防火 

   都道府県別データ一覧にある防火関連遺構

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 竹森の石番小屋 たけのもり、いしば 山形/(東置賜)高畠町   石小屋(大笹生石) 傘石(屋根):3m×1.8m,厚0.9m,胴石(壁):一枚岩を半円形にくり抜く 嘉永5(1852) 市民俗資料 WEB/町教委 保存状態良好 火の用心見廻りの詰所/きわめて珍しい 1
写真 安田の火除土手1 やすだ、
ひよけ
新潟/阿賀野市 安田の中心部 土塁 長16m,幅7.08m 貞享2(1685)の大火災後 市史跡 市教委/現地解説板 土塁が残されており、上部にはケヤキが植えられている 「ダシの風」と称する東南東の強風で、何度も大火災をこうむったため、用水と6ヶ所の土塁をセットにした延焼防止策を考案した 3
写真 安田の火除土手2 やすだ、
ひよけ
新潟/阿賀野市 安田の中心部 土塁 北側:長16.2m,幅4.4m
貞享2(1685)の大火災後 市史跡 市教委/現地解説板 北側はほとんど土盛なし、南側は保存状態良好だが視認しにくい/現代の消防施設に隣接/上部にはケヤキが植えられている 「ダシの風」と称する東南東の強風で、何度も大火災をこうむったため、用水と6ヶ所の土塁をセットにした延焼防止策を考案した 3
写真 匠町の防火隊碑 たくみ 栃木/日光市 浄光寺 石碑(安山岩) 高90㎝,幅60㎝ 天保5(1843) 市史跡 市教委 保存状態良好 (正面)「照応以來千役之徒 客死者數十人 其墓 在日光山下西里浄光寺後郷 葬之間堙没不可知也 文化甲戌春 我隊長原胤敦 在役日 命塩野撤 與寺主覚順法印議 卜地 合諸墓 以爲一口 尓御千兵捨皆造石柵樊之 今茲天保甲午秋 山本隊長在役日 命部下伍長 勒其來由轍 於是平誌焉」/幕府は承応元(1652)に「日光火之番」を創置し、槍奉行配下の八王子千人同心にこれを命じた(~慶応4(1868)まで山内の巡察警火を勤めた)/火之番は1組の編成を頭1人に同心50人とし、2組宛50日交代で在勤した(寛政3(1791)からは1組で半年交代)/承応元~文化11(1814)の間に当地で客死した10名の供養が行われ、天保5に石碑を建立 1
写真 美里町北長野の火除け土手 みさと・きたながの 三重/津市 <伊賀街道・長野宿> 土塁 (北側)間口16m,奥行18m,高3m 正徳4(1714)以降?   WEB(北伊勢の道標)
/島ケ原村史
南側土手は消滅/北側土手も石垣に改修 宿場のほぼ中央に高く築かれた土手→火事が起きても町の半分は助かる仕組み/正徳4の大火後の構築か? 3
  島ケ原の火除土手 しまがはら 三重/伊賀市 <大和街道・島ヶ原宿> 土塁   寛保2(1742)以降?   市教委(島ケ原村史) 道の両側に低い石塁の形で残る 宿場のほぼ中央に高く築かれた土手→火事が起きても町の半分は助かる仕組み/寛保2の大火後の構築か? 4
  火除け地 東まねき ひよけ 石川/白山市 (東一番町・東二番町) 防火帯(空き地) 長約30m,幅約8m 江戸期?   歴史の道
1p97
溜池は地下防火用水として空き地は火の見櫓を経て駐車場として利用 延焼防止のため道の両側に設けられた空き地(フェーン現象でよく火災が発生したため)/溜池と旅人の休憩所が設置されていたとされる 3
  火除け地 西まねき ひよけ 石川/白山市 (安田町) 防火帯(空き地) 長約30m,
幅約12m
江戸期?   歴史の道
1p97
南側は宅地化、北側は駐車場として利用 延焼防止のため道の両側に設けられた空き地(フェーン現象でよく火災が発生したため)/溜池と旅人の休憩所が設置されていたとされる 3
写真 天神橋の火除土手・跡
(大阪天満宮の火除土手・跡)
てんじんばし、
ひよけ
大阪/大阪市(北区) 天神橋2丁目(大阪天満宮、えびす門西側) 石垣 長約200m(当初),現存10m 寛政8(17969)   大阪天満宮史の研究
p273/木谷幹一
当初から石垣(摂津名所図会による) 安永6(1777)、寛政4(1792)の大火を受けて建造(推定) 4
写真 天満の火除土手・跡
(川崎東照宮の火除土手・跡)
てんま、ひよけ 大阪/大阪市(北区) 天満1丁目(造幣局桜クラブ、弁財天社) 土塁 長約20m(当初),現存4m 天保10(1839)   近世後期の社会と民衆p217/木谷幹一 弁財天社の部分のみ残存 大塩平八郎の乱に伴って東照宮が焼損したので、主犯とその縁者の大塩と西田の両与力役宅を召し上げて、川崎東照宮の火除地と定め、火除土手を設けた 4
  長興寺焔硝蔵場の土塁 ちょうこうじ、えんしょうぐらば 大阪/豊中市 服部緑地公園 土塁   江戸期   市教委/現地解説板 服部緑地内に1基のみ残存 長興寺焔硝蔵場は大坂城の火薬庫であり、5棟あった蔵が誘爆するのを防ぐため、蔵の間に土塁が築かれた 3
写真 今屋敷の防火壁 いまやしき 長崎/対馬市 厳原市街 石塀(防火) 高3.9m 天保12(1841)以降 県有形 現地解説板/土木史研究15p598
/市教委
数ヶ所残るのみ 対馬藩の首府・府中がしばしば大火に見舞われたため、類焼を防ぐために築かれた石塀(天保12に桜井一右衛門が「府中城下町は南北に細長く、火災が発生すると南北に火が流れて大火になるので、要所要所に高い石垣を造っておけば火災の広がるのを防ぐことができる」と藩に献策)/写真の石塀は最も立派で、「天保十五年甲辰/正月 消防為/火切築え/高サ一丈三尺/根幅五尺」と刻字した石がはめ込まれている/他にも、「嘉永二/酉三月日/町中/火切」という刻字のある石塀もある 3
写真 平戸のオランダ塀 ひらど 長崎/平戸市(平戸島) 平戸和蘭商館跡 石塀(漆喰) 長約30m,高約2m 元和4(1618)   WEB 保存状態良好 オランダ商館の増築にあたり、商館を覗かれないよう、防火も兼ねて設置された 1
写真 平島の古井戸 ひらしま 長崎/(東彼杵)川棚町 平島地区 石井戸   天保4(1833)以降   町教委 史跡(無指定)されているのは1ヶ所のみ 天保4の大火後に碁盤目状の路地が造られ、防火用水を兼ねて20数ヶ所の井戸が掘られた 3
写真 備瀬のフクギ びせ 沖縄/(国頭)本部町 備瀬集落 並木、防風・防潮
・防火林
集落全体 琉球王国時代 町指定 WEB 観光地化/補植も多い 屋敷の防風林として整備されたのが起源/防風・防潮・ 防火林/集落の路地の両側にフクギが植えられた独特の景観が延々と続く/一部に土手も残る 1
写真 伊是名集落の石塀とフクギ並木 いぜな 沖縄/(島尻)伊是名村
(伊是名島)
伊是名集落 石塀(珊瑚石)、
フクギ
集落全体 不明   WEB/村教委 島の原風景がよく保存されている 珊瑚石は沖縄の島嶼部の典型、フクギは防風林 1
写真 渡名喜島集落の石塀、フクギ、掘り込み住宅敷地 となき 沖縄/(島尻)渡名喜村
(渡名喜島)
  石塀(珊瑚石)、フクギ、井戸 集落全体 時期不詳 国重伝建 WEB 保存状態やや良好→石塀の近代化が目立つ 細い道路に沿ってほぼ方形の敷地が並び、各敷地は道路面より1メートルほど低く掘り込まれている(防風対策)/敷地境界を石塀(見事な相方積み)で囲み、その内側にフクギを植栽し、防風・防火に備えている 2 写真
写真 竹富島集落の石塀と
白砂敷き街路
たけとみ 沖縄/(八重山)竹富町
(竹富島)
  石塀(珊瑚石)、
街路(白砂敷き)
集落全体 19世紀以前? 国重伝建 WEB/町教委 非常に良好な保存状態 珊瑚の石塀や珊瑚砂を敷いた街路が、南国風の集落景観を形成している/石塀は防風と防火のため、白い砂は雨水の浸透性を高くし、夜行性のハブを発見しやすくするため/明治23の古地図には既に現在のような区画割の町が描かれている→集落がこのような形になった正確な年代は不明だが、明治改元以前であることは確実と考えられている 1 写真