写真 |
名称 |
ふりがな |
所在地 |
付帯情報 |
形式 |
諸元 |
建造年 |
文化財 |
出典 |
保存状態 |
価値判断に係る事項 |
保存
評価
| 価値
評価 |
|
伊賀ばね |
いが |
京都/亀岡市 |
|
砂防(導流堤) |
長約400m(現存部),高最大5-6m,底幅1-1.5m |
慶安元-貞享3(1648-86)の間 |
|
市教委(伊賀ばねp3-4) |
保存状態やや良好 |
千歳町国分の集落の背後にある牛松山は急傾斜のため大雨の際の谷水により大きな被害を受けてきた→亀山藩主(松平氏)が村民の請願を受けて、谷水の流れを横にそらすための石堤を構築/「伊賀」は、官職名「伊賀守」に由来 |
2 |
B |
|
上太田の砂留 |
かみおおだ |
兵庫/(揖保)太子町 |
|
砂防堰堤 |
高約10m |
江戸期? |
|
町教委 |
当時のまま |
石積構造から江戸期と推定される/江戸期の砂防堰堤は福山藩(広島県)以外では稀 |
1 |
A |
|
|
小部古一番砂留 |
おべ |
広島/福山市 |
今信川水系 |
砂防堰堤 |
高2.0m,長3.0m |
享保6(1721)頃 |
|
福山藩の砂留p199 |
当初の形態を維持? |
『東中條村明細帳』(享保20)に「小部砂留石堤」と記録されている(該当のもかどうかは不明)/野面石の乱積みは珍しい |
1 |
C |
|
小部古二番砂留 |
おべ |
広島/福山市 |
今信川水系 |
砂防堰堤 |
高5.0m,長3.0m |
享保6(1721)頃? |
|
福山藩の砂留p201 |
当初の形態を維持? |
同上/野面石の乱積みは珍しい |
1 |
C |
|
宮地砂留 |
みやじ |
広島/福山市 |
今信川水系 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高3.2m,長5.0m |
享保8(1723)頃 |
|
福山藩の砂留p204 |
明治以降に嵩上げ(頂部のみ) |
水通し部は乱積み、縦一列になった袖部など古式を残す上部の一部のみ嵩上げ |
1 |
C |
|
海谷一番砂留 |
かいたに |
広島/福山市 |
今信川水系 |
砂防堰堤 |
高5.2m,長9.2m |
享保16(1731)頃 |
|
福山藩の砂留p192 |
資料には近代の改築とあるが、石積みは恐らく江戸期のもの |
『東中條村明細帳』(享保19)に「海谷砂留石堤」と記録されている(該当のもかどうかは不明) |
2 |
C |
|
海谷二番砂留 |
かいたに |
広島/福山市 |
今信川水系 |
砂防堰堤 |
高2.0m,長7.2m |
享保16(1731)頃 |
|
福山藩の砂留p193 |
当初の形態を維持? |
同上/野面石の乱積みは珍しい |
1 |
C |
|
鳶ケ迫砂留 |
とびがさこ |
広島/福山市 |
堂々川支流 |
砂防堰堤(階段型) |
高10.7m,長39.3m |
享保17(1732)? |
国登録 |
福山藩の砂留p170 |
江戸期-明治初期に何度も改修 |
全体の2/3以上を占める階段様の成層積みが見事/頂部の谷積みは大正以降 |
3 |
B |
|
海谷三番砂留 |
かいたに |
広島/福山市 |
今信川水系 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高4.6m,長11.0m |
享保16(1731)以降 |
|
福山藩の砂留p194 |
袖部は近代の改修だが、水通し部の下2/3は江戸期? |
海谷二番砂留の上流に後年に築造されたもの |
3 |
C |
|
海谷四番砂留 |
かいたに |
広島/福山市 |
今信川水系 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高7.7m,長27.7m |
享保16(1731)以降 |
|
福山藩の砂留p195 |
上部は昭和期の嵩上げ/下2/3
は水通し・袖部とも江戸期のもの |
水通し部と両袖部の石積が見事 |
2 |
B |
|
小部上砂留 |
おべ |
広島/福山市 |
今信川水系 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高10.2m,長33.0m |
江戸中期? |
|
福山藩の砂留p202 |
大正初期以降に改築・嵩上げ |
5段の水通し部のうち、下2段の乱積み風の部分がオリジナル、中央1段の布積み崩しが江戸末期の嵩上げ?、上2段の谷積みが昭和の嵩上げ/両袖部は、右岸側に一部オリジナル、左岸側の谷積みは昭和期の改築 |
3 |
A |
|
本谷砂留 |
ほんたに |
広島/福山市 |
本谷川水系 |
砂防堰堤(階段型) |
高8.0m,長38.0m |
江戸中期? |
|
福山藩の砂留p208 |
明治以降に嵩上げ |
巨石乱積みは、他に例がない/頂部のみ明治期の嵩上げ |
2 |
A |
|
圭峰古砂留 |
けいほう |
広島/福山市 |
箱田川支流 |
砂防堰堤 |
高3.2m,長5.0m |
江戸中期? |
|
福山藩の砂留p182 |
|
乱積みに近い布積み崩し袖部はない |
1 |
C |
|
綱木上谷砂留 |
つなき |
広島/福山市 |
|
砂防堰堤 |
高4.4m,長4.2m |
江戸中期? |
|
福山藩の砂留p210 |
オリジナルだが、機能していない |
乱積み |
2 |
C |
|
内廣砂留 |
うちひろ |
広島/福山市 |
堂々川支流 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高3.8m,長6.2m |
江戸中期? |
国登録 |
福山藩の砂留p169 |
明治期に嵩上げ |
中核となる、布積み崩し風の準成層積みは、よく残る |
2 |
C |
|
淀ガ池獅子渡下砂留 |
よどがいけ |
広島/福山市 |
堂々川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高1.2m,長9.3m |
江戸中期? |
|
福山藩の砂留p173 |
両袖は明治の改築 |
水通し部は恐らく江戸期の布積み/両袖部は明治初期の改築 |
2 |
C |
|
淀ガ池東砂留 |
よどがいけ |
広島/福山市 |
堂々川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高2.6m,長9.3m |
江戸中期? |
|
福山藩の砂留p171 |
原形を保持? |
基層部と上層部からなる |
1 |
C |
|
別所一番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高6.44m,長26.5m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/別所砂留を守る会の雑木伐採・草刈り・草抜きにより、水通し部の石材がきれいに露出 |
宝暦14の國頭文書『仕ル一札之事』により、この年代までに現存する14基中13基が完成したらしいことが分かる/天保11(1840)の修復申請時の文書に記されている10基の砂留の長さは、現在の測定値とある程度類似している/堰堤の中央に一定勾配の先細りの水通し部 |
1 |
B |
|
別所二番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高8.40m,長51.5m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所一番砂留)/堰堤の右岸側に一定勾配のやや狭い水通し部 |
1 |
B |
|
別所三番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高3.77m,長55m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所一番砂留)/堰堤の右岸側に一定勾配のやや狭い水通し部/最下端が巻石状(これ1基のみ) |
1 |
C |
|
別所四番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高10.98m,
長46.5m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所一番砂留)/堰堤の全幅の半分程度が階段状の水通し部 |
1 |
B |
|
別所五番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高6.50m,長51m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所一番砂留)/堰堤の左右端に斜水路になった水通し部/向かって左側の水通し部は上部が狭い階段状、下部が先細りの緩斜面(左の写真)/向かって右側は一定勾配のやや狭い水通し部、下端に水たたき(右の写真) |
1 |
A |
|
別所六番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高4.75m,長32m |
弘化3(1846)以降 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
堰堤の中央に側壁が高く、幅広の2段勾配の水通し部/宝暦14の國頭文書『仕ル一札之事』に記載された数値と現在の測定値および天保11(1840)の洪水で破損し修復された下記「七番」「八番」の修復部分の構造が類似してることから、後年に築造されたものと推測される/すぐ上に、下記の「七番」が見える |
1 |
A |
|
別所七番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高8.74m,長55.4m |
宝暦14(1764)以前 →天保11(1840)以降 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所一番砂留)/堰堤の中央に側壁が高く、幅広の2段勾配の水通し部/天保11(1840)の洪水で破損し、中央の水通し部を施工したと推測される/向かって右側の法面は高さ2/3まで石積/向かって左側は破損前の水通し部で少なくとも2回嵩上げされている |
1 |
A |
|
別所八番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高7.75m,長53m |
宝暦14(1764)以前 →天保11(1840)以降 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所一番砂留)/堰堤の中央に側壁が高く、幅広の2段勾配の水通し部(下の写真)/天保11(1840)の洪水で破損し、水通し部を施工したと推測される/向かって右側の法面は高さの半分まで石積/上流側が土砂で埋まっておらず堰堤全長にわたり石垣が見られる(上の写真) |
1 |
B |
|
別所九番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高12.01m,長32m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所一番砂留)/堰堤の天端がきれいなアーチになっている/堰堤の上部は全幅の半分程度が階段状の水通し部になり、下部は先細りになる |
1 |
A |
|
別所十番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高17.85m,長32m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所一番砂留)/江戸期の砂留の中で最も高い堰堤/堰堤の天端が緩やかなアーチ状/堰堤のほぼ全幅が水通し部になっていて、自然の勾配に沿って石が敷かれている |
1 |
|
|
別所十一番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高7.78m,長19.5m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所一番砂留)/堰堤の中央が水通し部になっていて、上部は急勾配で階段状に、下部は自然の勾配に沿って石が敷かれている/同じ形態の「十一番」「十二番」「十三番」が連続している |
1 |
B |
|
別所十二番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高9.04m,長22.9m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所十一番砂留) |
1 |
A |
|
別所十三番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高10.01m,長31m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所十一番砂留) |
1 |
A |
|
別所十四番砂留 |
べっしょ |
広島/福山市 |
五入道川 |
砂防堰堤 |
高12.49m,長22m |
宝暦14(1764)以前 |
|
福田史跡探訪会
/樋口輝久 |
保存状態良好/同上 |
同上(別所一番砂留)/堰堤のほぼ全幅が水通し部になっていて、上部は急勾配の階段状(上の写真)、下部は自然の勾配に沿って石が敷かれている(下の写真) |
1 |
A |
|
堂々川一番砂留 |
どうどう |
広島/福山市 |
堂々川 |
砂防堰堤(階段型) |
高3.2m,
長20m→9.6m |
安永2(1773)以前 |
国登録 |
福山藩の砂留p160 |
一部が残存(東側が崩壊) |
堂々川に残る最も古い砂防堰堤/下部は階段様の成層積み、上部は布積み崩し、簡単な袖部あり |
3 |
C |
|
堂々川六番砂留 |
どうどう |
広島/福山市 |
堂々川 |
砂防堰堤(階段型) |
高13.3m,長55.8m |
安永2(1773)以前
→天保6(1835) |
国登録 |
福山藩の砂留p168 |
過去4代にわたる嵩上げ |
基層(安永2(1773)以前)と下層(天保6(1835))は階段様の成層布積み、中層の布積み崩しは明治15年の嵩上げ、上層の布積みは昭和51年の積み替え |
3 |
A |
|
大原池尻砂留 |
おおはら |
広島/福山市 |
清水川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高2.4m,長11.2m |
江戸中後期? |
|
福山藩の砂留p189 |
放置 |
形態は変わっていないと推定される |
2 |
C |
|
大原池内侍ガ谷砂留 |
おおはら |
広島/福山市 |
清水川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高5.0m,長13.4m |
江戸中後期? |
|
福山藩の砂留p186 |
大正中期に全面改築 |
形態は変わっていないと推定されるが、全面的に改築 |
4 |
C |
|
大原池内中山砂留 |
おおはら |
広島/福山市 |
清水川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高2.5m,長12.0m |
江戸中後期? |
|
福山藩の砂留p187 |
大正中期に全面改築 |
形態は変わっていないと推定されるが、全面的に改築 |
4 |
C |
|
彌谷砂留 |
いやだに |
広島/福山市 |
深水川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高7.2m,長20.5m |
江戸後期? |
|
福山藩の砂留p177 |
明治中期以降に嵩上げ |
基層と下層がオリジナル、2つの中層も恐らく江戸期、上層のみが明治期/全体的に、見場のよい砂防堰堤 |
2 |
B |
|
貝谷砂留 |
かいたに |
広島/福山市 |
貝谷川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高6.1m→7.6m,
長34.1m |
江戸後期? |
|
福山藩の砂留p174 |
明治期に嵩上げ |
水通し部は、一部崩壊状態だが、江戸期のもの/頂部は近代の嵩上げ |
3 |
B |
|
河手川砂留 |
こうて |
広島/福山市 |
河手川水系 |
砂防堰堤 |
高5.2m,長3.5m |
江戸後期? |
|
福山藩の砂留p209 |
水通し部の石組みが見事 |
緩斜面堰堤という特殊な構造 |
1 |
B |
|
寒々石樋尻迫砂留 |
かんかんいしびしりさこ |
広島/福山市 |
箱田川支流 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高4.5m,長5.0m |
江戸後期? |
|
福山藩の砂留p183 |
大正初期に大半を改築 |
水通し部の下・中層の一部にオリジナルが残るのみ |
3 |
C |
|
堂々川二番砂留 |
どうどう |
広島/福山市 |
堂々川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高3.9m,長25.8m |
江戸後期? |
国登録 |
福山藩の砂留p164 |
右岸袖部以外は、大正初期の改築 |
右岸袖部は布積み崩し/水通し部と左岸袖部は大正初期の谷積み |
4 |
C |
|
堂々川四番砂留 |
どうどう |
広島/福山市 |
堂々川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高3.3m,長31.5m |
江戸後期? |
国登録 |
福山藩の砂留p166 |
明治期-大正期に全面改築 |
右岸袖部は明治期の布積み/水通し部と左岸袖部は大正初期の谷積み |
4 |
C |
|
俄谷下砂留 |
にわかたに |
広島/福山市 |
小田川水系 |
砂防堰堤
(全面被覆型) |
高10.2m,長22.5m |
文化9(1812)以前
→天保5(1834) |
|
福山藩の砂留p207 |
明治以降に嵩上げ(頂部のみ) |
斜面長33mの緩斜面堰堤という特殊な構造/江戸後期だが、古い形式/全体にオリジナルで保存状態がよい |
2 |
A |
|
堂々川三番砂留 |
どうどう |
広島/福山市 |
堂々川 |
砂防堰堤(階段型) |
高3.86m→5.86m,長36.2m |
天保3(1832)着工 |
国登録 |
福山藩の砂留p165 |
上部1/3は、明治期の嵩上げ |
階段様の成層積み、簡単な袖部あり/上部1.6mはより小型のの石を用いた明治期の布積みによる嵩上げ |
2 |
B |
|
大原池内駒ガ爪砂留 |
おおはら |
広島/福山市 |
清水川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高4.5m,長12.0m |
天保年間(1830-1844)? |
|
福山藩の砂留p188 |
ほぼオリジナル |
階段様の成層積みをもつ水通し部と、両袖部を有する典型的な砂防堰堤 |
1 |
C |
|
堂々川五番砂留 |
どうどう |
広島/福山市 |
堂々川 |
砂防堰堤(階段型) |
高8.8m,長31.4m |
天保6(1835)? |
国登録 |
福山藩の砂留p167 |
過去3代にわたる嵩上げ |
下層は階段様の成層積み、中間層の布積み崩しは明治初期の嵩上げ、簡単な袖部あり/頂部に若干の昭和期の谷積みによるか嵩上げ |
3 |
B |
|
俄谷御趣法砂留 |
にわかたに |
広島/福山市 |
小田川水系 |
砂防堰堤
(全面被覆型) |
高8.4m,長60.0m |
嘉永元(1848) |
|
福山藩の砂留p205 |
明治以降に嵩上げ(頂部のみ) |
4段(最上段のみ明治の嵩上げ)の大型堰堤が、ほぼ当初のまま残る |
2 |
A |
|
深水砂留 |
ふかみ |
広島/福山市 |
深水川 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高3.6m→4.1m,
長25.4m |
安政元(1854)
→元治元(1864) |
|
福山藩の砂留p175 |
明治初期に嵩上げ |
水通し部の中央に鏡石2個を置き、その間に小さな割り石を入れた「入れ子積み」〔地元の呼称:悪気=災害除けとされている〕が堰堤頂部(江戸期の)中央に見られる/水通し+両袖部とも、2段に嵩上げ |
3 |
B |
|
圭峰砂留 |
けいほう |
広島/福山市 |
箱田川支流 |
砂防堰堤
(水通し型) |
高5.0→6.5m,
長32.8m |
安政7(1860) |
|
福山藩の砂留p180 |
明治初期に嵩上げ |
2段の水通し部と対応する両袖部はオリジナル/上段と水通し部とその両袖部は明治初期の嵩上げ |
2 |
B |
|
三反田池砂留 |
さんたんだ |
広島/福山市 |
清水川 |
砂防堰堤(階段型)
(水通し型) |
高3.3m,長12.3m |
元治元(1864)? |
|
福山藩の砂留p185 |
ほぼオリジナル |
階段様の成層積みをもつ水通し部と、両袖部を有する典型的な砂防堰堤 |
1 |
C |
|
|
岩戸の砂留 |
いわど、
すなどめ |
高知/土佐市 |
|
砂防堰堤 |
|
天保8(1837) |
市史跡 |
市教委 |
保存状態良好 |
谷水を利用し紙を漉く農家が多かったため(和紙生産は藩の財源の1つ)、谷筋を保全するために構築/かつては各所に残っていたが昭和50の豪雨災害でほとんどが流失/全国的に見ても、年代の確定している江戸期の砂防堰堤は稀少 |
1 |
A |