狼煙場・烽火台・遠見台
都道府県別データ一覧にあるCランク以上の狼煙場・烽火台・遠見台
写真
名称
ふりがな
所在地
付帯情報
形式
諸元
建造年
文化財
出典
保存状態
価値判断に係る事項
保存
評価
価値
評価
岩殿城の烽火台
・跡
いわどの
山梨/大月市
岩殿山山頂(標高634m)
狼煙場
享禄5(1532)頃
WEB
場所が特定されているだけ
郡内領主小山田氏によって築かれたとされる山の砦の櫓台上
4
C
大渡の烽火台
・跡
おおわたり
山梨/北杜市
狼煙場
戦国期?
市史跡
WEB
武田信玄時代の烽火ネットワークの一環を担っていた(?)/「城山」の上にある烽火台跡/頂上の主郭を中心に鳥居峠側に8段の帯郭を配置
3
B
虚空蔵の烽火台
・跡
こくぞう
長野/佐久市
虚空蔵山
狼煙場(土塁)
東西27m,南北36m(周囲に土塁)
戦国期
市史跡
信州の文化財/WEB
視認できる形で信玄の烽火台が残っているのは稀
武田信玄の烽火台の一つ/標高772mの虚空蔵山山頂を平らに削り、土塁を施してある/矢島城と望月城を中継するのろし台
3
B
蛇峠山の烽火台
・跡
じゃとうげ
長野/(下伊那)阿智村
蛇峠山
烽火台
戦国期
村史跡
信州の文化財
石積みが残存
蛇峠山(標高1664m)の山頂に造られた武田信玄の烽火台
3
C
木名峠の狼煙場
・跡
きな
三重/尾鷲市
木名峠<紀州藩>
狼煙場(石積み)
(3基)
径約3m,高約2m,間隔4m,標高210m
寛永年間(寛永12以前、1624-35)
市史跡
WEB
保存状態やや良好(紀州藩が東紀州に築いた12ヶ所の狼煙場の中で2番目に良好)
熊野灘の沖を航行する異国船を見張るために作られた九木崎遠見番所の狼煙場/一列に並んだ3基の狼煙場→1筋・2筋という狼煙によって伝達する内容が定められ、3筋全部を上げる時は火急の合図だった
2
A
九木崎遠見
番所
・跡
くきざき
三重/尾鷲市
<紀州藩>
遠見番所(石積み)
寛永年間(寛永12以前、1624-35)
市史跡
WEB
放置状態(石積みのみ山中に残る)
熊野灘の沖を航行する異国船を見張るために作られた遠見番所の1つ
4
B
遊木の狼煙場
・跡
ゆき
三重/熊野市
(丹羽平)<紀州藩>
狼煙場(石積み)(3基)
径約3m,高約2m,間隔4m,標高210m
寛永年間(寛永12以前、1624-35)
市史跡
市教委/WEB
保存状態良好(紀州藩が東紀州に築いた12ヶ所の狼煙場の中で最良)
熊野灘の沖を航行する異国船を見張るために作られた楯ケ崎遠見番所の狼煙場/一列に並んだ3基の狼煙場→1筋・2筋という狼煙によって伝達する内容が定められ、3筋全部を上げる時は火急の合図だった
1
A
小山浦の狼煙場
・跡
おやまうら
三重/(北牟婁)紀北町
<紀州藩>
狼煙場(石積み)
寛永年間(寛永12以前、1624-35)
町史跡
WEB
放置
熊野灘の沖を航行する異国船を見張るため紀州藩が東紀州に築いた12ヶ所の狼煙場の1つ
4
B
皇座山狼煙場
・跡
おうざ
山口/(熊毛)上関町
<毛利藩>
狼煙場
幅約3m,奥行約2m
江戸中期-後期
WEB/台場事典p495
コの字型の石組や番小屋跡の礎石が残存
毛利藩が朝鮮通信使の来航などを伝えるのに用いた狼煙場
2
B
京上臈峯狼煙場
・跡
きょうじょうろうみね
香川/高松市
(庵治町)
狼煙場
内径3.2m,外径5.8m
江戸末期
古野徳久(ミュージアム調査研究報告1)
石材が持ち去られ土塁化
標高235.0mの遠見山の山頂/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、存在が多少なりと確認できるのは県下で7ヶ所
4
C
長崎鼻狼煙場
・跡
ながさきのはな
香川/高松市
(屋島)
狼煙場
内径3m,外径6m
江戸末期
古野徳久(ミュージアム調査研究報告1)
石材が持ち去られ土塁化
木里神社の社殿すぐ背後の山林内/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、存在が多少なりと確認できるのは県下で7ヶ所
4
C
虎鼻狼煙場
・跡
とらがはな
香川/さぬき市
(津田町津田)
狼煙場
内径3m,外径6.6-7m,高1.8m
江戸末期
古野徳久(ミュージアム調査研究報告1)
原位置の狼煙場群の中で保存状態最良(オリジナルの土塁構造がよく分かる上、内部の石も一部露出)
北山半島の尾根の標高170m地点/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、存在が多少なりと確認できるのは県下で7ヶ所
1
B
大串狼煙場
・跡
おおぐし
香川/さぬき市
大串温泉の北斜面公園広場
狼煙場
内径3.2-3.3m,高1.5m
江戸中期以降
市史跡
市教委/古野徳久(ミュージアム調査研究報告1)
昭和59に100m移設・復元
東と西が燃料の搬入や人の出入、風通しのため切断/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、存在が多少なりと確認できるのは県下で7ヶ所
2
C
蕪越狼煙場
・跡
かぶらごし
香川/東かがわ市
(白鳥の北東)
狼煙場
外径4.5m,高1.1m
江戸末期
市史跡
古野徳久(ミュージアム調査研究報告1)/現地解説板
石を積み重ねて壁にした状況で現存
鹿浦越岬の尾根を下った鞍部(葛峯狼煙場(部分崩壊)と湊川狼煙場(消滅)を連絡する役目)/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、存在が多少なりと確認できるのは県下で7ヶ所
2
C
葛峯狼煙場
・跡
かずらみね
香川/東かがわ市
引田の安戸池・西
狼煙場
内径3.0m,高1.0m(内高)
江戸末期
古野徳久(ミュージアム調査研究報告1)
内部の落石が大
尾根の151.3mピークから北に下った標高134mの地点/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、存在が多少なりと確認できるのは県下で7ヶ所
3
C
小磯北山狼煙場
・跡
こいそきたやま
香川/東かがわ市
狼煙場
江戸末期
古野徳久(ミュージアム調査研究報告1)
接近不能→狼煙筒の地中部分の角礫の石積が視認できる程度
袖掛神社の北隣の低い尾根/『逆頬箙図及狼煙場之図』に描かれた18ヶ所の狼煙場群中、存在が多少なりと確認できるのは県下で7ヶ所
4
C
大神子の狼煙場
・跡
おおみこ
徳島/徳島市
大神子広域公園・北尾根遊歩道
狼煙場
2.8m×2.8m
(内寸)
文化年間(1804-18)
現地解説板/図説徳島県の歴史p157
遊歩道に沿って展示整備
徳島藩によって異国船の来航を監視するために設けられた大島~徳島を結ぶ狼煙場群/解説板等に構築年代として「元禄年間」とあるのは間違い
2
A
大島の狼煙場
・跡
おおしま
徳島/(海部)牟岐町
(牟岐大島)
狼煙場
5m×4.5m(内寸)
文化年間(1804-18)
町史跡
町教委/図説徳島県の歴史p157
周辺が樹林化/無人島のため舟のチャーターが必要
徳島藩によって異国船の来航を監視するために設けられた大島~徳島を結ぶ狼煙場群/大島の頂上216mの四方を一望できる場所に設置
3
B
宇津賀山頂の火立場
うつが、
ほたてば
高知/土佐市
宇津賀山・山頂
狼煙場
内径1.9m,深1.1m
江戸期
市史跡
市教委
保存状態良好
異国船発見の情報を高知城に速やかに伝えるために43ヶ所造られた火立場の1つ(県内に2基良好に現存)
1
B
下ノ茅浦火立場
・跡
しものかやうら
高知/土佐清水市
狼煙場
2m四方
享保7(1722)
WEB
基壇石の上に高さ1.5mの石積みが残る
異国船発見の情報を高知城に速やかに伝えるために43ヶ所造られた火立場の1つ(県内に2基良好に現存)
1
B
古満目火立場
・跡
こまめ
高知/(幡多)大月町
狼煙場
約3m四方
享保7(1722)
WEB
礎石と円形の石積みが残る
同上/大堂と西泊の火立場へ知らせる中継所
2
C
藍島遠見番所旗柱台
あいのしま
福岡/北九州市
(小倉北区)
(藍島)
遠見番所の旗柱台(花崗岩)
(2本)高2.4m,45㎝×62㎝
享保6(1721)
県史跡
WEB
石柱2本と基盤石のみ残る
狼煙場は多いが、旗柱台は非常に珍しい/密貿易船を発見すると、紺地に白く染め抜いた三階菱の大旗をこの旗柱台に掲げて、中原の境鼻見番所に急報した
3
B
相島の遠見番所
・跡
あいのしま
福岡/(糟屋)新宮町
(相島)
高山
遠見台
寛永16(1939)以降
町教委
石積みの物見櫓が残る(保存状態は良好)
福岡藩による5ヶ所(姫島、西浦、相島、大島、岩屋)の物見櫓の一つ/直線的に昇降する
2
B
雄熊山烽火台
(煙道口)
おぐまやま
福岡/(築上)上毛町
狼煙場
(石造の煙道口)
文化6(1809)
町教委
煙道口のみ残る
海防上の信号用に中津藩が造った
3
C
大野岳烽火場
・跡
おおのだけ
佐賀/伊万里市
大野岳山頂
狼煙場
天智3(664)以降
いまりの歴史散歩p257-258
場所が100%確定されている訳ではない/自然石が方形のように配置(散乱)
倭国・百済連合軍が白村江河口で唐・新羅水軍に大敗したのを受け、唐・新羅の攻撃に備えて築かれた連絡施設(福岡の水城と一体の施設)とされる/国内各地の狼煙場と比較し、圧倒的に古い
3
B
番所ノ辻の烽火台
・跡
ばんしょのつじ
佐賀/唐津市
(馬渡島)
狼煙場(石)
江戸期
WEB
保存状態やや良好
幕末に沿岸防備のための遠見番所が設けられ、黒船を発見すれば烽火をあげて名護屋の大庄屋に知らせ、名護屋からは唐津城まで早馬を走らせていたとされる
2
C
烽火山かま
・跡
ほうかざん
長崎/長崎市
鳴滝3丁目
狼煙場(石積)
径4.8m,高3.6m
寛永15(1638)
県史跡
WEB(みさき道人)/市教委
その他(一部埋没、滅失)/烽火台を修復された
島原の乱平定後,長崎を巡視した老中・松平信綱の命により構築、外国船来航は野母から五挺立て船で注進、ここから狼煙を上げて近国に通報する手順となっていた/明和元(1764)廃止→文化5(1808)のフェートン号事件で復活再造→翌文化6廃止
2
B
御岳烽火台
・跡
おんだけ
長崎/長崎市
三重地区
狼煙場(石積)
文化7(1810)
WEB(みさき道人)
円形に配置された石が残る
大村藩第九代藩主・大村純昌により再構築/有事の際に大村藩に知らせるためとされ、上記の「野々岳烽火台」と同地区にあるが別ルート
3
C
琴ノ尾岳烽火台1
・跡
ことのおだけ、ほうかだい
長崎/諫早市
琴ノ尾岳山頂・南
(標高410m地点)
狼煙場(石積)
9.5m×9.5mの方形基壇上に外径3.5mの円形の竈が載る
寛永元(1638)?
WEB(みさき道人)
昭和48復元/竈上部から内部に降りる鉄梯子を設置
長崎有事の際の緊急連絡手段として設置されたとされる/正保4(1647)にポルトガル軍艦2隻が長崎に来た時と、文化5(1808)のフェートン号事件の2回のろしをあげたと『大村郷村記』(1862)に記されているが、発掘調査によればのろしを上げた後の炭の層は1回分しかない/曇天や霧の際に見えにくかったため文化6(1809)に廃止
1
B
琴ノ尾岳烽火台2
・跡
ことのおだけ、ほうかだい
長崎/諫早市
琴ノ尾岳山頂の1㎞北
狼煙場(石積上に土盛)
直径3.5m,高2m
寛永元(1638)?
WEB(みさき道人)
原形を保持
同上?/上記「琴ノ尾岳烽火台1」の補助的なものだとの説もある
1
C
高来烽火山烽火台
・跡
たかき、ほうか
長崎/諫早市
いこいの村 長崎公園
狼煙場(石積)
直径2.5m,高1.5m
寛永15(1638)
WEB(みさき道人)
実際の烽火台から800mほど離れたふもとに再現
島原の乱平定後、長崎有事の際の緊急連絡手段として設置されたとされる/有喜の普賢岳→ここ→太良の風配と伝達するルート
3
C
遠見番山の烽火台
・跡
とめばんやま
長崎/五島市
(奈留島)
奈留町
狼煙場(石積)
正保4(1647)
市史跡
WEB
原形を留める
長円形の「かま」→かまに薪を積み、日中は煙、夜間は炎を上げて急を知らせるようになっていた/役人は番頭1人、足軽2人
1
B
平川原の狼煙台
・跡
ひらがわら
長崎/佐世保市
狼煙場(石)
文化5(1808)以降?
市教委
保存状態良好
円形に積まれた乱石/設置はフェートン号事件(1808)以降と推察
1
C
高島遠見番所狼煙台
・跡
たかしま
長崎/佐世保市
(高島)
番岳山頂
狼煙場
文化5(1808)以降?
市教委/高橋輝吉
半壊状態(狼煙台跡という可能性が推定できる程度)→復元
狼煙台の設置はフェートン号事件(1808)以降と推察(遠見番所自体は寛永17(1640)に設置)
2
C
錐崎の狼煙台
・跡
きりざき
長崎/佐世保市
針尾東町
狼煙場
直径約5m
文化5(1808)以降?、
文化9(1812)以前
市教委/WEB(みさき道人)
樹木により崩壊が進行
設置はフェートン号事件(1808)以降と推察/伊能忠敬の『壬申測量日記』の文化9年12月15日の項に「桐崎回左ノ山上ニ放火台阿里」とあり、この時にはすでに存在していた
4
C
元・
耶良埼の遠見台
やらざき
長崎/対馬市
厳原港
石望楼(四角錐)
高3.5m,頂辺1.9m,底辺3m
江戸末期?
WEB(みさき道人)
/市教委
耶良埼山頂付近にあったものを移設/乗船客しか入れない
「灯台役人が見張りに使用していた望楼の土台石組跡」と推定されている→いわゆる「遠見台」と異なり、他では見られない小城郭石垣のような構造/粗加工の石材を布積崩し風に積み上げる
2
B
遠見番岳のろし台
・跡
とおみばんだけ
長崎/(南松浦)新上五島町
(中通島)
番岳
狼煙場(石積)
正保4(1647)
町史跡
町教委
原形を留める
正保4に祝言島から遠見番所を遠見番岳に移す/のろし台も同時期と推定される
1
C
長峰尾の烽火台
・跡
(烽火台)
ながみねお
大分/中津市
(野依)
狼煙場(煙道)
文化4(1807)
市史跡
WEB
保存状態良好/巨石を組み合わせた煙道が現存
文化4、異国船に備えるため沿岸各地に設置された烽火台の1つ/文化10(1813)廃止
2
B
ビッチュルムリィ
沖縄/
石垣市
(石垣島)
遠見台
(石積、渦巻状)
琉球王国時代
市教委
八重山諸島の中でも、変に修景されず、かつ、保存状態のもっとも良く、かつ、最大規模の遠見台
非常駐の遠見台のため、一括国指定されなかったが、本格的な渦巻き状の大型施設/石垣島の他の遠見台は、山地に造られているが、島の東南部は低地のため、他の平らな島と同じ石積構造とした
1
川平火番盛
かびら・ひばんむい
沖縄/
石垣市
(石垣島)
遠見台、火番盛
1644年以降
国史跡
市教委
放置された小丘の上にあり、周辺の丘と区別がつかない
先島諸島の火番盛群/小丘上のため、特に施設なし
4
C
平久保遠見台
ひらくぼ
沖縄/
石垣市
(石垣島)
遠見台、火番盛
1644年以降
国史跡
残石らしきものがある程度
先島諸島の火番盛群/位置が特定できない山全体
4
C
池間遠見番所
いけま
沖縄/宮古島市
(池間島)
池間島南端の小高い丘陵上
遠見台、火番盛
(円形)
1644年以降
国史跡
現地解説板/WEB
保存状態良好
先島諸島の火番盛群/岩盤を利用して、その上に円柱状に石を積み、登り降りするための石段が設けられている/海の見晴らしもいい大型の遠見台
2
A
来間遠見番所
くりま
沖縄/宮古島市
(来間島)
来間集落東の崖上
遠見台、火番盛
(方形・切石積)
高約3m
1644年以降
国史跡
現地解説板/WEB
陸軍による補強で、上部の保存状態が悪い
先島諸島の火番盛群/岩盤を利用して、その上に円柱状に石を積み、登り降りするための石段が設けられている/大型
3
A
砂川遠見番所
(トゥンカイフツイス)
すながわ
沖縄/宮古島市
(宮古島)
城辺町砂川の上比屋山の南端
遠見台、火番盛
(方形・切石積)
7m×4.5m,高1m
1644年以降
国史跡
現地解説板/WEB
石積みの残りが悪い
先島諸島の火番盛群/布積風の加工は珍しい/崖を削った階段
3
B
狩俣遠見番所
かりまた
沖縄/宮古島市
(宮古島)
狩俣集落後方の海岸線に沿った丘陵上
遠見台、火番盛
(方形)
1644年以降
国史跡
現地解説板/WEB
明治末まで使われていたため保存状態が悪く、矩形の番所跡が、かろうじて推測できる程度
先島諸島の火番盛群/大神島がよく見える/残る石塁は不規則/方位石(別項目)が残る
4
B
島尻遠見番所
しまじり
沖縄/宮古島市
(宮古島)
島尻集落北東部の丘陵上
遠見台、火番盛
(方形)
海側を石塁,陸側を石垣とした矩形の番所跡
1644年以降
国史跡
現地解説板/WEB
矩形の番所跡が、割と明確に推測できる状態
先島諸島の火番盛群/石積は小規模
3
B
古宇利火立所
こうり・トウミヤー
沖縄/(国頭)今帰仁村
(古宇利島)
田園空間博物館
遠見台、火番盛
1644年以降
村有形
WEB
周辺を公園化
先島諸島の火番盛群とは別系列の逢火台/一枚岩を利用した琉球では珍しい形態
1
B
番屋跡(遠見台)
沖縄/(島尻)粟国村
(粟国島)
遠見台、火番盛
高さ1.5mほどの石垣上に低い盛土がのる構造
1644年以降
村史跡
WEB
/現地解説板
保存状態良好
先島諸島の火番盛群とは別系列の逢火台(異国船等を見た場合は、ヒータティヤーから松明で慶良間諸島に知らせた)/島で一番高い海抜96mの丘上
1
B
アーガ山の逢火台
(火立所)
沖縄/(島尻)伊是名村
(伊是名島)
遠見台、火番盛
1644年以降
村史跡
WEB
先島諸島の火番盛群とは別系列の逢火台/小規模な土盛り
2
C
ソナミの逢火台
沖縄/(島尻)久米島町
(久米島)
遠見台、火番盛
高2.5m,径7m
1644年以降
町史跡
久米島博物館
逢火台跡の大石のみ残る
中国への船の往来に備えたもの/船が見えると渡名喜島へ通報した
3
B
八重山遠見台
やえやま
沖縄/(宮古)多良間村
(多良間島)
八重山遠見公園
遠見台、火番盛
(珊瑚石積、円盤状2層)
1644年以降
国史跡
WEB
保存・整備されている/すぐ脇にRC造の展望塔が建つ
先島諸島の火番盛群/代表的なものの一つ/きれいな2段円筒形の石積
1
B
宮古遠見台
みやこ
沖縄/(宮古)多良間村
(多良間島)
遠見台、火番盛
(珊瑚石積)
1644年以降
国史跡
WEB
階段はあるものの、草が繁茂
先島諸島の火番盛群/階段の両側に隅石を持つ堅固な石積
3
C
水納遠見台
みんな
沖縄/(宮古)多良間村
(水納島)
遠見台、火番盛
1644年以降
国史跡
WEB
放置/藪の中に岩が残るのみ/島へのアクセスが困難
先島諸島の火番盛群
4
C
コート盛
コート・ムイ
沖縄/(八重山)竹富町
(波照間島)
遠見台、火番盛
(珊瑚石積、円盤状2層、階段あり)
高3.9m,径9.9m
1644年以降
国史跡
WEB/町教委
保存・整備されている(階段が、整然としすぎ、頂部が平坦)
先島諸島の火番盛群/波照間島では最大/2層の渦巻き状
2
A
小城盛
クスク・ムイ
沖縄/(八重山)竹富町
(竹富島)
遠見台、火番盛
(珊瑚石積、円盤状2層)
1644年以降
国史跡
WEB/町教委
よく整備されている(階段が、整然としすぎ、頂部が平坦)
先島諸島の火番盛群/代表的なものの一つ/きれいな円筒形の石積
2
B
中森
なかもり
沖縄/(八重山)竹富町
(鳩間島)
遠見台、火番盛
(方型)
1644年以降
国史跡
WEB
保存状態は良好
先島諸島の火番盛群/やや先細りの方型の石積台階段は、L字型についている
2
B
ブズマリ
沖縄/(八重山)竹富町
(黒島)
遠見台、火番盛
(珊瑚石積、お椀状)
高3-4m
1644年以降
国史跡
WEB
保存状態は良好
先島諸島の火番盛群(外国船や琉球から中国への進貢船、大和の船の通行を、烽火により、石垣島にある蔵元に知らせるためのもの)/代表的なものの一つ
1
A
タカニク
沖縄/(八重山)竹富町
(上地島)
遠見台、火番盛
(珊瑚石積、円盤状2層)
高約1.5m
1644年以降
国史跡
WEB
保存状態は良好
先島諸島の火番盛群(小規模)
1
B
カッチンヌブヤムリ
沖縄/(八重山)竹富町
(波照間島)
遠見台、火番盛
(珊瑚石積、渦巻き状)
高3.4m,径7.5m
1644年以降
WEB/町教委
雑木でかなり覆われている
先島諸島の火番盛群/波照間島では2番目に大きい(規模としては小規模)/渦巻き状がよく判る
3
C
ダティグチディ
沖縄/(八重山)与那国町
(与那国島)
遠見台、火番盛
(石積1層)
1644年以降
国史跡
WEB
保存状態は良好
先島諸島の火番盛群/日本最西端の遠見台/一層の小型遠見台だが、上部は広い
1
B