写真 |
名称 |
ふりがな |
所在地 |
付帯情報 |
形式 |
諸元 |
建造年 |
文化財 |
出典 |
保存状態 |
価値判断に係る事項 |
保存
評価
| 価値
評価 |
 |
元上横山村の郷倉 |
かみよこやま |
新潟/佐渡市(佐渡島) |
金井歴史民俗資料館 |
郷倉(木造土壁寄棟藁葺) |
|
天保年間(1830-44) |
市建造物 |
WEB |
移設・修復 |
かつて佐渡島内に96ヶ所あった郷倉の1つ(金井地区の天保年間に設置された9ヶ所の郷倉の1つ) |
2 |
B |
 |
上泉郷蔵 |
じょうせん |
群馬/前橋市 |
(上泉町) |
郷倉
(土造切妻瓦葺) |
|
寛政8(1796) |
県史跡 |
WEB |
原位置/平成3に解体・修復
(屋根は改変) |
大胡氏の支城として、天文年間(1550頃)に築かれた上泉城の本丸跡に、前橋藩の貯穀令により建てられた |
2 |
B |
 |
島村の板倉 |
しまむら |
群馬/伊勢崎市 |
|
郷倉
(木造切妻瓦葺) |
桁行2.7m,梁間1.8m |
天明2(1782) |
市有形 |
|
きれいに復元 |
郷倉としては、珍しく開放的な構造/内壁右面に「上野国佐位郡島村 栗原清右衛門、三ッ小屋 大工 伊八、久保同 文四郎」、左面に「天明弐壬寅極月吉日」の墨書銘 |
1 |
B |
 |
小室の郷蔵 |
こむろ |
群馬/渋川市 |
|
郷倉(土蔵) |
桁行5.4m,
梁間3.6m |
江戸前半期? |
市史跡 |
市教委 |
平成16再建 |
県下で6棟が現存 |
3 |
C |
|
幡谷郷倉 |
はたや |
群馬/(利根)片品村 |
(幡谷) |
郷倉
(土造切妻瓦葺) |
|
文化8(1811) |
村重文 |
WEB |
原位置?/屋根は改変 |
幕府の食糧貯蔵の命を受け、代官の命令で一字に一棟が建てられた
(10石を格納) |
2 |
C |
|
上而郷倉 |
うわで |
群馬/(利根)片品村 |
(越本) |
郷倉
(土造切妻瓦葺) |
|
文化8(1811) |
村重文 |
WEB |
複数回移設/屋根は改変 |
同上 |
3 |
C |
 |
文挾宿の郷倉 |
ふばさみ |
栃木/日光市 |
|
郷倉
(木造切妻銅板葺) |
5.46m×3.68m |
安政年間(1854-60) |
市有形 |
市教委/県教委
(歴史の道1p158) |
屋根は栗板から銅板に |
日光神領内の村人が協同で建てた8つの郷倉の1つ/栗材を使用 |
2 |
B |
|
五十里の郷倉 |
いかり |
栃木/日光市 |
|
郷倉 |
|
幕末 |
|
市教委 |
|
会津藩が造った郷倉 |
|
C |
 |
三輪郷倉 |
みわ |
栃木/(那須)那珂川町 |
|
郷倉
(木造切妻茅葺) |
5.33m×1.33m |
江戸期 |
町有形 |
WEB |
移設 |
飢饉などの非常時用にヒエ・アワ・米・麦を貯蔵/松材(土台は栗材)、竹のクサビを使用 |
2 |
B |
 |
雪入の郷倉 |
ゆきいり |
茨城/かすみがうら市 |
|
郷倉(萱葺) |
5.4m×3.6m |
文化9(1812) |
市建造物 |
WEB |
ほぼ完全な状態だが、萱葺のため老朽化が進む/全国に残る郷倉の中でも(小規模だが)最もよく旧状を留めるものの一つ |
志筑藩家老・横手郭応(義忠)/志筑藩では、年貢米の40分の1を籾納で領内村々の各戸から徴収して貯穀し、凶年には窮民へ無利息で貸し付け、平常の年はこれを藩の財政に繰り入れる仕組み/市内には、これ以外に個人所有の萱葺郷倉も1棟現存する |
1 |
B |
|
東染の郷倉 |
ひがしぞめ |
茨城/常陸太田市 |
|
郷倉(萱葺) |
|
天保13(1842) |
市建造物 |
WEB |
全体に屋根を架けて保存 |
|
2 |
C |
|
旧・石川村郷倉 |
いしかわ |
東京/大田区 |
<石川村(幕府直轄地)> |
郷倉
(木造切妻鉄板葺) |
|
江戸期 |
区有形 |
WEB |
近接移設→個人宅内/元は草葺き |
幕府の直轄地であった石川村の名主宅に置かれていた郷倉/毎年収穫時に詰替えが行われた(米100俵を格納) |
3 |
C |
 |
堀切の郷倉 |
ほりきり・ごうぐら |
東京/葛飾区 |
堀切小学校 |
郷倉
(木造寄棟萱葺) |
|
天明期(1781-1788)以降 |
区有形 |
現地解説板/WEB |
多少の修理は行われているが、創建当初の姿をよく残す |
郷村に設置された共同の倉庫/年貢の一時的保管のために設けられ、次第に非常用の食料を保管 |
2 |
B |
 |
上恩方町の稗穀倉
(塚本家稗穀倉) |
かみおんがた、ひえこく |
東京/八王子市 |
|
郷倉(木造切妻トタン板葺) |
桁行3.6m,
梁行3.6m |
天保期(1833-39)? |
市伝統的建造物等 |
高橋 努 |
明治初期に移設/全体に傷みが進行 |
天保の大飢饉時に造られたと推測されている(左記の年代は飢饉の開始~終了年)/村中で稗を出し合って貯蔵していた村の共有の備蓄庫 |
3 |
C |
|
旧下里村穀櫃 |
しもさとむら・こくびつ |
東京/東久留米市 |
大円寺<下里村> |
郷倉(木造切妻) |
|
弘化年間(1844-47)? |
市有形民俗 |
市教委 |
移築・復元 |
小規模 |
3 |
C |
 |
田村家穀箱 |
たむら |
東京/福生市 |
|
郷倉(木造箱型) |
間口3.0m,奥行1.2m,総高2.5m |
天保11(1840) |
市有形民俗 |
高橋 努 |
保存状態良好 |
飢饉に備えて粟やヒエなどの穀物を備蓄した貯蔵庫/内部は3区画に分かれる/板を組み合わせた構造 |
1 |
C |
|
安寺沢の郷倉 |
あてらざわ、ごうぐら |
山梨/上野原市 |
|
郷倉
(木造切妻萱葺) |
間口3.0m,奥行3.2m |
寛政元(1789)以降 |
市有形 |
市教委/WEB |
移築(明治期)/覆屋で保護(景観上良くない) |
郷倉というのは、凶作のときに備えたり、米価の調節などを目的に籾を強制的に貯蔵しておき、不時の際、籾を貸し出して農民を救済するためのもの |
3 |
C |
 |
上菅口の郷倉 |
かみすげくち、ごうそう |
山梨/甲斐市 |
|
郷倉
(土蔵造切妻瓦葺) |
桁行6.4m,梁間2.7m |
文政年間-天保年間
(1818-1844) |
県有形 |
市教委 |
小規模な修復/覆屋で保護 |
倉は土蔵造り、桁行6.4m、梁間2.7m、一重、切妻造り桟瓦葺であって、倉の内部は東と西の二間に仕切られ各々出入り口が設けてあり、西側南面に採光窓が開かれているほか四周は土壁である |
2 |
B |
|
下菅口の郷倉 |
しもすげくち、ごうそう |
山梨/甲斐市 |
|
郷倉 |
|
文政年間-天保年間
(1818-1844) |
県有形 |
市教委 |
小規模な修復 |
|
4 |
C |
|
|
仁礼町の郷倉 |
にれい |
長野/須坂市 |
|
郷倉(土蔵造切妻瓦葺、2階建) |
間口10.9m,奥行5.5m |
江戸期 |
市有形 |
信州の文化財 |
保存状態良好 |
年貢米の保管や荒穀備貯の建物/2階建の立派なもの |
1 |
B |
|
押羽の郷倉 |
おしは |
長野/
(上高井)小布施町 |
|
郷倉
(土蔵造切妻瓦葺) |
間口7.5m,奥行6.4m |
江戸期 |
町史跡 |
信州の文化財 |
平成7、屋根葺替えと壁修理 |
年貢米の保管や凶作に備えた貯穀の建物/押羽では「おくら」と呼ばれていた |
1 |
C |
|
駒場の郷蔵 |
こまば |
長野/(上高井)高山村 |
|
郷倉
(土蔵造切妻瓦葺) |
|
安政2(1855)再建 |
市有形 |
信州の文化財 |
平成7、屋根葺替えと壁修理 |
年貢米の保管や凶作に備えた貯穀の建物/茅葺は珍しい |
1 |
B |
 |
旧大網の塩倉 |
おあみ |
長野/(北安曇)小谷村 |
牛方宿<松本街道> |
塩倉(木造半地下式切妻、2階建) |
間口3.9m,奥行5.5m |
幕末頃 |
村有形 |
信州の文化財/WEB |
管理面などを考慮し現在の場所に移築し、同時に補修 |
千国街道(塩の道)に現存する唯一の塩倉。塩を一時保管するため、金属が腐食しないよう釘を使わない造りとなっている/階上は塩の保管、階下は牛・馬を繋ぐために使われたと言われている/建設年代は不明だが、開花の大戸と袖壁は和釘止めであることから、幕末頃の建立と推定 |
2 |
 |
|
本郷の郷倉 |
ほんごう |
長野/
(下高井)山ノ内町 |
|
郷倉
(土蔵造切妻瓦葺) |
間口3.6m、奥行5.5m |
天保年間(1830-43) |
町有形民俗 |
信州の文化財 |
保全整備 |
年貢米の保管や凶作に備えた貯穀の建物 |
1 |
C |
 |
坂北別所の郷倉 |
さかきたべっしょ |
長野/(東筑摩)筑北村 |
|
郷倉
(土蔵造切妻茅葺) |
建坪約20㎡ |
安永9(1780)頃 |
村有形 |
信州の文化財 |
茅葺を保護屋根で被覆/土蔵の壁が剥落 |
天明の大飢饉のころより、籾、大小麦、雑穀等が収納されていた/18世紀の郷倉が残っているのは珍しい |
2 |
B |
|
本間川の郷倉 |
ほんまがわ |
長野/(南佐久)小海町 |
|
郷倉(木造切妻瓦葺、2階建) |
間口3.8m,奥行2.9m |
文政13(1860) |
町有形 |
信州の文化財 |
保全整備/昭和50代に瓦葺屋根に改修 |
年貢米の保管や凶作に備えた貯穀の建物 |
2 |
C |
|
狩宿郷倉 |
かりじゅく |
愛知/尾張旭市 |
|
郷倉
(土蔵造切妻瓦葺) |
桁行3.6m |
江戸期 |
市有形民俗 |
WEB |
平成元の失火で一部焼失→平成3補修復元 |
村の共同倉庫として、共有道具や祭礼道具の保管に使用された |
2 |
C |
|
谷田町の郷倉 |
やた |
愛知/知立市 |
神明社 |
郷倉(土蔵造瓦葺) |
|
延宝3(1675) |
|
WEB |
昭和10移設/一部補修/保存状態良好 |
延宝3年の大飢饉を契機に幕府が全国に造らせた穀物貯蔵倉庫の1つ/市内で唯一現存 |
2 |
B |
 |
義倉蔵 |
ぎそうぐら |
愛知/西尾市 |
伊文神社 |
郷倉
(土蔵造切妻瓦葺) |
間口6.3m,奥行10.8m |
安政4-6(1857-9)頃 |
市史跡 |
WEB/馬場慎一 |
保存状態良好 |
西尾義倉会が義倉米を貯蔵するため、伊文神社の境内地を借りて建築した土蔵/義倉会は城下の御用商人らが飢饉時に困窮者の救済を行なうことを目的に設立した組織(御用達等の寄付米を元米として義倉に貯蔵し、平時にこれを貸し付けることにより利米を稼いで備蓄米を増やし、飢饉の際には難民に安売りや施米を行なった) |
1 |
B |
 |
田内の郷倉 |
たうち |
愛知/(北設楽)設楽町 |
(中林) |
郷倉(木造切妻鉄板葺) |
|
江戸期 |
町有形民俗 |
WEB |
|
飢饉用にヒエ・アワを貯蔵/村ごとに設置され、家族の人数に応じた量を強制的に貯穀した |
|
C |
 |
旧・林浦の在蔵 |
はやしうら |
三重/尾鷲市 |
(瀬木山町) |
郷倉(土蔵造一部二階建瓦葺) |
間口9.1m,
奥行8.2m |
安政5(1858)以前 |
|
WEB |
原位置 |
紀州藩への蔵米と飢饉に備えた囲米を格納する蔵/安政5に10石の囲米が収蔵されていた記録がある/立派な石垣 |
1 |
B |
 |
旧・越賀村の郷蔵 |
こしか |
三重/志摩市 |
(志摩町越賀) |
郷倉
(木造切妻瓦葺) |
間口8.5m,
奥行4.0m |
江戸期 |
県史跡 |
WEB |
原位置 |
紀州藩への蔵米と飢饉に備えた囲米を格納する蔵 |
1 |
C |
|
落合の郷倉 |
おちあい |
岐阜/下呂市 |
小坂郷土館 |
郷倉(木造) |
|
天明年間(1781-89) |
市建造物 |
WEB |
移設・展示 |
|
2 |
C |
|
八日町の郷倉 |
ようかまち |
岐阜/高山市 |
|
郷倉(木造切妻) |
間口2.9m,
奥行3.8m |
天保13(1842)以降 |
市美術工芸 |
WEB |
移設/地元により保存・活用 |
天保11(1840)に郡代・豊田藤之進友直が100石5粒法を定め、飢饉・凶作に備えて各地に郷倉を建て穀物を蓄えるように命じのを受けて築造 |
1 |
C |
|
元・新宮町の郷倉 |
しんぐう |
岐阜/高山市 |
飛騨民俗村 |
郷倉(木造切妻) |
|
江戸後期 |
|
WEB |
移設・展示 |
|
2 |
C |
|
|
備荒倉 |
|
福井/勝山市 |
|
郷倉 |
7.3m×10.9m |
弘化4(1847) |
市史跡 |
|
|
|
|
C |
 |
市野々の郷倉・跡 |
いちのの |
和歌山/
(東牟婁)那智勝浦町 |
|
郷倉(石蔵造)
(2軒) |
|
江戸期 |
町史跡 |
町教委 |
石壁の下部が残存 |
壁の部分が石積で造られた郷倉は全国でも類を見ない(天井部分の構造は不明) |
3 |
B |
 |
東山の固寧倉 |
ひがしやま、こねいそう |
兵庫/姫路市 |
|
郷倉(土蔵造) |
正面3.93m
×側面9.8m |
文化6~弘化3(1809-48) |
市有形 |
現地解説板/WEB
(的形道標クラブ) |
修復済み |
姫路藩独自の社倉米の貯蔵庫/288ヶ所→5ヶ所/穀物倉庫の後方に別の平入りの倉庫が組み合わされた特殊な構造 |
2 |
B |
 |
妻鹿の固寧倉 |
めが、
こねいそう |
兵庫/姫路市 |
|
郷倉(土蔵造) |
正面3.93m
×側面4.92m |
文化6~弘化3(1809-48) |
市有形 |
現地解説板/WEB
(的形道標クラブ) |
修復済み |
姫路藩独自の社倉米の貯蔵庫/288ヶ所→5ヶ所/民家の土蔵と似た造り |
2 |
C |
 |
白浜の固寧倉 |
しらはま、
こねいそう |
兵庫/姫路市 |
|
郷倉(土蔵造) |
|
文化6~弘化3(1809-48) |
市有形 |
現地解説板/WEB
(的形道標クラブ) |
修復済み |
姫路藩独自の社倉米の貯蔵庫/288ヶ所→5ヶ所 |
2 |
C |
|
刀出の固寧倉 |
かたなで、
こねいそう |
兵庫/姫路市 |
|
郷倉(土蔵造) |
正面3.6m
×側面5.4m |
文化6~弘化3(1809-48) |
市有形 |
現地解説板 |
修復済み |
姫路藩独自の社倉米の貯蔵庫/288ヶ所→5ヶ所 |
2 |
C |
|
野里の固寧倉 |
のざと、こねいそう |
兵庫/姫路市 |
|
郷倉(土蔵造) |
正面3.73m
×側面2.82m |
文化6~弘化3(1809-48) |
市有形 |
現地解説板 |
修復済み |
姫路藩独自の社倉米の貯蔵庫/288ヶ所→5ヶ所 |
2 |
C |
|
 |
小森の郷蔵(育麦倉) |
こもり
(せむぎ) |
岡山/
(加賀)吉備中央町 |
|
郷倉
(土蔵造切妻瓦葺) |
|
元文3(1738) |
町重文 |
WEB |
原位置?/屋根は改変 |
岡山藩で唯一現存する郷倉 |
1 |
C |
 |
大江のいもぐら |
おおえ |
島根/(隠岐)知夫村
(知夫里島) |
(大江) |
芋蔵(14ヶ所) |
|
江戸中期 |
村有形民俗 |
WEB |
最近まで使用していた |
江戸時代中期に芋を貯蔵するため風化した崖を掘った四角い穴/いち1ヶ所は間口66㎝,奥行303㎝/大江地区以外にも古海(うるみ)と多沢(たたく)に |
2 |
B |
|
大浜の社倉 |
おおはま |
広島/呉市 |
|
郷倉
(土蔵造切妻瓦葺) |
間口約5.4m,奥行約3.6m |
天明6(1786)以前 |
県史跡 |
WEB |
保存修理 |
宝暦6(1756)の飢饉で安芸郡矢野村(現広島市)などにあった社倉の有効性が認められたことから、幕府命令とは別に広島藩が社倉法を全藩において実施するという命令を出した際の全藩に造られた社倉のうちの一つ |
1 |
C |
|
福田の社倉 |
ふくだ |
広島/竹原市 |
(中谷) |
郷倉
(土蔵造瓦葺) |
間口約8.2m,奥行約3.6m |
安永9(1780) |
市史跡 |
WEB/市教委 |
屋根等改修 |
宝暦6(1756)の飢饉で安芸郡矢野村(現広島市)などにあった社倉の有効性が認められたことから、幕府命令とは別に広島藩が社倉法を全藩において実施するという命令を出した際の全藩に造られた社倉のうちの一つ |
2 |
C |
|
織田家社倉 |
おだ |
広島/(安芸)熊野町 |
(川角) |
郷倉(土蔵造瓦葺、2階建) |
|
寛政2(1790) |
町史跡 |
WEB |
保全 |
宝暦6(1756)の飢饉で安芸郡矢野村(現広島市)などにあった社倉の有効性が確認された→幕府命令とは別に広島藩が社倉法を藩内全域で実施した際、造られた社倉の一つ/現存県下最古 |
1 |
B |
 |
下筒賀の社倉 |
しもつつが |
広島/
(山県)安芸太田町 |
|
郷倉
(土蔵造切妻茅葺) |
488㎝×378㎝ |
寛政11(1799) |
県史跡 |
WEB/町教委 |
当時の位置・構造を維持保全 |
宝暦6(1756)の飢饉で安芸郡矢野村(現広島市)などにあった社倉の有効性が認められたことから、幕府命令とは別に広島藩が社倉法を全藩において実施するという命令を出した際の全藩に造られた社倉のうちの一つ/坊主型と呼ばれる蔵本体と屋根が別になっている構造をしている |
1 |
B |
 |
下殿河内の氷室・跡 |
しもとのごうち |
広島/
(山県)安芸太田町 |
(下殿河内)
堀八幡神社・裏 |
氷室(竪穴)
(切石、四方形) |
径約9m,
深約5.4m |
江戸期 |
|
WEB |
底と側面の一部が埋没 |
氷雪の貯蔵施設/川の舟運が盛んだったころ、陰で気温の低い位置に造られた穴に厳冬期に積雪を落し込んで、茅、土、屋根と何重にも覆っておき、真夏を待って夜を徹して開き、早舟で広島に出し売りしていた/穴の横の傾斜から自然に雪が落ちてくるようになっている |
3 |
B |
|
 |
屋島中町の
元・三崎の義倉 |
やしまなか
(みさき・ぎそう) |
香川/高松市 |
四国村 |
郷倉(木造瓦葺) |
1桁行10.9m,
梁間5.5m |
文政2(1819)
→昭和15まで使用 |
土佐清水市有形/国登録 |
現地解説板/WEB(土佐清水市) |
土佐清水市から移築 |
大庄屋・沖市左衛門が創建した備荒施設/いわゆる「社倉米」的な側面をもつ郷倉→社倉米は藩が行う米の農民への貸付だが飢饉時の農民救済も行う、郷倉は飢饉用の米の備蓄 |
2 |
A |
|
 |
須賀神社の社倉 |
すが |
福岡/朝倉市 |
須賀神社 |
郷倉
(土蔵造切妻瓦葺) |
間口10.1m,
奥行6.1m |
文政5(1822) |
県有形民俗 |
WEB |
保存状態良好 |
稲粟百俵ずつを貯えて備荒とし、平時には住民に貸し付け、非常時には倉を開放して救済に充てた/社倉前に仙涯和尚撰文揮毫による由緒碑が建つ/隣接して小規模な社倉(より後年)も建つ |
1 |
B |
 |
求菩提のツチ小屋群 |
くぼて |
福岡/豊前市 |
求菩提の棚田 |
石小屋(農作業具) |
約30軒 |
江戸期 |
国重要伝統的景観 |
市教委 |
草葺→トタン葺/肥料や藁、農業機械の保管場所として利用 |
農作業用具の保管するための小屋/三方の壁を石積みにし、前面は開放とし、その上に小屋掛けをする構造 |
2 |
B |
 |
求菩提の氷室・跡 |
くぼて |
福岡/豊前市 |
|
氷室(石積) |
13m×13m,
残存高3.5m |
中世末~近世初頭 |
国史跡 |
市教委 |
明治前半頃まで補修して使用/屋根がなく、石壁もかなり崩壊 |
大型の石造の氷室(雪を踏み固めて氷を作り保存した)/山伏の生業として使われていたとされる/国史跡「求菩提山」の構成要素/建立年代は石積法からの推測/明治期まで使用され「官許貯氷販売所獅子ノ口氷室」という看板もかけられていた |
3 |
A |
 |
大和浜の群倉 |
やまと、
ぼれぐら |
鹿児島/(大島)大和村
(奄美大島) |
|
穀物貯蔵庫 |
木造藁葺屋根 |
室町時代に南方から伝わったとの説あり |
県有形 |
WEB |
大和村役場の近くに集約/再現 |
かつて穀物の貯蔵庫として島内に点在→湿気とネズミの害を防ぐために脚を高くした藁葺の穀物貯蔵庫/4本の柱だけで壁のない構造/釘を1本も使わず、梁や桁を組み合わせた造り |
2 |
B |