杵半島の尾根部に一部が残る
中浦村庄屋・郡仙右衛門が8年余をかけて構築した猪垣→大村藩から資金援助がなく、労苦を農民に課したことから、農民の直訴により追放→事業は隣村の共鳴を得て完成/基点の自然石に「享保七/
□
寅年」と着工年が刻字/完成時には全国屈指の規模/野面石を積み上げた構造
3
櫛来のシシ垣
くしく
大分/国東市
(国見町櫛来)
鹿垣
長12㎞(当初),
土手上部幅約1m,
下部幅2,高1.3m
享和2(1802)
市教委
樹木で侵食
櫛来地区を完全に取り巻くように造られた鹿垣(開口部は港のみ)/猪ではなく鹿を防ぐため(村人が信仰していた櫛来社では、鹿を殺したり食べたりすることを厳しく禁じていたため、侵入を防止するしかなかった)
3
A
鶴見地区のシシ垣
つるみ
大分/佐伯市
吹浦~日野浦~下梶寄
猪垣(石塁・石垣)
長10数㎞,高2m,
幅90㎝
江戸末期~明治期
市教委
残存確認箇所は離散的だが総延長は10数㎞に達する
サツマイモを猪や鹿の害から守るため構築された言われる(鹿が対象として入っているのは、高さが所により2mを超えるため)/江戸中期までの史料にはシシ垣に関する記載がない
2
A
蒲江地区の大垣
かまえ
大分/佐伯市
猪垣(石塁)
長数㎞
江戸中・末期~昭和期
市教委
山中に放置
耕作地背後の山の中腹に帯状に造られた「大垣」と呼ばれるシシ垣/高山地区の海岸の浜石を用いて構築→他地区のものと比べ、シシ垣の高さ・幅ともに大きい/構築年代は、サツマイモの耕作が始まった時期と推測されている
2
B
大宜味村の猪垣
おおぎみ・いがき
沖縄/(国頭)大宜味村
猪垣(石塁)
総延長約1.5㎞
(指定距離1.3㎞),高2.1m-1.2m
1782年改修
村史跡
WEB
樹林中に明瞭に残る
塩屋、屋古前田、田湊・渡野喜屋・根路銘の住民が1776-85年に大改修当時「万里の長城」にちなんで、「十里の長城」とうたわれた
2
B
高松のカチバ
たかまつ
(カイクン)
沖縄/(国頭)宜野座村
松田地区
猪垣(土塁)
約2.3㎞→
1.2㎞,高約1m
琉球王国時代
市教委/
WEB(みさき道人)
猪垣→保安林
土塁の上にテーブルサンゴ石や竹槍を刺し、島竹を植え、猪が土塁を越えないよう工夫されていた
2
B
祖納岳の猪垣
そない、
シィー
沖縄/(八重山)竹富町
(西表島)
猪垣(石塁)
延長約1㎞
1728年
WEB
2016年12月にシシ垣サミットが開催された
西表島の特徴
2
B
ヤッサ地区の猪垣
シィー
沖縄/(八重山)竹富町
(西表島)
猪垣(石塁)
高約1.2m
1768年頃
WEB
2006年に初めて修復
西表島の特徴
2
B