井戸

   都道府県別データ一覧にあるBランク以上の井戸 (井戸の年代は伝承が多い)

写真 名称 ふりがな 所在地 付帯情報 形式 諸元 建造年 文化財 出典 保存状態 価値判断に係る事項 保存
評価
価値
評価
写真 高清水の井戸 たかしみず 秋田/秋田市 <秋田城> 井戸   平安期   WEB 覆屋で保護/井戸内は擬木、井戸端はカラーCブロックを使用 昭和56(1981)に発見し、平成2(1990)に秋田城跡の環境整備事業の一環として整備された場所にある/現在も湧水がある 3
写真 雀館古代井戸 すずめだて 秋田/
(南秋田)五城目町
  井戸(木枠)   平安期 県史跡 WEB すべて新設の木枠井戸/原形? 石崎遺跡周辺の村落実在を証明した遺跡 4
  月浦の南蛮井戸 つきのうら  宮城/石巻市   井戸   慶長18(1613)以前   WEB 保全的整備 仙台藩の慶長遣欧使節船に関係した南蛮人が使っていたとされる井戸/使節船サン・ファン・バウティスタ号の飲料水もこの水が積み込まれたと伝えられている 2
  大局の井戸 おおつぼね 福島/伊達市   井戸   鎌倉期   市教委 C改修/館跡の中ではあるが、現在では葡萄畑内に残る 伊達氏初代の娘「大進局」が使用したと伝えられる 4
写真 真言院井戸 しんごんいん 群馬/太田市 (世良田町)
世良田東照宮・境内南
石井戸(花崗岩) 87㎝角,高55.5㎝ 鎌倉末期→寛永19(1642) 国史跡 WEB(鎌倉街道上道)/現地解説板 覆屋内/井戸枠は、寛永19家康の命により長楽寺を復興した天海僧正により再設置/井戸内部は中世の乱石積がそのまま残る (枠正面)「閼伽井」/真言密教の灌頂の儀式に使用する閼伽(あか)水を汲むために設けられた/軟岩を円筒形にくり抜いた井戸枠は時々見受けられるが、硬質の花崗岩を四角にくり抜いた井戸枠は例を見ない 1
  大炊の井戸 おおい 栃木/佐野市 <唐沢山城> 石積井戸(湧水) 径8m,深9m 鎌倉時代?   市教委/WEB 明治21年に崩落→その後改修/下部は以前のまま 築城の際、厳島大明神に祈願し、その霊夢により掘ると水がこんこんと湧き出たとの故事/形態的には井戸というよりは湧水に近い 2
写真 慈覚大師産湯の井 じかくだいし 栃木/栃木市 高平寺別院誕生寺 石積井戸   延暦13(794)以前   WEB(鎌倉街道上道) 四周を鉄柵で囲み、上にネットが被せてある/水は汚い 慈覚大師が誕生の際に産湯として使ったとの伝承 3
写真 円仁産湯の井戸 えんにん 栃木/(下都賀)壬生町 壬生寺<台林寺> 石井戸(凝灰岩) 130㎝四方,
高70㎝
8世紀?→貞享3(1686)   県教委
(歴史の道1p137)
保存状態良好(木の蓋があり中が見えない) 慈覚大師円仁の産湯に使われた(796年)との伝承/井戸枠は貞享3に日光山惣衆徒が寄進したもの/瓦葺きの覆屋付き 2
  将門の井戸 まさかど 千葉/我孫子市 (日秀) 井戸   承平2(932)   市教委/WEB すり鉢状の地形の最下部に井戸が残る(埋没?) 平将門が自ら掘って近くの分城の軍用に供したとされる/湖北七つ井戸の一つ 4
  月影の井 つきかげ 千葉/印西市   石井戸   鎌倉時代 市史跡 市教委/WEB 井戸枠の石積が布積→近代以降の改修 龍崖城の城主・大菅正氏が愛用したと言われる井戸/中世の「日本三井の1つであった」と現地解説板には記載 3
  日蓮上人疵洗いの井戸1 きず 千葉/鴨川市 日蓮寺 石井戸   文永元(1264)以前   WEB 丁寧に保存(石柵で囲む)/蓋がしてある 「小松原法難(1264.11.11)」で眉間に3寸あまりの刀傷を負った日蓮上人がこの地で静養した際に傷を洗った井戸の一つ 1
  日蓮上人疵洗いの井戸2 きず 千葉/鴨川市 蓮行寺 石井戸   文永元(1264)以前   WEB 丁寧に保存(石柵で囲み石碑が立つ)/蓋がしてある 「小松原法難(1264年)」で眉間に3寸あまりの刀傷を負った日蓮上人がこの地で静養した際に傷を洗った井戸の一つ 1
  日蓮上人疵洗いの井戸3 きず 千葉/鴨川市 多聞寺 石井戸   文永元(1264)以前   WEB 丁寧に保存(石柵で囲み屋根を付ける) 「小松原法難(1264年)」で眉間に3寸あまりの刀傷を負った日蓮上人がこの地で静養した際に傷を洗った井戸の一つ 1
  久留里の大井戸 くるり 千葉/君津市   井戸(木枠) 5m×2.2m,
深約8m
寛永年間(1624-44)   WEB 保存状態良好(木部は改修)/周囲をCで固める 掘削当時は久留里で唯一の水源/久留里藩は井戸の敷地を免租地とした 2
写真 神余の弘法井戸 かなまり 千葉/館山市 巴川 井戸   大同4(809)? 県有形民俗 WEB C改修 金丸巨麻太宗光の家臣・杉浦吉之丞の妻が旅僧(弘法大師)に小豆粥を出したところ、粥に塩気がないのを不思議に感じた僧が尋ねると、貧しくて塩が買えないことを告げた。それを聞いた僧が川に下り、錫杖を地面にさして祈祷すると塩水が噴き出したとの伝承 4
  葛羅の井 かづら 千葉/船橋市 (栗原本郷) 井戸 径180㎝ 10世紀 市史跡 市教委 C化 平忠常の父・忠頼の産湯を汲んだという伝承/文化9(1812)に蜀山人・大田南畝が揮毫した石碑も残る 3
  弘法大師の芋井戸 いも 千葉/南房総市 (白浜町青木松山) 井戸(湧水) 石枠 平安初期?? 市有形民俗 市教委 近代の切石積で大規模改修 大師が、芋を洗っている老婆に芋の施しを願った→「石のような芋で煮ても食べられない」と断られた→老婆が帰宅して煮た芋を食べようとしたら石のように堅く捨てた→そこから泉が湧き出たという伝説 3
  大多喜城の井戸 おおたき 千葉/(夷隅)大多喜町 大多喜高校
<大多喜城二ノ丸>
石積井戸 周囲17m,深20m 天正18(1590) 県史跡 WEB/町教委 保存状態良好
(二重の柵で囲む)
大多喜城を築城した本多忠勝の掘削/城内井戸としては全国最大と言われる 1
写真 雷電神社の井戸 らいでん 埼玉/久喜市 雷電神社 石組井戸   天保3(1832)   久喜市の金石p65 保存状態良好/非現役 4段の石組井戸枠→中央の開口部が円形→珍しい/正面3段目に「無盡水」と刻字 1
写真 七曲井 ななまがり 埼玉/狭山市 <古代・入間道(推定ルート)>
<鎌倉街道上道(推定ルート)>
掘下げ井
(渦巻き状)
上部径18-26m,底部径5m,
深11.5m
9世紀後半-10世紀前半(?) 県史跡 市教委/WEB 発掘・保存/擬木で再現/最後の改修は宝暦9(1759) この井戸の脇を古代・入間道が通っていたとされることから、遅くとも9世紀後半-10世紀前半に武蔵国府により掘られたと推定できる/上部では階段状、途中から底までは曲がり道となっている/井筒部は中央にあり人頭大の石で周囲を組んだ中に松材(擬木)で井桁を組む 3
写真 堀兼之井 ほりかね 埼玉/狭山市 <鎌倉街道上道・堀兼道
(推定ルート)>
掘下げ井
(渦巻き状)
径7.2m,深1.9m 平安時代前期(?) 県旧跡 歴史の道1p31 窪み状の地形は確認できるが、かなり埋まっている この井戸の年代は、平安前期の歌人・伊勢の歌に詠まれた「掘かねの井」と比定されていることからきたもの→堀兼井の伝承地は他にもある→この井戸跡が「堀兼之井」とされているのは、①堀兼の地名と、②傍らに建つ「堀兼井之蹟」の碑(1708)の存在によるとされる/井戸の底に方3尺の石の井桁/上記の「八軒家大井戸」の600m北 3
写真 八軒家大井戸・跡 はちけんや 埼玉/狭山市 <鎌倉街道上道・堀兼道
(推定ルート)>
掘下げ井
(渦巻き状)
径約19m,深2.3m 平安時代前期(?)   WEB(鎌倉街道上道)
/歴史の道1p31
ほぼ完全に埋まっている/井戸であることも分かりにくい この井戸も鎌倉街道上道・枝道(推定ルート)に沿っているので鎌倉時代の起源とも考えられるが、伝・堀兼之井の可能性も否定できないため、堀兼之井(狭山市)と同じ理由で平安時代前期と推定する/井戸の底に石の井桁/七曲井より若干規模が小さいが、知名度の高い堀兼之井よりは大きい(認知されたのは最近)/下記の「堀兼之井」の600m南 4
写真 大井の大井戸 おおい 埼玉/ふじみ野市 (1丁目) 石積井戸(楕円形) 長軸1.8m,
短軸1.5m
平安末期   市教委 移設→原石を用いて復元 昭和50の発掘調査で発見された平安時代の井戸遺構 3
写真 行司免遺跡の石組井戸・跡 ぎょうじめん 埼玉/(比企)嵐山町   石積井戸   13世紀   町教委 円筒状側面の石積がよく残る/全体が鉄柵で覆われている 中世の市の遺構の中に残る共同井戸 3
写真 加持水の井戸 かじみず 東京/足立区 総持寺 井戸(銅製の円筒状の井筒) 幅約65㎝,
高約70㎝
弘化4(1847)   WEB(鎌倉街道上道) 保存状態は良好だが、非現役 井筒正面に「加持水」と鋳造/見事な木彫飾りを有する屋根付きの井戸/弘法大師により枯れ井戸が生き返ったとの伝承がある/「西新井」の地名の由来 2
写真 櫻の井 さくら 東京/千代田区   石組井戸 幅約3m,
厚約1.8m,高80㎝
江戸期   現地解説板/WEB 道路拡幅のため原形のまま移設復元 三連式釣瓶井戸で当時は江戸城を訪れる通行人に水を提供していた 2
  渡辺綱産湯の井戸1 わたなべのつな 東京/港区 綱町三井倶楽部 石井戸   平安中期   江戸東京歴史散歩2p25 庭園の構成要素 自然石をくり抜いた井戸枠 1
  浅岡飯たきの井 あさおか 東京/港区 港区役所 石井戸   万冶3(1660)   江戸東京歴史散歩2p20
/WEB
移設 伊達家三代目綱宗の側室・亀千代(後の四代綱村)の生母・三澤初子こと“浅岡の局”に由来/江戸時代ではあるが、井戸枠は古代に通じる特殊な形式 3
写真 阿伎留神社の井戸 あきる 東京/あきる野市 阿伎留神社 掘下げ井
(非渦巻き
→直線通路)
  中世?   WEB 凹み中央の井戸部はC製の切妻屋根で被覆 四面の斜めの擁壁がすべてが石積構造(かなり古い石積み法) 2
写真 渕上の石積井戸
(マイマイズ井戸)
ふちがみ 東京/あきる野市 開戸センター 掘下げ井
(渦巻き状)
長径7.5m,短径5.5m,深3.2m 中世~近世 市史跡 市教委(マイマイズ井戸調査報告書) 保存状態良好 地表からすり鉢状に掘り下げ,石積みが施されているまいまいず井戸/北東と南西よりらせん状左回りの小径が底の水汲み場まで続く 1
写真 白石の井戸 しらいし 東京/あきる野市   石積井(湧水)   江戸期   市教委/WEB 現役/保存状態良好 かつて穴の開いた白い石から水が湧き出ていたという故事から来た名/この地域で横井戸は珍しい 1
写真 青梅新町の大井戸 おうめしんまち 東京/青梅市 大井戸公園 掘下げ井
(渦巻き状)
長径33m,短径22m,深7m 中世由来→慶長16(1611)大改修 都史跡 市教委/WEB 平成10(1998)に復元・整備 羽村市のまいまいず井戸同様に、すり鉢状の石組井戸/「まいまいず」としては最大級/掘り抜き井戸の技術が普及する以前の築造→慶長16から土豪的農民・吉野織部之助らによって始まる新田開発の際に大改修を受ける→塩野家井戸として使用 2
写真 五ノ神のまいまいず井戸 ごのかみ 東京/羽村市 五ノ神神社 掘下げ井
(渦巻き状)
直径16m→5m,深4.3m,中央の掘り井戸部直径1.2m 鎌倉時代の創建→
元文6(1741)普請→
昭和35(1960)使用停止
都史跡 WEB すり鉢状の窪みの中央に掘り井戸が残る 技術が未発達の時代に筒状井戸の掘りにくい砂礫層地帯に井戸を設けるために螺旋構造/地元伝説では大同年間(806-810)に遡るが、史料上の根拠はない 1 写真
写真 寿町のまいまいず井戸 ことぶきちょう 東京/府中市 郷土の森博物館 掘下げ井
(渦巻き状)
  平安時代   WEB 埋蔵文化財の発掘調査で発見→公園内に再現 典型的な渦巻き状井戸 3
写真 七国山の鎌倉井戸 ななくにやま 東京/町田市 <鎌倉街道(推定ルート)> 掘抜井(木枠) 深約4m(地表面下1.5mから70㎝径) 鎌倉時代? 市史跡 市教委/WEB(鎌倉街道上道) 表土部分は木枠で修復/枯渇 街道を往来する人馬用との伝承 3
写真 原町の井戸 はらちょう 東京/(大島)新島村
(新島)
  掘下げ井
(直線通路)
  正徳5(1715) 都史跡 WEB/村教委 保存状態良好 新島に初めて掘られた井戸/周囲すべてが石積構造 1
写真 神奈川の大井戸 かながわ 神奈川/
横浜市(神奈川区)
幸ヶ谷、宗興寺・脇
<東海道>
石井戸   江戸初期 市登録地域史跡 現地解説版 覆屋は立派だが、石井戸全体が薄い新材で被覆され石の構造が全く見えない 東海道中の名井戸に数えられ、水量の増減によって翌日の天気を知ることができたことから「お天気井戸」とも呼ばれていた/「大井戸」という名前の割にはかなり小規模 4
写真 御所台の井戸
(政子の井戸)
ごしょだい 神奈川/
横浜市(保土ケ谷区)
  石積井戸   鎌倉期? 市登録地域有形民俗 WEB 簡易屋根が整備 北条政子が化粧に使用したと伝えられる井戸/将軍が保土ヶ谷宿の本陣に休息した際の御膳水に使われた 2
写真 化粧の井戸 けしょう 神奈川/横浜市(南区) 乗蓮寺 石井戸   承久年間(1219-21)   現地解説板 木柵で囲まれ、上に簾が敷かれていて井戸が見えない 北条政子が承久年間の争乱の際にこの地に避難した際、化粧にも適さないほど水が悪かったため掘った井戸/井戸枠には粗く整形された4枚の石がロの字型に置かれている 3
写真 六方井 ろっぽう 神奈川/鎌倉市 (大町3丁目) 石積井戸(長方形) 4.5m×3.6m,深15m 平安時代?   現地案内板 小さな池状 弘法大師の伝承あり 2
写真 甘露の井 かんろ 神奈川/鎌倉市 浄智寺・山門脇 石井戸   久安3-正治元(1147-99)   WEB 竹で組まれた蓋で上部を覆われる 鎌倉十井の一つ/浄智寺境内にある井戸も甘露の井とされる/源頼朝により寄付されたとの伝承 2
写真 十六の井 じゅうろく 神奈川/鎌倉市 海蔵寺 石井戸 径約70㎝×16 鎌倉期   「井戸」だと誤解されている 矩形断面にきれいに穿たれた岩窟の正面中央上部に正観音菩薩立像を祀り、底面一杯に4×4=16個の円形の穴が並ぶ→すべて穴から湧き水が出ているため井戸とされているが、実際には常滑焼の壷を置くための穴が並んだ岩蔵であった→対象外    
写真 底脱の井 そこぬけ 神奈川/鎌倉市 海蔵寺 石井戸 径1-1.3m 13世紀後半以前   現地解説板/WEB 崖崩れにより埋もれ海蔵寺門の左側に移設、その後右側の元の位置に再移設 鎌倉十井の一つ/中世の武将・安達泰盛(1231-85)の娘の千代能が水を汲みに来た時、水桶の底が抜けたため「千代能がいただく桶の底脱けて、水たまらねば月もやどらず」と詠ったことから、名が付いたと言われる 4
写真 六角の井(矢根の井) ろっかく 神奈川/鎌倉市   石積井戸(八角)   貞享2(1685)以前   WEB 屋根付きの覆屋内→格子で井戸が見えにくい/草が茂る 鎌倉十井の一つ/『新編鎌倉志』(1685)に「此村の南に六角の井と云名水あり。鎌倉十井の一つなり。石にてたゝみたり」と記載/八角のうち六角が鎌倉分 3
写真 伝・源義経首洗い井戸 みなもとのよしつね 神奈川/藤沢市   石井戸 1.7×1.7m
高約56㎝
寿永2(1183)?   現地解説板/WEB 井戸脇は恐らく江戸期のもの 腰越の浜へ捨てられた義経の首が、潮に乗って境川をさかのぼり、それを里人がすくい上げ洗い清めた井戸、との伝承がある 2
写真 虎御前の化粧井戸 とらごぜん、
けしょう
神奈川/(中)大磯町   石井戸 直径1.1m 鎌倉期以前?   WEB 簡易屋根付き 曾我兄弟の兄十郎祐成との悲哀物語で知られる虎御前がこの近くに住み、朝夕この井戸の水を汲んで化粧をしていたとの伝承がある/弧状の石を組み合わせた円形の井戸枠は中世由来の可能性 2
  法泉寺石造井戸 ほうせんじ 山梨/甲府市 法泉寺 石井戸(安山岩) 深52.5㎝,
外幅85.5㎝,
内幅63.5㎝
慶安2(1649) 市民俗有形 WEB 井戸枠の上に瓦屋根の載った小さな屋根型覆いが被せてあり、アンバランス 1つの石をくり抜いて作られた四角の井戸枠/井戸枠の南北西の3面に甲州武田家の家紋(四つ割菱)が陽刻されている 2
写真 竜王新町のくり抜き石枠井戸 りゅうおうしん 山梨/甲斐市 称念寺<甲州街道> 石井戸
(四角・安山岩の一枚板)
92㎝四方,
高61㎝,内径65㎝
慶長11(1606)頃 市有形 市教委 当時のまま 一枚岩で加工された石枠は市内でも少なく、井戸とともに現存しているのはわずかである/四隅は角を削り隅丸になっている 2
写真 寄合の石組み井戸 よりあい 長野/千曲市   石井戸
(円形・石組)
深3m,上部石組直径90㎝ 鎌倉-室町期 市史跡 長野県の文化財p241/WEB 木製の蓋で閉じられている 寄合氏の館跡に伴う井戸 4
写真 源智の井戸 げんち 長野/松本市   井戸(木屋根付き)   天正11-13(1583-85) 市特史跡 WEB 地域住民を中心とする請願運動により修復整備が行われ現在に至る/日常的に水汲みの対象となっている 名前の由来: 松本城城主・小笠原貞慶(城主だった期間が1583-85)の家臣・河辺与三佐衛門源智が所有していた井戸/その後、松本藩主・石川康長(城主だった期間が1592-1613)によって井戸の不浄を禁じられ(重要視され)、『善光寺道名所図会(1849)』で「当国一の名水」と言われるに至る=市内で最も重要な井戸 2 写真
写真 虎御前姿見の井 とらごぜん 長野/(北佐久)立科町 (虎御前) 石積井戸 126×50㎝ 建久4(1194)?   WEB 水が貯まっている/伝承の真偽は不明だが、地名にまでなっている 立科に古くから伝えられる虎御前(相模国の大磯の遊女「虎」)の伝説にまつわる井戸/丸石を不定形に積み上げて井戸にしたもので、古い形式 2
  大応国師産湯の井 だいおうこくし 静岡/静岡市(葵区) 井宮 井戸   嘉禎元(1235) 市史跡 市教委/WEB 木造瓦葺の覆屋/井戸に金網の蓋 円通大応国師(臨済宗の普及者)の誕生の際に産湯を汲んだ井戸と伝えられる 2
写真 佐次兵衛井戸 さじへえ 愛知/刈谷市 重原の三井戸(下重原町) 石井戸   弘仁13(822) WEB 周囲に石造物が並び荘厳な雰囲気 重原の三井戸(弘法大師が水を求めた際、村人が苦労して水を運んできたのを見て、法力で地面に穴を開け水を湧き出させたとの伝承)の1つ 2

写真

猪田神社の古井
(天真名井)
いだ(あまのまな) 三重/伊賀市 猪田神社 石積井 建屋の大きさは約4m四方 中世以前 県史跡 WEB 木造瓦葺きの建屋内/井戸穴の上部周囲を不均質な自然石で囲む この井戸と伊勢神宮外宮の忍穂井とが通じているとの伝説がある 1
写真 忘れ井 わすれ 三重/伊勢市 (大湊・水饗神社跡) 石井戸(花崗岩)   古代?   市教委/WEB(神宮巡々) 伝承の井戸と現存する井戸が100%同定されているわけではない/また、伝承の井戸だとしても、今ある構造がいつ造られたかは不明 倭姫命が天照大神を奉じて大湊に来られた時、御水を求められた際、鷲取の翁が汲んだという伝承/丸味を帯びた4つの石材を組み合わせた井戸=兵庫県伊丹市の昆陽寺・閼伽井(天平9(737)起源→復元)と瓜二つ 2
写真 忘れ井 わすれ 三重/松阪市 (嬉野宮古町)<伊勢街道> 井戸   嘉承2(1107)? 市有形 市教委/WEB いまでは井戸ではないが、その跡に石碑を建立し、史跡として保存されている 『千載和歌集(1188)』の歌「別れゆく 都のかたの 恋しきに いざむすび見む 忘れ井のみづ」の地: 鳥羽天皇の皇女が伊勢神宮の斎王につかわされ父母や都との別れに心迷った姿がこの井の水面に写るのを見て、迷いを振り切って安心立命の境地に達したとされる 2
写真 三瀬砦の井戸 みせ 三重/(多気)大台町 <三瀬砦> 石井戸   永禄年間(1558-70)頃 町史跡 WEB 保存状態良好 三瀬氏歴代の居城の井戸/井戸枠の石組みが丸味を帯びている 1
写真 新桑竈の中井戸 さらくわがま 三重/(度会)南伊勢町   石井戸   宝暦11(1761)   県石造物調査報告2p200
/WEB(やぶこぎネット)
保存状態良好/現役 井戸枠の四隅上部に斜めのカスガイ石が入っている→非常に強固になるが他に例を見ない 1
写真 御旅屋の井戸 おたや 富山/砺波市   石井戸(上段は木枠、石材は金屋石) 外寸120㎝角,内部は深18.2m,径90㎝(8角) 寛文4(1664) 市史跡 市教委/WEB 木で蓋 寛文4年5月、加賀藩4代藩主・前田綱紀が当地で鷹狩をした際、中神村肝煎・義右衛門が休息のための御旅屋の建設とともに、御膳水用として掘ったもの/17世紀の井戸としては深い 2
  福の井 ふく 福井/福井市 <福井城・小天主台・脇> 石井戸   慶長6(1601)以前   WEB 保存状態良好 寛永元(1624)に北ノ庄から福井に改称された際の由来が、福の井の名に因んだものと伝えられている/大型の石枠 1
写真 千代鶴の池 ちよづる 福井/越前市   石組井戸   元弘3(1333)頃   WEB 良好に保存/非現役 京都・粟田口の刀鍛冶・千代鶴が刀や鎌を鍛える時に用いた井戸と伝えられている 2
  御饌の井戸 みけ 京都/京都市(西京区) 大原野神社 石井戸   慶安2(1649)   WEB 保存状態良好 石を円筒状にくり抜いた井戸枠 1
写真 伝・小野小町化粧井戸 おののこまち、けしょう 京都/京都市(山科区) (小野御霊町)随心院 石積井戸   平安前期?   WEB 整備 この辺り歌人小野小町の別荘があったという伝承があったことから類推比定された井戸→現存構造は、井戸としてはかなり古い形態であり、中世以前までは遡る可能性は否定できない 1
  井出の六角井戸 いで 京都/(綴喜)井手町 (石垣) 石井戸 高40㎝ 古代?   WEB 六角型の木覆屋 六角の井戸枠は江戸期のものと思われる 2
写真 蘇武の井 そぶのい 奈良/橿原市 今井町1丁目 石井戸(六角)   江戸期、もしくは、それ以前   WEB(宮様の石橋)/現地解説板 飲用不可/簡易屋根付き修景/鉄格子で覆う 聖徳太子もしくはその愛馬が井水を飲んだという伝承/六角の精緻な石組み→加工自体は江戸期/六角井戸は稀 2
  橋本の七つ井 はしもと 奈良/桜井市   井戸   古代   市教委(桜井町史・続p974) 七つ井は橋本と阿部との中間にあり、今も清水湧出して灌漑用水となっている/七つ井公園として整備 吉備大臣の作ったものだとの伝承/『大和志』(1734)に、「七井在安倍村 七処湧沸集流為渠灌漑田畝 渠中産芹 香味異他」とある(江戸期の史料なので信頼度は低い) 1
  八井内の大師の井(群) やいない 奈良/桜井市 八井内の山際 井戸   古代   市教委(桜井町史・続p975) 当初8つの井戸→現在6ヶ所が現役使用 弘法大師伝説がある 1
写真 三井 みい 奈良/(生駒)斑鳩町 (三井)法輪寺の旧境内 石組井戸   7世紀? 国史跡 現地解説板 明治初に埋め立てられ昭和7に掘り出された/瓦屋根付き 聖徳太子が掘らせたとされる古井戸の一つ/法輪寺の別名・三井寺の名称の由来にもなっている/井戸脇⇒粗加工の平石を四角に置いただけのもの(河合町の薬井(7世紀?)や兵庫県の再現された閼伽井(天平9(737))と同じ形式)/井戸内部は深さ4.25mのうち、上部3m部分に「磚」と呼ばれる扇状の薄い板状の石を積み上げている特殊な構造⇒国史跡になった理由 2 写真
写真 椿井 つばい 奈良/(生駒)平群町   石積井戸   古代?   WEB Cブロック建屋内/石階段付き 聖徳太子と平群神手将軍が、物部守屋を征伐する際に苦戦→将軍がこの地に椿の杖を突きたて戦勝を祈願すると一夜にして杖が芽吹き葉が茂り傍らから冷泉が湧き出したという伝承のある井戸 3
写真 薬井 くすりい 奈良/(北葛城)河合町   石井戸   7世紀?   町教委   弘法大師が眼を患った人を気の毒に思い「ここを掘り湧き出す水で眼を洗いなさい」と教えらたとの伝承/井戸脇⇒粗加工の平石を四角に置いただけのもの(斑鳩町の「三井」と類似) 2
  武内宿禰誕生井 たけうちのすくね 和歌山/和歌山市 武内神社(長寿殿) 石井戸   古代?→享保年間(1716-1736)?   WEB 長寿殿内に保存 武内宿禰の産湯に使われたという伝承/紀州徳川家では代々産湯として使われた→現存する井戸枠は、長寿殿が建立された享保年間の可能性も? 2
  仏井戸   和歌山/御坊市 (上野王子) 井戸   室町期 市史跡 WEB/和歌山県文化財目録p103 木造の覆屋で保護 井戸の底に一石三尊仏(地蔵菩薩、阿弥陀如来、観音菩薩)が陽刻されており、王子の本地仏として参詣していた 1
写真 赤穂藩上水道モニュメントの町屋井戸 あこう 兵庫/赤穂市   井戸   江戸期   市教委 公園化/残る石組は地上部のみ/移設? 指揮:代官・垂水半左衛門/3年がかりで赤穂藩に千種川の水を引き、元和2(1616)に完成させた上水道/日本三大上水道の1つとされる/地下を網の目のように走り、城内や町民の各戸に給水した/底に瓶を埋め、その上に土管を積み重ねて造られた/道の下を通る配水管から給水管によって屋敷内に引き込まれ、汲出枡から汲み上げられた/汲出枡とも呼ばれる 3
写真 昆陽寺の閼伽井 こや、あかい 兵庫/伊丹市   石井戸(組石)   天平9(737)   歴史の道2p146/現地調査 復元 疱瘡が流行し、行基自ら井戸を掘り、天竺無熱地の水を移し、病人の救護の水として与えたとされる/石の組み方と、丸味を帯びた加工が非常にユニーク 3
写真 藤の井 ふじのい 兵庫/高砂市   石井戸   近世以前 市史跡 市教委/WEB/WEB(的形道標クラブ 修景/藤井八幡宮として祠を設置 真水の乏しい現地で生活用水として利用された井戸/井戸としては異例に大きな井戸枠/西浜の船頭にこの地を案内された八幡大神が一夜の宿のお礼にこの井戸を掘り与えたとの伝説が残る 2
写真 貝掘の井戸 かいぼり 兵庫/たつの市 <室津湊>  井戸   鎌倉期?   現地解説板/WEB/市教委 上部石組は新設? 土佐へ流罪となった法然が室津に滞在した際に飲料水に困る住民のために貝で掘ったとの伝説が残る井戸 3
写真 妹尾戸川家陣屋跡の井戸 せのお・とがわ 岡山/岡山市(南区)   石井戸(花崗岩、四角) 122㎝四方 寛文9(1669) 市有形民俗 歴史の道6p7-8 全体に、往時の姿を良好に留めている 陣屋や家臣たちの町屋の水源確保のために設けられた井戸/入母屋造り瓦葺きの覆屋付き/井戸そのものは四角/井戸端も花崗岩切石敷 1
写真 つちえの井戸   岡山/岡山市(南区)   石井戸(花崗岩、八角) 直径2.82m 17世紀末以前 市有形民俗 市教委/WEB 開口部が円形の金属蓋で覆われ、八角形のイメージがわかない/井戸端もコンクリート 妹尾(漁村)地区で最も古い共同井戸/八角形の井戸は珍しい 3
  深井の井戸 ふかい 岡山/倉敷市 倉敷地区(羽島) 石積み井戸(花崗岩、三角に近い不定形)   古代   WEB 水は白濁 神功皇后が九州からの帰途に大御食(おおみけ)に使用したとの伝承/自然石をきれいに積み上げた井戸 2
  吉備真備産湯の井戸 きびのまきび 岡山/倉敷市 真備地区 井戸(四角)   7世紀頃   WEB 中国風の屋根/石張りのコンクリート井戸(上面に蓋)・駐車場を整備 吉備真備公(695-775年)の産湯に使われたことから付けられた名/矢掛にも同名の井戸 4
写真 大悲水 だいひすい 岡山/倉敷市 児島地区(通生)湯谷山 井戸(四角) 193×185㎝,高42㎝ 延暦年間(782-805)   児島の石造物p143,144/小西宏和 大正2年銘の石材が使われているため、当時何らかの改修が行われた/機械化 屋根付き/坂上田村麻呂が由加の山奥で鬼と恐れられていた阿久良王討伐の勅命を受けて当地を訪れた際、①杖を突くと水が湯に変わった、②怪我を負い大悲水に入れると治った、という伝承がある/最大級の井戸枠/正面に「奉納」と陰刻 2
写真 小野小町姿見の井戸 おののこまち 岡山/倉敷市 倉敷地区、日間山法輪寺本堂の裏山 石積み井戸(花崗岩、円形に近い不定形) 約95㎝ 9世紀   藤戸・美観地区の石造物p78/小西宏和 湧水はあるが飲用には不適/羽島ヶ丘同好会が管理 小野小町が悪瘡を病み、日間山法輪寺の本尊正観音に願を立て、毎日この井戸を鏡として姿を見たとの伝承/石積みで囲まれた井戸 2
写真 天満宮ゆかりの井戸 てんまぐう 岡山/倉敷市 児島地区(唐琴) 石井戸(花崗岩、四角) 104×101㎝,高47㎝ 昌泰4(901)?   児島の石造物p28,29/小西宏和 道路建設の際、若干山側に移動/内部C化/井戸枠は明治29のもの 菅原道真が大宰府へ権帥として左遷される途中で立ち寄った際、杖を地面に付いたら水が出たといわれる=菅原道真が天神様として祀られているため、ある程度信憑性も/正面に梅鉢紋、右脇に「天満宮井」と陰刻 4
写真 泉谷の大井戸 いずみだに 岡山/倉敷市 乙島地区 石井戸(花崗岩、四角) 137×138㎝,高47㎝ 寿永2(1183)以前?   連島・玉島港の石造物p16,81-82,129/小西宏和 乙島文化財保存会により保存・整備 源平水島の戦い(1183)の際に、平家方が陣を敷いた場所とされる/乙島が島だった時代の8つの共同井戸の1つ/内部は円形の石積み→方形の井戸枠は後世のものの可能性大 2
写真 蘇良井戸 そら 岡山/倉敷市 藤戸地区(有城) 石井戸(豊島石、円筒形刳抜き) 径87㎝,高42㎝ 元暦元(1184)以前   小西宏和 現役/藤戸史跡保存会により保存・整備 源平藤戸の戦い(1184)の際に、御崎(おんざき)神社に布陣した源氏方兵士が飲み水として使用したとの伝承/豊島石を円筒形に刳抜いた井戸枠=倉敷に多い古い形式/井戸内部は花崗岩を「打ち込みはぎ」に積んでいる→非常に珍しい 1
  誓紙の井戸 せいし 岡山/倉敷市 藤戸地区 石積み井戸(花崗岩、円形)   元暦元(1184)以前   WEB 移設(水は出ない) 源平藤戸の戦い(1184)の際に、源氏の武将・佐々木盛綱が土地の有力者に服従を求め誓紙を差し出させたが、誓紙を書く硯水を汲んだ井戸/大胆な石積みが特徴 4
写真 観音寺の井戸 かんのん 岡山/倉敷市 下津井地区(吹上)観音寺 石井戸(花崗岩、四角) 100×103㎝,高41㎝ 元応2(1320)頃   小西宏和 保存状態良好 屋根付き/丸味を帯びた4つの石材を組み合わせた井戸=兵庫県伊丹市の昆陽寺・閼伽井(天平9(737)起源)ほどではないが、角が若干丸味を帯びている→古い形式→寺の創建時の築造と見ても矛盾しない 1
写真 下津井吹上2丁目の井戸 しもつい・ふきあげ 岡山/倉敷市 下津井地区(吹上) 石井戸(豊島石、円筒形刳抜き) 径105㎝,高45㎝ 江戸以前?   児島の石造物p107/小西宏和 保存状態良好 吹上地区に3基残る豊島石を用いた円筒形刳抜き井戸の代表 1
写真 渡里の大井戸 わたり 岡山/倉敷市 乙島地区 石井戸(花崗岩、四角) 95×97㎝,高44㎝ 江戸以前?   連島・玉島港の石造物p16,81-82,129/小西宏和 保存状態良好 乙島が島だった時代の8つの共同井戸の1つ/立派な屋根付き井戸(四方の柱の台も斜めに傾けた円柱石材 1
写真 遠州井 えんしゅう 岡山/倉敷市 船倉町・教善寺 石井戸(花崗岩、四角) 90㎝角,高35㎝ 江戸初期?   WEB/小西宏和 現役の山清水(透明度の高い水)/屋根で覆ってある(水が見えない)/風情のある周辺環境 小堀遠江守(1579-1647年)が茶事に愛用していたとの故事/精緻な石組み/井戸端も花崗岩切石敷 1
写真 旭井戸 あさひ 岡山/倉敷市 乙島地区(水溜・六宝荒神社近く) 石積み井戸(花崗岩、円形)   宝暦年間(1751-63)以前   小西宏和 昭和51改築=境内の大石を移して井の屋とした/〆縄が付けられている 宝暦年間、荒神宮の造営にあたりご神水として用い、井の正面に三慧の像を祭って祠とした/石積みの上に大きな自然石が載る(改築時)/井戸内部は花崗岩を「打ち込みはぎ」に積んでいる→非常に珍しい 3
写真 鶴井戸 つる 岡山/倉敷市 下津井地区(1丁目) 石井戸(花崗岩、四角) 177×164㎝,高54㎝ 寛文10(1670) 市史跡 児島の石造物p129,136/小西宏和 町内で所有・管理 屋根付き井戸/井戸端も花崗岩切石敷/飲料用、北前船への飲料水の供給用などに使用(亀井戸ができるまで→鶴井戸の水は亀井戸よりも塩分が濃い) 2
写真 寺井戸 てら 岡山/倉敷市 下津井地区 石井戸(花崗岩、四角) 155×157㎝,高51㎝ 寛文10(1670) 市史跡 児島の石造物p129,136/小西宏和 町内で所有・管理 屋根付き井戸/酒造り用などに使用=井戸枠に「酒屋七軒」と陰刻 2
写真 おいど   岡山/倉敷市 下津井地区 石井戸(花崗岩、六角) 188×176㎝,高49㎝ 17世紀?→明治6に井戸脇更新?   児島の石造物p136/小西宏和 町内で所有・管理/井戸枠更新 おいどの水が最良だったため、御座船がおいど周辺に寄港し、そのため北前船はその周辺に寄港できずに亀井戸周辺に寄港したといわれる/井戸枠には「明治六年」と刻字されているが、上記の歴史的経緯から、井戸そのものは亀井戸とほぼ同時期からあったものと推測 3
写真 赤穂井戸 あこう 岡山/倉敷市 児島地区(阿津) 石井戸(花崗岩、四角) 137㎝角,高59㎝ 元禄16(1703)以降   児島の石造物p105,112/小西宏和 周辺環境も維持されている 赤穂の浪人達(1703年以降)がこの地に塩田を開いた時に掘り当てた/倉敷の他の方形井戸と比較し、表面の加工がきわめて平滑/井戸端も花崗岩切石敷 2
写真 亀井戸 かめ 岡山/倉敷市 下津井地区 石井戸(花崗岩、四角) 184×184㎝,高60㎝ 享保3(1803) 市史跡 児島の石造物p129,136/小西宏和 町内で所有・管理 飲料用、北前船への飲料水の供給用、酒造り用などに使用/井戸枠に「亀井」と陰刻→非常に珍しい/内部の掘抜部が四角に掘り抜かれている(方形石組)→珍しい 2
写真 蓮台寺の井戸 れんだい 岡山/倉敷市 児島地区(由加)蓮台寺 石井戸(花崗岩、四角) 135×132㎝,高72㎝ 文化10(1813)   児島の石造物p68/小西宏和 現役(ただし、生活用水) 花崗岩を刳り抜いた石を2つ使用して1つの井戸枠として用いる珍しい構造/正面に「奉寄進」と大きく陰刻/右面には世話人として丸亀の商人3名の名前が陰刻 1
写真 松の井 まつ 岡山/倉敷市 児島地区(由加) 石井戸(花崗岩、四角) 89㎝角,高22㎝ 江戸期   児島の石造物p68,70/小西宏和 放置 池田の殿様(何代目か不明)が由加参拝の際に井水を飲んだところ、由加の霊水よりの湧水は天下随一とし、その後も愛飲したと伝えられる/井戸枠の石がそのまま井戸内部の壁となっている(方形石組)→珍しい 2
  菊水の井戸 きくすい 岡山/総社市 神護寺 石井戸(花崗岩、方形)   正応元(1288)以前   歴史の道9p5/WEB 平成元に修景整備(現存施設は後世のもの) 総社三名水の一つ/正応元年の嘗会歌に因む/備中巡礼略記では「清水の井」 4
写真 大多府港の大井戸 おおたぶ 岡山/
備前市(大多府島)
大多府港 石井戸(花崗岩、六角) 直径2m 元禄11(1698) 市史跡   修景整備 規模はそれほど大きくないが、きれいな六角井戸/井戸端も花崗岩切石敷 3
写真 早島戸川家陣屋の井戸 はやしま・とがわ 岡山/(都窪)早島町   石井戸(花崗岩) 1.2m×1.2m,高55㎝ 宝永6(1709)? 町史跡 町教委 周辺の環境は良くない 水を汲む側の面が14㎝低くなっている=珍しい構造(普通は4面とも同じ高さ)/井戸の屋根瓦に戸川の家紋 2
写真 美保関おかげの井戸 みほのせき 島根/松江市 美保神社・参道脇 石井戸
(八角形、笏谷石)
  文久元(1861)   市教委 保存状態良好/覆屋付き 施主:大宮司横山長門守/笏谷石(石の中に混ざり物があるのが特徴) 1
写真 沖泊の上の井戸群 おきどまり、うえ 島根/大田市 沖泊港 石井戸(円筒)   寛文13(1673)以降 世界遺産
国史跡
WEB 4基中3基は石造、1基はC改修 石造の3基は1枚岩の円筒で、筒を2段重ねているものが2つ、1段のものが1つ/正念寺奥の井戸/港が造られた頃掘られたのではないかと考えられる/井戸水は集落の人々の生活に利用する他に、沖泊に入港してきた船に水を与え、米や酒に交換していた 2
  東照宮の御神井
(亀井の水)
とうしょうぐう 広島/広島市(東区) 東照宮 石井戸   慶安元(1648)   WEB 金属蓋・覆屋・木柵で保護 常に水が湧き、干ばつにも絶えなかったとされる井戸/大阪の亀の井と似ていることから亀井の水という別称もある 2
  本川井戸 ほんかわ 広島/広島市(南区) (堀越) 石井戸   治承3(1179)   WEB 周囲を石擁壁で囲んだ下にある
(一部C改修)/木製の蓋
平清盛がその娘・天女姫が亡くなった際に、丘の上に神社を建て亡骸を祀らせ、その丘の周りに堀を造り海水を引いて島にさせる、という工事を行わせた際に、作業員が使っていた井戸 2
写真 西土堂の二階井戸1 にしつちどう 広島/尾道市 (持光寺石門下・滝本邸) 石井戸   近世?   WEB 覆屋で保護 1階からでも2階からでも水汲みができるよう、両方に井戸枠が造られ、釣瓶を落とせるようになっている→坂道に住む人々の知恵が垣間見れる特徴的な構造 1
  菅公御手洗の井戸 かんこうおてあらい 広島/呉市 (天満神社) 石井戸   延喜元(901)以前?   WEB 覆屋で保護/竹製の蓋/現在の井戸枠の設置年代は不明 延喜元(901)に菅公(菅原道真)が太宰府に左遷されたとき、船をこの地に寄せ天神山の麓のこの地で口をすすぎ、手を洗い天神地祇にお祈りした、という伝承がある井戸 2
写真 本町の酒造用井戸 ほん 広島/竹原市 (3丁目) 石井戸(六角形) 径213㎝ 天保3(1683) 国重建保存地区 WEB 一部修復/保存地区内の遺構として保護 安芸の小灘と呼ばれ酒造が盛んに行われていた竹原で、往時より酒造を支えていたと言われる井戸/井戸端も切石敷 2
  松永上之町共同井戸
(鍛冶屋川)
まつなが 広島/福山市 (上之町集会所内) 石井戸
(六角、花崗岩)
径4.2m,深4.9m 江戸期 市史跡 WEB

C埋設/金属の蓋

江戸時代の初めに本庄重政の指導による大規模な塩田開発で松永が形成された際、飲料水確保のために設けられた共同井戸/花崗岩の石積による大型の胴張円形井戸で、井筒は長石上に断面台形状の井桁を用いて六角形に組んでいる 3
  糸碕神社の御調井 いとざき、
みつぎ
広島/三原市 糸碕神社 石井戸 深3.6m,径120㎝ 古代?   WEB 玉垣で囲い覆屋で保護/石の井戸枠は新しい 神功皇后が朝鮮出兵からの帰途中の御船に村長がこの水を貢いだとの伝承/長井の井戸とも呼び、そこから井戸崎となり、転訛して糸崎の地名になった/覆屋内に水神が併設 4
  菅公御手掘井戸 かんこうおんてぼり 広島/三原市 (甑天満宮下) 石井戸   延喜元(901)?   WEB 瓦葺の覆屋/石の井戸枠は江戸期以降 井戸枠に「菅公手掘井」と陰刻/菅原道真が九州の大宰府に大宰権帥として赴任する途中、里人が旱魃で困っていたのを見て掘り抜いたとの伝承/井戸の恩を忘れないようにと甑を御神体に祀って甑天満宮を造り、現在もその宮の下に井戸が残る 2
写真 大照院の井戸 だいしょういん 山口/萩市 大照院 石井戸   明暦2(1656)?     保存状態良好 井戸脇には外観は平滑だが、外側から見えないよう内壁側に“ほぞ”が設けられている(美的感覚)/四角の井戸枠の周囲に敷かれた円形の井戸端が特徴(放射状に敷石が並べられている)/明暦2(1656)は大照院が再建された年 1
写真 長刀泉 なぎなた 香川/高松市 (牟礼町) 石積井戸   元暦2(1185)? 市史跡 現地解説板/WEB 保存状態良好 源平合戦の時、良い水を得ようと、弁慶が長刀で掘ったという伝承のある井戸/菜切地蔵、瓜生が丘の近くに位置することから源氏の陣跡に比定されている 1
写真 山口の井戸 やまぐち 香川/観音寺市 (八幡町) 石井戸   大同年間(806-10)?   WEB/
現地解説板
昭和初期まで飲用→東屋/全体を木の板で覆う 弘法大師が観音寺の住職をしていた頃、旱魃に苦しむ人々の飲用に掘ったとの伝承 3
写真 法然上人 櫂堀井戸 ほうねん、
かいほり
香川/丸亀市 (正宗寺) 石井戸   承元元(1207)   WEB 井戸周辺が練石で改修/井戸そのものは鉄蓋で覆われて見えない 法然上人が讃岐配流になり塩屋浜に上陸した際、清水が欲しくなり乗ってきた舟の櫂で浜を掘ったところ水が湧き出たとの伝承/井戸口が掘り下げてある 3
写真 弘法大師 産湯の井戸 こうぼう・
うぶゆ
香川/(仲多度)多度津町 海岸寺・奥の院 石積井戸   平安初期?   WEB 古写真では円形の石積井なので中世までは遡るが、その上に厚い木版が置かれ、堂の中に入っており何も見えない 弘法大師の母、玉依御前[たまよりごぜん]が大師出産のための産屋を建てたとの伝承/善通寺市の誕生院・西院にも同様のものがある 4
写真 おもかげの井戸
(日限大師)
(ひかぎり) 徳島/徳島市 井戸寺 石井戸 径約90×80㎝,高約60㎝ 平安初期(井戸枠の年代は不詳)   現地 木造檜皮葺きの建屋内 井戸=「日限大師」として信仰の対象/弘法大師が錫杖で清水を湧き出させたとの伝承→「井戸寺」の名称/ご詠歌:「おもかげを うつして見れば 井戸の水 むすべば胸の あかや落ちなん」/井戸枠の石組はかなり古い形式 1
写真 蔵珠院のまいこみ泉 なだ 徳島/徳島市 蔵珠院 掘下げ井
(渦巻き状)
直径約5m、
深約3m
江戸期? とくしま市民遺産 坂本 孝 保存状態良好 関東地方以外で「まいまいず井戸」は、同じ四国の「さざえ堀(愛媛県伊予市)以外には、見つかっていない/「さざえ堀」は飲用ではない(潮の満干を知るため)ので、井戸としては関東以外で唯一 1
写真 さざえ堀 なだ 愛媛/伊予市 彩浜館 掘下げ井
(渦巻き状)
(非飲用)
直径5.44m、
内径4.22m
文化9(1812)   WEB 保存状態良好 萬安港を築いたとき螺旋状に石を積んで造り上げた堀/砂浜の上に石垣を組んで、潮の満干をわかるようにした/目的は異なるが、東京のまいまいず井戸と構造が似ていて興味深い 2
写真 吉田藩御船手の御用井戸 よしだ、おふなて、おんよう 愛媛/宇和島市 吉田町御舟手 井戸 直径約2m,
水深約10m
明暦4(1658) 市史跡 市教委/歴史の道7p33 保存状態良好 吉田藩初代藩主・宗純が築いた御船手( 藩の水軍基地)の井戸た/汐濡れした船道具の洗い場に当てられていたといわれる/空石積(打込ハギ)の石組みが見事(井戸枠はない) 1
写真 中江の水 なかえ 愛媛/大洲市 大洲高校 石井戸 径60㎝ 江戸初期 県史跡 歴史の道6p15/WEB 井戸内部の石積みも残る/通常は蓋が被せてある 中江藤樹(1608-47、陽明学の祖)が使っていた井戸/円筒形に刳抜いた井戸枠 2
写真 御化粧の井戸 おけしょう 高知/四万十市 一条神社 石井戸   15世紀中頃 市史跡 WEB 保存状態良好 土佐一条家(1468-1599)ゆかりの井戸/直方体の石の中央を円筒状にくり抜いた井戸枠/女官・侍従たちが化粧に使用したことから命名 1
写真 福江の六角井戸 ふくえ 長崎/五島市(福江島) 江川町 石井戸(六角)   天文9(1540)以降 県史跡 WEB/市教委/WEB(みさき道人) 保存状態良好/金網で蓋 天文9、倭寇の頭目・王直が深江(現・福江)に来航し藩主に通商を求めた→江川城主・宇久盛定は海外貿易の必要を認め通商上の黙約を結び、彼らに居住地(現・唐人町)を与え、更に飲料・船舶用に江川城本丸下に井戸を掘らせた/平戸市には2つ六角井戸があるが、いずれも井戸枠の上辺が平らで国内各地の六角井戸と同様だが、福江の六角井戸だけは井戸枠の上辺が山型(三角断面)になっている 2
写真 お茶の水 おちゃのみず 長崎/西海市 白崎郷 井戸(湧水)   正暦5(994)以前 市史跡 WEB 現存遺構は江戸期 大村家の始祖遠江権守直澄が上陸した時、この井戸(湧水)より清水を汲み茶を供したという伝承がある 3
写真 的山の朝鮮井戸 あづち 長崎/
平戸市(的山大島)
  石井戸   縄文・弥生起源 市史跡 WEB/現地解説板 現在の形態となった時期は不明/海岸だが真水が出る 遣隋使船・遣唐使船寄港の口伝/足利時代に遣明使船が半年間滞在/豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加した船団が水を汲んだという伝承からの命名 1
写真 平戸のオランダ井戸 ひらど 長崎/平戸市(平戸島) 平戸和蘭商館跡 石井戸(大小2基) 1.5m角 元和4(1618)   WEB 非現役 オランダ商館の井戸/大小2つの石枠を組み合わせて造られた井戸
(2つの井戸は中でつながっており、大きな井戸は屋外からの水汲み用、小さな井戸は、商館の屋内から調理等に用いられたとされる)
2
写真 神浦の六角井戸 こうのうら 長崎/
平戸市(的山大島)
  石井戸(六角)   寛文7(1667) <大島町史跡> WEB 保存状態良好 鯨組井元氏の真教寺創建時に寺付きの井戸として掘られたもの/五島市の「福江の六角井戸」や、下記の「平戸の六角井戸」とも違う構造(井戸枠の上辺が平らな点は日本風)/一種の捕鯨遺産 1
写真 平戸の六角井戸 ひらど 長崎/平戸市(平戸島)   石井戸(六角)   16-18世紀? 県史跡 WEB 保存状態良好 明の商人との関連を示唆する書き込みは多いが、証拠は全くない/五島市の「福江の六角井戸」は井戸枠の上辺が山型(三角断面)となっていて、国内では見られない顕著な特徴だが、平戸の六角井戸は上辺が平ら→この種の六角・八角の井戸は、少数だが日本各地にある 1
写真 旧正興寺古井戸 しょうこう 長崎/(北松浦)佐々町 <正興寺> 石井戸(石積) 径1.2m,深3m 正応3(1290) 町史跡 WEB 保存状態良好/飲用不適 井戸の内壁を人頭大の玉石で築き上げる 1
写真 化粧井戸 けしょう 大分/宇佐市 (北宇佐) 石井戸(3基)   神亀元(724)? 市史跡 WEB 3基とも太い石材で造られた柵で囲まれている/井戸内部の石積が残る 福岡県吉富町鎮座の古表神社と中津市藤田鎮座の古要神社のご神体である“傀儡人形”が化粧するための井戸 1
写真 海添の御口屋井戸 かいぞえ、
おぐちや
大分/臼杵市 (海添)<津久見街道> 石井戸 102㎝×102㎝,
高60㎝,径70㎝の穴
延宝5(1677)以降   WEB/市教委 名水として知られる/米穀店の敷地内 津久見街道の城下入口に設けられた御口屋(番所)の井戸/厚さ30㎝の凝灰岩の中央を丸くくり抜き、2段重ねて井戸枠とした 1
写真 金毘羅井戸 こんぴら 大分/臼杵市 (二王座) 石井戸   江戸期   WEB 保存状態良好 鹿児島県霧島市の福山郷地頭仮屋・跡の水汲場1・2とよく似た「石垣に埋め込まれた構造」だが、福山郷地頭仮屋の方が半円アーチでくり抜き部を支えているのに対し、金毘羅井戸はより稀な合掌アーチが使われている 1
写真 辻井戸 つじ 大分/臼杵市 (臼杵) 石井戸   江戸期   WEB/市教委 鉄格子で蓋 『稲葉家譜』に、「古老の言によれば、大友氏の家臣であった辻井某がこの辺りに居住しており、辻井殿と呼ばれていた」「辻井戸というのは辻井殿がなまったもの」と記されている/臼杵城下を代表する井戸/凝灰岩の中央を丸くくり抜いた井戸枠/塩分を含まない上質の水が湧出するため、上水道が普及するまでは飲用だけでなく、醸造用にも使用 2
写真 神の井 かみ 大分/佐伯市   石積井戸   古代?   WEB 保存状態良好 神武伝説に由来する井戸/満潮時には海水に没する/未加工の小石を円筒形の壁面内部に積んで補強してあるため、戦国期以前に遡る可能性あり 1
写真 安井 あんせい 大分/佐伯市 (城下西町山際) 石井戸
(円形、花崗岩)
外径1.24m,
内径0.88m,深2.97m
天明元(1781) 市史跡 WEB/市教委 瓦葺の屋根付き(後付け) 円筒形の井戸枠正面に「安/井」と刻銘/藩医・今泉元甫が飲み水に困った城下の人々のために私財を投じて掘った「三義井」の1つ(残る2つの唖泉と甘泉は個人所有地内)/上質の御影石を円筒状にくり抜いた見事な石枠 1
写真 船場橋橋詰めの共同井戸 せんば 熊本/宇土市 轟泉水道 石井戸
(円形、馬門石)
3ヶ所の1つ(2ヶ所は屋根付き) 江戸期   市教委 瓦葺きの屋根は修景 朱色の馬門石を円筒状にくり抜いた部分が地上に出ている/井戸端も馬門石切石敷/瓦葺きの屋根/船場橋と一体化した景観 1
写真 土持堀の深井戸 つっもっぼい 鹿児島/鹿屋市   井戸:円筒素掘、建屋:木造藁葺 深約64m,径約90㎝ 文政・天保年間
(1818-43)頃
県史跡 WEB 形態はよく保全/建屋は、奄美大島の大和浜の群倉に似た南方系の構造(再現) 保水性の低いシラス台地に掘られた井戸(シラス台地ならではの構築物)/深さが64mもあるため人力では汲み上げられず、牛に綱を引かせて汲み上げていた(長い綱と桶が残っている)/旧串良郷に現存する深井戸の中で最も原型を留めている 1
写真 ジッキョヌホー   鹿児島/(大島)知名町
(沖永良部島)
  石積井(湧水) 湧水量1907t/日 江戸期? 町有形民俗 WEB 一部C改修/昭和30年代まで現役/公園整備 集落の中央・地表近くに湧き出る島内最大の井戸/現在も集落のシンボルとして崇拝を受け、「ホーまつり」も行われている 2
写真 識名園・育徳泉 しきなえん・いくとくせん 沖縄/那覇市 識名園 石積井(湧水)
(半月型に積まれた2段の石垣)
  15世紀? 世界遺産、国特別名勝 WEB 保存状態は完璧 曲面の「あいかた積み」で造られた立派な水源井戸/1800年と1838年の碑が立つ 1
写真 之川 ナーカヌ・カー 沖縄/那覇市   石積井(湧水)
(L字型に積まれた2段の石垣)
  16世紀頃→
1863年の災害で修復
市史跡 現地解説板/WEB コンクリートを撤去、水道管を見えなくした 水量が豊富なため、日照りの際は首里城内の用水としても使用/背面断崖は大小の石材を用い「あいかた積み」で石壁を築き、井戸は長方形に積み上げた構造/立派な石畳が付属 2
写真 城大樋川 カナグシク・ウフヒージャー 沖縄/那覇市 <金城村の共同井戸> 石積井(湧水)
(コの字型に積まれた3段の石垣)
  1694年以前 市史跡 市教委/現地解説板/WEB 金城町石畳道にも近く、観光の拠点/コンクリートの建物を撤去し、水道管を撤去、解説板を小型化 岩盤の奥の水脈から湧き出した水をそのまま石垣で囲んだ井戸に導き、利用したもの/3方は土留の高い石積みが施され、背後の崖は4段に分けて堅固に積み上げられている/金城地区で最大の井戸 1
写真 寒水川樋川 スンガー・ヒージャー 沖縄/那覇市   石積井(湧水)
(半月型に積まれた3段の石垣)
  18世紀初頭以前 市史跡 市教委/WEB   きれいな半月形をした「あいかた積み」のヒージャー/水溜めも半月形/沖縄を代表する井戸の1つ

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写真 宝口樋川 たからぐち・ヒージャー 沖縄/那覇市   石積井(流下式水源)(下降通路の両側に石垣)   1807年→1842年修復 市史跡 市教委/WEB   首里の「宮城ぺーちん」らが寄付を集め開いた共同井戸/崖下に位置し、豊富な湧水を流下させるタイプのヒージャー(他にあまり例がない)/「あいかた積み」を使用 1
写真 沢岻ヒージャー たくし 沖縄/浦添市   石積井(湧水)   10世紀頃→石積 市史跡 WEB 1999年に復元整備 1000年の歴史と解説板には書いてあるが、実際は不明 3
写真 仲間ヒージャー なかま 沖縄/浦添市   石積井(湧水)   1731年以前→
1935年に水タンク設置
市史跡 市教委 2009年に復元整備 ヒージャーとしては、最古級の起源切石で囲まれている 2
写真 与佐次河 ユサチ・ガー 沖縄/うるま市
(平安座島)
  石積井(湧水)   1736年、あるいは、1799年 市有形民俗 WEB RC屋根が雰囲気を壊す 3面を石積壁で囲んだ立派な井戸 3
写真 東恩納古河 ひがしおんな・クガー 沖縄/うるま市   掘抜井(石積)   18世紀?   WEB   4段の円形の掘り抜き井戸の周囲を、さらに円形の石垣で囲った、沖縄でも珍しい形態  2
写真 上原の万川 うえはら・ヤンガー 沖縄/
うるま市 (宮城島)
  石積井(湧水)   1849年頃→大正4年改修(屋根を付けた) 市建造物 WEB RC屋根が雰囲気を壊す 現役泉からの導水部は、トンネル状に石が組まれている背面の石組も見事/信仰の対象/水源と洗い場に分かれている 3
写真 田場ガー たば・ガー 沖縄/うるま市   石積井(湧水)   不明 市史跡 WEB 1999年上部崩壊→2004年復元直上に道路のガードレール 湧きロを囲んだ二つの池と水神を祭った祠、池の水貯めをするマグサ、歩き道の石敷、二箇所の降り口、洗濯場、シッティからなる 2
写真 室川井 むろかわ(ムルカー)・ガー 沖縄/沖縄市 沖縄市役所・北西 石積井(湧水)   不明 市史跡 市教委/WEB 昭和3年改修(上段がコンクリート化) 全体を掘り込んだ大型湧水泉 2
写真 セークガー   沖縄/沖縄市 美里公民館・南 石積井(流下式水源)   不明 市史跡 WEB 直上に駐車場 引水してきた水を、石積井戸から流下させる2つの取水溝と四角の「のぞき穴」がある 2
写真 美里ヒージャーガー みさと 沖縄/沖縄市   石積井(湧水)   不明 市史跡 WEB 昭和初期まで飲料水として使われた ヒージャームンチュウが使用した井戸との伝承がある 2
写真 森の川(ムイヌカー) もりのかわ 沖縄/宜野湾市 森の川公園 石積井(湧水)   1372年(伝説)→1725年 県名勝 市教委/WEB 大規模な修復 王族伊江家によって建造伊江家の中山王の功績を讃えるため建造した複雑な構造の大型井戸/昭和20年の大戦で破壊したが住民によって修復 2
写真 ヌグスクガー(野城泉)   沖縄/
宮古島市(宮古島)
福富集落の北東の丘陵 石積井(湧水)   13-14世紀頃? 市史跡 現地解説板/WEB 石積みの年代は不明/泉池全体を大木が覆う/水量多い 野城(グスク)の按司集団が利用?/2つに仕切られている(使用目的の違い?) 1
写真 クスヌカー(後の井)   沖縄/
宮古島市(宮古島)
  石積井(海岸崖下の湧水)   14世紀頃 市有形民俗 現地解説板/WEB 保存状態良好(崖下まで降りていくのが大変) 宮古島に多い海岸崖下タイプ/大嶽按司が開削したとの伝承(同時に掘られたマイヌカー〔前の井〕は自衛隊の基地内)/鉄器の伝来や集落の歴史(民俗行事シツ)と深く関わる/垂直に積み上げられた筒状の石壁が特徴 1
写真 神里ガー かんざと 沖縄/
宮古島市(伊良部島)
  石積井(不定形)   1430年頃以降(発祥の起源) 市史跡 現地解説板 整備されているが、周囲の柵が邪魔 神里=「神様の集まる処」の意味/集落の唯一の井泉として村の形成に大きな影響/今でも「生まれ元島の水」として神事に使われている/平地の開放的な井戸としては大規模 2
写真 ウプカー(大川)   沖縄/
宮古島市(宮古島)
平良市街地 石積井(不定形)   1717年以前 市史跡 現地解説板 平成16に発掘→その割に、石垣・水面とも草で覆われ荒れた感じ 牛馬専用の井戸=きわめて珍しい 2
写真 サバウツガー(鯖沖井)   沖縄/
宮古島市(宮古島)
  石積井(海岸崖下の湧水) 径1.5m,深4.5m 1720年 市史跡 現地解説板/WEB 昭和41まで生活用水として使用/新規に階段が整備されアクセスが容易 宮古島に多い海岸崖下タイプ/池間島からの強制移住させられた佐良浜の人々の生活用水として240年にわたり使われてきた井戸→丘陵上から崖下の海岸まで124段の簡易な石段で降りる大変な労働だった/円形に丁寧に積まれた石 2
写真 来間川 くりま・ガー 沖縄/
宮古島市(来間島)
来間集落東の崖下 石積井(海岸崖下の湧水)   不明 市史跡 現地解説板 1番(水汲み)の一部に修築(復元?)/昭和50まで生活用水として使用 宮古島に多い海岸崖下タイプ/1番(水汲み)、2番(水浴)、3番(洗濯)の3つの部分にはっきり分かれている=3つの部分に完全分離している例はきわめて稀/丘陵上から崖下まで約100段の簡易な石段で降りる大変な労働だった 2
写真 慶座井 ギーザ・ガー 沖縄/(島尻)八重瀬町   石積井(湧水) 上部:15m×15m,深9.5m,下部径7.5m 1854-59年頃 町史跡 WEB 雑草が繁茂して、石垣が隠され、全体像がつかみにくい 3段の石積の上部を土塁で囲んだ大規模な井戸 3
写真 前の井 メエヌ・カー 沖縄/(島尻)与那原町   石積井(半月状)   19世紀初頭 村史跡 WEB 井戸本体が鉄パイプ傘と金網で覆われている 王府から上納成績優秀な村に送られた「御拝領井」 3
写真 喜舎場ウフカー きしゃば 沖縄/(中頭)北中城村 喜舎場ウフカー公苑 石積井(湧水)
(3段の半円型)
  不明 村史跡 WEB 保存状態は良好/周辺を公園化 集落の割に大規模 2
写真 中城城のウフガー
(大井戸)〔別名:
バンジュガー(番所井戸)〕
なかグスク 沖縄/(中頭)中城村 <中城城> 石積井(湧水)   15世紀中起源、現存する石垣は16世紀以降 世界遺産 村教委 保存状態は完璧 開口部上部に巨大で見事な相方積みの石垣/番所井戸という別名から、一の郭に番所があった時代の井戸? 1
写真 シムスケー(古井戸)   沖縄/(八重山)竹富町
(波照間島)
 

掘抜井(石灰岩、すり鉢状)

  不明 町史跡 WEB/町教委 観光的整備 直線状に降りる(2方向)すり鉢型の井戸/表面は花崗岩の石積み/底に水が残る 2
写真 仲筋井戸 ナージ・カー 沖縄/(八重山)竹富町
(竹富島)
  石積井(石灰岩、すり鉢状) 長径5m,深7.5m 不明   町教委 観光的整備 ひしゃげた円形をした、急勾配の石積み井戸/竹富島で最大の井戸/底に水が残る 2
写真 幸本井戸 コントゥ・カー 沖縄/(八重山)竹富町
(竹富島)
  石積井(石灰岩、方形)   不明   町教委 非現役 階段部以外を石灰岩で覆った石積み井戸/上記の「仲筋井戸」に類似 2